文学 / ジョナサン・スウィフト穏健なる提案A Modest Proposal
文学 / ジョナサン・スウィフト
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原著・底本
- 原題
- A Modest Proposal
- 著者
- ジョナサン・スウィフト
- 原典の利用条件
- パブリックドメイン(米国)
Project Gutenberg 利用条件 - 収録範囲
- 1729年の原題・副題・著者表示・年記と本文全33段落。
日本語訳
表紙
- 装画
- 日本人文
- 利用条件
- CC0 1.0
本書のために制作した独自装画。原刊の装丁とは異なります。
追加日: 2026-10-21 / 更新日: 2026-10-21
1729年の原題・副題・著者表示・年記と本文全33段落。
穏健なる提案
アイルランドの貧しい人々の子供たちが、親や国の重荷になるのを防ぎ、社会の役に立つようにするために
1729年
本文
この大きな町を歩き、あるいは田舎を旅する者にとって、街路や道端や小屋の戸口に女の物乞いが群がり、その後ろに、ぼろをまとった子供が三人、四人、あるいは六人も付き従って、通る人ごとに施しをせがむ有様は、まことに気のめいる眺めである。母親たちは、まっとうに働いて生計を立てることもできず、か弱い幼子の食べ物を乞い求めて、一日中さまよい歩かざるをえない。その子供たちも、大きくなれば、仕事がないために盗人になるか、愛する祖国を去って、スペインで王位僭称者のために戦うか、バルバドスへ身を売ることになる。
母親の腕に抱かれ、背に負われ、あるいはその後ろをついて歩く、しかも父親についても同じ有様である、このおびただしい数の子供たちが、今の王国の嘆かわしい境遇に、さらに大きな苦しみを加えていることには、どの立場の人も異論があるまい。したがって、こうした子供たちを、健全で役に立つ社会の一員にする、公正で、費用のかからない、たやすい方法を見つける者があれば、その公共への功績は、国の救い主として銅像を建てられるに値するはずである。
ただし、私の意図は、物乞いを職業としている者の子供だけを養うことに限られるものでは、決してない。その範囲ははるかに広く、街頭で私たちの慈悲にすがる者と、実際にはほとんど変わらないほど子供を養う力のない親から生まれた、ある一定の年齢の幼児を、すべて含むものである。
私自身は、この重要な問題について長年考え、わが国の計画家たちが出したさまざまな案を十分に検討してきたが、その計算にはいつも大きな誤りがあると感じてきた。確かに、母親から生まれ落ちたばかりの子供は、太陽暦で一年の間は、母乳のほかにはほとんど栄養を与えずに育てられる。ほかに必要なものの値段は、多くても二シリングを超えまい。それくらいなら母親も、物乞いという合法的な仕事で、金銭か、それに相当する残飯を、確実に手に入れられるはずである。私が面倒を見ようというのは、まさにその一歳になった時点からである。親や教区の負担になったり、その後の一生、食べる物にも着る物にも困ったりする代わりに、逆に何千、何万もの人々の食料となり、一部は衣料をも供給するような方法を、提案したいのである。
私の案には、もう一つ大きな利点がある。わが国では、悲しいことにあまりに頻繁に行われている、自ら堕胎をしたり、私生児を生んだ女がその子を殺したりする、あの恐ろしい行いを防げることである。罪もない、いたいけな赤子が犠牲にされるのは、おそらく恥を逃れるためというより、養育費を免れるためなのだろう。この有様には、どれほど残忍で人間らしい情のない者でも、涙と憐れみを覚えずにはいられまい。
この王国の人口は、普通、百五十万人と見積もられている。そのうち、妻が子を産む夫婦はおよそ二十万組と、私は計算する。そこから、自分の子供を養える三万組を差し引く。もっとも、今の王国の窮状では、それほどの数があるとも思えないが、それは認めるとして、子を産む女は十七万人残る。さらに、流産する女、あるいは生まれた子が一年以内に事故や病気で死ぬ女を五万人差し引く。すると、貧しい親から毎年生まれてくる子供は、十二万人だけとなる。問題は、これだけの子供をどう育て、どう養うか、ということである。すでに述べたとおり、今の事情では、これまで提案されたどんな方法を使っても、それはまったく不可能だ。手工業にも農業にも使えない。この者たちは家も建てず――田舎の話である――土地も耕さない。盗みで暮らしを立てることさえ、よほど才能に恵まれた者を除けば、六歳になるまでは、めったにできないのである。もっとも、その初歩を覚えるのはずっと早いとは認めよう。それでも、その間はまだ見習いと見るのが適当である。これはキャヴァン州の有力な紳士に聞いたことで、その方は、この技の上達がとりわけ早いと名高い王国のその地方でさえ、六歳未満でひとり立ちした例を、一人か二人より多くは知らないと、私に断言された。
わが国の商人たちの確かな話では、男の子でも女の子でも、十二歳になるまでは売り物にならず、その年齢になっても、市場では三ポンド、せいぜい三ポンドと半クラウンにしかならないという。これでは親にも王国にも利益はない。それまでの食べ物とぼろ着に、少なくともその四倍はかかっているからである。
そこで私は、自分の考えを謹んで提案することにしたい。これには、いささかの異議も出ないだろうと期待している。
ロンドンで知り合った、たいそう物知りのアメリカ人に、確かな話を聞いた。健康で、よく乳を飲んで育った幼児は、一歳になると、煮込んでも、あぶっても、オーブンで焼いても、ゆでても、実においしく、栄養があり、体によい食べ物になるというのである。フリカッセやラグーにしても、同じように役立つことは疑いない。
したがって、先に計算した十二万人の子供のうち、二万人を繁殖用に残し、その四分の一だけを雄にすることを、私は謹んで世の検討に供したい。これは、羊、牛、豚の場合に私たちが認めている割合よりも高い。その理由は、この子供たちはめったに正式な結婚から生まれたものではなく、わが国の野蛮人たちは、そんな事情をあまり気にしないからである。ゆえに、一頭の雄で四頭の雌をまかなえば十分だ。残りの十万人は、一歳になったところで、王国中の身分と財産のある人々に売りに出せばよい。その際、母親には必ず、最後の一か月にはたっぷり乳を飲ませ、立派な食卓にふさわしく、丸々と太らせるよう勧めておく。子供一人で、友人を招く宴の料理なら二皿になる。家族だけで食事をするなら、前脚側か後脚側の四分の一で、ほどよい一皿ができよう。少し胡椒か塩を利かせれば、四日目でも、特に冬なら、ゆでてたいへんおいしく食べられる。
私の計算では、生まれたばかりの子供の体重は平均十二ポンドであり、まずまずの育て方をすれば、太陽暦で一年のうちに二十八ポンドに増える。
この食べ物がいくらか高価になることは認める。だからこそ地主たちには、まことにふさわしい。すでに親の大部分を食い尽くしているのだから、その子供に対しても、もっとも正当な権利を持っているように見えるからである。
幼児の肉は一年中が旬だが、三月とその少し前後には、さらに豊富に出回るだろう。フランスの著名な医師である、ある重々しい著述家によれば、魚は多産を促す食べ物なので、ローマ・カトリックの国々では、四旬節からおよそ九か月後に、ほかの季節より多くの子供が生まれるという。したがって、四旬節から一年後を見込めば、市場にはいつも以上に品があふれるはずだ。この王国では、カトリックの幼児とそれ以外の幼児の比率は、少なくとも三対一なのだから。そこで、この案には、わが国の教皇派の数を減らすという、もう一つの副次的な利点もあることになる。
物乞いの子を育てる費用は、ぼろ着も含めて一年におよそ二シリングと、すでに計算した。ここで物乞いには、小屋住まいの者、労働者の全員と、農民の五分の四を数えている。一方、よく太った子供の肉体一つに十シリング払うのを惜しむ紳士はいないだろう。先に述べたとおり、特に親しい友人か、自分の家族だけと食卓を囲むなら、これで、栄養に富んだ上等の肉料理が四皿できるのである。こうすれば、郷紳はよい地主となるすべを覚え、小作人たちの人気も高まる。母親には八シリングの純益が入り、次の子を産むまでは、働ける体でいられる。
もっと倹約したい人は――確かに、今の時勢ではそうする必要があるが――その皮をはいでもよい。巧みに加工すれば、婦人用の見事な手袋や、しゃれた紳士向けの夏の長靴になるだろう。
わがダブリン市については、もっとも便利な何か所かに、この目的のための肉市場を設ければよい。肉屋に事欠くことは、まずないはずだ。もっとも私は、丸焼きにする子豚の場合と同じく、子供を生きたまま買い、刃物を入れたばかりの、まだ温かいうちに料理するほうをお勧めする。
たいへん立派な人物で、真に国を愛し、その徳を私も深く尊敬している方が、先ごろこの問題について話していた折に、私の案をさらに改良する策を示してくださった。その方によれば、この王国では近ごろ、多くの紳士が飼っていた鹿を殺し尽くしてしまったので、鹿肉の不足は、十二歳から十四歳までの少年少女の体で、十分に補えるのではないかという。どの州にも、仕事や奉公口がなくて飢え死にしかけている男女が、大勢いるのだから。これを、親が生きていれば親が、いなければもっとも近い親族が売り払うというのである。しかし、これほどすばらしい友人、このように功績ある愛国者には、しかるべく敬意を払うにしても、私はその意見に全面的には賛成できない。というのも、男のほうは、先のアメリカ人の知人が、豊富な経験に基づいて確言したところでは、いつも運動しているために、わが国の学童と同様、肉はおおむね硬くて脂がなく、味もよくないうえ、太らせる費用に見合わないからである。女のほうにしても、失礼ながら、まもなく自身が子を産むようになるのだから、社会の損失になると思う。そのうえ、良心のやかましい人々の中には、このやり方を、いくらか残酷に近いものとして非難しがちな者も、いないとは限らない。むろん、それは実に不当な非難ではあるが。実のところ、どんなによい意図の計画であっても、残酷だという点は、私にとって常にもっとも強い反対理由なのである。
ただし、友人の弁護のために申し添えると、この策を思いついたきっかけは、フォルモサ島生まれの、あの有名なサルマナザールだと、本人は打ち明けていた。その男は二十年以上前に島からロンドンへ来て、友人との会話の中で、故国では若者が死刑になると、処刑人がその体を、極上の珍味として身分の高い人々に売るのだ、と話したという。また、自分のいたころ、皇帝を毒殺しようとして磔にされた、十五歳の丸々と太った少女の体が、刑台から切り分けられて、皇帝陛下の宰相や、そのほかの宮廷の高官に、四百クラウンで売られたことがある、とも話したそうだ。実際、この町にいる何人かのふっくらした若い娘たちも、同じように利用したところで、王国の損にはならないだろうということは、私も否定できない。そうした娘たちは、財産は四ペンス貨一枚もないくせに、駕籠がなければ外出もせず、この先も決して代金を払わない外国製の晴れ着で、芝居小屋や社交の集まりに姿を見せているのである。
気の弱い人々の中には、老いた者、病人、体の不自由な者といった、おびただしい数の貧民を、ひどく心配する人がいる。そして、このような重荷から国を解放するには、どうしたらよいか、私に考えてほしいという依頼もあった。しかし、この点は私には少しも気がかりではない。というのも、その者たちは、寒さや飢えや汚れや害虫によって、当然期待してよいだけの速さで、日々死に、腐っていっていることが、広く知られているからだ。若い労働者たちも、今やほとんど同じくらい、先の明るい状態にある。仕事にありつけず、そのため栄養不足で衰えていくので、たまたま普通の力仕事に雇われても、それをこなす力さえないほどである。こうして、国も本人たちも、この先に待つ災いから、めでたく解放されるのである。
脇道に入りすぎたので、本題に戻ろう。私の提案には、明らかで、数多く、しかもきわめて重要な利点があると思う。
第一に、すでに述べたとおり、わが国にはびこって年々増え続けている、教皇派の数を大幅に減らせる。この者たちは、国でもっとも多く子を産むと同時に、もっとも危険な敵でもある。しかも、わざわざ国内にとどまるのは、王国を王位僭称者に引き渡そうというたくらみがあり、国教会の牧師に、良心に背いて十分の一税を払うくらいなら祖国を去るほうを選んだ、多くの善良なプロテスタントがいなくなったのを、好機と見ているからである。
第二に、貧しい小作人たちは、法律により差し押さえることができ、地主への地代の支払いに充てられる、価値あるものを自分で持てるようになる。穀物も家畜もすでに差し押さえられ、金などは見たこともないのだから。
第三に、二歳以上の子供十万人の扶養費は、一人当たり年に十シリングを下回るとは見積もれないから、この案によって、国の資産は年に五万ポンド増えることになる。それに加えて、王国中の、味の洗練を心得た資産家の紳士たちの食卓には、新しい料理がもたらされる利益もある。また、商品はことごとく国内で生まれ、国内で加工されるのだから、金は私たちの間で循環する。
第四に、毎年子を産む者は、子供を売って年に八シリングの利益を得るほか、最初の一年を過ぎた後の扶養費からも解放される。
第五に、この食べ物は、酒場にも大いに客を呼ぶだろう。店主たちは、これを申し分なく料理する最良の調理法を手に入れるくらいの抜け目なさは、きっと持ち合わせている。そうなれば、美食の知識をもっともなことに自慢にしている、しゃれた紳士たちが、そろって店に通うようになる。そして、客を喜ばせるすべを心得た腕のよい料理人なら、客が望むだけ高い料理に仕立てる工夫もするはずである。
第六に、この案は結婚を大いに促すだろう。賢明な国々はみな、報奨で結婚を奨励するか、法律や罰則で強いてきた。貧しい赤子の一生の身の振り方が、いわば社会によって用意され、毎年の出費ではなく、利益になると確信できるのだから、母親が子供に寄せる心遣いや愛情も深まるだろう。誰がいちばん太った子を市場へ連れてこられるか、既婚の女たちの間には、ほどなく健全な競争が生まれるはずだ。男たちも、今、子を宿した牝馬や牝牛、まもなく産む牝豚を大切にしているのと同じように、妊娠中の妻をいとおしむようになるだろう。そして、流産を恐れて、妻を殴ったり蹴ったりしようとはしなくなる。今はそれが、あまりに頻繁に行われているのである。
このほかにも、多くの利点を挙げられる。たとえば、輸出する樽詰めの牛肉に、さらに数千体の肉を加えられること。豚肉の増産と、よいベーコンを作る技術の向上。これらは、わが国の食卓であまりに頻繁に子豚が食べられ、大量に殺されているために、切望されているものである。子豚など、よく育って太った一歳の子供とは、味でも豪華さでも、まるで比べものにならない。それを丸焼きにすれば、市長の宴席や、そのほか公の祝宴でも、ひときわ見栄えがするはずだ。しかし、簡潔を旨として、これも、ほかの多くの利点も、省くことにする。
この市の千家族が幼児の肉の常得意になると仮定し、そのほかの人々も、にぎやかな集まり、特に結婚式や洗礼式の宴などで食べるとすれば、ダブリンだけで年に二万体ほどが売れ、王国のほかの地方では――おそらくいくらか安く売られるだろうが――残りの八万体が売れると、私は計算する。
この提案に対して出そうな反論は、王国の人口が大いに減ってしまうというもの以外、私には一つも思いつかない。それは私も、率直に認める。実際、それこそ、この案を世に示した主な目的の一つだった。読者に心に留めていただきたいのは、私の救済策は、ほかならぬ、このアイルランド王国だけのために計算したものだということである。かつて存在し、今存在し、また、思うにこれからも地上に存在しうる、ほかのどんな国のためのものでもない。だから、ほかの方策など、誰も私に持ち出さないでいただきたい。国外住まいの地主に一ポンド当たり五シリングの税をかけるとか、衣服も家具も、国内で生産し製造したもの以外は使わないとか、外国の贅沢を助長する材料や道具を全面的に退けるとか、女たちの高慢、虚栄、怠惰、賭け事による浪費を治すとか、倹約、用心、節制の気風を広めるとか、祖国を愛することを覚えるとか――この点では、私たちはラップランド人やトピナンブーの住民とさえ違っている――、憎み合いや党派争いをやめ、都が攻略されているその瞬間にも殺し合っていたユダヤ人のように振る舞うのを、もうやめるとか、国や良心をただ同然で売り渡さないよう、少しは気をつけるとか、地主に、小作人へのせめてわずかばかりの慈悲を教えるとか。そして最後に、わが国の商人に、正直さ、勤勉さ、腕前の精神を吹き込むとか。この商人たちは、国産品しか買わないという決意が今なされたとしたら、たちまち結託して、値段でも、分量でも、品質でも、私たちをだまし、むしり取るだろう。そして、公正な取引のためのまともな提案を一つでもするよう、何度も熱心に求められてきたのに、いまだに応じさせることができたためしがないのである。
だから繰り返すが、そうした方策を、いつか熱意と誠意をもって実行に移そうとする試みが、少しでも期待できるのでなければ、そのような案や、それに似た案を、誰も私に持ち出さないでいただきたい。
私としては、長年、むなしく、役にも立たず、夢のような考えを提案し続けて疲れ果て、とうとう成功をすっかり諦めた末に、幸運にも、この案を思いついたのである。まったく新しい案でありながら、確かな現実味があり、費用はかからず、手間もわずかで、すべて私たち自身の力で実行でき、しかもイングランドの機嫌を損なう危険もない。この種の商品は輸出に耐えず、肉の質も柔らかすぎて、長く塩漬けにしておけないからである。もっとも、塩漬けなどにしなくても、わが国民をまるごと喜んで食い尽くすだろう国の名を、一つ挙げられそうではあるが。
とはいえ私は、自分の意見にあまりに激しく固執して、賢明な人々の出す、同じように害がなく、安上がりで、たやすく、効果のある提案を、何でも退けるほどではない。ただ、私の案に反対し、さらによい案として、そうしたものを提出する前に、その提案者には、次の二点を十分に考えていただきたい。第一に、今の状況で、何の役にも立たない十万人の口と体に、どうやって食べ物と着る物を見つけてやれるのか。第二に、この王国全体には、人間の姿をした生き物が、ざっと百万人いる。職業として物乞いをしている者に、実際には物乞い同然の、大部分の農民、小屋住まいの者、労働者と、その妻子を加えた数である。その者たちの暮らし向きを一つにまとめて勘定すれば、差し引き二百万ポンドの赤字になる。私の提案を嫌い、ことによると大胆にも答えを試みる政治家たちには、まず、こうした人々の親に尋ねてほしい。私の勧めるやり方で、一歳のときに食料として売られていれば、今となっては、大きな幸せだったと思わないだろうか。そうしていれば、その後ずっと経験してきた、あの絶え間ない不幸を免れたはずなのだ。地主の圧迫、金も商いもないのに地代を払うという不可能事、ありふれた食料さえない暮らし、風雨をしのぐ家も着る物もない境遇、そして、同じ、あるいはそれ以上の悲惨さを、自分の子孫に永久に受け継がせるという、どうにも逃れようのない見通しを。
私は心の底から誠実に申し上げるが、この必要な事業を推し進めようとするに当たり、個人的な利害は、いささかも持ち合わせていない。動機はただ、商業を振興し、幼児の身の振り方を定め、貧民を救い、金持ちにいくらか楽しみを与えることで、祖国の公共の利益に尽くす、それだけである。私には、この案で一ペニーでも稼げるような子供はいない。末の子は九歳であり、妻はもう子供を産める年齢を過ぎている。