文学 / ジョナサン・スウィフト樽物語A Tale of a Tub

1889年Carisbrooke Library版『A Tale of a Tub and The History of Martin』の装丁

文学 / ジョナサン・スウィフト

書誌情報を表示

原著・底本

原題
A Tale of a Tub
著者
ジョナサン・スウィフト
編者
ヘンリー・モーリー
原典の利用条件
パブリックドメイン
Project Gutenberg 利用条件
収録範囲
1889年モーリー編英語版の広告・献辞・序文・全11節・結び・対応する底本注86件と訳注3件。別作品『マーティンの物語』は含まない。原文の意図的な欠落表示を保持。

日本語訳

利用条件
CC0 1.0
翻訳原稿
原稿を見る

表紙

画像
原刊の表紙

翻訳底本の電子版に収められた1889年版の装丁。併録の『マーティンの物語』は、この日本語訳には含まない。

追加日: 2026-10-15 / 更新日: 2026-10-15

1889年モーリー編英語版の広告・献辞・序文・全11節・結び・対応する底本注86件と訳注3件。別作品『マーティンの物語』は含まない。原文の意図的な欠落表示を保持。

樽物語

ジョン・サマーズ卿閣下に捧ぐ

閣下

著者は長々とした献辞を書いておりますが、その相手は、私などが御面識を得る栄誉にはとうていあずかれそうもない王子です。そのうえ、私の見るかぎり、今どきの文筆家は誰一人、その方を気にかけても、念頭に置いてもおりません。一方、私には、書店主がふつう著者の気まぐれに対して負っている、あの隷属の義務がまったくございません。そこで、この原稿を閣下に献じ、御庇護をお願いするのは、賢明な僭越というべきものと存じます。原稿の欠点も長所も、神と閣下にはおわかりでしょう。私自身は、その中身についてはまるで不案内でございます。世間の方々も同じように何も御存じでないとしても、それで売れ行きを心配するつもりは少しもございません。表に閣下の御名を大文字で掲げれば、いつでも一版は売り切れます。私が市参事会員へと出世するにも、閣下に献辞を捧げる独占権の特許さえいただければ、ほかに助けは要りません。

さて、献辞を捧げる者の権利として、閣下御自身の美徳を列挙し、同時に御謙遜を傷つけるのは心苦しいと申し上げるべきところでございましょう。とりわけ、才能は豊かでも懐の乏しい者に対する御寛大をたたえ、それはほかならぬ私のことだと、露骨にほのめかすべきでしょう。そこで私も通例に従い、百や二百の献辞に目を通して、閣下に当てはめられる抜粋を写し取ろうとしたのですが、ある出来事で手が止まりました。この原稿の表紙に、たまたま DETUR DIGNISSIMO という二語が大きく書かれているのを見つけたのです。ひょっとすると、何か重要な意味があるのかもしれません。ところが運悪く、私が雇っている著述家には、ラテン語のわかる者が一人もおりませんでした。もっとも、ラテン語から翻訳させるために、しょっちゅう彼らへ金を払ってはいるのですが。仕方なく教区の副牧師に頼みますと、「最もふさわしい人に与えよ」と訳してくれました。その説明では、著者は、機知、学識、判断力、雄弁、知恵において当代随一の天才に、この著作を献じたいのだろうとのことでした。私は近くの路地に住む詩人の部屋を訪ねました。私の店のために仕事をしている男です。その訳を見せ、著者が誰のことを言っているのか、意見を求めました。少し考えてから彼は、自分は虚栄を忌み嫌う人間だが、この説明からすると指しているのは自分だろう、と答えました。そして、本人に捧げる献辞を作るのであれば、自分も無報酬で力を貸そうと、たいへん親切に申し出てくれました。それでも私は、もう一人、心当たりを挙げてくれと頼みました。「それなら」と彼は言いました。「私か、さもなければサマーズ卿に決まっている。」そこからほかの知り合いの才人たちも何人か訪ねました。暗い螺旋階段をおびただしく上り下りさせられ、ずいぶん危ない思いも疲れる思いもしましたが、閣下についても自分自身についても、皆の答えは同じでした。なお、この手順は私の思いつきではございません。誰もが二番手と認める人物には、一番手となる疑いのない権利がある、という格言をどこかで聞いたことがあったのです。

これで、著者の意中の人物は閣下だと、間違いなく確信いたしました。しかし、私は献辞の文体にも作法にもひどく疎いものですから、先ほどの才人たちを雇い、閣下の美徳をたたえる文章のために、着想と材料を用意させました。

二日後、彼らは裏表びっしり書き込んだ紙を十枚持ってまいりました。ソクラテス、アリステイデス、エパメイノンダス、カトー、キケロ、アッティクス、そのほか今では思い出せない難しい名の人々について、人物評に見つかるものは何もかも探し尽くしたと、彼らは誓いました。しかし、どうも私の無知につけ込んだらしいのです。集めた材料を読んでみると、私も世間の人も彼らと同じくらい知っていることばかりで、目新しい言葉は一つもありませんでした。そこで私は、これは詐欺ではないか、このお抱え著述家たちは、世間一般の評判を一字残らず盗み写したのではないか、と大いに疑っております。まったく何の役にも立たないことに、五十シリングをふいにした勘定です。

表題さえ替えれば同じ材料を別の献辞に使えるのでしたら、私より偉い方々もなさったように、損失の埋め合わせになりましょう。ところが、何人かにこの原稿を拾い読みしてもらったところ、三行も読まぬうちに、これは閣下以外の誰にも絶対に当てはまらないと、皆にはっきり請け合われてしまいました。

私が聞かされるつもりでいたのは、軍の先頭に立つ閣下の武勇や、城壁の破れを乗り越え、塀をよじ登る不撓の勇気、あるいはオーストリア王家から一直線に続く御家系、衣装や舞踊のすばらしい才覚、代数学、形而上学、東洋諸語の深い御造詣といったお話でした。それが、機知、雄弁、学識、知恵、公正、洗練、率直さ、どんな境遇でも変わらぬ穏やかな御気性、優れた人を見抜く大いなる眼力と、その人に進んで力を貸す御姿勢、そのほか四十ばかりのありふれた題目について、聞き古した話を世間に浴びせるとは。正直に申しまして、そんなことをする良心も、厚い面の皮も、私にはございません。公私の生活における美徳で、閣下の御身の上に起きた何らかの事情によって、世間の舞台にたびたび示されなかったものなどないからです。発揮する機会がなく、御友人にさえ見えず、気づかれずに終わったかもしれない少数の美徳も、とうとう敵方の人々が明るみに出してくれました。

もちろん、閣下の美徳の輝かしい手本が後世に伝わらぬことは、後世の人々のためにも、閣下のためにも、まことに惜しいと思います。とりわけ、それは先頃の治世の歴史を飾るのに、ぜひとも必要となりましょう。そして、それもまた、ここで美徳を並べ立てるのを控える理由です。近年の献辞のありさまからすれば、優れた歴史家は、人物評を探しに献辞をひもといたりはしないだろうと、賢い人々から聞かされたからでございます。

献辞を捧げる私どもも、一つだけ、やり方を改めたほうがよい点があると存じます。庇護者の寛大さを長々とたたえる代わりに、その忍耐力への感嘆を、一言二言述べるということです。今こうして、その忍耐力を発揮する十分な機会を差し上げること以上に、閣下をおほめする方法はございません。とはいえ、この点では、閣下にさほど大きな功績を認める気にはなれないかもしれません。閣下は以前から、長々とした演説には慣れておられ、ときにはこの文章と同じほど無益なものも聞かされてきたのですから、これもいっそう気軽にお許しくださるでしょう。まして、それを差し上げるのが、あらゆる敬意と畏敬をもって、次のように申し上げる者なのですから。

閣下

閣下に最も従順にして、最も忠実なる僕
書店主

書店主から読者へ

この原稿が初めて私の手に渡ってから、もう六年になる。書かれてから一年ほどたった頃のことだったらしい。というのも、著者は最初の論考の序文で、一六九七年を念頭に書いたと述べており、その論考にも二番目の論考にも、その頃に執筆されたとわかる箇所がいくつもあるからである。

著者については、何一つ納得のいく説明を差し上げられない。ただ、本人の知らぬところでの刊行であることは、確かな筋から聞いている。著者はこの原稿をある人物に貸したが、その人物はその後死去し、原稿も戻らなかったので、もう失われたものと思い込んでいる。そのため、本作に最後の仕上げを施したのか、欠けた箇所を埋めるつもりだったのかは、謎のままになりそうである。

どんないきさつでこの原稿を手に入れたかを読者に語ろうとしても、何でも疑う今の世のこと、出版商売の決まり文句か、わけのわからぬ口上としか受け取られまい。そこで、読者と私自身に、そんな無用な手間をかけずに済むのはありがたい。なお一つ、難しい問いが残る。なぜもっと早く刊行しなかったのか。控えていたのには二つ理由がある。第一に、ほかにもっとよい仕事を抱えていると思っていたから。第二に、著者から連絡があり、指示が得られる望みも、いくらか持っていたからである。しかし最近、ある大才人がこの作品の海賊写本に新しく磨きをかけ、洗練させたという知らせに接して、気をもむようになった。今の文筆家たちの言い方なら「時代の好みに合わせた」のである。すでに彼らは『ドン・キホーテ』やボッカリーニ、ラ・ブリュイエールなどに、同じことをたいへんめでたく施している。それでも私は、作品の全体を生まれたままの姿で差し出すほうが、誠実な商売だと考えた。どなたか、難しい部分を説明する手引きをお寄せくださるなら、その御厚意には心から感謝し、別冊として刊行したい。

後世王子殿下に捧げる献辞

殿下

ここに殿下へお捧げするのは、山なす仕事のわずかな合間から盗み取った、ほんの数時間の余暇の実りにございます。私の職務は、こうした戯れとはまるで縁がございません。議会が長らく休会し、海外の便りがひどく乏しく、雨続きにうんざりしていた間、持て余した時間の屑から生まれた、ささやかな産物です。そのためにも、またほかの理由からも、本作は殿下のような方の御庇護を、とりわけ受けるにふさわしいに違いありません。殿下はわずかのお年で数えきれない美徳を備え、やがてあらゆる君主の模範となる方と、世間から仰がれておられます。殿下はようやく幼年期を抜け出しかけたばかりでいらっしゃいますが、学問の世界全体はすでに、この洗練と完成を誇る時代の人間の才知の産物について、将来下される殿下の御裁定に、ひたすらへりくだって従い、訴え出ることに決めております。その唯一の判定者となる運命を、殿下はお持ちなのです。訴え出る者の数だけでも、殿下ほど無限の才をお持ちでない裁判官なら、恐れ驚いてしまうでしょう。ところが、こうした輝かしい審理を妨げるためか、殿下の教育を託された人物は、殿下が生来の権利としてお調べになるべき私どもの研究について、ほとんど何一つ殿下のお耳に入れぬ決意だと聞き及んでおります。

この人物が、白昼堂々、私どもの時代にはほとんどまったく学問がなく、どんな分野にも著述家を一人として生み出していないと、厚かましくも殿下に信じ込ませようとしているのは、驚くほかございません。殿下がお年を重ね、古代の学問を修められた暁には、すぐ前の時代の著述家についても、お知りにならずにはいられまいと、私はよく承知しております。それなのに、この無礼者が殿下のために準備している報告では、その著述家たちを、口にするのも恥ずかしいほど取るに足らない人数へと切り詰めるつもりだとは。大きく栄える私どもの仲間の名誉と利益のためにも、また、この人物から昔も今も特別な悪意を向けられていることを長年の経験で知る私自身のためにも、熱意と憤懣をかき立てられずにはいられません。

いつの日か、今私が書いているものを殿下がお読みになれば、この主張を信用して、御養育係に抗議なさり、私どもの作品をいくつか見せよとお命じになるかもしれません。そのとき相手はどう答えるでしょう。私はその企みをよく存じております。そんな作品はどこにあるのか、どうなったのかと殿下に問い返し、その時点で見つからないことをもって、かつても一つも存在しなかった証拠と言い張るでしょう。見つからないですって! 置き忘れたのは誰でしょう。万物の奈落に沈んだのでしょうか。本来なら、どの作品も永遠に水面を漂えるほど軽かったことは確かです。ならば、踵に重い重りをつけ、地の中心まで沈めた者に非があるのです。その実体そのものが滅ぼされたのでしょうか。消し去ったのは誰でしょう。下剤で溺れさせられたのか、パイプの火で殉教させられたのか。誰がそれを、かの――の尻にあてがったのでしょう。しかし、この全面的な破滅を引き起こす者が誰か、殿下にもう疑う余地がないよう、どうか、御養育係がいつも気取って持ち歩いている、大きな恐ろしい鎌に御注目ください。その爪と歯がどれほど長く強く、鋭く硬いかを御覧ください。その息が、生命と物質の敵として、どれほど有害で忌まわしく、毒を広め、ものを腐らせるかをお考えください。そのうえで、この世代のはかないインクと紙に、十分な抵抗ができるものか、御判断願います。ああ、どうかいつの日か、権力を簒奪したこの宮宰から、荒々しい武器を取り上げ、殿下の帝国を後見の束縛から解き放っていただきたいものです。

御養育係がこの件でお楽しみになっている、暴虐と破壊の手口を数え始めたら、際限がございません。私どもの時代の著作を憎む心は根深く、この名高い都で毎年何千と生まれる作品も、太陽が次の一巡を終える前には、一つとして噂を聞かなくなります。哀れな赤子たち! 多くは、母語を覚えて情けを乞えるようにさえならぬうちに、残酷にも殺されてしまうのです。揺り籠の中で窒息させられるもの、おびえて痙攣を起こし、そのまま死ぬもの、生きながら皮を剝がれるもの、手足を引き裂かれるもの。大勢がモロクへの生贄となり、残りもその息に毒され、衰弱性の病でやつれ死にいたします。

しかし、私が何より気にかけておりますのは、私どもの詩人組合のことです。今、その第一級の詩人百三十六名の署名を添え、殿下へ嘆願書を差し上げようと準備しております。とはいえ、その不朽の作品が殿下のお目に届く見込みは、まずございません。一人一人は今、月桂冠を求めてつつましく熱心に訴え出ており、その請求を裏づける立派な大冊も用意しているのですが。殿下、これらの偉人の不滅の著作に、殿下の御養育係は避けがたい死を宣告しているのです。そして殿下は、私どもの時代が詩人をただの一人も生み出す栄誉にあずからなかったと、信じ込まされることになっております。

なるほど不死は、偉大で力ある女神でしょう。しかし、祭司の座を奪った殿下の御養育係が、並ぶもののない野心と貪欲から、私どもの祈りも供物もことごとく横取りして食らい尽くすのであれば、私どもが女神に祈りと生贄を捧げても、むなしいばかりです。

私どもの時代にはまるで学問がなく、どんな種類の著述家もいないと言い切るのは、あまりにも大胆で、あまりにも虚偽に満ちた主張に思われます。ときには私も、反対の事実なら、ほぼ反論の余地もない証明を挙げられるのではないかと考えたことがございます。たしかに、著述家の数は膨大で、作品もそれに応じて多いのですが、どれもあまりに急いで舞台から追い立てられるので、記憶からこぼれ、目から逃げてしまいます。この献辞を思い立ったとき、私は自分の主張の動かぬ証拠として殿下にお見せするため、大量の書名の一覧を用意しておりました。元の広告は、どの門にも、どの街角にも、貼られたばかりでした。ところが、ほんの数時間後に確かめに戻ると、全部引き剝がされ、新しいものに替わっていたのです。読者や書店主に尋ねましたが、むだでした。その記憶は人々の間から失われ、あった場所さえもう見つかりません。私は、趣味も洗練もない田舎者、学者馬鹿として笑いものにされました。世間の動きに疎く、宮廷や都の上流の交際で何が話題になっていたか、何も知らぬ男だというのです。ですから殿下には、学識も才知も豊かに存在すると、全般について申し上げるしかございません。個々の例をつかまえるのは、私の乏しい能力には滑りやすすぎる仕事です。たとえば風の強い日に、地平線近くに熊の形の大雲があり、頭上には驢馬の頭の形の雲、西には竜の爪を持つ雲があると、あえて殿下に申し上げたとします。殿下が数分後にその真偽を確かめようとなされば、どれも形や位置を変え、新しい雲が現れているに違いありません。私どもが一致できるのは、雲は確かにあったが、その動物図譜と位置の記述については、私が大いに間違っていた、という点だけでしょう。

しかし御養育係は、なお食い下がって問うかもしれません。それほど多くの本に使われたはずの、おびただしい紙の束は、どうなったのか。それまでも、私の言うとおり、そっくり、しかも突然に消えてしまうことがあるのか、と。この意地の悪い反論に、何と答えればよいでしょう。目で見て確かめていただくため、殿下を便所や竈へ、売春宿の窓や薄汚れた提灯へお連れするのは、私と殿下の身分の隔たりに似つかわしくありません。本も、それを書く人間と同じで、この世へ来る道は一つしかありませんが、この世を去って二度と戻らぬ道は、一万もあるのです。

これから申し上げることは、今こうして書いているこの瞬間には、文字どおり真実であると、心の誠実さにかけて殿下に申し上げます。殿下のお目に届くまでに、どんな変転が起きるかは、とうてい保証できません。それでも、私どもの学識、洗練、才知の見本としてお受け取りいただきたく存じます。さて、正直な人間の言葉として断言いたしますが、ジョン・ドライデンという名の詩人が、現に今、実在しております。そのウェルギリウス訳は、先頃、大判の二折本で、立派な装丁を施して刊行されました。念入りに捜せば、私の知るかぎりでは、まだ見ることができるかもしれません。ネイハム・テイトという詩人もおります。大量の詩を刊行したと、いつでも宣誓する用意があり、法律に従って請求されれば、本人も書店主も、その真正な本をまだ提出できます。ですから彼は、なぜ世間がそのことをわざわざ秘密にするのか、不思議に思っております。第三にはトム・ダーフィーという名で知られる詩人がおります。広大な理解力と万能の才、きわめて深い学識の持ち主です。また、ライマー氏とデニス氏という、たいへん深遠な批評家もおります。ベントリー博士と称する人物もおり、本人とある書店主の間で起きた、驚くほど重大な一悶着について、完全にして真実なる報告を、千頁近い莫大な学識の中で述べております。無限の機知とユーモアを備えた著述家で、これほど優雅に、これほど生き生きと皮肉を飛ばせる人はおりません。さらに殿下に申し上げますが、私はこの目で、神学士ウィリアム・ウォットンその人を見たことがございます。この方は、殿下の御養育係の友人を攻撃する、かなりの厚さの一巻を書きました。それゆえ、ああ、御養育係の好意などほとんど望めますまい。文体はたいへん紳士的で、極上の洗練と礼儀正しさに彩られ、新しさと有用さが同じほど貴重な発見に満ち、鋭く的確な機知で飾られており、先に挙げた彼の友人と、肩を並べるにふさわしい方です。

同時代の仲間たちへの正当な賛辞だけで一巻を満たせそうなのに、なぜこれ以上、個々の話を続けましょう。この公正な仕事は、もっと大きな著作に譲ることといたします。そこで私は、この国の当代才人たちの人物評を書くつもりです。その人物は細々と長く、その才と知性は小さな細密画で描くことになるでしょう。

それまでの間、あらゆる学芸と学問の総体から忠実に抜き出した摘要を、ここにあえて殿下へお捧げいたします。もっぱら殿下のお役に立ち、御教育に資するためのものです。ほかの若い君主たちが、近年その学問の助けとして書かれた多数の書物を用いてなさったのと同じほど丁寧に、殿下もこれをお読みになり、同じほど大いなる進歩を遂げられることを、私は少しも疑いません。

殿下がお年とともに知恵と徳を増され、ついには王家のすべての御先祖をしのがれますよう、日々お祈り申し上げる者、

殿下

殿下の最も忠実なる者、云々。

一六九七年十二月。

序文

当代の才人はあまりに数が多く、洞察も鋭いので、教会と国家のお偉方は、恐ろしい心配に取りつかれ始めたらしい。この人たちが長い平和の合間に暇を見つけ、宗教や政治の弱点をほじくり出しはしないか、というのである。それを防ごうと、近頃はさまざまな計画が真剣に考えられてきた。この手ごわい探究者たちの勢いと切れ味をそらし、そんな微妙な問題について詮索したり理屈をこねたりさせないためだ。ようやく一案に落ち着いたが、完成には費用も時間もかかる。その間にも、才人の新兵が次々に徴集され、危険は刻一刻と増していた。恐ろしいことに、全員がペンとインクと紙を装備しているらしく、ひと声かかれば、それらはパンフレットその他の攻撃兵器となって、たちまち威力を発揮できる。そこで、本計画が実現するまでの応急策を、どうあっても考えねばならぬと判断された。この目的で数日前に開かれた大委員会で、ある好奇心に富んだ洗練された観察者が、重大な発見を披露した。船乗りは鯨に出会うと、空の樽を投げて遊び相手にし、船に乱暴を働かせないよう気をそらす習慣がある、というのである。この話にはただちに寓意が与えられた。鯨とはホッブズの『リヴァイアサン』であり、ほかのあらゆる宗教・政治の仕組みを、放り投げてはおもちゃにするものとされた。それらの仕組みの多くは、がらんどうで、干からび、中身がなく、騒々しく、木でできていて、よく回る。当代の恐るべき才人たちは、このリヴァイアサンから武器を借りてくるのだという。危うくなった船が、昔ながらの寓意どおり国家共同体を表すことは、容易にわかる。だが樽の分析が難しかった。長い調査と議論の末、これは文字どおりの意味に据え置かれ、次のように決定した。これらのリヴァイアサンに、ただでさえ揺らぎやすい国家共同体を放り上げて遊ばせないため、その遊びから『樽物語』へと気をそらせること。私の才も、その方面に向いていなくはないと見込まれたので、光栄にもこの仕事を仰せつかったのである。

以下の論考を刊行する目的は、ただこれだけである。かの大事業が完成するまでの数か月、落ち着きのない連中の暇つぶしになればと願っている。親切な読者にも、その事業の秘密を少しはお知らせしてよかろう。

計画では、九千七百四十三人を収容できる大きな学園を建てることになっている。控えめな計算によれば、これは現在この島にいる才人の数に、ほぼ近いらしい[50]。彼らを学園内のさまざまな学科に配属し、それぞれの資質に最も向く研究に従事させる。事業の請負人はいずれ、できるだけ早く計画書を刊行するはずなので、詳しく知りたい読者にはそちらを御覧いただき、ここでは主要な学科を二、三挙げるにとどめよう。まず、フランス人とイタリア人の教師をそろえた大きな少年愛学科がある。また、広々とした建物を備える綴り字学科、鏡学科、罵り学科、批評家学科、唾液分泌学科、木馬学科、詩学科、独楽学科、癇癪学科、賭博学科などがある。ほかにもあるが、挙げていては退屈だろう。どの学科であれ、しかるべき二人の署名により才人であると保証された証明書がなければ、入学は許されない。

さて、話を戻そう。序文の第一の務めが何かは、十分心得ている。私の才がそれを果たせるのであれば、の話だが。私は三度、想像力を駆り立て、創意の領地を巡らせた。三度とも手ぶらで戻ってきた。創意のほうは、以下の論考ですっかり汲み尽くしていたからである。もっと成功している同業の近代人たちは、そうではない。序文や献辞となれば、何か際立った一筆で、入り口から読者を驚かせ、先への大きな期待を燃え立たせずにはおかない。たとえば、あるたいそう才気ある詩人は、新しい趣向を求めて頭を絞り、自分を死刑執行人に、庇護者を刑を受ける者にたとえた。まさしく「鮮やかで、新しく、ほかの口がまだ語らなかったもの」だった[51a]。私も、あの必要にして高貴な研究課程[51b]を修めたときには、こういう抜群の一筆をたくさん見つける幸運に恵まれた。しかし、それをここへ移し植えて著者を傷つけるつもりはない。近代の機知ほど繊細で、運搬中に傷みやすいものはない、と気づいているからだ。今日なら、空腹のときなら、この場所なら、八時なら、酒を飲みながらなら、何とかいう氏が語るなら、夏の朝なら、とびきり気の利いた話になるものがある。そのどれも、ほんの少し場所を替え、使いどころを誤っただけで、跡形もなく消えてしまう。つまり機知にも散歩道と縄張りがあって、そこから髪の毛一本ほどでも外れれば、おしまいなのである。近代人たちは、この水銀のようなものを巧みに固定し、時・場所・人の条件に縛りつけた。ある冗談はコヴェント・ガーデンの外へは出られず、ある冗談はハイド・パーク・コーナーでしか意味が通じない。私がこの論考で披露する有望なくだりも、目の前の景色がひとたび変われば、すっかり時代遅れとなり、味を失う。そのことを思うと、しんみりする場合もある。しかし、このやり方が公正であることは認めなければならない。先の時代の人々が私どものためには何も用意しなかったのに、なぜ私どもだけが、費用をかけて後世へ機知を供給してやる必要があるのか、わからないからだ。これは私一人の考えではない。最も新しく、したがって最も正統な趣味の改良家たちの気持ちでもある。とはいえ、まさに今、一六九七年八月向けに仕立てられた機知の味を覚えた、あらゆる教養人に、この論考のあらゆる崇高なくだりの底まで降りていただきたいと、私は切に願っている。そこで、次の一般原則を定めておく。著者の考えを十分に理解したい読者は、重要なくだりの一つ一つがペンから流れ出たとき、著者が置かれていた生活の境遇と姿勢に、自分を置いてみるのが何よりよい。そうすれば、読者と著者の観念の間に、等しさと厳密な対応が生まれるからである。さて、この微妙な仕事に取り組む熱心な読者を、簡潔さの許すかぎり助けようと記憶をたどると、本作の最も冴えたくだりは、屋根裏部屋の寝床で思いついたものだった。また別のときには、私だけが知る理由から、空腹で創意を研ぎ澄ますことにした。概していえば、作品の全体が、長い服薬生活とひどい金欠のうちに、始まり、進み、終わった。だから私は断言する。心の開けた読者であっても、難所に出会うたび、この指示に従って身を整え、準備してくださらないかぎり、多くの輝かしいくだりについてくるのは、絶対に不可能だろう。これを、私の第一の要請としておく。

私は近代のあらゆる作法に忠実に仕えると公言しているので、気の回る才人からは、こんな反論を受けそうだ。序文をここまで進めながら、なぜ慣例どおり、著述家の多すぎることを弾劾しないのか。大勢の著述家が一人残らず、もっともなことに、嘆いている問題ではないか、と。私はたった今、何百もの序文を読み終えたところだが、どれも冒頭で、この甚だしい弊害について、優しい読者に語りかけていた。例をいくつか覚えているので、記憶に残ったままに、できるだけ近く書き記そう。

ある序文は、こう始まる。「出版物がこれほど……であふれるときに、物書きとして立とうとするとは」、云々。

別のものは、「紙税が課されても、日々人を悩ませる駄文書きの数は減らず」、云々。

また別のものは、「つまらぬ才人志願者まで皆ペンを取るのだから、競い合いの場に出るのはむだであり」、云々。

また、「出版物がどれほどの屑であふれているかを見れば」、云々。

また、「あなたの御命令に従うという、ただそれだけのために、私はあえて世に出るのであります。もっと軽い理由で、このような駄文書きの群れに加わる者がいるでしょうか」、云々。

さて、この反論に対し、弁明を二言述べたい。第一に、著述家の数を国の迷惑だと認めるつもりは、まったくない。以下の論考の何か所でも、私はその反対を力説している。第二に、このやり方が公正なのか、どうもわからない。こうした洗練された序文の多くは、同じ人物の手になるばかりでなく、著作の分量でとりわけ群を抜く連中のものだからである。これについて読者に、一つ短い話をしよう。

レスター・フィールズで、いかさま薬売りが大勢の人だかりを集めていた。その中で、太って身動きの鈍い男が、押し合いへし合いのうちに半ば息を詰まらせ、しょっちゅう叫んでいた。「何だって、こんなひどい人だかりなんだ! 皆さん、頼むから少し道をあけてくれ。まったく、いったい誰がこんな連中をかき集めやがった。ちくしょう、なんて押し方だ。そこのあんた、その肘をどけてくれ。」とうとう隣の織工が我慢しきれなくなった。「くたばっちまえ、このでっかいだらしな野郎」と言った。「いったい誰が、あんたの半分でも、この人だかりを大きくしてるっていうんだ。その体で、ほかの五人分以上の場所を取ってるのがわからんのか。ここへ来る権利は、俺たちもあんたも同じだろう。その腹をまともな寸法にしてから来な。そうすりゃ皆の場所が十分できるって、請け合ってやるよ。」

著述家には、共通の特権がいくつかある。その恩恵が私にも及ぶことには、異議がないものと願いたい。とくに、私の文章がわからぬときには、その奥に、たいへん役立つ深遠な何かが潜んでいると結論していただきたい。また、違う書体で印刷された語句は、すべて、並外れた機知か崇高さを含んでいると判断していただきたい。

折にふれ、あるいは折などなくても、自分をほめる自由をいただいたことについては、偉大な先例が数多くあることを十分な権威と認めてくだされば、弁解は要らぬと確信している。ここで注意したいのは、称賛とは、もともと世間から支給される年金だったということだ。ところが近代人たちは、取り立ての手間と費用が大きすぎると気づき、近頃、その権利を完全な所有権ごと買い取ってしまった。それ以来、授与の権利は、すっかり私ども自身の手にある。このため、著者が自分の頌辞を述べるときには、その権原を宣言し、主張する一定の文句を使う。たいてい「虚栄心から言うのではないが」、あるいはそれに類する言葉である。これは明らかに、権利と公正の問題であることを示していると思う。そこで一度だけ、きっぱり宣言しておこう。以下の論考の同種の場面では、すべて、この文句が暗黙に添えられているものとする。何度も繰り返す手間を省くため、申し添えた次第である。

これほど丹念で有益な論考を書きながら、一粒の風刺も混ぜずに済んだことは、私の良心にとって大きな安らぎである。この一点だけは、この時代、この国の名高い手本から離れることをお許しいただいた。ある風刺家たちが世間を扱うさまを見ると、学者先生が、鞭打ちのために人の背へ載せた悪童を扱うのと、ほとんど変わらない。まず言い聞かせ、次にこれほど悪さをしたのだから鞭は必要だと論じ、文の区切りごとに一発くらわせる。ところが、人間について私が少しでも知っているなら、この人たちは叱責も折檻も省いてかまわない。蹴飛ばそうが、樺の鞭で打とうが、世間の尻ほど皮が厚く、感覚の鈍い部分は、自然界のどこにもないからである。そのうえ近頃の風刺家の大半は、一種の勘違いをしているらしい。イラクサに刺す特権があるからといって、ほかの雑草も全部刺さねばならぬ、というのだ。こうたとえるのは、この立派な著述家たちを、いささかでもけなすためではない。雑草がほかのあらゆる植物に優越することは、神話学者の間ではよく知られている。だからこそ、趣味も判断も鋭く洗練されていた、この島を初めて統一して治めた君主は、まことに賢明にも、騎士団の頸飾から薔薇を抜き去り、二つのうち高貴な花であるアザミを代わりに植えた。このため、より深遠な古物研究家は、この島のこちら側でこれほど流行する風刺の痒みは、もともとツイード川の向こうから持ち込まれたと推測している。どうかここで、末長く栄え、はびこってほしい。世間がその鞭を何とも思わないのと同じほど、気楽に、鼻であしらって世間の嘲りをやり過ごし、生き延びてほしい。著者たちも、自分や仲間の鈍さにくじけず、仕事を続けてほしい。ただし、才知も剃刀と同じで、刃が鈍っているときこそ、あてがわれた相手を最もよく切るものだと覚えておこう。それに、歯が腐りすぎて噛めない者こそ、その不足を息の臭さで埋め合わせる資格を、誰よりも立派に備えているのだ。

私はほかの人々のように、自分の及ばない才能を妬んだり、見くびったりはしない。だから、わがブリテンの著述家たちの中でも、多数を占めるこの名高い一派には、心から敬意を払わずにいられない。このささやかな頌辞も、彼らだけに向けたという取り柄があるので、耳障りにはならぬと願っている。実際、自然そのものが、頭脳のほかの産物より、風刺によってこそ安く名声と名誉を買えるよう取り計らっている。世間は、鞭で打たれると最も手早く称賛する気になる。人が打たれて恋心をかき立てられるのと同じである。ある古い著者に、こんな問題がある。献辞その他のお世辞の束は、なぜどれも、かび臭い使い古しの題目ばかりで、ほんの少しも新味がないのか。キリスト教徒の読者を苦しめ、吐き気を催させるばかりか、急いで手を打たなければ、昏睡病という恐ろしい病を、この島全体にはびこらせかねないほどなのは、なぜか。一方、風刺なら、これまで触れられなかった何かを含まないものは、ほとんどないのに。前者の欠陥は、ふつう、その商売をする連中に創意がないためとされる。しかし、これは甚だ不公正だと思う。答えは簡単で自然なものだからである。頌辞の材料はもともとごく少なく、とうの昔に使い尽くされている。健康はたった一つで、昔から変わりがないが、病気は何千とあり、しかも日々新しく増える。同じように、人間がこれまで備えた美徳は数本の指で数えられるが、その愚かさと悪徳は数えきれず、時は毎時、その山を大きくしている。だから哀れな詩人にできるのは、基本となる美徳の一覧を暗記して、精いっぱい気前よく、主人公や庇護者へ配ってやることぐらいだ。可能なかぎり組み合わせを変え、一巡するまで言い回しを替えてもよい。しかし読者は、どれも豚肉に[56a]少し違うソースをかけただけだと、すぐに気づく。観念を超えて専門用語を発明することはできず、観念が尽きれば、専門用語も尽きるほかないのだから。

だが、頌辞の材料が風刺の題目と同じほど豊かだったとしても、なぜ後者がいつも前者より歓迎されるのか、その十分な理由を見つけるのは難しくない。頌辞は一度に一人か数人へしか与えられないので、その祝福にあずからないほかの人々から、必ず妬みを、したがって悪口を引き起こす。一方、風刺は万人に向けられるので、誰もそれを侮辱だとは受け取らない。一人一人が勝手に、ほかの者のことだと解し、自分の分の重荷を、賢くも「世間」の肩へ移してしまう。その肩は広く、十分に耐えられるからだ。このことから、私はときどき、今の問題についてアテネとイングランドがどう違うかを考えた。アッティカの[56b]共和国では、誰でも、市民と詩人の生来の特権として、好きな人物を大声で公然と罵り、名指しで舞台の笑いものにできた。クレオンであれ、ヒュペルボロスであれ、アルキビアデスであれ、デモステネスであれ、どんな大物でもかまわなかった。だが逆に、人民全体を少しでも悪く言えば、たちまちとらえられ、口にした者は、身分や功績がどれほど高くても、仕返しを受けた。イングランドでは、すべてがちょうど逆である。ここなら、世間の面前で、人類に向けて修辞の限りを尽くしても無事でいられる。誰もが道を踏み外した、善を行う者はいない、一人としていない、われわれは時代の滓の底に生きている、詐欺と無神論が梅毒のように蔓延している、正直はアストライアとともに地上を去った、などと言ってよい。ほかにも、「輝かしい憤怒」[56c]が供給してくれる、これと同じほど新鮮で雄弁な決まり文句を並べてよい。言い終わると、聴衆一同は腹を立てるどころか、貴重で有益な真理を告げる人として、感謝してくれるだろう。さらに、肺を張り上げる覚悟さえあれば、コヴェント・ガーデンで、気取りや淫行や、ほかの何かを攻撃する説教もできる。ホワイトホールで、高慢や偽りや収賄を攻撃してもよい。法学院の礼拝堂で略奪と不正を暴いてもよいし、シティの説教壇で貪欲、偽善、強請をどれほど激しく責めてもよい。それは行ったり来たりする球でしかなく、誰もがラケットを持ち歩き、自分から仲間のほうへ打ち返すのである。ところが逆に、物事の性質をひどく取り違え、公の場で、たった一言でもこんなふうにほのめかす者がいたとしたらどうか。誰それは艦隊の半分を飢えさせ、残りの半分には毒同然の食物を与えた、誰それはまことの愛と名誉の原則から、女と賭博の借金しか払わない、誰それは財産を食いつぶしている、ユノとウェヌス双方から賄賂を受けたパリスは、どちらの機嫌も損ねたくなくて、審理の間ずっと裁判席で寝ていた、ある弁士は議会で長演説をするが、考え込んだわりに意味は乏しく、何の役にも立たない、と。このように具体的に話す勇気を示す者は、貴人誹謗罪で投獄され、決闘状を送られ、名誉毀損で訴えられ、議院の喚問台へ引き出される覚悟をしておかなければならない。

だが、忘れていた。風刺の才能も、その気もない私が、自分には関係のない話を長々と続けている。むしろ私は、人間界の今の運び方の一切に、心から満足している。それで何年も前から、『世間をたたえる頌辞』の材料を集めているほどだ。これには第二部として、『あらゆる時代の群衆のふるまいを、つつましく弁護する一論』を添えるつもりでいた。両方とも、以下の論考の付録として刊行しようと考えていたのだが、抜き書き帳の埋まる速さが、もっともな期待に比べてずっと遅いことに気づき、別の機会へ延ばすことにした。そのうえ、ある身内の不幸により、この計画は運悪く妨げられてしまった。そのいきさつを優しい読者にお話しすれば、たいへん時宜にかなってもおり、近代の流儀にもよく合い、序文を今流行の長さへ引き延ばすうえでも、大いに助かるだろう。規則によれば、後に続く本が薄いほど、序文は長くなければならないのだ。しかし、もう待ちきれない読者を、これ以上玄関で待たせるのはよそう。前置きの論説で心の準備を十分に整えていただいたところで、これから続く崇高な秘儀の中へ、喜んで御案内しよう。

第1節
序論

人だかりの中で自分の声を聞かせたいと望む者は、押し、詰め寄り、突き進み、よじ登り、疲れを知らぬ努力を重ねて、皆の頭よりいくらか高い所まで自分を持ち上げねばならない。どんな集まりでも、いくらぎゅうぎゅうに人を詰め込んでも、その頭の上には十分な余地がある、という不思議な性質に気づくだろう。だが、そこまで達するのが難しい。大勢から抜け出すのは、地獄から抜け出すのと同じほどの難事なのだ。

「――大気の中へ逃れ出ること、
これこそ大事業、これこそ苦労なのだ。」[59]

この目的のため、どの時代の哲学者も、空中にある種の建物を築くという方法を用いてきた。しかし、こうした構造物が昔どれほど使われ、名声を得ていたにせよ、今なおそうであるにせよ、思索の助けにと籠に入って吊るされたソクラテスの例までも含め、恐れながら、二つの不都合があると思われる。第一に、土台を高い所に置きすぎたため、しばしば姿が見えず、声にいたっては一度も聞こえなかった。第二に、材料があまりにはかないので、天候の厳しさ、とりわけ、ここ北西地方の気候で、ひどく傷んでしまったのである。

そこで、この大事業を適切に成し遂げる方法として、思いつくものは三つしか残らない。このことを十分に心得ていた賢い御先祖たちは、上を目指すあらゆる冒険家を励まそうと、三つの木造機械を建てた。邪魔をされずに大いにしゃべりたい雄弁家のためである。すなわち、説教壇、梯子、巡回芝居の舞台である。法廷の弁護士席も、同じ材料ででき、同じ用途のために設けられてはいる。しかし、同じ高さか、それより下の場所にあるため、横合いから絶えず口を挟まれてしまうので、第四の栄誉にあずからせるわけにはいかない。裁判官席も、適度の高みに設けられているとはいえ、その擁護者が何と言おうと、これよりましな資格は主張できない。設置の本来の目的と、その目的を助ける事情や付属物をお調べになれば、現在の使われ方が当初の制度にぴたりと合い、両者とも、その名の語源にかなっていると、すぐに認めるだろうからだ。フェニキア語において、その名は深い意味を持ち、直訳すれば「眠りの場所」、通俗的にいえば「老いて痛風を患う手足を休めるため、詰め物と座布団を十分にあてがった椅子」を意味する。「老人たちが安らかな休息へ退けるように」[60]である。かつて、ほかの者が眠る間、彼らは長々としゃべっていた。だから今は、ほかの者がしゃべる間、同じだけ眠ってよい。それくらいの埋め合わせを、運命も彼らに負っているのである。

しかし、裁判官席と弁護士席を雄弁機械の一覧から外すため、ほかに理由が見つからなかったとしても、これだけで十分だったろう。両者を加えると、どれほど理屈を費やしてでも打ち立てようと決めていた数が、崩れてしまうのである。私はここで、多くの哲学者や大学者が守ってきた、賢明な方法にならっている。彼らの分類の主要な技は、手頃な神秘の数に惚れ込むことだった。想像のうちでその数を神聖にするあまり、常識に無理を強いて、自然界のどの部分にも、その数の入る余地を作らせる。嫌がるもの同士を組ませ、ほかのものは何としても追放し、あらゆる類と種を、その枠に収め、取り込み、調整するのである。さて、数ある中でも、深遠なる三[61]こそ、私の最も崇高な思索が一番多く捧げられた数であり、そのたびに、驚くほどの喜びをもたらしてくれた。今、印刷中で、次の学期に刊行されるのは、この数をたたえる私の試論である。そこで私は、最も説得力のある証拠により、感覚と元素をその旗の下へ収めるばかりか、二大競争相手である七と九の陣営からも、何人かの脱走者を引き入れている。

さて、この雄弁機械のうち、位置においても威厳においても第一なのは、説教壇である。この島にはさまざまな説教壇があるが、私が尊ぶのは、カレドニアの森の木材で作られたものだけだ。わが国の気候によく合っている。腐りかけていれば、なおよい。音を伝えるためにも、追って述べるほかの理由からも、そうなのである。形と大きさの完成というものは、極端に狭く、飾りが少なく、何より屋根がないことにあると、私は考える。古来の規則によれば、説教壇が正当に使われる集まりでは、これだけが蓋のない器でなければならないからだ。そのおかげで、さらし台によく似た姿となり、いつでも人間の耳に強力な影響を及ぼすのである。

梯子については、何も言う必要はない。わが国の誉れとなることに、外国人自身も、この機械の使い方と理解において、われわれがあらゆる国民に勝ると認めている。その上へ昇る雄弁家は、好ましい語り口で聴衆を喜ばせるばかりか、演説をいち早く刊行して、世界全体をも喜ばせる。私はそれを、ブリテンの雄弁の最上の宝庫とみなしている。聞くところでは、立派な市民にして書店主であるジョン・ダントン氏が、忠実に、骨を折って、これらを集めたそうだ。近く、銅版画入りの二折本十二巻として刊行するつもりだという。きわめて有用で珍しい仕事であり、まさしく、かの人の手にふさわしい。

雄弁家の最後の装置は、巡回芝居の舞台である。たいへん抜け目なく、「雨降る空の下、三つ辻や四つ辻に」[62a]建てられる。これは前二者に人材を送る大養成所であり、その雄弁家は、功績の程度に応じて、あるときはこちらへ、あるときはあちらへと出世する。三者の間には、緊密で絶え間ない交流があるのだ。

この精密な推論から、人前で注目を得るには、場所の高い位置がどうしても必要だと明らかになる。しかし、この点は一般に認められても、その原因については意見があまり一致していない。この現象を自然の真の仕組みから説明できた哲学者は、ごく少ないと思われる。私がこれまで出会ったうち、最も深く、最もよく整理された説明は、次のようなものだ。空気は重い物体であり、したがって、エピクロスの体系[62b]に従えば、絶えず下降している。言葉を積み込み、その重みで押し下げられれば、下降はいっそう強まるはずだ。言葉もまた、重みと厳粛さに富む物体である。われわれの心を深く打ち、その跡を残すことからも、それは明らかだ。だから、言葉はしかるべき高さから発しなければならない。さもなければ、狙いが定まらず、落下の力も足りなくなる。

「声も音も、物体から成ると認めねばならない。
感覚を揺り動かすことができるのだから。」

――ルクレティウス、第4巻。[62c]

私がこの推測をいっそう支持したくなるのは、よく見られる光景のためでもある。こうした雄弁家のさまざまな集まりでは、自然そのものが聴衆に教え、口を開け、それを地平線と平行になるよう上向きに構えて立たせている。天頂から地球の中心へ引いた垂直線が、口を貫くように、というわけだ。この姿勢で聴衆がぎっしり詰まっていれば、誰もが一人分の取り分を持ち帰り、失われるものはほとんどないか、まったくない。

もっとも、近代の劇場の設計と構造には、さらに洗練された何かがあることは認めよう。まず平土間は、舞台より低く掘り下げられている。これは今導き出した制度を、正しく重んじたものだ。舞台からどんな重い材料が投じられても、鉛であれ金であれ、批評家とか呼ばれる連中の顎へ、どさりと落ちるようになっている。彼らはそれを食らおうと、口を開けて待ち構えている。次に桟敷席は、御婦人方への敬意から、舞台と同じ高さまで上げ、周囲にぐるりと設けてある。むらむらした欲望や膨らみを生じさせるために費やされる、大きな部分の機知は、ほぼ水平に、しかもいつも円を描いて走る、と観察されているからだ。めそめそした情念や、痩せこけた小さな思いつきは、自らの極端な軽さによって、ふわりと中間の空域へ運ばれ、そこに住む者の冷たい理解力に捕まり、凍りつく。大げさな空言と道化じみた悪ふざけは、生来、気高く軽いので、何よりも高く舞い上がる。もし賢明な建築家が、先を見越して第四の場所、いわゆる十二ペンスの天井桟敷を設け、そこへふさわしい入植者たちを置かなかったら、屋根の中へ消え失せていただろう。彼らは途中で、貪欲にそれらを受け止めてくれるのである。

さて、この雄弁の容器、あるいは機械についての自然学的・論理学的図式には、大いなる神秘が含まれる。広大な著述家の共和国と、その住人が下界の者たちよりいくらか高く身を上げる方法を映す、型であり、しるしであり、表象であり、影であり、象徴なのだ。説教壇がほのめかすのは、近代ブリテンの聖者たちの著作である。彼らはそれを霊化し、洗練し、感覚や人間の理性という滓や粗雑さから清めた。材料が腐った木であることは、すでに述べたが、その理由は二つある。第一に、腐った木には暗闇で光る性質がある。第二に、その空洞には虫が詰まっている。この比喩には、二つの取っ手がついている。雄弁家の二つの主な資質と、その著作を待ち受ける二つの異なる運命の、両方に関わるのである[63]。

梯子は、党派争いと詩を表す、申し分のない象徴である。いかに多くの立派な著述家が、この両者に名声を負っていることか。党派争いを表すのは、なぜなら……〔原稿に欠落〕……。詩を表すのは、その雄弁家が歌で締めくくるからであり、ゆっくり一段ずつ登るうちに、頂上へ何段も残したところで、運命にきっと蹴落とされるからであり、所有権を移し、「私のもの」と「あなたのもの」を混同することで手に入れる出世だからである。

巡回芝居の舞台に包まれているのは、はかない人間の楽しみや喜びのために書かれた作品である。『六ペンス分の機知』『ウェストミンスター滑稽集』『愉快な物語』『完璧な笑い話集』などの類だ。近頃の時代、グラブ・ストリートで、またそこへ向けて書く著述家たちは、これらによって、実に見事に時を打ち負かしてきた。その翼を切り、爪を削り、歯に鑢をかけ、砂時計をひっくり返し、鎌を鈍らせ、靴底の鋲まで抜き取ってしまった。私もつい先ほど、この輝かしい同胞団の一員として迎えられる栄誉を受けたばかりなので、恐れながら、本論考をこの部類へ登録させていただいた。

近年、グラブ・ストリート同胞団の作品が、数々の偏見を浴びていることを、私は知らぬわけではない。また、新参の成り上がりの二団体が、才知と学問の共和国における既成の地位にふさわしくないとして、私どもの作品と著者を嘲ることに、明けても暮れても励んでいることも、承知している。誰のことかは、彼ら自身の良心が、すぐに教えてくれるだろう。世間も、それほどぼんやり見物していたわけではないから、グレシャムの団体とウィルズの団体[64]が、私どもの破滅の上に自らの名声と評判を築こうと、絶えず努めていることには気づいている。しかも、彼らの仕打ちを、不公正なばかりか、恩知らずで、親不孝で、人の道に背くものと考えると、この悲しみはいっそう身にしみる。公正の問題だけでなく、愛情の問題でもあるからだ。この点を十分かつ明白に記す私どもの記録はさておいても、彼らの二つの養成所は、どちらも私どもが植え、しかも水までやって育てたものなのだ。そのことを、世間も彼ら自身も、どうして忘れられよう。聞けば、この二つの競争相手は最近、力を合わせて競技場へ入り、本の重量と冊数を比べようと、私どもに挑戦する案を出したらしい。これに対して、会長のお許しを得て、つつしんで二つの返答を申し上げる。第一に、この提案は、アルキメデスがもっと小さな問題で行った提案[65a]と同じで、実行不可能な条件を含んでいる。前者を量れるほど大きな秤、後者を数えられるほど能力のある算術家を、どこで見つけるというのか。第二に、挑戦は受けて立つ。ただし中立の第三者を指名し、どの本、論考、パンフレットが、どちらの団体に属するのが最もふさわしいか、その公平な判断に委ねることを条件とする。神も御存じのとおり、この点は今、まるで定まっていない。ごく当たり前の公正に従えば、当然わが同胞団のものとされるべき数千の作品の目録を、私どもはいつでも示せる。それなのに、離反した新奇好みの著述家どもが、実に不実にも、それらをほかの団体のものとしているのである。こうしたことをすべて考えれば、その判定を著者自身に任せるのは、私どもの賢明さに、まことに似つかわしくない。敵方は、票集めと徒党によって、これほど全面的な離反を引き起こしたので、わが団体の大部分はすでに向こうへ脱走し、一番親しい友人たちまで、私どもとのつながりを認めるのを半ば恥じるかのように、距離を置き始めているのだ。

これほど恩知らずで、気の滅入る問題について、私が発言を許されているのは、ここまでである。論争を続ければ、われわれ全員の利益にとって致命的になりかねず、これを煽ることを、私どもはひどく嫌っている。むしろ円満に収めたいと願っているのだ。こちらとしては、この二人の放蕩息子が、豚の食う莢と売春婦のもとから戻る気になったら、いつでも両腕を広げて迎えるところまで、譲歩する用意がある。彼らの今の研究のありさま[65b]を見れば、まさにそうしたものに関わっていると言ってよいだろう。そして、寛大な親のように、変わらぬ愛情と祝福を与え続けたいのである。

しかし、わが団体の著作が、かつてのように広く受け入れられることを最も大きく損なったのは、月の下の万物が移ろう運命にあることを別とすれば、当代の多くの読者に見られる、うわべだけで済ませる気風である。彼らは、物事の表面や皮の向こうをのぞくよう、どうしても説得できない。ところが知恵とは狐であり、長々と追い回したあげく、最後には穴から掘り出す手間をかけさせる。チーズでもある。中身が豊かであるほど、皮は厚く、見栄えがせず、粗いものになる。そして、味のわかる舌にとっては、その蛆こそが最上なのだ。知恵はまた、甘い酒を加えた乳の飲み物であり、底へ行くほど甘くなる。知恵は雌鶏でもある。その鳴き声は、重んじ、よく考えなければならない。卵を伴っているからである。だが最後に、知恵は木の実だ。慎重に選ばなければ、歯を一本失ったうえ、虫しか得られないかもしれない。こうした重大な真理に従い、グラブ街の賢者たちは昔から、教えや技を、比喩や寓話という乗り物の中に閉じ込めて運んできた。その乗り物を飾るのに、必要以上の気配りや凝り方をしたのかもしれない。おかげで、あまりに見事な塗装や金箔を施した馬車と同じ、ありふれた運命に見舞われた。通りすがりの見物人は、外の輝きに目をくらまされ、想像力をいっぱいにして、中にいる持ち主の姿や才には、注意も考慮も払わないのである。とはいえ、この不運は、ピュタゴラス、アイソポス、ソクラテスその他の先達とも共有しているので、いくらかは我慢しやすい。

しかし、世間も私どもも、このような誤解でこれ以上損なわれぬように、友人たちのたび重なる懇願に押され、私は、わが団体の主要な作品について、完全で労作に富む論文を書くことになった。これらの作品は、浅薄な読者を喜ばせる美しい外観のほかに、その下へ、あらゆる学芸の最も完成され、洗練された体系を、暗く深く隠し持っている。私は、ねじれを解き、巻きをほどき、汲み上げて引き出すか、切開して見せるかして、必ずやそれを明らかにできると思っている。

この大事業には、数年前、わが団体でも指折りの一員が着手した。『狐のルナールの物語』から始めたのだが、試論を刊行するまで生きられず、それほど有用な試みを、それ以上進めることもできなかった。まことに惜しいことである。彼が発見して友人たちに伝えたことは、今や普遍的に受け入れられているからだ。その名高い論考が、政治知識の完全な体系であり、国家のあらゆる秘事の開示、いや、黙示録であることを、学者なら誰も争うまいと思う。だが、私の進捗ははるかに大きい。すでに何十もの作品への注釈を完成させている。そのいくつかから、目指す結論に必要なかぎり、二、三の手がかりを、公平な読者にお伝えしよう。

最初に扱ったのは『親指トム』である。その著者はピュタゴラス派の哲学者だった。この難解な論考は、輪廻転生の体系全体を含み、魂があらゆる段階を巡る道筋をたどっている。

次は『ファウスト博士』で、名の知られた著者にして秘術の達人アルテフィウスが書いたものだ。九百八十四歳のときに刊行した[67a]。この著者は、もっぱら原初の状態へ戻す方法、すなわち湿式の道に従っている。ファウストとヘレネの結婚は、雄と雌の竜の発酵を、きわめて鮮やかに解き明かしている。

『ウィッティントンとその猫』は、神秘のラビ、イェフダ・ハンナシの著作である。エルサレムのミシュナに対するゲマラの弁護を含み、世間の通念に反して、バビロンのものより正当に優先されることを論じている。

『牝鹿と豹』。これは、現在存命の有名な著述家の傑作であり[67b]、スコトゥスからベラルミーノまで、一万六千人のスコラ学者を完全に要約することを目指している。

『トミー・ポッツ』。同じ著者の手になるとされる、別の一作で、前の作品の補遺にあたる。

『ゴータムの賢人たち』、付録つき。これは莫大な学識を備えた論考であり、フランスとイングランドの両国で、古代人の思い上がり、高慢、無知に対抗し、近代の学識と才知を正当に擁護するために飛び交っている議論の、大いなる原典にして源泉である。この無名の著者が主題をすっかり論じ尽くしたので、洞察の鋭い読者なら、その後この論争について書かれたものは何であれ、ほとんど繰り返しにすぎないと、容易に見抜くだろう。わが団体の立派な一員が、最近この論考の摘要を刊行した。

これらの紹介によって、学識ある読者には、この大著全体がどんなものを生み出すか、その見当と味わいをつかんでいただけよう。今では私の思考も研究も、すべてこの仕事の内に収まっている。死ぬ前に完成できれば、不幸な人生の乏しい余生を、よく役立てたと考えるつもりだ。だが実際には、それは正当に期待できる以上のことなのである。国家への奉仕に、教皇派陰謀事件、小麦粉桶事件、王位継承排除法案、無抵抗服従、生命財産を捧げる上奏文、国王大権、財産権、信仰の自由、友人への書簡といった題目について、賛成と反対を論じ続け、私の羽根ペンは芯まで擦り切れている。知性も良心も、絶えず裏返しにされて、ぼろぼろにほころびた。頭は、敵対する各党派の悪党から、百か所も打ち破られた。体は、治り損ねた梅毒の数々で疲れ果てた。取り持ち婆や外科医を信用したためだが、後でわかったところでは、連中は私と政府に公然と敵対する者たちで、自分の党派の恨みを、私の鼻と脛に晴らしたのだった。三代の治世にわたり、三十六の党派に奉仕して、私は九十一のパンフレットを書いた。しかし、国家はもう私と私のインクを必要としていないとわかったので、喜んで身を引き、残りを、もっと哲学者にふさわしい思索に注ごうと思う。神にも人にもやましいところのない良心とともに、長い人生を送ってきたことは、言葉に尽くせぬ慰めである。

さて、話を戻そう。読者の公平さを信頼しているので、今お示しした短い見本によって、わが団体のほかの作品もすべて、中傷から容易に救われると確信する。その中傷とは、これらの作品は、機知や文体のありふれた楽しみ以上には、人類にほとんど役立ちもせず、価値もないというものだ。明らかに、妬みと無知から生まれた非難である。機知と文体そのものについては、最も手厳しい敵でさえ、これまで争ったことはないはずだ。私は本論考の全体で、その両面においても、より深遠で、最も神秘的な部分においても、最も評判の高い手本に、忠実にならってきた。さらに、すべてを完全にするため、深く考え、心を尽くして、冒頭に掲げた主な表題も、わが団体に固有のやり方へ正確に倣わせた。ここでいう表題とは、宮廷や都の普段の会話で通用させるつもりの名のことである。

表題については、いくらか気前よくやりすぎたと認めよう[69a]。私がひどく尊敬している、ある種の著述家たちの間で、表題を増やす流儀が大流行していることに気づいたからだ。実際、頭脳の子供である本が、ほかの身分ある赤子と同じように、さまざまな名を授かる栄誉を受けても、不合理ではなさそうだ。かの有名なドライデンは、あえてさらに一歩進み、名付け親まで複数にすることを持ち込もうとした[69b]。これがはるかに有利な改良である理由は、きわめて明白である。このような権威を先例として持ちながら、その見事な発明がもっと育てられず、今頃には広く模倣されるまでになっていないのは惜しい。私も、これほど有用な手本を後押しすべく、努力を惜しまなかった。ところが、名付け親という務めには、ふつう、厄介な出費がつきものらしい。この点は私の頭からすっかり抜けていた。そう信じていただくのも、無理はあるまい。どこが差し障ったのかは、確かなことを言えない。しかし、さんざん考え、骨を折って、論考を四十の節に分け、知り合いの四十人の貴族に、名付け親を務める栄誉をいただきたいとお願いしたところ、全員が良心に関わる問題として、辞退の返事をよこしたのである。

第2節

昔々、一人の男がいた。同じ妻との間に三人の息子があり[70]、三人とも一度に生まれたので、産婆にも誰が一番上かは、はっきりわからなかった。父親は、息子たちがまだ若いうちに死んだ。臨終の床で彼らを呼び寄せ、こう語った。

「息子たちよ。私は土地を買いもせず、生まれつき受け継いだ土地もない。そこで、お前たちに何かよい遺産を残せないかと、長く考えてきた。ようやく、手間も金もずいぶんかけて、一人一人に新しい上着を用意した。ほら、ここにある。よいか、この上着には二つの優れた働きがある。一つは、大事に着れば、お前たちが生きているかぎり、いつまでも新しく、傷まずにもつこと。もう一つは、お前たちの体と同じ割合で育ち、ひとりでに長くも広くもなって、いつでもぴったり合うことだ。さあ、死ぬ前に、着た姿を見せておくれ。うん、たいへんよい! どうか息子たちよ、汚さずに着て、こまめにブラシをかけるように。この遺言書を見れば――ほら、これだ――上着の着方と手入れについて、細かな点まですべて指示してある。一つでも違反したり怠ったりすれば、それぞれ定めた罰があるから、実に几帳面に守らねばならない。お前たちの行く末は、すべてそれにかかっている。遺言書には、兄弟として、友人として、一つの家で仲よく暮らすことも命じておいた。そうすれば必ず栄えるが、そうしなければ、栄えることはない。」

物語によれば、ここでこの善良な父親は死に、三人の息子は、そろって幸運を求める旅に出た。

初めの七年間にどんな冒険をしたか、詳しく語って煩わせるつもりはない。父の遺言を注意深く守り、上着をたいへんよい状態に保ったこと、いくつかの国を旅して、ほどほどの数の巨人と出会い、いくつかの竜を退治したことだけ、述べておけばよかろう。

さて、世に出るのにふさわしい年齢になったので、三人は都へ上り、御婦人方に恋をした。とりわけ、当時いちばん評判の三人、ダルジャン公爵夫人、グラン・ティートル夫人、ドルグイユ伯爵夫人に、である[71]。都に初めて姿を現したとき、わが三人の冒険者は、ひどく冷たく迎えられた。だが、抜け目なくその理由を察し、たちまち都会の美点を身につけ始めた。文章を書き、皮肉を飛ばし、韻を踏み、歌い、しゃべり、何も言わず、酒を飲み、喧嘩をし、眠り、悪態をつき、嗅ぎ煙草を吸った。新作芝居の初日に出かけ、チョコレート店に入り浸り、夜警を殴った。辻馬車の御者を踏み倒し、商人の店で借金を重ね、その女房と寝た。執行吏を殺し、ヴァイオリン弾きを階段から蹴落とし、ロケッツで食事をし、ウィルズでぶらぶらした。行ったこともない宮廷の謁見の間を語り、会ったこともない貴族と食事をしたことにした。ひと言も口を利かずに、公爵夫人と内緒話をしたことになり、洗濯女の走り書きを、身分ある女性からの恋文として見せびらかした。いつでも宮廷から来たばかりと言うが、宮廷で姿を見た者はいなかった。朝の謁見には、空の下で参列した。ある集まりで貴族名簿を暗記し、別の集まりでは、皆と親しい口ぶりで、その名を並べ立てた。何よりも熱心に通ったのは、議場では黙り込み、コーヒー店では大声を上げる議員たちの委員会だった。毎晩そこへ場所を移しては政治を反芻し、こぼれ落ちる言葉を拾おうと待ち構える弟子たちに、ぐるりと囲まれているのである。三兄弟は、これと同じ手合いの素養を、さらに四十ばかり身につけた。すべて挙げては退屈になるので省くが、その結果、当然ながら、都で最も完成された人物たちとみなされた。だが、それでも足りなかった。先に挙げた御婦人方は、いっこうに折れなかったのである。この難問を解くため、読者のお許しと御辛抱を得て、当時の著者たちが十分に明らかにしていない、いくつかの重要な問題へ立ち入らなければならない。

ちょうどこの頃、一つの宗派が現れ、その教説は広く受け入れられ、とりわけ上流社会と、流行に通じた人々すべての間へ広まっていた。彼らはある種の偶像を拝んでいた[72a]。その教義によると、偶像は工場仕事のような操作によって、日々、人間を作り出していた。家のいちばん高い場所に、高さ三フィートほどの祭壇を設け、その上にこの偶像を置いていた。姿はペルシア皇帝のように、平らな面の上へ脚を組んで座っていた。この神の標章は鵞鳥だった[訳1]ので、一部の学者は、その起源をカピトリウムのユピテルに求めようとしている。祭壇の下、神の左手には地獄が口を開け、偶像が作る動物たちを捕らえようとしているように見えた。これを防ぐため、神官の一部は、まだ形のない塊や素材の切れ端を、ときにはすでに命を与えられた手足を丸ごと、絶えずそこへ投げ込んだ。恐ろしい穴が、飽くことなく飲み込むさまは、見るもおぞましかった。鵞鳥もまた、下位の神、小神の一柱とみなされ、その祠の前では、いつも人の血を餌とし、エジプトの尾長猿[72b]に気に入られ、可愛がられることで、海外に大いに名を知られた生き物が、生贄に捧げられた。その焼き尽くす神の飢えをなだめるため、毎日何百万という、これらの動物が無残にも殺された。主たる偶像は、ヤード尺と針の発明者としても拝まれたが、それが船乗りの神としてなのか、あるいは別の神秘的な属性によるのかは、十分に解明されていない。

この神の信者たちはまた、次の根本原理を中心とするらしい、信仰の体系を持っていた。宇宙とは、あらゆるものを包む、大きな一そろいの衣服である。大地は空気をまとい、空気は星々をまとい、星々は第一動天をまとっている、と彼らは説いた。この地球を見れば、実に仕立てのよい、流行にかなう衣装だとわかるだろう。人々が陸地と呼ぶものは、緑の見返しをつけた立派な上着にすぎず、海は水の波紋織の胴着ではないか。創造物を一つ一つ見れば、自然という職人が、植物界の伊達男を、どれほど念入りに着飾らせているかがわかる。ブナの頭を飾る鬘の気取りようを見よ。シラカバが着込む、白い繻子の胴着の見事さを見よ。以上から結論すれば、人間自身とは、小宇宙ならぬ小上着、いや、あらゆる飾りをつけた、ひとそろいの衣服にほかならないではないか。体については、議論の余地もない。精神が獲得したものまで調べてみても、すべてが順に、申し分のない装いを整えるために役立っているとわかる。例を少し挙げれば、宗教は外套、正直は泥の中で履きつぶした一足の靴、自己愛は上っ張り、虚栄はシャツ、良心は半ズボンではないか。この半ズボンは、淫らなものや汚いものを覆い隠しながら、その両方に用を足すとなると、あっさりずり下ろされるのである。

この要請を認めるなら、正しい推論の筋道に従って、次の結論が出る。世間が誤って一そろいの衣服と呼んでいる存在は、実は最も洗練された動物の一種であり、さらに高くいえば、理性的な生き物、すなわち人間なのだ。生き、動き、話し、人間生活のほかのあらゆる営みを行っていることは、明らかではないか。美しさ、機知、物腰、育ちのよさは、それに切り離せぬ属性ではないか。要するに、われわれはそれしか見ず、それしか聞かない。街を歩き、議事堂、コーヒー店、芝居小屋、売春宿をいっぱいにしているのは、それではないか。なるほど、俗に一そろいの衣服、または衣装と呼ばれるこれらの動物は、組み合わせに応じて、異なる名を与えられる。金の鎖と赤い法衣と白い杖と大きな馬で飾れば、それは市長閣下と呼ばれる。ある種の白貂や毛皮を一定の位置に配せば、裁判官と呼ばれる。同じように、薄麻布と黒繻子を適切に組み合わせたものには、主教という称号を授ける。

この教えを奉じる者の中には、大筋では同じ体系に賛成しながら、その枝葉ではさらに洗練された考えを持つ者もいた。人間は二つの衣装、自然の衣と天上の衣、つまり肉体と魂を組み合わせた動物であり、魂は外の衣服、肉体は内の衣服であるとした。後者は親から伝わるが、前者は日々新たに作られ、外へかぶせられる。この最後の説を、彼らは聖書から証明した。「その中で、われわれは生き、動き、存在している」からである。また哲学からも、「それは全体の中に全体としてあり、各部分の中にも全体としてある」ことを挙げて証明した。しかも、この二つを引き離せば、肉体はただの感覚のない、臭い死骸にすぎなくなるではないか、と彼らは言った。以上から、外の衣装こそ魂であることは、明らかなのだ。

この宗教体系には、いくつもの下位の教義が飾りのように付けられ、大流行をもって受け入れられていた。とりわけ精神の諸能力について、その中の学者たちは、次のように説明した。刺繍は純粋な機知、金の房飾りは愉快な会話、金モールは即妙な切り返し、途方もなく長い鬘はユーモア、粉だらけの上着は、たいそう巧みなからかいである。どれも、うまく使うには十分な技巧と繊細さが要り、時代や流行を厳密に守ることも必要だった。

私は多くの苦労と読書を重ね、古い著者たちから、この哲学・神学の体系の短い摘要を集めた。この体系は、古代のものにも近代のものにも似ない、まるで別の筋道と種類の思考によって、組み立てられたらしい。これを記したのは、単に読者を楽しませ、好奇心を満たすためではない。むしろ、これからの物語のさまざまな事情を、明らかにするためである。それほど遠い時代の気風や意見を知れば、そこから生じた大事件も、いっそうよく理解できるだろう。だから、親切な読者には、この問題について私が書いたところを、何度でも、ひたすら熱心に読み返すことを勧める。さて、脇へほつれた糸はここに置き、物語の主な糸を注意深く拾い上げて、先へ進もう。

こうした考えと、その実践は、宮廷と都の洗練された人々の間に、広く行き渡っていた。それで、わが冒険者の三兄弟は、そのときの身の上では、ほとほと困り果てた。一方では、求婚する、すでに名を挙げた三人の御婦人方が、いつでも流行の最先端に立ち、髪の毛一本でもそこから遅れる者を嫌っていた。他方、父の遺言はきわめて厳密だった。最も重い罰を添えた第一の教えは、遺言に明文の命令がないかぎり、上着の糸一本も増減させるな、というものだった。父の残した上着は、たしかにたいへんよい生地で、縫い目も見事なので、一枚物だと誓ってもよいくらいだった。しかし同時に、たいそう地味で、飾りはほとんどないか、まったくなかった。ところが、三人が都へ来て一か月もたたぬうちに、大きなshoulder-knot(肩結び飾り)が流行し始めた。たちまち世間は肩飾り一色となり、しかるべき数の肩飾りなしには、御婦人方の寝室の語らいの席へも近づけない。「あの男には魂がない」と、ある者は叫ぶ。「肩飾りは、どこにある?」[75] 三兄弟は、散歩のたびに数々の屈辱や無礼に出会い、苦い経験から、自分たちに何が欠けているか、すぐに悟った。芝居へ行けば、木戸番が十二ペンスの天井桟敷へ案内する。舟を呼べば、舟頭は「私は一人漕ぎですよ」と言う。ローズ亭で葡萄酒を一本飲もうと入れば、給仕は「旦那、うちではエールは売ってませんよ」と叫ぶ。御婦人を訪ねれば、従僕が戸口へ出て、「御用件をお取り次ぎしましょう」と言う。この不幸な境遇に陥り、三人はすぐに父の遺言を調べ、繰り返し読んだが、肩飾りについては一言もなかった。どうすればよいか。どこに折り合いをつけるか。服従は絶対に必要だが、肩飾りもぜひとも要るように見える。さんざん考えた末、三兄弟のうち、ほかの二人より書物に通じていた一人が、うまい手を見つけたと言った。「たしかに、この遺言に、肩飾りを一語ずつそのまま挙げた文句はない。しかし、含みとしてなら、あるいは音節を一つずつ拾えば、見つかるのではないか。」この区別は、たちまち皆の承認を得た。そこで再び遺言を調べた。ところが不運にも、最初の音節が、文書のどこにもなかった。この失望に、前の抜け道を見つけた者が気を取り直して言った。「兄弟たち、まだ希望はある。一語ずつでも、一音節ずつでも見つからなくても、第三の方法、つまり一文字ずつなら、必ず見つけ出せる。」この発見も大いにほめられ、もう一度調査を始めた三人は、すぐに S、H、O、U、L、D、E、R を拾い出した。ところが、彼らの安らぎを妨げる、あの星が、なんと K だけは見つからないよう取り計らっていた。これは重大な難問だ! しかし、細かな区別を立てる兄弟――その名は、いずれ見つけよう――は、すでに調子が出ていたので、たいへん立派な議論により、K は近代の私生児の文字で、学問の栄えた時代には知られず、古い写本にもどこにも見えないと証明した。「たしかに」と彼は言った。「Calendæ という語が、いくつかの古い写本[76]で、ときには K で書かれたこともある。だが、それは誤りだ。最良の写本では、常に C で綴られている。したがって、わが言葉で knot を K で綴るのは、はなはだしい間違いである。これからは、私が責任を持って C で書くようにしよう。」これで、さらなる困難はすべて消えた。肩結び飾りは、父の法にかなうものだと明らかになり、わが三人の紳士は、誰にも負けぬほど大きく派手なものをつけて、肩で風を切って歩いた。

しかし、人間の幸福が長続きしないように、それがまったく依存している人間の流行も、当時は短命だった。肩飾りにも盛りの時はあり、今や衰え始めたと考えていただきたい。ある貴族がちょうどパリから戻り、その月の宮廷の流行にぴたりと合わせて、上着に五十ヤードもの金モールをつけていたのである。二日もしないうちに、人類は皆、金モールの格子に囲まれた姿で現れた。規定の量の金モールなしに、あえて外へ顔を出す者は、まるで――のように不面目で、女性にもそれと同じほど嫌われた。この重大事に、三人の騎士はどうするのか。肩飾りの一件で、すでに十分、無理は通していた。遺言へ戻ってみても、そこには深い沈黙しかなかった。肩飾りは、ひらひらした、取り外しのきく、付随的な問題だったが、金モールは、もっと確かな根拠なしには、大きすぎる変更と思われた。いわば本質に付着するものなので、明文の指示が必要だった。ところがこの頃、例の物知りの兄弟は、アリストテレスの『弁証法』、とくに、あの驚くべき『命題論』を読んでいた。これは、読者に、自分自身以外のあらゆるものから意味を見つけさせる力を持つ。『黙示録』の注釈者が、本文を一音節も理解しないまま、預言者になるのと同じだ。「兄弟たち」と彼は言った。「知っておくべきことだが、遺言には二種類、口頭のものと、書面のものがある[77a]。ここにある書面の遺言には、金モールについて指示も言及もない。これは認めよう。しかし、口頭のものにも同じだと主張するなら、否である。というのも、兄弟たち、覚えているだろう。子供の頃、ある男から聞いたことがある。あの男は父の下男が言うのを聞いたそうだし、その下男は父自身から聞いたという。息子たちには、買う金ができ次第、上着へ金モールをつけるよう勧めたい、とね。」「まったくそのとおりだ」と、もう一人が叫んだ。「私もはっきり覚えている」と、三人目が言った。そこで三人は、もう面倒なことはせず、教区でいちばん大きな金モールを手に入れ、貴族のように着飾って歩き回った。

しばらくして、裏地用に、炎の色をした美しい繻子が大流行した[77b]。絹物商は、さっそく三人の紳士へ見本を持ってきた。「旦那様方」と言った。「昨夜、C卿もJ・W卿も、まさにこの反物から裏地をお取りになりました。たいへんな売れ行きで、明日の朝十時には、うちの女房の針刺しを作るほどの端切れも残らないでしょう。」そこで三人は、また遺言を引っかき回した。正統の著者によれば、裏地は上着の本質に属するので、今度の件にも、明文の指示が必要だったからである。長く探したが、当面の件に当てはまりそうなものは、父の短い忠告以外、何も見つからなかった。火に気をつけ、寝る前には蝋燭を消せ、というものだ[78a]。これはかなり役に立ち、自分たちを納得させるには大いに助けになったが、命令を打ち立てるには、どうも力が足りない。これ以上の良心の迷いも、将来の非難の種も避けようと決めたので、学者役の兄弟が言った。「遺言には追補が添えられると、読んだ覚えがある。これは実際、遺言の一部で、書かれていることも、ほかの部分と同じ権威を持つ。今、目の前の遺言を考えるに、そうした追補がない以上、完全なものとは思えない。だから私が、あるべき場所へ、たいそう巧みに付け足そう。前から一つ、手もとに持っていたのだ。祖父の犬の世話係が書いたもので、幸いにも、まさにこの炎色の繻子のことを、たくさん論じている。」残る二人もすぐに賛成した。古い羊皮紙の巻物が、付属追補という形で、作法に従ってつぎ合わされ、繻子は買い求められ、身につけられた。

次の冬、房飾り職人組合に、そのために雇われた役者が、新しい喜劇に、全身を銀の房飾りで覆って登場し[78b]、例のほめるべき習慣どおり、それを流行させた。兄弟たちが父の遺言を調べると、たいそう驚いたことに、こんな言葉が見つかった。「一、前記三人の息子に命ずる。前記上着の上、またはその周りに、いかなる銀の房飾りもつけてはならない」、云々。背けば罰があったが、ここに記すには長すぎる。とはいえ、しばらく考えると、すでに何度も学識ゆえに登場した兄弟が、うまい手を見つけた。彼は文献の解釈に熟達しており、名は明かさないという、ある著者の中で、遺言に房飾りと書かれたのと同じ語は、箒の柄をも意味すると見つけ出した。間違いなく、この段落でも、そう解釈すべきだというのである。もう一人の兄弟は、これを気に入らなかった。「銀の」という形容がある以上、言葉の正しい使い方として、それを箒の柄へ当てはめるのは、筋が通らないのではないか、とつつましく考えたからだ。しかし、その形容は神話的、寓意的な意味で理解するのだ、と返された。それでも彼は、なぜ父が、上着に箒の柄をつけることなど禁じたのか、そんな注意は不自然で見当違いではないか、と再び異を唱えた。すると、ぴしゃりとたしなめられた。疑いなく有用で意味深い神秘について、不敬な口を利くものではない。あまり詮索したり、細かく理屈をつけたりすべきではないのだ、と。要するに、父の権威が今やかなり衰えていたので、この便法は、存分に銀の房飾りをつけるための、正当な特免として認められた。

しばらくすると、長くすたれていた古い流行、インド風の男、女、子供の姿を刺繍する流行が復活した[79a]。ここでは、遺言を調べる必要はなかった。父がいつもこの流行を嫌っていたことを、三人はよく覚えすぎるほど覚えていたからだ。父はわざわざ、全面的な嫌悪を示す段落をいくつも設け、息子たちがこれを身につけたら、いついかなるときでも、永遠の呪いを与えると記していた。それでも数日のうちに、三人は、都の誰よりも流行の先を行く姿で現れた。次のように言って、問題を解決したのである。この姿は、昔身につけられ、遺言で意図されたものとは、まるで同じではない。それに、自分たちは、父が禁じた意味で身につけているのではなく、立派な習慣で、公共の大いなる役に立つものとして、身につけている。だから遺言の厳しい条項には、多少の斟酌と好意的な解釈が必要であり、額面どおりでなく、ひとつまみの塩を添えて理解すべきなのだ、と。

しかし当時は、流行が絶えず変わったので、スコラ学者の兄弟は、さらに抜け道を探し、果てしない矛盾を解くことに、うんざりしてしまった。そこで三人は、何があっても世間の流行に従おうと決め、相談し、全員一致で、父の遺言を金庫にしまうことにした。金庫はギリシアかイタリアか、どちらかから運ばれてきたものだったが、どちらだったかは忘れた[79b]。もうわざわざ中身を調べず、都合のよいときにだけ、その権威を持ち出すことにしたのである。その結果、しばらく後、ほとんどに銀の先金のついた留め紐を、途方もない数つけるのが、一般の流行となったとき、学者は権威ある席から宣言した[80a]。留め紐は、皆もよく覚えているとおり、絶対に父の法にかなう、と。たしかに、流行が要求する数は、遺言に直接挙げられた数より、いくらか多かった。しかし、自分たちは父の包括相続人として、公共の利益のために、いくつかの条項を設け、付け加える権限がある。それが遺言の文言から一語一句そのまま導けなくても、かまわない。さもなければ、多くの不合理が生じるだろう、と。これは正典にかなうと理解されたので、次の日曜日、三人は全身に留め紐をつけて、教会へ現れた。

これまで何度も登場した物知りの兄弟は、その通りでも、隣の通りを合わせても、いちばんの学者とみなされていた。それで、懐がいくらか苦しくなっていたとき、ある貴族の好意を受け[80b]、屋敷に迎えられて、子供たちを教えることになった。しばらくすると、その貴族が死んだ。彼は、父の遺言を相手に長く積んだ腕前のおかげで、その屋敷を自分と相続人へ譲る証書を、うまく作る方法を見つけた。そうして屋敷を占有し、若い跡取りたちを追い出して、代わりに兄弟を迎え入れたのである。

第3節
批評家についての脱線

ここまでは、あらゆる折に、輝かしい近代人たちの手本が定める執筆の規則と方法へ、できるかぎり慎重に、細心の注意をもって従ってきた。それなのに、不幸にも記憶が短いため、一つの誤りに陥ってしまった。本筋を体裁よく続けるには、まず、すぐにそこから抜け出さねばならない。恥を忍んで告白すれば、わが立派な批評家諸卿に向けて、しかるべき抗弁、懇願、またはお慈悲を乞う弁を述べずに、ここまで進んだのは、許されぬ手落ちだった。この重大な不注意をいくらかでも償うため、つつしみながらも、あえて、諸卿御自身とその技についての短い報告をお捧げしたい。私どもの間で一般に理解される、この語の起源と系譜を調べ、その技の古代と現在のありさまを、ごく手短に考察するものである。

今日、あらゆる会話でしきりに使われる「批評家」という語は、私が古い書物やパンフレットで読んだところによると、かつて、まるで異なる三種類の人間を区別して指すことがあった。第一には、この言葉で、自分と世間のために規則を考え出し、まとめた人々を指した。その規則に従えば、注意深い読者は、学者の作品を判定し、崇高で見事なものを真に味わえるよう趣味を養い、内容や文体のあらゆる美を、それに似せた腐敗から見分けられる。彼らがふだん本を読むとき、誤りや欠点、吐き気を催すもの、過剰なもの、退屈なもの、見当違いなものを選び出す慎重さは、朝のエディンバラの街を歩く者に似ていた。その人は、行く手の汚物を見つけようと、できるかぎり注意して目を配る。だが、糞の色合いや顔つきを観察したり、寸法を測ったりすることに、好奇心を抱いているのではない。まして、いじり回したり、味見したりしたいわけでもない。ただ、なるべくきれいなまま、通り抜けたいだけである。これらの人々は、はなはだしくも誤って、批評家という名称を、文字どおりに理解していたらしい。その務めの主要な一部は、ほめること、無罪と認めることだと考え、ただ難癖や叱責の機会を求めて読む批評家は、裁判に来る者を一人残らず絞首刑にすると決めた裁判官と同じほど、野蛮な生き物だと思っていたのである。

また、批評家という語は、写本の虫や墓や埃の中から、古代の学問を蘇らせる人々を指すこともあった。

さて、この二つの種族は、何世代も前に、すっかり絶えてしまった。そのうえ、これ以上彼らについて論じても、私の目的には少しもかなわない。

第三の、最も高貴な種類こそ、真の批評家であり、その起源は何よりも古い。真の批評家は誰でも、生まれながらの英雄である。天上の家系から、モモスとヒュブリスを通じて、直系で下ってきた。二人はゾイロスを生み、ゾイロスはティゲリウスを生み、ティゲリウスは大エトセトラを生み、大エトセトラはベントリー、ライマー、ウォットン、ペロー、デニスを生み、彼らは小エトセトラを生んだ。

そして、この人々こそ、学問の共和国がどの時代にも莫大な恩恵を受けてきた批評家たちである。あまりに大きな恩恵なので、賛美者たちは感謝のあまり、その起源を、ヘラクレス、テセウス、ペルセウス、その他、人類に大いに功のあった者たちと並べて、天に置いた。しかし、英雄の美徳そのものさえ、悪い舌の中傷を免れたわけではない。多くの巨人、竜、盗賊と戦って名高い古代の英雄たちも、本人たちは、倒した怪物のどれよりも人類の迷惑だった、という反論があるのだ。だから、自分たちが与える恩恵をもっと完全にするため、ほかの害獣をすべて滅ぼした後には、良心に従い、自分自身にも同じ裁きを下して終えるべきだったという。ヘラクレスは、まことに寛大にもそうしたため、そのおかげで、仲間の中でも最も立派な者以上に、多くの神殿と信者を獲得した。おそらく、こうした理由から、次のように考えた人々もいるのだろう。学問の公共の利益のためには、真の批評家は誰でも、割り当てられた仕事を終え次第、すぐに鼠殺しの毒か麻縄へ身を委ねるか、適当な高所から身を投げるのが、きわめて望ましい。そして、その処置を終えるまでは、これほど輝かしい称号を求める請求を、何人のものでも、一切受け付けるべきではない、と。

さて、批評のこの天上の血統と、英雄の美徳との密接な類似から、真の、古来正統の批評家にふさわしい仕事は、容易に定められる。それは、この広大な著作の世界を遍歴すること、その中で育った怪物じみた欠点を、読んでは狩り立てること、隠れた誤りを、洞穴のカクスのように引きずり出すこと、ヒュドラの首のように増やすこと、アウゲイアスの糞のように掻き集めることだ。あるいは、知識の木の最良の枝を荒らそうとする、よこしまな性向を持つ、危険な鳥どもを追い払うことである。実を食い尽くした、あのステュムパロスの鳥のような連中を。

こうした推論から、真の批評家の適切な定義が得られる。すなわち、著述家の欠点の発見者にして収集者、である。次の証明を挙げれば、いっそう議論の余地はなくなる。この古い宗派が、あらゆる分野で世間を飾ってきた著作を調べれば、誰でも、その筋道と調子の全体から、すぐに気づくことがある。著者の観念は、ほかの書き手の欠点、瑕疵、見落とし、間違いばかりを相手にし、それだけに占められている。扱う題目が何であろうと、他人のペンの欠陥が、想像力をあまりに完全に占領し、満たしているので、悪いものの精髄そのものが、いやでも自分のペンへ蒸留されてしまう。そのため作品全体が、自分のした批判を、そのまま集約したものにしか見えなくなるのである。

こうして、最も高貴で、最も普遍的な意味における批評家の起源と職務を手短に考察したので、次は、著者たちの沈黙や記載の欠如に訴える人々の反論を、打ち破ることにしよう。彼らは、それをもって、現在行われ、私が説明したとおりの批評の技は、まったく近代のものであり、したがって大ブリテンとフランスの批評家には、私が導き出したほど古く、輝かしい起源を名乗る資格はない、と証明したつもりなのだ。さて、もし逆に、最も古い著者たちが、私の示した定義に合う、真の批評家の姿と職務を、詳しく描いていると明らかにできれば、著者の沈黙を根拠とする、彼らの最大の反論は崩れ落ちるだろう。

私も長い間、この一般的な誤りに加わっていたことを認めよう。高貴な近代人たちの助けがなければ、そこから抜け出せなかったに違いない。私は、精神を高め、祖国のためになるよう、彼らの教訓に富む書物を、夜も昼も、飽くことなくめくっている。彼らは疲れを知らぬ労苦を重ね、古代人の弱点を有益にも調べ尽くし、包括的な一覧を与えてくれた[84a]。そのうえ、昔語られた最上のことも、はるか後世のペンによって、とうに発明され、世に示されていたと、反論の余地なく証明した。古代人が技芸や自然について成し遂げた、最も立派な発見は、すべて、当代の卓越した天才によって生み出されたものなのだ。これで、古代人が正当に主張できる功績の小ささは、はっきりわかる。また、今の物事に触れる機会が少ないという不幸に見舞われ、片隅に引っ込んでいる連中が、彼らに捧げる盲目的な崇拝も、取り払われる。これを十分に考え、人間性の全体を視野に収めた結果、私は容易に結論した。古代人も、自分たちの多くの不完全さを痛感していた以上、師匠である近代人をまねて、作品のあるくだりで、真の批評家に風刺か頌辞を捧げ、口うるさい読者を先回りして防ぎ、和らげ、気をそらそうとしたに違いない。さて、序文や口上を長く有益に研究してきたおかげで、私は、この両者の決まり文句[84b]をたっぷり仕込まれていた。だから、いちばん古い著者、とりわけ最古の時代を扱った者たちを丹念に読み、どちらの例が見つかるか、さっそく調べてみることにした。

そこで、たいへん驚いたことに、次のことがわかった。古代の著者は皆、恐れや期待に導かれるまま、折にふれて真の批評家を詳しく描いていたが、この種の話に触れるときには、ひどく慎重で、あえて神話や象形文字の範囲を出なかったのだ。おそらくそのせいで、浅薄な読者は、著者の沈黙を持ち出して、真の批評家の古さを否定するのだろう。しかし、その比喩はあまりにぴったりし、当てはめ方も必然的で自然なので、近代の目と趣味を持つ読者が、どうして見落とせるのか、なかなか想像できない。多数の中から、あえて二、三挙げてみよう。これで問題は、疑いの余地なく決着すると、私は強く確信している。

よく考えるに値するのは、古代の著者たちが、この問題を謎めいて扱う際、概してまったく同じ象形文字を選び、好悪や才知に応じて、話だけを変えていることだ。まずパウサニアスによれば、正しく書く技が完成したのは、まったく批評家という制度のおかげである。その意味する者が、真の批評家以外にありえないことは、次の記述で十分明らかだと思う。彼らは、本の余計な部分や瘤をかじるのを喜ぶ種族だった、と彼は言う。それにようやく気づいた学者たちは、自ら教訓を得て、伸びすぎた枝、腐った枝、枯れた枝、樹液のない枝、茂りすぎた枝を、自作から切り落とすようになった。しかし、彼はこの一切を、次の寓話で巧みに覆い隠している。アルゴス地方のナウプリア人は、驢馬がかじった葡萄の木のほうが、よく育ち、美しい実を結ぶと観察して、剪定の術を学んだ、というのだ。だがヘロドトスは、同じ象形文字を使いながら、もっと明瞭に、ほとんどあけすけに述べている。真の批評家を無知と悪意のかどで責めるほど、大胆だった。リビア西部には、角のある驢馬がいた、と公然と語るのである。これ以上明らかな表現はないと思う。この話を、クテシアス[85]はさらに磨き、インドについて、まったく同じ動物を述べている。そのうえ、ほかの驢馬には胆汁がないのに、この有角の驢馬には、それがあまりにも多いので、肉がひどく苦く、食べられないと付け加えている。

さて、古い著者たちが、この問題を比喩や寓意でしか扱わなかったのは、当時の批評家ほど強く、恐ろしい党派に対し、公然と攻撃する勇気がなかったからだ。その声だけで、著者の一軍が震え、ペンを取り落とすほどだった。実際、ヘロドトスは別の箇所で、スキタイ人の大軍が、驢馬の鳴き声に恐慌を起こして逃げ出したと、はっきり述べている。ここから、ある深遠な言語学者たちは、ブリテンの著者が真の批評家に払う大きな畏怖と敬意は、スキタイの先祖から受け継いだものだと推測している。要するに、この恐怖はあまりに広く行き渡っていたので、時がたつにつれ、それぞれの時代の真の批評家を描く際に、もっと自由に気持ちを発表したいと望む著者は、従来の象形文字を使うのをやめざるをえなくなった。原型に似すぎていたからである。代わりに、いっそう慎重で神秘的な表現を考え出した。ディオドロスなどは、同じ趣旨を語るにも、ヘリコンの山々には、嗅ごうと近づく者を毒するほど、忌まわしい臭いの花を咲かせる草が生える、と言うにとどまっている。ルクレティウスも、まったく同じ話を述べている。

「また、ヘリコンの大いなる山々には、
花の臭いで人を殺す習いのある木が育つ。」――第6巻。[86]

だが、先ほど引いたクテシアスは、はるかに大胆だった。同時代の真の批評家から、ひどく手厳しい扱いを受けたので、一族全体へ向けて、せめて一つ、深い復讐の印を残さずにはいられなかった。その意味は、表面のすぐ下にある。真の批評家が古代にいたことを否定する人々が、どうして見落としたのか、不思議なほどだ。インドの多くの珍獣を描くふりをして、彼は次の注目すべき言葉を書き残している。「ほかにも」と彼は言う。「歯がなく、したがって噛めない蛇がいる。だが、その吐瀉物――吐くことをたいそう好むのだが――が何かにかかると、一種の腐敗や腐食が起きる。この蛇は、ふつう宝石の育つ山々で見つかり、しばしば毒の汁を出す。それを飲んだ者は、誰であれ、脳味噌が鼻の穴から飛び出してしまう。」

古代には、もう一種の批評家もいた。前の種と、種類が違うのではなく、成長の段階や程度が違うものだった。どうやら、ただの初心者か下級の学生だったらしいが、仕事が違うので、しばしば独立の宗派として言及される。この若い学生たちの普段の練習は、絶えず劇場へ通い、芝居のいちばん悪い部分を見つけることを学ぶことだった。それを注意深く記録し、教師へ筋道だった報告をする義務があった。こうした小さな獲物で血の味を覚えると、仔狼のように、やがて大物を追い倒せるほど、敏捷で強く育つ。古代にも近代にも、真の批評家は、売春婦と市参事会員に共通の性質を一つ持つと観察されている。その称号も本性も、決して変えないのだ。白髪の批評家は、間違いなく青二才の批評家だった。老いて備えた完成と素養は、若い頃の才能を伸ばしたものにすぎない。麻のようなもので、ある博物学者によれば、種のうちに摂ってさえ、窒息には有害だという。口上の発明、あるいは少なくともその洗練は、この若い達人たちのおかげだと、私は思う。テレンティウスは彼らを、「悪意ある者ども」という名で、たびたび、うやうやしく取り上げている。

さて、真の批評家という制度が、学問の共和国に絶対必要だったことは確かである。というのも、人間のあらゆる働きは、テミストクレスとその同席者たちのように分けられるらしい。ある者は楽器を弾き、別の者は小さな町を大都市にできる。そのどちらもできない者は、創造の世界から蹴り出されて当然だ。この罰を避けるため、批評家の国民が初めて生まれたのは、疑いない。同時に、陰で悪口を言う者には、こんな噂を流すきっかけも与えた。真の批評家とは、一種の職人で、仕立屋と同じくらい安い費用で、商売の元手と道具をそろえられる。また、両者の用具と能力には、多くの類似がある。「仕立屋の地獄」は批評家の抜き書き帳を表し、機知と学識は鵞鳥が示す。仕立屋何人かでようやく一人の人間ができるように、学者一人を作るにも、少なくとも同じ数の批評家が要る。勇気も等しく、武器の大きさも似たようなものだ、と。こうした意地の悪い批判には、多くの反論ができる。第一の点については、虚偽だと、きっぱり断言できる。まったく逆に、批評家組合の自由会員となるには、どんな組合よりも大きな出費が必要なのである。真の乞食になるためには、最も金持ちの志願者でも、その持ち金を一銭残らず失わねばならない。それと同じで、真の批評家として出発する前には、その人の精神のよい性質を、ことごとく費やさねばならないのだ。もっと安いものを買うためなら、おそらく、あまりよい取引とは思われまい。

こうして批評の古さを十分に証明し、初期の状態を描いたので、今度は、この帝国の現状を調べ、昔の姿といかによく一致するかを示そう[88]。ある著者――その著作は、何世代も前に、すっかり失われている――は、第5巻第8章で、批評家について「その著作は学問の鏡である」と言っている。私はこれを文字どおりに解し、完全な著述家になろうとする者は、批評家の本をのぞき込み、鏡に映すように、そこで自分の着想を直さねばならない、という意味だと考える。さて、古代の鏡が、真鍮製で、水銀を使っていなかった[訳2]ことを考えれば、誰でもすぐ、近代の真の批評家の二つの主要な資質に当てはめられる。したがって、その資質は昔から常に同じであり、永遠に同じでなければならない、と結論せざるをえない。真鍮は持続の象徴であり、巧みに磨けば、背後の水銀の助けなしに、自分の表面から映像を返す。批評家のほかの才能は、どれもこの二つに含まれるか、容易に導かれるので、個別に挙げる必要はない。だが、最後に三つの格言を記そう。これは、近代の真の批評家を偽物から区別する特徴となるばかりか、これほど有用で名誉ある技に携わる、立派な精神の持ち主にも、大いに役立つだろう。

第一に、批評は、ほかのあらゆる知的能力と違い、批評家の心が最初に生み出したものこそ、最も真実で、最良とみなされる。鳥猟師が、最初の狙いをいちばん確かとし、二度目を待たなければ、ほとんど必ず的を外すと考えるのと同じである。

第二に、真の批評家は、最も優れた著者の周囲へ群がる才能で見分けられる。最良のチーズへ寄る鼠や、いちばん美しい果実へ寄る蜂のように、ただ本能に動かされて集まる。国王が馬に乗ると、一行のうちで必ずいちばん泥まみれになるのと同じだ。最もうまく御機嫌を取るのは、最も多く泥をはねかける者なのである。

最後に、真の批評家が本を読むさまは、宴会の犬に似ている。考えも腹も、客が捨てるものだけを目当てにしているので、骨が最も少ないとき、最もよく唸るものだ[89]。

私の庇護者である、近代の真の批評家たちへの挨拶としては、これで十分だろう。これまでの沈黙も、おそらく今後守ることになる沈黙も、十分償えると思う。一団全体にこれほど尽くした以上、寛大で優しい扱いを受けられるものと願う。その期待を支えに、すでにあれほど幸先よく始まった冒険の続きを、勇んでたどることにしよう。

第4節
樽物語

さて、多くの労苦と研究を重ね、読者を、大きな変革の話を聞くことになる時点まで導いてきた。というのも、たびたび登場した物知りの兄弟は、自分のものとなった暖かい家の屋根を頭上に得るやいなや、威張り始め、たいそう尊大に振る舞うようになったからだ。その変わりようは、優しい読者が、その寛大なお心から、彼についての思い描き方を、少し高くしてくださらないかぎり、今後この芝居の主人公に出くわしても、見分けがつかぬのではないかと、心配になるほどである。役柄も衣装も物腰も、それほど変わったのだ。

彼は兄弟たちに、自分が長男で、したがって父のただ一人の相続人であると、よく覚えておくように言った。それどころか、しばらくすると、兄弟と呼ぶことさえ許さず、ピーター氏と呼ばせた。次にはピーター神父、ときにはピーター卿と呼ばねばならなくなった。この威厳を支えるには、生まれ持った資力より、もっと確かな財源が要ると、すぐに考え始めた。さんざん思案した末、計画屋かつ物知りの研究家になろうと目をつけた。これがたいそううまくいき、今、世間で大流行し、広く使われている数々の有名な発見、計画、機械は、まったくピーター卿の発明によるものとなった。主なものについて、集められたかぎりの最良の報告を、これから述べよう。出現した順序にはあまりこだわらない。その点では、著者たちの意見が、よく一致していないように思うからだ。

私のこの論考が外国語に翻訳された暁には――材料を集める労苦、語る際の忠実さ、内容の公共に対する大いなる有用さを考えれば、その程度の公正な扱いは十分に値すると、虚栄心なしに言ってよかろう――海外の各学士院、とりわけフランスとイタリアの学士院が、普遍的知識の増進のために、これらのつつましい提案を、好意的に受け取ってくださるよう願っている。また、東洋へ布教なさる、いとも尊い神父方にも、お知らせしておきたい。東洋のどの言葉へも、とりわけ中国語へ、容易に移せる語句を使ったのは、ひとえに神父方のためである。こうして、自分の労作から、この地球全体が、どれほどの利益を得ることになりそうかを思い、たいそう満ち足りた気持ちで、先へ進むのである。

ピーター卿の最初の事業は、未知の南方大陸で、最近発見されたという、広大な陸地の購入だった。この土地を、発見者自身から、たいへん安く買い取った。もっとも、連中が本当にそこへ行ったのか、疑おうとする者もいた。その後、土地をいくつかの地区に分け、商人たちへ小売りした。彼らは植民者を運んだが、航海の途中で皆、難破してしまった。そこでピーター卿は、その大陸を、別の客へ、何度も何度も、また何度も何度も売り、毎回同じ成功を収めた。

第二に挙げる計画は、虫、とりわけ脾臓に巣くう虫への特効療法である。患者は三晩、夕食後には何も食べてはならない。床に入ったら、注意して片側を下に寝る。疲れたら、反対側へ向きを変える。また、両目は必ず同じ物へ向け、明白な理由がないかぎり、上下両方の口から同時に風を出してはならない。この処方を丹念に守れば、虫は脳を通って上へ昇り、気づかぬうちに、汗となって排出されるという。

第三の発明は、囁き所の開設だった。公共の利益と、心気症や腹の疝痛に悩む人々の安楽のためであり、同じく、盗み聞きする者、医師、産婆、小政治家、仲違いした友人、詩を朗誦する詩人、うまくいっている恋人と絶望した恋人、取り持ち婆、枢密顧問官、小姓、寄食者、道化、つまり、風をためすぎて破裂しそうなすべての人のためでもあった。驢馬の頭が、きわめて都合よく据えられ、患う人は、そのどちらの耳にも、口を容易に近づけられる。しばらくの間、そこへぴたりと口を当てればよい。この動物の耳に特有の、風を逃がす働きによって、げっぷか、息か、吐瀉か、いずれかの形で、すぐに効き目が現れる。

ピーター卿の別の、きわめて有益な計画には、保険事務所があった。煙草のパイプ、近代の熱心さの殉教者、詩集、影……および河川に対し、そのいずれも火による損害を受けぬと保証するのである。ここから、わが共済組合も、ただこの原型を写したにすぎないと、はっきり悟ることができるだろう。もっとも、どちらも事業主には大きな利益を与え、公共にも等しい利益をもたらした。

ピーター卿は、人形芝居と覗きからくりを初めて作った人ともされていた。その大いなる有用さは、誰にもよく知られているので、この件について、これ以上詳しくは述べない。

だが、彼をたいそう有名にした、もう一つの発見は、あの名高い万能漬け汁だった。主婦がふつう使う漬け汁は、死んだ肉や、ある種の野菜を保存する以外に役立たないと気づき、ピーターは、大きな費用と技巧をもって、家、庭、町、男、女、子供、家畜に使える漬け汁を工夫した。その中なら、琥珀の中の虫のように、傷まず保存できるのである。この漬け汁は、味、匂い、見た目では、牛肉、バター、鰊に日常使うものと、まったく同じだった。実際、その用途にもたびたび使われ、大成功した。しかし、多くの特効においては、まるで別物だった。ピーターが、秘伝の粉ピンパリン・ピンプを一定量入れると、その後は決して失敗しなかったからだ。処置は、月のよい時期を選び、振りかける方法で行った。漬けられる患者が家なら、必ず、あらゆる蜘蛛、鼠、イタチから守られる。患う者が犬なら、疥癬、狂犬病、飢えを免れる。また、子供の瘡蓋や虱や頭の皮膚病も、必ず除き去った。患者は寝床でも食卓でも、どんな務めも妨げられなかった。

しかし、ピーターの珍品のうち、彼が最も大事にしていたのは、一群の雄牛[訳3]だった。幸運にも、その血統は、金の羊毛を守った雄牛から、直系で保たれていた。ただし、詳しく観察したという者の中には、血統が完全には清らかに保たれていないのでは、と疑う者もいた。いくつかの性質では先祖より退化し、ほかには、たいそう異常な、よそから混じった性質を獲得していたからだ。コルキスの雄牛の脚は、青銅だったと記録されている。だが、悪い牧草や走り回るせいか、密かな情事によって別の親が入り、混ぜ物が生じたせいか、祖先の衰弱で種の力が損なわれたせいか、それとも、世界の罪深い末の時代には、自然の原型も堕落するので、長い時の流れに伴う、避けられぬ衰えのせいか。原因は何であれ、ピーター卿の雄牛の脚の金属が、時の錆によってひどく損なわれ、今では、ただの鉛へ落ちぶれたことは確かである。しかし、血筋に特有の恐ろしい吼え声と、鼻から火を噴く能力は保たれていた。もっとも、多くの中傷者は、それは細工の技であって、見かけほど恐ろしくなく、普段の食餌である花火や爆竹から来るだけだとみなしていた。とはいえ、この雄牛には、イアソンの雄牛と際立って違う、二つの特徴があった。その二つが一緒にある怪物は、ホラティウスの「さまざまな羽根を身につけ」、「下半身は黒い魚に終わる」という記述以外では、見たことがない。この牛には魚の尾があり、それでいて、いざとなれば、空のどんな鳥よりも速く飛べた。ピーターは、この雄牛たちを、さまざまな仕事につけた。ときには吼えさせ、悪い子をおびやかして、おとなしくさせた。ときには、たいそう重要な用事を託して送り出した。そのさまは、語るにも驚くばかりで、慎重な読者には信じにくいかもしれない。金の羊毛を守る高貴な先祖から、家系全体へ伝わる感覚的欲求のおかげで、牛たちは相変わらず、金をひどく好んだ。だから、ピーターが外へ使いに出すと、たとえ挨拶のためだけでも、金の一片を投げてやるまで、吼え、唾を吐き、げっぷをし、鼻水とともに火を吹き、絶えず大騒ぎした。しかし「わずかな塵を投ずれば」、子羊のように穏やかで静かになった。要するに、主人の密かな黙認か奨励によるのか、自分自身の金への卑しい食い気によるのか、あるいは両方によるのか、いずれにせよ、一種の頑強で威張り散らす乞食にすぎなかった。施しを得られない所では、女性を流産させ、子供にひきつけを起こさせた。そのため子供たちは今でも、お化けや悪鬼を、牛乞食という名で呼ぶことが多い。とうとう近所がひどく迷惑したので、北西のある紳士たちが、純粋なイングランド産のブルドッグをそろえ、牛たちにたいそう激しくけしかけた。その痛手は、その後もずっと残った。

ピーター卿の計画を、もう一つ挙げずにはいられない。実に並外れていて、遠くまで見通す眼力と、深遠な創意の持ち主だと示すものだった。ニューゲート監獄の悪党が絞首刑を言い渡されるたびに、ピーターは、一定の金額で赦免を与えると申し出た。哀れなならず者が、あらゆる工面をして金をかき集め、送ってくると、卿は、次の形式の紙を送り返した。

「すべての市長、州長官、獄吏、警吏、執行吏、絞首刑執行人、その他へ。われわれは、A・Bなる者が、死刑の宣告を受け、汝ら、または汝らのいずれかの手中にあるとの報を得た。よって、これを見次第、その囚人を自宅へ帰らせることを望み、かつ命じる。罪名が殺人、男色、強姦、涜聖、近親相姦、反逆、冒涜、その他のいずれであれ、本書をもって十分の許可とせよ。もし背けば、汝と汝の一族を、神が永遠に罰したもうように。それでは、心よりさらば。汝の最もつつましき僕の僕、

「皇帝ピーター。」

これを信用した哀れな者たちは、命も金も、両方失った。

後世の学者たちが、この丹念な論考への注釈者に任ずる方々に、お願いがある。ある種の暗い箇所では、たいそう慎重に進んでいただきたい。真の達人でない者は皆、軽率で性急な結論に陥る危険がある。とりわけ、簡潔さのため、実行の際には分けねばならない複数の秘事を、ひとまとめにした、いくつかの神秘的な段落では、なおさらである。この喜ばしく有用なほのめかしに、後の術の子らは、私の記憶へ、大きな感謝を寄せてくれるに違いない。

これほど多くの立派な発見が、世間で大成功を収めたと、読者に納得してもらうのは、難しくあるまい。ただし、語ったのは、ほんのごく一部だと、確かに申し上げておこう。私の目的は、公共がまねるのに最も役立つもの、あるいは発明者の眼力と才知のほどを、最もよくうかがわせるものだけを、選び出すことだった。それゆえ、この頃までにピーター卿が大金持ちになっていたとしても、驚く必要はない。しかし、ああ! あまりに長く激しく、頭脳を拷問台にかけていたので、とうとう脳味噌が揺らぎ、少し楽になろうと、ぐるぐる回り始めた。要するに、高慢、計画、悪だくみが重なり、哀れなピーターは気が狂い、世にも奇妙なことを思い描くようになった。発作の最高潮には、高慢のために狂う者の常として、自分を全能の神、ときには宇宙の君主と呼んだ。「私は見た」と、私の典拠の著者は言う。「彼は、古い山高帽を三つ取り、頭の上へ三階建てに重ね、大きな鍵の束を腰帯につけ、釣り竿を手にしていた。」この姿でいるとき、挨拶に握手をしようと近づく者がいれば、ピーターは、よくしつけられたスパニエル犬のように、優雅に足を差し出した。この厚意を断られると、相手の顎まで足を上げ、口へひどい蹴りをくれた。それ以来、それは挨拶と呼ばれている。挨拶せず通り過ぎる者には、驚くほど強い息で、その帽子を吹き飛ばし、泥の中へ落とした。一方、家の中のことは何もかも、めちゃくちゃになり、二人の兄弟は惨めな日を送った。まず最初の気まぐれで、ある朝、二人の妻を戸外へ蹴り出し、自分の妻まで追い出して、代わりに、街で最初に見かけた放浪女を三人拾ってこいと命じた。しばらくして、酒蔵の戸に釘を打ち、兄弟たちには、食事の飲み物を一滴も許さなくなった[95]。ある日、シティの市参事会員の家で食事をしたとき、ピーターは、その男が仲間の常として、牛のサーロインの賛美を、長々と述べるのを聞いた。「牛肉こそ、肉の王です」と、賢明な役人は言った。「牛肉の中には、山鶉、鶉、鹿肉、雉、プラム・プディング、カスタードの精髄が含まれています。」家へ戻ったピーターは、この教説を料理して、実用に供することを思いついた。サーロインがないので、褐色のパンに教えを当てはめようとしたのだ。「親愛なる兄弟たち」と彼は言った。「パンは生命の杖だ。そのパンには、牛肉、羊肉、仔牛肉、鹿肉、山鶉、プラム・プディング、カスタードの精髄が、すべて含まれている。そして、完全なものにするため、適量の水も混ぜてある。その生っぽさも、酵母や酒母で正され、健康によい発酵した飲み物となり、パンの塊の全体へ行き渡っているのだ。」この結論を根拠に、翌日の夕食には、褐色のパンが、市の大宴会さながらの儀式で供された。「さあ兄弟たち」とピーターは言った。「遠慮なく食べてくれ。すばらしい羊肉だぞ[96]。いや、待て、せっかく手が出ているから、私が取ってやろう。」そう言って、フォークとナイフを使い、もったいぶって、パンから厚い二切れを切り取り、それぞれ皿に載せて、兄弟たちへ差し出した。二人のうち年上のほうは、すぐにはピーター卿の思いつきについてゆけず、きわめて丁寧な言葉で、その神秘を尋ね始めた。「閣下」と言った。「恐れながら、何かお間違いがあるのではないでしょうか。」「何だって」とピーターは言った。「冗談を言うのか。では、聞かせてみたまえ。その頭に、いっぱい詰まっている冗談を。」「とんでもありません、閣下。ただ、私がよほど思い違いをしていなければ、先ほど閣下は、羊肉とおっしゃいました。ぜひとも、それを拝見したいのです。」「何だと」とピーターは、ひどく驚いた顔をして言った。「まったく意味がわからない。」そこで、年下のほうが、話を正そうと口を挟んだ。「閣下、兄は腹が減り、夕食に出すとお約束の羊肉を、食べたがっているのだと思います。」「ちょっと待て」とピーターは言った。「わかるように話してくれ。お前たちは二人とも狂っているか、私の好む以上に、ふざけるつもりなのか。その切り身が気に入らなければ、別のを切ってやろう。肩肉全体の中でも、一番よい部分だと思ったのだがね。」「では、閣下」と、最初の者が答えた。「これは初めからずっと、羊の肩肉だったというわけですか。」「いいから、君」とピーターは言った。「食べ物を食べて、無礼な口をやめてくれたまえ。今は、それを面白がる気分ではない。」だが相手は、ピーターの取り澄ました大真面目な顔に、あまりに苛立ち、黙っていられなかった。「閣下、私に言えるのは、目にも指にも、歯にも鼻にも、これはパンの皮にしか思えない、ということだけです。」そこで、もう一人も口を入れた。「十二ペンスのパンの一切れに、これほどよく似た羊肉は、生まれて初めて見ました。」「いいか、諸君」とピーターは怒鳴った。「お前たちが、いかに盲目で、思い込みが強く、無知で、頑固な仔犬どもかを思い知らせるため、たった一つ、明白な議論を使おう。神にかけて、これはレドンホール市場のどれにも劣らぬ、本物の、立派な、正真正銘の羊肉だ。これと違うことを信じようとするなら、神がお前たち二人を、永遠に滅ぼしたもうように。」これほど雷鳴のような証明では、反論の余地は残らなかった。二人の不信者は、できるだけ急いで、自分たちの間違いを拾い集め、懐へしまい始めた。「なるほど、確かに」と最初の者は言った。「もっとよくよく考えてみますと――」「ええ」と、もう一人が遮った。「今、よく考え直してみましたが、閣下のおっしゃることは、大いに道理があるようです。」「よろしい」とピーターは言った。「おい、給仕、ビールのグラスにクラレットを満たしてくれ。二人のために、心から乾杯しよう。」兄弟たちは、こんなに早く機嫌が直ったのを見て、たいそう喜び、つつましく礼を述べ、自分たちも閣下に杯を捧げたいと言った。「そうさせてやろう」とピーターは言った。「私は、もっともな願いを断る男ではない。葡萄酒も、ほどほどに飲めば強壮剤だ。ほら、一杯ずつ。本物の葡萄の汁だぞ。あの忌まわしい酒屋の混ぜ物とは違う。」こう言って、彼はそれぞれに、また大きな乾いたパンの皮を渡し、飲み干せ、遠慮するな、害にはならん、と命じた。二人の兄弟は、こうした微妙な局面での決まりの務めとして、十分な間、ピーター卿と互いの顔を見つめた。そして、事態がどう進むかを悟り、新しい議論は始めず、好きなように勝ちを譲ることにした。今や彼は狂気の発作の一つに入り込んでおり、さらに論じたり抗議したりしても、百倍手に負えなくなるだけだったからである。

この立派な一件を、細部まで語ることにしたのは、同じ頃、兄弟の間に起き、その後決して埋まらなかった、あの大きく名高い断裂[98a]の、主なきっかけになったからである。しかし、それについては、別の節で詳しく述べよう。

とはいえ、ピーター卿は、正気に戻っている間でさえ、日々の交際でひどく無作法で、極端に頑固で独断的だった。自分が一度でも間違ったと認めるくらいなら、いつでも死ぬまで議論しようとしたことは確かである。そのうえ、折あるごとに、とてつもなく大きな、見え透いた嘘をつく、忌まわしい才能を持っていた。ただ本当だと誓うだけでなく、信じるのを少しでもためらう素振りを見せれば、一同が地獄へ落ちるよう呪った。あるときは、自宅に牛がいて、一度の搾乳で三千の教会を満たすほど乳を出し、さらに驚くべきことに、その乳は決して酸っぱくならぬと誓った。またあるときは、父の持っていた古い看板柱[98b]について、それについた釘と木材だけで、大きな軍艦を十六隻造れるほどだと語った。ある日、山々の上を帆走するほど軽く作られた、中国の車の話をしていると、「ちくしょう」とピーターは言った。「そんなことの何が不思議だ。神にかけて、私は、石と漆喰でできた大きな家が、海と陸を、ドイツの里程で二千里以上も旅するのを見たぞ。まあ、ときどきは餌を取るために止まったがな。」[98c] しかも面白いことに、彼はその間ずっと、自分は生涯、一度も嘘をついたことがないと、必死で誓い続けた。一言ごとに、「神にかけて、諸君、私は真実しか語らぬ。信じない連中は、悪魔が永遠に炙り焼きにするがよい」と言うのだった。

要するに、ピーターの不評はひどくなり、近所中が、あれはただの悪党だと、はっきり言い始めた。長く虐げられ、うんざりしていた二人の兄弟も、とうとう彼と別れようと決めた。ただ、その前に、いつからかもわからぬほど長く、顧みられずにいた父の遺言の写しを、つつましく求めた。彼は頼みを認めるどころか、二人を悪党、裏切り者と呼び、思いつくかぎりの罵りを浴びせた。しかし、ある日、彼が計画のために出かけると、二人の弟は機会をうかがい、どうにか遺言を手に入れ、忠実な写しを取った[99a]。それで、いかにひどく騙されていたか、すぐにわかった。父は、三人を等しい相続人とし、手に入れたものは何でも、全員で共有するよう、厳しく命じていたのである。これに従い、次の仕事は、酒蔵の戸をこじ開け、少しよい飲み物を手に入れて、元気をつけ、心を慰めることだった[99b]。遺言を写すうちに、女遊び、離婚、別居扶養を禁じる、もう一つの教えも見つかった。それで、次には妾を追い出し、妻を呼び戻した[99c]。これらの仕事が進行中に、ニューゲート監獄から、ある法律事務代理人がやって来た。明日絞首刑になる盗人の赦免を、ピーター卿に取り計らってほしいという。だが兄弟は、自分の依頼人より、よほど絞首刑にふさわしい男に赦免を求めるとは、君は間抜けだと告げた。そして、そのいかさまの手口を、先ほど私が述べたとおりに、残らず明かし、友人のため、国王から赦免を得るよう動いたほうがよいと勧めた。この大騒ぎと変革のさなかに、ピーターが、竜騎兵の一列を引き連れて帰ってきた。あちらこちらから何が起きたかを聞き取ると、彼と一味は、ここで繰り返すほどの意味もない、何百万という悪口と呪いを浴びせた後、力ずくで、まことに見事に、二人とも戸外へ蹴り出した。その日から今日まで、二度と自分の屋根の下へ入らせなかった。

第5節
近代流の脱線

世間が近代の著述家という称号でほめてくださる私どもも、その努力が人類全体の幸福に、あれほど大いに役立たなかったなら、永遠の記憶と、不滅の名声という大計画を、とうてい成し遂げられなかっただろう。おお宇宙よ! そなたの書記たる私の、この冒険的な企てこそ――

「いかなる労苦にも耐えよと勧め、
星澄む夜を眠らず過ごすよう促す。」

この目的のため、少し前、私は、たいへんな労苦と技術を費やして、人間性の死骸を解剖し、その包む部分と包まれる部分、それぞれについて、多くの有益な講義を行った。とうとう臭いがひどくなり、もう保存できなくなった。そこで今度は、大金をかけ、すべての骨を、正確なつながりと、しかるべき釣り合いで組み直した。今では、好奇心ある紳士その他の方々へ、たいへん完全な解剖標本を、いつでもお見せできる。しかし、脱線の最中に、さらに脱線するのはよそう。入れ子の箱のように、脱線の中へ脱線を詰め込む著者も、見たことがあるからだ。私が断言したいのは、注意深く人間性を切り開いた結果、たいへん奇妙で、新しく、重要な発見をした、ということである。人類の公共の幸福を実現する方法は、教えることと楽しませること、この二つなのだ。さらに私は、先に挙げた一連の講義で、こう証明した。その講義は、友人の誰かに写しを盗むよう仕向けるか、私を称賛する紳士方に、しつこく懇願していただければ、いつか世間のお目にかけるかもしれない。さて、今の人間の性向では、教えられるより、楽しませてもらうほうが、はるかに大きな利益を受ける。蔓延している病が、うんざり、締まりのなさ、欠伸だからである。一方、今の才知と学問の普遍的帝国には、教えるために残された材料が、ほとんどないように見える。とはいえ、古く、権威ある教訓に従い、私は、あらゆる最高の形で、両立を成し遂げようと試みた。そこで、この神々しい論考の全体で、有益の層と快楽の層を重ね、両者を巧みに練り合わせたのである。

輝かしい近代人たちが、古代人の弱々しい瞬きを、どれほど見事に覆い隠し、洒落た交際の道から追い払ったことか。最も洗練された素養を持つ、都のえり抜きの才人たちが、そもそも古代人など、本当にいたのか、いなかったのかと、真面目に論争するほどである。この点では、立派な近代人、ベントリー博士の、きわめて有益な労作と夜業から、驚くほど十分な答えが得られそうだ。こうしたことをすべて考えると、私は嘆かずにいられない。人生で知るべきこと、信ずべきこと、想像すべきこと、実践すべきことを、すべて、小さな携帯用の一巻へ収めた普遍的体系を、これまで有名な近代人の誰も試みなかったのは、惜しい。もっとも、少し前、オ・ブラジルの大哲学者が、そういう企てを考えたことは、認めなければならない。その提案した方法は、ある珍しい処方、秘伝の薬によるものだった。彼が早世した後、その書類の中で、私は処方を見つけた。ここで、近代の学者たちへの大いなる愛情から、それをお贈りする。いつか、しかるべき事業家を勇気づけると、疑っていない。

近代のあらゆる技芸と学問の体系書を、どの言語でもよいから、きれいで正確な本でそろえる。仔牛革でよく装丁し、背に書名が入ったものがよい。これを湯煎で蒸留し、芥子の精髄を適量、さらに、薬屋で手に入る忘却の水を三パイント加える。汚物と死んだ残滓を注意深く除き、揮発するものはすべて蒸発させる。初めに流れ出る液だけを残し、さらに十七回蒸留して、残りを二ドラムほどにする。それをガラスの小瓶へ入れ、気密に封じて、二十一日置く。それから、あなたの普遍的論考に着手する。毎朝、空腹のまま、まず瓶を振り、この霊薬を三滴、鼻へ強く吸い込む。十四分で、脳の周りへ広がる。脳があれば、の話だが。すると、無限の数の摘要、梗概、便覧、抜粋、集成、精髄、若干の抄録、詞華集などが、整然と並び、そのまま紙へ書き移せる姿で、たちまち頭の中に現れる。

白状しなければならないが、ほかの点では力の足りない私が、これほど大胆な企てに踏み出したのも、この秘薬のおかげだった。この企ては、これまで、ホメロスというある著者以外、成し遂げた者も、試みた者もいない。この人には、ほかの点で多少の能力がないわけではなく、古代人にしては、まずまずの才もあった。しかし私は、その中に多くの甚だしい誤りを見つけた。仮にその灰がまだどこかに残っていても、灰にさえ許せぬ誤りである。彼は、人間、神、政治、機械に関する、あらゆる知識の完全な体系を、自作で目指したという[102a]。ところが、一部はまったく無視し、残りもひどく不完全なままにしているのは明らかだ。まず何より、弟子たちが、どれほど卓越したカバラの達人に仕立てようとも、大いなる業についての説明が、あまりに貧弱で不十分である。センディヴォギウスもベーメも『神聖魔術的人智学』[102b]も、まるで表面しか読んでいないらしい。また、火成の球についても、すっかり取り違えている。これは償いようのない怠慢であり、読者がこれほど厳しい批判をお認めくださるなら、この著者が、そもそも火という言葉を聞いたことがあるのか、私は疑いたくなる。機械学のいくつかの部分でも、欠陥は同じほど目立つ。近代の才人がふつう払う、最大限の注意をもって著作を読んだが、あの便利な器具、蝋燭の燃え残り受けの構造について、いまだに、ほんのわずかな指示も見つけられない。近代人が助けてくれなければ、その不足のため、われわれは今でも暗闇をさまよっていただろう。しかし、もっと明白な欠点が、この著者を責めるために、まだ残っている。この国のコモン・ローと、イングランド国教会の教義および規律についての、甚だしい無知である。実際、この欠点ゆえに、彼も、すべての古代人も、わが立派で才気ある友人、神学士ウォットン氏から、まことに正当な非難を受けている。あの比類ない『古代と近代の学問』という論考の中で、である。著者の機知の幸せな転回と流れを考えても、蠅と唾についての崇高な発見の大いなる有用さを考えても、苦心のにじむ文体の雄弁を考えても、いくら高く評価してもし足りない本だ。そして、この論考を書く間、あの比類ない作品から得た大きな助けと持ち上げについて、この著者に、公に感謝を表すという公正を、私は果たさずにいられない。

だが、すでに述べたホメロスの抜け落ちのほかに、好奇心ある読者は、その著作に、本人だけの責任とは言い切れぬ欠陥も、いくつか見つけるだろう。彼の時代以後、とりわけ、ここ三年ばかりの間に、知識のあらゆる部門は、驚くべき成果を得た。だから、擁護者たちの言い張るように、彼が近代の発見にも完全に通じていたなど、ほとんど不可能なのだ。羅針盤、火薬、血液循環の発明者だったことは、喜んで認めよう。しかし、その著作のどこであれ、脾臓についての完全な説明を、賛美者の誰かに見せてもらいたいものだ。政治をめぐる賭けの技でも、彼はわれわれを、まるきり手探りに放置していないか。茶についての長い論文より、不十分で不満足なものが、どこにあるだろう。近頃たいそう称賛される、水銀を用いずに唾液を出させる彼の方法にいたっては、私自身の知識と経験から言って、ほとんど当てにならない。

こうした重大な欠陥を補うため、長い懇願に押され、私はペンを取ることになった。判断力のある読者には、あえてお約束しよう。人生のどんな急場にも役立ちうるものを、ここでは何一つ取り落としていないはずだ。人間の想像力が昇りうるところ、落ちうるところを、すべて含め、尽くしたと確信している。とりわけ、ほかの者がまったく触れていない、いくつかの発見を、学識ある方々にお読みいただきたい。大勢の中から、私の『半可通の新しい助け、または、浅く読んで深く学ぶ術』『鼠捕り器についての珍しい発明』『理性の普遍的規則、または、誰もが自分の取り分を切り取る者』、それに、梟を捕まえる、たいへん便利な装置だけ挙げておこう。いずれも、本論考の各所で、詳しく扱われていると、判断力ある読者にはおわかりになるだろう。

自分が書いているものの美点と卓越性について、できるかぎり光を当てるのは、私の義務と考えている。この洗練と学識の時代の第一級の著者たちの間で、それが最も喝采される流行であり、好みとなったからだ。意地悪な批評的読者を正したり、親切な読者の無知を教え導いたりする際に、用いられるのである。そのうえ、最近、詩でも散文でも、名高い作品がいくつか刊行されたが、著者たちが、大いなる人間愛と公共への思いやりから、含まれる崇高なもの、驚嘆すべきものを、細かく教えてくれなかったなら、われわれがそのどちらかの一粒でも見つけ出す見込みは、千に一つだったろう。私自身についていえば、この機会に述べたことは、序文に置くほうが適切で、ふつうはそうせよと指図する流行にも合っていることは、否定しない。しかし、ここでは、最後に書く著者という、大きく名誉ある特権をつかむことにする。最も新鮮な近代人として、私は絶対的な権威を、権利として主張する。この権威によって、私以前のあらゆる著者に対し、専制的な力を持つのだ。この資格に基づき、序文を本の献立表にするという有害な習慣を、私は全面的に退け、反対を宣言する。怪物を見せ物にする者や、珍しい光景を小売りする連中が、扉の上に、生き写しの大きく美しい絵を掲げ、下へたいへん雄弁な説明を添えるのは、ひどく思慮を欠くことだと、私はいつも考えてきた。そのおかげで、何度三ペンスを節約できたことか。好奇心はすっかり満たされ、呼び込みの雄弁家が、最後の感動的な決まり文句、「旦那、誓って申しますが、たった今、始まるところです」でしきりに誘っても、中へ入ろうとはしなかった。序文、献辞、広告、序論、緒言、準備篇、読者へ、の今の運命も、まさにこれと同じなのである。この工夫も、最初は見事だった。偉大なドライデンは、とうに可能なかぎり推し進め、信じがたいほどの成功を収めた。彼は、内々に何度も私へ語ったものだ。自分がこれほど偉大な詩人だとは、世間は決して思いもよらなかっただろう、序文で何度も請け合い、疑うことも忘れることもできぬようにしておかなかったならば、と。ひょっとすると、そうなのかもしれない。だが私は、その教えが、教えるべきでない所まで届き、本人には意図もなかった点で、人を賢くしてしまったのではないかと、大いに恐れる。今の時代の、欠伸をする読者たちが、四十頁、五十頁の序文と献辞――近代では普通の分量だが――を、まるでラテン語でもあるかのように、怠惰な軽蔑をもって、ぱらぱらめくるのを見るのは、嘆かわしい。もっとも、他方では、それ以外は何も読まず、批評家や才人になる者も、非常に多いと認めねばならない。現在の読者は皆、この二派へ分けてよいと思う。さて、私は前者に属すると公言する。だから、自作の美しさについて長々語り、論説の輝かしい部分を見せびらかしたいという、近代の欲求を持つ以上、それを本文の中で行うのが最善だと考えた。現に、今ここへ置いたことで、本の厚みはかなり増している。熟練の著者なら、決して軽んじてはならぬ事情である。

こうして、求められもしない長い脱線と、挑発されもしない全面的な非難により、最新の著者たちの定着した習慣へ、しかるべき敬意と謝意を払った。多くの労苦と器用さで、自分の優秀さと他人の欠陥を無理に照らし出し、自分には大いなる公正を、彼らには寛容を尽くしたので、今こそ喜んで本筋へ戻り、読者と著者、双方を限りなく満足させることにしよう。

第6節
樽物語

ピーター卿と二人の兄弟が公然と決裂し、二人が家から永遠に追い払われ、ほとんど、あるいはまったく頼るものもなく、広い世間へ放り出されたところで、話を置いてきた。このような境遇は、著者の慈悲深いペンが働くのに、まさにふさわしい題材である。悲惨な場面は、大冒険の最も豊かな収穫を、いつでも与えてくれるからだ。ここに世間は、寛大な著者の誠実さと、ありふれた友人のそれとの違いを見ることができる。後者は、栄えている間はぴたりと寄り添い、運が傾くと、突然離れるものとされる。これに対し、寛大な著者は、まったく逆である。肥溜めの上で主人公を見つけ、そこから段階を踏んで王座へ上げると、すぐさま身を引き、労苦に対して感謝さえ期待しない。私はこの手本にならい、ピーター卿を立派な家へ入れ、帯びるべき称号と、使うべき金を与えた。そこへ、しばらく彼を残しておこう。そして、普通の慈悲が指図するところへ、すなわち、どん底にいる二人の兄弟を助けに戻ろう。ただし、歴史家としての役目は決して忘れず、何が起きようと、どこへ導かれようと、真実を一歩ずつ追ってゆくつもりである。

運命も利害も、これほど固く結ばれた二人の追放者は、一緒に宿を借りた。最初の暇ができると、これまでの人生の数えきれぬ不幸と煩いを振り返り始めた。どんな行いの過ちが、それを招いたのか、すぐにはわからなかったが、いくらか記憶をたどるうち、幸運にも取り戻した、父の遺言の写しを思い出した。さっそくこれを取り出し、すでに間違っているものは何でも改め、今後のあらゆる方針を、その指示へ最も厳しく従わせようと、二人で固く決意した。遺言の主要部分は、読者もそう簡単にはお忘れあるまいが、上着の着方についての、いくつかの見事な規則から成っていた。二人はそれを読むたび、一文ごとに、教えと実際をきちんと比べた。これほど大きく食い違う二つのものは、ほかに見たことがなかった。一つ一つ、恐ろしいほど、露骨な違反だった。そこで二人は、これ以上遅らせず、全体を父の手本へ正確に戻す作業に、ただちに取りかかろうと決めた。

だがここで、気の早い読者を引き止めるのがよかろう。われわれ著者が、しかるべき準備を整えてやる前に、冒険の結末を見たがる、いつも待ちきれない読者のことだ。この頃、二人の兄弟は、それぞれの名で区別され始めたと、記しておかなければならない。一人はマーティンと呼ばれたいと望み、もう一人はジャックと名乗った。この二人は、兄ピーターの圧政の下では、たいそう仲よく、意見も合って暮らしていた。苦しみを共にする者の得意なことだ。不幸な人々は、暗闇の中の人々に似て、どの色も同じに見えるからである。だが、世間へ進み出て、互いの姿を、また光の下へ、さらし始めると、その色合いは、まるで違って見えた。今の事情によって、二人は、それに気づく機会を、たちまち得たのである。

しかしここで、厳しい読者は、私を記憶の短い著者として、正当に責めてよい。これは真の近代人なら、どうしても多少は免れぬ欠点である。記憶とは、過ぎた物事へ精神を働かせることだから、輝かしいわが時代の学者には、まるで用のない能力なのだ。彼らはもっぱら創意を扱い、何もかも、自分自身から打ち出すか、少なくとも、互いにぶつかり合って火花を出す。だから私どもは、大いなる物忘れを、大いなる才知の反論不能の証拠として示すのが、たいへん理にかなうと考える。本来の順序なら、五十頁ほど前に、読者へ伝えておくべきだった。ピーター卿は、流行する飾りは何でも上着につけ、流行が過ぎても決して外さず、全部つけたままにするという気まぐれを思いつき、兄弟にも吹き込んだ。時がたつと、想像しうるうちで最も奇怪な、ごったまぜになった。三人が仲違いした頃には、元の上着の糸など、ほとんど見えず、途方もない量のモール、リボン、房飾り、刺繍、留め紐しか見えないほどだった。留め紐というのは、銀の先金つきのものだけで、ほかは落ちてしまっていた。さて、この大事な事情を、あるべき場所で言い忘れたが、幸いにも、二人が父の遺言の命ずる元の姿へ、服を改めようとしている、ちょうどここで、とても都合よく持ち出せるのである。

二人は、あるときは上着を、あるときは遺言を見つめ、一致して、この大事業に着手した。まずマーティンが手をつけた。一引きで、大きなひとつかみの留め紐を取り、二度目の引っ張りで、百二十ヤードの房飾りを剝ぎ取った。だが、そこまで進むと、しばらく考え込んだ。まだ、することがたくさん残っているのは、よくわかっていた。しかし、最初の熱が過ぎると、激しさも冷め、残りはもっと穏やかに進めようと決めた。すでに留め紐を外すとき、大きく裂くところを、きわどく免れたからである。前にも述べたとおり、先金が銀なので、分別ある職人が、落ちないよう、抜け目なく二重に縫いつけていたのだ。そこで、大量の金モールを上着から除こうと決めると、細心の注意で縫い目をほどき、進むたびに、ほどけた糸を丹念に拾い出した。これは時間のかかる仕事になった。次に、インド風の男、女、子供の刺繍へ取りかかった。しかるべき箇所でお聞きになったとおり、これについて、父の遺言はきわめて厳密で厳しかった。相当な器用さと熱心さによって、やがてそれらは、すっかり取り去られるか、形がわからなくなった。残りについては、刺繍があまりに細かく入っていて、生地を傷めずには取れない所や、職人たちが絶えずいじり回したためにできた、上着の本体の傷を隠し、補強している所では、そのまま残すのが最も賢いと結論した。何があろうと、生地の実質を傷つけまいと決め、それこそ、父の遺言の真の意図と意味にかなう最善の方法だと考えたのである。この大変革におけるマーティンの行動について、集められたうち、最も正確に近い説明は以上である。

だが、弟ジャックは、その冒険があまりに奇抜なので、この論説の残りの大部分を占めることになるのだが、別の考えと、まるで違う精神で、この仕事へ入った。ピーター卿に受けた仕打ちの記憶が、憎しみと意趣を生み、それが、父の命令を重んじる気持ちより、はるかに大きく彼を駆り立てた。父への配慮など、せいぜい二の次で、ほかの動機に従属するだけに見えたからだ。とはいえ、この気分の混ぜ物に、彼はどうにか、もっともらしい名を見つけ、「熱心」という称号を授けた。おそらく、どんな言語にも、これほど意味深い語は、まだ生まれていない。私は、この主題についての優れた分析的論説で、それを十分に証明したと思う。そこでは、熱心について、歴史学・神学・生理学の説明を導き出し、最初は一つの観念だったものが語となり、そこから暑い夏を経て、触れられる実体へと熟すさまを示した。この作品は、大判の二折本三巻から成り、近代流の予約購読方式で、ごく近く刊行するつもりである。この国の貴族や紳士たちは、すでに私の力量を味見しているのだから、できるかぎりの支援を寄せてくれるだろうと、疑っていない。

そこで記しておこう。兄弟ジャックは、この奇跡的な混合物を、なみなみと満たし、ピーターの圧政を怒りもって振り返り、さらにマーティンの弱腰に苛立ち、決意の前置きを、こんな趣旨で述べた。「何だって!」と彼は言った。「酒をしまい込み、われわれの妻を追い出し、財産を騙し取り、パンの皮を羊肉と押しつけ、最後には戸外へ蹴り出した悪党だぞ。その流行に、われわれも従えというのか。そのうえ、通り中が悪く言う、ならず者ではないか。」こうして、できるかぎり自分に火をつけ、燃え上がらせ、したがって改革を始めるのに、たいへん申し分のない気分となって、すぐに仕事へ取りかかった。三分で、マーティンが三時間で進めたよりも、多くを片づけた。親切な読者よ、御承知いただきたい。熱心さは、引き裂く仕事を与えられたときほど、喜ぶことはない。ジャックは、自分のこの資質に惚れ込んでいたので、このときは、存分に暴れさせた。こうして、一かたまりの金モールを、少し急ぎすぎて引き下ろすと、上着の本体が、上から下まで裂けてしまった[110]。しかも、縫い目を拾う腕前は、あまり幸せなものではなかったので、荷造り紐と串で縫い合わせる以上の方法を、思いつけなかった。だが、涙とともに記すが、刺繍へ進むと、事態は無限に悪くなった。生来不器用で、そのうえ気も短かった彼は、解くには最も繊細な手と、最も落ち着いた気性が要る、何百万もの縫い目を見て、激怒した。生地もろとも、全部を引きちぎり、溝へ投げ捨てた。そして、狂ったように作業を続けながら言った。「ああ、よい兄弟マーティン、神のために、私のようにしろ。剝げ、裂け、引け、引き破れ、みんな剝ぎ取れ。あの悪党ピーターと、できるだけ似ても似つかぬ姿になろうじゃないか。百ポンドもらっても、あんなならず者と血縁かと、近所に疑わせる印は、ほんの少しだって身につけたくない。」しかし、そのとき、ちょうどたいそう冷静で落ち着いていたマーティンは、頼むから、どんなことがあっても、上着を傷めぬようにと、弟に懇願した。同じものは、二度と手に入らないからだ。自分たちの務めは、ピーターの行いに反応して、自分の行いを定めることではなく、父の遺言に定められた規則を守ることだと、考えてほしいと言った。ピーターがどんな過ちや加害を犯そうと、なお自分たちの兄弟であることを忘れてはならない。だから、善悪の判断を、ただ彼への反対だけから決めるような考えは、何としても避けるべきだ。たしかに、善良な父の遺言は、上着の着方について厳密だが、兄弟間の一致、友情、愛情についても、同じように罰を伴い、厳しく命じている。だから、もし多少の無理な解釈を弁護できる場合があるなら、対立を増すためより、結束を進めるためのほうが、確かにそうなのだ、と。

マーティンは、話し始めたときと同じく、重々しく続けていた。きっと、すばらしい道徳の講義をしてくれただろうし、それは、読者の心身の休息――倫理学の真の究極の目的――に、たいそう役立ったかもしれない。しかしジャックは、とうに我慢の届く範囲を、一射程も飛び越していた。スコラ学派の論争では、答える側の、学者ぶった、わざとらしい平静ほど、反対する側の癇癪をかき立てるものはない。論者はたいてい、釣り合いの悪い天秤に似て、一方の重みが、もう一方の軽さをいっそう進め、勢いよく跳ね上がらせ、梁へぶつける。ここでも同じで、マーティンの議論の重さは、ジャックの軽さを高め、暴れ出させ、兄の節度へ蹴りつかせた。要するに、マーティンの忍耐が、ジャックを激怒させたのだ。だが、何より彼を苦しめたのは、兄の上着があれほど見事に、無垢の状態へ戻ったのに、自分のものは、肌着まで丸見えになるほど裂けているか、残忍な爪を免れた場所だけ、なおピーターの仕着せのままであることだった。だから彼は、酔った伊達男が、ごろつきに半分剝ぎ取られた姿か、入牢の礼銭を払わなかった、ニューゲートの新入りか、万引きが露見し、取引所の女商人たちの手に委ねられた者[111a]か、古びたビロードの下スカートをまとい、群衆の世俗の手に渡された取り持ち婆[111b]に似ていた。そのどれか、あるいは全部に似て、ぼろ切れ、モール、房飾りの入り混じる姿で、不幸なジャックは現れた。自分の上着をマーティンの状態にできれば、たいそう嬉しかっただろう。だが、マーティンのものが自分と同じ窮状になるなら、その無限倍も嬉しかっただろう。しかし、どちらも起こりそうになかったので、この件全体を別の向きへ転じ、仕方のないことを、美徳に着飾らせるのがよいと考えた。そこで、思いつくかぎりの狐の理屈を並べ、マーティンを、本人の言い方では道理へ、本人の意図では、自分と同じ、ぼろぼろで尻尾を切られた状態へ、引き込もうとした。だが、どれもほとんど役立たないとわかると、ああ、見捨てられたジャックに、何が残されていたというのか。兄へ百万の罵りを浴びせた後、癇癪と意趣と反抗で、気が狂うよりほかなかった。手短に言えば、ここで二人の間に、致命的な裂け目が生じた。ジャックはすぐに別の宿へ移り、数日のうちに、気がおかしくなったとの噂が、確かなものとして広まった。その少し後、彼は外へ姿を現し、病んだ脳が思いついたうちでも、最も奇妙な気まぐれに陥って、噂を裏づけた。

すると、街の子供たちは、さまざまな名前で、彼を呼び迎えるようになった。あるときは禿のジャック、あるときは提灯ジャック、あるときはオランダのジャック、あるときはフランスのヒュー、あるときは乞食のトム、あるときは北方の叩き屋ジャック、と呼んだ[112]。そして、これらの一つ、いくつか、あるいはすべての名の下に――その決定は、学識ある読者に委ねる――彼は、最も輝かしく、最も広く蔓延する、風崇拝者の宗派を生み出した。彼らは今も、名高いジャックを、その創始者にして設立者と認め、敬意をもって記念している。その起源と原理について、これから私は、たいそう詳しい報告をもって、世間を喜ばせようとしているのである。

「すべてを蜜の甘さで包みながら。」

第7節
脱線をたたえる脱線

木の実の殻に収まる『イリアス』という話は、ときどき聞いたことがある。だが、私のめぐり合わせでは、『イリアス』の中に木の実の殻が入っているものを、はるかによく見てきた。どちらからも、人間生活が驚くほどの利益を受けてきたことには、疑いがない。しかし、世間がとくにどちらへ恩を負うかは、好奇心ある方々の間に、最大限の探究に値する問題として、残しておこう。後者の発明について、学問の共和国は、主として、近代の脱線という大改良に恩を負うと、私は思う。近頃の知識の洗練は、わが国の食事の洗練と並行している。味のわかる人々のもとでは、さまざまな混ぜ物として料理され、スープ、大鍋の煮込み、フリカッセ、ラグーとなっているのである。

なるほど、こうした洗練された革新が、まったく気に入らないという、陰気で、けちをつけたがる、育ちの悪い連中もいる。食事のたとえについても、類似は認めるが、大胆にも、その例自体が、趣味の腐敗と退化だと言い放つ。五十ものものを、一皿でごちゃまぜにする流行は、もともと、堕落して放埒になった食欲と、壊れかけた体質に合わせて、導入されたのだという。大鍋の煮込みの中で、鵞鳥か、ヒドリガモか、ヤマシギの頭と脳味噌を探し回る者を見るのは、もっとしっかりした食べ物を受けつける胃と、消化力がない証拠だ、と。さらに、本の中の脱線は、国の中の外国軍に似ている、と彼らは断言する。国民に自前の勇気と腕がないことを示すもので、しばしば国民を征服するか、最も痩せた片隅へ追いやるのだ、と。

しかし、この高慢な検閲官たちが、どれほど反論を並べようと、一つのことは明らかだ。本筋に関係すること以外は何も述べてはならぬという、致命的な制限の下で本を書かせたら、著述家の社会は、たちまち取るに足りぬ人数へ縮んでしまうだろう。もし、私どもの境遇が、ギリシア人やローマ人の頃と同じなら、ということは認めよう。学問がまだ揺り籠にあり、創意に育てられ、食べさせられ、着せてもらっていた頃なら、ある題目で何巻も満たすのは、たやすい仕事だったろう。主な目的を進め、明らかにするための、穏やかな寄り道以上には、主題から外れずに済んだはずだ。しかし、知識は、豊かな国に野営した大軍のような運命をたどった。初めの数日は、足もとの土地の産物で暮らせる。やがて食糧が尽きると、味方であれ敵であれ、何マイルも先まで徴発隊を送る。その間、近隣の畑は踏みにじられ、打ち固められ、不毛で乾き切り、砂塵の雲以外には、何の糧も与えなくなる。

こうして、物事の流れ全体が、古代人と私どもの間で、すっかり変わり、近代人は賢くもそれを心得ている。そこで当代のわれわれは、読書や思考に疲れることなく、学者や才人になるための、もっと短く賢い方法を発見した。今のところ、最も洗練された本の使い方は二つある。第一は、ある人々が貴族に対してするように、本を扱うこと。肩書き、つまり表題を正確に覚え、それから知り合いだと自慢するのである。第二は、実際、こちらのほうが、選び抜かれ、深遠で、洗練された方法だが、索引を徹底的に知り尽くすこと。本全体は、魚が尾で向きを変えるように、索引によって操られ、動かされる。学問の宮殿へ正門から入るには、時間と儀式の費用がかかるので、せっかちで儀礼に無頓着な人々は、裏口から入ることで満足するのだ。諸学芸はすべて、逃げるように行軍しているのだから、後ろから攻撃すれば、いっそうたやすく征服できる。このように、医者は後ろから出るものだけを調べ、全身の状態を見抜く。このように、人は才知を本の尻へ投げつけ、知識を捕まえる。子供が雀の尾へ塩を投げて捕まえるのと同じである。このように、賢者の教えどおり、終わりを見れば、人の生は最もよくわかる。このように、学問も、ヘラクレスの牛のように、後ろ向きの足跡をたどって見つかる。このように、古い学問は、古い靴下のように、足先からほどかれるのである。

これに加えて、近頃、諸学問の軍隊は、たいへんな軍紀によって密集隊形へまとめられ、ずいぶん素早く、全体を見渡し、点呼できるようになった。この大きな祝福は、すべて、体系書と摘要のおかげである。近代の学問の父たちは、賢い高利貸しのように、私ども子供が楽をできるよう、汗を流した。労苦は怠惰の種であり、その実を収穫できるのは、わが高貴な時代だけに与えられた幸福なのだ。

さて、賢く、学識を備え、崇高になる方法が、これほど規則正しくなり、その形式もすべて確立された以上、著述家の数も、それに応じて増えたに違いない。その数は、絶えず互いの邪魔をせずにはいられぬほどに達した。そのうえ現在、自然界には、どんな一つの主題でも、一巻分になるまで満たし、飾り立てるほどの、新しい材料は残っていないと見積もられている。これは、たいそう熟練した計算家から聞いた。その人は、算術の規則によって、完全に証明してくれたのである。

これには、物質の無限性を唱え、したがって、そのどんな種類も尽きることはないと主張する者から、反論があるかもしれない。その答えとして、近代の才知、または創意のうち、最も高貴な枝を調べてみよう。当代が植え、育て、ほかのどれよりも多く、美しい実を結ばせた枝である。その名残を、古代人もいくらか残してはくれたが、私の記憶では、そのどれも、近代人のために翻訳されたり、体系へまとめられたりはしていない。だから、自分たちの名誉のため、ある意味では、同じ手で発明もし、完成もさせたと言ってよい。私が意味するのは、近代の才人の間で、高く称賛される才能である。男女それぞれの性のしるしと、その本来の用途から、たいそう意外で、楽しく、ぴったりした比喩、ほのめかし、応用を導き出す才能のことだ。実際、この水路へ流し込まれたもの以外、どれほど少しの創意しか流行しないかを見て、私はときどき、こう思ったことがある。わが時代と祖国の幸せな天才は、古代のインドの小人族の寓意的な記述によって、預言されていたのではないか。身の丈は二フィートを超えないが、陰部は太く、足首まで届くという、あの人々である。さて、私は、この種の美がとくに目立つ近頃の作品を、たいそう熱心に調べてきた。この血管からは、ずいぶん盛んに血が流れ、人間の息にできるあらゆる努力によって、広げ、伸ばし、開いたままに保とうとしてきた。牝馬の乳を多く出させるため、その部分へ息を吹き込む習慣と道具を持った、スキタイ人[116]のように、である。それでも、もう干上がりかけ、回復の見込みもないのでは、と私は心配している。可能ならば、機知の新しい財源を用意するか、さもなければ、ほかのあらゆる場合と同じく、ここでも繰り返しで満足しなければならないのだろう。

これは、近代の才人が、物質の無限性を恒常的な供給源として当てにできない、という争いようのない証拠となるだろう。ならば最後の頼みとして、大きな索引と小さな便覧へ訴える以外、何が残されているか。引用をたっぷり集め、アルファベット順に帳面へ記さねばならない。そのために、著者自身を調べる必要はほとんどないが、批評家、注釈者、辞書は、注意深く調べる必要がある。とりわけ、輝くくだり、名文、注目点を、分別をもって集める収集家たちには、細心の注意で取り組まねばならない。彼らを、学問の篩や粉ふるいと呼ぶ者もいる。ただし、扱っていたのが真珠か粉か、したがって、通り抜けたものと、残ったものの、どちらをいっそう尊ぶべきなのかは、まだ決まっていない。

こうした方法で、数週間もすると、最も深遠で普遍的な主題を扱える著者が、何人も現れる。抜き書き帳がいっぱいなら、頭が空っぽでも、何の問題があろう。構成、文体、文法、創意といった細目さえ、少し大目に見てやればよい。他人から書き写し、自分の本筋からは、必要と思うたびに脱線するという、ありふれた特権さえ許せばよい。そうすれば、書店の棚でたいそう立派に見える論考を仕立てるために、ほかの材料は何も要らぬと言うだろう。本はそこで、表題という紋章を、札に美しく書き込まれて飾り、長い永遠の間、きちんと清潔に保存される。学生に手垢や脂をつけられることもなく、図書館で、永遠の暗闇の鎖につながれることもない。やがて時が満ちれば、空へ昇るため、幸いにも煉獄の試練にかけられるのである。

こうした特別扱いなしに、わが近代の才人は、性質の異なる何千もの見出しの下へ並べた収集物を、どうして持ち出せよう。それがなければ、学問の世界は、無限の楽しみと教訓を奪われ、私ども自身も、救いようのない、名誉も区別もない忘却の中へ、葬られてしまうではないか。

こうした要素のおかげで、著述家組合が、野にあるほかのすべての同業者をしのぐ日を、私は生きて目にしている。この幸福も、ほかの多くの幸福とともに、スキタイの先祖から受け継いだものだ。彼らの間には、羽根ペンがあまりに無限にあったので、ギリシアの雄弁も、遠い北の地方では、空気そのものが羽根でいっぱいで、人が旅するのはほとんど不可能だった、と言うほか、表現するすべがなかったのである。

この脱線の必要性は、その長さを容易に許してくれるだろう。置き場所も、すぐ見つけられるうちでは、できるだけ適切な所を選んだ。判断力ある読者が、もっとふさわしい場所を指定できるなら、ここで権限をお与えしよう。お好きな、ほかのどの隅へでも、移していただいてよい。こうして私は、たいそう軽快に、もっと重要な用件の続きを追うことにする。

第8節
樽物語

学識ある風崇拝者たちは、万物の根本原因は風だと説く。この全宇宙は、最初その原理から生まれ、最後には、そこへ還らなければならない。自然の炎を点じ、吹き起こしたのと同じ息が、いつかそれを吹き消すのである。

「舵を取る運命の女神よ、その災いを、われわれから遠くへそらしたまえ。」

これは、秘術の達人たちが、世界霊魂という名で理解するもの、すなわち、世界の霊、または息、または風にほかならない。あるいは、自然の個々の事物から、この体系全体を調べてみれば、争う余地がないとわかるだろう。人間に形を与える形相を、スピリトゥス、アニムス、アフラトゥス、アニマ、そのどの名で呼ぼうと、それらはみな、風の異名ではないか。風こそ、あらゆる複合体を支配する元素であり、腐敗すれば、すべてがそこへ還るのである。さらに、生命そのものも、一般に言われるとおり、鼻孔の息にほかならないではないか。そこから、博物学者は、まことに正しく観察している。名指しできぬ、ある種の秘儀では、風が今も大いに役立つ。それゆえ、送り出す器官にも、受け入れる器官にも、「膨れた」「吹きふくらんだ」という、幸せな形容が与えられるのだ、と。

古い記録から集めたところによると、彼らの教説の羅針盤は、三十二方位を含んでいたらしい。あまり詳しく記しては、退屈になるだろう。しかし、そこから導かれる、最も重要な教えをいくつか、決して省くわけにはいかない。中でも、次の格言は、たいそう重んじられた。風は、どの複合体でも、量においても働きにおいても、最大の部分を占める。したがって、この根源物質が、とくに豊かに満ちている存在こそ、最も優れているはずだ。それゆえ、人間は、すべての被造物の中で、最高の完成にある。哲学者たちの大いなる気前のよさにより、三つの異なる魂、つまり風を授かっているからである。賢い風崇拝者たちは、たいそう寛大にも、それに第四を加えた。ほかの三つと同じく、必要でもあれば、飾りにもなるものだ。この第四の原理によって、世界の四隅を取り込んだのである。これがきっかけで、名高いカバラ学者ボンバストゥス[119a]は、人間の体を、東西南北の四方位へ、正しく位置づけた。

この結果、次の原理が生まれた。人間は世に生まれるとき、固有のひと分け、あるいは一粒の風を持参する。それは、ほかの四つから抽出された第五精髄と呼んでもよい。この精髄は、人生のあらゆる急場に普遍的に役立ち、あらゆる学芸へ発展させられ、教育の一定の方法によって、驚くほど洗練することも、膨らませることもできる。完成まで吹きふくらませたら、欲深くしまい込み、押し殺し、枡の下へ隠すのではなく、人類へ惜しみなく分け与えねばならない。この理由と、同じほど重い、ほかの理由から、賢明な風崇拝者たちは、げっぷの賜物こそ、理性的な生き物の最も高貴な行為だと断言する。この技を育て、人類の役にいっそう立たせるため、彼らはさまざまな方法を使った。一年のある時期には、彼らの祭司が、大勢で口を大きく開け、嵐へ向かっているのを見ることができた。別のときには、数百人が輪につながり、一人ずつ、隣人にふいごをあてがい、互いを大樽の形と大きさへ膨らませているのが見られた。このため、実に適切な言葉遣いで、自分の体を、ふつう「器」と呼んだ[119b]。こうしたことや、それに類する行いで、十分満ち足りると、すぐに出かけ、獲得したもののたっぷりした分け前を、公共のため、弟子たちの口へ放出した。ここで注意しておかねばならないが、彼らの間では、すべての学問は、同じ原理から組み立てられると考えられていた。第一に、学問は人を膨れ上がらせると、一般に断言され、認められているからである。第二に、次の三段論法で証明したからだ。「言葉は風にすぎず、学問は言葉にすぎない。ゆえに、学問は風にすぎない。」このため、彼らの哲学者たちは、学堂で、生徒へあらゆる教義と意見を、げっぷによって伝えた。それについては、驚くべき雄弁と、信じがたいほどの多様さを身につけていた。しかし、主だった賢者をいちばんよく見分けられる大きな特徴は、ある顔つきだった。内側の塊を、霊がどの程度、どの割合で揺り動かしているか、疑いのない情報を与えてくれるのだ。いくらか腹が差し込んだ後、風と蒸気が外へ出る。その前には、内部の乱れと痙攣によって、人間という小世界で地震を起こし、口を歪め、頬をふくらませ、目を恐ろしいほど浮き上がらせる。この局面でのげっぷは、すべて神聖とされ、酸っぱいほどよく、痩せた信者たちに、限りない慰めとともに飲み込まれた。そして、いっそう完全なものにするため、人の命の息は鼻孔にあるという理由から、最上で、最も教化的で、最も生気に富むげっぷは、賢くも鼻という通り道を通され、途中で風味をつけられたのである。

彼らの神々は四方の風であり、宇宙を貫き、活気づける霊として、また、あらゆる霊感はそこからのみ来ると、正しく言いうるものとして、崇拝された。だが、その中の首位、最高の礼拝を捧げられたのは、全能の北風だった。これは古い神で、ギリシアのメガロポリスの住民も、最高の崇敬を払っていた。「あらゆる神々のうち、北風を最もたたえる。」[120] この神は、どこにでもいる力を備えながら、とくに一つの住まい、正式に言えば火天を持ち、そこではいっそう身近に臨在すると、深遠な風崇拝者たちは考えた。その場所は、古代ギリシア人によく知られた、ある地方にあった。彼らはそこをスコティア、暗闇の国と呼んだ。この問題には多くの論争があるが、少なくとも一つは争われていない。最も洗練された風崇拝者は、似た名の地方に起源を負っている。各時代の、熱心な祭司たちは、最上の霊感を、そこから持ち帰ってきた。自分の手で、ある種の袋に源泉から汲み、あらゆる国の宗徒へ向けて破裂させたのだ。宗徒たちは、それを求め、日々あえぎ、息を切らしてきたし、今もそうし、これからも永遠にそうするだろう。

さて、彼らの秘儀と祭式は、次のように行われた。昔の物知りたちが、風を樽や桶に入れ、運び、保存する工夫を持ち、長い航海で大いに役立てたことは、学者の間でよく知られている。今、これほど有用な技が失われたのは、まことに嘆かわしい。どうしたことか、パンチロルスも、ひどく不注意に、この件を落としているが。この発明は、アイオロス自身によるとされ、宗派の名も、この神から取られた。創始者の記憶を尊び、彼らは今日まで、その樽を大量に保存している。そして、まず天板を打ち抜いてから、寺院ごとに一つを据える。儀式の日には、祭司がこの樽へ入る。すでに述べた方法で、あらかじめ十分に身を整えているが、さらに樽の底へ、秘密の漏斗が通される。それが北向きの隙間から、新しい霊感を補給する。すると、たちまち彼が、器と同じ形、大きさへ膨れ上がるのが見える。この姿勢で、下からの霊が語らせるまま、嵐を丸ごと、聴衆へ吐き出す。それは内陣と奥の聖所から出るため、相当の痛みと腹の差し込みを伴う。そして、噴き出す風は、海面に対すると同じように、その顔を扱う。まず黒ずませ、次に皺立たせ、最後に泡を噴かせるのである。この姿で、神聖な風崇拝者は、神託のげっぷを、息を切らす弟子たちへ授ける。ある者は、聖なる息を求めて、貪欲に口を開け、ほかの者は、その間ずっと風をたたえて唱和する。自分たちの唸るような声に、ゆるゆると前後に揺られ、なだめられた神々の、穏やかなそよ風を表すのである。

ある著者たちが、この風崇拝者は、世界でたいそう古いものだと主張するのは、祭司のこの習慣からである。今述べた秘儀の伝え方が、ほかの古代の神託と、まったく同じに見えるからだ。その霊感も、地下から出る、ある種の風の発散に負い、祭司に同じ痛みを与えて発せられ、民衆にも、ほぼ同じ作用を及ぼした。もっとも、古代の神託は、しばしば女性の役人によって取り仕切られた。女性の器官のほうが、その神託の突風を受け入れるのに適していると、理解されていたからである。風は、もっと容量の大きな受け口から入り、上へ抜け、道すがら、ある種のむずがゆさを引き起こす。それは適切に扱えば、肉体の恍惚から、霊の恍惚へと精製できるものだった。この深遠な推測を強めるため、さらに次の点も主張される。女祭司の習慣は、近代の風崇拝者の、とくに洗練された、ある種の学寮で、今も保たれている[122]。彼らは、先祖の巫女シビュラたちのように、先に述べた受け口を通じて来る霊感を受け入れることで、一致しているのだ。

さて、人間の心は、思考に拍車と手綱を与えると、決して止まらず、高低、善悪、その両極へ自然に飛び出してゆく。空想の最初の飛翔は、ふつう、最も完全で、完成し、高められたものの観念へと運ぶ。やがて、自分の手も目も届かぬところまで舞い上がると、高さと深さの境が、どれほど近く接するかをよく見分けられず、同じ進路と翼のまま、物事の最も低い底へ、どさりと落ちる。東へ旅して西へ至る者、あるいは、自分の長さによって円へ引き曲げられる直線のようである。わが本性に混じる悪意が、輝かしい観念の一つ一つに、裏面を用意することを好ませるのか。それとも、万物を照らす理性は、太陽のように、地球の半分しか明るくできず、残る半分を、いやでも影と闇に置くのか。それとも、最も高く、最良のものを思い描こうと飛び上がった空想が、力不足となり、消耗し、疲れ果て、死んだ極楽鳥のように、突然、地面へ落ちるのか。それとも、これほどの形而上学的推測を尽くして、真の理由を、私はまったく外しているのか。ともかく、これだけの前置きを費やした命題は、完全に真実である。最も文明化していない人々も、どうにかして、神、あるいは至高の力の観念へ登りつめると、たいてい、自分の恐れのために、ある種のぞっとする観念を用意するのを忘れなかった。もっとよいものの代わりに、それが悪魔として、まずまずの役を果たしたのである。この手順は、十分自然に見える。想像力を非常に高く上げた人々は、体を非常に高く上げた人々と同じだ。上を間近に眺める利点を喜ぶと同時に、下の崖の陰惨な眺めに、同じほど怯える。こうして、悪魔を選ぶ際、人類はふつう、自分で作った神と、最も反対の存在を、実際にあるものから、または幻の中から、選び出した。風崇拝者の宗派もまた、二つの悪しき本性への恐れ、嫌悪、憎しみに取りつかれた。自分たちの拝む神々との間に、永遠の敵対が定められたものだ。第一はカメレオンで、霊感の誓った敵だった。彼らの神の大きな影響を、軽蔑しながら食い尽くし、げっぷで、ほんの一息も払い戻さなかった。もう一つは、ムーラン・ア・ヴァンという、巨大で恐ろしい怪物だった。四本の強い腕で、彼らのすべての神と永遠に戦い、巧みに回って打撃を避け、利息をつけて打ち返したのである[123]。

こうして神々だけでなく悪魔までそろえ、支度を整えたのが、名高い風崇拝者の宗派である。今日、世間でこれほど輝かしい姿を見せており、あの洗練されたラップ人という国民も、疑いなく、その正真正銘の一派である。だから、ここで彼らを、うやうやしく挙げずに済ませるのは、公正を欠く。利害においても好みにおいても、わが国の同胞たる風崇拝者と、たいそう密接につながっているからだ。同じ商人から、風を卸売りで買うだけでなく、同じ値段と方法で、よく似た客へ小売りしているのである。

さて、ここに示した体系を、ジャックがすべて編み出したのか、それとも、ある著者たちの考えるとおり、むしろデルフォイの原型を書き写し、時代と事情に合う追加や修正を施したのか、私は断定しない。確かに言えるのは、少なくともジャックが、それに新しいひねりを与え、ここで私が説明したとおりの姿と型へ仕立てた、ということだ。

私が特別な敬意を抱く人々の集まりへ、公正な扱いを与える機会を、私は長く待ち望んできた。その意見も実践も、敵の悪意や無知によって、甚だしく歪められ、中傷されてきたのである。偏見を取り除き、物事を最も真実で、最も公平な光の下へ置くことは、人間の行為のうち、最も偉大で、最もよいものの一つだと、私は考える。だから、良心と名誉と感謝以外、自分の都合は何も顧みず、大胆にも、その仕事を引き受けるのである。

第9節
国家における狂気の起源・効用・発展についての脱線

この名高い宗派の成立と創設が、私の描いたジャックのような人物、知性がひっくり返り、脳が自然な位置から揺すり出された人物によるものだからといって、その正当な評判が、いささかも損なわれることはない。この状態を、私どもはふつう病と考え、狂気、または錯乱と呼ぶ。だが、一人の人間の影響によって、世界で成し遂げられた最も偉大な行為を見渡してみよう。征服による新しい帝国の樹立、哲学の新体系の発展と進歩、新しい宗教の考案と普及が、それにあたる。これらの創始者は皆、食事、教育、ある特定の気質の優勢、それに空気や気候の特殊な影響によって、生来の理性に大きな変革を受け入れた人物だったとわかるだろう。そのうえ、人間の心には、個人に固有の何かがあり、ある事情が偶然近づき、ぶつかると、容易に火がつく。その事情は、取るに足りず、卑しく見えても、しばしば、人生最大の事件へと燃え広がる。大転換は、いつでも強い手で起こされるのではなく、幸運な取り合わせと、適切な時機によっても起こる。そして、蒸気がひとたび脳へ昇れば、どこで火がついたかは、どうでもよい。人間の上部の領域は、大気の中間の領域と同じようにできているからだ。材料は、最も異なる原因から作られても、ついには同じ物質と効果を生む。霧は地面から、湯気は肥溜めから、蒸気は海から、煙は火から昇る。それでも雲はすべて、組成においても、もたらす結果においても同じであり、便所から出る煙も、祭壇の香と同じほど、立派で有用な蒸気を供給する。ここまでは、容易に認めてもらえるだろう。すると、次のことが帰結する。自然の顔は、曇り、乱れなければ、雨を生まない。それと同じく、脳に座を占める人間の理解力も、下位の機能から昇る蒸気に乱され、覆われねばならない。創意に水を与え、実り豊かにするためである。さて、すでに述べたように、この蒸気の起源は、空の蒸気と同じくさまざまだが、生み出す収穫が、種類においても程度においても違うのは、もっぱら土壌の違いによる。今の主張を証明し、説明するため、二つの例を挙げよう。

ある偉大な君主[126a]が、強大な軍を集め、金庫を無限の財宝で満たし、無敵の艦隊を整えた。それも、有力な大臣にも、最も親しい寵臣にも、計画のほんの一部さえ知らせずに、である。たちまち世界中が驚き、近隣の王たちは、嵐がどこへ破裂するのかと、震えながら待ち構え、小政治家たちは至る所で、深遠な推測を組み立てた。世界全体の君主になろうと企てたのだと信じる者もいた。多くを見抜いた末に、教皇を引き倒し、かつて自分も属していた改革派の宗教を打ち立てる計画だと、決めつける者もいた。さらに洞察の深い者は、彼をアジアへ送り、トルコ人を征服し、パレスチナを奪回させた。こうした計画と準備のさなか、一人の国家外科医[126b]が、これらの症状から病の性質を見抜き、治療を試みた。一撃で手術を施し、袋を破ると、蒸気は外へ飛び出した。完全な治療にするために、何一つ足りないものはなかった。ただ、運悪く、処置の最中に君主が死んでしまっただけである。さて読者は、諸国をあれほど長く呆然と見とれさせた蒸気が、どこから生じたか、たいそう知りたくなっているだろう。どんな秘密の車輪、どんな隠れたばねが、こんな驚くべき機械を動かしたのか。この装置全体の動きを導いたのは、敵国へ移って不在となった、一人の女だったと、後で判明した。このような微妙な境遇で、不幸な君主に何ができよう。詩人の、決して失敗しない処方、「どんな体ででも」を試したが、むだだった。というのも、

「心は、恋に傷つけられた、その体を求める。
打たれた所へ向かい、結ばれようと焦がれる。」――ルクレティウス。

あらゆる平和な努力を尽くしても甲斐がなかったので、たまった精液の部分は、かき立てられ、熱を帯び、焼けつき、胆汁へ変わり、脊髄の管へ向きを変えて、脳へと昇った。自分を振った女の窓を、ごろつきに割らせるのと、まったく同じ原理が、自然に、偉大な君主を駆り立て、強大な軍を集め、包囲、会戦、勝利以外、何も夢見なくさせるのである。

もう一つの例は、きわめて古い著者のどこかで読んだ、強大な王の話である[127a]。彼は三十年以上もの間、町を取っては失い、軍を破っては破られ、君主を領国から追い出し、子供をおびやかして、バターつきのパンから引き離し、焼き、荒らし、略奪し、竜騎兵を差し向け、臣民も異邦人も、友も敵も、男も女も虐殺することを、楽しみにしていた。各国の哲学者は、自然的、道徳的、政治的な原因について、真面目に論争し、この現象の根本的説明を、どこに求めるべきか探したと、記録されている。とうとう、英雄の脳を活気づけていた蒸気、または霊は、絶えず循環するうち、西洋麝香[127b]を供給することで名高い、人体のある領域を捕らえた。そこで腫れ物へ集まり、その間だけは、世界の残りを平和にしておいた。これほど大きな結果を生むのは、発散したものが、どこへ定着するかであり、どこから来たかは、それほど取るに足りない。上へ進めば王国を征服するのと同じ霊も、肛門へ降りれば、痔瘻に終わるのだ。

次は、哲学に新体系を持ち込む偉人たちを調べよう。誰もが、知りえないと認める物事について、それほど熱心に新しい体系を打ち立てようと思いつく性向は、人間の魂の、どの機能から生じるのか。どんな種から芽生えるのか。そして、この大革新者たちは、多くの弟子を得たことを、人間性のどんな性質に負うのか。わかるまで探してみよう。というのも、彼らの主だった者のうち、古代にも近代にも、頭がおかしくなった、正気を失った人物だと、敵対者から、実際には自分の弟子を除く皆から、ふつう誤解された者が何人もいたことは明らかだからだ。日常の言葉や行いにおいて、彼らは、磨かれぬ理性の俗な指図とは、たいそう異なる方法に従っていた。各自のやり方は、今日のベドラム学園にいる、疑いのない後継者たちと、概して一致していた。その功績と原理は、しかるべき箇所で、さらに調べよう。この種の人には、エピクロス、ディオゲネス、アポロニオス、ルクレティウス、パラケルスス、デカルトなどがいた。彼らが今の世にいて、弟子から引き離され、きつく縛られていたら、見分けのつかぬわが時代では、瀉血、鞭、鎖、暗室、藁の、明白な危険にさらされるだろう。というのも、自然な状態、自然な思考の道筋にある人間の誰が、人類すべての観念を、自分のそれと、まったく同じ長さ、幅、高さにそろえられるなどと、考えたことがあろう。だが、理性の帝国の革新者たちは皆、最初にこのつつましく礼儀正しい計画を持つ。エピクロスは、あらゆる人々の意見が、絶え間なく、鋭いものと滑らかなもの、軽いものと重いもの、丸いものと四角いものと、押し合いへし合いした後、ある偶然の集まりによって、いつか、ある種の偏りを通じ、原子と空虚の観念へ結びつく、と控えめに希望した。万物の起源で、原子と空虚がそうしたように、である。デカルトは、死ぬ前に、すべての哲学者の意見が、その空想的な体系の小さな星々のように、自分の渦へさらわれ、引き込まれるのを見られると、見込んでいた。さて、このような想像が、ある人々の中に生まれるのを、どう説明できるのか、ぜひ教えていただきたい。私の示した、下位の機能から蒸気が昇り、脳を覆い、そこで概念へと蒸留される現象に頼らずに、である。そうした概念に、わが母語の乏しさは、いまだ狂気、または錯乱以外の名を与えていない。だから今度は、これらの偉大な処方者が、なぜ必ず、自分と自説のために、盲従する弟子を大勢そろえられるのか、推測してみよう。理由は容易に示せると思う。人間の理解力の調和には、ある固有の弦があり、いくつもの個人の間で、まったく同じ調律になっているのだ。それを巧みに、正しい音高へ締め上げ、軽く弾く。幸運にも、同じ音の者たちの中へ行き当たれば、彼らも、秘密の必然的な共鳴によって、まったく同時に鳴り出す。この一事情に、事の技術、あるいは幸運のすべてがある。もし、自分より高いか低い音の者たちの間で、うっかり弦を鳴らせば、教説に賛同するどころか、彼らはあなたを縛りつけ、気違いと呼び、パンと水をあてがうだろう。だから、人と時の違いに応じて、この高貴な才能を見分け、適応させるのは、最も繊細な身の処し方の問題なのである。キケロは、この点をよく心得ていた。イングランドにいる友人へ手紙を書き、ほかの注意とともに、わが国の辻馬車の御者に騙されぬよう警告した際――当時も今と同じく、とんだ悪党だったらしい――次の注目すべき言葉を記している。「少しは賢く見える土地へ来たことを、喜んでもよかろう。」[129] 大胆に真実を言えば、ある集まりでは哲学者として扱われうるのに、別の集まりでは愚か者に見えるよう、事を下手に運ぶのは、致命的な失敗なのだ。知り合いのある紳士方には、たいそう時宜にかなうほのめかしとして、心にしまっていただきたい。

実際、これこそ、かの立派な紳士、私のたいそう才気ある友人、ウォットン氏の、致命的な誤りだった。その考えを見ても、外見を見ても、大きな計画と実行のために定められたらしい人物である。新しい宗教を広めるため、これほど適切な心身の資質を備えて、公の場へ進み出た人は、きっと誰もいなかった。ああ、むなしい哲学へ誤って使われた、その幸せな才能が、夢と幻という、ふさわしい水路へ向けられていたなら。そこでは、心と顔の歪みが、それほど絶大な役に立つのだから。そうすれば、卑しく、中傷好きな世間も、何か具合が悪い、脳が不幸な揺れを受けた、などという噂を流す勇気はなかっただろう。仲間の近代派たちまで、恩知らずにも、私が今書いている屋根裏部屋へ届くほど、大きな囁き声で言っている、あの噂を。

最後に、熱狂の源泉をのぞこうとする者は、いつの時代にも、そこから絶えず肥沃な流れが出てきた、その水源が、流れそのものと同じほど、濁り、泥だらけだったと見つけるだろう。世間が狂気と呼ぶ、この蒸気が少し混じるだけで、これほど大きな利益がある。その助けなしには、世界は、征服と体系という二つの大いなる祝福を失うばかりか、人類すべてが、不幸にも、目に見えない物事について、同じ信仰へ引き戻されてしまうのである。さて、先の要請、すなわち、この蒸気がどこから来るかは問題ではなく、理解力へどんな角度で当たり、広がるか、あるいは、どんな種類の脳へ昇るかが問題だ、ということを認めよう。そうすると、繊細で好奇心ある読者のため、この羽根を裂き、理由を一つずつ分けて示すのは、たいそう微妙な仕事となる。脳における、この個体ごとの違いが、同じ蒸気から、なぜあれほど大きく異なる効果を生み、アレクサンドロス大王、ライデンのジャック、デカルト氏を、それぞれ別人たらしめる唯一の点となるのか、という問題だ。これは、私がこれまで携わったうち、最も抽象的な議論であり、能力を限界まで引き伸ばす。どうか読者には、最大限の思い入れをもって注意していただきたい。いよいよ、この結び目の多い問題を解きほぐすのである。

人類には、ある……〔ここで多くが欠落している〕……そして、これこそ、この問題の明白な解決だと、私は考える。

こうして、この入り組んだ難問を、細部まで通り抜けた以上、読者はきっと、次の結論で私に同意するだろう。近代人が狂気という語で、ただ、下位の機能から立ち昇る、ある種の蒸気の力による、脳の乱れ、または位置の転換を意味するなら、この狂気こそ、帝国、哲学、宗教に起きた、あらゆる大革命の親だったのである。脳が自然な位置と穏やかな状態にあると、その持ち主は、自分の力、理屈、幻に大勢を服従させようなどと考えず、ありふれた形で人生を送ろうとする。人間の学問を手本に理解力を形作れば作るほど、自分だけの考えに従う党派を作る気はなくなる。学問は、自分自身の弱さと、人々の頑固な無知を、ともに教えるからだ。だが、空想が理性の背にまたがり、想像力が感覚と殴り合い、普通の理解力と常識が戸外へ蹴り出されると、最初に改宗させる相手は、自分自身となる。それさえ済めば、ほかの者を引き入れるのは、それほど難しくない。強い妄想は、内からと同じ勢いで、外からも作用するからだ。もったいぶった御託と幻は、耳と目に対して、くすぐりが触覚に与えるのと同じ働きをする。人生で最も重んじる楽しみや快楽は、感覚を騙し、からかうものなのだ。一般に幸福と呼ばれるものを、理解力についても感覚についても調べれば、その性質と付随物は、すべて、次の短い定義へ群れ集まるだろう。幸福とは、うまく騙されている状態を、絶えず保つことである。まず、心または理解力についていえば、虚構が真実に対して、どれほど大きな利点を持つかは明らかで、その理由はすぐ手近にある。想像力は、運命や自然が、わざわざ用意するよりも高貴な景色を築き、驚くべき変転を生み出せるからだ。この選択に導かれる人間も、それほど責められはしない。議論は、ただ、過ぎたものと、思い描かれたものの間にあるにすぎないからだ。問題は、つまりこういうことである。想像の中に場所を占めるものも、記憶に座を占めるものと同じように、存在すると言ってよいのではないか。これは正当に肯定してよく、前者にはたいへん有利な答えとなる。想像は、物事の母胎と認められる一方、記憶は、ただ墓でしかないとされるからである。また、この幸福の定義を、感覚に関して調べれば、驚くほどぴたりと合うと認められるだろう。欺きという乗り物で運ばれてこない物は、どれも、なんと悲しく、味気なく、われわれに迫ることか。自然の鏡に映ると、何もかも、なんと縮んで見えることか。人工の媒介、偽りの照明、屈折した角度、ニス、金ぴかの飾りが助けてくれなければ、はかない人間の幸福と楽しみは、大いに低くならされてしまうだろう。世間がこれを真剣に考えるなら――まずそうしないのではと疑う、ある理由が私にはあるが――弱点をさらし、欠陥を公表する技を、高度な知恵の一つには、もう数えなくなるだろう。私に言わせれば、それは、仮面を剝ぐことと、よくも悪くも同じ仕事だ。仮面を剝ぐことが、公正な扱いとして認められたことは、世間でも、芝居小屋でも、なかったと思う。

信じやすさが、好奇心より穏やかな心の財産であるのと同じ割合で、表面を相手にする知恵は、物事の奥へ入り、やがて重々しく戻ってきて、中身は何の役にも立たないと、報告や発見を述べる、あの哲学もどきに勝る。あらゆる物が、最初に訴える二つの感覚は、視覚と触覚である。これらは、色、形、大きさ、その他、物体の外側にあるか、技巧によってそこへ描かれた性質以上には、決して調べない。そこへ理性が、お節介にも、切り、開き、刻み、穿つ道具を持って現れ、最後まで同じ中身ではないと、証明してみせようと申し出る。私は、これをすべて、自然を歪める究極の仕業と考える。自然の永遠の法の一つは、最上の家具を前へ出しておくことだからだ。そこで、今後、こうした高価な解剖の費用を節約するため、読者に知らせておこう。このような結論では、理性は確かに正しい。私の知る物体の大半は、内側より外側のほうが、無限に好ましい。近頃の実験で、私はさらに確信を深めた。先週、皮を剝がれた女を見た。その姿が、どれほど悪く変わったか、信じていただきにくいほどだ。昨日は、伊達男の死体を、目の前で裸にさせた。すると一同、一そろいの衣服の下から、思いもよらぬ欠点が、これほど多く現れたことに驚いた。次に、脳、心臓、脾臓を切り開いたが、処置のたびに、進めば進むほど、欠陥が、数も大きさも増すのが、はっきりわかった。以上から、私は正当に、自分のため、こう結論した。自然の傷や不完全さを、つぎはぎして塞ぐ技を発見できる哲学者、あるいは計画屋は、今これほど尊ばれている、傷を広げ、さらす技より、人類に大いに功をなし、もっと有益な学問を教えるだろう。解剖を医学の究極の目的と考えた、あの人のような技よりも。そして、運と性向によって、この高貴な技の実りを楽しめる、都合のよい位置に置かれた者は、エピクロスとともに、物の表面から感覚へ飛んでくる薄膜と映像で、自分の観念を満足させられるなら、真に賢い人なのである。自然の上澄みのクリームをすくい、酸っぱいものと滓は、哲学と理性に舐めさせておく。この崇高で洗練された幸福の境地こそ、「うまく騙されている状態を保つこと」、悪党たちの間で愚か者でいる、澄んだ穏やかな状態なのだ。

だが、狂気へ戻ろう。先に導き出した体系によれば、そのあらゆる種類は、蒸気の過剰から生じることが確かである。だから、ある種の錯乱が筋に倍の力を与えるように、別の種類は、脳へ勢い、命、霊を加える。さて、これらの活発な霊が脳を占領すると、ふつう、ほかの荒れた空き家に取りつく霊と同じようになる。仕事がないので、消え去って家の一部を持ち逃げするか、家に居座り、何もかも窓から放り出すか、どちらかだ。これによって、狂気の二大部門が神秘的に示される。私ほどよく考えなかった、ある哲学者たちは、その原因が違うと誤解し、性急にも、第一を不足、第二を過剰に割り当ててしまったのである。

ゆえに、ここで述べてきたことから、腕前と手際の要は、この余分な蒸気に仕事を与え、その時機を賢く調整することだと、明らかになったと思う。そうすれば、国家にとって、確かに根本的で、普遍的な利益となりうる。たとえば、ある男は適切な時を選んで淵へ飛び込み、そこから英雄となり、祖国の救い主と呼ばれる。別の男は同じ事業を果たすが、不幸にも時機を誤り、その記憶に、狂気の烙印を、そしりとして残す。この繊細な区別によって、われわれは、クルティウスの名を敬意と愛で、エンペドクレスの名を憎しみと軽蔑で、繰り返すよう教わる。また、大ブルトゥスは、公共の利益のためにだけ、愚か者と狂人を装ったと、ふつう考えられている。しかし、それは同じ蒸気の過剰が、長く誤用されていたにすぎない。ラテン語で「仕事にふさわしい才」、できるだけ近く訳せば、国家の仕事へ使うまでは、自分にふさわしい場所にいられない、一種の錯乱なのである。

以上と、それに劣らず重いが、同じほど珍しくはない、ほかの多くの理由に基づき、長く探していた機会を、私はここで喜んでつかむ。エドワード・シーモア卿、クリストファー・マスグレイヴ卿、ジョン・ボウルズ卿、ジョン・ハウ殿、その他、関係する愛国者の方々へ、たいそう高貴な事業として提案したい。ベドラムと近隣を調査する委員を任命する法案の提出許可を、動議として求めていただきたいのである。委員には、人、書類、記録を取り寄せ、あらゆる学生と教授の功績と資格を調べ、それぞれの性向と行動を、最大限の正確さで観察する権限を与える。そうして、才能をきちんと見分け、適応させれば、国家のさまざまな職務……文官の職も、武官の職も……に、立派に役立つ人材を作れるだろう。方法は、これから私が、つつましく提案するとおりに進めればよい。優しい読者には、この重大事に対する私の大いなる心配も、いくらかお許しいただきたい。私は昔から、この名誉ある団体を高く尊び、かつて一時、そのふさわしからぬ一員となる幸福にも、あずかったのである。

藁を細々と引き裂き、悪態をつき、神を冒涜し、鉄格子へ噛みつき、口から泡を吹き、見物人の顔へ便器を空ける学生がいるか。尊敬すべき調査委員の諸卿よ、その者に竜騎兵の連隊を与え、ほかの者とともに、フランドルへ送ればよい。別の者は、絶えずしゃべり、唾を飛ばし、口を開け、区切りもつながりもない音で、わめいているか。なんと驚くべき才能が、置き場所を誤っていることか! ただちに、緑の袋と書類、懐へ三ペンスを与え[135]、ウェストミンスター・ホールへ送り出すがよい。第三の者は、自分の犬小屋の寸法を、重々しく測っているだろう。まるきり暗闇に置かれながら、先を見る目と、内を見抜く目を持つ男である。なぜなら、モーセのように、「見よ、その顔には角があった」からだ。きまった歩調で歩き、しかるべき重々しさと礼儀をもって、あなたの一ペニーを乞う。苦しい時世、税、バビロンの淫婦について多くを語り、いつも八時になると、房の木戸に閂をかけ、火事、万引き、宮廷の客、特権区域を夢見る。さて、これらの素養の持ち主を、シティの仲間の中へ送れば、どれほど立派な姿になるだろう! 第四の者を見よ。自分とたっぷり深く話し込み、要所で親指を噛み、顔には仕事と企みの模様が浮かぶ。ときには、手の中の紙に目を釘づけにし、とても速く歩く。時間をたいそう節約し、少し耳が遠く、目はたいそう近眼で、記憶はそれより短い。いつも急ぎ、仕事を大いに孵し、殖やし、何もないことを囁く、あの有名な技に優れている。ひと言の返事と引き延ばしを、ひたすら崇拝し、誰にでもあまりにすぐ約束するので、決して守らない。言葉の普通の意味は忘れたが、音は見事に覚えている。ひどく下り腹で、用事が絶えず彼を呼び去るからである。親しみやすい合間に鉄格子へ近づくと、「旦那」と言う。「一ペニーくれれば、歌を歌いましょう。ただし、一ペニーを先に。」ここから、歌一つに金を手放すという、よくある言い回しと、さらによくある実践が生まれた。宮廷の技の完全な体系が、ここでは全部門にわたり描かれ、適用を誤ったため、すっかり失われているとは! 別の犬小屋の穴へ、まず鼻をつまんで近づいてみよ。無愛想で、陰気で、汚く、だらしない人間が、自分の糞を掻き回し、小便をいじっているのが見える。その食事の最上の部分は、自分の排泄物の戻りである。蒸気となって立ち昇り、絶えず渦を巻き、最後には再び注ぎ戻される。顔色は汚い黄色で、薄くまばらな髭があり、その食物が最初に下ってきたときの色に、ぴたりと合っている。排泄物の中で生まれ育ち、そこから色と匂いを借りる、ほかの虫と同じだ。この部屋の学生は、言葉をたいそう惜しむが、息は少し気前よく出しすぎる。手を出して一ペニーを待ち、受け取ると、すぐ前の仕事へ引っ込む。さて、こういう有用な一員を取り戻すことに、ウォリック・レインの団体[136]が、これほど無関心とは、驚くべきではないか。見かけから判断してよければ、その輝かしい団体の、最大の飾りとなるはずの人物なのに。さらに別の学生は、唇を膨らませ、目を半ば絞り出し、荒々しく胸を張って、すぐ鼻先までやって来る。そして、たいそう愛想よく、口づけさせるための手を差し出す。看守は、この教授を恐れるな、害はないからと言う。前室を自由に歩くことを許されているのは、この者だけである。この場所の案内弁士によれば、このもったいぶった人物は、高慢のために狂った仕立屋だという。この重んずべき学生は、ほかにも多くの資質で飾られているが、今はそれ以上、詳しく述べない。……耳を貸していただきたい。……そうなれば、その振る舞いも、動きも、気取りも、すべて、とても自然で、ふさわしい場所へ収まるだろう。そうでないなら、私はひどく見当違いをしている。

このような改革によって、世間が取り戻せる、膨大な数の伊達男、楽師、詩人、政治家について、細々と列挙するつもりはない。もっと重要なことがある。働かせられる人々を、これほど大きく獲得して国家へ返す、明白な利益に加えて、ということである。大胆に言わせていただけば、彼らの才能と素養は、今、埋もれているか、少なくとも誤用されている。この調査から公共へ生じる大きな利点は、彼ら全員が、それぞれの分野で、たいそう優れ、大きな完成に達するだろう、という点なのだ。これはすでに示したことから明らかだと思うが、さらに、一つの明白な例で強めよう。この重大な真理の著者たる私自身も、想像力が轡を受けつけぬ馬のようで、理性を乗せたまま暴走しやすい人間である。長い経験によれば、私の理性は、たいそう軽い乗り手で、容易に振り落とされる。だから友人たちは、私が、このような方法か、それに類する方法で、人類全体の利益のため、自分の思索を吐き出すという、厳かな約束をしなければ、一人きりでは決して信用しない。優しく、親切で、公平な読者は、その役目にふつう伴う、近代の慈愛といたわりを、なみなみと満たしているだろうから、このことは、おそらく、なかなか信じてくださらないに違いない。

第10節
さらに脱線

近年、著者の国民と読者の国民の間に交わされた、驚くほどの礼儀正しさは、この時代の高度な洗練を示す、反論不能の証拠である。芝居、パンフレット、詩の一つでも現れると、たいてい、世間の広い歓迎と喝采に対する感謝でいっぱいの序文がついている。その歓迎を、どこで、いつ、どうやって、誰から受けたかは、神のみぞ知るところだ。これほどほめるべき習慣に、しかるべく敬意を払い、私もここで、この神々しい論考に対する寛大さと、普遍的な歓迎について、つつましくお礼を述べる。国王陛下と上下両院、国王のいとも名誉ある枢密院の諸卿、尊敬すべき裁判官、わが国の聖職者、紳士、自営農民の方々に。だが、とりわけ、ウィルズ・コーヒー店、グレシャム・カレッジ、ウォリック・レイン、ムーアフィールズ、スコットランド・ヤード、ウェストミンスター・ホール、ギルドホールの、わが立派な同胞と友人たちに。要するに、宮廷、教会、軍営、都、田舎、どこにいようと、すべての住人と関係者の方々に、である。その御承認と好意的なお考えを、極上の感謝をもって受け取り、私の乏しい力の及ぶかぎり、あらゆる機会をつかんで、御恩を返したい。

また、書店主と著者が、ともに幸福である、これほど祝福された時代へ、運命が私を投じてくれたのも、幸せなことだ。この二者こそ、今日のイングランドで、満足している唯一の二党派だと、安心して断言できる。著者に、最新作の首尾を尋ねてみるがよい。「いや、まったく、星の巡りに感謝します。世間がとても好意的で、少しも不平を言う理由はありません。」しかも、その本は、差し迫った仕事から一時間を盗み取れるたび、一週間の間、切れ切れに、思いつくまま書いたものなのだ。十中九分、そのことは、さらに序文でわかる。著者は、そちらを見よと言い、残りは書店主へ尋ねるよう案内する。そこで客として店へ行き、同じ問いをすると、「ありがたいことに、ものすごい人気です。ただいま第二版を刷っておりまして、店にはもう三冊しかございません。」値切ってみる。「旦那、お値段で揉めることはございません。」次の御来店を期待して、望むほど安く譲ってくれる。「それに、お知り合いも何人でもお送りください。あなた様の御紹介なら、皆様に同じお値段でお出しします。」

さて、世間を楽しませるため、刻々と現れる立派な著作の大半が、どんな偶然や機会に負っているかは、十分に考えられていない。雨の日、酔った徹夜、癇癪の発作、服薬の一期間、眠い日曜日、骰子の負け続け、長い仕立屋の勘定書、乞食の財布、党派好きの頭、暑い太陽、便秘になる食事、書物の欠乏、学問への正当な軽蔑。こうした出来事や、挙げるには長すぎる、ほかのいくつか、とくに硫黄の内服を賢明に怠ることがなければ、著者と著作の数は、見るも哀れなほど減ってしまうだろう。この意見を確かめるため、名高い洞穴住まいの哲学者の言葉を聞こう。「確かなことだが」と彼は言う。「人間性の組成には、いくらかの愚かさの粒が、当然の一部分として添えられている。われわれに残される選択は、それを象嵌にして内へ埋め込むか、浮彫にして外へ出すか、というだけだ。どちらに決まるのが普通かを知るため、遠くまで探す必要はない。人間の諸能力も酒と同じで、最も軽いものが、いつも上へ来ると、思い出せばよい。」

この名高いブリテン島に、ある取るに足りぬ駄文書きがいる。ひどく多作で、読者もその人となりを、まったく御存じないわけではあるまい。「第二部」と呼ばれる有害な種類の文章を扱い、ふつう「第一部の著者」の名で通っている。私がペンを置くやいなや、このすばしこい仕事師が、それを盗み取り、すでにブラックモア博士、レストレンジ、その他、ここでは名を伏せる多くの人々にしたように、私を非人道的に扱うことは、容易に見通せる。そこで私は、公正と救済を求めて、鞍を正す偉人にして、人類を愛するベントリー博士の手へ逃げ込む。この途方もない弊害を、その最も近代的な御考慮に入れていただきたい。そして、もし私の罪ゆえ、第二部という形をした驢馬の馬具が、うっかり私の背へ載せられたら、世間の面前で、ただちにその荷を下ろし、本当の獣が受け取りに来るまで、御自宅に預かっていただきたい。

その間に、公にお知らせしておく。長年用意してきた材料の全在庫を、この論説一つの内に収めるのが、私の決意である。ひとたび血管を開いたからには、愛する祖国の特別な利益と、人類の普遍的な幸福のため、一度に流し尽くしてよいと思っている。ゆえに、もてなしの心で客の数を考え、料理のすべてを、一度の食事でお出ししよう。残り物を戸棚へしまうなど、私は潔しとしない。客が食べきれなければ、貧しい者に与えればよいし、卓の下の犬には、骨をかじらせればよい[140]。明日また招いて、みすぼらしい残り物の食事で、皆の胃をむかつかせるより、そのほうが寛大なやり方だと、私は理解している。

先の節で示した論の強さを、読者が公正に考えれば、その観念と意見に、驚くべき革命を起こし、この奇跡的な論考の結びの部分を、受け取り、味わう準備も、ずっとよく整うと確信する。読者は、浅薄な者、無知な者、学識ある者の三つに分けられる。私は、たいへん幸いにも、それぞれの性向と利益へ、ペンを合わせた。浅薄な読者は、妙に笑いを誘われるだろう。笑いは胸と肺をきれいにし、憂鬱への特効があり、あらゆる利尿剤の中で、最も無害である。無知な読者――前者との区別は、きわめて繊細だが――は、ぽかんと目を見張りたくなるだろう。これは悪い目の見事な治療法であり、気力を高め、活気づけ、驚くほど発汗を助ける。だが、真に学識ある読者は、その人の利益のためにこそ、私は他人が眠る間に起き、他人が起きる間に眠るのだが、ここに、余生の思索を十分に満たす材料を見つけるだろう。強く望まれることが一つあり、私はここで、つつましく実験を提案する。キリスト教世界のすべての君主が、領内の最も深遠な学者を七人選び、七つの部屋へ七年間、厳重に閉じ込め、この包括的な論説について、七つの浩瀚な注釈を書くよう命じていただきたい。各人の推測にどんな違いがあろうと、いささかも歪めず、すべて本文から明白に導き出せると、私はあえて断言する。それまでの間、私の切なる願いは、このような有益な事業へ、陛下方の御意向がよろしければ、できるだけ早く取りかかっていただくことだ。われわれ神秘的な著者が、墓に入るまで、めったに得られぬ祝福を、この世を去る前に味わいたいという、強い望みがあるからである。名声は体に接ぎ木された果実なので、台木が土に入るまで、なかなか育たず、まして熟さないからなのか。それとも、猛禽なので、ほかの鳥と同じく、死骸の臭いを追っておびき寄せられるからなのか。それとも、高所の利点と、空洞の墓の反響によって、墓の上に立つとき、自分のラッパが、最もよく、最も遠くまで鳴ると考えるからなのか。

たしかに、難解な著者の共和国は、死ぬという見事な方便をひとたび発見してから、評判の多様さにおいても、広がりにおいても、とりわけ幸福だった。夜は万物の普遍的な母なので、賢い哲学者たちは、あらゆる著作は、暗ければ暗いほど、実り豊かだと考える。だから、真に照らされた者、つまり、誰よりも暗い者は、数えきれぬ注釈者に恵まれた。その注釈の産婆術が、著者自身、おそらく身ごもったこともない意味を、取り上げてくれたのである。それでも著者は、その正当な親と認めてよい。この種の書き手の言葉は、種に似ている。いかにでたらめに撒かれようと、肥えた地に落ちれば、種を撒く者の希望も想像も、はるかに超えて増えるのだから。

そこで、これほど有用な仕事を促すため、この驚くべき論説に、普遍的な注釈を施すよう任命される、崇高な精神の持ち主たちへ、大いに役立つかもしれぬほのめかしを、ここで二、三、ちらりと示させていただこう。第一に、私は、零の数を七倍し、九で割ったところに、たいそう深遠な神秘を潜ませてある。また、敬虔な薔薇十字の兄弟が、生きた信仰をもって、六十三の朝、熱烈に祈り、それから処方どおり、一定の文字と音節を入れ替えるなら、第二節と第五節は、必ず、大いなる業の完全な処方を明かすだろう。最後に、この論考の各文字の総数を数え、それぞれの数の差を正確に合計し、その差の一つ一つに、真の自然な原因を割り当てる労を取る者は、結果の中の発見から、労苦をたっぷり報われるだろう。ただし、ビュトスとシゲには気をつけ、アカモートの性質を、決して忘れてはならない。その涙から湿った実体が、笑いから明るい実体が、悲しみから固い実体が、恐れから動く実体が生まれる、という性質である。この点で、エウゲニウス・フィラレテス[142]は、許しがたい誤りを犯した。

第11節
樽物語

これほど大きく巡り歩いた後、私は今、喜んで主題へ追いつき、合流した。これからは、旅の終わりまで、同じ歩調で進んでゆくつもりである。ただし、道の見える範囲に、美しい眺めが現れなければ、の話だ。今のところ、その予告も期待もないが、そうした偶然がいつ訪れようと、読者の御好意と御同伴を願い、私と一緒に、その中へ御案内することを、お許しいただきたい。文章を書くことも、旅と同じなのだから。家へ急いで帰りたい者がいるなら――私には当てはまらないと認めよう。家にいるときほど、用事が少ないことはない――、馬が長旅と悪路で疲れているか、生来の駄馬なら、どれほど泥だらけでも、最もまっすぐで、最もありふれた道を取るよう、はっきり勧める。だが、そういう男は、よくても、ろくな道連れではないと、認めるほかない。歩くたびに、自分と同行者へ泥をはねる。皆の考え、望み、会話は、もっぱら旅の終わりへ向けられ、はね、はまり、つまずくたびに、互いに、心から悪魔の所へ行けと願うのだ。

一方、旅人も馬も元気で、よい調子にあり、財布は満ち、日もまだ長ければ、道は、きれいか、都合のよい所だけを選ぶ。そこで、できるだけ愉快に仲間をもてなすが、機会があればすぐ、見えるかぎりの楽しい眺めへ、皆を連れてゆく。技芸の眺めでも、自然の眺めでも、両方でもよい。もし愚鈍か疲労のため断るなら、勝手に、のろのろ行けばよい。くたばるがいい。次の町で追いついてやる。そこへ着くと、彼は勢いよく駆け抜け、男も女も子供も、眺めようと飛び出し、百匹の騒がしい犬が、吠えながら追ってくる。いちばん大胆な犬へ、鞭の一打という栄誉を与えるとしても、復讐より、遊びのためである。だが、もっと気難しい雑種が、あえて近づきすぎれば、馬の踵の偶然の一撃で、顎へ挨拶を受ける。その一撃で、こちらの進みは少しも損なわれず、犬は、きゃんきゃん鳴き、足を引きずって家へ帰る。

さて、名高いわがジャックの、比類ない冒険を、まとめてゆくことにしよう。注意深い読者は、前の節の結びで別れた、その性向と運命の状態を、疑いなく、最も正確に覚えているだろう。だから次の仕事は、先行する二つの節から、これからの話を真に味わうため、理解力へ最もよく合う、観念の図式を抽出することになる。

ジャックは、脳の最初の革命を、あの広く蔓延する風崇拝者の宗派を生むほど、賢く計算したばかりではなかった。その後も、新しく奇妙な概念のさまざまへと進んだ。想像力の豊かさが導いた観念は、見たところ、まるで説明がつかなくても、神秘も意味もないわけではなく、支持し、発展させる追随者にも事欠かなかった。だから私は、疑いのない伝承と、疲れを知らぬ読書によって集められた、この種の重要なくだりを、極度に慎重に、正確に語ろう。そして、あれほどの高さと広がりを持つ観念が、ペンの範囲へ収まるかぎり、できるだけ生き生きと描くつもりだ。それらが、多くの高貴な材料を与えることを、私は少しも疑わない。変換好きの想像力によって、あらゆるものを比喩へ還元する人々に、とりわけそうである。彼らは、太陽の助けもなく影を作り、哲学の助けもなく、それを実体へ仕立てられる。転義や寓意を文字どおりに固定し、文字どおりのものを、比喩と神秘へ精製するのが、特有の才能なのだ。

ジャックは、父の遺言を、立派な写しにして用意した。大きな羊皮紙一枚へ、正式に清書したものである。そして、最も孝行な息子の役を果たそうと決め、想像できるかぎりで、いちばんの遺言好きになった。読者へ何度も述べたとおり、遺言の内容は、上着の手入れと着方についての、いくつかの平明で容易な指示と、従う場合の遺贈、怠る場合の罰に、すべて尽きていた。それなのに彼は、もっと深く、暗い内容なのだから、その底には、はるかに多くの神秘があるに違いない、と考え始めた。「諸君」と彼は言った。「私は、この羊皮紙そのものが、食べ物、飲み物、衣服であり、賢者の石であり、万能薬であると証明しよう。」こうした有頂天な考えに従い、人生の最も必要な場合にも、最もつまらぬ場合にも、それを使おうと決めた。好きな形へ加工する方法を持ち、寝るときは寝帽になり、雨の日には傘になった。痛む足指へ、一切れ巻きつけたり、発作のときには、鼻の下で二インチ分を燃やしたりした。胃が重ければ、銀の一ペニー貨に載るほど、粉を削り取って飲み込んだ。どれも、必ず効く治療法だった。こうした洗練に合わせ、日頃の話や会話も、すべて遺言の賛美へ向かった。雄弁の最大限を、その範囲に閉じ込め、そこからの権威なしには、一音節も口を滑らせようとしなかった。あるとき、よその家で、突然、ある切迫した事態に襲われた。あまり細かく述べることは、許されぬ事態である。ところが、裏の場所への道を尋ねる、正統な言い回しを、その場の要求する速さで思い出せなかったので、より賢明な道として、その場合ふつう伴う罰を、あえて受けるほうを選んだ。しかも、人類すべての修辞を合わせても、再び身をきれいにするよう、彼を説得できなかった。この急場に遺言を調べると、末尾近くに、それを禁じているらしい一節を見つけたからだ。書き写した者が紛れ込ませたかどうかは、知られていない[145a]。

食事に祈りを捧げないことを、宗教の一部とした。世間が総がかりでも、いわゆる、キリスト教徒らしく食べるよう、彼を説き伏せられなかった[145b]。

彼は、火をつけた酒から食べ物をつまみ取るスナップドラゴンと、燃える蝋燭の青白い芯に、奇妙な食欲を抱いていた[146a]。それらを、想像もつかぬ敏捷さで、つかんでは飲み込んだ。このやり方で、腹の中に絶えない炎を保った。その炎が、両目からも、鼻孔や口からも、光る蒸気となって出るので、暗い夜、その頭は、悪戯な少年が一ファージングの蝋燭を仕込んだ驢馬の頭蓋骨のように見え、陛下の忠良なる臣民をおびやかした。だから、家へ戻る明かりとして、ほかの工夫は使わず、賢者は自分自身が提灯なのだ、とよく言った。

彼は、街を歩くとき、目を閉じた。たまたま柱へ頭をぶつけたり、溝へ落ちたりすると――片方、または両方を、めったに欠かさなかったが――見ていてからかう徒弟たちに、こう語った。それは運命に足をかけられ、あるいは殴られたものとして、全面的な諦念をもって受け入れる。運命と組み合ったり、殴り合ったりしても、どれほどむだか、長い経験でわかっている。どちらかを試みる勇気のある者は、必ず、ひどく投げ倒されるか、鼻血を出して終わるだろう、と。「天地創造の数日前に」と彼は言った[146b]。「私の鼻と、この柱そのものが出会うことは、定められていた。だから摂理は、われわれ両者を同じ時代に世へ送り、同国人、同市民にするのをよしとしたのだ。さて、目が開いていたら、事態はよほど悪かったかもしれない。先を見通す力をすっかり備えていながら、人間は毎日、どれほどひどいつまずきをすることか。しかも、理解力の目は、感覚の目が邪魔をしないとき、最もよく見る。だから盲人のほうが、視神経の働きを過信する者より、はるかに慎重に、巧みに、分別をもって歩くと観察されている。視神経など、小さな出来事で、すぐ調子が狂い、一滴や薄い膜で、すっかり混乱する。騒々しいごろつきの一団が街を荒らす中の、提灯のようなものだ。持ち主と自分を、外からの蹴りや殴打へさらす。姿を見せたいという虚栄さえ、暗闇を歩くことを許せば、どちらも免れたのに。さらに、この自慢の明かりの行いを調べると、その運より、はるかに悪いとわかる。たしかに私は、この柱で鼻を折った。摂理が、肘を引いて避けるよう知らせるのを忘れたか、そうするのが都合よくないと考えたからだ。しかし、このために、今の時代も後世も、鼻の番を目へ任せようと、勇気づけられてはならない。それこそ、鼻を永遠に失う、いちばん確実な道となるかもしれない。おお目よ、盲目の案内人よ、われわれの脆い鼻の、惨めな守護者よ。そう、お前たちは、最初に見える断崖をとらえ、哀れにも従順な体を引いて、破滅の縁ぎりぎりまで連れてゆく。だが、ああ、その縁は腐っており、足が滑って、われわれは真っ逆さまに淵へ落ちる。途中には、転落を和らげる、親切な灌木一つない。その転落に耐える、人間製の鼻は、銀の橋の主、巨人ラウルカルコの鼻以外にはない[147a]。だから、おお目よ、お前たちを、泥と闇の中へ人を導き、深い穴や、悪臭を放つ沼へ落ち込ませる、愚かな鬼火へたとえるのは、きわめて適切で、まことに公正なのだ。」

以上を、このような深遠な問題についての、ジャックの偉大な雄弁と、推論の力の、見本として挙げた。

そのうえ彼は、信仰の事柄でも、大きな企てと改良を行う人物だった。新しい神を導入し、それは、その後、大勢の崇拝者を得た。ある者はバベル、ある者はカオスと呼ぶ。ソールズベリー平原に、ゴシック建築の古い神殿があり、その社と、巡礼たちの祝祭で名高かった。

何か悪だくみをするときには、たとえ溝の真ん中でも、膝をつき、目を上へ向け、祈り始めた。すると、彼のいたずらを知る者は、きっと十分遠くへ、道をよけた。好奇心に引かれたよそ者が、笑い、聞こうと集まると、いつでも、突然、泥をはねかけたのである。

冬には、周りの熱を入れるため、いつも服を緩め、ボタンを外し、できるだけ薄着をした。夏には、熱を締め出すため、ぴたりと厚く着込んだ[147b]。

政変のたびに、絞首刑執行総監の職を求めて、取り入ろうとした。その役目には、たいそう器用だったが、その威厳を行使するとき、長い祈り以外の覆面は、何も使わなかった。

舌は、たいそう筋肉が発達し、器用だったので、ひねって鼻の中へ入れ、そこから奇妙な話し声を出すことができた。また、この王国で初めて、驢馬のように鳴くスペイン流の技を、改良し始めたのも彼だった。大きな耳を、いつもさらし、立てていたので、その技を、見るにも聞くにも、原物と模倣の区別が、たいそう難しいほどに完成させた。

タランチュラに刺されたと呼ばれる病の、反対の病に悩まされ、音楽の音、とりわけバグパイプの音を聞くと、狂犬のようになった[148a]。だが、ウェストミンスター・ホール、ビリングズゲート、寄宿学校、王立取引所、政治談義のコーヒー店のどこかを、二、三周歩けば、再び治った。

どんな旗色も恐れない男だったが、どんな色も、死ぬほど憎んだ。そのため画家へ残酷な嫌悪を抱き、発作のとき、街を歩くには、ポケットを石でいっぱいにして、看板へ投げつけた[148b]。

暮らし方のため、体を洗う機会がたびたびあり、真冬のさなかでも、しばしば頭まで、水へ飛び込んだ。しかし、出てくるときは、入ったときより、できることなら、ずっと汚くなっていると、いつも観察された[148c]。

耳から送り込む睡眠薬の工夫という秘密を、初めて発見したのも彼だった[148d]。硫黄とギレアドの香油に、巡礼の膏薬を少し混ぜた薬だった。

腹には、人工の腐食剤を塗った大きな貼り薬をつけていた。その熱によって、焼けた鉄をあてる、あの有名な板のように、いつでも自分を唸らせることができた。

彼は、街角の曲がり目に立ち、通る人へ呼びかけた。ある人には、「御立派な旦那、どうか口へ、よい平手打ちをいただく栄誉を」と叫んだ。別の人には、「正直な御友人、ひとつ尻へ、見事な蹴りをお恵みください」と言った。「奥様、その美しいお手で、耳へ小さな一発をお願いできましょうか。」「気高い隊長殿、神のお慈悲に、その杖で、この哀れな肩へ、ほどよい一打をお貸しください。」こうした熱心な懇願によって、空想と脇腹を十分に膨らませるだけの殴打を、どうにか手に入れると、たいそう慰められて帰宅し、公共のために受けた苦難の、恐ろしい話をたっぷり披露した。「この一打を見たまえ」と、裸の肩を見せて言った。「今朝の七時、トルコの大君を、やっと追い払っていたとき、忌まわしいイェニチェリが、これをくれたのだ。近所の皆さん、この割れた頭には、貼り薬が必要だ。哀れなジャックが、自分の頭を大事にしすぎていたなら、今よりずっと前に、教皇とフランス王が、あなた方の女房や倉庫の間に入り込むのを、見ていたはずだ。親愛なるキリスト教徒よ、大ムガル皇帝は、ホワイトチャペルまで来ていた。この哀れな脇腹へ感謝したまえ。これがなければ、男も女も子供も、もう――神よ、お守りください――丸呑みにされていたのだから。」

ジャックと兄ピーターが、互いに抱くらしい嫌悪と反感、それも、わざとらしいほどの反感が、奇妙な結果を生んだことは、大いに注目に値した。ピーターは最近、いくつか悪事を働き、身を隠さねばならなくなっていた。執行吏を恐れ、夜になるまで、めったに外へ出ようとしなかった。二人の宿は、町の中で最も遠く離れていた。用事や気分によって出かけるときは、互いを必ず避けられるよう、思いつくかぎり、最も奇妙で、ありそうもない時刻と、最も不自然な回り道を選んだ。それでもなお、出会うことが、絶えぬ運命だった。理由は、十分容易に理解できる。二人の錯乱と癇癪は、同じ土台を持っていたので、等しく開かれた二本のコンパスと考えればよい。それぞれの固定した脚は同じ中心にあり、初めは逆向きに動いても、円周のどこかで、必ず出会うのである。そのうえ、ジャックの大きな不幸の一つは、兄ピーターと、容姿がひどく似ていることだった。気分や性向が同じだけでなく、形、体格、物腰も、そっくりだった。だから、執行吏がジャックの肩をつかみ、「ピーター氏、国王の囚人として捕らえる」と叫ぶことも、ピーターの親友の一人が、両腕を広げてジャックへ近づき、「親愛なるピーター、会えて嬉しい。虫に効く、いちばんよい薬を、ひとつ送ってくれたまえ」と言うことも、しょっちゅうだった。長く骨を折ってきたジャックの努力と作業への、屈辱的な報いだったに違いない。すべての努力が、自分に定めた唯一の目的と意図に、正反対の答えを返したと知って、彼のような仕立ての頭と心に、恐ろしい影響が出ないはずがあろう。だが、罰はすべて、上着の哀れな残りが受けた。東の太陽は、日々の運行を始めるたび、その一片が欠けているのを見た。彼は仕立屋を雇い、襟を、今にも窒息しそうなほど、きつく縫い合わせた。目は押し出され、白目しか見えなくなるほどだった。わずかに残った上着の本体は、毎日二時間、ざらついた壁へこすりつけ、モールや刺繍の残りを削り落とそうとした。だが、同時に、あまりに激しく続けたので、異教の哲学者にまでなってしまった。それでも、こうしたことを何もかも尽くした後も、成果は相変わらず期待を裏切った。ぼろ切れには、上等な装いへ、一種のまがいの類似を見せる性質があるからだ。どちらにも、ひらひらした見かけがあり、遠くからや、暗闇でや、近眼の目では、見分けがつかない。ジャックとそのぼろも、その場面では同じだった。一見すると、滑稽な派手さがあり、容姿や態度の類似を助けたため、別物になろうとする、あらゆる計画を妨げた。二人には、双方の弟子や追随者さえ、たびたび取り違えるほどの、近い類似が残ったのである。……〔若干の欠落〕……

古いスラヴの諺は、うまく言った。人間も驢馬と同じで、しっかりつないでおきたければ、耳をよほどよくつかまねばならない。しかし、こう断言してよいと思うし、繰り返す経験によっても確かめられている。

「それでも、悪賢いプロテウスは、この縛めを逃れるだろう。」[151a]

だから、先祖の格言は、時と人を十分に斟酌して読むのがよい。初期の記録を調べれば、人間の耳ほど、大きく、頻繁な革命を受けたものはないとわかる。昔は、それを捕らえ、保つための珍しい発明があり、失われた技の一つに、正当に数えてよいと思う。ほかに、どうなりえよう。近頃の数世紀では、耳という種そのものが、嘆かわしいほど減ったばかりか、哀れな残りも、最も巧みなつかみ方を嘲るほど、退化してしまったのだから。一頭の牡鹿の片耳を裂くだけで、森じゅうへその欠陥が広まると判明したのなら、父祖の耳も自分たちの耳も、近頃あれほど多く切断や損傷にさらされてきた以上、最大の結果が生じても、なぜ驚こう。なるほど、わが島が恩寵の支配の下にあった間、耳の成長を再び促そうと、多くの努力が払われた。大きな寸法は、外なる人の飾りとみなされるばかりか、内なる人の恩寵のしるしともされた。そのうえ、博物学者によれば、耳や鼻など、体の上部の部分が突き出ていれば、下部にも、釣り合うものがあるはずだという。だから、あの真に敬虔な時代には、どの集まりの男たちも、それぞれの賜物に応じ、耳とその周囲を、進んで人目へさらした。ヒポクラテス[151b]が、耳の後ろの血管を切ると、人は宦官になる、と教えているからだ。女たちも、それを眺め、教化されることに、少しも遅れを取らなかった。すでに手段を用いた者は、この眺めによって、ふさわしい子を身ごもれるのを期待し、熱心に周囲を見回した。慈善を待ち望む立場の者には、豊富な選択肢があり、二人の間で血筋が小さくならぬよう、最も大きな耳を見せる者に、必ず目をつけた。最後に、とくに敬虔な姉妹たちは、この器官の並外れた広がりを、熱心さの突出、あるいは霊的な瘤とみなしていたので、それが載る頭を、裂けた舌でもあるかのように敬った。とりわけ説教者の頭はそうだった。耳はふつう、第一級の大きさで、そのため、雄弁の発作の最中、あらゆる好条件の下で、頻繁に、正確に、民衆へさらした。ときには向きを変えて一方を差し出し、ときには他方を差し出した。この習慣から、説教という営み全体を、彼らの仲間は今日まで、「差し出す」という言葉で呼ぶのである。

これが、その器官の寸法を増すため、聖者たちが遂げた進歩だった。時がたって、残酷な王が現れ、ある基準を超えるすべての耳に、血なまぐさい迫害を起こさなかったなら[152a]、成功も、どの点でも、それに見合ったはずだと考えられる。そのため、ある者は、よく育った芽を、黒い縁飾りへ喜んで隠し、ほかの者は、鬘の下へすっぽり潜り込んだ。裂かれた耳、刈り取られた耳、根元まで切り落とされた、おびただしい耳があった。だが、これについては、私の『耳の総合的歴史』で、後ほど詳しく述べよう。ごく近く、公共へ贈るつもりの本である。

前の時代における耳の衰えと、今の時代に、その古い成長を促す配慮が、どれほど乏しいかを、このように手短に見渡せば、あれほど短く、弱く、滑りやすい取っ手へ頼る理由が、どれほど少ないかは明らかだ。人類をしっかり捕らえたい者は、ほかの方法へ頼らねばならないのである。さて、人間性を十分注意深く調べれば、いくつもの取っ手を見つけられる。六つの[152b]感覚が、それぞれ一つずつ供給するほか、情念へねじ込まれたものも大量にあり、知性へ鋲留めされたものも、少しある。最後の部類では、好奇心がその一つであり、何よりもしっかり握れる。好奇心は、怠惰で、せっかちで、ぶつぶついう読者の脇腹の拍車、口の手綱、鼻の輪なのだ。著者は、この取っ手によって、読者を捕らえねばならない。ひとたびそれを成し遂げれば、あらゆる抵抗も、もがきもむだとなり、倦怠か愚鈍さによって、握る手を放させられるまで、好きなだけ、きつく囚人にしておける。

ゆえに、この奇跡的な論考の著者たる私は、ここまで予想を超え、先の取っ手によって、優しい読者をしっかりつかんできたが、とうとう手を緩めざるをえず、まことに名残惜しい。残りを読む際には、この種族に生来備わる、自然な欠伸癖へお任せすることになる。親切な読者よ、二人の慰めのため、これだけは請け合える。この回想の残りを、書類の間で失ったか、置き違えた不幸について、私の心配は、そなたの心配とまったく同じだ。その残りは、新しく、愉快で、驚くべき事件、転変、冒険から成り、したがって、わが高貴な時代の繊細な趣味へ、あらゆる点で、ぴたりと合っていた。だが、ああ、力の限りを尽くしても、いくつかの見出ししか残せなかった。その下には、次のようなことが、詳しく記されていたのだ。ピーターが、いかに王座裁判所から保護令状を手に入れたか。彼とジャックが、ある雨の夜、兄弟マーティンを債務者の仮留置所へおびき寄せ、そこで裸に剝ごうという計画から、いかに和解したか。マーティンが、苦労の末、いかに見事に二人へ踵を見せて逃げたか。ピーターに新しい令状が出ると、ジャックが彼を見捨て、保護令状を盗んで、自分のために使ったこと。ジャックのぼろが、宮廷とシティで流行したこと。彼が大きな馬へ乗り、カスタードを食べたこと[153]。だが、これらすべての細部と、今では記憶から滑り落ちた、さらにいくつかの話は、取り戻す望みもなく失われた。この不幸について、読者同士、それぞれの体質に合うかぎり、悔やみ合っていただこう。ただし、表題紙からここまで、われわれの間に交わされた、すべての友情にかけてお願いする。取り返しのつかぬ出来事で、健康を損なうほどには進まないでほしい。さて、今度は、完成された著者の儀礼的な部分へ進む。したがって、礼儀正しい近代人こそ、何より省くべきでない部分なのである。

結び

長く身ごもりすぎることも、短すぎることと、同じほど確かな流産の原因になる。頻度は低いにせよ、脳の出産では、とくにそうだ。服装、食事、娯楽と同じく、本もそれぞれの時節に合わせねばならぬと、初めてあえて活字で認めた、高貴なイエズス会士[155]の心に、幸いあれ。そして、ほかのフランス流行とともに、この考えも磨き上げる、わが高貴な国民には、さらに幸いあれ。潮時を逃した本が、昼の月や、旬の一週間後の鯖と同じほど見捨てられる時代を、私は足早に生きて、見届けようとしている。この作品の原稿を買った書店主ほど、わが国の気候を細かく観察した者はいない。乾いた年には、どんな題目が最もよく売れ、気圧計が大雨まで下がったときには、何をいちばん目につく所へ出すべきか、寸分違わず知っている。この論考を見て、暦に照らすと、主な二点、すなわち分量と主題を、明確に考慮したと、私へ告げた。そして、長い休暇の後でしか人気は出ず、それも、蕪が不作の年でなければだめだ、とわかったという。そこで私は、差し迫った窮状を考えてもらい、今月なら何が受けると思うか、尋ねた。彼は西を見て言った。「どうも、少し天気が崩れそうです。しかし、ちょっとした気の利いたからかいを――詩ではなく――用意できるなら、あるいは、……についての短い論考なら、野火のように売れるでしょう。ただ、晴れが続くなら、ベントリー博士を攻撃するものを書かせるため、すでに一人、著者を雇ってあります。これは確かに、利益になると見ています。」

とうとう、次の便法で話がまとまった。客がこれらの作品の一つを求め、内々に著者を知りたいと言ったら、書店主は、友人として、ごくひそかに教えることにする。その週、たまたま評判になっている才人の誰かを、名指すのだ。ダーフィーの最新作が順番に来ているなら、私としては、コングリーヴでも彼でも、どちらでもかまわない。こう申し上げるのは、親切な読者たちの今の味覚を、私は驚くほどよく知っているからだ。そして、蜂蜜の壺から追われた蠅が、すぐさま、たいそうよい食欲で、糞の上へ降り、食事を終えるのを、格別の喜びをもって、たびたび観察してきたからである。

近頃たいそう数の増えた、深遠な著者たちについて、一言だけ申し上げたい。分別ある世間が、私もその一人へ数えるつもりなのは、よくわかっている。そこで、深遠であるということについては、著者も井戸と同じだと考える。目のよい人なら、水さえあれば、最も深い井戸の底も見える。ところが、底に乾いた土と泥以外、何もなければ、地下わずか一ヤード半でも、驚くほど深いとされることが、よくある。驚くほど暗いから、という以上に賢い理由は、何もないのである。

私は今、近代の著者の間で、たいそう頻繁に行われる実験を試している。何についてでもなく書くこと、主題をすっかり使い尽くしても、なおペンを動かすことだ。ある人々は、これを、体の死後も歩き回るのを喜ぶ、才知の幽霊と呼ぶ。実を言えば、いつやめるかを見分けることほど、身につけた者の少ない知識はなさそうだ。著者が本を書き終える頃には、本人と読者は古い知り合いになり、別れるのをたいそう嫌がる。だから、文章でも訪問でも、同じことがあると、私はときどき知った。暇乞いの儀式のほうが、それまでの会話全体より、多くの時間を使うのだ。論考の結びは、人の生の終わりに似ている。それは、ときに宴の終わりへたとえられるが、「生に満ち足りた客として」、満足して去る者は少ない。人は、十分食べた後にも、ただ、まどろみ、残りの日を眠り過ごすためだけにさえ、座り続けるからだ。だが、この最後の点では、私は、ほかの著者と大いに違う。これほど騒がしく、落ち着かぬ時代に、私のあらゆる労作が、何らかの形で人類の休息へ寄与できれば、この上もない誇りとなる。また、こうした仕事は、ある人々が考えるほど、才人の務めからかけ離れてもいないと思う。ギリシアの、たいそう洗練された一民族[157]の間では、眠りとムーサたちのため、同じ神殿が建てられ、奉献されていた。二つの神の間には、最も固い友情が結ばれていると、信じられていたのである。

最後に一つ、読者へお願いしたい。この論説のどの行、どの頁からも、同じだけ楽しみと知識が得られるとは、期待しないでいただきたい。御自身のものと同じく、著者の癇癪や、短い愚鈍の発作、あるいは合間も、いくらか大目に見てほしい。そして、良心に真剣に問うていただきたい。もし御自身が、泥道の日、雨の日に街を歩いていたら、窓辺でのんびりした人々が、その折の歩き方を批評し、服装を笑うことを、公正な仕打ちと認めるだろうか、と。

脳の仕事を配置するにあたり、私は創意を主人とし、構成と理性には、その従僕の役を与えることにした。この配分の理由は、自分に特有の事情へ気づいたことにある。賢くも、筋の通ったことも、当面の件に関わることも言えない場面で、機知を見せたいという誘惑へ、たびたび駆られるのだ。私は近代の流儀に忠実すぎるので、そのような機会を、どれも見過ごせない。持ち込むために、どれほど苦労し、不都合を冒そうとも、である。というのも、最良の近代作家から、苦心して七百三十八の名文と輝く着想を集め、多くの読書を経て抜き書き帳へ整理したのに、五年たっても、普段の会話へ引き出し、引っかけ、あるいは押し込めたものは、十二しかなかった。その十二のうち、半分は、ふさわしくない集まりへ落としたために失敗した。残りの半分を導入するにも、あまりに多くの無理、罠、遠回りが要ったので、とうとう、もうやめようと決めた。さて、秘密を明かすが、著者として身を立てようという、最初の手がかりをくれたのは、この失望だったと認めなければならない。その後、ある友人たちの間で、これはたいそう一般的な不満となり、多くの者へ同じ効果を及ぼしたとわかった。話し言葉では、すっかり無視され、軽蔑されていた有望な一言が、印刷という出世と公認を得た後には、いくらかの配慮と敬意をもって、とても滑らかに通る例を、私は多く見ている。だが今、出版の自由と励ましによって、身につけた才能を披露する機会と場合を、まったく自分で支配できるようになると、私の注目事項の支出が、収入に比べて、大きくなりすぎ始めたことに、もう気づいている。そこで、しばらく、ここで休もう。世間の脈と、自分の脈を診て、再びペンを取ることが、双方にとって絶対に必要だとわかるときまで。

注

注 [50]

[50] イングランドの聖職禄の数。――ペイト。

注 [51a]

[51a] 「際立ち、新しく、ほかの舌がまだ語らぬもの。」――ホラティウス。

原注 [51b]

[51b] 「序文などを読むこと。」――スウィフトの欄外注。

原注 [56a]

[56a] プルタルコス。――スウィフトの欄外注。

原注 [56b]

[56b] クセノポン。――スウィフトの欄外注。以下、S.と記す。

注 [56c]

[56c] 癇癪。――ホラティウス。

注 [59]

[59] 「だが戻り、明るい空を再び見ること、
ここに仕事があり、大きな労苦がある。」

注 [60]

[60] 「老人たちが、安らかな休息へ退けるように。」

注 [61]

[61] 後の『樽物語』弁明で、スウィフトは、これらの機械について、こう書いている。「元の原稿には、第四の機械の記述があったが、原稿を手にしていた者たちが消してしまった。何か、風刺があまりに特定の相手へ向いていると考えたのだろう。そのため、数を三に変えざるをえなくなった。そこから、考えたこともない危険な意味を、無理に絞り出そうとした者もいる。実際、数を変えたことで、趣向は半ば台無しになった。四のほうが、はるかにカバラ的であり、したがって、数にあるとされる力、当時嘲ろうとしていた迷信を、よく暴けたからである。」

注 [62a]

[62a] 「雨の空の下、三つの道と四つの道の交わる所で。」

原注 [62b]

[62b] ルクレティウス、第2巻。――S.

注 [62c]

[62c] 「ゆえに、このように傷つけうる声も、
あらゆる音も、すべて物体から成るのは確かである。」

注 [63]

[63] 焼かれるか、虫に食われるか。

注 [64]

[64] 王立協会が初めて会合を開いたのは、科学者の集うグレシャム・カレッジだった。ウィルズ・コーヒー店は、才人や文人の集う場所だった。

原注 [65a]

[65a] つまり、地球を動かす件。――S.

原注 [65b]

[65b] 「物知りたちの実験と、近代の喜劇。」――S.

原注 [67a]

[67a] 千年生きた。――S.

注 [67b]

[67b] つまり、一六九七年に。――S. ドライデンは一七〇〇年に死去した。一六九七年に書かれた『樽物語』の刊行は、一七〇四年になってからだった。

原注 [69a]

[69a] 元の表題紙は、ひどく破れていたので、著者がここで語る、いくつかの表題を取り戻すことはできなかった。――S.

原注 [69b]

[69b] ウェルギリウスの翻訳などを見よ。――S.

注 [70]

[70] ピーターはローマ教会、マーティンはイングランドで公認された改革教会、ジャックはイングランド国教会からの分離派。マーティンの名は、おそらくマルティン・ルターから、ジャックはジャン・カルヴァンから取られている。上着は、神に仕える者が皆まとうべき、義の衣である。意見は違っても、愛と務めにおいては、等しくあらねばならない。

注 [71]

[71] 貪欲、野心、高慢。古代の教父が、キリスト教の最初の腐敗として糾弾した、三つの大悪徳。――W・ウォットン。

注 [72a]

[72a] 仕立屋。

注 [72b]

[72b] 聖なる猿。

注 [75]

[75] 改革者たちは、ローマ・カトリックが、キリスト教の単純な教義へ、自作の発明を付け加え、その採用を、とりわけ重んじたと考えた。三兄弟についての、スウィフトの言葉、「父の残した上着は、たしかにたいへんよい生地で、縫い目も見事なので、一枚物だと誓ってもよいくらいだった。しかし同時に、たいそう地味で、飾りはほとんどないか、まったくなかった」に対し、W・ウォットンは、こう述べる。「これこそ、キリスト教の際立った特徴である。自らは異教徒だったアンミアヌス・マルケリヌスも、『キリスト教は完全で単純である』と記述した。」しかし、物知りのピーターは、ある教義が、一語一句そのままの言葉では見つからなくても、音節を一つずつ拾えば見つかり、それもだめなら、第三の方法で、文字を一つずつ拾って見つけ出せる、と論じる。

原注 [76]

[76] Quibusdam veteribus codicibus、「いくつかの古い写本において」。――S.

注 [77a]

[77a] 二種類とは、口頭の伝承と、書かれた記録。ローマ教会が伝承に置いた価値を指す。

注 [77b]

[77b] 炎色の裏地は煉獄の教義を、付属の追補は聖書に添えられた外典を表す。犬の世話係は、外典の『トビト記』への暗示だという。

注 [78a]

[78a] 地獄を恐れ、欲情を抑えよ。

注 [78b]

[78b] 単純な本文に対する、無理な注解と解釈。

注 [79a]

[79a] 教会の聖像。

注 [79b]

[79b] 福音を、原語のギリシア語、あるいはウルガタのラテン語の中へ閉じ込め、民衆の言葉で普及させることを禁じたこと。

注 [80a]

[80a] 父としての権威により発せられた教皇の勅書と教令。これが解釈と伝承の問題を決定しなければ、多くの不合理が生じるという。

注 [80b]

[80b] コンスタンティヌス大帝。ローマ教会は、彼から聖ペテロの領地の寄進を受け、わが古い改革者たちが「コンスタンティヌスの致命的な贈り物」と呼ぶ財産も、そこに始まったとされた。

原注 [84a]

[84a] ウォットンの『古代と近代の学問』を見よ。――S.

原注 [84b]

[84b] 批評家に対する風刺と頌辞。――S.

原注 [85]

[85] フォティオスにある、その著作の抜粋を見よ。――S.

注 [86]

[86] 「ヘリコンの近く、学問の丘の周りには、
花の臭いで人を殺す木が育つ。」――ホークスワース。

原注 [88]

[88] ある偉大な著者の流儀による引用。ベントリーの『論文』などを見よ。――S.

注 [89]

[89] 「そして、喜ばされるとき、いかに失望することか。」――コングリーヴ。ペイトの引用による。

注 [95]

[95] 平信徒に、聖餐の杯を与えないこと。トマス・ウォートンは、以下のくだりが、ラブレーにおけるパニュルジュの演説に、よく似ていると指摘し、スウィフトはラブレーを手本に、自分を作ったと述べている。

注 [96]

[96] 実体変化。

注 [98a]

[98a] 宗教改革。

注 [98b]

[98b] 十字架。「このしるしにおいて勝つだろう。」その一部とされる木片は、教会に数多くあった。

注 [98c]

[98c] 信ずべき奇跡の一つに、ロレートの礼拝堂が、聖地からイタリアへ旅をしたというものがあった。

注 [99a]

[99a] 民衆の言葉で、聖書の正確な写しを作った。

注 [99b]

[99b] 平信徒へ杯を与えた。

注 [99c]

[99c] 聖職者の結婚を認めた。

原注 [102a]

[102a] 「ホメロスは、すべての人間の事柄を、詩の中へ収めた。」――クセノポン『饗宴』。――S.

注 [102b]

[102b] 五十年ほど前、ケンブリッジのウェールズ人紳士が書いた論考。名は、記憶ではヴォーン。博学なヘンリー・モア博士による反論からも、そうとわかる。おそらく、どの言語でも、これまで刊行されたうち、最も意味不明な大言壮語の一つである。――S. この作品は、詩人ヘンリー・ヴォーンの兄弟による。

注 [110]

[110] ローマ教会をイングランド国教会へ変えた、マーティンの変更の後、ジャックの行動は、長老派を国教会から分離させ、上から下まで裂け目を入れた。

注 [111a]

[111a] 旧王立取引所の、柱廊の上の回廊には、かつて店が並び、その多くを女性が営んでいた。ロンドン生活のこの特徴は、デッカーの『靴屋の休日』や、ほかの芝居に描かれている。

注 [111b]

[111b] mobileという語をmobへ縮めた形が初めて現れたのは、チャールズ二世の時代だった。

注 [112]

[112] 禿のジャックはカルヴァン。禿を意味するcalvusから。提灯ジャックは、内なる光を唱えるクエーカー派。オランダのジャックは、再洗礼派のライデンのジャック。フランスのヒューはユグノー。乞食のトムはフランドルのゴイセン。北方の叩き屋ジャックは、スコットランドのジョン・ノックス。風崇拝者は、霊感を装う者たち。

原注 [116]

[116] ヘロドトス、第4巻。――S.

注 [119a]

[119a] ボンバスト・フォン・ホーエンハイム、すなわちパラケルスス。

注 [119b]

[119b] 反乱を説く、狂信的な説教者たち。

原注 [120]

[120] パウサニアス、第8巻。――S.

注 [122]

[122] クエーカー派は、女性が説教することを認めた。

注 [123]

[123] 風や空気を拝む者たちは、風を食べるカメレオンと、四本の手で風を打つ風車、ムーラン・ア・ヴァンに、悪霊を見いだした。

注 [126a]

[126a] フランス王アンリ四世。

注 [126b]

[126b] アンリ四世を刺したラヴァイヤック。

注 [127a]

[127a] スウィフトと同時代のフランス王、ルイ十四世。

注 [127b]

[127b] 西洋麝香。パラケルススは、人間の排泄物から、ジャコウネコの麝香と同じくらい流行する香料を抽出しようとしたといわれる。それをzibeta occidentalisと呼んだ。パラケルススによれば、体の後ろは西の部分だからである。

注 [129]

[129] 『親しい人々への書簡』第7巻第10書簡。宛先はトレバティウス。手紙の次の文からわかるように、彼はイングランドへは渡っていなかった。

原注 [135]

[135] 弁護士の馬車代。――S.

注 [136]

[136] 王立内科医協会。

注 [140]

[140] 悪い批評家たち。

注 [142]

[142] トマス・ヴォーンが執筆に用いた名。

注 [145a]

[145a] 『ヨハネの黙示録』第22章第11節。「汚れた者は、なお汚れるがよい。」「遺言の言い回し」とは、新約・旧約どちらかの聖句のことで、あらゆる場合に、しばしば、ひどく不適切に当てはめられる。

注 [145b]

[145b] 聖餐を受けるとき、膝をつかなかった。

注 [146a]

[146a] 彼の内なる光。

注 [146b]

[146b] 予定説。

原注 [147a]

[147a] 『ドン・キホーテ』を見よ。――S.

注 [147b]

[147b] スウィフトは、ジョゼフ・ホールの『別の世界、しかも同じ世界』における、モロニア、すなわち愚人国の習慣から、これを借りた。

注 [148a]

[148a] 長老派は教会音楽に反対し、集会所にオルガンを置かなかった。

注 [148b]

[148b] 教会の壁を飾ることに反対した。

注 [148c]

[148c] 全身を水へ浸す洗礼。

注 [148d]

[148d] 説教。

注 [151a]

[151a] 「この悪賢いプロテウスは、鎖を逃れるだろう。」――フランシス訳ホラティウス。

原注 [151b]

[151b] 『空気・土地・水について』。――S.

注 [152a]

[152a] チャールズ二世。統一法によって、最も敬虔な者の一部を含む、二千人の聖職者を、一日でイングランド国教会から追い出した。

注 [152b]

[152b] 「スカリゲルのものを含む」が、スウィフトの欄外注である。第六感は、ほかの五つの感覚が運ぶ情報を結びつけ、一つの全体として心へ伝える「共通感覚」だった。common senseは、もともと、一般の人々に共通する判断力を意味しなかった。共通感覚を欠く人とは、目や耳などから入る印象を、脳が適切に結びつけられない人のことだった。

注 [153]

[153] ここで指すのは、ジェームズ二世が、法に反してローマ・カトリックを、付随して非国教徒をも保護した、法律適用免除権の行使と、その結果強まった、ローマ・カトリックへの反感である。「大きな馬へ乗り、カスタードを食べるジャック」は、「鼻声でカスタードを冒涜し」ながら、市長や公職へ就く資格として、イングランド国教会で聖餐を受けることを求める法律には従った人々の、いわゆる一時的国教服従を表す。

原注 [155]

[155] ドルレアン神父。――S.

原注 [157]

[157] トロイゼンの人々。パウサニアス、第2巻。――S.

訳注 訳1

goose は「鵞鳥」と、仕立屋の使う「アイロン」の両方を指す。また、「仕立屋の地獄」は、布の裁ち屑などを入れる場所の俗称である。仕立屋の仕事道具を、神や地獄として描いている。

訳注 訳2

brass には「真鍮」のほかに「厚顔さ」の意味がある。比較した英語本文の sine mercurio は「水銀なしで」。鏡の材質と、批評家の性質を重ねる言葉遊びである。

訳注 訳3

bull は「雄牛」と「教皇の勅書」の両方を指す。ここでは、教皇の勅書を、吼え、火を噴き、金を求める雄牛として描いている。