錬金術 / 編者未詳(ヨハン・ペトレイウス刊)錬金術について ― 1541年論集・全巻
錬金術 / 編者未詳(ヨハン・ペトレイウス刊)
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1541年論集全巻。標題・序文・全12頁の目次・全著作・印刷者告知と書目・正誤表、1457対訳単位。Summa・エメラルド板の単独版と収録範囲が重複。
標題紙・刊記
本巻『錬金術について』には、以下の著作を収める。
アラビア人ゲベル、きわめて才知に富む哲学者にして、自然の事物、とりわけ金属に精通した者の著作。『金属の完全性の探究について』一巻。『金属の完全性、すなわち完成した術の大全』二巻。以下はすべて今回が初の刊行である。同じ著者による『真理、すなわち金属の完全性の発見について』一巻。『炉の建造について』一巻。
注 著者・翻訳経路・初刊に関する文言は1541年の標題紙の記載を訳したもの。これを現代の研究上確定した著者帰属として扱わない。
注 magisterium はこの文献でいう錬金術の術・作業全体を指す。「完成した術」と訳した。
さらに、碩学ロゲリウス・バコの『錬金術の鏡』。碩学イングランドのリカルドゥスの『錬金術の訂正書』。著者不詳の『錬金術小薔薇園』。ユダヤ人イアジクスの子カリドの『錬金術の秘密の書』。ヘルメス・トリスメギストスの、錬金術についての『エメラルド板』。哲学者ホルトゥラヌスの『ヘルメスのエメラルド板注解』。
注 Iudaei は標題紙の帰属表示に従って訳した。この記載によって歴史上の人物の出自が確定するわけではない。
すべて諸本を照合して十分に訂正し、著者たちの意図に即して新たな仕方で区分し、要旨と必要な挿絵を添えた。したがって、いま再生したものと呼ぶにふさわしい。ニュルンベルク、ヨハン・ペトレイウス刊。1541年。
注 校訂・挿絵について述べているのは1541年版の刊行者であり、本日本語版の作業内容についての主張ではない。
ポリュドロスの読者への序文
クリュソゴヌス・ポリュドロスによる、錬金術についてのいくつかの小書への、読者に宛てた序文。
私たちの蔵書から、錬金術についての古人の小書をいくつか選び、印刷者に刊行を委ねようと思ったのは、哲学を学ぶ人々に、そこからいっそう多くの益が行き渡るようにするためである。その際、何か序言を述べるべきだと考えた。というのも、善良ではあるが事物の本性に詳しくない多くの人々が、この種類の術全体を、まったく退け、沈黙のうちに覆い隠すべきだと考えているに違いないからである。あるいは、それがまったく虚偽だと思い、あるいは、多大な労苦をかけ、結果も不確かなまま探究するには、あまりに難しいと思うのであろう。私自身も、かつては同じ考えであった。しかし学びたいという欲求に引かれ、機会を得てこの種の著者たちを入念に調べたところ、そこから非常に多くの事物の知識を得た。そのため、少なからず自らを喜ばしく思うとともに、他の人々にも、ぜひこれらの著者を知るよう、ためらうことなく勧めるのである。
哲学はすべて、言葉を整えるか、習俗を形づくるか、自然の隠されたものを探究する。そして言葉への配慮は別の目的のためのものであり、習俗の規範は、いまや哲学以外のところから求められる。ならば、事物の本性と原因を説明する哲学の部分が最も優れていることを、誰が見落とそうか。さて金属は、自然界の小さからぬ部分をなす。人間の生活のいかなる領域も、損失なしに金属を欠くことはできない。金属はあらゆる職人の道具であり、あらゆる品の価を表すものであり、あらゆる位階の装飾だからである。医術に豊かな材料を供給し、絵画にさまざまな色を与えることは、ここでは言うまでもない。それらの役割を別にしても、ただ観察するだけで、大いに驚嘆させるものなのである。したがって、その本性を知ることは有益さにおいて勝るのか、それとも楽しさにおいて勝るのか、私はいまだに自分でも決められない。
アリストテレスとテオプラストスは、これらについて書いた。二人とも正確に書いたことは疑いない。そう信じるのが適当だからである。それらが現存していたなら、哲学を学ぶ者が、この種の著者たちにまで降りていく必要は、おそらくなかった。しかし、それらはいま失われており、確かな精密な知識を汲み取れるものは、ほかに残っていない。もしこの種の著作における言葉の不純さや、洗練を欠く異国風の表現を不快に思う人があれば、これほど長い年月を通じても、優れた事物の知識と雄弁とを結び合わせた者はごく少なかった、と考えるべきである。これほど貴重な宝を、言葉の不都合のために顧みず、まして捨て去るべきではない。
きわめて才知ある人々が、一部は哲学の原理、一部は経験による証拠、また一部はその双方を頼りに、この術について、さらには金属の本性全体について論じるのを聞くことは、労する価値がある。すなわち、金属の第一質料と近接質料は何か、その作用因は何か、それらは互いにどのように異なるのか、ある実体的形相によるのか、それとも付帯的性質だけによるのか、どのような類縁性を持つのか、一つを他へ変成できるのか、そしていかにして最高の完全性へ導くべきか、といった問題である。彼らは、これらすべてと同種の多くの問題を探究するか、あるいは、とうに発見したのだと、強い確信と権威をもって断言する。その際にもたらす光と知識は非常に大きく、アリストテレスやテオプラストスでさえ、同じほどのものを与え得ただろうかと、私はむしろ喜んで疑いたくなるほどである。したがって、哲学に対するこれほど顕著な付加を、学ぶ人々は無視したり軽蔑したりすべきではない。たとえ、異国風の著述の各所から乞い集め、糞のなかから金を拾うように集めねばならないとしても。
これらの著者を知ろうとするには、もう一つ、重要な理由がある。この術の評判がいったん世界に広まって以来、多くのならず者があちこちを徘徊し、実際には何も知らないのに、この術を知っていると公言する。そして、利益にも驚くべき術にも心を引かれる素朴な人々を、空しい希望で誘い、盗みや詐欺によって略奪する。そうした悪事、欺瞞、手品を、この術の奥処に入った者ほどすばやく見抜き、効果的に暴き立てる者はいない。この術は、哲学の知識なしには誰にも得られず、その知識を彼らは偽装できないからである。また、この術は本物の金銀について、非常に確実で有効な検査法を伝えている。その検査を免れるほど巧妙な、あるいは巧みに隠された偽造はなく、どれも見破られ、徹底的に打ち砕かれる。これは国家共同体にとっても、きわめて重大なことである。
この種の著者は、哲学を豊かにし、共同体に害をなす偽造者を暴く。それゆえ、たとえ術そのものが実在しないとしても、知るに値するのである。もっとも、それが真実でないと考える理由を、私は何も見いださない。哲学に最も熟達した人々によって、もっともらしく主張されているからである。また、明らかな欺瞞の動機のない術者たちが、聖なるものすべてにかけて、自分はこの術を発見したと誓い、公刊した書物においてさえ、それを確言している。彼らの証言を裏付けるのは、術の発見を自ら喜び、歓喜する心の感情である。それは非常に激しくほとばしるので、このような振る舞いを、どんな技巧によってもまねて作り出せるとは信じられない。
注 ここは序文著者による錬金術の擁護論であり、本対訳による実効性の認定ではない。
歴史の証言もある。決して軽視できない著者スイダスは、エジプト人がこの術から得た財力を頼りに、政変を企て、ディオクレティアヌスによって抑えられたと記している。その言葉を挙げよう。
「ケメイアとは」と彼は言う。「金と銀を製造することである。ディオクレティアヌスは、その書物を探し出して焼いた。エジプト人がディオクレティアヌスに対して反乱を企てたからである。彼は彼らを残酷かつ殺戮的に扱った。その際、金と銀のケメイアについて古人が書いた書物も探し出して焼いた。エジプト人が、今後このような術から富を得ず、豊富な財産を頼みに、再びローマ人に反抗することのないようにするためであった。」
注 底本のギリシア語引用を、合字を展開して転記。続く段落は、序文著者が同じ引用に添えたラテン語訳である。
すなわち、「ケミアは金銀の製造である。ディオクレティアヌスは、その書物を探し出して焼いた。エジプト人が彼に対して政変を企てていたためである。彼は彼らを苛酷かつ敵対的に扱った。その際、金銀のケミアについて古人が著した書物も捜し集めて焼いた。エジプト人が今後その術によって富を得ず、金銭の豊かさを頼みに、その後ローマ人に反乱しないようにするためであった。」以上が彼の言葉である。これは、ディオクレティアヌスを記述する他の歴史家たちとも相容れないものではない。
古代の詩人たちは、この術が存在したことだけでなく、いかに実践すべきかをも、非常に巧みな物語によって、申し分なく、ただし謎めいた仕方で示唆した。アルゴナウタイがコルキスへ求めに行った黄金の羊毛とは、この術の探究と暗示にほかならないではないか。このことについて、スイダスは別の箇所でこう述べる。
「これは、詩的な物語で伝えられるようなものではなく、皮に書かれた書物であり、ケメイアによって、どのように金が作られるべきかを記したものであった。それゆえ、当時の人々が、それから得られる効力ゆえに、それを黄金の皮と呼んだのも当然である。」
すなわち、「これは虚構の物語に言われるようなものではなく、羊皮に書かれた本であり、ケミアによって金をいかに作るべきかを記したものであった。それゆえ、その時代の人々が、そこから汲み取られる効力のために黄金の羊毛と呼んだのは、もっともなことである。」イアソンは、一定の危険な苦役をあらかじめ果たさなければ、黄金の羊毛を与えられない。これは、まず自分の手で行うことによって実践を学ばなければならない、という意味である。実践を知らない者は、この術について書かれた本を持っていても無駄なのである。
さらに、危険な航海は、いわゆる賢者の石の材料を探究することの難しさを示す。この材料は土の役割を果たし、しかも金属性であるため、金属の神マルスにちなんで「マルスの畑」と呼ばれる。そして、種を受け入れるのに適したものとなるよう、火の中で浄化・調製・完成されなければならないため、火を吐く牡牛によって耕され、手入れされると物語られる。この牡牛とは炉である。炉が正しく作られ、適量の火を絶えず供給しなければ、材料は損なわれるか、容器が壊れ、術者は有害な臭気を浴び、あるいは火災によって命を落とすことさえある。
次に、不眠の竜は水銀である。竜の歯は昇華したメルクリウスである。象牙の白さ、骨の硬さ、そして毒を伴う驚くほどの腐食性を備えているからである。これは昇華の際、兜に非常によく似たガラス容器で受け止められる。アラビア人はそれをアランビックと呼ぶ。それゆえ、竜の歯は兜に入れてイアソンに渡され、彼はそれを種の代わりにマルスの畑へ撒くのである。メルクリウスは、その土に固定されるまで、幾度もそこから昇華されなければならない。その際、小さな槍のように土から立ち上る。あるものはまっすぐ、あるものは傾き、あるものはまったく横向きになり、敵の喉元を狙うかのように、絶えず長く伸びる。動いているように見え、今まさに激しく戦おうとする、密集した軍勢の姿を示す。それゆえ、武装した男たちが生まれ出て、互いに傷つけ合って倒れると物語られる。つまり、最後にはその土に埋まり、固定されるのである。容器がガラス製、あるいは珪石製で、孔のないものでなければ、術者は臭気を浴びて危険にさらされるだろう。それゆえオウィディウスでは、イアソンが石によって危険を自分から敵へ向け直したと物語られるのである。
ここまでで賢者の石は完成した。残るのは、不眠の竜を眠らせることである。つまり、その石の効力によって水銀を金または銀に変えることである。これが成功すると、勝利したイアソンは黄金の羊毛を持ち去る。すなわち、術者はこの最も貴重な術を獲得したのである。しかし、その前に、オルフェウスの物語ではヘカテに供犠をささげる。この供犠には、大きな秘義が隠されている。また、同じ賢者の石は人間の身体をも治し、寿命の終わりまで健やかに無傷のまま保つといわれる。そのため、メデイアはイアソンの父を若返らせると物語られる。ヘスペリデスの園とカドモスの物語も、この術を示唆している。カドモスは、この術によって得た莫大な富でエジプトのテーバイを建てた。それゆえ、この術がとりわけエジプトで栄えたことを、不思議に思う必要はない。
注 神話と錬金術を結びつける解釈、および治癒・延命の主張は序文著者のもの。史実や医学的効能として保証するものではない。
以上は、この術の大きな証拠である。しかし、ユダヤ人たちがヘブライ語固有の意味に従って聖書から引き出すものは、それよりはるかに大きい。彼らは、この術もまた自分たちのカバラの一部であるという。そして、エゼキエル書のティルスの君主がこの術を行い、その術を頼みとして自分を神だと思ったため、預言者が彼を非難したのだという。彼らによれば、預言者はこう述べている。君主がその宝庫に持っていた金銀は、地中から掘り出したものでも、臣民から徴収したものでも、敵から奪ったものでもなく、この術に頼って自分で作ったものなのだ、と。それゆえ、そこでは、彼はダニエルよりも賢く、自然のあらゆる秘密を究めたといわれる。同じように彼らは、自分たちの先祖について、預言者ホセアがこの術の濫用を非難したのだと主張する。それは、神の立場で彼らに「私は彼らの銀を増やしたが、彼らはその偶像のために金を作った」と言ったときのことである。
注 ここでの聖書引用とその解釈は序文に印刷された形で訳し、現代日本語聖書の文言に置き換えていない。特定の宗教全体の見解とするものではない。
さらにこれを信じさせるため、彼らは、彼らの数え方で第12の詩篇において、ダビデがこの術をひそかにほのめかしているという。「神の言葉は清い言葉。アルデルの中で焼かれて土、あるいは粉となり、七たび溶かし直された銀である」と述べるときがそれである。彼らは逐語的にこのように解釈する。その解釈が正しいかどうかは、その言語に通じた人々が判断してほしい。そして、こう付け加える。銀をこのように扱うには多大な労力と最高の熟練が要るのだから、そうした扱いによって銀がいっそう貴重になるのでなければ、それを望むほど愚かな者はいない、と。また、その銀が金に匹敵しないのであれば、預言者は神の言葉をそのような銀に比べず、むしろ純金に比べたであろう、と。これは、銀についてのゲベルの言葉とも実によく一致する。「それをいっそう微細にし、微細化ののちに濃密にして固定することを知る者は、それを金と結び合わせるであろう」云々。
これらを述べたからといって、強く説得しようと望んでいるわけではない。もしここに確かな真理があるなら、哲学的な精神は、健全な目が光を捉え、磁石が鉄を捉えるのに劣らず、すみやかにそれを認め、掴むだろうからである。
この術の著述家には、およそ四種類がある。ある者たちは方法に従い、比喩や謎を使わず、哲学的な仕方で論じる。しかし石の材料をあまりに隠すので、神からの賜物なしには、誰も彼らの意図に到達できない。この種類ではゲベルが第一であり、後代の一部の著者が遠く離れて後を追う。たとえば、私たちのピコ・デッラ・ミランドラも言及したロゲリウス・バコや、その他多くの者である。別の者たちは、方法的に組み立てた術全体を、謎の中に包む。カドモス、ヘスペリデス、アルゴナウタイの物語を語る詩人たちや、『黄金の小書についての対話』の、ある後代の著者がそれに当たる。また別の者たちは、方法を省き、重要な事柄だけを比喩と謎で暗示する。そして、哲学の学びを十分に進めて、ほとんど自力でこの術を推し量れる者だけに理解されることを望む。ヘルメス、女預言者マリア、モリエヌス、『哲学者の集会』がこの種類に属する。第四の種類は、実践だけを書く。しかも非常に単純で粗朴に書くため、そこには何も隠されたものがないように見える。しかし、この種類には、諺にいうように「健全なものは何一つなく」、誤り、虚偽、偽りばかりが見いだされる。
学ぶ者は、何よりもゲベルから始めるべきである。彼は互いに証し合う四つの小著を著した。すなわち『探究』『発見』『炉』と『完成した術の大全』である。この『大全』を、ある者たちはさまざまに損ない、三巻、五巻、あるいは七巻に分けたが、実際には二巻しかない。私たちは諸本を照合し、可能なかぎり正確に訂正し、きわめて丁寧に区分したものを、友人たちに提供した。多くの者が同じ著者に帰す『根の書』も加えるつもりであったが、それが別人の作であることを、きわめて明白に見抜いたので、そうしなかった。
注 この刊本の編者が主張する著者帰属と校訂方針を訳した箇所。
最後に、この術の名称についても、読者に注意を促しておこう。エラスムスがこれを、異国風で奇妙な「アルクミスティカ」という名で呼んでいることを、私は不思議に思う。その正しい名はギリシア人によって「ケメイア」、すなわち溶融の術と呼ばれる。というのも、金属と、それに類する塩、明礬、礬類、つまり火の中で流れ、この術で主として扱われるものは、「流す」を意味する χέω、χῶ に由来して χήματα、すなわち溶融できるものと呼ばれるからである。これは ῥέω、ῥῶ から ῥήματα が生じるのと同様である。アラビア人はこの名をギリシア人から借り、自分たちの習慣に従って前に冠詞を付け、アルケミアと呼んだ。それは、プトレマイオスの「大いなる」著作を、アルメギストゥム、あるいはアルマゲストゥムと呼んだのと同様である。
注 語源説とギリシア語の語形は、この刊本が述べるものを保持した。現代語源学の結論として提示しない。
この術も、他のすべての術と同じく、一般には十分知られていない、独自の言葉や用語を持つ。一つには、それらが異国の外来語だからである。アルデル、アランビック、ボトゥス・バルバトゥス、アルカリ塩、エリクシルなどがそれに当たる。もう一つには、語が転用されているからである。たとえば imbibere は「潤す」の意味、figere と fixare は、材料が火の中で損なわれたり蒸発したりしないようにすること、descendere は、溶かし合わせて流し出すことを意味する。同種の語はほかにも多くあり、著者たちを入念に読むことによってのみ理解されるだろう。以上を序言とし、好意と学ぶ熱意を持つ読者を、これ以上引き留めることはしない。私の見込みが誤っていなければ、読者はすでに長いあいだ、心を躍らせて、この驚くべき術の奥処へ入ることを切望しているだろうからである。序文終わり。
原刊目次
『完全性の探究について』の各章に収められた内容の目次
注 原刊の目次全体を訳す。以下の数字は目次が指示する本文の刊本頁であり、この無頁付の前付自体の頁番号ではない。Caput/Cap. は「章」、Folio/fol. はここでは参照先の「頁」と訳した。
注 略字を展開し、長いs、u/v、i/j、合字、&、改行時の語分割と句読点を読書用に整理した。ibidem、ibid.、ibi. は「同頁」とし、角括弧内に直前の参照数字を補った。誤植と思われる参照頁も原刊の数字を保持する。
注 反復する柱見出し INDEX、折丁記号、次頁の冒頭語を示すキャッチワードは本文とは重複するため、個別の訳文単位には含めない。
第1章 序文。この書を書いた理由を説明する(1頁)
第2章 金属体を完全にするもの、および損なうものについて(2頁)
第3章 哲学者の石について。白化のためにも赤化のためにも石はただ一つであること、それが何から取り出されるか、また完全化の可能性について(4頁)
第4章 調製を助けるものと、その浄化について(5頁)
第5章 金属体の調製と改良についての総論(8頁)
第6章 ユピテル(錫)の調製について(10頁)
注 惑星・神の名による金属の呼称は、この目次でも原文に従い、必要に応じて通常の金属名を括弧内に補う。Mercurius と argentum vivum は、ともに水銀を指す。
第7章 サトゥルヌス(鉛)の調製について(12頁)
第8章 ウェヌス(銅)の調製について(13頁)
第9章 マルス(鉄)の調製について(14頁)
第10章 ソル(金)の調製について(15頁)
第11章 ルナ(銀)の調製について(同頁〔15頁〕)
第12章 大エリクシルの性質について(16頁)
第13章 作業の結語と結論(17頁)
『探究の書』の目次、終わり
『完全性の大全』二巻の各章に収められた内容の目次
第一巻には以下を収める
第1章 序文。この術の教え方と、適した弟子について(20頁)
第2章 この第一巻の四部への区分(22頁)
障害についての第一部には、以下を収める
第3章 障害の区分(23頁)
第4章 術者の身体に由来する、この作業の障害について(同頁〔23頁〕)
第5章 術者の精神に由来する障害について(24頁)
第6章 この術の作業を妨げる外的な障害について(26頁)
第7章 この第一部の結語。術者はどのような者でなければならないか(27頁)
この術を否定する者たちについての第二部には、以下を収める
第8章 これから述べる内容の全体的な区分(30頁)
第9章 この術を全面的に否定する者たちの、さまざまな論拠(同頁〔30頁〕)
第10章 予想される異論への応答。技術が、作用の性質に関するすべての相違において自然を模倣することは、できもせず、そうあるべきでもないこと。また、金属の原理についてのいくつかの学識ある考察(34頁)
第11章 この術を全面的に否定する者たちの論拠への反駁(36頁)
第12章 この術が存在することを前提とする者たちの、さまざまな見解(42頁)
第13章 硫黄に基礎を置く術を否定する者たちの論拠(44頁)
第14章 前述の論拠への反駁(45頁)
第15章 砒素に基礎を置く術を否定する者たちの論拠と、その者たちへの反駁(46頁)
第16章 硫黄、水銀、トゥティア、マグネシア、マルカシタ、塩化アンモニウムに基礎を置く術を否定する論拠と、それらへの反駁(同頁〔46頁〕)
注 トゥティア、マグネシア、マルカシタは歴史的な鉱物・製剤名。現代の単一物質との厳密な同定を意味しない。
第17章 金属体とともに固定される精気に基礎を置く術を否定する者たちの論拠と、その者たちへの反駁(48頁)
注 目次は48頁を指す。第17章の見出しは47頁末、本文段落は48頁から始まる。参照頁は原刊どおり保持した。
第18章 金属体に基礎を置く術を否定する論拠、とくに白鉛、すなわち錫、つまりユピテルについての論拠と、それらへの反駁(49頁)
第19章 黒鉛〔ここでは鉛〕に基礎を置く術を否定する者たちの論拠(51頁)
注 plumbum nigrum は黒鉛(グラファイト)を意味せず、白鉛と呼ばれた錫に対する鉛の旧称。
第20章 硬い金属体を硬い金属体と、柔らかい金属体を柔らかい金属体と混合することに基礎を置く術を否定する者たちの論拠(同頁〔51頁〕)
第21章 硬いものを柔らかいものと、完全なものを不完全なものと混合することに基礎を置く術を否定する者たちの論拠(52頁)
第22章 魂の抽出、または火の制御に基礎を置く術を否定する者たちの論拠(53頁)
第23章 ガラスと宝石に基礎を置く術を否定する者たちの論拠と、その者たちへの反駁(同頁〔53頁〕)
第24章 中間的鉱物、植物性のもの、あるいは何らかの事物の混合に基礎を置く術を否定する者たちの論拠(54頁)
自然の原理とその結果についての第三部には、以下を収める
第25章 古人の見解に従った、金属体の自然的原理について(55頁)
第26章 近人と著者の見解に従った、金属の自然的原理について(56頁)
第27章 三つの原理、すなわち硫黄、砒素、水銀について述べる内容の区分(60頁)
第28章 硫黄について(61頁)
第29章 砒素について(63頁)
第30章 生きた銀、すなわちメルクリウス(水銀)について(同頁〔63頁〕)
第31章 自然の原理が生み出す結果、すなわち金属体について(64頁)
第32章 ソル、すなわち金について(65頁)
第33章 ルナ、すなわち銀について(67頁)
第34章 サトゥルヌス、すなわち鉛について(68頁)
注 目次は68頁を指す。第34章の見出しは67頁末、本文段落は68頁から始まる。参照頁は原刊どおり保持した。
第35章 ユピテル、すなわち錫について(69頁)
第36章 ウェヌス、すなわち銅について(同頁〔69頁〕)
第37章 マルス、すなわち鉄について(70頁)
技術上の原理についての第四部には、以下を収める
第38章 この部で述べる内容の区分、および第二巻で説く完全化への示唆(72頁)
第39章 昇華について。なぜ考案されたか(74頁)
第40章 昇華とは何か、また昇華に際して守るべき三段階の火力について(76頁)
第41章 昇華の際に精気へ加える金属体の残滓と、その量について(78頁)
第42章 昇華における火の調節について(80頁)
第43章 硫黄と砒素の昇華に際し、残滓の量および炉の配置に関して避けるべき誤りについて。また炉の建造と薪の選択について(81頁)
注 原文の fornace construendo は性の一致が不規則だが、目次の語形を保持した。
第44章 アリュデルという器は、どの材料で、どの形に作るべきか(85頁)
第45章 メルクリウス、すなわち水銀の昇華について(88頁)
第46章 マルカシタの昇華について(91頁)
第47章 マルカシタを適切に昇華できる器について(92頁)
第48章 マグネシアとトゥティア、さらに不完全な金属体の昇華について。また、それらを上昇させる材料の添加について(95頁)
第49章 下降法と、小塊を用いる精製の方法について(97頁)
第50章 蒸留とその原因、および三つの種類、すなわちアランビック、下降式装置、濾過材を用いる方法について(100頁)
第51章 金属体と精気の双方の焼成について。その原因と方法を含む(105頁)
第52章 溶解について(111頁)
第53章 凝固とその原因について。また、水銀および溶解した薬を凝固させる、さまざまな方法について(114頁)
第54章 固定とその原因について。また、金属体と精気を固定する、さまざまな方法について(121頁)
第55章 蝋化について(124頁)
『完全性の大全』第二巻には、以下を収める
第56章 第二巻を三部に区分する序文(126頁)
完全化の可能性と方法を把握できる事物の認識についての第一部には、以下を収める
第57章 この術の完全化の認識は、精気と金属体の本性の認識に依存すること、また著者がその双方を詳しく論じようとすること(127頁)
第58章 硫黄と砒素の本性について(同頁〔127頁〕)
第59章 メルクリウス、すなわち水銀の本性について(229頁)
注 目次の原刊には229とある。本文の当該章は129頁に始まるため、百位の誤植と判断されるが、参照数字は訂正せず保持した。Commons PDF14頁とe-rara PDF19頁の双方で229を確認。
第60章 マルカシタ、マグネシア、トゥティアの本性について(131頁)
第61章 ソル、すなわち金の本性について(133頁)
第62章 ルナ、すなわち銀の本性について(135頁)
第63章 マルス、すなわち鉄の本性について。また硫黄と水銀の作用、ならびに損傷と完全化の原因について(136頁)
第64章 ウェヌス、すなわち銅の本性について(139頁)
第65章 ユピテル、すなわち錫の本性について(143頁)
第66章 サトゥルヌス、すなわち鉛の本性について(146頁)
薬と完全化の必要性などについての第二部には、以下を収める
第67章 不完全な金属体の各々と、同様に水銀には、白化用と赤化用の二種類の薬が必要であること。ただし、唯一の最も完全な薬によって、それらをすべて用いずに済むこと(150頁)
第68章 不完全な金属体の各々に、それ固有の調製を施すべきこと(153頁)
第69章 不完全な金属の不足は薬で補い、余分なものは調製によって取り除くべきこと(155頁)
第70章 サトゥルヌス(鉛)とユピテル(錫)の調製について(157頁)
第71章 ウェヌス(銅)の調製について(161頁)
第72章 マルス(鉄)の調製について(同頁〔161頁〕)
第73章 水銀の浄化について(163頁)
第74章 最も完全な薬は、清浄さ、色、融解性、永続性、重さという五つの異なる性質を必ずもたらすこと。そこから、この薬を何から取り出すか推測すべきこと(同頁〔163頁〕)
第75章 薬が必要な各種の性質を得るように施す調製について(165頁)
第76章 薬の区別について。あるものは第一階級、あるものは第二階級、またあるものは第三階級であること(166頁)
第77章 ウェヌス(銅)を白化する第一階級の薬について(168頁)
第78章 マルス(鉄)を白化する薬について(171頁)
第79章 ルナ(銀)を黄化する薬について(173頁)
第80章 第二階級の薬の各種の性質について(175頁)
第81章 不完全な金属体に用いる、銀化の薬と金化の薬について(177頁)
第82章 水銀を凝固させる薬について(179頁)
第83章 技術によって薬に浸透性を与える仕方について(181頁)
第84章 第三階級の薬についての総論(182頁)
第85章 第三階級の銀化の薬について(183頁)
第86章 第三階級の金化の薬について(185頁)
完全性の試験についての第三部には、以下を収める
第87章 これから述べる内容の区分(187頁)
第88章 灰吹きについて。なぜある金属体はそれに耐え、別のものは耐えないのか(同頁〔187頁〕)
第89章 灰吹き試験の実施方法(190頁)
第90章 セメント処理について。なぜある金属体はそれによく耐え、別のものはあまり耐えないのか(191頁)
第91章 セメント試験の組み立て方と実施方法(193頁)
第92章 灼熱について(195頁)
第93章 融解について(196頁)
第94章 腐食性物質の蒸気にさらすことについて(197頁)
第95章 灼熱したものを急冷することについて(199頁)
第96章 焼損させる硫黄の混入について(200頁)
第97章 焼成と還元について(202頁)
第98章 水銀を容易に取り込むことについて(同頁〔202頁〕)
第99章 この術全体の総括(203頁)
第100章 この術を教えるにあたり、著者が守った方法について(204頁)
『完全性の大全』の目次、終わり
『真理の発見について』の各章に収められた内容の目次
第1章 薬を取り出す材料の六つの性質について(206頁)
第2章 薬の七つの性質について(207頁)
第3章 全書の四つの小部への区分(209頁)
第4章 第一小部。中間的鉱物の調製について(210頁)
第5章 第二小部。精気の浄化についての短い序文(213頁)
第6章 硫黄の調製について(214頁)
第7章 砒素の調製について(215頁)
第8章 水銀の調製について(同頁〔215頁〕)
第9章 マルカシタの調製について(216頁)
第10章 トゥティアの調製について(同頁〔216頁〕)
第11章 第三小部の短い序文。金属体の調製について(217頁)
第12章 サトゥルヌス(鉛)の調製について(同頁〔217頁〕)
第13章 ユピテル(錫)の調製について(同頁〔217頁〕)
第14章 マルス(鉄)の調製について(219頁)
第15章 ウェヌス(銅)の調製について(同頁〔219頁〕)
第16章 第四小部の短い序文。薬について(221頁)
第17章 ユピテル(錫)とサトゥルヌス(鉛)に用いる白い薬について(同頁〔221頁〕)
第18章 ユピテル(錫)とサトゥルヌス(鉛)に用いる金化の薬について(223頁)
第19章 ウェヌス(銅)とマルス(鉄)に用いる白い薬について(224頁)
第20章 ウェヌス(銅)とマルス(鉄)に用いる赤い薬について(同頁〔224頁〕)
第21章 白化のための第三階級の薬について(225頁)
第22章 第三階級の金化の薬について(226頁)
第23章 溶解のための水と、その他の蝋化剤について(227頁)
『真理の発見』の目次、終わり
『炉の書』の各章に収められた内容の目次
第1章 『炉の書』を四部に区分する序文(229頁)
注 目次の序文項は「四部」と記す。ここに掲げる部見出しは第一・第二・第三部であり、第四部の見出しを補ってはいない。
作業の方法についての第一部には、以下を収める
第2章 焼成炉について(230頁)
第3章 昇華炉について(231頁)
第4章 蒸留炉について(233頁)
第5章 下降式の炉について(234頁)
第6章 融解炉について(235頁)
第7章 溶解炉について(236頁)
第8章 アタノール炉、すなわち固定炉について(237頁)
調製すべきものについての第二部には、以下を収める
第9章 精気、中間的鉱物、明礬類の調製について(238頁)
第10章 ユピテル(錫)の焼成について(239頁)
第11章 サトゥルヌス(鉛)の焼成について(同頁〔239頁〕)
第12章 ウェヌス(銅)の焼成について(240頁)
第13章 マルス(鉄)の焼成について(同頁〔240頁〕)
第14章 中間的鉱物の焼成について(同頁〔240頁〕)
第15章 焼いた金属体の洗浄について(同頁〔240頁〕)
第16章 洗浄した焼成物の蝋化について(241頁)
第17章 焼成物を固い塊へと還元することについて(同頁〔241頁〕)
第18章 調製した金属体の溶解と、定められた比率による、それらの所定の結合について。還元後に、輝きを備えたより良いものとなるようにする(242頁)
完全にすべきものと、変質させるものについての第三部には、以下を収める
第19章 第三階級の完全化の方法について(245頁)
第20章 ユピテル(錫)とサトゥルヌス(鉛)の処理について(246頁)
第21章 ウェヌス(銅)とサトゥルヌス(鉛)の処理について(247頁)
注 原刊のこの項には Veneris et Saturni(銅と鉛)とある。この表現を保持した。
第22章 マルス(鉄)の処理について(同頁〔247頁〕)
第23章 ルナ(銀)の処理について(248頁)
第24章 水銀の処理について(249頁)
第25章 未発酵のものに加える、ルナ(銀)の発酵種について(同頁〔249頁〕)
注 azymum は文字どおりには「発酵種を入れていないもの」。ここでは錬金術上の発酵の比喩として訳した。
第26章 赤化のための、ソル(金)の発酵種について(250頁)
第27章 水銀に加える、白い発酵種および赤い発酵種の発酵種について(同頁〔250頁〕)
第28章 著者の実験の総括(251頁)
第29章 水銀を用いた戯技(254頁)
第30章 ルナ(銀)の黄化(255頁)
『炉の書』の目次、終わり
博学なるロゲリウス・バコンの『錬金術の鏡』に収められた内容の目次
短い序文(257頁)
第1章 錬金術の定義について(同頁〔257頁〕)
第2章 自然の原理と鉱物の生成について(258頁)
第3章 どのものから、より直接にエリクシルの材料を取り出すべきか(260頁)
第4章 作業の方法と、火の調節および維持について(264頁)
第5章 器と炉の性状について(266頁)
第6章 作業中に現れる、付随的な色と本質的な色について(267頁)
第7章 いずれの不完全な金属体にも薬を投射する方法について(269頁)
『鏡』の目次、終わり
イングランドのリカルドゥスの『訂正書』に収められた内容の目次
第1章 序文。技術がいかに自然を模倣するか(272頁)
第2章 この術には哲学の学習が必要であること(274頁)
第3章 自然の原理について(275頁)
第4章 鉱物にはいくつの部類があるか(276頁)
第5章 水銀に起源を持つ金属についての総論(同頁〔276頁〕)
第6章 水銀から個々の種類の金属が生じる仕方(277頁)
第7章 水銀の生成と、水銀から金属が生じることについて(278頁)
第8章 水銀に起源を持たない鉱物の形成について(280頁)
第9章 普通の硫黄と単純な硫黄、ならびに水銀の生成について(282頁)
第10章 中間的鉱物を技術によって金属にすることは不可能であること(284頁)
第11章 普通の硫黄と、哲学者たちのいう単純で焼損させない硫黄との違いについて(287頁)
注 この一項はCommons PDF19頁末から20頁冒頭へ連続するため、一つの対訳単位にまとめた。
第12章 ルナ(銀)とソル(金)の中に、白い硫黄と赤い硫黄が存在する仕方(291頁)
第13章 他の病んだ金属体の中に、この硫黄を探しても役に立たないこと(292頁)
第14章 金が病を癒やし、また他の金属体を治すこと(294頁)
注 これは原著者の錬金術的・医療的主張を訳したものであり、金による疾病治療を現代の医学的事実として認めるものではない。
第15章 この術において真の個別的方法は二つしかなく、その第一が水銀に関わること(298頁)
注 原刊の in hoc arte は性の一致が不規則だが、原文の語形を保持した。
第16章 ルナ(銀)に関わる第二の個別的方法について(303頁)
第17章 まやかしの個別的方法について(304頁)
第18章 普遍的方法についての総論(307頁)
イングランドのリカルドゥスの『訂正書』の目次、終わり
『小薔薇園』に収められた内容の目次
序文は三節からなる
第1節 錬金術についての謎と、著者の論じ方について(309頁)
第2節 二種類の惑わす者に注意せよとの戒め。また、この術は固定された水銀に存すること(311頁)
第3節 同じ主題について。固定された水銀が完全化をもたらすこと。また作業とこの小書を、二部、すなわち二章に区分すること(313頁)
第一章は二十一節からなる
第1節 錬金術の作業について述べる内容の予告と区分(314頁)
第2節 サトゥルヌス(鉛)とユピテル(錫)の焼成について(同頁〔314頁〕)
第3節 ウェヌス(銅)とマルス(鉄)の焼成について(315頁)
第4節 ソル(金)とルナ(銀)の焼成について(316頁)
第5節 その他の物質と混合物の焼成について(同頁〔316頁〕)
第6節 精気の昇華について(同頁〔316頁〕)
第7節 不完全な金属体の昇華について(317頁)
第8節 完全な金属体の昇華について(同頁〔317頁〕)
第9節 固定について(318頁)
第10節 蒸留について(同頁〔318頁〕)
第11節 溶解について(同頁〔318頁〕)
第12節 蝋化について(319頁)
第13節 凝固について(同頁〔319頁〕)
第14節 白化のための個別的方法についての総論(同頁〔319頁〕)
第15節 白化のための個別的方法についての各論(321頁)
第16節 赤化のための個別的方法についての総論(323頁)
第17節 赤化のための個別的方法の具体例(324頁)
第18節 読者への呼びかけと、神への祈り(325頁)
第19節 『薔薇園』の鍵となる強水の調合(326頁)
注 aqua fortis は歴史的な「強水」の名称。ここでは現代化学の組成を断定しない。
第20節 前述の強水への賛辞(327頁)
第21節 この同じ水によって『薔薇園』を開くこと(329頁)
第二章は六節からなる
第1節 完全化の原因は水銀だけであること(330頁)
第2節 水銀の種類の違いについて(332頁)
第3節 普遍的方法を暗示する比喩(同頁〔332頁〕)
第4節 暗闇に覆われた実践(333頁)
第5節 完全な染成剤の性質について(335頁)
第6節 これまで述べたすべての結語、すなわち総括(336頁)
『小薔薇園』の目次、終わり
カリドの『秘密の書』に収められた内容の目次
この術の困難さについての序文(336頁)
注 目次の原刊には336とあるが、本文のカリドの序文は338頁に始まる。参照数字は訂正せず保持した。Commons PDF21頁とe-rara PDF26頁の双方で336を確認。
第1章 この術の四つの作業、すなわち溶解、凝結、白化、赤化について(342頁)
第2章 この作業に必要かつ適切な材料と器具について(346頁)
第3章 この作業に関わるものの本性について(347頁)
第4章 煮熟とその作用について(348頁)
第5章 石の精妙化、溶解、凝固、混合について。また、それらの原因と目的について(同頁〔348頁〕)
第6章 精気の固定について(350頁)
第7章 石の煮熟、粉砕、洗浄について(351頁)
第8章 火の強さと、その利点および害について(352頁)
注 目次は352頁を指す。第8章の見出しは351頁末、本文段落は352頁から始まる。参照頁は原刊どおり保持した。
第9章 石の諸元素の分離について(同頁〔352頁〕)
第10章 石の本性とその起源について(354頁)
第11章 分離した諸元素の混合について(同頁〔354頁〕)
第12章 合成した石の溶解について(356頁)
第13章 溶解した石の凝固について(357頁)
第14章 石はただ一つであること、およびその本性について(358頁)
第15章 石を白へ導く作業の方法(359頁)
第16章 前述の石を赤へと変えること(361頁)
カリドの『秘密の書』の目次、終わり
ヘルメス・トリスメギストスの『エメラルド板』(363頁)
ホルトゥラヌスの注解に収められた内容の目次
ホルトゥラヌスの祈り(364頁)
序文(同頁〔364頁〕)
第1章 錬金術は真実かつ確実であること(365頁)
第2章 石は二つの部分に分けられるべきこと(同頁〔365頁〕)
第3章 石はその内に四つの元素を有すること(366頁)
第4章 石は父と母、すなわち太陽と月を有すること(同頁〔366頁〕)
第5章 石の部分同士の結合は受胎と呼ばれること(367頁)
第6章 魂が身体の中に固定されれば、石は完全となること(同頁〔367頁〕)
第7章 石の浄化について(368頁)
第8章 石の固定されていない部分が、固定された部分を凌駕し、これを上昇させるべきこと(369頁)
第9章 揮発性の石を再び固定する方法(370頁)
第10章 この術の成果と、石の効力について(同頁〔370頁〕)
第11章 この術の作業は、宇宙の創造を模倣すること(371頁)
第12章 石の本性が何であるかを、謎めいた仕方で示すこと(同頁〔371頁〕)
第13章 なぜ石が完全と呼ばれるのか(372頁)
ホルトゥラヌスの注解の目次、ならびに目次全体の終わり
ゲベル『完全性の探究について』
アラビア人ゲベル、きわめて才知に富む哲学者にして自然の事物、とりわけ金属に精通した者の、錬金術についての小書。著者が『完全性の探究について』と題したもの。訳者不詳。
第1章 序文。この書を著した理由を述べる。
この最も高貴な学知について、絶えず幾度も作業に励み、それに見合うほど熱心に研究し、さらに私たちの深く多様な思索を結び合わせて得た探究を、あなた方に伝えよう。それによって、これに続く諸巻がよりよく、より明瞭に理解され、理解したこと、またそれについて工夫し精査したことが、いっそう容易に、すみやかに実現へと導かれるようにするためである。術の理を探究することと、その微妙な点や工夫を試みて確かめ、作業し、精査し、経験することによって目的の完成に到達することとは、別のことである。そこで私たちは、本書において、述べた方法で探究した事柄、すなわちこの術を完成させる事柄を、私たちの理解の筋道に従って記した。
注 scientia はここで著者が体系的な知として捉える錬金術。「学知」と訳し、現代科学としての妥当性を含意させない。
ただし、この『探究』を、『術の完全性の大全』と題する私たちの書より先に著したと思ってはならない。その『大全』では、私たちが見て触れたすべてを、学知の順序に従って十分に論じた。それは、自然のものと鉱物の作用、および作業のうちに現れるさまざまな変成をもたらすものを精査して記録した、経験と確かな認識に基づく。私たちは、先にまとめた学知を明らかにするために、この探究の解説を書き、それによってその学知をあらわにしようと工夫した。それゆえ、本書がかの書に先行するのは当然である。本書によって、完全化するものの認識を探究しようとしているからである。
注 執筆順とこの巻における配列順を区別して説明する箇所。
第2章 金属体を完全にするものと、損なうものについて。
さて、この学知は不完全な鉱物体を扱い、それらをいかに完全にすべきかを論じる。そこで私たちは、まずこれらについて二つのこと、すなわち不完全性と完全性を考察した。この二つに私たちの論述の基礎を置く。そして私たち自身の経験によって探究したところに従い、完全にするものと損なうものについて本書を著す。対立するものは、並べて置けば、いっそう明らかになるからである。
鉱物において完全化するものとは、水銀と硫黄とが適切な比率で混じり合った実体であり、清浄な大地の内部で長く穏やかに煮熟されて濃密となり、固定されたものである。それは、損壊をもたらさない根源的な湿りを保ちながら、適切に火で熱すれば溶け、槌の下で延びる、堅固な実体へと導かれている。
注 水銀・硫黄は著者の金属生成論の原理でもあるため、現代の純物質の性質を述べた記述とは限らない。
注 humiditas radicalis は生成・存続の根にあるとされる「根源的な湿り」。
注 原刊巻末正誤表(3頁5行)に従い、本文の extendibilem を extensibilem とした。補訂前の全文はデータの source_la_uncorrected に保持。
この完全化するものの本性を定義すれば、損なうものの認識へ、より容易に到達できる。後者は、反対の意味に理解されるべきものである。すなわち、水銀と硫黄の不純な実体であり、適切な比率を欠いて混合され、あるいは不浄な大地の内部で十分に煮熟されず、正しく濃密化も固定もされていない。その湿りは燃えやすく損壊をもたらし、実体は疎で多孔性である。あるいは、適切に赤熱する前に溶けるか、まったく溶けず、槌打ちにも十分に耐えない。第一の定義に当たるものは、太陽と月という二つの金属体に、それぞれの完全性に応じて見いだした。第二の定義に当たるものは、錫、鉛、銅、鉄という四つに、それぞれの不完全性に応じて見いだした。
注 金属の象徴名としての太陽は金、月は銀を指す。原文の区別を保つため本文では象徴名を残す。
これらの不完全な金属体は、そのうちで逆の作用を働かせなければ、健全さと完全性へと戻せない。つまり、明らかになっているものを隠し、隠れているものを明らかにしなければならない。この作用、あるいは反転は、調製によって行われる。それゆえ、これらには調製を施すべきである。したがって調製するとは、余分なものを取り去り、欠けているものを補い、こうして知られた完全性をそれらにもたらすことである。完全な金属体には、この種の調製は必要ない。
しかし完全な金属体も、その部分がいっそう微細となり、物体としての状態から固定された精気的な状態へと移されるような調製は必要とする。その目的は、それらから固定された精気的物体を作ること、すなわち、以前よりはるかに薄く微細なものにすることにある。これらすべての調製については、私たちの探究に従い、本書のそれぞれの箇所で十分に論じよう。十分に調製されたのち、それらは、白または赤の偉大なエリクシルを作るのに適したものとなるだろう。
注 spiritualitas はこの物質論での揮発的・微細なあり方を含む語。「精気的」とし、精神的な体験への置き換えは行わない。
注 fixation は、ここでは火に対して逃散しにくい状態にすることを含む錬金術的操作概念。
注 原刊巻末正誤表(3頁最終行)に従い、本文の quod eorum を qua eorum とした。補訂前の全文はデータの source_la_uncorrected に保持。
第3章 賢者の石について。白にも赤にも石はただ一つであること、何から取り出されるか、また完全化の可能性と方法について。
私たちは、同時代の著者たちが、白または赤へと完成させる石はただ一つだと書いているのを見いだした。これは真実であると私たちも認める。白または赤のエリクシルが何から作られようとも、そこにあるのは水銀と硫黄以外の何ものでもない。一方だけでは何も作用せず、他方なしには存在することもできない。それゆえ、石は多くの物体あるいは事物から取り出されるとしても、哲学者たちはそれを一つの石と呼ぶ。ある物のなかに存在しないものをそこから取り出せると考えるのは、一部の愚かな者が思ったように、愚かで空しいことである。それは決して哲学者たちの意図ではなかった。ただし彼らは、多くのことを比喩によって語る。
注 原刊巻末正誤表(4頁16行)に従い、本文の ex quacunque を ex quocunque とした。補訂前の全文はデータの source_la_uncorrected に保持。
すべての金属体は、純粋または不純な水銀と硫黄から成る。そして〔不純さは〕付帯的なもので、その第一の本性に生まれつき備わるものではないから、適切な調製によって取り去ることもできる。付帯的なものを取り除くことは、不可能ではないからである。したがって調製とは、不完全な金属体において、余分を取り去り、不足を補うことであり、作業と浄化する物質の助けなしには行えない。
注 底本の文は per accidens の前後で構文が省略的・不整合になっている。原文の語は補わず、文意を通すための日本語の補足だけを〔不純さは〕と括弧で明示した。
注 accidens は本性そのものと区別された付帯的性質。
調製を必要とするものがさまざまであるのに応じ、調製も異なる。経験は私たちに操作の方法を与えた。すなわち、焼成、昇華、下降、溶解、蒸留、凝結、固定、蝋化である。これらの一つ一つについては、『術の完全性の大全』に十分な説明を記した。これらが調製を助ける作業なのである。
注 下降は熱によって下方へ流下させる操作、蝋化は蝋のように軟化・融解しやすくする操作を表す歴史的用語。現代の実験手順として提示したものではない。
注 原刊巻末正誤表(5頁7行)に従い、本文の Diversificatur enim を Diversificatur autem とした。補訂前の全文はデータの source_la_uncorrected に保持。
第4章 調製を助ける物質と、その浄化について。
調製を助けるものは、あらゆる種類の塩、明礬、礬類、またガラス、ボラクス、およびそれらに類するもの、さらに非常に強い酢と火である。私たちは、これらを用いて不完全な金属体を調製しようとしている。ただし、これらに何らかの不純物があるなら、まず浄化するのが適切である。それは、前述のことによって確証を得た私たちの経験に従うものである。
注 atramentum はこの箇所では鉱物性の礬類を指す語。後続では黒・緑などの種類が区別される。現代の単一の純物質名に固定しない。
注 以下は1541年刊本に伝わる歴史的記述の訳であり、実践用の安全な手順ではない。
通常の塩の浄化。通常の塩は、次のように浄化する。まず火にかけ、火にかけたものを温かい普通の水に溶かす。溶けたものを濾過材を通して滴下させ、滴下したものを釉をかけた浅皿に入れ、弱火で固まらせる。固まったものを中程度の火で一昼夜焼成する。こうして十分に浄化したものを保存せよ。
注 per filtrum distillare はここでは濾過材を通す滴下。すべてを現代の加熱蒸留と同一視しない。
アルカリ塩の浄化。アルカリ塩は通常の塩と同じように浄化する。これはガラスの脂である。まずすり潰し、そのすべてを温かい普通の水に溶かす。次に濾過材を通して滴下させ、固まらせ、弱火で焼成する。
注 sagimen vitri は直訳して「ガラスの脂」。ガラス製造に関わる歴史的物質呼称として保持した。
岩塩の浄化。まずすり潰し、次に通常の塩と同じように処理する。
アンモニアク塩の浄化。まず、浄化した通常の塩の調製物とともにすり潰す。その後、背の高いアルデルの中で、すべてが純粋なものとして取り出されるまで昇華させる。それから、その水を作りたいなら、露天で斑岩の上に置いて溶かす。あるいは、十分に昇華・精製した状態で保存する。
注 aludel は昇華などに用いる容器の名称。
注 原刊巻末正誤表(6頁18行)に従い、本文の in alto aludel を in alto aludele とした。補訂前の全文はデータの source_la_uncorrected に保持。
その他の塩の浄化。なお、さまざまな種類の塩がある。それらは、すでに述べた方法で調製し、浄化する。
明礬類の浄化。まず氷状明礬について。これは浄化しなくても、多くのものの調製に用いることができる。ただし、浄化するには次のようにする。アランビックに入れ、そこから湿りをすべて取り出す。この湿りは、この術において大きな効力を持つ。容器の底に残った滓は、湿った場所で石の上に置いて溶かすか、そこから取り出した水に溶かすか、あるいはそのまま保存する。
注 alumen glaciale は氷に似た結晶状の明礬類をいう歴史的名称。
ラメニ明礬の浄化。ラメニ明礬も氷状明礬と同じように調製する。ただし、この術においては、より大きな効力を持つ。
注 lameni は底本の物質名を音写。確実でない現代物質への同定を避けた。
その他の明礬類の浄化。明礬類には、さらに多くの種類がある。これらはすべて、すでに述べたものと同じように調製し、浄化する。
礬類の浄化。まず黒い礬について。黒い礬は次のように浄化する。まず清浄な酢に溶かし、その後、蒸留して凝結させる。あるいは、まずアランビックに入れ、湿りをすべて取り出す。この蒸留で焼成された滓を、斑岩の上で、あるいはそれ自身の水の中で溶かし、凝結させる。または、術者の望むところに従って、その水そのものを保存する。
クペローサの浄化。クペローサ、すなわちウィトリオルムは、黒い礬と同じように浄化する。ただし、黒い礬は緑の礬よりも多くの土性を持つ。
注 vitriolum などの礬類の名称は、近代以後の硫酸塩の分類とそのまま一致するわけではない。
その他の礬類の浄化。礬類にはさまざまなものがあり、異なる色のものが見いだされる。これらも前述のものと同じように浄化する。
ガラスとボラクス類について。ガラスとボラクス類は、適切に作られているならば、調製を必要としない。
非常に強い酢の浄化。酢、またどの種類であれ鋭いもの、あるいは酸いものは、蒸留によって微細となり、精製され、その力ないし作用が増す。私たちは、適切な火を常に媒介として、不完全な金属体を調製・精製・改善・微細化するのに用いられる物質の浄化と精製について、十分に論じた。
第5章 金属体一般の調製と改善について。
金属体は、これらの物質によって、火の働きを目的として、次のように調製・精製される。これらの不完全な金属体は、余分な湿りと、燃えやすい硫黄性を持つ。この硫黄性は、その内部に黒さを生み出し、金属体を損なう。また、不浄で滓を含み、燃えやすく、過度に粗大な土性も持ち、それが浸透と溶融を妨げる。これらやこれに類するものは、前述の金属体における余分なものであり、私たちの経験と、確実で工夫に富む探究によって、その内部に見いだされたものである。
これらの余分なものは、金属体の根源に属するのではなく、付帯的に加わったものであり、付帯的なものを取り去ることは可能である。それゆえ私たちは、人工的な火と、前述の浄化した物質を用いて、余分な付帯的性質をすべて取り除き、水銀と根源的な硫黄の実体だけが残るようにしなければならない。これが、不完全な金属体の完全な調製であり、十分な精製である。残された純粋な実体の改善・精製・微細化は、エリクシルの必要とするところに従い、さまざまな方法で行われる。
そこで、調製と精製の一般的方法はこうである。まず、適度の火によって、その実体のなかの余分で損なわれた湿りをすべて昇らせ、また微細で焼損をもたらす余分なものも昇らせる。これは焼成によって行う。次に、その灰のなかに残る、余分で焼損をもたらす湿りと黒さから成る損なわれた実体を、前述の浄化した、鋭い、あるいは酸い腐食性物質で、すべて腐食させなければならない。灰が白または赤、あるいはその金属体の本性と性質に応じた色となり、前述のあらゆる余分や損壊を免れて清浄かつ純粋になるまで、そうする。これらは、こうした腐食性物質を用いて、すり潰し、浸し、洗うことによって浄化される。
その後、不浄な土性と、燃えやすく粗大な滓をすべて除き去るか、分離しなければならない。そのため、前述の物質のうち、浄化済みまたは純粋で、金属のようには溶融しないものを、すでに述べた方法で精製した灰と混ぜ、よくすり合わせる。これらの物質は、溶融時、あるいは灰を金属体へ戻す際に、前述の粗大で不浄な土性を自らの側に保持する。こうして、損壊をもたらすあらゆる余分なものから浄化された、純粋な金属体が残る。そして、全体を下降させるのである。
注 reductio は灰状の物を再び金属体に戻すことをいう。現代化学の酸化還元の説明を補ってはいない。
注 原刊巻末正誤表(10頁1行)に従い、本文の Ex hoc totum descendendo を Et hoc totum descendendo とした。補訂前の全文はデータの source_la_uncorrected に保持。
これらの純粋な実体を改善し、微細化する一般的方法はこうである。まず、浄化され金属体へと戻されたこの物体を、火と前述の浄化の補助物質によって、もう一度焼成する。その後、溶解させるものによって溶解する。この水こそ、私たちの石であり、水銀から得た水銀、硫黄から得た硫黄であり、精気的な物体から抽出され、微細化、すなわち希薄化されたものである。この水は、それと同類の、別の調製済みの物質を用い、その内部の元素的な諸力を強めることによって、改善できる。また、色、固定性、重さ、純粋さ、溶融性、その他完成したエリクシルに関わるすべてを増すことによっても、改善できる。
これが、私たちだけによって探究された、鉱物体一般を調製・精製・微細化・改善する方法である。さて、不完全な金属体のそれぞれについて、特殊な、すなわち個別の調製と、そのすべての方法へ進もう。完全な鉱物体についても同様に扱う。まずユピテルについて。
注 ユピテルはここでは錫の象徴名。
第6章 ユピテルの個別的な調製について。
ユピテルの調製には多くの方法があるが、次の方法がよりよい。適した容器に入れて焼成炉に置き、下から火を加えて金属体がよく溶けるようにする。その溶けた金属体を穴のあいた鉄のへらで動かし、上に生じる鉱滓をかき集める。火の熱を同じように保ちながら、再び金属体を動かし、その粉が表面に十分に集まるまで続ける。そこで粉を取り除き、再び動かす。こうした交互の処理により、金属体のすべてがきわめて微細な粉になるまで続ける。その粉を篩い、炉に戻して、溶融させる程度を超えない適切な火を加え、幾度も動かす。その焼成の火に一昼夜ほど置き、付帯的な湿りと余分なものが、燃えやすく損壊をもたらす硫黄とともに、すべて除かれるようにする。その後、浄化された白い灰を取り出す。
火は、前述の物のなかから、逃散しやすく燃えやすい実体をすべて昇らせ、消耗させるからである。すなわち、浄化した通常の塩と明礬、精製された非常に酸い酢で大いに洗い、日光か空気にさらす。そして再びすり潰し、洗い、乾燥させる。この交互の処理を繰り返し、塩、明礬、酢の鋭さによって、その湿り、黒さ、不純物が、すべて消耗・腐食・除去されるようにする。次に、前述のものに粉砕したガラスを加える。すべてが練り合わされたら、十分な火によってボトゥス・バルバトゥスを通して下降させる。純粋で清浄な金属体が下降し、土性の滓を含む実体はすべて、ガラス、塩、あるいは明礬とともに残るのである。
注 冒頭の Nam ignis 以下は底本で文の接続が不整合である。失われたと推測した作業命令を原文に書き足してはいない。
注 Botus barbatus は下降操作に用いる器具の歴史的名称。構造の推定や代替器具の提案は行わない。
下降して再び得られたこの清浄な金属体には、清浄な水銀と、焼損をもたらさない白い硫黄との、均衡した完全な比率がある。火と腐食性物質が、すべての湿りと、逃散しやすく燃えやすく損壊をもたらす実体、さらに黒さを分離したからである。また、下降器、あるいは塩・明礬・ガラスの練塊によって、土性の滓を含む実体はすべて分離され、純粋で調和した実体が、その比率を保って残ったのである。
その後、戻し得た純粋な金属体を、浄化した純粋なアンモニアク塩だけとともに再び焼成し、重さが等しく、あるいはほぼ等しくなるようにする。よく、きわめて細かく焼成されたら、全体を斑岩の上で、長い時間をかけ十分にすり潰す。そして、露天の冷たく湿った場所、または溶解炉内の丸いガラス容器、あるいは「馬の腹」に置き、必要なら塩を増して、すべてが溶解するようにする。この水を私たちは尊重しなければならない。これこそ、白のために求めているものだからである。ユピテルの調製については、以上で十分としよう。
注 venter equinus(馬の腹)は錬金術文献で馬糞を用いた穏やかな加温環境を指す呼称。
注 重さを何と等しくするかは、この文自体では明示されていない。訳で割合を創作しない。
第7章 サトゥルヌスの調製について。
注 サトゥルヌスはここでは鉛の象徴名。
サトゥルヌスも次のように調製する。同じように焼成炉に置き、ユピテルの場合と同じく動かして、きわめて細かな粉へと変える。これを篩い、炉へ戻す。前述の方法で焼成の火に置き、逃散しやすく燃えやすい実体を除く。その後、赤い灰を取り出し、浄化した通常の塩、礬、精製された非常に酸い酢で、幾度も浸し、きわめて細かくすり潰す。白のために通常の塩、ラメニ明礬、酢を用いたのと同様に、赤のためにはこれらを用いよ。それから、ユピテルについて述べたように、幾度も乾燥させ、浸し、すり潰し、述べた物質の助けによって不純物を除く。
次に、前述のものにガラスを加え、ボトゥス・バルバトゥスを通して純粋な金属体を下降させ、下降によって回収する。ユピテルの場合のように、純粋なアンモニアク塩とともに再び焼成し、非常に細かくすり潰し、前述の方法で溶解する。これこそ、適切な比率で作られた水銀と硫黄の水であり、赤いエリクシルの合成に私たちが用いるものである。サトゥルヌスの調製については、以上で十分としよう。
第8章 ウェヌスの調製について。
注 ウェヌスはここでは銅の象徴名。
ウェヌスも、次の方法で最もよく調製される。坩堝の中に十分に浄化した通常の塩の層を置き、その上にウェヌスの薄板、さらに塩の層、その上に薄板というように、容器が満ちるまで交互に重ねる。蓋をして泥で封じ、焼成炉に一昼夜置く。取り出して、焼成された部分を削り落とし、薄板を新しい塩とともに戻す。このように交互に焼成し、すべての薄板が塩と火の助けによって消耗するか、腐食されるまで続ける。塩は余分な湿りと燃えやすい硫黄性を腐食し、火は適度に、逃散しやすく燃えやすい実体を昇らせるからである。
その粉をすべてきわめて細かくすり潰し、流れ出る水から黒さがなくなるまで酢で洗う。次に、新しい塩と酢で交互に浸し、すり潰す。すり潰したのち、開いた容器に入れて焼成炉へ戻し、三昼夜そこに置く。その後、取り出してよく細かくすり潰し、あらゆる不純物から清浄にされるまで、酢で長く十分に洗う。日光でよく乾かし、その半量のアンモニアク塩を加えて、触れて粒を感じない実体となるまで、長く十分にすり潰す。露天、または溶解のための糞の中に置き、そこにある微細なものがすべて溶けるようにする。必要なら、浄化したアンモニアク塩を新しくし、すべてが水となるようにする。この水を尊重せよ。私たちはこれを、固定された硫黄の水と呼ぶ。これによって、エリクシルは限りなく染められるのである。ウェヌスの調製については、以上で十分としよう。
注 原文の「限りなく」は著者の主張を訳したものであり、現代的な性能の保証ではない。
第9章 マルスの調製について。
注 マルスはここでは鉄の象徴名。
マルスは、次の方法でよりよく調製される。ウェヌスと同じように、浄化した通常の塩とともに焼成し、純粋な酢で洗う。洗ったものを日光で乾燥させ、乾燥したら、再び新しい塩と酢ですり潰して浸し、ウェヌスについて述べたように、同じ炉に三日間置く。溶けたものを尊重せよ。すなわち、エリクシルの色を驚くほど増す、固定された硫黄の水である。不完全な金属体の調製については、以上で十分としよう。
注 原刊巻末正誤表(16頁1行)に従い、本文の in ipsa subtiliatione を in ipsius subtiliatione とした。補訂前の全文はデータの source_la_uncorrected に保持。
第10章 太陽の調製について。
注 原刊巻末正誤表(16頁1行)に従い、本文の in ipsa subtiliatione を in ipsius subtiliatione とした。補訂前の全文はデータの source_la_uncorrected に保持。
完全な金属体は、すでに完全である以上、完全性を与えるための調製を必要としない。しかし、いっそう微細で希薄なものとするためには、次のような調製を施すべきである。薄板に延ばした太陽を取り、十分に調製した通常の塩とともに、薄板を層にして焼成容器に置く。それを炉に入れ、三日間、あるいはすべてが細かく焼成されるまで、よく焼成する。次に取り出し、十分によくすり潰し、酢で洗い、日光で乾かす。その後、その半量の浄化したアンモニアク塩とともによくすり潰し、溶解させるために置く。通常の塩とアンモニアク塩の助けによって、すべてが非常に澄んだ水に溶けるまで、そうする。これが、赤いエリクシルのための貴重な発酵素であり、真に精気的なものとなった物体である。
注 ここでの太陽は金。fermentum は変成を働かせる種・触媒的な原理を指す歴史的語で、「発酵素」と訳した。現代の酵素と同義ではない。
第11章 月の調製について。
注 原刊巻末正誤表(16頁1行)に従い、本文の in ipsa subtiliatione を in ipsius subtiliatione とした。補訂前の全文はデータの source_la_uncorrected に保持。
銀も、すでに述べた方法によって微細で希薄なものとされ、精気的な状態へと移される。それゆえ、その微細化においては、一つ一つ、すべてについて、太陽に行ったとおりにせよ。溶解した月の水は、白いエリクシルのための、精気的なものとなった発酵素である。
注 原刊巻末正誤表(16頁1行)に従い、本文の in ipsa subtiliatione を in ipsius subtiliatione とした。補訂前の全文はデータの source_la_uncorrected に保持。
第12章 大エリクシルの性質について。
注 原刊巻末正誤表(16頁1行)に従い、本文の in ipsa subtiliatione を in ipsius subtiliatione とした。補訂前の全文はデータの source_la_uncorrected に保持。
私たちは、不完全な金属体の調製と、完全な金属体の微細化を、十分に説明した。分別ある人なら誰でも、それらによって目的を成し遂げられるようにするためである。そこで、大エリクシルの合成の性質と作用の仕方に注意してほしい。私たちが作ろうとするのは、一つの実体である。ただしそれは、複数のものから集められ、一つに結ばれ、固定されたものである。火の上に置いても火に追い出されず、溶けたものに混じり、その内部にある浸透可能な実体によって、それらとともに溶けるものを求める。また、その内部にある混合可能な実体によって混じり合い、凝固させる実体によって堅固となり、固定させる実体によって固定され、金や銀を焼損しないものによっては焼損されず、適切で完全な赤熱とともに堅固さと重さをもたらすものを求める。
注 原刊巻末正誤表(16頁1行)に従い、本文の in ipsa subtiliatione を in ipsius subtiliatione とした。補訂前の全文はデータの source_la_uncorrected に保持。
ただし、短時間というのを、最初から数日または数時間で完成できるほど短いと理解してはならない。他の現代の製薬家たちと比べ、また自然の働きと比べても、この方法では真なる働きがより速く完了するということである。それゆえ哲学者は、「薬は、そのための長い時の隔たりを先取りしたものである」と述べた。だから私はあなた方に言う。忍耐強く待ちなさい。時間がかかるかもしれないからである。性急さは、まことに悪魔の側から来る。忍耐のない者は、作業から手を引きなさい。性急に信じ込むことが、その者を妨げるからである。自然のあらゆる作用には、それ固有の仕方と定まった時間があり、より長い、あるいは短い期間のうちに完了する。これには三つのことが必要である。忍耐、待つ時間、器具の適合である。これらについては、『完成した術の大全』のさまざまな章で術者に語った。私たちの言葉に十分習熟したなら、その箇所で実際に確かめることができる。
注 Medicina est cuius temporis longum spacium anticipavit は底本の構文が難解である。時間短縮についての周囲の文脈に沿って訳したが、句を補って校訂したわけではない。
そこで私たちは、明白で開かれた証明によって、次のように結論する。私たちの石は、臭気をもつ精気と、生きた水にほかならない。この水を私たちは「乾いた水」とも呼んだ。それらは自然の比率によって浄化され、互いに決して離れられないような結合によって一つになっている。作業を短縮するためには、それらに第三のものも加えるべきである。それは、希薄化された完全な金属体である。
注 原刊巻末正誤表(16頁1行)に従い、本文の in ipsa subtiliatione を in ipsius subtiliatione とした。補訂前の全文はデータの source_la_uncorrected に保持。
第13章〔底本の表示は第8章〕 結語と著作の結論。
注 第12章の次の結語。底本見出しは VIII と印刷されている。論述順に第13章としてIDを付し、原文は訂正せず保持した。
以上から、真理に近い物質と、作業そのものを完成させるものが明らかになる。私たちは、確信のある真の探究と、明白な経験によって、私たち自身がこれまで諸巻に記したすべての言葉が真実であると認めた。それは、実験と理性によって見いだし、これらの巻に報告したところに従うものである。私たち自身の経験において、指で取り出し、目で見、手で触れたものについては、『完成した術の大全』に記した。
注 原刊巻末正誤表(16頁1行)に従い、本文の in ipsa subtiliatione を in ipsius subtiliatione とした。補訂前の全文はデータの source_la_uncorrected に保持。
したがって賢明な術者は、私たちの諸巻を学び、各所に分散させた意図を集め合わせるべきである。私たちがさまざまな場所に分けて示したのは、悪意ある者や無知な者に公然と知られないようにするためである。集めたものを試し、学び、工夫を凝らした作業にたゆまず励んで経験することによって、完全な認識に到達すべきである。ゆえに術者は自ら修練せよ。そうすれば、この探究の方法が、愛によって心の奥を動かされつつ、私たちの考察を通じて、完全化し、また損壊させる質料と形相の真理について、十分な認識をも与えることを見いだすだろう。
注 原刊巻末正誤表(16頁1行)に従い、本文の in ipsa subtiliatione を in ipsius subtiliatione とした。補訂前の全文はデータの source_la_uncorrected に保持。
私たちは探究によって、完全な金属体の質料と形相が、その混合の始まりから完成に至るまで純粋であり、何らの損壊も後から加わっていないことを認めた。また反対の側から考察し、不完全な金属体の実体と完全な金属体の実体とは、どこでも同一、すなわち水銀と硫黄であり、それらは混合する前には純粋で清浄であることを認めた。この考察と私たちの修練によって、不完全な金属体の損壊は付帯的に加わったものであり、それが質料に新たな損なわれた形相を与えたことを見いだしたのである。
注 原刊巻末正誤表(16頁1行)に従い、本文の in ipsa subtiliatione を in ipsius subtiliatione とした。補訂前の全文はデータの source_la_uncorrected に保持。
私たちは、自らの経験と工夫によって、不完全な金属体が調製され、余分な損壊のすべてから浄化され、逃散性または土性の不純物から解放されたのを見たとき、それらが、自然によって完全となった金属体そのものよりも、大きな明るさと輝き、あるいは純粋さを持つことを見いだしたからである。この考察によって、私たちはこの学知の完全で十分な終極に到達し、それを自らの書に完全かつ十分に記した。だから、それらを学びなさい。そうすれば、古人の書から私たちが簡約した、この学知のすべてを見いだすだろう。
注 原刊巻末正誤表(16頁1行)に従い、本文の in ipsa subtiliatione を in ipsius subtiliatione とした。補訂前の全文はデータの source_la_uncorrected に保持。
ゲベルの『完全性の探究について』終わり。
注 原刊巻末正誤表(16頁1行)に従い、本文の in ipsa subtiliatione を in ipsius subtiliatione とした。補訂前の全文はデータの source_la_uncorrected に保持。
ゲベル『完全性の大全』全二巻
アラビア人ゲベル、きわめて才知に富む哲学者にして自然の事物、とりわけ金属に精通した者の、錬金術についての二巻。著者が『完全性、すなわち完成した術の大全』と題したもの。アラビア語からラテン語への翻訳。訳者不詳。ゲベル『完全性の大全』第1巻。
注 著者帰属と翻訳経路は1541年刊本の表示を訳した。現代研究でいうラテン語系ゲベル文献の成立事情と同一視しない。
第1章 この術の伝え方と、適した弟子たちについての序文。
私たちが古人の書物からさまざまに集成し、自らの諸巻で簡約してきた錬金術の学知全体を、ここで一つの大全にまとめた。私たちが著した他の書で不十分だったことは、本書での伝授によって十分に補い、それらの欠落を短い言葉で満たした。また、ある部分で隠していたことを、本巻のその同じ部分において明らかにした。それは、これほど優れ、高貴な哲学の一部の完成が、賢者たちに開かれるためである。だから、最も愛するわが子よ、知りなさい。本書には、この術の操作全体が、一般的な諸章と包括的な論述によって、何一つ欠くことなく、十分に含まれている。神にかけて、本書に従って作業した者は、この術の真の目的を発見したことを喜ぶであろう。
しかし、愛する者よ、知りなさい。自然の原理を自ら理解していない者は、すでに私たちの術から大きく隔たっている。自分の考えを据える真の根を持たないからである。自然の原理と、鉱物のあらゆる原因を知った者も、この最も隠された術の真の目的と実りを、まだ得たわけではない。ただし、私たちの作業の仕方について理解を欠いている者より、この術の原理への入口は容易であり、術の入口からそれほど遠くない。あらゆる原理、鉱物の原因、そして自然の意図に基づく生成の仕方を知る者には、作業の完成まで、なおわずかなものが残される。しかし、その残されたものなしには、私たちの学知は完成できない。技術は、自然のあらゆる働きを模倣できるわけではなく、適切に可能な範囲で自然を模倣するからである。
注 原刊正誤表(21頁・17行)に従い、行末の in- と訂正語 tētione を合わせ、intentione と展開した。
それゆえ、最も愛するわが子よ、秘密を明かそう。自然の作用の性質を、あらゆる相違にわたって模倣しようとする術者は、この点で誤っている。だから私たちの諸巻を熱心に学び、幾度も心の中で繰り返し考え、私たちの語り方から真の意図を得るよう努めなさい。そこには、自らの考えを据えるべき基礎が見いだされる。また、それらによって誤りを退ける方法と、自らの作業の技において、どの点で自然を模倣できるかを知るだろう。
注 原刊正誤表(21頁・22行)に従い、「quod naturam in omnibus」と読む。
注 原刊正誤表(21頁・24行)に従い、「et ea saepissime」と読む。
第2章 この第1巻の四部への区分。
そこで、まず術者が作業において妨げられ、真の目的を得られなくなるすべての障害を、短く示そう。また、この術の術者に必要な条件を述べる。第二に、無知な者や詭弁家に反論する。彼らは、この術の奥義と実りを求めながら、自らの無知と未熟のために、この術を否定し、そんなものは存在しないと主張する。私たちは彼らのあらゆる論拠を示し、その後、それをきわめて明確に論破する。そうすれば、彼らの詭弁には真理が一つも含まれていないことが、分別ある人々に十分明らかになる。第三に、自然の意図に属する自然的原理を論じ、同じ箇所で、自然の働きによるそれらの生成と相互混合の仕方、またその結果を、古代の哲学者たちの見解に従って論じる。第四に、私たちの作業の目的に属する原理、すなわち私たちが自然を模倣できる原理を示す。また、自然にかなうものをその原因とともに私たちの作業の目的へと導く、混合と変質の方法を示す。
第1巻第1部 術者がこの術の真の目的を得ることを妨げる障害について。
第3章 障害の分類。
この作業に加わる障害は、大別して二つある。すなわち、自然的な能力の不足と、必要な費用の不足、あるいは他の用事や労働である。ただし、自然的な能力の不足にも多くの種類がある。術者の身体器官の側のものと、魂の側のものがある。身体器官の側にもさまざまなものがあり、器官が弱い場合も、完全に損なわれている場合もある。魂の能力の不足もさまざまである。器官の状態によって魂が歪められ、正しさや理性をまったく持たない場合があり、著者のいう「狂人」や「愚鈍な者」の魂がこれに当たる。また、空想に支配され、相反する形象を不適切に容易に受け入れ、一つの認識からその反対へと突然移り、意志も同じように反対へ転じる場合がある。
注 本章以下には、身体・精神の障害や病気に対する歴史的な差別的判断が含まれる。原文の意味を示すために訳しており、現代の能力評価や医学的判断として是認するものではない。
第4章 術者の身体の側から、この作業を妨げる障害について。
すでに、この作業の障害を一般的に定めた。本章では、さらに個別的に語り、それらの障害をすべて、いっそう明瞭に、十分に、順序立てて述べよう。私たちはこう言う。身体器官が完全にそろっていない者は、たとえば目が見えず、あるいは手足を失っているなら、自力でこの作業の完成に到達できない。この術を完成させる媒介となり、自然に奉仕する身体の諸部分の助けを得られないからである。また、術者の身体が弱く病んでいるなら、たとえば発熱する者や、四肢が脱落する癩病の者、命の終わりに苦しむ者、あるいは衰弱した高齢の者の身体であるなら、術の完成には至らない。したがって、これらの自然的な身体能力の不足によって、術者はその目的を妨げられる。
注 病名・身体観は底本の歴史的なもの。leprosus を含め、現代の診断や当事者の能力の記述に置き換えない。
第5章 術者の魂の側の障害について。
前の一章では、術者の身体に由来する障害を、明確で完結した言葉で述べた。残るのは、作業の完成を大いに妨げる、魂の側の障害を短く語ることである。私たちはこう言う。生来の才知と、自然の原理、自然の基礎、自然の作用の性質に追随し得る技法を微細に調べる魂を持たない者は、この最も貴重な学知の真の根を発見しない。あらゆる探究において才知を欠き、頑なで、普通の言葉さえほとんど理解できず、一般的な作業を習うことにも苦労する者が多くいるのが、その例である。
注 原刊正誤表(24頁・25行)に従い、「huius preciosissimae scientiae」と読む。
注 原刊正誤表(25頁・2行)に従い、「sermonem, et opera」と読む。
このほかにも、どんな空想でも容易に信じる魂を持つ者を、多く見いだす。しかし、自分が真実を見つけたと思っているものは、すべて空想であり、理性から逸れ、誤りに満ち、自然の原理から遠く隔たっている。彼らの脳は多くの煙状のものに満たされ、自然の事物の真の意味を受け取れないからである。またこのほかに、考えから考えへ、意志から意志へと移りやすい魂を持つ者がいる。いまは何かを信じ、それを望むが、理性的な根拠がない。少し経つと、同じように別のことを信じ、別のことを望む。その変わりやすさのため、目指したことの最小の部分さえほとんど完成できず、むしろ未完のまま放置してしまう。
注 脳の「煙状のもの」による説明は歴史的な生理説。現代医学の説明ではない。
注 原刊正誤表(25頁・12行)に従い、「ratione ullius」と読む。訂正後にも格の不整合が残るが、刊本の訂正指示を保持した。
同じように、自然の事物から何らの真理も見いだせず、獣と変わらない者たちもいる、と著者はいう。精神を損なった者、狂気の者、子どもなどである。また、学知を軽蔑し、その存在を認めない者もいる。この学知も彼らを同様に軽蔑し、この最も貴重な作業の目的から遠ざける。さらに、金銭に仕える奴隷となっている者もいる。彼ら自身も、この驚くべき学知を認めてはいるが、そのために費用を出すことを恐れる。それゆえ、この学知を認め、理性に従って探究していても、金銭への執着のため、実際の作業経験には到達しない。したがって、私たちの学知は彼らには届かない。無知である者、あるいは学知の探究を怠った者が、どうして容易にそれを得られようか。
第6章 この術の作業を妨げる、外的な障害について。
私たちは、この最も貴重な営みの術者の本性に従い、根源的な原理から生じて術の目的を遅らせる障害を、すべて二つの章にまとめた。そこで最後に、偶然の運命や出来事から外的に加わり、この最も輝かしい作業を妨げる障害を語るのが適切である。私たちは、鋭敏で才知に富み、自然の働きに決して無知ではなく、可能な範囲で自然の原理と働きに従う者たちを見る。彼らはまた、月の圏内で自然の運動と作用によって秩序づけられるすべての事物について、空想に陥らない探究を行う。しかし、極度の貧困に圧迫され、支出の手段を欠くため、この卓越した術を後回しにせざるを得ない。このほかにも、この世のさまざまな心配や懸念にとらわれ、あらゆる世俗の用事に自分をすっかり費やす、多忙な者が多くいる。私たちの貴重な学知は、彼らからまったく逃れ去る。したがって、先の諸章によって、この術から人を引き離す障害が何であるかは、十分明らかになった。
注 「月の圏内」は、月より下の生成変化する領域をいう当時の宇宙論上の区分。
注 原刊正誤表(26頁・21行)に従い、「variis huius mundi curis」と読む。
第7章 第1部の結語。術者はどのような者であるべきか。
以上から、私たちはこう結論する。この作業の術者は、自然哲学の諸学に通じ、十分に熟達していなければならない。どれほどの金銭、生来の深い才知、この技への欲求を持っていても、学習によって自然哲学を獲得していなければ、その目的を得られない。生来の才知によって得られないものの不足は、学習によって補われるからである。したがって術者には、深い精査と生来の工夫の助けが必要である。学習によってどれほど多くの知識を得ても、生来の工夫にも助けられなければ、この貴重なものの饗宴には招かれない。工夫によってただちに訂正できる誤りも、学習だけに頼っていたなら、その治し方が分からないだろう。同じように、工夫だけでは避けられない誤りも、自然についての学習で得た知識によって、ただちに補うことができる。技術は才知によって助けられ、才知もまた技術によって助けられるのである。
注 原刊正誤表(27頁・25行)に従い、「preciosi」と読む。
また、作業において意志を一定に保ち、あるときはこれ、あるときはあれと、むやみに試みないことも必要である。私たちの術は、多くの物の中に成立するものではなく、それらによって完成するものでもない。術が成り立つのは、一つの石、一つの薬においてである。それに異質なものを加えることはなく、減らすこともない。ただし、調製において余分なものを除くことは別である。また、完成するまで熱心に作業に取り組み、途中で切り上げた作業を放置してはならない。不完全な作業からは学知も実りも得られず、むしろ絶望と損失が得られるからである。また、作業の成立に関わる、この術の原理と主要な根を知らなければならない。原理を知らない者は、終極を見いださないからである。私たちは、この術に必要なところに従い、それらの原理をすべて、十分な言葉で、分別ある人々には十分に開かれた明瞭な言葉で、あなたに語ろう。
注 原刊正誤表(28頁・11行)に従い、「sufficienter」と読む。
同じように術者は節度を保ち、怒ることに慎重であるべきである。怒りの衝動のために、始めたものを突然壊し、台無しにしないためである。また、自らの金銭を守り、自信過剰になって無駄に費やしてはならない。術を発見できなかった場合、貧困の惨めさと絶望の中に取り残されるからである。あるいは、探究によって術の目的に近づいたころには費用を使い果たし、不幸にも貧困のために、真の目的を無理に断念しなければならなくなるかもしれない。初めのうち無知な者が、全財産を浪費してしまい、術に近づいたときには、もはや作業を続ける資金がない、ということが起こる。このような者は二重の悲しみに埋もれる。無益なことに金銭を散らしたためであり、また、ほどなく探り当てたはずの最も高貴な学知を失うためである。
注 原刊正誤表(28頁・15行)に従い、「nec praesumptuosus」と読む。
注 原刊正誤表(28頁・16行)に従い、「distribuat, ne si forte」と読む。
あなたの財産を使い尽くす必要はない。この術の原理を理解し、私たちが伝えたことを正しく理解するなら、わずかな費用で術の完成に至るからである。それゆえ、本書で明瞭に書いた私たちの忠告を顧みず、金銭を失ったとしても、私たちを不当に責め、罵ってはならない。自らの無知と過信に責任を帰しなさい。したがって、この学知は貧しい者や困窮した者にあまり適さず、むしろその敵となり、対立するものとなる。
注 費用や成功可能性についての記述は著者の主張であり、経済的助言ではない。
また、偽りの作業の成果を求めようとしてはならず、ひたすら完全な完成を目指すべきである。私たちの術は神の力のうちに保たれており、栄光に満ち、崇高で、あらゆる正義と善に満ちる方が、望む者に与え、あるいは取り去るからである。偽りの作業への報いとして、神はあなたにこの術を拒み、誤りの道へと厳しく突き落とし、誤りから不幸と永遠の惨めさへ導くかもしれない。作業と労苦の終わりに、神からいつも真理を見ることを拒まれる者は、最も惨めで不幸である。生涯をつねに誤りの中で閉ざし、終えるからである。その者は労苦の中に置かれ、あらゆる尽きない不運と不幸に囲まれ、この世の慰め、喜び、楽しみをすべて失い、実りのない悲しみのうちに生を費やすのである。
また、作業の際には、それぞれの煮熟に現れるすべての徴候を心に刻み、その原因を探究するよう努めるべきである。以上が、私たちの術に適した術者に必要な条件である。もし、述べた事柄のどれかを欠いているなら、この術に取りついてはならない。
第1巻第2部。この術を否定する者たちの論拠を列挙し、次いで反駁する。
第8章 論述内容の一般的な区分。
本書の第一のまとまりにおいて、この作業の障害をすべてあらかじめ示し、この術に取り組むための十分な教えを与えた。そこでいま、予定した意図に従い、詭弁家と無知な者たちに反論するのが適切である。初めに約束したとおり、まず彼らの論拠を示す。その後、それらをすべて打ち破り、そこには真理が何も含まれないことを、明白な論証によって賢明な人々に明らかにする。
第9章 この術を無条件に否定する者たちの、さまざまな論拠。
この術を否定し、退ける者には、さまざまな者がいる。無条件に否定する者も、この術が存在すると仮定する者の発言に基づいて否定する者もいる。無条件に術の不在を主張する者は、次のような詭弁によって自説を補強する。彼らはいう。「事物の種と相違が区別されるのは、混合における元素相互の比率が、異なり、区別されているからである。ロバが人間と種において異なるのは、その組成における元素の比率が大きく異なるからである。他の事物の相違についても同じように推論でき、したがって鉱物についても同様である。それゆえ、形相と事物の完全性が得られる混合成分の比率を知らないなら、混合されたもの、また混合すべきものを、どう形成すればよいと分かるだろうか。しかし私たちは、太陽と月における元素の真の比率を知らない。したがって、それらの形成方法も知らないはずである。」以上から、彼らは「ゆえに、この術は無益で不可能である」と結論する。
注 本章の否定論は、著者が後で反駁するために列挙する議論。
同じように、別の仕方でも論じ、私たちの術を退ける。彼らはいう。「たとえ元素の比率を知っていても、その相互混合の仕方は知らないだろう。自然は、洞穴、鉱脈、隠れた場所でこれらを生み出すからである。したがって、その混合の仕方を知らない以上、それを行う方法も同様に知らない。」さらにこう論じる。「仮にそれを正しく知っていても、混合の働きにおいて、事物の完成を媒介する作用熱を、適切に均衡させることは知らないだろう。自然には金属を存在へ導く一定量の熱があるが、あなたはその尺度を知らない。また、自然に働く諸原因の、ほかの相違も知らない。それらがなければ、自然はその意図を真に完成できない。これらを知らない以上、この術の操作法全体も同様に知らないことになる。」
注 原刊正誤表(31頁・15行)に従い、「et haec facere」と読む。
さらに彼らは、理屈と経験も挙げる。「賢明な人々は、これほど長いあいだこの学知を探し求めてきた。もし何らかの道で到達できるなら、すでに千回も完成させていただろう」と彼らはいう。また、「哲学者たちは諸巻の中でそれを伝えているように見えるが、そこに真理を見いだせない。これによって、この学知が存在しないことは十分明白であり、もっともらしい。また、この世の多くの君主や王たちは、無尽蔵の財宝と多数の哲学者を持ち、この術の発見を望んだが、最も貴重な術の実りに到達できなかった。これは、この術が試してみれば空しいものであることを示す、十分な証拠である。」
また、こういう。「私たちは、結びつきの弱い種類の混合においてさえ、自然に従うことができない。ロバを作る方法も、その混合が弱く、感覚にもほぼ明らかな他の類似のものを作る方法も、知らないのである。ならば、きわめて強い金属の混合を作る方法は、なおさら知らないであろう。しかも、それは私たちの感覚と経験から、すっかり隠されている。その証拠は、金属から元素を分離することの難しさである。また、牛が山羊に変成されたり、他の種が別の種に変えられたり、何らかの技によって別種へ導かれたりするのを、私たちは見ない。それゆえ、金属が種において異なるのに、どうして一方の種から他方の種を作るよう、相互に種を変成しようとするのか。これは私たちにはまったく不合理で、自然の原理から導かれる真理から離れているように見える。」
さらにこういう。「自然は数千年かけて金属を完成させる。百年にさえほとんど届かないあなたが、どうして変成の技を数千年続けられるのか。」これに対して、「自然が非常に長い時間をかけても完成できないことを、私たちの技によって短期間に成し遂げる。技術は多くの場合、自然の不足を補うからである」と答えたとしても、彼らは再びいう。「それも不可能であり、とくに金属についてそうである。金属はきわめて微細な煙から成り、適度の煮熟を要する。その固有の湿りが内部で均衡を保って濃密となり、逃げ去らず、打撃と延展を受け入れさせる湿りをすべて失うことがないようにするためである。もし技術によって、鉱物や金属体における自然の煮熟時間を短縮しようとすれば、過度の熱によって行うほかない。しかしそれは均衡させるのではなく、むしろ金属体から湿りを解放し、散逸させ、破壊する。湿りを濃密にし、混合を完成させるのは、穏やかな熱だけであり、過度の火ではない。」
注 原刊正誤表(33頁・9行)に従い、「qua contusionem et extensionem」と読む。
同じように、こう論じる。「存在と完全性は、星々によって与えられる。星々は第一の完成因であり、生成と消滅の自然を動かして、種を存在または非存在へと導く。この作用は、一つまたは複数の星が運動によって天の定まった配置へ到達したとき、突然、一瞬に起こる。その配置から、完全な存在が与えられるのである。個々の事物は、一定の星の配置から、一瞬に存在を獲得する。この配置は一つだけではなく、多数あり、その結果が異なるように、相互にも異なる。それらは私たちに未知で、無数であるから、その相違と区別を詳しく知ることはできない。それゆえ、星々の運動による位置の相違を知らないことから生じる、作業の不足を、どう補えるのか。また、金属に完全性を与える一つまたは複数の星の一定の配置を知っていても、作業を目的どおりに完成できない。技術によって何かを形相の受容へ調製することは、一瞬に行われず、順次行われるからである。調製が一瞬でなければ、作業対象には形相が与えられない。」
注 星の配置による生成論は、この章で紹介される反対論の一部。現代の天文学的説明ではない。
同じように、彼らはいう。「自然の事物には、作るより壊すほうが容易だという順序がある。しかし私たちは、金を壊すことさえほとんどできない。ならば、どうして作ろうとまで思うのか。」こうした詭弁的な論拠や、それよりもっと見かけ上の説得力に乏しい論拠によって、彼らはこの神的な術を打ち消したと信じる。以上が、私たちの術の存在を無条件に否定する詭弁家たちの説得のすべてである。ある仮定に基づいて術を否定する者たちの論拠は、後でその反駁とともに示す。ここからは、いま挙げた論拠の反駁に進む。ただし、その前に、作業の完成に関わる真の意図を、これらの問題について示しておかなければならない。
第10章 予想される異論への先回り。技術は自然の作用の性質をあらゆる相違にわたって模倣できず、また模倣すべきでもないこと、および金属の原理についてのいくつかの教説。
そこで私たちはいう。自然が自らの作用の基礎とする原理は、きわめて硬く強固な組成を持つ。それらは、一部の哲学者によれば、硫黄と水銀である。きわめて硬く強固な組成を持つので、その分離も非常に難しい。しかし、それらが相互に濃密化・硬化し、槌打ちによって砕けるのではなく、打撃を受けて延びるようになるのは、混合中の粘りある湿りが、鉱脈内の連続的な煮熟によって保たれるためにほかならない。
注 原刊正誤表(35頁・5行)に従い、「contusio et extensio」と読む。
だが、最も愛するわが子よ、一般的な規則を伝えよう。湿ったものが濃密化するには、まず湿りのなかの最も微細な部分が蒸散し、より粗大な部分が保たれなければならない。混合において湿が乾に勝り、乾と湿が真に混合されているなら、湿は乾によって、乾は湿によって調和させられる。そしてこの実体は、その諸部分が同質の一つのものとなり、硬さと柔らかさの間に適度に調和し、打撃によって延びるものとなる。しかし、これが起こるには、粘りある湿と微細な土性のものが、ごく小さな部分に至るまで、長く混合されなければならない。湿が乾と同じになり、乾が湿と同じになるまでである。
注 homoeomera は諸部分が同種・同質であることを指す。
注 原刊正誤表(35頁・17行)に従い、「in contusione」と読む。
このような微細な蒸気の分離は、突然には起こらず、徐々に、数千年をかけて起こる。その理由は、自然の原理の実体が均一だからである。もし、それらから余分な湿りを突然分離しようとすれば、その強い混合のために湿と乾が分かれていないので、その物の湿は乾とともに解放され、すべてが煙となって消えるだろう。相互の結合が強いため、分離において湿を乾から切り離せないのである。このことは、精気の昇華において明白に経験される。昇華によって突然の分離が起こるとき、湿は乾からも、乾は湿からも切り離されず、その混合が完全に部分へ分かれることはない。むしろ実体全体が昇るか、その構成成分のわずかな部分だけが解け離れるのである。
したがって、微細で煙状の湿りが、順次、長く、均等に分離されることが、金属の濃密化の原因である。しかし私たちは、この方法で濃密化を行うことはできない。したがって、この点では自然に従うことができない。自然の作用の性質を、そのあらゆる相違にわたって模倣することはできないのである。ゆえに、私たちの意図は、原理そのものにおいても、混合される元素の比率においても、それらの相互混合の仕方においても、濃密化する熱の均衡においても、自然にそのまま従うことではない。これらはすべて私たちには不可能であり、まったく未知だからである。残るのは、この最も優れた学知を無知ゆえに否定する詭弁家の論拠を打ち破ることである。
第11章 この術を無条件に否定する者たちの論拠への反駁。
もし彼らが、私たちは元素の比率、それらの相互混合の方法、金属を濃密化する熱の均衡、その他多くの原因、自然の作用に伴う付帯的な事柄を知らない、と言うなら、私たちは確かにそれを認める。しかし、それによって私たちの神的な学知が打ち消されるわけではない。私たちは、それらを知ろうとも思わず、知ることもできず、それらを私たちの作業に持ち込むこともできないからである。その代わりに、別の原理と、別の金属生成の方法、すなわち私たちが自然に従うことのできるものを採用する。
注 原刊正誤表(36頁・22行)に従い、「Si dixerint ergo」と読む。
もし、この世の哲学者や君主たちはこの学知を望んだが、発見できなかった、と言うなら、私たちは、彼らは虚偽を述べている、と答える。少数ながら、とくに古代の君主の一部や、私たちの時代にも見いだされる賢者が、自らの工夫によって、すでにこの学知を探り当てたことは明らかだからである。ただし、そうした批判者たちはそれに値しないため、口頭でも書面でも伝えようとしなかった。それゆえ彼らは、この学知を持つ者を見なかったことから、誰も発見しなかったと考える誤りに陥ったのである。
さらに、空想的な議論によって、私たちはロバや牛の混合のような弱い結合においてさえ自然を模倣できないのだから、強い結合ではなおさらできない、と主張するなら、その多重の誤りを示そう。この論証方法には、私たちに術の否定を強いる必然性がない。彼らは類似、あるいは大から小への推論によって、自らの空想と誤りを補強しているが、そこに含まれるのは必然性ではなく、多くの場合そうなるという偶然的な関係だからである。また別の仕方でも示そう。彼らは、動物の弱い混合・組成と、鉱物の堅固で強い組成の間に、見かけ上でさえ成り立つ類似を何も示していないのである。
注 原刊正誤表(37頁・15行)に従い、「Ad hoc etiam」と読む。
注 原刊正誤表(37頁・19行)に従い、「esse」を削除した。
注 原刊正誤表(37頁・20行)に従い、「artem nostram non esse concedere」と読む。
その理由はこうである。組成の弱い動物やその他の生物を完成させるのは、比率だけでも、その比率に従う混合成分だけでも、その成分の性質だけでも、また、それらの第一の性質の集まりから生じる相互作用と受容に続く混合だけでもない。多くの人々の見解によれば、それは魂である。魂は、第五の実体、あるいは第一動者に由来するような、自然の隠されたものに属する。これも多くの人々の見解に従って述べるのであり、その秘密を私たちは知らない。したがって、そうしたものは混合の結びつきが弱くても、私たちは完成させる方法を知らない。完成をもたらす魂を注ぎ込む方法を知らないからである。
このことから明らかなように、私たちが牛や山羊を完成させられないのは、混合の側の不足ではなく、魂を注ぎ込めないためである。弱い、あるいはさらに弱い組成を作るのと同様に、強い、あるいはいっそう強い組成を作ることも、自然の道筋と過程を模倣する私たちの技によって、知り得るからである。金属における完全性は、生物におけるものより低い。金属の完全性は、他のことよりも比率と組成に関わる。それゆえ、すでに述べた他のものより完全性が低い金属は、私たちにも比較的容易に完成させられるが、生物はそうではない。至高で栄光ある神は、完全性を相互にさまざまな形で区別した。自然による組成が弱いものには、より大きく高貴な完全性、すなわち魂による完全性を置いた。他方、石や鉱物のように、より強く堅固な組成のものも作ったが、それらには、混合の仕方から生じる、より小さく低い完全性を置いた。したがって、彼らの類比が適切でないことは明らかである。私たちが牛や山羊を作れないのは、組成のためではなく、完成を与える形相のためだからである。牛や山羊の完全性は、金属の完全性よりも高貴であり、いっそう隠されているのである。
注 原刊正誤表(38頁・12行)に従い、「Per hoc utique patet, quod non」と読む。
もし別の仕方で、一つの種は他の種に変わらないと論じるなら、私たちは、彼らはまたも虚偽を述べている、と言う。これらのことについて真理を語るより、そうするのが彼らの常だからである。ある種の個体が別の種の個体に変わるとき、その道筋において種は種へ変わる。私たちは、虫が自然にも、自然に従う技によっても、それとは種を異にする蝿へ変わるのを見る。また、窒息させた子牛が蜂に、穀物がドクムギに、窒息させた犬が沸き立つような腐敗によって虫へ変わるのを見る。しかし、これを行うのは私たちではなく、私たちが奉仕する自然である。同じように、金属を変えるのも私たちではなく、自然である。私たちはそのために、技に従って材料を調製する。作用するのは自然そのものであり、私たちではない。私たちは、その奉仕者なのである。
注 本段の動物・植物の変化には、歴史的な自然発生説と現代では否定される説明が含まれる。動物を傷つける実践を勧めるものではない。
また別の論拠によって、自然は数千年で金属を完成させるが、人は数千年生き続けられない、と同じように論じ、詭弁で自説を補強するなら、私たちはこう言う。古代の哲学者の見解によれば、自然は自らの原理に働きかけ、数千年で完成させる。しかし私たちは、それらの原理に従うことはできない。だから、自然が数千年、さらに多くの年、より少ない年、あるいは一瞬で完成させるとしても、彼らの主張は成り立たない。原理において自然を模倣できないことは、前の否定的な説明で十分簡潔に定めたし、後ではさらに詳しく論証する。ただし、分別と洞察に富むある人々の見解によれば、自然は目的を突然、すなわち一日か、それより短い時間で完成させる。これが真実であっても、私たちは原理において自然を模倣できない。このことは十分な説明によって明瞭に証明した。しかし、この問いの残りの部分は認める。そこに述べられたことはすべて真実だと認めるからである。
もし、私たちには知られない、一つまたは複数の星の配置によって金属の完全性が与えられる、と言うなら、私たちは、その配置を知る必要はない、と言う。生成・消滅し得るものの種で、その何らかの個体の生成や消滅が毎日起こらないものはないからである。それによって、星の配置は毎日、いずれの種の個体をも完成・消滅させ得ることが明らかである。したがって、星の配置を待つ必要はない。有益ではあろうが、必要なのは自然のために準備することだけである。そうすれば、巧みな自然自体が、動く天体の適切な配置に合わせて整える。自然は、動くものの運動と配置なしに、自らの運動を完成できないからである。それゆえ、技の作業を自然に適うように整え、この術に付随するものをすべて適切に考慮したなら、その配置自体を考慮しなくても、自然によって、それにふさわしい配置のもとで完成する。
犬や他の腐敗し得る動物から虫が生じるのを見るとき、私たちは直接に星の配置を考慮せず、周囲の空気の状態や、その配置以外の、腐敗を完成させる諸原因を考慮する。この考慮によって、自然に従って虫を生じさせる方法を十分に知る。私たちに知られなくても、自然は自らに適した配置を見いだすからである。
注 自然発生説に基づく歴史的な説明をそのまま訳した。
もし、完全性は一瞬に与えられるが、私たちの調製は一瞬では行われない、と言い、そこから、技によっては完成せず、したがって術も存在しない、と結論するなら、私たちは、彼らの頭は愚かで、人間の理性を欠き、人間より獣に似ている、と言う。彼らは、導いた結論と何の関係もない前提から結論しているからである。その推論は、「ロバが走る、ゆえにあなたは山羊である」という推論と同程度にしか成り立たない。調製が一瞬に起こらなくても、調製されたものに形相あるいは完全性が一瞬で与えられることは、妨げられないからである。調製は完全性そのものではなく、形相を受け入れるのに適した状態へ整えることなのである。
もしさらに、自然のものを壊すのは技術で作るより容易であり、私たちは金を壊すことさえほとんどできないのだから、作るのは不可能だ、と結論するなら、こう答える。その結論には、金を作れないと認めざるを得ないほどの必然性はない。壊すのが難しいものは、作るのはいっそう難しい。しかし、作ることが不可能なのではない。その理由を示そう。金は強い組成を持つため、分離がいっそう難しく、したがって壊すことも難しい。彼らが金の形成は不可能だと考えるのは、自然の過程に従って技術で分解する方法を知らないためである。おそらく金の組成が強いことは確かめたが、どの程度強いのかは確かめなかったのである。
最も愛するわが子よ、これで詭弁家たちの空想を十分に示した。私たちは約束によってあなたの注意を引いてきたのだから、残るのは、その約束に従い、与えられた仮定から術を否定する者たちの論拠を検討することへ進むことである。それらを適切に定めたのち、自然の意図に属する原理を定めることへ進む。その実体については、後でいっそう十分に論じなければならない。その検討の後には、私たちの術の原理であるものについても語る。ただし、最初の説明は一般的に行い、その次には、一つ一つの原理を個別に論じる。いまはまず、仮定から否定する者たちの論拠と、その反駁を示そう。
第12章 この術が存在すると仮定する者たちの、さまざまな意見。
この術を認める者にも、その考えの相違に従い、多くの種類があることを私たちは見いだした。ある者は精気の中に、別の者は金属体の中に、また別の者は塩、明礬、ニトル、ボラクス類の中に、さらに別の者はあらゆる植物性の物の中に、この術と奥義が見いだされると主張する。これらの人々は、一部は正しく一部は誤って、あるいは全体にわたって誤って、この神的な術を評価し、後世へ伝えた。その多様な誤りの中から私たちが真理を集め得たのは、難しく骨の折れる慎重な推測と、長く退屈な経験、多大な費用を投じることによってであった。彼らの誤りは、私たちの精神の働きと理性に幾度も争いを起こし、ほとんど絶望へと導いた。
注 原刊正誤表(42頁・ultimo行)に従い、「ex intentione diversa」と読む。
それゆえ彼らは、永遠に非難されよ。彼らは後世に罵りと呪いを残し、自らの誤りによって、それを哲学する者たちに浴びせた。死後に残したのは、真理ではなく、むしろ悪魔的な誘惑であった。もし私が彼らの誤りを訂正せず、この真なる術が最も適切に要求するとおり、この学知における真理を伝えないなら、私も非難されるべきである。この術には、隠された言葉も、完全にあからさまな言葉も必要ない。そこで、分別ある者には隠れたままにならないような言葉で、それを伝えよう。ただし、その言葉は凡庸な者にはきわめて深遠であり、愚かな者には、その両端を開けられないよう閉ざす。同じ一つの私たちの伝授のうちで、そうなるのである。
注 「両端」は底本の utrosque terminos に従った。何を二つの端とするか、本文だけから一義的に限定していない。
本題に戻ろう。この術が精気の中にあるとする者も、多様に分かれる。ある者は水銀から、別の者は硫黄と、それに類する砒素性物質から、賢者の石を求めるべきだと主張する。またある者はマルカシータから、別の者はトゥティアやマグネシアから、さらに別の者はアンモニアク塩から求める。金属体の中にあるとする者は、ある者は鉛に、別の者は他のいずれかの金属体にあると言う。またガラスに、宝石に、さまざまな塩、明礬、ニトル、ボラクス類に、あるいはあらゆる種類の植物性の物にあるとする者もいる。こうした仮定を立てる者には、それぞれ、その仮定に応じた反対者がいる。そして彼らに反対する者は、この術自体に無条件に反対していると思っている。多くの場合、私たちは両者の学派ともに、理性的な根拠を欠くことを見いだした。
注 Marchesita、Tutia、Magnesia、nitrum などは歴史的物質名として訳す。現代の黄鉄鉱・酸化亜鉛・マグネシウム化合物・硝酸塩の純物質へ無条件に同定しない。
第13章 硫黄に基礎を置くと仮定した術を否定する者たちの論拠。
この術が硫黄に見いだされると仮定した者たちは、硫黄に労力を注いだ。しかし、その調製の完成を知らず、調製を不十分なままにしていた。彼らは、浄化と精製だけで完全化のための調製になると思った。そして浄化は昇華によって行われるため、硫黄では昇華だけで調製が完成すると考えた。類似の物、すなわち砒素性物質についても、同様に思い込んだ。そこで変質を目的とする投射に進むと、それが焼けて消え去り、金属体の中に長くとどまらず、金属体は投射する以前より不浄な状態で残されるのを見た。作業の仕上げでこの失敗を見た一方、この学知は硫黄だけから見いだされるという考えを、非常に長いあいだ心に抱いていた。そして硫黄の中に見いだせなかったため、他のものにも見いだせない、と論じる。こうして、それにも他のものにも見いだされない以上、どこにも見いだされない、と論じるのである。
第14章 前述の論拠への反駁。
短く答えよう。彼らはこの点をほとんど理解せず、まったく分別を欠いている。私たちの材料が硫黄だけだと仮定しているからである。仮にその仮定が正しくても、調製の仕方では欺かれている。昇華だけで十分だと思っているからである。彼らは、生まれたときから老年まで家に閉じ込められ、世界の広がりが自分の家の広さ、あるいは家の中で目に見える範囲を超えているとは思わない子どものようなものである。多くの石に労力を費やしてこなかったので、私たちの薬が何から取り出せ、何からは取り出せないかを知ることができなかった。多くの作業から手を引いていたため、どの作業がより完全か、そうでないかを知らないのは当然である。しかし、彼らの作業が不十分だった理由を言おう。硫黄のうちに、焼損をもたらす性質と逃散性を残していたからである。これらは完全にしないばかりか、散逸させ、破壊するのである。
第15章 砒素性物質に基礎を置くと仮定した術を否定する論拠と、その反駁。
別の者たちは、同じ硫黄と、それに類する砒素性物質にこの石が見いだされるはずだと考え、作業の完成をさらに深く検討した。そして、昇華によって焼損をもたらす硫黄性を浄化しただけでなく、土性をも除こうとしたが、逃散性は残した。彼らの投射にも同じように失敗が生じた。その物質が金属体の中にしっかり付着せず、徐々に少しずつ消え去り、金属体が以前の状態のまま残ったからである。彼らも最初の者たちと同じように論じ、術を否定した。私たちは彼らにも最初の者たちと同じように答え、術を肯定する。その存在を知っている。私たちは見て、真実に触れたからである。
第16章 硫黄、水銀、トゥティア、マグネシア、マルカシータ、アンモニアク塩に基礎を置くと仮定した術を否定する者たちの論拠と、その反駁。
ある者たちは、さらに深くそれを調べ、浄化し、逃散性と焼損性を取り除いた。すると、それは固定された土性のものとなったが、火の熱の中で良好に溶融せず、ガラス化する溶融しか示さなかった。そのため、投射において金属体と混ぜ合わせられなかった。そこで、最初の者たちと同じように論じる。私たちも最初の者たちと同じように答える。彼らは作業を不十分なままにし、完成させる方法を知らなかったのである。最終的に完成を与えるものである浸透性を、探究することを知らなかったからである。
他のすべての精気についても、調製の方法は同じである。ただし、水銀とトゥティア類については、焼損性を除くという大きな労苦を免れる。これらは、焼けやすく燃えやすい硫黄性を持たず、逃散性だけを持つからである。他方、マグネシアとマルカシータはあらゆる種類の硫黄性を持ち、マルカシータには多く、マグネシアには少ない。しかし、逃散性はすべてにある。水銀とアンモニアク塩では多く、硫黄ではより少なく、その類似物ではさらに少ない。第四にマルカシータはさらに少なく、第五にマグネシアはそれより少なく、第六、最後のトゥティアは、すべての中で最も少ない。いずれも逃散性を分け持つが、あるものは多く、あるものは少ない。そのため、それらの逃散性によって、一部の実験者は調製の操作でも投射でも、大きく期待を裏切られた。彼らもまた、硫黄を仮定した者たちと同じように論じ、術を否定する。私たちは彼らにも、硫黄を仮定した者たちと同じように答える。
注 比較の順序と性質は著者の歴史的物質論として訳した。現代の揮発性・燃焼性の比較表ではない。
第17章 金属体とともに固定される精気に基礎を置くと仮定した術を否定する者たちの論拠と、その反駁。
ほかに、何の予備調製もせず、精気を金属体の中に固定しようとする者たちがいる。しかし彼らも、失敗に苦しめられ、悲しみと絶望を味わい、そのため、この学知は存在しないと信じ、反論するに至った。混乱と不信の原因は、金属体が溶融すると、精気がそれを離れ、付着せず、むしろ火の苛烈さを避けて逃れ、金属体だけがその中に残ることにある。精気には除かれていない逃散性があるため、火の残酷な圧力を金属体とともに耐えられないのである。また、ときには金属体まで精気とともに火から逃れ、失敗することがある。固定されていない精気が、金属体の深部に分離できないほど付着している場合である。揮発するものの総量が、固定されたものの総量に勝るからである。そこで彼らも、最初の者たちと同じように論じる。私たちも、最初の者たちと同じように答えよう。
彼らの否定論の全体はこうである。「教えの子らよ、金属体を変成しようとするなら、何らかの材料によってそれが可能である以上、精気そのものによって行われるはずである。しかし、固定されていない精気は、金属体に有益に付着できず、むしろ逃れ、金属体を不浄なまま残す。他方、固定された精気は、溶けない土となっているため、浸透できない。また、金属体に包まれて固定されたように見えても、実際にはそうではなく、金属体が残って精気だけが離れるか、両方とも一緒に逃れ去る。それゆえ、より類縁性の高い材料においてさえ、いかなる方法でもこの術を見いだせないのなら、より遠い材料にも見いだされず、したがってどこにも見いだされない。」私たちの答えはこうである。彼らはこの問題について知り得ることをすべて知っているわけではない。それゆえ、そこから得られる作業の成果も、すべてを見いだしてはいない。自分たちの不十分さから生じた結果の欠陥を、自分たちの主張の強みとしているのである。
第18章 金属体に、とくに白い鉛、すなわち錫またはユピテルに基礎を置くと仮定した術を否定する論拠と、その反駁。
ある者たちは、この術を金属体に基礎づけた。しかし、実際の作業に進むと期待を裏切られた。彼らは二種類の鉛、すなわち青黒いものと、純白ではない白いものが、太陽と月の本性によく似て近づいていると思った。青黒いものは太陽に大いに似て月にはあまり似ず、白いものは月によく似て太陽にはあまり似ないと考えた。それゆえ彼らの一部は、錫、すなわちユピテルは月とよく似ており、軋む音、柔らかさ、溶融の速さだけが異なると考えた。そして、余分な湿りのために溶けやすく柔らかく、内部の諸部分の間に逃散性の水銀実体が入り込んでいるために軋むのだと信じた。そこで火にさらし、耐えられる火の中で焼成し、その灰が白くなるまで保った。その後、金属体へ戻そうとしたができず、不可能だと判断した。
注 原刊正誤表(49頁・19行)に従い、「liquefactu esse facile」と読む。
その一部は、いくらかを金属体へ戻したが、以前と同じ軋む音、柔らかさ、溶融の速さを見いだした。それゆえ、この道による達成は不可能だと信じ、硬化させる術は見いだせないという不信に至った。他の者は、焼成して戻し、鉱滓を取り去りながら、さらに強い火力によって再び焼成して戻した。この作業を幾度も繰り返し、それが硬化し、軋む音もなくなったのを見た。しかし溶融の速さを完全に除けなかったので、その考えは誤りに陥り、目的には到達できないと思った。
また別の者は、硬い金属体を加えることによって、硬さと溶融の遅さを与えようとしたが、失敗した。どの硬い金属体を混ぜても、それを脆くしてしまい、どのような調製も役立たなかったからである。硬い金属体によっても火によっても調製できなかったため、彼らは術の発見のために長く待つことをやめた。それを不可能だと信じ、そう述べ、このことによって術を執拗に否定し、その存在を認めなかった。さらに別の者は、多くの薬剤を加えたが、それらが何の変化ももたらさず、材料に適合せず、むしろ損壊させ、自分たちの目的に反して働くのを見た。そのため書物を投げ捨て、顔を背け、真に神的な術を空しいものと呼んだ。これらの者に対しても、私たちは初めと同じ答えを与える。
第19章 黒い鉛に基礎を置くと仮定した術を否定する者たちの論拠。
黒い鉛においても、同じ種類の失敗が見いだされる。ただし、これが金属体を脆くせず、その灰からユピテルより速く金属体へ戻ることだけが異なる。彼らは知識を欠くため、その青黒さを取り除けない。そのため、それによって良好な白化を行えず、自分たちの空想によって、それを安定した金属体に、強い火力でも混合物から離れないほど確実に結びつけることもできなかった。この調製において、学知はそれ以外のどこにも見いだせないと思い込む者たちは、とくに次の点で期待を裏切られる。灰から二度金属体へ戻しても、何の硬さも得ず、むしろ以前より柔らかくなることである。他の性質についても改善を見いだせなかった。それゆえ、この物質において、より近く、よりよく見いだせると思ったのに発見できなかったため、この学知は存在せず、欺きにすぎない、と信じ、論じるよう強いられる。こうして彼らも、前の者たちと同じ誤りを犯すのである。
第20章 硬い金属体どうし、柔らかい金属体どうしの混合に基礎を置くと仮定した術を否定する論拠。
別の者たちは、硬いものを硬いものに、柔らかいものを柔らかいものに組み合わせ、両者が適合するため、金属体が相互に変成し合うことを望んだ。しかし無知のため、それはできなかった。たとえば太陽や月をウェヌス、あるいは他のいずれかの金属と混ぜても、それらを確実な変成によって太陽や月にはできない。強い火力のもとでは、それぞれが混合物から分離し、焼け、あるいは元の本性へ戻るのを経験する。混合の中で、より長くとどまるものも、そうでないものもある。これはすでに十分に説明した。このような無知に由来する失敗が、彼らにこの術を疑わせ、その存在を否定させるのである。
第21章 硬いものと柔らかいもの、完全なものと不完全なものの混合に基礎を置くと仮定した術を否定する論拠。
別の者たちは、この問題をさらに内へ深く探究し、考え、工夫し、次の方法を見つけようとした。硬いものを柔らかいものに結びつければ、柔らかいものを安定して硬くでき、完全なものを不完全なものに結びつければ、それを完全性へ導き、一般に双方が確実に変成し合う、という方法である。そのため、あるときは薬によって、あるときは火の操作によって、両者の類似と類縁性を見いだそうとした。ウェヌスやマルスのような粗大なものを希薄化し、ユピテルやそれに類する微細なものを濃密化したのである。その一部は、この操作を完成させたと思ったが、これらの硬い金属体を混合すると期待を裏切られた。できたものがまったく脆かったり、硬いものによって変化せず柔らかすぎたり、柔らかいものによって変化せず硬すぎたりしたからである。こうして適合を見いだせず、この術の存在を否定した。
第22章 魂の抽出、あるいは火の調節に基礎を置くと仮定した術を否定する論拠。
さらに内へ深く調べる者たちは、金属体自身の魂を抽出することで金属体を変え、その抽出した魂で他のすべてを同様に変えようとした。しかし、その経験は目的に到達できず、企ては失敗した。そのため、術は見いだせないと判断した。また、火だけで金属体を完成させようとする者たちも、そこへ達する方法を知らず、自分たちの見込みを裏切られた。そして、このことから術は存在しないと思った。私たちは、これらすべてに対し、最初の者たちと同じように答える。
注 「魂」は、金属から取り出される変成力などを表す文献内の術語。人間の魂の抽出を論じたものではない。
第23章 ガラスと宝石に基礎を置くと仮定した術を否定する論拠と、その反駁。
この術をガラスと宝石に基礎づけた者たちは、それらによって金属体に変質を起こせないことを経験した。浸透しないものは変質させず、ガラスも宝石も浸透しないため、変質させないからである。また、ガラスを金属体に結びつけようとしても、それはほとんどできず、しかも目的を達成しない。金属体からガラスを作ってしまうからである。このため、彼らは自分たちの誤りが術全体に当てはまると思い、術は存在しないと論じる。私たちは、彼らは適切でない材料で作業し、不適切な結果に至ったのだから、自分たちの誤りによってこの術を打ち消すことはできない、と答える。
第24章 中間的鉱物、植物性のもの、あるいは何らかの物の混合に基礎を置くと仮定した術を否定する論拠。
注 底本見出しには cap. Cap. と重複がある。意味に影響しない重複した章表示は読書用転記で一つに整理した。
また、塩、明礬、ニトル、ボラクス類の中にこの術が見いだされると仮定する者たちがいる。彼らは確かにそれらを試すことはできるが、私たちはその中に術が見いだされるとは考えない。それゆえ、溶解、凝結、焙焼を試した後、変成にわずかな効用しか見いだせなくても、必然性があり知られているこの神的な術を否定してはならない。ただし、これらすべてにおいて何らかの変質を見いだすことは可能である。しかし、それは非常に遠い道で、大変な労力を要する。さらに、他のすべての成長するものに基礎を置くと仮定する者にとっては、いっそう労力を要することが明らかである。したがって、この術をあらゆる植物性のものに置く者は、可能なことを仮定してはいるが、自分たちに可能なことではない。作業を完成できるより先に、労苦に尽き果てるからである。それゆえ、自分たちの作業で術を見いだせなくても、いかなる作業によっても術を見いだせない、と論じることは許されない。
先に述べた誤る者たちは、みな一つの材料だけを立て、それ以外のものを置かなかった。これらの者は、すでにすべて反駁された。他方、多数、ほとんど無数の者たちは、これらすべての物、あるいはその一部をさまざまな比率で組み合わせ、無知のまま進む。その誤りは無限に広がる。混合され得る物の比率の違いは無限であり、混合され得る材料の種類も無限だからである。この二つの無限性の中では、あるときは過剰によって、あるときは不足によって、無限に誤り得る。そして、こうした誤りは訂正できる。しかし私たちは、説明が長大になることを避け、無限の事例にとどまりたくはない。短い言葉で普遍的な学知を伝えるつもりだからである。それによって彼らは、無限の誤りを明瞭に改め、正すことができるだろう。さて、まず自然の原理を、その原因に従って論じよう。初めにそれらへ言及し、あなたの注意を引いておいたとおりである。
注 原刊正誤表(55頁・17行)に従い、「emendare potuerint」と読む。
以下、第1巻第3部。自然的原理と、その結果について。
第25章 古人の見解に従った、金属体の自然的原理について。
そこで、私たちの学派に属し、この術に倣った古人の見解に従い、あなたに示そう。自然の働きにおける自然的原理は、臭気をもつ精気と、生きた水である。この水を「乾いた水」と呼ぶことも認める。臭気をもつ精気は二つに分けた。その隠れた状態では白いものと赤いものがあり、この術の作業においては、両方とも黒い。明らかな状態では、どちらも赤に向かう。それゆえ私たちは、それぞれの生成と、その生成の仕方を、短く、しかも完結し十分な言葉で述べよう。説明を広げ、展開し、それぞれの自然的原理に一章ずつを割り当てるのが適切である。
ただし一般にいうなら、それぞれは非常に強固な組成と、均一な実体を持つ。その理由は、土の部分が、空気、水、火の部分と、きわめて小さな部分に至るまで結合し、分解において一つが他を離れられず、どの部分も他の部分とともに分解されるからである。相互の結合が微小な部分まで強固であり、地中の鉱物における自然で均等な熱によって、徐々に凝集・増大・均衡化されてきたためである。その過程は、ある古代の哲学者たちの見解によれば、自然の適切な道筋に従い、それらの本質が求めるところに応じて進む。
注 Commonsの印刷56頁画像は右端が欠けるため、この頁は完全なe-raraの同年刊本画像を用いて校合した。
第26章 後代の人々と著者の見解に従った、金属の自然的原理について。
他の人々は異なる説を述べた。原理は本来の状態の水銀ではなく、変質し、自らの土に転じた水銀であり、硫黄も同じように変質して土へ変わったものである、というのである。それゆえ彼らは、自然の意図における原理は、臭気をもつ精気や逃散する精気とは別のものだ、と述べた。そう考えた理由は、銀や他の金属の鉱脈で、本来の状態の水銀や硫黄を見いださないからである。むしろ、それぞれが別々に、自ら固有の鉱脈に、本来の状態で存在しているのを見いだす。
注 原刊では頁数が56から59へ飛ぶ。独立した二つの同年刊本で本文と予告語の連続を確認できるため、57–58頁分の本文欠落とは扱わない。
彼らはまた別の理由によっても、この説を主張する。対立するものから反対のものへ移るには、中間の状態を経なければならない、というのである。そうであれば、水銀の柔らかさから、いずれかの金属の硬さへ移るには、その硬さと柔らかさの間の状態を経なければならない、と認め、信じざるを得ない。しかし鉱脈には、その中間の状態を保つ何ものも見いだされない。そのため、この論拠によって、自然の意図における原理は、本来の状態の水銀と硫黄ではなく、自然の根において、それらの本質が土性の実体へと変質した結果生じる、別のものであると信じるようになる。
その仕方はこうである。まず両者がそれぞれ土性の本性に変わり、地中で増した熱によって、この二つの土性の本性から、きわめて微細な煙が分離する。この二重の煙が金属の直接の材料となる。この煙は、鉱脈の穏やかな熱で煮熟されると、ある種の土の本性へ変わり、それによって一定の固定性を得る。その後、鉱脈の内部と土の海綿状の隙間を流れる水が、その土を溶かし、自然で強固な結合によって、均一に一つになる。
注 印刷59頁には tenuissimus に付された印刷の異読注 alias emissus(別読み「放出された」)がある。主本文には tenuissimus を保持した。
注 原刊正誤表(59頁・25行)に従い、「in」を削除した。
したがって、こう考える者たちは次のように述べる。土の通路を流れる水は、その内部で土の実体から生じた溶解可能な実体を見いだし、それを溶かして均一に結合する。内部で溶けた土の実体と、それを溶かす流水とが、自然な結合によって一つになるまで続く。この混合には、すべての元素が適切な自然の比率に従って集まり、ごく小さな部分に至るまで混合し、均一な混合物を作る。そして、その混合物は、鉱脈内の連続的な煮熟によって濃密化し、硬化し、金属となる。これらの人々は真理に近づいているとはいえ、純粋な真理を捉えているわけではない。
第27章 三つの原理、すなわち硫黄、砒素性物質、水銀についての論述の区分。
金属の自然的原理について、一般的な言葉で論じた。そこで、いま、それぞれの原理の章を設けることが残されている。原理は硫黄、砒素性物質、水銀の三つであるから、第一に硫黄、第二に砒素性物質、第三に水銀についての章を書く。次いで、それらの結果である各金属について、自然の働きによって存在するあり方に従い、それぞれ特定の章を設ける。その後、この術の基礎と、その操作へ進み、これらすべての原因を示そう。
第28章 硫黄について。
硫黄は土の脂であり、土の鉱脈内で穏やかな煮熟によって濃密化し、硬く乾いたものになったものである。硬くなったとき、硫黄と呼ばれる。硫黄は同質で非常に強固な組成を持ち、その実体は均一で、各部分も同質である。それゆえ、油を含む他の物のように、蒸留によってその油を取り去ることはできない。したがって、実体を気にするほど失わずに焼成しようとする者は、無駄に労することになる。大きな工夫と、多くの実体を散逸させることなしには、焼成できないからである。百の部分があっても、焼成ののちに十分残せるのは、わずか三部分ほどである。
同じく、あらかじめ焼成しなければ固定できない。ただし他のものと混ぜれば、その逃散をいくらか遅らせ、焼損性を抑えることができ、混合したものとともになら、より容易に焼成される。それゆえ、それから作業の成果を引き出そうとする者は、それだけを調製して引き出そうとしてはならない。混合物とともに完成するのであり、それなしには術は絶望するほど引き延ばされるからである。類似のものとともにすると、それは染める力となり、それぞれの金属に十分な重さを与え、汚れから浄化して輝かせる。これは術によって完成するのであり、術なしには、これらを何一つ行わず、むしろ損ない、黒くする。だから、術を施さずに用いてはならない。また、調製においてそれを混ぜ、金属体に親和させる方法を知る者は、自然の最大の秘密の一つと、完全性への一つの道を知るだろう。一つの結果、一つの目的に至る道は、多数あるのである。
それによって焼成される金属体は、どれも確実に重さを得る。銅もそれによって太陽の姿を帯びる。またメルクリウスと結びつき、昇華によってウスフルとなる。最後に、太陽とユピテル以外のすべての金属体は、それによって容易に焼成される。太陽は非常に難しい。しかし、一部の愚かな哲学者が考えたように、不十分な技によって、それが水銀を有益な太陽や月へと凝結させるわけではない。こうも言おう。湿りの少ない金属体は、湿りの多いものよりも、硫黄によって容易に焼成される。至高の神にかけて、それはあらゆる金属体を明るくする。それが明礬であり、染める力だからである。
注 原刊の正誤表62頁19行の指示に従い、aliud in tinctura を削除した。印刷本文は quoniam est aliud in tinctura alumen et tinctura。
注 Usfur は原文の物質名を音写。ここでは水銀との化合物を指す文脈だが、確実でない現代の純物質名には置き換えない。
また、溶解も非常に難しい。塩気のある部分ではなく、水に溶けにくい油性の部分を持つからである。何が水に容易に、あるいは難しく溶けるかは、溶解の章で十分明らかに示そう。一方、精気なので昇華する。ウェヌスと混ぜ、結合させると、驚くべき紫色を生じる。同じようにメルクリウスとも混じり、それらを煮熟すると、美しい空色が生じる。しかし硫黄だけで錬金術の作業が完成すると思ってはならない。それを信じるのは空しいことにすぎない。これは後で十分明瞭に証明しよう。選ぶべき硫黄は、厚く、輝きのあるものである。硫黄については、以上で十分としよう。
第29章 砒素性物質について。
いまは砒素性物質について論じることが残されている。それは微細な材料から成り、硫黄に類似するので、硫黄と異なる定義をする必要はない。ただし、次の点で硫黄と異なる。白く染める力は容易に示すが、赤く染める力を示すのは非常に難しい。他方、硫黄は赤く染めるのが容易で、白く染めるのは非常に難しい。硫黄と砒素性物質には、この術に役立つものとして、黄色と赤の二種類がある。その他多くの種類は役立たない。砒素性物質は硫黄と同じように固定される。両者とも、金属の灰から昇華させるのが、よりよい。ただし、硫黄と砒素性物質は、この作業を完成させる材料ではない。完成に必要なものを十分に備えていないからである。しかし、場合によっては完成を助ける働きを持つ。選ぶべきものは、輝きがあり、鱗片状で、割れやすいものである。
注 原刊正誤表63頁11・15行に従い、二つの difficillimae を副詞 difficillime とした。
注 ここでの Arsenicum は歴史的な砒素性物質名。現代の元素ヒ素の単体だけを意味するものではない。
第30章 生きた銀、すなわちメルクリウスについて。
生きた銀、すなわち古人の用法ではメルクリウスとも呼ばれるものは、大地の内部にある粘りある水である。それは、ごく穏やかな熱によって、微細な白い土の実体と、ごく小さな部分に至るまで完全に結合している。そして、湿は乾によって、乾は湿によって、均等に調和される。それゆえ、その水の湿りのため、平らな表面を容易に逃れ動く。しかし粘りある湿りを持ちながら付着しないのは、その乾性が湿りを調和させ、付着を許さないからである。また、ある人々によれば、それは硫黄とともに金属の材料である。
また、それは三つの鉱物、すなわちサトゥルヌス、ユピテル、太陽に容易に付着するが、月にはより難しい。ウェヌスには月よりさらに難しく、マルスには技を用いなければ、まったく付着しない。ここから、きわめて大きな秘密を汲み取りなさい。それは金属に親和し、なじみやすく、染める力を結合する媒介だからである。また、水銀の中に沈むのは太陽だけである。ただしユピテル、サトゥルヌス、月、ウェヌスは、それによって溶かされ、混じり合う。また、それなしには、どの金属にも金を被せられない。それは固定されると、きわめて豊かな回復力と、まばゆい輝きをもつ赤の染色力となる。そして本来の本性にあるあいだは、混合したものから離れない。ただし、本来の状態のままでは私たちの薬ではなく、場合によっては同じように助けとなり得るものである。
注 金属の付着、沈み方、鍍金についての記述も、原文の歴史的主張を訳したもの。現代的な物性や作業安全性の保証ではない。
第31章 自然の原理の結果である、金属体について。
これらの自然の原理の結果である金属体について語ろう。数は六つで、金、銀、鉛、錫、銅、鉄である。金属とは、溶融し得て、槌の下であらゆる方向に延び得る鉱物体である。すでに述べたように、金属は濃密な実体と、きわめて強固で安定した組成を持つ。金属どうしは強い類縁性を持つが、完全なものが不完全なものと混じるだけで、それを完全にするわけではない。金を鉛と溶融して混ぜても、鉛が金になるのではなく、鉛は混合物から消え、焼け去り、金だけが検査に残る。他の金属についても、通常の過程では、同じように推論できる。
注 原刊正誤表65頁3行に従い、extendibile を extensibile とした。
しかし、私たちの術に従えば、完全なものは不完全なものを助ける。また私たちの術では、不完全なものは異質な物を何も加えず、それ自身によって完全にされる。不完全なものは、この同じ術によって完成されるのである。神にかけて、それらは互いに変え、変えられ、互いに完成させ、完成させられる。そして、それぞれは他の何ものの助けも借りず、それ自身だけによって完全にされる。
第32章 太陽、すなわち金について。
一般的な章で、金属についての考えの要点を述べた。しかし、それぞれについて個別にも語ろう。まず金についてである。金とは、黄色で重く、鈍い音を持ち、輝き、大地の腹の中で均等に熟成され、鉱水によって非常に長く洗われ、槌の下で延び、溶融し、灰吹きとセメント処理による試験に耐える金属体である。この定義から、定義の原因と、金に属するあらゆる区別的性質を持たなければ、何ものも金ではない、と理解しなさい。ただし、金属を根底から黄色にし、均衡へ導き、浄化するものは、いかなる種類の金属からも金を作る。
注 cineritium は灰吹きによる試験、cementum は粉体などとの加熱による試金・精錬の歴史的操作。建築用セメントではない。
それゆえ、自然の働きを観察して、技によっても銅を金に変え得ると私たちは判断する。私たちは、銅の鉱脈から水が流れ出て、非常に薄い銅の鱗片を運び、長く絶えず流れ続けて、それらを洗い清めたのを見た。その後、水が流れなくなると、その鱗片が乾いた砂とともに、太陽の熱で三年間煮熟されるのを見た。そして、その中に真の金が発見された。そこで私たちは、水の助けによって鱗片が浄化され、砂の乾燥の中で太陽の熱によって均等に熟成され、均衡に達したと判断した。私たちは、可能なときには自然を模倣して同様に変質させるが、この過程そのものにおいて自然に従うことはできない。
注 観察とその解釈は著者の報告として訳した。銅が自然に金へ変わることの現代的な実証とするものではない。
金はまた、金属の中で最も貴重であり、あらゆる金属体を染め、変成するため、赤の染色力である。しかし、それを焼成・溶解しても益はない。またそれは、喜びをもたらし、身体を若さのうちに保つ薬である。メルクリウスとともにすると非常に容易に砕け、鉛の気によって粉砕される。現実の実体において、ユピテルと月ほど金に適合するものはない。重さ、音の鈍さ、腐敗性についてはサトゥルヌス、色についてはウェヌスが対応する。可能性においては、まずウェヌス、次いで月、ユピテル、サトゥルヌス、最後にマルスである。これも自然の秘密の一つである。同様に、精気は金と混合され、きわめて優れた工夫によって金により固定される。その工夫は、頑なで心の鈍い術者には得られない。
注 金の治療・若さ保持の効能は歴史的主張であり、服用や実践の推奨ではない。
第33章 月、すなわち銀について。
太陽の章を終えたので、月、通常の名でいう銀について語ろう。銀は、純粋な白さで白く、清浄で硬く、響き、灰吹きに耐え、槌の下で延び、赤熱し、溶融する金属体である。それゆえ白の染色力であり、技によってユピテルを硬くし、自らと同じものに変える。また太陽と混じり、それを脆くしない。しかし、技を施さなければ、試験の際に太陽とともに残らない。銀をいっそう微細にし、その後、金と結びつけて濃密化・固定することを知る者にとっては、それは闘いにおいて金とともに残り、決して金を離れない。
注 原刊正誤表67頁11行に従い、extendibile を extensibile とした。
酢、アンモニアク塩、未熟な葡萄の汁など、鋭い物の蒸気の上に置くと、驚くべき空色を生じる。銀は高貴な金属体だが、金の高貴さには劣る。銀には固有の鉱脈が見いだされるが、ときには他の金属体と混ざった鉱脈にもあり、その銀はそれほど高貴ではない。同じように焼成も溶解もされるが、多大な労力を費やしても、何の益もない。
第34章 サトゥルヌス、すなわち鉛について。
鉛についても同様に一章を設けよう。鉛は、青黒く、土性で、重く、音が鈍く、白さをわずかに、大きな青黒さを多く帯びる金属体である。灰吹きとセメント処理を逃れ、柔らかく、わずかな圧力で容易にあらゆる方向へ延び、赤熱せずに容易に溶ける。ところが、ある愚かな者たちは、鉛は本性において金に非常に近いと思い、そう述べる。しかし彼らは頑なで、理性的根拠を欠き、微妙な事柄から真理を推し量れず、感覚によって判断する。鉛が重く、音が鈍く、腐敗しないのを見て、太陽に非常に近いと信じるのである。しかし、これはすべて誤りであり、後の論述でさらに詳しく明白に証明する。
鉛は土性の実体を多く持つので、洗われ、その洗浄によって錫へ変わる。したがって錫のほうが、完全なものによく似ていることが明らかである。また鉛は焼かれるとミニウムとなり、酢の蒸気の上に置かれるとケルッサとなる。完全性にさほど近くなくても、私たちは自らの技によって、そこから容易に銀を作る。また、変成の際には元の重さを保たず、新しい重さへ変わる。こうしたことはすべて、術の中で獲得される。鉛はまた、灰吹きにおける銀の試験に用いられる。その原因は後で述べよう。
注 minium は鉛丹、cerussa は鉛白に当たる歴史的な顔料名。これらを含む処理は有害物を伴う。本文は実践の手引きではない。
第35章 ユピテル、すなわち錫について。
ユピテルについての教えも省かず、教えの子らに示そう。それは白いが純白ではなく、青黒さがあり、あまり響かず、土性を少し含む金属体である。軋む音と柔らかさを持ち、赤熱せずに速く溶ける性質を根源から備え、灰吹きとセメント処理にとどまらず、槌の下で延びる。それゆえユピテルは、完全性を欠く金属体の中では、その本性の根底において、完全なもの、すなわち太陽と月により近い。月にはより近く、太陽にはそれほど近くない。これは後で明瞭に述べる。
注 原刊正誤表69頁6・9行に従い、molliciem を mollicie、corpore を corpora とし、指示された句点を整理した。残る構文の不整合は、性質の列挙として訳した。
ユピテルは生成の根から多くの白さを得ているため、白くないすべての金属体を白くする。ただし、サトゥルヌスと最も純粋な太陽以外のあらゆる金属体を脆くするという欠点がある。また、太陽と月に強く付着するため、試験によっても容易には離れない。赤の染色力を受け入れると、測り知れない輝きを放ち、この術の操作によって重さを得る。硬化と浄化は、サトゥルヌスより容易である。脆くする欠点を取り去る方法を知る者は、その実りをすぐに享受して喜ぶだろう。太陽と月に適合し、決してそれらから分離されないからである。
注 原刊正誤表69頁12行に従い、albidinem を albedinem とした。
第36章〔底本の表示は第31章〕 ウェヌス、すなわち銅について。
注 第35章に続き、第37章の直前にある章。印刷見出しの番号 XXXI は保持し、配列に従う第36章として固定IDを付した。
いまはウェヌスについて語ろう。それは青黒さと暗い赤みを帯び、赤熱し、溶融し、槌の下で延び、灰吹きとセメント処理を逃れる金属体である。すでに述べたように、ウェヌスは実体の深部に、金の色と本質を示し、銀や金と同じように槌打ちされ、赤熱する。それゆえ、そこから秘密を得なさい。それは太陽と月の中間にあり、その本性をどちらへ変えることも容易だからである。変成しやすく、労力も少ない。トゥティアと強く適合し、トゥティアはそれを良好な黄色にする。ここから実りを引き出しなさい。それゆえ、ウェヌスによって、硬化や赤熱を得るための労力を免れる。小さな作業と中間の作業では、他の不完全な金属体よりこれを選びなさい。ただし、大きな作業ではそうではない。しかしユピテルに比べ、容易に青黒くなり、鋭く酸いものから汚染を受けるという欠点がある。これを根絶するのは容易な技ではなく、深い技である。
第37章 マルス、すなわち鉄について。
マルスについての説明とその秘密全体は、自然の働きに由来する。それは青黒さが強く、赤さは少なく、純粋でない白さを帯び、硬く、赤熱し、適切とはいえない溶け方で溶融し、槌の下で延び、よく響く金属体だからである。溶融しにくいため、マルスは扱いが難しい。しかし、その本性を変える薬によって溶かすと、太陽と月に結合し、多大な工夫なしには試験でも分離されない。また、その固定性の本性を変えず、不純物だけを取り除くように調製すれば、結合した後、いかなる技によっても分離されない。それゆえ、赤の染色力には容易になるが、白の染色力にはなりにくい。変質させずに結合すると、混合物の色を変えず、ただ量を増す。
したがって、すべての金属体の中でユピテルは、より光沢があり、明るく、輝かしく、完全な太陽と月の金属体へと変成される。しかし、その作業は扱いやすい一方、長い労力を要する。その次に選ばれるのはウェヌスで、変成の完全性はより低く、扱いは難しいが、ユピテルより労力の期間は短い。サトゥルヌスはウェヌスの次で、それより変成の完全性が低く、扱いやすいが、非常に長い労力を要する。マルスは、他のものの中でも変成の完全性が最も低く、きわめて扱いにくく、非常に長い労力を要する。それゆえ、速やかに溶ける性質から遠い金属体ほど、変成作業において扱いにくい。ウェヌスとマルスがそれに当たる。その隔たりが大きいほど難しさも増し、最大なら難しさも最大である。また、土からの青黒さと汚染を多く持つものほど、多くの労力を要し、完全性は低い。
ただし、いま述べた完全性の相違は、小さな作業と中間の作業の技において見いだされたものである。大きな作業では、すべてが同じ完全性を持つ。しかし、扱い方や労力まで同じなのではない。というのも、扱いやすさと難しさ、労力の短さと長さが、金属体の本性の根底にどのように見いだされるかを述べることが、なお残されているからである。さて、私たちは金属体の自然的原理を、自然の意図に由来する真の教えによって書き記した。また、各金属体の説明を、それぞれの章で正しく述べた。それは、自然の内奥を見通した人々の見解と、たゆまぬ労苦によってそこへ達した私たち自身の見解に従ったものである。いまは、すでに示したとおり、この術の説明の不足を補い、本論述の最後の部で、この術のすべての原理を伝え、私たちが見た完全性を、その要請に応じて、その原因とともに示すのが適切である。
第1巻第4部。この術の技術的原理について。
第38章 本部の論述の区分。第2巻で教える完成についても示唆する。
定めるべきことは二つある。すなわち、この術の原理と、その完成である。この術の原理とは、術者がこの術に取り組むための、操作の諸方法である。それらは互いに異なる。一つは昇華、別の一つは下降、また一つは蒸留であり、さらに焼成、溶解、凝結がある。第七は固定、第八は蝋化である。それぞれについて、一つずつ説明しよう。
完成には、それへ到達させるものの考察、助けとなるものの考察、最終的に完成させるもの自体の考察、そして術が完成したかどうかを知るためのものの考察が必要である。作業の完成へ到達させるものを考察するとは、変えるべき各金属体と、その技なしには本性の根から変えるべきでない金属体について、明らかな実体、色、重さを考えることである。また同様に、技を施したときの根源的な状態を考え、金属体の原理について、その深部、隠されたものと明らかなものを、本来の状態と技を施した状態の双方で考えることである。金属体とその原理を、本性の深部と表面において、技の有無の双方から知らなければ、何が余分で何が不足かも分からない。そのため、私たちはそれらの変成の完成には、決して到達できないことになる。
完成を助ける物の考察とは、技を加えなくても金属体に付着し、変化をもたらすと見られる物の本性を考えることである。それらは、マルカシータ、マグネシア、トゥティア、アンティモニウム、ラピス・ラズリである。また、付着せずに金属体を浄化するもの、すなわち塩、明礬、ニトル、ボラクス類、およびそれらと同じ本性のものを考えることでもある。さらに、類似した本性によって浄化するガラス化を考えることでもある。
注 Lazuli は原刊正誤表73頁26行の指定に従う。物質名は歴史的な用法の範囲で読む。
完成させるものを考察するとは、水銀の純粋な実体を選ぶことを考察することである。それは、水銀の材料から起源を得て、そこから作られた材料である。しかし、この材料は、本来の状態の水銀でも、その実体全体でもなく、その一部分である。しかも、いまそのままでそうなのではなく、私たちの石となったときにそうなのである。その石は輝かせ、焼損から保つ。それが完成を示す徴である。術が完成しているかどうかを知るためのものを考察するとは、灰吹き、セメント処理、赤熱、鋭い物の蒸気への暴露、焼入れ、金属体を焼損する硫黄との混合、焼成後に金属体へ戻すこと、水銀の受容を考えることである。これらすべてを、今後、その原因と容易な試験とともに説明しよう。それによって、私たちの言葉が誤っていないことを明白に知ることができる。そして、それらの試験を、あなたは十分に理解するだろう。
注 本書の「試験」は歴史的な試金・錬金術操作をいう。本対訳が家庭等での実験を勧めているわけではない。
第39章 昇華について。なぜ発見されたか。
予定した論述を続け、昇華について述べよう。その発見の理由は、私たちの古人も、私たちも、後に来る者も、金属体と結合するものとして、精気だけ、あるいは金属体と精気の本性をあわせ持つもの以外を見いださないことにある。そして、それらを浄化せずに金属体へ投射すると、完全な色を与えないか、まったく損ない、焼き、黒くし、汚すのを見た。これは精気の違いに応じて異なる。硫黄、砒素性物質、マルカシータのように焼損をもたらすものがあり、これらは完全に損なう。他方、あらゆるトゥティア類のように焼損しないものは、不完全な色を与える。そして、焼損させるものは、同時に黒くし、汚すのである。
注 quia quae は原刊正誤表75頁8行の指定に従う。
その原因は二つある。一つは、硫黄の焼損をもたらす油性が取り除かれていないことにある。その性質は容易に燃え、燃えることで黒くなり、その結果、他を黒くすることである。もう一つは、土性も取り除かれていなかったことである。完全な色を与えないものでは、土性が色を青黒くする原因である。焼損もまた、青黒い色を生じさせ得る。そのため私たちは、その油性を持つものからは焼損をもたらす油性を取り除き、すべてのものからは余分な土性を取り除くよう工夫した。これは昇華以外のいかなる術によっても達成できなかった。火が昇らせるときには、常により微細な部分を昇らせ、より粗大な部分を残すからである。これによって、昇華は、浸透を妨げ、不浄な色を与えていた土性から精気を浄化することが分かる。経験は、それらが土性から解放されたことを、自分の目によって十分に明らかにしてくれる。それらがより輝き、より透過しやすくなり、金属体の緻密さの内部へ容易に入り込んで貫き、以前のように汚い色を作らないのが見えるからである。
昇華によって焼損性が取り除かれることは、試験から分かる。昇華前には激しく焼損へ向かいやすかった砒素性物質も、昇華後には炎を上げず、ただ燃えずに逃れ去るからである。試せば、硫黄にも同じことを見いだすだろう。また、変質を伴って金属体に付着するものを、精気以外には見いださなかった。そのため、精気を用いなくてよい別の理由はなく、昇華による浄化を伴う調製が必要であった。これが、昇華の発見を必要とした原因である。そこで、昇華の手順全体とその原因を、何も省かずに語ろう。
第40章 昇華とは何か。その際に守るべき火の三段階について。
昇華とは、乾いた物が火によって昇り、その容器に付着することである。昇華は、昇華すべき精気の違いに応じて異なる。強い加熱によるもの、中程度のもの、弱い火によるものがある。砒素性物質または硫黄を昇華させるなら、弱い火による必要がある。これらは非常に微細な部分が粗大な部分と均一に結合しているため、そうしなければ、実体全体が何ら浄化されずに昇り、むしろ黒く焼けたものになるからである。不浄な土性の実体を分けるには、二種類の工夫が必要である。すなわち、火の適度な強さと、滓を混ぜることによる浄化である。滓との混合は粗大な部分を捕らえ、アルデルの底に押しとどめ、昇るのを許さない。
それゆえ、術者は昇華に三段階の火を用いる必要がある。第一は、変化し、より清浄で明るくなった部分だけが昇るよう調整した火であり、土性の滓から浄化されるのが明らかに見えるまで用いる。第二の段階では、滓に残った純粋な実体を、より強い火力で昇華させる。すなわち、アルデルと滓自体が赤熱し、その様子を目で見られる程度である。第三の段階では、滓から昇華してすでに精製されたものに、滓を加えず、きわめて弱い火を用いる。そこからほとんど何も昇らず、昇るものは、この作業で何の役にも立たない、きわめて微細なものとなるようにする。その物が、硫黄類において焼損を生じさせる媒介だからである。
したがって、昇華の目的全体はこうである。適切な火の操作によって土性を除き、同じように、損壊を伴う焼損を起こす最も微細で煙状の部分を取り去り、均衡のとれた部分が残るようにする。その部分は火の上で単純に溶け、焼損も炎も伴わず火から逃れる。最も微細なものが焼損をもたらすことは、きわめて明白な議論によって証明される。火は、自分により近い本性のものを、自分の本性へと変える。燃え得るそれぞれの物では、微細な部分がより火に近く、さらに微細なものは、いっそう近い。したがって最も微細なものが、最も近い。また経験からも、昇華されていない硫黄や砒素性物質は非常に速く燃え、硫黄はいっそう容易に燃える。正しく昇華されたものは炎を上げず、まず溶けてから、燃えずに飛び去り希薄になる。これらによって、私たちの言葉が真実であることが分かる。
注 affine は原刊正誤表78頁2行の指定に従った。
第41章 昇華の際、精気に加える金属体の滓と、その量および性質について。
滓を適切な割合で加えることの根拠は、昇華すべき精気がよりよく適合し、より深く混じる材料を選ぶことにある。精気が強く結合する材料のほうが、そうでない材料より、昇華されるものの滓を保持する力が強いからである。この論証は十分に理にかなって明白である。滓を加えることが必要な証明は、もし昇華すべき硫黄や砒素性物質を、何らかの固定された物の滓と結合させなければ、実体全体が浄化されずに昇ってしまう、ということである。昇華に習熟した者は、私たちが真実を述べていることを経験から知っている。
昇華すべきものが深部で適合・結合するような滓を加える必要があることの証明はこうである。滓がごく小さな部分まで混じらなければ、滓がない場合と同じことが起こる。すなわち、実体全体が何ら浄化されずに昇る。滓がなければ全実体とともに昇るのだから、結合しない滓から昇華させても、同じことが起こるはずである。これを見て知った者は、経験からその真実を知っている。金属体の本性に異質な物から昇華させたときには、作業は空しく、昇った後もまったく精製されたものを見いだせなかったからである。しかし何らかの金属体の灰とともに昇華させたなら、正しく昇華させ、容易に完全に浄化できた。
したがって、滓を用いる意図は、金属の灰からなるものを加えることにある。それらでは昇華の操作が容易であり、他の物では非常に難しい。その代わりとなれるものはない。ただし、金属体の灰なしでは昇華が不可能だというのではない。きわめて難しく、非常に長い労苦を要し、絶望するほど長引くのである。しかし、その方法にも一つの利点はある。滓なし、あるいは金属体の灰なしで昇華させるものは量が多く、滓とともに行うものはより少ない。金属体の灰とともに行うものはさらに少量だが、作業は最も容易で短い。金属体由来の滓を使う必要を最もよく軽減してくれるのは、あらゆる種類の調製された塩と、それと本性の類似するものである。それらを用いれば、多量の昇華も可能である。塩を溶かすことで、昇華すべきものの滓を容易に分離できるからであり、これは他の物には見られない。
滓の割合は、昇華すべきものの量と等しくなるようにする。これなら未熟な術者でも誤ることはない。中程度に熟達した術者なら、昇華すべきものの重さの半分の滓を置けば十分であり、誤るべきではない。熟練し、非常に経験豊かな者なら、ごく少量で足りる。滓の量が少ないほど、昇華の収量は多くなるはずである。ただし、滓を減らした割合に応じて、火も比例して弱めることが条件である。少量には小さな火、大量には大きな火、さらに多ければさらに強い火を用い、完成へ導くのである。
第42章 昇華における火の調節について。
火は測り得る物ではないため、習熟していない者は、しばしばその扱いを誤る。炉や燃やす木材の違いだけでなく、容器とその据え方の違いも原因となる。術者は、これらすべてを注意深く気にかけなければならない。しかし一般的な規則を示そう。初めは弱い火で、昇華すべき物から水性だけを追い出すのがよい。それを除いた後、その火によって何かが昇るなら、その初めには火を強めない。最も弱い火で、焼損の原因である最も微細な部分を取り出し、別に置くためである。
注 温度を数値で測定する近代的手法以前の記述である。現代の実験条件へ換算していない。
もはや何も、あるいはわずかしか昇らなくなったら、下の火を強める。これは、アルデルの上の穴に綿の灯芯を差し入れて確かめられる。火をどれほど強めるべきかは、灯芯による試しで分かる。昇華すべき物から出るものが、清浄であってもわずかなら、火はまだ弱いので強める。多量で不浄なら、火は過剰なので弱める。清浄で多量なら、適度な強さが得られた。不浄か清浄かは、アルデルの穴に置いた灯芯を抜いて知る。術者は、昇華する物が灯芯に付着した量と、その清浄さ、不浄さを見て、昇華全体に必要な火の適度な強さを推し量り、それによって誤りなく火を正す方法を見いだせる。
注 原刊正誤表81頁4行に従い、bombacis を bombicis とした。
滓としてよりよいのは、鉄の鱗片、あるいは焼いた銅の鱗片を取る方法である。これらは有害な湿りを欠いているため、硫黄や砒素性物質を容易に吸い込み、自らと結びつける。ただし、その方法を知るのは熟練した者だけである。
第43章 硫黄と砒素性物質の昇華で、滓の量と炉の配置に関して避けるべき誤り。また炉の建造と木材の選択について。
それゆえ、この二つの精気の昇華において、無知によって誤り得るすべての点で、術者を正すのが適切である。まず述べよう。滓を多く置いたとき、それに比例して火を強めなければ、昇華すべき物から何も昇らない。適度な火をどう見いだすかは、すでに十分説明した。また、滓を少量しか置かなかったり、金属体の灰でないものを置いたりした場合、その割合に適した火を見いださなければ、昇華すべき物は全実体とともに昇ってしまう。この適度を見いだす方法も、同様に十分伝えた。
炉によっても同じく誤りが起こる。木材と通気孔が適度に整えられているなら、大きな炉は大きな火、小さな炉は小さな火を与える。小さな炉に多量の昇華材料を置けば、昇らせるのに十分な火を与えられない。大きな炉に少量しか置かなければ、火の過剰によって昇華を台無しにする。また厚い炉は密で強い火を、薄い炉は疎で弱い火を与え、ここでも誤りが起こる。広い通気孔を持つ炉は明るく大きな火を、狭い通気孔の炉は弱い火を与える。さらに、容器を据えたとき、炉壁との距離が大きければ大きな火、小さければ小さな火を与える。これらすべてで、大きな誤りが起こり得る。
これらを正すには、求める火の目的に従って炉を造る。大きな火を求めるなら、炉を厚くし、通気孔をよく開き、アルデル容器を炉壁から十分離す。中程度の火を求めるなら、これらすべてを中程度に調整する。弱い火なら、それに応じた割合を見いだす。これらの割合をすべて、正しい調製と定まった経験によって見いだす方法を、あなたに教えよう。
注 原刊正誤表83頁2行に従い、proportione vera を praeparatione vera とした。
多量の昇華物を昇らせたいなら、その材料を底から一パルマの高さまで収められる容量のアルデルを用意する。それに合わせて炉を造り、中央にアルデルを収め、炉壁との間を二指分あける。炉ができたら、同じ大きさの通気孔を十個、等間隔に設け、すべての部分に火が均等に行き渡るようにする。次に、炉の中央を横断する鉄棒を炉壁に固定する。棒は、炉底から親指を含めた一パルマの幅ほど離し、太さは一指分とする。その上にアルデル容器を固定し、炉との周囲を塗り固める。続く図がこれを示す。
注 palma と digitus は身体寸法に基づく原文の尺度をそのまま保持した。現代の安全な設計寸法へ換算していない。
そして観察しなさい。煙を十分かつ自由に排出し、炎がアルデルの周囲を、炉全体にわたって自由に通るなら、割合は適切である。そうでなければ、適切ではない。その場合、通気孔を広げる。それで改善するならよい。そうでなければ、アルデルと炉壁の距離が小さすぎることになる。そこで炉壁を削り、間隔を広げ、再び試す。煙が自由に抜け、アルデルの周囲の炎が明るく、通気孔から煙が自由に出るまで、通気孔の拡張と炉壁の削りを繰り返す。これは、どの量の昇華に対しても、炉の大きさ、通気孔の広さ、アルデルと炉壁の間隔を見いだすのに十分な試しである。
炉の厚さを決めるには、大きな火を求めるなら、厚くし、親指を含めた一パルマの幅を尺度とする。中程度なら一パルマ、小さな火なら二指分の厚さに造る。
〔84頁の炉と容器の図〕
注 角括弧内は本対訳が加えた図の識別表示であり、原刊に印刷された表題ではない。図は底本画像のものを用いる。

同じように木材からも適度を見いだす。密な木は強い火を、海綿状の木は弱い火を与える。乾いた木は大きいが速く終わる火を、生木は小さいが長く続く火を与える。また密な木は長く、海綿状の木は短く燃える。それゆえ、前述のアルデルとの距離、通気孔の大小、炉壁の厚薄、木材の違いを考慮すれば、真の経験によって、あらゆる火の違いを探究できる。通気孔や薪を入れる炉の窓をどれほど閉じるか、種類の異なる木材をどう用いるか、その追加と減少をどう行うかによって、火の持続時間を定められる。それによって、各段階の火を、どれほどの時間、均等に保てるかを、明確に知ることができる。この探究は非常に有益で必要である。それによって、膨大な労力を免れるからである。だから、これと、いま最後に述べたすべてについて修練しなさい。修練する者は見いだし、しない者は見いださないのである。
第44章 アルデル容器を、どの材料と形で作るべきか。
アルデル容器についての意図は、厚いガラスで容器を作ることである。他の材料では、ガラスと同じような実体を持ち、厚くできるものでないかぎり役に立たない。ガラスとそれに類するものだけが、孔を欠くため、精気が逃れ、火によって失われないよう保持できる。他の材料では、その孔を通して精気が徐々に減り、消え去るため、それはできない。金属も役立たない。精気は金属との親和性と適合性のため、それに浸透して結合し、通り抜けて消えるからである。これは、すでに定めた事柄によって明らかに証明される。経験によっても、私たちの言葉が真実であることが必然的に見いだされた。それゆえ、アルデルを作る際には、ガラスの使用を他の何かで代えることはできない。
そこで、底がわずかに曲がった丸いガラスの鉢を作る。その側壁の中ほどに、周囲を取り巻くガラスの帯を設け、その帯の上に、鉢の壁から蓋の厚さだけ等しく離れた、円い外壁を立てる。この間隔に、蓋の壁が圧迫されず、ゆとりをもって入るようにする。この外壁の高さは、鉢の壁の高さと同じか、わずかに高いか低い程度とする。二つの壁の間のくぼみに合わせ、同じ大きさの蓋を二つ作る。高さはどちらも一スパンナ、形も同じ先細りの形とする。それぞれの頂部に同じ大きさの穴を一つずつ設け、どちらにも大きな鶏の羽軸が入るようにする。少し後の図で、さらに明らかに見ることができる。
注 spanna は手を広げた幅に由来する歴史的尺度。本版は製作用の現代寸法に換算しない。
鉢形の容器の意図は、術者の望むままに蓋を動かせ、しかも巧みな継ぎ目によって、泥で封じなくても精気の出口が開かないようにすることである。この点でさらによい工夫のできる者は、私たちの教えを口実に、それを怠ってはならない。とくに重要なのは、内側の鉢がその側壁とともに、蓋の中ほどまで入り込むことである。煙は昇り、下らないので、この最初の工夫によって、精気が失われる出口を持たないことを見いだした。それゆえ、私たちが探究した他の方法より優れている。これを試す者は、この容器についての私たちの判断が正しかったことを知るだろう。
もう一つの意図は、アルデルの頭部を頻繁に空にすることである。昇華物が頭部に過度にたまると、底へ落ち、昇華を何度も繰り返すために長時間を費やすことになるからである。また別の意図は、頭部の穴の近くまで粉として昇ったものを、溶けて濃密な塊となり、頭部の下方に、透けて明るく、容器の側壁に付着しているものから、常に別々に分けることである。後者は、穴の近くへ昇ったものより焼損性が少ない。このことは、先の箇所で、明白な理由と試験によって証明されている。
昇華の良否と完成を調べる方法は、すでに述べた。それは、明るく輝き、炎を上げて焼けないことを確かめることである。これが、硫黄と砒素性物質の昇華の目的の完成である。そうした状態が得られていなければ、そのすべての目的を考慮しながら、得られるまで作業を繰り返す。
〔88頁のアルデル容器と、取り外した蓋の図〕
注 角括弧内は本対訳による識別表示。本文が参照する図は次頁の第45章見出しの上に印刷されている。

第45章 メルクリウス、すなわち水銀の昇華について。
いま、水銀の昇華の目的全体を定めよう。その全体を成すのは、土性の精製と水性の除去である。焼損性は持たないため、それを除く労苦は不要である。余分な土を分離する工夫は、水銀を、それと類縁性のない物と混ぜ、それらから幾度も昇華を繰り返すことである。その種類にはタルク、卵殻の灰、白大理石の灰がある。同じく、きわめて細かく砕いたガラスや、あらゆる種類の調製済みの塩もある。これらによって水銀は浄化される。
しかし、水銀と類縁性のある他の物によっては、それが完全な金属体でないかぎり、むしろ損なわれる。それらはみな硫黄性を持ち、昇華の際にそれが水銀とともに昇って、水銀を損なうからである。これは、錫または鉛から水銀を昇華させると、昇華後に黒く汚れていることを観察すれば分かる。したがって、適合しない物を用いた昇華のほうがよい。適合する物も、硫黄性を持たなければ、そちらのほうがよいであろう。それゆえ、石灰からの昇華は、他のすべての物からよりも優れる。石灰はわずかな適合性しか持たず、硫黄性を持たないからである。
余分な水性を除く方法は、昇華に用いる灰と混ぜる際、浸潤を伴ってすり合わせ、水銀が見えなくなるまで混合し、その後、ごく弱い火で、浸潤に由来する水性を除くことである。それが去ると、水銀の水性も一緒に去る。ただし、火は水銀の実体全体が昇らないほど弱くする。こうして、浸潤と粉砕、穏やかな焙焼を幾度も繰り返すと、水性の大部分が除かれ、残りは昇華の反復によって取り除かれる。
注 原刊正誤表90頁1行に従い、imbitionis を imbibitionis とした。
それが雪に勝る白さで、死んだもののようにアルデルの側壁に付着するのを見たら、滓なしで再び昇華を繰り返す。固定された部分が滓に付着すると、どんな工夫でも分離できなくなるからである。あるいは、その後で一部を固定する。その固定方法は、後で明瞭に説明しよう。その部分を固定したら、残りの部分をその上で繰り返し昇華させ、同様に固定されるようにする。保存しておき、火の上で試す。よく溶けるなら、十分に昇華したのである。そうでなければ、昇華した水銀をいくらか加え、そうなるまで昇華を繰り返す。明るく、非常に白く、透ける色を持つなら、よく浄化できている。そうでなければ、できていない。
したがって、昇華による調製を怠ってはならない。不完全な各金属体や、未調製の生の水銀そのものに投射したとき、それによって生じる完成は、浄化の程度に応じるからである。そのため、ある者は鉄を、別の者は鉛を、また別の者はウェヌスや錫を、それによって作ることになる。これは精製の怠慢による。水銀そのものの場合も、それに混ぜた硫黄またはその類似物の場合もある。したがって、正しく昇華して浄化し、完成させるなら、それは比べるもののない、確実で完全な白の染色力となる。
第46章 マルカシータの昇華について。
水銀の昇華の目的全体を十分に伝えたので、いまマルカシータの昇華へ進もう。その昇華は二つある。第一は赤熱なしに行い、他方は赤熱して行う。これは、二つの実体を持つためである。一つは本来の状態の純粋な硫黄、他方は死化された水銀である。第一は硫黄として役立つ。第二は、死化され、ある程度調製された水銀として役立つ。したがって、後者を取ろう。これによって、前述の水銀を使うことと、それを死化する労苦を免れるからである。
注 原刊正誤表91頁14行に従い、argenti vivi を argento vivo とした。
注 mortificatio(死化)はこの文献の操作概念であり、微生物の殺菌等の現代概念には置き換えない。
その昇華の方法全体はこうである。すり潰してアルデルに入れ、赤熱させずに硫黄を昇華させる。先に述べた理由から、昇華したものは非常に頻繁に取り除き、火を次第に強め、アルデルが赤熱するまで進める。マルカシータの最初の昇華は、硫黄が去るまで昇華容器で行い、その後、この容器で順次、秩序立てて進め、含まれる硫黄がすべて出るまで続ける。これは次の明白な試しで確かめられる。硫黄がすべて昇った後には、次に昇華するものの色が非常に白くなり、きわめて明るく美しい空色が混じるのが見える。また、硫黄の本性を持つものは燃え、硫黄のように炎を上げる。これに対し、その後、第二に昇華するものは炎を上げず、硫黄の性質を示さず、昇華を繰り返す際、死化された水銀の性質を示す。
注 原刊正誤表91頁18行の saepissime を採用した。
第47章 マルカシータを正しく昇華できる容器について。
それゆえ、次の昇華の方法でこれを集めよう。非常に堅固で、よく焼いた土製の容器を作る。長さは成人男性の身長の半分、幅は手が入る程度とする。底は、深い平皿のような形で、取り外しと接合ができるように作る。容器の口から底近くまで測り、底から指を含む手一つ分の長さに当たるところを定める。その位置から頭部まで、容器の内側に非常に厚くガラス質の釉を施す。頭部には、広い嘴管のあるアランビックを置く。このような容器の中で、それは昇華される。
注 寸法の説明は原刊の身体尺度に従う。曖昧な設計記述を現代的な工作図へ補完していない。
底を強く粘着する泥で容器に接合し、その上にマルカシータを撒く。容器の頭には広い嘴管のアランビックを置き、強く赤熱させられる炉に据える。必要なら銀やウェヌスを溶かせるほどの炉であり、すべての器具の違いを述べる本書の総括部分で、十分に説明する。炉の上部を円板で囲み、その中央に容器の大きさに合った、容器を通せる穴を設ける。容器と炉の周りの継ぎ目を泥で封じ、外へ出る火が昇華物の付着を妨げないようにする。ただし円板には、開閉できる小窓を四つ残し、そこから炭を炉に入れる。また炉の側面にも、その下の間の位置に四つの窓を設け、同じく炭を入れる。さらに小指ほどの穴を六つか八つ設け、これは決して閉じず、煙がそこから自由に抜けるようにする。それらの穴は、炉と円板の接合部に設ける。
強い赤熱を与える炉は、側壁の高さを二クビトゥスとする。中央には、非常に小さく密な穴を多数あけた円板を置き、泥で強く固定する。穴は上を狭く、下を広くし、灰や炭が自由に落ちて、空気を取り入れるために、常に開いた状態が保たれるようにする。下の穴から空気を自由かつ多量に受け入れることは、炉が強い赤熱を与える一つの原因である。これに習熟しなさい。そうすれば見いだせるだろう。
注 原刊正誤表93頁17行の vero laxa を採用した。クビトゥスは肘から手先までに由来する原文の尺度。
容器を長くする理由は、その大部分を火の外へ延ばして冷やし、昇華の煙が冷却される場所を見いだして付着し、逃げて失われる道を見いださないようにすることである。短いアルデルで昇華させ、昇華物を何も得られなかった者は、このことを知っている。アルデルが短いため、全体に同じ火の熱が及び、昇華すべきものは常に煙状のまま、どこにも付着せず、容器の孔から徐々に消え去ったからである。それゆえ、何を昇華させる場合でも、容器の大部分を冷却される場所へ延ばす。
容器にガラス質の釉を施す理由は、昇る煙が、その上昇する場所でアルデルの多孔な壁を見つけ、浸透して逃れないようにするためである。それゆえ、煙の昇る部分をガラス質にして、逃げ道を塞ぐ。しかし、アルデルの底には施さない。底は火の中にあり、その火は釉を溶かしてしまうからである。釉が溶けると、底も、昇華すべきものも、ともに溶けてガラスになる。すべてを支配し、自らに変えるのがガラスの性質だからである。
これらすべてとその原因を考慮したうえで、アルデルの下に火を置き、すべてが昇ったことを確かな試しで確認するまで続ける。その試しは、よく焼いた土製の棒を、昇華の生じる材料の近くへ差し入れることである。棒は小指ほどの太さで、その先から中央まで小さな穴が通っている。その穴に昇華物が付着すれば、まだすべては昇華していない。付着しなければ、昇華したのである。この同じ試しによって、どの昇華でも確かめられる。マルカシータの最後の昇華に用いるアルデルと、炉、および検査用の棒の図は、次のとおりである。
〔95頁の容器、炉、検査用の棒の図〕
注 角括弧内の図の識別表示は本対訳が加えた。原刊本文が指示する木版図を掲載する。

第48章 マグネシアとトゥティア、および不完全な金属体の昇華について。また、それらを昇らせる材料の添加について。
マグネシアとトゥティアの昇華の目的は、マルカシータの最後の昇華と同じである。これらはみな、赤熱なしには昇華できない。それゆえ、同じ目的、原因、試しを持ち、一般的な手順も同じである。赤熱を必要とする昇華は、すべて滓を加えずに行うべきである。材料自体が十分な、むしろ余分な滓を持つからであり、その証拠は昇華の難しさである。完全性を欠くすべての金属体も、同じ順序で昇華させる。違うのは、金属体の昇華の火が、マグネシア、マルカシータ、トゥティアの場合より強いことだけである。また、金属体どうしの昇華にも違いはない。ただし、あるものは昇りやすくする物の混合を必要とし、他のものは必要としない、という違いはある。
ただし、金属体の昇華では、一つの特別な配慮がよいことが経験上見いだされた。アルデルの底に、昇華すべき金属体を多量に置かないことである。量が多いと昇華を妨げるからである。また、昇華用アルデルの底は、くぼみではなく平らにする。底に均一に薄く撒かれた金属体が、そのすべての部分で均等に、十分に昇れるようにするためである。昇らせる物の混合を必要とする金属体は、溶融の遅いウェヌスとマルスである。ウェヌスにはトゥティア、マルスには砒素性物質が必要であり、それらと非常によく適合するので、容易に昇る。これらを考慮した後、トゥティアおよび昇華においてそれと類似する物と同じように昇華させ、同じ順序に従って、その原因と試しを踏まえ、操作を整える。
第49章 下降と、練塊による精製の方法について。
昇華の目的とそのすべての原因を述べたので、今度は下降の方法を、同じくその原因と、定まった完全な手順とともに示すことが残されている。その発見の原因は三つあった。一つは、錬金術の下降器と呼ばれる容器に材料を収め、溶けた後にその穴から下降させることで、溶融したことを確かめるためである。もう一つは、弱い金属体をその灰から戻した後、焼損から守るためである。弱い金属体を灰から戻そうとするとき、すべての部分を同時に戻すことはできない。最初に金属体へ戻った部分が、全体が戻るまで待てば、その大部分が火によって消えてしまう。そこで、戻った部分をただちに火から離す工夫が必要であり、それが下降器によって行われる。第三の原因は、金属体からあらゆる異質な物を精製によって除くことである。清浄な溶融金属が下降し、異質な物はすべて容器のくぼみに残されるからである。
以上の三つの必要から下降が発見されたので、その方法を定めよう。まず、その器具と原因を明らかにする。器具は底を尖らせ、側壁が凹凸なく、均等に底の尖端へつながる形とする。どの溶融物も付着せず、自由に底の穴へ下降できるようにするためである。必要なら、平皿のような形で、よく合う蓋を付ける。どちらも良質で堅固な土を用い、火の圧力によって容易に割れないものとする。
下降させる物を器具に入れ、土製の丸棒の上に置き、上側の底へ近づくようにする。そして蓋をし、継ぎ目を固め、炭火に置き、空気を吹き付け、すべてが下に置いた容器へ下降するまで続ける。ただし、溶けにくい物なら、平らか、わずかにくぼんだ板の上に置いてもよい。下降器の頭を傾けたとき、溶けた物がそこから容易に下降できるようにする。これによって金属体が精製される。
注 上側の底(fundus superior)の表現は、原刊の器具記述に従う。構造を推測して書き直してはいない。
しかし、練塊によるほうが、いっそうよく精製できる。その精製方法は下降器の場合と同じであり、練塊によって下降器を使わずに済む。下降器と同様に金属体の滓を保持し、しかもそれよりよく保持するからである。そこで、その方法を述べよう。浄化すべき金属体を取り、非常に小さな粒、やすり屑、あるいは、より完全な仕方として灰へとする。それに溶けないことを意図する何らかの灰を混ぜ、その後、金属体を溶かす。これを幾度も繰り返すことで、金属体が浄化されることを見いだした。ただし、私たちが完成と認める完全な浄化ではなく、有益な浄化である。完全化の薬を受け入れたとき、その薬によって金属体が、よりよく、いっそう完全に変成されるためのものである。これは、その薬に先立つ処置である。すべての処置については後で十分説明しよう。いまは下降器の図を示す。
〔99頁の下降器の図〕
注 角括弧内は本対訳の識別表示。原刊本文が参照する木版図を掲載する。

第50章 蒸留とその原因、およびその三種、すなわちアランビック、下降器、濾布によるものについて。
そこで私たちの意図に従い、蒸留について、その原因とともに述べるのが適切である。蒸留とは、水性の蒸気を、その容器の中で上昇させることである。蒸留には相違があり、火によるものと、火を用いないものとがある。火によるものには二種が認められる。一つはアランビックへ上昇させるもので、もう一つは錬金術の下降によるものであり、これによって植物から油を取り出す。蒸留が発見された理由、また、あらゆる蒸留の発見に共通する原因は、液状の物を、その濁りの滓から精製し、腐敗から守ることである。どの種類の蒸留でも、蒸留された物がいっそう純粋になり、腐敗からいっそうよく守られるのが見られる。アランビックへ上昇させる蒸留の発見に特有の原因は、土を含まない純粋な水を求めることであった。その経験的な証しは、このように蒸留した水に滓がないことである。純水を見いだした原因は、精気に含浸させ、薬を清めるためであった。すなわち、含浸が必要なとき、蒸発した後に滓を残さない純水を得るためである。そうした滓によって、私たちの薬や清められた精気が汚され、損なわれるおそれがあるからである。
注 原刊の imbitio はそのまま転記し、続く imbibitione と同じ含浸の意味で訳した。精気(spiritus)は揮発性の錬金術的物質を指す。
下降による蒸留の発見の原因は、油をその本来の性質のまま純粋に取り出すことであった。上昇によっては、燃えるという本来の性質をもつ油を得られなかったからである。この探究は、油の実体と混じり合っている色を得るためであった。その色が役立つ場合があるからである。他方、火で熱せず濾布によって行う蒸留が発見された原因は、ただ水を澄ませることにあった。
そこで、すべての蒸留の方法を、その原因とともに述べよう。上昇によるものには二つの方法がある。一つは灰を満たした土鍋の中で行う。もう一つは水を使い、その容器に草や羊毛のような物を順序よく配置して行う。作業が完成する前に、ククルビタや蒸留用アランビックが割れないようにするためである。灰を使う方法は、より大きく、強く、鋭い火によって行い、水を使うものは穏やかで均等な火によって行う。水は灰のようには加熱の鋭さを受け入れないからである。したがって、灰を使う方法では色と土の粗い部分が上昇しやすい。他方、水を使う方法では、より微細で、無色で、単純な水性の本性にいっそう近い部分が上昇する。ゆえに、水によって行うほうが、灰によるよりも微細な分離となる。
注 ククルビタ(cucurbita)は蒸留の下部容器、アランビック(alembicus)は通常その上部の頭部を指すが、本章には装置全体にも用いる表現がある。
これが真実であることは、次の経験によって知られる。ある者が灰を使って油を蒸留したところ、受器には、ほとんど変化していない油が得られた。その部分を分離しようと望むと、必要に迫られて、水を使って蒸留することになった。これを繰り返して油をその元素的な部分へと分離し、非常に赤い油から、きわめて白く澄んだ水を取り出した。その赤色は、すべてアランビックの底に残ったのである。したがって、この術によって、あらゆる植物性の物、植物性の物から生じた物、そしてそれに似たあらゆる物について、そのすべての元素を明確に分離することへ至るはずである。
下降による方法では、どの物からも確実に油を得ることができる。すなわち、すべての植物性の物、およびそれらに似た物からである。濾布による方法では、どの液状の物も澄ませることができる。これらはすべて、わずかな知識しかない者、あるいはごく初歩の知識しかない者にも明らかで、よく知られている。これらを知らない者は、この術を何も知らない。そこで実習すれば、容易に探り当てるであろう。
灰による方法の配置は次のとおりである。丈夫な土鍋を取り、前述の昇華炉と同様の炉に据える。炉壁からの距離は同じとし、同じ工夫を用い、同様の耳を付ける。その底に、篩にかけた灰を指一本分の厚さに敷き、その灰の上に蒸留容器を置く。その周囲を、アランビックの首近くまで、同じ灰で覆う。その後、このように蒸留しようとする物を容器へ注ぐ。最後にアランビックをかぶせる。その首が、下部ククルビタの首を、アランビックの管の曲がりに達するまで内側に受け入れるようにして、蒸留する物が逃げ道を見いださないようにする。その後、アランビックとククルビタを封泥で封じ、両者の継ぎ目を固め、蒸留するまで下から火を加える。アランビックとククルビタはガラス製とする。蒸留の必要に応じて火を強め、火の大きな作用によって、蒸留すべき物がすべて蒸留されたと認められるまで続ける。
第二の目的をもつ、水による蒸留の配置は、容器とアランビックの点では前のものと同じである。ただし、この方法では鉄か銅の鍋を取り、述べたように炉に据える点が異なる。次に、その鍋の底に、草、羊毛、またはそれに似た物を指三本分の厚さに敷き、ククルビタが割れないようにする。同じ草や、それに似た物で、ククルビタの周囲をアランビックの首近くまで覆う。その敷き物の上に細い枝を散らし、枝の上に重い石を置く。石の重さでククルビタ、アランビック、敷き物を押さえ、鍋の底にしっかり安定して保持し、水によって浮き上がらないようにする。浮き上がることが、容器の破損と蒸留する物の損失の原因となるからである。その後、敷き物の上から鍋が満ちるまで水を注ぎ、すべてが蒸留されるまで下から火を加える。
注 原刊の virgae subtilis は語形をそのまま保ち、文脈に従って「細い枝」と訳した。
下降による蒸留の配置は、蓋を備えたガラス製の下降器を作り、両方を封泥で覆い、この方法で蒸留したい物を中へ入れるというものである。そして、その上部に火を設ける。蒸留された物は下降するであろう。
濾布による蒸留の配置は次のとおりである。蒸留する液を石製の鉢へ入れ、よく洗って湿らせた濾布の幅の広い側を、その液の中へ、鉢の底まで入れる。細い側は、鉢の口から外へ垂らす。濾布の先端の下に、滴下物を受ける容器を置く。濾布が滴らせ始めると、まず、それを湿らせていた水が滴り、その水が尽きると、蒸留すべき液がそれに続く。その液がまだ澄んでいなければ、きわめて澄んだ状態で滴るまで、何度でも鉢へ戻す。これらはすべて容易であり、大きな証明を必要としないので、証明については述べなかった。いま説明した各種の蒸留に用いる、すべての容器の図は次のとおりである。
注 distillatio は本章では加熱蒸留だけでなく、濾布を伝って液を滴下させる操作にも用いられる。
〔104頁の蒸留器具の図〕
注 角括弧内は本対訳の識別表示。原刊本文が参照する木版図を掲載する。

第51章 金属体と精気の焼成、およびその原因と方法について。
蒸留について述べた後は、焼成について説明しよう。焼成とは、諸部分を固く結びつけている湿りを取り去ることにより、火によって物を粉末にすることである。それが発見された原因は、物を損ない汚す焼損性の硫黄性を、火によって除くことにある。焼成には、焼成する物の相違に応じた違いがある。
したがって、金属体も、精気も、これらと本性を異にする他の物も焼成されるが、その目的は異なる。不完全な金属体には二種がある。一つはウェヌスとマルスのような硬いもの、もう一つはユピテルとサトゥルヌスのような柔らかいものであり、どれも焼成される。これらは、共通の目的と、個別の目的という、異なる意図に従って焼成する必要があった。ただし、一つの共通の目的によっても焼成される。それは、物を損ない汚すあの硫黄性を、火によって取り除くことである。このようにして、どのような物からも、焼成なしでは除けない焼損性の硫黄性を、ことごとく燃やし去る。金属体は固体であり、その堅さと、水銀の実体の連続した内部に硫黄性が隠れていることのために、硫黄性は水銀によって焼損から守られている。それゆえ、その連続性を断ち、火がどのように小さな部分にもいっそう自由に届き、そこから硫黄性を燃やし去れるようにしなければならなかった。内部の水銀の連続性が、それを守らないようにするためである。同様に、土性を除いて精製することも、焼成の共通の目的である。後で示すように、焼成と金属体へ戻す操作を繰り返すことで、金属体が清められることが見いだされたからである。
注 ウェヌスは銅、マルスは鉄、ユピテルは錫、サトゥルヌスは鉛の錬金術的名称。以下も同様。
柔らかい金属体に特有の焼成は、これら二つの目的とともに、それらを硬くし、赤熱させることを目的とする。それは、それらに対して工夫を凝らして焼成を繰り返すことによって達成される。この点は、後の説明で定める必要がある。私たちは、この工夫によって、それらが明らかに硬くなることを見いだした。ただし、ユピテルのほうが、いっそう明瞭に、より速く硬くなる。精気の焼成が発見された原因は、それらをよりよく固定し、より容易に水へ溶解させるためである。どの種類でも、焼成された物は、焼成されていない物より固定されていて、溶解しやすい。焼成された物の諸部分は、火によっていっそう微細になり、水と混ざりやすく、水へ変わりやすいからである。経験すれば、実際にそうなることが分かるであろう。他の物の焼成は、精気と金属体の調製に必要なことに役立つ。それについては、後で私たちがいっそう詳しく説明する。しかし、そのような他の物のいずれも、これらの完全化そのものを構成するのではない。
したがって、焼成する物が異なるため、焼成の方法も異なる。金属体は、精気や他の物とは別の方法で焼成される。また、互いに異なる金属体も、それぞれ異なる方法で焼成される。柔らかい金属体には、焼成の目的に向けた一つの共通の方法がある。すなわち、両者とも火だけで焼成でき、同様に、調製した塩でも、調製していない塩でも、その鋭さによって焼成できる。
第一の、火だけを使う方法は、次のように行う。皿の形をした、丈夫な構造の鉄製または土製の容器を取り、これらを焼成する炉へ、その下に炭を投じ、風を吹き込めるように据える。その容器の底に鉛または錫を入れる。容器は鉄製の三脚、または三本の石柱の上にしっかり載せ、さらに三つか四つの石で炉壁へ押し付けるように固定し、動かないようにする。炉の形は、すでに述べ、後でもいっそう十分に説明する強熱炉と同じとする。その炉で、焼成容器の下に、焼成する金属体を溶かすのに十分な火を起こす。火の熱によって、金属体が表面に黒い皮を生じたら、燃えて灰を汚すことのない鉄製または石製の箆で、その皮を取り除く。金属体が粉末に変わるまで、この皮を剝ぐ操作を続ける。それがサトゥルヌスなら、さらに強い火にかけ、その灰がきわめて黄いろい色へ変わるまで加熱する。ユピテルの場合も同様に火にさらし、完全な白さへ変わるまで置いておく。
ただし、ここで術者に注意を促しておく。サトゥルヌスは、その灰から容易に金属体へ戻るが、ユピテルは非常に戻りにくい。したがって、サトゥルヌスを最初に粉末にした後、より強い火にさらす際に誤り、その灰が完成する前に金属体へ戻ってしまうことがあってはならない。火を加減し、注意しながら徐々に強め、その灰の状態で安定させる必要がある。そうすれば、容易に金属体へ戻らなくなり、その灰を完成するため、より強い火を加えられる。同様に、ユピテルを戻すことが難しいために、誤りが生じてはならない。その灰を金属体へ戻そうとして戻らず、以前のままであったり、ガラスになったりしたものを見て、戻すことは不可能だと考えることである。私たちはこう言う。ユピテルを戻すとき、強い火を用いなければ戻らない。しかし、強い火を用いても、必ず戻るわけではなく、ガラス化させることもありうる。それは、ユピテルが本性の奥に、逃散性の水銀の実体を閉じ込めているからである。それが火の中に長く留まれば、逃げ去り、湿りを奪われた金属体を残す。その結果、金属として溶融するより、ガラス化へ変わるのに適した状態となる。本来の湿りを失った物は、何であれ、ガラス化する以外の溶融を示さない。したがって、必然的に、きわめて急激な火の作用によって、速やかに戻すことを急がなければならない。それ以外の方法では戻らない。そこで、実習すれば分かるであろう。
塩の鋭さによって行う、この二つの金属体の焼成法は、溶融しているそれらの表面に、塩を少しずつ、何度も投じるというものである。火の上で鉄の棒を使い、よく攪拌して混ぜ、塩の混合によって灰へ変わるまで続ける。その後、それぞれに必要な注意を払いながら、先と同じ完成の方法によって、それらの灰を完成させる。ただし、ここでも両金属体の焼成には違いがある。鉛は、焼成の最初の作業から、ユピテルより容易に粉末へ変わるが、その灰は、ユピテルの灰より容易に完成するわけではない。この原因は、サトゥルヌスが、ユピテルより固定された湿りをもっていることにある。
ウェヌスとマルスの方法は互いに同じだが、先の二つの金属体とは異なる。それらは溶けにくいからである。方法は、薄板にして、溶かすことを目的としない強い赤熱にさらすというものである。それらの中には土性が多く、焼損性と逃散性をもつ硫黄性も多いので、この方法で容易に灰へ導かれる。水銀の実体に多くの土性が混じるため、水銀が本来もつ連続性が乱されるからである。その結果、それらに多孔性が生じ、硫黄性がその孔を通って飛び去ることができ、火も、そのために内部へ入り、硫黄性を燃やし、上昇させることができる。こうして、諸部分はいっそう疎となり、その疎性がもたらす不連続によって灰へ変わることになる。このことの明らかな経験的証しは、ウェヌスの薄板を赤熱させると、硫黄の炎を発し、表面に粉末にできる鱗片を生じることである。それは、表面に近い部分では、硫黄がより容易に燃えるはずだからである。
この焼成に用いる炉の構造は蒸留炉と同じである。ただし、上部に一つだけ大きな穴を設け、そこから煙を自由に排出できるようにする。焼成する物は炉の中央に置き、周囲から自由に火を受けるようにする。その容器は、皿の形をした土製のものとする。
精気を焼成する方法は、それらが固定へ近づくにつれて火を加え、逃げないよう、順を追って少しずつ火を強め、きわめて強い火にも耐えるようになるまで続けるというものである。その容器は丸く、どの側も閉じられたものとし、炉は直前に述べたものと同じとする。同様の炉と同様の容器によって、他のどの物も焼成される。ただし、その場合には、逃散を防ぐために費やす、あの大きな労力を省ける。精気と、精気の本性に近い物以外は逃げないからである。直前に述べたすべての器具の図は、次のとおりである。
〔111頁の焼成炉と容器の図〕
注 角括弧内は本対訳の識別表示。原刊では第52章の見出しの直前に置かれている。

第52章 溶解について。
溶解について詳しく述べるなら、溶解とは乾いた物を水へ戻すことである。そこで私たちはこう言う。すべての溶解の完成は、微細で、きわめて鋭く、刺激が強く、渋味をもち、滓のまったくない水によってもたらされる。たとえば蒸留した酢、未熟な葡萄、非常に酸っぱい梨、同様に蒸留した柘榴、およびこれらに似た物である。溶解の発見の原因は、溶融する力も浸透する力もない物を微細にすることにあった。これらの力がなければ、固定された精気と、それと同じ本性をもつ物から得られる大きな効用が失われてしまう。溶解する物はすべて、塩、明礬、あるいはそれらに似た物の本性をもたなければならない。それらは、ガラス化する前に溶融する本性をもっている。したがって、溶解された精気も、同じような溶融を示すであろう。精気は、その本性上、金属体と、また互いに非常によく適合しているので、溶融性を得れば、それによって金属体へ浸透し、浸透することで変成するはずである。
注 aquis はここでは単なる水だけでなく、酢や果実由来の液など、操作に用いる液体を含む。
しかし、浸透し変成することは、術を施さずには達成されない。その術とは、すなわち、対象を溶解し凝結させた後、それに、精製はされているが固定されていない精気を何か一つ加えることである。そして、その精気が対象とともに留まり、より速い溶融をもたらし、溶融中のガラス化を防ぐようになるまで、対象から何度も昇華させる。精気は、その本性としてガラス化せず、混ぜられた物の中に留まっているかぎり、それもガラス化から守る。したがって、精気の本性をより多く保っている精気ほど、ガラス化をよく防ぐ。単に精製しただけの精気は、精製、固定、焼成、溶解を施した精気より、その本性をよく保つ。それゆえ、そのような精気を対象に混ぜる必要がある。これらから、良好な溶融、浸透、そして持続する固定が生じるからである。
自然の働きから、塩、明礬、およびそれらに似た物の本性を保つ物だけが、溶解可能であることを証明できる。自然のすべての働きを考察しても、それら以外の物が溶解するのは見いだされないからである。したがって、何であれ溶解する物は、それらの本性によって溶解するはずである。しかし、真に焼成されたすべての物が、焼成と溶解の反復によって溶けることを私たちは見る。このことによって、焼成されたすべての物が、塩または明礬の本性に近づくことを証明する。したがって、それらは性質の点でも互いに伴い合わなければならない。
溶解の方法には二つある。温かい堆肥によるものと、沸騰する水によるものである。両者の目的と効果は一つである。堆肥による方法は、焼成した物をガラス瓶に入れ、その上から、蒸留した酢または同様の液を、その物の二倍量注ぐというものである。空気が通らないよう瓶の口をよく塞ぎ、温かい堆肥の下で溶解するにまかせる。その後、濾布による滴下で、溶解した部分を取り分ける。溶解しなかった部分は、再び焼成し、焼成の後、同じようにまた溶解させる。その物に対して作業を繰り返し、すべてが溶けるまで続ける。
沸騰する水による方法のほうが速い。その方法は、同様に焼成した物を酢とともに瓶へ入れ、空気が通らないよう口を塞ぐというものである。水を用いる蒸留法で順序を追って指示したように、その瓶を、水と藁で満たした釜に埋める。その後、下から火を起こし、水が一時間沸騰するようにする。その後、溶解した部分を滴下させて取り、別に保存する。溶解しなかった部分は再び焼成し、同じ手順でまた溶解させ、反復によってすべてが溶けるまで続ける。いま述べたものの図は、次のとおりである。
〔114頁の溶解の図〕
注 角括弧内は本対訳の識別表示。原刊では第53章の見出しの直前に置かれている。

第53章 凝結とその原因、およびメルクリウスと溶解した薬を凝結させる種々の方法について。
凝結とは、液状の物から湿りを取り去り、固い実体へ戻すことである。その発見の原因には二つある。一つは水銀を硬くすること、もう一つは、溶解した薬から、混じっている水性を取り除くことである。したがって、凝結させる物の種類に応じて、方法も異なる。水銀に必要な凝結と、溶解した薬に必要な凝結とは異なる。ただし、水銀そのものの凝結にも二つある。一つは、その生来の湿りをすべて取り去ることによるもの、もう一つは、その湿り自体を濃密化し、硬くすることによるものである。しかし、水銀を凝固させるのは非常に難しく、骨の折れることであり、深く鋭い工夫を要する。私たちは、水銀を凝結させるための、あらゆる工夫を述べることにしよう。
ある者たちは、水銀を凝結させる工夫とは、加減した火の中に保つことだと考えた。ところが、凝結させたと思って火から取り出すと、以前と同じように流れることが分かった。そこで呆然とし、驚き、これは達成できないと強く主張した。他の者たちは、自然の原理から、どのような湿りも、火の熱によって必ず乾きへ変わると考え、忍耐強く力を尽くして、水銀を火の中に保ち続けようとした。その継続によって、ある者は白い石へ、別の者は赤い石へ、さらに別の者は黄色い石へと変えるに至った。しかし、それらには溶融性も浸透性もなかった。彼らは、こうした相違の原因を理解できず、その作業を放棄した。
注 巻末正誤表(115頁24行)に従い、本文の converterunt を converterent に訂正した。
また別の者たちは、薬を使って水銀を凝結させようとしたが、達成できず、期待を裏切られた。凝結しなかったり、気づかぬうちに量が減ったり、凝結しても、いずれの金属体の形にもならなかったりしたのである。彼らは、これらの相違の原因を知らなかった。別の者たちは、技巧を凝らした薬を調合し、投射によって水銀を凝結させた。しかし、それを不完全な金属体へ変えたので、その凝結は有益ではなかった。この原因も、彼らには同様に分からなかった。そこで、術者が水銀の凝結の術に達するため、私たちはこれらの原因を述べる必要がある。
すでに私たちが十分に述べたように、水銀の実体は均一である。したがって、短時間、火の中に保つだけで、その水性を取り除くことはできない。最初の誤りの原因は、急ぎすぎることであった。他方、水銀は微細な実体であるため、火から退いて逃げる。ゆえに、水銀を逃がした者たちの誤りの原因は、火が過度であることにある。水銀は、本性に共通するものがあるため、硫黄、砒素性物質、マルカシータと容易に混ざる。それゆえ、これらによって凝結したように見えても、金属体の形にはならず、鉛を混ぜた水銀の形になる。これらは逃散性であるため、水銀が金属体の本性へ達するまで、火との闘いの中にそれを保持できない。むしろ、火の衝撃によって、水銀と一緒に逃げるのである。これが、そのように凝結させる者たちの誤りの原因である。
注 マルカシータ(marchesita)などの鉱物名は、近代の化学組成を一義的に割り当てず、歴史的名称として保った。
同様に、水銀には多くの湿りが結びついている。それは、水銀をそれに適した火の中に保ち、注意深く火の強い作用を加える以外には分離できない。この適した火を、水銀が耐えられる程度に応じて強めていくと、彼らは、その湿りを取り去り、金属として溶融するのに十分な部分を残さない。湿りが取り去られると、それは溶けなくなる。これが、水銀を溶けない石へ凝結させる者たちの誤りの原因である。
同様に、水銀には硫黄の部分が自然に混じっている。ただし、多く含むものと、少なく含むものがあり、技術によって、それを取り除くことは可能である。硫黄には、水銀とともに、その分量に応じて赤色または黄色を生じる性質がある。したがって、硫黄を除いたときの水銀の性質は、火によって白さを示すことである。これが、水銀を石へ凝結させた後、その色がさまざまになる原因である。同様に、水銀には硫黄の土性も混じっており、その凝結物はすべて、この土性によって汚されるはずである。これが、水銀を不完全な金属体へ凝結させる者たちの誤りの原因である。
したがって、水銀を凝結させる薬の違いによって、また凝結させる水銀そのものの違いによっても、その凝結の際に、異なる金属体が生じる。薬または水銀が、固定されていない硫黄を含めば、それから柔らかい金属体が生じるはずであり、固定された硫黄を含めば、硬い金属体が生じるはずである。白ければ白いものが、赤ければ赤いものが生じる。白色または赤色が弱ければ、同様に弱い色のものが生じるはずである。土性であれば不完全なものとなり、そうでなければ、そうはならない。同様に、固定されていない物はどれも青黒い色を生じるが、固定された物は、それ自体の働きに関するかぎり、青黒い色を生じない。純粋な実体は純粋な金属体を生じ、不純な実体はその反対を生じる。硫黄を混ぜない水銀だけの場合にも、薬へとする際の浄化と調製の相違によって、同じ違いが生じる。したがって、薬の側の相違によって、期待を裏切る結果が起こる。水銀を凝結させると、ときには鉛、ときにはユピテル、ときにはウェヌス、ときにはマルスとなるが、これは不純さのためである。他方、ときには太陽、ときには月となる。これは純粋さと、色への配慮から生じるはずである。
注 太陽(Sol)は金、月(Luna)は銀の錬金術的名称。条件文は原刊の省略的な表現を保って訳した。
したがって、水銀は、厳しい火の中へ強く何度も落とすことで凝結する。火の厳しさは、その水性を容易に取り除くからである。この操作は、非常に長い形の容器で行う。その長さのため、水銀は容器の壁に冷却、付着、静止の場所を見いだし、逃げ道を見いださないようにする。そして、強い加熱のもと、再び容器の底へ落とし、固定されるまで何度も繰り返す。また、水銀に適した火の中に長時間保つことによっても凝結する。その際は、首が非常に長く、胴が瓶の形をしたガラス容器を使い、首を絶えず開けておき、そこから湿りが消え去ることができるようにする。
注 praecipitatio はここでは上昇・付着した物を下へ落とす操作であり、現代化学の溶液からの「沈殿」に限定しない。
また、水銀に適合する薬によっても凝結する。その薬については、後であなたにいっそう明らかに述べよう。ここでも、私たち自身の実験によって見いだしたところに従い、この件に関する考えを十分に述べておく。その薬とは、水銀の奥深くにきわめてよく付着し、水銀が逃げる前に、その最小の部分にまで混じり合うものである。したがって、水銀に適合する物から、その薬を集めなければならない。それに当たるものは、あらゆる金属体、硫黄、砒素性物質である。しかし、どの金属体も、その本来の状態で水銀を凝結させることはなく、どれほど水銀と親和性があっても、水銀がそれらから逃げるのが見られる。したがって、私たちは、どの金属体も水銀の奥深くには付着しないと考えた。ゆえに、その薬は、金属体そのものより微細な実体をもち、いっそう流動的に溶融するものでなければならない。また、精気が本来の状態にあるかぎり、それらによって水銀に堅固で安定した凝結が生じることもなく、逃散性で、非常に汚れた凝結しか生じない。一方の原因は精気が逃げることであり、もう一方の原因は、それらの土性で焼損しやすい実体が混じることである。
したがって、ここから明らかになるのは、何から水銀の薬を取り出すにしても、その薬は、きわめて微細で純粋な実体をもち、本性によって水銀に付着し、きわめて容易に液化し、水のようにきわめて薄く流れ、火との闘いにも固定されている必要があるということである。このような薬は、水銀を凝結させ、太陽または月の本性へ変えるであろう。私たちは、あなたがその薬へ到達するための工夫の方法を示し、その薬を、それに固有の説明の中で定めた。ゆえに、注意深くそれを目指して実習すれば、見いだすであろう。しかし、説明が不十分だと私たちを責めることができないように、こう言っておく。この薬は、硫黄または砒素性物質とともに調製した金属体そのものから取り出される。同様に、調製した硫黄だけ、または砒素性物質だけからも、また金属体だけからも取り出せる。しかし、水銀だけからなら、いっそう容易に、いっそう直接に、いっそう完全に見いだされる。自然は、異質な本性より、自らと同じ本性を親しく抱き、いっそう喜ぶからである。また、水銀はすでに現実に微細な実体をもつため、その微細な実体を取り出すことも容易である。
この薬を得る方法は、私たちが十分に述べたように、昇華による。その固定の方法も、それを扱う章で同様に述べられている。溶解した物を凝結させる方法は、瓶を首まで灰に埋め、加減した火を用い、水性が消え去るまで加熱するというものである。長い容器と、あらゆる凝結を行う容器の図は、次のとおりである。
〔120頁の凝結用容器の図〕
注 角括弧内は本対訳の識別表示。原刊本文が参照する木版図を掲載する。

第54章 固定とその原因、および金属体と精気を固定する種々の方法について。
固定とは、火から逃げる物を、その火に耐えられるよう適切に整えることである。固定が発見された原因は、すべての染色作用と、すべての変質が、変えられた物の中で永続し、変わらないようにすることにある。固定もまた、固定する物の種類に応じて異なる。それらは、サトゥルヌス、ユピテル、マルス、ウェヌスのような、完全性を欠く若干の金属体である。また、精気の相違によっても異なる。精気は、硫黄と砒素性物質が一つの区分、水銀が別の区分、マルカシータ、マグネシア、トゥティア、およびそれらに似た物が第三の区分に属する。完全性を欠くこれらの金属体は、焼成によって固定される。焼成によって、揮発性で物を損なう硫黄性から解き放たれるからである。その焼成については、それを扱う説明、すなわち焼成の章で十分に述べた。
注 マグネシア(magnesia)とトゥティア(tutia)は歴史的鉱物名として保ち、近代の同名物質と一律に同定しない。
硫黄と砒素性物質は、二つの方法で固定される。一つは、それらが留まるようになるまで、アルデル容器の中で昇華を繰り返すことである。したがって、その固定を速めるための狙いは、短時間に何度も昇華を繰り返せる仕組みを工夫することである。これは、二つのアルデルと、それぞれの蓋を使い、固定されるまで昇華の操作をまったく止めないようにして行う。一方の容器で上昇したら、もう一方のアルデルへ投じ、このように交互に行う。昇華物を、アルデルの壁に何もせず付着させたままにしておいてはならず、その上昇が止まるまで、絶えず火によって上昇させる。短時間に昇華の反復を多く重ねられるほど、固定に要する時間を、より速く、よりよく短縮できる。
注 アルデル(aludel)は昇華に用いる器具。
そこで、固定の第二の方法が見いだされた。それは、昇華させる物を熱の中へ落とし、固定されるまで、絶えずそこに置く方法である。これは長いガラス容器を用いて行う。その底は土製とし、ガラス製にはしない。ガラスでは割れてしまうからである。土製の底は、うまく工夫して、よく閉じるように容器へ接続する。昇華物が容器の壁に付着したら、鉄または石の箆で、熱のある最下部へ落とし、固定されるまで絶えず交互に繰り返す。
〔122頁の固定用の長い容器の図〕
注 角括弧内は本対訳の識別表示。原刊では、前段落の「longum vas vitreum」と次頁の「cuius fundus」の間にこの木版図が挿入されている。

水銀の固定法は、硫黄と砒素性物質の固定法と同じであり、次の点を除けば違いはない。硫黄と砒素性物質は、この最後に述べた固定法を用い、精妙な分離の技によって、まず、きわめて薄い可燃性の部分を取り除かなければ固定できない。水銀では、この配慮は必要ない。また、この方法で硫黄と砒素性物質を扱うときには、水銀よりも穏やかな熱が必要である。さらに、硫黄と砒素性物質の固定には、水銀より長い時間がかかる点も異なる。同様に、それらは、その遅さのため、水銀より高く上昇するという点でも異なる。それゆえ、固定するために、水銀より長い容器が必要となる。
注 原刊の tarditatem(遅さ)は画像で確認し、そのまま訳した。上昇の高さの理由を別の物性語に置き換えてはいない。
マルカシータ、マグネシア、トゥティアの固定は、次のように行う。最初の昇華の後、それらから望むものを得て、滓を捨てたら、それらに対して昇華を繰り返す。そのそれぞれについて、上へ昇った物を、下に残った物へ何度も戻し、固定されるまで続ける。これらの容器の図は、すでに示した。
注 巻末正誤表(123頁19行)に従い、本文の magnisiae を Magnesiae に訂正した。
第55章 蝋化について。
蝋化とは、硬く溶融しない物を、液化へ向けて柔らかくすることである。したがって、その発見の原因は明らかである。液化できないため金属体へ浸透できなかった物を、変質を起こすために柔らかくし、流動して浸透できるようにすることにあった。それゆえ、ある者たちは、蝋化は液状の油と水を使って行うべきだと考えた。しかし、これは誤りであり、この自然の術の原理からまったく離れ、自然の明らかな働きによって否定される。自然が金属体に、それらの溶融と軟化のために必要な湿りを与えるとき、すぐに尽きる湿りを置いたとは見られず、むしろ長く持続する湿りを置いているからである。もし、すぐに尽きるような湿りを置いていたなら、金属体はきわめて速く、すなわち一度の赤熱で、湿りを完全に奪われることになる。そうなれば、一度赤熱させた後は、どの金属体も鍛打できず、溶融もできないという結果になる。
それゆえ、できるかぎり自然の働きに倣う私たちは、蝋化においても自然の方法に従わなければならない。自然は、溶融する物の蝋化の根底で、あらゆる湿りのうち最も火の熱に耐える湿りによって蝋化する。したがって、私たちも、同様の湿りによって蝋化する必要がある。この蝋化する湿りは、次の物のうちに、最もよく、最も可能に、最も直接に見いだされる。すなわち、硫黄と砒素性物質のうちに近く見いだされるが、水銀のうちには、さらに直接に、よりよく見いだされる。これらの湿りが、その土を離れることは見られない。自然の混合の働きにおいて得た結合が、強いからである。湿りをもつ他のすべての物では、分解する際に、その湿りが土的実体から分離し、分離の後、その実体があらゆる湿りを奪われることが、経験によって分かるであろう。しかし、前述の精気では、こうしたことは起こらない。したがって、蝋化において、それらを用いずに済ませられるような、別の物はない。
注 expectans ignis calorem は、湿りが火の熱に持ちこたえるという本章の文脈に従って訳した。
したがって、それらを使う蝋化の方法は、蝋化する物に対して、それらの昇華を何度も繰り返すことである。それらが、自らの湿りとともに対象の中に留まり、良好な溶融をもたらすまで続ける。ただし、それらから、物を損なうあらゆるものを完全に取り除くまでは、これは起こらない。しかし私には、まずそれらの油を酒石油によって固定し、その油を用いて、この術に適合し、必要となるすべての蝋化を行うほうがよいと思われる。
注 酒石油(oleum tartari)は歴史的調製物名であり、現代的な油脂の意味に限定しない。
ゲベルの錬金術についての『完全性大全』第一巻、終わり。
ゲベル『錬金術についての完全性の大全』第二巻。
第56章 序文。この第二巻を三つの部に分ける。
さて、この秘術の原理についての検討を伝え終えたので、約束に従い、この術の目的を、それにふさわしい言葉で最後まで論じなければならない。すなわち、この作業の完成をいっそう明らかに示す、あらゆる物についての考察である。また、完全化の薬に必要な条件について考察し、あらゆる不完全な物を完成させるため、その薬を何から取り出すのが最もよく、最も直接的であるかを検討する。さらに、完成が成し遂げられたかを知るための技法について考察する。この三つを伝えれば、私たちの術に必要な限りで、完全性についての知識はすべて伝えられることになる。
この第二巻の第一部。完全化の可能性とその方法を把握しうる、諸物の認識について。
第57章 この術の完全性の認識は、精気と金属体の本性の認識に依存すること、そして両者について詳しく述べようとすること。
金属体や水銀そのものの変成を知るには、術者の精神に、それらの根源に即した本性の真の認識が生じなければならない。そこで、まず金属体の原理を明らかにし、それらがその原因に即して何であり、どのような善いもの、悪いものを内に含むかを示そう。その後、すべての金属体の本性を、あらゆる特性とともに示す。すなわち、それらの腐敗の原因が何であるかを、それぞれの実験によって確かめるのである。
第58章 硫黄と砒素の本性について。
まず金属体の原理である精気、すなわち硫黄とその同類、および水銀の本性を取り上げる。すでに述べたように、硫黄と砒素は土の脂肪である。その実験的で明白な証拠は、それが容易に発火し、熱によって容易に液化することから得られる。油性のものでなければ発火せず、その本性を持つものでなければ熱によって容易に溶けないからである。したがって、硫黄とその同類は、可燃性の実体と土性の滓を、腐敗の原因として持つ。一方、完全化をもたらす原因は、この二つの中間にある。
土性がその腐敗の原因であるのは、溶融も浸透もしないからである。可燃性の実体も同様に原因となる。それ自体が留まらず、ほかの物を留まらせることもなく、また、そのどの種類も黒さを与えるからである。したがって、これらの完全化の原因は、中間の実体である。その土性によって、良好な溶融で成し遂げられる浸透が妨げられることはなく、その精妙さのために揮散が生じても、その作用の痕跡が容易に失われることはない。ただし、この中間の実体も、固定されなければ、金属体や水銀を完全化する原因とはならない。固定されていなければ、その作用の痕跡は容易に失われないとしても、確実に永続するわけではない。したがって、術者はその中間の実体を分離しなければならない。
ある人々は、それが強固に混ざり合っているため、分離は不可能だと考えた。しかし、その人々自身の明白な操作が、その考えに反している。彼らは、わずかな量ではあるが、硫黄そのものを焼成し、もはや溶融も発火もしない物を作ったからである。これは分離によって起こったに違いない。硫黄が自然の混合状態に留まるかぎり、発火し、燃焼するはずだからである。したがって、硫黄の異なる実体を分けることによって、その中のいっそう燃えやすい部分が、燃えない部分から、技術によって別々に分離されると結論される。焼成によって、そこにある可燃性の部分をすべて除くことが可能なら、彼らは自らの自然に即した操作に基づき、あらゆる部分の分離が可能だと認めなければならない。だが、これはきわめて精妙な技術に依存するため、彼らは不可能だと考えた。本章で述べたことから、私たちの術の真実に属するのは硫黄全体ではなく、その一部分であることが明らかである。私たちはすでに、その分離を可能にする技術の認識へとあなたを導いた。砒素では、鉱床における根源の段階で、自然の働きによって可燃性の部分の多くが解き放たれているので、分離の技術は容易である。ただし砒素は白さの染薬であり、硫黄は赤さの染薬である。したがって、硫黄の分離には、大いなる慎重さが必要である。
第59章 メルクリウス、すなわち水銀の本性について。
水銀についても、余分なものを取り除く必要がある。水銀には腐敗の原因、すなわち土性の実体と、発火せずに焼損する水性の実体があるからである。しかし、水銀には余分な土や不純物がないと考えた人々もいた。その考えは根拠がない。水銀には白さよりも、鉛色の暗さが多いことが見て取れる。また、簡単な操作、すなわち後でその方法を述べる洗浄によって、そこから黒く滓を含む土が出てくるのを観察できる。水銀からは二通りの完全化、すなわち水銀から薬を作ることと、水銀自体を完全化することが得られるため、二種類の浄化の段階によって調製しなければならない。したがって、水銀には二種類の浄化が必要となる。一つは薬を作るための昇華によるものであり、ここで示している。もう一つは凝固させるための洗浄によるもので、これから示す。水銀から薬を作ろうとするなら、投射の際に鉛色を生じないよう、昇華によって土性の滓を除いて清め、投射の際に薬全体を揮発性にしないよう、その揮発する水性を除き、中間の実体を薬のために残さなければならない。この実体には、焼損せず、焼損から守り、揮散せず、固定するという特性がある。
それが完全化する力を持つことを、明白な実験によって証明しよう。水銀は何より水銀に付着し、それと最もよく親和し、その次に金、続いて銀に親和することが観察できる。したがって、それ自体が、その本性をいっそう多く持つと結論される。他の金属体は、それほどの類似性を持たず、したがって水銀の本性への参与が少ないことが、確かに認められる。また、焼損からいっそうよく保護されるものほど、水銀の本性を多く持つと判断する。ゆえに水銀は、完全化する力を持ち、焼損から守るものである。これこそ完全性の究極である。
注 原刊正誤表の130頁20行「plus illius naturae」、22行「perfectivum」を採用。本文の「plus suam naturam」「perfectissimum」を訂正した。
第二の浄化段階は、水銀を凝固させるためのものである。この場合は、一日かけてその土性を洗い流すだけで十分である。その方法は次のとおりである。土製の浅皿を取り、水銀を入れ、その上に、全体を覆うのに足りるだけの少量のきわめて強い酢、あるいはそれと同様の物を注ぐ。次に、煮立たないよう弱火にかけ、皿の底で指を用いて絶えずかき混ぜ、水銀をきわめて細かい白い粉に似た状態へ分ける。酢がすべて蒸発し、水銀そのものが再び現れるまで続ける。その後、そこから出た滓状の黒いものを洗い流し、捨てる。この操作を繰り返し、その土性の色が、白と空色の混じる明るい色へ完全に変わるまで続ける。これが完全な洗浄のしるしである。その状態になったら、凝固のための薬を水銀に投射する。すると、薬の調製のされ方に応じ、金の性質を持つもの、または銀の性質を持つものへ凝固する。その薬については、後で説明しよう。
注 原刊正誤表の131頁14行に従い「extiterint」を「extiterit」とした。指で扱う等の記述は歴史的原文の翻訳であり、現代の実施手順を勧めるものではない。
以上から、水銀も、そのままの本性において完全なのではなく、私たちの技術によって水銀から作り出されるものが完全であることが明らかとなる。硫黄とその同類についても同じことがいえる。したがって、これらについては、自然のままに自然に従うことはできず、自然に即した私たちの技術を通じて従うのである。
第60章 マルカシータ、マグネシア、トゥティアの本性について。
他の精気、すなわち金属体に強い作用を与えるマルカシータ、マグネシア、トゥティアについても、その本性に関する説明が必要である。そこで本章では、それぞれが何であるかを、その証拠とともに述べよう。
マルカシータは生成の際、二つの実体を持つ。すなわち、死化され、固定に近づいた水銀と、焼損をもたらす硫黄である。それが硫黄性を持つことは、明白な実験から分かる。昇華させると、そこから明らかに硫黄性で燃焼する実体が出てくるからである。昇華しなくても、その硫黄性は確認できる。赤熱させようとしても、その前に硫黄の発火によって燃え立ち、燃焼するからである。水銀の実体を持つことも感覚によって明らかとなる。水銀と同じく、銅に純銀の白さを与え、昇華の際には空色を示し、明白な金属光沢を持つのが観察できる。これらによって術者は、マルカシータが根源にこれらの実体を含むことを確信する。マグネシアについては、いっそう濁った硫黄と、いっそう土性で滓の多い水銀を持ち、その硫黄も、より固定され、燃えにくいことを、同じ実験によって明白に証明できる。また、それが鉄の本性にいっそう近いことも証明できる。
注 Marchesita・Magnesiaは原著の鉱物分類による名称。現代の単一物質への断定は避けた。
トゥティアは白い金属体の煙であり、これは明白な証拠によって確認できる。鍛冶場の灰受けに付着した、錫と銅の混合物から出る煙を投射すると、トゥティアと同じ作用を生じる。また、この金属の煙は、何らかの金属体を混ぜなければ金属に戻らず、トゥティアも同様である。トゥティアは白い金属体の煙であるため、白い金属体を黄色にするのではなく、赤い金属体を黄色にする。黄色とは、赤と白が一定の比率で混ざったものにほかならないからである。その精妙さによって、元の金属体よりも深く金属体の内部へ浸透する。したがって、元の金属体より強く変化を与え、すでに説明したわずかな技術によって、試験に際しても、いっそう強く付着する。ゆえに、変化させられるものはすべて、水銀、硫黄、またはそれらに類するものの力によって変化しなければならない。これらだけが、金属体と本性を共有するからである。
第61章 太陽、すなわち金の本性について。
今度は金属体について、説明を広げ、その最も内奥の本質を述べよう。まず金、次に銀、最後に他の金属体を、必要と思われる順に、実験による証拠とともに取り上げる。金は、水銀のきわめて精妙で、きわめて明るく固定された実体と、それを染める少量の硫黄の実体から作られる。その硫黄は清浄で、純粋な赤さを持ち、固定され、明るく、自らの元の本性から変化している。硫黄の色には相違が生じるので、金の黄色にも同じく相違があるはずである。ある金は黄色が濃く、別の金は薄い。金が水銀のきわめて精妙な実体からなることは、水銀が容易に金を受け入れることによって分かる。水銀は、自らと同じ本性のもの以外を受け入れないからである。明るく清浄な実体を持つことは、昼だけでなく夜にも現れる、輝き、光を放つ光沢が示している。
金が固定され、燃焼する硫黄性を持たないことは、火に対するあらゆる操作から明らかである。金は減少せず、発火もしないからである。また、その硫黄が染色するものであることは、それを水銀と混ぜると赤く変色させること、さらに金属体から強い赤熱によって、その精妙な部分が昇るように昇華させると、その部分とともにきわめて黄色い色を生じることから明らかである。したがって、純粋な実体とともにあれば純粋な色を、純粋でない実体とともにあれば純粋でない色を作る。その黄色について証拠を示してもらう必要がある者には、感覚がない。目で知覚されることだからである。ゆえに、固定へ導かれた水銀のきわめて精妙な実体とその純粋さ、そして固定され、焼損をもたらさない硫黄のきわめて精妙な材料が、金の本質的材料のすべてである。金の中では硫黄より水銀の量が多いことが示されるので、水銀は金へいっそう深く入り込む。したがって、何を変化させようとする場合も、金を手本にして変化させ、金と等しいものへ導きなさい。そのための方法は、すでに示した。
金の部分は精妙で固定されているため、非常に密に集まることができた。これが大きな重量の原因である。自然が多くの煮熟を行ったことによって、徐々に解きほぐされ、十分に濃密となり、究極の混合が生じたため、赤熱とともに溶融する。以上から、水銀の量が多いことは完全性の原因であり、硫黄の量が多いことは腐敗の原因であると分かる。また、自然の煮熟の中で混合によって生じる実体の均一性も、完全性の原因である。一方、実体の不均一性は腐敗の原因となる。長く穏やかな煮熟によって成し遂げられる硬化と濃密化は完全性の原因であり、その反対は腐敗の原因である。したがって、水銀に硫黄が適切でない仕方で加われば、その相違に応じて、異なる腐敗がもたらされるはずである。そこへ加わる硫黄は、全体が固定されて焼損しない場合も、全体が焼損性で硫黄の本性のまま揮散する場合も、揮散するが硫黄の本性を持たない場合も、一部が揮散性で一部が固定される場合もある。また、一部が硫黄の本性を持ち、他の部分は持たない場合、全部が清浄な場合、半ば不純な場合、量が多いか少ないかにかかわらず混合物の中で優勢な場合、量が少なく劣勢な場合、優勢でも劣勢でもない場合もある。白い場合、赤い場合、その中間の場合もある。これらすべての相違から、自然において異なる金属体やその類似物が生じなければならなかった。私たちはこれらの相違をすべて、明白な証拠とともに述べなければならない。
第62章 月、すなわち銀の本性について。
以上から、清浄で固定され、赤く明るい硫黄が、純粋な水銀の実体に、優勢にならず、むしろ少量で劣勢となるように加われば、純金が生じることが、すでに明らかである。一方、水銀の実体へ加わる硫黄が、清浄で固定され、白く明るいものであり、その量が優勢でなければ、純銀が生じる。ただし、その純粋さは金より劣り、その密質性は金より粗い。そのしるしは、部分が金と同じ重さになるほどには密集しておらず、実体も金ほど固定されていないことである。火によって減少することがそのしるしであり、その原因は、銀の硫黄が固定されておらず、不燃性でもないことにある。その硫黄がこのような状態にあることは、わずかに発火することによって証明される。同じものが、比較する相手に応じ、固定されているとも、固定されていないともいわれることは、不可能と考えるべきではない。銀の硫黄性は、金の硫黄性と比べれば固定されず、燃焼する。しかし、他の金属体の硫黄と比べれば固定され、燃焼しない。
注 原刊正誤表の136頁2行「si」を採用し、句切りを「fit argentum purum, si in quantitate non superet」と整理した。同頁14行の「non」も正誤表に従い採用。
第63章 火星、すなわち鉄の本性について。また硫黄と水銀の作用、および腐敗と完全性の原因について。
土性の固定された硫黄が、同じく土性の固定された水銀と混ざり、両者とも純白ではなく鉛色がかった白さを持ち、その中で非常に強く固定された硫黄の量が優勢であるなら、鉄が生じる。固定された硫黄の優勢は溶融を妨げるからである。したがって、硫黄は固定の操作によって、水銀より早く、速やかに液化する性質を失うと結論される。固定されていない硫黄は、水銀より速く溶けるのが見られる。ここから、それぞれの金属体で溶融の速さと遅さが生じる原因が明らかになる。固定された硫黄を多く持つものは遅く溶け、焼損をもたらす硫黄を多く持つものは、より容易に、より速く溶ける。これを、十分に明らかに示すことが、私たちに残されている。
固定された硫黄が溶融を遅くすることは、硫黄が焼成されなければ決して固定されず、焼成されるとまったく溶融しないことから明らかである。したがって、どの物の中でも溶融を妨げるはずである。焼成しなければ固定されないことは、焼成せずに固定しようとした人の実験から分かる。土に変わるまでは、絶えず揮散するのが認められるからである。その土は、石灰の本性に似ている。しかし水銀では、これはまったく同じではない。水銀は土に変えなくても固定でき、土へ変えながら固定することもできる。沈降によって達成される急速な固定では、固定されるとともに土へ変わる。これに対して、次々と昇華を繰り返す方法でも同様に固定されるが、土へは変わらず、むしろ金属的な溶融を示す。このことは、急速な沈降と、連続する昇華による緩やかな方法という、二通りの固定を完成に至るまで試した人には、明白であり、確証されている。その人は、私たちの記述のとおりに観察し、見いだしたからである。
その理由は、水銀が粘り気のある緻密な実体を持つことにある。その証拠は、他の物と湿潤混合しながらすり潰す際に見られる。強く付着することによって、その粘性が明白に感じられるからである。また、その外観と莫大な重さを量ることによって、片目しかない者にも、緻密な実体を持つことは明らかである。水銀は、その本来の状態では金より重く、また、述べたように、きわめて強固な組成を持つ。したがって、水銀は湿り気を消費せず、土へ変えることもなく、固定できると結論される。その各部分がよく付着し、混合が強固なので、何らかの仕方で火により部分が濃密になると、それ以上は腐敗せず、煙を含む炎が内部へ入っても、もはや煙として上昇することを許さない。その緻密さのために希薄化を受けず、また、水銀にはない可燃性の硫黄性によって生じる焼損を持たないからである。
注 「水銀は金より重い」は原文の主張をそのまま訳したもので、現代の密度比較へ訂正していない。
こうして、真実の発見によって、驚くべき二種の秘奥が見いだされた。一つは、各金属が火によって腐敗する原因である。その第一は、金属の実体の奥深くに焼損をもたらす硫黄性が含まれることである。それは発火によって金属を減少させ、最終的に煙へと消耗させ、消し去る。内部にどれほどよく固定された水銀があっても同じである。第二は、外部の炎が増大し、金属へ浸透し、水銀がどの程度固定されていようとも、金属を自らとともに煙へと解きほぐすことである。第三は、焼成によって金属体が希薄になることである。そうなれば、炎や火が内部へ浸透して、金属を消し去ることができる。したがって、すべての腐敗の原因がそろえば、金属体は最大限に腐敗するはずである。全部がそろわなければ、それらの原因が弱まる度合いに応じて、各金属体の腐敗速度も低下する。
第二の秘奥は、水銀を通して金属体の中に認められる優良さである。水銀は、いかなる消滅の原因によっても、自らの組成を部分に分けることを許さない。実体全体を伴って火から去るか、実体全体を伴って火中に留まるか、そのいずれかだからである。したがって、水銀の中には、必然的に完全性の原因が認められる。水銀を創造し、実体と、その実体に固有の特性を与えた、祝福され栄光ある至高者を讃えよう。そのような特性は、他のいかなる物も自然には持たず、そこに何らかの技術によって、この完全性が見いだされることもない。水銀の中には、それを近い可能性として見いだすのである。水銀こそ、火に打ち勝ち、火に打ち負かされず、むしろ火の中で親しく憩い、火を喜ぶものである。
第64章 金星、すなわち銅の本性について。
本題に戻ると、不純で粗い硫黄が、その大部分では固定され、小部分では固定されず、赤く鉛色がかり、全体として優勢でも劣勢でもない状態で、粗い水銀に加われば、必然的に銅が生成するといえる。これらすべての証拠は、それらの本性が示す事柄から得られる。銅を発火させようとすると、そこから硫黄性の炎が出るのを認めることができる。これは固定されない硫黄のしるしである。また、繰り返し燃焼させると、蒸散によって量が失われることは、固定された硫黄を持つことを示す。その結果、溶融が遅くなり、実体が硬くなるからであり、これらは固定された硫黄が多量にあるしるしである。硫黄が赤く不純で、不純な水銀と結び付いていることは、感覚によって示されるので、他の証明を必要としない。
そこで実験から秘奥を取り出しなさい。熱の作用によって土に変わったものはすべて、容易に溶解し、水の本性へ戻るのが見られる。これは、火によって各部分が精妙化するためである。したがって、元の本性において精妙なものほど、この土性の状態へ戻されると、いっそう精妙になる。それゆえ、いっそうよく溶解し、最も精妙なものは、最もよく溶解する。ここから、鉄と銅という二つの金属体の腐敗と汚染の原因が明らかになる。それは、多量の固定された硫黄と、銅では少量、鉄ではごく少量の固定されない硫黄による。固定された硫黄が火の熱によって固定に至ると、その部分は精妙化されるが、その実体のうち溶解に適した部分は溶解する。その証拠は、この二つの金属体を酢の蒸気にさらすことである。すると、その表面に硫黄の明礬性が花を吹くように現れる。この明礬性は、精妙化する熱によって生じたものである。また、この二つの金属体を渋味のある液に入れると、煮立てることにより、その多くの部分が容易に溶解する。両者の鉱床を調べれば、溶解した明礬性の実体がそこから滴り出て付着しているのを、明白に見いだせる。その明礬性の物は、渋味と容易な溶解性を備え、水へ変わる。渋味があり容易に溶けるものは、明礬と、その本性を持つ物以外には見いだされないからである。
この二つの金属体が火で黒くなるのは、内部に含まれる固定されない硫黄のためである。それは銅には多く、鉄には少なく、鉄では固定されたものの本性に近づいている。したがって、このような作用の痕跡を鉄から容易に取り除くことはできない。いまや、固定されない硫黄によって溶融が生じ、促進される一方、固定された硫黄からは溶融が生じず、妨げられることが明らかになった。しかし、固定された水銀からは、必ずしも溶融が生じなくなったり、妨げられたりするわけではない。硫黄を固定した後、どのような溶融の工夫を用いても、その溶融性を保つことができなかった人は、これが必然的に真であると知っている。その人も、水銀なら昇華を幾度も繰り返すことによって、良好な溶融性を保ったまま固定できたからである。したがって、水銀を多く含む金属体ほど完全性が高く、少なく含むものほど完全性が低いことが明らかである。あらゆる操作において、水銀が混合物の中で優勢になるよう努めなさい。水銀だけで完全化できるなら、あなたは最も貴重な完全性、自然の働きに打ち勝つ完全性の探究者となる。自然が到達しないほど深く清めることができるからである。水銀をより多く含むものほど完全性が高いことの証拠は、水銀を容易に受け入れることである。完全な金属体は、水銀を親和的に受け入れるのが観察される。
以上の説明から、金属体には二種類の硫黄性があると結論される。一つは、混合が始まるときに水銀の奥深くへ閉じ込められたものであり、もう一つは、後から加わったものである。その一方は苦労して取り除けるが、他方は、すでに水銀と結び付き、同じ蝋状軟化の状態をなしているため、私たちの操作が適切かつ有益に達成しうる、火によるどのような技法によっても取り除けない。このことは、焼損性の硫黄性は火によって除かれるが、固定された硫黄性はまったく除かれないという実験によって証明される。したがって、金属体が焼成によって清められるといった場合、その本性の根源で結合していない土性の実体から清められると理解しなさい。根源で結合したものは、水銀の薬が加わってそれを覆い隠し、適度に和らげるか、混合物から分離しないかぎり、火の技法によって清めることはできないからである。
本性の根源で金属と結合した土性の実体を、その混合物から分離するには、二つの方法がある。一つは、水銀の実体を上昇させ、硫黄性を残す物とともに上昇させる方法である。そのような物とは、親和性を持つトゥティアやマルカシータである。これらは、硫黄より水銀の量が多い煙だからである。これらを強く急激な溶融によって金属体と結び付けると、精気は揮散する際、金属体を伴って行く。この実験によってそれが分かり、したがって、これらとともに金属体を上昇させることができる。もう一つは、すでに述べた、水銀を混ぜ合わせる洗浄による方法である。水銀は、自らの本性に属するものを保持し、異質なものを退けるからである。
第65章 木星、すなわち錫の本性について。
以上の探究を踏まえ、本来の目的に従って述べよう。混合の根源にある硫黄が、わずかな固定を備え、不純な白さを持ち、優勢でなく劣勢であり、一部が固定され、一部が固定されていない、不純な白い水銀と混ざるなら、そこから錫が生じる。その証拠は、調製操作によって見いだせる。錫を焼成すると硫黄の悪臭が感じられ、これは固定されない硫黄のしるしである。炎が出ないからといって、それが固定されていると思ってはならない。炎が出ないのは固定のためではなく、混合物の中で水銀が優勢で、燃焼から保護するためだからである。したがって、錫には二種類の硫黄性と、二種類の水銀の実体があると示される。一方の硫黄性は固定の程度が低く、焼成すると硫黄のような悪臭を放つ。最初の混合についての実験がこれを示す。他方は、その灰のまま火中に保ち続けることによって示される。それは、より固定されているため、悪臭を放たない。
注 原刊正誤表143頁21行に従い「qui cum」を「quia cum」とした。続く「Per primam probatur mixtionis experientia」は原刊の語順が難解であり、直前の実験による第一の硫黄性の証明として訳した。
錫の中に、固定されないものと固定されたものという、二種類の水銀の実体があることも証明される。焼成前にはきしむ音を立てるが、三度焼成した後には音を立てないからである。それは、音を生じさせていた揮発性の水銀の実体が飛び去ったためである。揮発性の水銀の実体が音の原因であることは、鉛を水銀で洗浄することによって証明される。鉛を水銀で洗い、その後、鉛が溶ける以上に強くない火で溶融すると、水銀の一部が鉛とともに残り、鉛にきしむ音を与え、それを錫へ変える。逆に、錫を鉛へ変化させることからも、このことが考察できる。錫に焼成を幾度も繰り返し、還元操作にいっそう適した火を施すと、鉛へ変わる。とりわけ、滓を取り除きながら強火で焼成した場合にそうなる。これらの実体の相違は、それぞれに適した器具の中で保持する工夫と、それらを分ける火の扱いによって、確かめることができる。私たちは熱心な努力によってその方法に到達し、それによる判断が真実であったことを、自ら確証した。
錫から固定されない二つのもの、すなわち硫黄と水銀を除いた後に残るものが何であるかを、あなたに確実に知らせる必要がある。それによって、錫の組成を完全に知ることができるからである。残るものは鉛のように鉛色で重いが、鉛より白さを多く備える。したがって、それはきわめて純粋な鉛である。その中では、二つの構成要素である水銀と硫黄の固定度は等しい。しかし量は等しくない。混合物では水銀が優勢だからである。その証拠は、自然の状態の水銀が、容易にそこへ入り込むことである。もし内部の水銀の量が多くなければ、自然の状態で加えた水銀は容易には付着しない。だから水銀は、きわめて精妙な工夫をしなければ鉄には付着せず、銅にも、その混合物に水銀が少ないため、付着しない。したがって、鉄へ付着するのは最も困難である。銅へは、それより水銀が多いため、いっそう容易に付着する。その証拠は、銅が容易に溶融し、鉄は非常に溶けにくいことである。
この二つの実体の固定は、堅固な固定に近いが、それによって永久に固定されたわけではない。その証拠は、金属体そのものを焼成し、その後、きわめて強い火にさらすことで得られる。その火によって分離は起こらず、実体全体が上昇するが、いっそう精製される。したがって、焼損をもたらす硫黄の実体は、鉛からより錫からのほうが容易に分離されることが分かる。その実験的な証拠は、錫が容易に硬化し、焼成され、光沢が改善することである。そこで私たちは、これらの腐敗をもたらすものは、錫の根源にはなく、後から加わったと考えた。最初の混合のときに、錫と強く結合していなかったので、容易に分離できるのである。そのため、錫の変化、すなわち浄化、硬化、固定は、速やかな操作で生じる。その原因は、すでに述べたことから、明白に考察できる。また、焼成と還元というこれらの操作の後、強い上昇と火の強制作用によって生じる煙を観察すると、黄色に達するのを見た。これは焼成された硫黄の特性なので、錫が固定された硫黄の本性を多く含むと、真実の判断を下し、その判断を確証した。したがって、この私たちの学知において真実を見ようとする人々は、勤勉に操作しながら、これらすべてを熱心に探究しなさい。そして、推測ではなく確かな発見によって、金属体の原理と精気の特性を見いだすまで続けなさい。私たちは、この書物において、術の必要に十分なだけ、それを伝えた。
第66章 土星、すなわち鉛の本性について。
残るのは、鉛の記述である。鉛は、焼成を繰り返して鉛の本性へ戻した錫とは、次の点を除いて異ならない。すなわち、硫黄と水銀という、より粗い二つの実体が混ざっており、その実体がいっそう不純であること、内部の燃焼する硫黄が水銀の実体にいっそう強く付着すること、そして組成の中に、錫より多くの固定された硫黄の実体を持つことである。これらの証拠を、明白な実験によって示そう。鉛が錫より多くの土性の滓を持つことは、外観と、水銀による洗浄から明らかになる。洗浄によって出る滓は錫より多く、また、焼成の第一段階を錫より容易に受け入れる。これは土性が多いしるしである。土性を多く持つ金属体は焼成されやすく、少なく持つものは焼成されにくいと認められる。その証拠が、金を完全に焼成することのきわめて大きな困難である。また、鉛の汚さは、錫の場合と違って、焼成を繰り返しても改善されない。これは、その原理に本性上備わる汚さが、錫より多いことのしるしである。
可燃性の硫黄が、錫の場合よりも鉛の水銀の実体に強く付着していることは、次の事実から示される。鉛から目立つ量の煙を分離すると、それは必ず濃い黄色を帯び、下の底に残ったものも同じ色を持つ。このことは、次の三つのうち、必ず一つを示すと結論される。すなわち、可燃性の硫黄がまったくないか、ごく少量しかないか、あるいは、混合の根源で原理が近接しているために、強く結び付いているかである。しかし、その臭いによって、硫黄は確かに含まれ、しかも少量ではなく多量であると確証した。硫黄性の臭いは短時間には消えないからである。そこで私たちは、確実な考察によって、鉛の燃焼する硫黄が、固定の本性に近づいた燃焼しない硫黄と、水銀の実体の中で均一に混ざっていると考えた。したがって、煙が上昇するときは、黄色を作る特性を持つ、燃焼しない硫黄とともに、必ず上昇する。鉛にある焼損をもたらさない硫黄の量が錫より多いことは、焼成の際、鉛は全体の色が黄色に変わるのに対し、錫は白に変わるのを観察することによって、真実として示された。
これによって、次の操作の原因を探究する道が開けた。焼成すると、錫は鉛より容易に硬くなるが、液化の遅い状態になる速さは、鉛を上回らない。その理由は、本性上の硬さの原因が、固定された硫黄と水銀にあるからである。一方、液化の原因は二つ、すなわち水銀と可燃性の硫黄である。その一方である水銀は、赤熱を伴う場合も伴わない場合も、溶融のどの段階を完成させるにも十分である。錫には、真に固定されていない水銀が多量にあるため、液化の速さが大きく残り、容易には除かれない。また、軟化の原因も、水銀と可燃性の硫黄の二つである。燃焼する硫黄性は、鉛からより錫からのほうが容易に除かれるので、錫では柔らかさの原因の一つが除かれ、焼成によって必然的に硬くなる。これに対して鉛は、柔らかさの二つの原因が強く結合しているため、容易に硬くならない。
ただし、水銀による柔らかさと硫黄による柔らかさには違いがある。硫黄による柔らかさは圧力に屈する性質であり、水銀による柔らかさは引き延ばされる性質である。このことは、水銀を多く持つ金属体はよく延び、少ないものはあまり延びないという観察によって、必然的に証明される。したがって、錫は鉛より容易に薄く延び、鉛は銅より、銅は鉄より容易に延びる。銀は錫より薄く延び、金は銀より薄く延びる。それゆえ、硬化の原因は固定された水銀か硫黄であり、柔らかさの原因はその反対だと分かる。溶融の原因は、固定されない硫黄と、どの種類であれ水銀という二つである。しかし、固定されない硫黄は、必然的に赤熱を伴わない溶融の原因となる。この実験は、溶けにくい金属体に砒素を投射すれば、明白に観察できる。砒素はそれを、赤熱せず容易に溶けるものにするからである。容易な溶融の原因には、水銀も同じく含まれる。一方、赤熱を伴う溶融の原因は固定された水銀である。したがって、あらゆる溶融を妨げる原因は、固定された硫黄である。
ここから、最大の秘奥を引き出すことができる。水銀を最も多く持つ金属体が最も完全だと認められる以上、不完全な金属体の中でも、水銀を多く持つものほど、完全なものへ近いはずである。また、硫黄性の多い金属体ほど、腐敗も大きい。したがって、完全性が依存するものに関しては、錫が完全性を最も多く備えるため、完全なものに最も近く、鉛はそれより遠く、銅はさらに遠く、鉄が最も遠いことが、以上から明らかである。しかし、欠陥を補って完成させ、金属体の密質性を深部までいっそう完全に薄め、輝く光沢を持つ実体の下に、その暗い色を覆い隠す薬という観点では、事情は異なる。この薬によっては、銅が最も完全化されやすく、鉄はそれに次ぎ、錫はさらに劣り、鉛が最も劣る。したがって、真実に即した労苦と探究によって、金属体の相違に応じ、調製を伴う異なる薬が見いだされると分かった。赤熱する硬い金属体には一つの薬が、赤熱せず柔らかい金属体には別の薬が必要である。前者には、柔らかくし、深部まで精妙にし、その実体を均一にする薬が必要であり、後者には、硬くし、その隠れた内部を濃密にする薬が必要である。そこで、いまから薬へと移り、異なる薬を見いだす理由、それが何を不完全なまま残し、何を完成へ導くかを、明白な実験とともに示すことにしよう。
注 原刊「Hoc quidem…Illud vero…」の指示関係は作用内容に即して、硬い金属体には軟化、柔らかい金属体には硬化と訳した。
この第二巻の第二部。薬一般、および、すべての不完全なものを完成させる完全化の薬の必要性と、それを何から取り出すのが最もよく、最も直接的であるかについて。
第67章 各々の不完全な金属体にも、水銀にも、白化用と赤化用の二つの薬が必ず必要となるが、ただ一つの最も完全な薬が、それらすべての代わりを果たすこと。
精気が金属体にいっそうよく似ていることは、自然にある他のものよりも、金属体と強く、親和的に結び付くことによって証明される。したがって、私たちの最初の発見によって、これらの精気が金属体を変化させる真の薬であることが示された。そこで私たちは、可能なあらゆる工夫を尽くして、精気によって、各々の不完全な金属体を、確かな変化によって完全な銀または金の金属体へ変成させようと努めた。そのため、変化させる対象についての異なる目的に応じて、精気から異なる薬を作る必要が生じた。変化の対象となる金属は、完全化によって凝固させられる水銀と、不完全な金属体との二種類である。後者はさらに分かれ、鉄や銅のように硬く赤熱するものと、錫や鉛のように柔らかく赤熱しないものとがある。したがって、完全化する材料も、同じく複数でなければならない。
注 原刊正誤表151頁2行に従い「hoc esse」を「hos esse」とし、精気を指す複数形として訳した。
水銀に必要な完全化の材料と、変成させる金属体に必要な材料は異なる。さらに、銅や鉄のように硬く赤熱するものと、鉛や錫のように柔らかく赤熱しないものとでも、必要な材料は異なる。それぞれの種類に属する二つの金属体も、本性が互いに異なるので、異なる薬が必要となる。鉄と銅は同じ種類に属するが、ある特定の性質で相違する。鉄は溶けず、銅は溶ける。したがって、鉄と銅はそれぞれ別の薬によって完全化される。また、鉄は全体が不純であるが、銅はそうではない。鉄は暗い白さを帯び、銅は赤さと緑色を帯びる。こうしたことも、同じく薬を異ならせる必要を課す。もう一方の、柔らかい種類に属する錫と鉛も、同様に違うので、異なる薬が必要である。錫は清浄であるが、鉛はそうではないからである。
しかし、これらの変化可能なものはすべて、あるときは銀の金属体となり、あるときは金の金属体となるので、それぞれに二つの材料が必要である。一つは黄色い材料で、黄色い金の金属体へ変え、もう一つは白い材料で、同様に白い銀の金属体へ変える。四つの不完全な金属体それぞれに、金化用と銀化用という二つの材料があるので、金属体を良い形へ完全化する薬は、合計八つとなる。水銀も同じく金または銀へ完全化されるため、水銀を変化させる薬にも二種類ある。したがって、あらゆる不完全なものを完全に変化させるため、私たちが全体として見いだした薬は、全部で十となる。だが、私たちは長年の労苦に励み、徹底した探究に努め、この十の薬を見いだす苦労を、ただ一つの薬の恩恵によって免れようとした。そして、長く、きわめて骨の折れる探究と、確実な実験を通じて、一つの薬を見いだした。その薬によって、硬い金属体は柔らかく、柔らかいものは硬くなり、揮発するものは固定され、汚れたものは、言葉では表せず自然を超える輝きによって、明るくなる。
したがって、これらすべての薬について、それぞれ、その原因と、明白に証明する実験とを伴う説明を示す必要がある。まず十の薬の系列を取り上げ、そこで全金属体の薬、次に水銀の薬へ進み、その後、最後に、完成をもたらす秘術の薬へ移る。ただし、不完全なものには調製が必要である。そこで、術の伝授が不十分だとして、嫉妬深い者たちに非難されないよう、まず不完全なものの調製を説明し、その方法が見いだされる必要な理由を示そう。それによって、私たちの技術の中で、不完全なものが、それぞれの段階の白化・赤化の完全性の薬を受け入れ、その薬によって完全化されるのに適した状態になるようにする。その後、すべての薬について、十分かつ適切な説明を加えよう。
第68章 それぞれの不完全な金属体に、それに固有の調製を施すべきこと。
これまでの説明によって、それぞれの不完全な金属体に、自然の働きから何が余分なものとして残り、何が不足しているかが、おおむね十分に明らかとなった。完全にするために、前に省いたことは、ここで十分な説明によって補おう。まず、変化可能な不完全な金属体は二種類である。すなわち、鉛や錫のように柔らかく赤熱するものと、鉄や銅のように硬く、溶けないもの、あるいは赤熱して溶けるものである。鉄は溶けず、銅は赤熱して溶ける。それらの本性の根源にある本質の相違から、自然は私たちに、必要に応じた異なる調製を施すべきことを、必然的に教えた。
注 153頁原刊は「mollia scilicet, et ignibilia」と印刷する。直前の第67章等では鉛・錫を「non ignibilia」とするが、ここでは否定語を無断で補わず原文どおり訳した。
したがって、一方の種類には、変成すべき不完全な金属体が、必ず二つある。すなわち、メラン、つまり黒いものと呼ばれ、この術では土星と呼ばれる鉛と、レウコン、つまり白いものと呼ばれ、ここでいう木星に当たる、きしむ鉛である。両者は、その本性の生来の根源に由来する隠れた深部においても、表面に現れる状態においても異なる。鉛は暗く、鉛色で重く、黒く、きしむ音もなく完全に無音である。これに対して錫は白く、わずかに鉛色がかり、大きくきしむ音を立て、小さな響きも生じる。両者の深部の相違は、その必然的原因から、明白な実験とともに示そう。それらから、健全な知性を持つ術者は、程度の大小に応じた調製の順序を導き出すことができる。
注 ギリシア語の色名は原刊画像に従い μέλαν(黒)、λευκόν(白)と転記した。
そこで、まず金属体の調製を順序に従って述べ、次に凝固させうる水銀そのものの調製を述べよう。金属体でも、まず柔らかい種類を、その後に他の種類を取り上げる。第一の種類として、鉛と錫の調製を示し、その後、定めた順序に従って他の金属体を取り上げる。金属体の調製では、その深部から余分なものを除くのではなく、むしろ表に現れる部分から除かなければならないからである。
第69章 不完全な金属の不足は薬によって補い、余分なものは調製によって除くべきこと。
鉛の実体にも、同じく錫にも、その完全性への近さ、あるいは完全性からの遠さのさまざまな度合いに応じて、複数の調製を施す。腐敗をもたらすものには、一方では、その本性の生来の根源から深部へ入り込むものがある。すなわち、硫黄性の土性と、水銀の土の不純さであり、生成の原理に本質的な本性として混ざっている。他方には、最初の混合の後に加わって腐敗をもたらすものがある。第一の種類に属するのは、燃焼する硫黄性、その不純さ、そして水銀の汚れた実体であり、これらはすべて、鉛と錫の完全性の実体を損なう。だが、その一方は、第一階級のいかなる技法の薬によっても除くことができず、他方は、わずかな助けによって除ける。除去が不可能であるのは、この種類の金属体の固有の本性の原理において、それらが真の本質へと混ざり合い、真の本質そのものとなったためである。どの物でも、その物を存続させたまま、自然における真の本質を取り除くことはできない。したがって、これらの腐敗要因を金属体から除くこともできなかった。そのため、ある哲学者たちは、この事情から、術を成し遂げることは不可能だと考えた。
私たちも自分たちの時代に、この学知を探究して、同じ結論に到達した。どのような調製の工夫によっても、金属体を明るい光沢の完全な状態へ輝かせることはできず、むしろ全体が汚れ、黒くなってしまったのである。そのため私たちも当惑し、長いあいだ絶望の陰に身を隠していた。しかし、我に返り、果てしない思索と熟考の苦しみに自らをさらしながら、不完全な金属体は、その本性の深部で汚れており、自然には輝くものが内部に存在しないので、そこから輝くものを見いだせないと気付いた。ある物の中に存在しないものを、その物の中で見いだすことはできないからである。したがって、金属体の中に完全なものが見いだされない以上、その内部、その本性の深部で異なる実体を分離しても、余分なものは見いだされないと、必然的に結論される。こうして私たちは、金属体には何かが不足していること、そして、それに適合し、不足を補う材料によって、その不足を満たさなければならないことを見いだした。
その不足とは、すなわち水銀の少なさと、その濃密化が適切でないことである。したがって、それを補うのは、水銀を増やし、よく濃密化し、永続的に固定することである。これは、水銀から作られる薬によって達成される。この薬は水銀から存在へ導かれるため、その明るさと輝きの恩恵によって、金属体の暗い色を覆い隠し、輝きを引き出し、光沢へ変える。薬として調製された水銀は、私たちの技術で清められ、きわめて純粋で輝く実体に変えられているので、不完全なものへ投射すると、それを明るくし、自らの固定性によって完全化する。この薬については、その専用の説明の中で述べよう。以上から、完全性を見いだすためには、二つの方法が必要だと必然的に結論される。一つは、混合物から汚れた実体を分離する材料による方法であり、もう一つは、自らの光沢の輝きで汚れを覆い、明るくして美しくする薬による方法である。
金属体の深部に見いだされるのは余剰ではなく、むしろ不足なので、もし何か余分なものを除く必要があるなら、それは本性の表に現れる部分へ後から加わったものであり、さまざまな調製によって取り除かなければならない。その調製を、ここで説明する。まず錫と鉛を同じ説明の中で取り上げ、最後に他の金属体を順に取り上げよう。
第70章 鉛と錫の調製について。
鉛と錫は、完全性へいっそう近づける必要に応じ、共通の方法と固有の方法という、複数の調製によって調えられる。共通の方法には、完全性へ近づくいくつかの段階がある。第一は、清浄な実体から生じる光沢であり、第二は、溶融の際に赤熱を伴う硬さであり、第三は、揮発性の実体を除くことによる固定である。清めて輝かせる方法は三つある。すなわち、浄化する物を用いる方法、焼成と還元の方法、溶解の方法である。
浄化する物を用いる場合には、灰にして清める方法と、金属体の状態で清める方法の二つがある。灰にしたものは、塩類、明礬類、またはガラスによって精製する。金属体を焼成したら、その灰へ明礬や塩の水を注ぐか、ガラスを混ぜ、その後、金属体へ還元する。この操作を交互に幾度も繰り返し、完全に清浄な状態を示すまで続ける。塩、明礬、ガラスは、金属体とは異なる仕方で溶けるため、金属体から分離し、土性の実体を伴い去り、金属体の純粋な部分だけを残すからである。金属体のままでも、同様の方法で精製する。二つの金属体をきわめて細かくやすりで削り、同じ物、すなわち明礬、塩、ガラスで処置し、その後、金属体へ戻す。この操作を交互に繰り返し、より清浄に見えるまで続ける。また、すでに方法を示した、水銀による洗浄でも清められる。
これら二種類の金属体は、十分な火を用いて焼成と還元を交互に繰り返し、より清浄な姿になるまで続けることによっても、同様に清められる。この方法によって、不完全な金属体は、二つの腐敗要因、すなわち可燃性・揮発性の実体と、土性の滓から清められる。火は揮発する実体をすべて上昇させ、消耗させるからである。また、同じ火は、還元の際、適切な割合を保って、土の実体をすべて分離する。その割合は、順序として本書に先立つ、別著『完全性の探究について』に記した。そこには、精神の推論に従って探究したことをすべて書いたが、本書では、見て触れたことを、学知の順序に従って完全に明確化したのである。
さらに、すでに方法を述べた、その実体の溶解と、そこから溶解したものを還元することによっても、同じく清められる。この調製方法によるものは、他のどの種類の調製によるものよりも清浄で完全であると認められる。この方法に比べられるのは、昇華によって行う方法だけであり、それはこの方法と同等の力を持つ。また、柔らかい実体を硬化させ、溶融時に赤熱を伴わせることも、これらの調製である。そのためには、固定された水銀の実体、あるいは固定された硫黄やその同類の実体を、金属体の深部へ混ぜ込む工夫をする。あるいは、マルカシータやトゥティアの灰のような、硬く溶けないものと混ぜる。これらは金属体と結合し、親和し、赤熱するまでは溶けないようになるまで硬化させる。同じことは、後で説明する完全化の薬によっても達成される。
もう一つの調製方法は、揮発性の実体を取り除くことである。これは、焼成の第一段階の後、それらに見合った火の中へ保つことで達成される。調製方法には必ず順序があるので、その完全な順序を示そう。まず、腐敗をもたらす揮発性・焼損性の実体をすべて除いて清める。次に、余分な土性を除く。その後、溶解して還元するか、水銀による洗浄で十分に洗う。この順序は有用であり、必要である。
ただし、これらの金属体に固有の調製もある。まず錫には、いくつかの方法がある。一つは焼成であり、これによってその実体はいっそう硬くなるが、鉛ではそうならない。明礬によっても同様であり、明礬はとくに錫を硬化させる。もう一つは、焼成用の火の中へ錫を保つことである。これによって、きしむ音と、他の金属体を脆くする性質を失う。鉛にはもともと、きしむ音も金属体を脆くする性質もないので、このことは起こらない。また、塩の鋭い作用による焼成を繰り返すことによっても、錫はきしむ音を失う。次に、鉛に固有の調製は、塩の鋭い作用による焼成であり、これによって硬くなる。また、タルクによって特によく白くされ、マルカシータとトゥティアによっても白くされる。調製のすべての方法は、『完全性の発見について』と題する書物で、さらに詳しく定めた。本書では、それらの要点を簡潔にまとめたからである。
第71章 銅の調製について。
前に示した順序に従い、硬い金属体の調製を述べよう。まず銅、次に鉄を取り上げる。銅の調製には複数の方法があり、一つは上昇によって、もう一つは上昇させずに行われる。上昇による方法は次のとおりである。銅がよく適合するトゥティアを取り、工夫を用いて銅と結合させる。次に、昇華用の容器へ入れ、最高度の火によって、そのいっそう精妙な部分を上昇させる。その部分は、きわめて明るい光沢を持つと認められた。あるいは、銅を硫黄と最小の部分に至るまで混ぜ、前に述べた上昇の方法によって上昇させる。
昇華を用いない場合は、灰の状態、あるいは金属体の状態で、トゥティア、塩類、明礬類などの浄化する物によって調製する。また、すでに方法を示した水銀による洗浄、他の金属体について述べた焼成と還元、あるいは溶解と、溶解したものを金属体の本性へ戻す還元によっても調製する。あるいは、他の不完全な金属体と同様に、水銀による洗浄で清める。
注 水銀洗浄への言及は原刊で二度現れるため、反復も保持した。
第72章 鉄の調製について。
鉄の調製も同じく複数ある。昇華によるものと、昇華なしで行うものがあり、昇華によるものは砒素を用いる。その方法は次のとおりである。固定されていない砒素を、できるかぎり深く鉄へ結合させ、溶融の際、砒素とともに液化するよう工夫する。次に、専用の昇華容器で昇華させる。この調製は、他の方法に比べて、よりよく、より完全であると認められる。また、砒素を鉄から幾度も昇華させ、砒素の一定量が残るまで続ける、別の調製もある。これを還元すると、白く、溶融性があり、清浄に調製されたものが流れ出る。さらに第三の方法として、鉛とトゥティアとともに鉄を溶融する調製がある。これらから、清浄で白いものが流れ出る。
しかし、私たちは、焼成によって二つの金属体を巧みに柔らかくし、また柔らかい金属体を硬くすることについて詳しく述べると約束したので、説明が不十分と思われないよう、その方法を省かないでおこう。まず柔らかいもの、次に硬いものを取り上げる。沈降させた水銀を溶解し、硬くしようとする焼成済みの金属体も溶解する。この二つの溶液を混ぜ、これらを用いて、焼成した金属体に交互に混ぜ合わせ、すり潰し、湿潤させ、焼成し、還元する。硬くなり、赤熱とともに溶融するようになるまで続ける。同じことは、金属体の灰と、焼成・溶解・湿潤処理したトゥティアやマルカシータによっても、完全に達成できる。これらが清浄であるほど、変化もいっそう完全になる。
硬い金属体も、同様の工夫によって柔らかくされる。砒素と結合させて昇華させることを繰り返し、砒素の昇華後は、『炉の書』でその方法を述べた、適切な度合いの火で焙る。そして最後に、その箇所で説明した火の強制作用によって還元する。金属体の硬さに応じ、溶融の際に柔らかくなるまで続ける。これらの変化はすべて第一階級のものであり、これらなしには秘術は完成しない。
第73章 水銀の浄化について。
以上を受け、水銀の浄化を完全に述べる必要がある。水銀は二通りに清められる。一つは、すでに方法を示した昇華によるもの、もう一つは洗浄によるものである。洗浄の方法は次のとおりである。ガラスまたは石の浅皿に水銀を注ぎ、その上に、水銀を覆うだけの量の酢を注ぐ。次に弱火にかけ、指で扱える程度まで温める。その後、指でかき混ぜ、粉のような非常に小さい部分へ分かれるまで続ける。注いだ酢がすべて完全に消費されるまで、かき混ぜ続ける。そして、そこに認められる土性のものを酢で洗い、捨てる。この操作を繰り返し、その土性が最も完全な空色へ変わるまで続ける。これが完全な洗浄のしるしである。それでは、これらから薬へと進もう。
注 水銀に指で触れる記述は歴史的原文の忠実な訳であり、現代の安全な取扱方法を示すものではない。
第74章 最も完全な薬は、清浄さ、色、溶融、永続性、重さという、完全性の五つの異なる特性を必ずもたらすこと、そして、そこから何を材料として薬を取り出すかを推定すべきこと。
まず薬一般について、その原因と明白な実験を伴う説明を示そう。不完全なものから、薬によって、あるいは調製の方法によって、余分なものすべて、すなわち、余分な硫黄性と不純な土性がすべて取り除かれなければ、完全化は達成されない。ここでいう完全化とは、変化を与える薬の投射後、溶融させても混合物から分離しないことである。これを見いだしたなら、完全性を区別する特徴の一つを、すでに得たことになる。同様に、薬が明るくし、求める目的に応じて白または黄色へ変え、光沢の輝きと美しい明るさをもたらさなければ、不完全な金属体は全面的かつ完全には完成しない。
さらに、銀または金の溶融の性質を明確にもたらさなければ、完全に変化させることはできない。試験の際に留まらず、混合物から完全に分離して去るからである。この点は、後の灰吹きについての章で、いっそう詳しく示す。また、薬が、その作用による変化を堅固にして永続させなければ、変化には価値がない。作用の痕跡が持続せず、消えてしまうからである。さらに、完全性にふさわしい重量をもたらさなければ、思い込みの誤りによる欺きのない、確実で真実な本性の完成として変化させることはできない。本性に固有の重さは、完全性のしるしの一つだからである。したがって、完全性を区別する特徴が五つある以上、私たちの秘術の薬も、投射の際に、この五つの特徴をもたらさなければならないことが明らかである。
このことから、私たちの薬を何から取り出すかが明らかとなる。それは、金属体と最もよく結び付き、その深部に親和的に付着して変化を与えるものから取り出される。そこで他の物を探究したが、私たちの発見では、水銀ほど金属体の本性と親和する物は見いだされなかった。したがって、水銀に私たちの作業を注いだ結果、水銀こそ、変化可能なものを完成へ至らせる真の薬であり、その変化は真実で、しかも少なからぬ利益をもたらすと認めた。
第75章 薬が所要の特性を得るために施すべき調製について。
そこで、その実体と、その実体に固有な性質の相違を明確に記さなければならない。その本性を変える処置なしには変成を起こさないことが分かった。また、調製という方法なしには深部で混じり合わないため、必ず調製しなければならないことも分かった。つまり、その実体を、変成される金属体の奥底まで深く混じり合い、永遠に分離しないものにするのである。これは、昇華の章で定めた確実な調製によって、きわめて微細にしなければ実現しない。同じく、固定されなければ、その作用は持続しない。また、適切な工夫と、ふさわしい火による操作によって、そこから最も輝かしい実体を取り出さなければ、光沢を与えない。それによって硬いものを軟らかくし、軟らかいものを硬くするよう、固定の際に注意を払わなければ、完全な溶融ももたらさない。ただしその処置は、求める溶融の必要に応じて調整された湿気を、十分に保つものでなければならない。
したがって、そこから最も輝かしく清浄な実体が生まれるような調製を行い、施すべきことは明らかである。その後に固定する。このとき、術者は固定の方法における火の扱いに習熟し、完全な溶融を達成するのに足りる程度まで湿気を除けるよう、注意しなければならない。すなわち、この薬によって溶けにくい金属体を軟らかくしたいなら、薬を作り始める際に弱火を用いる。弱火は湿気を保ち、溶融を完成させるからである。逆に、軟らかいものを硬くするなら、強い火を設ける。そのような火は湿気を消耗させ、溶融を妨げるからである。良識ある術者は、いかなる薬についても、これらの規則をすべて必ず考慮すべきである。
重さの変化についても、原因と適切な順序とともに、ほかの多くの点を考慮する必要がある。大きな重さの原因は、金属体の実体の微細さと、本質の均一さである。これらによってのみ、その諸部分は、間に何も入り込まないほど密集できる。諸部分が密になることが、重さをもたらし、それを完成させるのである。
第76章 薬の相違、すなわち第一位・第二位・第三位の薬があることについて。
したがって、金属体に処置を施すための調製でも、それを完成させる薬の方法でも、操作の技法によって微細さを求めなければならないことは明らかである。術による探究では、変成された金属体は、重さが大きいほど、より完全であることが見いだされるからである。そこで、あらゆる薬の相違を述べれば、薬についての有益な説明が完結する。薬には必然的に三つの区別がある。一つは第一位、別のものは第二位、さらに別のものは第三位である。
第一位の薬と呼ぶのは、鉱物のあらゆる調製物のうち、完全さを欠く金属体へ投じると変化を刻み込むが、十分な完成を与えず、薬の作用がすっかり蒸散するにつれて、変成物がまた変わり、損なわれてしまうものである。たとえば、固定を受けていない、銅または鉄を白くするあらゆる昇華物がこれに当たる。また、セメント炉上に置かれる、金・銀の色を増す添加物や、銅に混ぜる添加物、すなわちジニアルなども同類である。これによる変化は持続せず、むしろ蒸発によって減少していくからである。
注 ziniar(ジニアル)は歴史的薬材名として原語を保持した。
第二位の薬とは、完全さを欠く金属体へ投じると、完成のある一つの特性へ変える一方、腐敗に属するほかの特性をいくつか、そっくり残す調製物である。たとえば、揮発するものをすべて除く金属体の焼成がそれである。銀を永続的に黄色くする薬、または銅を永続的に白くする薬も、この類に入るが、これらはほかの欠陥を残している。第三位の薬とは、金属体に加わると、その投与によってあらゆる欠陥を取り除き、完成に属するすべての特性を備えさせる調製物である。これはただ一つしかない。それによって、第二位の十種の薬を発見する労苦を免れる。ゆえに、第一位の仕事は小なる仕事、第二位は中なる仕事、第三位は大なる仕事と呼ばれる。以上で、すべての薬の相違を十分に示した。
第77章 銅を白くする第一位の薬について。
定めた順序についての約束に従おう。金属体の薬と水銀の薬とは別であり、金属体の薬には第一位、第二位、第三位があり、水銀についても同様である。そこで、薬のすべての相違を、まず第一位、次に第二位、最後に第三位の順に述べる。また、まず金属体の薬、次に水銀の薬を、十分な説明と適切な順序をもって伝える。第一位の金属体の薬には、硬い金属体のためのものと、軟らかい金属体のためのものとがある。硬い金属体のためのものには、銅用、鉄用、銀用がある。銅と鉄の場合は、その実体を清らかに白くすることであり、銀の場合は、快い輝きをもつ黄色を伴って赤くすることである。第一位の薬によって銅と鉄を赤くしても、輝きは現れない。これらは全体に不浄であり、輝きをもたらす調製が先行しなければ、赤色の輝きを受け入れられないからである。そこで、最初に銅のすべての薬を、次に第一位に属する鉄の薬を述べよう。
銅を白くする薬には、水銀によるものと、砒素によるものとがある。水銀によって銅を白くする薬は、次のように完成する。まず沈降させた水銀を溶解し、同じく銅の焼成物を溶解する。この二つの溶液を一つに混ぜ、その後凝固させる。それから、それらによる薬を銅の金属体へ投じる。この薬は白化し、浄化する。また、別の方法もある。沈降させた水銀を溶解し、密陀僧を溶解し、両溶液を合わせる。さらに、白くしようとする金属体の焼成物を溶解し、前述の溶液と合わせ、凝固させる。その後、それを当の金属体に投じれば、これによって白くなる。
また別法として、銅の金属体から、ある量の水銀を交互に昇華させ、十分に赤熱させても水銀の一部が銅とともに残るまで行う。その後、蒸留酢を何度も含ませながらすり潰し、深部でいっそうよく混合させる。続いて焙焼し、最後に同じように水銀をそこから昇華させ、再び含浸し、焙焼する。この操作を繰り返し、多量の水銀が、完全な赤熱のもとでもその中にとどまるようにする。これは第一位の優れた白化法である。また別法として、沈降させた水銀の上で、本来の状態の水銀を何度も昇華させ、その中で固定し、溶融するようになるまで続ける。その後、銅の実体へ投じれば、有益な仕方で白くなる。さらに別法として、銀と密陀僧とを溶解し、溶液を合わせる。これらによって銅の実体は白くなる。ただし、どの薬においても水銀を永続するものにすれば、さらによく白くなる。
また、昇華した砒素によっても白くなる。銅の焼成物を取り、その上で砒素の昇華を繰り返し、砒素が銅とともに残って、これを白くするまで続ける。ただし、昇華の諸方法に熟練していなければ、砒素はいかなる変成状態でも銅の中に持続しない。つまり、昇華の第一段階の後、マルカサイトの昇華について説明した第二段階を繰り返すのである。別法では、昇華した砒素を銀へ投じ、それからその全体を銅へ投じる。これは有益な白化をもたらす。また、まず密陀僧、あるいは焼いて溶解した鉛を銀に混ぜ、その上に砒素を投じてもよい。その全体を銅へ投じれば白くなり、これは第一位の優れた白化法である。あるいは、溶解して還元した密陀僧だけに昇華砒素を投じ、その全体を溶融銅に加える。それは銅を、優美な外観をもって白くするからである。
あるいは、銀と銅とを混ぜ、その上に白化する薬を投じる。銀は、どの金属体よりも砒素と親和するので、砒素による脆さを取り除く。次に親和するのは鉛であるから、私たちはそれをこれらに混ぜる。また別法として、昇華した砒素を溶かして塊にし、一塊ずつ銅へ投じる。粉末より塊で投じるよう勧めるのは、粉末のほうが塊より燃えやすく、したがって消えやすく、赤熱した金属体に落ちるより先に消耗してしまうからである。
さらに別法として、トゥティアによって銅の赤みを取り除き、白くする。しかしトゥティアの白化力は十分ではなく、黄色くするだけである。とはいえ、あらゆる黄化は白さに近縁である。その方法は、いずれの種類のトゥティアでも、溶解し、焼成し、次いで銅も同様に処理する。この二つの溶液を合わせ、それらで銅の実体を黄色くする。トゥティアを使って習熟すれば、その有用さを見いだすだろう。また、昇華水銀の場合と同じように、昇華したマルカサイトによっても白くなる。方法は同一である。
第78章 鉄を白くする薬について。
次に、鉄に固有の薬によって生じる白化を述べなければならない。これらは本質的に第一位のものである。鉄はこの段階では正しい溶融性をもたないから、溶かす薬によって白くする必要がある。銅を白くする薬は、同じ位の調製を施せば、どれも同様に鉄を白くする。ただし鉄に特有の融剤は、あらゆる種類の砒素である。したがって、どの砒素で白化し、溶融させるにせよ、水銀と合わせて洗い、すべての不純物を取り除き、白く溶けやすくするとよい。あるいは、激しい赤熱をもって加熱し、その上に砒素を投じ、溶けたら銀をある量投じる。銀は、一度鉄と結合すれば、容易な技法では分離しないからである。
あるいは、鉄を焼成し、すでに述べた溶解法によって、腐敗の汚染をもたらす可溶性の明礬質をすべて洗い去る。その後、何らかの昇華によって清めた砒素を鉄から昇華させ、幾度も繰り返し、砒素の一部が鉄とともに固定されるまで続ける。次いで、密陀僧の溶液を交互に含浸させ、混合し、攪拌し、交互に焙焼する。最後に、錫をその灰から還元する際に教えた火を用いて還元する。これによって、白く清らかで溶けやすい鉄が得られる。あるいは、灰の状態の鉄を、昇華した砒素だけとともに還元しても、白く清らかで溶けやすくなる。ただし、砒素が銅の深部に固定されるように、その銅から昇華を繰り返す際に教えたのと同じ注意を、術者は払うべきである。また、すでに述べた工夫と手際により、マルカサイトとトゥティアによっても同様に白くなる。しかし、これらによる白化または浄化は十分ではない。
第79章 銀を黄色くする薬について。
前述の順序に従い、第一の類に属し、銀の実体を黄色くする薬を、確実な真理とともに述べよう。それは、銀の深部に付着し、付着することによって、本来の性質から、またはこの秘術の技法によって、色を与える薬である。まず、その根に生来備わるものによって銀に付着する薬を述べ、次に、どんな種類の物でも、確実に浸入し付着するようにする技法を述べる。この薬は、硫黄、水銀、あるいは両者の混合物から取り出す。ただし、硫黄によるものはより不完全であり、水銀によるものはより完全である。また、これらの類に属さない鉱物、たとえば礬類や、銅の樹脂または滴出物とも呼ばれるクペローサからも、同様に取り出される。そこで、まず水銀から生じる薬のすべての方法、次に硫黄または両者の混合物から生じるもの、最後に銅の樹脂などから生じるものを述べよう。
注 vitriolum・cuperosa・guma Cupri は当時の鉱物・薬材名であり、現代の単一化学物質へ断定的に置き換えていない。
水銀による薬の方法は次のとおりである。沈降によって死滅させ、固定した沈降物を取る。次に、すでに教えた灰の保持法に従い、強く赤熱する炉に置き、ウシフルに似て赤くなるまで続ける。もし赤くならなければ、死滅させていない水銀を一部取り、硫黄とともにその昇華を繰り返す。ただし、硫黄も水銀も、あらゆる不純物から清めておく。この沈降物の上でその昇華を二十回繰り返したら、溶解力のある水の鋭さによってそれを溶解し、再び焼成し、再び溶解し、十分すぎるほどになるまで続ける。その後、銀を一部溶解する。溶けたら両溶液を混ぜ、凝固させ、溶融した銀へ投じる。非常に有益な黄色を与えるからである。水銀が沈降の際に赤くなっていたなら、それを着色する物を混ぜなくとも、述べた処置だけで、その完成した薬を投与するのに十分である。
注 174頁9行の重複する末尾の multum を巻末正誤表に従って削除した。usifur は原刊の歴史的薬材名を音写した。
硫黄によっても赤くなるが、その赤化は難しく、途方もない労苦を要する。同様に、鉄の溶液によっても銀は黄色くなる。しかしこの操作の必要から、まず鉄を焼成し固定しなければならず、それは大きな労働である。その後、同じ調製によって処置し、同じ投与法で銀の実体へ注ぐ。それでも、生じる黄色は輝かしくなく、むしろ暗く青黒く、生気のない黄色となる。
礬類またはクペローサによってなされる黄化の方法は次のとおりである。それぞれを一定量取り、昇華できる部分を、完全な駆出によってすべて昇華させる。その後、昇華物を、それに適した火の方法によって再び昇華させ、一部分ずつ固定させ、その大部分が固定されるまで続ける。次に、完成のためさらに強い火を加えられるよう、火に注意を払って焼成する。その後、比類のない鮮紅色の水に溶解する。続いて、それが銀の金属体へ浸入するように工夫せよ。私たちの書いた完全な操作を探究する者なら、その工夫はすでに十分示されている。この種の物が銀の深部に親和的に付着するのを見たので、私たちは考察し、これらが金属体の根に由来することを確実に知った。それゆえ、これらによって変成が起こるのである。
以上が、私たちの示した第一位の薬のすべてである。ただし、着色用物質の本質を保ちながら、方法の多様さによって、それらの手法をさらに増やすことはできる。水銀については、この第一位の薬はない。水銀をただ一つの特性において変える薬はなく、全面的な完成へと変えるものしかないからである。多くの薬を見いだした者もいるが、必然的に次の二つのいずれかになる。同じ物、あるいは同じ本性をもつ物から薬を作らなければならないか、さもなくば、その変成作用を含めて無に等しく、可動的自然の高みにある不滅の動者が静止する時まで、世界にもその諸部分にも何の益ももたらさない薬を作るのである。
注 末尾は天体運動をもたらす動者を引き合いに出す原文の表現を保持した。
第80章 第二位の薬の特性の相違について。
次に第二位の薬へ移り、その主題に必要なことを真に十分に、明白な証明と確かな経験とともに述べよう。変成される金属体の薬と、完全に凝固させられる水銀の薬とは別であるから、まず金属体のあらゆる薬を十分に述べる。その後で、水銀そのものを真の金または銀へ凝固させる薬へ進む。第二位の薬は、不完全なものを、完成に属するただ一つの特性によって完成させる。しかし、各々の不完全な金属体には、多くの腐敗原因がある。たとえば鉛には、必然的に腐敗をもたらす揮発性の硫黄質と水銀の逃散、さらに土性がある。そこで、その一つを完全に除去するか、覆い隠して美しくし、ほかの不完全さの原因だけを残す薬を作るのである。
金属体には、その根に生来備わり、第二位の薬では除けない不変のものがある。したがって、それを混合物から取り去る薬は、第二位ではなく、第三位すなわち上位の薬と呼ばれる。また、逃散する物の過剰分は焼成によって、先天的でない土性は還元の反復によって除けることを見いだした。そこで、生来のものを覆い、硬いものを軟らかく、軟らかいものを硬くし、硬軟いずれの不完全な金属体にも、見せかけではなく、真に金または銀の完成をもたらす第二位の薬を見いだす必要があった。軟らかい金属体だけについていえば、この操作の技法を工夫しても、溶ける速さや、その構成原理の根に生来備わる不純さを取り除けないことは明らかである。ゆえに、投与によって希薄なものを濃くし、濃くすることにより、溶融に先立つ十分な赤熱に耐えるまで硬くし、硬いものでは濃密さを薄め、薄めることによって赤熱の性質を保ちながら十分に速く溶けるようにし、両類の暗い色を覆って美しくし、一方を完全な白、他方を完全な黄色へ変える薬を探究しなければならない。
この薬が第三位の薬と異なるのは、調製が少ないための不完全さだけである。また、異なる金属体への投与や着色剤の選択にあるものは、薬そのものの違いではなく、調製方法の違いである。同様に、軟らかい金属体の希薄さを濃くする薬と、硬い金属体の濃密さを薄める薬とでは、必要な調製の工夫が異なる。こちらは消耗させる火の方法を、あちらは湿気を保持する処置を必要とする。
注 末文の haec/illa(こちら/あちら)の対応は原文の指示語を保持した。直前の議論および第75章との関係から推定して入れ替えていない。
第81章 不完全な金属体のための銀化薬と金化薬について。
第二位の薬について、確実で真実な区分による全般的で十分な説明をしよう。まず、完全さを欠くすべての金属体に対する銀化薬を、調製上の相違とともに、次いで金化薬を、同じく固有の相違とともに述べる。すでに私たちの説明で、あらゆる種類の硫黄が完成を損なうことを示した。一方、水銀は、十分に整えられた自然の働きにおいて、完成をもたらすものである。ゆえに私たちは自然を変えず、追随できる操作において自然を模倣する。この秘術においても、水銀を、あらゆる完全化の薬、すなわち不完全な金属体と凝固しうる水銀そのものに対する銀化薬および金化薬に用いる。直前に薬を、金属体の薬と、水銀を真に凝固させる薬とに二分したので、ここではまず金属体の薬、次に水銀の薬について確かな説明を伝えよう。
この薬の材料は、どの類のものでも、それ自体としてただ一つであり、すでに十分知られたものである。それを取り、銀化薬を望むなら、約束した順序に従って熟練し、この秘術の既知の方法で調製せよ。その目的は、そこから純粋な実体を分け、一部を固定し、別の一部を蝋化のために残すことである。こうして秘術の全工程を進め、溶融を試みて、それを完成するまで続ける。硬い金属体において速やかに溶けるなら、その薬は完成しているが、軟らかい金属体では逆である。この薬を不完全な金属体のいずれに投じても、既知の調製が薬に先立って行われていれば、完全な銀の金属体に変える。そうでなければ、不完全さを残し、この位の薬の処置に依存する範囲で、完成の一つの特性だけを整える。第三位に属するものは、前もって何の処置もなく、ただ投与するだけで完成させる。
一方、第二位に属し、いずれの不完全な金属体にも用いる金化薬は、材料が同じで、処置の運用も共通している。ただし、固有の消化の方法によって諸部分をさらに微細にすること、精妙な調製の運用を受けた硫黄を混ぜ、いま知られた材料に加えることの点で異なる。その硫黄の処置とは、最も純粋な硫黄を固定し、適切な方法で溶解することである。これによって薬は染められ、これとともに不完全な金属体へ投じられると、その金属体に既知で確かな前処置がなされていれば、第二位の薬の調製が及ぶ限り、金の完成へと仕上げる。また銀へ投じても、きわめて有益な金の完成へと仕上げる。
第82章 水銀を凝固させる薬について。
前述の順序に従い、初めに定めると示した操作を完結するため、次は水銀を凝固させる薬の説明へ移る。この薬は、同じ材料、すなわち本書の多くの章ですでに知られたものから取り出される。その理由は、水銀が炎を上げることもなく容易に逃散するので、逃散する前にただちにその深部に付着し、最小の部分まで結合し、それを濃くし、自らの固定性によって火中に保つ薬を必要とするからである。それによって水銀は、湿気を消耗するより強い火に耐えられるようになり、薬が調製された目的に応じて、その恩恵により一瞬のうちに真の金または銀へ変わる。水銀そのものより水銀に適合するものは見いだされず、それは同じ本性をもつからである。そこで私たちは、水銀によってその薬を完成できると考え、工夫によって、それに薬としての形を与えたのである。
すなわち、すでに述べた方法を用い、長期にわたり不断の労苦で調製し、その微細で最も純粋な実体のすべてが、銀化の場合は白く、金化の場合は濃い黄色として完全に現れるようにする。ただし黄色を作るには、同じ本性に属し、それを染める物を混ぜなければならない。その後、この最も純粋な水銀の実体から、この秘術の工夫により、水銀へ非常によく付着し、きわめて容易に溶け、それを凝固させる薬を完成させる。必要な前調製があれば、これを真の金または銀に変えるからである。ところで、この水銀の実体は主に何から取り出せるのかと、よく問われる。私たちは、それが存在するものから取り出されると答える。それは自然に、金属体にも水銀そのものにも存在する。これらが一つの本性をもつことが見いだされるからである。ただし金属体ではより難しく、水銀ではより近道であるが、より完全というわけではない。したがって、薬がどの種類であれ、貴重な石の薬は、金属体にも、水銀そのものの実体にも探し求められる。
注 181頁5行の ipsius は巻末正誤表に従った。
第83章 技法によって薬に浸入性を与えるにはどうするか。
薬が混ざる場合と混ざらない場合とがあるため、混合の方法、すなわち各々の物、または浸入しない薬が、いかにして金属体の最深部へ入る力を得るかを述べよう。その方法は、浸入するものを溶解し、浸入しないものも溶解し、両溶液を混ぜることである。浸入するものは、最小の部分までそれと結合するあらゆる種類のものに、浸入性を与える。この結合は溶解によって達成され、また、溶けない物にも溶解によって溶融性が与えられるので、浸入し変成するのに、さらに適するようになる。これらと同じ本性に属さない物を焼成するのも、よりよく溶解させるためであり、溶解させるのは、金属体がその作用をよりよく受け、同じくそれによって調製され、浄化されるためである。また、濃密さによって浸入を妨げられている物には、その上で非可燃性の霊的物質、すなわち未固定の砒素や水銀の昇華を幾度も繰り返すことによって、あるいは浸入性をもたない物の溶解を何度も繰り返すことによって、浸入性を与える。
ただし、混ざり合わない物に浸入性を与えるには、次の注意が有効である。これらによって変成しようとする金属体を溶解し、変成作用を伴って浸入させようとする物も溶解する。しかし、すべての部分を溶解するのではなく、一部分だけとし、その後、ほかならぬ当の金属体へ、繰り返し含浸させる。こうすれば、それだけには必ず浸入するが、ほかのどの金属体にも必ず浸入するとは限らない。以上の方法上の工夫により、どの物も、その本性の恩恵に応じた浸入性をもち、得られた混合によって変成させることになる。この説明によって、十種の薬は、その伝授に必要な説明とともに完結する。
第84章 第三位の薬の総論。
次に第三位の薬へ進もう。この位の薬には、金化薬と銀化薬の二つがある。しかし本質において一つであり、作用の仕方も同様である。そこで、私たちが著作を通読した古人たちは、唯一の薬と呼んだ。ただし、最も清浄な固定硫黄の実体によって作られる、黄色を与える添加物がある。この二つ、すなわち銀化薬と金化薬との差は、後者がこれを含み、前者が含まないことである。この第三位は、大なる仕事の位と呼ばれる。それは、その処置と完全化のための調製に、より鋭い洞察力と技巧を要し、真の完成に達するには、より長い労苦を必要とするからである。したがって、この位の薬は本質上、第二位の薬と少しも違わず、製造時の調製がきわめて精妙な段階に達することと、より長く不断の労苦を重ねることだけが異なる。
これらの全段階を十分に説明し、調製方法を、その原因と明白な経験とともに完全に述べ、さらにこの第三位の、より多くの処置に属する方法の段階を述べよう。着色剤の完全な調製において、金化薬の必要とする段階と、銀化薬の必要とする段階とは異なる。一方は薬を染める硫黄の処置を必要とし、もう一方は必要としない。
第85章 第三位の銀化薬について。
まず銀化薬の処置方法を述べよう。すでに知られたその石を取り、分離の方法によって最も純粋な部分を分け、別に置く。次に、その最も純粋な部分の一部を固定し、一部を残す。固定したら、そのうち溶解するものを溶解し、溶解しないものは焼成に付す。それから、その同じものに溶解を繰り返し、その中の可溶部分が再びすべて溶けるまで続ける。この順序を守り、大部分が溶けるまで行う。その後、すべての溶液を合わせ、凝固させる。続いて、軽く焙焼しながら適度な火に保ち、その必要に応じて、さらに強い火を加えられるようにする。次に最初の溶解の順序を守り、可溶部分を再び全部溶かし、再び凝固させ、再び適度な火に保ち、完全化のため、さらに強い火をまた加えられるようにする。これらの調製の全手順を四回繰り返し、最後に固有の方法で焼成する。こうして、石の最も貴重な土を、十分な処置によって整えたことになる。
次に、保存しておいた未固定部分の一定量を、この処置済みの土の部分へ、精妙な工夫によって最小部分まで結合させる。この工夫の目的は、前述の昇華法によって上昇させ、固定部分が未固定部分とともに全体として上昇するようにすることである。そうならなければ、未固定部分を一定量ずつ再び加え、上昇させるのに十分となるまで続ける。上昇したら、その昇華を繰り返し、この反復処置によって全体が固定されるまで続ける。全体が固定されたら、あなたの知る工夫によって、未固定部分を一量ずつ再び含ませ、全体が再び上昇するまで行う。それから再び固定し、赤熱を伴って容易に溶融するようにする。これこそ、完全さを欠くあらゆる金属体と、いかなる種類の水銀をも、最も完全な銀の金属体へ変える薬である。
第86章 第三位の金化薬について。
この金化薬の調製には、焼損させない硫黄を加える。その硫黄は、固定と焼成の方法、さらに幾度も繰り返す多重の溶解法によって、清らかになるまで、巧妙な手際で十分に処置したものでなければならない。これらに先立って、昇華によって達成される完全な処置を施す。この添加の方法は、未固定の石の部分の昇華を、結合の工夫とともに繰り返し、硫黄がその部分とともに上昇し、さらにそれとともに再び固定されて、とどまるようにすることである。この豊かな完成の手順を繰り返すほど、薬の豊かな効力はさらに増し、その良さは増大し、完成を増進させる力がきわめて大きくなる。
私たちは不敬な者に非難されないよう、この秘術の完成のすべてを、短く、十分で明瞭な説明にまとめよう。その目的は、昇華によって石とその添加物を最も完全に清め、次に工夫によって、それらの揮発するものを固定することである。その後、固定したものを揮発性にし、再び揮発性のものを固定する。この順序によって、この世のあらゆる学知の秘奥に優る最も貴重な秘奥、比類のない宝が完成する。最大限に不断の労苦を払い、計り知れないほど長く思索しながら、それに習熟せよ。それによってこそ見いだせるのであり、それなしには見いだせない。この薬に対し、そのような慎重な工夫を伴う良い処置を反復して石を調製すれば、水銀を無限に真の金または銀へ変えるまでに至りうる。それは、この薬を増強することだけにかかっている。
注 186頁1行は巻末正誤表に従い invenies とした。
いまこそ、祝福され栄光に輝く、万物の本性を司る高き神を讃えよう。神は、あらゆる薬の系列を、その経験とともに私たちに啓示された。私たちは、神の善き促しと不断の労苦によってそれを探究し、この秘術により究明した完成を目で見、手で触れた。私たちがこれを覆い隠していても、学びの子は不思議に思ってはならない。彼に対して隠したのではなく、悪人や不正な者に対して、愚者には必ず意味が隠される言葉で伝えたのである。同じ言葉によって、思慮ある者をその発見の探究へと誘う。ゆえに学びの子らよ、探究せよ。あなたたちのためだけに取っておかれた、この卓越した神の賜物を見いだすだろう。悪徳と悪意ある邪悪の愚かな子らよ、この学知から遠く逃れよ。それはあなたたちの敵であり、逆らうものであり、あなたたちを貧窮の悲惨へ陥れるからである。神の摂理の裁きにより、この神の賜物はあなたたちから完全に隠され、全面的に拒まれている。さて、あらゆる薬の方法を探究したので、所期の目的を追い、この秘術の完成を明らかにする試験と、その理由へ進まなければならない。
注 186頁24行は巻末正誤表に従い prosequentes intentum とした。
この第二巻の第三部にして最終部 完成の試験について。
第87章 以下に述べる事項の区分。
明白な検査、すなわち重さ、色、槌による展延の検査は、洞察の工夫を要さず、誰にも知られ確実であるから、ここでは説明を省く。そこで、この術の処置による投与が真の完成をもたらすかどうか、技法による検査を慎重に試みよう。それらは、灰吹き、セメント処理、赤熱、溶融、刺激性物質の蒸気への曝露、焼損させる硫黄との混合による試験、急冷、焼成と還元の反復、水銀を容易に、または困難に受け入れることの検査である。まず順序に従って第一のものから始め、次いで同じ順序に従い、約束どおり、既知の原因とともにほかのものも完全に述べよう。
第88章 灰吹きについて、ある金属体はそれに耐え、あるものは耐えないのはなぜか。
灰吹きについて、そのすべての明白な原因と、調製方法とともに述べよう。灰吹きの試験に耐えて残るのは、金と銀の実体だけである。そこで、これらの完全な金属体の実体上の真の相違を探究し、不完全なもののうち、あるものがこの秘術の試験により長く耐え、あるものがより短くしか耐えない理由も調べよう。この二つの金属体の実体の深部にある秘密は、すでに十分述べた。すなわち、その最初の根は多量の水銀であり、その本質は最も純粋で、初めはきわめて微細であり、その後、赤熱を伴って溶融するようになるまで濃くされたということである。
注 187頁22行は巻末正誤表に従い et suae confectionis とした。cineritium は灰を用いる試金法として「灰吹き」と訳す。
ゆえに、不完全なものは、土性が多いほどこの試験に耐えず、少ないほど長く耐える。土性の少ないものは、その諸部分が微細で、きわめてよく混じり結合するため、いっそう強く付着するからである。同様に、完全な金属体より希薄なもの、または逆に、より濃密なものは、溶融が同一でないため、混合物から完全に分離せざるをえず、そのため分離する。また、水銀を含む量の少ないものは、混合物からより容易に分離する。鉛には多くの土性があり、水銀の量は少なく、希薄で容易に液化する。これらは灰吹き試験での完全さに最も反する性質であるから、鉛はほかの金属体よりも、灰吹き操作の混合物中に残らず、最も速やかに分離して退く。不完全な金属体の中で最もよく退くので、この秘術の試験に最も適している。早く退くとともに、不完全なものを各々、混合物から一緒に早く引き去るからである。
そのため、試験の火の強い焼損から、より多量の完全な金属が守られる。完全な金属が、消耗を伴う試験に長時間置かれないからであり、鉛による試験では、それだけ焼損が少なく、容易に精製される。一方、錫の実体は、より多くの水銀を含み、土性が少なく、より純粋で微細な実体にあずかるので、鉛や銅よりも混合物中によく残る。深部で混合物に強く付着するからである。これが、結合した錫を分離する前に、完全な金属の多くが失われる理由である。銅は赤熱を伴って溶融する。しかし、完全な金属より溶融が遅いため、混合物から分離する。ただし、溶ける実体が赤熱するため、鉛よりは遅い。また、錫より水銀が少なく、土性が多く、実体が濃密であるから、錫より容易に混合物から取り除かれる。錫のほうが銅より深部に強く付着するからである。
鉄は溶融性をもたず、そのため混じらない。これは湿気を欠くために起こる。仮に火の激しさによって混じることがあっても、湿気をもたないので、銀や金の湿気を吸い込み、それらと最小部分まで結合する。したがって、多量の土性、水銀の少なさ、溶融性の欠如があっても、容易な技法ではそれらから分離しない。私たちの書いたことの効力を正しく知れば、これによって術者の手腕は、あらゆる金属体を真に整えるために広がる。しかし、空想的にしか理解しなければ、そこから何の真理も知ることはできない。この試験に耐えて残る完全な金属体は、金と銀の二つである。良好な混合から生じる良好な組成と、その純粋な実体によるのである。
第89章 灰吹き試験をどのように準備し、実施するか。
その方法を述べよう。篩にかけた灰、石灰、焼いた動物の骨の粉、あるいはこれら全部またはいくつかの混合物を取る。それを水で湿らせ、手で押して、堅く締まった床を作る。その中央に丸く堅いくぼみを作り、その底に砕いたガラスをいくらか撒く。その後、乾燥させる。乾いたら、試験に耐えるか確かめたい物をそのくぼみに置き、その上に強い炭火を起こし、試験する金属体の表面へ送風して、溶けるまで続ける。溶けたら、鉛を一部ずつ投じ、強く赤熱させる炎を伴って送風する。激しく攪拌され、強い揺動によって動くのが見えるうちは、純粋ではない。鉛がすべて消えるまで待て。鉛が消えてもその動きが止まらないなら、精製されていない。
そこで再び鉛を投じ、鉛が分離するまで、表面へ再び送風せよ。静まらなければ、また鉛を投じてから表面へ送風し、静まって、その表面が清らかに輝いて見えるまで続ける。その後、炭を開き、火を散らし、表面に水を注ぐ。こうすれば、完全に試験されたものが得られる。この試験の送風中、ときどきガラスを投じれば、いっそうよく、より完全に精製される。ガラスが汚れを取り除き、それを捕らえるからである。ただし、ガラスの代わりに塩、硼砂、あるいは何らかの明礬を投じてもよい。同じ灰吹き試験は、土製の坩堝でも行える。その周囲と表面へ送風し、試料をより速く溶かす。これで十分に説明したので、次にセメント試験へ移り、その原因と、明白で既知の経験を述べよう。
第90章 セメントについて、ある金属体はそれによく耐え、あるものはあまり耐えないのはなぜか。
すでに述べたように、金属体には、火による焼成で強く焼損するものと、あまり焼損しないものとがある。可燃性硫黄を多く含むものほど強く焼損し、少ないものほど焼損が少ない。金は、ほかの金属体より硫黄の量が少ないため、すべての鉱物性金属体のうち、火の炎による焼損が最も少ない。銀は金に次いで、ほかの金属体すべてより硫黄が少ないが、金よりは多い。したがって、炎による赤熱や、それと似た本性によって焼損させる物に、金ほど長時間は耐えられない。銅はさらに耐えにくい。金や銀より硫黄と土性が多く、そのため火の炎に耐える力が弱い。錫の硫黄質と土性は銅より少なく、金や銀より多いので、炎による焼損も銅より少なく、金や銀より多い。鉛は、いま述べた金属体より多くの土性と硫黄質を、本性上その混合物中に保っている。そのため、これらすべてより速やかに容易に発火し、炎によってさらに速く焼損する。硫黄質がきわめて強く結合し、錫より固定されているからである。
一方、鉄が焼損しないのは、それ自体によってではなく、付帯的な事情による。鉄は多くの湿気をもつ金属体と混ざると、自ら湿気を欠くため、それを吸い込む。したがって、結合した金属体が非発火性で非可燃性なら、鉄も結合した状態では発火せず、焼損しない。反対に、混合した金属体が可燃性なら、その燃焼の本性に従い、鉄も必ず焼損し発火する。セメントは発火性の物からなるので、その発明に必要だった理由は明らかである。それは、すべての可燃性物を焼き尽くすためであった。不燃性の金属体はただ一つであるから、それだけ、あるいはそれと同じ本性に調製されたものだけが、セメントの中で保たれる。ただし、セメントに長く耐えるものも、短くしか耐えないものもある。どれが長く、どれが短く耐えるかは、述べた原因から明らかである。銀が最もよく耐え、鉄はそれより劣り、錫はさらに劣り、銅はなお劣り、鉛が最も耐えない。
注 193頁3行は巻末正誤表に従い salvatur とした。
第91章 セメント試験をどのように準備し、実施するか。
セメントの方法を述べよう。これは完成の試験に最も必要だと知られている。その組成には発火性の物を用いる。この類には、黒くし、逃散し、浸透し、焼損させるすべての物が属する。たとえば礬類、塩化アンモニウム、銅の花、古い陶器を砕いた石質、微量の硫黄、または硫黄を加えないもの、男の尿、その他同様に刺激性と浸透性をもつ物である。これらをすべて男の尿で練り固め、試験によって判定しようとする金属体の薄板の上に置く。次に、板を土器の中に収め、鉄格子の上に並べる。ただし互いに触れないようにし、火の力が自由に均等に届くようにする。こうして土器を強火に三日間保つ。その際、板を赤熱させても溶かさないように注意する。三日目の後、金属体が完全なものなら、板はあらゆる不純物を除かれている。そうでなければ、全面的に損なわれ、焼成によって焼き尽くされている。
注 aeris flos(銅の花)は歴史的製剤名として直訳。sal ammoniacum は慣用に従い「塩化アンモニウム」としたが、原刊薬材の純度・組成を保証するものではない。
しかし、配合したセメントを使わず、板を直接炎にさらす者もいる。完全な金属体なら、これも同様に精製される。そうでなければ、すっかり焼損する。ただし、この最後の試験は火の炎だけで行うので、セメントによる試験より長い燃焼時間を要する。銀の本性は金から大きく隔たっていないため、わずかな処置で、試験の際に金とともに残る。これら二種の試験で金属体が互いに分離するのは、その実体の組成が異なるからにほかならない。そこから溶融の相違、濃密さ、疎らさが生じ、これらが分離の原因となる。組成が強固であるため、最小部分まで混じらない異質な金属体の実体によって、その実体が壊されることはない。それゆえ、本質を全面的に損なわず、混合物から互いに分離せざるをえない。したがって、不完全な金属体への処置が完成したと分かるのは、処置の工夫によって、溶融、赤熱、堅固さが同じになったと認められるときである。
第92章 赤熱について。
次に、赤熱についての章を示そう。最も完全な金属体は、溶融に先立って、定まった赤熱の仕方で火を受け入れることが見いだされる。したがって、完全な変成を見いだそうとするなら、処置した金属体を、それらと同じ溶融状態へ導かなければならない。すなわち、完全な金属体は、溶ける前に、美しい空色の炎を伴って赤熱する。その赤熱は、目で見ることのできないほどの火の白さへ達するより前に起こる。ゆえに、その完全な赤熱は溶融に先立って、強い赤さをもって完成し、目に耐えない白さをもって完成するのではない。処置した金属体が赤熱する前に溶けるなら、完成していない。また、労苦と強い火の圧力を要して赤熱する場合も、処置は真正ではない。これは軟らかい金属体についてである。同じことは、鉄だけについても認められる。赤熱しにくいものは、調製によって容易に赤熱を受け入れるわけではなく、溶けにくいものも、自然に完全な金属体に見いだされる正しい溶融を容易に受け入れるわけではない。
また、処置したものが赤熱とともに美しい空色の炎を示さなければ、その処置は完成していない。工夫によって得た調製物の良い特性、すなわち重さ、色、美しさ、赤熱性などが少しでも減るなら、術者の探究は十分ではなかったのである。ゆえに、神の善意によって授けられた方法により見いだすまで、改めて探究せよ。
第93章 溶融について。
溶融について、すべての金属体をその確かな赤熱に照らして試験するものとして、十分に述べよう。完全な溶融はただ一つで、赤熱を伴う。しかし、どんな赤熱でもよいのではない。金属体が完全に白熱する赤熱でもなく、火に暗さを生じさせる赤熱でもなく、赤熱の直後にただちに溶けて流れるほど液化するものでもない。したがって、弱い火のごくわずかな圧力だけで、あるいは赤熱せず、または暗い赤熱をもって溶けるなら、その調製物は、不十分な技法による不完全な金属体の一つでなければならない。また、溶融後に冷えるままにして、その赤熱がただちに黒さへ変わり、固まる前に赤熱を失うなら、どの種類の金属体であっても完成していない。これは、不完全な金属体の類のうち、軟らかいものに属すると判断すべきである。
一方、強烈で激しい火を労苦して加えることによって、溶融前の赤熱が起こり、測り知れない輝きの光線によって完全に白くなるなら、その金属体は完成したものではなく、硬いものへ変成したのである。したがって、溶融後に火から取り出して、明るい赤熱が残るのに、流れないほどただちに硬くなるなら、処置した金属体の種類や調製が何であっても、銀や金の完全さを備えたものではなく、鉄に特有の性質に属するとすべきである。以上から、溶融しうる物は、その実体が液化する前に、三種の赤熱を示すことが経験によって分かる。一つは暗いもの、次は赤く明るいもの、第三は最も白く、光線を発して輝くものである。第一は軟らかい金属体、第二は完全な金属体、第三は硬い金属体のものだと、理性と経験によって証明される。
これらすべての赤熱の程度を究めたい者は、溶融しうるすべての金属体を溶かし、溶融を完全に達成するのに必要な火の強さを考察し、その観察から、溶融の程度を示すすべての徴候の相違をまとめよ。こうすれば見いだせるが、ほかの方法では見いだせない。これは、私たちが定めた、また今後定める、すべての試験方法についての手本とせよ。溶融については、以上で十分である。
第94章 金属体を刺激性物質の蒸気にさらすことについて。
説明を完結するため、金属体を刺激性物質の蒸気にさらすことを述べよう。完全な金属体を、辛辣なもの、渋いもの、酢性のものといった刺激性物質の蒸気にさらすと、同様に、まったく花を生じないか、非常に美しい空色の花を生じることが観察される。最も純粋な金は花を生じないが、銀や純粋でない金は、刺激性物質の蒸気にさらすと、非常に美しい空色の花を生じ、金のほうが銀より美しいことが分かった。したがって、自然を模倣して、私たちも同様に、調製した金属体に空色を生じさせよう。それは水銀の良さによって達成されることを、前の説明ですでに十分述べた。ゆえに、調製した金属体が刺激性物質の蒸気にさらされても、美しい空色を生じなければ、調製は全面的には完成していない。
注 flos/florere の「花」は金属表面に生じる着色物・析出物を指す当時の表現であり、その化学種は断定しない。
金属体の中には、渋い物による試験で、表面に暗赤色、または緑を帯びた暗黄色の花を生じるものがあり、鉄がこの類である。暗緑色に濁った空色が混じる花を表面に生じるものもあり、銅がこの類である。暗い白色を生じるものは鉛、明るい白色を生じるものは錫である。最も完全な金属体は、ごくわずかしか花を生じないか、まったく生じず、生じる場合も、非常に長い時間を要する。一方、錫は、完全さを欠く金属体のうち、樹脂状物の花を生じるのが最も遅い。このため、この秘術の試験によって、錫は上位の仕事において完成に最も近いと判断する。この章で述べた事柄の順序を正しく考察すれば、この試験によって、処理した金属体がどの混和性状に属するかを究められる。そうでなければ、自分の軽率な愚かさを責めよ。
第95章 赤熱物の急冷について。
急冷試験について、十分に述べよう。この試験には多くの経験的な方法があり、秘術が完成に達しているかどうかを知ることができる。まず、赤熱した金属体を液中で急冷して、銀化したものが白くならず、金化したものが輝く黄色にならず、別の色に変わるなら、秘術による変成は完成していない。たとえば、いずれかの塩類や明礬類を処置して作った水の中で、赤熱と急冷を繰り返し、その表面に黒さに近い滓が現れる場合である。あるいは硫黄中で急冷し、その後何度も赤熱を繰り返すと消失する場合、醜い黒さで汚れる場合、または槌で打つとすっかり砕ける場合も、その技法は偽りである。
注 199頁14行は巻末正誤表に従い pretenderit とした。
あるいは、塩化アンモニウム、緑青、子供の尿の混合物、または同じ本性をもつものによるセメント処理の後、赤熱させ、続いて急冷し、同様に展延させたとき、銀化したものや金化したものが、本来の色を完全に失うか、滓を生じるなら、その金属体はまだ、見せかけによる不完全さにとどまっている。ただし、確実な一般則を一つ伝えよう。すでに述べた試験でも、これから述べる試験でも、変成した金属体が、重さや色など、完成の特性の何かを変えてしまうなら、術者は操作を正しくではなく、空想的に探究したのである。それは利益をもたらす仕事ではなく、むしろ破滅をもたらす仕事である。
注 199頁22行は巻末正誤表に従い similiter とした。
第96章 焼損させる硫黄の混合について。
硫黄との混合からも同じく、秘術が完成しているかどうかを確かめられる。私たちの経験では、金属体に混ぜた硫黄は、あるものを強く、あるものを弱く焼損させる。また、私たちの技法によって、その焼損から戻るものと、戻らないものとが見いだされる。これによって、見せかけの完成へ調製された、不完全な金属体同士の相違を認めることができる。あらゆる種類の金属体の中で、硫黄による焼損が最も少ないのは金である。その次が錫、次が銀、その後が鉛であり、銅はこれらすべてより容易に焼損する。鉄は硫黄の油性によって最も容易に焼損する。このことから、どれが完全なものの本性により近く、どれが遠いかが分かる。
また、金属体を焼損させた後の色の違いから、変成した金属体が、その本性の根においてどの種類に属するかを究められる。金は濃い黄色または明るい赤、銀は空色を混じえた黒、錫はわずかな赤い染まりを帯びた黒、鉛は多くの赤みと青黒さを混じえた暗い黒を示す。銅は、硫黄による燃焼が多く先行していれば青黒さを帯びた黒を、燃焼が少しだけなら、硫黄との混合によって、非常に光沢のある美しい紫色を示す。鉄は、どのような燃焼でも、きわめて黒い暗色を生じる。
硫黄による焼損から還元する際にも、金属体の相違が認められる。あるものは戻り、あるものは火の圧力によって、硫黄とともに還元から逃れ、全体またはその大部分が失われる。また、焼損から金属体へ戻るとき、本来の本性の金属体へ戻るものと、本来とは異なるものへ戻るものがある。金と銀は硫黄による焼損から本来の金属体の本性へ戻るが、錫と鉛は逃れる。錫は全部または大部分が逃れる。鉛は全部ではなく、ときには多く、ときには少なく失われる。この相違は、物と金属体の本性、さらに調製操作における処置の相違によって生じる。すなわち、急に火の圧力を加えると、錫は還元から失われるが、連続的に少しずつ加えると、鉛も錫も保たれる。しかし、その還元は、本来の金属体より、異なる金属体の本性へ向かう。私たちの経験では、錫の還元は明るいアンチモンへ、鉛の還元は暗いアンチモンへ変わることが見いだされた。
注 antimonium は原刊の物質同定として訳した。現代化学上の元素変換を確認した記述ではない。
還元の火の作用において銅は減少し、鉄はさらに多く減少する。しかし銅の還元物は重く、暗黄色で、軟らかく、黒さを帯び、その金属体の重さは増している。以上によって、変成されたすべての金属体の本性を究めることができる。
第97章 焼成と還元について。
続いて、焼成と還元を繰り返す試験を探究しなければならない。完全な金属体は、焼成と還元をいかに幾度も反復しても、その良い特性のうち、色、重さ、量、輝きについて、大きく気にかけるべき損失を何も被らないことが見いだされる。したがって、変成されたあらゆる種類の金属のうち、焼成と灰からの還元の諸方法を繰り返すことで、その良い特性を何か失うなら、術者は見せかけの探究を行ったと判断すべきである。ゆえに、それらを知るために、それらに習熟せよ。
第98章 水銀を容易に受け入れることについて。
完全な金属体は非常に多量の水銀を含み、そのため水銀ときわめてよく親和することが、すでに真実として明らかになった。したがって、より親和的に水銀を吸収する金属体ほど、完成に近いと考えるべきである。その徴候は、完全な金または銀の金属体が、水銀を容易に受け入れることである。この理由により、変成した金属体が、その実体の中へ水銀を容易に受け入れないなら、完全な完成からは大きく隔たっているに違いない。
第99章 術全体の要約。
所期の説明に必要な範囲で、この秘術の原因を十分に示す既知の経験を論じたので、残るのは、一章で神的な仕事全体の完成へ到達し、各章に分散した秘術を、簡潔な説明にまとめることである。操作全体の目的は、結局、諸章ですでに知られた石を取ることにほかならない。次に不断の努力をもって、その石に第一段階の昇華を絶えず施す。これによって腐敗をもたらす不純さから清められる。昇華の完成とは、それによって石を微細にし、微細さの究極の純粋さへ至らせ、最後に揮発性とすることである。その後、固定の諸方法によって、激しい火の中でもとどまるまで固定する。ここが調製の第二段階の到達点である。同じく第三段階でも石を処置し、調製の究極の完成へ至らせる。すなわち、すでに固定した石を昇華の諸方法で揮発性にし、揮発性のものを固定し、固定したものを溶解し、溶解したものを再び揮発性にし、また揮発性のものを固定する。石が流動し、確かな金または銀の完成へ変成させるまで続ける。
したがって、薬にこの第三段階の調製を繰り返すと、良い変成作用が増大する。石にその各段階の操作を繰り返す仕方が異なるため、変成作用の良さの増大にも相違が生じる。ある薬は自重の百倍、別の薬は二百倍、三百倍、千倍、さらに別の薬は無限の量の金属体を、完全な金および真正な銀へ変成する。その後、最後に、その秘術が完成しているかどうかを試せ。
第100章 著者が術を伝える際に守った方法について。
妬む者から非難されないように述べておく。私たちは、この学知を連続した説明として伝えず、別々の章へ散りばめた。連続して伝えていたなら、善人も悪人も、それを不相応に我が物としてしまっただろうからである。同じく、いっそう明白に語ったところでこそ、それを隠した。しかし謎の形ではなく、平明な言葉の連なりによって術者に語りかけた。そして、いと高く、祝福され、高邁で栄光ある神だけと、これを書いた私たちの精神だけが、あるいは、望む者に授け、また取り去る神の恵みの善に満たされた者の精神が、まとめ直すことのできる言い方で記したのである。
ゆえに、学びの子は絶望してはならない。求めるなら見いだすからである。ただし、教えを追うことによってではなく、自ら動いて自然を探究することによってである。自らの手腕の良さによって求める者は、学知を見いだす。一方、書物を追い求めることによって探す者が、この最も貴重な術に至るのは、きわめて遅い。私たちは、自分たちだけで探究した術を、他人のためではなく、自分たちだけのために公にしたのである。それでも、それは最も真実で、まったく確実である。したがって、思慮ある者だけを術へ誘い、私たちの伝えた工夫によって、探究の道を示した。発見済みの術そのものを記したのは、自分たちだけのためであったが、発見の方法と、その方法に属する工夫も記した。ゆえに、良識ある術者は、私たちの伝えたことによって鍛錬せよ。そうすれば、いと高き神の賜物を見いだしたことを喜ぶだろう。この高貴な術の探究については、以上で十分としよう。
ゲベル『完全性大全』第二巻、終わり。
ゲベル『真理の発見について』
きわめて才知に富み、自然の事物に精通したアラビア人哲学者ゲベルの、錬金術についての書。『真理、あるいは完全性の発見について』と題する。訳者不詳。
注 著者の帰属は底本の標題を訳したもの。
第1章 薬を取り出す材料の六つの特性について
われわれは、自らの諸巻において、自然の諸原理の秘密の特性から、さらに自らの経験と、発見したことについてのあらゆる点で確かな探究によって、金属体を変成させるわれわれの薬を取り出す材料が、次の性質上の特性を備えることを考察した。
第一に、きわめて精妙で燃えない土を内部に持ち、それが固定に適し、自ら固有の根源的な湿りとともに、あらゆる点で固定されていること。
第二に、空気的で火的な湿りが、その土と一様に結ばれていること。一方が揮発性なら、他方もそうである。そして、その湿りは、他のどんな湿りよりも火の熱に耐え、それに結ばれた土を分離させずに保ちながら、蒸発せず、それ自体の完成に必要な十分な濃縮が終わるまで持続すること。
第三に、その湿りの自然なあり方が、油性の働きによって、その特性のあらゆる違いにわたり、自らに結ばれた土を、両者が互いに同質のものへ変わるよう、潤滑に、完全な一体化と分離できない結合の絆によって均等に調整すること。それによって、調製の最終段階の後、よい融解をもたらすこと。
第四に、この油性の本質がきわめて純粋であり、燃えやすいもの、または焼き損なうものを、術によってことごとく取り除かれていること。そのため、最小の部分に至るまで結びつくすべてのものを燃やさず、むしろ燃焼から守ること。
第五に、白または赤の、明るく輝く染める力を内部に持つこと。それは清浄で燃えず、安定して固定されており、火もそれを変えられず、焼損する硫黄性のものや鋭く腐食するものも、その金属体を損なったり汚したりできないこと。
第六に、蝋状にされた配合物全体が、最終的な完成において、非常に精妙で薄い材料となること。煮熟の最終段階の後、投射の際には水のようにきわめて流動し、変成されるものがどれほど固定されていようとも、その最奥まで深く浸透すること。そして、近縁性によって自らに似たものへ自然に付着し、その瞬間に、火の作用に耐える分離不能な固化を成し、その霊性によって、包み込まれた金属体を導くこと。
注 末尾 corpora involuti reducens は底本で語形関係が不安定なため、限定的に訳した。
第2章 薬の七つの特性について
以上を考察し、われわれの探究によって、石に必要で適切な、物の七つの特性を見いだした。それらは、油性、材料の希薄さ、親和性、根源的な湿り、純粋さの明澄性、固定する土、染める力である。
区別される特性の第一は、油性そのものである。これは投射において、全体の融解と、材料を開くことをもたらす。薬の投射後、まず必要なのは、薬そのものがすみやかに適切に融けることであり、鉱物的な油性とともに、それを完成させ、内部へ入り込ませるからである。
第二は、材料の希薄さ、すなわち霊的な精妙さである。それはきわめて細かく流れ、融解時には水のように、変化を受けるものの奥深くへ入る。薬の融解に続いて、ただちにその侵入が必要だからである。
第三は、エリクシルと変成すべきものとの親和性、すなわち近縁性である。それは、似たものに出会ったときの付着と保持をもたらす。薬が侵入した直後の第三段階では、付着が適切であり、必要だからである。
第四は、火的な根源的湿りである。それは、似たものへの付着によって保持された部分を凝固させ、固め、すべての部分を同質の結合によって、永遠に分離不能なものとする。第四段階、付着の後には、粘りのある根源的湿りによる諸部分の固化が適切であり、必要だからである。
第五は、浄化をもたらす純粋さの明澄性であり、焼き損なわない実体に、際立つ輝きを与える。精製された諸部分を固めた後には、実際の火によって、固まっていない異質な余剰物をすべて焼き払うことが残る。それゆえ、浄化がただちに続き、それは必要なのである。
第六は、固定する土である。それは調和が取れ、薄く、精妙で、固定され、燃えない。それに付着するものが溶解している間も、固定の持続性を与え、火に抗して立ち、耐え続ける。第六段階では、浄化の直後に固定が必要であり、適切だからである。
第七は、輝かしく完全な色、すなわち白または濃い黄色を与える染める力であり、変成しうるものを月化、すなわち銀化し、または太陽化、すなわち金化する。第七段階では、固定の後に輝かしい染色が必要だからである。さらに、染める色、あるいは着色する染める力が、変化しうる材料を、それぞれの確かな既知の特性をすべて備えた真の銀または金へ変えるのである。
第3章 本書全体を四つの部分に分けること
われわれは『完全なる術の大全』において、術の要求に十分応じるかたちで、この術を否定する者たちに反論した。また、金属の生成における自然の意図に属する自然的原理、金属体、その生成と調製、最後に薬と、変成した金属体の試験、すなわち完成が完全性を保っているかについて論じた。そこでは、自ら見て触れた真実に従い、この術を発見した方法と、われわれの工夫も記した。ここではいま、完全性の発見を論じ、この術に必要なものと、その調製法を、重さ、尺度、推測ではない確かな試験によって、特に明らかにする。
本書を四つの部分に分けることにした。第一では、中間的な鉱物とその調製を十分に論じ、それらを霊と不完全な金属体の抽出に適したものとする。第二では、霊の浄化と完全な調製を扱う。第三では、作業の完成に必要な、不完全な金属体のさまざまな調製を扱う。第四では、あらゆる薬について、特に各金属体を太陽と月、すなわち金と銀へ変えるものを、作業の完成に必要な投射、重さ、尺度とともに扱う。
第一部
第4章 中間的な鉱物の調製について
普通の塩を澄んだ泉の水に溶かし、濾材を通して滴下させ、土器、鉛の器、または他の金属の器の中で凝固させよ。
注 以下は古典本文の操作記述であり、安全な現代実験手順ではない。ここで per filtrum distillare は濾過滴下を表し、加熱蒸留と混同しない。
サル・ペトラエを泉の水に溶かし、濾材を通して滴下させ、ガラスの器で、その結晶状の融解に至るまで凝固させよ。
注 sal petrae は伝統的な塩類名。fusionem cristallinam は凝固と併記される不整合を残して訳した。
サル・ニトリは次のように調製する。澄んだ泉の水に溶かし、濾材を通して滴下させよ。
注 sal petrae と sal nitri を底本が区別しているため、ともに同じ現代物質名へ統一しない。
岩塩を前と同じように溶かし、釉をかけた土器の中で凝固させよ。
真のアルカリ塩は、ゾザを溶かし、濾材を通して滴下させ、三分の一になるまで煮たものから作る。塩は短い時間で、結晶のように器の底へ沈み、調製が完了する。
注 zoza は植物灰・ソーダ原料等に関わる古い語。確定できないため音写を保つ。
ある人々は、アルカリ塩を次のようにも作る。クラウェラタ灰五重量部と生石灰一重量部を取り、灰汁をすべて抽出し、滴下させ、凝固させる。これをもう一度繰り返せば、調製が完了する。
注 cinis clavellatus は古い灰・アルカリ原料の名称。
サル・アンモニアクは、人尿五部、人の汗一部、普通の塩一部、木の煤半部から作る。これらを、湿りが尽きるまで一緒に煮たのち、真に有用なサル・アンモニアクを昇華させよ。それを再び汗に溶かし、凝固させ、普通の塩からもう一度昇華させれば、調製が完了する。
酒石塩は、蒸留した葡萄酒の滓を焼成し、そこから酒石を溶解・凝固させて作る。これで調製が完了する。
尿の塩は、蒸留した尿の滓を焼成して作る。それを再び自らの水に溶かし、凝固させる。これで調製され、大いに役立つものとなる。
多くの人が、塩の調製をさまざまに論じている。しかしわれわれは、自らの探究によって、ここに挙げた調製が、目的を進めるうえで、より短く、精妙で、有用であると見いだした。正しく焼成されたあらゆるものから、溶解によって塩が抽出され、それらは先に述べた方法で調製されるべきである。したがって、ここでは、これらのよく用いられるものを扱うだけで十分であろう。
氷状または岩状の明礬には、二つの調製法がある。一つは焼成した金属体を洗うため、もう一つは霊を昇華させるためである。第一の方法はこうである。澄んだ泉の水に溶かし、濾材を通して滴下させ、三分の一になるまで煮て、釉をかけた皿へ入れよ。器の側面と底に、結晶状に調製された明礬が析出する。第二の方法では、土器の中で、湿りが消えるまで明礬を加熱する。すると、白く、海綿状で軽く、昇華その他のさまざまな作業に適したものが得られる。
羽毛状の明礬は、前のように溶解し、凝固させれば、調製が完了する。
ここで、アトラメント類の調製を調べる必要がある。それらによって得るものは、染料、霊を結びとめるもの、その他それに関わるものに、非常に必要だからである。黒いアトラメントは沸騰する水に溶かし、濾材を通して滴下させ、凝固させれば、適したものとなる。
注 atramentum は本書では礬類等に関わる歴史的な名称で、通常の筆記用インクと断定しない。
クペローザは蒸留酢に溶かし、濾材で澄ませ、凝固させるべきである。こうして清浄となる。
注 cuperosa は緑礬等に関わる旧称で、厳密な組成は原料によって異なる。
ローマ礬は、場合によって中程度の火に保って赤化させるほかには、別の調製を必要としない。
さらに、不完全な金属体から、われわれに必要なさまざまなものが抽出されることは確かである。それらは、場合に応じて完全化を助け、調製を必要とする。まず、鉛の白粉について。鉛白は蒸留酢で溶き、その後、粗い部分を取り除いて清め、乳のように流れ出たものを、日光または弱い火で凝固させる。これで調製が完了する。
注 原刊 densa は巻末正誤表に従って diversa とした。
スペイン白、錫のもの、鉛丹も、同じ仕方で処理する。すなわち、蒸留した尿で溶き、鉛白と同じように調製すればよい。
注 De albo hispanico, Stanni, minio の列挙関係は曖昧であるため、錫の具体的化合物名を補っていない。
銅の緑青を蒸留酢に溶かし、赤くしたものを、きわめて弱い火の熱で澄んだまま凝固させよ。こうして調製され、適したものとなる。
鉄のクロクスを蒸留酢に溶かし、澄ませるべきである。このクロクスの赤みを帯びた水を凝固させれば、適切なクロクスが得られる。
注 crocus ferri は鉄の酸化物等を指す古い名称。
焼いた銅を磨り砕き、鉛白の調製で示した方法に従って蒸留酢で洗えば、役に立つであろう。
密陀僧を蒸留酢に溶かし、澄ませて凝固させよ。そうすればよく調製されたものとなる。先に挙げた他のものと同様に、再び溶かすこともでき、溶解した状態でも凝固した状態でも用いられる。この点に深い探究がある。
アンチモンを焼成し、溶かし、澄ませ、凝固させ、磨り砕けば、調製が完了する。
ラピスラズリを焼成し、磨り砕いて洗えば、精製される。
ヘマタイトの石を赤熱し、雄牛の胆汁の中で冷やすことを、幾度も繰り返す。
アルメニア土を磨り砕き、鉛白のように溶解し、凝固させる。
辰砂を普通の塩から一度昇華させるべきである。こうして調製される。
注 原刊 Cinnabori は巻末正誤表 Cinnabari に従った。
トゥティアを焼成し、蒸留酢に溶かせば、最もよく調製されたものとなる。
注 トゥティアは亜鉛を含む炉生成物等に関わる旧称。
第二部
第5章 霊の浄化について
第一部では、われわれの確かな探究において、霊と不完全な金属体の調製に必要と認められたものを、十分に扱った。ここでは、この術の必要を完全に満たすため、各種類の霊の昇華と調製について、説明を広げようと思う。深い思索と実作業の中で、最も必要で、まったく確かであると見いだした、われわれの探究の教えから離れるな。ここでは、まったく確かな経験に基づき、その調製と昇華における重量と具体的方法を調べる。まず硫黄とその対となるものから始め、他のものへ順に進む。
第6章 硫黄の調製について
澄んで樹脂状の天然硫黄をきわめて細かく磨り砕き、クラウェラタ灰と生石灰から作った灰汁で煮よ。油性の燃えやすい部分を上から集めて取り除き、澄んで見えるまで続けよ。そうしたら取り出し、棒で掻き混ぜ、粗い部分を下に残しつつ、灰汁とともに出たものを注意深く取り出せ。取り出したものを少し冷まし、その四分の一量のよい酢を加えよ。すると全体が乳のように凝固する。できるかぎり澄んだ灰汁を取り除き、残りを弱い火で乾かして保存せよ。
滓の扱いには、次の方法を守れ。この調製した硫黄一ポンドに対して、よく焼成して赤くした鉄の鱗片一ポンド、よく焼成した岩明礬一ポンド、調製した普通の塩半ポンドを取れ。すべてを酢とともによく磨り合わせ、液状になるまで一体化せよ。それを、全体が十分黒くなるまで掻き混ぜながら煮て、乾かし、よく磨り砕き、広い蓋を備えたアルデルに入れよ。アランビックの蓋には、上昇する霊を保持するため、大きく広い帯状の部分を備えよ。アルデルは高さ一フィート半とし、火の熱がアランビックの帯状部へ届かないようにする。そして、われわれの『完全性の大全』で教えたように昇華させよ。
注 zona は器の帯状部分を指す。本文にない現代装置図や設計上の補足は加えない。
帯状の部分に集まった濃密なものを集めよ。一方、器の上部、アランビックの側面に付着した、軽く粉になりやすいものは捨てよ。それは燃えやすく、汚れており、他を汚すものだからである。集めたものは単独で小瓶に入れ、燃焼性の湿りが徐々に消えるまで、灰の上で加熱せよ。そして清潔に保管せよ。それは完全に浄化されている。
第7章 砒素の調製について
硫黄の対となる砒素は、磨り砕いたのち酢で煮て、燃えやすい脂性をすべて取り除き、乾燥させるべきである。次いで、焼成した銅一ポンド、焼成した明礬半ポンド、調製した普通の塩を明礬と同量取り、酢とともに液状になるまで磨り合わせ、硫黄のときと同じように煮よ。そして、アランビックを付けず、長さ一フィートのアルデルで昇華させよ。白く濃密で、澄んで輝くものを集めて保管せよ。十分に適したものだからである。
注 歴史的な arsenicum は砒素鉱物・化合物を含む語であり、現代の単体元素に限定しない。
第8章 水銀の調製について
水銀は次のように昇華させよ。水銀一ポンド、赤くした礬二ポンド、焼成した岩明礬一ポンド、普通の塩半ポンド、サル・ペトラエ四分の一部を取り、一体化して昇華させよ。器の縁の周りに見いだされる、白く、濃密で、澄み、重いものを集め、他のものについて記したように保存せよ。最初の昇華で濁ったものや不浄なものが見いだされるなら、それは不注意によって起こりうるので、同じ滓とともに再び昇華させてから保存すべきだと知れ。
注 quartam partem は原文の単位の省略を保ち、「四分の一ポンド」と断定しない。
第9章 マルカサイトの調製について
磨り砕いたマルカサイトを、底の広いアルデルに、指一本分の厚さに入れよ。まず弱い火で硫黄を集め、それが止まったら蓋を取り替え、火を強めよ。すると、われわれの『完全性の大全』で十分に記したように、水銀の位置を占めるものが上昇するであろう。
第10章 トゥティアの調製について
粉末にしたトゥティアをアルデルに置き、強い火を施すと、昇華してよいものとなる。サル・アンモニアクは、塩類の実技で記したとおり、普通の塩から昇華させる。
注 原刊 ammonicus は巻末正誤表に従って ammoniacus とした。
水銀は、次のようにすると非常に赤いものとして昇華する。水銀一ポンド、赤くした礬二ポンド、サル・ペトラエ一ポンドを取り、一緒に死化させよ。また、焼成した岩明礬とサル・ペトラエを同じ重量で用いても、昇華させよ。これはわれわれの発見の大きな秘密であり、省略してはならない。硫黄とその対となるものの昇華では、滓の考察が重要である。銅の焼成物から昇華した硫黄は、鉄の焼成物からのものより白くなる。砒素についても同じように調べるべきであり、鉄から昇華すると、より赤くなる。また、礬と焼成明礬から、さらに普通の塩とサル・ペトラエを混ぜても、昇華させられる。こうして、霊の調製を、十分に、少なからぬ技巧をもって伝えた。
注 原刊の secretum, feces praetermittendum は巻末正誤表により secretum nec est praetermittendum と訂正した。mortificare「死化」は錬金術の術語。
本書の第三部
第11章 金属体をどのように調製すべきか
第三部では、不完全な金属体の完全な調製を示す。そして、薬なしに、それ自体で第一位または第二位の完成へ至るため、どのように調製すべきかを調べる。次に、白または赤の薬を受け入れるための調製を扱う。
第12章 土星の調製について
土星を融かし、調製した普通の塩とともに、鉄のへらで掻き混ぜ、灰になるまで焼成せよ。自然日の一日間、加熱し、少しだけ赤熱させ、強くしすぎず、淡水で十分に洗え。その後、内部まで赤くなるまで三日間焼成せよ。白へ向けるなら、白い明礬の水を吸収させ、酒石油またはその塩で還元せよ。赤へ向けるなら、鉄のクロクスの水と、先に述べた緑青を吸収させ、前と同じように酒石塩で還元せよ。十分になるまで繰り返せ。
注 土星は鉛の象徴名。Commons の不鮮明な箇所を e-rara PDF242 で照合し、coque per diem naturalem(一自然日のあいだ加熱せよ)と確定した。
第13章 木星の調製について
木星を土星と同じように焼成せよ。その焼成物も、土星のときのように三日間白化させ、還元で誤らないようにせよ。灰吹きやセメント処理で還元する者たちの炉を用いなければ難しいが、それを用いれば望みどおりにできるからである。この作業の探究者よ、知るがよい。還元に用いる滓の調製は、本書に詳しく記した。本書全体は、確かな探究をもって編集した実技の書だからである。しかし『大全』では、より哲学的な別の文体を保った。そこでは理論家として、ここでは純粋に実作者として、この術を完全に記したのである。
注 木星は錫の象徴名。cinericia/cementa は歴史的な精製処理を指す。
実作者が誤らないよう、還元しようとするものを、還元をもたらし、分かれた焼成物を一つに合わせるものと、等量にして加えよ。しかし、染色の場合には別の考慮が必要である。染めるものは、染められるものに対して、染色が現れるまで増やさなければならない。このことを金属体または薬において観察せよ。これも、われわれの秘密の一つである。
これら二つの鉛を還元し、輝き、色、その他すべてを望みどおりに得ても、赤熱する性質が欠けることがある。目的を達するには、次のように始めよ。焼成したトゥティアと焼成した錫を溶かし、その二つの水を混ぜよ。その水を錫の焼成物へ繰り返し吸収させ、焼成物全体に対して八分の一量のトゥティアを導入したなら、金属体へ還元せよ。赤熱するかどうかを見て、そうであればよい。そうでなければ、赤熱するまで繰り返せ。霊と金属体を溶かす水は、種類ごとに本書の末尾で示す。この実技の細目をさまざまな巻へ分散させたことを、不思議に思うな。われわれは、この術を不正な者から遠ざけようとしているからである。
注 「二つの鉛」は、鉛と錫を黒鉛・白鉛として扱う歴史的用法に対応する。原刊 fugere は巻末正誤表の fugare に従った。
タルク、沈殿させた水銀、あるいは、いっそう有効には、焼成と溶解によってこの目的に適したものにした純粋な月を用いれば、この二つの金属体に、完全な赤熱性と硬さ、言い表せない輝きをもたらせる。ただし、『大全』では大きな価値を持つ思弁だけでは、この発見の実技にはほとんど役立たないと知れ。磨り砕き、煮て、焼き、埋め、焼成し、融かし、壊し、組み立て、金属体を浄化すること。これらの鍵によって、われわれの秘奥の隠れた錠を開けるであろう。これらがなければ、この宴の食卓に招かれない。怒らずに壊せ。そうすれば喜びをもって完成させるであろう。
注 月は銀の象徴名。
第14章 火星の調製について
火星を次のように調製せよ。その鑢粉一ポンドを、昇華した砒素半ポンドとともに磨り砕け。サル・ペトラエとアルカリの水を吸収させ、三回繰り返し、強く融かせ。そうすれば白い鉄が得られる。美しく白化し、十分に液化するまで繰り返せ。
注 火星は鉄の象徴名。
第15章 金星の調製について
金星の精製には二つあり、一つは白のため、もう一つは赤のためである。白のためには、次のように精製する。『完全性の大全』で教えたように、火だけで焼成せよ。焼成物を取り、その一ポンドを昇華した砒素四オンスとともに磨り砕き、密陀僧の水を三、四回吸収させ、サル・ペトラエと酒石油によって還元せよ。そうすれば、薬を受け入れるのに適した、白く輝く金属体が得られる。
注 金星は銅の象徴名。
赤のためには、別の調製がある。鑢粉一ポンドを硫黄四オンスとともに磨り砕け。あるいは、その薄板を硫黄とともにセメント処理せよ。こうして焼成し、塩と明礬の水で洗い、還元剤によって、赤い染色に適した清浄な金属体へ戻せ。
第三の調製もある。火だけで焼成し、その一部を溶かし、同量の焼成トゥティアも溶かせ。この溶液を、残りの焼成物へ四回またはそれ以上吸収させよ。溶かしたトゥティアだけを用いてもよい。トゥティアが焼成物の半量を超えるまで入り込むようにし、還元剤で還元せよ。そうすれば、清浄で輝く金属体を得る。真に真理を探究する者なら、少しの助けによって、さらに高い状態へ導かれるであろう。
第四の調製もある。火だけで赤く焼成したそれ自体から、銅の花と呼ばれる濃い緑のものを作れ。その緑のものを蒸留酢に溶かし、凝固させ、凝固物を還元剤で還元せよ。われわれの示した類似の作業を怠らずに探究するなら、それは多くのことに適したものとなる。本書を著したのは、『大全』への導入とするため、または『大全』がなくても、両方の薬の完成に向けた、全体の最終的な結論となるためである。ここでは実技を段階的に示し、かの書では思索の理論を、明白な論証とともに、より一般的な仕方で整えたのである。
第16章 本書の第四部、薬について
前述した順序に従い、この第四部では、変成すべき金属体、あるいは水銀そのものの本性と特性に応じて、それに属する隠れたものと明白なもののすべてを含め、白と赤のそれぞれの薬を調合するための探究方法を、あらためて実技として扱う。第二位または第三位を扱うにあたり、本書は偽りのものを何一つ受け入れない。『真理の発見について』と題されているからである。それゆえ、まず白いエリクシルから始めよう。
第17章 木星と土星のための白い薬について
調製した木星のための白い薬。きわめて純粋な月一ポンドと、生の水銀八ポンドを取り、アマルガムにせよ。それができたら、蒸留酢と調製した普通の塩で、空色またはラズリの色になるまで洗え。洗ったら、目の詰んだ布を通して搾り、水銀をできるだけ取り除け。そして、月の二倍量の昇華した水銀を加え、十分に磨り砕き、蓋をしたガラスの小瓶で一昼夜加熱せよ。取り出して磨り砕き、再び加熱し、小瓶を割り、昇華したものを、その下の赤みを帯びた粉から分離せよ。火が強すぎないよう注意せよ。さもないと、全体が融けて黒い塊になるであろう。
注 coelestinus/lazurius は本文の色の表現として訳し、現代の反応判定や物質同定に置き換えない。
その粉を斑岩の上に置き、調製したサル・アンモニアク二部と、昇華した水銀一部を加え、よく磨り砕け。アルカリ塩の水、またはゾザが見つからなければサル・ペトラエの水を吸収させよ。吸収したら弱い火で蒸留にかけ、残ったものが融けた瀝青のようになるまで、水をすべて取り出せ。その水を戻し、このように三回繰り返せ。次に取り出し、石の上で磨り砕き、十分に乾燥させよ。精留または乾燥させた卵の油、あるいはアルカリ塩、サル・ペトラエ、酒石の油を、浸透力を伴って融けるようになるまで吸収させよ。そして、一部を調製した錫五部の上へ投射せよ。そうすれば、誤りなく、第二位において完全な月となる。
注 Pulverem の一語は印刷221頁末、以下は222頁。rectificato vel desiccato(精留または乾燥させた)は原文どおりに訳した。
木星に用いるもう一つの薬。焼成したタルクを取り、等量のサル・アンモニアクとともに磨り砕き、三、四回昇華させ、水で溶かせ。最初の薬で行ったように、その水を、焼成した月へ、それ自体と同じ重量を吸収するまで繰り返し吸収させよ。前述の油によって浸透力を与え、一部を調製した木星十部の上へ投射せよ。そうすれば目的としたものを見るであろう。
木星の第三の薬は、月一部を、それに適した水、すなわち末尾に記した銅とサル・ペトラエの滴下液に溶かしたものから作る。これに、溶かしたタルク二部、または焼成して溶かしたトゥティア二部を加え、水を三、四回受け取りながら凝固させよ。昇華した砒素で、融けるまで蝋状にし、一部を調製した木星八部の上へ投射せよ。これらの薬を、白のために調製した土星の上へ投射したいなら、その三日間に土星を減じ、木星のときと同じようにせよ。
注 stillicidii Cupri は Commons PDF242 と e-rara PDF247 で照合した原文を保持。「銅の滴下液」と訳したが、本書末尾の水の処方との厳密な対応は不明。
注 minue Saturnum in suo triduo は両画像で同じ印字。減じる量・方法と「三日間」の関係は不明瞭であり、重量比や処理時間を補っていない。
第18章 木星と土星のための太陽の薬について
第一の太陽の薬は、次のように作る。月のときのように、まず太陽を水銀とアマルガムにして焼成せよ。布を通して水銀を取り除き、調製した普通の塩の二倍量とともに磨り砕き、水銀が去るように弱い火にかけよ。淡水で塩を取り除いて乾燥させ、同量のサル・アンモニアクをそれから昇華させ、四回戻せ。次に、本書の末尾に記した、礬、サル・ペトラエ、ヤメニの水に溶かせ。焼成によって鉄から抽出したクロクス、または赤く焼成した銅を溶かせ。これらの水を等量ずつ合わせ、水を蒸留して取り出し、四回戻せ。最後に乾燥させ、本書の末尾に記した精留酒石油を、蝋のように流れるまで吸収させよ。それは精金の四部を染める。
注 原刊 vitreoli は巻末正誤表(223頁9行)の vitrioli に従った。iameni は文脈上明礬の名称だが、原文が名詞を省略しているため「ヤメニ」を保持。
注 quatuor partes obrisae は「精金の四部」という構文となるが、染める対象と結果の関係が不明瞭。原文の曖昧さを残して訳した。
第二の薬は、第一と同じように溶かした太陽と、銅から作り、焼成して溶かした緑のものを等量ずつ用い、混ぜ合わせ、蒸留を繰り返して蝋状にして作る。最後に、調製した硫黄を用い、蝋のように融けるまで蝋状にせよ。それは土星八部を輝かしく染める。
第三の薬は、溶かした金、溶かした硫黄、溶かした緑のものを、第二の薬と同じように混ぜ、調製して作る。最後に、調製した毛髪の油、または卵の油で蝋状にする。方法は一つだからである。その一部を、土星十部へ投じる。これらの薬は、赤のために調製した木星の上へも投射できる。そうすれば、その段階に応じて、最上の製品のように、きわめて輝かしく持続する材料となる。すでに述べたように、これらの薬は第二位において変化をもたらすからである。
第19章 金星と火星のための白い薬について
ここで金星と火星の薬へ移ろう。まず、これらを白へ向ける薬について扱う。先に述べたように焼成した銀一部を取り、調製した砒素二部と沈殿させた水銀一部とともに磨り砕け。サル・ペトラエ、密陀僧、サル・アンモニアクを等量ずつ用いた水を、それ自体の重量と同じ量を吸収するまで含ませよ。乾燥させ、他の場合と同じように、白い油で流動するまで蝋状にせよ。その一部を、調製した金星または火星四部へ投じる。
第二の薬は、焼成した月と、同量の焼成して溶かした木星から作る。混ぜ合わせ、乾燥させ、これらの二倍量の昇華した砒素で、融けるまで蝋状にせよ。
第三の薬は、先に述べたように焼成した月と、昇華して磨り砕いた砒素および硫黄から、同量のサル・アンモニアクを加えて作る。このサル・アンモニアクを、それらから三回昇華させ、一部を、この二つの調製した金属体の六部の上へ投射せよ。
注 原文 arsenici et sulphuris sublimatis et tritis は格の対応が不整合だが、語形を保持して訳した。
第20章 金星と火星のための赤い薬について
太陽の薬は次のように作る。トゥティア一ポンドを取り、焼成して、礬とサル・ペトラエの水に溶かせ。次に、その水を太陽の焼成物へ、その二倍量を吸収するまで含ませよ。水を受けながら蒸留し、これを四回戻せ。最後に、毛髪の油、あるいは牡牛の胆汁、また調製した緑青の油で蝋状にせよ。そうすれば、優れた、純粋で賞賛に値するものとなる。
注 viridis aeris praeparato は先行する oleo を補って「調製した緑青の油」と訳した。原文は油と胆汁を並べている。
われわれの言葉に従って、自ら手を動かせ。そうしなければ、学んでも無駄である。そして、われわれの諸巻に込めた意図を心に受け入れよ。そうすれば、われわれが真実を探究したことを見るであろう。
第21章 白へ向ける第三位の薬について
ここからは、第三位の段階へ進もう。まず、不完全な金属体を完全にするため、また水銀そのものを凝固させて真の月にするための、月の薬について述べる。最初に、前と同じように、焼成した月を溶解する水に溶かせ。それができたら、口を塞がず、首の長い小瓶で、一日だけ、水がその三分の一になるまで煮よ。終わったら冷たい場所へ置け。すると、水晶のように融けうる小石が生じるであろう。これが、われわれの固定され、融けうる水銀へと変えられた銀である。
その四オンス、調製した白い砒素六オンス、調製した硫黄二オンスを取り、サル・ペトラエまたはサル・アンモニアクを伴わせて、よく磨り合わせて混ぜよ。首の長い小瓶へ一週間置くと、瀝青のように硬くなるであろう。取り出し、前と同じように四日間加熱しながら再び蝋状にせよ。さらに三度目の蝋状化を行えば、三日以内に、その油が融けたものを見いだすであろう。冷えたら器を割って取り出せ。蝋のように流れる、固定された薄片を見いだすであろう。これが第一の段階である。
注 cum eo salis petrae, vel ammoniaci は Commons PDF245 と e-rara PDF250 に同じ eo の印字があり、語句のつながりが不明瞭。oleo(油で)の脱字とは確定せず、原文を保持した。
再び、新しい材料を前と同じ量だけ加え、この発酵種と合わせ、前と同じように行え。三回目、四回目も同様にせよ。そうすれば、大きく優れた効力を持つ薬を見いだすであろう。それをどの金属体にも、また水銀そのものにも十部に対して投じれば、真の月に変えるからである。この石を保ち、『大全』でわれわれに伝えられた方法に従って考えよ。そうすれば、さらに高いところへ至るであろう。われわれは、すべてをただ一巻の中で示そうとしたのではない。一つの書が、もう一つの書を解釈し、明らかにするからである。
注 per modum nobis traditum は原文どおり「われわれに伝えられた方法」とした。nobis を a nobis へ無断で補正しない。
第22章 第三位の太陽の薬について
太陽の薬は、月の場合と同じように溶かし、調製した太陽から作る。それに、溶かした硫黄三部、砒素一部を、末尾に記されているように加え、すべて月の章と同じように行え。そうすれば、すでに教えた方法に従って、あらゆる金属体と水銀そのものを真の太陽へ染め変える薬となり、さらに多くにも作用するであろう。
注 vel amplius は比較の基準が省略されている。訳では前章から続く薬の作用量の増大と解したが、具体的な倍数は補っていない。
われわれの『完全性の大全』を読み、繰り返し読め。鋭い才能を持っているなら、無限に染めるために整えられた操作の方法を見いだすであろう。哲学者たちのさまざまな曖昧な言葉の間を、あちらこちらとさまような。彼らは皆、われわれが十分に伝えた、一つの完全性へ向かっているからである。それだけの力があれば、自ら試すことができる。そうでなければ退け。損失を被り、乏しくなるからである。
第23章 溶かす水と、蝋状にする油について
教えの子よ、経験による試みを探し求め、やめるな。その中に千倍の実りを見いだすであろう。私はこの書を、ただおまえのために記した。この術に大いに必要ないくつかの水と油によって、この書を完成させたい。それらによって、われわれの『完全性の発見について』を封じ終える。まずは、鋭い水による溶解について『大全』で述べたときに言及した、われわれの溶解の水から始める。
まず、礬一ポンド、サル・ペトラエ半ポンド、ヤメニ明礬四分の一量を取り、アランビックの錆とともに水を抽出せよ。それは強い溶解力を持つので、前述の諸章で用いよ。この水でサル・アンモニアク四分の一量を溶かせば、さらにずっと鋭くなる。それは太陽、硫黄、銀を溶かすからである。
注 原刊 de Vitriolo, de Cupro, et… の de Cupro は、巻末正誤表(227頁11行)の dele, de cupro に従って削除した。
注 unam quartam/quartam は原文に単位が明記されていないため、訳文でも「四分の一量」とした。
注 cum rubigine alembici は両底本画像で確認できるが、ここでの rubigo の指示は不明瞭。「錆」と直訳し、赤熱条件や現代装置の部品名には置き換えない。
もう一つの、われわれの哲学的な、蝋状にする水。卵白から蒸留した油を取り、サル・ペトラエとサル・アンモニアクを、それぞれ半量ずつ加えて磨り合わせよ。こうすれば最もよくできる。あるいはアルカリ塩と混ぜ、前と同じように蒸留せよ。これを繰り返せば繰り返すほど、よりよく蝋状にするようになる。または、前述の油を酒石油と合わせ、蝋状にする白い油を蒸留せよ。
蝋状にする赤い油。卵黄の油、または人の毛髪の油を取り、同量のサル・アンモニアクを加え、再び蒸留せよ。これを三回行えば、きわめて赤い、蝋状にする油となるであろう。
緑青の油は、緑青をサル・アンモニアクの水に溶かして作る。それを凝固させたものに卵黄の油を混ぜ、蒸留せよ。これを三回繰り返せば、蝋状にするのに適した、有用な緑青の油が得られる。
胆汁の油は、人の毛髪から行うのと同じように、胆汁から油を抽出し、すべて他の場合と同じようにして作る。これらが、硫黄と砒素について示したような、鉱物的な根源の湿りを与えるとは言わない。しかし、染めるものが内部へ入るまで、それを燃焼から守り、その後は、別の箇所で述べたとおり、火に圧迫されて逃げ去るのである。
この書に伝えたわれわれの言葉に従い、完全に、熱心に作業した実作者なら誰でも、自らの作業を完成させた後、われわれが真実を探究したことを見いだすであろう。こうして、『真理、あるいは完全性の発見について』と題するわれわれの書は終わる。
完。
ゲベル『炉の書』
きわめて明敏な哲学者で自然の事物に精通したアラビア人ゲベルの、錬金術の実践に関わる『炉の書』。セビリアのロドゲルス訳。
注 著者・訳者の帰属は1541年刊本の標題に従う。原刊の頁番号は227と誤植されているが、巻末正誤表に従い229頁として参照する。
第1章 本書を三部に分ける序文
われわれは、空想によるのではない考察の結果、自分たちの諸巻でこの術の全体を伝えたと考えた。しかし、知識を惜しむとの非難を受けないよう、この『炉の書』を書き、精気と金属体の調製について、手で行う実践を論じることにした。術者たちが、いっそう容易に作業の完成へ到達できるようにするためである。
注 原刊の mordiamur は巻末正誤表に従い mordeamur とした。invidia は、ここでは知識を他人に与えることを惜しむ態度を含む。
最終の考察は、いっそう直接に関わる事物の認識と作業方法に存し、火の調節によって、物から物を抽出することができる。このことへ到達するには、求める内容物から余分なもの、すなわち、どの金属体をも汚す硫黄の可燃性と土性を分離しなければならない。そこで第一に、それぞれの作業方法を論じる。すなわち、ある物の調製から作業の完成に至るまで、それに適した火の調節とともに、いかなる炉と付属器具を用いるべきか、また術者が作業を完成するため、どのような容器が目的に適するかを論じる。
注 appropriato は巻末正誤表に従う。
第二に、単一の物または混合された物から、輝きのある真の太陽〔金〕または月〔銀〕を生成できるよう、何を調製すべきかを論じる。第三に、変質させる作用物によって完成できるものと、自然に変質して全き完成に至るものを述べる。また、適切な割合で混ぜる方法と、そのために長い時間をかけて調製した薬を用いる方法を述べる。最後には、われわれがこの真理の認識へ到達するために用いた、あらゆる実験を総括する。
本書第一部 作業方法について
第2章 焼成炉について
焼成炉は次のように、長さ四フィート、幅三フィートの方形とし、壁の厚さを半フィートとする。月〔銀〕、金星〔銅〕、火星〔鉄〕、その他の焼成すべき物は、るつぼを作る非常に丈夫な土でできた土皿に入れる。完全に焼き尽くして焼成するまで、強い火に耐えられるようにするためである。焼成はこの仕事の宝であるから、それを面倒がってはならない。われわれの諸巻で述べたことを学びなさい。不完全な金属体は、焼成と、焼成物を固い塊へ戻すことによって浄化される。その後、それらにわれわれの薬を投じて、喜びなさい。
焼成炉

第3章 昇華炉について
昇華炉は、われわれの『大全』で精気の昇華についてすでに十分に伝えた方法に従い、次の形に作る。
昇華炉

硫黄を昇華するときは、昇華器の蓋の内側に、大きく開いたくぼみのある溝を作り、嘴のないアランビックのようにしなければならない。そうでなければ、熱が強すぎるため、昇華したものがすべて器の底へ降りてしまう。昇華の終わりには、アルデルが赤熱するまで強く押し上げなければ硫黄は上昇しない。そして昇華物は容易に溶けるので、上部の溝に保持されなければ、再び器の側面を伝って底まで降り、昇華物を何も得られないことになる。これは経験ある者には知られている。
第4章 蒸留炉について
蒸留炉は昇華炉と同じである。ただし蒸留用の容器は、この図の形にする。
〔233頁の蒸留炉の図〕
注 角括弧内は本対訳の識別表示。原刊の木版図を転載。

火は、蒸留する物の必要に応じて調節する。鉱物性の明礬類と植物性の物との蒸留方法は、われわれの『完全性の大全』で十分に説明した。
第5章 下降炉について
下降炉は次の形にする。
〔234頁の下降炉の図〕
注 角括弧内は本対訳の識別表示。原刊の木版図を転載。

この炉は、われわれのところでは、灰吹皿やセメント剤を溶融処理する職人の間で非常によく使われている。彼らはこの炉によって、焼成、焼損、溶解、凝固を施したあらゆる金属体を、固い塊へ戻す。それどころか、灰吹皿、セメント剤、そして銀を何度も溶かした鉢やるつぼも、しみ込んだ金属を取り戻すために処理する。
第6章 溶融炉について
溶融炉では、あらゆる金属体が、それ自体で容易に溶ける。この炉は貨幣の鋳造職人たちの間でよく使われる。また黄銅もこれらの炉で溶かされ、トゥティアまたはカラミナで色を与えられる。経験ある者には知られているとおりである。炉はこのように作る。
注 トゥティア、カラミナは歴史的鉱物名であり、純粋な現代化学物質と一対一には対応させない。
〔235頁の溶融炉の図〕
注 角括弧内は本対訳の識別表示。原刊の木版図を転載。

第7章 溶解炉について
溶解炉には、水を満たした釜と鉄製の器具を備える。その鉄具によって、溶解を行う別の器具を、倒れないよう巧みに支える。炉と容器の形は次のとおりである。
〔236頁の溶解炉の図〕
注 角括弧内は本対訳の識別表示。原刊の木版図を転載。

第8章 固定炉、すなわちアタノールについて
固定炉は焼成炉の形に作り、深い土皿に、ふるった灰を満たす。固定すべき材料を入れてよく封じた容器を灰の中央に置き、下、上、周囲の灰の厚さを四指ほどにする。ただし、固定したい物に応じて加減する。ある物を固定するには、別の物より大きな火が必要だからである。古代の哲学者たちは、この炉とこの道によって大いなる術の作業へ到達した。このことは真に哲学する者に知られており、真理を探究する者のために、われわれの諸書で十分に示した。上にあるのがアタノールの図である。この種のことについて、いっそうよい工夫ができる者は、われわれの教えを口実に、その工夫を怠ってはならない。
注 原刊の furnum、文中の per hunc、fuerunt は巻末正誤表に従い furni、Per hunc、fuerint とした。
〔237頁のアタノールの図〕
注 角括弧内は本対訳の識別表示。原刊の木版図を転載。

第二部 調製すべき物について
第9章 精気、中間的鉱物、明礬類の調製について
この章では精気の調製を述べ、まず水銀から始める。これを完全に昇華したいなら、一リブラに対して普通塩二リブラ半と硝石半リブラを加え、酢とともにすり合わせて全体を死化し、その中に生きた水銀が少しも見えなくなるまで続ける。そして、すでに知っている方法で昇華する。これは有用である。また、赤い水銀を昇華するには、水銀一リブラを硝石一リブラ、ヴィトリオル一リブラと十分にすり合わせる。すると赤く輝くものとして昇華する。
注 リブラ、ウンキアなどは原文の歴史的重量単位を保持する。現代単位への換算や実験の推奨を意図しない。
砒素質一リブラは、銅のやすり屑一リブラ、普通塩半リブラ、焼成明礬四分の一リブラから昇華する。火の上で酢とともにかき混ぜながら死化し、すべてが黒くなるまで続ける。再び液を吸わせ、かき混ぜながら乾かし、これを三度行う。酵を加えていない物を昇華せよ。これは有用である。灰汁で煮て乾燥させた硫黄も、砒素質と同じ滓を用いて昇華する。ただし銅のやすり屑の代わりに、鉄のやすり屑または鍛打によって出る鉄の鱗屑を、前述の容器に入れる。
注 azymum は「無酵のもの」。この短い原句の省略を保ち、未知の材料名を補っていない。
サル・アンモニアクは、普通塩と等量を入れて、その塩から昇華する。トゥティア、マルカシータ、不完全な金属体は、われわれの『完全性の大全』に述べたとおりに昇華する。塩類、明礬類、バウラティア、ヴィトリオル類の調製は、『探究の書』に十分に記したとおりである。
第10章 木星〔錫〕の焼成について
錫を特に焼成する方法はこうである。大きな鉢を炉の上に据え、錫を入れ、それと同量の調製した普通塩と焼成した岩明礬を加える。穴の開いた鉄のへらで絶えずかき混ぜ、すべてが灰になるまで続ける。ふるいにかけて火に入れ、十分に白くなるまで常に赤熱させ、保存する。
第11章 土星〔鉛〕の焼成について
鉛は錫と同じ方法で焼成する。ただし、その灰はミニウムのように赤くする。それを保存する。
第12章 金星〔銅〕の焼成について
銅は次のように焼成する。前述の焼成炉に、やすり屑として、あるいはそのまま入れる。または粉にした砒素質もしくは硫黄とともに入れ、普通の油を塗る。そして非常に強い火で三、四日焼成する。焼成物をたたいて板から落とし、残りを焼成する。焼成して砕いたものを再び焼成し、十分に赤くなるまで続け、保存する。
第13章 火星〔鉄〕の焼成について
鉄は、そのやすり屑を前述の炉に入れ、十分に赤くなり、触れても粒を感じない微粉になるまで焼成する。これは鉄のクロクスと呼ばれる。
第14章 中間的鉱物の焼成について
あらゆるアトラメント、塩、明礬、トゥティアの類は、酒石やその他さまざまな物とともに、焼成炉と呼ばれる炉で焼成する。火は、焼成する物の必要に応じて中程度または強くする。このことは『完全な大いなる術の探究について』に明らかである。ただし、すべての金属体は、われわれの『遺言』にあるとおりに焼成する。
注 atramenta は本書の歴史的鉱物分類に従い音写した。testamentum は本文が言及する書名で、本巻にその書が収録されているという意味ではない。
第15章 焼損した金属体の灰の洗浄について
焼損し焼成したすべての金属体の洗浄は、次のように行う。まず大きな釉薬がけの土器を用意し、温かい淡水を満たす。それで、どの焼成金属体の灰でも、何度もこすりながら洗い、塩と明礬をすべて溶かす。沈殿したら、金属体の一部が洗液とともに流れ出ないよう、注意して水を空ける。焼成物を再び温水に入れ、前と同じことを繰り返し、十分かつ完全に洗い終えたら保存する。
第16章 洗浄した灰の蝋化について
洗浄した灰の蝋化はこうして行う。洗った灰を乾かす。その後、蒸留酢二リブラに、普通塩、氷状明礬、岩塩をそれぞれ二ウンキア溶かす。前述の洗浄して乾燥させた灰四リブラに、その水をすべて吸収するまで含ませ、乾燥させて保存する。
第17章 灰を固い塊へ戻すことについて
その洗浄し蝋化した灰を金属へ戻す方法はこうである。蝋化した灰を蒸留した尿で洗い、焼成した金属体の汚れとともに、塩と明礬を取り除く。それを乾かした後、酒石の油を吸わせる。その油一リブラには、サル・アンモニアク二ウンキアと硝石一ウンキアを溶かしておく。灰は四リブラとし、乾燥と含浸を繰り返して何度も吸わせる。乾燥させ、大きな下降器で下降させ、固い塊へ戻す。この金属体は、焼成する火の力で可燃性の硫黄性を除かれ、塩の力で悪臭のある土性を除かれている。塩は金属へ戻す際に土の滓を保持するためである。こうして金属体は、鉱床で後から加わった偶有的な不純物から精製される。しかし、その生成の根本で生得的に備わった汚れは、成分の大半に水銀の実体を含む薬によって覆い補うことができる。このことは、術の必要に応じて、われわれの『大全』で繰り返し示した。
第18章 調製した金属体の溶解と、還元後に輝きを備えてよりよく現れるよう、一定の割合で確実に結合することについて
金属体が完成へ導かれるのには二通りある。調製の方法によって、完全な金属体を不完全なものと混ぜるか、あるいはそのために調製した薬によるかである。ここでは、なぜ完全なものが不完全なものを完成させるかを述べる。また、われわれが全般的に示した調製によって、不完全なものも完全なものへ導かれる。この章では、その調製を、より個別的かつ十分に論じよう。
まず述べると、前に言ったように、焼成と金属へ戻す方法で浄化した金属体は、やすり屑にするか、よく知られているように小粒にしなければならない。溶融後、冷水の上に置いた細かな穴のある板に注ぎ、その水を激しく動かすからである。これがわれわれの方法である。この粒を、硝石とその半量のヴィトリオルから作った、われわれの溶解水に溶かす。またはそのやすり屑を透明な水に溶かす。調製した発酵種を、その三分の一量加える。水を取り出して戻し、これを七度行う。金属体へ戻した後、それに適した試金法で精錬すれば、自分が生成したものを喜ぶだろう。
注 「透明な水」は直前の溶解水との関係で述べられる原文 aqua limpida の訳であり、通常の水を指すと断定していない。
不完全な金属体の完全な処置について論じたので、今度は個々の金属体について、いっそう真実で確かな規則を示す。まず錫から始める。錫を調製して金属へ戻したら、鋭い水に溶かす。先に述べたとおりに溶かしたもの九部に対して、焼成して溶かしたタルク一部を加え、透明な液を混ぜ合わせる。アランビックで水を取り出して戻すことを七度行い、これを精製する。最終的に精製したら、硝石の水を含浸と乾燥によって与え、赤熱と灰吹きに耐える清浄な金属体へ戻す。もし沈降させて溶かした水銀を、溶かした銀と結合し、述べたように溶かした錫へ加えれば、還元後には、先に挙げた割合のもとで、立派に処理された金属体を見いだすだろう。
鉛の処理は、これを調製して溶かした後、その三分の一量の、溶かした赤い発酵種を加えることで完成する。前と同じように調製すれば、美しい金属体を見いだしたことを喜ぶだろう。銅の処理をいっそう詳しく論じると、調製して溶かした銅から、水を蒸留して戻すことを七度以上行って精製すると述べた。凝固させた後、蒸留酢の中でサル・アンモニアクを用い、そこから最も上質な緑色物を作る。その緑色物を鉄の容器で赤くし、再び溶かす。それに、調製して溶かした銀を、その三分の一量加え、後に発酵種の水を七度取り出して戻す。そして金属体へ戻せば、喜ぶことになる。
鉄の処理は銅と同様であるが、鉄は非常に汚れているので、そこによい結果を期待してはならない。銀の処理は、七度、少なくとも四度、溶解と凝固を行うことである。溶かした銀に、前に述べた、固定されていて赤くする水を加えれば、太陽〔金〕に適した金属体を見いだす。それは金と調和し、金とともに安定して留まるからである。十分に浄化して溶かした銅を、あなたの助けとしなさい。そこから、着色力を備えた固定された、きわめて清浄な硫黄が抽出されるからである。私はあなたに言う。精製して固定した水銀には、不完全な金属体の汚れを覆い補う働きがある。他方、金属体から抽出した純粋で固定された硫黄には、輝きを伴って着色する働きがある。ここから、あなたは大きな秘密を引き出すべきである。すなわち、水銀そのものも硫黄も、適切に調製した完全な金属体からも不完全な金属体からも抽出できる。それに役立つのが、精製された精気と中間的鉱物であり、これによって作業は適切に、しかも大きな利益をもって完成へ導かれる。
第三部 完成させるべき金属体と、変質させる薬について
第19章 第三段階の完全化の方法について
第二段階に属する、不完全な金属体に関するすべての方法を十分に論じたので、今度は第三段階の領域へ移らなければならない。第二段階および第三段階の薬が何であり、どのようなものであるかは、『完全な大いなる術の書』で十分に示した。そこでわれわれは、適切かつ真実な論証によって、われわれの石は水銀の実体から生み出されなければならないと、理論的に考察する者として十分に示した。しかしここでは、実践を解きほぐして明らかに開示しよう。それは、銀または金を、俗に水銀と呼ばれる、それ自身の乾いた水へ解き戻すよう努めることである。その割合は十二対一として、完全な金属体はただ一部だけとする。これらを穏やかな火で正しく処置すれば、四十日のうちに、その金属体がまったくの水へ変わるのを見いだす。完全に溶けたしるしは、上に現れる黒さである。
注 quae sint は巻末正誤表に従う。「十二対一」は duodenaria proportio と後続第20章の一リブラ対十二リブラの記述による。
白と赤の両方の作業を完成させようとするなら、どちらの発酵種も、今述べた方法で別々に溶かし、保存する。これが、水銀から抽出された、われわれの水銀であり、発酵種として求めるものである。一方、われわれは発酵させるべき練り物を、通常の方法で不完全な金属体から抽出する。ここから一般的規則を伝えよう。白い練り物は錫と鉛から、赤い練り物は銅と鉛から抽出する。発酵種の場合と同様、各金属体はそれぞれ別に溶かさなければならない。
注 巻末正誤表の「246.2. extrahitur」は246頁第2行の pasta alba extrahatur に適用し、extrahitur とした。245頁末の Pastam vero fermentandam extrahimus は原刊どおりに保持する。
第20章 木星〔錫〕と土星〔鉛〕の処理について
この章では、錫と鉛の処理を示す。まず、この章が白のためのものであることを知らせておく。方法は次のとおりである。きわめて清浄な錫一リブラを取って溶かす。溶けたら、よく浄化した水銀十二リブラを加え、全体を動かして混ぜる。それを首の長さ一フィートの瓶に入れ、アタノール炉に置く。同様に調製した鉛を入れた別の瓶も置き、一週間、下から穏やかな火を与える。すると、これから示す割合で、白い発酵種によって発酵させるのに適した、溶けた練り物を得る。
錫の練り物四部、鉛の練り物三部、白い発酵種一部とする。述べたとおりに溶かしたものを、最小の部分まで混ぜ合わせ、われわれの中程度の火による溶解の方法で、七日間腐熟させる。取り出してよく混ぜ、布で液状の部分を搾り出す。残った濃い部分をキミアに入れてよく封じ、前と同じように、前述の期間アタノールに置く。これを三度行い、自分の水をすべて飲み込むまで続ける。その後、キミアに入れて固定炉に十二日間置き、取り出し、還元剤で金属へ戻す。すると、われわれの先人たちが多大な努力で見いだしたもの、すなわち「生成物を生み出すもの」を見いだすだろう。それを鉛とともに灰吹皿で精錬する。すると、白さにおいて完成し、永久に自分と同じものを生み出す金属体を得る。その説明は、他の先人たちと同様、われわれが書いたこととともに後継者へ委ねる。
注 Chimia/Chimiam はこの操作で使う容器を指す語として「キミア」と音写した。
第21章 金星〔銅〕と土星〔鉛〕の処理について
銅の練り物三リブラ、鉛の練り物二リブラ、発酵種一リブラとする。これらを十分に溶かしたら、最小の部分まで混ぜ合わせ、白について述べたように、温めて保つ。水を取り出し、布に残ったものを、よく封じたキミアに三週間入れる。取り出して、取っておいた自分の水の三分の一を戻し、前章のとおりに煮る。これを三度行う。自分の水をすべて飲み込んだら、オロブスに入れて固定する。固定されたら還元剤で戻し、増殖と着色に適した金属体を得る。
注 orobus は原文の器具名として音写し、形状や現代器具との対応は断定しない。
第22章 火星〔鉄〕の処理について
鉄の溶解は非常に難しい。そのため、われわれが行ったいくつかの方法と、その他のさまざまな実験を本書の終わりで論じる。さて、鉄の練り物二リブラ、銅の練り物四リブラ、鉛の練り物四リブラとし、発酵種を加えずに混ぜ、七日間煮る。すると全体が乾いている。固定し、その半量の砕いたリタルギュルムと混ぜて還元器に入れる。われわれがしばしば論じたことを理解するなら、鉱物的で非常に有用な金属体を見いだす。
第23章 月〔銀〕の処理について
銀の処理とは、鉱床から得た状態よりも高貴なものへ導くことである。そのために銀を溶かし、その三リブラと、溶かした銅四リブラ、溶かした発酵種一リブラを取る。液を合わせ、鉄の場合と同じように、閉じたオロブスの中で、その水をすべて伴わせ、穏やかな火で七日間煮る。次の七日間は火を少しずつ強め、昇華に使う程度とする。さらに七日間は少し強い火を与え、すべての水が材料とともに固定されるようにする。その粉を少量だけ金属へ戻し、水銀の一部を保持していればよい。焼成の方法を知っていれば、それは容易に確かめられる。保持していなければ、十分になるまで再び固定する。そして赤い還元剤で戻す。すると、着色され、変成され、固定された銀を見いだす。それを尊重しなさい。われわれの諸巻を十分に学ぶなら、真の探究者が何を基礎として自分の作業を行うべきかを、われわれの考察を通じて知るだろう。
第24章 水銀の処理について
水銀の処理には二通りある。第一には、よく洗って精製した水銀を、以下に記す一定の割合でアマルガム化する。第二の方法は、それを蒸留し、そこから生命の水を作ることである。第一の方法の割合は、水銀四十八ウンキア、金一ウンキア、銀一ウンキア、銅一ウンキア、鉛一ウンキアである。まず銅と銀、次に金、第三に鉛という順で、これらの金属体を溶かす。火から離し、大きなるつぼに入れておく。別のるつぼでは、前述の水銀をよく温めておく。金属が固まり始めたら、水銀を少しずつ注ぎ、棒でかき混ぜ、再び火にかけて、すべての水銀とよくアマルガムになるまで混ぜる。
七日間置いて溶解させ、布で水を取り出す。残りは、下から赤熱させる火を与えて揮発性にする。これに再びその水をすべて吸わせ、生成のために置き、さらに四十日間乾燥させる。すると石を見いだすので、それを固定する。こうして、無限に増殖させられる石を得る。したがって、この書をあなたの息子にも見せないよう守りなさい。これは、われわれがさまざまな書に記したすべてを明かしているからである。
注 ad ad は原刊の重複を保持。原刊は明瞭に a filio tuo(あなたの息子から)と記す。内容上奇異でも別の語へ改めていない。
第25章 無酵の物に加える銀の発酵種について
無酵の物に加える銀の発酵種は、銀をそれに適した腐食性の水に溶かして作る。この水を三分の一まで煮詰め、そのまま空気に触れさせ、浴または糞の中に数日置けば、銀の油となり、それ自体が発酵種となる。白のために保存しなさい。
第26章 赤のための金の発酵種について
金の発酵種は、金をそれに適した水に溶かし、前章の銀の発酵種と同じように煮て調製するとできる。これが赤のための金の発酵種となるので、保存する。
第27章 水銀に用いる、白と赤の「発酵種の発酵種」について
水銀に用いる「発酵種の発酵種」と呼ばれる、われわれの薬の配合は、白については次のようにする。銀の発酵種、すなわち銀の油を取り、その二倍量の、昇華して水に溶かした砒素質を加える。そこへ、砒素質と同量の溶かした水銀を加える。液を混ぜ、一体化するため火の上に一日置く。その後、アランビックで水を取り出して戻す。このような蝋化を十五度行うと、溶けやすい蝋のように流れるようになる。そこで同量の溶かした純粋な蝋を加えて混ぜ、適切と思う量を、洗浄した水銀に投じる。これを解き戻すと、その力と重量が増す。
赤のための「発酵種の発酵種」であるなら、金をそれに適した水に溶かす。これらすべての水とその他の物の配合、および溶解の方法は、われわれの『完全性の発見について』で十分に伝えたので、ここでは省いた。その金が溶けたら、一部に対し、同じ水に溶かした硫黄二部と、溶かした水銀三部を加える。これらすべてが、本当に最も透明な水へ溶けているようにする。混ぜた後、発酵させるため一日煮る。その後、水を取り出しては常に戻し、これを十五度行う。半量の黄色い純粋な蝋、すなわち血の油または卵の油で蝋化し、適切と思う量を粗製水銀に投じる。確かに知りなさい。われわれの『大全』の第三段階で、水銀を凝固させる薬について伝えた方法に従ってこの薬を完成すれば、作業を繰り返し、それを微細化することによって、一部が無限の部分の水銀を、あらゆる天然の金より高貴な最高の金へ染め変えるのを見いだすだろう。
第28章 著者の実験の総括
本巻では、どの術者にも生じうるすべての疑問を明らかにすることを意図しているので、私が試し経験した、あらゆる真実の実験をもって本書を結ぼう。これらの真実の操作によって、初心の探究者も、さまざまな似非術者の処方の真偽を見分け、偽りの処方のために時間や財産をむだに費やさずに済むだろう。まず精気だけについて、次に他のものについて、金属体と精気の双方を、それぞれの方法に従って述べる。この章は二つに分かれる。第一に、われわれが自ら試した古人の経験を述べる。第二に、それらすべてを正す方法を述べる。ただし、われわれが最初に行ったように、まず白化に関わるものから取り組まなければならない。
注 原刊の Solis は大文字だが、文脈により「精気だけの」(solisをspiritibusに一致させる)と解した。「太陽〔金〕の」とも字面上は読める。
よい白化。レアルガル一ウンキア、昇華水銀三ウンキア半、焼成酒石一ウンキアを取り、すり混ぜて一体にする。首の長さが一フィートで指二本が入る瓶に入れ、土を塗り、布をかぶせて火にかける。まず四分の一時間、穏やかな火を与え、その後、下と周囲の火を増し、炉がいっそう燃えて赤熱するまで強める。冷めたら割り、見いだした金属性の物を取り出して、多量に集める。まもなく、この薬を有用なものへ精製する方法を述べるからである。
巧妙な白化。トゥティアの上で、昇華水銀一部と昇華砒素質二部を、浸透するようになるまで昇華する。これは銅を明るく、非常に美しく白化する。別の方法。昇華水銀三部と昇華砒素質二部に、溶かしたリタルギュルムを吸わせ、合計八重量になるまで続ける。それに、昇華砒素質をさらに八重量加えてともにすり、酒石の油とともに溶かせば、調製した銅を望むように白化できる。
注 octo pondera は基準の明示されない歴史的配合表現として「八重量」とし、具体的な現代量を補わない。
別の方法。金属性の砒素質を同量の銀の灰とすり合わせ、サル・アンモニアクの水を吸わせて乾かし、すり砕く。その後、硝石の水に酒石の塩を溶かし、その油を薬に吸わせる。蝋化と乾燥を三度行えば、今述べたことを喜ぶだろう。われわれの別の方法。焼成し、洗浄し、乾燥した錫に、金属性の砒素質と、その半量の昇華水銀を、溶けて銅へ浸透するまで繰り返し吸わせる。これは調製した銅を輝くように白化する。
また、焼成し、溶かし、凝固させたトゥティアの上で、白い昇華砒素質を昇華する。砒素質三部に対してトゥティア一部とし、その上での昇華を四度繰り返す。それらとともに浸透する力を得るからである。全体の半量の昇華水銀を加え、サル・アンモニアク、硝石、酒石塩を等量ずつ含む水で、四度すり混ぜて蝋化する。それが凝固したら、それを用いて、調製した銅板をセメント処理し、溶かす。すると非常に美しいものとなる。
別の方法。焼成して蝋化した銅をすり砕き、昇華砒素質と、半量の昇華水銀を加える。よくすり混ぜた後、アンモニアクの水を少し加え、大理石の上で蝋化する。その後、乾かして昇華する。昇華物を、再び吸わせながら滓へ戻す。これを三度行い、四度目には硝石の水を吸わせ、昇華しうるものを昇華する。溶けた状態で底に留まるまで繰り返す。それは、調製した銅の中で光を放ち、輝くだろう。
注 Arsenici sublimati の量は原刊で明記されていないため補わない。
また、調製した銅の灰の上で、昇華砒素質を何度も昇華し、砒素質の一部が強い火の中でも灰とともに留まるまで続ける。それに硝石の水を吸わせ、最後に銀と沈降水銀の水で蝋化し、さらに精製した酒石の油で、流れるようになるまで処理すると、鉄を驚くほど白化する。この術の谷間を賢く歩むなら、これは第二段階へ入る。別のところで述べたように、混合物の中に沈降水銀が全体にわたって行き渡れば、あなたの歩みはいっそう輝かしいものになる。とりわけ、ある程度固定した溶解水銀に、溶かした白い発酵種が蝋化を介して加われば、自分が道に沿って歩んだことを知るだろう。
注 si Mercurii ... obtineat は原刊の構文に不整合がある。訳では沈降水銀が混合物中で優勢となる趣旨として解した。
われわれの試験によれば、錫はどのように調製しても、またどのような術的処理を施しても、第一段階全体においてまったく役に立たず、鉛と鉄も同様であった。そのため『大全』では、それを第三段階の薬に仕えるものとした。その段階では、これがきわめて優れて美しくされるからである。このことは『完全性の大全』で繰り返し確かめているし、われわれはすでに無数の方法を実際に試し、知ってきた。それでも、銅そのものの白化については、より適切な方法を記した。
第29章 水銀を用いる試み
さて、水銀を用いる試みを始めよう。銀色のリタルギュルムと、ゾザから得たアルカリ塩でセメント剤を作る。これをるつぼの底に一指の厚さで入れ、その中に水銀と銀のアマルガムの球を置く。残りのセメント剤を上にかぶせ、球がその中央に位置するようにする。乾かして土で封じ、穏やかな火に半日置き、少しずつ火を強め、夕方から薄暮にかけて熱くなるようにする。軽く赤熱したら取り出し、灰吹皿で精錬する。すると銀は、重量、鈍い響き、固定性において、はるかに優れたものとなる。
注 zoza はアルカリ塩を得る原料の歴史的名称として音写。surditas は金属の打音の鈍さを指す。夕方と薄暮の順は原刊の表現を保持した。
また、銀を水銀とアマルガム化し、銀と同量の鉛を加える。別のるつぼに、四分の三が空くように入れ、上に硫黄の油を注ぎ、油が尽きるまで煮る。その後、中程度の火で二時間保つと、わずかに赤みを帯びた黒い石ができる。この石を灰吹きにかければ、銀の重量、鈍い響き、固定性が増しているのを見いだす。
あらかじめ考慮すべき別の方法。水銀とアマルガム化した銀を、その二倍量の金属性砒素質とすり合わせる。それに、銀と砒素質を合わせた量の十倍に当たる、アマルガム化した銅を加える。すべてをすり、固定し、金属体へ戻せば、よい結果を得る。
第30章 月〔銀〕の黄化
術によって白化するものの知識へ導いたので、今度は、われわれの『大全』よりも詳しく、銀の黄化へ進もう。調製した銅から得た、われわれの哲学的ジニアルを、銀を溶かす水に溶かす。それに、その半量の、昇華によって赤くし、ある程度固定して溶かした水銀を加える。また、ジニアルと同量の溶かした銀を加える。一日発酵させた後、蒸留によって水を取り出して戻し、これを十度行う。最後に凝固させ、金属体へ戻せば、得たものを喜ぶだろう。
注 Zyniar は銅に由来する緑色物の歴史的名称。組成を単一の現代化合物へ断定せず音写した。
別の方法。ジニアルそのものと、水銀の昇華によって赤くなるまで調製した、われわれのクロクスを溶かす。それと同量のサル・アンモニアクを加え、そのクロクスから三度昇華し、その昇華物を溶かす。クロクスとジニアルは等量とし、両者の合計と同量の、溶かした銀を加える。前の方法のように蝋化して金属へ戻す。これは容易である。
注 原刊の略記 tm̄ は tantum(同量)と展開した。同段落で同じ略記が繰り返され、後半は tantum de Luna dissoluta, quantum de duobus(両者と同量の溶解銀)という対応になる。unum(一)とは読まない。
また、さらに容易な別の方法を伝えよう。溶かしたクロクスとジニアルを等量ずつ取り、それと同量の溶かした金を加え、前と同様に蝋化する。最後に凝固させ、その四分の一量の硝石の油を与え、同量の銀を投じる。すると、黄色い外観を備えた着色物となる。
別の、しかも最良の方法。われわれのジニアルと、前述のわれわれのクロクスから水を作り、金と銀の灰を等量ずつ、それら自身の重量と同じ量を飲み込むまで含浸する。最後にアンモニアクと硝石の油で蝋化し、高貴な金属体へ戻す。また、われわれの緑色物からアンモニアクを昇華する。そこにクロクスとジニアルを加えてよく混ぜ、それらから、先ほど抽出したアンモニアクを二度または三度昇華する。最後にすべてを溶かし、三分の一量の溶かした金を加え、前のとおり蝋化して凝固させる。銀二部、金一部という割合の金と銀に投じれば、よいものとなる。
『炉の書』終わり。
ロジャー・ベーコン『錬金術の鏡』
博学なるロゲリウス・バコンの錬金術小書。『錬金術の鏡』と題する。
注 1541年版の著者帰属を訳したもの。現代の著者同定を保証する記述ではない。
序文
かつて哲学者たちは、著作の中で多くの箇所にわたり、多様な仕方で語った。そして謎のように、霧に包まれた声のように、他の学知にまさって高貴なある学知を、われわれにはまったく覆い隠されたまま残した。絶望のヴェールの下に、それを完全に拒んだのであり、これには理由があった。そこで私は命じる。他の人々のどの著作にもまして、金属の変成を収めたこの七章に、あなたの精神をしっかりと据えよ。その初め、中ほど、終わりを、幾度も心の中で思い巡らせよ。そうすれば、あなたの精神を満たすほどの精妙さを、その中に見いだすであろう。
第1章 錬金術の定義について
古人の多くの書には、この術についてさまざまな定義が見いだされる。本章では、それらの意味を考察しなければならない。ヘルメスは、この学知についてこういう。「錬金術は物体に関わる学知である。一つのものから、一つのものによって、単純に構成され、認識と作用によって、より貴重なもの同士を結び合わせ、自然な混合によって、それらをいっそう優れた種類へと変える。」また、別の人はいう。「錬金術とは、あらゆる種類の金属を他の種類へと変えることを教える学知である。」しかもこれは、多くの哲学者の書に明らかなように、固有の薬によって行われる。したがって錬金術とは、エリクシルと呼ばれるある薬を作り、生み出すことを教える学知である。その薬は、金属、すなわち不完全な金属体の上に投射されると、投射の瞬間にそれらを完全なものへと仕上げる。
第2章 自然の原理と鉱物の生成について
第二に、自然の原理と鉱物の生成を十分に説明しよう。まず注意すべきは、鉱山における鉱物の原理が水銀と硫黄であるということである。これらから、すべての金属と、数多くの異なる種類を持つすべての鉱物が生じる。しかし私は、自然はつねに金の完全性を目標とし、そこへ向かって努めるという。ところが、さまざまな偶発的な事情が加わって金属を変化させた。このことは、多くの哲学者の書に十分明瞭に見いだされる。すなわち、先の二つ、水銀と硫黄の純粋さと不純さに応じて、純粋な金属と不純な金属が生まれる。金、銀、錫、鉛、銅、鉄である。それらの本性、すなわち純粋さと不純さ、不浄な過剰と不足について、次のことを真実として受け取れ。
注 水銀・硫黄による金属生成は歴史的な理論であり、現代の化学理論ではない。
金の本性について。金は完全な金属体であり、純粋で固定され、澄み、赤い水銀と、清浄で固定され、赤く、焼き損なわない硫黄から生まれる。何の欠陥も持たない。
注 底本はここで Argento と印刷する。前後の水銀・硫黄説に従って水銀と訳したが、ラテン語転写には印刷形を残す。
銀の本性について。銀は清浄で純粋な、ほとんど完全な金属体である。純粋で、ほとんど固定され、澄み、白い水銀と、それに相応する硫黄から生まれる。ただ、固定が少し足りず、色と重さが不足する。
錫の本性について。錫は清浄で不完全な金属体である。純粋で、固定されたものと固定されていないものを含み、澄み、現れた面では白く、隠れた面では赤い水銀と、それに相応する硫黄から生まれる。不足するのは、煮熟、すなわち熟成だけである。
鉛の本性について。鉛は不浄で不完全な金属体である。不純で、固定されず、土性で、滓を含み、現れた面ではいくぶん白く、隠れた面では赤い水銀と、それに相応する、ある程度燃えやすい硫黄から生まれる。純粋さ、固定、色、赤熱が不足する。
銅の本性について。銅は不浄で不完全な金属体であり、不純で、固定されず、土性で、焼き損なう性質を持ち、赤く、澄まない水銀と、それに相応する硫黄から生まれる。固定、純粋さ、重さが不足する。一方、不純な色と、燃焼しない土性を過剰に含む。
鉄の本性について。鉄は不浄で不完全な金属体であり、不純で、過度に固定され、土性で焼き損なう性質を持ち、白くまた赤く、澄まない水銀と、それに相応する硫黄から生まれる。融けやすさ、純粋さ、重さが不足し、不浄で固定された硫黄と、燃焼する土性を過剰に含む。したがって、すべての錬金術師は、いま述べたことに注意しなければならない。
第3章 エリクシルの材料を、より直接に何から取り出すべきか
以上に述べたことによって、完全な金属と不完全な金属の生成は十分に説明された。ここで、不完全な材料を完全にすることと、その選択に戻ろう。前の章から、すべての金属が水銀と硫黄から生じること、また、それらの不純さと不浄さがどのように損壊をもたらすかは十分に知られている。そして、金属に用いるものは、その同じ原理から構成され、あるいは生じたものでなければならない。したがって、この二つを起源としない異質なものには、金属を完全にし、あるいは新たに変成させる力も十分な能力もないことが、明らかにされる。
それゆえ、十分に近い鉱物が見いだされるのに、思慮ある者が、はるかに遠い動物や植物に志を据えるのは不思議なことである。哲学者の誰かが、先に述べた遠いものの中にこの術を置いたとしても、それは類比としてであり、それ以外の意味だと信じてはならない。すべての金属は、先の二つからできる。この二つからできたものでなければ、金属に付着せず、結合せず、変成もさせない。したがって当然、われわれは、水銀と硫黄をわれわれの石の材料として取らなければならない。水銀だけでも、硫黄だけでも、いかなる金属も生じない。両者の混合から、さまざまな金属がそれぞれ異なる仕方で、また多くの鉱物が生じる。ゆえに、われわれが選ぶべき材料は、両者の混合から成り立つ。
しかし、われわれの最後の秘密は、最も優れ、最も深く隠されている。それは、どの鉱物から、より近く直接にこれを作るべきか、ということである。その点から注意深く材料を選ばなければならない。そこでまず、草、樹木、その他大地から生えるもののような植物から、われわれの材料を選ぶと仮定しよう。その場合、長い煮熟によって、まずそこから水銀と硫黄を作る必要がある。しかし、われわれはその材料と、その作業を免れる。自然がすでに水銀と硫黄を示してくれるからである。また、人血、毛髪、尿、排泄物、鶏卵、その他動物から出るあらゆるもののような動物性のものから選ぶ場合も、煮熟によってそこから水銀と硫黄を作らなければならない。しかし、このことも前と同様に免れるのである。
もし、マグネシア類、マルカサイト類、トゥティア類、アトラメントすなわち礬類、明礬類、バウラク、塩類、その他多くのもののような中間的な鉱物から選ぶなら、やはり、煮熟によってそれらから水銀と硫黄を作る必要がある。これについても、先のものと同様に免れる。また、七つの霊のうちの一つだけ、たとえば水銀だけ、硫黄だけ、あるいは水銀と二種類の硫黄の一方、または天然硫黄、石黄、黄色もしくは赤い砒素を、単独または組み合わせて選んでも、まったく完成させることはできない。自然は、両者の均衡ある混合なしには決して何ものも完成させず、われわれもまたそうだからである。したがって、先に述べた水銀と硫黄を、それぞれ固有の状態のままで用いることも免れる。
注 spiritus「霊」はこの文脈で揮発性の物質群を指す歴史的な分類。鉱物名を現代の純物質と同一視しない。原文の候補物質の列挙には構文上の曖昧さがある。
最後に、それぞれをそのまま選ぶなら、人間の知性には知られていない適正な比率で混合し、その後、固い塊へと凝固するまで煮熟しなければならない。それゆえ、われわれは水銀と硫黄の両者を、それぞれ固有の状態のまま取る必要がない。先の比率を知らない一方で、すでに両者が適切な比率に置かれ、凝固し、正しく一体となった金属体を見いだせるからである。この秘密は、いっそう深く秘めておけ。
金は完全で男性的な金属体であり、過剰も不足もない。もし、単に融かして混ぜるだけで不完全な金属体を完全にできるなら、それは赤のエリクシルであろう。銀もまた、ほとんど完全で女性的な金属体であり、通常の融解だけで不完全なものをほぼ完全にできるなら、白のエリクシルであろう。しかし、そうではなく、そうなりえない。これらは、それ自体が完全であるだけだからである。その完全性を不完全なものに混ぜられるとしても、不完全なものが完全なものによって完全になるのではなく、むしろ完全なものの完全性が、不完全なものによって減じられ、損なわれる。だが、もし二倍、四倍、百倍、あるいはそれ以上に、完全以上のものであったなら、不完全なものを完全にできるであろう。自然はつねに単純に働く。それゆえ、それらの完全性も単純で、分離できず、混合できない。また、術によって作業を短縮するため、発酵種として石の中へ入れられることもなく、揮発するものの総量が固定されたものの総量を超えるときには、元の状態へ戻されるであろう。
注 後半の nec arte 以下は底本の構文が不安定で、欄外の参照符号もある。否定語を勝手に削除せず、印刷本文に従って訳した。全巻正誤表との最終照合対象。
金は、赤く澄んだ水銀と、それに相応する硫黄から成る完全な金属体である。それゆえ、赤のエリクシルを得る石の材料として、金そのものは選ばない。それは技巧的な浄化なしに、単純な仕方ですでに完全であり、自然の熱によってきわめて強く熟成し、煮熟されているので、われわれの人工の火では金や銀にほとんど作用を及ぼせないからである。自然は何かを完成させるとしても、最も奥深いところまで清浄にし、完成させ、浄化することを知らない。持っているものに対して単純に働くからである。したがって、石の材料に金か銀を選ぶなら、それらに作用する火を見いだすのは困難であり、ほとんど不可能であろう。たとえ火を知っていても、それらの極度に緊密な凝集と自然の構成のため、内奥の浄化と完成には到達できない。それゆえ、赤のために金を、白のために銀を取る必要はない。同じほど清浄な、あるいはいっそう清浄な硫黄と水銀から成り、自然がまだわずかにしか、あるいはほとんど作用していない、ある物または金属体が見いだされるからである。それに対してなら、人工の火とこの術の経験を用い、巧みな作業を絶えず続けることによって、適切な煮熟、浄化、着色、固定へと至ることができる。
したがって、清浄で純粋で澄み、白くまた赤い水銀を含み、まだ完成には至っていないが、それに相応する硫黄と正しい仕方で均等かつ比例的に混じり、固い塊へと凝固した材料を選ぶべきである。それによって、われわれの才知と思慮、そして人工の火を用い、内奥の清浄さと、それらの純粋さへと至ることができる。作業の完成後には、単なる自然の熱で煮熟された金属体よりも、千倍、幾千倍も強く完全なものとするのである。それゆえ思慮深くあれ。私の諸章を精妙かつ才知をもって読めば、そこで明白な証明によって石の材料をはっきりと示したのであるから、哲学者たちの志のすべてが向かう、あの喜ばしいものを味わうであろう。
第4章 作業の方法、および火の調節と持続について
あなたが極度に頑固で、無知や愚かさのヴェールに完全に覆われているのでなければ、すでに述べた言葉によって、哲学者たちの確かな材料、熟達者たちの祝福された石の材料を見いだしたと思う。錬金術の作業は、その材料に対して施される。不完全なものを、完全以上のものによって完全にしようとするからである。自然がわれわれに与えたのは、不完全なものと、ただ完全なものだけである。それゆえ、諸章で明らかにした材料を、われわれの人為的な作業と労苦によって、完全以上にしなければならない。もし作業の仕方を知らないなら、かつて金属を完成させた自然が、いつもどのように働くかを見ようとしないのは、いったいなぜなのか。
われわれは見ていないだろうか。鉱山では、鉱物の山の中で続く熱によって、水の濃厚な部分が煮熟され、濃縮され、時を経て水銀となる。また、同じ煮熟と熱によって、大地の脂性の部分から硫黄が生じる。そして、それらに持続して加わる熱によって、先のものの純粋さと不純さに従い、すべての金属が生成する。自然は、完全な金属も不完全な金属も、ただ煮熟によって完成させ、あるいは作るのである。ああ、甚だしい愚かさよ。いったい何に駆られて、あなたがたは無関係な、憂鬱に取り憑かれた空想的な方法で、先のものを完成させようとするのか。
ある人がいうとおりである。「自然を超えようとし、無分別な頑固さから生まれた新しい方法や作業で、金属を完全以上にしようとするあなたがたは災いだ。神は自然に、まっすぐな道、すなわち絶え間ない煮熟を与えた。ところが愚かなあなたがたは、それをまねることを軽蔑し、あるいは知らない。」またいう。「火とアゾートがあれば十分である。」別の箇所では、「熱はすべてを完成させる。」さらに、「煮よ、煮よ、煮よ。倦んではならない。」また、「あなたがたの火は柔らかく穏やかであれ。日ごとに、いつも均等に燃え続け、強まりすぎてはならない。そうしなければ、きわめて大きな損失が続くであろう。」また、「忍耐強く、絶え間なく。」また、「それを七度磨り砕け。」また、「一つの物、すなわち石、一つの道、すなわち煮ること、そして一つの器によって、術の全体が完了すると知れ。」また、「火によって磨り砕かれる。」
注 アゾートは歴史的な錬金術語であり、現代化学の窒素という意味に置き換えない。
またいう。「この作業は、人間の創造によく似ている。幼児は初め、軽い食物で養われるが、骨が丈夫になるにつれ、より力の強い食物で養われる。この術も同様に、初めには弱い火が必要であり、煮熟のどの段階でも、つねにそれによって作業すべきである。」しかし、われわれがつねに弱い火について語るとしても、実際の意味は、作業の進行に応じて、最後に至るまで、火を少しずつ、順次強め、大きくしなければならないということである。
第5章 器と炉の性質について
作業の目標と方法は、すでに定めた。いまは、器と炉をどのように、何から作るべきかを聞くがよい。自然は鉱山で、自然の火によって金属を煮熟するが、それに適した器なしに、この煮熟が行われることを許さない。煮熟において自然に従おうとするなら、なぜ自然の器を退けるべきなのか。それゆえ、まず金属が生成する場所がどのようなものかを見よう。
鉱物の産地では、山の底に、均等に続く熱があることが明らかに認められる。その熱の本性は、つねに上昇することである。上昇しながら、至る所を乾かし、大地や山の内部、あるいは鉱脈に隠された、濃く粗い水を凝固させて水銀にする。その場所の鉱物的な脂性が、このように熱せられた大地から地脈の中へ集められると、山の中を流れ、硫黄となる。そして、その場所の鉱脈で見られるように、先に触れた大地の脂性から生じた硫黄は、すでに記されたように、地脈の中で水銀に出会い、鉱物的な水の濃厚さを生み出す。そこで、山中に均等に続く熱によって、場所の違いに応じ、長い時をかけてさまざまな金属が生まれる。実際、鉱物の産地には、つねに持続する熱が見いだされる。
注 aquae spissitudinem mineralis の語形関係は底本のままで、構文に不整合がある。周囲の金属生成論に沿って訳した。
以上から、鉱物を含む山は外側が至る所で閉ざされ、石から成ることに、当然注意すべきである。もし熱が外へ逃げられたなら、金属は決して生まれないからである。それゆえ自然をまねようとするなら、大きさではなく、熱が持続するという点で山に似た炉を、このように備えなければならない。入れた火が上昇するときに出口を見いださず、その熱が、石の材料を内部に収めてしっかり閉じた器へ反射するようにするのである。この器は小さい首を持つ丸いものとし、ガラス、またはガラスの性質や緻密さに似たある種の土から作るべきである。その口は、相応する蓋と封泥で閉ざし、封じなければならない。
注 歴史的な密閉加熱の記述を訳したもの。現代の実験手順や安全な装置設計を示すものではない。
鉱山では、山の土が至る所に介在するため、熱は硫黄と水銀の材料に直接触れない。同じように、先の材料を内部に収めた器に、火が直接触れてはならない。その器を、同じく閉じた別の器の中へ入れるべきである。そうすれば、調節された熱が、上からも下からも、材料のあるどこにでも、よりよく適切に届く。このため、アリストテレスは『光の光』で、水銀は三重の器の中で煮るべきだという。そして器は、きわめて堅いガラス、またはいっそうよいものとして、ガラスの性質を持つ土で作るべきである。
注 著者がアリストテレスに帰している引用をそのまま示す。現代の真正性判断を意味しない。
第6章 作業中に現れる偶然的な色と本質的な色について
石の材料を探し出せば、確かな作業法がわかる。その方法と操作によって、石は煮熟されながら、幾度もさまざまな色へ変化する。そこで、ある人はいう。「色の数だけ名がある。」作業中に現れるさまざまな色に応じて、哲学者たちは石の名を変えた。われわれの石の最初の作業は腐敗と呼ばれ、こうして石は黒くなる。それゆえ、ある人はいう。「それが黒くなったのを見いだしたら、その黒さの中に白さが隠れていると知れ。そのとき、そのきわめて微細な黒さから白さを取り出さなければならない。」
腐敗ののちには赤くなるが、真の赤さではない。このことについて、ある人はいう。「真の白さに達する前に、幾度も赤くなり、幾度も黄色になり、幾度も液化し、幾度も凝固する。また、自らを溶かし、自らを凝固させ、自らを腐敗させ、自らを着色し、自らを死なせ、自らを生かし、自らを黒くし、自らを白くし、白さとともに赤さで自らを飾る。」また、緑にもなる。そこで別の人はいう。「緑の子があなたの前に現れるまで、それを煮よ。それが、その魂である。」また別の人はいう。「緑の中では、その魂が支配していると知れ。」
白さに先立って、孔雀の色も現れる。そこで、ある人はこういう。「世界にあるすべての色、また考えうるすべての色が、白さに先立って現れると知れ。その後に真の白さが続く。」またいう。「純粋になったものを、魚の目のように輝くまで煮熟すると、その効用が期待できる。そのとき石は丸い形に凝固している。」別の人はいう。「器の中に抜きん出た白さを見いだしたなら、その白さの中に赤さが隠されていると確信せよ。それを取り出さなければならない。ただし、全体が赤くなるまで煮続けよ。」
真の白さと真の赤さのあいだには、ある灰色がある。それについて、こういわれる。「白さののちは、道を誤ることがない。火を強めれば、灰色へと至るからである。」また別の人はいう。「灰を軽んじるな。神がそれを、融けたものとしてあなたに返してくださるからである。」そして最後に、王は赤い冠を戴く。神の御心によって。
第7章 不完全な金属体のそれぞれに薬を投射する方法について
約束した事柄、すなわち最も優れた赤と白のエリクシルを作る大いなる術の説明を、完全に終えた。最後に、作業の完成であり、望み待ち焦がれた喜びである、投射の方法を論じなければならない。赤いエリクシルは限りなく黄化させ、あらゆる金属を最も純粋な金へ変える。白いエリクシルは限りなく白化させ、どの金属も完全な白さへと導く。しかし、ある金属は他のものより完全性から遠く、あるものは他のものより近いことを知るべきである。どの金属もエリクシルによって完全性へ導かれるとはいえ、近いものは遠いものより、容易に、早く、よく、そして完全に導かれる。
完全性に近い金属を見いだせるなら、それによって、遠い多くのものを扱う必要がなくなる。どの金属が遠く、どれが近いか、何が完全性にいっそう近いかは、あなたが賢明で才知を備えているなら、私の諸章に十分明らかに、真実に即して定められているのを見いだすであろう。そして、この『鏡』を巧みに読み、自らの努力で真の材料を見いだせるほどになった者は、どの金属体に薬を投射して完全にすべきかを、疑いなくよく理解している。この術を哲学によって見いだした先駆者たちは、次のように語り、まっすぐで明白な道を十分はっきり示しているからである。「自然は自然を包む。自然は自然に勝つ。自然は自らに相応する自然に出会って喜び、別の自然本性へと変わる。」また、「似たものはすべて、自らに似たものを喜んで迎える。類似は友情の原因と呼ばれるからである。」多くの哲学者が、この点について注目すべき秘密を残した。
魂は自分の身体にはすみやかに入るが、異質な身体とは決して結びつかないと知れ。また、こうもいわれる。「魂は自分の身体にはすみやかに入る。もしそれを異質な身体と結びつけようと決めるなら、あなたの労苦は無駄になる。」この近縁性は、いっそう明瞭である。操作の中で、身体を持つものは身体を持たないものとなり、逆に、身体を持たないものは身体を持つものになる。完成においては、身体全体が霊的で固定されたものとなる。そして、その霊的なエリクシルは、白であれ赤であれ、自らの本性をはるかに超えるまで調製され、導かれている。だから、単に融かした金属体へ投射するだけでは、その金属体と混ざらなくても不思議ではない。また、百万あるいはそれ以上の量に投射し、それらをただちに貫いて変成させることも困難である。
それゆえ今、一つの大いなる隠された秘密を伝えよう。一部を、より近縁な金属体の千部と混ぜ合わせるべきである。その全体を適切な器にしっかり閉じ込め、固定の炉に置け。初めは弱い火とし、三日間、つねに火を強め、分離できないほど結合するまで続けよ。これが三日間の作業である。その後、改めて最後に、この生成物の一部ずつを、いずれかの、より近縁な金属体の別の千部へ投射すべきである。これは一日、あるいは一時間、または一瞬の作業である。このことのゆえに、つねに驚くべきわれらの神が、永遠に讃えられますように。
終わり
リカルドゥス・アングリクス『修正の書』
リカルドゥス・アングリクスの、錬金術についてのきわめて有益な小書。『訂正の書』と題する。
注 著者名は1541年刊の帰属に従う。以下の自然学・医療的主張は歴史的原文の訳であり、現代科学・医療上の事実または実施の推奨ではない。
第1章 序文。技術はいかに自然を模倣するか
事物のあらゆる改善は、改善される事物の自然本性を増大させる。それゆえ哲学者たちの多くの教説では、自然は技術によって、最初の形相においてもっていた運動を越えるまで改善される。しかし、自然を介さずに働くものはない。自然自身が、技術の施行を通じて、技術のうちに隠れて内側から働くからである。したがって、自然の改善とはその力の増大であり、技術の仕事とはその事物の改善である。自然は、自然に完成できる自分の段階を完成し、その段階を越えることができない。ただし自然自身が技術の妨げによって妨げられる場合を除く。技術は単なる作業によって新しい自然を造り、自然を超越するわけではないが、適切に精妙化できる自然については、自然を越える。ゆえに「技術は自然を模倣する」といわれる。新しい自然を建てるという意味ではなく、その自然の力を精妙にするという意味である。
注 nisi ipsa natura impedita fuerit per artis impedimentum は論理が不明瞭だが、原刊どおり保持した。
さらに技術は、自然が及ばないところで前進し始める。すなわち事物のうちに包まれた精妙な自然を発見し、これを明らかにする。自然は金属を生成するとき、染成剤を生成することができない。もっとも、完全な染成剤を自分の内に隠して含んではいる。それゆえ哲学者はいう。「自然は必要とするものを自分の内に含んでおり、技術と操作によって動かされなければ完成しない」。したがって、われわれの作業で技術は自然への助力以外のものではない。これは世俗の職人たちによる多くの技術的作品に明らかである。まず自然が木を生み、次に火の燃焼が木から灰を、第三に技術が灰からガラスを作る。これは次のように理解すべきである。灰の中にガラスのこの第一質料が隠れていなかったなら、あらかじめ備わる自然なしに、技術がそこからガラスを生み出し、完成させることは決してなかった。このように、どの事物からも、その内に存在しないものは取り出せないと考えよ。
したがって、あらゆる種は自分の種のうちで、あらゆる類は自分の類のうちで、あらゆる自然は自分の自然のうちで、おのずから力の増大を求め、自分の自然に従って実を結ぶ。自分と反対の別の自然のうちでは結ばない。種から生じるものはすべて、その種子に対応するからである。これは生成についていっている。人間からは人間しか生じず、何らかのそのようなものからは、それに似たものしか生じない。技術によって自然を模倣することについても、自然の働きにより単純に働く何らかのものがこれを行うのは、その自然の組成を通じてでしかない。異質で劣った自然が導入されるなら、その途端に技術はもはや端的に自然を模倣していない。劣った外来の自然がその自然を汚し、それから生じるはずだと考えられたものは、もはや生じない。ある事物の内で働く劣ったものは、優れたものを壊そうとし、優れたものは劣ったものを完成させようとするからである。したがって、どの技術者も自然を模倣し、自分の技術が模倣する事物の自然を知らなければならない。さもなければ、技術によって自然を改善するその仕方は愚かであると判明する。
第2章 この技術には哲学の学習が必要であること
学者たちによれば、学習は無知を取り除き、人間の知性を真の知と、それぞれの事物の認識へと導き戻す。したがって何よりもまず、学習によってこの喜ばしい作業の知を獲得し、哲学者たちの言葉によって才知を磨かねばならない。その言葉の中に、真理の道が知られているからである。働く者が労苦を軽んじないなら、そこから生じる実を甘く味わうであろう。学ぶことを嫌う者は、作業しながら心の内でよく考えるべきである。自分たちの技術は自然の模倣なのか、とりわけ、自分たちの技術がその自然を改善すべき事物の模倣なのか、と。自然の模倣を離れて、哲学者たちの秘密を完全な終点まで遂行することはできない。このような人々について哲学者はいう。「彼らが実践に進むのは、驢馬が干し草に向かうのと同じである。何に向けて鼻を伸ばすかも知らず、ただ外的感覚が知性なしに、視覚と味覚を通じて飼料へと導くのである」。同様に、この驢馬たちは真の原理も、実りある学習も、諸々の自然についての認識もないまま、自然の業、自然哲学全体の最も秘められた秘密、そして最良の業を完成させようとする。この業は、人間を品性で飾り、恩恵で富ませ、貧者を助け、人間の身体に健康を与えて無傷に保つ。続いて、その隠れた自然の薬について述べられる。
注 原刊正誤表の274頁9行 amovet を適用。本文の admonet/ammonet を訂正した。
それゆえ、この技術の恩恵を愛する者はみな、学習に励み、作り話や誤った作業からではなく、書物から真理を汲み尽くさねばならない。人々の前に多くの偽造術が現れるとしても、この技術が真に見いだされるのは、学習を遂げ、哲学者たちの言葉を理解した後か、あるいは知識ある者の誠実な教示による場合だけだからである。いわれるとおり、「書物を読むのに怠ける者は、物を準備するのに機敏ではありえない」。さらに、「学習に汗を流すことを精神が拒む者は、容易に実践に熟達することはできない」。
注 原刊正誤表の275頁13行 scientis を適用。本文 scientes を訂正した。
第3章 自然的原理について
この技術が真の自然的原理をもつことを、ためらってはならない。自然自身が鉱床の内で金属物体を形成するからである。これはアリストテレスの『気象論』第4巻によって明らかである。そこでは鉱物体が、石、融解性のもの、硫黄類、塩類という四種に区別されている。そのうちには疎な実体と弱い組成のものも、強固な実体のものもあり、また展延できるものも、できないものもある。それらの生成の理由は同書で明らかなので、ここに述べる必要はない。
注 Aristoteles への引用・帰属は原文どおりであり、現代的な真作判定ではない。
第4章 鉱物にはいくつの部類があるか
鉱物体は、とりわけ二つの部類に区別される。一つは金属の部類、すなわち水銀を起源とする金属であり、金、銀、銅、錫、鉛、鉄などである。これらは大鉱物と呼ばれる。もう一つは鉱物の部類で、水銀を起源としないもの、たとえば塩類、アトラメント類、明礬類、礬、砒素、石黄、硫黄などである。これらは小鉱物と呼ばれるが、金属ではない物体である。大鉱物、すなわち金属物体が、程度の差こそあれ精製された硫黄と生ける銀を起源とすることは明白である。そこで今、それらの生成の違いを述べ、何を起源とするかを語ろう。ただしこれは多くの哲学者の書物に十分に明らかにされている。
注 Mercurius と argentum vivum はともに水銀を指すが、原文の語の交替が論証に関わる場合は後者を「生ける銀」とした。古代・中世の鉱物名を現代の単一化学物質と一律に同定しない。
第5章 水銀を起源とする金属について、一般的に
水銀を起源とする、すべての融解する金属は、展延することができる。それらの質料は、水の実体が土の実体と強く混合したものであり、一方を他方から分離できないからである。そのため、この水の実体は熱の作用の後、強い冷たさによって凝結する。だから展延でき、加工できるのである。しかし水だけでは、水性と土性を変化させた乾性によらずには凝結しない。それらの湿分は過度に油性ではなく、その凝結は土の乾性によるからである。したがって混合が強ければ強いほど、その内に激しく熱を作用させなければ、容易には溶解しない。
第6章 金属はいかに水銀から生じるか、各種について
万物の自然は、融解するもののあらゆる類を、水銀すなわち生ける銀と、その硫黄の実体から、自然の働きによって造った。生ける銀には、白い、または赤い、焼き焦がさない硫黄の蒸気あるいは熱によって凝固するという固有の性質があるからである。それゆえアリストテレスは『気象論』第4巻でいう。「硫黄が白く、焼き焦がさないなら、水銀を良質の銀に凝結させる。硫黄が純粋で、赤く輝き、その内にまったく焼き焦がさない火性の力があるなら、水銀を最も純粋な金に凝結させる」。あらゆる乾いたものは、その諸部分において完成されるため、おのずから自分の湿分を吸い尽くすからである。そこで、自分の実体によって生ける銀を凝固させる硫黄の蒸気は、土的で精妙であり、気的であり、熱の煮熟によって結合した最初の混合から煮られ、熟成される。その後さらに上昇し、煮られ、熟成され、水銀を金属物体に凝固させる硫黄的な力をもつに至る。硫黄が単純であるか、焼き焦がすものであるかに応じて、それが金属の完全さまたは不完全さの原因となる。これは後で明らかになる。
これらの第一質料が生ける銀であることの例は、熱で融けるとそれに変わるということである。それらが以前は生ける銀であったのは確かである。あらゆるものは、分解して帰着するそのものからできているからである。氷は熱を介して水へと変わる。したがって、水が以前には氷であったことが必要となる。
注 最終文は原刊 prius aquam glaciem fuisse をそのまま訳した。論証の流れから「氷が以前は水であった」と解される可能性があるが、無断で語順を訂正しない。
第7章 硫黄、水銀、およびそれらから生じる金属の生成について、一般的に。また完全なものと不完全なものはいかに異なるか
ここで注意すべきことは、硫黄は土の脂肪分から生じ、鉱床の中で適度な煮熟によって濃くなり、ついには硬く乾いたものになるということである。硬くなると硫黄と呼ばれる。一方、生ける銀はその第一の根において、白く精妙で、きわめて硫黄的な土と、これに強く混合された澄んだ水とから構成される。それらは最小部分にまで及ぶ結合によって一つとなり、湿が乾によって、乾が湿によって、等しく調整され、ついには一つの実体になる。この実体は平らな表面に静止せず、触れるものにも付着しない。その内の水性を変えた乾性のためである。その自然は同質である。火の中ではすべてが固定して残るか、すべてが煙となって飛び去るかのいずれかだからである。それは不燃性で気的であり、これは完全さの徴である。そのため、後に硫黄的な土から流れ出ると、熱せられて上方に昇る。したがって熱によって昇華するのが、その自然本性である。しかし昇華を絶えず繰り返すことで精製され、煮られ、濃くなり、白い硫黄と赤い硫黄によって次第に凝結する。この硫黄は何度も溶け、その後、生ける銀を凝結させる。その昇華と熱の作用によって蝋状化され、自然の働きが順々に進み、ようやく幾千年もかかって完全な金属に凝結する。このように自然自身は、鉱床という器の中で、熱を介して金属を造る。
したがって、不完全なものを完成する薬を仕上げようとする者はみな、これらの作業で自然を模倣しなければならない。これらの物体は組成の点で生ける銀とは異なるとはいえ、その生ける銀が純粋か不純か、また前述のとおり、それに外から加わる硫黄が清浄か不浄かに応じて、そこから生成するのである。生ける銀が白く焼き焦がさない硫黄によって凝固するなら、銀となる。火性の力をもち、同じく焼き焦がさない純粋な硫黄によって凝固するなら、金となる。硫黄が悪く弱く、水銀が良質の実体をもつなら、硫黄はそれを銅に変える。生ける銀が多孔質で土的で不浄であり、硫黄も不浄で悪臭があり、土的で固定した実体をもつなら、そこから鉄が生じ、これはその後融けない。錫は良質の生ける銀をもち、しかし硫黄は悪く、よく混合されず、いわばよく凝結していないように見える。鉛は、悪く粗大で、味が悪く臭く、力の弱い生ける銀をもつ。ゆえに火の激しさによって絶えず損なわれる。
このように、金属物体は、外来の硫黄、焼き焦がす硫黄、または単純な硫黄を含む仕方に応じて、生ける銀と異なる。こうして、それらの内にどんな力があるかが考察される。硫黄の量が多いのは汚染であり、生ける銀の量が多いのは完全さであると認められる。生ける銀は不燃性で気的だからである。一方、硫黄は燃やし、また燃やされ、常に完全化を妨げる。これらは『気象論』第4巻のアリストテレスについて哲学者たちが述べた言葉を、一語ずつ示したものである。哲学者たちの真理は、いかなる虚偽の内にも見いだされたことがないと信じるべきである。このように行う技術は自然の道に従い、そこから真理を取り出すことができる。作り話も、自然の作業から完全に外れた誤った作業も、信じてはならない。いわれるとおり、「哲学者たちの秘密ではなく虚偽を信じる者は、作業とともに時間と労苦を失う」。
第8章 水銀を起源としない鉱物の形成について
前述のとおり、中間的な鉱物は水銀を起源としない。すなわち直接の水銀を起源とせず、実体が弱い。そのうちには湿り気によって容易に溶ける塩類がある。明礬、カルカントゥム、単純な塩、塩安、岩の硝石、そしてあらゆる種類の塩がこれに当たる。また油性で、湿り気だけでは容易に溶けないものもある。石黄、砒素、硫黄、その他の硫黄的なものがそうである。硫黄類の水性は、熱の沸騰を伴って粘りある土と強く混合され、ついには油性となり、その後、冷たさによって凝固する。一方、アトラメント類は塩と硫黄と石から構成される。それらの内には、そこから生じるある種の融解物の鉱物的な力があると考えられている。カルカントゥムやカルカタルのようなもので、これらはアトラメントの大きい粒から生じる。その硫黄の内にある塩性が一緒に溶けなければ、これらは溶けず、その後、冷たさの中で凝結する。このものは、土の中で自然にある物体から鉱物的な力を受け取る。鉄の力を受け取るものは赤く、または土的になり、カルカタルとなる。銅の力を受け取るものは銅緑またはカルカントゥムとなる。したがって、カルカタルとカルカントゥムという二つのものが、そこから生成することが可能なのである。
注 terra ficosa は原刊で ficosa と読めるが語義が不確実。粘性ある土という文脈に基づく訳。chalcanthum、calcatar、atramentum は歴史的鉱物・礬類の名称を音写し、単一の現代物質への同定を避けた。
以上のものはすべて鉱物的な力を金属と共有してはいるが、それらから技術によって金属物体を造ることはできない。それらは別の自然本性をもち、金属と同じ直接の質料から起源を引いていないからである。しかし、それらを用いて金属を浄化し、溶解し、また偽の形相を導入して人々を誤らせることができるのは否定しない。鉛の黒さや汚れを拭い去ることもできるが、銀のように見えようとも、鉛は常に鉛のままである。さらに別の新しい性質を導入して、銀に見せかけることもできる。同様に、技術者はそれらによって凝結を起こすこともできる。すなわち乾いたものを用いて水銀から湿分を取り出し、水銀が凝固したように見せるのである。しかしこの凝固は最悪のものである。哲学者たちの凝固は、湿分を乾燥させるのではなく、水銀の根本的湿分を消尽することによって、それを凝固させる。
アリストテレスが何というか聞け。「錬金術の技術者たちは、事物の種を変成することはできないと知るべきである。しかし、それに似たものを作り、赤いものを黄色に染め、白いものを赤色に染めて、金または銀に大いに似るまでにすることはできる。錫と銅と水銀を結合して、そこから偽の金を作る人々のように」。このように鉱物による磨き上げは不可能ではなく、熱による蒸散や重量の減少も、こうした操作とは矛盾しない。ただし、真の金と銀とは矛盾する。真の金銀を自然または技術によって生じさせるには、物体を第一質料に還元するほかない。このようにすれば事物の種を変成できる、とアリストテレスは後で付け加える。それは単なる融解によってではなく、凝結した水銀を解くことによって行われる。それ自身の霊を混ぜると、物体は水銀へと変えられる。
注 per minera mineralia は原刊どおりで、minora mineralia(小鉱物)を意図する可能性がある。vapor caloris 以下の統語が圧縮されているため、熱・減量による試験の議論として訳した。
第9章 普通の硫黄、単純な硫黄、および水銀の生成について
すでに硫黄は金属の内で妨げとなると述べたので、今、水銀の生成と硫黄の生成の違いを示す。両者はともに金属の原因となるが、水銀は本質的に、硫黄は偶有的な側面から原因となる。しかもこの硫黄には、生きたものと、焼き焦がすものとの二種類がある。生きた硫黄は金属を生じさせるが、土の粘性による汚染が多いかどうかによって、一方は他方と異なる。しかし金と銀を生じさせる単純な生きた硫黄は、最も純粋な土の乾性から生じる熱く乾いた蒸気にほかならず、その内ではあらゆる点で火が優勢である。これが水銀とともに、金属の元素と呼ばれる。一方、普通の硫黄の生成は水銀の生成と異なる。前述のように、普通の硫黄の水性はきわめて粘りある土性と、沸き立つ熱を伴って混合され、油性になるのである。
このように、もう一方の水銀の生成は、この硫黄の生成と異なる。水銀は、きわめて精妙で白い硫黄的な土と、土が生むきわめて澄んだ水とが、非常に強く混合されて生じるからである。一方を他方から分離できず、ついには平らな表面にも静止せず、触れるものにも付着しなくなる。強い混合のために水性を変える、土の乾性によるのである。ゆえに水銀は、単純な硫黄とともに、すべての展延できるものの元素である。より正確には、いくつかの展延できるものと類似している。それゆえ、それらの生成にはある一致があり、硫黄が水銀と混合され、一方が他方をその自然において変化させる。したがって各金属物体には、硫黄と水銀が明らかに含まれていると認められる。熱を介して融けると、水銀と硫黄の実体が、とりわけ色と、表面に浮かぶ赤い皮膜に現れる。一方の自然に固有なのは、他方への付着である。一方だけでは金属を生成できないからである。硫黄が単純であればあるほど、単純で清浄な水銀を喜んで受け入れ、それに密着し、両者はより強く結合する。その結果、それらからより完全な金属が生成する。
第10章 中間的鉱物を技術によって金属にすることは不可能であること
前章で、小鉱物を技術によって金属にすることはできないと決定した。しかし真実をいっそう明らかにするため、これをさらに強く証明する必要がある。第一に、次のように論じる。小鉱物は金属の第一質料である水銀から生成していない。それらの生成は、水銀の生成と、初めから形相、質料、組成において異なるので、金属になることもできない。一つの種には、その生成するところの第一質料と種子が、一つだけあるからである。前提の第一部分は明らかである。アリストテレスとアヴィセンナから明らかなように、小鉱物は水銀から生成していない。したがって、それらが金属になるには、まず金属の第一質料へ移行しなければならない。しかしこれは技術によってできないので、それらは決して金属にならない。前提の第二部分も、前章で説明したように、十分に明らかである。
同じことについて第二の論証。小鉱物は、技術の出発点である水銀に、技術によってなることができない。したがって中間と終点である金属と染成剤にも到達しない。この帰結は成立する。人間の内の養分は、まず種子に変わらなければ、生成によって人間になることはできず、その種子に同種のものが加えられて初めて、新しい人間が生成するからである。しかし、小鉱物は金属とは異質な自然をもち、何らかの鉱物的な力を共有していても、力が弱く燃焼しうる。したがって金属の自然はそれらを喜んで受け入れず、拒む。自分の自然に属するものは保持する。たとえば、水と土を混ぜれば、互いに分離する。土は重く乾いているので底へ向かい、水は表面へ向かうからである。この二つの自然を、一つの自然の内に結びついたまま存続させるように、技術で結合することは決してできない。水が土を洗い清めることはできるとしてもである。土が水で湿るとしても、土の乾性が技術によって水的な湿に変わると信じることは不可能である。同様に小鉱物は金属に結合して浄化し、ある仕方で新しい形相を導入できるが、金属とともに永続し、その未熟なものを成熟させることは、自然が許さない。
したがって、これほど多様な仕事や偽造術を、人を欺くために持ち出す者は愚かである。彼らが用いるのは、不釣り合いで、自然を与えも受けもしないもの、すなわち胎盤、卵の殻、髪、赤毛の人の血、バシリスク、虫、草、人糞、さらに無数の種類の糞である。最悪のもので最良のものを完成し、それらによって自然の欠陥を補おうとする。しかし彼らは、こうした自然物についても、そのような物の真の質料を、思索によって少しも探究したことがなく、糞をまいて小麦を刈り取ろうとしている。これはまったく不可能に見える。「人は、まいたものを刈り取る」といわれるとおりである。糞をまけば糞を見いだすであろう。ゆえに、そのような糞で誰も完成に至らなくても不思議ではない。彼らも、そのすべての追随者も欺かれているからである。そこで金と銀をまけ。あなたの労苦と自然の仲介によって、それらが実を結ぶように。それはあなたの求めるものをもち、それ自身が求めるものであり、この世の他の何物でもない。他のものはすべて臭く、絶え間ない火と試験によって、その自然が屈服するからである。
また、小鉱物、すなわち四つの霊、たとえば普通の硫黄、砒素、石黄、塩安に取り組む錬金術師もいる。これらから染成剤を完成させようとするが、自然の定義から明らかなように、決してできない。染成するとは、染めるものが染められるものを自分の自然へ変え、いかなる分離もなく自分とともに存続させることでしかないからである。それは、襲いかかる火と戦うことを自然に教え、染めるものと染められるものの自然を一致させる。たとえば金または銀によって鉛、錫、あるいは同様のものを染めるとき、それらの自然は一致する。両者とも水銀を起源とするからである。成熟したものが未熟なものと結合すると、この道において、未熟なものは成熟したものとともに完成する。しかし、前に十分述べたとおり、この四つの霊は金属とは別の自然をもつ。そこで、もしそれらが染めるなら、それらは変える側か、変えられる側か、と私は問う。変えられるなら、前に定義から明らかにしたとおり、それは染成剤ではない。変えるなら、染められるものを自分の自然に変えることになるが、その自然は土的で、金属の自然と反対である。ゆえに染めることによって金属を造ることはできない。染めるものが染められるものを自分の自然に変えることは、生成するものはすべて、おのずから自分に似たものを生成することから証明される。四つの霊の生成する自然は土的なので、自分に似たもの、すなわちそれ自身と同じく土的な質料を生成するであろう。同様に、金属の自然に固有な性質のうちに見いだされない、他のあらゆる愚かな染成剤を、自然と異質な他の道とともに軽んじよ。それらには物の浪費、時間と労苦の損失しかない。小鉱物やその類によって調製されたものは、すべて見かけの金属であって、実在する金属ではないからである。したがって、以前その内になかったものを事物の内に求めるのは愚かである。臭く燃えるものの内に、真の金銀を求めるように。
第11章 普通の硫黄と、哲学者たちの単純で焼き焦がさない硫黄との違いについて
今、哲学者たちの単純で焼き焦がさない硫黄と、普通の硫黄との違いを問わねばならない。哲学者は一般に「硫黄は水銀を凝固させる」という。では、すべての硫黄が水銀を凝固させるのか。否、と答えるべきである。哲学者によれば、普通の硫黄はすべて金属に反するからである。アヴィセンナもいう。「それはわれわれの大術に入らない。そこから生まれたものではなく、どのような技術で調製されても、常に汚し、黒くし、腐敗させるからである」。それは汚れた火そのものである。ゆえに固定されると融解を妨げるが、物体と結合することは不可能ではない。その例は鉄に認められ、鉄には固定した、粗大で不浄な硫黄が含まれていると知られている。また焼成すれば、死んだ粉のような土的実体に戻る。それがどうして他の金属に生命を吹き込めようか。硫黄には、可燃性の実体と土的な滓という二重の余分がある。
注 nec est impossibile corpori coniungi は原刊の否定を保持。論脈に不整合があり、impossibile の前の否定または接頭辞の誤植が疑われるが、原刊正誤表の指示はない。
したがって、これによって普通の硫黄を考察せよ。哲学者たちの硫黄はそうではない。これは単純な生きた火であり、他の死んだ物体を生かし、成熟させ、自然の欠陥を補う。それ自体にあり余る成熟があり、自分の自然において完全で、技術によりいよいよ精製されるからである。それゆえアヴィセンナは再びいう。「このような硫黄は、太陽と月という二つの物体の内にあるものを除けば、地上に見いだされない」。太陽の内では、よりよく熟成され、煮られているので、いっそう完全である。哲学者たちは、これらのより完全な物体から硫黄を取り出し、その性質を技術によってよりよく浄化するにはどうすればよいかを、精妙に思索した。それらが完全に隠しもっていながら以前は現れなかったものを、自然を介した技術によって実現するためである。しかし彼らは、物体を溶解し、第一質料である生ける銀へ還元しなければ、これは決してできないという。それらは初めから生ける銀より作られたからである。これは異質なものを何も混ぜずに行う。異質な自然はわれわれの石を改善せず、近しいもの以外は何もその事物に適合しないからである。それは単純で鉱物的な自然の薬であり、前もって金と銀が溶かされた水銀的な水から生み出される。
注 太陽(Sol)は金、月(Luna)は銀の呼称。
たとえば、単純な水の中で凍った氷について、原文は「雪から*力が作った」と述べる。その氷は熱によって水の中で溶け、最初の水的実体へと戻り、こうして水は、氷の内に隠れていた力によって染められる。しかし氷が熱によって水に解かれなければ、それが置かれている水とは結合せず、氷の内に以前、諸種の側から凝固していた力によって、その水を染めることもない。同様に、物体を水銀によって水銀へと解かなければ、そこから隠れた力、すなわち鉱床で自然の働きにより熟成され、煮られた硫黄を得ることはできない。このように石は一つ、薬も一つであり、哲学者たちによればレービスと呼ばれる。すなわち二つのものから成り、物体と白または赤の霊から成るということである。多くの愚者はこれについて誤り、次の言葉をさまざまに説明した。
注 288頁の ex nive * creavit virtus は画像でもこの形に読め、原刊にアステリスクがあるが、本箇所だけでは構文を確定できない。読める語を残し、訳にも不確実な原文を明示した。
述べられた諸々の形において、レービスこそ最も正しい規範である。
すなわち二つのものという意味である。そしてこの二つのものは一つのもの、すなわち物体と結合した水であり、その水は物体を霊へ、つまり物体が初めにそこから作られた鉱物の水へと溶解する。こうして物体と霊から一つの鉱物の水が生じ、それはエリクシル、すなわち発酵種と呼ばれる。このとき水と霊は一つのものであり、そこから染成剤と、浄化すべきすべての物体の薬が生じるからである。多くの愚者には、これは不可能に見える。したがって、物体と霊の水という一つのものから薬は完成する。それゆえ次の詩句がある。
注 原刊正誤表の289頁15行 mineralem を適用。本文 Mineralens を訂正した。
この術はその謎によって、多くの愚者を欺く。
術が求めるのは、誰もがよく知る一つのもの。
多くのものがこのものを求めるが、それでもこれは一つのもの。
それに似て勝るものはなく、しかも値は安い。
だが軽んじてはならない、驚くべきことを成し遂げるのだから。
あなたはこれを固定し、火の中で馴らさねばならない。
上昇し、再び最も低いところへ向かうように。
取り出したものを、まず十分に適したこのものによって散らせ。
穏やかに抽出し、こうしてできた塊を砕け。
これを急がせず、時の順序に従って行え。
注 原刊正誤表の289頁23行 poscit を適用。本文 pascit を訂正した。韻文の Hanc optant plura rem および Illi non similis prae est は統語が不整で、逐語的意味を優先した。
また別の詩句。粗大な物体が精妙な霊となり、すなわち固定したものが揮発性となり、逆に揮発性のものが固定したものとなることについて。
粗いものもまた、好ましい器の中で滑らかになる。
踏みつけられていても、それは学者たちに愛される。
逆に固定したものとなることについて、別の詩句。
しかしこのものが固定され、火の中で馴らされるとき、
事物の第五実体が、その影によってこれを覆う。
すなわち第二の発酵種である。始めたのと同じように、発酵種を伴って終えよ。蝋状化について別の詩句。これが融けるとき、すべてのものがそれとともに融ける。
すべてを結合し、自らが融ければ、すべてを融かす。
さらにアルベルトゥスに従う多くの詩句が続くので、学ぶ者にはそちらを参照してもらう。このように私は、レービス、エリクシル、薬が何であり、何に由来してそう呼ばれるかを、あなたに説明した。また哲学者たちの水が何であるかも説明した。その水から、後に生きた元素が生じ、逆にそれらが一つとなる。詩句。
一から四が生じ、四は一となる。
これらが秘密である、こうしてあなたは限りなく喜ぶであろう。
こうして哲学者たちによれば、地下で金と銀が造られたもとである硫黄と水銀の自然を、われわれは地上にもつ。以上の言葉から、技術がいかに自然を模倣するかが明らかであり、それ以外の仕方によるのではない。
第12章 白い硫黄と赤い硫黄はいかに月と太陽の内に存在するか
哲学者たちの赤い硫黄は、より多く熟成されて太陽の内にあり、白い硫黄は、より少なく熟成されて月の内にあると述べた。それゆえ哲学者はいう。「黄化とは、完成した熟成にほかならない」。熱は湿ったものに働くと、まず黒さを生じ、乾いたものに働くと白さを生じる。火はその白さを越え、その内に働いて、最も純粋な黄色を生じさせる。これらはすべて、鉛の焼成において観察できる。哲学者はまた、完全な物体の各々がすでに現実に、水銀とともに良質の固有の硫黄を含むという。すなわち金は金的な硫黄を、銀は銀的な硫黄を含む。したがって白い硫黄は、黄色になることで金的なものになる。そこに赤い硫黄、すなわち火の実体があり、この白いものをいっそう熟成したからである。こうして白い硫黄と赤い硫黄の双方が太陽の内に存在する。火の中で生まれたものとして、その最高の完成は火である。ゆえに自然は、自分の火的な自然を親しく喜ぶ。そこで問われる。何か異質なものが、物体の内にこれを生じさせることができるだろうか。自然を介する技術は、単純な作業による、その自然の煮熟と熟成にほかならないからである。たとえば朝起きて、自分の尿が白いのを見ると、私は睡眠が少なすぎたと判断する。そこでまた横になり、眠った後には、尿は黄色になる。これは、自分の内にある自然的な熱の熟成以外のいかなる仕方でも生じない。同じように煮熟し、熟成させ、成熟させ、精妙化することによって、技術を通じて自然に従え。自然は、成熟させられるための自然的な火を、すでに現実に自分の内に含んでいる。他のものはこの火をもたず、与えることもできない。
注 冒頭には原刊のアステリスクがある。尿の色と睡眠の説明は原文の歴史的主張であり、現代の健康判断として用いるべき記述ではない。
一方、月には単純な白い硫黄しかなく、赤いものほど熟成されていない。その内に自然に含まれる熱の作用によって、黒さがまだ除かれていないからである。しかし火の種は覆われ、隠れており、技術においても自然においても、また逆の仕方でも働く。したがって、自然を介する技術が、これをいっそう熟成させ、完成させることは不可能ではない。自然は本来、完成することを求めるが、技術と操作に助けられなければ、自力ではできないからである。ただし、こうした仕事は頑迷な者には到達しないと私は思う。よい作業者は稀にしか見いだされないからである。したがって真の銀と金は、それを染め、劣ったものをよりよく改善する薬と同じほどに、熟成され、煮られなければ生じない。すべての哲学者の意図は、優れたものによって劣ったものを完成させることだからである。愚者はこれを逆に理解し、劣ったものによって優れたものを完成させようと努める。そして物の中に、そこには決してなかったものを、すなわち糞や可燃物の中に金と銀を求める。前述のとおり、人々に真実のように見せるため、これを偽りによって行うのである。
第13章 他の病んだ物体にはこの硫黄がないので、それらの内にこれを求めても益がないこと
他の病んだ物体からも、水銀を染めるための白い、または赤い硫黄を取り出せるか、と問うのはもっともである。私は否と答える。前に述べたとおり、それらの内には、この二つの物体にあるよりも、調和がよく滓の少ない質料はないからである。この二つには染める光線があり、それを染成に用いることができる。しかし他のものでは染められない。それらには悪臭があり可燃性の硫黄が含まれ、この二つにあるような効力ある自然の硫黄はないと、前に述べたからである。あらゆる技術は、従うべき自然があらかじめなければ効力をもたない。ただし、小鉱物を用いて不完全な金属を浄化することはできる。しかし浄化されても、それらの内には金または銀の自然はない。この二つの物体にあるような金的な煮熟または熟成がなく、硫黄もそれほど成熟していないからである。それゆえ、これら未熟なものを成熟したもので助け、成熟させなければならない。したがって、それらは染めるのではなく、染められる。金または銀の染成剤は、それらに釣り合う自然をもつ。それらも金銀とともに水銀を起源とするからである。
これによって、小鉱物が染めることはできないことが明らかである。水銀の点で金銀と一致する不完全な金属物体でさえ、染めることも、金または銀の自然を注ぎ込むこともできないのであれば、自然のどの点でも一致しないものに、それがどうしてできようか。したがって、染める力を内にもつもの以外で染めてはならない。ゆえに金と銀で染めよ。金は金の色と自然を、銀は銀の色と自然を与えるからである。それゆえ他のものはすべて軽んじよ。それらには何の実りもなく、物と時間と労苦の損失しかないからである。
第14章 金が病と他の金属物体を治すこと
注 この章は歴史的医療説の忠実な翻訳であり、列挙された効能が実証されているという意味ではない。金属・水銀・硫黄化合物を治療目的で摂取することを勧める記述ではない。
民衆と、先に述べた哲学者たちの間では、金は最初の状態のままで癩病を治し、その他多くの効力をもつとの評判がある。これは、その熟成が完成しているためにほかならない。金の内で働く火の卓越性が、熱い原因によるものでも冷たい原因によるものでも、病んだ身体にある悪い体液をすべて消尽するからである。しかし銀にはこれができない。それほど多くの火が余剰に備わらず、自然的な成熟によって、それほど熟成され、煮られてもいないからである。それでも銀は、隠れて潜在的に火性をもつが、それほど完全ではない。金の場合のように、火が他の元素的性質にまだ勝っていないからである。したがって、銀は最初の状態のままでは、癩病をそれほど強く治さない。技術によっていっそう熟成され、金の最高の段階と、完全な成熟を備えるに至らなければならない。それゆえ、他の病んだ金属物体は、完全さと成熟の点で金銀と隔たるほど、病を治す力が劣る。あるものは隔たりが小さく、あるものは大きく、それに応じて治す力が劣る。これは、最初に凝固して生じる際の材料である、汚れ、臭く、焼き焦がす硫黄の欠陥による。したがって、それらは治さない。その内の火が元素的な滓で汚れ、焼き焦がし、他の元素的性質を混ぜているからである。
さて、金の治癒力に関する最初の命題に戻ろう。金は最初の状態のままでも、これほどの力をもつと公に述べられている。ならば、経験されているとおり、自然に従う技術の助けによって薬へと変えられ、煮熟による熟成と諸性質の浄化によって、その力が精妙にされたとき、多くの、無数の、あるいはすべての病を治すようになっても、何の不思議があろうか。これは、この最高の業にきわめて熟達した医師、アルナルドゥス・デ・ノヴァ・ヴィラによって明らかである。彼は使徒座の主、インノケンティウス様を、不治の疫病から、この薬によって……*。染められ、技術の助けを通じて自然の業を受けたものは、普通の金や銀ではない。あらゆる種類のすべての病を追い払う多くの有益な効能において、大きな増加がそれらに加えられるからである。
注 295頁 cum hac medicina の後に原刊アステリスクがあり、次行 tinctum との間は統語上欠損している。治療の動詞や次文主語を原文にないまま補わず、訳でも途切れを示した。著者・教皇の逸話は史実確認を加えず原文として訳す。
彼はとりわけ、次の効力を挙げた。老人を若者にし、老いた自然を再び青々とさせ、健康を保ち、衰弱を強め、身体のすべての病を追い払う。毒を心臓からそらし、動脈を潤し、肺から青黒い汚れを解き去り、傷を癒合させ、血を清め、結石を砕き、生命の気に関わる器官の内容物を清める。頭に流下性の体液があれば、その流出を除き、胃を自然的な熱において強める。一か月続いた病なら、一日、または一時間で治す。一年続いた病なら、八日で治す。長年続いて、他の薬では治らない古い病なら、半月で治す。おお、知る者とともに幸いなる学知よ。それゆえ、この薬を医師たちの他のすべての薬にまさって求めるのは、もっともである。これをもつ者は、比べるもののない宝をもち、幸いな星の配置の下に生まれ、この世で富み、この世の王侯を越える無限の富をもつからである。
医師たちのあらゆる薬にまさって、用いる者を健康で長命に保つ、このようなものを愛さない者があろうか。それはその者を富ませ、他人を貧しくしない。これらは神と人々の前に正当な財であり、高利、欺瞞、偽りによる詐取、あるいは多くの人々を欺く商取引によって得たものではない。他の財産の獲得で見られるようなものではない。この技術は神の特別な賜物だからである。「自分の手の労苦によるものを食べるので、あなたは幸いであり、よいことがある」といわれるとおりである。一方、聖アウグスティヌスは、偽造によって人を欺く他のすべての錬金術師にいう。「あなたがたは欺く者であり、破門の判決を負っている。あなたがたの業と元素は偽りであり、悪いからである」。ただし、自然を模倣する技術者は除外され、あるいは救われる。この技術の真理を最高度に理解できる者は少ないとはいえ、この薬の力について先に主題に即して述べたとおりである。
注 アウグスティヌスへの帰属は原文の主張として保持し、実際の著作同定は行っていない。
このように、詐欺師たちは、自分たち自身が書いた書物に従って、糞の中に金と銀を求めている。それなのに、その書物を哲学者たちが書いたと証言する。これは真実によって裏付けられない。哲学者たちは真理を記したからである。ある者がいったように、哲学者たちの真理が虚偽の姿で見いだされたことはなく、彼らは常に自然の運動と方法を模倣する。ところが、あなたがたは自分の錬金術の書物にこう書く。「その臭いに気をつけよ、殺されないように」。見よ、命を与えるはずなのに死をもたらすとは、何という薬か。それが有毒であっても不思議ではない。もともと糞と有毒な処方から調合されているからである。愚者たちよ、あなたがたの業が自然の業といかに異なるかを見よ。そのように働いても達成できない、こうした別の事物に、なぜそれほど疲労するのか。聖ヨハネの場合のように、自然に反して奇跡が起こるのでなければならない。彼は神の力を信頼し、枝から金と銀を、海の砂から宝石を造ったのである。私はあなたがたにいう。薬がどのようなものであるかに応じて、金と銀もそのようなものとなる。あなたがたは糞をまいたので、糞と偽造の見せかけを刈り取るのが見られる。
注 quoniam veritatem posuerunt の主語は明示されず、前後の対比から「哲学者たち」と解した。
兄弟たちよ、真理の道を知らないあなたがたは、その道に戻れ。あなたがた自身のために勧める。賢者たちの言葉を繰り返し思い巡らせて、学び、働け。そこから真理を取り出すことができる。「これかあれを取れ」、つまり「糞を取って糞を作れ」と書いてあるからといって、偶然まかせに、あるいは無謀に作業に取りかかるな。この技術がその高貴さのため、哲学者たちによって隠して伝えられたことを知れ。多くの虚偽を含むあなたがたの書物にあるように、市場で売られたり、売買できたりするものだと思うな。一人が買い、別の者が売る。「私に糞を教えれば、私はおまえに糞を教えよう」。こうして糞まみれの者が他人を糞まみれにし、全世界がいわば糞まみれになっている。他人を富ませようとしながら、あなたがた自身は限りない貧困に陥っている。兄弟たちよ、戻れ。知恵は、あなたがたが自分の書物とともに迷っていることを知っている。哲学者たちの書物を通読し、読んだ後は繰り返せ。繰り返しても理解できないなら、学者や哲学者を非難せず、自分たちの無知にその咎を帰せ。
注 discas mihi は原刊の形を保持し、会話の意味に即して「私に教えれば」とした。merda/stercus/permerdatus の執拗な語調も省略せず訳した。
第15章 この技術で真実なのは二つの個別法のみであり、その第一は水銀にあること
まず、この書が届くすべての読者に、一般的に宣言する。この技術の全体を通じて、哲学者たちと自然に従って個別に完成させるものは、二つの個別法しかない。欺く者たちは無数の偽造、白化、赤化を行い、信じる人々を欺いているが、そうなのである。第一の個別法は、白の作業でも赤の作業でも、完成した薬を施すことなしに、水銀に存する。ただし、水銀を完成させるために用いる物体は、自然が要求するとおりに技術と操作によって動かされれば、個別にその染成力を自分の内に含んでいる。自然において二つの種のそれぞれに個別に完成される第一のものは、次のとおりである。水銀はすべての金属の第一質料であり、白くきわめて硫黄的な土と澄んだ水から構成される。それゆえ土の白さが水の透明さを透かして現れ、経験が教えるように、非常に白い色を呈する。これが未熟である以上、そこから太陽と月が生じることが可能である。それゆえ哲学者はいう。「他の金属物体に混ぜよ。それらは水銀と同じ質料から成り、水銀から生成したからである。したがって技術によって、その物体は熟成した自然を水銀の内に送り込み、水銀をそれらとともに完成させることができる」。
注 particulare は、万能的な薬による普遍法に対する、特定の素材に働く個別の方法として「個別法」とした。冒頭 ad quas praesentes は文法的に不整だが、この書の読者への呼びかけと解した。
こうして水銀は、異質なものを何も混ぜずに、抱き合う金属と同じものとなる。自然は単純に自分の自然を喜び、別の異質な媒介によるのではないからである。すなわち太陽とともには太陽となり、月とともには月となり、金星とともには金星となり、他も同様である。それぞれが水銀の内に自分の力を送り込むからであり、また水銀は、技術によって成熟させられる、良質で未熟な固有の硫黄を含むからである。そのため、硫黄によってすでに凝固し汚染された他の金属は、水銀のように、個別に太陽や月となることができない。第一の理由はこうである。不完全な金属物体を変化させ、太陽と月とに混ぜても、それらの水銀は、その内にもともとあった悪い硫黄をもつであろう。浄化しても、そうした余分が生じる以前の水銀に戻るほどには、なお浄化できず、完全な物体をその内に溶解させることもできない。その内に溶解できず、双方の自然が閉ざされているので、各々は試験において他方から分離する。それは自分の内に隠れて完全な自然をもたないので、その自然によって、技術を介して適切に溶解を完成し、他の完全な物体が、本来自然に完全な自分の自然をもって助けに来るようにすることができないのである。
注 金星(Venus)は銅。後半の統語は複雑で主語が揺れるため、全ての節を保持して訳した。
第二の理由。溶かさずに完全な物体に加えるなら、金銀になることはいっそうできない。双方の自然は、自然的な凝結によって閉ざされており、その自然を開く媒介がないからである。一つの力が他の力と自然的な結合によって結びついたり、その内に送り込まれたりすることもなく、双方の起源である水銀へと戻れない。そのため火の激しさによって互いに分離する。すなわち、よく見られるように、不完全な自然は燃え、完全な自然は抵抗することによってである。しかし結合したいなら、水銀を介在させよ。水銀は諸々の自然を溶かして開き、一方が単純に他方へ移り、完全な力を不完全なものへ送り込み、自分とともに完成させられるようにする。これらが個別の道の作業であり、これによって金銀を造ることができるが、普遍的に造ることはできない。
注意せよ。生の水銀は物体を溶かして第一質料に戻すが、物体の水銀にはこれができない。これは生の水銀の硫黄の未熟さによる。その硫黄は、最初に澄んだ水とともに水銀を成した、もとの白い土が含んでいたものである。この未熟なものは常に、自分の自然に最も近いものを侵食しようとする。第一に金、第二に銀、その他も同様である。一方、物体の水銀には同じことができない。以前その内にあった生の硫黄は、凝結によって自然が変わり、最初のもののようには侵食せず、閉ざされたものを開かないからである。したがって一つの力は他の力へ送り込まれず、各々はそれ自体のままにとどまる。融け合って結合してはいるが、次に、自然としては双方とも閉ざされている。それゆえ試験において、火の激しさによって不完全なものは燃える。一方の自然が他方を助けられないからである。しかし生の水銀はこれを、すなわち閉ざされた自然を開くことを行い、各々のものが、その自然に近いものを助けるようにできる。したがって銀を溶かせば銀の自然を見いだし、金を溶かせば金の自然を見いだし、鉛なら鉛の自然を見いだす。他も同様である。哲学者がいうとおり、水銀はそれらの硫黄によって凝結し、それらに似たものとなる。自分の自然を共有するこれらの不完全な物体でさえ水銀を完成させられないなら、あなたが多くの糞の中に求めるような、水銀の自然に属さず、鉱物的な力も共有しないものには、なおさらできない。それゆえ、聞いたとおり、水銀から個別に銀と金を生じさせることはできるが、他の物体ではできない。
注 secundo naturaliter は原刊の形を保持し、逐語的に「次に、自然としては」とした。confluctualiter は融けた状態で混じることと解した。
注意せよ。物体を水銀へ溶解することには二つの仕方がある。すなわち、水銀によって水銀にすることと、水銀的な水にすることである。第一の溶解は個別法に、第二の溶解は普遍法に必要である。物体を水銀にする第一の溶解は、凝結したものを解くことにほかならない。一方の自然を他方の内に入れるため、溶解だけによって閉ざされたものを開くのであり、これは個別法における分解である。第二の溶解は水銀的な水にするもので、普遍法に属する。これは未熟な硫黄を水銀の内に単に溶かすだけではなく、熱く湿った状態で、物体と霊を腐敗させることによって行われる。互いに結ばれたすべての事物の自然にとって、腐敗は解体と分離であり、こうして互いに結ばれた部分が分けられ、各部分は他の部分から離れる。これは水銀の生成において結びついた元素、すなわち水と土の分解によって起こる。同じ部分は、その自然において浄化されると、転換によって結合し、清められたために、以前よりも互いを愛する。ただし、霊によらなければ、物体の内にこの分離を起こすことはできない。このように技術は、ある一つの点で自然を越える。自然によるものが以前には長い時間をかけて造られたのに、技術によるものは速やかに造られるからである。
これらが雲の水などのような、普通の元素だと信じてはならない。湿ったものが水、冷たいものが土、熱いものが気、乾いたものが火なのである。元素から成る事物の自然において、元素はこのように存在する。技術は、部分を自然的に分離して、元のままの単純な元素へ変成させることは決してできない。自然が最初に、一つの性質を他の性質へ変えたからである。しかし、湿を乾から、冷を熱から分けるような仕方では、技術はよく分離できる。それでも一つの性質は、自然的な混合に由来して、他の性質の自然を、なお幾分か保持している。このため部分は、分割されたのと逆に、再び結合できる。もし一つの性質が他の性質の自然を共有していなければ、すなわち水が冷たさにおいて土の自然を、気が湿り気において水の自然を共有せず、他も同様であれば、自然の業が完全に破壊されたという帰結になる。元素は、水銀の生成以前にそうであったような、単純なものになるからである。技術は、頭すなわち金と銀から始めて、最初のものすなわち生ける銀に至り、さらにこれらの原理を越えて、水銀が生成する前のような単純な元素にまで、自然を破壊したことになる。しかし技術でそこまで遡ることは不可能である。
注 原刊正誤表の302頁7行 separare を適用。本文 separari を訂正した。
もしそれが可能なら、技術は再び第一質料、すなわち金属の水銀の外から元素を組み合わせ、破壊したのとは逆に水銀を生成することになる。しかしそれを技術によって行うことは不可能である。それでも技術は、頭から足、すなわち水銀に至るまで壊し、足から頭へと建て直して、自然的実体を以前よりも精妙な形にすることは、よくできる。このように事物の種は、以前とは別の形相へ変成されるとき、分かたれる。アリストテレスはいう。「錬金術の技術者たちは、事物の種を変成することはできないと知るべきである」。これは、彼自身が確認するとおり、第一質料、すなわち生ける銀に転換しない限り、真実である。これを越えることは私は勧めない。それは実現不可能だからである。
第16章 月にある第二の個別法について
先に述べたとおり、月は金と同じく、自分の内に白い硫黄を含み、その内の火の種が白さの下に覆われている。そのため哲学者がいうように、すべての銀は金となることができる。「以前に銀でなかった金はない」。このように銀は、未熟な性質をいくらか含んでいる。それらを銀から浄化して取り除けば、技術によって個別に固定した水銀へ、すなわち金の自然に最も近いものへ移ることができる。このとき銀は、金が含むものをすべて自分の内に含むからである。哲学者たちの赤い硫黄を加えることによって、さらに熟成され、完全な物体との結合において黄化が生じる。両者は端的に同一の自然に属するからである。しかし他の物体では、これは不可能である。それらは銀ほど完全な自然に近くない。生成の際に可燃性で悪臭のある硫黄による妨げを受け、哲学者がいう中間でもないからである。「一方の極端から他方の極端への移行は、中間によらずには起こらない」。すなわち、水銀から金が生成するには、先に銀でなければならない。他の物体は、まったく焼き焦がさない火の硫黄を内にもたず、焼き焦がす硫黄をもつ。そのため個別に固定した水銀に変えることはできない。火による試験のたびに、前述の硫黄がそれらを燃やすからである。こうしてあなたは、個別に金銀が生じうる仕方の理由を得た。
第17章 偽りの個別法について
アリストテレスはいう。「錬金術の技術者たちは、事物の種を変成することはできないと知るべきである。しかし、それに似たものを作り、赤いものを黄色に染めて金に見せ、白いものを染めて金や銀に大いに似せることはできる。また鉛や他の物体の汚れを拭い去り、金銀に見せることもできる。しかし鉛は常に鉛のままである。前述のように、自分の内に金銀をもたないからである」。塩安や他の小鉱物を取り、人々を誤らせようとする者たちのように、彼らは偽の金銀を造る。実際、錫と銅を水銀に結合して、人々には銀のように見せ、ある程度加工でき、火で試験もできるようにする。火による経験があるという彼ら自身の言によればそうであるが、彼らはその点でも、自然の試験においても欺かれている。可燃性で臭いものは、その本来のあり方において、真の銀の自然を内にもっていない。その色と試験にある程度現れるとおりである。第一の理由は次のとおりである。
銅はある程度清浄な水銀を内に含むが、硫黄の内に欠陥がある。臭く可燃性の硫黄をもち、それが燃焼しうるかぎり燃やすからである。銅の赤さは、熟成によるのではなく、赤く不浄な硫黄による。それでも水銀は、硫黄にまさって実体を占めるので、鉛や錫よりも火の中で損なわれるのが遅い。混ぜられた硫黄から害を受ける範囲を除けば、水銀が抵抗するからである。鉛によって銅がより早く燃えるのは、鉛の不完全な水銀による。鉛のように、汚れた硫黄とともにある汚れた水銀は、自分の不完全さに近いものを求めるからである。銀と銅が混じっているとき、銀の内には銅にあるような汚れたものを見いださず、銅の内にまず焼き焦がす硫黄を見いだして、それにいっそう早く混じる。全体が混合されると、銅の水銀はさらに汚染される。鉛は水銀と硫黄の双方において汚れているからである。そして、より悪いものは、よいものより悪いものに早く付着する。より大きな悪が悪に密着するほど、それは弱く、悪くなる。したがって鉛は銀よりも銅に早く密着し、これを汚して燃やす。聞いたとおり、銅と銀の自然は双方とも閉ざされ、劣ったものを助けることができないからである。そのため、融けた状態で結合していた銀から、銅が燃やされて除かれる。自然としては、両者の自然はともに閉ざされている。このように鉛が銅を燃やして銀から分けるが、鉛がなければその分離は遅い。燃やされれば燃やされるほど、それは弱くなり、燃えやすくなるからである。
注 原刊正誤表の305頁17行 sulphuris infectum. Et plus malum citius を適用し、文区切りを訂正した。ab argento はここでは銀を作用主とせず、銀からの分離として訳した。
しかし、錫を銅および水銀と結合するとき、水銀は閉ざされた自然をある程度開き、錫と銅という二つを結びつける。両者はともに、ある程度清浄な水銀と、弱く混合された悪い硫黄をもつので、水銀が水銀と結びつく。水銀は硫黄の力を掌握し、硫黄の内に存する銅の色を変えて、新しい形相を現す。すると硫黄は、水銀を加える前ほど早くは燃やされなくなる。生の水銀はそれらによって凝固し、それらとともに自然が変わり、ある程度は銀のように見える。しかし真の銀ではない。その内には必要な熟成と煮熟が行われておらず、硫黄も、生ける銀そのものほど単純で効力ある自然ではないからである。金と銀は、自分の水銀と硫黄の双方において十分に熟成され、よい成熟をもち、あらゆる熟成において完全なのである。
このように錫、銅、水銀から偽の銀が得られる。そのとき小鉱物の粉をいくらか混ぜれば、硫黄をさらに弱めるであろう。そのため水銀が自然的な力を越えて働くことも、不可能ではないであろう。しかし最後には必ず減耗し、火の中で燃やされる。硫黄は水銀そのもののような効力ある自然ではなく、常に隠れて水銀を燃やし、汚すからである。水銀が十分に与えられていても、やがて元が糞であったとおり、糞へ戻る。このように、真の金銀が偽の金銀といかに異なるかを理解せよ。他の金属に中間的鉱物またはその一部を加え、赤の作業でも白の作業でも、同じように多くの偽造が行われるとしてもである。作業する者自身も、見かけによってよいものと思い、欺かれている。これは金属の自然を知らない、彼らの無知によるのである。
第18章 普遍の道についての総論
この技術の序論と個別法を論じ終えたので、今、技術が自然を模倣する普遍の道について述べよう。先に聞いたとおり、普遍の道においては、金属の自然に枝を植え、そこに驚くべき香りの花や、白と赤の小さな薔薇を咲かせることが可能である。最初の着手は、石をその第一質料へ溶解することである。それは物体と霊の結合であり、それらから一つの水銀的な水が生じるようにすることである。ゆえにアヴィセンナはいう。「最初の着手は、石をその水銀へ溶解することである」。哲学者ラーシスもいう。「物体を溶かさなければ、あなたの労苦は空しい」。すなわち白いエリクシルには銀と水銀、赤いエリクシルには金と水銀である。これは湿った浴で、腐敗を目的として行い、水銀的な水の粘性によって物体を溶かす。それゆえパルメニデスはいう。「初めからともにあった、永続する水が一つに結び合わされると、その後、元素の分割と浄化が続く」。それゆえアルベルトゥス・マグヌスはいう。
一から四が生じ、四は一となる。
すなわち、水銀的な水からである。第三は土の浄化であり、哲学者モリエヌスはこれについていう。「この水は自分の土とともに腐敗し、これによって大術全体が導かれる」。それゆえ哲学者ラーシスはいう。「乾を湿に結びつけよ。湿は水であり、乾は土である」。次に土の昇華が続く。哲学者パルメニデスはこれについていう。「白くなった土を、速やかに火によって昇華させよ。その内に見いだす霊が出て行き、土が焼成されて残るように」。この土について、哲学者パルメニデスとモリエヌスはいう。「このように、底にある灰を軽んじるな。それはあなたの物体の王冠であり、永続するものの灰だからである」。こうして四元素は、先に理解したとおりに調製される。清める前に、それらを結合してはならない。汚れのために分離するからである。アスカニウスのいうとおり、「霊は、自分の汚れを完全に脱ぎ捨てるまでは、物体に結合しない」。
注 原刊の Ipsam dealbatum は性の一致が不整だが、二つの画像で確認して保持した。訳では指示対象を土と解した。
そして元素が白いか赤いかに応じて、白い発酵種と赤い発酵種を結合する。白ければ火が必要である。赤ければ、元素は火によって赤化される。火がそれらを熟成させ、成熟させ、固め、結合の際に水の汚れを吸収するためである。四元素の力を釣り合うようにもたせよ。すなわち土の冷と乾、水の冷と湿、気の湿と熱、火の熱と乾である。火と土は両端の元素、水と気は中間の元素である。それらを適切で正しい重量によって結合し、以前よりも互いを愛するようにせよ。まず土を水と、次に気を火と結合せよ。このように諸々の自然を転換すれば、求めるものを見いだすであろう。そのとき土は溶解に適し、水は浄化に有効であり、霊を運ぶ油または気は混合に、火は染成に役立つ。このように、発酵種を加えると、物体は霊を保持し、霊は魂を保持する。
終わり
『小薔薇園』
続いて、錬金術についての別の小論を掲げる。きわめて有用で、金属についての知識を豊かに含み、『小薔薇園』と題される。著者は不詳であるが、これらの事柄に通じていない人物ではない。
注 標題の著者評価は原刊の記述。ギリシア語 περὶ χημείας は「錬金術について」。
序文
錬金術と著者の論じ方についての謎。第1節
『薔薇園』と呼ばれる書の著者はこう語る。私は、さまざまな生き物の株を見ようと、自分の庭へ下りていった。わが薔薇園の他の花々の中に、雪のような、すなわち白い薔薇と、血のような、すなわち赤さに飾られた薔薇を見つけ、最も美しいものを選んだ。そして、ザクロが芽を出していなかったため、それらが少なく、まばらであるのを見た。そこで私は声を上げて言った。「戻れ、戻れ、庭師よ。戻って、わが薔薇園を増やせ。庭全体に殖やし、あるいは新たに造り、植えよ。庭が輝く白と赤の薔薇で飾られるように、余分なものを取り除いて捨て、有用で必要なものに心を尽くせ」。庭師は薔薇の株を分け、植え替え、二倍、三倍、四倍と増やし、このように次々と殖やして、完全な白さへ、さらに完全な赤さへ至らせた。しかしこれはすべて株の増殖によって行われ、私は満足した。ところが彼は、まだ十分ではないと示唆していた。それでも、このことについて知りうるすべてを、私に余すところなく示した。
注 310頁3行は原刊正誤表に従い plantarum とした。薔薇園と庭師は以後の錬金術的操作を表す寓意。
彼はしかるべき時に、白と赤の薔薇をそれぞれの土へ置き、自分の土、つまりそれらが生じてきた固有の土の中で育つに任せた。そして翌年の最初の年に、一株が生じ、毎年百万の薔薇を産み出した。見よ、いまや私の庭は薔薇の株で満ち、私にも、毎年入ってくるすべての人にも十分な薔薇を生み出している。それゆえ私は神を讃え、庭師に心から感謝する。他の書より優れ、理由なく『薔薇園』と名づけられたのではないこの書に、私が見、真実だと確かめたすべてを、理解ある者、賢い者、ふさわしい術者に向けて完全に記そう。庭師の仲介によって門からこの薔薇園へ入る者は、薔薇を分けてもらうだけでなく、白または赤の薔薇園で働くすべての者の術を見ることになる。その結果、この技法が隠されているように見える場合も、明示されている場合も、この事柄に関するあらゆる書の意図を見分ける判断力を得るだろう。
というのも、この書では真理はまったく裸であると同時に、衣をまとってもいるからである。鉱物の、より近縁な本性を知り、見分ける者には裸である。しかし、妬みからこの術を曖昧にする師たちの文章だけに従い、植物や動物の、より遠い、それどころか不可能な本性の中で労する愚者には、衣をまとっている。私はあなたがたに、完全な真理と、確実で、真実で、欠けるところのない操作を、何らの逸脱もなく書き記すのである。
警告。二種類の惑わす者を避けること、また、この術が固定された水銀に存すること。第2節
しかし、まことに、まことに、私の後には多くの偽哲学者が現れ、作業する人々を惑わすだろう。この知を覆い隠す彼らの種類は、私には二つしか見当たらない。第一はこの術を知らず、詭計を弄する者である。第二は知識をもつが、妬み深い哲学者である。第一の者は、自分の欺瞞と偽術を保証するような人を欺く書を作り、その冒頭に良き哲学者たちの名を掲げて、正しい術と完全なエリクシルをもつように見せる。さらに人々から信用されようとして、白い石や赤い石の粉を持ち歩き、金や銀を扱う。だが、その書を試して後を追う者は、操作に失敗する。
第二の者はひたすら妬み深く、人々をできるかぎり真の道から遠ざけるため、真理からいっそう遠い事柄について書を著す。そして、愚かな者にはきわめて確実に見える理屈だけで、自説を証明しようと努める。この者は術を草や植物の実、その他多くの無関係で遠い植物性物質に置く。あるいは私たちに真の術を残しているように見せるため、いっそう哲学的に語り、哲学的質料である四元素に基礎を置き、それらを植物や動物など多くのもの、さらに他の無関係なものから抽出する。すなわち、卵、毛髪、血、糞、尿、精液、ヒキガエルなど、多くのものからである。彼らの書が示し、述べているとおりだ。あるいは一つを別のものの代わりに、比喩によって、または文字どおりに置き、この術全体を、前述の原理か、あるいは遠い鉱物性の中間物に置く。たとえばアトラメントゥム、ホウ砂塩、明礬、マルカシタ、マグネシア、トゥティア、そのほか多くの鉱物である。
注 atramentum、marcasita、magnesia、tutia は当時の物質名。現代の特定の化合物に一律に同定しない。
前述のものは、時には作業を速め、清め、または色を増す助けになる。しかし、それらを完全な哲学的質料として置く者は、やはり妬み深いのである。こうして彼らは術を明かしたり、また覆い隠したりして愚者を惑わし、術を軽んじさせる。あるいは真の質料と鉱物的本性を選んでいても、さまざまな架空の、不可能な、または不適切な操作によって、愚者が完成に至るのを妨げる。ああ、前述のように至る所で錬金術を身につけようとする初心者たちよ。火の燃焼によってすぐに壊され、灰にされるものから、良いもの、良く真実な変成を期待できると考えるのか。硫黄と雄黄はたちまち燃え、火の燃焼によってすぐ消耗すると言われていないか。しかしアゾートはつねに、より長く燃えずにとどまる。金属の中で完全なものは、前述のとおり、固定された水銀である。
注 azot はこの文脈の錬金術的物質名「アゾート」として保持し、現代語の窒素とはしない。
同じく、固定された水銀が完成させること。操作と本書を二部に分けること。第3節
私はすでに明瞭に、正しい真理に即して、金属の欠陥とは、固定され純粋な水銀の不足であると証明した。この術で完成のために選ばれるものはすべて、それを目的とする。それゆえ完成は水銀そのものにあり、他の何かにあるのではない。このことを知り、忘れ去るな。どこで水銀を見つけても、それを大いなる石として扱え。それに似たものはなく、それが行うことを他のものは行えない。それが整えられていれば整え、固定されていれば固定し、液体なら溶かし、濃ければ凝固させ、染められていれば染める。純粋さではあらゆる物体に勝っているからだ。そして火の苦しみに耐えうる者は、水銀と、その凝結した硫黄から、きわめて優れたエリクシルを作るだろう。生きたものも死んだものも用いられるが、つねに純粋なもの、すなわち生きたものを選ばねばならない。これから多くの操作が生じ、それらは二つに分けられる。第一は補助を伴って行う。第二はそれだけから行うが、自然は自らの硫黄を伴って進む。私は二つの章で、この二通りの操作を完全に述べ尽くそう。そして、私が試し、行い、または見たことをすべて記す。いま哲学者たちの言葉から採るのは、私の言葉を裏づけるものだけである。私は真実を語り、妬みから自由になったからだ。それゆえ、望む者は私の言葉を理解するがよい。
第一章
錬金術の操作について述べる事柄の予告と区分。第1節
第一章では、神の助け等によって質料から生じるすべての操作を述べる。この書にはいかなる偽術も入れず、つねに完成へ導く操作法を示そう。補助するものは実に多い。簡潔に言えば、焼成の補助とは次のものである。まず物体について述べよう。
注 corpora はここでは主に金属体、spiritus は揮発性の「精気」を指す歴史的術語。
土星と木星の焼成について。第2節
注 金属の惑星名は、土星=鉛、木星=錫、金星=銅、火星=鉄、太陽=金、月=銀。寓意の区別を保つため原名に即して訳す。
土星と木星は、まず火の助けと術者の工夫によって焼成される。その固定性を超えない火で、丈夫な土器の中で、鉄の棒で動かしながら、灰になるまで行う。灰には、清める刺激性の水を染み込ませる。赤いもののためには、浄化した人尿、血の水、または赤い酢が役立つ。白いものには、白い酢、普通の塩と明礬の水、その他多くの酸味の強いものが役立つ。浸潤の後、火または日光で乾かし、白い、あるいは赤い焼成粉になるまで続ける。また塩類の助けで焼成でき、その焼成は良い。さらに礬類やその他の刺激性物質の助けでも行える。硫黄または雄黄の助けでも焼成でき、これはより良い。しかし最良なのは水銀を用いる次の方法である。まずアマルガムにし、すり、刺激性物質で洗って完全に整える。続いて、すりながら刺激性の塩、明礬類、その他の酸味の強いものと混ぜ、乾かして腐食させ、その後、洗浄によって塩気を取り除く。ただし水銀は、乾かす前に、塩とともに昇華によって取り除いておく。すると、それ以上良くなりえない白い焼成粉が残る。一般則を教えよう。木星はどのように火で焼成しても白い焼成粉になり、土星は、刺激性物質で白くされた場合を除き、つねに赤いものになる。
注 314頁22行 amalgamentur、26行 erodantur は原刊正誤表による。calx は原則「焼成粉」と訳し、現代の石灰に限定しない。これらは歴史的記述であり、実施を推奨する処方ではない。
金星と火星の焼成について。第3節
金星と火星は火の助けで焼成される。まず反射炉にそれらの鑢屑を入れると、炎の反射によって焼成され、火星からは「鉄のセメント」と呼ばれる鉄のクロクスができる。金星からは単なる焼銅、すなわちカルコス・ケカウメノスができる。また、加熱して刺激性液に急冷することでも焼成され、完全に鱗片になるまで続ける。これは木星と土星がその鉱滓を取り除くことで焼成されるのと同じである。次に焼成粉を刺激性のものと塩辛いものに浸し、赤く清らかになるまで行う。金星の焼成粉も火星の焼成粉も白くすることができる。また、それらの薄板や鑢屑に硫黄と雄黄を混ぜて焼成でき、さらに塩類、明礬類、その他の腐食剤でも行える。焼成粉は洗浄と乾燥によって、望みどおりになるまで調製する。加熱して水銀の中で急冷しても、きわめてよく焼成できる。毎回の急冷で削り落とせるものを小刀で削り、望みどおりになるまで作業を繰り返す。洗浄と、塩を伴う乾燥と、水銀の除去によって調製すれば、最良の焼成粉ができる。物体の焼成粉は火で焼成しなければ固定されないことを知れ。こう言うのは、どの物体も刺激性物質の蒸気の上で、あるいは刺激性物質とともに焼成できるからである。しかし物体のより良い焼成は、水銀を用いて行われる。
注 ギリシア語句はラテン語 aes ustum と同義の「焼銅」。
太陽と月の焼成について。第4節
太陽と月は、金星と火星と同じように焼成される。しかし、より良く、最良なのは、水銀とアマルガムにし、洗浄し、乾燥させる方法、またはすでに述べたように昇華によって水銀を取り除く方法である。一方、精気はあらかじめ固定されていなければ焼成できない。
注 316頁6行は原刊正誤表に従い sint fixi とした。
他の物質と混合物の焼成について。第5節
他にも多くのものが、それらから染成力を抽出し、その部分を微細にして清めるために焼成される。そして、それぞれの物体は単独でも焼成されるが、いくつかを合わせて一緒に焼成すれば、驚くべき効力の焼成粉になることを知れ。このことを忘れず、試し、最良のものを保て。これらについてはこれで十分である。
注 tinctura は単なる着色に限らず金属を変成させる原理を含むため、主に「染成力」または文脈に応じ「染成物」と訳す。
精気の昇華について。第6節
精気も鉱物性の中間物も、補助を伴って昇華される。精気は塩類、アトラメントゥム類、明礬類、物体、またはそれらの混合物から昇華される。昇華は染成力を浄化し固定するために行われることに注意せよ。精気を汚れたものとともに昇華すれば、精気も汚れる。付着するものとともに行えば、精気はいっそう固定され、染成力とともに下方に残る。これが私たちの求めるものである。それゆえ、あらかじめ刺激性のものと洗浄によって、または不純物を純粋なものから一度分離することによって、清めねばならない。このことをよく考えよ。その手段は秘密だからである。清めた精気を、物体の純粋な焼成粉とともに、固定されるまで昇華せよ。そうすれば、私が真実を述べたことがわかるだろう。
不完全な物体の昇華について。第7節
物体は火の助けにより、すなわち火で押し出すことによって昇華される。これは、清らかに調整された質料を得るために行う。揮発しすぎるものと不純な土性は昇華によって分けられ、先に述べたように、私たちの求める、調整された実体が残るからである。また、上昇させるもの、すなわち硫黄、雄黄、水銀、その他の精気とともにも昇華される。これは固定されていない物体、たとえば木星と土星について言っている。それらは滓や何か別のものを伴わずに昇華でき、また前述のもののどれとでも昇華できる。金星と火星も、前述のものとともに昇華される。
完全な物体の昇華について。第8節
とりわけ注意すべきは、固定された物体、すなわち太陽と月も昇華できることである。それらを上昇させる目的は、硫黄、雄黄、または水銀によって浄化することにある。これらは反復によっていっそう速く上昇させ、いっそう速く固定させる。これは奥深い秘密であり、私は確実なこととして述べるが、ほとんどすべての人は隠している。それでも私は言おう。物体は上昇する際に非物体となり、非物体は下降する際に物体とならねばならない。物体から精気を作り、逆に精気から物体を作るのは、最大の技である。しかし、揮発するものの総量が固定されたものの総量を上回れば、ついには白または赤の精気的物体に帰着するのは真実である。私は本当に妬み深くない。すべてを裸にして示したからだ。
固定について。第9節
揮発するものはすべて、火の助け、すなわち日々の煮熟によって清められると固定される。これが私の秘密である。あるいは、何らかの固定されたものの助けによっても固定される。つまり、昇華のところで十分明瞭に述べたように、浸潤と、前述の操作の反復によるのである。これは私の大きな秘密の一つである。物体もまた、先に示したように、火だけで焼成し、または煮熟することによって固定される。
蒸留について。第10節
この作業を助けるために、多くのものが蒸留される。緑礬またはローマ礬、硝石、羽毛状明礬から水が蒸留され、これはこの作業の補助にきわめて役立つ。この水によって、生の物体も焼成された物体もすべて、また焼成された、あるいは固定された精気も、驚くほど見事に溶解するからである。塩類、アトラメントゥム類、明礬類、その他多くの鉱物性、植物性、動物性物質からも、数多くの水と油が蒸留される。この術を論じる哲学者の書に見いだされるとおりである。
注 318頁11行は原刊正誤表に従い petrae とした。物質名は原刊の歴史的呼称に従う。
溶解について。第11節
すべての物体と精気は、上述の腐食性の水の助け、またはさまざまな方法で作られる他の腐食性の水によって溶かされる。こうしたことは多くの哲学者の書に、十分真実に、明瞭に記されているので、この『薔薇園』で論じることは差し控えてよいだろう。しかし友よ、覚えておくがよい。より良い溶解は、火の中で、糞の熱の中で、また、生きた水銀と生命の水によって行われる。水銀が洗われたときにはそうなるが、最初には毒、あるいは死をもたらすものと呼ばれる。
注 末文の dum ablutus est は男性形のため Mercurius を受けるものとして訳した。aqua vitae は文脈上の術語で、特定の近代的溶媒と同定しない。
蝋化について。第12節
焼成された物体は、溶解した物体によって蝋化される。すなわち、染み込ませて蝋状にするのである。物体への浸潤には多くの方法があるが、より良いのは水銀によるもの、つまり水銀が浄化された生きた水であるときの方法である。また、より良い蝋化は、生きたアゾートと石鹸の滴によって行われる。物体が水銀に還元されたとき、その物体の水は血と呼ばれる。どのような方法で何かを油とともに蝋化しても、油があらかじめ固定され、不燃性になっていなければ、何の役にも立たない。そしてこの油は、固定された金属からしか得られない。このきわめて優れた秘密、哲学者たちの間でとくに尊ばれていることを知れ。
注 ceratio/inceratio は材料を蝋のように軟化・融解しやすくする操作を表す歴史的術語として「蝋化」とした。
凝固について。第13節
溶解したものはすべて、火の助けによって、固く閉じた器の中で凝固される。しかし、この秘密を私から受け取れ。完全に凝固したものとは、適切な加熱で流れ、しかも火の試験を耐え待つものである。そうでなければ作業を繰り返せ。主の許しがあれば、反復によって目的に達するだろう。
白を得る個別的方法の総論。第14節
見よ、私はこの術の仕事で労力を減らし、自然を助けるための、真実で必要な操作をすべて総論として述べた。いま十分に説明するため、この章で、より良い特殊な方法、個別的方法を解き明かそう。まず物体をどのように増殖させるか、その後に時間と労力の短縮と、エリクシルについて述べる。白が先行しなければ、真の赤は決して生じえない。それゆえ、完全な月を作るため、白い薔薇を増殖させる次の方法を授ける。まず月の物体を、先に述べた焼成によって乾燥させねばならない。これは、月を増殖させようとする相手の湿り気が、分離することなく、より根源的に、強固に付着するためである。次に、作業に用いる別の固定されていない物体を焼成する。それが月によって固定されるためである。それらの中の揮発性のものは火の焼成によって飛び去り、白く清らかな土が残る。同じ焼成によって、物体から粘着性の油性と汚れも除かれ、元の状態に戻され、物体を焼かず黒くもしない清らかな土が残る。次に「溶解」の節で示したように、月の焼成粉を清らかで透明な水に溶かせ。続いて、任意の物体の白い焼成粉を同様に溶かし、水同士を合わせ、よく混じった水を凝結させて白い塊にし、凝結の終わりにボトゥスを通して下降させよ。
注 azyma/azymus の原義は「無発酵の」。本書では赤に対置される白い段階を表すため、文脈に応じ「白い」と訳した。botum は下降操作に使う器具・容器を指す歴史的名称として音写した。
さらに良い方法は、私があらゆる点で試した次のものである。私は固定された物体を一部、固定されていないものを三部取った。また、溶解した月の焼成粉と、固定されていない物体の水を取り、この水を再び合わせた。合わせたものを、あらかじめ述べた最初の塊を再び焼成して溶かしたものと配合した。こうして最初の一部と、それに属する三部が増殖した。その全体を凝結させ、二度目の下降を行わせた。この作業を十五回繰り返した。神はどこにも、これより良い月を造りはしなかった。私はそれを金よりも貴重なものと考えた。
私はまた、もっと容易な別の方法も見いだした。すなわち、固定されていない物体の焼成粉に月の焼成粉の水を染み込ませ、大理石の上ですり、あるいは蝋化し、よく乾かして下降させるのである。二度目には、固定されていないものの新しい焼成粉に、新しい月の焼成粉を溶かしたものを染み込ませ、最初の塊の焼成粉を加える。つまり、こちらを一部、他方を三部とし、乾燥と下降を行って、十五回繰り返す。こうして私は、天然のものよりはるかに良い月に至った。そのため、さらにずっと容易な別の方法も試した。焼成した月を水に溶かし、その水を固定されていない物体の焼成粉に染み込ませ、すり、乾かし、下降させるのである。私はまた新しい質料でこの作業を繰り返し、それが乾いたとき、新しく乾かしたもの三部に、先に生じた塊一部を加えた。ただし反復は一度も省かず、十五回目に、天然のものと同等の良い月を見いだした。さらに良いものを望む者は、十回ほどの反復を加えて先へ進むこともできる。とはいえ、金属の作業は繰り返せば繰り返すほど良い。そして、前述の溶解は腐食性の水できわめてよく行えるが、つねにより良い溶解は水銀を用いるものであると知れ。このことを知れ。ああ、水銀とアマルガムになった物体から、何と多くの良いものが生じることか。以上は総論として述べた。今度はそれぞれの物体を個別に論じよう。
白を得る個別的方法の各論。第15節
月一部と火星五部または六部を取り、前述のように、一緒にボトゥスを通して下降させよ。良い月が得られる。月一部と、金星二部または月と同量を取り、前述のように一緒にボトゥスを通して下降させよ。良い月が得られる。月一部と土星三部を取り、前述の方法で一緒にボトゥスを通して下降させよ。さらに良い月が得られる。月一部と木星三部を取り、前に述べたように、これらを一緒にボトゥスを通して下降させよ。すると最良の月となり、どのような試験でも永続的に天然のものに匹敵する。私の言葉が真実であるなら、私が語ったことのために、私の魂を心に留めてほしい。
また、水銀とのアマルガム化によっても、別の優れた操作を行える。乾燥した月を、等量の水銀とアマルガムにせよ。ただし水銀、または火星のアマルガムの量は二倍とする。そして後者六部を、最初のもの一部と合わせ、アマルガム化した全体を一緒に煮熟して、水銀が分離するまで行い、下降させよ。この作業を十五回繰り返せば、良い月になる。前に述べたように月を水銀とアマルガムにし、金星も火星と同様にアマルガムにする。後者二部と、〔月の〕アマルガム一部を、すでに述べた方法で昇華させ、下降させる。この作業を十五回繰り返せば、良い月になる。とりわけ、月を水銀とアマルガムにし、土星も等量の水銀とアマルガムにする。後者三部を月と合わせ、前述の方法で昇華と下降を繰り返せ。より良い月に至るだろう。
注 ana は「各同量」。最初の処方は ana と in duplo の関係および代名詞の指示が原文でも不明瞭なため、記された比率を保持して訳した。
とりわけ、月を水銀とアマルガムにし、木星も等量の水銀とアマルガムにする。後者三部に対して月一部とし、水銀を分離するための昇華と、作業物の下降を繰り返せば、世界で最良の月に至るだろう。白い薔薇の増殖については、以上で十分である。
赤を得る個別的方法の総論。第16節
赤い薔薇の増殖へ進もう。最初の一般則は、白い作業で月を用いるのと同じように、すべての赤い作業で太陽を用いることである。ただし、物体の焼成粉のうち、火の助けだけで赤くなるものも、ならないものもあることに注意せよ。赤くなるのは、火星、金星、土星の焼成粉である。一方、この第一章の方法では、月、木星、固定された水銀の焼成粉は、火の助けだけでは赤くならない。しかし、第二にして最後の章、つまり大いなる技法では、それらの焼成粉は望みどおりに赤くなり、限りなく染成する。見よ、これが哲学者たちの宝である。ただし、この第一章でも、染めるものとともにすれば赤くなる。たとえば硫黄、アトラメントゥム、鉄の水、鉱物、植物または動物から抽出された赤い哲学的な油である。操作の方法は月の白い作業と同じであるが、ここでは太陽を焼成し、溶解しなければならない。焼成された、固定されていない物体もすべて溶解せよ。そして同じ焼成によって赤くされたものを、腐食性または溶解性の水、つまりより赤い水に〔溶かし〕、水同士を合わせ、凝結させ、白い作業で行ったように下降させて赤い塊にせよ。白い作業と同じように、これを十五回繰り返せば、完全な操作が得られる。
注 323頁23行は原刊正誤表に従い Solvantur とした。
この作業では、白い作業について述べた操作法をすべて守ることができる。これは、火の助けによって赤くなりうるものについてである。あらゆる物体の焼成粉が、多くの染める物質の助けによって赤くなりうることは、なおここで説明すべきである。しかし、この種の事柄については、この術の哲学的な書に、良く真実なことが非常に多く見いだされる。また、赤く染める水、粉、油も記されている。それらによって焼成粉は、赤くなるまで繰り返し浸潤され、乾燥され、溶解され、凝結され、下降される。それゆえ、それらを論じるのは余分だと思われる。それでも十分に説明するため、太陽の特殊な染成法を私から受け取ってほしい。
赤を得る個別的な方法。第17節
火星の鑢屑を、まず温かい塩水、次に温かい真水、最後に酢の中で、何度も、たとえば二十回、明るく十分清らかになるまで洗え。そして最良の白い酢とともに、ガラス器または施釉した器に入れ、幾日も置き、これによって十分赤くなるまで待て。それは速やかに起こる。次に全体をガラス製蒸留器に入れ、鑢屑が完全になくなるまで繰り返し蒸留せよ。それは間違いなく前述の酢とともに昇華し、鑢屑の全体が赤い水へ移るからである。さらに数日静置せよ。この水は、調製して融かした月を、驚くほど赤く染める。作業を繰り返すたびに、この水を焼成粉に染み込ませ、乾かし、溶かし、凝結させ、下降させ、染成力が十分になるまで続けよ。この水は鉱物性で、物体的なものである。
注 324頁16行は原刊正誤表に従い sit とした。
別の良いものも次の方法で作られる。卵黄一リブラ、新鮮な人血一リブラ、十分に清めた人の毛髪二リブラを取り、これらを丸い施釉容器で混ぜよ。続いて、よくすり砕いたサル・アンモニアク二リブラを取り、すべてを一緒に混ぜ、その施釉容器を、ふるった灰を入れた別の容器に置き、下に弱い火をともす。全体が水に溶けたら、全薬剤の半分の量に当たる黄色い硫黄を、その上へ投入する。その後すぐ器を火から外し、全体を一緒に動かす。それから全体を蒸留用のククルビタに入れ、滓から蒸留された水を再び混ぜながら、滓の上で繰り返し蒸留し、すべてが乾いて底に残るまで続けよ。このものを、溶解した焼成粉と混ぜてすり、凝結させると、特に優れた染成を行う。これは植物性または動物性の染成物である。
注 libra は原刊の重量単位「リブラ」のまま保持。sal ammoniacus は歴史的名称として音写した。原文の in illa は容器を指すが名称が不明瞭なため「別の容器」とした。
読者への呼びかけと、神への祈り。第18節
見よ、愛する友よ。私の薔薇園にあるもののうち、すでに何と多くの良いものを述べたことか。しかし、前述のことだけでは、まだそこから薔薇を一輪も受け取れない。私の薔薇園は、非常に深い堀、きわめて堅固な壁、多くの防塁によって、これほどまで固く守られているので、誰もいかなる工夫によっても入れないのである。ただ、多くの鍵で不思議に閉ざされた、七つのきわめて堅固な金属の門を通るほかはない。ああ、いと寛大で慈悲深い神よ。もし私がいま何か罪を犯したなら、あなたの慈愛の眼で私を顧みてください。人々の心を知り、私がただ慈悲の泉からこのことを語ったのだと知るのは、あなただけだからです。天の父よ、私はへりくだり、敬虔に願います。このことが不義の者の心に入らないようにしてください。しかし、知恵と理解の子らには知らせてください。慰め主である聖霊の恩寵を注がれ、満たされた私の庭師は、ただ一つの鍵を私に示しました。その鍵によって、私の『薔薇園』第一章のすべての門は、瞬く間に、不思議に、ほとんど奇跡のように開くのです。そして私は、庭師がその慈愛から私に与えてくれた恵みを、敬虔に、友愛をもって、すべての学識ある理解者に書き伝えよう。
薔薇園の鍵である強水の調製。第19節
庭師は三種の草を取った。それらは薔薇園の場所で、薔薇園が生じたのと同じ土から生えているのを見つけたもので、ケリドニア、海のスベリヒユ、メルクリアリスであった。この三つから、彼は前述の鍵を作った。その調製法を、あなたがたに完全に解き明かそう。緑礬二リブラ、硝石二リブラ、羽毛状明礬一リブラを取り、それぞれ別々にすり砕け。その後、合わせよ。次に、外側の全周を「知恵の泥」で十分塗ったガラス製アリュデルを用意し、その中に前述の粉を入れ、上にガラス製アランビックを取り付けよ。接合部を良い泥で堅く封じ、息が漏れないようにし、蒸留炉の上に置いて、弱い火を与えよ。
注 草の三名称は次に挙げる鉱物性材料に結びつけられた寓意。aqua fortis は「強水」、aludel と alembicum は歴史的蒸留・昇華器具名として音写。
最初に第一の水が蒸留される。それを首の長いガラス瓶に受けよ。瓶とアランビックの接合は、前述の泥で封じておく。弱い火を続け、アランビックの内側が黄色く色づくまで待て。これが第二の水の徴である。次に第一の水を瓶ごと取り外して蝋で閉じ、新しい瓶を取り付け、堅く封じる。火を強め、アランビックの内側が赤くなるまで続けよ。これが最も強い第三の水の徴である。第二の水の瓶を外して封じ、非常に長い首の厚い新しい瓶を取り付け、最良の泥で極めて堅く封じる。すべての水が出るまで火をさらに強め、それを取り外し、陶工の泥で口を堅く封じ、使用のために保管せよ。
前述の強水への賛辞。第20節
これこそ、きわめて貴重で力のある強水であり、腐食性の水と呼ばれる。まことに鍵であり、この鍵だけによって、わが薔薇園の七つの金属の門すべてが、瞬時に開かれる。この鉱物性の鍵を使えば、前述の七つの門を開き、薔薇園に入り、どの株からでも、望みどおりに白または赤の薔薇を得ることができる。この鍵を持つ者には、疑いなく、薔薇園にあるすべてのものが知られるようになる。私の言うことを理解し、心の真ん中にその住まいを用意して、永遠にそこに宿るようにせよ。この讃えるべき腐食性の水によって、生のものも焼成されたものも、すべての物体、すべての精気、すべての鉱物、さらには宝石までも瞬時に溶かし、望むときには、前述のように一時間で凝結させることができる。この水には、驚くべき、讃えるべき次の働きがある。固いものを溶かして液体にし、不純なものを清め、余分なものを腐食し、逃げるものを固定し、分散したものを結び固め、白い染成力と赤い染成力をきわめてよく増し、すべてを貫き、硬いものを軟らかく、軟らかいものを硬くし、相争うものを和合させる。そして、この章で述べる術全体の鍵である。これについて何を言おう。その賛辞は尽きることがない。
第一と第二の水も、この術の多くのことに役立つ。両方を一緒に合わせよ。どんな物体の焼成粉を洗うにも、世界でこれ以上良いものは得られない。あらゆる汚れ、黒さ、腐敗、焼きつくす硫黄性が、これによって取り除かれるからである。一方、滓には最大の染成力がある。それを研究せよ。そこには大いなる秘奥があるからだ。第一と第二の水を全部用いて滓に染み込ませ、四日間置いて一体化させ、その後、前述の方法で再び蒸留せよ。そうすれば、以前より多くの腐食性の強水が得られる。これが最後の秘密である。この水には、結合すべきすべての染成物が溶け、それらの水は、焼成して溶解した物体の水と混ぜられるようになる。この中には土星、木星、火星、金星、水銀、月、太陽が溶ける。また、これによってジニアルと、その他多くのものが改善され、それらを用いて作業が短縮され、色づけられ、増殖される。第一章の第一部については、これで十分である。これを完成させるため、次にその第二にして最後の部を論じよう。すべての物体の完全な増殖の後には、補助を伴うエリクシルがふさわしく続くからである。
注 ziniar は緑青系の物質を指す歴史的名称で、本文では音写した。
同じ水による薔薇園の開扉。第21節
腐敗させ、その後、根源的湿り気を保持、すなわち保存しながら、適度な熱で哲学的に焼成した物体を溶かせ。ただし、あらかじめ腐敗させるすべてのものから清めておく。これは作業の初めに行う。これは白い作業についてである。より近縁の不完全な物体の白い焼成粉を用い、白い発酵種も十分に清め、焼成した白いものを、最初のものと同様に溶かせ。水を不純な滓から清め、その後、首が細く高いガラス瓶に合わせ入れ、口を極めて堅く封じる。重量にも注意しなければならない。不完全なもの四部に対して、完全なもの一部をつねに用いる。水を入れた瓶を凝固炉に置き、全体が良い、固定された凝固によって石になるまで続けよ。こうして、一年目の薔薇園の株が得られる。
注 329頁9行は原刊正誤表に従い tum coniungendae とした。fermentum azymum は原義では「無発酵の発酵種」という逆説的語結合で、ここでは白い段階の発酵種。
二度目には、前と同じ割合で新しい質料を溶かし、凝固した石も再び溶かす。両者は同量とせよ。溶かした水同士を合わせ、前述の方法で凝結させれば、二年目の株が得られる。三度目には、新しい質料を、前と同じく一年目の石と同じ重さだけ溶かし、溶かした二年目の石と合わせ、前と同じように凝結させよ。すると、きわめて初々しく花を開き、十輪の薔薇を産み出す薔薇園が得られる。四度目には、前と同じく、つねに一年目の石と等しい割合で、新しい質料を溶かし、三年目の石の水と合わせ、前と同じように凝結させよ。すると、二十輪の薔薇を産む四年目の石が得られる。五度目にも同じことを行うと、五年目の薔薇園は三十輪を産む。六度目には百輪、七度目には二百輪、八度目には三百輪、九度目には千輪、十度目には二千輪、十一度目には三千輪、十二度目には十万輪、十三度目には二十万輪、十四度目には三十万輪、十五度目には百万輪である。こうして十五日目には、月の完全な作業が得られる。
注 原文は操作回数を「年」の薔薇園に喩え、最後には die decima quinta(十五日目)とする。数値と時間表現をそのまま保持した。
赤い作業、または赤へ向かう作業では、つねに、赤くして溶かした物体の焼成粉と、太陽を溶かしたものによって作業する。しかし、私のこの最後の秘密を守れ。染成力が補助物によって増されれば増されるほど、それはいっそう深く染成する。前述の術に励み、試せ。ほどなく幸運に恵まれるだろう。この術を助けるすべてのものと補助手段については、この第一章の第一部で十分明瞭に述べたので、ここで私の『薔薇園』の章を終える。
第二章
完成の原因は水銀のみであること。第1節
すでに述べたように、このきわめて貴重な術の最終目的は、不完全な金属を改善し、最高の段階へ導くことである。それらの不完全さと腐敗は、良く純粋で固定された水銀の不足から生じる。私が何度も述べ、すべての熟達した哲学者も語るとおりである。それゆえ、それだけが完成をもたらすということになる。では、それを選び、完全にしよう。かつて完成を得た哲学者たちが行ったように。何と書かれていようと、それだけが、哲学者たちが至る所で讃える石である。彼らはそれを、無数の寓話、仮構の文章、譬えの中に隠し、また、その大いなる哲学によって明かす。いま神の霊は私に、このような恩寵を吹き込んだ。その二言によって、この術についてのあらゆる哲学の書を説明できるのである。見よ、聖霊の言葉を。「水銀こそ、哲学者たちが尊ぶ石である」。私の心は開き分かたれた。誰でも、書を開くように読んで、心を向けよ。
注 duobus verbis は文字どおりには「二つの言葉」だが、後続の標語は二語ではないため、訳でも「二言」として原文の修辞を保持した。
私たちが求めるのは水銀だけである。その中に、私たちが望むすべてがあるからだ。したがって、それは自らの染成力を自らの内に含む。ああ、それは何と貴く、喜ばしい被造物だろう。神は理性的な魂のほかには、それより良いものを造られなかった。それは自らの内に、身体、魂、精気をもつ。身体はとどまり、魂は生かし、精気は染成する。これらは、純粋で焼かない硫黄の力によって、水の濃厚な部分から凝結した水銀の中だけにある。それゆえ水銀こそ私たちの石であり、他のものではありえない。私たちはそれを乾いた水と呼ぶ。それは白または赤の硫黄の力によって、一様に濃くされているからである。そこからすべての物体が起源を引き、それから生じ、それへ帰る。たとえば太陽は、純粋な生きた水銀から生じ、工夫によって再び水銀へ戻る。あらゆる物体について、このようにならなければならない。
水銀の種類の違いについて。第2節
しかし、あなたがたにこう言おう。太陽から作られた水銀は、物体になったことのない水銀に比べ、比類なく強い力をもち、より速い固定をもたらす。それでもつねに、水銀から来た水銀であり、熱く、湿っており、男性的である。一方、月から作られた水銀は速い固定をもたらし、冷たく、乾いており、女性的である。また、物体になったことはないが、それから物体が生じる水銀は、ただ熟成の程度においてのみ他の水銀と異なる。そして、それだけによって、ほかの方法ではなく、すべての物体が水銀へ帰る。
普遍的方法をほのめかす譬え。第3節
すべての生じるもの、すなわち土から出た植物は、つねに土へ帰るではないか。そして同じ土の中で、再び時をかけて腐敗した後には、そのすべてが土である。しかし、その土がどれほどの力をもつかに注意せよ。私たちは土から穀物が生じ、茎と多くの粒をもつのを見る。そして茎が肥やしになったとき、工夫して土に戻すなら、その肥やし全体が腐敗によって土へ帰るのを見る。だが、保存した粒を、前述の、自分の茎からできた同じ土へ再び置けば、いっそう多く増殖する。これは熟練した農夫によく知られている。同じように、水銀に沈められた物体は、適切な腐敗によって、かつてそうであった水銀へ帰る。そしてその後、金属の種粒が、その同じ腐敗した土へ投じられると、増殖し、数え切れないほど殖える。
注 底本の Sed non qualem virtutem illa terra habet は統語的に不全。ラテン語本文は non を保持し、訳は文脈上の nota(注意せよ)を推定して補った。
実践の闇に覆われた事柄。第4節
注 見出しは底本の Practicae caligine obducta を保持。実践的方法が暗示的に述べられることを指す。
その操作法は、自然の方法にならう次のようなものである。私たちの水銀、すなわち焼かない白または赤の硫黄の力によって凝結、あるいは濃縮した水銀を、まず、工夫によって取り除けるあらゆる汚れと余分なものから清めねばならない。その工夫とは昇華であり、次のように行う。石を開いた器に入れ、中くらいの火にかけ、水銀そのものを動かして、余分な湿り気がすべて飛び去るようにする。その湿り気は水銀に偶然的に付随しており、それによって作業が損なわれるからだ。この操作を省くな。すると、あまりに揮発しやすかった水っぽく未熟なものがすべて、その根源的な固定性を超えない火によって取り除かれた後には、固定されたものと固定されていないものの中間にある、調整された実体が残り、この作業の完成に適したものとなる。種、または発酵種を極めて清らかに浄めよ。その一部は、浄めた石十二部に十分である。両者を巧みにアマルガム化し、次に、その全体を、首の細い、きわめて丈夫なガラス器に入れる。あるいは、ガラスの密度、すなわち緻密さを備えた土器に入れてもよく、その方が良い。そして口を堅く封じる。
大きく厚い哲学的な炉を造り、その中央に、火に耐えられる、きわめて丈夫で広い土器を置け。その中に、質料を入れたすべての器を配置する。それから炉を覆い、上部を厚い蓋で閉じ、その頂部には煙を逃がす三つまたは四つの穴を設け、下から絶えず弱い火を与える。弱い火とは、石の固定性を超えられない火をいう。火の調節は、その中で鉛が絶えず融けたままとなるほどでなければならない。このことを明かすのは私一人である。このような調節によって、百二十四日で完全な腐敗が得られる。黒さは、腐敗の確かな徴である。
注 333頁25行は原刊正誤表に従い fumum ablegandum とした。
さらに前述の調節を続けると、第二の徴が得られる。それは三十日間続く赤さであり、その日数のうちに完全に成就する。第三の徴は緑であり、前述の調節による熱の中で、七十日で成就する。第三と第四の徴の間には、想像しうるあらゆる色が現れる。そのとき、そこでは婚姻、結合、そして精気と魂の合一が起こる。それまではそれぞれが自分の徴のもとで個別に支配していたが、そのときには共に支配するからである。すなわち、第一の徴では身体が、第二では精気が、第三では魂が支配していた。火の調節を少し強めると、合一の期間はちょうど七十日で完了し、第四の徴、すなわち有用な白化が続いて現れる。さらに火を強めた調節のもとで百四十日が過ぎ、先に述べた白さの徴が完成する。その後も強めながら調節を続ければ、第四と第五の間に、色の変わった灰を見るだろう。それでも大切にせよ。神は自らの火の精気を注ぐことによって、それらに融解性を返されるからだ。そして神が望まれるとき、あなたは第五の徴を見る。明るさと輝く赤さによって、言い表せないほど美しく飾られた徴を。神を畏れ、あなたの財をもって神を敬え。
注 azymatio は本書の白い段階の完成を指すため「白化」とした。日数と色の順序は原刊のまま。
完全な染成物の性質について。第5節
この私の『薔薇園』では、作業を理解させ、知らない者を真理の技法へ導き入れるために、多くのことを語った。ここには余分なものを何も置かず、また不完全なまま送り出したくもないので、こう言おう。完成した赤いものと、赤さを減じられた赤いもの、固定されたものと固定されていないもの、死んだものと生きたもの、鉱物、植物、動物の、あらゆる赤さを見よ。生かす生きたもの、死なせる死んだもの、白くする白いもの、赤くする赤いもの、そして不完全なものを完成させるものを見よ。完全なものの白さが増すほど、それだけ白く染成し、赤についても同様である。しかし、物体がどのようなものであるか、それが融解するときに何を加えられ、それとともに持続し、試験に耐え残るものは何かを、注意して考えよ。白いものすべても、赤いものすべても、物体を月や太陽へ染成するわけではないからである。物体の染成物は、融けた物体と混ざり、その融体に入り込むようなものでなければならない。ちょうどその物体自体が、同じ物体とそうするようにである。それゆえ染成物は、物体から抽出された物体的実体であり、あるいは鉱物性、植物性、動物性の中間物の助けで増されたものでなければならず、つねに物体的なものの中にある。したがって、白さの最も真実な染成物は、真の月から得られる最も白い硫黄であり、赤さの最も完全な染成物は、真の太陽から得られる最も赤い硫黄である。それゆえ一方が可能なのと同じように、他方も可能である。賢明で判断力ある術者は、これを知っている。
注 底本 diminutum の後に星印と空白があるが、欠けた語句を推作せず、文脈を句点・コロンで整理した。
結語、すなわち述べたすべての事柄の再説。第6節
生で、冷たく湿った水銀の助けとその効用によって、熱く、乾き、清らかな硫黄性、すなわち自らの焼きつくす力ゆえにすべてを焼くものが取り出されるなら、物体の中には、硫黄の力によって凝結した、純粋で煮熟された水銀が残る。このように、ある水銀の助けによって、月または太陽から最も純粋な硫黄が取り出され、黒さを染める、固定された白または赤の硫黄が残る。その一部は、第一部で述べた補助によって、二部、三部、四部、または六部を月へ染成する。一方、赤いもの一部は、第一章において、水銀の純粋さに応じ、煮熟された水銀の二部、三部、四部、または六部を、白いものの場合と同じように染成する。しかし第二にして最後の章では、月または太陽の硫黄一部が、物体、すなわち煮熟された水銀の千部を染成する。術者の工夫により、火または補助物でこの硫黄の力がそれほどまで増されるので、完成後には千を超え、あるいは百万、それ以上を染成する。ただし、すべては火だけによって完成されねばならない。白いものでも赤いものでも、すべての染成物は火から色を受けねばならず、そうでなければ役に立たないからである。
注 sulphureitas にかかる munda(清らかな)は底本どおりに保持。ここでの「清らか」と「焼きつくす」は著者の歴史的性質記述。
補助物とは、染成力の純粋さと固定性を増すために用いる、次のような石である。すなわち、卵、毛髪、血、水銀、硫黄、雄黄、サル・アンモニアク、アトラメントゥム、明礬、硝塩、ティンカル、トゥティア、マルカシタ、マグネシア、その他である。しかし、それらのどれか一つだけで作業を完成させるのに十分だと考えてはならない。それらは支えであり、いわば助け手であって、それらを用い、その助けによって、物体は清められ、整えられ、染められ、完成される。また、結合されるべき物体の補助者、仲介者のようなものである。その中で、私たちのもとでつねに、より貴重で優れていると見いだされたのは、卵と毛髪と若い男性の血である。これらから四元素が抽出され、それらは整えられた後、金属から調製されたエリクシルの欠けたところを補う。金属も石も、それ自体だけでは完成されないのである。これらから抽出された四元素は、石の中に、油として、あるいは染められた魂として置かれる。一方、調製された金属体の焼成粉は、白または赤の身体として置かれる。白または赤の精気は物体から抽出されるか、精気そのものから固定され、調製される。このように、その他の石によって、作業を速めるために、石が洗われ、清められ、固定され、染められ、整えられる。そして、前述の調製済みのものを適切な割合で混ぜ合わせると、新しい形相が生じ、こうしてエリクシルができる。質料が天然の太陽よりも高度に熟成され、染成されるかぎりにおいてである。
注 原刊の石・四元素・身体・魂・精気という分類を保持した。tinkar 等は歴史的物質名。末語は画像により tincta と読み、OCR の uncta を修正した。
著者不詳『小薔薇園』終わり
カリド『錬金術の秘密の書』
イアジクの子カリドが著した『錬金術の秘密の書』。ヘブライ語からアラビア語へ、アラビア語からラテン語へ翻訳されたもの。訳者不詳。
注 著者と伝承経路は1541年版の標題を訳したものであり、現代の歴史研究による同定を保証しない。
この術の困難さについての序文
万物の創造主なる神に感謝を捧げる。神はわれわれを導き、顧み、教え、理解と学知を授けられた。主が守り導いてくださらなければ、われわれは守り手も教師もなく、迷う者のようであったろう。いや、万物の始まりであり、その知である神が、民に及ぼす力と善意によって教えてくださらなければ、この世の何一つ知らなかったろう。神は望む者を導き教え、慈悲によって正義の道へ連れ戻す。神は使者たちを闇の中へ送り、道を明らかにし、ご自分を愛する者たちを慈悲で満たされた。
兄弟よ、知れ。秘密の石についてのわれわれの術、この誉れある務めは、神の秘密の中の秘密である。神はそれを民から隠し、子として忠実にふさわしくあり、その善と偉大さを知った者以外には、明かそうとはされなかった。神の秘密を求める者には、何にもまして、この術の秘密が必要なのである。それに到達した賢者たちは、あることを隠し、あることを明かした。私は先人の賢者たちが、その誉れある書の中で、この点に一致していることを見いだした。
それゆえ知るがよい。私が誰よりも重んじる直弟子ムーサは、彼らの書を熱心に学び、この術の作業に励んだ。しかし、その配合が重荷となり、幾度も疑いに陥り、配合される物の本性も理解できなかった。彼はへりくだって懇願し、その説明と指導を私に求めた。だが私は、そのことについて何も答えず、解き明かそうとはしなかった。哲学者たちの書を読み、私に求めたことを、その中で探しなさいと命じたのである。彼は去り、手に入るかぎり、百冊以上の書を読んだ。すなわち、高貴な哲学者たちの、真実を伝える秘密の書である。しかし求めるものは見いだせず、そのため呆然として、ほとんど正気を失ったようになった。一年ものあいだ、絶えず探究したにもかかわらずである。
哲学者たちの間で、知恵の位とあり方に数えられるに値した弟子ムーサでさえ、この配合についてこれほど疑い、こうした事態に陥った。それなら、物の本性を理解せず、物の性質の組合せも知らない無知な者や愚かな者は、どうするのだろうか。私は、選び抜かれた愛しい弟子のこの姿を見て、憐れみと愛に動かされ、さらに神の御心と意志によって、死を迎える時にこの書を著した。その中では、先人の哲学者たちがその書に述べたことの一部を省き、彼らが隠し、著作の中で決して語ろうとも明かそうともしなかった事柄を述べた。また、彼らが暗く比喩的な言葉で覆ったことを説明し、解き明かした。そして、この書を『錬金術の秘密』と名づけた。
この書には、この学知または術を探究する者に必要なすべてを、その理解と探究者の感覚に適した言葉で示した。また、賢者たちが行ったものより高く、優れた四つの術を挙げた。そのうち二つはエリクシルで、一つは鉱物性、もう一つは動物性である。残る二つも鉱物性だが、エリクシルではない。一つは、金属体と呼ばれるものを洗浄する技術である。もう一つは、生きたアゾートから金を作ることである。その製作と生成は、大地の中心と内部にある鉱床における生成、あるいは生成の順序に従う。賢者たちは、この術の配合に関する書の中で、これら四つの術と技術を説明した。しかし、多くが欠けており、その作業について、書に記そうとはしなかった。たとえ見いだしても理解できず、それ以上に難しいものはなかった。それゆえ私は、この書で、その術と、実際の作業を述べる。
注 最後の数文は主語が省略され、統語も不安定な底本文を意味に沿って訳した。azot は錬金術の歴史的用語であり、現代の窒素に置き換えない。
注 340頁8行の原刊正誤表に従い intellectui とした。
注 340頁12行の原刊正誤表は elixir unum と読むよう指示する。該当する刊本文は non sunt elixir. Unum, quorum ... で、訂正の意図と句読の関係が明確ではないため、本文の区切りを保ち、この異読指示をここに併記する。
したがって、この書を読む者は、幾何学もいくらか読み、その測定法を学べ。炉を正しく組み立て、増やしすぎたり減らしすぎたりして、その尺度を外さないためである。また、火の量と、作業の器のあり方、さらには段階を知るべきである。同じように、この術の根底と始まりが何かを見て知るがよい。それは、術に対して、子宮がその中で生まれる動物に対してあるのと同じ関係にあり、前に述べた生成と養分をともに受け入れる。この術の材料が自分に適したものを見いださなければ、その成果と作業は損なわれ、作業者たちは求めるものを得られず、材料も生成の結果に役立たない。生成の原因、すなわち根と熱そのものが見いだされない場合、作業に破壊という事態が起こるからである。
同じことは重量の量にも起こる。量が配合物に合わず、構成部分が増加や減少によってその本性の限度を超えると、配合物の特性も損なわれ、その効果は空しく無になる。一つの例を示そう。布を洗い、清め、白くする石鹸を見るがよい。この特性は、その正しい配合の中で、均衡と、配合物にふさわしい適正な組合せによって生じる。それらは長さと幅にわたって互いに関わり、この関わりによって一致する。そのとき、内部に真に備わっていた働きが現れ、それまで隠れていた力が知られる。この力を特性と呼ぶのであり、配合物の中に生まれた洗浄の力なのである。だが、配合物の量が限度を超え、増減によってその力が均衡の範囲を外れると、配合物の不調和に応じて、反対の作用へ転じる。われわれの術の配合についても、同じように理解せよ。
第1章 この術の四つの作業、すなわち溶解、凝固、白化、赤化について
いま、錬金術と呼ばれる大いなる技について述べ始める。自らの言葉を確かなものとし、何も隠さず、語るのにふさわしくなく、名指せないこと以外は、ここで沈黙するつもりはない。そこでいう。賢者たちの述べたとおり、この大いなる技には四つの作業がある。溶解、凝固、白化、赤化である。この四つの量は相互に関わり、そのうち二つが互いに結びつき、他の二つも同様である。そして、この二組の量は、それぞれ別の量と関わり、それは、この二つに次ぐ、より大きな共通の量となる。ここで量というのは、自然本性の量と、薬の重量のことである。それらは順序に従って溶解され、凝固され、減少も増加も入り込まない。
注 quantitates は作業の区分と材料の数量の双方にまたがる語で、底本の表現を保った。
この二つ、すなわち溶解と凝固は、一つの操作の中で起こり、一つの成果をなす。これは配合の前のことである。配合の後には、両者の作業は異なる。ここで挙げた溶解と凝固とは、身体の溶解と霊の凝固である。それらは二つでありながら、一つの作業を持つ。霊は身体の溶解とともにでなければ凝固せず、身体も霊の凝固とともにでなければ溶解しないからである。身体と魂が結ばれると、それぞれが相手に働きかけ、自らに似たものとする。
その例が、水と土である。水は土と結ばれると、自らの湿りと、自らに備わる力と特性によって土を溶かそうとし、以前より精妙にして、自分に似せる。水は土より精妙だからである。魂も身体に対して同じように働く。また同様に、水は土によって濃くなり、密度において土に似る。土は水より濃密だからである。身体の溶解と霊の凝固のあいだには時間の違いがなく、一方なしに他方が起こるような、別々の作業ではないことを知れ。水と土の結合においても、それらの作業の間に、見分けられる時間差や、一方が他方に遅れることはない。それらには一つの終点、一つの成果があり、一つの同じ操作が、配合の前に、同時に両者へ働くのである。
注 vesperetur は底本の語形を保持し、文脈上の時間的な遅れとして訳した。
「配合の前」といったのは、この書を読み、私の述べた溶解と凝固について聞いた者が、それを哲学者たちのいう配合だと思わないようにするためである。そう思えば、作業と知識を誤る。この技または術における配合とは、凝固した霊と溶解した身体との結合、すなわち婚姻であり、その結合と相互の作用は火の上で行われる。熱がその養分だからである。魂は、両者がそれぞれの力と特性を変え、自然本性を転換した後でなければ、身体から離れず、また身体と完全に結びつくこともない。
これが、哲学者たちが先に溶解と凝固と呼んだものである。賢者たちは、この溶解と凝固を隠し、探究者の理解が彼らの意味から遠ざかるよう、暗く覆われた言葉で、精妙な仕方で語ったことを知れ。その隠された暗い言葉の例は、次のとおりである。「薄板に毒を塗れ。そうすれば、その中で、この作業、すなわち術の原理が、あなたがたに確かめられるであろう。」また、「強い金属体を、溶かした液で処理し、両方がそれぞれの精妙さへと変わるまで続けよ。」同様に、賢者はこれらについていう。「金属体を精妙な状態に変え、細かく、触れても感じられないものとしなければ、求めるものには導かれない。磨り砕かれていないなら、作業に戻り、砕かれて精妙になるまで続けよ。こうすれば、望むものへ導かれるであろう。」
このようにして、彼らはこれらについて同じ類の言葉を数多く述べた。しかし、試みる者の誰も、そのように隠された作業に到達できなかった。教えを明らかに示す、よい解き明かしが現れ、それ以前の疑いが取り除かれるまではそうであった。また彼らは、溶解と凝固ののちに配合を挙げた。さらに、配合は婚姻と腐敗が伴わなければ完成しないと述べた。その後、彼らの言葉は、溶解、凝固、分割について、また婚姻、腐敗、配合について教えた。これは、配合が物の起源であり生命だからである。配合がなければ、物は存在へともたらされない。分割とは、配合物の諸部分を分離することである。こうして、分離がその結合となった。
私はいう。身体が霊と同じ精妙さと希薄さを持つようになるまで、霊は身体に宿らず、その中に存在せず、身体とともにとどまることもない。身体が希薄で精妙となり、その密度と濃さから薄さへ、粗さと物体性から霊性へと移ったとき、初めて精妙な霊と混ざり、その中へ浸透する。こうして両者は一つの同じものとなり、水と水が混ざったときのように、分かれなくなる。
溶解と凝固に関わる二つの量について、多い方を魂、少ない方を身体とせよ。それから、魂である量に、身体の量を加えよ。すると最初の量と関わり、効力において一体となる。われわれが作業したように、それらを処理せよ。そうすれば望むものを得て、エウクレイデスのいったように、線があなたにとって確かなものとなる。その後、その量を取り、重さを知り、吸い込めるだけの湿りを加えよ。この湿りの重量は、ここでは決められていない。次いで別の操作を施せ。すなわち、まず浸潤させ、昇華させるのである。これが白化と呼ばれる操作であり、彼らはそれをイハリト、すなわち銀、また白い鉛と呼ぶ。
注 linea は幾何学的なたとえとしての「線」。Yharit などの名称は底本の表記を保持する。
この配合物が白くなったら、全体の半分に当たる量の霊を加え、再び作業に戻し、赤くなるまで続けよ。そのとき、それは非常に赤いアリスフィルの色となる。賢者たちはそれを金になぞらえた。この結果は、アリストテレスが弟子アルダに述べた言葉へ、あなたを導く。「泥が白くなるとき、われわれはそれをイハリト、すなわち銀と呼ぶ。赤くなるときは、テメインクム、すなわち金と呼ぶ。白さは銅を染めてイハリトとし、その赤さはイハリト、すなわち銀を染め、テメインクム、すなわち金とする。」それゆえ、これらの金属体を溶解し、精妙にし、白くし、赤くし、私の述べたとおりに浸潤によって配合し、一つのものへ変えられる者は、疑いなくこの術に到達し、述べた作業を成し遂げるであろう。
注 alisfir は底本に現れる色・物質の名称で、確実な現代的同定を避けた。
第2章 この作業に必要で適切な物と器具について
この術に用いる器、すなわちアルデルを知らなければならない。賢者たちはそれを墓所、あるいは篩の器と呼ぶ。その中で諸部分が分けられ、清められ、この術の材料が仕上げられ、完成され、精製されるからである。それぞれの器には適した炉を備え、器と炉の双方が作業にふさわしい姿と形を持つようにせよ。メズレメや多くの哲学者が、その著作で、すでにすべてを挙げ、それらの方法と形を教えている。
賢者たちは、その言葉においてこの点に一致し、記号によって隠し、それについて多くの書を著したことを知れ。先に述べた四つの作業に必要な器具は二つある。一つはアランビックを付けたククルビタ、もう一つはよく作られたアルデルである。同様に、それらに必要なものは四つある。身体、魂、霊、水である。この四つから、術と鉱物の作業が成り立つ。それらは賢者たちの書で説明されているので、この書からは省き、哲学者たちが名指さなかったことを記した。いくらかの理解力がある者なら、それらが何であるかわかるであろう。私はこの書を、無知で何も知らない者のためではなく、思慮があり、理解と知恵を持ち、知識を備えた者のために著した。
注 ククルビタは瓢箪形の蒸留容器、アランビックはその蒸留頭部、アルデルは昇華用の器。歴史的な器具名として示す。
第3章 この術に関わる物の自然本性について
哲学者たちは、これらにさまざまな名を与えたことを知れ。ある者は鉱物と呼び、ある者は動物性、ある者は植物性と呼んだ。また、自然本性の名を用いて、自然的なものと呼んだ者もいる。他の者たちは、自分の思うまま、任意の名を与えた。また、それらの薬は自然本性に近いことを知れ。哲学者たちが書で述べたように、自然本性は自然本性に近づき、似たものとなり、結びつき、自然本性の中へ沈み込む。自然本性は自然本性を白くし、赤くする。生成は生成とともに保たれ、生成は生成とともに勝利するのである。
第4章 煮熟とその効果について
哲学者たちは、その書の中で煮熟を挙げ、物に煮熟を施すべきだと述べたことを知れ。それが物を生み、その実体と色を、別の実体と色へ変える。私がこの書で語ることから外れるな。そうすれば正しく進むであろう。兄弟よ、人間の生活を支える種を見よ。太陽の熱はどのようにそれに働きかけ、そこから穀粒が生じ、人間や他の動物が食べるに至るだろうか。その後、人体の中で自然が自らの熱によってそれに働きかけ、肉と血にする。われわれの術の作業も、このようなものである。賢者たちに由来するわれわれの種も、その完成と進行は火による。火は生と死の原因であり、仲立ちするものと自らの霊性によってでなければ、それに生命を与えない。それらは、火なしには混じり合わない。私はいま、自ら見て行った真実を、あなたに確かめて示した。
注 後半の「種」と「火」の関係を述べるラテン語は構文が不安定。文脈に沿って訳し、原文を併記する。
第5章 石の精妙化、溶解、凝固、混合と、その原因および目的について
身体を精妙にし、全体が水となるまで進めなければ、錆びもせず、腐敗もせず、火が逃げやすい魂に触れたとき、それを凝固させることもできないと知れ。魂を凝固させるのは火であり、身体がその助けとなるからである。同様に、哲学者たちは金属体を溶かすよう命じた。われわれが溶かすのは、熱がその奥深くまで届くためである。その後、金属体を再び溶解し、材料が近づいたとき、その溶解ののちに凝固させる。良質で適切なものすべてを、調和した量の混合によって結び合わせるまで、そうするのである。
こうして、われわれは火、水、土、空気を結び合わせた。濃密なものが精妙なものと、精妙なものが濃密なものと混じり、互いにともにとどまった。それまで単一だった自然本性は、互いに対応するものへ変わった。生成する部分が、空気である精妙なものへ自らの力を加え、与えるからである。それは自分に似たものと結びつき、生成の一部をなす。こうして、動き上昇する力を得た。他方、濃密なものの中では冷たさが優勢となった。熱を失い、水がそこから出て、その上にあるものが現れたからである。湿りは上昇しながら出てゆき、空気の精妙な部分も現れ、それと混じり合った。それらは互いに似て、同じ自然本性に属するからである。
濃密な身体が熱と湿りを失うと、冷たさと乾燥がそれを支配した。その諸部分は砕けて分かれ、分かれた部分を結び合わせる湿りがなくなったため、互いに離れた。その後、冷たさに対立する部分が働き続け、土に属する諸部分へ自らの熱と煮熟を及ぼした。その力がそれらの中で有効となり、冷たさを支配して打ち勝った。熱が勝利したため、それまで濃密な身体にあった冷たさは隠れた。生成に属する部分は変化し、精妙で熱いものとなり、自らの熱で乾かそうとした。
その後、自然本性を上昇させる精妙なものが、付加された熱を失い、冷たさを受けると、それらは変わって濃密になり、中心へ下った。精妙になっていた土的な自然本性が結び合わされ、自らの生成へと戻り、それらに浸透した。湿りが分かれた諸部分を結び合わせ、土はその湿りを乾かそうとして取り囲み、自らの外へ逃げるのを妨げた。すると、その上に隠れていたものが現れた。湿りは乾燥に保持され、離れることができなかった。同じように、世界にあるすべてのものは、反対のものによって、または反対のものとともに保たれることを、われわれは見いだす。すなわち、熱は冷たさと、乾燥は湿りとともに保たれる。
その後、それぞれが相手を取り囲むと、精妙なものと濃密なものが混じり、それらは一つの実体となった。すなわち、熱く湿った魂と、冷たく乾いた身体である。次いで、魂である熱と湿りによって、溶かし精妙にしようとした。また、冷たく乾いた身体によって、閉じ込め、保持しようとした。こうして、この作業はその周りを巡り、繰り返される。私はいま、自ら見て行った真実を示し、熱と湿りを用いて、自然本性をその精妙さと実体から変え、別の実体と別の色に至らせるよう命じた。この書で述べることから外れるな。そうすれば、望むように、術を正しく進めることができる。
第6章 霊の固定について
身体が湿りと混じり、火の熱に触れると、湿りが身体に向かって働き、それを溶かすことを知れ。そのとき、霊はそこから出られない。火とともに浸透しているからである。霊は、金属体がそれと混じり、火と炎に抗しようとするまで、逃げやすい。しかし、よい作業と、長く絶え間ない労苦がなければ、これらの部分はほとんど調和しない。魂の本性は、その中心がある上方へ向かうからである。中心が異なる二つのもの、あるいは異質なものを、その自然本性を変え、実体を変化させ、物をもとの本性から転換させることなしに、結び合わせられる実作者がいるだろうか。これを求めるのは難しい。したがって、魂を身体へ、身体を魂へ変え、それに精妙な霊を混ぜ合わせることのできる者は、すべての金属体を染めるであろう。
第7章 石の煮熟、粉砕、洗浄について
この秘密と術において非常に必要なのは、煮熟、粉砕、篩い分け、浄化、そして淡水による洗浄であると知れ。この作業に携わる者は、材料をよく清め、作業中にその上へ現れる黒さと暗さを洗い去れ。また、身体をできるかぎり精妙にし、その後、溶解した魂と清浄な霊を、満足するまで混ぜ合わせよ。
第8章 火の量と、その益および害について
同様に、火の量と、この材料に対する益と害を知るべきである。それは火の益と害から生じる。プラトンは、その書の言説の中で述べた。「火は完全なものに益、すなわち進歩を加え、損なわれたものには害、すなわち損壊を加える。」したがって、火の量がよく適切なら、役に立つ。しかし、材料に対して度を超えて増せば、完全なものも損なわれたものも、ともに壊す。このため、賢者たちは、火による燃焼とその熱を防ぎ、取り除くために、エリクシルへ薬を加えなければならなかった。
注 底本正誤表352頁2行の指示 eiusdem provenit を反映し、本文の語順を訂した。
注 e-raraの印刷352頁を独立に再校合し、本文の属格 incommodi を保持した。冒頭二文の構文は原刊のまま安定せず、補った明快なラテン語文に置き換えていない。
ヘルメスは父にいった。「父よ、私は自分の住まいにいる敵を恐れています。」父は答えた。「子よ、ホラーサーンの雄犬とアルメニアの雌犬を取り、一緒に結び合わせよ。そうすれば、空の色をした犬を産む。それに海水を一度に飲ませよ。その犬はあなたの友を守り、あなたを敵から守る。どこにいようとあなたを助け、この世でも次の世でも、つねにともにいるであろう。」犬と雌犬によって、ヘルメスが意味したのは、身体を火の燃焼と熱から守る物である。それらは、石灰類と塩類から作る水であり、その製法は、この術に関する賢者たちの書に見いだされる。ある賢者たちは、それらを海の水、鳥の乳、その他それに似た名で呼んだ。
注 犬の話は錬金術的な寓意であり、本文自身が器材を保護する調製物を意味すると解説している。uno siti は文脈に沿って「一度に飲ませる」と訳したが、語形は不安定。
第9章 石の元素の分離について
それゆえ、神に誉れを与えられた兄弟よ、賢者たちが名を挙げ、讃え、隠して秘めた、誉れある貴重な石を取らなければならない。それをアランビック付きのククルビタに入れ、その自然本性、すなわち土、水、空気、火の四元素を分離せよ。それらは身体、魂、霊、染める力である。水を土から、空気を火から分離したなら、それぞれを別に保管せよ。器の底へ下ったものを取れ。それは滓である。熱い火によってそれを洗い、黒さが取り除かれ、濃密さが退くまで続けよ。十分に白くし、余分な湿りを揮発させよ。すると、それは白い焼成物へ変わり、その中に暗い陰りも、不浄も、相反するものもなくなる。
次に、そこから上昇した最初の自然本性に戻り、同じように、不浄、黒さ、相反性から清めよ。それらが精妙で純粋で希薄になるまで、何度も繰り返せ。これを成し遂げたなら、神はすでにあなたを憐れんでくださったのである。兄弟よ、この作業は一つの石から成り、そこにはガリブ、すなわち何か別のものは入らないと知れ。賢者たちはそれを用いて作業し、それを完成まで処理するためのものも、そこから出てくる。その一部にも全体にも、他のものは混ぜられない。この石は、いつでも、どこでも、誰のところにも見いだされる。どこにいる探究者にとっても、見つけることは重荷にならない。それは安価で、黒く、悪臭を放つ石であり、代価を払って買うものではない。何かを加えなくても、重量は軽くない。発芽するもののように生じるため、「世界の起源」と呼ばれる。これが、探究者へのその開示と出現である。
注 sine aliquo の指示対象は底本から明確でないため、訳文は補足的に「何かを加えなくても」とした。ガリブは本文自体が「別のもの」と説明する語。
第10章 石の本性とその起源について
そこで、その石を取り、処理せよ。哲学者がその書で、それを次のように名づけて述べたとおりにせよ。「石でない石、石ではなく、石の本性にも属さないものを取れ。」それは石であり、その鉱床は山の頭に生じる。哲学者は、山によって動物を意味した。それゆえ、こういった。「子よ、インドの山々とその洞穴へ行き、そこから誉れある石を取れ。それは水と混ぜると、その水の中で液化する。その水とは、他の山々とその洞穴から取られるものである。これらは石であり、石ではない。石に似ているため、われわれはそう呼ぶ。その鉱床の根は空気の中にあり、頭は土の中にあると知れ。それらがその場所から引き抜かれると、音が聞こえ、大きな響きが生じる。子よ、それらとともに進め。すぐに消えてしまうからである。」
注 山や石に関する記述は本文自身が動物等を指す寓意として提示している。確定的な物質同定は行わない。
第11章 分離した元素の混合について
作業全体を巡る配合を始めよ。配合は、婚姻と腐敗がなければ起こらない。婚姻とは、精妙なものを濃密なものと混ぜることである。腐敗とは、焼き、磨り砕き、水を注ぎ、互いに混ざって一つとなるまで続けることである。水と水が混ざったときのように、その中に違いも分離もない状態にする。そのとき、濃密なものは精妙なものを保持しようとし、魂は火に抗し、耐えようとする。霊は金属体の中へ沈み、そこへ流れ込もうとする。
こうならなければならない。溶解した身体が魂と混ざるとき、そのすべての部分によって混ざり、似た性質を持つもの同士が互いに入り込み、一つの同じものとなるからである。それゆえ、混合の場で身体が得る適性、耐久性、持続性は、魂にも生じなければならない。同じように、魂と身体がこの状態にとどまるとき、霊にも同じことが起こるのがふさわしい。作業の労苦によって霊がそれらと混じり、その諸部分が、他の二つ、すなわち魂と身体のすべての部分と混じると、霊と他の二つは、全実体において分割できない一つのものとなる。その自然本性は保たれ、諸部分は調和する。
それゆえ、この配合物が溶解した身体に出会い、熱がそれに及ぶと、内部の湿りが表面へ現れる。そして溶解した身体の中で液化し、そこへ移り入り、湿りの本性を持つものと混じると、自ら燃え、火もそれとともに自らを守る。そのとき火がそれに付着しようとしても、自らを捉えることを妨げる。すなわち、霊がその水に混ぜられているため、火はそれに付着できないのである。純粋になるまでは、火は付着しない。同様に、水は本性上、火が迫って揮発させようとするとき、火から逃れる。
注 incendit se 以下の構文と主語関係は底本で不安定。原文の火・湿り・霊の対応を保ち、現代的な反応説明を補わない。
こうして、身体は水を保持する原因となり、水は、油が燃えたり消耗したりしないよう、油を保持する原因となった。油は染める力を保持する原因となり、染める力は色を現す原因となった。また、光も生命もない染める力を示す原因となった。これが正しい生命であり、物と術の完成であり、あなたが求めていたものである。それゆえ、知り、理解せよ。神の御心に適えば、求めるものを見いだすであろう。
注 in qua non est lumen, nec vita は印刷本文の否定を保った。前後に矛盾するように見える箇所だが、確認できない別読へ置き換えない。
第12章 配合された石の溶解について
その後、哲学者たちは、身体と魂をよく混ぜ合わせるため、それらを溶解する方法を精妙にした。粉砕、焙焼、注水の際に一緒になっているものは、互いに近接し、結びついている。そのため火は、弱い方から自然本性を取り去り、それが衰え消えるまで作用できる。同じように、次には強い部分へ向かい、魂を失った身体だけが残るまで作用する。それゆえ、それらをこのように溶解し凝固させると、互いの大きな部分も小さな部分も受け入れ合う。このことが、それらから成る組成であり、互いの受容である。こうして二つは一つの同じものへ変わる。この状態になれば、火は身体から取るのと同じだけ魂からも取り、多すぎも少なすぎもしない。そのため、これらによって完成が生じたのである。
そのため、エリクシルの学知には、金属体と単純な魂の溶解について述べる独立の章が必要である。最初の浄化なしには、金属体は魂に入り込み、それを保持するものとなり、昇華、固定、保持、混合、その他のあらゆる作業を省けるようにはならないからである。溶解は、次の二つの仕方を出ないと知れ。一つは、物の内側を表面へ引き出すことであり、これによって溶解となる。その例として、銀は外に現れた面では冷たく乾いているが、内側が現れると溶解する。その内側は熱く湿っているからである。もう一つの溶解とは、身体が、それまで持たなかった外来の湿りを得て、自らの湿りをそれに加えることである。その結果、諸部分が解け、それによって溶解が起こる。
第13章 溶解した石の凝固について
ある賢者たちはいった。「湯浴の中で、私が述べたとおり、十分に凝固させよ。それは闇の中で光る硫黄であり、赤いヒアキントスであり、火性の、命を奪う毒であり、何ものの上にも残らないエリクシルである。また、勝利する獅子、害をなすもの、切り裂く剣、そしてあらゆる病を癒す治療薬テリアカでもある。」
注 相反する名称は歴史的な象徴表現として列挙されている。万能治療の主張は医学的助言ではない。
ハイエンの子ゲベルはいった。「この術のすべての操作は、六つの事柄に含まれる。追い払うこと、融かすこと、蝋のようにすること、大理石のように白くすること、溶解すること、凝固することである。」追い払うとは、霊と魂から黒さを追い払い、取り除くことである。融かすとは、身体の液化である。蝋のようにすることは、固有には身体に属し、その精妙化である。白化とは、固有には身体をすみやかに融かすことである。凝固とは、調製された魂とともに身体を固めることである。また、追い払うことは霊と魂に、融かすこと、白化、蝋化、溶解は身体に施される。凝固は魂に施される。理解せよ。
注 人物名は底本の印刷形 Hayen を保持した。操作の用語は本書内の定義をそのまま訳している。
第14章 石がただ一つであること、およびその本性について
ギリシアの哲学者バウザンは、「芽を出すものが石となりうるか」と問われ、こう答えた。「第一の石は二つ、すなわちアルカリの石と、われわれの石である。われわれの石は、それと、その作業を知る者にとって生命である。」知らず、作らず、どのように生まれるかを確かめず、ただ石を想像する者、あるいは、この石のあり方について私が述べたすべてを理解しない者は、自らを死へ、財を喪失へと備えたことになる。この誉れある石を見いださなければ、他のものがその代わりを務めることはなく、自然本性がこれに勝つこともない。その本性は、調節された大きな熱である。それゆえ、これを知った者はすでに教えたのであり、知らない者は教えなかった。
注 底本の問答は構文と論旨に難所があるため、明確な物質名や現代的同定を補っていない。
この石は、多くの特性と力を持つ。金属体から、付加された病の性質を清め、実体を損なわれないまま保つ。そのため、対立するものの混乱も、結びつきの解消も、そこには現れず、見られない。また、これは金属体の石鹸であり、その霊であり、その魂である。それらと混ざると、損なうことなく溶解する。
これは死者の生命であり、その復活であり、身体を保ち、余分なものを清める薬である。知る者は知るがよく、知らない者は知らぬがよい。この作業は代価によって得られず、売買と結びつくものでもない。その力、価値、誉れを理解し、作業せよ。ある賢者はいった。「この術は、あなたの大胆さ、強さ、巧みさだけによって、何の労苦もなく、神から与えられるものではない。人間が働き、神が人間に幸運を授けるのである。」それゆえ、祝福された業によってこれほどの恩寵を与えようとしてくださった、創造主なる神を崇めよ。
第15章 石を白へ導く作業の方法
この誉れある術を行おうとするなら、誉れある石を取り、ククルビタに入れ、アランビックをかぶせ、「知恵の泥」でしっかり閉じ、乾かせ。知恵の泥で閉じるたびに、このようにするのである。その後、非常に熱い糞の中に入れ、それから蒸留し、下に受器を置いて水を滴下させよ。水がすべて滴下し、湿りが乾き、乾燥が優勢になるまで、そのまま置け。その後、乾いたものを取り出し、蒸留された水は必要になるまで保存せよ。
注 以下は1541年版の歴史的操作記述の翻訳であり、実施を勧めるものではない。「知恵の泥」は器具の接合部を封じる調製物の伝統的名称。
ククルビタの底に残った乾いた金属体を取り、磨り砕き、薬の量に見合う大きさのカルコソラリウムという器へ入れよ。それを、できるかぎり熱く湿った馬糞の中に埋めよ。器は栓と知恵の泥でよく閉じ、そのまま置け。糞が冷え始めたとわかったら、別の非常に熱いものを用意し、その中に器を置け。必要に応じて熱い糞を何度も新しくしながら、四十日間続けよ。薬は自ら溶け、白く濃い水となる。この状態になったら、その重さを量り、先に保存した水を、その重量の半分だけ加えよ。それから知恵の泥で器を閉じ、再び熱い馬糞へ戻せ。そこには湿りと熱があるからである。前に述べたとおり、冷え始めたら糞を新しくすることを怠らず、四十日が満ちるまで続けよ。そうすれば、薬は先に溶けるのにかかったのと同じ日数で凝固する。
注 Chalcosolarium と pila の器具としての厳密な同定は留保。後者はここでは器を閉じるものとして「栓」と訳した。
その後、それを取り、全重量を量り、先に作った水を、それと同量取れ。身体を磨り砕き、精妙にし、その上へ水を注げ。再び熱い馬糞の中に、一週半、すなわち十日間戻せ。それから取り出すと、身体がすでに水を吸収しているのを見いだすであろう。次いで磨り砕き、先に述べた量の水を加えよ。糞の中に埋め、さらに十日間置け。その後、取り出せば、身体が水を吸収している。再び前と同じように磨り砕き、先に述べた量の水を加え、同じ糞の中に埋め、十日間置いて取り出せ。第四回も同様に行え。四回目が終わったら取り出して磨り砕き、溶解するまで糞の中に埋め、それから取り出し、さらにもう一度繰り返せ。そのとき、根源は完全となり、その作業を成し遂げている。
注 「一週半、すなわち十日」は底本の表現をそのまま保存した。現代の暦計算に合わせて十日半へ変更しない。
兄弟よ、材料がこのようになり、この誉れある状態へ導かれたなら、鉛または錫二百五十ドラクマを取り、融かせ。液化したら、辰砂一ドラクマ、すなわち、この誉れある状態と高い段階まで導いた薬一ドラクマを、その上へ投射せよ。それは錫または鉛を保持し、火から揮散させず、白くし、その欠陥と黒さを取り去り、永久に持続する染料へ変える。その後、この二百五十ドラクマのうち一ドラクマを取り、錫、真鍮、または銅二百五十ドラクマへ投射せよ。すると、鉱山から取るものよりよい銀へ変えるであろう。これが、そのなしうる最大のこと、最後のことである。神の御心ならば。
注 Cinnabaris を本文自身が「この薬」と言い換えている点を保持する。現代の硫化水銀そのものと即断しない。ドラクマは底本の重量単位であり、現代のグラムへ換算しない。
第16章 先の石を赤へ転換すること
この術を金へ向けて転換したいなら、先に述べたように、誉れある状態と高い段階へ導いた薬を、一ドラクマの重さだけ取れ。これは、前に示した例の仕方に従うものである。それをカルコソラリウムの器に入れ、馬糞の中へ四十日間埋めよ。そうすれば溶ける。その後、溶解した身体の水を吸収させ、まず自重の半分だけ与えよ。それから凝固するまで、先に述べたとおり、非常に熱い糞の中へ埋めよ。次いで、この金の章でも、前の銀の章で行ったとおりの順序で作業せよ。神の御心ならば、それは金となり、金を作り出すであろう。子よ、このきわめて秘密の書を守り、神の秘密の中の秘密を知らない者たちの手に渡してはならない。そうすれば、望むことを成し遂げるであろう。アーメン。
終わり
『エメラルド板』
ヘルメス・トリスメギストスのエメラルド板――錬金術について。訳者不詳。
注 表題中のギリシア語 περὶ χημείας は「錬金術について」。Incerto interprete は、このラテン語訳の訳者が不詳であるという底本の表示。
ヘルメスの秘義の言葉。それらはエメラルドの板に記されていた。その板は、彼の埋葬された身体が見つかった暗い洞穴で、彼の両手の間から発見された。
注 これは底本が伝える発見伝説であり、実在する古代の遺物の発掘報告として扱うものではない。
偽りのない真実であり、確実で、このうえなく真実である。
下にあるものは、上にあるもののようである。そして上にあるものは、下にあるもののようである。それは、一なるものの驚くべき業を成し遂げるためである。
注 res una は「一なるもの」。何を指すかを、この短い本文だけから特定の物質や現代科学上の概念に限定しない。
そして、すべてのものが、一なるものから、一なるものの思考によって生じたように、すべてのものは、この一なるものから、適合によって生まれた。
注 底本の語は meditatione(思考・思索によって)。mediatione(媒介によって)へは改めない。adaptatione は「適合・調整によって」の意で、ここでは「適合」とした。
その父は太陽、その母は月である。風はそれを自らの腹の内に運んだ。その乳母は大地である。
注 太陽・月・風・大地は原文の象徴語として訳した。特定の金属や化学物質への置き換えはしない。
全世界のあらゆるテレスムの父は、これである。
注 telesmi(テレスムの)は解釈の難しい語。「完成」「完成をもたらす働き」などと理解されるが、単一の意味に確定せず音写を残した。
その力は、土へと変えられるならば、完全なものとなる。
注 terra は前の単位では宇宙的な「大地」、ここでは変成の行き先である「土」と訳した。versa の対象は文面上必ずしも明瞭ではないため、訳でも特定の物質名を補っていない。
土を火から、精妙なものを粗厚なものから分かちなさい。穏やかに、深い工夫をもって。
注 subtile / spissum は精妙なものと、厚く密なものとの対。ingenium は知恵・才知・巧みさも含み、ここでは作業上の「工夫」と訳した。
それは地から天へと昇り、ふたたび地へと降り、上なるものと下なるものの力を受け取る。こうして、あなたは全世界の栄光を得るだろう。それゆえ、あらゆる闇はあなたから逃れ去るだろう。
注 Ascendit / descendit / recipit は底本では三人称。「昇れ、降れ」とする命令形への読み替えは行わない。
これは、あらゆる力のうちでも強き力である。あらゆる精妙なものに打ち勝ち、あらゆる固いものを貫くからである。
このようにして、世界は創造された。
ここから、驚くべき適合が生じるだろう。その方法は、ここにある。
注 adaptationes は 003 の adaptatione と同じ語に由来する。配合・調整・応用などの含みがある。hic は「ここに」または「このように」とも読める。
それゆえ私は、ヘルメス・トリスメギストスと呼ばれた。全世界の哲学の三つの部分を備えているからである。
注 Trismegistus は「三倍に偉大な者」の意。本文は「哲学の三つの部分」が何であるかを列挙していない。実在の特定個人による自署であると断定しない。
太陽の働きについて、私が述べることはこれで尽きている。
注 operatio は働き・作用・作業。「太陽の働き」とし、本文にない実験手順を補わない。
ホルトゥラヌス『エメラルド板小注解』
海辺の庭にちなむ哲学者ホルトゥラヌスによる、ヘルメス・トリスメギストスの錬金術についての『エメラルド板』への小注解。
ホルトゥラヌスの祈り
全能の主なる神よ、御子である愛しいわれらの主イエス・キリスト、そして慰め主なる聖霊とともに、あなたに賛美、誉れ、力、栄光がありますように。唯一にして一なる神である聖なる三位一体よ、完全な人間である私は、あなたに感謝を捧げる。この世の敵に属する、過ぎ去るものをあらかじめ知ったとき、その快楽に誘われないよう、あなたは大いなる慈悲によって、私をそこから引き上げてくださったからである。しかし、この術において欺かれ、まっすぐな道を歩まない無数の人々を見る。それゆえ、わが主なる神よ、あなたが授けてくださった学知によって、私の愛する人々をこの誤りから離れさせることを、お許しください。彼らが真理を悟ったとき、永遠に祝福される、あなたの聖なる栄光ある名を讃えますように。アーメン。
注 homo perfectus と pronovissem は独立二部の印刷画像に従って転写した。祈りの構文は不安定で、前者の帰属と後者の語形には解釈の余地がある。未確認の別版の語句には置き換えていない。
序文
海辺の庭にちなみ、ホルトゥラヌスと呼ばれる私は、ヤコブの衣に包まれ、哲学の弟子と呼ばれるにも値しない者である。愛する者への愛に動かされ、哲学者たちの父ヘルメスの言葉について、最も確かな説明を述べようと思う。その言葉は隠されているが、私の指を疲れさせる真の作業の実践が、その解釈の全体を、最も真実に即して明らかにした。聖霊の教えが働くところでは、哲学者たちが言葉の中に事柄を隠しても、何の役にも立たないからである。
注 pelle Iacobina は文字通りには「ヤコブにちなむ皮衣」。修道服等を指す可能性はあるが、確定できないため限定しない。Commons の不鮮明な箇所を e-rara PDF391–392で校合した。
第1章 錬金術が真実で確かな術であること
哲学者はいう。「真実である」。すなわち、錬金術がわれわれに与えられていることが真実なのである。「偽りなく」。これは、この術が嘘、すなわち虚偽であるという者たちを退けるためにいう。「確かである」とは、経験によって確かめられているということである。経験されたことは、きわめて確かであり、「最も真実」である。この術によって、最も真実な太陽が生み出されるからである。彼が「最も真実」と最上級でいうのは、この術によって生まれた太陽が、薬効その他すべての性質において、自然のどんな太陽にもまさるからである。
注 太陽は金を指す錬金術の象徴名。薬効に関する主張も歴史的本文のものであり、現代医学上の有効性を示さない。
第2章 石を二つの部分に分けるべきこと
次いで、彼は石の作業に触れ、「下にあるものは、上にあるもののようである」という。こういうのは、この石が術によって二つの主要部分に分けられるからである。上昇する上の部分と、下に固定されて澄んだまま残る下の部分である。しかし、この二つの部分は効力において一致する。それゆえ、「上にあるものは、下にあるもののようである」という。この分割は、「一なるもの」、すなわち石の「驚くべき業を成し遂げるため」に必要である。下の部分は土であり、養い手、また発酵種と呼ばれる。上の部分は魂であり、石全体を生かし、蘇らせる。それゆえ、分離が行われ、結合が成就すると、自然の秘密の作業の中で、多くの驚くべき業が成し遂げられる。
第3章 石が内部に四元素を持つこと
「すべてのものが、一なるものの思惟によって、一つのものから生じたように。」ここで彼は例を示していう。すべてのものは、一つのもの、すなわち混沌とした球体、あるいは混沌とした塊から、「思惟」、つまり思考と創造によって生じた。「一なるものの」とは、全能の神の、ということである。「同じように、すべてのものは生まれた」、すなわち出てきた。「この一つのものから」、すなわち一つの混沌とした塊から。「適合によって」、すなわち神の命令と奇跡だけによって。このように、われわれの石もまた、神によって創造され、内部にすべての元素を含む一つの混沌とした塊から生まれ、出てきた。神の奇跡だけによって、われわれの石はそこから生じたのである。
第4章 石が父と母、すなわち太陽と月を持つこと
自然において、一匹の動物が、自分に似た多くの動物を生むのを見るように、術においても、先の石を増殖させる力によって、太陽が太陽を生む。それゆえ、「その父は太陽」と続く。すなわち、哲学者たちの金である。また、あらゆる自然の生成には、父に似て調和する、適切でふさわしい受容器が必要である。同じように、この人為的な生成においても、太陽はその種と染める力を受け入れる、それに調和する適切な受容器を持たなければならない。それが哲学者たちの銀である。それゆえ、「その母は月」と続く。
第5章 石の諸部分の結合が受胎と呼ばれること
この二つが石の結合において互いを受け入れると、石は風の腹の中で受胎する。これが、次にいう「風がそれを自らの腹の中に運んだ」ということである。明らかに、風は空気であり、空気は生命、生命は魂である。私はすでに、石全体を生かす魂について述べた。したがって、風は石全体を運び、再び運び戻し、この術を産み出さなければならない。そして、それは養い手、すなわち土から養分を受け取ることになる。それゆえ哲学者は、「その養い手は土である」という。幼子が養い手の食物なしには成長できないように、われわれの石も、その土による発酵なしには決して成就しない。この発酵種が、養分と呼ばれるのである。こうして、一人の父から、母との結合によって、あるもの、すなわち父に似た子らが生まれる。長い煮熟を受けなければ、それらは白さにおいて母に似ながら、父の重さを保つであろう。
第6章 魂が身体の中に固定されれば、石は完全となること
次に、「全世界のあらゆるテレスムの父は、ここにある」と続く。すなわち、石の作業の中に究極の道がある。注意せよ。哲学者は、この作業を「あらゆるテレスムの父」、つまり、あらゆる秘密または宝の父と呼ぶ。「全世界の」とは、この世界で見いだされるあらゆる石の、ということである。「ここにある」とは、「見よ、あなたに示す」というような意味である。次いで哲学者はいう。「石の力がいつ完全となり、完成するかを教えてほしいか。それは、自らの土へ変わったときである。」それゆえ、「その力は完全である」、すなわち完成し、欠けるものがない、という。「土へ変えられるならば」とは、先に述べた石の魂が、すなわち風や空気と呼ばれ、石の生命と力のすべてが宿る魂が、石の土へと変わって固定されるならば、ということである。石の実体の全体が、その養い手である土と一体になり、石全体が発酵種へ変わるのである。
注 telesmi は『エメラルド板』本文の難語。ここではホルトゥラヌス自身が示す「秘密/宝」という解釈を訳した。
パンを作るとき、少量の発酵種が大量の生地を養い、発酵させ、こうして生地の実体全体を発酵種へ変える。それと同様に、哲学者は、われわれの石が十分に発酵し、石を増殖させる発酵種となることを望んでいる。
第7章 石の浄化について
次いで、どのように増殖させるべきかを述べる。しかし、まず石の浄化と諸部分の分離について、「土を火から、精妙なものを濃密なものから、大いなる才知をもって穏やかに分離せよ」という。「穏やかに」とは、少しずつ、力ずくではなく、才知によって、すなわち哲学的な糞の中で行うことである。「分離せよ」とは、溶解せよ、ということである。溶解とは諸部分の分離だからである。「土を火から、精妙なものを濃密なものから」とは、滓と不浄なものを、火、空気、水、そして石の実体の全体から分離することである。そうして石は、その場に汚れなく、最も清浄なものとして残る。
第8章 石の固定されていない部分が、固定された部分に勝り、それを引き上げるべきこと
このように調製された石は、増殖に適している。そこで、彼はその増殖と、硬い金属体にも軟らかい金属体にも入り込む力を備えた容易な液化について、「地から天へ上り、再び地へ下る」という。ここでは十分注意すべきである。われわれの石は、最初の作業では四元素である四つの部分に分かれるが、すでに述べたように、主要な部分は二つである。一つは上へ昇り、固定されていないと呼ばれる部分である。もう一つは、下に固定されて残り、土または発酵種と呼ばれ、先に述べたように石全体を養い、発酵させる部分である。固定されていない部分は大量に用意し、汚れなく最も清浄にされた石へ、術によって幾度も与えなければならない。石全体が霊の力によって上へ運ばれ、昇華され、精妙になるまで続けるのである。これが哲学者のいう「地から天へ上る」ということである。
第9章 揮発性の石を再び固定する方法
その後、このように高められた石を、最初の作業で石自体から抽出した油、すなわち石の水と呼ばれるものによって、蝋のように軟らかくしなければならない。そして、石とともに上げられた土の発酵力によって、石全体が再び天から地へ下り、固定されながら流動する状態にとどまるまで、幾度も昇華させつつ加熱しなければならない。これが哲学者のいう「再び地へ下る」ということであり、こうして昇華によって「上なるものの力」を、下降によって「下なるものの力」を受け取る。つまり、身体を持つものは昇華によって霊的となり、霊的なものは下降によって身体を持つものとなる。
第10章 術の成果と石の効力について
「こうして全世界の栄光を持つであろう。」すなわち、このように調製した石によって、この世界の栄光を手に入れる。「それゆえ、すべての暗さがあなたから逃げ去る。」つまり、あらゆる欠乏と病が去るということである。このように作られた石は、すべての病を治すからである。「これは、あらゆる力のうちの強い力である。」この世界の他の力は、この石の力とは比べものにならないからである。「それは、すべての精妙なものに勝ち、すべての堅固なものを貫く。」「勝つ」とは、精妙な水銀を制し、凝固させて変えるということであり、また、他の硬く、堅固で、強固な金属体にも入り込むということである。
注 万能治療に関する主張は中世錬金術の本文であり、医学的効能を認めるものではない。
第11章 この術が宇宙の創造を模倣すること
次に、哲学者は石の調製について例を示し、「このように世界は創造された」という。すなわち、世界が創造されたのと同じように、われわれの石も作られたのである。先に述べたとおり、初め、全世界とその中のすべては、一つの混沌とした塊、すなわち混沌そのものであった。その後、至高の創造主の技によって、その塊は四元素へと分けられ、驚くべき仕方で分離され、整えられた。この分離によって、さまざまなものが生じる。同じように、われわれの作業を適合させ、さまざまな金属体からさまざまな元素を分離することによって、多様なものが作られる。「ここから、驚くべき適合が生じるであろう。」すなわち、元素を分離すれば、整えられた元素の結合によって、われわれの石を調製する作業に適した、驚くべき複合物ができる。「その」とは、この目的に適したそれらの驚くべきものの、ということであり、「方法」、すなわち与えられた作業の方法は「ここにある」。
第12章 石の材料が何であるかを謎めいて示すこと
「それゆえ私は、ヘルメス・トリスメギストスと呼ばれる。」哲学者は石の調製を教えたのち、ここで、われわれの石が何からできるかを、隠された仕方で教える。まず自分の名を挙げるのは、この学知に到達する弟子たちが、その名を永遠に記憶するためである。次に、石が何から成るかに触れ、「全世界の哲学の三つの部分を持つ」という。この世界にあり、質料と形相を持つものはすべて、四元素から構成される。したがって、世界には無数の部分があるが、哲学者はそれらすべてを、鉱物、植物、動物という三つの主要部分へ分ける。哲学者は、太陽の作業において、これらを合わせても別々にしても、真の知識を持っていた。それゆえ、「全世界の哲学の三つの部分を持つ」という。これらの部分は、一つの石、すなわち哲学者たちの水銀に含まれるのである。
第13章 石が完全と呼ばれる理由
この石が完全と呼ばれるのは、鉱物、植物、動物の本性を内部に持つからである。それは三つにして一つの石であり、四つの本性、すなわち四元素と、黒、白、赤という三つの色を持つ。また、小麦の粒とも呼ばれる。死ななければ、それは一粒のままである。しかし、先に述べたように死んだのち、結合において一つとなると、多くの実を結ぶ。すなわち、先に述べた諸作業が完成したときのことである。愛する読者よ、あなたが石の作業を知っているなら、私は真実を語った。知らないなら、何も語らなかった。「太陽の作業について述べたことは、これで完了した。」すなわち、石の作業について、また、先に述べたように一つのもの、ただ哲学的な水銀の中にある三つの色と四つの本性について、述べたことは完了したのである。
終わり
1541年8月、ニュルンベルクにてヨハン・ペトレイウスにより印刷。
印刷者ペトレイウスの読者への告知・書目
印刷者ヨハン・ペトレイウスより、学問に励む読者へ挨拶を送る。
学問に励む読者よ、いま君の手もとにあるのは、数こそ少ないが、決してありふれたものではない金製造術の小著である。これらが歓迎されたと分かれば、私のもとにある同種の著作のなかから、より多くの、とくに優れたものを、ほどなく世に出そう。
注 χρυσοποιία は「金を作る術」の意。
しかし、諸写本は、一部は古さと放置によって傷み、一部は筆写者の無知によって本文を損なわれており、多数の写本を照合しなければ訂正・校訂できない。そのため、これらのうち何かを持っている人は、ラテン語でもドイツ語でも、惜しみなく私に提供してくださるようお願いする。多くの写本を照合し、いっそう正しい本文が研究者たちの手に渡るようにするためである。そうしてくださる方は、この術を志す人々から並々ならぬ感謝を受けるだろう。私からも、元の写本を傷めずに返すとともに、印刷した本を何部か贈り物として差し上げる。さて、私たちのもとにあるのは次のものである。なかでも最良のものには星印を付した。
注 続く書目は、印刷者の所蔵する今後の刊行候補であり、この巻にすべて収録されているという意味ではない。
*ヘルメス・トリスメギストスの七論考
*女預言者マリアの対話
*哲学者の集会
*モリエヌス
*区別の書
*アルフィディウス
アヴィセンナの鉱物についての書
光の光
注 星印は原版のもの。印刷者が「最良」と評価した書を示す。
*哲学者ランバルドゥス
*知解の百合
サトゥルヌスの書
ロゲリウス・バコの、ある枢機卿に宛てた別の書
小兄弟会の修道士ヘリアスの『錬金術の鏡』
同人の『太陽から月への書簡』
*神智学の精華
ヴィラノヴァのアルノルドゥスの『薔薇園』
同人の『諸問題』
同人の『旧遺言』
同人の『新遺言』
パルマの師ブラシウスの『百合』
著者不詳の別の『百合』
*新しい真珠
根の書
黄金の薔薇
ヨハネス・デ・ルペシッサ
*黄金の小書についての対話
ペトルス・デ・ゼルコ
哲学者たちの実践
精妙博士スコトゥス
トマス・アクィナスの、兄弟レイナルドゥスに宛てた書
ヨハネス・テケネンシス
アラヌスの言葉
三位一体の書
ヨハネス・ウィエネンシスの『諸元素の鏡』
*ライムンドゥス・ルルスの著作多数。これらは、何よりも完全な形で刊行したいと望んでいる。
注 人名の綴りと著者帰属は、この書目の表記を保持した。題名だけでは特定が確実でないものを、現代の別の作品と断定していない。
原刊正誤表
いくつかの小さな誤植は、次のように訂正せよ。
注 頁数と行数は1541年刊本の本文を指す。訂正の対象となるラテン語文字列は、照合できるよう原語で保持した。語句の訂正を現代的な事実訂正と混同しない。
3頁5行、「extensibilem」と読む。
3頁最終行、「qua eorum」と読む。
4頁16行、「ex quocunque」と読む。
5頁7行、「Diversificatur autem」と読む。
6頁18行、「aludele」と読む。
8頁5行、句点を削除する。
9頁24行、「depurata」と読む。
10頁1行、「Et hoc」と読む。
16頁1行、「in ipsius」と読む。
21頁17行、「tētione」と読む。
注 底本の訂正語は略記 tētione と見える。原刊のこの文字列を保持し、推測による展開をしていない。
注 21頁では前行末の in- に続く語の後半を訂正する指示。本文の読書用転記では intentione と展開した。
21頁22行、「quod naturam」と読む。
21頁24行、「et ea」と読む。
24頁25行、「preciosissimae」と読む。
25頁2行、「et opera」と読む。
25頁12行、「ratione ullius」と読む。
26頁21行、「huius mundi」と読む。
27頁25行、「preciosi」と読む。
28頁11行、「sufficienter」と読む。
28頁15行、「nec」と読む。
28頁16行、「ne si」と読む。
31頁15行、「et haec」と読む。
33頁9行、「contusionem」と読む。
35頁5行、「contusio」と読む。
35頁17行、「contusione」と読む。
36頁22行、「Si dixerint ergo」と読む。
37頁15行、「Ad hoc etiam」と読む。
37頁19行、「esse」を削除する。
37頁20行、「non esse concedere」と読む。
38頁12行、「quod non」と読む。
42頁最終行、「intentione」と読む。
49頁19行、「liquefactu」と読む。
55頁17行、「potuerint」と読む。
59頁25行、「in」を削除する。
62頁19行、「aliud in tinctura」を削除する。
63頁11行、「difficillime」と読む。
63頁15行、「difficillime」と読む。
65頁3行、「extensibile」と読む。
67頁11行、「extensibile」と読む。
69頁6行、「mollicie」と読む。句点を削除する。
69頁9行、句点を削除し、「corpora」と読む。
69頁12行、「albedinem」と読む。
73頁26行、「Lazuli」と読む。
75頁8行、「quia quae」と読む。
78頁2行、「affine」と読む。
81頁4行、「bombicis」と読む。
83頁2行、「praeparatione vera」と読む。
90頁1行、「imbibitionis」と読む。
91頁14行、「argento vivo」と読む。
91頁18行、「saepissime」と読む。
93頁17行、「vero laxa」と読む。
115頁24行、「converterent」と読む。
123頁19行、「Magnesiae」と読む。
130頁20行、「plus illius naturae」と読む。
130頁22行、「perfectivum」と読む。
131頁14行、「extiterit」と読む。
136頁2行、「si」と読む。
136頁14行、「non」と読む。
143頁21行、「quia cum」と読む。
151頁2行、「hos esse」と読む。
174頁9行、「multum」を削除する。
181頁5行、「ipsius」と読む。
186頁1行、「invenies」と読む。
186頁24行、「prosequentes intentum」と読む。
187頁22行、「et suae confectionis」と読む。
193頁3行、「salvatur」と読む。
199頁14行、「pretenderit」と読む。
199頁22行、「similiter」と読む。
208頁1行、「opportunas」と読む。
210頁14行、「destilletur」と読む。
212頁10行、「extrahuntur diversa」と読む。
213頁8行、「Cinnabari」と読む。
216頁13行、「ammoniacus」と読む。
216頁19行、「secretum nec est praetermittendum」と読む。
219頁1行、「fugare」と読む。
220頁11行、「calcis」と読む。
223頁9行、「vitrioli」と読む。
227頁11行、「de cupro」を削除する。
229頁の頁数を訂正する。
229頁11行、「mordeamur」と読む。
229頁最終行、「appropriato」と読む。
237頁2行、「furni」と読む。
238頁3行、「Per hunc」と読む。
238頁6行、「fuerint」と読む。
245頁8行、「sint」と読む。
246頁2行、「extrahitur」と読む。
261頁12行、「humanus」と読む。
264頁18行、「peritorum」と読む。
274頁9行、「amovet」と読む。
275頁13行、「scientis」と読む。
289頁15行、「mineralem」と読む。
289頁23行、「poscit」と読む。
302頁7行、「separare」と読む。
305頁17行、「sulphuris infectum. Et plus malum citius.」と読む。
310頁3行、「plantarum」と読む。
314頁22行、「amalgamentur」と読む。
314頁26行、「erodantur」と読む。
316頁6行、「sint fixi」と読む。
318頁11行、「petrae」と読む。
323頁23行、「Solvantur」と読む。
324頁16行、「sit」と読む。
329頁9行、「tum coniungendae」と読む。
333頁25行、「fumum ablegandum」と読む。
340頁8行、「intellectui」と読む。
340頁12行、「elixir unum」と読む。
352頁2行、「eiusdem provenit」と読む。
図版と出典
円筒形の炉、側面の通気孔と開口、穴のあいた蓋、および二つの容器を示す1541年刊本の木版図(本文の図版) / 対応する訳文
二重の縁を持つガラスの鉢状容器と、その横に置かれた先細りの蓋の1541年木版図(本文の図版) / 対応する訳文
高い昇華容器を据えた炉と、取り外した容器・底・細い検査棒を示す1541年の木版図(本文の図版) / 対応する訳文
上部で加熱する炉、円錐形の下降器、その内部の支持棒、平らな蓋を示す1541年の木版図(本文の図版) / 対応する訳文
炉内の蒸留器、別置きのアランビックとククルビタ、および濾布から受器へ滴下させる石鉢を示す1541年刊本の木版図(本文の図版) / 対応する訳文
開放された上部と下方の焚口をもつ角形炉、二つの鉢、孔を開けた板を示す1541年刊本の木版図(本文の図版) / 対応する訳文
細長い瓶を湯浴の炉に据え、別の瓶を抱えた人物を示す1541年刊本の木版図(本文の図版) / 対応する訳文
長い円錐形の二容器と、球状の胴および細長い首をもつ瓶を示す1541年刊本の木版図(本文の図版) / 対応する訳文
長い円錐形容器と分離された底部を扱う人物、およびそれを見守る人物を示す1541年刊本の木版図(本文の図版) / 対応する訳文
四角い煉瓦炉、火床、土皿を描いた1541年刊本の木版図(本文の図版) / 対応する訳文
円筒形の昇華炉、穴の開いた板、昇華用容器の木版図(本文の図版) / 対応する訳文
蒸留炉、嘴付きの器、冷却用の鉢と受器を示す木版図(本文の図版) / 対応する訳文
上部に炭火のある炉、漏斗状の下降器と蓋を示す木版図(本文の図版) / 対応する訳文
円筒形の溶融炉、二つのるつぼ、穴の開いた板を示す木版図(本文の図版) / 対応する訳文