政治思想 / Irving Babbitt民主主義と指導力

政治思想 / Irving Babbitt

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追加日: 2026-02-09 / 更新日: 2026-07-23
原著: Democracy and Leadership
出典元ライセンス: パブリックドメイン
翻訳文ライセンス: CC0 1.0 Universal
翻訳者: ポロミン

出典・権利

原著:Irving Babbitt, Democracy and Leadership(1924)/底本:Internet Archive/原著:パブリックドメイン/翻訳・編集:ポロミン(@cacazu_right)/翻訳文:CC0 1.0 Universal/非公式訳。

著者は『ルソーとロマン主義』『近代フランス批評の巨匠たち』『新ラオコーン』ほか。

ボストン、ニューヨーク

ホートン・ミフリン社

リヴァーサイド・プレス、ケンブリッジ

1924年


原書の著作権表示(1924年当時)

1924年、アーヴィング・バビット著作権所有。

無断複製を禁ず。

リヴァーサイド・プレス

マサチューセッツ州ケンブリッジ

アメリカ合衆国印刷


この種の立法〔私有財産に反対する立法〕は、いかにも慈善的であるかのような外観を帯びることがある。人々はたやすく耳を傾け、何か驚くべき仕方によって、すべての人がすべての人の友となるのだと信じ込まされやすい。とりわけ、現存する国家の弊害を誰かが非難し、……それらの弊害は私有財産の所有から生じるのだと言うと、なおさらである。しかし、これらの弊害はまったく別の原因――人間本性の邪悪さ――から生じている。
――アリストテレス『政治学』1263b, 11
意志と欲望を制御する力がどこかに置かれないかぎり、社会は存在できない。その力が人間の内側に少なければ少ないほど、外側にはそれだけ多く必要となる。節度を欠いた精神の持ち主は自由ではありえない――これは万物の永遠の秩序に定められている。
――バーク「国民議会議員への書簡」
私の政治的信条の根本条項は、専制、無制限の主権、絶対権力は、民衆議会の多数派にあろうと、貴族評議会にあろうと、寡頭派の徒党にあろうと、一人の皇帝にあろうと、同じものだということである。それらは等しく恣意的で、残酷で、血なまぐさく、あらゆる点で悪魔的である。
――ジョン・アダムズ「トマス・ジェファソン宛書簡」(1815年11月13日)
日々の個々の愚行に対しては、つねに世界史的な大きな全体を対置すべきである。
――ゲーテ『箴言』

序記

本書の一部は、1920年3月に私がケニオン大学でラーウィル基金講座として行った全4回の講演に用いた。その講演には「民主主義と帝国主義」という総題を付けた。1922年4月には、リーランド・スタンフォード大学でウェスト基金講座として全4回の講演を行った。「民主主義の倫理的基礎」と題したこの講演には、ケニオン大学での講演と共通する素材も含まれていたが、形式を改め、大幅な加筆も施した。最後に、1923年3月から5月にかけてソルボンヌ大学で行った「ジャン=ジャック・ルソーの政治著作」と題する公開講義のため、本書のいくつかの章を利用した。これらの講演を行うにあたり、さまざまな便宜を与えてくださった各大学当局に感謝したい。

I・B

マサチューセッツ州ケンブリッジ

1924年2月


目次

序論 1
参考文献 337
人名索引 345

序論

ロイド・ジョージ氏によれば、未来は現在にもまして、経済問題、とりわけ資本と労働の関係にほとんど専念することになるという。もしそうなら、未来はきわめて表面的な時代になるだろう、と答えたくなる。経済問題を少しでも徹底して考察すれば、それが政治問題へ通じ、政治問題はさらに哲学問題へ通じ、最後には哲学問題そのものが宗教問題とほとんど切り離せないほど結びついていることが分かる。本書は、近代の運動がもつこうした深い含意を明らかにしようとしてきた一連の著作の一冊にすぎない。それぞれ異なる主題を扱ってはいるが、この一連の著作は、自然主義的傾向への共通した関心によって結ばれている。この傾向は、その主要な側面のいくつかについては少なくともルネサンスまでさかのぼるが、伝統に対する決定的勝利を収めたのは18世紀であった。現在われわれが生きている世界への道を準備した18世紀の人物のうち、私は本書でも、またこれまでの著作でも、ルソーに最重要の地位を与えてきた。事実を調べた者なら、アクトン卿のように「ルソーは、アリストテレス、キケロ、聖アウグスティヌス、聖トマス・アクィナス、その他かつて生きたどの人物よりも、その筆によって大きな影響を及ぼした」とまで言わないにしても、ルソーがこの卓越した地位にあることを否定するのは難しいだろう。 私自身の分析が正しいとすれば、思想史におけるルソーの最大の特徴は、正しい問いに誤った答えを与えたことである。正しい問いを発したというだけでも、決して小さな功績ではない。

いずれにせよ、私が現在の主題を扱う際の枠組みは、ルソーから示唆されたものである。急進的民主主義の理論家のなかで、彼は文句なく第一人者である。同時に、文明を攻撃した人物のなかでも最も著名である。しかも彼は、民主主義の擁護と文明への攻撃とを、明確な関係に置いた。この点で彼は、民主主義を「文明か野蛮か」という問題ではなく、「進歩か反動か」という問題に結びつける人々よりも深く踏み込んでいるように見える。なぜなら、人間が文明へ向かって進んでいると示せないのなら、そもそもなぜ進歩しなければならないのか。またルソーが主張するように、野蛮のほうが幸福であるなら、進歩に何の価値があるのか。われわれが十分に明晰に考えるなら、進歩派と反動派の対立を第一に強調する人物を、やや時代遅れの、19世紀の遺物にすぎないものとして退け、その代わりに、文明人と野蛮人との、より本質的な対立へ注意を向けることになるだろう。たしかに19世紀の人間は、自分が促進しようとしている進歩が文明へ向かう進歩であることを、当然の前提としていた。この点に疑いを抱く者は大戦以前から存在した。大戦そのものによって疑いを呼び覚まされた者もいれば、戦後の平和によって疑うようになった者もいる。「はるか彼方の神聖な出来事」へ向かって進んでいると思っていた時代が、実際にはハルマゲドンへ向かって進んでいたとすれば、その時代の進歩観には何か根本的な混乱があったのではないか、と考えざるをえない。この混乱の性質を見抜くうえで、私がこれまでの著作でたびたび用いてきたエマソンの区別が役に立つだろう。すなわち、「人間の法則」と「事物の法則」の区別である。孔子が最も愛した弟子を特に称賛したのは、その弟子が「つねに進歩し、決して立ち止まらなかった」からである。孔子が明らかに念頭に置いていたのは、人間の法則に従う進歩であった。それに対し、19世紀の人間がふつう「進歩」という語で意味したのは、これまた明らかに物質的進歩であった。この問題について多少なりとも考えた場合でさえ、彼は道徳的進歩が物質的進歩からほとんど自動的に生じると想定していたようである。しかし人間の経験が二重の性質をもつことを考えれば、問題全体は、通常の進歩主義者が想像したよりはるかに複雑である。自然の法則に従う進歩が文明に寄与するためには、何らかの適切な目的に従属させられなければならない。しかも自然の法則それ自体は、その目的を与えてくれない。この真実が無視された結果、自分を進歩的だと思いながら、力と速度をそれ自体のために追い求める人間が現れた。ある人が言ったように、ますます速く行けさえすれば、どこへ向かっているかを気にしない人間である。

進歩と文明がこの程度の意味しかもたないのであれば、ルソーが野蛮を好んだことに共感してもよいかもしれない。文明状態より野蛮状態を好む理由として彼が挙げたものは、それ自体きわめて重大である。彼によれば、野蛮状態のほうが友愛に満ちている。友愛の精神は、真正の哲学だけでなく真正の宗教が咲かせる最上の花である。それを得るためなら、ほとんどどのような犠牲も払う覚悟をもつべきであろう。しかし私は、ルソーの友愛が感傷的な夢にすぎないことを示そうとしてきた。この夢に含まれる心理的な不可能性は明白であり、露骨とさえ言える。たとえば、ルソーの主要なアメリカ人継承者の一人であるウォルト・ホイットマンは、彼自身と同じく、「いかなる危険を冒しても、抑制されない本来の力をもつ〈自然〉に語らせる」人々のあいだに普遍的同胞愛が成立すると説く。 言い換えれば、ホイットマンは、宗教的徳である同胞愛を、際限なく拡張する欲望の上に築こうとするのである。

私は本書および他の著作で、ルソーやホイットマンが考える民主主義的友愛と、功利主義者が考える進歩とは、特定の点でどれほど衝突しようとも、結局は同じ自然主義的運動の異なる側面にすぎないことを示そうとしてきた。この運動は、その全体を人道主義と定義できる。私は数年前、この運動には何かが欠けており、その欠けているものこそ、アーチ全体を支える要石かもしれないと述べた。

この中心的な欠落から生じる誤りは、多くの形をとる。ここではほとんど無作為に、そのきわめて粗雑な一形態――ついには街頭の普通の人にまで届いた形態――を選んでみよう。広く読まれている雑誌『フォトプレイ』のある執筆者は、数段落にわたる社説で、「してはならない」と言う人々を非難している。そういう人々は破壊するだけであり、あらゆる寛大で創造的な衝動の敵だというのである。「してはならない」を捨て去ることによってのみ、人は師の言葉、すなわち「私が来たのは、あなたがたが命を得、しかもそれをより豊かに得るためである」という言葉を実現できるという。ヘンリー・フォード氏なら、こうした発言を、異邦人の文明を破壊しようとするユダヤ人の大陰謀の一部として片づけることだろう。しかし、人間本性のうち拡張するものはすべて神的であると宣言したのは、ユダヤ人ではなくスタール夫人であった。この「神的な拡張性」という考えは、西洋においてスタール夫人以前から長い歴史をもち、そのいくつかの局面は少なくとも新プラトン主義者にまでさかのぼる。

いずれにしても、「してはならない」を捨て去れば、宗教的な意味でより豊かな命に到達できるという主張は、私が論争の対象としている近代運動の一面を、極端な形ではあっても明瞭に要約している。とりわけ本書が取り組むのは、あらゆる課題のなかで最も人気のない仕事――拒否権の擁護――である。われわれが生きているこの奇妙な時代の、なかでも特に奇妙な特徴は、拒否権について最も耳を貸そうとしない人々こそ、その行使に依存する徳――たとえば平和や同胞愛――を自分たちが代表していると最も強く確信していることである。あらゆる種類の拡張主義者に対して、私は次のように断言することをためらわない。人間のうち特に人間的であり、究極的には神的であるものは、意志のある特定の性質である。それは、人間の日常的な自己との関係において、差し控えようとする意志として感じられる。この意志の性質を肯定することは、何ら新しいものではない。それは、霊の法則と肉体の諸器官の法則とを対置したパウロの考えに含まれている。一般に、知性より意志を優位に置く考えは東洋的である。謙虚さの観念、すなわち人間はより高い意志に従う必要があるという観念は、東洋の宗教であるキリスト教とともにヨーロッパへ入ってきた。この観念は、キリスト教の衰退とほぼ正確に比例して力を失ってきた。賢明な人生観において意志の至上性を認めることは不可欠だと私には思われるため、古代であれ近代であれ、西洋において知性または感情のいずれかを第一に置こうとしてきた人々に対し、重要な点で私はキリスト教徒の側に立つ。しかし私は、高次の意志と、それが人間の拡張的欲望に対して行使する拒否の力に関心をもつにしても、その関心が宗教的というより人文主義的である点で、キリスト教徒とは異なる。言い換えれば、真正の宗教がつねに最終的に到達する黙想よりも、世俗的な人間関係を律するべき節度の法則を、現実の事情に仲介して適用することに、私はより大きな関心を寄せている。さらに私は、単に伝統を受け継ぐのではなく、積極的かつ批判的な方法によって自らの人文主義に到達しようとしている。この点では私は、当初から外的権威を退け、直接的で経験的なものを重んじてきた自然主義者と同じ側にいる。科学者が自然の法則をこのように批判的に扱うかぎり、われわれは彼に十分な敬意を払うべきである。人間本性そのものの少なからぬ部分も、自然の法則の下にある。誤りは、この法則によって人間本性の全体を覆おうとしたときに始まる。それは外的権威を否定するだけでなく、直接経験される事実を否定することでもある。すなわち、各人が自分の内に自覚する、霊の法則と肉体の諸器官の法則との対立である。この対立を否定したり、ごまかしたりすれば、それと同じだけ内面生活は消滅へ向かう。カーライルが示した、フランス革命のルソー主義と真正のキリスト教との対比は、そのまま、感傷的な形であれ功利主義的な形であれ、人道主義一般と、高次の意志を肯定するあらゆる教説との対比でもある。カーライルはこう叫ぶ。「ああ、違うのだ、ルー氏よ! それは、古い四人の福音書記者の誰にも従わず、各人が救われるために自らの邪悪な生を悔い改め、正すよう求めるものではない〈同胞愛の福音〉である。むしろ、われわれがたびたび示唆してきたように、新しい第五の福音書記者ジャン=ジャックに従う福音であり、各人が世界全体の邪悪な生を正し、憲法を制定することによって救われるよう求める福音なのだ。両者は天と地ほど異なり、隔たっている。」

社会改革を自己改革の代わりに置くことに対する私自身の異議は、それが、より直接的なものから、より間接的なものへ背を向けることにある。私はこれまで、功利主義的・感傷的運動を批判するにあたり、形而上学的・神学的前提を避け、膨大で、なお増え続けている証拠によって支えられた心理分析に依拠しようとしてきた。この意味で私の人文主義は、積極的かつ批判的であるだけでなく――結局それと同じことになるのだが――個人主義的でもある。現在の状況において重要な闘争は、不健全な個人主義者と伝統主義者との闘争でもなければ、現在一般に想定されているような、不健全な個人主義者と利他主義者との闘争でもない。健全な個人主義者と不健全な個人主義者との闘争である。健全な個人主義者となるには、過去と多かれ少なかれ完全に決別するとしても、内面生活の真理を手放さないことが必要である。

意志の問題が政治問題にどのように関係するかを、批判的かつ人文主義的な方法で扱おうとする本書の試みを、より十分に理解してもらうため、ここで私の議論が以前にたどったいくつかの段階について少し述べておくとよいだろう。『文学とアメリカの大学』の冒頭の諸章で、私は人文主義者と、功利主義的または感傷的な人道主義者とを区別しようとした。人道主義運動のこの二側面を、私はときにベーコン的側面とルソー的側面と呼ぶ。それぞれの著作と人格において、この二側面を最も完全に先取りしていたと思われる人物の名を取ったものである。私が指摘したように、人道主義者が第一に関心を寄せるのは、人文主義者のように個人とその内面生活ではなく、一まとまりとして見た人類の福祉と進歩である。彼らが好んで使う言葉は「奉仕」である。人文主義を、人道主義を短く便利に言い換えただけの語とみなす現在の傾向は、きわめて有害な混乱を生み出すほかない。

『近代フランス批評の巨匠たち』では、批判的人文主義の擁護をさらに一段進めようとした。内面生活の基礎が、低次の意志と高次の意志との対立にあるとしても、高次の意志は無秩序に働くことはできない。そこには基準が必要である。かつて基準は伝統によって与えられていた。たとえばキリスト教の伝統を受け入れた者は、自分の低次の本性にどのような種類と程度の鍛錬を課すべきかについて、疑いを抱かなかった。そのため、彼は自分自身の内部である程度の道徳的統一を実現し、同じ鍛錬を受け入れた他者とのあいだにも道徳的統一を実現した。それに対し個人主義者が基準をもとうとするなら、伝統による生活の統一からどれほど完全に決別したかに比例して、批判精神に頼らなければならない。彼は最初から、哲学上最も困難な問題――「一と多」の問題――に直面する。なぜなら、事物の無限の相違を測るための、何らかの統一的要素がどこかに存在しなければ、基準が成立しえないことは明らかだからである。『近代フランス批評の巨匠たち』の中心主題は、この「一と多」の問題であり、サント=ブーヴその他の著名なフランスの個人主義者がそれを十分に扱えず、そのため近代的な方法で基準を確立できなかったことである。過去一世紀の批判的努力の成果は、おそらく「相対性」という一語に最も完全に要約できる。個人の移ろう印象と現象界の自然の流動を超えた判断の中心に、批評が到達できなかったことは、文明そのものの敗北である。文明が究極的には基準の維持に依存しなければならないという、私が示そうとしてきた考えが正しいなら、そう言わざるをえない。

『新ラオコーン』では、基準が次第に衰退するのに伴い、文学と諸芸術に生じた無秩序を明らかにしようとした。表面的には、この無秩序は何よりも感情の無秩序に見える。しかし、より注意深く調べれば、感情の無秩序そのものが、さらに微妙で危険な何か――想像力の無秩序――の徴候にすぎないことが分かる。『ルソーとロマン主義』は、その議論において『新ラオコーン』と密接に結びついた著作であり、そこでは想像力の問題を特に扱った。ここで、私が擁護する人文主義のもう一つの特色が現れる。私はギリシア・ローマ的伝統の人文主義者よりも、理性について語ることが少なく、意志について語ることが多いだけではない。想像力にもきわめて重要な役割を認めている。ディドロのように、自然的または拡張的な意志と、特に人間的な意志、すなわち抑制する意志との対立を「人為的」なものとして退けず、反対にこの対立を意識の根源的事実として重視するなら、さらに次の結論へ導かれるだろう。すなわち、この「洞窟内の内戦」の帰趨を決めるのは想像力の態度であり、言い換えれば、想像力は人間の高次の本性と低次の本性とのあいだで勢力均衡を握っている、という結論である。歴史に照らして考えれば――先の大戦より以前へさかのぼる必要すらない――、通常の意味での理性によって自分は支配されているという人間の主張は、悪い冗談に思える。批判的な観察者は、世界を支配するのは理性ではなく「想像力である」としたナポレオンに同意せざるをえない。しかし、人類が、過去一世紀の大部分においてそうであったように、ナポレオン的な性質の想像力によって支配されなければならない、ということにはならない。

「想像力」という語はあまりに多くの意味で用いられてきたため、もはや何の意味ももたなくなった、という不満がある。私がこの語をどのように理解しているかは、簡単な歴史的概観によって、いくらか明確になるかもしれない。英語の imagination の語源であるラテン語 imaginatio は、それ自体がギリシア語の phantasia、すなわち fancy の訳語である。fancy は文字どおりには「現れてくるもの」を意味する。つまり、感覚のさまざまな印象、あるいはそれらの印象を蓄える能力を意味し、したがって記憶と密接な関係をもつ。ギリシア哲学は、現実を理性または精神と同一視する傾向があり、それと比べて「表象」または現象には、かなり低い評価を与えた。とりわけストア派は、感覚の門に押し寄せてくるあらゆる印象を理性が支配し、そのなかから厳格な選別を行うことは、実行可能であるばかりか不可欠だと考えた。マルクス・アウレリウスは言う。「心を乱す、あるいは自分にふさわしくないあらゆる〈表象〉〔すなわち印象〕を退け、消し去り、ただちに完全な平静に入ることは、何と容易なことだろう。」この意味で表象を低く見る態度は、すでにプラトンに見られる。彼は、「確固としており、われわれの〈表象〉によってあちらこちらへ引き回されることのない」真理に到達することを望んだ。 これに対し、キリスト教的謙虚さの主要な源の一つは、人間が自分自身の力だけではそのような真理に到達できないという確信、とりわけ理性だけでは感覚の欺きを克服できないという確信であった。たとえばパスカルは、「想像力」という語に、ストア派がこの語またはそれに相当するギリシア語に与えたのとほぼ同じ意味を与え、ストア派と同様に想像力を低く評価する。ただし、その低評価に理性の低評価も加える。単なる「誤謬の女王」にすぎない想像力と、その誤謬に抵抗できない理性に、彼が対置するのは「心」である。ここでいう「心」とは、恩寵という形で高次の意志が照らし出されることを意味する。この内的啓示は、外的啓示によっても支えられている。パスカルによれば、ここに至って初めて、真理と現実の確固たる足場を見いだせる。彼は、外的啓示にも「心」の生活にも、想像力が関与することを認めない。想像力、すなわち単なる現象と、現実とのあいだに明確で動かしがたい線を引けると信じている点では、少なくともプラトンと共通している。しかし厳密な心理学は、真なるものと幻であるものとのあいだに、そのような鋭い区別を設けることをほとんど正当化しない。むしろジュベールとともに、「幻想は現実を構成する不可欠の一部である」と結論するよう迫る。この結論は、単なる教条には打撃となるかもしれないが、基準を放棄するよう強いるものではない。ただし、その場合には、「想像力」という語がもちうるもう一つの意味、西洋思想においてこの語が実際にもってきた第二の主要な意味とさえ言いたくなるものに、注意を向ける必要がある。この別の意味での想像力は、外的または内的に知覚するものよりも、自ら構想するものを指す。古い英語の用法では、conceit という語が、好意的な意味をもつだけでなく、想像力の同義語の一つでもあったことを覚えておくべきである。この語が、空虚な思い込みを意味する現在の否定的な語義をもつに至った過程には、十分な歴史的説明があるが、ここでそれに立ち入る必要はない。さて、「構想する(conceive)」とは、ほとんど語源どおりの意味で、物事を一つに集めること、類似と類推を見いだし、それによって、そうでなければ単なる異質な寄せ集めにすぎないものを統一することである。コールリッジは、いささか衒学的に、想像力を「多様なものを一つの形へ作り上げる(esemplastic)」力と呼んだ。つまり、物事を一つへ形成する力である。コールリッジがこの想像力観を説明した文章は、私がこの語の第二の主要な意味と呼んだものについて、英語で書かれた最良の例だろう。もう一方の主要な意味の例を求めるなら、『スペクテイター』に掲載されたアディソンの想像力論へ向かえばよい。アディソンは想像力を外的知覚へ還元する傾向があるだけでなく、ギリシア語の「表象」をラテン語で訳した語に促され、外的知覚そのものを視覚的知覚へ狭める傾向さえ示す。

想像力を、単に知覚するものではなく構想するものだと考えるなら、想像力の問題が「一と多」の問題、したがって基準の問題と密接に結びついていることは避けられない。繰り返すが、少なくとも批判的方法によって基準を得ようとするなら、生活の単なる多様性と変化を測るための、持続する統一を生活のどこかに発見しなければならない。「幻想が現実を構成する不可欠の一部」であるからといって、想像力が構想するあらゆる統一を、幻にすぎないものとして退けてよいわけではない。多少逆説を好む者なら、現実の問題を直接にはまったく提起しなくても、なお基準をもつことは可能だと主張するかもしれない。つまり、人間がどのような幻想を抱き、どのように幻想から覚めるか、その質だけによって、実際上の大半の目的に十分なほど正確に人間を測れる、というのである。しかし、絶対的な統一と現実はつねにわれわれを逃れ去り、絶対者一般を形而上学的な夢として退けなければならないとしても、個々の人生観が事物の本性によってどの程度まで承認され、あるいは否定されるかを経験的根拠に基づいて判断し、それに応じて、その人生観をより現実的またはより非現実的なものとして評価することはできる。シュネシオスによれば、神は想像力を通じて人間と交わる。不幸なことに、悪魔も同じ仕方で人間と交わる。そして、これらの交信を判定する基準は、厳密に言えば想像力そのものの内にはない。われわれの想像の質を判定するには、人間のうち知覚する力と構想する力に、第三の力――識別する力――を加えなければならない。人間をいくつかの能力や機能に区分することは、どのような区分であれ多少は恣意的であることを私は承知している。しかし、それは恣意的であっても、少なくとも思考の道具としては避けられない。そして、私がここで用いている三分法は、実際上きわめて有用なものの一つだと分かるだろう。

人間の識別力の重要性を強調するにあたり、私が意味するのは、抽象的に働く力ではなく、経験という実際の素材に働きかける力である。私の全体的な立場は、この世界で最終的に意味をもつ唯一のものは、事実に対する、想像力と識別力を兼ね備えた集中である、と述べることで最もよく要約できるかもしれない。ところで、人が知覚し、集中を向けうる事実は、数が無限であるだけでなく、まったく異なるいくつもの秩序に属している。物質的進歩が道徳的進歩を保証するどころか、かえって道徳的進歩と両立させることがきわめて難しい理由の一つが、ここにある。この物質的進歩は、自然の法則に属する事実へ、ほとんど専制的な集中を注ぐことによって獲得された。しかし人間の集中力には限界がある。そのため、物質的進歩の代価として、まったく別の秩序に属する事実――すなわち人間の法則に属する事実――への注意は、次第に失われてきた。そこから生じた精神的盲目は、ネメシスを招き寄せた。このネメシスがどのようなものかは、先の大戦や、近年われわれ西洋社会で増え続けている同様の徴候から、いくらか察することができる。

言うまでもなく、「進歩」の支持者たちは、自分たちの精神的盲目を認めてはいない。彼らは、伝統的基準と、その基準が促進する傾向をもっていた道徳的統一に代わる有効なものとして、生活を新たに統一するいくつかの構想を受け入れた。それらはたしかに強大な想像力を示してはいるが、現実という観点から十分に検証されてはいない。人間を統一するこうした新しい構想は、いわゆるロマン主義運動と結びついて、とりわけ盛んになった。したがって、この運動の指導者たちが、識別力の廃墟の上に創造的想像力の崇拝を意図的に築いたことを示せるという事実は、決して小さな問題ではない。自然の法則にも人間の法則にも従うよう訓練されず、ヤングの言葉を借りれば、自らの幻想の領域を野放図にさまよう想像力――そのような想像力の創造物を真に受ける者は、単なる思い込み、すなわち空虚な想像に陥る。空虚な思い込みは、つねに人間に特有の病であったが、おそらく今日ほどそれが甚だしい時代はない。後世から振り返ったとき、われわれの時代の人々に最も際立つ特徴は、検証されていない思い込みを「理想」として、いとも容易に掲げたことだと思われるかもしれない。自分の思い込みのなかでは高邁な「理想主義者」だが、試練にかけられると、破滅をもたらす夢想家にすぎないことが明らかになる人物を、われわれは誰もがよく知るようになった。

人間が想像力によって支配されるからといって、幸いにも、空虚な思い込みによって支配されなければならないわけではない。単なる夢想家と、真の洞察をもつ人物との区別は残る。この区別がもつ重要性は、指導力の問題と結びつけたときに初めて全面的に明らかになる。私の現在の議論の主要な目的の一つは、善い指導者であれ悪い指導者であれ、真に人を動かす指導者はつねに存在し、民主主義がこの真実を回避しようとするとき、文明への脅威となることを示すことにある。とりわけ、「一般意志」を反映するとされる数的多数によって指導力を代替できるという考えは、有害な思い込みにすぎない。長い目で見れば、民主主義も他の統治形態と同じく、その指導者の質によって評価される。そして指導者の質は、さらに彼らの洞察の質に依存する。洞察がなければ民は滅びる、とわれわれは教えられている。しかし、偽りの洞察があるところでは、民はさらに速く滅びる。現代の最悪の困難は、洞察の欠如よりも、偽りの洞察から生じているのではないかと、私はときに考えたくなる。別の言い方をすれば、現代について不安を抱かせるのは、公然と認められた物質主義よりも、現代が自らの精神性だと思っているものなのである。

真の洞察をもつ人物だけに与えられるべき評価を奪ってきた夢想家たちのなかで、少なくとも近世以降、最も際立った人物はルソーであったと私には思われる。彼がわれわれに立ち返るよう勧める〈自然〉は、単なる思い込みにすぎない。この思い込みは、人間の高次の自己の真の声である、生きた制御力の代わりに、拡張する感情を置くことを促す。理念上、この置き換えは友愛精神の勝利をもたらすはずである。しかし実際には、私が証明しようとしてきたように、感情の単なる拡張的な思い込みに身を委ねた結果として生じるのは、友愛ではなく、退廃的な帝国主義である。本書で私は「帝国主義」という語をかなり多用し、英米の読者が慣れているよりもいくぶん広い意味で用いている。その理由は、他のあらゆる形の帝国主義の背後に、個人の帝国主義、すなわち権力へ向かう衝動が見いだされるからである。少なくともこの点では、私はベルクソンに同意する。彼は「帝国主義は、いわば生命の躍動そのものに内在している。それは諸民族の魂だけでなく、個人の魂の底にも存在する」と述べている。 ベルクソンは生命の躍動(élan vital)を崇拝することによって、ルソーの直系に位置する。ただし、師と弟子のあいだには、弟子にとって大いに有利となる重要な相違があることに注意しなければならない。ベルクソンは、生命の躍動を基礎として友愛を築こうとはしない。友愛は、むしろ生命的抑制(frein vital)の行使に求めなければならないからである。それどころか彼は、生命の躍動が帝国主義的であることを率直に認める。ベルクソン的な新しい至福の教えによれば、地を受け継ぐのは心の柔和な者ではなく、最も強烈な生命の躍動をもつ者である。著者自身によってそのように解釈された世界的に有名なこの哲学と、「パンチ力」への俗悪な賛美との近縁性を見落とすのは難しい。

ルソーからベルクソンに至る本能の賛美によって促進された帝国主義を、私が「退廃的」と呼ぶ理由について、一言説明しておく必要がある。「帝国主義」という語を心理的な意味ではなく、より一般的な政治的意味で用いるとしても、帝国主義にはさまざまな型があることは明らかである。たとえば、ローマ人を世界の支配者にした帝国主義は、彼らがティベリウスやネロの前に卑屈にひれ伏した時代の帝国主義とは同じではない。しかし、古い帝国主義が最終的に退廃的性格を帯びるに至った過程をたどることはできる。ローマにとって決定的だったのは、国家の指導者たちが、カルタゴのような危険な競争相手から受ける抑制をもはや感じなくなった、勝利の瞬間である。同時に彼らは、伝統的な制御を捨て始めるという意味で、個人主義的になり始めていた。こうした解放の結果、モンテスキューの言葉を借りれば、「人間の欲望は際限なく巨大になった」。この節度喪失の最も重要な徴候は、通常、奢侈の増大にあると考えられてきた。ユウェナリスは言う。「敵の武器よりも残酷な奢侈がわれわれを襲い、征服された世界の復讐を果たしている。」しかし、それ以上に深刻な徴候は、自分個人の利益、あるいは特定の階級や党派の利益を追求する際に、ますます無慈悲になる指導者たちが現れたことである。キケロが指摘したように、ローマの国制を掘り崩していた新しい精神は、征服された諸民族に対する不正や残虐な行為よりも、むしろ内戦の激しさに表れていた。このように退廃を早めたローマ人が、自らの生命的抑制、すなわち抑制する意志を少しでも本格的に行使していたとは、到底言えないだろう。こうした無政府的個人主義者に正しく対抗しえたのは、単なる伝統主義者ではない。自らの拡張的な欲望、とりわけ支配欲に限界を設けることによって、真の指導者となる資格を得た個人主義者であったはずだ、と言ってよいだろう。ローマが衰退したのは、この型の個人主義者を十分な数だけ生み出せなかったからである。

ローマが直面したこの難題と、現在のアメリカが直面している難題とのあいだには、いくつかの類似を見いだせる。われわれもまた、自国の力の頂点に達しつつあると同時に、過去の基準を捨てつつあるように見える。この解放には、奢侈と自己放縦の異常な増大が伴ってきた。ほかのすべてを「快適さ」と商業的繁栄の後回しにする人々は、今日のアメリカには、古代ローマにいたよりも多いだろう。この徴候も不穏ではあるが、国民生活のなかで、高度に非倫理的な指導者をもつ「利益集団」が、ますます大きな役割を演じるようになったことほど深刻ではない。その指導者たちは、共同体全体を犠牲にして、ある特殊集団の物質的利益を増進しようとする。この徴候の実際の重大さは誇張されているかもしれない。しかし、それが一時的な現象以上のものだと判明するなら、それはわれわれの立憲的自由の終わりと、退廃的帝国主義の出現を予告する。現代アメリカの状況であれ古代ローマの状況であれ、考察を深めれば深めるほど、政治的意味での帝国主義から、心理的意味での帝国主義へ導かれることになる。言い換えれば、問題の根に到達しようとするなら、権力への衝動が示す周辺的な現象だけを見るのをやめ、個人の内面生活へ目を向けざるをえない。

ルソー的運動と帝国主義との関係についての私の見解は、同じ主題を扱った近年のヨーロッパの二人の著述家、ドイツのオスヴァルト・シュペングラーとフランスのエルネスト・セイリエールの見解と比較することによって、さらに明確になるかもしれない。シュペングラーは主著『西洋の没落』で、西洋世界、とりわけ西ヨーロッパの「文化」が、ルソーとその自然回帰から始まる、一種の放蕩者の破滅への道を現在たどっている、という説を展開した。シュペングラーが描くこの退廃の終着点は、私が退廃的帝国主義と呼んだものに似ている。しかもわれわれは下降曲線上にいるだけでなく、その曲線は宿命的なものだという。彼は実際に、著書第一巻の末尾に、西洋が西暦2000年頃までにどの程度まで退廃しているかを示す表を付けている。この構想全体は歴史哲学を前提としているだけでなく、私の判断では、狂気に陥った歴史哲学を前提としている。いずれにせよ、この構想は、私自身が最高の重要性を置く人間の意志の性質を、完全に否定することに基づいている。したがって、われわれの見解には表面的な類似がいくつかあるにもかかわらず、シュペングラーと私は人間思想の正反対の極にいる。私は、より専門的な意味でのあらゆる歴史哲学に対して、きわめて非友好的な態度をとる。聖アウグスティヌスやボシュエに見られ、人間を神の操り人形とする傾向をもつ古い型であれ、そのあらゆる変種において人間を自然の操り人形とする傾向をもつ新しい型であれ、同様である。『西洋の没落』は、私には19世紀の自然主義的誤謬をほぼ完全に収録した目録のように思われる。全編が、これらの誤謬の帰結である特殊な宿命論に浸されており、まさにその宿命論のために、西洋は現実に「没落」の脅威にさらされている。シュペングラーを山師として退けることは、私の考えでは正当である。ただし、彼が天才的な山師であることは付け加えなければならない。彼の著書がドイツで驚異的に売れたことが、実際の影響力を示しているのなら、それは気の滅入る徴候である。

私が挙げたもう一人の著述家、セイリエール氏には、まったく異なる評価がふさわしい。彼は約20冊の著書で、過去一世紀の文学と生活にルソーが及ぼした影響を、鋭い心理的洞察によって追究してきた。彼はこの影響を、自ら「非合理的帝国主義」と呼ぶものに結びつける。要するに、その研究の否定的な面での結論は、私自身の結論ときわめてよく似ている。しかし肯定的または建設的な面では、セイリエール氏と私は大きく異なる。彼が非合理的帝国主義に対置するのは、合理的帝国主義である。それによって彼が意味するのは、「個々人の努力を調整することにより、権力の獲得へ向けて進軍する社会的軍隊」である。 このような発言に表れている彼の一般的立場は、功利主義者を越えてホッブズへ、そしていくつかの点では最終的にマキアヴェッリへと逆戻りするものに、私には思われる。私にとって本質的な対立は、セイリエール氏が考えるような合理的帝国主義と非合理的帝国主義との対立ではない。帝国主義と、考えうるあらゆる意味で反帝国主義的である、人間の意志の性質との対立である。またセイリエール氏は、古代と近代のストア派倫理とキリスト教倫理を一つにまとめようとすることに、私が両者を分離し、その最終的な両立不可能性を強調するのと同じほど熱心であるように見える。私は、古代と近代の両方の形におけるストア主義を、少なくともその全体的傾向において、誤っており実行不可能なものと考える。それに対し、真正のキリスト教の核心には、かつて西洋文明を一度救い、賢明に用いられれば再び救いうる、いくつかの真理があると考えている。

また最初に、私の方法について生じうるいくつかの誤解に関しても、少し述べておきたい。最も重大な誤解は、本書またはこの一連の過去の著作――『近代フランス批評の巨匠たち』は部分的な例外である――に、個々の人物についての全面的で均衡の取れた評価を求める場合に生じうる。私はそのような評価を試みていない。まして、歴史上の時代、たとえば19世紀全体について、全面的な評価を試みたわけではない。バークによれば一民族全体を告発することが不合理であるが、おそらく一世紀全体を告発することは、それ以上に不合理である。私が攻撃しているのは19世紀一般ではなく、自然主義的な19世紀と、それが20世紀へ延長された部分である。さらに、ルネサンス以降の諸世紀において自然主義への道を準備した諸傾向も対象としている。この自然主義的傾向全体に対する私の扱いは、必ずしも私に敵対的でない批評家からさえ、否定的で、極端で、一面的だと見なされてきた。この三つの非難に、それぞれ簡潔に答えることを許してもらいたい。

自然主義の扱いが一面的だという非難については、たしかに一面的であるばかりか、徹底して一面的だと言える意味がある。しかし、その一面性のなかにも人文主義的な意図がある。自然主義者が一貫して無視してきた人間本性の側面を、私は繰り返し強調する。それによって、より均衡の取れた見方への道が開かれることを期待しているのである。しかも自然主義者が無視してきたものは、人間経験の周縁にあるものではなく、反対に、その中心に深く関わるものである。過去一世紀以上にわたる自然主義的努力は、生活の周辺を、途方もないほど豊かで多様なものにした。要するに、われわれが今もなお「進歩」という名で賛美しているものを生み出したのである。この種の進歩それ自体に、私は異議を唱えない。ただ、生活の周辺をどれほど豊かにしても、中心の欠落を埋め合わせることはできないと主張するだけである。さらに私は、自然主義者の重大な見落としと思われるものを攻撃する一方で、繰り返し述べるように、少なくとも一つの特徴を彼らと共有している。私も経験的であることを望んでいる。この見落としが実際にどのような結果を生むかを追究し、それを抽象的にではなく、その結実において扱おうとする。私の著書に、私自身が入れようとはしなかったもの、すなわち個々の人物や歴史的時代についての全面的な評価を、ある読者たちが執拗に読み取ってきたとすれば、その誤解は、私が具体例を非常に豊富に用いたことから生じたに違いない。

私が否定的だという非難については、自然主義心理学が見落としてきた人間の要素は、日常的な自己との関係では、否定する働きとして感じられる、とすでに述べた。日常的な自己の立場に立つ代わりに、内なる監督者の戒めに従えば、その結果として生まれるのは、あらゆるもののなかでも特に積極的な二つのもの、すなわち人格と幸福である。これは人生そのものの大きな逆説である。この意味で否定的であることについて、私は少しも弁解するつもりはない。しかし、私が否定的に見えるもう一つの意味があり、それについては多少異なる思いを抱いている。19世紀初頭頃に広まっていた批評の型は、「欠点をあげつらう不毛な批評」に代えて、「美点を見いだす実り豊かな批評」を置こうとした。近代運動のゆるみきった鑑賞主義に対する適切な治療は、気を引き締める厳しさを備えた批評であると認める人々からさえ、私はこの原則をあまりにも急激に逆転させたと非難されるかもしれない。私は特定の著名人の欠点を絶えず指摘する一方、彼らの長所についてはほとんど、あるいはまったく語らないではないか、と言われるだろう。この点でも私の方法は、正しく理解されるなら正当だと私は考える。ただし、そのために私がつねに好感のもてない人物に見えてしまうことは、私自身も残念に思わずにはいられない。

私が極端だという非難は、否定的で一面的だという非難以上に、私の核心に触れる。私は人文主義者であることを目指しており、人文主義の本質は節度だからである。しかし、節度という主題については多くの混乱がある。ある人の節度は、健全な一般原理と、現実生活の無限に多様で移り変わる事情とのあいだを、どれほど巧みに仲介できるかによって測られる。この意味で正しく仲介できる人は、最も貴重な徳の一つである、洗練された節度に到達する。ただし、おそらくこれほど頻繁に偽造されてきた徳はないことも付け加えなければならない。知的にも精神的にも怠惰な人が、対立する二つの見解から選ばなければならないとき、しばしば両者の「中間を取る」ことに決める。しかし彼は、真理と誤謬との中間、あるいは二つの誤謬の中間を取っているのかもしれない。いずれにせよ、適切な仲介を始める前に、まず真理か誤謬かという問題を処理しなければならない。そうしなければ、「正と不正のあいだのまっすぐで狭い道から、決して外れなかった」と評された、あるイギリスの政治家に似てしまう危険がある。パスカルが攻撃した決疑論者のなかには、殺人に対してさえ節度ある態度を取ることに成功した者がいた。自分では洗練された節度を備えているつもりでも、実際には、ダンテが地獄の入口で目にした巨大な群衆――「神にも神の敵にも不快な」者たちの群れ――に数えられかねない。もちろん、個々の事例において、人文主義者と、単に生ぬるいラオディキア的中間派とを見分けるのは、必ずしも容易ではない。たとえばルターはエラスムスをラオディキア的だと非難したが、われわれから見れば、エラスムスは当時の宗教的およびその他の極端主義者に対処する際、むしろ真の均衡と洗練された節度を示したように思われる。

いずれにせよ、以下の諸頁で私が論じる教説上の相違は、根本原理に関わるものであり、したがって仲介によって調整できるものではない。個人の内面生活を第一に重んじる人間と、それ以外のもの――たとえば人類の進歩と人類への奉仕――を第一に重んじる人間との対立は、第一原理をめぐる対立である。したがって私が提起する問題は、穏健な人道主義者であるべきかどうかではなく、そもそも人道主義者であるべきかどうかである。一般に私は、われわれが生きている世界は、いくつかの重要な点で第一原理を誤った世界である、という立場を取る。これは、われわれが指導者によって裏切られた世界に生きている、と言い換えることにほかならない。何らかの形で内面生活の真理を取り戻し、自然主義の誤謬を退けた指導者が現れるかどうかに、西洋文明そのものの存続がかかっているのかもしれない。内面生活の真理は、宗教的または人文主義的なさまざまな形で説かれうる。実際、過去にそのように説かれ、その都度、生活と行為において結んだ実によって正当性を示してきた。現在流行している哲学のどの形にも、私はこうした真理を見いだせない。そのため私は、この時代の知恵よりも、諸時代を通じて蓄えられた知恵を選ぶに至ったのである。


原注

Letters of Lord Acton to Mary Gladstone, p. xii を参照。

Song of Myself を参照。

The Masters of Modern French Criticism(1912年), p. 188 を参照。

『クラテュロス』386E。言うまでもなく、今日われわれがこの語に与えている拡張された意味で、想像力の高次の用法についてプラトン以上に優れた例を示す哲学者はいない。この拡張された意味でのプラトンの想像力論は、用語の変化を十分に考慮しても、必ずしも容易に把握できるものではない。

E・セイリエール『バルザックとロマン主義の道徳』に付されたベルクソンの序文を参照。

Balzac et la morale romantique, p. 42。

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第1章 政治的思考の諸類型

アリストテレスによれば、政府が永続するためには、統治される人々のエートス、すなわち道徳的習慣と信念の総体を反映していなければならない。フランスのジャコバン派が考えがちだったように、あらゆる共同体へ有益に押しつけられる、抽象的で理想的な政治形態が存在するわけではない。ある共同体の政府とそのエートスとのあいだには必然的な関係があるというアリストテレスの原理を、過去に実在した諸政府へ当てはめようとすると、最初に受ける印象は、ほかのあらゆるものと同じく、政治形態にも際限のない多様性があるということである。しかし、この当惑させる表面上の多様性の下へ踏み込めば、私が別のところで示そうとしたように、人間の経験は結局、かなり明確ないくつかの範疇に分かれることが分かる。ある時代またはある民族のあいだで支配的な人生観は、よく調べれば、主として自然主義的、人文主義的、または宗教的なもののいずれかであり、政治形態もそれに応じて変化する傾向があることが分かるだろう。

たとえば、ある民族が深く宗教的であるなら、多かれ少なかれ明確な神政的要素を備えた政府が生じる可能性が高い。フュステル・ド・クーランジュは、古代都市国家の統治が当初、伝統的な宗教形態といかに緊密に結びついていたかを示した。また伝統宗教が、まず家族のなかに、次いで国家のなかに築いていた階層秩序が、個人主義的・平等主義的傾向によって次第に掘り崩されるにつれて、統治がどのように変化していったかも示している。宗教的統制が無政府的な自然主義へ道を譲った結果、政治の領域ではむき出しの力が勝利し、古代文明は衰退した。この疲弊した異教世界にキリスト教が勝利すると、新しい宗教的エートスが徐々に形づくられ、それに対応して、中世を通じて支配的となる神政的統治観念が生まれた。この時代のヨーロッパは、理念上だけでなく実際にも少なからぬ程度まで、真正の宗教的共同体を享受していた。教会は、文字どおり人々の想像力を支配する象徴を創り出すことに成功し、社会の上層から下層まで、同じ霊的な希望と恐れによって結びつけた。誰もが、ヴィヨンが老いた母について語るように、大聖堂へ入り、一方には地獄に堕ちた者たちの責め苦を、他方には楽園の至福を描いた絵を見ることができた。そして彼女と同じく、前者の像によって恐れを、後者の像によって喜びと歓喜を覚えるのが普通だった。このように全階級の想像力を統制できたため、教会は物理的な力の支援を必要としなかった。破門をはじめとする純粋に霊的な刑罰だけで十分だったのである。カノッサにおけるハインリヒ4世は、通常、神政的理念が極端な勝利を収めた象徴とされる。

教会は今日でも無視できない要因である。メルシエ枢機卿がアメリカを訪問したとき、ニューヨークのペンシルヴェニア駅のホームで、機関士や火夫たちが祝福を受けるためにひざまずいたと新聞は報じた。ここには少なくとも、古い忠誠心がいくらか残っている。それは、この同じ人々が労働組合に寄せる忠誠とは本質的にまったく異なる。しかし、今日の教会の力を中世の力と比較すれば、一国や二国にとどまらず、西洋全体のエートスに変化が生じたことに気づく。古い宗教的統制は、数世紀にわたって個人主義的・遠心的傾向へ道を譲り続けてきた。そして新たな統合原理が何も現れないなら、かつて古代世界で最後に勝利したのと同じく、現代世界でもむき出しの力の原理が勝利しかねない危険が、今や明白になっている。

神政的統治観念は、つねにどこかに神の恩寵または認可があることを含意する。しかし、この恩寵がどの経路を通じて受け取られるかについては、重大な見解の相違がありうる。たとえば中世には、恩寵の唯一の経路は教会であると考え、世俗秩序の長である皇帝を、地上における神の代理人である教皇に従属させようとする人々がいた。これに対し、皇帝は教皇を通じてではなく、天上から直接認可を受けると主張する人々もいた。この後者の神政的統治観を、おそらく最もよく表現しているのが、ダンテの『帝政論』である。ダンテが望んだのは、世俗権力と霊的権力という二つの権力が、混同されることなく協力し、最終的に統一されることであった。

ダンテをはじめ、神政的理念を受け入れながら、同時に神のものとカエサルのものとを分離しておこうとした中世の政治理論家たちは、そのかぎりにおいて真正のキリスト教徒であった。しかし、キリスト教の伝統それ自体に含まれるもののうち、最終的にはユダヤではなくギリシアとローマへさかのぼるものが、いかに多いかを忘れてはならない。聖アウグスティヌスはキリスト教のプラトンであり、聖トマス・アクィナスはキリスト教のアリストテレスであるという通説には、少なからぬ真実がある。それでも、プラトン的・アリストテレス的な政治思想の型と、中世に支配的だった型とのあいだにある、いくつかの重要な相違をここで強調しなければならない。ある意味では、アリストテレスとプラトンは、その真の精神において、中世人よりもわれわれに近い。中世の人生観は、超自然的啓示への信仰に基づいている。さらにその啓示が、絶対的な外的権威の基礎とされる。それに対して、すでに述べたように、プラトンとアリストテレスは自由な批判的探究の時代に属していた。要するに、彼らは真正の「近代人」なのである。私が別のところで示そうとしたように、人生観において批判的かつ個人主義的であることと、近代的であることとは、ほぼ同じ意味だからである。したがって、聖トマスをはじめとする中世人が、アリストテレスを外的権威の支柱にしようとしたとき、彼らはアリストテレスをきわめて非アリストテレス的な方法で利用していた。この混乱は、ルネサンスの人々が伝統と決別し、より個人主義的・実験的な態度へ移るなかで、スコラ学の空疎な言葉争いの主因としてアリストテレスを退けるようになったときにも続いた。たとえばベーコンは、スコラ学化されたアリストテレスの背後にいる本来のアリストテレスへ、ほとんど到達していない。

したがってプラトンは、『国家』その他の著作で政治問題を批判的に扱っている点で、中世の思想家とは異なる。しかし彼が最終的に到達する構想は、全体として神政的である。そのため、方法ではなく結論を見るなら、中世はすでにプラトンから始まっていると主張する人々に、部分的には同意せざるをえない。神のものとカエサルのものとの決定的な区別を加えれば、『国家』の守護者階級は修道会にきわめてよく似たものになるだろう。また『法律』の夜間会議と矯正院に、異端審問の最初の予示を見ないでいることも難しい。一般に、人間が神に依存しているというプラトンの意識が深まるにつれ、それはアウグスティヌスと恩寵の支配を予告するようになる。

これに対しアリストテレスは、統治の問題を批判的かつ人文主義的に扱った過去の思想家の、最大の模範であり続けている。『政治学』を書く前に、彼は158の都市国家について、その歴史と国制を詳細に研究していた。そして一般に、膨大な実際の政治経験に基づいて結論を下している。その結論には反対してもよい。私自身、本質的ないくつかの点で反対している。しかし近代人であろうとする者にとって、その方法そのものは非の打ちどころがないように思われる。われわれはアリストテレスと異なる場合でさえ、アリストテレス的な根拠に立って異なるべきである。東洋と西洋の双方で、その時代の彼には利用できなかった膨大な経験が蓄積され、それによってわれわれはいくつかの問題について、より多くを知るようになった。何よりもわれわれを啓発したのはキリスト教の経験と、それが西洋へもたらした偉大な新原理、すなわち世俗権力と霊的権力との分離である。またこの原理から直接・間接に生じるすべての帰結、とりわけ、最終的にこの区別を基礎とする個人の自由という観念である。アリストテレスもプラトンも、この観念を十分には理解していなかった。

アリストテレスの時代以後、われわれを啓発したのはキリスト教の経験だけではない。最近まで西洋には知られていなかった、極東、とりわけインドと中国の膨大な経験も、多かれ少なかれ利用できるようになっている。そこにも、主として自然主義的、人文主義的、または宗教的な人生観を反映する政治制度が見いだされる。インドほど宗教的だった国は、かつて存在しなかったかもしれない。インドはつねに、良くも悪くも、あるいは良くも悪くもない宗教の故郷であった。したがって『マヌ法典』に、おそらく世界のどの書物よりも妥協なく神政的人生観が述べられているのは、驚くにあたらない。この書物の戒律が完全な厳格さで適用されたことは、おそらく一度もない。しかしそれは、われわれの目には真正の霊的専制と映るものをバラモン階級が維持するうえで、つねに大いに役立ってきた。物理的な強制を必要とせず、宗教的な希望と恐れに訴えて人々を統制することにおいて、バラモン階級は中世ヨーロッパの教会以上に成功してきたのかもしれない。それも今日に至るまで成功してきたのである。インド人により大きな自治を与える目的で制定された1919年のモンタギュー法も、実際にはバラモン神政の手に利益を与えるだけだ、と主張されたことがある。

古代インドのもう一つの産物である仏教は、現在の主題から見て二つの理由で興味深い。第一に、ブッダはプラトンやソクラテス以上に、積極的かつ批判的な人生観を作り上げたと思われるからである。第二に、その積極的・批判的精神を宗教の領域で示したからである。イエスの王国と同じく、またプラトンの王国とは異なり、ブッダの王国はこの世のものではない。『国家』のプラトンのように、世俗秩序のなかで政治制度の助けを借り、理想的善を実現しようとはしない。ブッダは社会を直接改革しようとせず、カーストその他の同様な区別が存在しない宗教教団を設立した。後世の仏教、ことにいわゆる大乗仏教は、開祖の積極的・批判的精神から大きく離れた、広大で複雑な運動である。チベットに広まったきわめて堕落した形態であるラマ教は、神政が世俗秩序へ介入する一つの極端を示す。ビルマのように、より古く、より個人主義的な信仰形態がいくらか残っている国では、霊的なものと世俗的なものとの区別はかなりよく保たれている。一般に、教会と国家の競合する要求が引き起こす政治的衝突は、仏教国ではキリスト教国ほど頻繁でも深刻でもなかった。実際、キリスト教のこの側面こそ、キリストが平和ではなく剣をもたらしたと語った言葉を、何よりも正当化するように思われる。

インドでは重要な人文主義運動が起こったことがない。最もそれに近いのは、おそらくブッダが宗教生活そのもののなかで説いた中道の教えである。この点において、インドと中国ほど完全な対照を想像するのは難しい。孔子を最大の代表者とする中国の中心的伝統は、つねに人文主義的だったからである。ベナレスの沐浴場は、われわれの日常的な心理からと同じくらい、中国人の日常的な心理からも遠く隔たった何かを思わせる。孔子が関心を寄せるのは、他界よりもこの世で最もよく生きる技術である。この世で最もよく生きるとは、均衡と節度をもって生きることだと彼は考えた。そのため、極東の儒教的伝統は、西洋のアリストテレス的伝統と多くを共有している。しかし一つの重要な点で、孔子が思い起こさせるのはアリストテレスではなくキリストである。彼の王国は徹底してこの世のものだが、彼は節度の法則だけでなく、謙虚さの法則をも重視した。「天命への服従」においても、古代の聖人に対する態度においても、彼は謙虚だった。彼が最大限に望んだのは、長い世紀を通じて蓄積され、これらの聖人のうちに生きた形を与えられた民族の道徳的経験を、現在と未来へ伝える経路となることだった。彼自身の言葉によれば、自分は創作者ではなく伝承者だったのである。伝統上の偉大な模範を仰ぎ、それを模倣する人は、やがて自分も模倣に値する者となる。真の指導者であろうとするなら、そのように正しく模倣する者でなければならない。正しい模範と、それが呼び起こす模倣こそ文明社会の不可欠な基礎であると、孔子ほど強く主張した人物はいない。この主張は、彼自身の模範が示した力によって正当化されているように見える。その模範は70世代以上にわたり、人類のおよそ4分の1のエートスを形づくってきた。しかも、現世でも来世でも、恐怖の原理へほとんど、あるいはまったく訴えることなく、それを成し遂げたのである。人間は結局、理性的動物でありうるという信念を裏づけるものとして、儒教の影響以上に有力な例は、西洋の経験のなかには見当たらないように思われる。

政治問題を扱う際、孔子は必然的に、指導力の問題以外のすべてを、さほど重要でないものとして退けるに至る。「指導者の徳は風のようなものであり、民の徳は草のようなものである。風が草の上を吹けば、草がなびくのがその本性だからである」と彼は言う。 ところで真の指導者とは人格を備えた人物であり、人格の究極の根は謙虚さである。この孔子的な考えには中心的な健全さがあるため、私は後にもう一度立ち返る必要がある。同時に、儒教もあらゆる偉大な教説と同じく、それに固有の弱点をもつ。最大の弱点は、改めて指摘するまでもなく、現在が過去によって永続的な精神上の死手支配を受けているように見えることである。純粋に伝統的な人文主義は、つねに擬古典的形式主義の轍へ陥る危険を抱えている。孔子自身は、人間のうち特に人間的なものを深く真正に理解し、それを内的統制の原理として定義した。しかし、『礼記』に記されているものをすべて古く真正なものと認めるなら、この原理は当初から外的形式とあまりにも密接に結びつき、ときには礼儀作法の規則と結びつきすぎている。その戒律のいくつかは、あらゆる真正な人文主義教説の中心にあるふさわしい振る舞いと、ほとんど関係がない。それは、孔子が毎食ショウガを食べたとか、雷雨のたびに必ず顔色を変えたとかいう、敬虔に伝えられてきた情報と同程度のものにすぎない。われわれが望むのは、最良のギリシア人文主義に見いだされるような、より自由で柔軟かつ想像力に富む精神である。また、高度に非伝統的で個人主義的なブッダには、より近代的で、それゆえわれわれに親しみやすい何かを感じるだろう。それでも孔子は、伝統的ではあっても教条的ではない。体系的ですらない。究極的な事柄について彼が示す極端な寡黙さは、彼の翻訳者でキリスト教教条主義者だったレッグ博士を大いに苛立たせた。しかし、ある種の問題を心理学的方法で扱うことの価値が次第に理解されるようになった今、その寡黙さは欠点よりも長所に見える。儒教という名で総括されるすべてのものの結果として、中国は、過去にも現在にも腐敗した官僚や役人を数多く抱えてきたにもかかわらず、おそらく他のどの国よりも一貫して道徳的理念を基礎としてきた。そしてこの事実は、中国が長く存続してきたことと無関係ではない。ギリシア人は姿を消した。今日のギリシア人を、ペリクレス時代のギリシア人の子孫と呼べるのは、ごく限定された意味においてでしかない。これに対し、孔子時代の中国人の子孫は、今も数億人を数える。その文明は、周縁部に数多くの重大な欠陥を抱えている。それでも中国人が「水先案内人を船から降ろす」ことを拒み、西洋からの圧力にもかかわらず儒教的伝統の最良の部分を固守するかぎり、その文明は秘められた強さを保つだろう。

ここまで私は、東西双方について、伝統に基づくものと実証的・批判的な基礎に立つものを含め、さまざまな宗教的・人文主義的人生観と、それに対応する政治思想の型を検討してきた。残るのは自然主義的人生観と、その政治的帰結である。自然主義者はもはや、人間が物質的秩序の法則とは別の固有の法則に服すると考えない。その法則を宗教の水準で受け入れると、最良のキリスト教徒や仏教徒に見られる超俗性の奇跡へと導かれ、この世の水準で受け入れると、通常の自己とその自然発生的な衝動を、儒家とアリストテレス主義者に見られる節度の法則へ従わせることになる。ルネサンス以後に個人主義的・批判的精神が台頭し、その結果として中世的・神政的理想と決裂したとき、その運動は宗教的または人文主義的な性格を取りえた。しかし実際には主として自然主義的なものとなった。この自然主義的傾向の重要な帰結の一つが、民族精神の成長である。十分に長い時間尺度で見れば、プロテスタントの宗教そのものも、国民主義の台頭に伴う一事件にすぎないように見える。もっとも、中世ヨーロッパの宗教的一体性をついには破壊することになる新しい国民主義精神を、その最も純粋な形で研究したいなら、マキアヴェリに向かわなければならない。彼はおそらく、東西を通じて、ひるむことのない政治的自然主義者の最良の典型であり続けるだろう。マキアヴェリを理解するには、伝統宗教との関係において彼を研究する必要がある。キリスト教は、とりわけパウロ的・アウグスティヌス的形態において、徹底した超自然主義と徹底した自然主義を対立させる傾向がつねにあった。そのためパスカルのような厳格なキリスト教徒が、堕落した状態の人間、すなわち神の恩寵に支えられない人間を考察すると、世俗秩序とその政治問題について、マキアヴェリ本人以上にマキアヴェリ的とさえ言える結論へたちまち到達する。神学を捨てるなら倫理も捨てる以外に選択がないかのように見える。さらに実在の制度としての教会は、人間の高次の生活をほとんど独占していたため、マキアヴェリのように国家へ教会から独立した基礎を与えようとすることは、国家へ道徳からも独立した基礎を与える危険を冒すことだった。しかもマキアヴェリは、一定の限界内では驚くほど鋭い観察者であった。彼の見解は、彼自身の時代にも、彼がよく知っていた中世の過去にも、キリスト教が人々の実際の行為を統制できなかった事実を反映している。彼が公言する意図は、「ある事柄について想像された真実ではなく、実際の真実を追究すること……なぜなら、人がどのように生きているかは、どのように生きるべきかからあまりに遠く隔たっているので、現に行われていることを捨てて、行われるべきことを追う者は、自分を保全するよりも早く破滅させるからである」。したがって政治家は、厳しく現実主義的でなければならない。実際、人々の理想や美辞麗句を顧みず、実際の行動だけに目を向ける者は、多少なりともマキアヴェリ的に見えやすい。この意味では、たとえばトゥキュディデスにも強いマキアヴェリ的要素がある。

マキアヴェリがこの特殊な現実主義によって到達した結論はよく知られている。通常の道徳律は人と人の関係では通用しうるが、国家と国家の関係では二次的な位置しか占めず、そこを支配するのは策略の法則と力の法則である。したがって成功を望む支配者は、獅子と狐の徳を自分のうちに調和させなければならない。 どんな教説も、その真の本質は、最終的にはそれがどのような人格に受肉するかによって明らかになる。よく知られているように、マキアヴェリは自分の構想の完全な受肉をチェーザレ・ボルジアに見た。彼はある箇所で、ボルジアが何人もの政敵を忌まわしい背信によって罠にかけ、絞殺させたことを述べ、その後、別の箇所でこう言う。「公爵のすべての行動を思い返すと、私は彼をどう非難すればよいか分からない。それどころか、すでに述べたように、運命または他人の武力によって統治者の地位へ引き上げられたすべての者に、彼を模範として示すべきだと思われる。」 とりわけ、マキアヴェリが「徳」という語に与える意味に注意すべきである。彼は、中世の暴君カストルッチョ・カストラカーニについて、その主要な特徴が冷酷さと残虐さであることを示す記述を、彼の「徳」を称賛することから始める。マキアヴェリ的政治指導者の徳は、人文主義的な徳とはほとんど共通点がなく、宗教的な徳とはまったく共通点がない。とりわけキリスト教的な徳は、謙虚さの法則を基礎とする。この法則の軛を引き受ける者は、同時に自由な良心の領域へ入る。彼はもはや地上のどの国家にも全面的に服する者ではなく、天上の共同体、すなわち神の国の一員となる。この分かれた忠誠を、マキアヴェリは弱さと軟弱さの源と見なした。謙虚さは愛国的な誇りに道を譲るべきだというのである。なかでも支配者は、国家とその物質的拡張とは別個の良心を持ってはならない。政治的・商業的・宗教的ないかなる団体であれ、その奉仕のために受動的な道具となり、個人を律するべき道徳とは異なる道徳を実践することに同意する者は、マキアヴェリの伝統に属している。マキアヴェリは、祖国を「すべてに優先」させるドイツ人と、それに相当する百パーセント・アメリカ人、さらに一般に、自国が正しかろうと誤っていようと支持するほど愛国的な人々の祖先である。彼は、ヨーロッパ政治において通常「現実主義的伝統」と呼ばれるものを、他の誰よりも完全に体現している。しかしマキアヴェリやその精神的後継者である現実政治家(Realpolitiker)が、徹底した現実主義者だとは認められない。道徳法則を侵犯する者を遅かれ早かれ襲うネメシス、神の裁き、あるいはそれを何と呼ぶにせよ、それはギリシアやヘブライの権威によって受け入れなければならないものではなく、鋭い観察によって確かめられる事柄である。国家理性というものは存在せず、公的道徳と私的道徳はあらゆる点で完全に一致すべきだとまで主張する必要はない。それでも、マキアヴェリ的な意味で二重の規範を打ち立て、人は祖国への奉仕では冷酷でありながら、個人としては正直でいられるのが普通だと考えるのは空想的だ、と言うことはできる。単なる自然主義的現実主義者であること、すなわち物質的秩序の事実を明瞭に認識しながら霊的には盲目であることは、実際には帝国主義的な夢想へ導く。マキアヴェリは、『君主論』を書いていたころ、サン・カッシャーノの小領地で雑事に一日を費やした後、夕方になると農民の服を脱ぎ、宮廷服をまとって書斎へ退き、現在の卑小さから古代ローマの帝国的栄光へ逃れたと語っている。この特別な憧れの国こそ、今なお一部のイタリア人が心に描くものである。

実際の政治におけるマキアヴェリの最重要の後継者は、フリードリヒ大王からビスマルクに至るドイツ人の中に見いだされるのかもしれない。一方、政治理論の研究者にとって、より重要な発展の系譜はむしろイングランドを通る。ホッブズは、人間本性の理解において、マキアヴェリ本人以上に倫理的感覚を欠き、さらに自然主義的であった可能性がある。外から押しつけられた慣習を人間から取り去れば、その本質として見いだされるのは「死によってしか終わらない、力から力へと求め続ける、絶え間なく落ち着きのない欲望」である、とホッブズは言う。 ホッブズの哲学は、17世紀イングランドの内乱が多くの人々に生じさせた冷笑と幻滅を、ある程度反映している。人間本性について薔薇色の見方を保ちたいなら、大変動の時代にそれをあまり間近から見ないほうがよいらしい。人間の最も美しい徳に見えるものにさえ利己的要素があると強調することで、やはりマキアヴェリの伝統に属するラ・ロシュフコーも、フロンドの乱への参加から少なからぬ影響を受けたと言われる。

ホッブズは策略と力の法則を重視する点でマキアヴェリ的だが、マキアヴェリとは異なり、体系的であるばかりか形而上学的でもある。彼は自然主義の公準を、論理的で閉じた体系へ展開しようとする。両者の違いは、パスカルが述べた「幾何学的精神」と「繊細の精神」の区別に関係する。抽象的・幾何学的な型の推論(la raison raisonnante)にホッブズが寄せる極端な信頼は、いささか非イングランド的に見える。しかし他の点では、彼はイングランド功利主義の大きな伝統に属し、本質的な点で彼自身も独断的合理主義者であるロックへの道を開いた。イングランド功利主義者について際立っているのは、単なる理論から経験へ訴えると公言しながら、人間の法則の領域に属する経験の側面を丸ごと退けることである。徹底して実証的・批判的であろうとする彼は、この経験を、それが埋め込まれてきた伝統的形式と同一視し、単なる神話や作り話として退けがちである。この点では、人間の法則の真理を特定の形式から切り離し、自然の法則の真理と同じく純粋に批判的に扱えるとは認めない伝統主義者自身と一致している。私が別のところで示そうとしたように、実証主義者はこれまで、自分たちの計画を著しく果たしてこなかった。たとえばホッブズは、伝統主義者の教義と形而上学的仮定に対し、ほとんど同じほど形而上学的な別の仮定を対置している。その仮定のいくつかを検討する必要がある。なぜなら、それらは形を変えながら、ホッブズの時代から現代までの政治思想の大部分に、さらには一見すると彼に最も反対しているように見える人々の思想にまで浸透してきたからである。

これらの形而上学的仮定の第一として、絶対的・無制限の主権という観念を挙げられる。何か絶対的なものが立てられたなら、われわれは形而上学へ入り込んでいると知ってよい。人生を精密に観察しても、絶対的なものは何一つ与えられないからである。人間において絶対に近づく唯一のものはその無知だが、それさえ完全に絶対的ではない。ホッブズによる絶対的・無制限の主権の主張は、中世の主権観念を思わせるが、決定的な違いがある。それは力に基づいており、その意味で帝国主義的であって、中世の主権のような超自然的認可を持たない。中世の主権者は、教皇であれ皇帝であれ、人民に責任を負わなくても、最終的に唯一の絶対的・無制限の支配者である神に責任を負う。さらにホッブズの国家にいる個人は、宗教のうちに、つまり同じことだが、世俗秩序から分けられた良心の領域のうちに、国家の専制的支配から逃れる場所を持たない。ホッブズは霊的なものを世俗的なものへ従属させ、教会と国家の相対立する要求を扱う点で、マキアヴェリと同じく、非中世的であるだけでなく非キリスト教的でもある。

ではホッブズの主権者は、世俗秩序における自由だけでなく、「キリストがわれわれを自由にした自由」をも覆すほど無制限で無責任な権力を、どこから得るのか。答えは、主権者がその無制限で無責任な権力を神の恩寵によってではなく、人民との契約の結果として保有する、というものである。ここに、数世代の政治思想を驚くほど支配したもう一つの形而上学的仮定、社会契約の観念が現れる。この観念は何らかの形で、人間が孤立し非社会的である自然状態と、人々が慣習または契約に基づいて孤立から抜け出す社会状態とを想定する。マキアヴェリが国家と個人に二つの道徳規範を立てたことでアリストテレスより無限に劣るのと同様、ホッブズも、社会にある人間と本性上の人間とのこの神話的対立を受け入れることで、アリストテレスから大きく後退した。アリストテレスによれば、人間は政治的動物である以上、社会に生きることが自然である。さらに、すでに見たように、ホッブズは神のものとカエサルのものを一つに混ぜることで、アリストテレス以後の政治思想における最大の前進を損なっている。全体として彼の著作は、実際には暴力的な唯物論へ行き着くものを、形而上学的に正当化する試みと呼べる。

現代政治思想の大部分を支配してきた抽象的・形而上学的観念の一覧を完成させるには、社会契約、無制限の主権、自然状態に、自然権を加えなければならない。ホッブズが考える自然状態での生活は「孤独で、貧しく、汚く、野蛮で、短い」うえ、自己愛が支配する結果として、万人が万人に対して戦争状態にある(bellum omnium contra omnes)のだから、人間が自然状態で持つ権利はあまり価値があるように見えない。しかし理論上重要なのは、自然状態の人間が、自分自身に対する無制限の主権を持つという意味で無制限の自由を持ち、そのため社会契約によってこの無制限の主権を国家へ譲渡できることである。さらにホッブズによれば、自然状態では人々は平等になる傾向がある。身体的に弱い者も、利己心どうしの争いで強者とほぼ同等になれるほどの策略を発達させうるからである。したがってホッブズの自然状態は、自由、平等、そして戦争と定義できる。

ホッブズの時代ごろから、自然状態をより楽観的に解釈する傾向が現れるにつれ、自然権と、それに基づくとされた自由と平等は、ますます重要になった。この傾向の起源は複雑である。最も重要な単独の影響は、おそらくストア哲学の復興と、ローマ法に取り入れられていた自然法(jus naturale)および万民法(jus gentium)に関するストア派の見解であった。ルネサンス以後の「自然への回帰」を背後から動かした力は、新天文学の台頭と自然科学の勝利の拡大である。キリスト教的・中世的二元論に対する自然主義的な大反乱が成功したのは、科学上の発見やそこから生じた進歩以上に、その進歩と発見を可能にした実証的・批判的方法のためだったのかもしれない。その方法は、伝統主義者の独断的・無批判な断言と正面から衝突した。16世紀・17世紀の政治理論家には、自然主義的要素とストア的要素が、伝統的超自然主義に由来する要素と、ほとんど考えうるあらゆる比率で混ざり合っている。このような混合は、国際法の父グロティウスの『戦争と平和の法』(De Jure Belli ac Pacis, 1625)にとりわけ明瞭に見られる。中世の神政体制が崩壊するなかで台頭した大国民国家は、互いの関係において明らかに自然状態にあった。そのため自然状態において策略の法則と力の法則以外の法則が支配しうるかを決めることは、個人の場合以上に国民の場合に重要だった。マキアヴェリとホッブズを論駁するには、国境を越えて人々を結びつける傾向をもつ何らかの普遍原理、すなわち特定国家の組織された力に支えられた法律が利己的衝動を統制しなくなったときにも働き続ける原理があることを示さなければならない。人間を孤立した単位として考える自然状態から出発し、契約によってそこから社会へ移ると想像するにせよ、アリストテレスとともに、人間は政治的動物であり、したがって社会に生きることが自然だと主張するにせよ、いずれの場合も人々を結合する原理を慎重に定義する必要がある。真正のキリスト教徒によれば、利己心に対する究極の均衡力、人々を共通の中心へ引き寄せうる唯一の力は、内面生活の言葉で考えられた神の意志への服従である。人々を結ぶ絆を「理性の規則」に求め、その理性の規則を自然と結びつける試みは、厳密にはキリスト教的ではなくストア的である。マルクス・アウレリウスはストア派の「理性」を説明するなかで、眼が見るのと同じほど、人が他人に仕えることは自然だと言う。ストア派が理性的かつ自然的だと見なすこの奉仕の教説は、キリスト教的意味での内面生活を伴わない。最後の訴えは個人の外部にあるもの、すなわち近代世界に対するストア派の影響の主要な源であるキケロが「共同の利益」(utilitas communis)と呼ぶものへ向けられる。さらにキケロによれば、人が奉仕する共同体は、祖国であっても人類全体(societas generis humani)であってもよい。ストア派の功利主義は一般にきわめて合理主義的である。これに対しイングランド功利主義――近代における功利主義教説の主要な源はイングランドである――は、快楽の原理、そして一般に人間の本能的側面をはるかに重視する。この強調はストア的というよりエピクロス的である。たとえばカンバーランドは、正しい理性へ訴えるだけでなく、共同善を促進する本能が人間にあると主張してホッブズを論駁しようとする。新しい功利主義的観念と古い神学を結びつけながら、共同体へ奉仕することは神の意志を満たすことだ、とカンバーランドは言う。

しかしカンバーランドのような著者に見られるのは、倫理の基礎そのものに生じた変革の始まりにすぎない。その変革は、一部は功利主義的、一部は感傷的であり、私が全体として人道主義と定義してきた大運動に伴って起こった。この運動の代表者について特異なのは、自然主義的水準で生きながら、過去が人文主義的または宗教的な鍛錬の結果として得ようとした利益を同時に享受しようとすることである。彼らは、人間が利己的衝動を超えるために、回心も、回心が伝統的に依存してきた超自然的制裁の体系も必要としない、と実質的に主張することで宗教に反論した。また、人間の最も根本的な衝動は権力への衝迫だと唱えた、マキアヴェリやホッブズ型の利己的自然主義者を論駁しようともした。感情倫理の台頭は、とりわけ18世紀初頭のイングランドにおいて、理神論運動との関係から研究できる。シャフツベリやハチソンのような理神論的道徳家の傾向は、今日でいう利他主義と社会奉仕へ全面的に向かっている。全的堕落の教義が衰えるにつれ、神学の時代は社会学の時代へ道を譲り始める。「善行(beneficence)」という語がこのころ広く使われるようになる。共感的な人、善良な人、感情の人が姿を現し、ますます高く評価されるようになる。

神学的または自然主義的な根拠から人間本性の本質的な悪を信じる者は、なお多数おり、攻撃的でもあった。人間本性の善悪に関する相反する見解は、人によって、ほとんど考えうるあらゆる比率で組み合わされた。たとえばポープとヴォルテールでは、それらが著作の中心的な不整合を生む形で混ざり合っていた。新しい拡張的傾向と、シャフツベリ学派への攻撃、さらにホッブズ、ラ・ロシュフコー、マキアヴェリを思わせる人間の利己的要素の肯定とを結びつけようとする奇妙な試みは、マンデヴィルの『蜂の寓話』に見られる。新しい哲学が成長するにつれ、人間は自然な欲望をより自由に満たすよう奨励された。同時に科学上の発見は、それらの欲望を満たすことをますます可能にした。科学は、人間の物質的安楽と便宜に奉仕するための巨大な機構を徐々に発達させ、それは産業革命において頂点に達することになる。商業的・帝国主義的拡張の時代へ入ろうとしていたイングランド人に、マンデヴィルは、この拡張とそれに伴う奢侈の増大は、個人の観点では悪徳と利己心の拡張になると警告した。単なる「理性」が利己的情念を統制できるというストア的観念を、彼は論駁する。自然人のうちには「道徳感覚」または奉仕する意志があり、それが権力への意志、彼のいう主権本能に勝てるというシャフツベリの主張を、彼は「ロマン主義的で空想的」だとして退ける。彼は皮肉にも、黄金時代とそのドングリ食へ戻ることを治療法として勧める。真の治療法は、最も厳格なキリスト教と、肉の欲望を放棄することだと信じているふりをする。しかし彼の議論の本当の毒は、マキアヴェリの二重規範の観念に新しい方向を与えた点にある。欲求の増殖は個人の観点からは悪いが、政府が適切に誘導すれば国家の偉大さに資することができる。私的悪徳は公共の利益となる。

こうして各部分は悪徳に満ちていた。
それでも全体は楽園だった。
奢侈は
百万の貧者を雇い、
忌まわしい高慢はさらに百万を雇った。
嫉妬そのものも虚栄も、
産業に仕える者となった。

マンデヴィルはこう結ぶ。

愚か者だけが努めるのだ、
大きく、しかも正直な蜂の巣を作ろうと。

シャフツベリとマンデヴィルには、ロマン主義的理想主義者とマキアヴェリ的現実主義者の対立が、おそらく初めて明瞭に現れている。シャフツベリの教説の多くは、古代ストア派、とりわけマルクス・アウレリウスとエピクテトスの教説に密接に関係する。そのため、シャフツベリは「キリスト教の廃墟の上に異教の徳を築こうとした」というマンデヴィルの非難には真実がある。たとえばシャフツベリは、マンデヴィルの言い方では、「熟練した騎手がよく調教された馬を手綱で扱うのと同じほど容易かつ自在に、理性によって自分を統御する」ことを望む点で、ストア主義を越えてはいない。しかしマンデヴィルが、シャフツベリのうちに、ストア派その他の異教道徳家が試みた以上の人間本性への追従を見いだしたのは、まったく間違いではない。「彼は、人間が自分に何の苦労も強制も加えず、自然に有徳でありうると想像している。彼は、われわれがブドウや中国産オレンジに甘い味を期待するように、人類に善を期待し要求しているように見える。」自分の種への人間の本能的愛情に現れるこの自然的善を基礎として、シャフツベリは「自己否定なしに徳を維持」した最初の人物だった。「共感」という語が初めて広く使われるようになったのは、主にギリシアのストア派が用いた結果である。しかしストア的共感と、シャフツベリに始まりつつある感傷主義とのあいだには大きな隔たりがある。感情の奔流を奨励するどころか、ストア派は「無感動(apatheia)」を目指し、より厳格な時には、人々に仕えよ、しかし彼らを哀れむな、とさえ求めた。 シャフツベリに現れ始める道徳的唯美主義は、古典古代に厳密な類例を持たないが、ストア的というよりエピクロス的である。より進んだ型の感傷主義者は、自分の「徳」を示すために、ただ甘美に胸を高鳴らせればよい。 実際、ロマン主義的理想主義者があれほど重視する愛または共感は、後に示そうとするように、キリスト教的愛の理性以下のパロディである。

シャフツベリと弟子ハチソンの道徳感覚は、ヒューム、アダム・スミスその他の感情倫理の論者によって発展させられ、後代の功利主義者が快楽原理を重視したこととも無関係ではない。マンデヴィルは、人道主義的な共感が「主権本能」に勝てることを否定したが、彼自身も感情的道徳家だったことを忘れてはならない。彼は、人間の自然な情念のなかに、ときに激しくなりうる憐れみの情念さえ認めている。この憐れみの情念を高め、同時にマンデヴィルが時折行う無知と単純生活の称賛を本気に受け取れば、ルソーが二つの『論文』で提示することになる、奢侈と文明の問題に対する原始主義的解決が見えてくる。マンデヴィルは礼節の側に立ちながら、礼節が「人工的」であるだけでなく、後にルソーが言うように「悪徳の上塗り」であり「偽善の仮面」にすぎないことを認めている。彼は一般に、悪徳は芸術と科学が栄えるところほど支配的であり、無垢と誠実が最も広く行き渡っているのは、最も無学な「哀れで愚かな田舎者」のあいだだと主張する。「詐欺と奢侈を追放したいのか。ならば印刷機を打ち壊し、大学に置かれて妨害されずに残る本を除いて、この島のすべての本を焼き払え。」

マンデヴィルの現実主義によっても、シャフツベリの理想主義によっても弱められているのは、内面生活の感覚である。ここで内面生活とは、人間の通常の自己、または気質的自己を構成する外からの印象と拡張的欲望とは反対の方向へ働く力が、人間のうちにあることを、何らかの形で認めることを意味する。合理主義的倫理と感情倫理が伝統的二元論に対して決定的勝利を収めたのは18世紀である。同時に、われわれが扱っているのは、数世紀に及ぶ過程の最終段階であることを忘れてはならない。この過程が政治に反映された形は、ローマの神政体制によって理念上、またある程度は実際上も統一されていたヨーロッパから、国際法によって相互関係を統御される大領域国民国家から成るヨーロッパへの移行である。グロティウスが構想した国際法は、主として自然主義的基礎に立つ。彼の著作が刊行されてから数年後、ウェストファリア条約(1648年)によって新しいヨーロッパが承認された。各国民国家の内部では、この世俗化過程の本質的側面は、神授権から民権へ、神の主権から人民主権への移行である。長い過渡期には、超自然主義的見解と自然主義的見解が、ほとんど考えうるあらゆる比率で混ざり合った。たとえばプロテスタント、とりわけカルヴァン派と、カトリック、とりわけイエズス会士は、自然状態、自然権、社会契約といった自然主義的概念を借用したが、それは霊的秩序における神の主権という原理と、その神政的含意を、いっそう有効に主張するためだった。

もっとも、このようにすると世俗権力が上からではなく下から認可を受けるように見える危険を察した者もいた。フィルマーは『パトリアーカ』でこう言う。「近代の著述家たちは、教皇の下に国王を押し込めるため、国王の上に人民を引き上げるのが最も安全な策だと考えた狡猾なスコラ学者から、あまりにも多くを鵜呑みにしてきた。」この種のイエズス会的侵犯に対抗し、国民主義の台頭で重要な役割を果たした教説が、王権神授説と無抵抗服従説だった。霊的権力を世俗権力へ厳格に従属させることを主張したエラストゥスの立場は、ルター自身によって奨励されていた。そしてルター自身の態度は、皇帝を高め教皇を低めようとしたオッカムのような中世理論家の態度に関係していた。しかしルター派が宗教事項の管轄権を与えようとした君主たち――「領主の宗教が領民の宗教となる」(cujus regio, ejus religio)――は、皇帝のように普遍的な支配者ではなく、一定の限定された領土を世襲権によって支配する者だった。さらにカルヴァンの神政国家は、皇帝を犠牲にして教皇を高めた中世理論と関係するが、ここにも普遍性の要素が欠けている。実際には、ルター派国家もカルヴァン派国家も、神のものとカエサルのものを一つに混ぜ、世俗権力から逃れるための神の国(civitas Dei)を個人に残さない傾向がある。したがって、あらゆる形態のプロテスタンティズムを国民主義の台頭に伴う一事件にすぎないと見る意見には、この点で正当性がある。

不完全な例ではあるが、重要な政治思想の一型として注目に値する神授権の擁護は、先ほど触れたフィルマーの『パトリアーカ、または国王の自然的権力』(1680年)である。実際、家父長制的統治観を支持する議論は、西洋では一度も十分に展開されてこなかった。アリストテレスその他が何を主張してきたにせよ、人類の実際の経験に従うなら、家父長制的構想にはきわめて大きな強みがあると結論しなければならない。それは長い期間にわたり、人類の大きな部分にとって通常の統治観念だった。フュステル・ド・クーランジュによるギリシア・ローマ都市国家と、その家族宗教からの派生に関する研究は、中国や日本のような国に今なお残る政治制度・社会制度を理解する助けとなる。残念ながらフィルマーは、家父長制的構想に十分な心理分析を施し、その人間本性の実際の事実にある深い根を明らかにしていない。彼は自然主義的すぎると同時に神学的すぎる。副題そのものによって家父長的権力が「自然的」だと宣言しながら、同時に、現在の国王の権力がアダムからの直系の血統に基づくことを、やや奇怪な推測によって証明しようとする。

家父長的・王的権力の基礎が自然にあることを示そうとした点で、フィルマーは要点を大きく取り違えたように見える。神授権のより強力で首尾一貫した擁護者は、ボシュエの『聖書から引き出された政治学』(Politique tirée de l’Écriture Sainte, 1709)である。彼は確かに、あらゆる法は第一の法である自然法、すなわち衡平と正しい理性の法に基づくと主張する。しかし全体としては、押し寄せる自然主義の潮流に徹底した超自然主義を対置する。人間は自由で平等に生まれるのではなく、まず両親の臣下として生まれる。親の権威そのものが、唯一の絶対的主権者である神の権威の像である。さらに親の権威が、国王の権威の模範となる。国王の権力は人民の同意や黙認に依存しない。教皇からも独立している。しかし絶対的ではあっても恣意的ではない。上から統制されているからである。ボシュエは世俗秩序において君主を高めるが、それはただ神の前で君主を低くし、ほとんど耐え難い責任の重荷を負わせるためである。彼は言う。「見よ、一人の人物のうちに集められた巨大な人民を。見よ、この神聖で父権的かつ絶対的な権力を。見よ、この国家という身体全体を統治する秘められた理法を。あなたがたは国王のうちに神の像を見、そこから王の威厳という観念を得る。ゆえに、おお国王たちよ、大胆に権力を行使せよ。それは神から来たものであり、人類に救いをもたらす。しかし謙虚に行使せよ。それは外からあなたがたに置かれたものだ。根底において、それはあなたがたを弱いまま、死すべきまま、罪あるままに置き、神の前でいっそう重い決算を負わせる。」結局、国王は血肉でできた神、粘土と塵でできた神にすぎない、と彼は続ける。地上の偉大さは人々を一時的に隔てるかもしれないが、死という共通の破局が最後にはすべてを平等にする。

神への謙虚な従属のうちに王の職務を果たすことは、聖ルイでさえほとんど達成できなかった。ルイ14世については、ボシュエの教説の前半――「朕は国家なり」(l’État, c’est moi)――だけを自分のものとし、謙虚さを見落としたと言いたくなる。ボシュエは王権が神から直接派生すると主張する点で、他の王権神授説の擁護者と同じく、中世の帝国理論家へ戻っている。しかし支配が普遍的だと想定された皇帝は一人しかいなかったのに対し、同じく絶対的な権利を主張する国王は複数存在し、それぞれ大領域国民国家を世襲権によって支配し、世俗的野心だけでなく、宗教改革の結果として宗教においても衝突した。実際には、これら国民国家の支配者は、自然状態をどう考えるにせよ、互いの関係において自然状態にあった。ボシュエは統一への愛を宗教的迫害の奨励にまで押し進め、それはたとえばナントの勅令の廃止(1685年)に現れた。それでも彼の教説は遠心的な国民主義に十分な対抗力を与えなかっただけでなく、フランス国王とフランス聖職者の自由(les libertés gallicanes)を強調することで、教会の統一に逆らうようにさえ見えた。

ガリカニスムの自由を主張したルイ14世とボシュエは、中世後期以来の教会の主流に逆らっていた。1682年に発せられ、ボシュエも署名したフランス聖職者宣言の第4条は、教皇の裁定は教会の同意なしには最終的でないと宣言する。しかし、この限定的・立憲的なカトリシズムは、公会議主義運動の崩壊によって弱体化していた。その日から現在までの重要な変化は、すべて教皇権のいっそうの中央集権化へ向かっている。この教皇至上主義的カトリシズムの理論家で、ボシュエとルイ14世の敵対者がジョゼフ・ド・メーストルである。彼の『教皇論』(1819年)は、バチカン公会議(1870年)における教皇不可謬説の最終的勝利を先取りしている。かなり早い時期からのキリスト教の主要な一要素に、ローマ帝国的組織と呼べるものがある。ド・メーストルはこの要素を徹底した教皇帝国主義へ発展させる。神授権による最高支配者は教皇である。世俗の支配者は、自らカトリックを称するかぎり、教皇の覇権を認めるべきである。ド・メーストルは、あらゆる型の個人主義を破壊した廃墟の上に、この硬直した外的権威の構想を築こうとする。キリスト教の偉大な中心的伝統に属し、教父最後の一人と呼びたくなるほどだったボシュエとは対照的に、ド・メーストルは人格の立派な人物ではあったが、その著作には内面生活の感覚がほとんど見られない。彼が攻撃していた18世紀の合理主義者と比べても、さほど多くはなかったとさえ主張できる。真正のキリスト教徒の従属は、謙虚さと慈愛に基づく。ド・メーストルが目指す従属は、第一に社会的なものである。社会の最大の必要は秩序であり、彼が考える秩序は、主として恐怖と抑圧によって達成されなければならない。彼が有名な一章で語るように、社会構造全体を最終的に支えるものは死刑執行人である。彼は、教会の諸機関のうち、最も露骨に教皇至上主義的かつ反個人主義的なもの――禁書目録、異端審問、イエズス会――を擁護した。

ボシュエは王権神授説をほとんど限界まで押し進め、教皇の神授権の主張でド・メーストルを越える者も、おそらく決して現れないだろう。神授権に基づく教皇または国王の絶対的・無制限の主権への応答は、自然権に基づく人民の絶対的・無制限の主権の主張だった。人民主権の教説は中世にも、特にパドヴァのマルシリウスに見いだされ、17世紀初頭にはアルトジウスによってかなり急進的な線に沿って展開された。しかし実際にこの教説を発展させるうえで、ルソーの最も重要な先駆者はロックである。彼の『統治二論』(1690年)の第一論文は、彼が論駁しようとしたフィルマーの『パトリアーカ』という王権神授説の特殊な形態とともに、関心を失った。しかし第二論文は政治思想の主要な画期であり続けている。この著作の由来を理解するには、初期ギリシア思想家が立てた自然と慣習の対比、その対比から主にストア派の影響のもとで生まれ、ローマ法へ取り入れられた自然法の観念へ戻らなければならない。さらにローマ法学上の観念が、何世紀もの過程を経て、ロックのような著者において人権の教説となった経緯を追わなければならない。ロックが主張した自然権の教説はアメリカ革命を先取りし、ルソーによって修正された形ではフランス革命を先取りする。ロックは自然権を、王権の特権を擁護する者だけでなく、ホッブズのようなマキアヴェリ的現実主義者からも守らなければならなかった。ホッブズにとって自然状態とは、自由、平等、戦争である。したがって平和のためには、個人が、自分自身に対する自由または無制限の主権を一度かぎり放棄し、専制者のもとで平等を享受する契約へ入るべきだとする。これに対しロックにとっては、ときおり原始主義的な趣があるとはいえ、自然状態は自由、平等、理性である。それは「平和、善意、相互扶助、保存の状態」である。 実際、自然の法則は神の意志と同一である。 あるいは少し後にポープが言うように、「自然状態は神の統治だった」。ロックは霊的秩序と世俗秩序をあまりに一つに混ぜるため、実力への訴えを意味するときに「天への訴え」と語るほどである。しかし彼は、自然状態にはいくつかの不都合があり、とりわけ私有財産の安全に関して問題があることを認める。財産を完全に保障するには、自然の法則に加えて、偏りのない裁判官が執行する実定法が必要であり、さらにその裁判官の決定をしかるべく実行するため、組織された国家の力が必要になる。したがって、人々が自然状態に代えて確立した政府を置く契約の第一の目的は、公共善を確保することであり、その公共善は財産の保護と同一視される。財産そのものの源泉は肉体労働である。これはきわめて重要な点であり、後に立ち返る必要がある。多数者の意志として理解された人民の意志が最高のものとなる。しかしこの意志は直接ではなく、人民の意志の機関として行政権と司法権の双方を支配する立法府を通じて表明される。実際にはロックの論文は、1688年革命の帰結、すなわち国家の最終権力が国王から議会へ移ったことを反映している。立法府は、公共の利益、つまり財産の安全に関するすべての事柄で、行政権をとりわけ厳しく監視する。「代表なき課税は専制である。」

ボシュエのような王権神授説の理論家でさえ、統制されない行政権の危険を認める。「率直に告白しよう」と彼は言う。「権力の誘惑に等しいものはない。人々があなたにすべてを許し、あなたの欲望を先回りして満たすこと、さらにはその欲望を刺激することしか考えないとき、自分に何かを禁じるほど難しいこともない。」ロックに至っては、支配者は人間によって制限されなくても、上なるものへの責任によって制限されうると主張する者へ、返答する価値さえ認めない。彼にとって国王は、他の国王に対してだけでなく、自国の臣民に対しても自然状態にあり、したがって抑制を受けず、同時に追従によって腐敗し、権力によって武装している。このようにロックは統制されない王の意志には警戒するが、反対側の危険に対して何らかの予防策を講じたとは考えにくい。彼自身が人民主権をどれほど穏健に解釈しようとも、その主権が新たな絶対主義へ発展するのを防ぐものを、彼の理論の中に見いだすのは容易ではない。人民は立法者に法的統制を加えるだけでなく、立法者が人民の利益に反して行動しているように見えるなら、反乱を起こす権利を持つ。最終的に、無制限の民主政の弊害を抑える唯一の歯止めは、何らかの形で貴族的原理を認めることだと分かるだろう。ロックにはその認識が完全に欠けている。自然権の論理そのものが、少なくとも力以外の基礎に立つ敬意と従属の観念に反する。自然状態では、すべての人間が等しく王であり、誰にも服さない、とロックは言う。そしてこの平等は、社会契約の結果によっても大きくは減じない。ロックは、アリストテレスや孔子にはきわめて重要に見える政治問題、すなわち指導力の問題を、単に避けている。ロックの急進的・平等主義的側面が発達するのに時間がかかったのは、イングランド人らしい。彼が理論家となった1688年革命は、伝統的従属関係の残存に権力と威信を負う寡頭政へ、統治の支配権を与えた。理論上の正当化を欠く貴族政によって統治を続けるというホイッグ派の立場の困難は、やがて明らかになった。この貴族政は、1832年の選挙法改正の時点で事実上退位した。ロックの時代に動き始めた運動の全結果が、われわれの時代に明らかになりつつある。人民、とりわけ大都市の人民は、ロックが助長した功利主義的気質に自ら深く染まり、おそらく尊敬に値しなくなった代表者を、もはや敬意をもって仰がない。貴族的原理が、指導力の必要を否定する平等主義にさらに道を譲り続けるなら、議会政治は最終的に不可能になるかもしれない。

ロックの目的は、哲学上の先行者よりも経験的・実験的な仕方で人間本性を扱うことである。同時に彼には、デカルトの影響を示す強い合理主義的側面がある。想像力と拡張的欲望に、助けなしで打ち勝てる「理性」が人間にあると主張することで、ロックとデカルトはともにストア派の立場を復活させる。これに対してパスカルは、助けなき理性はそのように容易な勝利を収められず、むしろ「想像力がすべてを支配する」と主張した。こちらのほうが観察された事実に近く、したがってより真正に実験的であるように見える。ロックによれば、想像力は慣習と伝統に具体化し、それらは理性の観点から単なる偏見として退けられる。理性と偏見のあいだにこの対立を立てることで、ロックはデカルトとともに、啓蒙主義として知られるヨーロッパ文化の時代に対する主要な影響力となった。ロックのフランスおよびヨーロッパ全般での影響に、ヴォルテール以上に貢献した人物はおそらくいない。しかし政治理論の領域では、この影響はモンテスキューにおいて最もよく研究できるだろう。 ロックと同じく、彼は行政権を議会が統制すること、とりわけ課税と歳入法案の発議に関する統制を支持する。ただし彼は、立法、司法、行政をロック以上に明確に分離し、司法と行政を立法からより独立させる傾向がある。そうすることで政府の異なる機能が、相互の抑制と均衡の体系として働けるようにする。よく知られるように、初期アメリカの政治理論に最も影響を与えたのは、モンテスキューのこの側面だった。同時に、アメリカ合衆国憲法の起草者を純粋なモンテスキューの弟子と見るのは、敵意ある批評家だけだろう。彼らは、モンテスキューにはほとんど帰せられないもの、すなわち実践的な洞察力を顕著に備えていた。マキアヴェリの政治観と比べると、モンテスキューの政治観には非現実的な雰囲気がある。それほどまでに、天使のようなジュベールでさえ、統治術についてはモンテスキュー一巻よりマキアヴェリ一頁から多く学べると言った。さらに、わが国の憲法制定期の政治家の大半は、モンテスキューの一般哲学を共有していなかった。『法の精神』(1748年)に現れるこの哲学にはいくつかの不整合があるが、全体として見れば、ロックと比べてさえ純粋な自然主義へ向かう顕著な前進を示している。神学的観点は、さらに社会学的観点へ道を譲っている。そのためモンテスキューを社会学の創始者と見なす者さえいる。「彼はかつて存在したうち最も宗教的でない精神である」とファゲは言う。実際、モンテスキューには内面生活の価値に対する感覚がほとんどまったく欠けている。真正に宗教的または人文主義的であるには、神の恩寵の形であれ、自由な道徳的選択の形であれ、個人の心の中に、物質的自然を超えて彼を高めうる力があると主張しなければならない。モンテスキューが認める三つの主要な統治形態――君主政、共和政、専制政――では、そのような人間に固有の要因にほとんど重みが与えられない。彼はキリスト教へ口先の敬意を払うが、決定論と物理的原因の支配へ傾き、よく知られるように、気候と国民性の関係を特に重視する。したがって、法は絶対的なものと見なされるべきでなく、その一般精神において国民性と一致しなければならないという彼の主張は、エートスを重視するアリストテレスの立場とはきわめて異なる。アリストテレスも気候の影響を認めるが、全体として彼が関心を寄せるのは、自然が人間を何にするかより、人間が自分自身を何にするかだからである。モンテスキューの見方では、宗教でさえ大部分は気候の問題である。世界のどの地域がイスラム教になり、どの地域がキリスト教になるかを気候が決め、 キリスト教内部でも、どこがプロテスタントになり、どこがカトリックになるかを決める。 「良識」も同じく気候の問題らしい。 この自然主義的相対主義は、倫理の基礎そのものに革命を意味する。実際モンテスキューは、「徳」のような語を伝統的な意味では使っていないと、ありがたいことに警告してくれる。「私が共和政における徳と呼ぶものは、道徳的またはキリスト教的な徳ではない。それは祖国への愛、すなわち平等への愛である」と彼は言う。彼は、この共和政的な平等への愛は、必要な従属関係と両立しなくなるところまで押し進められてはならない、という論点を見事に展開する。ボシュエなら明らかにこう答えるだろう。従属が力以外の原理に基づくなら、それは人間の通常の意志を何らかの高次の意志へ服従させることを含意しなければならず、言い換えれば、究極的に謙虚さへ根ざさなければならない。確かにモンテスキューは、ときに共和政的な徳と宗教的統制の関係を認めているように見える。彼は有名な一文で言う。「ローマは嵐の中で二つの錨――宗教と習俗――につなぎ止められた船だった。」この伝統的エートスが衰えると、奢侈が増大し、自由が衰退した。

モンテスキューは、君主政を形づくる原理である名誉を、外面的・形式主義的に捉える。それは、彼自身が定義する徳とも、伝統的に理解されてきた徳とも、ほとんど関係がない。貴族的原理のこの形態に対する彼の扱いは、ルイ15世の時代に貴族政が実際になっていたものを忠実に反映しているかもしれない。しかし「高い身分には義務が伴う」(noblesse oblige)という格言の含意を正当に扱っているとは、とても言えない。紳士(honnête homme)が名誉の崇拝と結びつけようとした人文主義的な均衡のうちに、彼が見いだすものは、宮廷人が王の寵愛を奪い合う競争を隠す、礼儀正しさの薄い上塗りにすぎない。

モンテスキューによれば、法と政府は相対的であり、主として物理的原因に対して相対的である。それなら、これらの原因の働きに人間が介入しても、得るところはあまりないと思われるかもしれない。実際にはモンテスキューにはもう一つの側面がある。そこでは、人間は人文主義的または宗教的な方向に内側から自分を変えることはできなくても、気候だけでなく制度によって外側から変えられうること、そしてそれらの制度は多かれ少なかれ進歩的な性格を持ちうることが示唆される。要するに彼は、偏見に対する理性の最終的勝利を信じる啓蒙人の通常の自信を示している。彼の影響は、とりわけ18世紀末に数多く現れた、政治機構を巧妙に操作することで社会を刷新できると期待し、紙の上の憲法の効力にほとんど無限の信頼を寄せた人々にたどることができる。

私はいま「進歩的」という語を使った。実際、近代自然主義に独特の調子を与えることになる進歩の観念は、モンテスキューの時代にようやく明確な形を取り始めていた。古代ギリシア・ローマの自然主義には、ストア派であれエピクロス派であれ、この観念のごくわずかな萌芽しか見いだせない。進歩の観念の究極の源は、ルネサンスにおける科学的方法の最初の勝利にある。初期のイングランド的形態では、ベーコンの影響と王立協会の創設(1662年)に結びつき、実践的・経験的になる傾向がある。初期のフランス的形態では、デカルトの影響に結びつき、より抽象的・論理的になる傾向がある。18世紀、とりわけフランスで、ベーコン的潮流とデカルト的潮流が合流する。その結果、人間が完全になりうるという確信が絶えず増大した。サン=ピエール師は、いわば職業的博愛家と呼べるものの、すでにかなり完成した標本である。ディドロその他の百科全書派は、伝統的な神の王国に代えて、ベーコン的な人間の王国を意図的に据えようとした。同時に、この新しい教説が、過去数世代にわたって西洋の真の宗教となってきたもの――人類教――へ発展するために必要なものを、まだすべて備えていたわけではない。ここまでの運動は、主として合理主義的だった。その主要な成果は、主にデカルト的な線に沿って普遍的機械論の観念を発達させ、一定不変の法則の体系として理解された自然を、古い二元論者が何らかの形で主張してきた、自然の法則への摂理的介入に対置したことである。したがってボシュエのようなキリスト教的超自然主義者が、自然主義的傾向に対して宗教を擁護する中心に摂理の観念を据えたのは、彼自身の観点からは正当だった。厳格な実証主義者の観点では、摂理を法則の観念に置き換えること自体は、空想的な企てではない。 しかしその場合、内面生活の真理を保持しようとするなら、二つの法則――事物の法則だけでなく、人間の法則――を主張する必要があっただろう。ところが新しい運動の要点は、まさにそのようなことを何もしなかった点にある。それは自然的秩序と人間的秩序を一つの法則のもとへ置き、さらにデカルトに従って、この一つの法則を数学的・機械的公式へ還元しようとした。確かに、古い二元論から近代的一元論的構想へ移る重要な中間段階である理神論運動では、摂理の観念が一応は保たれている。しかしこの理神論的摂理は、真正のキリスト教におけるように直接働くのではなく、自然の法則を通じて間接的に働く。そして自然の法則は、人間の利益を特に念頭に置いて摂理が設計したものと考えられた。そのため大多数の理神論者は目的因の教説を重視し、リスボン地震のような出来事に狼狽した。それは、自然的秩序を通じて人間の善のために働く摂理という彼らの理論と、ほとんど整合しなかったからである。

理神論運動、そしてすでに述べたように、ルネサンス以後の自然主義運動全体は、ここまで主として合理主義的だった。ところが単なる合理主義では満足できないということは、あらゆる時代の人間が繰り返し経験してきた。人間は、何らかの意味で、単に理性的な自己から自分を引き上げる熱狂を求める。啓蒙主義の最も際立った人物とも言えるヴォルテールでさえ、幻想は人間の心の女王であると宣言した。政治思想の領域では、人権が仮想的な自然状態から抽象的推論だけによって導き出されているかぎり、人権の観念は比較的動きのないものにとどまった。ルソーが言うように、「冷たい理性は、かつて何一つ輝かしいことを成し遂げたことがない」。イングランドの背景についてすでに述べたことから分かるように、ルソーには多くの先駆者がいた。しかし人権の教説へ、それまで欠けていた想像的・感情的な推進力を与え、同時に人類教に欠けていた要素を補ったのは、他の誰よりもルソーだった。ルソーに対して伝統的秩序を擁護した者の中では、バークが明らかに第一である。彼もまた独自の仕方で、冷たい理性は何一つ輝かしいことを成し遂げないという真実を理解していたからである。彼は、真に意味を持つ唯一の保守主義は、想像力に根ざした保守主義だと見抜いた。したがって、18世紀末以来、政治思想の領域で進んできた闘争の最も重要な局面を、バークの精神とルソーの精神の闘争と見ることは、決して空想ではない。そしてバークとルソーのこの対立は、最終的には二つの異なる型の想像力の対立に帰着することが分かるだろう。

原注

アリストテレス『政治学』1273a参照。「国家の指導者たちが何かを名誉あるものと見なすとき、他の市民は必ずその模範に従う。」

マキアヴェリ『君主論』第15章。

マキアヴェリ『君主論』第19章。

同書、第7章。

ホッブズ『リヴァイアサン』第1部第11章。

セネカ『寛容について』第2巻4–6節参照。

シャフツベリに始まりが見られる、十分に発達した感情倫理の一例として、ルソー『エミール』第4篇の次の一節を挙げられる。「この徳への熱狂が、われわれの私的利益と何の関係があるというのか。――われわれの心から美への愛を取り去れば、人生の魅力をすべて取り去ることになる。卑しい情念が狭い魂の中でこうした快い感情を窒息させてしまった者、自分の内側へ閉じこもるあまり、ついには自分だけしか愛さなくなった者には、もはや心を奪う高揚はない。凍りついた心は喜びに脈打たず、やさしい感動がその目を潤すこともなく、彼はもはや何も享受しない。」この種の「熱狂」は、『新エロイーズ』第2部第11書簡のように、ときにプラトン的な色彩を帯びる。しかしゴンペルツが指摘するように(『ギリシアの思想家』第2巻411頁)、プラトンは「ルソーの感傷主義を徹底して軽蔑しただろう」。

ロック『統治二論』第2論文、第3章。

同書、第11章。

J. Dedieu, Montesquieu et la tradition politique anglaise en France[『モンテスキューとフランスにおけるイングランド政治伝統』]参照。

モンテスキュー『法の精神』第24編第26章。

同書、第24編第5章。

同書、第14編第3章。

もっとも別の章では――彼の不整合を示す好例だが――マンデヴィルの奢侈擁護論を採用している(同書、第19編第9章)。

たとえばブッダは、キリスト教的意味での摂理ではなく、法(「ダンマ」)へ最後の敬意を捧げた。言うまでもなく、この法は物質的自然の法則とはまったく異なる。

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第2章 ルソーと牧歌的想像力

ルネサンスから18世紀に至る時代は、第1章で示したように、個人が外的権威と、その権威が押しつけようとした超自然的信念から次第に解放されていった時代である。だが個人は、新たに得た自由を用いて、伝統宗教に代わる、批判的吟味に耐える何かを築こうとはしなかった。反対に、ますます自然主義へ傾いていった。同時に彼は、典型的な政治的自然主義者マキアヴェリの理論とは正反対の統治理論に、しばしばふけった。なぜなら、過去には人文主義的鍛錬だけでなく宗教的鍛錬によって苦労して獲得される成果と考えられていたいくつかの徳が、次第に「自然」と結びつけられるようになったからである。この結びつけ方が正当なら、エートスと政府との必然的関係について私が冒頭に掲げたアリストテレスの一般化は、明らかに捨てなければならない。しかしアリストテレスを見限る前に、「自然状態」について後に広く受け入れられた解釈のなかに、何らかの詭弁が潜んでいないかを考えてみるべきだろう。

実定法と組織された社会に先立つ自然状態と自然法という観念は、すでに見たように、決して新しいものではない。それは古典古代、とりわけストア派のうちに現れ、主としてストア派の影響がローマ法へ浸透した結果、中世を通じて生き残った。さらに、すでに述べたように、ルネサンスがストア派その他の古代の源泉へ直接回帰したことによって、再び力を得た。また教父たちの時代からすでに、想定された自然状態を堕落以前の人間の状態と同一視し、この状態に共産主義的な色彩を与えるとともに、人間が無垢から転落したことと私有財産の成立とを結びつける傾向が見られる。 自然法も、それなりの意味で神的なものと考えられてはいたが、その権威は、啓示を通じて知りうる神の法の権威とは、結局のところ比較にならなかった。神の法をこの実定的な形で信じているかぎり、自然状態を主張しても、人間のなかに「古きアダム」が生き残っているという強い確信によって、必ず節度を与えられた。たとえば、1592年に『教会政治論』を刊行したフッカーは、自然法についての多くの考えでロックを先取りしている。しかしこの法を主張しながら、彼はこう述べる。「人間のあいだの外的秩序と統治のために定められる政治法は、人間の意志が頑迷で反抗的であり、その本性に刻まれた神聖な法へのあらゆる服従を嫌うものだと想定しないかぎり、あるべきようには決して作られない。ひと言で言えば、堕落した精神をもつ人間を、野獣よりわずかにましなものと想定しないかぎり、政治法は正しく作られないのである。」フッカーからロックまでの時期に、人間の堕落性への確信は著しく弱まる。グロティウスはすでに、たとえ神も実定的啓示も存在しなくても、正しい理性の法として理解された自然法によって、人間は政治上の事柄で正しく導かれうると主張した。この理性の賛美と並んで、16世紀にはすでに、本能を賛美する動きが芽生えていたことにも注意すべきである。それは後に、「高貴な野蛮人」崇拝という最も特徴的な表現の一つで頂点に達する。しかし本能の賛美が、倫理の基礎そのものに影響を及ぼすほど明白に感情的な性格を帯びるのは、18世紀初頭になってからである。シャフツベリの「道徳感覚」の教説と、それが含意する本能的善性は、ただちに広く人気を得た。たとえばサー・ジョン・ホーキンズは『ジョンソン伝』でこう述べている。「彼〔フィールディング〕の道徳は、徳を道徳的義務や責務の感覚ではなく善良な感情へ還元する点で、シャフツベリ卿の思想を俗化したものである。彼は『心の善良さ』という決まり文句を作り出した。この言葉は日々、廉直さの代用品として使われているが、意味するところは馬や犬の徳と大差ない。」

楽観的自然主義者シャフツベリだけでなく、自然主義的な冷笑家マンデヴィルもまた、すでに述べたように、ルソーの感情倫理への道を準備した。ルソーによれば、自然状態は理性の状態ではない。反対に、思考する人間はすでに高度に洗練されており、ルソーの言い方では「堕落した動物」である。自然状態の人間は孤立していると同時に、本能に支配されている。しかしこの孤立した個々人は、ホッブズが主張したように、互いに戦争を始めるほど自己愛の本能だけに支配されてはいない。自然人にはもう一つの本能、すなわち同類が苦しむのを見ることへの本能的な嫌悪があり、それだけで自己愛に対する十分な釣り合いとなる。ルソーは、自己愛と本能的な憐れみというこの二原理の出会いと結合から、自然権のあらゆる規則を導こうとする。「人間の徳を最も激しく誹謗する者」――つまりマンデヴィル――でさえ、自然な憐れみを認めざるをえなかった、とルソーは言う。「しかし彼は、自分が人間に認めまいとする社会的な徳――寛大、寛容、人間愛、慈善、さらには友情そのもの――が、この性質だけから生じることを理解しなかった。」実際、洗練されていない人間、すなわち憐れみと自己愛という根源的本能にだけ従う人間を考えれば、「自然の素朴な衝動に最も抵抗しない者こそ、最も有徳である」と結論しなければならない。ショーペンハウアーによれば、 道徳をこのように憐れみに基礎づけることで一変させたことが、ルソーの輝かしい功績だった。この功績の結果として注目すべきなのは、いま引用した文にも現れているように、「徳」のような語の意味そのものが変化したことである。実際、18世紀を研究すればするほど、近代の他のあらゆる革命に先立って、そのころ辞書の革命が起こっていたことが明らかになる。ルソーが「徳」という語をどのように鋳直したかを十分に理解するには、一度『第一論説(学問芸術論)』(1750年)へ戻る必要がある。彼はそこで、芸術と学問の発達から必然的に生じると考えた洗練と奢侈は、徳と両立しないと主張する。奢侈の侵入によってローマその他の大国家が崩壊したという叙述のなかで、彼は実際に数えると「徳」という語を43回使っている。しかし、彼の時代をあれほど悩ませた奢侈の問題への解答として、彼がファブリキウス、リュクルゴス、あるいはカルヴァンの徳を本当に取り戻そうとしていると思ってはならない。彼が奢侈に対置するのは、むしろ自然と簡素な生活への回帰であり、彼の考える簡素な生活は、実際きわめて簡素なものなのである。 彼の徳は、本能的なもの、理性以下のものの賛美である。したがってジュベールは、自分の立場からすれば、ルソーは人々に徳を語ることによって、人々の魂から知恵を破壊した、と述べるだけの理由があった。

『第一論説』の徳は明らかに原始主義的だったが、『第二論説(人間不平等起源論)』では、憐れみの観念と結びつけられることによって、決定的な要素を加えられた。ホッブズにとって自然状態とは、すでに見たように自由、平等、戦争を意味した。ロックにとっては自由、平等、理性だった。これに対してルソーは、戦争も理性も社会的洗練の結果だと言う。真の自然状態とは、自由、平等、そして兄弟的な憐れみである。ホッブズを反駁し、理性に代えて友愛を据えたことで、ルソーは自然主義に、それまで欠けていた推進力を与えた。こうして自然主義は、古い福音と同じく愛において頂点に達するかのような、新しい福音へ発展しうるものとなった。感情の拡張として愛を捉えるこの考えは、すでに述べたように、キリスト教的慈愛の一種の戯画である。

自然状態では、あらゆる人間が等しく憐れみの能力をもつように見える。しかし現実の社会では、憐れみを強調すると、一種の逆転した階層秩序が作り出される。キリスト教では、人間の霊的な位階は神への近さによって決まり、その近さは慈愛の熱意によって示される。同じように新しい福音では、人間は自然への近さによって評価され、その近さは同情の温かさによって示されることになる。ところで、思考の青ざめた影によって、生まれつきの生き生きとした衝動が最も損なわれていないのは、庶民である。「愛を彼が見いだしたのは、貧しい者の住む小屋だった。」社会階層を上るにつれて愛は減少し、頂点に近づくと、その反対物へ変わる。富者についてルソーは、「人肉を一度味わうと他の食物をすべて拒み、以後は人間だけを食い尽くそうと望む、飢えた狼」にたとえている。

実際ルソーは、人間の想像力を支配する点で、旧来の神学に少なからず取って代わった新しい一群の神話を作り出している。旧神学では、すべてが人間の神からの転落にかかっていた。同じようにルソーでは、すべてが人間の自然からの転落にかかっている。この転落の最初にして決定的な一歩であり、社会悪の源となったのは、よく知られたルソーの説明によれば、土地所有という形で私有財産が発明されたことだった。財産の発明とともに「平等は消滅した」。「労働が必要となり、広大な森林は、人間の汗で潤さなければならない微笑む耕地へと変えられた。そしてその耕地では、奴隷状態と悲惨が、作物とともに芽を出し成長するのが、まもなく見られるようになった。」要するに、悲惨は勤労の結果なのである。

ルソーがこのように作り出している神話の根底には、明らかに新しい二元論がある。旧来の二元論は、善と悪の対立を個人の胸中に置き、堕落以後は悪が圧倒的に優勢であるため、人間は謙虚でなければならないとした。ルソーでは、この対立が個人から社会へ移される。ルソーのうちに古い二元論の名残があることは疑いない。しかし彼の著作の現実の影響が、ほとんど全面的に新しい二元論と結びついてきたことも、同じく疑いない。彼自身、ヴァンセンヌへ向かう途中、道端の木の下で訪れた黙示録的な幻視の本質を、この新しい二元論のうちに見ていた。彼の著作を導く原理は、悪徳と誤謬が人間の構成にとって異質であり、外部から入り込んだもの、要するに制度によって生じたものだと示すことにある、と彼は言う。ところで制度とは、実際には制度を運用する者たちを意味する。人為的階層秩序の頂点にいる少数集団――国王、聖職者、資本家――が、いわば蓋の上に座り、人間の生来の善性が、シェリーの『解縛されたプロメテウス』におけるように、奔流となって噴き出すのを押さえつけている。いずれにせよ、責任は「自然」にはない。

自然だと! 否!
国王、聖職者、政治家が、人間という花を、
その柔らかな蕾のうちに枯らしてしまう。彼らの影響は、
荒廃した社会の血を失った静脈を、
かすかな毒のように走り抜ける。

この奇妙な二元論がどこから生じたのか、「ジョージ3世、ペイリー、エルドン卿が、どのようにして自然から独立した存在を獲得し、自然の善い目的をすべて無に帰す力を得たのか」は、レスリー・スティーヴンがシェリーについて述べるように、「問わずにはいられない問題の一つ」である。同じ問いは、ルソーの二元論についても生じる。しかし多くの人々は、自然的善性の神話を、そのように無遠慮に吟味する気にはならなかった。それはそれ自体きわめて人を喜ばせるだけでなく、神学的悪夢から逃れる便利な道を示すようにも見えた。何よりも、それは社会階層の最下部にいる人々を喜ばせた。最良のキリスト教は富者を謙虚にしようとしてきたが、ルソー的福音の避けがたい効果は、貧者を誇り高くすると同時に、自分が陰謀の犠牲者だと感じさせることである。社会と法律の成立によって、「巧妙な簒奪を取り消し不能の権利へ変え、少数の野心家の利益のために、以後、人類全体を労苦、隷属、悲惨へ服従させる」ことが可能になった。『第二論説』のこの箇所や類似の箇所が、爆弾を投げる無政府主義者に今なお直接の霊感を与えていることに、驚く必要はほとんどない。 この論文の全体、そしてルソーの他の著作の全体を通じて聞こえるのは、愛の名において、実際には憎悪と階級闘争を煽る、怒りと嫉妬に満ちた平民の声である。『エミール』にはこうある。「私のなかで最も破壊しがたかったものは、誇り高い人間嫌い、世の富者や幸福な者に対するある種の辛辣さだった。あたかも彼らが私を犠牲にして富み幸福になり、彼らのいわゆる幸福が、私の幸福から奪い取られたかのように感じていたのである。」

ルソー的な仕方で社会的不平等に十字軍を起こす者は、熱狂者となるだけでなく、容易に狂信者となりうる。この感情の解放は、一見したところ、ルソーによる自然解釈の本質的側面に思われる。デカルト主義者の合理的・機械的な自然に代わり、自然は自発性、すなわち拡張的で、さらには爆発的な感情主義という意味での自発性となる。「私は理性を船外へ投げ捨てた」とルソー自身は言う。「そして自然、すなわち理性とは独立に私の信念を導く内なる感情に相談した。」しかしさらに詳しく見ると、ルソーには感情主義以上に根本的なものがあることが分かる。それは彼に特有の想像力である。この点を明らかにするには、『第二論説』で彼が打ち立てる自然的なものと人為的なものとの対照を、ある程度注意深く考える必要がある。この対照へ到達する彼の方法は、いくつかの点で近代進化論者の方法に似ている。アリストテレスが、人間の本性を理解するには目的へ目を向けよと求めるのに対し、ルソーは進化論者と同じく、始原へ向かって手探りでさかのぼるよう求める。原始人から文明人への変化は、いくつかの中間段階を経る緩慢な発達として描かれ、各段階には「数千世紀」が費やされたとルソーは想定する。ついでながら、人類全体がさまざまな段階を経て進化するというこの描写は、ドイツで数多くの歴史哲学が開花するのを助けた。 しかしルソーの自然は、一点において、多くの歴史哲学者の自然とも、すべての進化論者の自然とも激しく対立する。進化論者は、自由に空想的仮説へふけることのできる先史時代へ、われわれをあまりにも容易に連れ去る傾向があるが、それでも進化過程のどの段階においても、自然を憐れみの源とは見ない。自然状態に憐れみを帰したことによって、ルソーはまさに、『第二論説』で自然状態の議論を始める際の一文――「まず、すべての事実を脇へ置こう」――を正当化するに近いところまで進んだ。ルソーの自然を理解する鍵、また無数のルソー主義者が理想としてきたものを理解する鍵は、現実世界で自分の気に入る人間を見いだせなかったので、自分のために「空想の黄金時代」を築いた、という彼の告白にある。 要するに彼の自然は、私が別のところで牧歌的想像力の投影と呼んだものである。

ファゲは、ルソーが公衆の心に残した像は、桜の木に登った紳士が、下にいる二人の娘へサクランボを投げ下ろしている姿だ、と不平を言う(『告白』におけるガレー嬢とグラフェンリート嬢の挿話)。しかしルソーの本質的態度については、公衆も結局それほど間違っていないのかもしれない。ルソーの著作を読めば、彼が牧歌的主題にいくつもの変奏を与えていることに、ほとんど誰もが気づくだろう。ルソーのように、牧歌的な仕方で豊かに、しかも自然発生的に想像することを、取るに足らないことだと思ってはならない。何らかの黄金時代、あるいは心の願いがかなう土地への憧れほど、普遍的な人間の性質はおそらくない。この憧れは、世界の芸術と文学の大きな部分に霊感を与えただけでなく、哲学と宗教のなかにも入り込んできた。エデンの園の物語には、牧歌的要素が明らかに存在する。『雅歌』はミルトンによって「神聖な牧歌」と呼ばれた。初期キリスト教徒の千年王国への憧れも、同じ型の想像力と無関係ではない。『バガヴァッド・ギーター』のクリシュナには少しも牧歌的なところがないが、インド版のこの詩の口絵としてしばしば用いられる絵では、クリシュナは牧笛を手に牛を従え、ゴーピー、すなわち牧女たちに囲まれている。ここで問題になるのは、この型の想像力と近代の政治的理想主義との関係である。扇動家が既存の社会秩序を破壊した後に訪れる幸福を描いて大衆を刺激するとき、彼が主として訴えるのは、この想像力である。イングランドの画家エドワード・リアは、革命の年1848年にシチリアのある町へ滞在していたと語っている。数週間町を離れることになったため、絵その他の品を一室にしまって鍵をかけ、その鍵を宿の主人へ預けた。彼が戻ったとき、ちょうど革命が始まったばかりで、給仕たちはキャンティ酒と愛国的熱狂に酔っていた。彼はその一人へ、服を取り出したいので部屋の鍵を渡してほしいと恐る恐る頼んだ。給仕は、黄金時代の夢から日常生活のそのような細部へ引き戻されることを、きっぱり拒んだ。「もう鍵も、部屋も、服もありません」と憤然として叫んだ。「すべては愛と自由です。ああ、なんと美しい革命でしょう!」

不幸なことに、現実が理想に道を譲って消え去ることを拒むと、その失敗は理想そのものにあるのではなく、何らかの陰謀のせいだと、単純な人々を説得するのは容易である。アナトール・フランスは、この種の子供じみたルソーの弟子の一人について、運命によって料理人という職業へ追いやられたのに、黄金時代のために作られた楽園的な魂を、その職業へ持ち込んでしまったことが彼の不幸だった、と述べている。彼は最も優しい楽観主義によって、最も残忍な凶暴さへ導かれたのである。アナトール・フランスがさらに言うように、人間は生まれつき善良で有徳だという仮定から出発すると、最後には必然的に人間を皆殺しにしたくなる。18世紀以後の時代について注目すべきなのは、一般大衆だけでなく指導者までもが、これほど広範に牧歌的想像力の誘惑へ従ったことである。たとえばシラーは、文学において牧歌を最高位の一つにまで引き上げ、理想と結びつけた。私は別のところで、牧歌は文学においてそのような地位に値しないことを示そうとした。政治行動の基礎としては、なおさら疑わしいように思われる。リンカーンは友人スピードへこう書いた。「君と私に特有の不幸は、地上の何ものも実現できないほどのエリュシオンを夢見ることだと、私は疑わない。」こうしたエリュシオンへの憧れにおいても、その他の点と同じく、リンカーンはきわめて人間的だった。しかし実際の政治家としての彼は、エリュシオン的ではなかった。

本書の後の部分では、リンカーンとは異なり、牧歌的な型の「幻視」を政治と経済の領域へ持ち込んださまざまな人物を、さらに詳しく検討する。ここで示したいのは、ルソー自身の場合、その感受性さえ想像力に従属しているという点だけである。なぜなら、この想像力が、彼の感情があれほど自由に拡張してゆくアルカディア的状態を呼び出し、それを「自然」と名づけるからである。しかしルソーを牧歌的で感情的な夢想家としてのみ描くのは、『社会契約論』など、彼が厳しく冷徹な論理家として現れる著作の一部を忘れることではないか、と反論されるかもしれない。ルソーの論理が時に厳格であることは認めてもよい。しかしそれが冷徹であるかは別問題である。架空の自然状態という前提から出発したその論理は、確立されたあらゆるものに対する感情的反乱を正当化する結論へ進み、実際、「ローマの石さえ立ち上がって反乱する」ほどの結論へ至る。たとえば専制君主の臣民が家庭内の平穏を享受しているように見えても――『社会契約論』の論理によれば、当時のヨーロッパの国王はすべて専制君主だった――それは、キュクロプスの洞窟で、自分が食われる順番を待っていたオデュッセウスの仲間たちの平穏にすぎない、とルソーは言う。ルソーの論理と感情の関係は、外では独立しているように勇ましく振る舞いながら、実際には妻の言いつけどおりに動く恐妻家の夫にたとえられてきた。さらにルソーが論理的厳密さを誇示することで、もう一つの目的が達成される。既存の社会秩序の最下部にいる人間は、頂点の人間より有徳であり、言い換えれば、自然状態の自発的善性をいっそう完全に備えている、と告げられて喜ばされる。しかし感情において自分が優れていると信じる用意はあっても、自分には思考能力がないと思うのは、やはり好まない。アリストテレスによれば、大衆は区別を立てることができない。ルソーの論理は、大衆に少なくとも自分も区別を立てられるという幻想を与えるように作られている。彼の驚くべき影響力のかなりの部分は、民衆の心だけでなく、民衆の頭脳にも追従したことに負っている。テーヌはW・S・リリーへの書簡でこう書いている。「ルソーの思想に並外れた力を与えているのは、何よりもその構想の単純さである。実際、その構想が生み出す政治的推論は、三数法と同じくらい容易である。この人間に、彼は理解していない、国家の観念は形成するのが最も難しい観念の一つであり、政治的推論は彼の能力を超えている、とどうして証明できるだろうか。そんなことをすれば、彼を侮辱することになる。彼は、そのように途方もないことが可能であるとさえ認められない。そして彼の自尊心は、良識を盲目にするのに十分なのである。」

ここまで私は、現実に世界を動かしたルソー――想像力が呼び出す幻へ感情を飛翔させ、その感情に論理を奉仕させるルソー――を扱ってきた。しかしこのルソーと並んで、まったく別のルソーが存在することも認めなければならない。彼がストラスブールにいたとき、ある父親が、自分の息子を『エミール』の原則に厳密に従って教育していると告げたところ、ルソーは「それはその子にとって、なお悪いことだ」と答えたという。この逸話が厳密には事実でなくても、ある種の象徴的価値をもつ。それは、彼の心と頭は同じ一人の人間に属しているようには思えない、という彼自身の言葉と結びつけて考えるべきである。彼の心――すでに示したように、その心には論理も従属する――が革命的であるのに対し、頭は慎重である。彼の書簡を一通り読んだ者なら誰でも認めるように、助言を求めた人々への返答は、しばしばきわめて抜け目なく、良識に富んでいた。ランソンが言うように、ルソーは最も大胆な教説を、保守主義者を安心させ、日和見主義者を満足させるような仕方で適用する。

二人のルソーの対照は実際あまりにも顕著であり、彼の誠実さを疑う問題を生じさせる。この点を論じる準備として、今日とりわけ需要が高いように見える特殊な型の誠実さも、それ自体ルソー的運動の産物であることに注意する必要がある。ある方面では、ほとんどどのような意見も、十分な感情的激しさをもって抱かれてさえいれば正当化される、と想定されているように見える。この意味での誠実さの最良の実例は、精神病院に見いだされるのではないか、と考えずにはいられない。ルソーが晩年、自分は普遍的陰謀の犠牲者だと確信したことをはじめ、彼の誠実さの多くは、この種のものだった。実際、誠実さは、しばしば第一義的な徳と見なされながら、実のところ、何かそれ以上に根本的なものとの関係でのみ徳となる一群の性質の一つにすぎない。たとえば現代の多くの「自由主義者」は、未来を見つめること自体が徳だと考える。しかし、見つめている未来が有害または空想的なものだと判明するなら、それは悪徳となりうる。同じことは、自分の心の開放性を誇る人々にも言える。心を開くのはよい。しかしそれは、やがて心を閉じるための予備段階、要するに判断と選択という最高の行為に備えるためでなければならない。同じように、誠実さの価値も、まず真か偽かという問いとの関係でしか評価できない。アテナイのソクラテスの一団や、今日の科学的研究者が、感情主義者と比べて尊敬に値するように見えるのは、彼らが何より先に、その人が誠実かどうかではなく、正しいか誤っているかを問うからである。もちろん正しいのであれば、少なくとも道徳的価値の領域では、その正しさを誠実に抱いていることが重要になる。

いま論じた型の感情的誠実さを、ルソーに認めないのは難しい。その穏やかな形は、今日なら「信じようとする意志」と呼ばれるものを思わせ、極端な形では狂気とほとんど隔たりがない。同時に、ルソーの頭は時として心から距離を取り、むしろソクラテス的に心を扱うことができた。たとえば彼は、自著の文体と雄弁をほめたヒュームへ、こう答えた。「正直に言えば、その点について私は自分に不満ではありません。同時に、私の著作は根底では何の役にも立たず、私の理論はすべて途方もないものではないかと恐れています。」

しかしわれわれが問題にすべきなのは、この箇所の自己批判的なルソーではない。単純な理由として、世界を動かしたのはこのルソーではないからである。ランソンが続けて言うように、世界を動かしたルソーの側面とは、「人を苛立たせ、反乱を鼓舞する」側面であり、「暴力の母、あらゆる非妥協性の源である。それは、その奇妙な力へ身を委ねる単純な魂を、絶対的なものを求める絶望的な探究へ送り出す。その絶対は、今日は無政府状態によって、明日は社会的専制によって実現されるのである。」

影響力をもったルソーはつねに極端論者ルソーだが、ランソンが言うように、彼は相反する極端のあいだを揺れ動く。人間を孤立し、相互の関係を欠く粒子のように捉える『第二論説』の非妥協的な個人主義から、彼は『社会契約論』の同じく非妥協的な集団主義へ移る。集団主義的理想のなかでさえ、彼は両極端を往復する。たとえばミラボー侯爵へ、自分には「最も厳格な民主政と、最も完全なホッブズ主義とのあいだに、耐えうるいかなる中間も」見えない、と書いている。人間を作るか、市民を作るか、どちらかを選ばなければならず、両方を作ることは望めない、と彼は言う。ここまで私は主として、『第二論説』に描かれた自然状態の人間の徳について語ってきた。次に『社会契約論』と、そこに示された方法――人間が市民の徳を獲得できるよう、その自然的な徳を可能なかぎり完全に奪い去る方法――について語らなければならない。『社会契約論』について述べる際には、その非妥協的な主要論証に限定する。『社会契約論』に他の要素もあることは疑いない。ルソーは時に、統治原理は絶対的ではなく相対的であり、その適用は歴史的状況と物理的環境、とりわけ気候に左右されると述べる。しかしモンテスキューの影響を時折示すこの相対主義者ルソーは、すでに述べたように、絶対的で無制限なものへ身を伸ばすルソーに比べれば重要ではない。

ルソーのこの絶対主義は、よく知られるように、人民主権の教説に最も顕著に現れる。彼はこの教説を、第一原理からほとんど幾何学的な厳密さで論証する。この推論の第一の効果は、既存の政府をすべて非合法に見せることである。「人間は自由なものとして生まれた。しかるにいたるところで鎖につながれている。」自由で合法的な政府は、真正な社会契約に基づくものだけである。この基礎に立てば、組織された政府の利点と、人間が道徳的努力の成果ではなく無償の贈り物として自然状態で享受する自由、平等、友愛とを結合できる。ただし社会契約のもとでは、これらの徳はもはや個人のうちではなく、一般意志のうちに宿る。社会契約のすべての条項は「ただ一つに還元される。各構成員が、自己のすべての権利」――財産権を含む――「とともに、共同体全体へ完全に譲渡されることである」。個人は、自分の身体と財産に対して無制限の支配を与えた共同体が、その権力を濫用しないという、どのような保証をもつのか。国家はルソーにとってもホッブズにとっても自然的ではなく人為的なものだが、彼はこの人為的身体と現実の一個人の身体との類比を展開してゆく。個人と国家の精巧な対応関係を設定するこの傾向の最重要の源の一つは、プラトンの『国家』である。しかしプラトンでは、個人の諸能力と諸機能が正しい秩序と従属関係のもとで働かなければならないのとほぼ同じように、この対応関係は国家に厳格な階層秩序を確立するために使われる。これに対してルソー的構想を形づくる精神は、平等の観念である。ルソーはこの対応関係を使い、一人の人間が自分の身体の一部に害を与えようと意志できないのと同じく、共同体も、それを構成する個人のいずれかに害を与えようとは意志できない、と論じる。理論上、一般意志が私利を離れていることを示すルソーの主要な論拠は、社会契約によって、自然状態の個人の意志に属していた自発的善性が一般意志へ移された、という点にある。しかしここでルソーの良識が介入する。一般意志が生じる大衆が正しいものを欲するとしても、それをつねに見分けられるわけではない。結局、人民には導きが必要である。ここから立法者の必要が生じる。ルソーは、ほとんど超人的な明知をもち、他の人間から隔てられ、私利を求める疑いを受けない人物を想像する。その人物が、一般意志を導く理想的な法典を作成する。この法典が実際に人民の信頼を得るのは、宗教的な認可を受けているように見えるからであり、言い換えれば、立法者が自己の名で語るのではなく、神的知恵の通路としてのみ語るように見えるからである。このように課された法によって一般意志は制限され、法は国家における恒久的な統制原理、いわば一時的な欲望に対立する国家の高次の自己になると思われるかもしれない。しかし根底においてルソーは、自分の論理と感情が無制限なものへ伸びてゆくことに、実効的な抑制を加えたくない。そのため最終的に、彼が個人について主張した無政府的印象主義を、一般意志へ移してしまう。法と立法者の必要についての思索から得られた明確な結果は、ロベスピエールのような後継者の思い上がりを励ましたことだけだった。彼らは自分のなかに、近代のリュクルゴスとなる資質があると感じたのである。

実際には一般意志は無法である。一般意志は、自分の統治者へ服従すると約束して自らを拘束することができない。統治者は単なる行政官、いわば人民が雇った者であり、いつでも解任できると見なされるからである。一般意志は、過去に自らが意志したいかなることにも拘束されず、未来に向けていかなる義務を負うこともできない。主権者たる人民の集会は、必ず次の二問を個別に採決することから始めなければならない。「第一に、主権者は現在の統治形態を維持することを望むか。第二に、人民は現在その任にある者へ行政を引き続き委ねることを望むか。」主権者たる人民は、イングランドのように議会によって代表されることができない。「国家が代表者を置いた瞬間に、その国家はもはや存在しない。」主権は絶対的かつ不可分である。「それを制限することは、それを破壊することである。」「主権者たる人民は、存在するというその事実だけによって、つねにあるべきすべてのものである。」ルソーは「国王は過ちを犯さない」という教説を人民へ移した、としばしば指摘されてきた。しかし彼はそれ以上のことをしている。国王は下にある者へ責任を負わなくても、少なくとも上にある者――神――へ責任を負う。しかし主権者たる人民は誰にも責任を負わない。人民は神なのである。人民が結ぶ契約は、古い神学者によれば三位一体の会議室で結ばれた契約と同じく、自分自身との契約である。「神の単なる意志によって」とジョナサン・エドワーズは言う。「私は神の主権的な意志、いかなる義務にも制限されない神の恣意的な意志を意味する」等々。中世神政では、すべてのものが最終的に神の意志から導かれた。人民の意志は、この神の意志の後継者なのである。

ルソーの主権観は自然主義的であるため、その究極の本質において、もちろん中世的でも神政的でもない。人民が自己自身と契約を結び、相互的な義務を何ら負わずに全権力を自らへ帰属させるという彼の観念は、重要な点でルソー独自のものである。彼は『エミール』で「われわれは危機の時代、革命の世紀へ入りつつある」と書いた。彼は予言をしただけでなく、その実現をもたらすうえで、他のいかなる一人の人物より多くをなした。絶対的であると同時に移ろいやすい一般意志を主張することで、彼は政府を恒久革命の上に築くという逆説を成し遂げた。サント=ブーヴが言うように、空虚にこれほどよく似たものは膨張した大言壮語以外にないのだとすれば、ルソーは、それ以前の政治思想家のうち、ホッブズと最も近い関係にあるのかもしれない。彼の自然状態と主権は、ホッブズの自然状態と主権を反転させたものにすぎない。ルソーでは人民が統治者を好きなように扱うことができ、ホッブズでは統治者が人民を好きなように扱うことができる。しかしホッブズの国家には高次の自己がないとしても――高次の自己という観念そのものが、彼の唯物論哲学には異質である――少なくとも恒久的な自己はある。人民が統治者のために自分の権力を放棄する契約は、最終的なものである。しかしすでに見たように、ルソーはそのような恒久性の要素を認めない。一般意志を、時には人民の日常的な意志と対立しうる人民の恒常的な意志と捉えていたなら、私利を離れた一般意志(volonté générale)と、個人や集団の利己的意志の総和にすぎない場合もある全体意志(volonté de tous)との区別には、重大な意味がありえただろう。 実際にはこの区別は、詳しく吟味すれば消え去る。それは悪い意味で神秘的である。通常の場合、一般意志とは、その時々の数的多数を意味する。個人または少数の個人は、この多数者が一般意志を解釈して下した決定に対して、どこにも訴えることができない。個人は自然状態で享受していた無制限の自由を一般意志へ移したのだから、これは論理的である。採決で敗れた者は、自分が間違っていた、自分が一般意志だと思ったものは一般意志ではなかった、と考えて慰めることができる。自分の私的意見が勝っていたなら、彼は自分の真の意志と真の自由に反することを行っていたはずである。したがって多数者が彼へ強制を加えるのは、単に「彼に自由であることを強制する」ことなのである。この仕掛けによってルソーは、イングランドの伝統に属する政治思想家が主として悩んできた問題――勝ち誇った専制的多数者から、個人または少数者の自由をどのように守るか――を消し去る。

この問題の解決は、新しい二元論を打ち立てる。すなわち、日常的自己における個人と、市民であり主権者たる人民の一員であるかぎりでの、真の自己としての個人との二元論である。しかしこの二元論の第一項である日常的自己の個人は厳格な統制を受けうる一方、第二項である一般意志に体現された国家は、繰り返して言えば、いかなる統制にもまったく服さない。自然状態の個人の自由と同じく、一般意志の自由を制限できるものがあるとすれば、それはルソーが意味深く述べるように、力だけである。

この主題を歴史的にたどる者は、すでに述べたように、キリスト教が、プラトンにもアリストテレスにも十分な観念がなかったもの――個人の自由――を確立したという確信に至るだろう。神のものとカエサルのものを分離することによって、キリスト教は自由な良心の領域を打ち立てた。個人はその領域へ、全能国家の侵害から逃れることができた。ルソーが個人へそのような避難所を残そうとしていないことは明らかである。『社会契約論』の最終章は「市民宗教」に当てられている。この章には、並外れて鋭く洞察力に富む所見が数多くある――たとえば十字軍は真にキリスト教的精神によるものではなかった、という指摘――が、その一般的結論に関するかぎり、ルソー自身の言葉を借りれば「詭弁の海」と呼べる。ルソーは三種類の宗教を区別する。第一は、組織され伝統化されたキリスト教、とりわけカトリック教会のキリスト教である。この型の宗教はあまりにも明白に悪いため、真剣に反駁する価値さえほとんどない。「人間を自己矛盾に陥らせる制度は、すべて無価値である。」古い型の二元論者なら、人間はもともと自己矛盾のうちにあり、教会は人間本性の根源的事実を反映しているだけだ、と明白に答えるだろう。制度それ自体がそのような作用をもちうると認められないのは、制度の結果だけで共同体の全成員が良識、正義、廉直さを備えられる、というルソーの反対方向の主張を認められないのと同じである。

ルソーが認める第二の宗教は、真のキリスト教である。それは儀式も祭礼もない、完全に心の宗教であり、ルソーの理解では、感傷的理神論者の流動的な感情主義と多くを共有する。真のキリスト教徒は、『第二論説』でルソーが語る偉大な世界市民的精神の持ち主に似ている。彼らは「諸民族を隔てる想像上の障壁を超え、自分たちを創造した最高存在と同じく、その慈愛のうちに全人類を抱擁する」。しかし自然的な憐れみがこのように普遍的慈善へ花開いた人物は、必ずしも超俗的でも謙虚でもない。そしてルソーは、真のキリスト教徒がその両方であることを見抜くほど抜け目がない。そこで彼は、制度化されたキリスト教だけでなく、真のキリスト教までも攻撃する。それもまた人間を自己矛盾に陥らせ、天上の祖国を与えることによって、地上の国(civitas terrena)への忠誠を弱めるからである。ルソーは、霊的秩序と世俗的秩序との区別、またキリスト教のなかでこの区別が展開された結果、現実の政治に何が生じたかについて、並外れて複雑な問題を提起する。これらの問題を正しく明らかにするには一冊の本が必要だろう。ここでわれわれに関わる主要点は、キリスト教の根底にある徳である謙虚さを、完全な市民の徳と両立しないという理由で彼が攻撃することである。謙虚であるとは服従的であることだから、「真のキリスト教徒は奴隷となるように作られている」。したがって謙虚さを捨て、ローマとスパルタの偉大な時代に栄えたような愛国的誇りを選ぶべきだというのである。

ここでも教会と国家の関係を扱うルソーは、ホッブズを思わせる。「あらゆるキリスト教著者のうち」と彼自身が言う。「哲学者ホッブズだけが悪と治療法を明確に見抜き、鷲の二つの頭を一つに結合することを提案する勇気をもった。」こうしてすべてを政治的一体性へ従属させるのである。しかしホッブズ以前に、すでに述べたようにマキアヴェリが、国家がすべてとなれるよう、独立した霊的秩序という観念と、キリスト教的謙虚さそのものを失墜させようとしていた。ルソーがマキアヴェリを賞賛していたことや、意識的に彼の弟子だった可能性をまったく度外視しても、ルソーの国家観は、最初に思われる以上にマキアヴェリの国家観と多くを共有している。もちろんマキアヴェリはルソーのような感情主義者ではなく、その主要傾向において功利主義者である。アクトン卿が指摘するように、功利主義の預言者フランシス・ベーコンが、彼の最も卓越したイングランドの弟子だったことは偶然ではない。しかしルソーにも強い功利主義的側面がある。実際、ルソーのうちにも、近代全体のうちにも、感傷的要素と功利主義的要素との果てしない相互作用が見いだされる。

ルソーのこの功利主義的側面は、『社会契約論』で論じる第三の宗教形態に現れる。制度化されたキリスト教と真のキリスト教の双方を、反国家的であるという理由で退けた後、彼は、厳密に言えばまったく宗教ではなく、社会的効用にすぎない宗教を、是認に値するものとして提案する。主権者によって定められるその信条は、厳密には教義としてではなく、社交性の感情を促進するものとして課される。この市民的信条の積極的教義は、ルソーが列挙するところでは、かなり実質的である。たとえば神の存在、来世、正しい者の幸福、悪人の処罰である。これらを信じない者は、不信心な者としてではなく、非社交的な者として、国家から追放されうる。「同じ教義を公に認めた後、それを信じていないかのように振る舞う者がいるなら、その者を死刑にせよ。」市民宗教がもつ否定的教義は、ただ一つ――不寛容の非難――である。これはとりわけ制度化されたキリスト教徒に向けられている。しかし全能国家とその想定上の効用から独立して、宗教上の事柄に明確な正邪の基準を認める者が、どうしてこの非難を免れうるのかは理解しがたい。

ルソーの「市民宗教」は、明らかにロベスピエールの最高存在の祭典のような出来事を先取りしている。不幸なことに、それは聖職者市民憲章と、ローマへの忠誠を放棄することを拒んだ多くの聖職者が「狂信者」としてギロチンに送られることをも先取りしている。『社会契約論』は、フランス革命以後、フランスで目立ち続け、ときにはほとんど内戦に達した聖職者派と反聖職者派の争いの源の一つにすぎない、と公平のために付け加えるべきである。 一般に、われわれが論じてきた観念について、ルソーは創始者というより、何世代にもわたって勢力を増してきた巨大な運動のなかで、最も重要な一人の人物だったことを忘れてはならない。スタール夫人の言葉によれば、彼は何一つ発明しなかったが、すべてに火をつけた。ルソーの最大の敵対者バークが、この運動と、それが鼓舞した熱狂を真剣に認識したのは、それらが大きな歴史的事件へ姿を変え始めてからだった。彼がフランス革命のうちに攻撃したのは、ルソーと、ルソーが象徴するすべてのものだったのである。

原注

L・ザンタ『16世紀におけるストア主義の復興』(La Renaissance du stoïcisme au XVIe siècle)参照。

ここにもストア派の影響をたどることができる。セネカ『書簡集』第14書簡第2節参照。またF・J・C・ハーンショー編『中世の偉大な思想家たちの社会・政治思想』(The Social and Political Ideas of Some Great Mediaeval Thinkers)、43頁以下も参照。

ショーペンハウアー『道徳の基礎』第19節第9項。

たとえば『ボルド氏への最後の回答』を参照。「必要なら、彼らに草を食べさせてもよい。都市で互いを食い殺す人間を見るより、野で草を食む人間を見るほうを、私はなお好む。……本能の側に立って理性に反対する勇気があるのか、と問われるだろうか。まさにそれこそ、私が求めていることである。」

この点についてのフランスの司法官の証言は、L・プロアル「18世紀の無政府主義」『哲学評論』第82巻、135–160頁、202–242頁を参照。

リヒャルト・フェスター『ルソーとドイツ歴史哲学』(Rousseau und die deutsche Geschichtsphilosophie)参照。

『マルゼルブ氏への書簡』1762年1月26日。

この話はテニソンが好んだものである。ウィルフリッド・ウォード『諸問題と人物』(Problems and Persons)、204–205頁から短縮して引用した。

ヒュームからブレア博士への書簡、1766年3月25日。この書簡が書かれた時点では、ヒュームとルソーはまだ友好的関係にあったことに注意されたい。

『ジャン=ジャック・ルソー協会年報』第8巻、31頁。

この区別を厳密に適用すれば、政党政治は不可能になる。またそれは、1789年の三部会が、代議員は身分団体の一員としてではなく個人として投票すべきだと決定したことへの道を示した。この決定は、実際には聖職者と貴族に対する第三身分の勝利を意味した。

『社会契約論』第4編第8章。

P=M・マソン『ジャン=ジャック・ルソーの宗教』(La Religion de J.-J. Rousseau)第3巻第5章参照。

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第3章 バークと道徳的想像力

「誰もが知っている」とバークはフランス国民議会の議員たちについて書いている。「彼らの指導者たちのあいだでは、誰が最もルソーに似ているかをめぐって、大論争が起きている。実のところ、彼らは全員がルソーに似ている。彼らはルソーの血を自分たちの精神と風俗へ注ぎ込む。彼を研究し、彼を瞑想し、昼の骨の折れる悪事と夜の放蕩から割ける時間を、すべて彼の熟読にあてる。ルソーは彼らにとって聖典の規範であり、その生涯においてはポリュクレイトスの規範であり、完全性を測る標準像である。著述家とフランス人の模範とされるこの人物、この著者の彫像を作るため、いまパリの鋳造所には、貧者の鍋と教会の鐘が流れ込んでいる。」

私はルソーを、その本質的な影響において、極端論者であり妥協の敵である人物として示してきた。これに対してバークは、通常、そして正当に、節度の精神を体現する人物と考えられている。しかしフランス革命についての彼の発言の多くは――いま引用した一節をその見本としてよい――節度を思わせるものではほとんどなく、晩年には明らかに激烈になる。バークを弁護するために少なくとも言えるのは、革命についての著作で彼が主として論じているのは第一原理であり、第一原理が問題になるとき、争点は節度ではなく、真か偽かだということである。バークは、現状を無条件に擁護した人物ではない。革命そのものへ原理的に反対していたわけでもない。1688年革命をあまりにも高く評価したという非難なら、受ける余地があるかもしれない。アメリカ革命に対する彼の態度は一貫して妥協的であり、多くの点で同情的だった。権力者へ過度の畏れを抱く人物でもなかった。必要なとき、権力者へこれほど厳格な責任を問い、不正な権力の犠牲者をこれほど私心なく擁護した人物はほとんどいない。彼はフランスの旧体制に具体的な弊害があることを認め、それらにかなり徹底した治療を施す必要も認めていた。それでもフランス革命との妥協を拒んだ理由は、政治の領域よりも一般哲学、さらには宗教の領域に求めなければならない。彼が見抜いたように、この革命は他の革命と異なり、特定の不満を是正するだけでなく、普遍的な使命を主張していた。フランスは「諸国民のキリスト」となり、人類を政治的に再生させる十字軍を率いることになっていたのである。神のものとカエサルのものとのこの特殊な混合は、彼には心理的に不健全であり、いずれにせよヨーロッパの既存の社会秩序を覆すものに見えた。新しい革命の福音は、自然状態、自然権、社会契約、抽象的で無制限な主権をめぐり、何世代にもわたって続いてきた思索の最終的な産物だった。バークは、とりわけ人権の教説に現れた、いわば形而上学的政治へ向かうこの傾向の最大の敵対者である。「彼らは人間の権利にあまりにも心を奪われているため」と、彼はこの学派について言う。「人間の本性を完全に忘れてしまった。」偏見を一掃するという名目で、彼らは人間から、実際にその人間を成り立たせている習慣、具体的な関係、歴史的状況の網の目をすべて剥ぎ取り、ついには「形而上学的抽象の、完全な裸と孤独のなか」で震えさせようとする。彼らが論理に認める限界は、専制だけである。ここで偏見とは、実際には伝統と長年の慣行によって成立してきた、ほとんどすべてのものを意味する。バークはその敵を攻撃する際、いくつかの副次的ではあっても重要な区別を、必要以上に軽視したのかもしれない。とりわけ、理性の名によって偏見を取り除こうとした者と、ルソーのように感情の名によって取り除こうとした者との区別である。革命のなかで合理主義者とルソー主義者は、実際に互いをギロチンへ送る構えを見せた。この対立は、ルソーと、特にヴォルテールをはじめとするさまざまな「哲学者」との確執によって、すでに予告されていた。後に示すように理由は違っていたが、ルソーもバークと同じく、「この啓蒙された時代の濃密な闇」へ抗議する用意があった。

どの共同体でも、その伝統的形態は少なからず、蓄積されてきた経験の結晶である。それを単なる偏見として退ければ、国家は歴史的連続性を失う。言い換えれば、現在を過去および未来と結びつける、恒久的な自己を失うのである。ルソーの一般意志についての印象主義的な観念は、原則を欠いたまま国家を容易に変更することを奨励する。そのようにすれば、人間の諸世代は、ひと夏の蠅と同じく、もはや互いに結びつくことができない。それぞれが切り離され、個人という塵と粉末へ分解されてしまう。

実際、ホッブズのものであれルソーのものであれ、人間は本来、孤立した単位であり、作為によってはじめて社会を成立させるという想定から出発する政治哲学は、本質において激烈な個人主義である。この原子的・機械的な国家観に代えて、バークは有機的・歴史的な国家観を提示したと、通常は考えられている。ドイツその他で彼が実際に及ぼした影響の多くが、この方向に進んだことは確かである。しかし、これはバークについての真実の全部ではまったくない。有機的・歴史的な構想へ一面的に傾倒すること自体が、自然主義運動の産物である。それは伝統的形態を宿命論的に受け入れさせ、抽象的合理主義だけでなく、変化する状況に応じてそれらの形態を合理的に調整することまで妨げかねない。またそれは、道徳的選択と意識的な熟慮を犠牲にして無意識を高める、ロマン主義運動の一面ときわめて結びつきやすい。人間を現象的自然より上へ引き上げる唯一の能力、すなわち個人の道徳的選択能力を不明瞭にしてしまえば、長期的にその自律を守ることは難しくなる。ドイツの理論でしばしば見られるように、個人は独立した意志を失い、全能国家の一器官にすぎないものとなりやすい。またテーヌは、フランス革命を攻撃するとき、しばしば自らをバークの弟子として語っている。しかし「悪徳と美徳は、砂糖や硫酸塩と同じく産物である」と宣言した哲学者を、バークの真の後継者と見るのは難しい。

真実を言えば、バークは決して集団主義者ではなく、まして決定論者ではない。どちらかであったなら、古今のほとんどあらゆる政治思想家をしのぐ、真の自由への深い洞察に到達することはなかっただろう。バークの意味で個人の自由を信じる者は、最終的な重点を国家ではなく個人に置かざるをえない。ただし彼の個人主義は、ルソーのような自然主義的なものではなく、人文主義的・宗教的なものである。個人が通常の自己を超え、人文主義または宗教へ到達するための基準を得る際には、伝承された慣例と権威へ大きく頼るべきだと、バークは考えた。彼が反個人主義的なのは、個人に自前の知恵だけを元手として振る舞わせようとしない点にある。表面的な合理主義者なら偏見として退ける習慣や慣行のなかには、過去の蓄積された経験が具体化している。個人はこの共通感覚を尊重しなければならない。共通感覚を退け、私的な自己を過度に信頼するなら、その人には模範がなくなる。そして人間が最初に必要とするのは、健全な模範を仰いで模倣することである。そうすることで、今度はその人自身が模範となりうる。自分より上のものへ敬意を払い、奉仕する原理は、真の主権者であり最高の模範である神への忠誠において頂点と最終的な根拠を得る。バークの国家観は、真正なプラトン的要素とキリスト教的要素を、自由かつ柔軟に適用したものと説明できる。「われわれは、宗教が市民社会の基礎であり、あらゆる善と慰めの源であることを知っている。さらによいことには、それを内面で感じている。」「神は国家を意志した。」最高のものを意志という語で捉える点はキリスト教的である。「神は国家が、あらゆる完全性の源泉であり原型であるものと結ばれることを意志した。」こちらの言葉遣いはプラトン的である。イングランド人は宗教だけでなく、現実の国教会制度も国家に不可欠であり、憲法そのものの基礎だと考えている。

「社会は確かに契約である。」しかし、その契約は単なる効用を基礎とするものではない。国家を、胡椒やコーヒーを取引する共同事業の契約と同じように見てはならない。ある同時代の平和主義者が主張したような、共同体の「寄せ集められた自尊心」でもなく、むしろ共同体の恒久的な倫理的自己である。したがって国家は、あらゆる学問と芸術、あらゆる徳と完全性を目的とする共同関係である。「そのような共同関係の目的は、何世代かのうちに達成できるものではない。そのためそれは、生きている者どうしの共同関係にとどまらず、生きている者、死者、そしてこれから生まれる者のあいだの共同関係となる。」

バークはこのように契約という言葉を使うが、契約とは、人間が義務を果たす以前から、自然の無償の贈り物として一定の権利をもつことだと考えたロックその他の思想家とは、まったく異なる世界にいる。ルソーは、子どもには興味を引くことを話せ、義務ではなく権利について話せと言う。 これに対しバークが主として主張するのは、人間が持つのは、明確な義務を果たした結果として獲得された、具体的で歴史的な権利だけだということである。これは、人間は生まれてくるという手間をかけただけで一定の抽象的権利を享受するというルソーの主張から、明らかに遠く隔たっている。ここでの相違はバークとルソーのあいだだけでなく、バークとロックのあいだにもある。ロックの最終的な浅薄さは、人間には義務に先立つ抽象的自然権があると認めながら、その教説を穏健に適用できると期待した点にある。しかし、この種の教説が最も大きな効果を発揮するのは、極端な論理的形態においてであり、その形態においてこそ想像力を捉えるのだと、正当に指摘されてきた。徹底した急進主義者は、私がルソーに帰した意味で、しばしばきわめて想像力に富んでいる。これに対してホイッグ党員と、その伝統を受け継ぐ自由主義者は、想像力に欠けるという疑いを受けやすい。たとえばマコーリーにもう少し想像力があったなら、ベーコンについての論文で、あれほど人道主義的な自己満足を示さなかっただろうと思わずにはいられない。またディズレーリは、人間の営みにおける想像力の役割を理解できなかったという理由で、J・S・ミルを軽蔑していたと言われる。ディズレーリ自身には、その想像力の質をどう評価するにせよ、少なくともこの欠点を帰すことはできない。

バークが例外的なホイッグ党員なのは、見事な想像力を備えていただけでなく、私が彼と結びつけてきたキリスト教徒やプラトン主義者に普通見られるよりも、想像力の最高の役割を明確に認めていた点にある。人生の知恵の大部分は、過去の経験を想像力によって自ら引き受け、それを現在に働く生きた力とすることにあると、彼は見抜いていた。仰いで模倣する模範そのものが、想像力による創造物である。人は想像力によって、祖先のうちに、当世の卑俗な実践を超えた徳と知恵の基準を実現できる。そのため、自分が模倣を志した模範とともに、自分自身を高めることができる。過去から伝わる形態と、それを管理する人々は、バークの目には主として想像力に働く象徴として価値をもつ。マリー・アントワネットについての有名な一節では、生きて苦しんでいる一人の女性をほとんど忘れ、バークとともに彼女を、騎士道の時代が「詭弁家、経済学者、計算家」の時代へ屈服していく華麗な象徴として見ることになる。この意味では、バークは羽飾りを哀れみながら、死にかけた鳥を忘れているというトマス・ペインの嘲りにも真実がある。新しい哲学は、人生を覆う品位ある衣を、すべて乱暴に剥ぎ取ろうとしている、とバークは嘆く。「道徳的想像力の衣装部屋から与えられた、後から付け加えられた観念のすべてが、……滑稽で、荒唐無稽で、時代遅れの流行として追放されようとしている。」

バークによれば、人権の使徒たちは、ヨーロッパの秩序において真に文明的なものすべてが、長いあいだ依存してきた二つの原理を掘り崩していた。宗教の精神と、紳士の精神である。貴族と聖職者は、これらの原理と、それを具体化して道徳的想像力へ働きかける象徴を守る者であり、さらに学識ある人々の支持を受けていた。バークは学識者たちへ、当然の保護者を捨てて民衆(デーモス)へ走れば、「泥のなかへ投げ込まれ、豚のような群衆の蹄に踏みつけられる」危険があると警告する。

要するにバークは、公然たる貴族政の擁護者である。ただし特にこの点で、彼はキリスト教的・プラトン的・人文主義的な原理を柔軟に適用している。伝統的秩序を尊ぶ一方で、健全な個人主義的要素も組み合わせる。彼が望むのは固定した階層制ではない。人間を階級や集団として一括して扱う傾向を、彼は認めない。この傾向は極端な急進主義者と極端な反動主義者の双方に共通している。人間を世襲の地位によってではなく、個人として成し遂げたことによって評価すべきだと彼は考える。「統治に必要な資格は、現実に備わっているか、備わっていると推定できる徳または知恵だけである。それが実際に見いだされるところでは、どのような身分、境遇、職業、商売にある者であれ、天から、人間社会における地位と名誉への通行証を授けられている。」確かに彼は、肉体労働者には必要な余暇がないため、そのような徳と知恵を得るのは難しいと認めている。それでも、下層から社会の上層へまれな才能が上昇する道は、その才能が厳しい試練を通過することを求められるとしても、つねに開かれていなければならない。

同じようにバークは、既存の社会秩序への革新も、厳しい試験期間を経た後にだけ受け入れようとする。彼は硬直した伝統主義の味方ではない。彼が真の指導者、または自然的貴族と呼ぶ人物は、新しいものと古いものの対立する要求を調整する際、ハリファックスが描いた「トリマー」、すなわち均衡を保つ者に近い性格をもつ。「国家の運営において自然の方法を守ることにより、われわれは改善するものについて、完全に新しくなることがなく、保持するものについて、完全に時代遅れになることもない。」「保存しようとする性向と、改善する能力とを合わせたものを、私は政治家の基準としたい。」このような発言でバークが示しているのは、もちろん最良の形におけるイングランド的自由の理論であり、改めて述べる必要がないほどよく知られた理論である。人生における恒久的要素と変動する要素とを媒介する仕事に何が含まれるかを、想像力によって把握する点で、言い換えれば多のなかに一を見るというプラトン的な技術において、政治思想の領域で彼に並ぶ者はほとんどいない。

しかし一つの重要な点、すなわち知性に対する態度において、バークはきわめて非プラトン的である。今日なら知識人と呼ぶものへの彼の不信には、いくつかの説明が可能である。それはある点で、キリスト教の一面――弱い一面と言わなければならない――と関係している。「知性のある種の節度のなさが、時代の病であり、他のあらゆる病の源である」と彼は書く。この濫用の危険をあまりにも明確に見たため、キリスト教徒が時としてそうなったように、彼は知性そのものまで疑うことがあった。また彼は、われわれもよく知るような人々を知っていた。正しいことを行いながら理由をまったく示さないか、誤った理由を示す人々と、誤ったことを行うために、きわめて論理的で巧妙な理由を示す人々である。正しい行為の基礎は推論ではなく経験であり、しかも個人の経験をはるかに超える経験である。それを確実に身につけるには、幼いころから正しい習慣を獲得するほかない。さらにバークが知性を低く評価するところには、特にイングランド的なものがある。ある種のフランス人が、誤った、あるいは不完全な前提から厳密に推論した結果を見たイングランド人は、自分たちの断片的な良識と、「どうにか切り抜ける」性向を好むようになる。ディズレーリが外国からの訪問者へ語ったように、イングランドを統治しているのは論理ではなく議会である。同じようにバジョットは、政治におけるイングランド人とフランス人を比較するなかで、「本物の、筋金入りの愚鈍さでは、イングランド人に並ぶ者はいない」という半ば冗談めいた結論へ達している。

バークの反知性主義的な一面は、時としてルソーの反知性主義的な一面を思わせる。たとえば彼は、「自然に従うことの幸福な効果、それは反省を伴わず、反省を超えた知恵である」と語る。しかし、この類似は表面的なものにすぎない。ルソーが宣言した知恵は、反省を超えたものではなく、反省より下にあるものだった。この種の区別は、注意深い心理分析によって裏づけられなければ、ほとんど意味をもたない。超理性的なものと理性以下のものとの第一の対照は、おそらく畏敬と驚異との対照である。 ルソーは明らかに驚異の使徒であり、ロマン主義運動がもたらした「驚異の復興」に、単独の人物としておそらく最大の影響を及ぼした。ロマン主義者が知性へ反対するのは、知性が精密な分析と因果関係の追究によって、驚異を減少させるからである。これに対しバークが恐れたのは、無分別な知的活動が畏敬と崇敬を掘り崩すことだった。「さしあたり理解できないところでは、われわれは崇敬しなければならない」と彼は言う。崇敬を確保する最良の手段として、バークは習慣へ大きく頼る。一方、ルソーからウォルター・ペイターまでのロマン主義者は、習慣が世界を紋切り型にし、生気と驚きのない世界を作るように見えるため、同じくらい明確に習慣へ敵対する。少なくとも世俗秩序において、崇敬を重視することは、バークにとって身分と序列を重視することだった。これに対し、原始生活について判明している事実に反して、ルソーの想像力が作り出した自然状態の最も際立った特徴は、おそらく平等主義である。この特徴は、国家なき状態と全体国家、無政府主義的ユートピアと集団主義的ユートピアの双方に共通している。『社会契約論』の世界は、『第二論説』の世界に劣らず、序列と従属のない世界である。そこでは誰も他人を仰がず、他人が自分を仰ぐことも期待しない。誰も――これはルソーにはきわめて望ましく思われる――命令する必要も、服従する必要もない。平等を圧倒的に重視する点で、 ルソーは少なくともある程度、自分自身だけでなくフランス、とりわけ過去二世紀のフランスを代弁している。「自由とは」とマレ・デュ・パンは言う。「フランス人には永遠に理解できないものだ。」 おそらく真の本質における自由は、どこの多くの人々にも理解されてこなかった。「真の自由への愛は、いや真の自由という観念さえ、きわめてまれである」とバーク自身も認めている。バークが主張するように、この真の自由の基礎が従属の行為であるなら、それはルソー主義的平等とは端的に両立しない。

地上の権威への従属が正当化されるのは、その権威自身が、さらに高い何かを仰いでいる場合だけである。したがって真の自由は、真正のキリスト教の根底にもある徳に根ざしている。「キリスト教体系の基礎である真の謙虚さは、低いところに置かれてはいるが、深く堅固な、あらゆる真の徳の土台である。しかしそれは、実践するにはきわめて苦しく、外見には少しも華やかでないため」と、バークはフランス革命家について続ける。「彼らは完全に捨て去った。」彼らは代わりに、「虚栄の哲学の偉大な教授にして創始者」ルソーへ従うことを選んだ。ルソー自身、自分の立場は「最も高貴な誇り」に基づくと述べた。そして誇りは、虚栄以上に、謙虚さの重要な反対物である。ルソーが愛国的誇りを選び、謙虚さを低く評価したことについては、すでに述べた。誇りと謙虚さの問題は、もちろん第一義的には政治問題ではない。内面生活の問題である。ルソーは、人間の罪深さと誤りやすさという古い教説を、自然的善性の教説に置き換えることによって、個人の謙虚さを掘り崩した。一方バークが擁護する宗教的・政治的な形態と伝統は、恣意的なものではなく、過去の膨大な経験を便利な形で集約したものだからこそ、個人の想像力を支える。こうして倫理的中心へ引き戻された想像力は、個人が自らの自然的自己――そこには感情だけでなく知性も含まれる――の無法な膨張へ限界を設けるための基準を、今度は提供する。純粋に心理学的な観点から見れば、バークが謙虚さと、それを確保するために必要だと考える想像力上の象徴を重視することは、自由における求心的要素と呼びうるものを重視することに帰着する。少なくとも世界へ影響を及ぼしたルソーは、自由にそのような求心的要素が必要だということを、実際には否定する。伝統的な統制が消滅すれば、自発的に現れるのは、友愛へ向かって膨張する意志だと考えるからである。バークのように、この「普遍的仁愛」の福音を退けるなら、自由をバークのように捉えずにいるのは難しい。すなわち自由とは、内的統制を引き受けることと、外的統制を取り除くこととの、微妙な調整である。「意志と欲望を統制する力がどこかに置かれなければ、社会は存在できない。そして内側にある統制が少なければ少ないほど、外側により多く置かなければならない。」内的統制と外的統制とのこの調整は、第一には個人に関わるが、最終的には、共同体がどの程度の政治的自由をもちうるかを決定する。この意味で真の政治家の仕事は、人文主義的な媒介であって、両極端のあいだを怠惰に往復することではない。「政府を作るのに、大した慎慮は要らない。権力の座を定め、服従を教えれば、仕事は終わる。自由を与えるのはさらに容易である。導く必要はなく、手綱を放せばよい。しかし自由な政府を作ること、すなわち自由と抑制という相反する要素を調和させ、一つの首尾一貫した作品へ仕上げることには、多くの思考、深い熟慮、明敏で強力な、諸要素を結合する精神が必要である。」

バークが、見事な想像力を備えたホイッグ党員としてきわめて例外的だということは、すでに述べた。実際、典型的なホイッグ党員とその伝統に立つ自由主義者の大半も、バークと同じく、個人の自由という意味での自由と節度を支持する。しかし彼らは、自分たちの個人的自由と節度に、バークと同じ宗教的基礎と人文主義的統制を与えない。それどころか合理主義者または感情主義者となる傾向があり、実際には倫理を効用の原理、あるいは同情と奉仕の新しい精神、さらに普通には、人道主義を構成するこれら二つの主要成分の混合物へ基礎づける。これまで示そうとしてきたように、バークの自由は宗教的根拠をもつだけでなく、政治への適用において真正な人文主義的媒介を含む。これに対してホイッグ的妥協は、宗教的・人文主義的な人生観と、功利主義的・感傷的な人生観という、本質的に両立しない二つの人生観を妥協させようとする試みにすぎないことが、あまりにも多い。したがってJ・S・ミルの自由主義は、バークの自由主義と比較すれば、想像力を欠くという非難を免れない。さらに厳密に近代的な観点からは、批判性が不十分だという非難も免れない。ミルが望む種類の自由が生まれるためには、伝統的な霊的統制、またはそれに代わる十分なものが必要である。しかし後により詳しく示すように、彼の哲学はそのどちらも提供しない。

バークは、両立しない第一原理を媒介しようとする種類の浅薄さについては、ほとんど非難できない。それでも彼は、新しい原理と古い原理との衝突がどれほど広範で重大であるかを、完全には認識できなかったのではないかと思われる。また、自らの宗教的・人文主義的立場を擁護する際に入り込む、反啓蒙的な要素を正当化するのも難しい。バークを読むと、イングランドはほとんどすべて、伝統文明の壮大な建築物と、究極には道徳的想像力に基づく生活上のあらゆる品位を守るために立ち上がる用意のある、キリスト教的紳士から成っているかのように思われる。一方、道徳的想像力を抽象的な形而上学的理性へ置き換えることで、この建築物を破壊している「詭弁家、経済学者、計算家」は、ほぼすべてフランス人だということになる。確かに彼はイングランドの理神論者にも触れるが、無名の変人として退けるだけである。同時代のイングランドの知識人と急進思想家についても、彼は最大の軽蔑をもって払いのける。彼らへ対置するのは、さらに鋭く考える人々ではなく、まったく考えない人々である。「羊歯の下にいる半ダースのバッタが、しつこい鳴き声を野原へ響かせている一方で、何千頭もの大きな家畜が、イングランドの樫の木陰に横たわり、反芻しながら黙っているからといって、騒音を立てる者だけが野原の住民であり、当然その数も多く、結局のところ、当世の小さく、しなびて、やせ細った、跳び回る、声ばかり大きく厄介な虫けら以外の何かだとは、どうか考えないでほしい。」

この一節には、反啓蒙主義者バークの最も弱い姿が現れている。実のところ、当世の小さく、やせ細った、跳び回る虫たちは、広大な規模の国際運動を代表していた。この運動は、バークが擁護していた偏見と伝承的権威に、最終的には勝利する運命にあった。しかもこの運動の起源は、大部分が、ひょっとすると第一義的にさえ、イングランドにあった。「あらゆるものを暗くした形而上学的・政治的観念は、霧のようにイングランドから流れ出した」とジュベールは言う。ルネサンス以後のヨーロッパの生活と思想の主要な潮流、とりわけ功利主義的側面と感傷的側面の双方における人道主義の台頭を追うなら、ジュベールの主張へ大幅に同意せずにはいられない。バークの人間観と国家観は、古い意味でのプラトン的実在論の色を濃く帯び、最終的には謙虚さ、すなわち神の意志への服従を重視する点で、中世の構想と重要な接点をもつ。ところがフランシス・ベーコン以前からすでに、ブリテン諸島出身の人々は、この実在論を解体するうえで重要な役割を果たしていた。ドゥンス・スコトゥスは、神学における理性の信用を、恣意的な神の意志を優先することで失墜させ、その結果、理性を世俗秩序で使用できるよう解放した。オッカムのウィリアムは、現代的な実在論を先取りする唯名論を主張した。それは「一」の実在論ではなく「多」の実在論であり、したがって中世的な実在論の対極にある。ロジャー・ベーコンが後世にとって重要なのは、物質的秩序への関心と、それを扱う際に示した実験的精神の双方による。

さらに後の時代へ進めば、17世紀イングランドの内乱がもたらした結果は、過去への想像力上の忠誠を弱めることだった。クロムウェル自身の主要な功績は、彼を賞賛したマーヴェルも認めるように、「時間の偉大な作品を破壊すること」だった。偉大な伝統への忠誠が衰えるにつれ、イングランドはフランシス・ベーコンを預言者とする功利主義的努力へ集中した。そして他のどの国よりも、産業革命を準備し、遂行した。産業革命と比較すれば、フランス革命はメロドラマ的な一事件にすぎない。

バークが真に代表的だと考えたキリスト教的・古典的イングランドがオックスフォードのような場所に残っているとすれば、功利主義的イングランドはバーミンガムのような都市に具体化している。そのため第一原理をめぐる二つのイングランドの対立は、風景そのものの表面へ書き込まれている。しかしイングランド人は、論理的な排除によって物事を進めず、究極的には両立しないものを、多かれ少なかれ友好的に並存させることができる。そのため一人の青年がオックスフォードで宗教的・人文主義的教育を受け、それを、インドの大英帝国統治に加わる準備とすることがある。しかもその帝国は、起源において主として、功利主義的で商業的膨張を続けるイングランドの産物である。バークが望んだ種類の指導力、すなわち真の紳士による指導力は、今なおイングランドと世界の出来事で小さくない役割を果たしている。彼が典型的だと考えた、「神を畏れ、国王を畏敬して仰ぎ、議会へ愛情を、行政官へ義務感を、聖職者へ崇敬を、貴族へ敬意を向ける」イングランド人は、今も存在する。しかし、その典型性はかなり薄れた。何よりその心理は、産業革命によって生まれた大都市の大衆の心理ではない。バーミンガムが象徴するものは、オックスフォードが象徴するものを着実に侵食し、オックスフォードそのものにおいてさえ優勢になっている。実効性のある唯一の保守主義は、想像力に根ざした保守主義だと、私は述べた。ところが特定の伝統的象徴へ想像力によって入り込むことがますます難しくなっただけでなく、一般に想像力は、事物における統一の要素から離れ、多様性の要素へますます引き寄せられてきた。喧伝されてきた種類の進歩の結果、善いものはすべて、新奇さと変化、発見の上へさらに発見を積み重ねることと結びつけられるようになった。このように見られた人生は、もはや何らかの中心または一性への崇敬を含まず、驚異と好奇心の無限で不定の膨張として考えられる。変化へのこの陶酔の結果、世界は、われわれが信じるよう求められているところでは、ある「遠い将来の神的な出来事」へ向かって進んでいる。ここに至って、人道主義運動の功利主義的・ベーコン的側面と、感情的・ルソー主義的側面との類縁が現れる。その遠い神的な出来事は、ルソーの自然状態に劣らず、牧歌的想像力の投影である。神的な出来事がもたらす幸福も、自然状態の幸福と同じく、個人の真剣な道徳的努力や自己規律をまったく必要としないことが示される。ルソー自身は黄金時代を過去に置いた。しかしルソー主義者でありながら、同時にベーコン主義者のように黄金時代を未来へ置くことほど容易なことはない。ベーコン主義者とルソー主義者のあいだには数多くの違いがある。しかし彼らの「ヴィジョン」の質にある、この根底の類似と比較すれば、それらは重要ではない。私は冒頭で、近代の政治運動は、その最も重要な局面において、ルソーの精神とバークの精神との闘争と見なせると述べた。その理由が何であれ、この運動がバークから離れ、ルソーへ向かってきたことは疑いのない事実である。「バークの星は明らかに光を失いつつあり」と、レッキーはすでに何年も前に書くことができた。「『社会契約論』の教えの大部分が、イングランドの政治へ入り込みつつある。」またルソーの政治著作の新しい標準版を編集したヴォーン教授は、その序文で、特別な反論も驚きも引き起こさなかったようだが、政治的英知の本質においてバークは、「彼が軽蔑と嫌悪をもってしか語らなかった人物、蔑まれた理論家、ジュネーヴの形而上学的狂人に、測り知れないほど劣っている」と述べた。

真の自由の本性を理解する者が世界に一人でも残るかぎり、バークは大切に読まれ続けるだろう。しかし現在の状況で真の自由主義を首尾よく擁護しようとするなら、バークの方法だけでは足りないことも明らかである。偏見と伝承的権威、そして「反省を超えた知恵」を守る闘いは、すでに敗れている。近代主義者を当世の騒がしい虫けらとして払いのけたり、知性の不健全な活動へ、単なる鈍重さと思考への不浸透性――イングランドの樫の木陰で反芻する大きな家畜――を対置したりすることは、もはやできない。しかし方法の問題へ進む前に、フランス大革命の時代から現在まで、ルソーの勝利が近代ヨーロッパの歴史で実際に何を意味したのかを考える必要がある。この種の概観を行えば、現代の二大政治問題、すなわち民主主義の問題と帝国主義の問題を、それ自体として、また相互の関係において検討することになるだろう。

原注

レーベルク、サヴィニーなどへの影響について。

ルソー『エミール』第2篇。

アーヴィング・バビット『ルソーとロマン主義』(Rousseau and Romanticism)、49頁以下参照。

これほどの知的力量をもつイングランドの著者に、プルードンの次の一節に相当するものを見いだすのは容易ではない(『著作集』第2巻、91頁)。「われわれを支配している熱狂、平等への熱狂は……葡萄酒より強く、愛より深く染み込む陶酔である。それは、レオニダス、聖ベルナール、ミケランジェロの熱狂さえ決して及ばなかった、神的な情熱、あるいは狂気である。」

E・ファゲ『政治家と道徳家』(Politiques et moralistes)第1巻、117頁参照。「フランス人が自由主義者であることは、ほとんど不可能であり、自由主義はフランス的ではない。」同書第3巻、95頁も参照。

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第4章 民主主義と帝国主義

われわれが最近、「世界を民主主義にとって安全なものにする」ための十字軍を行った際、民主主義は自由と同じものであり、帝国主義の反対物であると一般に想定されていた。歴史の教えは、奇妙なほどこれと異なる。直接的で無制限な民主主義という意味での民主主義は、アリストテレスがはるか昔に指摘したように、自由の死である。またその専制的な気質のため、私がこれまで用いてきた広い意味での帝国主義とも近縁である。すでに見たように、ルソーの際立った特徴は、近代における直接民主主義の理論家のうち、最も妥協を知らなかったことにある。ルソー主義の実際の結果は、ルソー主義の福音が広まれば自由・平等・友愛の楽園が生まれると期待した人々より、どの程度までアリストテレスの正しさを証明したのだろうか。民主主義運動におけるルソーの支配的地位は、いずれにせよ疑いようがない。ただし、この点でも誇張はありうる。「民主主義にはただ一人の父しかいない――ルソーである」とヴォギュエ氏は言う。「われわれを水没させつつある巨大な濁流は、ライン川とポー川がそれらを絶えず養うアルプスの貯水池から流れ出すように、ルソーの著作と生涯から流れ出している。」 これと同じ趣旨の一節は無数に挙げられるが、それらと並べて、ルソーこそ他の誰にもましてドイツの Kultur の父であるという、同じくきわめて多数のドイツ側の権威者の一節を置くのは興味深い。ここでも、ある程度の誇張を差し引かなければならない。ドイツでしばしばルソーへ帰されているものの多くは、ルソー自身にも作用したのと同じイングランドの影響へさかのぼることができる。

いま引用した種類の一節は、本質的に帝国主義的なものと見なされるようになった Kultur と、ルソー主義的民主主義との第一の結びつきを示しているように見える。Kultur を綿密に調べると、それは二つの主要な要素へ分かれる。一方には科学的効率があり、他方には、その効率を自らに奉仕させる国民主義的熱狂がある。ルソー主義との関係は、まず明らかに第二の要素、すなわち国民主義的熱狂のうちに求めなければならない。ここでは、19世紀の1870年代にさかのぼるルナンの言葉を思い起こす必要がある。「国民性の感情が世界に現れてから、まだ百年にもならない。」 国際的または世界市民的な感情についても、まだ百年にならないとルナンはほぼ同じ程度の真実をもって言えただろう。どちらの発言も、「感情」という語を十分に強調するなら、おおよそ正しい。中世が世界市民的であったこと、プロテスタンティズムの主要な結果の一つが国民という観念の発達であったこと、また異なる前提に立ちながら、マキアヴェリも国民という観念を推進したことを、ここで改めて繰り返す必要はほとんどない。しかし18世紀になると、国民主義と国際主義は、より感情的な色彩を帯びる。この背後で働いている影響の一つは、ルソーによる「徳」の再解釈である。この再解釈自体、私が示そうとしてきたように、それ以前のかなり大きな運動から生まれたものだった。新しい倫理によれば、徳は抑制的ではなく拡張的なものであり、一つの感情であるばかりか、一種の陶酔でさえある。修正を受けない自然な形では、その基礎は憐れみにあり、やがて『第二論説』で語られる偉大な世界市民的魂の徳へ発達しうる。彼らは国境を超え、善意によって全人類を抱きしめる。ここに、前世紀の感情的国際主義の源流がある。しかし、すでに述べたように、ルソーは単なる人間としての人間の徳と、市民の徳とを鋭く区別する。国家へ入ることによって人間が「自然を変えられた」とき、その徳はなお感情であり陶酔でもあるが、世界市民的なものからは大きく隔たっている。ルソーは、人間の徳と市民の徳という二種類の徳のあいだを揺れ動き、両者を本格的に媒介しようとしたとはほとんど言えない。どちらの種類の「徳」を望むかに応じて、彼は異なる教育制度を考案する。たとえば『エミール』では一人の人間を作ろうとし、『ポーランド統治論』では一人の市民を作ろうとする。祖国への愛と人類への愛は両立しない情念だと、彼は断言する。 それでは、感情的国民主義と感情的国際主義のどちらをルソー自身は選ぶのか。この点に疑いはない。彼は祖国への愛を、より美しい情念と見なす。国際主義者の有徳な陶酔は、市民の有徳な陶酔と比べると、彼には色あせた無力なものに見える。そしてこの点では、歴史は確かに彼を裏づけた。愛国的陶酔(ivresse patriotique)によって、ある国の市民が他国の市民を無慈悲に扱うようになりうるという事実は、彼には些細な問題に見える。 愛国感情を同じ集団の内部で培養しようとする彼の構想は、前世紀に実際に現れた国民主義、ことにおそらくドイツに現れた型の国民主義を先取りしているように見える。ヨーロッパ、さらには世界が、対抗する統一原理をまったく持たず、それぞれが狂乱した国民主義とでも呼びたくなるものに動かされる国家から成るなら、戦争の問題は深刻になる。新しい国民主義が新しい国際主義より強力であることは、1914年8月に明らかになった。何百万もの社会主義者が祖国の呼びかけに応じ、他国の仲間の社会主義者を殺すために出征したのである。プロテスタントの一体性も不十分だったことは、二つの主要なプロテスタント国家の人々が、高性能爆薬で互いを吹き飛ばすと同時に、相手国の女性と子どもを集団的に餓死させようとした事実から、十分明らかに思われる。ヨーロッパ文明の伝統的一体性を代表する教皇権もまた、国民主義の膨張を有効に制限できなかった。

さらに、近代ヨーロッパに成長してきた種類の国民国家は、ルソーが指摘するように、条約や同盟によって互いに戦うことをやめさせられるわけではない。彼はポーランド人へ、キリスト教諸国において条約と同盟は紙切れにすぎないと警告する。ただしトルコ人は、国際的義務にもう少し敬意を払う、と彼は付け加える。

ルソーは、サン=ピエール師の『永久平和論』(原著は1712~17年刊)の『抜粋』(1761年)を作り、その『批判』(1782年刊)を書いたとき、この一群の問題に向き合わざるをえなかった。サン=ピエール師は、シュリーがアンリ4世へ帰しているヨーロッパ合衆国の計画、すなわち「大構想」(le Grand Dessein)を復活させようとした。ルソーはサン=ピエールの著作を編集するにあたり、中世以来のヨーロッパにおける平和と戦争の問題を検討し、かなりの明察を示している。彼が認めるところでは、過去に政治的衝突を減らすうえで大きな役割を果たした制度が一つあった。ヨーロッパの諸成員のあいだに今日なお残っている一種の結合は、何よりキリスト教に負っていることは否定できない、と彼は言う。さらにハイネを先取りし、ホッブズに従って、物質的に敗北したローマは、軍団に代えて教義を属州へ送り込んだと述べる。中世および近代ヨーロッパが享受した、ローマの平和(Pax Romana)にわずかでも相当するものは、この霊的ローマに負っていた。中世秩序を究極的に結びつけていた要素は、いかなる意味での理性でもなく、神の意志と、その地上の代表者、特に教皇への服従だった。中世後期とルネサンスには、この統一原理が弱まり、大規模な領域国家が台頭した。グロティウスの学派によれば、これらの国民国家の関係は、いかなる意味での意志によってもなく、第一に理性によって規制されるべきだった。おそらくフランスにおける職業的博愛家の最初の完成した典型であるサン=ピエール師は、理性へさらに素朴な信頼を寄せる。ルソーによれば、サン=ピエールは自分の構想がひとたび確立されたなら、どのように機能するかを十分に理解していた。しかし、それをどう確立するかについての考えは幼稚だった。この点で彼は、現代に至るまでの他の「改革者」に似ている。ルソーが非難する彼の根本的誤りは、人間が実際には情念に支配されているのに、理性に支配されていると考えたことだった。

いずれにせよ、ルソーにとって自然状態は理性の状態ではない。国と国との関係に関しては、彼は牧歌的気分の薄いとき、自然状態は戦争状態であるというホッブズの見解へ傾く。その救済策として、国際連盟や平和強制連盟のような連邦原理の適用を支持しているように見える。しかし彼は、この種の構想の危険を、近代の提唱者の一部よりはるかに鋭く感じていた。平和強制連盟について、「それは数世紀にわたって防止しうる害よりも大きな害を、一撃で引き起こすかもしれない」と彼は言う。アンリ4世の「大構想」を是認しながらも、その背後の原動力は中世的意味でのキリスト教的なものでも、人道主義的なものでもなく、帝国主義的なものだったと見抜いていた。すなわち、スペインとオーストリア家を屈服させ、フランスをヨーロッパの覇権国へ高めようとする欲望である。アンリ4世は戦争を終わらせる戦争を準備していたが、暗殺され、「世界最後の希望を永遠に追放した」。ルソーは、ヨーロッパ諸国が軍備によって自滅する運命にあることを予見する。要するに、自らが大いに激化させつつあった遠心的国民国家という問題について、彼は十分な解決を残していない。

ルソーは時に世界市民を露骨に軽蔑して語るが、それでも彼の主要な影響を受けた人々は、国内的にも国際的にも、まず友愛を掲げたことを示すことができる。その友愛は、理想上、自由と平等と結びつくはずだった。この福音が帝国主義へ至った経過、とりわけフランス革命における経過を簡潔にたどり、その後、民主主義と帝国主義との関係のより周辺的な側面を離れ、個人心理のうちに問題全体の根を探らなければならない。

すでに見たように、ルソーは特定の貴族階級だけでなく、貴族主義的原理そのものの信用を失わせようとする。「人民が人類を構成する」と彼は言う。人民でないものはすべて寄生的であり、それが及ぼす害がなければ「数に入れる価値さえほとんどない」。貧しい者と平民を独善的な誇りで満たすと同時に、社会的・経済的に少しでも優位な者への憎悪と疑念を燃え上がらせるため、これほど巧妙に作られた教説は、おそらくほかにない。ところが、この時代を研究する者なら誰もが知る奇妙な事実として、ルソー主義、さらに一般には新しい博愛主義を最も推進した人々のなかに、特権階級の構成員自身がいた。この不可思議な現象の原因は複雑だが、テーヌは『旧体制』で十分な正確さをもって追跡している。フランス貴族は、リシュリューとルイ14世の時代までさかのぼっても、貴族階級としての仕事をほとんど果たさなくなっていた。彼らは客間を舞う蝶や、宮廷に付き従う食客となっていた。ところで、何らかの意味で仕事をやめた人々の敵は、つねに倦怠である。加えて18世紀前半の客間の住人は、合理主義的な乾燥と、過度に人工的な礼節に苦しんでいた。彼らはついに自然と簡素な生活への回帰に救いを求めた。ランブイエ侯爵夫人とその一派に対するデュルフェの『アストレ』の影響を研究した者なら誰もが知るように、客間の生活には初めから牧歌的要素が存在していた。このことが、別の形の田園趣味への道を容易にしたのかもしれない。テーヌの言い方では、「伊達男たちは二つのマドリガルの合間に、原生林で裸になって眠る幸福を夢見た」。マリー・アントワネットは自ら牛の乳を搾り、プチ・トリアノンで牧歌的な夢を生きた。新しい熱狂に動かされた貴族と高位聖職者の多くは、新しい平等のために身分上の特権をすべて放棄すると誓った。この平等は、それ自体が友愛の黄金の曙への前段階にすぎないはずだった。友愛の到来は、フランス人全員が兄弟の抱擁のうちに溶け合うことを象徴するために企てられた、シャン・ド・マルスの連盟祭(1790年)で現実に祝われた。「人類の弁士」アナカルシス・クローツは、地上のさまざまな人種と国民を代表する者たちに、それぞれふさわしい衣装を着せ、さらに普遍的な友愛の象徴として国民議会の前を行進させた。「これほど快い夢に、これほど恐ろしい目覚めが続いたことはなかった」とセギュール伯爵は言う。普遍的友愛に代わって増大したのは、疑念の狂気だった。ルソーの病は疫病となり、恐怖政治の絶頂には、人々は「疑われているのではないかと疑われた」。シャン・ド・マルスの連盟祭で互いの腕へ飛び込んだ当人たちが、互いをギロチンへ送り始めた。こうして死んだ者のなかには、「人類の弁士」もいた。最初期の犠牲者には、新しい博愛主義を熱心に推進した特権階級の人々が含まれていた。現代の客間社会主義者も、自分たちが説いている転覆が実際に起これば、最初に苦しむ者のなかへ入るだろう。チェスタトンが言うように、社会革命が起これば、街路は博愛家の血で赤く染まる。

革命後期の心理へ入り込みたいなら、ロベスピエールのようにルソーの弟子であることを公言した者へ、特別な注意を払う必要がある。彼はルソーの「徳」の見解をかなり非妥協的な形で採用し、その結果、現実のフランスへ「理想」のフランスを対置する。この「理想」のフランスは、私が牧歌的想像力と呼んだものの投影に大きく依存している。彼が徳ある者と悪徳の者とのあいだに立てた対立は、徳ある個人と悪徳の個人との対立というより、個人の階級全体どうしの対立だった。人間を個人的な長所と短所によってではなく、社会的な集団所属によって裁くことは、バークにはきわめて邪悪に見えた。しかし実際には、フランス革命からロシア革命に至るこの運動の論理に、初めから含まれていた。ダントンはすでにこう言う。「これらの司祭、これらの貴族は有罪ではない。しかし死ななければならない。彼らはいるべき場所を外れ、事物の運動を妨げ、未来の進路を塞ぐからである。」九月虐殺に責任を負うかぎりで、ダントンはこの革命的論理をある程度実行した。しかしロベスピエールやサン=ジュストのような指導者は、ダントンをはるかに超え、それを社会集団全体の処断計画へ発展させた。現実のフランスは、あまりにも豊かで、人口が多すぎた。ロベスピエールとサン=ジュストは、寄生者と陰謀家から成るように見えた社会階層を丸ごと暴力的に除去し、この現実のフランスを自分たちの夢見るスパルタへ合わせようとした。そのため恐怖政治は、一般に理解されている以上に、牧歌的な一事件だった。 これは、感傷主義の最終段階は殺人狂であるという主張を裏づける。

理論上、ロベスピエールはルソーと同じく、厳格な平等主義者である。彼は本当の指導者ではなく、人民の「雇われ人」にすぎない。しかし重大な局面では、自分はその機関にすぎないと称する理想的な一般意志の名において、現実の人民へ自らの意志を専制的に押しつける用意がある。したがってルソー主義運動の最終的な結果は、指導力を消滅させることではなく、劣悪で、時には狂気にさえ陥った型の指導力を生み出すことだった。いずれにせよ、それはきわめて帝国主義的な指導力である。この力の勝利こそ、ルソー主義的な意味での自由・平等・友愛の総決算であったことを示せる。すでに見たように、ルソー自身、人々を強制して自由にしようとする。自由と平等を結合しようとする試みは、恐怖政治へ至った。そしてアクトン卿によれば、これからもつねに至るだろう。ジャコバン的友愛については、「私の兄弟になれ。さもなくば殺す」という言葉に要約されている。さらにロベスピエールのような指導者が衝突する相手は、革命の敵だけではない。想像力によって異なる「理想」を投影する、多少なりとも誠実な他の革命的狂信者とも衝突する。それぞれが別個の夢を頑固に追う指導者たちに共通する唯一の分母は、力である。この運動は伝統的統制を拒絶し、新しい結合原理に関するかぎり、激しく遠心的なものとなった。ジャコバン派の指導者たちが樹立することに成功した唯一の友愛は、テーヌの言葉では、カインたちの友愛だった。

しかし、革命から最終的に現れる運命にあった指導者の型は、ロベスピエールではなかった。1790年の時点で、バークはすでに、革命が最後には一人の軍事的冒険家を利することになると予言していた。『社会契約論』から発達した人民主権の教説は、一種の慢性的無政府状態を促進することが判明した。社会はいかなる規律もなしには存続できないため、他の形の規律が存在しない状況では、人々は軍事型の規律へ向かわざるをえなかった。軍隊では、ジャコバン派が市民社会のフランスで原理的に掘り崩していた、秩序ある服従と、認められた能力への忠誠を、なお見いだすことができた。そのためボナパルトは偶然ではない。彼こそ革命の真の相続人であり、執行者である。彼の擲弾兵がサン=クルーのオランジュリーで五百人会の議員を扉や窓から追い出した後(ブリュメール18日のクーデター)、彼が帝国主義的超人としてますます露骨な姿を見せたとき、ジャコバン派が一団となって彼から距離を置いたと考えてはならない。反対に明らかになったのは、無制限な民主主義と、無慈悲な力への崇拝とのあいだに、つねに存在してきた親近性である。かつての恐怖政治家の一部ほど卑屈にナポレオンの足元へ這いつくばった者はいない。「男爵や伯爵になろうとする間際、ジャコバン派は1793年の恐怖、プロレタリアを処罰する必要、民衆の行き過ぎを抑圧する必要だけを語った。共和主義者が帝国主義者へ、全員の専制が一人の人間の独裁へと変わる変化が、日ごとに進んでいた。」

ついでに言えば、シャトーブリアンのナポレオン批判に実効性がなかったのは、彼の頭が心と一致していなかったからである。ナポレオン的想像力と自分自身の想像力との類似を認めていたため、彼は密かにナポレオンへ共感していた。両者の想像力は、私が別のところで定義しようとした意味でロマン主義的だった。まったく異なる方向を取りながらも、どちらも無限へ向かって膨張していた。さらにヴィクトル・ユゴーは、ナポレオンをブリュメール18日の張本人として非難したが、同時に想像力の面で彼に魅了され、ナポレオン伝説を作り上げた主要な職人の一人となった。

私はここまで、フランス国内におけるルソー主義的民主主義と帝国主義との関係を明らかにしようとしてきた。同じ関係は、ルソー主義運動を国際的に研究しても現れる。世界の始まり以来、この運動ほど国民感情を内部で培養した運動は、おそらくほかにない。そして大国では、この型の国民感情はきわめて容易に帝国主義的野心へあふれ出す。すでに述べたように、革命はほとんど最初から普遍的十字軍の性格を帯びた。それが前提とした第一原理によれば、現存する政府のほぼすべてが非合法に見えた。さまざまな国の人民は、簒奪に基づくこれらの政府を打倒し、本来の権利を回復した後、輝かしい友愛のうちにフランスと結びつくよう招かれた。その後に起きたことは、あまりにもよく知られており、繰り返す必要がほとんどない。こうして正統性を疑われた政府の一部は警戒し、同盟を結んでフランスへ侵攻した。 この外国からの脅威は、近代的意味での国民的熱狂をフランスで初めて大爆発させた。ヴァルミーの砲撃が途切れたとき、ゲーテが耳にした革命軍の叫び――「国民万歳(Vive la nation)」――を、彼は正しくも新時代の曙を告げるものと見なした。 われわれが近年ヨーロッパで目撃した型の戦争、すなわち国民全体が集結して互いを大量殺戮する戦争(la levée en masse、国民総動員)の始まりは、この時代へさかのぼる。新しい国民的熱狂は、フランスへきわめて多数の、きわめて士気の高い兵士を与えた。その結果フランスは侵略者を退けただけでなく、今度は理論上、解放の使命を帯びて他国へ侵入し始めた。しかし現実の事件の圧力のもとでは、権力への意志が友愛への意志より強いことが判明し、人道主義的十字軍として始まったものは、ナポレオンと帝国主義的侵略に終わった。この侵略は各国で新しい国民感情を呼び覚まし、他のあらゆる要因を合わせた以上に、強力で統一されたドイツへの道を準備した。 フランスは「諸国民のキリスト」であることをやめ、特にスイス侵攻(1798年)以後、幻滅した当時の急進主義者から普遍的に糾弾される、人類への裏切り者となった。

友愛についての人道主義的理論を拒む者は、友愛の感情を欠くと非難される危険を冒す。批判的・実験的な気質の人間からすれば、明白な答えは、その理論を拒むのは、まさに友愛を望むからだということになる。すでに数世代にわたってこの理論を経験してきた結果、世界は時として、憎悪と疑念が煮えたぎる巨大な塊になったように見える。カーライルが革命について書いた言葉は、今なお当てはまる。「普遍的仁愛というこの薔薇色の覆いの下には、暗く、争いに満ちた、地上の地獄がある。」ついには、この運動における理想と現実の対照は、精神は望んでいても肉体が弱いという通常の対照ではない、と確信せざるをえなくなる。反対に、人間どうしを結合するこの特殊な理想そのものが、防ぐはずの争いを現実には促進している。あまり空想的にならずとも、平和主義的構想の流行と、戦争の実際の勃発とのあいだに、一種の同時性を認めることができるだろう。サン=ピエール師の宣伝の後には、フリードリヒ大王の戦争が続いた。18世紀末の人道主義運動は、カントの『永遠平和のために』に表現されたが、その後に、そしてそれと並行して、世界がそれまで経験したなかで最も血なまぐさい20年間の戦争が続いた。20世紀初頭の平和主義運動は、ハーグの平和宮に外面的な表現を得たが、その後には数百マイルに及ぶ戦線が出現した。冷笑家と非難されるはずのない故ブートルー氏でさえ、1912年、『ル・タン』紙の記者へ、世間に平和の話がこれほど多いことから推測すると、未来は「この上なく戦争的で血なまぐさい」ものになるだろうと語った。もちろん戦争と平和の問題でも、他の問題と同じく、人道主義者は自分の理論が機能しなかったあらゆる場合について、すぐ使える説明を備えている。その理論は、この陰謀またはあの陰謀さえなければ、見事に機能したはずだと彼は言い張る。地球そのものが自殺するほどの出来事でもなければ、自分たちの理論に何か誤りがあると、ある種の人道主義者を納得させることはできないだろう。そしてそのときでさえ、最後に生き残った人道主義者は、たぶん「陰謀だ」と嘆き続ける。

純粋に心理学的な観点から見ると、われわれが研究している運動は、百年以上前にその特徴的な果実をすべて生み出しただけでなく、二人の最も際立った、真に意味深い人物――ルソーとナポレオン――も生み出していた。伝えられるところでは、ナポレオンは、ルソーがいなければ革命はなく、革命がなければ自分は不可能だったと言った。ルソーは、他のどの個人にもまして、人道主義の救世主と見なしうる。一方ナポレオンは、ハーディの言葉では、「戦争のキリスト」と定義できる。そのため人道主義の救世主は、私が大まかな全体像として描こうとした過程を経て、戦争のキリストの出現へ至る力を始動させたのである。

感情的側面と功利主義的側面の双方において、人道主義運動の注目すべき特徴は、大衆の境遇へ心を奪われてきたことにある。たとえばコンドルセは言う。「あらゆる制度は、最も貧しく、最も多数を占める階級の肉体的・知的・道徳的改善を目的とすべきである。」

しかし運動の功利主義的側面でも、感情的側面に劣らず、理想と現実との対照はあまりにも露骨であり、人道主義心理学の中心に何か欠落があることを示唆する。ルソー主義者が普遍的友愛の理想を掲げ、現実には国民皆兵へ至ったとすれば、功利主義者は物質的組織と効率を第一に強調し、物理科学の助けを借りて、相互に連結した巨大な機械装置を徐々に築き上げた。この装置は理論上、人類へ奉仕し、最大多数の最大幸福を促進するはずだったが、実際には個人、社会集団、国民国家の権力への意志へ奉仕させられてきた。ここまで列挙した諸要因が合流した結果、戦争はほとんど想像を絶するほど有害なものとなった。その最大の犠牲者は、ルソー主義者とベーコン主義者の双方が、あれほど熱心に利益を与えると公言してきた大衆そのものだった。現在の条件では、国家または国家連合の衝突は、フランケンシュタインの怪物どうしの衝突となっている。フランケンシュタインの怪物は、一般に想定されているような魂のない怪物ではないことを思い起こすべきである。反対に、シェリー夫人が描いた彼は、ルソー主義的な意味で美しい魂を持っている。『若きウェルテルの悩み』のような作品から読むことを学んだ結果なのかもしれない。 彼が無慈悲になるのは、自分の魂の美しさと、共感を求める切望が他人から評価されず、心理的孤独へ押し戻されたときだけである。ここでも感傷主義の最終段階は殺人狂である。

西洋全体、さらにますます世界全体が、いま同じような問題に直面している。すなわち、西洋が過去数世代にわたって主要な努力を傾け、築き上げてきた物質的効率の巨大な機構を動かしている「魂」は、どのような質のものかという問題である。この「魂」はルソー主義的な魂なのか、それとも真に倫理的な魂なのか。伝統的統制の衰退とともに現れてきた文明――われわれがそう呼んで満足しているもの――は、利他主義と高性能爆薬との混合物だと定義したくなる。利他主義の側に何か問題があるなら、その結果はかなり深刻なものとなりうる。理想主義者は、人間は自然のままでもきわめて美しいため統制をまったく必要としないと主張するか、あるいは仲間の善を基準として必要な統制を行うよう、人間を導くことができると主張する。どちらの場合にも、すべては自然人のなかに、愛または奉仕への意志という要素が存在し、それ自体で自然人の権力への意志へ十分対抗できるかにかかっている。利己主義者と利他主義者を分ける線はここにあり、単に効用への訴えにあるのではない。すでに指摘されているように、最大多数の最大幸福という原理は、マキアヴェリ本人さえ主張している。

ところが、自然人における友愛への意志と権力への意志の相対的な強さをめぐるこの論争について、公平に事実を調べるなら、「理想主義者」よりマキアヴェリ主義者に有利であるように見える。未来を向いていることをあれほど誇る人々は、マキアヴェリを特別に崇拝すべきである。彼には、あらゆる未来志向の人間のうち、最も成功した人物と見なされる資格がある。ゲルヴィヌスの言葉では、彼は「近代史の精神を言い当てた」。先の大戦は、「マキアヴェリの復帰」と正しく表現されてきた。しかし科学が進歩し、絶えず「殺人の秘術を改良」してきた結果、今では大都市を空から数分で破壊することさえ可能らしい以上、どれほど鈍い者にも、マキアヴェリを復帰させる余裕がわれわれにはないことが明らかなはずである。現在の条件で、この種の大規模な復帰があと一度か二度起これば、白人文明の終焉、さらには白人種そのものの終焉を意味するだろう。いま閉じようとしている時代の、露骨で明白な誤りは、機械的・物質的進歩を道徳的進歩と混同したことである。物理科学は、それ自体の位置ではすばらしい。しかし最高の道徳問題が関わるとき、それは正しく指摘されてきたように、単なる増幅装置にすぎない。 中心に正しさがあれば、科学は確かにその正しさを増幅するだろう。一方、中心に何らかの誤りがあるなら、人々が現在のように結びつけられている状況では、周辺へ及ぶ反響は恐るべきものとなる。ラジオや無線電話のような発明が発達するにつれ、全世界は文字どおり巨大な「ささやきの回廊」となりつつある。そこでささやかれる言葉が憎悪と疑念の言葉であるなら、何が続くかを詳しく述べる必要はほとんどない。霊的には遠心的なままの人々のあいだで物質的結合だけが増大することは、マキアヴェリの復帰を意味する。言い換えれば、過去に前例のない規模で、策略の法則と力の法則が勝利することを意味する。最上級の表現は危険だが、現在の状況を前例のない重大さを持つものと表現することは、おそらく許されるだろう。

ここまで私は、民主主義と、それが説いてきた特殊な型の友愛を帝国主義との関係で扱いながら、主としてその国内的・国際的な局面に限定してきた。いまや約束を果たし、周辺から中心へ進み、個人心理のうちに問題全体の根を探るべき時である。あらゆる帝国主義の背後には、究極的には帝国主義的個人がいる。それと同じく、あらゆる平和の背後には、究極的には平和な個人がいる。

個人の観点から戦争と平和の問題を研究するうえで、第一級に重要な区別を私はすでに行った。それは、霊的服従を含意する伝統的キリスト教の自由観と、ルソー主義的自由観との区別である。後者は、『第二論説』の無国家状態として捉えても、『社会契約論』の全体国家として捉えても、断固として平等主義的である。シェリーは『鎖を解かれたプロメテウス』の末尾で、伝統的な服従関係と不平等を廃止した結果生まれる楽園を、まさに『第二論説』の精神で描いている。

忌まわしい仮面は落ち、人間が残る。
王笏を持たず、自由で、何ものにも限られず、それでも人間であり、
平等で、階級も、部族も、国家もなく、
畏敬も、崇拝も、身分も免れている。

しかしこの計画を実行しようとすると、運動の核心にある巨大な皮肉と矛盾が明らかになる。それは純粋に空想的な理想のために、現実世界の基準を破壊するよう人を導く。平等主義的自由を確立しようとする試みの実際の帰結を見るには、シェリーからシェイクスピアへ向かわなければならない。

ただ位階を取り去り、その弦の調子を狂わせてみよ。
聞け、どれほどの不協和が続くか。あらゆるものは
ただ敵対のうちにぶつかり合う。
すると万物は権力へ収斂し、
権力は意志へ、意志は欲望へ収斂する。

最後の一行は、倫理的統制が存在しなければ、「人間は野放図で、定めがなく、無限の欲望を満たすこと以外に、いかなる善も知らない」というジェレミー・テイラーの言葉を思わせる。「無限」という語が本質的な観念を加えている。他の動物にも欲望はあるが、それは一定の明確な限界内に収まる。これに対して人間は、善い意味でも悪い意味でも、無限の動物である。マキアヴェリが君主は獅子と狐の徳を併せ持つべきだと語るとき、彼はきわめて比喩的である。獅子と狐は、現実の肉体的欲求を満たすために必要な範囲を超えて、力や策略を行使しない。他の動物の上に狐の帝国や獅子の帝国を打ち立てようとはしない。カーライルが靴磨きについて言うように、宇宙の半分を与えられたなら、すぐ残り半分の所有者と争い始める、と彼らについて真実をもって言うことはできない。もちろんスウィフトが言うように、

ときには
獣が人間へと堕落することもある。

しかし通常、カーライルの靴磨きのような仕方で無限を求める人間は、獣的になるというより、悪魔的になる途上にある。この無限性のため、人間はほとんど必然的に、他の動物より善くなるか、悪くなるかのどちらかである。人間の第一の必要は、他の動物の場合のように、限られた肉体的欲求を満たすことではない。自分自身について高い評価を保つことである。ところで、この「自負(conceit)」という語は、かつて想像力一般と同義だったが、今日の用法では自己中心的な型の想像力と密接に関係している。その本質は、無限へ向かって膨張することにある。この自負は、再生していない人間の場合、自分の自負と競合する要求を掲げているように見える者への羨望や嫉妬と、密接に結びついているのではないかと思われる。自負はまた、真理に対する人間の態度を大きく決定する。人間は自然の法則に従う真理を歓迎する。それが自分の力や快適さに奉仕し、いずれにせよ驚異と好奇心を刺激するからである。霊的真理は、それほど歓迎されない。自負を縮小させるからである。この意味での真理は、ゲーテが言うように、誤りほど人間の本性に適合しない。真理は制限を課すが、誤りは課さないからである。火星との無線通信を計画している者がいる、あるいは月へロケットを撃ち込もうとしている者がいると平均的な人へ告げれば、彼はただちに敬意に満ちた関心と注意を向ける。反対に、自分自身の幸福のため、謙虚さと自己統制の道を歩む必要があると告げれば、無関心であるか、積極的に反発さえするだろう。

人間の自負と、それが自然人の衝動へ与える無制限な膨張傾向には、さまざまな型がある。主要な型の分類として、伝統的キリスト教が区別した三つの欲――知識欲、感覚的享楽への欲、権力欲――に勝るものは、おそらくほとんどない。権力欲が歴史上の征服者や偉大な軍事的冒険家にどう現れたかを研究することは興味深い。サン=テヴルモンは「『巨大』という語についての論考」で、この形の帝国主義心理について鋭い観察を行っている。偉大な支配者たちが計画と野心に示した巨大さは、彼が指摘するように、その想像力の質から生じる。想像力が外へ向かい、無限へ膨張することを、サン=テヴルモンはピュロス、アレクサンドロス、リシュリューの強さではなく弱さと見る。サン=テヴルモンがナポレオンまで分析を広げられなかったことは惜しまれる。ナポレオンは明らかに、まったく異なる二種類の「幻視」を示した。自然的秩序を扱うとき、たとえば戦闘を計画するときには、事実へ驚異的な集中力を向けることができた。しかし、より純粋に人間的な要因が関わる政治的野心においては、想像力を制限できないことを示し、それは遅かれ早かれ破局へ至る運命にあった。いま定義した二種類の幻視が一人のなかで結びつくと、われわれが政治家や軍人だけでなく、商業上の指導者にもきわめてよく知る型が生まれる。実務能力に優れた誇大妄想家である。この種の指導者の驚くほど多くが、少なくとも意図のうえでは超人であり、小ナポレオンだった。

ナポレオンの想像力が、サン=テヴルモンが過去のさまざまな大支配者へ帰した一般的な型に属すると仮定しても、権力を求める帝国主義的膨張がルソー主義的理想主義に勝利した理由を理解するには、なぜナポレオンのような人物が他の人々の想像力をこれほど魅了するのかを説明しなければならない。この種の指導者は、多数の共犯者なしには明らかに無力だからである。すでに述べたように、ルソー主義者は新しい統制を設けずに伝統的統制を破壊する。その結果、自然主義的水準へ落ちた多数の人間から現れるものは、友愛への意志ではなく、権力への意志である。この意味でルソー主義者は、理論上防ごうとしているものを、現実には促進している。ここから先には、フロイト派自身がこれまで主として扱ってきたリビドーより、さらに根本的かもしれないリビドー、すなわち支配欲(libido dominandi)へフロイト心理学を適用する必要がある。自然主義的な時代に、平均的な人間は多少なりともカーライルの靴磨きの状態にある。しかし同時に四方から妨げられ、権力の方向へ自由に膨張することができず、自分に対する高い評価を傷つけられる。彼は抑圧され、挫折した欲望に苦しむ。しかし直接得られないものを、代理的に獲得することはできる。ここで、ナポレオンを「戦争のキリスト」と呼んだハーディの表現の意味が見え始める。ナポレオンの魔力が及んだのは、シャトーブリアンが語る元ジャコバン派だけではなく、フランスの大衆だった。エルバ島から帰還した彼のもとへ大衆が結集した仕方を考えてみればよい。しかもそれは、彼が大衆へほとんど計り知れない害を与えた後のことだった。

彼がわれらを害したとはいうものの、
民衆はいまなお彼を崇める、等々。

倫理的指導力を備えたバークの国家を、単なる「寄せ集められた自尊心」と見なすのは誤りだと、私はすでに述べた。しかしこの表現は、ナポレオン的指導力のもとにある国家へ適用するなら、ある程度の妥当性を持つ。この帝国主義的要素は、世俗的なあらゆる制度だけでなく、世界の諸教会にも強く入り込んでいる。教会が理論上どれほど無垢であっても、それを運営するのは人間だからである。ティレルのように「ローマは宗教をまったく意に介さず、権力だけを求める」と断言するところまでは進まないとしても、教皇権にこの要素を見落とすのは容易でない。人間が打ち立ててきた神々そのものも、かなりの程度、人々の寄せ集められた自尊心ではないかという印象を与えることが多い。ドライデンが言うように、「自分たちで仕事を果たせないとき、敵を打ちのめすため、神がこちら側にいることをわれわれは喜ぶ」。ジョナサン・エドワーズには真の宗教的高揚がある。しかし彼が明らかにその「猛威」を喜ぶエホバ、罪人を足の下で踏みつけ、その血が「衣へ飛び散る」までにするエホバは、エドワーズを神学的帝国主義者として退けるよう、一部の人を導くかもしれない。さらに明白な例は、近年バプテスト派を分裂させてきた原理主義者の一部である。彼らは再臨するキリストを、ネロやカリグラさえ立派に見える色彩で描いてきた。キリストが最初に到来したとき、ユダヤの民衆を深く失望させた事実を詳しく述べる必要はほとんどない。彼らが望んでいた救世主は、実際に与えられた救世主より、はるかにナポレオンに近かった。

宗教的信仰とその運営者に見られる帝国主義的要素が、物語の全部でないことは言うまでもない。何よりキリスト教の場合、それは物語の全部ではない。キリスト教は実際、人間の心が外へ膨張するさまざまな欲を大きく抑え、そのなかには権力欲も含まれていた。ダンテの言葉では、「獣性のうちを野放図にさまよう人間」は、二重の統制を必要とする。すなわち「啓示に従って永遠の生命へ導く最高位の教皇と、哲学の教えに従って現世の幸福へ導く皇帝」の統制である。 もちろん現実は、ダンテの理想と完全には一致しなかった。当時の私利私欲に走る支配者に対する彼の猛烈な罵倒からは、ヨーロッパが当時、今日と同じほど狂っていたと推測できるかもしれない。それでも中世的形態のキリスト教は、ヨーロッパへ少なからぬ霊的一体性と結合を現実に確保した。分裂があった場合でさえ、霊的に対立する者どうしが物質的には緊密に結びつけられているという付随条件によって、今日のように無限に有害なものとはならなかった。

この古いヨーロッパ的一体性が失われたのは、最も一般的な意味で批判的精神と呼びうるものの台頭によること、その精神がさらに個人主義の精神と同一だったことについて、ここでも他の場所でも述べてきたことを、改めて繰り返す必要はほとんどない。近代人であることは、実際にはますます実証的・批判的になり、個人に「先立ち、その外部にあり、その上位にある」権威によって、何ものも受け入れないことを意味してきた。外的権威の原理へ今なお固執する人々と、私は争うつもりはない。私の主な関心は彼らにない。私自身は徹底した個人主義者であり、私と同じく近代の実験へ取り消しようもなく身を投じている人々のために書いている。実際、近代人へ何か異議を唱えるとすれば、彼らが十分に近代的でなかったからである。言い換えれば、十分に実験的でなかったからである。自然の法則の領域では、近代性を追求してきた者は、少なからず私の基準を満たしている。たとえばベーコンには、スコラ学者の先験主義、言葉の細かな議論、権威への隷属的依存に見えたものに代えて、実証的観察を置いた結果、実際に予期された果実が生じた。しかし近代性の使徒は、人間の力と効用へ奉仕するだけでは満足しなかった。古い秩序の霊的一体性に代わるものも備えていると公言した。そしてここでは、実験的に、すなわち彼ら自身の原理によって試験したとき、私が示そうとしてきたように、破局的に失敗した。近代運動の物質的成功と霊的失敗の結果は、われわれの目の前にある。西洋人の力が、その知恵を大きく追い越したことは、誰の目にも明らかになりつつある。西洋人が知恵の不足を真剣に補おうとしている兆候が少しでもあれば、見通しはより明るいものとなるだろう。ところが反対に、西洋人はほとんど自動的に、より大きな力へ手を伸ばしている。原子のうちに閉じ込められたエネルギーを解放することに成功すれば――これは物理学者の最も新しい野心らしい――その最後の偉業は、自分自身を地球から吹き飛ばすことになるかもしれない。

破壊手段があまりにも恐ろしくなっているため、誰も使用しようとはしないだろうと、われわれは告げられている。大戦前にも耳にした議論である。しかしこれらの破壊手段を積み上げるのと同時に、伝統的統制の崩壊と、それに代わる十分なものをこれまで供給できなかったこととが結びつき、それをためらわず使用する愚者と狂人を作り出している。

実際、われわれにまだ残っている知恵は、過去からの生き残りにすぎないように見えることさえある。古い道に立つことを決意し、今日進歩的と見なされる多くのものへ、公然と反動的な態度を取る人々の観点は、少なくとも理解できる。ピウス9世が『誤謬表』(1864年)第80項で示した、教皇至上主義的カトリックの観点さえ理解できる。「教皇は進歩、自由主義、近代主義的文明と和解し、折り合いをつけることができ、またそうすべきである、と言う者がいるなら、その者は破門されよ。」

しかし中世から近代へ、言い換えれば外的権威から個人主義へ移る際、何か生命的な要素が失われたと認めながら、なお近代人であり続けることは可能である。ただしその場合、徹底した近代人であることは、時に想定されるほど単純ではないと明確にすべきである。私は、人間が一つではなく二つの法則に従うと主張することを好む。完全に近代的であるには、自然の法則についてだけでなく、人間の法則についても実証的・批判的でなければならない。これまで近代性を誇ってきた人々の大半は、自然の法則については多少なりとも批判的だったが、不完全な事実調査の不足分を、さまざまな合理主義的仕掛け、または牧歌的想像で補ってきた。人間の法則の領域では、伝統との根本的断絶を代表したかぎりで、19世紀は一方では合理主義の時代、他方ではロマン主義的夢想の時代だった。このような仕方で伝統と断絶した者は、私の判断では、近代人ではなく近代主義者と呼ぶべきである。「近代人」という語は、人間の法則と自然の法則の双方について批判的であろうとする人のために取っておくべきである。この課題を試みる者は、「実験」という語へ、近ごろ一般的であるよりはるかに広い意味を与える必要に気づくだろう。実験は、実験室で行われる種類のものだけでなく、遠い過去と近い過去に行われてきた、さまざまな人生哲学の実験も含むべきである。もちろん今日、教えを求めて過去へ向かう人間は、多少なりとも反動的と見なされやすい。よりなじみ深い型は、過去を拒絶し、現在をかろうじて容認し、想像力のうえでは、広大で風ばかり吹く住居である未来だけを故郷とする進歩主義者である。しかしゲーテが、「その時々の迷妄へ普遍史の巨大な蓄積を対置すべきである」と言うとき、彼は反動主義者としてではなく、鋭く実験的な気質の人物として語っている。無数の研究者の労苦の結果、普遍史のこの巨大な蓄積は、古代中国の戦国時代(紀元前3世紀)から、現代ヨーロッパの戦国時代まで、かなり利用可能になりつつある。

しかし、過去のこの記録を活用し、「その時々の迷妄」を裁く基準をそこから築くことには、克服不能とまでは言わなくとも、大きな困難があることを認めなければならない。明らかな困難は、歴史は決して繰り返さないという言葉に含まれる真理の要素である。もしこれが真理の全部であり、歴史が中心的な人間の法則の働きを示さない、互いに無関係な出来事の渦にすぎないなら、過去の経験に照らして現在を裁こうとする試みを、ヘンリー・フォードの断言、またはそのもう少し上品な同義語――「歴史などくだらない」――によって退ける権利があるだろう。しかし歴史は決して繰り返さないというのが真実であるのと、ほぼ同じ程度に、歴史はつねに繰り返しているというのも真実である。これは生命そのものの逆説の一部である。生命は、ここに一性の要素、あちらに変化の要素を別々に与えるのではなく、つねに変化する一性を与える。多様性のうちに統一が含まれることは理性のつまずきであり、哲学者の大半はギリシア以来、理性の助けを借りて多様性から統一を抽象しようとするか、同じような合理化の過程によって、統一を犠牲にして多様性を強調しようとしてきた。いま流行の先端にいる哲学者のほぼ全員が後者の部類に属することは、付け加えるまでもない。しかし完全な実証主義者は、知恵は人間経験における恒久的要因と可変的要因との媒介に見いだされると主張するだろう。愛と共感を広めることで人々のあいだに統一を確立しようとするルソー主義者への彼の異議は、その統一が幻想だということである。この非現実的な統一、ロマン主義的想像力が作る単なる空想へ、理性の助けによって幻想を除去され、一度ですべて公式へ収納された、固定的で確実な統一を対置できるなら、問題はきわめて容易になるだろう。

しかし人生を現実のまま直視する人間は、幻想の要素をこのように除去できるとは認めない。この要素を認識することは、自分自身が幻想主義者になることではなく、反対に鋭い観察者になることである。シェイクスピアやソポクレスのような偉大な詩人の知恵が最も明らかになるのは、彼らが幻想へ与える役割においてである。この幻想の問題が想像力の問題とどれほど密接に関係するかを、私は別のところで示そうとした。 最終的な対照は、理性または判断と単なる幻想との対照ではない。変化し幻想的なもののただなかにあって恒久的なものへ従うよう鍛えられた想像力と、何らかの「空想の帝国」を多少なりとも自由に荒れ回る想像力との対照である。

経験から利益を得るには、鍛えられた想像力による真の幻視が必要である。この仕事は、自分自身の経験を扱うときより同時代人の経験を扱うとき、同時代人の経験より近い過去または遠い過去の経験を扱うときに、ますます困難になる。この型の幻視は、気が滅入るほどまれであるように見える。しかしそれなしには、人間は、自分が進歩的だという自負に最も満ちているときにさえ、「最も古い罪を最も新しい仕方で犯す」危険を冒す。「経験は厳しい学校だが、愚者はほかの学校では学ばない」と言われる。他人の経験は言うまでもなく、自分自身の経験からさえ学べる愚者は、かなり賢い愚者なのだと思いたくなることがある。

しかし、より直接の主題へ戻ろう。遠い過去の経験を、われわれの民主主義的・帝国主義的な時代へ適用できる型の幻視は、明らかに容易には得られない。しかし歴史へ訴えようとするなら、きわめて必要なものに見える。現在の混乱に近い類例を見いだすには、かなり遠くまでさかのぼらなければならないからである。先の大戦とその心理的背景を、ギリシアのペロポネソス戦争期になぞらえる者は少なくない。この類比は、十分な慎重さをもって用いるなら有益である。ペロポネソス戦争期は、われわれの時代と同じく、商業的・帝国主義的膨張の時代だった。そしてこの膨張には、特にアテナイにおいて、平等主義的民主主義へ向かう傾向の増大が伴っていた。 われわれの時代と同じく、伝統的規律を拒絶する「知識人」の時代でもあった。その拒絶は、彼らが自然と慣習とのあいだに立てた対立に大きく依存していた。否定的に見れば、この自然崇拝は伝承され確立されたあらゆるものへの反乱を意味した。肯定的には、一方で超人への賛美、他方で弱者への同情を意味した。ただし後者の要素は、古代の自然主義では近代ほど際立っていなかった。当時のソフィストを研究すると、われわれ自身の流転の哲学者、あるいはアリストパネスの言葉では「渦巻神」の信奉者を思い起こさずにはいられない。

この無政府的個人主義の危険を見抜く者は、古代アテナイにも存在した。アリストパネスのように、単に「古き良き時代」へ戻ろうとし、ソクラテスと普通のソフィストとの区別を認めなかった者もいた。しかし言うまでもなく、ソクラテスはプラトン、アリストテレス、その他の弟子たちとともに、崩れつつある伝統的基準に代えて、批判的精神へより適合した基準を築こうとしていた。ソクラテス的努力は、全体として、特に政治の領域で失敗した。その原因は複雑である。ソクラテス的哲学そのものにあると思われる重大な欠落については、まもなく指摘する。また、狡猾なオデュッセウスの時代以来、ギリシア人の人格がギリシアの知性に釣り合わなかった失敗によって、西洋文明は今なお苦しんでいる、と逆説なしに主張することもできる。 アリストテレスによれば、ギリシア人が結集できさえすれば、世界を相手にして自立できただろう。しかし不幸にも、彼らは結集できなかった。本質において宗教と同一の政治的伝統が、さまざまな都市国家の市民をなお結びつけていたときでさえ、各国家が異なる神々を持っていたというまさにその理由から、国家間の関係は大きく遠心的だった。こうした政治的・宗教的伝統が崩れ、それらが供給していた霊的統制に代わるものを、ソクラテス的な線または他の線に沿って作り出すことに失敗すると、各都市国家の市民は、他の都市国家の市民に対してだけでなく、互いに対しても遠心的になる傾向を示した。

その後には、階級戦争のあらゆる忌まわしい事件が続いた。たとえばミレトスでは、貧者が優位に立ち、富者を都市から逃亡させた。しかし後になって、彼らを殺せなかったことを悔やみ、その子どもたちを捕らえて納屋へ集め、牛の足で踏み殺させた。その後、富者が都市へ戻って再び支配者となった。今度は彼らが貧者の子どもを捕らえ、瀝青を塗って生きたまま焼いた。 これは、フランス革命からロシア革命まで、近代世界がすでに相当な第一回分を受け取ってきた種類の出来事である。退廃期のギリシア人は、今日、階級戦争を説いている人々と同じく、多くの美辞麗句を用いた。しかし現実に優勢となる傾向を示したのは、力の法則だった。この種の場合にしばしば起こるように、その力は最後には外部から、まずマケドニア、次いでローマによって供給された。退廃期のギリシア人は、帝国主義的独裁者へのこの最終的服従を、偉大な時代のギリシア人なら深い屈辱と感じたはずだが、自分が人間ではなく神へ服従しているという、いささか見すぼらしい虚構によって慰めた。

私が試みてきた種類の要約は、必然的に大きな誤解を招く。原典、何よりプラトン、アリストテレス、トゥキュディデスを直接知ることに代わるものはない。とりわけアリストテレスの『政治学』が現状へ驚くほど適合することは、誰でも自ら確かめられる。特にこの国で、われわれが憲法上の係留索から外れ、直接的または無制限な民主主義へ漂流し始めたいま、なおさらである。そこには今朝の新聞と同じほど現代的で、少なくとも百倍は分別のある一節がある。後のローマも、多少似た循環をたどった。究極的には宗教的統制に基づく立憲共和政は、その統制が弱まるにつれて、平等主義的民主主義へ徐々に席を譲った。そして民主主義は、階級戦争に通常伴う事件を経て、退廃的帝国主義へ移行した。統制を失った個人主義が帝国主義へ至る結末は、古代中国の封建制が崩壊し、すでに触れた戦国時代が生じた過程によっても例証できる。この時代の哲学の一部、たとえば墨子(Mei-ti)の哲学には、功利主義的要素と感情的要素の混合が見られる。それはギリシアやローマに見られる何ものより、現代の人道主義に近いかもしれない。末期には、勢力均衡、普遍的友愛、「国際連盟」を含むあらゆるものが試され、言語に絶する残虐行為が行われた後、もはや誰も幻想を持たなかったように見える。残された唯一の問題は、どの帝国主義的指導者が最初に他の全員へ自分の意志を押しつけるかということだった。

西洋文明が、現在たどっているように見える帝国主義的循環のこの最終段階へ到達するなら、その見通しは明るくない。物理科学が絶えず「殺人の秘術を改良」していることを考えれば、なおさらである。北アメリカ、そしてかなりの程度まで南アメリカも、西ヨーロッパ諸国と同じ文化圏に属することは、ほとんど言うまでもない。この文化圏のすべての国家は現在、さまざまな形と程度で、過度に遠心的な個人主義の症状を示している。このような状況でしばしば最後の言葉を持つ外部世界は、現在の通信手段を考えれば、残りの全人類、特にアジアの大きな競合文化を含むと考えられる。いま定義した文化圏の強国は、互いに対して帝国主義的であるだけでなく、周辺の人民と文化に対して、この上なく帝国主義的である。この点で、民主的に統治されているとされる国家が、他の国家と大きく異なるとは考えにくい。1790年の時点で、ミラボーはフランスの熱狂者へ、「自由な人民ほど戦争に熱心であり、民主政ほど最も絶対的な専制政以上に自らの情念の奴隷となる」と警告した。これは、明白な政治的意味で、ヨーロッパだけでなく世界の他の地域にも当てはまる。たとえば共和政フランスは、アフリカとアジアの帝国へ熱心に手を伸ばしてきた。

しかし、この明白な政治的形態以上に重要であり、おそらくしばしばそれへ先行する帝国主義的膨張がある。商業主義者の帝国主義的膨張である。貿易は国旗に従うと言われてきたが、さらに重要な真理は、国旗が貿易に従う傾向にあるということだ。インドにおける大英帝国の起源を考えればよい。貿易それ自体が平和をもたらす力だという、18世紀と19世紀の多くの自由主義者が抱いた観念を、今日あえて論駁する必要はほとんどない。商業上の利益は、ヨーロッパそのものだけでなく、世界の他の地域でも、ヨーロッパ諸国の衝突と危険な競争を引き起こす。そのため現在の帝国主義の主要な一面は、石油をめぐる国際的争奪である。信頼できるフランスの刊行物の最近の号には、次のように書かれている。「自分たちの計画を成功させるためなら、カウドレー卿とカーゾン卿はメキシコで革命を扇動し、アジアへ内戦の種をまき、競争相手を粉砕するため、ヨーロッパと世界へ火を放つことさえできる! 彼らの帝国主義は世界的な危険だが、壮大さを欠いてはいない。」 私の見解では、現代イングランドの指導者は、これほどマキアヴェリ的ではない。しかし、いま引用した見方はフランスで広く抱かれており、フランスとイングランドの調和ある関係に必要な基礎である信頼を、ほとんど促進しない。この石油問題は、一定の状況では、イングランドとアメリカのあいだに深刻な緊張を生むことさえありうる。

この帝国主義的膨張のすべてが引き起こす主要問題は、アジアと西洋との関係であることが、ますます明らかになっている。現在の状況には、東洋と西洋との戦争という真の世界戦争へ至る可能性がある。それと比べれば、先のヨーロッパの闘争は、後から振り返ると、かすかな前奏曲にすぎなくなるだろう。ヨーロッパ人が、科学的効率の最新で洗練された方法によって互いを殺戮する贅沢を享受すると同時に、約9億人のアジア人へ帝国主義と人種的尊大さを押しつけ続けられると、長期的に期待できるとは一見して思えない。特にアジア人は、ヨーロッパ諸国の帝国主義的競争と、ほとんど治癒不能な分裂を、ヨーロッパだけでなくアジアの地そのものでも観察する機会を持っている。いま述べた可能性は、一日で現実になるとは限らない。しかし孔子が言うように、「遠慮なき者は、必ず近憂あり」である。東洋との関係、特に孔子自身の国との関係を、長期的視野で考えるべき時が確かに来ている。

政治的観点から見ると、アジア問題はいくつかの小問題へ分かれる。たとえば近東問題がある。これは、主としてイングランドとフランスがまともな合意へ達することができなかった結果と思われるが、重大な失政によって扱われてきた。さらにインド問題がある。また、アメリカ合衆国と極東との関係の問題があり、その先には太平洋の支配をめぐる巨大な闘争の可能性が見える。ここでは日本という不吉な徴候に出会う。日本は、最も正統な西洋方式に従って帝国主義の競技を行うことを学びつつあるアジアの大国であり、「白人の重荷」という人道主義的・帝国主義的な決まり文句さえ自国の用途へ適応し、中国を「日本の重荷」と語り始めている。

最後に、おそらく何より重要なのがロシア問題である。ロシアは地理的にはヨーロッパとアジアにまたがり、心理的には、人口の大部分に関するかぎり、少なくともヨーロッパ的であるのと同程度にアジア的である。上層階級が絶滅させられるか貧困化するにつれ、ロシアと西ヨーロッパとの心理的隔たりはいっそう際立ちつつある。ボリシェヴィキ革命は、その根本原理がフランス大革命に由来することを示せるが、フランスのジャコバン主義以上に悪性の帝国主義的性格を示してきた。ロシアは今後かなりの期間、ロシア人だけでなく、ドイツ人、日本人、場合によってはトルコ人による帝国主義的陰謀の肥沃な土地であり続ける可能性がある。その背景にはイスラム世界全体がある。あるギリシア人が、他のギリシア人に対抗するため、ギリシア世界外の勢力と同盟する用意があったように、ドイツも雪辱を望むあまり、ヨーロッパ外のこれらの勢力と結ぶ誘惑に駆られるかもしれない。たとえその行為が、自国も属する文化圏の生命的利益への裏切りに等しくてもである。

しかしこの種の考察は、政治分野で私にはない専門能力を備えた人物が行うとしても、せいぜい高度に推測的なものにすぎない。実際、政治問題を直接扱うことは、私の方法の一部ではない。この方法は、少なくとも意図のうえでは純粋に心理学的である。

ヨーロッパ対アジアの問題へ心理学的に近づき、十分に長期的な視野を取ると、一つの注目すべき事実が否応なく目へ入る。ギリシア・ローマ世界が供給できなかった、人間どうしの真の霊的結合の原理――ストア派がそのような原理を達成しようとした試みも、全体としては失敗だった――は、最後には東洋起源の信仰、すなわちキリスト教からもたらされた。ニューマン枢機卿は『我が生涯の弁明』で、自分をカトリックへ向かわせた最大の要因の一つは、全世界の判断は確かであると断言するラテン語の格言(Securus judicat orbis terrarum)だったと述べる。しかし厳密に言えば、この格言は、外的権威へ最後に訴えるカトリック教徒より、人生を実験的に扱おうとする人間に有利であるように見える。この実証的精神で格言を用いるなら、まず、キリスト教の成立へ至ったアジアの経験は、アジアの全経験の一部にすぎないと主張しなければならない。ヨーロッパとアジアの小部分を合わせたものが全世界(orbis terrarum)を構成すると見なすことは、われわれ西洋人の自負と傲慢の一形態にすぎない。それは人類の約半分の経験を調査から除外することである。普遍的で容易な通信が可能となったこの時代には、人間経験の二つの半分を結び合わせることが、特に望ましいように思われる。極東の経験を正しく解釈するうえでの主要な障害は、その仕事を引き受けた者が知識不足に苦しんだだけでなく、しばしば神学的な遮眼帯を着けていたことだった。今日さらに深刻な狭量さは、東西双方の世界の全経験を、単なる機械的進歩の観点から裁く人間の狭量さである。

十分な知識に基づき、同時にあらゆる種類の独断的先入観から自由な、東西を合わせたこの全経験の評価は、われわれの一面的な自然主義が導いた苦境へ鮮烈な光を投げかけるだろう。それは、中世ヨーロッパから近代ヨーロッパへ移る際、明らかに失われる傾向にあった生命的要因を、純粋に心理学的に定義する助けとなる。こうしてこの生命的要因を、「古い偏見と、理由づけられていない習慣」という形だけでなく――そのように保持しようとすることが、バークの方法の弱点だと私は述べた――実証的・批判的な形、言い換えれば近代精神へより適合した形で、回復し維持する助けとなるだろう。

原注

E・M・ド・ヴォギュエ「ジャン=ジャック・ルソー図像集への序文」(Introduction à l’Iconographie de J.-J. Rousseau)第1巻、vii–viii頁。

これらの一節の一部は、アーヴィング・バビット『ルソーとロマン主義』(Rousseau and Romanticism)、194頁注で引用した。

E・ルナン『知的・道徳的改革』(Réforme intellectuelle et morale)、194頁。

C・E・ヴォーン編『ルソー政治著作集』(Political Writings)第2巻、172頁参照。

『エミール』冒頭の諸段落を参照。「あらゆる愛国者は外国人に冷酷である」(Tout patriote est dur aux étrangers)など。

C・E・ヴォーン編『ルソー政治著作集』(Political Writings)第1巻、382頁注。

シャトーブリアン『墓の彼方からの回想』(Mémoires d’Outre-Tombe)第2巻、12–14頁参照。「悲劇が街路を赤く染めているあいだ、劇場では牧歌が花盛りだった。話題になるのは無垢な羊飼いと処女の羊飼い娘ばかりであった。野、せせらぎ、草原、羊、鳩、藁葺きの小屋の下の黄金時代が、笛のため息とともによみがえり、愛をささやくティルシスたちと、ギロチンの見物から出てきたばかりの素朴な編み物女たちの前に現れた。サンソンに時間があったなら、彼はコランを演じ、テロワーニュ・ド・メリクール嬢はバベを演じただろう。国民公会議員たちは、自分こそ最も温厚な人間だと誇った。良い父、良い息子、良い夫であり、幼い子どもを散歩へ連れ出し、乳母の役まで務め、その無邪気な遊びへ感激の涙を流した。彼らは小さな子羊をやさしく腕へ抱き上げ、処刑される犠牲者を運ぶ荷車のお馬さんを見せた。自然、平和、憐れみ、慈善、純真、家庭の徳を歌った。この博愛主義の聖人たちは、人類の最大幸福のため、極度の感受性をもって隣人の首を切らせたのである。」

シャトーブリアン『墓の彼方からの回想』第2巻、243頁。

王党派にも革命的理想主義者にも、もちろん公言したもの以外の動機があった。この時期全体については、E・ブルジョワ『外交政策史便覧』(Manuel historique de politique étrangère)第2巻、1–184頁参照。

シュケ氏によれば、ここで触れたゲーテの発言は、戦闘当夜(1792年9月20日)ではなく、1820年にさかのぼる。『ルヴュ・エブドマデール』1915年12月18日号掲載の論文参照。

「フランス革命こそ、ドイツ統一の観念を生み出した出来事であった。」ルナン『知的・道徳的改革』130頁。

コールリッジ「フランス――頌歌」(France: An Ode)参照。これに対応するドイツ側の展開については、G・P・グーチ『ドイツとフランス革命』(Germany and the French Revolution)各所参照。

メアリー・シェリー『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』第15章参照。

マキアヴェリ『マンドラーゴラ』第3幕第4場参照。ただしこの箇所における原理の適用は皮肉なものである。

この点は、J・ミドルトン・マリーが「文明の本性」(The Nature of Civilisation)で適切に指摘している(『一知識人の発展』〔The Evolution of an Intellectual〕108頁)。

ダンテ『帝政論』(De Monarchia)第3巻第16章。

『ルソーとロマン主義』序論参照。

この時代の典型的な民主主義的・帝国主義的政治家はペリクレスである。アテナイの膨張政策の危険と、ギリシア人の結合の重要性を理解するには、キモンのような保守主義者へ向かわなければならない。

ギリシア人の敵とは誰も非難しないであろうキケロが、この問題について決定的と見なしうる一節を残している。『ルキウス・ウァレリウス・フラックス弁護』(Oratio pro L. Valerio Flacco)第4節参照。

アテナイオス『食卓の賢人たち』第12巻第26節参照。

墨子のドイツ語訳が、アルフレート・フォルケによる称賛的な序文を添えて近年刊行された。儒家が最終的な重点を置く徳である「仁」(jen)は、通常「仁愛」などと訳されるが、利他主義とはまったく異なることに注意すべきである。このことは、孟子が墨子へ示した妥協のない敵意からも明らかなはずである。仁を高く掲げることは、愛が法の完成であると確認する儒家的な方法にすぎない。仁は宗教的水準より人文主義的水準で現れるため、西洋で最も近い対応物は、おそらくアリストテレスが『ニコマコス倫理学』第8~9巻で行った友愛の扱いである。

『諸民族の生活』(La Vie des peuples)第7巻、195頁参照。

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第5章 ヨーロッパとアジア

新古典主義時代の批評書の著者たちは、礼節・適合性という観念を細かく論じることを好んだ。彼らは時に、この観念をいわば大陸規模にまで広げ、礼節にかなった、あるいは典型的なヨーロッパ人と、礼節にかなった、あるいは典型的なアジア人とを対比した。この種の考察は、初めに見えるほど空想的ではない。ヨーロッパ人と比べたアジア人の気質に、何らかの根底的な相違があることを認められるだけでなく、ある程度まではそれを定式化することもできる。ただしアジアについて語る場合、ヨーロッパについて語る場合以上に、主として念頭に置いているのが文明化されたアジア、それもその達成が頂点に達した時期のアジアであることを明確にしなければならない。野蛮または半野蛮なアジアの遊牧集団は、過去にヨーロッパを脅かし、実際に席巻しただけではない――将来にも同じことをしかねない――。太古から文明化されたアジアにとっても災厄であり続けた。古代ユダヤでは、北方から来るこの荒々しい騎馬民族の記憶が、ゴグとマゴグの伝説に残った。万里の長城は、二つのアジアを隔てる一種の目に見える象徴である。一方にはアッティラ、ティムール、チンギス・ハンのアジアがあり、他方にはキリスト、仏陀、孔子のアジアがある。

キリストと仏陀の名を挙げれば――典型的なアジア人としての孔子については後でさらに述べる――、ヨーロッパや世界の他地域と比べたアジアの特色が、諸宗教の母胎であったことだと改めて指摘するまでもないだろう。したがって宗教の批判的かつ経験的な定義を組み立てるなら――私の方法が要求するのは、まさにそれである――、アジア人の人生に対する態度のうち、特にアジア的なものを見定める手掛かりが得られるかもしれない。もちろん歴史的なキリスト教は、純粋にアジア的な信仰からはほど遠い。そこには、プラトン派、アリストテレス派、ストア派、新プラトン派といったギリシア哲学から引き出された重要な要素がある。また強力なローマ的要素、とりわけ私がローマ的な帝国主義組織と呼んだものもある。さらに、秘跡的な呪術や密儀宗教から来た要素もある。これらは混合的な起源を持つが、なお大部分はギリシア的である。それではキリスト教のどの要素を、その創始者本人にまで遡らせられるだろうか。この問いを経験的に扱うことについては、キリスト自身の許可がある。「その実によって彼らを知るであろう」。ベーコンと功利主義者たちもまた「実」を説いたが、キリストが念頭に置いた実は明らかにベーコン的な種類のものではない。それは霊の実であり、その内容は聖パウロが決定的に示している。「愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、信仰、柔和、自制」である。全体としてこのような力点を持つ徳目の一覧に相当するものは、キリスト教以前のヨーロッパのいかなる祭儀や哲学にも見いだせない。しかしアジアのより古い宗教思想には、その相当物を見いだせる。紀元前3世紀の中頃、インドの仏教徒の王アショーカは、広大な帝国の各地で、「慈悲、寛大、真実、純潔、温和、平和、喜悦、聖性、自制」という、非常によく似た徳目の一覧を石に刻ませた。 このように仏教とキリスト教は、教義の観点から近づけばほとんど絶望的に対立しているように見えることが多いが、経験的に、その実によって研究するなら、これほど印象的な仕方で互いを確証する。

宗教を十分に定義しようとするなら、さらに一歩進み、聖パウロとアショーカが列挙した霊のさまざまな実のうち、真の宗教生活で最も中心的なものは何かを問う必要があるかもしれない。この中心的な徳は、少なくとも経験的であるという長所を持つマシュー・アーノルドの宗教の定義では、見落とされているように思われる。彼によれば、「宗教とは、感情に触れられた道徳である」。宗教は通常、道徳を経て進み、少なくとも初期の段階では感情と大いに混じり合う。しかし偉大な宗教的指導者自身を信じるなら、最終的な力点は別のところにある。キリストは弟子たちとの最後の別れに際して、「私はあなたがたに私の平安を与える」と言った。「疲れた者、重荷を負う者は皆、私のもとへ来なさい。私があなたがたを休ませよう」。仏陀も非常によく似た仕方で、宗教の完成を考える。「真の知恵によって自由を得て、静かな人となったとき、その思いは静まり、言葉も行いも静まる」。 それでは、この平安への道は何か。ダンテはこの問いへの答えのうちに、キリスト教の最も内奥の精神を捉えた。「神の御意志のうちに、われらの平安がある」。人間は通常の自己を、より高い意志または神の意志へ服従させる必要があるというこの観念は、キリスト教だけでなく、あらゆる真の宗教に不可欠である。この点でムハンマドは、仏陀やキリストと一致する。イスラムという語そのものが「服従」を意味する。

インドでは、同じように意志が主要な関心となってきたが、人間が通常の自己を従わせる意志は、人間を超越する神格ではなく、しばしば本人自身の高次の自己として考えられている。仏陀は、キリスト教を含む他の信仰で本質的と見なされる多くのものを取り除く。しかし人間の高次の、すなわち倫理的な意志と、自然的自己または拡張的欲望との対立は取り除かない。それどころか、他のどの宗教的指導者以上に、この対立というむき出しの心理的事実に立脚する。そのため原初の形態の仏教は、諸宗教のうちで最も批判的なもの、別の言い方を好むなら、最も神話性の少ないものなのである。

注意すべきなのは、インドで栄えてきた教説の多くが、仏陀や他の真の宗教的指導者の教説のように明確な二元論ではなく、程度の差こそあれ、顕著な汎神論的傾向を持っていたことである。この傾向は、現在インドを外部世界へ解説すると称している多数のインド人にも現れている。たとえばラビンドラナート・タゴールは、西洋だけでなく東洋そのものでも、インドの解説者として少なからぬ信頼を得てきた。東洋対西洋という問題全体の重要性を見抜いていることは彼の長所であり、西洋批判の否定的な面では、しばしば少なからぬ洞察力を示す。彼によれば、西洋人は権力と機械的効率へ専門化したため、地球の暴君になれた。しかし暴君が最後には破滅することは、物事の本性のうちに定められている。この西洋観は中国と日本に支持者を得ただけでなく、現在、デリーからタンジールまで、イスラム教のムッラーたちによって非常によく似たことがつぶやかれている。言うまでもなく、事実はそれほど単純ではない。イギリス人がインドへの支配を維持できた成功は、全面的に機械的効率に基づくものではなく、まして慈善心や「白人の重荷」を引き受けたいという想定上の熱意に基づくものでもない。その一因はインド人自身の分裂にあった。しかしそれはまた、人格の勝利、すなわちイギリス人を、おそらく世界がこれまで見た最良の統治民族にした健全な道徳的現実主義の勝利でもあった。

タゴールはさらに、現在の状況でヨーロッパ諸国を連邦化しても、それは蒸気ボイラーの連邦にすぎないと言う。治療法は、この機械的効率という悪夢を築き上げた分析を捨て、その代わりに愛の原理を置くことである。 ここに現れるタゴールの親近性は、本人が信じさせようとするような自国の古代賢者との親近性ではなく、われわれのルソー主義的夢想家との親近性である。タゴールやベルクソンの柔弱さ、また東西を問わず、分析を犠牲にして「幻視」を得ようとするすべての人々に対しては、究極の東洋人と見なされる資格を持つ仏陀の例を対置できる。仏陀においては、最高の「幻視」が最高の分析行為と一致した。

私が示そうとしてきたのは、アジア起源の偉大な宗教的信仰の中心には、高次の意志という観念があり、それが人間の通常の意志または拡張的欲望との関係において、生命的統制の力として感じられているということである。この意志をどのように考えるにせよ――キリストとともに「御意志が行われますように」と言おうと、仏陀とともに「自己こそ自己の主である。ほかの誰が主となりえようか」と言おうと――、その認識が畏敬と謙虚さの源となる。この高次の意志への服従は、その完成において平安である。

一見したところ、孔子は他の偉大なアジアの教師たちと非常に異なるように見える。すでに述べたように、その関心は宗教的というより人文主義的である。孔子の教説と、西洋で最も重要な人文主義者であるアリストテレスの教説との接点は多く、しかも著しい。実際、もし「時代を超えた知恵」、すなわち正常な人間経験の中心的な核と呼べるものが存在するなら、宗教的水準ではその知恵を仏陀とキリストに、人文主義的水準では孔子とアリストテレスに見いだせる、と言いたくなる。この四人は、それ自体としても、その影響においても、人類の精神史で最も傑出した人物と見なせる。彼ら以後の世界の経験だけでなく、それ以前の経験の多くも、正当に彼らと結びつけられる。 興味深い類例として、聖トマス・アクィナスが『神学大全』でアリストテレスの知恵とキリストの知恵を結合しようとしたように、ほぼ同じ時期、朱熹はその大注釈書の中で仏教的要素と儒教的要素を混合したことを指摘できる。

アリストテレスと孔子は中庸の教説において一致するが、人生に対する態度の全体では、ヨーロッパ的気質とアジア的気質との特徴的な相違を示している、とすぐに付け加えるべきである。アリストテレスの関心は、決して人文主義だけに限られていなかった。彼は生涯で最も幸福な年月をエーゲ海周辺の島々で過ごし、魚類や海洋生物を観察し、ダーウィンを感嘆させた生物学論文の資料を準備したとされる。 アリストテレスのこれほど広範な知的好奇心を、孔子その他の東洋の教師がこれほど強調した謙虚さと結びつけることは、おそらく容易ではない。アリストテレスは、キリスト教思想だけでなく、ユダヤ教とイスラム教の宗教思想にも、ほとんど計り知れないほど大きな影響を与えた。それでもアリストテレスの神殿というものには、何か微妙な不調和を感じるだろう。これに対して、孔子の神殿が同じように不調和だと感じるために、儒教徒である必要はない。孔子はアリストテレスのような「知る者たちの師」ではなく、「意志する者たちの師」であった。あらゆる人が心の奥では自分の弱さを知っている、まさにその点で彼は強かった。拡張的欲望に課そうとした節度、すなわち内的統制の原理は、明らかに意志の性質である。孔子は蒙昧主義者ではないが、意志との関係における理性の役割は、彼の見方では二次的かつ手段的である。アリストテレスからソクラテスへ目を転じても、ソクラテスの関心は孔子と同じく、ほとんど全面的に倫理的だったにもかかわらず、東洋的気質と西洋的気質の同様の対照が現れる。ソクラテス的な徳の観念は、精神または知性を第一に強調することを促す。さらに西洋は、キリスト教の形で現れた「意志が第一である」という東洋的主張から自らを解放して以来、ルネサンス以後ますます、知識は徳であるというソクラテス的命題ではなく、知識は力であるというベーコン的命題へ専念してきた。

伝統的宗教の衰退とともに謙虚さが減少したことを否定する人は、ほとんどいないだろう。ファゲが指摘するように、「謙虚さ」という語そのものが、遠くない将来、古語辞典へ追いやられるかもしれない。この語がなお生き残っている場合でさえ、しばしば誤って用いられる。 たとえば、科学者が自然の神秘と無限性に対して示すべき慎みを表すために使われることがある。また、人が他人と自分を比べたときに示す遠慮、場合によっては卑屈さの同義語として用いられることもある。自然に対しても他人に対しても思い上がらないことは望ましい。しかし謙虚さは、別の、パスカルが強調するところでは超自然的な秩序に属する。この意味で理解された謙虚さが、他のあらゆる徳の根であるというバークの主張は、第一原理に関わるため、調停や妥協の対象にはならない。それは真として受け入れるか、偽として退けるかのどちらかである。この主張を真として受け入れる者には――私自身もそうである――、なぜ西洋で謙虚さがこれほど覆い隠されたのかという問題が生じる。明白な答えは、謙虚さが過去に、特定の教義、とりわけ堕落の教義と神の恩寵の教義に結びつけられており、それらの教義が批判的精神の成長によって掘り崩される傾向にあったということである。個人は、これらの教義が究極の承認を得ていた外的権威、それが啓示の権威であれ教会の権威であれ、そこへ服従することを次第に拒むようになった。そして自立心の増大とほぼ正確に反比例して、謙虚さが減少したと言いたくなる。真の近代人になろうとする者、言い換えれば、権威であるという理由だけで権威へ服従することを拒む者は、重大な問題に直面する。謙虚であると同時に自立することは、明らかに容易ではない。自立の教説そのものが、謙虚さの観点から見ると、古代ギリシアから現代に至るまで、西洋ではひどく曇った履歴を持つ。自立(autarkeia)を最初に唱えた人々の一つであるキュニコス派を、謙虚さと結びつける者はいないだろう。ストア派もまた自立を支持した。パスカルによれば、彼らは出発点の前提において「悪魔的な高慢」の罪を犯した。この表現は、特にマルクス・アウレリウスのような一部のストア派へ適用するには強すぎるとしても、ストア派一般を、柔和で心の低い人々の実例として挙げることはほとんどできない。

近代の自立の使徒へ移るなら、何より先に思い浮かぶのは、おそらくルソーと『エミール』におけるその擁護である。彼の謙虚さがどの程度のものだったかは、『告白』の最初の一頁を読めば十分に明らかになるはずだ。またアメリカにおける自立の主要な擁護者エマソンが、際立って謙虚だったと主張することもできない。

謙虚であると同時に自立しようとする試みに含まれる問題を理解するには、ルソーとエマソンがいくつかの点で復活させた古代の個人主義へ戻り、その最終的失敗の原因を突き止める必要がある。すぐに分かるように、ストア派が楽観を主として基礎づけるのは、ルソーのような本能への信頼ではなく、理性への信頼である。正しいことを知ることは、それを行うこととほぼ同じだとされる。こうして理性と意志は同一化する傾向を持つ。ストア派自身は、この点で単にソクラテスの足跡をたどっていると考えた。実際、この問題全体は、知識と徳を同一視するプラトン的・ソクラテス的立場と密接に結びつく。そしてここから再び、知性と意志の関係をめぐるヨーロッパ人とアジア人の大きな争点が生じる。すでに述べたように、アジアの主要な宗教的指導者たちは、人間が平安への道へ入るには、自然的自己において服従しなければならない高次の意志を、何らかの形で主張した――そしてアジアの心理学では、知性も自然的自己に属する。プラトンと仏陀を比較すれば、この東西の対照を明らかにする助けになるだろう。仏陀もプラトンと同じく、哲学と宗教を結びつけようとした。しかしそれでも、精神の役割に置いた力点はプラトンよりはるかに小さい。仏陀が挙げた「思惟してはならない事柄」の一覧は、生を深い意味ではまったく知りえないという否定にほぼ等しい。仏教の「心」(mano)がプラトンの「知性」(nous)と正確に一致するとは言えない。それでも、仏教徒にとって心が流転の器官であるのに対し、プラトンが知性を第一位へ高めることは重要である。仏陀によれば、自分の「心」を恒久的だと思い込むよりは、自分の身体を恒久的だと見る方がまだ罪は軽い。仏教徒なら、少なくともパルメニデスにまで遡る、思考と存在を同一視する傾向こそ、西洋哲学の根本的な誤りだと考えるかもしれない。 人間のように空想的で儚い存在が、なぜ思考であれ、自分の他のどの部分であれ、それを存在そのものと同一視するのか。ピンダロスが言うように、「われわれは何者か。何者でないのか。人間は影の夢にすぎない」。ピンダロスは、人間を「夢の影」と呼ぶことさえ、その恒久性についての自負を過度に持ち上げるのではないかと恐れたらしい。自己または外界にある無常の要素を、どのような意味であれ理性だけによって超越できると思うことは、「幻想が現実の不可欠な一部である」ことを忘れることである。「理性」を過度に信頼する者は、何らかの静止した「絶対」を立てやすい。他方、流転と相対性を支持して絶対を捨てようとする者は、同時に基準まで捨てる傾向がある。絶対主義者も相対主義者も、ともに事実を知的に作り変える誤りを犯す。実際に経験される生では、一性と多性が分かちがたく混じり合っているからである。

東西の比較へ戻ると、仏教徒は一見、流転の使徒たちに属するように見える。実際、仏陀とベルクソンはともに「生成の哲学者」であるという理由から、両者が比較されたこともある。時間的・空間的な隔たり以外の理由からも、この二人の名を並べることには驚かされてよい。ベルクソンは変化と自然主義的な拡張性を積極的に楽しみ、すでに見たように、その生命の躍動(élan vital)の哲学が帝国主義へ直結すると明言する。これに対して仏陀は、少なくともプラトンと同じほど流転から逃れることへ関心を寄せ、帝国主義的であるどころか、本人の言葉で「静けさ、知識、最高の知恵、涅槃」に資するものだけへ、他のすべてを排して向かう。流転の哲学と宗教的な平安・謙虚さとのこの結合は、西洋で見てきたどのものとも異なり、仏陀を扱う際には最大限慎重に進まなければならないという警告になる。少なくとも、仏陀が西洋の伝統に属する哲学者から分かれる地点について、ある程度の推測はできる。徹底した個人主義者である仏陀は、一と多の問題へ取り組まざるをえない。事物のうちに、多様性と変化を測るための統一原理が存在しないなら、個人は基準を失い、必然的に無政府的な印象主義へ陥る。ところが真のアジア人である仏陀は、この統一原理を知性ではなく意志のうちに発見する。本人が高度に分析的であるため、知性にも重要な役割を与えるが、結局その役割は二次的かつ手段的である。知性の言葉で生を直接扱おうとする試みは、どの形を取るにせよ、大洋を一つの杯へ収めようとすることに等しい。生は行為する者にだけ、その秘密を明かす――仏陀はそう言っているように見える。そして行為のあらゆる形態のうち、最も困難なのは内的行為である。仏陀だけでなくキリストを理解する第一歩は、二人がともに、アジア人がその偉大な瞬間に理解した意味で、何より行為の人だったと見ることである。仏陀は理論を最小限へ減らそうとする。西洋で最も思弁的でない哲学者でさえ、彼にはまだはるかに思弁的すぎると見えただろう。仏陀は時代を超えた知恵を一文へ圧縮することに成功した。「一切の悪をなさず、善を成し遂げ、自らの心を清めること――これが目覚めた者たちの教えである」。 仏教の注釈は興味深い。この言葉を繰り返すだけなら、何も意味していないように思われる。しかし実行しようとすると、あらゆることを意味すると分かるのである。

一と多の問題を主として認識の問題として扱おうとするあらゆる試みに内在する困難の一部は、プラトンのイデア論に現れている。同じ種類に属する個々の対象すべてに、一性の要素があることは直接に知覚できる事実である。たとえば個々の馬すべてには一性の要素があり、プラトンの言葉では、この一性が馬のイデア、すなわち天上の原型である。不幸にも、この段階を越えなければ、一性は単なる抽象物、最後には単なる言葉にとどまる――そして人間の本性は具体的なものを求める。一性と多性との関係を知的に扱おうとする試みは、プラトン自身が『パルメニデス』後半で示した種類の困難へ至るように思われる。単なる抽象からどう逃れるかというこの問題は、あらゆるイデアのうちの主要なもの、すなわち善または神のイデアの場合にも現れる。それはまた、人間のうちで最も高貴なものとも一致する。善のイデアを表す語は、卓越した意味での「言葉」、ロゴスである。ギリシアのロゴス観念が、ユダヤ人フィロンのような媒介者を経て、『ヨハネによる福音書』の著者へ伝わった過程は、ある程度までたどることができる。ロゴスの問題に対するキリスト教的解決のうち、特にアジア的な要素は、明示的であれ暗黙的であれ、神の理性を神の意志へ従属させることにある。この意志の働きによって、抽象的・一般的な知恵と、個別的・具体的な人間との隔たりがついに架橋され、「言葉は肉となった」。具体的なものを求める人間の欲求は、最も本質的な点で満たされる。受肉の真理を、純粋に心理学的な根拠から言い表すなら、それは、より絶対性の低い形ではわれわれ全員が経験してきた真理である。人間の心を苦しめるあらゆる疑いへの最終的な答えは、どれほど完全であっても何らかの行為の理論ではなく、人格ある人間なのである。ポンティウス・ピラトは、「真理とは何か」と尋ねたとき、ヨーロッパ人として語った。別の機会にキリストは、アジア的な答えを与えた。「私は道であり、真理であり、命である」。人格をこのように強調する点で、キリスト教は最も確実な観察によって裏づけられる。キリスト教が確実な観察を超えるのは、神的であり人間的でもある人格を、無限と永遠の領域へ途方もない規模で投影するところである。

もちろん私はこの議論全体で、計り知れないほど困難で複雑な主題を単純化しており、プラトンその他のソクラテス派へ不当な扱いをする危険を冒している。プラトンに、ほとんど尽きることのない知恵の蓄積があることを知らないわけではない。批判的精神を過度に犠牲にせず宗教的洞察へ達しようとする者にとって、彼は今なお主要な助けの一つであるに違いない。それでも、知識と徳を同一視するプラトン的・ソクラテス的立場には、ある疑問を抱かずにいられない。この同一視は浅薄なのではない――プラトンやソクラテスのような人物は、決して浅薄ではない。知識が、これに反して行動することが火中へ手を入れるようなものとなるほど完全になることは、考えうる。また人が何らかの誤謬の迷路から苦闘して抜け出した後には、その誤謬が意志の欠陥以上に無知から生じたように、振り返れば必ず見えるだろう。それにもかかわらず、ソクラテス的命題は、いくつかの点で普遍的経験に反する。人々は悪いと知っていることを行うだけでなく、それを行うことに倒錯した満足を覚える場合も多い。神学者がいう「故意に悪い思いを味わい続ける快楽」(delectatio morosa)を先取りして、オウィディウスはこのことを最初に指摘した者の一人だった。 われわれの問題は、自立すると同時に謙虚であることだと改めて確認しよう。しかしギリシア哲学のように知性へ第一位を与えながら、同時に謙虚さを保つことは容易でないと分かるだろう。他のあらゆる高慢は、知性の高慢と比べれば無に等しい。そして知性の高慢が最も明白に現れるのは、善悪を知ろうとする試みにおいてである。堕落の神話には、これほどの心理的真理が含まれているように思われる。

私の意味は、ソクラテス運動をその実によって研究すれば、最もよく明らかになるかもしれない――ここでソクラテス運動には、プラトンの影響と、少なからぬ程度までアリストテレスの影響も含める。プラトンは主として宗教的水準で活動したのだから、プラトンのアカデメイアには宗教の実が現れると期待されたはずである。ところがアカデメイアが生み出したのは、概して懐疑主義へ傾いた多数の優れた知識人だった。もちろんソクラテス本人がそうしたように見えるように、懐疑的基礎の上へ信仰を築くことは可能である。しかしアカデメイアにおけるプラトンの後継者たちが、この形または他の形の信仰を達成したとは到底言えない。いずれにせよ、アカデメイアと仏陀が創設した教団との対照は著しい。古い記録を研究する者は誰でも、この教団には多くの信仰者、聖パウロがこれほど見事に定義した霊の実を実らせ、それゆえ聖者と見なされるに値する人々がいた、という確信を得られる。

真相は、ギリシア人が伝統的基準から解放されると、かなり急速に単なる合理主義へ滑り落ちたということである。単なる合理主義は、ストア派の形であれエピクロス派の形であれ、人間の心の拡張的欲望を統制できないという、いつもの無力を示した。ストア主義は、普遍的妥当性を持つ、人間どうしを結合する原理へ達しようとした。言い換えれば、宗教の仕事を果たそうとしたのである。この普遍的原理を理性のうちに見いだし、同時に、理性に従って生きることは自然に従って生きることだと宣言した。ストア派は、人間の理性が、外から受ける印象と拡張的欲望に、他の助けなしで勝てると想定した。後代のギリシア・ローマ思想において、ソクラテスの教えだけでなく、プラトンとアリストテレスの教えの重要な側面まで見えにくくなったことは疑いない。同時に、正しい意志は正しい知識から生じると想定したストア派は、すでに述べたように、自分を真のソクラテス主義者だと考えていた。この点で真のソクラテス精神を取り逃がしたのだとすれば、その精神はかなり取り逃がしやすいものだった、と結論せざるをえない。

ストア主義は全体として逆説的な運動だった。物質的秩序だけが実在すると断言しながら、物質的秩序が与えない「徳」を最高に強調した。言い換えれば、一元論的な前提に立ちながら、真に二元論的な哲学と通常結びつく実を得ようとし、ある程度は実際に得た。多くの長所と部分的成功にもかかわらず、ストア主義は全体として失敗だった。そして行為の問題を批判的に扱い、言い換えれば健全な型の個人主義を作り出そうとしたギリシアの試み全体についても、同じことを言わなければならない。私が示唆したところでは、ギリシア哲学が失敗したのは、相互に密接な想像力の問題と、高次の、すなわち倫理的な意志の問題を、十分には扱っていないためである。「幻想は現実の不可欠な一部である」と考え、同時に、謙虚さを確保するには意志が知性に先立たなければならないというアジア人の立場を支持する者は、ギリシア哲学の危険が初めから、一種の頑固な知性主義にあったと結論せざるをえない。

キリスト教は、ギリシア哲学に欠けていたものを供給した。理性を謙虚にする教義を立てると同時に、人間の想像力を統制し、想像力を通して意志を統制する象徴を生み出した。この東洋の信仰が供給した基礎の上で、ギリシア・ローマ世界の崩壊後、また蛮族侵入による荒廃のさなかに、ヨーロッパ文明を再建することが可能になった。しかしこの再生の仕事は、少なからぬ程度まで批判的精神を犠牲にして成し遂げられた。その結果、個人に「先立ち、外在し、上位にある」権威が勝利した。ギリシア人の理性への信頼がいくつかの点で誤りだったとしても、あらゆる形の意志崇拝にも危険と困難があることは認めなければならない。ニーチェ的な形の意志崇拝の危険について詳述する必要はほとんどない。しかし倫理的意志を崇拝する東洋の立場でさえ、落とし穴に囲まれている。釘の寝台へ横たわり、あるいは腕が萎えるまで空中へ掲げ続けるヒンドゥー教の苦行者は、東洋的な意味で意志を働かせているが、それを知的に働かせているとは到底言えない。また高次の意志が、逐語的にも完全にも霊感を受けた言葉によって、一度限り永遠に啓示された神の意志として考えられる場合、おそらくイスラム教に最も明白に現れる欠点と困難が生じる。その効果は、人間生活を硬直した決定的な鋳型へ押し込むことである。流転と相対性の要素を、絶対的理性のために見落とすことが危険なのと同じく、絶対的意志のために見落とすことも危険である。イスラム教徒にも、「幻想は現実の不可欠な一部である」ことを忘れる独自の仕方がある。さらに意志が、絶対的で何ものにも責任を負わず、同時に超越的なものとして考えられると、個人は確かに謙虚にはされるが、自立するどころか、東洋的な宿命論へ陥りやすくなる。

現在の主題のためには、東洋における意志崇拝一般の困難だけでなく、キリスト教徒が実践してきた意志崇拝、とりわけ恩寵の教義に現れる形の困難も考察しなければならない。言うまでもなく、聖アウグスティヌスは、この問題についてのパウロの教えを発展させるうえで、他の誰よりも大きな働きをした。そしてこの点でも他の点でも、中世以後のキリスト教へ、ほとんど計り知れない影響を及ぼすことになった。聖アウグスティヌスが、ある程度の正当性をもって「キリスト教のプラトン」と見なされることはよく知られている。彼にとってもプラトンにとっても、最高の対照は、一方の「流動し滅びゆくもの」(fluxa et caduca)と、他方の「確実で永遠なもの」(certa et aeterna)との対照である。しかし二人をさらに比較すると、知性と意志の相対的重要性について、力点が根本的に移動していることが分かる。聖アウグスティヌスは自ら述べるように、ただ二つのもの、神と魂だけを知りたいと願う。「私は神と魂を知ることを望む。ほかには何もか。まったく何もない」(Deum et animam scire cupio. Nihilne plus? Nihil omnino)。神は主として知性ではなく意志として捉えられる。人間の魂もまた、その本質的な面では意志へ還元される。「私が持つのは意志以外の何ものでもない」(nihil aliud habeo quam voluntatem)。しかし人間の意志は、堕落によって神の意志から望みなく引き離されている。両者の隔たりは、恩寵の奇跡によってしか越えられない。そしてこの奇跡自体が、贖罪の奇跡に依存する。人間の意志が神の意志と調和するためには、キリストの仲介だけでなく、教会、秘跡、そして秘跡を執行するために必要な精緻な聖職位階制の仲介も必要となる。プラトンが考えたように正しい意志が正しい知識から生じるどころか、堕落した人間は悪そのものを楽しむ。聖アウグスティヌスは、少年時代に盗んだ梨について、舌にこれほど甘かったのは梨そのものの味ではなく、自分の罪の味だったと言う。さらに、この意志の倒錯は、もともと知性とその高慢から生じた。人間は善悪を知る神のようになろうとしたのである。こうして知性は正しく従属的な位置へ置かれただけでなく、積極的な疑いの対象にもされた。蒙昧主義への道が開かれた。人間は謙虚にされ、その意志は再生されたが、すでに述べたように、それは程度の差こそあれ批判的精神を犠牲にしてのことだった。キリスト教にこの非批判的要素がある歴史的理由は、おそらく他のほとんどの教説以上に、社会の底辺から上層へ向かって浸透したことにある。いずれにせよ、人々は不合理であるがゆえに信じるよう求められ、 無知は信仰心の母であると宣言された。人々が自立することをやめ、とりわけソクラテス的なギリシア人のように知性へ頼ることをやめたため、教会は再生の仕事をいっそう効果的に行えたのだ、と論じることもできる。「それでは正義は無知の娘なのか」とルソーは問う。「学問と徳は両立しないのか」。西洋の歴史が、この点について若干の疑いを生じさせることは認めなければならない。アクトン卿は多少誇張して、いわゆる暗黒時代は精神的には光に満ちていたと言う。 これに対して、知的に「啓蒙された」18世紀は、バークが嘆いたように、精神的には闇に満ちていた。

18世紀的な意味での「啓蒙」の始まりは、中世そのものへ、少なくとも13世紀にまで遡る。意味深い一致は、この知性解放の萌芽と異端審問所の設立が同時に起きたことである。知性の本格的解放は、ルネサンスとともにかなり進展した。人々は再び自立するようになり、ほぼ同じ程度に謙虚さを失っていった。古代ギリシア人と同じく、再び生を主として認識の問題として見る方へ傾いた。ただし彼らがますます求めた知識は、ソクラテスが目指した倫理的知識ではなく、自然的秩序についての知識だった。倫理的知識は、理解不能な教義と分かちがたく結びついているように見えた。同一人物の心中でさえ、古い謙虚さと新しい知的探究の精神とのあいだに、鋭い衝突が起きるのは避けられなかった。著名な科学研究者であると同時に、深遠で胸を打つ宗教著述家でもあったパスカルの場合を考えてみよう。彼は自然的秩序には批判的・経験的精神を全面的に適用するよう勧めるが、自然的秩序を超えるあらゆる事柄では、啓示と教会という二重の外的権威の前に、批判的精神を退位させようとする。 霊的真理を、幼児の永罰のように、理性へ最も反する教義と同一視する。 確かに人間の高貴さはすべて理性にある。しかしこの高貴さ自体は、それほど役に立たない。理性が想像力の玩具であり、弄ばれるものだからである。ここには、すでに指摘したように、キリスト教の心理学と、理性が想像力に勝利できると考えるストア派の心理学との、最大級の衝突がある。

理性がこのように想像力の玩具であるなら、ストア派的な形であれ他の形であれ、あらゆる自立はむなしい。人間の唯一の希望は、神の恩寵という形を取る恣意的な意志にある。パスカルは、恩寵による突然の照明を「心」と呼ぶ。「心には、理性の知らない理由がある」。こうして恩寵という形の意志は理性と対立し、その理性はさらに想像力と対立する。しかし健全な個人主義者になるには、理性と想像力が、私が倫理的意志と定義した人間内部の力へ奉仕するため、協力しなければならないのかもしれない。

これまで述べたことから、個人主義者にとってパスカルが価値を失ったと推論してはならない。彼が謙虚さを擁護し、知性の高慢へ反対して提示する論拠の多くは、今なお有効である。単純な理由は、それらが教義的ではなく、鋭く心理学的だからである。パスカルが示すように、人間は一方では微小さの無限、他方では巨大さの無限という、二つの無限のあいだに捕らえられ、そのどちらをも把握できず、事物の本質が人間から逃れ、永遠に逃れ続ける。これを見ながら、なぜ人間は高慢でいられるのか。無限にまで届く塔を築くための堅固な基礎を見いだしたと考えるとき、その基礎は突然崩れ、「大地は深淵まで口を開く」。このような堅固な基礎を欠く人間には、自分の知識が真の知識であるという保証も、それが夢の中の夢以上のものだという保証もない。しかし人間をその無知以上に謙虚にするものがある。助けを受けない理性が、外から受ける印象と拡張的欲望を有効に統制できないことである。この点では、現実的な観察はストア派ではなくパスカルの側にある。人間特有の盲目は、自分の支配的欲望が何であれ、その欲望に制限を受けることを望まないところから生じる。エラスムスなら言うであろうように、自分の愚行を自由に追い求めたいのであり、最後には、物事の本性のうちに設けられた限界へ衝突するという、かなり苦痛な過程を経て、その限界を発見する。この人間的傾向はあまりに普遍的でありながら、そこへ下される罰はあまりに苛酷であるため、最後には、生そのものにある種の裏切りが潜んでいるという印象を受ける。このような事情のもとでは、ジャンセニストでなくとも、おそらくキリスト教徒でさえなくとも、「恐れおののいて自分の救いを達成する」という古い方策に、現代の「危険に生きる」という方策よりも一定の長所があると認められる。後者は、畏敬と謙虚さから背を向け、驚異と好奇心を際限なく外へ伸ばすことを選ぶのと、結局は同じことだからである。

ギリシア人が見抜いたように、人間の拡張的な思い上がりは傲慢な過剰(hybris)を生み、それが盲目(atē)を生み、盲目がさらにネメシス、すなわち応報を招く。ネメシスによって抑えられる拡張的な思い上がり――これは、人間本性の本質的な一面についての定義であり、歴史的事実から相当な裏づけを得ている。人間は深淵の縁へまさに立っているときほど、自信に満ちて突進することはないようにさえ見える。第一次世界大戦前夜のヨーロッパの病は、無知というよりギリシア的な意味での盲目だった。ネメシスの働きを明瞭に知覚したことこそ、偉大なギリシア詩人、さらにはその中で最も倫理性の低いエウリピデスにさえ、卓越性を与えている。

黄金と幸運は、勝ち誇る権力を
かたわらに繋ぎ、虚栄に満ちた愚かさのうちに
人を破滅へ急がせる。
人は法を追い越し、無法が鞭打って
さらに速度を上げる。その心は
結末へ注意を向けない――見よ、突如その車は衝突し、
闇の中で砕け散る。

歴史的事実のうちに大規模に現れた人間の無知と盲目を考察すれば、謙虚さに積極的な基礎が与えられる。人間は何らかの高次の意志へ自らを従属させる必要があり、何よりも知性がそのような統制を認める必要がある、と偉大な宗教的指導者たちが主張したのは、結局のところ正しかったのかもしれないと感じるようになる。知性を無制限に放置すること、すなわち「知ろうとする欲望」(libido sciendi)から生じる危険は、おそらくあらゆる危険のうちで最も根本的である。「知性の、あらゆるものを腐食し、あらゆるものを溶解する力を阻み、挫くため、真正面から対抗するものは何でなければならないのか」とニューマン枢機卿は問う。本人の解答をどう評価するにせよ、少なくとも本質的な問いを発したのである。不幸にも、知性の高慢を取り除く際、キリスト教徒はしばしば知性そのものまで取り除き、少なくともそれを過度に低く評価する傾向を示した。 ここから、すでに指摘したキリスト教の蒙昧主義的傾向が生じる。知性を最大限に用い、同時にそれを正しく従属的な位置へ保つという課題は、これまでの西洋人の能力を超えていたように見える。不当に思い上がる理性と、多かれ少なかれ軽信と同一化した信仰との戦いこそ、ギリシアから今日に至る西洋文化の真の病だったと判明するかもしれない。頭と心とのこの争いは、言語の形にまで痕跡を残した。いくつか例を挙げると、古いフランス語の用法では「強い精神」(esprit fort)の人であることは、無神論者であることとほぼ同じだった。他方、「祝福された者」であることは「間抜け」(benêt。ラテン語 benedictus に由来)であることだった。また「無垢な者」(innocent)は愚か者を意味する。これはおそらく、「悪魔のように頭が切れる」と言われる人物との対照である。英語の silly は、語源的にはドイツ語の「聖なる、祝福された」を意味する selig と同じ語である。

ルソーは、自分の心と頭が同じ一人の人間に属するようには思われないと言ったとき、新しい、そして後で示そうとするように、さらに悪い形の蒙昧主義を導入したにすぎない。頭と心との対立は、ルソー主義的な形で今日まで続いている。キリスト教徒ではないことに何の疑いもない哲学者たちでさえ、知性と直観とのあいだには多かれ少なかれ完全な対立があると、今なお想定する。そのためベルクソン的な意味で生命的であることは、反知性主義的であることとほぼ同じになる。

しかしさらに重要な対照は、恩寵の支持者と、何らかの形で知性の優位を主張する者との対照である。恩寵の教義が、中世的形態のヨーロッパ社会という建物全体の要石だったことは示せる。この教義が崩壊してもヨーロッパ文明が存続できるかは、望まれるほど明らかではない。いずれにせよ、自立するだけでは足りず、謙虚でもなければならないと考える個人主義者の問題は、恩寵に代わる何かを発見することである。ここでアジアの全経験を考慮することが有益となりうる。分別のある者なら、極東が西洋より全般的に倫理的に優れているとは主張しない。しかし極東は少なくとも、理性と信仰との戦争という西洋文化の大病から、比較的免れてきた。仏陀と孔子はいずれも、謙虚さを自立および批判的精神の育成と結合することができた。それゆえ、アジアが過去に体現してきた要素を、近代的な仕方で自分の生活へ回復したい者にとって、二人は助けになりうる。何らかの回復がなければ、西洋は速度と権力への欲望によって狂気へ陥る危険がある、と考える者にとっても同じである。平安の要素をアジア的要素と呼ぶことによって、私は地理的その他の宿命論を立てようとしているのではない。たとえば中国は、西洋からの圧力のもとで産業革命を経験するかもしれない――漢口はすでに東洋のピッツバーグの様相を帯びつつある――。そしてこの革命には、伝統的エートスのかなり急速な崩壊と、そこから純然たる道徳的混沌へ陥る危険が伴うだろう。他方、西洋は倫理的意志の諸真理を再確認できるだけでなく、それを適切に近代的な仕方で、しかも東洋でこれまで見られたものとは明確に異なる力点を置いて、再確認できるかもしれない。この主題を扱うには、近代人であると称する者はすべて、語のいずれかの意味で自由主義者である、という事実を出発点とするのが最善である。古いものから新しいものへの移行で何らかの生命的要素が欠落したのなら、その欠落が最も明瞭に見えるのは、自由の定義においてであろう。アクトン卿は『自由の歴史』を、そのような定義百件から始める計画を立てていた。その百件のどれかが、現在のわれわれの必要、すなわち私が自由の求心的要素と呼んだものを徹底して批判的な仕方で確保するという必要を、正確に満たしたかは確かでない。この課題に失敗すれば、完全な近代人であることをやめ、単なる近代主義者になる。近代主義者は、真に重要な対立は、一方の自由主義者と他方の反動主義者との対立だと想定するのが常である。しかしさらに重要な対立は、真の自由主義者と偽の自由主義者との対立であると判明するかもしれない。

原注

より古い宗教がキリスト教へ与えた影響については、問題が生じる。この主題については多くが主張されてきたが、証明されたことはほとんど、あるいはまったくない。積極的に分かっているのは、アショーカがシリア、エジプト、キュレネ、マケドニア、エピロスへ宣教師を派遣したことだけである。この布教活動の成果については伝えられていない。各碑文の翻訳は、ヴィンセント・A・スミス『アショーカ』(Asoka、第2版、1909年)に収録されている。

『ダンマパダ』第96偈。

タゴール『ナショナリズム』(Nationalism)全編参照。

いわゆる「縁起の連鎖」をたどること。

たとえば孔子について、コレージュ・ド・フランスの故エドゥアール・シャヴァンヌ教授は、次のように述べている。「孔子は、紀元前500年頃、いわば国民的良心となり、遠い古代の経書がその最初の輪郭を示している深い観念へ、明確さと確証を与えた。……彼は、中国が数世紀をかけて徐々に形成した道徳的理念へ従う必要を説き続けた。同時代の人々は、安楽や利益を放棄することがあまりに困難だと考え、彼に従うことを拒んだ。それでも彼らは、その声が人間を超えた権威を持つと感じた。遠い過去から到来する力強い精神に触れ、祖先がかいま見た真理を自分たちの内に呼び覚まされると、彼らは感動し、存在の深部まで揺さぶられた」。『中国人のいくつかの道徳観念』(Quelques Idées morales des Chinois。もとはソルボンヌで行われた講演で、『世界周遊協会会報』〔Bulletin de la Société autour du Monde〕1918年1–5月号、47頁以下に掲載)。

D・W・トムソン「アリストテレス」、The Legacy of Greece、144頁参照。

ヒュームには、動物の謙虚さについての議論まである。『人間本性論』(Treatise of Human Nature)第2巻第1部第12節。

ブラウネルは、エマソンほど謙虚さの乏しい人物はありえない、とまで述べる。American Prose Masters、176頁。

ディールス『ソクラテス以前の哲学者断片集』(Fragmente der Vorsokratiker)第1巻、117頁参照。

パーリ語原文では八語。『ダンマパダ』第183偈参照。

「私はより善いものを見、それを是認しながら、より悪いものに従う」(Video meliora proboque, deteriora sequor)。「われわれはつねに禁じられたものへ向かい、拒まれたものを欲する」(Nitimur in vetitum semper, cupimusque negata)。

「不合理であるがゆえに、私は信じる」(Credo quia absurdum)という句そのものは、テルトゥリアヌス『キリストの肉について』(De Carne Christi)の有名な第5章には実際には現れないが、その章全体の意味を正しく要約している。

「その後に、正当にも暗黒時代と呼ばれる時代が続いた。そこでは、それ以後に享受されたあらゆる幸福と、人間が成し遂げたあらゆる偉大さの基礎が築かれた。……それは際立った聖者の時代ではなかった。しかし聖性がこれほど広く行き渡った時代はほかにない。最初の数世紀の聖なる人々は、周囲の腐敗のただなかから、強烈な輝きを放っている。大教義論争の終結から、新しい神学の興隆と、ヒルデブラント、アンセルムス、ベルナールによる新たな関心の開始まで、文字文化の乏しい五世紀には、聖者の大群が満ちている。彼らの大半は個人としては目立たない。周囲が光の雰囲気に包まれているからである」。アクトン『自由の歴史』(History of Freedom)、200頁。

パスカル「真空論断片」(Fragment d’un Traité du vide)参照。

パスカル『パンセ』(Pensées)、434。

エウリピデス『ヘラクレスの狂気』(The Madness of Hercules)744行以下。A・S・ウェイ訳。

ニューマン枢機卿自身から例を引くことができる。「知性そのものとは何か」と彼は問う。「それは堕落の実であり、幼い子どものうちに見いだされないのと同じく、楽園にも天国にも見いだされず、せいぜい教会によって容認されるにすぎず、再生された精神と辛うじて両立しうるものではないか。……理性は神の賜物であり、情念も同じである。……エバは情念と理性に従うよう誘惑され、そして堕落した」。『教区説教集』(Parochial and Plain Sermons)第5巻、112頁。

「知性は、生に対する生来の無理解によって特徴づけられる」(L’intelligence est caractérisée par une incompréhension naturelle de la Vie)。ベルクソン『創造的進化』(Évolution créatrice)、179頁。

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第6章 真の自由主義者と偽の自由主義者

近代人が最後には迫られる選択は、ボルシェヴィキになるか、イエズス会士になるかのどちらかだ、と言われている。その場合――イエズス会士という語で教皇至上主義的なカトリック信徒を意味するものとすれば――、選択にさほど迷う余地はないように思われる。教皇至上主義的カトリシズムは、ボルシェヴィズムのように文明の根そのものを攻撃するわけではない。実際、すでに一部が見え始めているある種の状況のもとでは、西洋で文明の基準を擁護すると期待できる唯一の制度が、カトリック教会になるかもしれない。しかし、徹底して近代的でありながら、同時に文明的であることも可能かもしれない。この可能性をさらに詳しく考察する前に、少なくとも表面的には、いま述べた極端な二者択一を強いるように見える現在の状況が、どのような過程を経て生じたかをたどることが有益であろう。

この過程をたどれば、すべては最終的に、統制の原理との関係における自由の観念へ懸かっていることが分かる。旧秩序のもとでは、すでに述べたように、霊的統制の究極の源泉と権威は恩寵の教義にあった。したがって、ルネサンス以後、個人が外的権威から次第に解放され、それに伴って自然主義的傾向が成長するなかで、この教義がどのような運命をたどったかを、ある程度見なければならない。

教会内部のいくつかの集団、とりわけジャンセニストは、芽生えつつあった自然主義運動へ対抗して、恩寵の教義をアウグスティヌス的な厳格さの全幅において復活させようとした。この教義はもともと、キリスト教の彼岸志向が達した頂点を示していたが、ジャンセニスムが復興した時代、人々はますます断固として現世へ向かっていた。サン=テヴルモンの見積もりでは、ジャンセニストの聖性の基準を満たせる人間は、フランスに十人もいなかった。ジャンセニストは、それ以外のすべてのフランス人を外の闇へ追いやるかのように見えた。恩寵についてより穏健な解釈を支持した点で、カトリック教会は単に健全な判断を示したのである。より疑わしかったのは、ジャンセニストが求めた人間の神への内的依存に代えて、人間の司祭への外的依存を置こうとした傾向である。現在の主題のためには、教会が個人をその権威へ服従させようとして、キリスト教教説の厳しさを過度に隠したという非難が正しいかどうかを考察する必要はない。要するに教会は、ボシュエの言葉を借りれば、「罪人の肘の下へクッションを置く」ことになるような、決疑論的な弛緩を黙認した、と非難されている。ここで指摘すべきことは、あらゆる種類の個人主義的傾向に対する教会の回答が、教皇権の中央集権化をますます強めることだったという点だけである。意味はまったく異なるとはいえ、教皇至上主義的カトリック信徒についても、恩寵の極端な支持者についてと同じく、本人は自立を端的に拒絶したのだと言える。

教皇至上主義的カトリシズムが、これほど非妥協的に拒絶した個人主義の諸類型を理解したいなら、恩寵の教義と宗教改革との関係も研究しなければならない。言うまでもなく、ルターとカルヴァンはいずれもこの教義を第一に強調したが、その強調の仕方は完全には同じでなかった。宗教改革は、その根底の前提からすれば批判的な運動である。それは、ローマの神政によって歪められたと見なした真正のキリスト教教説を回復しようとした。この神政に対して批判的態度を取るよう個人へ促した。別の言い方をすれば、私的判断の権利を行使するよう促したのであり、それは個人に自己依存と自立を勧めることにほかならない。しかしプロテスタントは、自立しながら同時に恩寵の教義を擁護しようとした瞬間、特有の困難へ陥った。ルターとカルヴァンが復活させようとしたパウロ的・アウグスティヌス的形態の恩寵の教義は、自立を真っ向から否定するものだったからである。それは、人間に神の意志への完全で無力な依存を感じさせるための教義だった。人間が自立するには、二つのものが必要と思われる。健全な基準を持ち、その基準に基づいて行動する自由を持たなければならない。基準を得るには知性が必要であり、基準に基づいて行動するには意志が必要である。ところがルターは、個人主義者でありたいと願いながら、同時に、知性を嘲り、意志の自由を否定した初期キリスト教の蒙昧主義者に従おうとする。「業の契約」は堕落によって廃棄され、人間の意志は罪に無力に隷属しているため、 救いに役立つ働きをなしうるのは神だけである。したがって、人間の唯一の希望は恩寵の契約と贖罪の仕組みにある。それ以外の見解を持つことは、謙虚さを根底から損なう。もちろんルターが「業」に極端な敵意を示したのは、業を儀式・典礼の遂行、とりわけ悔悛に伴う「償いの業」(satisfactio operis)と同一視していたことにもよる。

ルターその他の改革者たちは教会から分離したため、謙虚さと高次の意志という真理を想像力へ伝えてきた伝統的象徴から、多かれ少なかれ切り離された。そのためこれらの真理を擁護するにあたり、ほとんど不本意ながら理性へ頼らざるをえなかった。鋭い心理的感覚を持つエラスムスは、宗教改革のほとんど当初から、そこに知的な思い上がりの要素を感じ取っていた。カルヴァンが人間の神の意志への完全な依存を説くとき、その印象が必ずしも謙虚さの印象にならないとすれば、その理由は、彼が神の意志についてあまりに多くを知ると自負しているためではないかと疑われる。またジョナサン・エドワーズは、神の絶対的で恣意的な意志を理性によって正当化しようとするあまり、最後には三位一体の評議室へ第四の一員として忍び込んだかのように見える。

カルヴァンやエドワーズが直面し、プロテスタンティズムを少なくとも部分的な崩壊へ導いた困難は、決して小さくないことを認めるべきである。批判的精神の自由な働きと伝統的キリスト教の受容とを結合しようとする者は、誰であれ、ある程度はこの困難へ直面せざるをえない。伝統的キリスト教徒が通常そうしてきたように、「絶対的な予知」を持つ全能の神という仮説から出発すれば、なぜそのような存在がそもそも悪を許したのかという問いが、ほとんど必然的に生じる。さらに厳密な論理に従えば、この存在は、結局のところ自らが意志したことを行ったというだけで、多数の被造物を永遠の責め苦へ定めた、という結論を強いられるように見える。 要するに、歴史的キリスト教の核心にある批判上の難問は、神の全能と全知を、その正義と慈悲にどう調和させるかということである。近代性を誇る世界の部分は、この神学的悪夢に端的に背を向けた。不幸にも、悪夢を捨てる際、内面生活まで捨てる傾向を示した。すなわち、人間は知性を含む自然的自己において、畏敬と謙虚さをもって何らかの高次の意志を仰がなければならない、という真理まで捨てたのである。内面生活の衰退とともに、自然的人間の拡張的欲望――知識欲、感覚欲、権力欲のいずれであれ――に対する統制が弱まった。

ここまでたどってきた展開では、霊的な意味での「業」または「働き」という観念は、恩寵へ大きく従属させられるか、儀式と典礼の遂行へ多かれ少なかれ同一視されている。 ここで、それとはまったく異なる労働観の台頭をたどらなければならない。後期スコラ学者、とりわけドゥンス・スコトゥスは、宗教的真理を理性から切り離し、それを絶対的・恣意的意志および理解不能な神学的神秘と同一視する傾向を持った。フランシス・ベーコンのような人物は、この種の神学者の言葉を額面どおり受け取る。人間の把握を計り知れないほど超える霊的真理へ、多かれ少なかれ誠実に一礼した後、それ以外に仕事を残されていない知性を、自然的秩序の研究へ向ける。彼がこの秩序の上へ築こうとするのは、むなしい言葉の哲学ではなく、業と実りの哲学である。

ベーコン的な労働観は、功利主義運動を通じてたどることができる。たとえばロックの『統治二論』第二論文には、その極端な形が現れる。ロックは労働をほとんど肉体的努力と同一視し、それだけを財産の正当な源泉とする。アダム・スミスも、財産との関係において非常によく似た労働観へ傾く。正統派経済学は、労働という観念をこのように最低水準へ還元することで、非正統派経済学への道を開いた。カール・マルクスは労働の定義について、とりわけリカードの影響を受けた。正統派経済学者自身の説明によって真の労働を行っている者が、なぜ報酬のすべてを受け取らないのか。なぜ、その報酬の大部分を、単なる怠け者で寄生者にすぎない資本家へ引き渡さなければならないのか。正統派経済学者は、不当に狭い意味での労働を富の源泉とするが、公平に言えば、マルクス主義者のように労働を価値と同一視するという、さらに別の誤謬には陥らない。価値は、主として需要と供給の法則および競争によって決まる、と正統派経済学者は主張する。極端なマルクス主義者は、労働を純粋に量的に見るだけではない。そのため、すでに言われたように、ラファエロの仕事と普通の看板描きの仕事を同じ水準へ置く傾向を持つ。さらに労働の産物を評価する際、競争的要素を排除しようとする。近年のマルクス主義者は、労働について多少は量一辺倒でない見方をするようになった。しかし競争を全面的または部分的に抑圧することから生じる誤謬は、社会主義の土台そのものへ組み込まれている。

ここで注意すべきなのは、労働の本質について、ルソー主義者とベーコン主義者のあいだに、根底では多くの一致があることである。ルソー本人も労働を最低の意味へ還元し、肉体労働と同一視する傾向を持つ。この外面的で目に見える意味で働かない者はすべて、居候であり寄生者であり、生きるに値しないかのようである。 功利主義的・感傷主義的な労働観を適用しながら、同時に競争を排除しようとした試みは、ロシアにおいて、一方では無慈悲な専制を、他方では人間を貶める隷属を生み出した。

事実上、野蛮への回帰を意味する労働観には、明らかに重大な欠陥がある。近代的であると同時に文明的であろうとする者は、ベーコンやルソーの一面性へ、単なる過去への訴えを対置するのではなく、より正確な定義を対置するだろう。ベーコンによれば、アリストテレスは「言葉の卑しい玩具」だった。しかし実際には、言葉の卑しい玩具になる最も確実な道は、ベーコンとルソーのように、目に見える具体的対象だけを「実在」と見なし、それに対して言葉を非実在と見なすことである。言葉、とりわけ抽象語が実在と重要な関係を持つのは、それが想像力を統制し、その想像力が行動を決定して、ついには「人類を支配する」からである。言葉の専制から逃れる道は、感覚的対象を優先して言葉を非実在として退けることではなく、言葉を徹底したソクラテス的問答へかけることである。たとえば「労働」という一般語に欺かれない唯一の道は、それをソクラテス的に分割し、「二分」して、この語が持ちうる異なる意味を認識することである。

純粋に量的な労働の定義に含まれる誤謬は、ほとんど反駁を要しないほど粗雑である。孟子が遠い昔に述べたように、精神を用いて働く者が、手だけで働く者を統率することは、正当であると同時に避けられない。才能ある少数者が発明、あるいは組織と経営において示す集中的な精神労働の結果、普通の労働者は今日、ほんの二、三世代前には富裕な者にも手の届かなかった快適さを享受できる。労働者がこの快適さを増やしたい、あるいは維持したいのであれば、あらゆる形の卓越性への嫉妬を煽る扇動者へ耳を貸すべきではない。卓越した能力には卓越した報酬が与えられるべきだと、誰より先に認めるべきである。

もちろん労働者には不満を持つ理由がある。それは、自分の上に置かれた者たちが、その精神労働をほとんど全面的に物質的秩序へ集中してきたことである。真の問題は、功利主義的な働きが生み出した、権力と快適さのための巨大な機械の総体を、何らかの適切な目的へ従属させることにある。そのためには、特に倫理的な種類の働きが必要である。この特に倫理的な働きは、西洋では伝統的に恩寵の教義と結びつけられてきた。人間が神の働きに自分の働きを代えることは、謙虚さを損なうように思われたからである。しかし神の働きをこのように強調することは、すでに示したように、解決不能な神学的ジレンマへ至った。そこで人々は、このジレンマを捨てる際、霊の真の働きまで捨て、単なるベーコン的な働きを選ぶ傾向を示した。問題は、恩寵の真理を何らかの個人主義的な形で回復することにあるように思われる。

この課題では、謙虚さと究極的な霊的自立とを結合した極東の教師へ、一時目を向けることが助けになるかもしれない。「カルマ」(業、働き)という語は、西洋で一種の神秘的な輝きを帯びてきた。しかし仏陀本人が、この語をきわめて実務的に用いていることを忘れてはならない。大工になりたい者は大工の仕事をしなければならない。王になりたい者は王の仕事をしなければならない。聖者になりたい者は聖者の仕事をしなければならない、と仏陀は言う。段階を上るにつれて、外的な働きから内的な働きへ移るだけである。個人は、意識の直接的事実として肯定される倫理的意志を、外へ向かう欲望へ次第に課していかなければならない。この霊の働きを行う目的は、自分自身の幸福である。仏教徒の目には、それは自分自身の平安を目的とすることと同じである。「自らを奮い立たせ、精励し、抑制し、統御することによって、賢者は、いかなる洪水にも押し流されない島を自らのために築ける」と仏陀は言う。この信仰で最高の対照をなすのは、つねに霊的に精励する者と、霊的な怠け者である。

過去の教師のうち、労働という観念を仏陀ほど徹底して扱った者は、おそらくほかにいない。しかし仏教的な力点は、今日のわれわれが必要とするものとは少し違うように思われる。仏陀はキリストと同じく、きわめて彼岸志向だった。彼が第一に関心を寄せた働きは、聖性へ導く種類のものだった。これは私の想像力の欠如を示すのかもしれないが、私は同時代人を聖者の役割に置いて考えることができない。彼岸志向がこれほど乏しく、宗教をこれほど理解しない時代は、かつてなかったかもしれない。われわれは仏陀を、眠たげな目をした一種の悲観的夢想家へ変え、ルソーに従ってキリストの姿を感傷化した。それなら宗教よりも、われわれの能力の範囲内にある何かへ取り組む方がよいだろう。一般に、真の宗教的な働きの本質と、宗教が目指す緊張を伴う平安について、わずかでも理解する者が一人いるなら、媒介的または人文主義的な徳として実を結ぶ働きの種類を、ある程度理解できる者は少なくとも百人いる。

人文主義も宗教と同じく、何らかの形で内面生活を認めること、言い換えれば霊の法則と肢体の法則との対立を認めることに基づかなければならない。また宗教と同じく、知性を倫理的意志へ従属させ、最終的な力点を謙虚さへ置かなければならない。この謙虚さという問題について、西洋の人文主義者には、すでに示唆したように、儒教的中国から学ぶことがある。

宗教と最良の人文主義は、謙虚さを強調する点では一致するが、拡張的欲望に対する態度では大きく分かれる。宗教は彼岸的な徳である平安を追求するため、これらの欲望を全面的に放棄する傾向を持つ。これに対して人文主義は、この世界で最も有利に生きるため、欲望を節度あるものとし、相互に調和させようとするだけである。人道主義者は、神のものとカエサルのものを特有の仕方で混同するため、世俗的秩序でも平和を第一の善として立てるよう求める。この平和を、国際連盟のような何らかの機構によって、あるいは感情への訴えによって確保できると期待する。拡張的な人物だったトマス・ジェファソンは、「平和は私の情熱である」と叫んだ。しかし平和を情熱へ変える者は、自分の内面でも外界でも、平和への道へ入っていない。

平和主義者は唯物論者であるだけでなく、非常に好ましくない種類の唯物論者であることを示せる。最も美しい徳の名において、実際には倫理的基準を破壊している。日常の常識と経験が示すとおり、不正な者とのあいだに平和はありえず、不正な者は昔も今も非常に多い。人道主義者が価値を混同したもう一つの例として、ウッドロウ・ウィルソンの「国家は誇りが高すぎて戦えないことがある」という主張を挙げられる。個人は謙虚すぎて戦えないことがある。しかしこのような世界では、誇りが高すぎて戦えない国家は、国家として生き残れないほど誇りが高いのかもしれない。世俗的秩序で他のあらゆる徳を総括する徳は、その名に値する思想家がつねに見抜いてきたように、平和ではなく正義である。正義という観念を積極的に扱う者は、ほとんど必然的に、それを「各人へその働きに応じて与えること」と定義するだろう。そしてこの定義が十分であるかは、さらに「働き」をどれほど十分に定義できるかへ懸かっている。

すでに指摘したように、ベーコン以後の人道主義者は、働きの定義において驚くほど表面的である。より粗雑な量的誤謬へ陥らない場合でさえ、働きを自然の法則と外界の言葉で考え、内面生活の言葉では考えない。 自然的自己とその拡張的欲望へ倫理的意志を重ねて課すことから成る働きを、考慮に入れない。この形の働きという観念そのものが、恩寵の教義の衰退とともに消える傾向を示したのである。

それなら、現在必要なのは、平安への意志として感じられる宗教的水準よりも、正義への意志として感じられる世俗的水準で、倫理的意志を復興することだと認めよう。さらに正義を積極的に定義すれば、各人へその働きに応じて与えることだと認めよう。そのうえで、人道主義者が省いた要素を、働きという観念へ回復することを試みたい。この回復には、ソクラテス派が正しい理性と正しい意志を同一視する傾向には同意しないとしても、ギリシア哲学が助けになる。

正義を「自分自身の仕事をすること」、あるいは「自分の務めに専念すること」とするプラトンの定義は、おそらくこれまで一度も越えられていない。それは人を内面生活の真理へ直ちに連れ戻す。人間の各部分が固有の機能を果たし、とりわけ高次の自己が、本性の劣った部分を調整し統制するという固有の機能を果たすとき、正義が生じる。このプラトン的観念の反響は、セネカによる正義の定義、Animus quodam modo se habens――「ある一定の状態にある精神」――に見いだされる。外界の正義は、結局、一部の個人において霊が自らへ働きかけた結果として生じた調和と均衡を、反映したものでしかありえない。

アリストテレスの正義観は、プラトンの見解と多くを共有する。正義を定義する際、社会からではなく、それ自体としては飽くことを知らない欲望を制限し、そこへ節度の法則を課す個人から出発する。そのような個人が社会の調子を定めるに足るほど存在する国家が、正しい国家である。応報的なものであれ配分的なものであれ、正義は報酬と刑罰において均衡が取れていなければならない。そしてこの均衡は、より高い形の働きを考慮することによってのみ可能になる。この高次の働きは、拡張的欲望を節度の法則へ従わせることから成る。それが有効であるためには、早期に始まり、習慣とならなければならない。したがって倫理的な国家に必要な基礎は、倫理的な教育である。

アリストテレスは、正義だけでなく幸福も、本人が「徳に従って活動すること」と呼ぶものへ依存させる。最後には働きという観念を、人文主義的水準から宗教的水準へ、媒介から瞑想、すなわち「観照」の生活へ運び、神そのものを純粋活動として定義する。個人が観照の生活で示す活動は、同胞との関係で示す活動からあまりに切り離されているため、中世の禁欲的な行き過ぎを助長した、と考える者もいる。

実際、利他主義者なら、プラトンとアリストテレスの正義の定義はともに、自分の仕事を世界の仕事より先に置くよう人へ勧めるため、利己的で反社会的だと主張するだろう。人は自己を放棄し、共感と奉仕へ身を捧げるべきだというのである。しかし利他主義者には、世界がわれわれの奉仕以上に必要とするものがあり、それはわれわれの模範だと注意しなければならない。バークが言うように、「模範は人類の学校であり、人類はそれ以外の学校では学ばない」。ところが人間が模範的になるのは、宗教的または人文主義的な働きの結果だけである。宗教的に働く者は、世界を放棄するその行為によってこそ、世界を助けるのだとさえ言いたくなる。世俗に執着しないという、あらゆる模範のうちで最も重要な模範を、同胞へ示すからである。

宗教的水準で模範的になるための働きを仏陀が深く扱ったとすれば、人文主義的な働きから社会と文明へ生じる利益を示した点では、孔子はアリストテレス以上に十分だったかもしれない。孔子は自らの教えを一文へ要約した。「自分自身への忠実と、隣人への慈愛」である。利他主義者も、隣人への慈愛を第一に置くことを許されるなら、この公式を受け入れるかもしれない。しかしそうすることは、まったく非儒教的である。

個人は何よりもまず、自分や隣人より高い何かを仰がなければならない。そうして初めて、自分もまた他者から仰がれるに値する者となる。孔子は理想の君主である舜について、こう述べる。「舜は何もせず、それでいてよく治めた者である。実際に彼は何をしたのか。宗教的に自らを省察し、厳粛に玉座へ座っていた。それだけである」。孔子がこの箇所で主張しているのは、外的行動に対する内的行動の優越にすぎない――別の箇所から分かるように、舜は外的行動をなす能力も持っていた。要するに舜はプラトン的な意味で自分の務めに専念した。そしてその模範には大きな説得力があったため、他の者も同じことをするよう導かれた。

これに対して、現在の「社会正義」へ向かう傾向が続けば、誰もが他人の務めへ口を出す時代が急速に近づく。真の正義の基礎である、静かな小さな声として感じられる良心に代えて、拡声器を通じて働く社会的良心が置かれた。おそらく世界史上初めて、お節介な人間が自分につけた評価を額面どおり受け入れられたのである。実際、誰かが言ったように、われわれは「中世」(Middle Ages)ならぬ「干渉の時代」(Meddle Ages)に生きている。しかも、この干渉そのものが、正義についての混乱した定義から生じているのだから、皮肉屋なら現代を「混乱の時代」(Muddle Ages)と呼ぶ方がさらに正確だと言うかもしれない。

もっとも、干渉と混乱は、ときに思いたくなるほど広く行き渡ってはいないのかもしれない。完全なプラトン的・儒教的意味ではないにせよ、自分の務めに専念することの重要性を理解する者は、おそらくまだ少数ながら残っている。「私は兄弟の番人なのか」という問いへ、アメリカ国民全体が「恍惚たる肯定」を返したという最近の主張には、おそらく誇張がある。自分の兄弟へ負うものを、区別なくすべての人間へ広げることは、義務の原理を耐えがたいほど希薄にすることだと、ここで指摘すべきである。

いずれにせよ、人類のために何かをしたいという拡張的な熱意から出発すべきか、自分自身への忠実から出発すべきかという問いには、小さくない問題が懸かっている。人がまず自分自身を正せば、その正しさは最初に家族へ、最後には広がる同心円のように共同体全体へ及ぶという儒教的観念には、結局、何か真実があるのかもしれない。

働きの定義と、働きによって正義を定義する仕方は、自由の定義と切り離せないほど結びついていることが分かるだろう。唯一の真の自由は、働く自由である。あらゆる証拠が示すところでは、物事の本性のうちに怠け者の安全はなく、あらゆる怠惰のうちで最も危険なのは霊的怠惰である。より微妙な形の働きを考慮しないために、功利主義者による自由の定義、たとえばJ・S・ミルの試みは損なわれている。

ミルによれば、他人を傷つけないよう慎重でさえあれば、人は自分の個性を育てる自由を持つべきである。しかし第一に、人間本性のうちの利他的要素と自己関係的要素とのあいだに、これほど明確な分割が可能だとは認められない。たとえ認めたとしても、自己に関わる徳こそ、社会の観点から見ても最も重要だと主張しなければならない。すでに示そうとしたように、人はこれらの徳を実践することによってのみ模範的になり、それによって初めて他者を真に助ける者となるからである。

社会が自らの利益のため、手で働く者に比べて精神で働く者を奨励すべきなら、真に倫理的な働きへ従事する者には、なおさら高い評価を与えるべきである。人間の働きの質こそ、あらゆる文明社会が必要とする階層秩序における、その人物の位置を決定すべきである。要するに積極的な観点からは、働きだけが貴族主義を正当化する。「働きによって人は高貴となり、働きによって人は賤民となる」と仏陀は言う。

この原理は健全だが、適用がまったく容易でないことは認めなければならない。正義は、各人がその働きの量と質に応じて受け取ることを要求するが、この競争には当初から明白な不平等がある。一人の人間には、他の人間がどれほど努力しても獲得できない生来の能力がある。プラトンの神話によれば、神はある者の本性へ鉛を混ぜ、他の者の本性へ銀や金を混ぜた。人間の初期的差異を過度に強調すれば、プラトン本人も傾いたように何らかのカースト制度へ陥るか、自然主義的または予定説的な宿命論へ傾くだろう。他方、何らかの平等主義理論を支持して差異を否定すれば、最も明白な事実へ逆らうことになる。真の正義は、人間を意図や努力ではなく、実際の達成によって判断することを要求するように思われる。要するに、バークのいう自然的貴族は、その卓越性を、科学者とともに遺伝へ帰そうと、キリスト教徒とともに恩寵へ帰そうと、仏教徒とともに過去の業へ帰そうと、それにふさわしい報酬を受けなければならない。

働きと、それにふさわしい報酬についての見解は、必然的に財産への態度を決定する。文明の観点からは、各共同体の一部の個人が手で働く必要から解放され、より高い形の働きへ従事して、指導者となる資格を得られることが、きわめて重要である。文明が真のものであるためには、完全なアリストテレス的意味で余暇を持つ者が必要である。特定の共同体で、自分自身の外面的で目に見える労苦の産物ではない財産を享受することを認められた者は、したがって怠け者や寄生者であることを許されない。

貴族主義的原理をどのように考えるにせよ、貴族的または指導的階級は、長期的に財産と特権を維持したいなら、ある程度まで模範的でなければならない。アンシャン・レジーム下のフランス貴族が、多くの立派な例外にもかかわらず、この試験へ合格しなかったことは明らかである。近年のレピントン大佐やアスキス夫人のような著者の暴露から、イギリス貴族も退廃しつつあると論じる者がいる。人々は、通常の自己より高い何かを本人が仰いでいない者を、いつまでも仰ぎ続けることには同意しない。エピクロス的で自己放縦になった指導階級は滅びる。何よりも物質的な善を第一に置くことは許されない。

財産が目的への手段である限り文明に必要な基礎だが、財産それ自体を目的とすれば唯物論になる、という原理を立てられる。人間精神は本来飽くことを知らないのだから、世俗的所有への欲望へ限界を置く者ほど必要な模範はない。経済的不平等に対する唯一の治療は、アリストテレスが言うように、「より高貴な種類の本性を持つ者へ、より多くを欲しないよう教育すること」である。 この治療は、財産を分割する機械的な仕組みにはない。「平等にされるべきなのは、人類の所有物ではなく、その欲望だからである」。 アリストテレス的意味で欲望を平準化するには、個人による真に倫理的または人文主義的な働きが必要となる。

そのような働きを必要としない何らかの基礎の上で平等を宣言すれば、皮肉な結果を生む。たとえばアメリカは、独立宣言で自然的平等の教義へ自らを委ねた。そのため奨励された個人主義は、巨大な不平等へ至り、伝統的基準の衰退とともに、粗野な金権支配を生み出した。十億ドルを蓄積する者は、その後で五億ドルを慈善事業へ投じるとしても、アリストテレス的意味で模範的とは言いがたい。頂点にいる者が欲望を抑えなかったことへの治療は、扇動者が信じさせようとするように、底辺の者の欲望を煽ることにはない。また真の正義に代えて、社会正義という幻影を置くことにもない。

そのような置き換えの結果、やがて個々の違反者を処罰する代わりに、財産制度そのものを攻撃するようになる。そして資本への戦争は、過去につねにそうなったように、すぐに勤勉と節約への戦争、怠惰と無能を利する戦争へ堕落し、最後には、理想主義を装いながら実際には普通の正直さを破壊する没収計画へ至る。何よりも社会正義が不健全なのは、競争を部分的または全面的に抑圧しがちな点である。競争がなければ、真の正義の目的、すなわち各人がその働きに応じて受け取ることは実現できない。

競争の原理は、ヘシオドスが遠い昔に指摘したように、世界の根そのものへ組み込まれている。 物事の本性のうちには、真の勝利と真の敗北を要求する何かがある。競争は、人間を生来の怠惰から奮い立たせるために必要であり、それがなければ人生は張りと味わいを失う。ただしヘシオドスが続けて述べるように、競争には二種類ある。一つは血なまぐさい戦争へ至り、もう一つは事業心と高い達成の母となる。健全な競争を持ちながら、有害な争いへ堕落する種類をどう避けるかについて、ヘシオドスの説明は十分明確でないかもしれない。しかしこの問いへの答えは、いま引用したアリストテレスのような文のうちに確かに見いだされる。競争の害悪への治療は、強者と成功者の節度と度量にあり、負けた側の境遇へ病的な感傷を注ぐことにはない。今日、不安と反抗の気分がこれほど広がっていることは、指導者たちがこのように自制する代わりに、極端な心理的無抑制へ陥っていることを示唆する。

社会正義の擁護者には、資本の本質についてある混乱があることも指摘すべきである。

スレイルの醸造所が売却された際、ジョンソン博士はこう言ったと伝えられる。「われわれがここで売るのは、ボイラーと大樽の一山ではない。強欲の夢を越えて富む可能性である」。もちろん、その可能性を実現できるかは経営者の能力に懸かっていた。そしてこの能力は、醸造所の資本の一部だっただけでなく、最も本質的な部分だった。現在では、鉄道へ投下された資本を、いわば廃品としての価値によって測れると想定されている。この誤謬や同種の誤謬の結果、近年、鉄道の所有者と経営者は、この産業分野での企業心をくじくような扱いを受けてきた。鉄道が「水増し株」に苦しんでいると大衆を信じさせることは容易に見えるが、実際に鉄道を苦しめているのは「水増しされた労働」である。奉仕と社会正義の使徒たちが思いどおりに事を運べば、現在、直接に、あるいは保険会社や貯蓄銀行を通じて間接に鉄道へ投資されている中産階級の貯蓄の相当部分は、部分的または全面的な没収に遭うかもしれない。

実際、あらゆる形の社会正義は没収へ向かう傾向を持つ。そして大規模に実行された没収は、道徳的基準を掘り崩し、それだけ真の正義に代えて策略の法則と力の法則を置く。社会正義のこのような危険へ警戒するには、鋭い分析と想像力との協力が必要であり、この協力だけが真の洞察を生み出せる。ところが多数の人々は分析力が弱く、その想像は倫理的というより牧歌的である。その結果、根底の原因へ到達できず、症状へ対症療法を施し、バークのいう「人を欺く近道と、ささやかな偽りの便法」へ頼りやすい。見かけ上の善は、二次的結果において悪となり、見かけ上の悪が、ある善に必要な条件と判明する。このように究極の結果までたどれば、事物の様相は一度だけでなく、しばしば数度にわたって変わる。

たとえば普通の労働者には、社会正義の名のもとで賛成票を投じるよう勧められる「資本課税」が、最後には自分自身へ跳ね返ることを見抜けないかもしれない。普通選挙と、真の正義と真の文明の双方が財産制度へ要求する程度の安全とを、両立できるかはまだ明らかでない。代表なき課税は、アメリカ革命家の主要な不満だった。しかし今日、共同体の重要な一部分が服さなければならないのは、まさに代表なき課税である。主権者たる人民の名において課税する者は、王権を唱えた者より公平に課税すると期待できるのだろうか。

理想主義の仮面をかぶるあらゆる不正直のなかでも、通貨基準を操作するものほど、文明生活の基礎を動揺させるうえで悪魔的な効果を持つものは、おそらくない。財産が、語の何らかの意味での働きを表し、貨幣が財産の慣習的象徴であるなら、この象徴が激しく変動すれば、正義の目的は損なわれる傾向を持つ。節約と先見は無意味となり、誰も自分の働きに応じて受け取れると確信できなくなる。通貨膨張は、ドイツで国民的利益を促進するとされる場合であれ、ロシアで国際主義を前進させるとされる場合であれ、実際には憎むべき形の没収に等しい。

すでに指摘されたように、急進主義者はしばしば貨幣と財産を混同し、貨幣を分配することが現実の富を分配することと同じだと考える誤りを犯す。貨幣は慣習的な標章にすぎないが、それでも、この標章の性質はどうでもよいものではない。金本位制の理由は単純である。金の生産には、金と交換されるさまざまな商品を生産するのと、おおよそ等しい量の労働が必要だからである。何らかの理由で金が以前より豊富に、より少ない努力で生産された場合、あるいは逆のことが起きた場合、通貨基準は変動する。これは害悪である。しかし人間本性を考えれば、金の代わりに紙幣その他の交換手段を置き、それが労働によって測ればほとんど内在的価値を持たない場合に生じる害悪と比べれば、些細なものにすぎない。

実際、近代人は相反する二つの傾向のあいだで、両側から鋸で挽かれるような目に遭っている。一方では、国家的にも国際的にも、ますます複雑な物質的関係の網へ巻き込まれている。この関係はさらに、きわめて繊細な信用と交換の仕組みに基づいている。他方では、普通の正直さに代わるものとして提示されるさまざまな理想主義的計画、あるいは公然と帝国主義的な経済的・政治的計画が、信用と交換に必要な基礎である信頼を掘り崩している。そのため、産業革命が築き上げた精巧な構造全体が崩壊する危険にある。

カーライルによれば、この革命を推進した経済学者たちは、現金払いだけを人と人とを結ぶ唯一の紐帯にしようとした。しかし現金払いは、霊的に遠心的な人間どうしを結ぶ紐帯にはなれない。東ヨーロッパの各地では、人々はすでに現金払いへあまりに強い不信を抱いたため、経済的接触において物々交換へ戻らざるをえなくなった。

私が列挙した害悪は、功利主義運動で支配的だった一面的な労働観から、少なからず生じている。財産そのものの利益のためにも、共同体の少なくとも一部の成員は、まったく別の意味で働かなければならない。要するに自分自身の獲得欲へ限界を置き、そのよい模範によって社会へ奉仕しなければならない。しかし、そのような働きを人から引き出す最善の方法が、社会の利益を説くことだとは限らない。

本人も功利主義者だったレズリー・スティーヴンは、「各人は自分自身の幸福しか気遣えないという教説は、恐ろしいほどもっともらしく、個人主義へ見事に適合する」と言う。実際そのとおりであり、個人へ到達する最も賢明な道は、その行為が他人の幸福へどう影響するかではなく、自分自身の幸福へどう影響するかを指摘することかもしれない。ただしその場合、幸福を功利主義者やエピクロス派のように快楽によって定義せず、アリストテレスや仏陀のように働きによって定義するよう注意しなければならない。この方法は、獲得本能を抑えることだけでなく、性本能の統制にも適用できる。

性的無抑制は社会へ恐るべき損害をもたらしてきたし、今ももたらしている。その結果生じる疾病は、アルコール依存症以上に、白色人種の将来への脅威である。別の角度からこの主題へ近づけば、ある種の遠心的で自己放縦な個人主義と、出生率の過度な低下とのあいだには、疑いようのない関連がある。統計を信頼するなら、フランス人と、アメリカで生まれ育った系統のアメリカ人は、地上から枯れ消える危険にある。人口が増えている場合も、それは質を犠牲にしているといわれる。過去が指導者を求めてきた血統は絶えつつあり、劣った、さらには退化した系統が増殖している。

この種の害悪に対する人道主義的治療法は、とりわけ疑わしい。優生学の信奉者が提示してきた、男女関係を規制する計画は、グロテスクであると同時に無力な専制へ至りやすい。他方、国家の利益、人類の利益、あるいは「有色人種の高まる潮流」に脅かされる白色人種の利益といった一般的理由によって、個人に自制を促せるという証拠は乏しい。宗教は結局、性の問題全体を内面生活の言葉で扱う点で正しいのかもしれない。

あるフランスのモラリストによれば、人間の自然的自己は、少しの虚栄と少しの好色から成る。キリスト教徒は、それに純潔と謙虚さを代える。人文主義者は、最も強い形の感覚欲(libido sentiendi)を全面的に否定するのではなく節度あるものにしようとするが、生命的衝動と生命的統制との闘争から出発する点でキリスト教徒と一致する。個人がこの統制を行使すべきなのは、第一に社会の利益のためではなく、自分自身の利益のためである。実際、快楽と幸福との対立が、性の問題ほど明瞭に現れるところはない。

近代の解放を考察すればするほど、それが、私が自由の求心的要素と呼んだものを犠牲にして成し遂げられたことが明らかになる。そしてこの求心的要素、すなわち倫理的意志がなければ、霊の真の働きは不可能となる。この誤りの重大さについて、人間はどのように自分を欺けたのだろうか。一つの答えは、人間の法則に従う働きに代えて、自然の法則に従う働きを差し出した、ということである。

その典型例はファウストである。ファウストは、海から湿地を干拓することで、自分の道徳的過失を埋め合わせるとされる。ゲーテの追随者を自称するカーライルは、労働の観念においてさらに欠陥が大きい。ソクラテスの「汝自身を知れ」に代えて、「汝の仕事を知り、それを行え」を福音としようとする。 人間は抽象的・形而上学的な意味では認識不能だからという理由で、このように自己認識への努力を軽んじることは、現在の状況では、内面生活を信用失墜させ、単なる外的な働きを優先することにほかならない。この一面的な仕方で考えられた働きは、単なる能率へ堕落する。

実際、カーライルは「産業の指揮官」――この表現は彼が作ったものらしい――の能率だけでなく、フリードリヒ大王や、さらにはフランシア博士の軍事的能率まで称揚する。反対であることを自他へ証明しようと必死に努めたにもかかわらず、その哲学は真に倫理的というより帝国主義的になる傾向を持つ。彼の「英雄」は、少なくともニーチェ的超人の従兄弟であり、両者はともに18世紀の「独創的天才」から正統に下降している。

考察に値するのは、近代の産業軍における「指揮官」だけでなく、一兵卒の位置である。確かにこの兵卒も、われわれのほかの者と同じく、働きのうちに幸福を見いだすか、まったく見いだせないかのどちらかである。しかし産業革命が発達させた種類の能率のうちに幸福を見いだすことを、彼へ期待できるかは問いうる。この能率は、努力を際限なく細分することで達成され、ついには個々の労働者を巨大な機械の歯車にする傾向を持った。労働者は、自分のごく微小な一部分だけを使って働く。ときには、働いているとさえほとんど言えない。機械が働き、その世話をする人間よりも、機械の方が自動的でない生活を送っているように見える。

ヘンリー・フォードの工場で働くある労働者は、名前を尋ねられると「ボルト29号」と答えたと伝えられる。多数の人間がこのように機械化されるのは、産業の指揮官が「生命的」で「力動的」でいられるようにするためである。現在この語が使われる意味では、それは心理的無抑制の状態で生きることと同じである。J・D・ロックフェラー以上といわれる収入を積み上げることに価値があると考える者は、活発な人文主義的または宗教的な働きへ従事してはいない、とかなり確信をもって言える。

普通の産業兵が「指揮官」の模範へ従い、自分個人として、あるいは労働組合とその指導者を通じて、自分もまた「生命的」で「力動的」になろうとすれば、その結果は混沌である。全機構がうまく働くために必要な、各部分の精密な調整を乱すからである。

もっとも私は、機械の増加が全面的な害悪だと主張しているのではない。この増加によって、一人の人間が、以前なら十二人、さらには百人を必要とした仕事を行えるようになった。そのため多数の人間の肩から苦役の重荷が取り除かれ、余暇の機会が開かれた。「機械工または労働者の生活を送る者は、誰も徳を実践できない」とアリストテレスは言う。しかし現在、労働者には、単なる労働者以上のものとなる機会が、過去に例のないほど存在する。

不幸にも周知のように、労働者は苦役から解放された時間を、アリストテレス的意味での余暇を享受するために使わず、娯楽を求めるために使っている。その娯楽においても、労働している時間とほとんど同じほど、自動車、蓄音機、映画などの機械へ従属している。おそらく責任は労働者本人よりも、「上位」にいる者が差し出している模範にある。

これまで論じてきた、まったく模範的でない種類の個人主義は、一般的な功利主義的人生観だけでなく、特にアダム・スミス学派の経済学から生じたことを示せる。国家は脇へ退き、個人へ自由な活動を許せ――レッセ・フェール(laisser faire)――とアダム・スミスは言う。個人は啓発された自己利益に導かれるため、この自由を濫用しないだろうというのである。啓発された自己利益の教説は、それ自体として浅薄ではない。アリストテレスや仏陀のような真に深遠な思想家も、この教説を持っていた。

しかしこれらの思想家が念頭に置いた自己は、富の追求を第一の目的とする自己ではなく、この獲得的自己を統制する倫理的自己である。獲得的自己をこの統制なしに放置すれば、正しい種類の競争は誤った種類へ、すなわちマンチェスター学派の経済学が実際に奨励し、工場労働者を産業戦争の単なる「砲弾の餌食」とした無慈悲な競争へ堕落する。またこの種の競争には、共感や利他主義が十分な釣り合いを与えることもない。倫理的意志に代わるものとして共感が有効かどうかこそ、少なくともこの運動全体の決定的争点である。現在、かつて三位一体を信じたのと同じほど無批判に大多数の人間が信じているように見える、現代の「奉仕」の福音でも、すべては最後にはこの点へ懸かっている。しかしこの福音の基礎は、厳密に心理学的な根拠から見て、きわめて不安定であることを示せる。

第一に、現在理解されている「奉仕」という観念はキリスト教的ではない。キリスト教徒が仕えるのは人間ではなく神であり、『祈祷書』が教えるように、この奉仕は「完全な自由」である。これに対して人道主義的意味での奉仕には、ストア主義との重要な接点がある。ストア派も人道主義者と同じく、人類一般の福利を基準として行動を規制しようとした。しかし人道主義者とストア派とのあいだには、重要な相違がある。

ストア派は進歩の教説をまったく持たなかったか、非常に未発達な形でしか持たなかった。人間大衆が、ほとんど自動的に「遠い未来の神的事件」へ前進しているとは考えなかった。この自動的進歩を厳密な心理学的検討へかければ、変化そのものへの喜び、あるいは権力と快適さを得るための変化への喜びのいずれかへ還元されるだろう。功利主義者が促進した道徳的進歩と物質的進歩との混同には、ルソーと感傷主義者について述べたときと同種の、一般語への操作が含まれている。

ディズレーリによれば、英語圏の人々は快適さと文明とを区別できなかった。「快適さ」(comfort)という語そのものが、ある価値体系から別の価値体系へ一般語を不当に移した好例である。「悲しむ者は幸いである。その人々は慰められるであろう」。ところが現代のアメリカ人は、先に悲しむことなく快適さを得ようとする。

道徳的進歩と物質的進歩との混同の結果、近代人は、倫理的目的を達成する手段として、組織と能率、一般に機構へ過度の信頼を発達させた。文明が危機にあると言われれば、最初の本能として文明を救う委員会を任命する。国際連盟そのものが、超委員会にすぎない。

しかし功利主義的意味での進歩は、理想主義的信条において、共感ほど本質的な要素ではない。この共感の問題でも、ストア派と人道主義者との相違をもう一度指摘しなければならない。一方でストア派は、人道主義者ほど機構を信頼しなかった。他方では、感情的にも人道主義者ほど拡張的でなかった。

すでに述べたように、この種の興味深い問題は、シャフツベリとその影響を扱うときに現れる。シャフツベリ哲学の一側面全体がストア主義に由来することは明白であり、そのため彼をエピクテトスとマルクス・アウレリウスの純粋な弟子として提示しようとする者もいる。しかしストア派が感傷主義者でなかったこと、そしてシャフツベリがイギリスで、さらにおそらくドイツで、それ以上に感傷主義の主要な源泉となったことは変わらない。ストア派の正しい理性は、カンバーランドのようなシャフツベリのイギリス人先駆者において、すでに感情的な色彩を帯びつつある。

幸福と快楽を同一視する傾向において、功利主義者はストア派よりエピクロス派を思わせる。しかしエピクロス派の「アタラクシア」も、ストア派の「アパテイア」と同じく、感情の奔流を奨励しなかった。ストア派もエピクロス派も、「感情を柔らかくぜいたくに流れ出させ」、その結果を「徳」と呼ぶ傾向を持たなかった。ルソーが、衝動的な憐れみを、利己的衝動を相殺するに足るもの、さらに他のあらゆる徳の源泉として称揚したことについては、すでに述べた。ほとんど同じほど重要なのは、ヒュームが、厳密に心理学的な根拠によると称して、自然的人間のうちに、理性に先立ち、自己愛から独立した共感の要素があると主張したことである。さらに共感は、ヒュームによる正義の定義の基礎となる。ヒュームにとって正しい人間は、プラトン的な意味で自分の務めに専念する者ではなく、利他主義者である。

もちろん決定的な問いは、自然的で自発的な自己にある人間が、他人の快楽へ共感するかどうかではなく、少なくとも利己的衝動を十分に相殺する程度まで、他人の苦痛へ共感するかどうかである。 この点に関する18世紀のモラリストの自信は、すでにわれわれには驚くほど素朴に見え始めている。覚えているように、ルソーは、人間の生来の憐れみを基礎として倫理の建物全体を築こうとしただけでなく、この性質は社会階層を下り、「自然」へ近づくほど、ほぼ正比例して増大すると主張した。

素朴な民衆がそれほど憐れみ深いなら、なぜ車裂きの刑に処される者を見るため熱心に群がるのかと問われると、ルソーは、憐れみはあまりに心地よい感情なので、民衆はそれを経験する機会を一つも逃したくないのだと答えた。シャトーブリアンが語るところでは、彼の家の門番がロベスピエールとルイ15世広場の見世物を懐かしみ、「鶏肉のように白い首」をした女たちがギロチンへ上ったと回想したのも、疑いなく同じ理由からである。同じ理由で、スペインの民衆は闘牛場へ通い、古代ローマの民衆は剣闘士競技場へ押し寄せたのであろう。

真相は、この種の問題における素朴な民衆の心理は、倫理的ではなくエピクロス的だということである。エピクロス派のルクレティウスが遠い昔に指摘したように、安全な岸辺から、他人が難破の恐るべき危険へさらされるのを見ることは心地よい。同じように、世界の悲惨は、新聞の大見出しで適切に料理されれば、普通の市民の朝食に快い刺激を添えるだけである。実際、扇情的な新聞の助けによって、現代人は絶えず岸辺へ並べられ、終わりのない難破の連続を目撃している。

要するに、ルソー的な意味で「自然」な民衆の際立った特徴は、責任を伴わない刺激の追求である。倫理を直接感情へ基礎づけようとする試み全体が成功した大きな理由の一つは、それがキリスト教的慈愛だけでなく恩寵にも代わるものを差し出すように見えたことにある。しかも新しい恩寵は、古い種類の恩寵と異なり、謙虚さも罪の確信も含まない。罪を犯す者がそうするのは、本人のうちに「古いアダム」が生き残っているためではなく、社会とその制度のためだからである。自然の恩寵から社会的洗練へ堕落していない者は、自発的に徳を備えている。ローウェルは、この種の美しい魂について、「天の豊かな本能は、森の片隅が苦もなくスミレを芽生えさせ、それを青く染めるように、その人のうちで育った」と言う。

ここでは新旧の恩寵の相違が明白である。古い恩寵は、たとえそれを受ける者が、働いたのは自分ではなく神だと主張したとしても、働きを含んでいた。いずれにせよ働きがあったことは疑いようがなく、その働きは自然的人間へ、しばしば厳しく、さらには禁欲的な統制を課した。これに対して自然の恩寵による善性は、それを受ける者に「賢明な受動性」以上のものを要求しない。

キリスト教的な愛と恩寵、およびルソー主義者によるこれらの教説の戯画とのあいだにある、もう一つの著しい対照にも注意すべきである。キリスト教徒の愛と恩寵は、明確な排除と識別へ至る。これに対してルソー主義者は、汎神論的夢想のうちですべての区別をぼかす傾向を持つ。たとえば、天国の頂から地獄の底まで明確な道徳的価値の段階を持つダンテの「幻視」と、善人、悪人、そのどちらでもない男女だけでなく、「ニワトコ、モウズイカ、ヨウシュヤマゴボウ」まで、汎神論者が愛と呼ぶものによって同じ水準で眺めるウォルト・ホイットマンの「幻視」とを比べてみればよい。

ダンテは地獄の城壁を築いた「最高の愛」について語る。われわれは中世的な冷酷さに身震いする。しかし正反対の、しかもさらに危険な極端は、ボシュエのいう「人を殺す憐れみ」を人間本性へ惜しみなく注ぎ、愛を促進するという名目のもとで、正義を破壊する用意を整えることである。

無差別な愛が「賢明な受動性」と「自然への回帰」に結びつくことも、その信奉者が主張するように、人間を共通の中心へ引き寄せるのであれば、正当化できるかもしれない。しかしこの交わりが達成されるのは現実世界ではなく、夢の国であることを示せる。この観点から、伝統的基準の崩壊とともに増大したぜいたくと自己放縦への治療として、ルソーその他の原始主義者が提案した「簡素な生活」を考えてみよう。

真に簡素な生活は、欲望を制限することで達成されるはずである。これに対してぜいたくな生活とは、モンテスキューが言うように、「欲望が巨大になった」生活である。ところが原始主義者のいう「自然」は、ロマン主義的想像力の郷愁にすぎないことを示せる。そのため、そこへ戻ろうとする試みは、欲望を制限する代わりに拡張し、さらに無限で不確定なものにする。

ルソーは、「幼年期以来、自分がむなしく焼き尽くされてきた、すべてを食い尽くしながら実を結ばない炎」について語る。シャトーブリアンは、作中人物ルネを実際にヨーロッパ文明からアメリカの荒野へ逃れさせ、先住民の妻を迎えさせた。ルネは彼女へ、「この心から炎が噴き出す。……それは被造物全体を焼き尽くしても満足しないだろう」と書くとき、シャトーブリアン本人を代弁している。シャトーブリアンはキリスト教の擁護者を装った。しかしキリスト教的愛が平安と交わりへ向かうのに対し、シャトーブリアンが述べた種類の郷愁的な「愛」が不安と孤独へ向かうことほど確かなものはない。

理想と現実との皮肉な対照は、シャトーブリアンよりシェリーにおいて、さらに明瞭かもしれない。シェリーはシャトーブリアンのように伝統主義者を装わず、新しい倫理を妥協なく支持した。「道徳の大秘密は愛である」と彼は言う。他方、その詩の特徴的な調子、おそらく最も特徴的な調子は、鋭い霊的孤立である。

内的統制という意味での働きではなく、拡張的感情としての「愛」に基づく新しい自由の支持者の多くは、フランス革命によって苛酷な幻滅を味わった。シャトーブリアン本人は、幻滅したルソー主義者の最良の典型の一人である。『革命試論』でも、ロマン主義的郷愁を高貴な精神の真の印と見なし続けるが、それが刺激する「無限」への憧れは、道徳的衰退の時代に特に広がることを認めている。いずれにせよこの郷愁の結果、人間は自分が持つものへ決して満足しない。倦怠と飽満だけから、政治形態を次々に打ち砕く。

人類の運動は、完全化可能性の使徒が主張するように、直線上を着実に前進するのではなく、籠の中のリスのように円を描く。自由を愛する者の観点からすれば、社会には希望がない。「政治的真理を探しているのなら、それは簡単に見つかる。ここでは専制的な大臣が私の口を塞ぎ、地下牢の奥へ投げ込み、私は理由も知らされず二十年間そこに留められる。バスティーユから脱出すると、私は憤然として民主政へ飛び込む。するとギロチンの足元で、人食い人種が私を待っている」。現代の言い方なら、皇帝を倒せばボルシェヴィキが喉元へ手をかける、ということである。

それなら自由というものは存在しないのか。「いや、甘美で天上的な自由、自然の自由がある」。人は「宗教的な森」へ赴けばよい。非常によく似た仕方でコールリッジは、理論上は普遍的友愛の十字軍だったフランス革命が、その本質において帝国主義的だったと気づいた後、人間のあいだに自由を見いだす望みを捨てた。真の自由を見いだしたい者は、外へ出て荒波の語ることへ耳を傾けよ、と彼は事実上述べる。自由はいかなる人間的形態のうちにも見いだせない。しかし「自分の存在を大地、海、空へ貫き通し」、「最も強烈な愛によって万物を所有する」なら、自由が明らかになるだろう。

しかし真の自由を探すべき場所は、社会でも自然でもなく、自分自身――自分の倫理的自己――なのかもしれない。倫理的自己は拡張的感情としてではなく、内的統制として経験される。したがって自由が第一に結びつくのは「愛」ではなく働きである。西洋の感傷主義者が言うように愛ではなく、「働きこそ世界を動かす」と仏陀は言う。

倫理的に働く者は、自分自身との一致を深める。同時に、人類一般ではなく、同じ倫理的鍛錬へ服し、そのため孔子的な表現で「普遍的中心」へ向かっている者たちとの交わりへ入る傾向を持つ。したがって愛を望む者の観点から見ても、道徳の大秘密は働きである。愛は法の完成であって、感傷主義者が信じさせようとするような法の代用品ではない。キリスト教的慈愛の教説の基礎にある心理的真理は、人間は拡張的に、通常の自己の水準で集まることができない、ということである。そうしようとする試みは、ルソーとシェリーの例で見たように、極端な心理的孤立を生み出す。

ルソーは、「信じがたいほどの怠惰」の上へ「不屈の自由精神」を築いたと言う。ほとんど言うまでもなく、真の自由は怠惰の上へ築けない。それは強い闘争によって勝ち取らなければならないものであり、その闘争は第一に外界ではなく自分自身のうちで起こる。すでに別のところで示唆したように、真の自由主義者と偽の自由主義者との究極の区別は、霊的な運動選手と宇宙的な怠け者との区別なのかもしれない。

真の自由が生き残るためには、倫理的怠惰が、倫理的努力だけに与えられるべき名誉を奪わないことが重要である。高次の意志の活動へ拡張的感情を代えようとする者の計画を受け入れれば、この簒奪が起こる。すでに示そうとしたように、現実世界でこの種の拡張が生む結果は、友愛的ではなく帝国主義的である。

真の自由主義者と偽の自由主義者、倫理的に精励する者と倫理的に怠惰な者との混同は、自然権の教説によっても促進された。明確な義務を果たすことに先立つものとして、抽象的権利として主張される自由は、内面生活に関する限り、つねに怠惰な自由となる。この観点からすれば、他のあらゆる「自然」権は、カール・マルクスの孫が書いた本の題名、『怠惰への権利』へ、ある意味で要約される。われわれの時代には、全住民の道徳的発達の程度に先立つものとして、その抽象的な民族自決権が主張されるのを聞いた。この種の想定上の権利を世界平和計画の一部として掲げることは、人道主義的な自己欺瞞の最深部へ沈むことである。

確かに自然権の教義は、いまも大衆の想像力を支配しているが、政治理論家本人からは否認されている。不幸にも、その理論家の一部は教義を否認しながら、根底の誤謬を保持している。たとえばハロルド・J・ラスキ氏は、抽象的・形而上学的意味での人権をもはや信じてはいないが、人間の欲するものは大まかに人間の必要とするものへ対応するという真理を、便利に表現するものとして人権をなお受け入れる、と述べる。

人間本性について有効な知識を得るための第一の、しかもごく初歩的な一歩は、人間の欲するものと必要とするものが一致しないことを発見することである。ラスキ氏のような「自由主義者」は、この一歩を踏み出していない。『主の祈り』を信じるなら、人間に必要なのはパンと知恵である。この祈りが唱えられた頃、少なくともローマ人が欲したのはパンと見世物だった。人間の欲求と必要との隔たりは、ローマ時代以来、ほとんど、あるいはまったく縮まっていない。

キリスト教神学をどう評価するにせよ、人間は分裂した意志に苦しむというキリスト教的洞察は真実であり続ける。人間は霊の法則へ従う必要がありながら、肢体の法則へ従うことを欲する。そのため徹底して逆説的な存在であり、たいていの場合、自分自身の幸福と戦っている。

すでに述べたように、現在のわれわれの努力は、霊の法則を積極的に扱い、積極的であると称しながら実際にはそうでない者と、その足場の上で対決できるようにすることでなければならない。この観点から、職業哲学者を一瞥してみよう。たとえばヒュームは純粋な実証主義者を自任した。あらゆる先験論を除き、ベルクソンのいう「意識の直接的所与」の上へ立つことを支持した。

厳密に言えば、単なる合理主義はヒュームとともに死んだ。不幸にもカントがその死体へ電気を流した。カントの「純粋理性」は、デカルトその他17世紀の大体系家の理性がそうするとされたように、実在を与えるのではなく、空虚なカテゴリーだけを与える。この純粋理性に対し、カントは実践理性を立てる。実践理性は、「物自体」と対応することを示せないいくつかの命題を肯定するよう導かれる。このように実践と実在を離婚させることで、真理を有用性によって検証しようとするプラグマティズムへの道が開かれる。本来なら有用性を真理によって検証すべきである。同じく、これと密接に結びつく「有用な虚構」の理論や、近年のその他の哲学的奇説への道も開かれる。

カントの実体を欠く超越から、ヒュームと、純粋に経験的であるというその主張へ戻ろう。この主張は二つの理由から認められない。第一に、すでに述べたように、ヒュームは経験的に確立できないものを主張する。すなわち自然的人間のうちには、助けなしで利己的衝動へ対抗できるほど強い、自発的な共感の要素があるという主張である。第二に、ヒュームは、それでもなお「意識の直接的所与」の一つであるものを主張しない。すなわち自然的人間とその拡張的欲望に対する統制力として感じられる、倫理的意志である。

倫理的意志を否定すれば、内面生活は消える。これを肯定すれば、他の多数の主張を不要にし、少なくともそれらへ二次的な力点しか置かずに済む。積極的に肯定できるものに加えて、他にも多くのことが真であることは疑いない。また「付加的信念」は、いずれにせよ避けられない。しかし現在の状況では、形而上学的または神学的な複雑さを最小限にして、人文主義的または宗教的真理へ到達することが望ましい。内面生活の統一性を保つため、流転の上へ実体、本質、または「イデア」の世界を立てる必要があるかさえ明らかでない。西洋の最も高い霊性の多くは、このプラトン的観念論と結びついてきた。他方、初期仏教徒は、インドにあったやや似た教説を、宗教の実を達成する助けではなく、むしろ障害と見なした。

厳密に経験的な観点からすれば、カントは「神、自由、不死」を肯定することで行きすぎた。他方、別の観点からは十分に進んでいない。カントの「定言命法」が与える自由は、第一に何かを行う自由であって、倫理的意志のように、行うことを差し控える自由ではないからである。最初の一歩は、霊の法則と肢体の法則との対立という心理的事実の上へ立つことに違いない。それは生きた現在の事実であり、表面的にはより有用で快適に見えるものを優先して無視すれば、危険を招く。自分のうちにそのような対立をまったく意識しない者もいる、と反論されるかもしれない。しかし色覚を欠く者もいる。そして霊的視覚は、身体的視覚以上に多くの障害へさらされている。

すでに示そうとしたように、ここで述べてきた二元論の高次の意志は、歴史的には恩寵の教義と強く結びつき、この教義の衰退とともに覆い隠される傾向を示した。デカルト以後の主要な近代哲学者を一人ずつ検討し、意志の扱いにおいて最も満足できないことを示すことも可能であろう。 真の二元論を回復したい者は、倫理的意志を第一位へ高めることから始めなければならない。「理性」を、語のどの意味であれ第一位へ置こうとすれば、謙虚さを失い、何らかの形でストア派の誤りを復活させる。この問題では、ストア派に対してキリスト教徒の側へ立つだけでなく、一般にヨーロッパの知識人に対してアジア人の側へ立たなければならない。

意志を第一位へ置くからといって、それを絶対者と同一視したり、ショーペンハウアーのように「物自体」と同一視したりする必要はない。それは積極的な心理観察から形而上学へ転落することである。また知性は意志に比べて二次的だと主張するからといって、ワーズワースその他のロマン主義的蒙昧主義者とともに、それゆえ知性は「偽り」だと結論する必要もない。

高次の意志を第一位へ置くことは、人生は信仰の行為だと宣言することの別の表現にすぎない。われわれは信じるために知るのではなく、知るために信じる、という古いキリスト教の命題に、積極的な根拠から深い意味を見いだせるかもしれない。知性が高次の意志の召使いであることをやめ、独立した力を自称したとき、ほとんど必然的に生じるのは、形而上学的幻想――大洋を一つの杯へ閉じ込めたという幻想――である。

近年、この幻想の最もなじみ深い形は、純粋な機械論者または決定論者の幻想である。決定論者へ、「われわれの意志はわれわれのもの、その由来は知らずとも、われわれの意志はわれわれのもの、それをあなたの意志となすために」と詩人の言葉で告げれば、決定論者は実質的に、われわれの意志はわれわれのものではなく、自分はその由来を知っている、と答える。しかしこの点に関する彼の知識は、知識という自負にすぎない。有限な能力によって、根底では無限である要因を把握しようとしている。別の言い方をすれば、人間本性の高次の要素を低次の要素へ従属させようとしている。

決定論者への適切な回答は、何らかの教義へ訴えることではなく、経験へ訴えることである。この点について決定的な言葉を発したのは、近代で最も常識的な人物と見なされる資格を持つジョンソン博士である。「あらゆる理論は意志の自由に反対し、あらゆる経験はそれを支持する」。この経験的事実の上へ固く立てば、少なくとも一つの本質的な点で、常識へ戻る道が開かれる。自然主義的モラリストがわれわれを絡め取ろうとしてきた、知的・感情的詭弁の巨大な網から、直ちに脱出できる。

人生の謎に何らかの答えがあるとしても、それは形而上学的理論を立てる者ではなく、語の何らかの意味で行為する者へ与えられる。倫理的意志に従って行為することは、自然的人間に関する限り、引き戻し、制限し、選択することである。この最高に人間的な選択の行為を、合理主義的自然主義者は物理的自然へ委ねようとする。感情的自然主義者は、デカルト的またはダーウィン的な線に沿って機械化されることを拒み、自分の生命的独自性、自発的で気質的な「私」、そしてその自己表現の権利を強調する。このように統制から解放された自然的意志は、ニーチェによって権力への意志として考えられ、この点は事実とある程度対応するように思われる。他方、この種類の「自由」が友愛と両立するというルソーやホイットマンの考えは、経験的事実からはるかに離れている。

フランスの著述家レオン・ドーデ氏は、19世紀へ「愚かな」という形容を適用して、ある程度の悪名を得た。この世紀がその形容に値するとすれば、まさにいま論じた側面のためであろう。決定論者は人間を機械化し、真の道徳的選択を否定する傾向を持つ。ルソーからベルクソンまで、ロマン主義的自発性の支持者たちは、道徳的努力に代えて宇宙的衝動または生命の躍動を立てることで、この自然主義的宿命論から逃れようとした。

それでも過去一世紀の多数の人々は、この二つの主要な倫理的受動性のいずれかへ同意しながら、同時に「進歩」への確固たる信仰を持った。確かに漂流してはいたが、「遠い未来の神的事件」へ向かって漂流していると考えた。その事件は普通、平和と友愛の楽園として想像された。しかし漂流するのであれば、漂流できる方向はただ一つ、野蛮へ向かう方向だけである。文明は意識的に意志されなければならないものであり、無意識の深みから自発的に噴き上がるものではない。さらに文明は、何よりもまず各個人が自分の心のうちで意志しなければならない。このように文明を意志した者は、決して多くなかった。したがって文明はつねに不安定であり、事柄の本性上、つねに不安定であり続けなければならない。リヴァロルの言葉を借りれば、野蛮は、最も洗練された文明へ、最もよく磨かれた鋼へ錆が近いのと同じほど近い。

文明が最終的に依存する内的行為の諸形態が否定され、または覆い隠された結果、われわれが生きる自然主義の時代には、18世紀の「美しい魂」から現代のフロイト派と行動主義者まで、疑わしいモラリストがとりわけ豊富に現れた。行動主義者が物質と物質的原因しか見ないため非難に値するとすれば、バークリー的観念論者や、さらに粗雑な形では各種「ニューソート」の唱道者に現れる、霊と考えるものを支持して物質を否定する傾向も、重大な批判を免れない。この否定の結果、彼らは「洞窟内の内戦」が現実であるという感覚を失い、反対側から唯物論へ陥る傾向を持つ。

フロイト派による倫理の腐敗は、もう一つの主要な自然主義的誤謬を興味深く示している。欲望を外的・機械的に抑圧すれば害を生じうるという理由から、欲望の抑制そのものが悪いとほのめかされる。必要なのは外的統制ではなく内的統制だと言えば、相当な評価を受けている哲学者でさえ、内的統制または倫理的意志は人格にかけられたブレーキにすぎず、乗り物をブレーキによって前へ進ませることはできない、と答える。しかしこの比喩は完全に人を誤らせる。倫理的意志は、ブレーキのように外的で機械的なものではない。

外へ向かう欲望へこの意志を課す者は、自分の周縁にあるものから、自分の中心にあるもの、実際には中心そのものへ向かっている。人文主義者は、自然的人間の「欲望」を節度の法則へ従わせること以上には進まないだろう。しかしさらに進み、自然的自己とその衝動に対して完全に「死ぬ」なら、偉大な宗教的指導者を信じる限り、その後に来るのは単なる空虚ではなく、あらゆる理解を越える平安である。

通常の自己へ宗教的統制も人文主義的統制も課さない者は、自分が単なる唯物論者だとは普通認めない。認めるのであれば、倫理的問題は比較的単純になる。しかし自己中心的な個人主義者は、自分の無抑制へ立派な名を与えやすい。プラトンが言うように、不作法を教養、無政府状態を自由、浪費を豪華さと呼び、さらに自分の衝動を神格化するところまで進むかもしれない。ウェルギリウスの「各人の神とは、本人の恐るべき欲望にすぎないのか」という問いへ、肯定で答えなければならない場合がある。「正直な神は人間の最も高貴な作品である」という嘲笑者の言葉にも、ある意味で同意しなければならない。

大戦中にドイツ皇帝と多数のドイツ人が崇拝した神が、自分たちの権力への意志を宗教領域へ投影したものにすぎなかったことは、われわれも容易に認める。しかし民主主義の擁護者に、これと等価な帝国主義的誤りがあることは認めたがらない。それでも、その等価物を指摘することは難しくない。たとえば人道主義的幻想家ヴィクトル・ユゴーに見いだせる。

モンクトン・ミルンズの話によれば、パリでユゴーを訪問すると、「壁際の椅子へ男女が座り、一方の端にユゴーが玉座のように座る大きな部屋へ通された。誰も話さなかった。ついにユゴーが厳粛に声を上げ、『私としては、神を信じる』と言った。沈黙が続いた。その後、一人の女が深く瞑想するかのように、『崇高なことです。神を信じる神』と答えた」。 ユゴーの信じる神が、どれほどユゴーの通常の自己を反映しているかを観察すれば、この崇高さはいくらか減少する。その神によって、ユゴーは通常の自己を、いわば宇宙的規模で崇拝できたのである。

人間はまた、通常の自己の支配的欲望を実体化しただけのものへ、「進歩」または「正義」という名を付けることが多い。たとえばサミュエル・ゴンパーズ氏は、1919年のニューヨーク州議会が、「進歩的または前向きな法律」を一つも通さなかったと不満を述べた。この言葉が何を意味するかは誰にでも分かる。全被造物が向かう遠い未来の神的事件とは、ゴンパーズ氏にとって労働者階級の支配である。ただし労働者階級そのものは、ゴンパーズ氏または同類によって支配されることになっている。政治家の臆病さのため、この多少とも神的な事件は、ときには望ましいほど遠くには見えなかった。個人的利益または階級的利益へ「正義」という語を授けようとする試みは、例を挙げる必要もないほどなじみ深い。

ここで扱っているのは、最も古く、いまなお最も成功している偽装である。大戦中、フランス人は、ドイツ人は根底にある自分たちの無法と略奪欲へ立派な名を与える、という趣旨のタキトゥスの一節を、しきりに引用した。しかしこの性向には、特にドイツ的なものはない。同じタキトゥスが伝えるところでは、野蛮なブリトン人はローマの征服者について、「荒廃を作り、それを平和と呼ぶ」と不満を述べた。この人間的性向は普遍的だが、個人主義的解放の時代には特に著しくなる。

まさにそのような時代には、言葉は賢者にとって計算用の札、愚者にとって流通貨幣であるというホッブズの言葉を思い出し、立派な言い回しを聞いたからといって、それが必ず立派な事柄と一致すると考えないようにする必要がある。ここで、このような時代に知性が果たす真の役割へ導かれる。ルソーのように個人主義者になろうとしながら、同時に知性を軽んじることは、狂気への道へ踏み出すことである。実際、過去との断絶が完全であるほど、識別は鋭くなければならない。そうでなければ、実体のない夢――空虚のうちへ想像力が風船のように膨らんだもの――を「理想」として立て、立派な言葉で飾る危険を冒す。

もちろん想像力は最高の位置に置かれなければならない。しかしそれは事実によって鍛えられた想像力でなければならない。想像力がなければ、諸事実は統一されず、動かない孤立したまま残る。しかし知性もまた存在しなければならない。ここで知性とは、分析し、識別し、原因と結果をたどる人間の力を意味する。想像力が事実のあいだへ築いた統一が現実のものか、それとも何らかの「空想の王国」にしか存在しないかを決定できるのは、この力だけだからである。

真の科学者は、一方では形而上学的な理論家ではなく、他方では単なる事実漁りでもない。その卓越性は、長いあいだ注意を集中してきた事実領域について、真の洞察を得る才能によって測られる。最初は直観の閃きとして訪れたものでも、利用できるあらゆる手段によって慎重に照合し、経験的に検証する。この段階では総合的ではなく分析的である。成功は、自分のうちの知覚する部分、構想する部分、識別する部分のあいだへ、正しい関係を築いたことによる。

真の人文主義者も、やや似た仕方で事実を扱う。ただし注意を集中する事実は、まったく異なる秩序に属する。その想像力は法則によって鍛えられているが、その法則は「事物の法則」ではない。原因と結果をたどるが、その因果の系列は物理的自然に生じるものではない。ローウェルの表現を借りれば、われわれのうちには「ベンサム化」されることを拒む何かがある。そのためロマン主義的理想主義者は、因果の哲学と、それを確立するための鋭い分析を疑いの目で見る。しかし因果の哲学でないものは、純然たる非現実へ陥りやすい。

実在とは、実際上、法則の実在を意味する。そして法則とは、積極的観察の問題として、ある現象のあいだに、時間的または空間的な一定の結びつきが存在し、その結びつきが個人の欲望や意見とは無関係に存在することを意味する。この意味で客観的な人間の法則が存在せず、その法則を破る者が、指を火へ入れる者とほぼ同じように一定の結果へ身をさらすのでないなら、人間の法則は探し求める価値がない。

ヒューム型の懐疑論者なら、原因と結果という観念そのものが客観的ではなく主観的であり、人間の「虚構する性向」から生じると主張するだろう。しかし懐疑論を極端まで進め、人生を単に「形が繰り返し現れる夢」と見なしても、その反復する形が相互に一定の関係を持つことは変わらない。そのため、それらは最後に重要となる唯一の問題――幸福または不幸の問題――の観点から研究できる。原因と結果を抽象的・形而上学的な意味でどう考えるかについて、批判的人文主義者は無知を認める用意がある。真の科学者が、自分の追跡する現象的関係の背後にある究極の本質を把握できないと認めるのと同じである。

以上の分析が正しいなら、西洋がしばらくのあいだ主要な努力を注いできた物質的進歩は、道徳的進歩を促進するどころか、むしろ妨げやすいことになる。この進歩は、道徳法則の事実とはまったく異なる秩序の事実へ、想像力を集中した結果として生じた。現実を――人間が到達できる限りの現実を――与える、現実の知覚に奉仕する鋭い分析的識別は、ますます科学者、あるいは科学的発見を物質的能率の巨大機構へ組織してきた功利主義者の、ほとんど独占物となった。

その一方、特に人間的な領域では、想像力が多かれ少なかれ自由にさまようまま放置された。冒頭で述べたように、十分に実在性を検証されていない統一を立てた。人道主義者が人間のあいだに実現しようとする統一は、ほとんど全面的に「奉仕」という観念へ懸かっている。この奉仕の観念を分析すると、人間を結びつける手段は、合理主義的・機械的なものか、感情的なものかのいずれかである。どちらの場合も、人道主義者は、人間が拡張的に、通常の自己の水準で出会えると想定している。

しかしこの結合の観念が幻想であり、人間が通常の自己より上に置かれた何かへ、謙虚に敬意を表することによってのみ真に結びつけるのなら、数世代にわたって建設されてきた人類の大殿堂は、バベルの塔の近代版ということになる。そうであれば、そこが言語の混乱に打たれているとしても驚くべきではない。

伝統的基準が次第に弱まるにつれ、人道主義者が適切な代用品を供給できないことが明らかになりつつある。西洋全体が行き詰まりへ達しているように見える。単なる合理主義者と単なる感情主義者は、ほぼ同じほど破産している。唯一の希望は、内面生活の真理へ戻ることかもしれない。われわれ自身がその必要を見抜けないとすれば、それはリウィウスが述べる退廃期ローマ人の段階へ達したためかもしれない。彼らは、自分たちの苦しむ害悪にも、その害悪への治療にも耐えられなかった。

伝統的形態の内面生活の真理が失われたため、すでに示そうとしたように、自由という観念に深い変化が生じた。自由は、集中の過程、高次の意志への服従または調整としてではなく、ますます拡張的に考えられるようになった。ここまでの私の議論全体は、近代主義者が脱落させた自由の求心的要素を、何らかの批判的形態で回復し、それによって徹底した完全な近代人になるべきだ、というものである。

いずれにせよ、自由の定義に欠陥があることは小さな問題ではない。その欠陥は、平和と正義の定義へ反映されるからである。平和と正義について欠陥のある観念を持つ社会の見通しを、非常に明るいものと考えることはできない。

すでに示そうとしたように、自由をめぐる混乱のかなりの部分は、神の恩寵に代えて自然の恩寵を求め、それによって、自由を倫理的な働きとする者と、ルソーのように信じがたいほどの怠惰の上へ不屈の自由精神を築こうとする者との区別を曖昧にした、汎神論的夢想家によって促進された。これに対して純粋な伝統主義者、たとえばカトリック信徒は、この種の特定の混乱を避けるだけでなく、一般に、個人主義者へ課される自由を定義する仕事から解放されている。

教会がその定義を供給する。自由とは神の意志への服従だと教えられる。そして教会は一般原理を供給するだけでなく、それを適用する際に生じる無数の「事例」についても指導する。教皇は、少なくとも宗教と道徳に関しては、1870年以来不可謬なのだから、神の意志への服従は、理論上はもちろん違うとしても、実際には教皇への服従と一致する傾向を持つ。

健全な個人主義者も基準を持たなければならない。しかし外的権威へ寄りかかるこの方法によって基準へ到達できないことは明白である。むしろ、ここまで説明してきた知性と想像力との協力によって基準を得なければならない。そして得られた基準を、倫理的意志へ奉仕させるだろう。

想像力、知性、意志が、たとえばパスカルにおけるように互いに分裂せず協力するこの計画は、実行するより輪郭を示す方が容易であることを認めなければならない。しかし近代の実験を安全に遂行するため、これ以外の条件があるとは考えにくい。この実験が崩壊の兆候を見せているなら、その理由は、これまで伝統的統制へ十分に代わるものを達成できなかったことにあるに違いない。

近代的であると称する者は、真の基準を立て、それを基準として選択する代わりに、選択を「自然」へ委ね、倫理的意志の働きに代えて、拡散的で無差別な共感を置こうとした。共感へ耐えられない重荷を負わせ、同時に真に人間的な階層秩序と価値の段階を、平等の原理へ犠牲にするこの傾向は、民主主義運動において特に著しく、おそらくアメリカの民主主義ほど著しいところはない。

したがって、民主主義と基準との関係を論じることが残されている。その議論のなかでソクラテス的問答の助けを借り、真の自由主義者と偽の自由主義者との区別を、さらに明らかにしようと思う。

原注

ルター『奴隷的意志について』(De servo arbitrio、1526年)参照。

「神は、最初の人間の堕落と、そのうちに含まれる全子孫の破滅を予見しただけでなく、そのように意志したのである」。カルヴァン『キリスト教綱要』(Institution de la religion chrétienne)第3巻第23章第7節。メランヒトンは『ローマ人への手紙注解』(1525年)で、「神はすべてのことを行う。……ユダの裏切りの作者であると同時に、パウロの回心の作者でもある」と述べる。

教会がこの意味で有効な働きをなしうると考えられたのは、恩寵が教会へ委ねられているとされたためである。

「国家が何もしないことのために金を払う金利生活者は、私の目には、通行人を食い物にして暮らす盗賊とほとんど変わらない」など。ルソー『エミール』第3編。

オハイオ州のある新聞に詩を寄せた作者は、「何十人もの夢想家、詩人、演説家、計画屋」が努力したにもかかわらず千年王国が到来しないことを嘆いた後、次のように結んでいる。

だから私は、こう考えても反逆ではないと思う。
われわれが衰退し、進歩を欠いている悲しい理由を、
単純な一つの理由として示すことは。
それはこうだ。誰も自分自身へ働きかけず、
それを避けながら、
ほかの誰かを改革しようとしている。

この戯れ歌の作者は、大学学長の一部より、時代を超えた知恵へ近い。

『スッタニパータ』第135偈。

アリストテレス『政治学』1267b。

同書1266b。

ヘシオドス『仕事と日』冒頭参照。

カーライル『過去と現在』(Past and Present)第11章冒頭。

ヒュームによれば、正義は「人工的な」徳であり、その直接の源泉は啓発された自己利益である。その究極の源泉は、他のあらゆる徳と同じく、「人類への広範な共感」である。

「笑えば世界もともに笑い、泣けば一人で泣く」。

コールリッジ「フランス――頌歌」(France: an Ode、1798年)第5部参照。この部分の冒頭は純粋にバーク的である。

感覚的なものと暗黒なるものは、むなしく反逆する。
自らの強制による奴隷たちよ、……

このバーク的な調子を響かせた後、コールリッジは純然たる汎神論的混乱へ陥る。

『スッタニパータ』第654偈。

ラスキ『ロックからベンサムまでの政治思想』(Political Thought from Locke to Bentham)、270頁。

付録A参照。

この逸話はヘンリー・アダムズ『ヘンリー・アダムズの教育』(The Education of Henry Adams)、143頁から採った。

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第7章 民主主義と基準

どのような量的尺度で判断しても、アメリカの達成は目覚ましい。世界の自動車の九〇パーセントを保有し、石油の七五パーセントを支配している。世界の鉄鋼の六〇パーセント、銅の七〇パーセント、電話機とタイプライターの八〇パーセントを生産している。このような統計が証明する物質的優位は、ギリシア人ならネメシスの報復を恐れたであろうものだが、多くのアメリカ人には、ほとんど叙情的といえるほどの自己満足を吹き込んでいるように見える。彼らは現在の成果を評価するとき量ばかりを見るだけでなく、未来への期待では、できることならなおさら量を重んじる。すでに一千五百万台の自動車を持っているのだから、フォード氏とともに、それを三千万台へ増やす以上に高い野心はありえないと考える。シュワブ氏によれば、現在の年間五千万トンという鉄鋼生産量も、二十年後に見込まれる生産量に比べれば取るに足りない。つまり、すでに前例のないほど物に浸りきった時代が、関心の点でもさらに物質的で、機械へさらに従属する時代への準備にすぎないというのである。これが進歩だと教えられている。しかし人生を釣り合いの取れた目で見る者には、むしろ満開に咲ききった商業的傲慢に見えるかもしれない。

アメリカに広まっている量的人生観の理由は、決して純粋に政治的なものではない。この見方は大部分、科学的発見と新大陸の開拓とが一つになったことから生じた。科学の助けにより、楽観的なトマス・ジェファソンでさえ千年を要すると考えたことを、百年で成し遂げることができた。中国人についてわれわれには理解しにくい多くの事柄は、「肘を張る余地がない」という言葉で要約できる、と言われてきた。これに対してこの国のわれわれは、果てしなく肘を張る余地があったという事実から、独特の心理的な歪みを受けた。われわれ自身と他国の双方にとって大きな危険の一つは、フロンティアがなくなった後も長く、フロンティア心理を持ち続けることである。フロンティア心理は膨張的であり、すでに示そうとしたように、膨張性は少なくとも政治的に現れる場合、つねに帝国主義的だからである。

量的に見ればアメリカの達成は目覚ましいが、質的にはいささか満足しにくい。ある外国人批評家は問う。最も人気のある演説家がW・J・ブライアン、最も好まれる俳優がチャーリー・チャップリン、最も広く読まれる小説家がハロルド・ベル・ライト、最も名高い伝道者がビリー・サンデー、代表的なジャーナリストがウィリアム・ランドルフ・ハーストである国を、どう考えればよいのか。かなりの誇張を差し引いても、そのような国について明らかに考えなければならないのは、基準を欠いているということである。さらにアメリカは、基準の欠如だけでなく、しばしば基準の混乱や逆転にも苦しんでいる。基準の逆転の例として、一日に二千個の煉瓦を積めるのに、組合の規則によって五百個しか積めなくされた煉瓦職人を挙げられる。また、フォード氏の組織者・機械技師としての能力に感心するあまり、通貨についての見解まで真剣に聞いたり、エジソン氏が特定の方面で発明の天才を示したというだけで、教育の権威として受け入れたりするときにも、基準の混乱がある。法律上の助けを必要としたフランスの肉屋が、何人もの弁護士を見比べた末、いちばん太った者を選んだという話を思い出させる。

基準の問題は民主主義の問題と同一ではないが、多くの点で交わっており、したがって特定の一国だけの問題ではない。もっともヨーロッパ人は、もはや基準に導かれない人々の粗野さと混沌とした印象主義を、アメリカ特有のものと見たがる。「アメリカは」と『サタデー・レビュー』は言う。「均衡を失った精神、地方的な政策、ヒステリックなユートピアの国である」。しかし基準への敬意は、アメリカ以外の多くの国でも、ある種の民主主義によって弱められてきた。その結果生じた俗悪さと瑣末さは、多かれ少なかれ、そうした国のすべてに見られる。たとえばブライス卿を信じるなら、ニュージーランドにも見られる。アメリカが品格の欠如においておそらく首位にあるとすれば、それは過去からの解放が徹底しているためである。凡庸なものが人を妨げる力についてのゲーテの警告はよく知られている――「われわれすべてを縛るもの、それは凡庸さである」(Was uns alle bändigt, das Gemeine)。何が人を凡庸にするかについての説明は、それほど知られていない。「享楽は人を凡庸にする」と彼は言う(Genießen macht gemein)。

誰もが幸福を望むのだから、幸福を働きによって考えるか、享楽によって考えるかは、明らかに小さな問題ではない。私が定義しようとしてきた十分に倫理的な意味で働くなら、人は何らかの基準に照らして、気質的自己を引き戻し、鍛えている。つまりその気質的自己は、ほとんど文字どおりの意味で回心を経験している。人生全体は実際、「気晴らし」(diversion)と「回心」(conversion)という二語に要約できるかもしれない。われわれは独立宣言によって幸福の追求へ献身しているが、その幸福を求める際、この二本の主要な道のどちらを進んでいるのか。この言葉の作者トマス・ジェファソンは、自分について「私はエピクロス主義者である」と述べている。 少なくともこの点では、ますます多くの若者が立派なジェファソン主義者になっていることは否定できない。彼らの人生哲学を最もよく表す言葉は、おそらく「楽しくやること」(good time)である。彼らの多くは、この言葉が天空そのものの表面に、燃え立つ巨大な文字で書かれているとでも思っているかのようだ。『パンチ』誌が評したように、合衆国は国家ではなく、ピクニックである。

基準への回心という要素を人生から取り除けば、残るのは無責任な刺激の追求である。ここで近代運動の功利主義的・産業的側面が働き始める。商業主義は、あらゆるもの――無責任な刺激の追求をも含む――の上へ、その巨大で脂ぎった手を置きつつある。そのため民主主義が理論上は何であれ、実際には「標準化され、商品化されたメロドラマ」と定義したくなることがある。この定義は、映画産業だけでなく、国民生活の多くの側面にも当てはまる。人間経験の永続的な型を参照せず、その瞬間の印象へ自分を浸し、染み込ませる傾向は、新聞や雑誌ではいっそう著しいかもしれない。古代ギリシアのある都市の住民について、彼らは愚か者ではなかったが、愚か者がするようなことばかりしていた、と言われた。われわれは愚か者ではないかもしれないが、愚か者が読むようなものばかり読んでいる、と新聞売場を一目見て考えずにいることは難しい。

とりわけ日刊新聞は、きわめて幼稚な扇情主義へ明け渡されている。「アメリカ人は立派な国民だ」とマシュー・アーノルドは一八八三年、ボストンから書いた。「しかしその新聞は、私には恐ろしい兆候に見える」。この兆候は当時、現在ほど恐ろしくはなかった。大見出しや漫画別冊が登場する以前だったからである。日曜新聞を読みながらだらしなく身体を崩しているアメリカ人は、量が質に勝利したことを示す、世界がこれまで目にした最も完全な象徴かもしれない。われわれの瑣末さへ奉仕するため、毎日、森全体がパルプへ粉砕されている。

実際、ある気分のときには、何世代にもわたって西洋を押し流してきた運動の最終的成果は、標準化された凡庸さの巨大な塊ではないか、と問いたくなる。とりわけこの国では、民主主義の名のもとに、世界がこれまで見たなかでも最も軽薄な種類の人間を生み出す危険に陥ってはいないか。確かに、民主主義的傾向の結果として品格が失われても、その埋め合わせとして、多数の平均的人間が、少なくともジェファソン的な意味で「幸福」になる、と主張することはできる。しかし歴史によって判断するなら、基準が衰え、それを体現する指導者が姿を消した後に到来するのは、平等主義的な楽園ではなく、劣った型の指導力である。われわれはすでに、この国のいくつかの出来事によって、民主主義を「ならず者の貴族政」としたバイロンの定義を思い出させられている。

世界を民主主義にとって安全にすると最も声高に叫んでいたまさにその時、ニューヨーク市民は誠実な市長の再選を拒み、その代わりにタマニー・ホールの操り人形を据えた。その後、当然のように「犯罪の波」が起こった。すると市民は、いっそう大きな多数で、そのタマニーの操り人形を再選した。産業革命は至るところで、倫理的基準にますます無頓着と思われる巨大な都市大衆を生み出す傾向を持った。アメリカの都市の場合、ある程度の道徳的結束を確保する問題は、人種的系統も文化的背景も大きく異なる、多数の外国出身者がいるためにさらに複雑になっている。 そのうえ人口のおよそ半分が都市居住者であるだけでなく、他の多くの国と違って、農民層や独立自営農民層があるとも言えない。実際に農村で暮らすアメリカ人さえ、心理的にはますます都市化している。状況全体があまりに異例であるため、純粋に生物学的観点からさえ疑念を招く。「アメリカ国民が、征服されない楽観主義を抱いて、陽気に破滅への道を疾走するのを見ていると」と、生物学的観察者であるウィリアム・マクドゥーガル教授は言う。「人類史上最大の悲劇を眺めているように思われる」。

確かに、われわれの人口を構成する高度に異質な諸要素は、オーケストラのさまざまな楽器のように、ただいっそう豊かな調和を生むのだ、と保証されている。これに対しては、オーケストラのように適切に指揮されるならば、と答えられる。そうでなければ、結果は前例のない不協和音になりうる。この指導力の問題は、第一に生物学的な問題ではなく、道徳的な問題である。指導者の質には幅がある。健全な基準へ忠実であるため、自らの模範の正しさそのものによって他人に正しい行為を促す者から、狡知の法則と力の法則以上の何ものをも代表せず、したがって私が定義しようとしてきた意味で帝国主義的である者まで存在する。

民主主義が、自然権の理論に基づく何らかの一般意志を優先し、質的・選択的原理をただ除こうとする試みにすぎないなら、それは深淵を前にした眩暈の一形態に終わるかもしれない。ルソーがフランス革命へ与えた影響を扱う際に示そうとしたように、実際に生じるのは平等ではなく、一種の逆立ちした貴族政である。選択肢は、適切に導かれる民主主義と、基準や指導力に相当するものを数的多数への訴えに見いだそうとする民主主義――言い換えれば一種の量的印象主義へ耽る民主主義――との間にあるのではないかもしれない。適切に導かれる民主主義と、退廃した帝国主義との間にあるのかもしれない。したがって民主主義そのものの利益のために、「人間の諸権利」という教説に代えて、「適任者の権利」という教説を置くべきである。

伝統的基準と、人間の想定上の権利に基づく平等主義的民主主義との対立は、アメリカ自身の政治史で重要な役割を果たしてきた。それは実際には、二つの型の指導力の対立を意味した。「上流の人々」(the quality)という古い意味での「質」は、一八二九年、アンドリュー・ジャクソンの飢えた群衆がワシントンへ侵入したとき、最初の決定的敗北を受けた。この型の民主主義に潜む帝国主義は、「戦利品は勝者に属する」というジャクソン主義の格言に現れている。民主主義の理論において、ジャクソンがトマス・ジェファソンと多くを共有していたことは言うまでもない。

実際、アメリカの制度の始まりまで遡ると、この国は当初から、自由についての異なる見方、究極的には人間本性についての異なる見方に由来する、二つの政府観を代表していたことが分かる。独立宣言に示された見方は、人間がある抽象的権利を持つと想定する。したがってそれは、フランス革命的「理想主義」と重要な接点を持つ。これに対して憲法を生み出した見方は、バークの見方と多くを共有する。第一の政治哲学がジェファソンと正しく結びつけられるなら、第二の最も卓越した代表者はワシントンである。

ジェファソン型の自由主義者は自然人の善性を信じるため、個人にも国家にも拒否権的な力が必要であることを見落としがちである。私がワシントンをその典型とした自由主義者は、自然人に対してそれほど膨張的な態度を取らない。人間には、通常の自己を制限するように働く高次の自己がある。それと同様、国家にも制度のうちへ適切に体現された高次の自己、または永続的な自己があり、それが特定の瞬間の民意によって表される通常の自己へ限界を設定すべきだと考える。ここで示している対照は、言うまでもなく、立憲民主主義と直接民主主義との対照である。民意は優越すべきだが、衝動的で一時的なものを浄化された後にのみそうすべきだと主張する者と、民意は直ちに、無制限に優越すべきだと主張する者との間には、第一原理からの対立がある。

したがってアメリカの民主主義実験は、最初から曖昧なものであった。そしてワシントン的自由とジェファソン的自由との抑えがたい対立が決着するまで、曖昧なままであり続けるだろう。ワシントン型の自由主義者は、自由のいわば連邦維持的側面に、つねに強い関心を払ってきた。この中心的関心は、ウェブスターの言葉に要約されている。「連邦と自由、一つにして分かつことのできないもの」。これに対してジェファソン型の自由は、抽象的権利の主張に基づくあらゆる自由と同じく、倫理的結合へ逆らう。ジェファソン自身、人権だけでなく州権も宣言した。 後に州権の教説はカルフーンによって論理的厳密さをもって展開され、人権の教説は奴隷制廃止論者によって、同じく妥協なく徹底された。その結果、過激派と好戦的煽動者の二つの対立陣営が生じた。連邦の問題全体は倫理的な線に沿って解決されず、力の裁定へ委ねられなければならなかった。

連邦維持派の自由とジェファソン型の自由との対立が持つ十分な意味を把握した者は、アメリカ史を解く鍵を手に入れたことになる。もっとも、個々の人物において二つの概念の対立が常に明確に分かれるわけではない。ジェファソン自身にも、私がジェファソンについて述べてきたことと矛盾する要素が多くある。しかし批評の主要な仕事の一つは、周辺で重なり合っていても、中心では異なるものを区別することである。たとえば、ジェファソンと、ワシントン自身に次ぐ最も卓越した連邦維持派ジョン・マーシャルとを、建国の父への共通の敬愛のもとに一緒に並べることは、敬虔さよりも批評的識別の欠如を示す。ジェファソンとマーシャルは、自分たちが両立しないものを代表していることを完全に理解していた。 われわれもそれを理解することが重要である。「マーシャルは」とジョン・クインシー・アダムズは『日記』に記す。「連邦を固めた。ジェファソンの狡猾でドン・キホーテ的な民主主義には、連邦を絶えず解体しようとする傾向があった」。

連邦の問題を第一に考えることによって、リンカーンはワシントンとマーシャルの真の後継者となった。この点についてリンカーン自身がきわめて明確に述べているにもかかわらず、彼を偉大な連邦維持者ではなく偉大な解放者とするのは、すでにワシントン神話を作ったのと同じように、単にリンカーン神話を作ることにほかならない。 立派な民主主義者になるにはリンカーンのようでありさえすればよい、と言われることがある。しかしリンカーンのようになるには、リンカーンがどのような人物だったかを知らなければならない。それは批評家の仕事であるだけでなく、リンカーン神話が存在するため、一般に考えられているより難しい仕事でもある。リンカーンには著しく感傷的な一面があったため、彼を感傷化することは特に容易である。それでもリンカーンの民主主義とジェファソンの民主主義との間、 さらにはリンカーンとウォルト・ホイットマンとの間に、周辺的な重なりがあるにもかかわらず、中心的な相違を強調しなければならない。たとえば第二次就任演説と「ぼく自身の歌」とを続けて読めば、宗教的謙虚さとロマン主義的自我崇拝とを隔てる距離に気づくだろう。

同じく周辺的な重なりがあるからといって、リンカーンの民主主義をルーズヴェルトの民主主義と混同しないよう注意すべきである。ルーズヴェルトの中心に感じられるのは、帝国主義的人格の動的な突進である。これに対してリンカーンの中心に感じられるのは、司法的な統制の要素であり、それと密接に結びついた、自由な制度を維持するうえで裁判所が果たす役割についての深い理解である。現実のリンカーンを研究した者には、彼が司法判断の取消制度を唱える姿は容易に想像できない。

ジェファソン型の自由主義者は一般に、もう一つの伝統に属する自由主義者よりも、これ見よがしに友愛を口にする。しかし人間的な温かさと親しみやすさでは、通常、連邦維持派に劣る。ワシントン、マーシャル、リンカーンは、その最良の姿において、実際的な明察と、根本的な善意・無私とを兼ね備えていた。これに対してジェファソンは、おそらくアメリカで最も熟達した政治家ではあったが、具体的な危機への対応では、特に明察を示したとは言えない。さらに彼の『アナス』を、その執筆事情を考えながら読めば、人格の中心にあったのは善意と無私ではなく、執念深さだったと結論せずにはいられない。

私が連邦維持派の指導者へ与えた称賛に値する政治家は、歴史を学んだ者なら誰でも知るように、きわめて稀である。何よりも彼らのおかげで得られた立憲的自由は、いかなる国民へ授けられたもののなかでも最大の恵みの一つである。それにもかかわらず、われわれはそれを失う危険にある。憲法修正第十八条は、アメリカ憲法の根底にある原理だけでなく、単なる立法措置と区別される憲法一般の根底になければならない原理についても、われわれが把握を失ったことを示す顕著な証拠である。

現在、立憲的自由から離れつつある動きは、伝統的基準が次第に崩壊し、特に人間的な問題を扱う際、感傷的または功利主義的であった自然主義哲学が台頭したことを参照しなければ理解できない。とりわけアメリカの国民気質に起きた重要な変化は、プロテスタント的キリスト教、特にピューリタン的な形態のそれが、人道主義へ道を譲ってきたことに、最終的には由来する。この点は述べる価値がある。禁酒法その他の同様な「改革」を支持した人々は、ピューリタンだとして攻撃されてきたからである。

しかし真のピューリタニズムは、内面生活の宗教であった。連邦維持派の指導者であるワシントン、マーシャル、リンカーンは、狭い意味で正統派ではなかったが、それでも伝統的な意味で宗教的であった。彼らの見方では、善悪の闘争は第一に社会のなかではなく、個人のなかにあった。高次の意志、または神の意志へ依存しているという自覚は、彼らの自由観へ反映されずにはいなかった。これに対してジェファソンは、自由を神ではなく「自然」と結びつけた。よく知られているように、彼はアメリカ・インディアンの自由を称賛した。 政府の役割を最大限に縮小しようとしたが、バークによれば外的統制の緩和と厳密な比例関係で増大しなければならない内的統制を、強めようとはしなかった。

現実に悪が現れたとき、ジェファソン主義者は内的統制の原理へ訴えられない。しかも、この種類の統制に代わる唯一のものが力であることを認めたくない。そのため一見、自分自身の原理を逆説的に否定する道へ導かれ、立法へ頼ることになる。いずれにせよ、自制に代えて社会的統制を置こうとする現在の試みは、ピューリタン的というよりジェファソン的であることが明らかであろう。われわれがピューリタンの真の子孫である限り、スチュアート・P・シャーマン教授が、われわれの見方とドイツ人の見方との間に立てた、次の対照を受け入れてよい。

ドイツ人の理想は、外的統制と「内的自由」である。政府が彼の行為を管理し、彼自身が自由を管理する。アメリカ人の理想は、外的自由と内的統制である。個人が自分の行為を管理し、政府が彼の自由を守る。したがってドイツでは「禁止」(Verboten)を政府が宣言し、警察が執行する。アメリカでは「禁止」を世論が宣言し、個人の良心が執行する。この観点からすれば、われわれの国民的な集中原理であるピューリタニズムは、国民的な膨張原理である民主主義にとって不可欠な抑制であることが分かるはずである。ここで私はピューリタニズムという語を、ドイツおよびドイツ系アメリカ人の批評家が与えた意味、すなわち「自然的衝動の膨張に対する内的抑制」という意味で用いている。

シャーマン教授の対照は過去には真実であり、現在もなお多少の真実を含んでいる――少なくとも戦時宣伝に用いるには十分な程度には。しかし現在の主な趨勢はどうか。シャーマン教授がピューリタンに帰した見方から離れ、彼がドイツ人に帰した見方へ向かっていることは明白である。「自然的衝動の膨張に対する内的抑制」は、まさにジェファソンの哲学に欠けている要素である。したがってジェファソン主義者は、悪の問題を内面生活の言葉で生きた問題として扱わず、機械的に扱うようになった。イエズス会士と同じく、法から法規主義へ転落したのである。

ドイツに一枚の「禁止」標識があるごとに、すでにこの国には十二枚あると推定されている。ただしわれわれは標識を立てた後、それを守らないことで帳尻を合わせる。こうして禁酒は政府によって宣言され、個人の良心には大幅に拒まれ、警察によってきわめて不完全に執行される。われわれが制定している法律の膨大さは、われわれがますます無法になっていることを示す、多くの証拠の一つである。

確かに、ピューリタンの見方と人道主義的法規主義者の見方には、周辺的な重なりがある。ジュネーヴにおけるカルヴァンの活動を研究した者なら誰でも証言するように、ピューリタンには当初から他人へ干渉する傾向があった。しかしここでさえ、禁酒法論者の干渉へ服従するようわれわれを促した決定的な論拠は、ピューリタン的というより功利主義的ではなかったか、と問える。「酒は」とヘンリー・フォード氏は言う。「近代産業と自動車が入ってきたとき、出て行かなければならなかった」。真相は、われわれが能率というモロクのためなら、連邦憲法さえ含め、あらゆる犠牲を払う用意があるということかもしれない。

近年ピューリタンに反対する運動を行ってきた人々は、自分たちを「知識人」と見たがる。しかし知性の第一の働きが正確な区別を立てることなら、彼らがその名に値しないことは明らかである。この主題全体を扱うにあたり、二重の混乱へ陥っているからである。人間本性における統制原理の擁護をピューリタニズムと同一視する限り、彼らはその名のもとに、古今の知恵と、東西双方の真正な代表者すべてを攻撃しているにすぎない。他方、現在われわれの精神的活力を蝕んでいる人道主義的法規主義者へピューリタンという名を与えることは、法外で不当な称賛を彼らへ授けることである。

ピューリタンへの攻撃の一例として、セオドア・ドライサー氏の攻撃を取り上げよう。それは合衆国についての、次のグロテスクな断言で頂点へ達する。「十戒を機能させようという、これほど特異で、これほど猛烈に見える決意を持つ国はほかにない」。われわれは年間およそ一万人の割合で互いを殺しているが、死刑判決はごく少ない。 また文明国とされる他のどの国民よりも、全般に犯罪へ傾いていることを示している。 その説明は、われわれが機能させようとしているものが十戒ではなく、人道主義であり、しかもそれが機能していないことにある。

裁判所が犯罪を罰するうえでこれほど無力である主な理由の一つは、世論の支持を受けていないことである。そしてそれは、民衆の大部分が、弱者への同情を他のあらゆる徳に代えて置いた人々、または犯罪者は環境の産物であって道徳的責任を負わないと考える人々によって構成されているためである。ここでも他の場合と同じく、人生を機械化する者と、人生を感傷化する者とが協力している。

道徳的責任への信念は、何らかの基準を参照する内的な働きが可能だという信念に基づかなければならない。すでに示そうとしたように、功利主義者は外的な働きへ主な強調を置いてきた。この強調が機械の増殖と一致した結果、基準(standards)に代えて規格化(standardization)が置かれた。商業界の巨頭たちが追求する種類の能率は、多数の人間から人間固有の属性を奪い、何らかの巨大な機械の歯車にすることを必要とする。現在の速度で進めば、人里離れた田舎町の食料品商にさえ、バター一ポンドの価格を決めるだけの自主性も、まもなく残されなくなるだろう。

しかし規格化は、現在「理想」と呼ばれているものほど、基準にとって重大な脅威ではない。理想の名で基準を破壊する者は、卑しい商業的動機に駆られているようには見えず、反対に、低い者・抑圧された者への最も純粋な憐れみに動かされているように見える。この人道主義的熱情を厳密に吟味する勇気を持たなければならない。おそらく、アメリカとは機会の別名にすぎないという、よく知られた格言から始めるのがよい。何をする機会なのか。金銭と物質的成功をめぐる争奪戦へ加わり、すべての人間は平等に創られたという命題へ捧げられた国の典型的産物として、億万長者が現れるまで競争する機会なのか。

ナポレオンによれば、フランス革命も機会の別名にすぎなかった――「才能に開かれた出世の道」(la carrière ouverte aux talents)である。商業界の超人の一部は、明らかにその機会を、きわめてナポレオン的な仕方で利用してきた。いずれにせよ機会は、何らかの真の基準との関係においてのみ意味を持つ。感傷主義者は、誤った種類の優越性へ抗議するためにそのような基準を立てる代わりに、経済的利益を求める競争で取り残された者へ、無差別な同情を注ぎがちである。見方がそれほど物質主義的でない場合でさえ、正義の問題を避ける傾向を持つ。

ある者が弱者なのは、すでに機会を与えられながら、それを利用できなかったためではないか。社会秩序の犠牲者と見なされている者は、むしろ自分自身の非行の犠牲者ではないか、 少なくとも自分自身の怠惰と不注意の犠牲者ではないか。感傷主義者はこうした問いを立てない。そのため道徳法則よりも親切になろうとする者へ下される罰を、自ら招く。

結局、「社会改良家」の見方がこれほど人気を持つのは、精神的な自己満足を養うためである。それによって人は、自分を「上」に、誰かほかの者を「下」にいると見られる。しかし自己満足した人々は、神の鼻孔にとって「特別な煙」であるというジョナサン・エドワーズの断言には、神学的ではないとしても心理的な真理がある。人は下を見るのではなく、通常の自己よりはるか上に置かれ、自分自身こそ精神的には弱者であると感じさせる基準を、見上げる必要がある。このように上を見る者は、今度は他人から見上げられるに値する者となりつつあり、その限りで指導者となる資格を得つつある。この種類の指導力こそ、長い目で見れば、帝国主義的超人の指導力へ対抗できる唯一の有効な均衡力となるかもしれない。

社会とその想定上の利益へどれほど献身しても、精神が基準へ示すこの内的敬意に代わることはできない。人道主義者はここで悪循環に捕らえられているように見える。内面生活に背を向け、同胞へ奉仕すれば、お節介屋になる。主として他人の利益のために、もう一度、自分を模範的人間にしようとすれば、独善家になる。謙虚さ以外の何ものも役には立たない。バークが見抜いたように、謙虚さは、特に宗教的な諸徳だけでなく、世俗的秩序に行き渡るべき正義の究極的な根である。

私が繰り返し主張してきたように、近代の問題は、バークが基準と指導力を結びつけた伝統的秩序がこれほど大きく揺らいだ現在、基準へ忠誠を持つ指導者を確保することである。伝統的信仰と決別した人々は、指導者の必要そのものを認めた場合でさえ、この指導力の問題を扱ううえで、これまで驚くほど無力であることを示してきた。特に自分たちが実証的であることを誇った人々は、物理科学の代表者に指導力を求めた。たとえばオーギュスト・コントは、科学者を真の近代的聖職者と見なしただけでなく、個人の道徳的努力を実際に軽んじた。

単なる科学的「進歩」の最終的成果は、能率的な誇大妄想者を生み出すことだと、別の場所で述べたことをここで繰り返す必要はほとんどない。物理科学は、本来の位置では優れたものである。しかしその位置から祭り上げられたとき、人間がこれまでひれ伏すことへ同意したなかで、最も醜く、最も有害な偶像となる。真正な科学の本質が、独断的な先入観を持たず、現れるままの事実すべてへ誠実に向き合うことなら、テニソンの言葉を借りれば物理科学は第一ではなく第二であることを忘れる者が、真に科学的なのかと問うことは正当である。また科学と功利主義との間には、最も鋭い区別を立てる必要があるのではないか。たとえばアリストテレスは真の科学者だったが、功利主義者ではなかった。 これに対してフランシス・ベーコンは、功利主義運動全体の預言者であるが、科学者として卓越していたかは疑わしい。重要な科学的発見をなしえなかったという事実を別にしても、ベーコン的方法の妥当性を疑うことができる。健全な科学的方法の一部として演繹へ正当な位置を与えなかったことは、しばしば指摘されてきた。さらに重大な欠陥は、科学的発見において想像力が果たす役割、言い換えれば、並外れた天才が果たす役割を認めなかったことである。

科学的知識人の貴族政、さらには何であれ知性の貴族政こそ、われわれに必要なものだとは認められない。それは実際には知識欲(libido sciendi)を奨励し、謙虚さの位置へ傲慢を置くことになる。芸術家の貴族政なら、なおさら受け入れがたい。近年「芸術」という語が理解されてきた意味では、それは感覚欲(libido sentiendi)に基づいて選別しようとする審美家の貴族政を意味するだろう。またニーチェが、権力への意志、すなわち支配欲(libido dominandi)の純粋な膨張の上へ、貴族主義的・選択的原理を築こうとした試みは、実際には恐ろしい暴力へ、最後には文明の死へ導くだろう。

過去一世紀のあいだに、人間の心にある三つの主要な欲望を基準として価値の尺度を立てようとした試みは、しばしば神秘主義的な色彩を帯びた。膨張的な自惚れがどのような形を取ろうと、人は神がその味方であると思いたがる。実際、たとえばセイエール氏の諸巻で述べられているような、近代運動のさまざまな神秘主義を通覧すると、ボシュエの言葉を思い出す。「真の神秘主義はきわめて稀で無害であり、偽の神秘主義はきわめてありふれ、危険であるため、これにいくら強く反対してもしすぎることはない」。

審美家、超人、科学的知識人が指導力を要求する際、しばしば疑似神秘主義的な要素が見いだされるが、民主主義の名において指導力そのものを廃そうとする人々には、この要素がさらに明白である。すでに見たように、ウォルト・ホイットマンは自分の「自発的な私」に何の抑制も加えようとしない。他のすべての者にも同じ程度、自分の「特異性」に耽り、つまりロマン主義的な意味を完全に備えた「天才」になることを望む。このような無政府的な自由が、平等と友愛へ導くというのである。

この型の民主主義者へ、その綱領は常識と経験上の事実に反すると告げれば、彼は神秘的な「幻視」へ逃げ込むのが常である。各人が自分の気質的な接線に沿って飛び去ることによって、互いに一つになれると考えるには、実際、ひどく神秘主義的でなければならない。ホイットマンは、何らかの基準を謙虚に見上げ、そのため今度は見上げられるに値する者となる指導者の必要を認めない。彼が考える唯一の指導力は、民衆の自尊心へ媚び、「神的な平均人」を歌う、理想的な民主主義詩人の指導力らしい。

彼は、生命的な統制に代えて、愛の名を与えられた膨張的感情を置く傾向を、極端な形で代表している。誇りと自己主張も、愛によって和らげられるなら、結合の原理を危険にさらさないと彼は考える。 連邦は「つねに大言壮語する者で群がっているが、それでもつねに安全で難攻不落である」と彼は言う。過去の記録は、「大言壮語する者」で群がる共同体において倫理的結合が維持されることについて、安心を与えない。いずれにせよ、大言壮語する者への釣り合いは、神的な平均人のうちではなく、真の指導者――「騒々しい国における、静かで強い人」――のうちに見いだされる。

ここでわれわれは、第一原理に関わるため、媒介も妥協も許さないもう一つの対立へ到達する。すなわち、救済する少数者という教説と、神的な平均人という教説との対立である。人間本性を現実的に扱えば、ところどころに尊敬へ値する者を、まれには畏敬へ値する者を見いだせるかもしれない。これに対して平均人の神性へ信頼を置く者は、歴史の記録を信じるなら、幻滅を経て最後には絶望へ至る運命にある。現在、この国では幻滅の段階へ達しつつある。『メイン・ストリート』の作者によれば平均人は神的ではなく、瑣末である。『スプーン・リヴァー詩集』の作者によれば、平均人は明らかに醜悪である。

現代アメリカが風刺に多くの余地を与えていることは、ほとんど否定できない。非常に多くの人々が少しずつ物質主義へ流されながら、同時に、自分たちは輝かしい理想主義者だという自惚れを抱いていることが多い。しかし価値ある風刺は、建設的でなければならない。瑣末なものの反対は卓越したものであり、何が卓越しているかは、基準を参照することによってのみ決められる。基準を背景として「メイン・ストリート」を見ることは、明らかに有益であろう。しかし基準こそ、いわゆる現実主義者が欠いているものである。彼ら自身、定義しようとしている病気の一部なのである。

民主主義的理想主義者は、「普通の民衆」への際限のない信頼のため、基準と指導力の問題全体を軽視しがちである。普通の民衆へ訴えることは、どの程度まで正当化され、どこから単なるデマゴギーになるのか。誰よりも多く知っている者がいる、それは全員である、という格言には疑いなく真理がある。ただし全員に証拠を選り分ける十分な時間を与えなければならない。そして、それでも全員が知っていることは多くない、と付け加えなければならない。バークはブリストルの選挙民へ、自分は彼らのその瞬間の意見へ媚びているのではなく、五年後には彼らと自分の双方が持たなければならない見解を述べているのだ、と語った。

民衆の一時的印象に対して冷静な判断が勝利する場合でさえ、真の指導者の役割を過小評価してはならない。たとえば一七九五年、アメリカの普通の民衆は、フランスのジャコバン派へ友愛の抱擁を与えたがっていた。偉大で賢明なワシントンは、ほぼ確実に悲惨な結果をもたらしたであろう同盟へ反対した。その結果、現代の「論壇誌」の先駆である『オーロラ』のような新聞から、本人が嘆いたように、ありふれた掏摸にさえ値しないほどの罵言を浴びせられた。比較的短い時間の後、ワシントンとその一派が正しく、普通の民衆の代弁者に見えた人々が誤っていたことが分かった。

啓発された少数者を持たない共同体については、その冷静な再考にさえ大きな信頼を置けるかは明らかでない。たとえばハイチの政治家が、現在のハイチ世論から五年後のハイチ世論へ上訴しても、多くを得られないかもしれない。しかし民主主義的理想主義者が普通の民衆へ訴えると言うとき、通常、民衆の冷静な再考へ訴えることを意味しない。むしろ数的多数の意志を直ちに実施することを意味する。コミック・ソングの人物のように、民衆は「欲しいときに、欲しいものを欲しがる」と想定されている。

この数年間、アメリカがこの急進的な型の民主主義へ向かって流れてきたことに疑いはない。それは、直接発案、人民投票、リコール――裁判官または司法判断のリコール――がますます流行していること、また予備選挙の一般化や上院議員の直接選挙から明らかである。民衆があらゆる措置へ直接判断を下すべきだという感情のため、ある州では長さ三十フィートの投票用紙まで現れた。しかし特定の瞬間の民衆多数に知恵が宿るという考えは、あらゆる誤謬のなかで最も徹底的に打ち砕かれているべきものである。

エルサレムの普通の民衆が、最も改良された型の投票箱を使って意志を登録していたとしても、バラバよりキリストを選んだという証拠はない。ソクラテスを有罪とした陪審の規模を考えれば、彼は「大規模で厳粛な人民投票」の犠牲者だったと、自信をもって言える。他方、普通の民衆がネロを特に喜んだことも示せる。しかし普通の民衆は教育され、啓発された、と答えられるだろう。選抜徴兵に関連して行われた知能検査は、男性有権者の平均精神年齢がおよそ十四歳であることを示している。 もっとも知能検査を行った者自身の知性の質には、多少の疑いがある。人口の知的水準が低いことを示す、より説得力ある証拠は、ハースト系出版物が二千五百万人の読者を持っていることかもしれない。

「多数派ほど忌まわしいものはない」とゲーテは言う。「多数派は、少数の強力な指導者、一定数の迎合的なならず者と卑屈な弱者、そして自分が何を考えているかさえ少しも知らず、彼らの後をとぼとぼ歩く大衆から成る」。この分析にいくらかでも真実があるなら、急進的民主主義において多数派は、しばしば名目上しか支配しない。実際、組織され、決意を固めた少数者の意志が、惰性的で組織されていない大衆の意志へ勝つ仕方を、民主主義運動と称される運動ほど明瞭に示すものはない。大衆が少数者の後を「とぼとぼ歩く」ことへ同意しなくても、抵抗しようとする際にはますます不利になる。物理科学は専制的少数者の側にある。普通の市民は暖炉のそばへ機関銃を置くことも、裏庭へ「戦車」を置くこともできない。

最も新しい型の革命的理想主義者も、主な関心はなお民衆へ利益を与えることにあるが、彼の名誉のために言えば、その利益を多数派によって達成できるとは考えていない。むしろ組織された少数者の直接行動によって達成しようとする。必要なら力ずくで、自分の万能薬を民衆の喉へ押し込むことも正当化されると感じている。この型の急進主義者は、救済する少数者という教説へ近づきつつあり、独自の仕方で、すべては最終的に指導力の質へ懸かっていることを認めている。

しかしその質についての見解は、伝統的見解と奇妙なほど異なる。伝統的にどのような指導力の理論が掲げられてきたにせよ、現実の指導力が決してそれほど立派ではなかったことは認めなければならない。ジョン・セルデンが述べたように、「どれほどわずかな愚行が世界を支配しているか」は、ほとんど想像もつかない。またトロイア戦争以来、社会の頂点で優越した愚かさは、下層の者たちによってつねに忠実に反映されてきた(Quidquid delirant reges――)。過去を見渡す者は、ときにドライデンの陰鬱な判断へ同意したくなる。

ご都合主義者と愚か者が最上位へ立たない政府は、これまで一つもなく、これからもありえない。人物が入れ替わるだけで、国家における同じごまかし、宗教における同じ偽善、同じ自己利益と失政が、永遠に残るだろう。血と金はどの時代にも、古い良心を持つ新しい顔を出世させるためだけに浪費される。

しかし過去の悪い指導力と、近代革命時代の悪い指導力との間には、一つの相違があることに注意すべきである。過去の指導者は、自分たちが公言する原理へ違反するため悪くなることが最も多かった。これに対してロベスピエールやレーニンが自分の原理を実施しようとするときこそ、文明の存続に関心を持つ者には震える理由がある。

ドライデンの一節は、本当に必要なのは、古い良心を持つ新しい顔ではなく、良心そのものの変革だと示唆しているように見える。まさにそのような変革を、ロベスピエールのような革命的理想主義者は実現しようとする。古い型の貴族的指導者の腐敗した良心に代えて、社会的良心を置こうとするのである。この良心に吹き込まれた人民の意志は、すでに見たように、王の意志だけでなく神の意志に代えても安全なほど無垢である。

本質的には理性的であるとも、本質的には友愛的であるとも考えられる「一般意志」または「神的な平均人」の器官にすぎない者となろうとする指導者が、実際には帝国主義的になることを、すでに示そうとした。この民主主義的理想主義を、特にアメリカの国際関係へ及ぼすであろう影響に関連させ、ここでさらに分析するとよいかもしれない。しばらく前からの傾向は、国際法を、理論上、理性の体現として扱うのではなく、実証的には意志の体現として扱うことにあった。

その場合、国際法が国家間の関係の何らかの改善を反映するためには、神の意志に代えて人民の意志を置くことが、国境を越えてさえ、人間の倫理的結合を促進してきたことを示さなければならない。人民の意志を現実的に分析すると、それは伝統的基準からますます解放され、私が無責任な刺激の追求と呼んだものへますます身を委ねる、多数の人間の意志を意味する。誰もが知るように、そうした刺激は扇情新聞によって供給され、国際問題では、平和主義から好戦的愛国主義への、しばしば当惑するほど突然の転換を伴う。スペインとの戦争直前の時期を記憶する者なら、この種類のジャーナリズムが戦争を誘発する際に果たしうる役割を十分に理解するだろう。

もう一度、日本がいっそう民主化し、言い換えれば少数の「元老」の意志に代えて人民の意志が置かれたなら、アメリカと日本との衝突の可能性が減るか、と自問しよう。日本の扇情新聞が、アメリカへの疑念を煽るため、すでに何をしてきたかを知る者なら、この点について疑いを抱くことは正当である。

現実的な観察者は、民主主義は自分自身についての感情では理想主義的であり、実践では帝国主義的になりやすい、と結論せざるをえない。実際、その理想主義と帝国主義とは、ほぼ正比例する。たとえばウォルト・ホイットマンの意味で友愛的であることは、際限なく膨張的であることであり、このような世界において際限のない膨張性は、平和と両立しない。ホイットマンは、合衆国がカナダとメキシコを吸収し、大西洋と太平洋の双方を支配するまで膨張する姿を想像している。ほぼ確実に全世界との戦争へ巻き込む綱領である。

アメリカ人が自分たちについて何を感じているかではなく、実際に何をしてきたかに従うなら、われわれはこれまで、一貫して膨張的、言い換えれば一貫して帝国主義的な国民であったと結論しなければならない。 自然の国境まで膨張してきただけだ、と答えられるかもしれない。しかしわれわれはすでにフィリピンにおり、アジアでの冒険へ巻き込まれる明白な危険にある。

日本は五千七百万人の人口を持ち、その人口は年に約六十万人の割合で増えている。カリフォルニア州ほどの面積もない島々に住み、耕作可能な土地はその一七パーセントにすぎない。したがって自然の国境を越えて進出することに、少なくとももっともらしい口実がある。しかしほとんど無限で、なお大部分が未開発である資源を持つわれわれが、東方へ膨張して得られそうな何ものかのため、近代的条件下の戦争の恐怖を冒すなら、それは純然たる精神的不安定と、節度を欠く商業主義の極端な例となるだろう。

国史の主要な事件の一つ一つが、高度に理想主義的な色彩を帯びることは、われわれの心理の一部である。たとえば数年前、メキシコの主権へ不当に干渉した結果、われわれは同国との衝突寸前まで進んだ。ウィルソン大統領は直ちに、始まりかけた争いを「奉仕」の戦争と表現した。キケロによれば、ローマは同盟者を助けに行くことによって世界の支配を得た。同じように、いつの日かわれわれについても、一連の理想主義的爆発の結果、連邦共和国から高度に中央集権化された官僚帝国へ変わった、と言われるかもしれない。われわれは他のあらゆる国民が自己利益を追求していることを進んで認める。しかし自分たちについては、最も無私な動機だけで行動すると考える。革命期フランスのように「諸国民のキリスト」を名乗るまでには至っていないが、先の大戦中、少なくとも「諸国民のガラハッド卿」であると自分を見たがった。アメリカ人が自分を理想主義者と見なす一方、外国人が彼をドルを追う者と見るなら、その説明の一部は、アメリカ人が自分を感情によって判断し、外国人は彼の行為によって判断することにあるかもしれない。

もちろん、これが真相のすべてではない。われわれには理想主義の伝統のほか、健全な道徳的現実主義に基づく連邦維持の伝統がある。「これは人類の普遍的経験に基づく格言である」とワシントンは言う。「いかなる国民も、自国の利益によって拘束される以上には信頼できない。そしていかなる大統領、政治家、政略家も、この格言から離れようとはしない」。あらゆる現実的観察がワシントンを裏づける。その精神に鼓舞された者は、国家として備えを整えたうえで、自国の仕事へ専念すべきだと考える。これに対して理想主義者は、備えを怠ったまま、多かれ少なかれ普遍的な干渉へ乗り出す傾向を持つ。

さらに、ルーズヴェルトと正しく結びつけられる第三の態度を区別できる。ルーズヴェルトの追随者は備えを望むが、ワシントンの追随者のように、自国の仕事だけへ専念すると期待することはできない。人道主義者はもちろん、世界奉仕の綱領の一部として、外国問題へ干渉することを望む。しかし残念ながら、そのような綱領へ従事しながら、世界帝国の綱領へ巻き込まれないことは、彼が考えるより難しい。古代ローマ史のいくつかの事件には、「感傷的帝国主義」という語を適用できる。 大戦へ参戦するために公言した動機の一部は、フラミニヌスのような者がギリシア救援へ赴く際に公言した動機を、奇妙なほど思い出させる。

一世紀以上後、三頭政治の使者によって暗殺されるわずか数か月前に書いたキケロは、自分もかつて、ローマは世界帝国ではなく世界奉仕を代表すると考えていたが、苦い幻滅を味わったと述べた。続いて彼は、卓越した帝国主義的指導者ユリウス・カエサルを、悪そのもののために悪を行う、人間の姿をした悪魔として非難する。しかしカエサルには少なくとも、ローマのエートスが変化しつつあることを見抜いた功績があった。宗教的抑制が崩壊し――ストア派的「奉仕」はその適切な代用品ではなかった――、ローマ人は共和政制度にふさわしくない者へ急速に変わりつつあったのである。

実際、この種の個別的比較を超え、退廃期ローマと近代アメリカとの一般的な並行関係を展開しようとする者もいる。そのような並行関係はつねにきわめて不完全であり、大きな注意をもって用いなければならない。第一に、退廃という語で何を意味するかを、ある程度正確に定義する必要がある。この語は、「古き良き時代」の幻想と呼べるものに苦しむ者によって、曖昧に用いられることが多い。 リウィウスが「一人の人間のうちに、かつて一国民全体へ属していたこの慎み、廉直、高邁な精神を、いまどこに見いだせるのか」と叫ぶとき、確かにいくらか牧歌的である。

それでも共和政ローマと帝政ローマとを比べれば、真の衰退を感じる。ピュロスの助言者キネアスには半神の集会に見えた元老院が、ティベリウスの時代までには、むしろへつらう追従者の集会となっていた。ホラティウスが当時のローマ人の進行する退廃を宣言したとき、冷静な真実を語っていたにすぎない。 ホラティウスその他の鋭い観察者には、この退廃の最も意味深い兆候は、家族の絆が緩んだことに見えた。

われわれはこの国で同じような道徳的融解を目撃しているのか。そうだとすれば、どこまで進んでいるのか。ある外国人批評家は、アメリカがすでに「ヘリオガバルスの段階」へ達したと断言するが、これは不合理である。しかし同時に、自然主義的な自由の観念が、過去の二つの主要な統一力――教会と家族――を、かなりの程度まで掘り崩したことも否定できない。家族の規律の衰退は比較的最近のことである。ピューリタンの家庭で優勢だった状態を覚えている人々が、なお生きている。

古い抑制からの解放過程は、通常、単なる物質主義への転落として現れたわけではない。現在の意味での理想主義が、伝統的宗教に代わる傾向を持った。ピューリタンの子孫は、特に南北戦争以後、確かに商業主義へ進んだ。しかしそれは人道主義的十字軍運動によって和らげられた商業主義であった。すでに指摘したように、人道主義者は真正なピューリタンのように、個人の心のうちにある悪へ達しようとはしない。そのため最後には外的規制へ頼らざるをえない。

源において統制されない利己的衝動は、人と人、階級と階級との関係で、無力な利他主義へ勝つ傾向を持つ。財産を目的への手段ではなく、それ自体を目的と見なす物質主義特有の印は、ますます目立っている。今日の保守主義者は、財産をそれ自体のために保守することへ関心を持つ。バークのように、真正に精神的なものである個人的自由にとって、ほとんど不可欠な支えであるために保守するのではない。進歩主義者について言えば、財産と、彼が正しいと考えるその分配への執着は、病的な強迫に近い。

この方向へ進み続ければ、秩序ある政党政治はますます困難になり、最後には階級戦争に脅かされるだろう。すでに脅かされているのかもしれない。歴史を学ぶ者なら誰でも、民主主義におけるこの特定の兆候が持つ意味を知っている。現在の全体的趨勢と思われるものは、次のように要約できる。われわれは、人道主義的法規主義の狂宴を通過し、退廃した帝国主義へ向かっている。

これを相殺する重要な影響力は、連邦維持の偉大な伝統である。しかしこの伝統を維持するうえでの困難を過小評価してはならない。国家は、その通常の自己に対する拒否権的な力として感じられる、永続的または高次の自己を持つべきだという観念は、究極的には、個人にも同様の二元性があるという主張へ立脚する。この主張は西洋では、自然主義運動によって弱められてきた特定のキリスト教的信仰と、切り離せないほど結びついてきたことを見た。

ここで本論の過程で何度も直面してきた問題へ戻る。すなわち、伝統的信仰に対する近代的な等価物、とりわけ、自由に生命的抑制(frein vital)または求心的要素があると改めて主張するための、新しい基礎をどのように得るかという問題である。ジュベールによれば、フランス革命の人々が望んだのは宗教的自由ではなく、非宗教的自由だった。そうであるなら、とフランスの近代主義者は苦々しく反論する。革命的自由を捨て、イエズス会士になれというのか。同じようにアメリカの近代主義者へ、伝統的統制の代用品としての彼の理想主義が空虚であることを指摘すれば、直ちにピューリタニズムへ戻そうとしていると非難される。

しかし厳密には、何ものへも戻る必要はない。私自身の方法の一部は、アリストテレスの背後へ孔子を、キリストの背後へ仏陀を置くことである。それでも、これらの偉大な教師でさえわれわれのためにできる最善のことは、すでに自分自身のうちに存在するものを発見する助けとなることである。 この観点からすれば、彼らはほとんど不可欠である。

したがってまず、現実ではない二者択一を精神から取り除こう。アメリカで鈍重な商業主義に満足しないからといって、一方ではピューリタニズムへ戻り、他方では『ニュー・リパブリック』式の「自由主義者」になる必要はない。またH・L・メンケン氏の指導のもとで、二流のニーチェ主義者へ進化する必要もない。しかし現在の状況を少しでも把握するには、多少の道徳的重みと知的な真剣さを育てる必要がある。そうすれば近代主義者の立場と比べた伝統的教説の強さは、悪という事実へ比較的正直に向き合うことにあると分かるだろう。

理想主義者が盛んに消し去ってきた「古いアダム」を、批判的・実験的な仕方で人間本性へ回復する必要があることも分かるだろう。この種の回復は、自然主義的楽観主義から自然主義的悲観主義へ単に転落することへ導くべきではない。そのような転落ほど容易なものはなく、根底でそれほど空しいものもない。どちらの態度もほぼ同じほど宿命論的であり、したがって道徳的責任を掘り崩す。

事実を見渡すなら、人間は道徳的責任を負うが、つねにその責任を避けようとしている、と考えられる。つまり人間が苦しむのは、どのような意味での運命でもなく、精神的な無気力である。悪魔の別名は惰性だという格言には、真理があるかもしれない。キリストや仏陀の教えのような偉大な教えが、次第にねじ曲げられ、人間がそれを古来の怠惰へほぼ完全に適合させるに至った過程を歴史的に追うことほど、奇妙なものはない。

数世紀前、日本仏教には「難行道」と呼ばれる宗派があった。その後まもなく「易行道」と呼ばれる別の宗派が生じ、直ちに大きな人気を得て、難行道に取って代わる傾向を示した。しかし日本の難行道そのものも、仏陀本来の道と比べれば易しい道である。仏教の教説が、創始者によって置かれた厳しく、ほとんど到達不能な高みから、次第にマニ車の水準まで降りてきた過程を、非常に明瞭にたどることができる。少し前の新聞報道によれば、最後の改良として、チベットのマニ車の一部は電気で動かされる予定だという。立法という機械の取っ手を回すことで社会を救おうとする者、または「社会宗教工学者」を名乗る者は、自分をキリスト教徒と呼んでもよい。しかしおそらく、東洋で易行道へ帰依する者の一部が仏陀の真の精神から遠いのと同じほど、イエスの真の精神から遠い。

すでに指摘したように、人間の精神的怠惰の本質は、基準を見上げ、それに照らして自己を鍛えることを望まないことにある。むしろ支配的欲望の線に沿って自由に膨張したがる。この欲望を助けるように見えるものへ熱心に飛びつき、よく言われるように、自分についての好ましい思い込みを保たせるものへ傾く。ディズレーリはヴィクトリア女王とうまく付き合う最善の方法は、お世辞を言い、お世辞が過ぎることを恐れず、「鏝で塗りつける」ことだと発見した、と伝えられている。デーモスすなわち民衆も、他の君主と同じくお世辞を切望することは、はるか以前に指摘されていた。人民主権の理論においてルソーは、このお世辞を鏝で塗りつけたと言わなければならない。一般に、悪は人間自身ではなく制度のうちにあるという考えが莫大な人気を得たのは、それが真実だからではなく、お世辞だからである。

私が述べてきた種類の観察は、冷笑主義という非難を招きやすい。しかし不健全な種類の冷笑主義――幻滅した感傷主義者の冷笑――を避ける唯一の方法として、健全な冷笑主義を養う必要がある。健全な冷笑主義と言うとき、「大多数の人間は機会があれば悪を行う」と述べたアリストテレスの冷笑、または「つねに悪を行う傾向を持つ人間の心の驚くべき邪悪さ」と語ったボシュエの、穏健なキリスト教的見方を意味する。冷笑主義者が、自分は人間本性の外側にいて、何らかの優越した頂からそれを見ていると考えない限り、冷笑主義に害はない。いま定義した意味での冷笑主義は、実際、宗教的謙虚さと多くの共通点を持つ。

それでは冷笑主義という非難を恐れず、現実的分析を続けよう。人間がこれほど容易にお世辞へ屈するのは、まず自分自身へお世辞を言っているためである。その自己追従は、道徳的怠惰と密接に関係する。人生全体は「気晴らし」と「回心」という語に要約できると述べた。しかし人間は回心、すなわち自然的意志を何らかの高次の意志へ適合させることを望まない。それが道徳的努力を伴うためである。この意味で人間は永遠の軽薄者である。

しかし人間は気晴らしを望む一方で、回心の果実を逃していることを認めたがらない。目的は明らかに望ましいため、それを意志する。しかし手段は困難で規律を要求するため、それを意志しない。つまり両立しない欲望を抱え、定められた代価を払わずに善いものを得られると考えるよう励ます者へ、熱心に耳を傾ける。

このように人間へお世辞を言う二つの主要な方法を区別できる。第一に、権威と承認された基準の時代には、精神的規律の実体に代えて、その身振りだけを巧みに行う術を置くよう誘われる。極端な例は、ボワローが描いた流行婦人である。彼女は霊的指導者の助けを借り、楽園へ向かう途中で地獄の快楽をすべて楽しめると自分へ納得させていた。

しかし現在われわれに関係するのは、外的権威への過度の敬意に基づくお世辞の方法ではなく、個人主義の時代に栄える、もう一つの主要な方法である。ボシュエによればイエズス会士が罪人の肘の下へ置いた座布団も、罪人が自分だけに任されたとき、自分の肘の下へ置く座布団に比べれば何でもない。現在のような時代には、すべての人間が自分自身のイエズス会士である。 ルソーが人間本性へ捧げた追従は、個人主義時代の要求に特によく適合した。感情の詭弁によって彼は、とりわけ道徳的価値の領域で、菓子を食べながらなお手元にも残したいという人間の永続的欲望を、新しく魅力的な仕方で満足させた。

両立しない欲望を一緒に抱え込むよう励ます自己追従が、この運動ほど徹底されたことはない。たとえば自然へ帰ることと、平和・友愛とを結びつけられると期待した多数の人々を考えるとき、人間の際立った特性の一つは、驚くべき、そして哀れな騙されやすさであると結論せざるをえない。

個人主義的解放の時代において、騙されやすさを主に正すものは、批判的精神を十分かつ自由に働かせることである。そのような時代には、批判的になるほど、基準を獲得し、空虚な思い込みを避けやすい。批評するとは文字どおり、識別することである。自然の法則と人間の法則の双方を学ぶ者は、非常に鋭く識別しなければならない。しかし両者の間には重要な相違があることに注意すべきである。科学者の識別は第一に物理現象へ、人文主義者の識別は第一に言葉へ向けられる。「真正な教養の始まりは」とソクラテスが述べたと伝えられる。「一般概念の吟味である」。 ソクラテス自身、この種類の吟味に非常に熟達していたため、批評を目指す者の師であるに、いまなお値する。

文明の希望は神的な平均人ではなく、救済する少数者にあると述べた。現在のように、あらゆる意味で危機的かつ批判的な時代には、この少数者が高度にソクラテス的でなければならないことは明白である。この種の人文主義的な識別は、特に政治理論と政治実践の領域で必要とされる。孔子は、政治の手綱を自分へ委ねられたなら最初に何をするかと問われ、第一に用語を定義し、言葉を事物へ一致させると答えた。近代の革命家がほとんど前例のないほど苛烈な幻滅を経験したのは、あまりにもしばしば、言葉が事物へ対応することを確かめず、言葉へ想像力を捧げたためである。その結果、実際には自惚れの海を泳いでいるだけなのに、約束の地へ向かっていると感じた。「夢見る希望の果実は、目覚めれば空白の絶望である」。フランス革命に対するハズリットの幻滅は、無数の他の「理想主義者」の幻滅を代表している。

フランス革命は、哲学と経験との間でかつて行われた唯一の試合であった。そして理論の恍惚から現実感覚へ目覚めたわれわれは、真理、理性、徳、自由という言葉を、浮気女または口やかましい女と結婚した冷笑家が、恋人たちの熱狂的賛歌を聞くときと同じ無関心または軽蔑をもって聞く。

ルソー主義者が、ソクラテス的問答法に必要な道具である分析的知性を攻撃する理由として、しばしば挙げるのは、それが統一を破壊するということである。しかし分析を軽んじるのは、統一を愛するためというより、努力を嫌うためであるかもしれない。ルソー自身のように、怠惰へ哲学的活動の威厳を与えようとしているのかもしれない。 自然界の事実へ想像力を集中することが骨の折れる仕事なら、自分の用語を正しく用いられるようにする、人間界の事実への集中はいっそう骨が折れる。

誠実な労働者には石炭を掘るため一日七十セントしか払わず、大統領には抽象を掘るため一日七十ドル払うとは、何という途方もない不平等か、とリンカーンは言った。リンカーンがここで皮肉として出した議論を、カール・マルクスの追随者なら真面目に用いるかもしれない。しかし大統領が誠実に働き、身振りだけを行う術で済ませず、抽象を正しく掘るなら、精神を最大限に張りつめなければならない。近年、一日七十ドルの何倍もの価値がある、そのような大統領がいたならと思われる瞬間があった。

率直に問わなければならない。ウッドロウ・ウィルソン氏が大統領としてあれほど大量に注ぎ出した理想主義的抽象は、ソクラテスと孔子の試験を通過したのか。それらは事物へ対応していたのか。故ウォルター・H・ペイジ氏は、並外れて豊富な観察機会の後、ウィルソン氏は「指導者ではなく、頑固な美辞麗句製造者だった」と結論した。素朴な諺にあるように、美しい言葉はパースニップへバターを塗らない。しかし美しい言葉は、人をホワイトハウスへ入れることはできるらしい。

ウィルソン氏自身、元大学学長だっただけでなく、その主要政策では、事実上、大学学長集団全体の熱烈な支持を受けたことを覚えておくべきである。ペイジ氏によるウィルソン評価が正しいと判明するなら、アメリカの救済する少数者――大学学長は確かにその少数者へ属するべきである――が、十分に批判的ではないことになる。民主主義も長期的には、他のあらゆる統治形態と同じく、指導力の質によって判断されなければならない。そして現状のもとでは、基準と指導力を伝統的な線ではなくソクラテス的な線に沿って得なければならない。冒頭で述べたこの二点が真実なら、これは重大な問題である。「アメリカ人が最も緊急に必要とするものは」とマシュー・アーノルドは言った。「冷静で健全な批評を絶えず示すことである」。まさにそれこそ彼らが必要とし、これまで一度も持たなかったものである。

ソクラテス的な少数者がいるなら、その主要な関心の一つは、最終的に民衆の想像力を支配する標語へ、文明的な内容を与えることになるだろう。ソフィストとデマゴーグは、曖昧で不正確な定義の雰囲気のなかで栄える。これに対してソクラテス的批評家の助けがあれば、デーモスは自分の友人と追従者とを区別する機会を多少は得られるかもしれない。それはデーモスがこれまで驚くほどできなかったことである。アテナイのクレオンからマラーへ、マラーからウィリアム・ランドルフ・ハーストへ至るまで、多少の成功をもって民衆の友を演じてきた者を考えてみればよい。実際、民衆はその「友人」さえいなければ、かなりうまくやれたのではないかと思われることがある。

人間は鼻ではなく耳をつかめば、驢馬と同じほど優しく引いて行ける、と想定したデマゴーグは、あまりにも頻繁に正しかった。過去の記録は、国家という船が実際には風下の岸へ漂流しているとき、言葉の蜃気楼によって、エルドラドへまっすぐ航行していると大衆が説得されることがしばしばあったと示す。そして砕ける波の音がすぐそこに聞こえるまで、大衆は危険を知らされなかった。

われわれが民主主義特有のこの問題へ適切に対処していないことは、あまりにも明白である。反対に巨人の力と子どもの批評的知性とを結びつける危険にある。それほど遠くない過去、何百万人ものアメリカ人が、ウィリアム・ジェニングズ・ブライアンを「比類なき指導者」として迎える用意をしていた。別の何百万人かは、ヘンリー・フォードが「平和船」でほとんど信じがたいほど醜態をさらしたにもかかわらず、彼へ同じ歓呼を送る用意があるらしい。

ソクラテス的批評家が十分に多ければ、そのような指導者の追随者は最後には、空気のなかに鋭く、冷たく、危険な何かがあることを意識するようになるだろう。自分たちを惑わせる理想は本当に何かを意味するのか、少なくとも、立派な言い回しで覆い隠した、他の市民の財布へ手を入れたいという欲望以上のものを意味するのかと、ついには自問せざるをえなくなるかもしれない。よく知られているように、悪魔は光の天使へ変装することを許されない限り、比較的無害である。飾らない物質主義は、偽の霊性ほど恐れるべきものではない。

偽の霊性は、区別を曖昧にすることによって特に促進され、区別の曖昧化は一般概念をいじることで促進される。したがって、ある者が自分の理想主義と見なすものが、精神を風で膨らませたものにすぎないのか、それとも人間経験の事実によって支えられているのかを決めるには、そのような概念を問答法的に吟味することが不可欠である。

人道主義とほとんど同義になった「理想主義」という語へ、私はすでにソクラテス的方法をいくらか適用した。たとえば功利主義者が「快適」という語を、感傷主義者が「徳」という語を、どのように腐敗させたかを指摘した。しかし理想主義者は、救済へ不可欠な特定の要素がソクラテスの体系から欠けており、その要素のためにはソクラテスからキリストへ向かわなければならないことを、私自身が認めたではないかと反論するかもしれない。そしてキリストの福音を、自分自身の共感と奉仕の福音へ同一視するだろう。

人道主義的理想主義が威信の多くを、おそらく主な威信を得ているのは、このように自分をキリスト教へ結びつけたことによるのは疑いない。しかし厳密に心理的な根拠から、人道主義的奉仕は、功利主義的形態でも感傷的形態でも、内面生活の真理を含まず、したがってキリストから正当に導くことはできないと示そうとしてきた。実際、この内面生活の偉大な師を「社会改良」の師へ変えることは、厳格なキリスト教徒がまだ残っているなら、第二の磔刑に見えるに違いない。

神への愛に代えて人間への愛を置くとき、人道主義者は悪循環のなかで働いている。人間は、自分のうちに神への愛に相当するものを持たなければ、愛すべき存在ではないからである。さらに人間は、正しいものを愛するだけでなく、正しいものを恐れることも重要である。パリでは最近、なぜ医師が、かつて聖職者に属していた影響力を奪いつつあるのかという問いが出された。明白な答えは、人間がかつて神を恐れて生きていたのに対し、現在は微生物を恐れて生きているということである。主への畏れが知恵の始まりであるという真理に相当するものを、人道主義的な線に沿ってどのように得られるかは、理解しにくい。

人道主義運動を扱う最善の方法は、イエスの特定の言葉から出発し、同時にソクラテス的問答法でそれを守り、真の意味を明らかにすることかもしれない。現在求められるものは、キリストを選ぶためにソクラテスを捨てることではなく、むしろキリストを支えるためにソクラテスを連れてくることなのかもしれない。

イエスの霊感を受けた想像力豊かな良識と、人道主義との対照を明らかにするには、次の三つの言葉が特に関係するように思われる。

一、「カエサルのものはカエサルへ、神のものは神へ返せ」。

二、「その実によって彼らを知るであろう」。

三、人は家を岩の上へ建てるべきである。

第一の格言が破られた例にはすでに触れた。すなわち正義を犠牲にしてでも戦争を廃絶しようとする人道主義的試み、そしてそれと密接に関係する、平和の君を平和主義の君へ変えようとする試みである。アメリカ人は、ローマ・カトリック教会が民主主義の機構を自分の目的へ利用するのではないかと、しばしば恐れる。カトリック有権者が多数を占める地域では、たとえば学校がカトリックに支配されるという懸念に、まったく根拠がないとは言えないかもしれない。

しかし最近、天国はワシントンではなく人間の内にあると、同じ信仰を持つ者へ思い出させる必要を感じたのは、カトリックではなくプロテスタントだった。プロテスタント諸教会は、ますます社会奉仕へ向かいつつあるように見える。つまり内面生活の真理に代えて、さまざまな大義、運動、改革、十字軍を置いてきたのである。W・J・ブライアンが五十年早く生まれていたなら、おそらく宗教的信仰復興運動家になっていただろう。信仰復興運動家の宗教は、なおある意味で内面生活の宗教だった。

しかしブライアンが銀貨自由鋳造の十字軍運動で、民衆を黄金の十字架へ磔にすることへ抗議したとき、神のものとカエサルのものとの異常に甘ったるい混合を行っただけでなく、宗教的であるどころか、普通の誠実さを破壊したであろう政治行動へ導きかねなかった。

十字軍精神は、そのどの現れにおいても真正にキリスト教的なのかという問いへ、率直に向き合うべきである。伝道の精神、すなわち人から人への純粋に霊的な呼びかけがキリスト教的であることに疑いはない。これに対して十字軍精神とは、世俗秩序の機構を通じ、霊的目的を集団的に達成しようとする試みを意味する。長期的に見れば、この問いはフランス人へ特別な関心を持たれるべきである。フランスほど十字軍国家であった国はないからである。

フランスが主導的役割を果たした中世の宗教的十字軍は、ヨーロッパがすでに真正なキリスト教を脱ぎ捨てつつあったことを示す、と言われてきた。いずれにせよ、この時期のキリスト教と最初の数世紀のキリスト教との対照は際立っている。テーベ軍団についての多少とも伝説的な物語は、初期キリスト教徒の態度を十分正確に反映している。軍団は皇帝が世俗的領域にとどまる限り勇敢に戦う用意があった。しかし皇帝を神として崇拝するくらいなら、抵抗せず最後の一人まで殉教することを選んだ。

十字軍兵士がエルサレムへ最初に入った際に行った無慈悲な虐殺(一〇九九年七月十五日)は、霊的秩序と世俗的秩序とのそのような区別を維持しなかったことの十分な証拠である。 十字軍兵士とテーベ軍団の兵士のどちらが、創始者の精神へ近かったかは、ほとんど問う必要もない。神のものとカエサルのものとを混同することによって、十字軍兵士は、真正なキリスト教の中心にある平和への意志に代えて、権力への意志を置く危険に陥った。

人道主義的十字軍兵士において権力への意志が現れることは、さらに明白である。フランス革命のルソー主義的側面を研究した際、示そうとしたとおりである。革命の標語「自由、平等、友愛」は、それ自体では、不吉な言葉の早口にすぎない。 これらの語を別々にも相互関係においても、真正に宗教的な意味を持つよう定義できることは疑いない。しかしルソーの仕方で、すなわち「自然」へ帰ることから生じると想定された結果を要約するものとして理解されるなら、最も悪性の帝国主義の一つを励ました。

フランス人自身、革命の「理想主義的」側面についてますます疑いを持つようになっている――革命に別の側面もあったことは言うまでもない。気質のうえでより現実的になりつつある。 フランス人にとってもわれわれすべてにとっても大きな問題は、この種類の理想主義へ幻滅した後、単なるマキャヴェリ的現実主義者にならないことである。

いずれにせよ、もはやフランスを十字軍国家と見ることはできない。内政と外交の双方で、他のどの国よりも十字軍的気質を示すという危険な特権は、合衆国へ移りつつある。かつてフランス人が好んだ宗教的十字軍――「フランス人による神の事業」(Gesta Dei per Francos)――を正当に疑えるなら、われわれの「社会改良家」の活動――「アメリカ人による人道の事業」(Gesta humanitatis per Americanos)――は、なおさら正当に疑える。

社会の善のために犠牲が必要であるという理由で、われわれは少しずつ自由を奪われている。われわれへ奉仕しようという熱意を示す者の心理へ注意深く目を向ければ、彼らがわれわれへ奉仕する以上に、われわれを統制したがっていることが分かるだろう。たとえば反酒場同盟のような、典型的な人道主義的十字軍団体の指導者が掲げる利他的な公言の下に見いだされるものは、増大する権力への意志、さらには萌芽的な恐怖政治である。

最近のアメリカ人のなかで、われわれの理想主義を国境の外へ拡大しようと誰よりも努めたウッドロウ・ウィルソン氏を、もう一度考えてみよう。世界奉仕の計画を追求する際、彼は自分の権限への憲法上の抑制を軽視し、ほとんど自動的に無制限の権力へ手を伸ばすようになった。彼の人道主義的十字軍を真剣に受け取らなければ、われわれは「世界の心を打ち砕く」と警告された。頑健で老いた世界が、ウィルソン的意味で心を持ったことがあるなら、はるか昔に打ち砕かれていただろう。

真相は、抽象的であると同時に感傷的なこの言葉が、真正な政治家の気質とは反対の極にある気質を明らかにするということである。ウィルソンは自分の「理想」である国際連盟を擁護する際、頑固で妥協しなかった。しかし国際連盟は、国家規模の権力への衝動を是正するものとして、人道主義的なキメラにすぎないという疑いを受ける。同時に彼は、労働組合の権力への衝動には、あまりにも容易に屈した(アダムソン法)。自由な制度にとってこれほど脅威に満ちた支配本能の一形態へは、真正な政治家なら、服従するくらいならその場で死んだであろう。

この問題へウィルソン氏が向き合った仕方と、アメリカの偉大な伝統に疑いなく属した最後の大統領と思われるグローヴァー・クリーヴランドが、銀貨自由鋳造問題へ向き合った仕方とを比較することは有益である。ウィルソン氏その他の「理想主義者」が促進した、神のものとカエサルのものとの特有の混同には、私が引用したイエスの第二の言葉、「その実によって彼らを知るであろう」を適用する必要がある。理想主義者は実という試験にあまりにも明白に落第するため、特に大戦以来、自分たちの善意へますます逃げ込んでいる。冷笑家なら、彼らはすでに善意によって地獄への道を少なくとも二重に舗装した、と不満を述べるかもしれない。人間を扱う際、善意だけで十分だと認めることは、高性能爆薬を扱う化学者に善意だけで十分だと認めることと同じく不可能である。特定の条件のもとでは、人間本性そのものが、最も強力な高性能爆薬の一つとなりうる。

何より政治的責任を負う地位にある者は、どのような「理想」にも、自分と事実の鋭い検討との間へ入ることを許してはならない。この真の洞察が大戦前、アスキスやグレイのような自由主義者より、ロバーツ卿のような帝国主義者のうちに見いだされたことは、あまりにも明白である。しかし「理想主義者」へ対置すべき現実主義が、単に帝国主義的な型でなければならないわけではない。それは完全な道徳的現実主義でありうる。

道徳的現実主義者は、理想の名によって、雲上の空想国へ吹き飛ばされることを許さない。この種の理想を包む美しい言葉へは、角を回る風の口笛へ払う以上の注意を払わない。したがって理想主義者は彼を「冷酷」だと非難するだろう。しかしその冷酷さは、マキャヴェリ的現実主義者の冷酷さとはまったく異なる。道徳的現実主義者が理想主義者に冷酷に見えるのは、共感、社会正義、その他どのような理由の名においても、善悪の闘争を個人から社会へ移すことを拒むためである。

道徳的闘争を個人へ戻せば、何らかの形で内面生活の真理を主張するところへ直ちに戻る。現在、正当に問うべきなのは、特定の大義、運動、改革が崩壊しているかではなく、内面生活の代用品としての人道主義的十字軍運動一般が崩壊しているのではないか、ということである。人道主義の失敗が現状ほど明白でないとすれば、それは人道主義者自身にさえ、まったく異なる人生観に由来する習慣が生き残っているためかもしれない。共同体のエートスは、それを支える確信が掘り崩されても、一日では消えない。エートスがゆっくり衰退するため、特定の教説をその実によって判断することは、さらに難しくなる。その実が現れるまでには、しばしば長い時間がかかる。

たとえばエリオット総長ほど、人道主義的観念を優先してアメリカの教育的伝統を破壊することへ成功した者はいないが、本人はピューリタン的規律が生んだ、並外れて立派な産物である。 彼が大きな影響力を持った主な理由は、多くの人間が威厳ある堂々とした人格へ敏感である一方、思想の究極的傾向を比較考量できる者はきわめて少ないことにある。選択科目制度がエリオット総長のような人物を生み出すと期待できるなら、もっと信頼を置いてよいかもしれない。

伝統的習慣は伝統的信仰より長く生き残るが、無期限に生き残るわけではない。ピューリタンのエートスだけでなく、西洋のキリスト教的エートス全体が次第に弱まるにつれ、人道主義を経験的に正当化することはますます難しくなるかもしれない。この運動はベーコンの時代以来、実を重んじてきた。そして人間の力、物質的快適、効用に関するすべての点で、実際、最高度に豊かな実を結んだ。しかし霊の実、たとえば平和と友愛を与えるとも公言してきた。この点での失敗はきわめて目立つため、何か根本的な不健全さを疑わせる。

ここで私が引用したイエスの第三の言葉、岩の上へ建てることの重要性を説く言葉が関係する。嵐は到来した。そしてわれわれの近代的な家が、このように堅固に建てられているかは明らかでない。むしろ不安定な基礎の上に、巨大で輝かしい上部構造が載っているという印象を受ける。

すでに見たように、新しい倫理の構造全体が築かれた基礎は、善悪の重要な闘争は個人のうちではなく、社会のうちにあるという想定である。もう一度、堅固に建てたいなら、何らかの形で「洞窟内の内戦」という観念を回復しなければならないかもしれない。この「戦争」を認めるなら、霊の実を結ぶために霊の働きが必要であることも、同時に認められる。この戦争を否定すれば、働きを外界へ移すか、内的働きも外的働きも伴わない共感を、それに代えて置くことになる。

キケロによれば倫理の主要問題の一つは、名誉あるもの(honestum)と有用なもの(utile)との離婚を防ぐことである。これらの語が詭弁によって変質させられていないなら、名誉あるものと有用なものとは同一であることが分かる、と彼は言う。しかし本書ですでに多くを述べた、内的働きより外的働きを強調する傾向のため、このような変質が起きた。こうして実を結ぶものは有用なものと同一視され、最後には狭い教義的な意味での功利主義的なものと同一視された。効用を一面的に追求したため、相互に噛み合う巨大な機械群へわれわれ自身が巻き込まれてしまった。そのため問題全体は、キケロの時代にはなかった重大さを帯びている。

しかし霊的生活の堅固な基礎を回復するには、「働き」という語の背後へさえ遡る必要がある。この語の変質は、「自然」という語が先に変質させられていなければ、不可能だったはずである。人文主義的真理または宗教的真理をソクラテス的な線に沿って擁護しようとする者は、まずこの語へ注意を向けるべきである。「自然」という語へ十分に鋭い問答法を適用すれば、ソフィストを最初から行動不能にできるのではないか、と考えたくなることがある。

この語を使ったごまかしは、名誉あるものと恥ずべきものとの区別は自然に根を持たず、単なる慣習にすぎないと述べた古代ギリシア人から、「自然は貞操を気にかけない」と述べたルナンまで、たどることができる。このごまかしは、つねに不健全な個人主義の主要な源であった。十八世紀以来栄え、ロマン主義運動の根底にある、自然的なものと人工的なものとの対照は、特に受け入れがたい。「技巧は」とバークが言う。「人間の自然である」。

ディドロが、霊の法則と肢体の法則との対立を「人工的」だとして退けたことには、すでに触れた。このような詭弁への適切な答えは、神学へ逃げ込むことではなく、この対立を「意識に直接与えられる事実」の一つとして主張することだとも述べた。そうすることで、霊の働きを行い、その実を結ぶために必要な基礎を、経験的に得られる。ディドロのような混乱はあまりに重大であるため、「自然」という一語を定義するだけでも、世界史で一度も見られなかった規模の、ソクラテス的な問答法の戦闘を行う価値がある。その戦闘が終われば、戦場は死にかけ、またはすでに死んだ名声で厚く覆われるだろう。現代の指導者の多くが自然主義的誤謬へ陥ったことに、疑いはないからである。

「働き」の定義は「自然」の定義に依存し、それによって今度は「自由」の定義が決まる。人間は働く自由を持つのであって、怠ける自由を持つのではない。自由を、働きの程度だけでなく質によって正しく定義して初めて、正義を健全に定義できる――「各人へ、その働きに応じて」。正義の定義には、世俗的秩序における平和の定義も含まれることが分かる。人間は正しい限りにおいてのみ、互いに平和に暮らせるからである。宗教的な平安は定義に服さない。聖書の言葉を借りれば、それは理解を超える。

何より意志の健全な哲学へ到達するには、霊的に不活発な者と霊的に活発な者との区別を、少しも曖昧にしてはならない。この点はアメリカ人へ特別な関心を持たれるべきである。ヨーロッパ人はギリシア人の時代以来、その典型的な瞬間には知識人となる傾向を持った。これに対してアメリカが独自の哲学へ達することがあるなら、それはむしろ意志の哲学になるという徴候がある。われわれは「行動の国民」と呼ばれてきた。この状況では、われわれ自身と世界の双方にとって、完全に人間的な意味で精力的になるのか、単にルーズヴェルト的な意味で精力的になるのかは、かなり重要である。

このような世界では、ルーズヴェルト型帝国主義者の方が、ジェファソン型またはウィルソン型の「理想主義者」より安全な案内人であることは認めてもよい。しかしこの二者択一のどちらかを受け入れる理由はない。ジェファソン的理想主義を扱う最も効果的な方法は、その根底にある自然権の理論をソクラテス的問答法へかけることである。この理論は、いま述べた自然的なものと人工的なものとの詭弁的対照へ立脚する。この対照は、霊の真の二元性と、それが伴う特殊な働きの質とを、全部または一部抑圧するよう促す。

内面生活がこうして弱まれば、怠惰な自由、言い換えれば無政府的な自由を主張できるようになる。真の自由は好きなことをする自由ではなく、その語の何らかの意味で、法へ自己を適合させる自由である。「コワニャール師は」とアナトール・フランスは言う。「人間とゴリラとの間へ過度で不当な差別を立てているため、人権宣言の一行にも署名しなかっただろう」。人権宣言への真の反論は、フランス氏が述べたものと正反対である。それは人間とゴリラとの間に十分広い距離を立てていない。この距離は、真正な自由が倫理的努力への報いであると主張することによってのみ維持できる。自由を「自然」からの無償の贈物として示せば、この距離は消える傾向を持つ。

自然権の理論は偽りであっても、「有用な虚構」として正当化できる、既存の社会秩序の不正を攻撃する効果的な武器となることがしばしばあった、と主張されるかもしれない。しかしこの虚構の有用性は疑わしい。既存秩序へ対置する傾向を持つものは、よりよい秩序ではなく無政府状態だからである。「権利」の支持者が慣習的・人工的だとして退ける、特定の時と場所の確立した秩序は、真実で完全な秩序と比べれば、影にすぎないことは疑いない。しかしそのようなものであっても、批判的に吟味すれば断崖の縁の蜃気楼にすぎないかもしれない「理想」を選ぶため、軽々しく捨てることはできない。

偉大な人文主義者ソフォクレスが語る「天の不文律」は、 成文法との関係において、権利としてではなく、いっそう厳しい義務として感じられる。

自然権の教説が義務感を弱め、それによって真正な自由を掘り崩す傾向は、英語圏の人々に優勢だったコモン・ローへ与えた影響との関連で研究できる。この法の最良の精神は、健全な道徳的現実主義の精神である。権利学派の影響のもとで、厳格な法としばしば対立する衡平は、想定上の「自然」法と多かれ少なかれ同一視された。 この同一視は不健全な個人主義を促進した。

不健全な個人主義への適切な治療は、健全な個人主義、すなわち権利ではなく義務から出発する個人主義である。しかし実際に個人の無制約へ与えられた答えは、もう一つの権利の教説、社会の権利の教説であった。この権利は、古い人権の教説とほとんど同じほど形而上学的に考えられることがある。この法思想学派の代表者は、衡平を社会的効用の原理へ同一視する傾向を持つ。社会的に便宜だと考えるものを優先し、法の厳格な文言をあまりに歪めたため、立法機能と司法機能との真の混同へ陥った裁判官が、すでに現れている。

不幸なことに、特定の瞬間に社会を代表し、奉仕への意志にあふれていると想定される人々を、現実的観察者が見るなら――少なくとも伝統的統制の生き残りを持たない、単なる人道主義的十字軍兵士である限り――、彼らが利他主義を隠れ蓑として権力への意志を発達させていることが分かる。社会的効用を口実として、個人から自由の最後の一片、最後の痕跡まで奪い、最後には専制的な外的統制へ従わせる用意がある。現在のアメリカ人があまりにもよく知るように、個人的自由を攻撃する際、「奉仕」の使徒ほど無謀な者はいない。「社会改良」の計画を進める際、個人に対する社会へ無制限の主権を帰するだけでなく、自分自身がその大部分を与えられていると見なし、要するに明らかに専制的な気質を発達させがちである。

実際、われわれは別の形で、初期キリスト教徒が直面した緊急事態を目撃しているように見える。物質主義的国家の怪物的な侵害に対し、命を犠牲にしてでも真の自由を主張することが正当化される時代が、再び来るかもしれない。すでに来ているのかもしれない。

集産主義的理想は、その大部分が抗議の対象としているレッセ・フェールの根底にある誤りを、しばしば誇張した形で抱えている。義務の性質と、それが課す特殊な努力について、十分な感覚を示さない。「働き」という観念を浅く扱うため、真の正義に代えて社会正義という幻灯劇を置く危険にある。集産主義者が攻撃する不平等の一部は、レッセ・フェールが促進した非倫理的競争の結果であることに疑いはない。しかしこの不平等への治療は、価値を持つ唯一の平等――法の前の平等――を犠牲にする危険を冒し、社会的平等や経済的平等というキメラを追求することではない。

現在追求されている意味での平等は、真の自由と両立しない。自由は基準を参照する内的働き、言い換えれば、人間の通常の意志を高次の意志へ正しく従属させることを伴うからである。つまり平等と謙虚さとの間には、避けがたい衝突がある。歴史的には、謙虚さは多かれ少なかれ知性を犠牲にして確保されてきた。私は、批判的方法によって謙虚さ、そして一般に内面生活の真理を擁護し、この意味でソクラテスをキリストへ奉仕させることが可能だと示そうとしてきた。いずれにせよ、ギリシア・ローマ時代以来、さまざまな形で西洋に続いてきた頭と心との不和を癒すには、方法の問題が何より重要である。知性は、最終的には意志に従属するとはいえ、伝統的基準との決別が徹底するのに正比例して、不可欠になる。そのとき知性は、想像力が達成した統一を現実の観点から検査し、高次の意志が衝動と膨張的欲望へ拒否権を行使する際に参照できる新しい基準を供給するために必要となる。

意志、知性、想像力が互いに正しい関係へ置かれたとき、最後に感情の問題へ到達する。即時性への見当違いの渇望のため、ルソー主義者が第一位へ置く問題である。基準を持つとは、実際には選び、退けることである。そしてそれは、自分の感情、古い言葉を使えば情念を、何らかの倫理的中心へ向けて鍛えなければならないことを意味する。人が正しいものを好み、正しいものを嫌うようになるほど規律を有効にするには、通常、その規律を習慣にし、しかもほとんど幼少期から習慣にする必要がある。

子どもがいわゆる理性の年齢へ達し、つまり自分で選べる状態になるまで待つことはできない。その間に悪い習慣の犠牲者になっているかもしれないからである。成長する少年の上へ閉じようとする真の牢獄は、この悪い習慣である。したがってアリストテレスが述べるように、習慣は理性に先行しなければならない。習慣という観念と密接に結びつく、ほかのいくつかの観念にも、ここで注意を向ける必要がある。共同体のエートスは、事実としても語源的にも、習慣から生じる。共同体が特定の習慣を若者へ伝えようとするなら、どの習慣が望ましいかについて、通常、何らかの合意へ達しなければならない。その語の文字どおりの意味で、慣習(convention)を達成しなければならない。

ここに真の自由主義者と偽の自由主義者との主要な相違の一つがある。近代主義者について、彼らには一つだけ慣習があり、それは、もはや慣習が存在してはならないという慣習だ、と言われてきた。このように純粋に気質的な個人主義は、文明の存続と両立しない。大多数の人間のうちで文明化されている部分とは、まさに慣習的である部分である。もちろん単なる慣習主義へ転落せずに慣習を持つことは難しい。近代主義者はこの二つを混同する。しかし価値あるものはすべて難しい。

慣習と、個人の自由への適切な敬意とを結びつけるには、きわめて繊細な調整が必要であることを認めなければならない。二つの極端はほぼ同じほど望ましくない。第一に、慣習があまりに硬直し、細部まで規定するため、個人の自発性へほとんど余地を残さない場合がある。西洋の見方が正しいなら、この形式主義的極端は過去の中国で、またルソーが攻撃した古いフランスの慣習で、到達された。反対の極には、ルソーが励ました仕方で自発的になり、慣習を捨てると同時に基準まで捨て、自分を印象の流動そのものへ委ねた者がいる。

この無政府的な「自由」へ健全な一般原理の一組を対置するだけでよいなら、基準の問題は単純であろう。しかし現実の行為に関する限り、人生は一連の個別的な緊急事態へ分かれる。そしてその緊急事態または具体的事例と、一般原理との間の距離を埋めることは、必ずしも容易ではない。西洋では少なくともアリストテレス以来、東洋では少なくとも孔子以来、一般原理を適用する際には節度の法則によって導かれるべきだと考えられてきた。このような媒介に成功する者は、パスカルの言葉を借りれば、相反する徳を自分のうちへ結びつけ、その間のすべての空間を占めるように見える。

たとえば一般原理として勇気は優れている。しかし具体的な場合に慎慮によって和らげられなければ、無謀へ堕する。「善い格言も極端へ押し進めれば、すべてを破滅させる」とボシュエは言う(Les bonnes maximes outrées perdent tout)。しかし善い格言の適度な適用と極端な適用とを、誰が決めるのか。

決疑論者または法規主義者は、一般原理を立てるだけでなく、それを適用する際に生じうるすべての事例を余すところなく処理し、可能な限り個人から自律性を奪おうとする。しかしベルクソンの言葉を借りれば、人生は新奇なものが絶えず噴出することであるため、事例は汲み尽くせない。イエズス会的な事例集またはそれに相当するものは、永続的原理と新しい緊急事態との間に、どの釣り合いを取るべきか決める個人の生きた直観に代わる、結局は不器用な代用品である。

したがって慣習の必要を主張しながら、その慣習を柔軟に、想像力をもって、いわば進歩的に保持するよう努めるべきである。何らかの慣習がなければ、過去の経験を現在へ生かすことが、どのように可能なのか理解しにくい。非慣習的な者は、自分または自分の時代があまりに独自であるため、過去の経験はすべて時代遅れになったと想定している。確かにこの幻想は、物理科学の急速な進歩によって多くの人々のうちへ育てられてきた。

東西の双方には非常に多くの経験が蓄積されている。そのため基準を維持し、無政府的印象主義と闘おうとする者は、一般原理についてだけでなく、その適用で生じる主要な事例についても、一致へ到達できるように思われる。この慣習が有効であるためには、すでに示唆したように、習慣の形で若者へ伝えられなければならない。これは共同体の文明と、その共同体が最終的に可能とする統治の形態とは、共同体が合意した教育の型と密接に関係する、と別の言い方をしたにすぎない。教育には、子どもが家庭で受ける規律も含めるべきである。

「最良の法律も」とアリストテレスは言う。「若者が憲法の精神に沿って習慣と教育によって訓練されなければ、何の役にも立たない」。 アリストテレスは、この偉大な原理が自分の時代に破られていると嘆いた。われわれの時代には守られているのか。いずれにせよ、アリストテレスの格言を、アメリカの統治との関係におけるアメリカ教育へ、具体的に適用することは興味深いだろう。

われわれが維持しようとするものが、連邦制的・立憲的民主主義であると仮定しよう。われわれはこの統治形態と緊密に一致するエートスを持つ指導者階級を、育てているのか。古い型のアメリカの大学は、その時代の慣習をかなり忠実に反映した。目指した指導力は第一に聖職者へ置かれることになっていたため、課程の古典的要素が宗教的要素へ適切に従属していた。古い教育慣習をいっそう生命的に解釈し、確かに必要だった広がりを与え、変化した条件へ適応させることは可能だったはずである。

新教育――もちろん主な趨勢を指している――は、このように古い教育から発展したとはほとんど言えない。むしろ伝統的エートスとの根本的な断絶を示唆する。古い教育は、少なくとも意図において、知恵と人格のための訓練だった。新教育をエリオット総長は、「奉仕と力のための訓練」という言葉で要約した。われわれはこの奉仕という観念のもとへ、ますます一緒に集まりつつある。しかし奉仕はある意味で慣習を与えてはいるが、人文主義的な意味でも宗教的な意味でも、基準を与えてはいない。

現在の意味での奉仕は、むしろ基準を掘り崩す傾向を持つ。すでに示そうとしたように、それは厳密に心理的な根拠では正当化しにくい想定、すなわち人間は通常の自己の水準で、膨張的に一つになれるという想定を含むからである。古い教育は、人間を何らかの倫理的中心へ向けて鍛える必要があるという信念に基づいた。感傷的人道主義者は、そのような人文主義的または宗教的規律を目指す明確な課程に対し、個人が自分の性向または気質的傾向を自由に発展させる権利を対置する。

この想定上の権利が主張されることによって、基準または共通尺度は損なわれ、それとほぼ同じ程度、基準が刺激する努力と競争心も消える。「カリキュラム」という語そのものが、一緒に走ることを意味する。新教育の制度のもとでは、学生は一緒に走る代わりに、別々に寝そべる傾向を持つ。関心は教室から運動場へ移される。そこには一種の基準があり、この基準との関係で、人間本性が切望するもの――本当の勝利または本当の敗北――がある。

感傷主義者は、功利主義者にも好都合な働きをする。功利主義者も同様に、人が努力し、成功または失敗へ到達できる基準を立てる。このように明確な目的を持つものは、選択科目制度のもとにある教養学部のように、比較的目的を欠くものへ勝つ傾向を持つ。古い教育には明確な目的があったため、たとえば近年、教育の中心地で不吉なほど発展してきた経営管理学校と同じ意味で職業教育だった、という議論を認めることはできない。古い教育は指導者を生み出すことを目指し、指導力の基礎が商業的・産業的能率ではなく知恵であることを理解していた。

古い自由教育に代えて能率崇拝を置いてきた者は、もちろん国家または人類全体への奉仕を大量に公言する。しかし本書を通じて提起してきた問題は、人道主義的意味での奉仕のように純粋に膨張的なものが、非倫理的な力の追求へ十分な均衡力を与えられるのか、適切な均衡力はむしろ、まず個人において、最後には国家において、生命的統制の原理を養うことに求めるべきではないか、ということである。

統制原理への態度が自由の定義を決めると述べた。ジェファソン主義者は人間の自然的善性という新しい神話へ傾いたため、伝統的抑制だけでなく、純粋に膨張的な自由へ干渉するすべてのものを疑わしく見た。ジェファソン自身、一般的立場が特に教育へ持つ含意を、ある程度理解していた。たとえば選択科目制度の真正な先駆者の一人である。

ジェファソン的自由が置き換える傾向を持った教育は、個人の自己表現という想定上の権利だけでなく、能率の利益のために特定の適性だけを近親繁殖させることにも限界を設ける基準を立てた。要するに感傷的でも功利主義的でもなかった。個人の単なる気質へこのように制限的に働く古い教育基準と、憲法、上院、最高裁判所のような制度へ体現され、人民の通常の意志または衝動的意志を抑制する古い政治的基準との間には、現実の関係がある。

ここまで述べたすべてから、新教育はアリストテレスの要件を満たさないという結論が出る。それはわれわれの統治形態と緊密に対応していない。教育から拒否権的な力が消えるなら、それが国家で長く生き残ると予想する理由はない。指導者の精神は、立憲民主主義を主宰すべき精神ではなくなる。

古い時代の政治家の最良の者は、民衆の衝動の単なる流動へ基準を対置し、その基準が制度へ適切に体現されることを確保したが、その基準を絶対者についてのどの理論とも結びつけなかった。この点で明察を示した。基準の大義と絶対者の大義とは、どれほど注意深く分けても分けすぎることはない。基準は観察と常識の問題であり、絶対者は形而上学的な思い込みにすぎない。

政治思想においてこの思い込みは、無制限の主権についてのさまざまな理論へ導いた。その実によって判断すれば、これらの理論はすべて、ジョン・アダムズによれば「同じように恣意的で、残酷で、血まみれで、あらゆる点で悪魔的」である。いずれにせよ、個人的自由への適切な敬意と両立させにくいことを示せる。 「主権」という語そのものがアメリカ憲法に現れないことは、幸運な事情である。この憲法を作った人々は、ここへある限定された権力を、別のところへ別の限定された権力を与え、絶対的権力はどこへも与えなかった。

彼らが最良と考えた統治の仕組みは、抑制と均衡の体系であった。しかし授けた部分的権力を、同じ水準にあるものとは見なさなかった。真の自由には階層と従属が必要であり、衝突が起きた場合に最終的上訴を行える何かが、国家の中心になければならないことを理解していた。連邦を結ぶ諸条項へ、最後には戦場で明確化しなければならない曖昧さを残した、という不満は実際に出されてきた。しかしもっと明示的であったなら、そもそも連邦を成立させることができなかった可能性が高い。

彼らは、世界がこれまで知ったなかで最も遠心的な教説――義務より権利を先に置くよう人間へ促す教説――を前にして、統治の求心的要素への承認を獲得するという、困難な仕事に直面していた。

ジョン・マーシャルは、創設されつつある統治形態で、統制が力の別名ではなく倫理的基礎を持つためには、統制の最終的中心が司法、とりわけ最高裁判所へ置かれなければならないことを明瞭に見抜いたため、特別な称賛に値する。最高裁は、特に最も重要な機能である憲法解釈において、他のどの制度よりも国家の高次の自己、または永続的な自己を体現しなければならないと、彼は理解した。

健全で独立した司法、とりわけ健全で独立した最高裁判所があれば、自由と民主主義は結局、共存できるかもしれない。多くの人々は、個人的自由と、それとほとんど分離できない私有財産の安全が、最高裁の運命へ密接に結びついていることを知っている。しかし最高法廷の上へ垂れこめる脅威の性質については、しばしば曖昧な考えしか持たない。

ゴンパーズと同類が裁判所へ浴びせる大言壮語には慣れている。急進派新聞から何を予想すべきかも知っている。たとえばカンザス州ジラードで刊行される社会主義定期刊行物が、連邦司法を攻撃するため五百万部の特別号を出しても驚かない。しかしこの公然たる敵意より重大かもしれない脅威は、一種の「内部からの浸透」と定義できる。この言葉は、法の伝統的基準から離れ、「社会正義」を支持する法科大学院教授へ当てはまるように見える。

この「先を見る」教授たちへは、社会正義が実際には階級的正義を意味し、階級的正義は階級戦争を意味し、過去と現在のあらゆる経験に従うなら、階級戦争は地獄を意味すると、思い出させるとよい。

社会正義の不十分さ、個人の道徳的責任を掘り崩すと同時に、基準と指導力の必要を曖昧にする傾向は、統治の問題を最大限に現実的な立場でしばらく考えれば、さらに明瞭になる。このように考えると、統治とは権力である。その権力が倫理的か非倫理的か、言い換えれば真の正義へ従属するかは、最終的に、それを運用する者が示す意志の質へ依存しなければならない。実際に重要なのは抽象的な正義ではなく、正しい人間だからである。

正しい人間とは、知性を含むさまざまな能力が、高次の意志の主導権のもと、互いに正しい関係で働いている者である。ここで再び、救済する少数者の問題へ戻る。外界では正義として反映される内的な均衡を目指して努力する者は、つねに少数だった。「大多数の人間は節度ある仕方で生きるより、無秩序に生きたがる」というアリストテレスの言葉は、少なくともより微妙な心理的意味では、いまなお真実である。多数派が倫理的に不健全だというアリストテレスの見方へ同意しても、倫理的国家が不可能だということにはならない。人間本性は――そしてこれは最も希望を与える特性である――正しい模範に敏感である。実際、正しい模範が十分に正しいものでありさえすれば、その説得力に限界を設けることは難しい。倫理的国家は可能である。そこでは重要な少数者が倫理的に活発であり、それによって正しく、同時に模範的な者となりつつある。このような少数者は、結合の問題を解く傾向も持つ。

アリストテレスによれば、不正な人間の魂は、あらゆる種類の党派争いによって引き裂かれている。 これに対して正しい人間は、適切な熟慮に基づく道徳的選択、その際、第一に自分自身の幸福への配慮によって動かされる選択の結果、低次の本性にある無秩序な衝動を鎮め、ある程度、自分自身との統一へ達した者である。同時に、同じような自己克服の仕事を遂行してきた他の者とともに、共通の中心へ向かっていることを見いだすだろう。

プラトン的な意味で自分自身の仕事へ専念することによって正しくなった者が統制する国家は、正しい国家であり、自国の仕事へも専念する。それは商業的理由でも「理想主義的」理由でも、他国の問題へ干渉することによって他国へ奉仕するのではなく、立派な模範を示すことによって奉仕する。この種類の国家は、同じく倫理的に統制された他の国家と、相互理解の基礎を見いだす希望を持てる。非倫理的な指導力を持つ国家との協力への希望は、空想である。

したがって政治思想の価値は、指導力の問題を扱う際の十分さに正比例する。あらゆるものを最終的に参照すべき単位は、国家でも人類でも、その他の抽象でもなく、人格を持つ人間である。この究極の人間的現実と比べれば、他のあらゆる現実は霧のなかの影にすぎない。

ここまで述べたことから、個人一人のうちであれ、異なる人間の間であれ、国内的規模であれ国際的規模であれ、倫理的結合は、そもそも到達できる限りにおいて、膨張的感情によっても、機械や組織のどのような形態――現在の意味での組織――によっても達成されず、内面生活の道によってのみ達成されるという結論が出る。

教育の機会があっても霊的に無政府的なままでいる者もいるだろう。少なくとも倫理的規律の初歩を身につける者もいるだろう。さらに過去の経験によって判断するなら、少数者は、指導力へふさわしくする、より困難な自己克服の段階へ進めることを示すだろう。伝統的教育はあらゆる欠陥にもかかわらず、この倫理的な型の指導者を多少は生み出した。これに取って代わる傾向を持ってきた功利主義的・感傷的教育は、すでに示そうとしてきたように、内面生活の本質的要素を欠いており、したがって宗教的指導者も人文主義的指導者も生み出しそうにない。

現代の大多数のアメリカ人は、「奉仕」という一語を口にするだけで、私が述べたすべてを十分に反駁したと感じるだろう。しかし奉仕の福音が人気を持つのは、再生していない人間本性へお世辞を言うためではないかと疑える。人類のために何かをしたいと熱望しさえすれば、畏敬も敬意も、精神が基準へ示す内的服従も不要だと考えることは心地よい。「神への最高の崇拝は」とベンジャミン・フランクリンは穏やかに保証する。「人間への奉仕である」。

この意味での奉仕は、人間の心にある裸の欲望を鎖につなぐには足りないと経験的に示せるなら――そしてフランクリンの時代以来、この点について相当量の証拠が蓄積している――、アメリカ的な抜け目なさと実際性の最高の模範である彼も、いま引用した言葉では、十分に抜け目なく実際的ではなかったと結論しなければならない。

いずれにせよ奉仕の福音は、ほかのどこでもなくても、アメリカでは徹底的な試験を受けることになる。われわれは急速に人道主義的十字軍兵士の国民となりつつある。現在の法規主義の支配は、この十字軍運動の最も明白な結果である。しかし法律を増やすことによって、放縦への流れが止められるどころか、加速されていることがあまりにも明らかになりつつある。

「社会改良家」や「先を見る者」より健全な型の洞察を発達させないなら、この国における自由な制度の歴史は短く、全体として不名誉なものになる可能性が高い。確かに第一歩は、立憲的自由に代わるものが、法規主義的な千年王国ではなく、無政府状態の勝利に続く、力の勝利であると見抜くことである。

偽の自由主義が成長するにつれ、人口中の優勢な要素が、投票箱と代議制政府、憲法上の制限と司法的統制へますます我慢できなくなり、「直接行動」への熱意を増す時代が来るかもしれない。それは帝国主義的指導者にとって好機である。どのような型であれ、帝国主義的指導者の勝利は災厄である。特に法のもとの自由という恵みを知ってきたアメリカのような国ではそうである。それでも、ここにさえ選択はある。

アメリカ版ムッソリーニを得られれば幸運と考えなければならない状況が生じるかもしれない。アメリカ版レーニンから救うため、彼が必要になるかもしれない。しかし連邦維持の伝統を支える原理から、これまで以上に遠くへ漂流しない限り、そのような緊急事態を予想する必要はない。この伝統の維持は、基準の維持と切り離せないほど結びついている。

誰もが機会を与えられるべきだという民主主義の主張は、誰もが高い基準へ到達する機会を与えられるという意味であるなら、優れている。これに対して民主主義的な機会の拡張を、基準を引き下げる口実とするなら、その限りにおいて民主主義は文明と両立しない。共和国の創設以来続いてきた真の自由主義と偽の自由主義との闘争の結果について、もっと確信を持てたかもしれない。基準の問題が教育、とりわけ高等教育で、もっと適切に扱われていたならばである。

しかしすでに指摘したように、ここでの傾向は、基準を捨てて「理想」を選ぶことにある。現在理解されている理想は、人間が物理的自然の法則とは異なる、自分自身の法則へ向けて鍛えられる必要があることを、ほとんど、またはまったく認めない。成長する子どもは奉仕への意志を自発的に発散するというジョン・デューイ教授の確信を共有できるなら、理想主義的なこの発展をもっと平静に見られるかもしれない。

しかしこの形の自発性をロマン主義的神話と見るなら、デューイ教授と同類へ、総計すれば国家的災害となるほどの影響を教育へ及ぼすことを、われわれが許してきたと結論せざるをえない。またこの種の理想が進展するにつれ、とりわけ高等教育は、真正な自由教育の観点からすれば、空虚のなかで回転する巨大な機械群となる危険にある。最後に、自由な制度の実験の利益のため、奉仕について語ることが少なく、教養と文明についてもっと語り、その言葉を、真の意味を多少は理解していると示すように用いる教育指導者が必要である。

基準と指導力の問題が、決して単にアメリカだけの問題ではないことを明らかにできなかったなら、本書は何のためにも書かれなかったことになる。アメリカの状況は、より大きな背景、すなわち西洋全体で、人文主義的・宗教的な伝統的基準が自然主義へ少しずつ道を譲ってきたことを参照してのみ理解できる。

この過去からの解放に続いて現れた運動の主要な側面を、私はベーコン的、ルソー主義的、マキャヴェリ的と定義した。言い換えれば功利主義的、感傷的、帝国主義的である。しかし個人主義者は自由をもっとよく用いるべきである。伝統から離れるほど、積極的かつ批判的に基準へ到達するよう努めなければならない。その努力の結果は、すでに示そうとしたように、ソクラテス的、アリストテレス的、キリスト教的と定義するのが最も適切な運動となるだろう。つまり、その異なる段階で、定義、習慣、謙虚さへ第一の強調を置く運動である。

伝統的基準への批判的な等価物を作り上げられなかった結果、西洋で実際に目撃されてきたものは、人道主義的理想主義とマキャヴェリ的現実主義との間を激しく振動する一連の動きである。人道主義的理想主義はいまなおこの国、とりわけ学界に堅固に根を下ろしており、年を追うごとに、ほとんど独善的と言いたくなるほど、いっそう自信をもって抱かれているように見える。

これに対してヨーロッパ人はいくつかの本質的な幻滅を経験した。理想主義者が権力への衝動へ対する有効な均衡力を発見したとは、ますます信じにくくなっている。「われわれは」とベーコンは言う。「人間が何をすべきかではなく、何をしているかを書いたマキャヴェリその他の者へ、大いに恩を受けている」。人間がすることと、すべきこととの距離は、中世キリスト教の制度のもとより、人道主義の制度のもとで、さらに広いことが明らかになりつつある。

それでもマキャヴェリ的解決は、それ自体として不可能である。西洋がこの種類の現実主義を超えなければ、異教世界の愚行すべてを再演し、もう一度、異教世界の破滅へ急ぐだけである。しかも科学的「進歩」のため、われわれを脅かす文明の自然主義的解体の後期段階は、ほとんど想像できない恐怖の事件によって特徴づけられる可能性が高い。

知恵のない力、絶えず増大する物質的組織と、ますます増大する霊的無政府状態とを結びつける危険は、すでにあまりに明白である。治療を真剣に探さないなら、人類に内在すると想定される自己保存本能は神話だと結論してよい。確かに第一歩は、毒ガス と高性能爆薬を持つ科学者を、蒙昧主義を少しも伴わず、本来の従属的位置へ置くことである。

物理科学が人間本性全体を単一の法則のもとへ置こうとする傾向は、現代の最も危険な誤謬の一部、たとえば「科学的」政治という社会主義的夢の根底にあることを示せる。「こうして社会全体」とJ・ラムゼイ・マクドナルド氏は言う。「その組織、制度、活動は、記述的・歴史的側面だけでなく、実験的側面でも自然法則の支配下へ置かれる。そして行政と立法は、化学者が実験室で仕事をするのと同じ仕方で追求される技術となる」。

科学者は、「事物の法則」をこのように不当に祭り上げることによって、自分の重要性についての自惚れへお世辞を言われる。しかし科学そのものの利益のため、この観点全体を疑似科学として退けるべきである。科学は文明の支えを必要とし、現在、文明に逆らっている主要な力は、おそらく感情の無制約に次いで、疑似科学だからである。

マクドナルド氏と同類は、ほとんど例外なく自分を「理想主義者」と見る。このことは、現在用いられている理想主義と現実主義という語が、表面的にはどれほど衝突しても、少なくとも一つの共通点を持つことを思い出させるべきである。どちらも自然主義哲学に根を持つ。この哲学を超越する者は、それとほぼ同じ程度、人道主義的理想主義者でもマキャヴェリ的現実主義者でもなくなる。

その者は、人間を物理的自然から区別する意志の質を意識する。それは同時に、外的権威の問題ではなく、直接的知覚の問題であるという意味で自然でもある。功利主義者と感傷主義者の双方がこの意志の質を無視したため、自由の詭弁的な定義が促進されたこと、そしてこの種類の自由が魅力を持ったのは、直接観察できる最も根本的な人間特性かもしれない霊的怠惰へ、お世辞を言ったためだと述べた。

自分自身と他人のうちにこの特性を一度でも見抜き、ほとんど数えきれないほどの枝分かれのうち、ごく一部でもたどった者は、「理想主義者」のように古いアダムを見落とす危険には陥らない。霊的怠惰を捨て、高次の意志を働かせることへの主張は、あらゆる真正な霊的教説、とりわけ真正なキリスト教に見いだされる。

伝統的にキリスト教徒は、自分の自由と高次の意志への信仰とを、恩寵へ結びつけてきた。「主の霊のあるところには自由がある」。私はこの必要な真理へ、恩寵ではなく働きの言葉で、しかも宗教的水準ではなく人文主義的水準で到達しようとしてきた。高次の意志を主張する他の仕方の妥当性を否定したり、この意志が想像力へ解釈されてきた伝統的形態を、時代遅れとして退けたりするほど、私は傲慢ではない。

読者へ何度思い出させても足りないが、私は特定の問題、すなわち健全な個人主義と不健全な個人主義との区別へ、寄与しようとしている。私の議論が誰かへ訴えるとすれば、第一に、十分に批判的ではない根拠から伝統的形態と決別した結果、高次の意志の真理を完全に失う危険にある者へ訴えるべきである。徹底した完全な近代人が何より必要な時代に、単なる近代主義者である者へ訴えるべきである。

原注

Works(フォード版)第10巻、143頁。

たとえばニューヨーク市住民の四一パーセントは実際に外国生まれである。父母の一方または双方が外国生まれである者を加えれば、人口中の多少とも外国的な要素は八〇パーセントに達する。

たとえば彼は、いわゆるケンタッキー決議(一七九九年十一月)を起草した。

もちろん同様の対立は、ジェファソンとアレクサンダー・ハミルトンとの間にも存在した。F・S・オリヴァー『ハミルトン伝』は、この対立の性質について明晰な洞察を示しており、推奨に値する。

この神話を作るうえで特に影響力を持った書物は、「パーソン・ウィームズ」ことメイソン・ロック・ウィームズの『ワシントン伝』(一八〇〇年)であった。

リンカーンは、ジェファソンについて軽蔑的に語ったという非難に対して、実際に自分を弁護している。Works(ニコレー、ヘイ編)第6巻、60頁参照。

Works(フォード版)第3巻、195頁参照。

American and Allied Ideals(War Information Series, No. 12)、9頁。

近年、ピューリタンの良心には、最も真正なピューリタンの子孫においてさえ、奇妙なことが起きている。たとえばヘンリー・アダムズは、聖母への賛歌のなかへ、ダイナモへの賛歌を差し挟む。この構想全体は中世キリスト教とほとんど関係がなく、ピューリタニズムとはまったく関係がない。しかしそれは、正義から解放された共感のうちに、節度の法則を無視して追求される力への適切な矯正を見ようとした、十九世紀の傾向とは密接に関係している。

一九〇九年から一九一三年までの期間に、連邦議会と州議会が六万二千十四件の制定法を成立させたと推定されている。その一部――たとえばフィンガーボウルや、ホテルのシーツの長さを規制する法律――は、最悪の時代の古代都市国家が耽った細かな規定を思わせる。フュステル・ド・クーランジュ『古代都市』266頁を参照。「国家は最も些細な事柄にまで専制を及ぼした。ロクリスでは法律が男性に生の葡萄酒を飲むことを禁じ、ローマ、ミレトス、マルセイユでは女性にそれを禁じた。衣服は各都市の法律によって不変に定められるのが普通だった。スパルタの法制は女性の髪形を規制し、アテナイの法制は旅行へ三着を超える衣服を持って行くことを禁じた。ロドスでは髭を剃ることが法律で禁じられ、ビュザンティオンでは家に剃刀を所有する者が罰金に処された。これに対してスパルタでは、口髭を剃ることが法律で要求された」。

一八八五年、合衆国では殺人が一八〇八件、死刑執行が一〇八件であった。一九一〇年には殺人が八九七五件、死刑執行が一〇四件であった。

「一九一八年、シカゴではロンドンの一件に対して二十二件、イングランドおよびウェールズ全体の一件に対して十四件の強盗があった。……セントルイスやデトロイトのような都市では、強盗および強盗目的の暴行の年間件数が、イギリス全体で報告される同種犯罪の三倍から五倍へ達することがしばしばある。リヴァプールはクリーヴランドのおよそ一・三三倍の大きさであるが、一九一九年、リヴァプールの一件に対し、クリーヴランドは三十一件の強盗を報告した」。レイモンド・B・フォスディック『アメリカの犯罪と警察』(一九二〇年)、18頁。フォスディック氏は、アメリカの不完全な司法運営を法規主義(48頁)と感傷主義(44頁)に帰している。

「これはガレー船送りの囚人の一団です」とサンチョは叫んだ。「……どうであろうと」とドン・キホーテは答えた。「この者たちは連れて行かれている以上、自分の意志ではなく、力ずくで行くのだ。……ここでこそ、非道を正し、苦しむ者を救い助けるという、わが職分を行使すべきなのだ」。「旦那さま」とサンチョは言った。「王そのものである正義は、この者たちへ暴力や不正を働いているのではなく、犯罪への罰として懲らしめているのだと、お考えください」。『ドン・キホーテ』第1部第22章。

「有用なものをつねに追求することは、自由で高貴な魂にふさわしくない」。アリストテレス『政治学』1338b。

ベーコンのように、自然は汲み尽くせるだけでなく、本質的に凡庸な多数の専門家の観察を蓄積することによって汲み尽くせると考えることは、中心において誤っている。『ノヴム・オルガヌム』第1巻、格言122を参照。「私の科学発見の方法は、人々の知力をかなり平準化し、個人の卓越性に残すものをほとんどなくす」。

「アメリカが要求する詩は……人間が自分自身へ抱く神的な誇りという旗印――新しい宗教の根本的基礎――を先頭へ置き、あらゆる危険を冒して掲げ続ける詩である。民衆は長いあいだ、普通の人間が恭しく身を低くし、屈辱を受け、上位者を認める詩を聞いてきた。しかしアメリカはそのような詩へ耳を傾けない。直立し、膨れ上がり、完全に自尊する歌であれ。そうすればアメリカは喜んで耳を傾けるだろう」。『民主主義の展望』。

「……等しい二つの半球、一つの愛、一つの膨張または誇りを持つ、アメリカの魂」。

この検査の集計については、全米科学アカデミー『紀要』第15巻参照。

J・ド・ルーテルは『実定国際公法』(Le Droit international public positif、一九二〇年)第1巻77頁以下で、国際法を普遍的理性として考えられた「自然法」(jus naturale)に基づける者と、むしろ意志の表現(jus voluntarium)を見る傾向の者との対立を、歴史的にたどっている。

この一貫した帝国主義は、H・H・パワーズ『諸国民のなかのアメリカ』で跡づけられている。

テニー・フランク『ローマ帝国主義』、特に第8章「感傷的政治」参照。

田舎の哲学者が述べたように、「物事は昔のようではない――実のところ、昔からそうだったことは一度もない」。

われらの父祖の時代は祖父たちの時代より悪く、
われらをさらに悪く生み、
われらはまもなく、なお腐敗した子孫を生むだろう。
ホラティウス『歌章』第3巻第6歌。

G・H・パーマー教授は自らの記憶に基づき、「ピューリタンの家庭」という論文を書いている(『アトランティック・マンスリー』一九一一年十一月号)。

パスカル『パンセ』64を参照。「私がそこに見るすべては、モンテーニュのうちではなく、自分のうちに見いだす」。

孔子の言葉を参照。「ああ、自分の過ちを見ることができ、自分自身を良心の法廷へ引き出せる者に、私はまだ出会ったことがない」。

エピクテトス『語録』第1巻第17章参照。

ルソーの著作についてのジュベールの言葉を参照。「そこでは怠惰が、哲学的活動の姿勢を取る」(La paresse y prend l’attitude d’une occupation philosophique)。

パピーニは『キリスト伝』で、ソクラテスを明確に攻撃するだけでなく、批判的精神の放棄を自分の観点全体の基礎としている。

「戦闘本能を抑制するより、聖別する方が容易だった。……[十字軍兵士は]足首まで血に浸かるほど一日中人を殺し、日暮れには聖墳墓の祭壇の前へ跪き、喜びのあまりすすり泣くことができた――彼は主の酒搾り場の葡萄酒で赤く染まっているのではないか。十字軍の人気は容易に理解できる。それは人々へ、地上で激しく戦うことによって来世へ行くことを許し、快楽主義の道によって禁欲主義の果実を得ることを許した」。『ブリタニカ百科事典』第11版、アーネスト・バーカー「十字軍」。

帝国主義的動機が宗教的動機へ優越したことは、第四回十字軍(一二〇二~一二〇四年)で特に目立つ。

フィッツジェイムズ・スティーヴンは『自由・平等・友愛』で、この標語を徹底的に分析した。同書にはミルの「自由論」への反駁も含まれる。

この傾向は大戦以前からさまざまな観察者によって指摘されていた。たとえばJ・E・C・ボドリー「フランスにおける理想主義の衰退」(一九一二年)。

エリオット総長の教説とピューリタンの教説との隔たりの広さを測りたい者は、ピューリタニズムの精髄であるジョナサン・エドワーズの説教「神的かつ超自然的な光」と、「文明へのアメリカの五つの貢献」とを続けて読めばよい。

『アンティゴネー』450行以下の一節は、『オイディプス王』863行以下の一節と結びつけて理解する必要がある。「……最高の天上界に生まれ、その父は天のみである法。死すべき人間の種族がこれを生んだのではなく、忘却がこれを眠らせることも決してない。そのうちにある神の力は強大で、老いることがない」。

ロスコー・パウンド『コモン・ローの精神』(一九二一年)第4章「人間の権利」参照。パウンド教授は、ここで言及する第二の傾向、彼が「正義の社会化」と呼ぶものへの傾向に共感している。その観点は、ドイツのイェーリングと密接に関係する。イェーリング自身は、一種の集産主義的ベンサムと定義できる。

「個人と家族、団体と従属関係は、主権的権力が自己の目的へ消費する材料にすぎなかった。奴隷が主人の手のうちにあったように、市民は共同体の手のうちにあった。最も神聖な義務も公共の利益の前では消えた。乗客は船のために存在した。私的利益と民衆の道徳的福祉・改善を無視することによって、ギリシアとローマはともに、国民の繁栄が依存する生命的要素を破壊し、家族の衰退と地方の人口減少によって滅びた。彼らが生き残るのは制度のうちではなく、思想のうちである。そしてその思想、特に統治術についての思想によって、彼らは――

死せるが、王笏を持つ主権者として、
壺の中からなおわれらの精神を支配する。
実際、政治社会を掘り崩すほとんどすべての誤り――共産主義、功利主義、専制と権威との混同、無法と自由との混同――は、彼らまで遡ることができる」。アクトン卿『自由の歴史その他の論文』17頁。

アリストテレス『政治学』1310a。1337aも参照。

ハーバート・B・アダムズ『トマス・ジェファソンとヴァージニア大学』(一八八八年)、特に第9章「ヴァージニア大学とハーヴァード大学」参照。またジェファソンからジョージ・ティックナーへの一八二三年七月十六日付書簡も参照。表面的にはジェファソンは古典研究へ好意的だったが、その根底にある哲学的傾向――百科全書的包括性と専門化の奨励は、その徴候にすぎない――は古典研究に不利だった。

付録B参照。

アリストテレス『ニコマコス倫理学』1166b。

孔子の言葉を参照。「道徳的人間は、単純な真実と真剣さの生活を送ることによってのみ、世界へ平和と秩序をもたらす助けとなれる」。「人材がいれば善政は栄えるが、人材が去れば善政は衰え、消滅する」。

ジョン・デューイ『教育における道徳原理』22頁参照。「子どもは、外へ与え、行い、奉仕しようとする自然な欲望を持って生まれる」(強調は原著者)。

知りうる立場にある者によれば、大戦中に用いられたどの毒ガスよりも少なくとも千倍致死的な毒ガスが、近年発明されたという。

『社会主義運動』90頁。

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付録A 意志の諸理論

この問題の技術的な側面を適切に扱うには一冊の本が必要になるため、いささかためらいながら、ここに若干の覚え書きを付け加える。意志の問題全体は、二元論の問題と分かちがたく結びついている。真の二元論とは、人間のうちにある二つの意志の対立だと私は考える。一方は生命的衝動(élan vital)として感じられ、もう一方は生命的統制(frein vital)として感じられる。決定的な問題は、高次の意志との関係において、知性へどの位置を与えるべきかということだろう。一方では合理主義者にならずに理性的でいることが難しく、他方では軽信へ陥らずに信仰を持つことが難しい。キリスト教におけるこの難問は、パウロが霊の法則と肉体の諸器官の法則とを対置したことに関連して生じた。キリスト教徒によれば、霊の法則が有効に統制を行うには、程度の多少はあれ、神の協力を必要とする。そのため、あるキリスト教徒が人間の意志をどう考えているかを知りたければ、神の意志をどう考えているかを確かめることが、しばしば最良の方法となる。

神の知性に対する神の意志の優越を最初に宣言した人物の一人は、オリゲネスである。しかしキリスト教的主意主義者のうち最も重要なのは、聖アウグスティヌスである。彼は人間と神の双方において意志が第一位にあるとし、それを神学的根拠だけでなく心理学的根拠からも主張する。彼が用いた論証の一つは、ドゥンス・スコトゥスのような後代の主意主義者へ影響を与えた。<sup><a href="#note-a319-1">1</a></sup>アウグスティヌスによれば、意志は何より注意または集中という行為に現れる。したがって意志は、知性が注意を向けて知識を得る事実の領域、または知覚の秩序を選ぶものであるため、知性に先立つ。<sup><a href="#note-a320-1">1</a></sup>

十二世紀後半以降、アリストテレスの影響が強まると、ギリシア的な知性主義へ戻り、意志についてのアウグスティヌスの立場を逆転させる傾向が現れた。たとえば聖トマス・アクィナスは、人間の知性を意志より高い尊厳を持つものとするだけでなく、<sup><a href="#note-a320-2">2</a></sup>神の意志を神の知恵へ従属させる。しかし聖トマスが純粋な合理主義者ではないことは、ほとんど言うまでもない。人間の知性は人間の意志より優位にあるとしても、神の意志によって無限に超越されている。

確かに、啓示の権威によって伝統的に肯定されてきた神の意志の働きは、当初から人間の理性につまずきを与えていた。とりわけ恩寵の教義のより極端な形態と結びつくと、そうだった。スコラ哲学の中心的課題は、この意味での信仰と理性とを和解させることだったと言ってよい。<sup><a href="#note-a320-3">3</a></sup>この大きな努力は聖トマスにおいて頂点へ達し、その体系では理性と信仰が調和して協力しているように見える。神学的真理は理性を超えるが、理性に反するものではない、と彼は主張した。

後期スコラ哲学の際立った特徴は、理性と信仰が再び分離し、両立不能なものとして現れる傾向である。「実在論者」ドゥンス・スコトゥスは、人間と神の双方について、「意志は知性より優位にある」(Voluntas est superior intellectu)という命題を展開する。<sup><a href="#note-a320-4">4</a></sup>唯名論者オッカムのウィリアムは、さらに妥協なく、神の意志は絶対的かつ恣意的だと主張する。神があるものを意志するのは、それが正しいからではない。神がそれを意志するから、それは正しいのである。神学は理性に支えを求めることができず、啓示と教会の権威によって受け入れられなければならない。

スコラ哲学のこの最終段階は、一見ほとんど共通点を持たないさまざまな運動――たとえばルター主義とジャンセニスム、さらにはベーコンとデカルトの哲学――の出発点となった。ジャンセニストとルター派は、恩寵を極端に解釈することで、理性を犠牲にして神の意志を高める。これに対してデカルトとベーコンは、仕方は大きく異なるが、自然的秩序において理性をどのように利用できるかへ関心を寄せる。同時に彼らは、理解不能な神学的神秘と分かちがたく結びついた宗教へ、多少なりとも誠実な敬意を払い続ける。近代哲学の父としての地位を考えれば、デカルトの意志観を確かめることは特に重要である。人間の意志についての彼の考えと、神の意志についての彼の考えとを、明確に区別しなければならない。彼は神の意志を絶対的かつ恣意的なものと考え、この点ではドゥンス・スコトゥスを思わせる。<sup><a href="#note-a321-1">1</a></sup>しかし彼の究極的な気質は、キリスト教的主意主義者のものではない。何よりも、現象界の自然について機械論的法則を組み立てることへ関心があったからである。神の意志へ彼が取った態度は、二つの事情から説明できる。第一は、臆病とさえ言いたくなるほどの極端な慎重さである。ガリレオの運命が生々しく記憶されるなか、神学者との争いへ巻き込まれることを、彼はほとんど病的なほど恐れていた。第二にジルソンによれば、<sup><a href="#note-a321-2">2</a></sup>自らの機械論的仮説のため、目的因を排除したいと望んでいた。

デカルト自身によれば、「われ思う、ゆえにわれあり」(Cogito ergo sum)によって意味したのは、意識の直接的所与から出発すべきだということだった。<sup><a href="#note-a322-1">1</a></sup>しかし実際には、高次の意志を神――神学者が理解する意味での神――へ追いやり、直接的所与のなかでは精神または理性を第一位へ置いた。続いて精神と物質を別個の実体とし、両者の間に鋭い二元論を立てる。人間の意志については、それ自体として無限であり、その限りで神の意志を思わせると考える。<sup><a href="#note-a322-2">2</a></sup>しかし詳しく見ると、この無限の意志の自由は、誤る自由にすぎないと分かる。意志が誤りを免れるのは、理性によって決定される限りにおいてだけである。<sup><a href="#note-a322-3">3</a></sup>正しい意志を正しい理性へ依存させるこの傾向と、実践倫理の双方において、<sup><a href="#note-a322-4">4</a></sup>デカルトは強くストア派を思わせる。

付け加えるまでもないが、デカルトが「理性」と呼ぶのは論理的・数学的理性である。意志を決定すべきであり、誤る危険なく従える唯一の観念は、明晰判明な観念である。人間的秩序と自然的秩序の双方の真理と実在を、いわば数学的に考えることほど、デカルトの体系で顕著な傾向はない。同じ傾向の極端な例は、スピノザが『エチカ』へ与えた幾何学的形式である。デカルトは神そのものを「明晰な」観念とし、ほとんど幾何学的な仕方で証明しようとする。<sup><a href="#note-a322-5">5</a></sup>この点で彼は、人類の普遍的経験と矛盾する。内面生活が依存する真理は、論理的な意味でも、その他のどの意味でも、明晰なものではない。それはむしろ、容易には捉えられない直観の問題である。

デカルトの抽象的推論に対して直観を主張した最初の人物は、おそらくパスカルだった。パスカル自身の区別を用いるなら、真理の一つの全領域は、幾何学的精神(l’esprit de géométrie)によってではなく、繊細の精神(l’esprit de finesse)によってのみ到達できる。デカルトの合理主義的な神に対し、パスカルは「心で感じられる神」(Dieu sensible au cœur)を置く。「心」は実際には「恩寵」を意味し、その恩寵をパスカルは、急速に成立不能となりつつあった神学と結びつける。中世から近代への移行全体で目立つのは、高次の意志の真理を神学から切り離し、「意識の直接的所与」として実験的に扱うことへ失敗したことである。反対に、ジャンセニストとイエズス会士、カトリックとプロテスタント、さらにさまざまなプロテスタント諸派が果てしなく争った結果、これらの真理は、ほとんど信じがたいほど大量の神学的詭議へ巻き込まれた。この詭議に対する最終的な返答がヴォルテールだった。特に意味深いのは、『哲学辞典』の「恩寵」の項であり、その第三節は次の言葉で終わる。「ああ、堕落前予定説派よ、堕落後予定説派よ、無償恩寵派よ、十分恩寵派よ、有効恩寵派よ、ジャンセニストよ、モリニストよ、いい加減に人間になり、このように不合理で忌まわしい愚論のために、これ以上地上を騒がせるな」(Ah! supralapsaires, infralapsaires, gratuits, suffisants, efficaciens, jansénistes, molinistes, devenez enfin hommes et ne troublez plus la terre pour des sottises si absurdes et si abominables)。

デカルトが、人間のうちで真に超越的なもの、すなわち高次の意志に「理性」を事実上代置したため、真正な二元論は損なわれ、一元論的展開への道が開かれた。合理主義的汎神論への傾向は、多くの点でデカルトの影響を示すスピノザに明白である。スピノザは、精神へ実体上の優越を一切認めないことによって、精神と物質とのデカルト的二元論を解消しようとする。<sup><a href="#note-a323-1">1</a></sup>人間は自然のなかで、別の帝国内にある一つの帝国として存在するのではなく、全体の一部として存在する。確かに人間は自らの意志を神の意志へ合わせなければならないが、神は「自然」と同一だと宣言される。このような同一化を行った後では、どれほど補助的な区別を重ねても――たとえば宇宙過程そのもののうちに「能産的自然」(natura naturans)と「所産的自然」(natura naturata)という一種の二元論を設けても――健全な意志の教説を維持し、汎神論的混乱を避けることはできない。人間が自らの意志を合わせるべきだとスピノザが考える神または「自然」は、明確にデカルト的な型の理性と密接に関係する。したがって意志を神または自然へ合わせることは、理性へ合わせることに等しい。実際、スピノザにとって理性と意志は同一である。<sup><a href="#note-a324-1">1</a></sup>この点でもほかの点でも、第一級の近代哲学者のうち、スピノザほど完全にストア派の立場を復活させた者は、おそらくいない。

スピノザとは別に、デカルトの追随者たちも、<sup><a href="#note-a324-2">2</a></sup>普遍的機械論を支持し、精神と物質との二元論を抑え込む傾向を示した。デカルト自身は動物を単なる自動機械と見ていた。すると人間を同じように見る誘惑には、抗しがたいものがあった。<sup><a href="#note-a324-3">3</a></sup>これと並行するのが、イギリス経験論者と功利主義者の傾向である。彼らは精神が超越的であることを否定し、「あらかじめ感覚のうちになかったものは、知性のうちには何もない」と主張する。同時に彼らは、人間を自然的秩序より上へ置く意志の性質を認めず、そのため自然主義的決定論へ強く傾く。意志の自由の否定は、ホッブズとヒュームにおいて特に徹底している。<sup><a href="#note-a324-4">4</a></sup>デカルトからヒュームへ至る哲学の主流は、総合を犠牲にして分析を高め、自発性を機械論へ捧げようとしたように見える。特にヒュームが構想した世界については、メフィストフェレスとともに、「ただ残念ながら、精神の絆だけが欠けている!」(Fehlt leider! nur das geistige Band!)と言えるだろう。哲学へ統一と自由を回復しようとした者のうち、最も重要なのはイマヌエル・カントである。意志について彼は、「ヌーメノン」の領域、「物自体」の領域では人間は完全に自由だが、他の現象と並ぶ一つの現象としては、ヒュームが主張したのと同じほど徹底して決定されている、と述べる。

そこで問題になるのは、この純粋に「ヌーメノン的」な自由が、現実の人生の切迫した場面でどれほどの価値を持つかである。ハクスリーは、このカント的意志観について次のように述べる。「形而上学者は概して、悲しいほどユーモアの感覚を欠いている。そうでなければ、自分たちがまとわせた言葉を剥ぎ取ったとき、俗人の目には、恥じることもなく裸になった、むき出しの見せかけと映るような命題を、提示することは控えるはずである」。<sup><a href="#note-a325-1">1</a></sup>職業的形而上学者は、ユーモア感覚の欠如よりさらに重大な欠如、すなわち常識の欠如を、しばしば露呈する。この欠如は、意志についてのハクスリー自身の態度を、たとえばジョンソン博士の態度と比べたときにも現れる。

『実践理性批判』で展開される「定言命法」についてのカントの見解は、常識の観点から特に異議を受けやすいように見える。定言命法は経験へ基づくものではなく、アプリオリなものとして構想されている。それは宇宙過程――人間の自然的自己を含む――より上位にあり、この過程へ制限的・選択的に働きかける意志の、生きた直観ではない。むしろ、個人の幸福<sup><a href="#note-a325-2">2</a></sup>や、その人が適応しなければならない特殊な事情を顧みずに働く、硬直した形而上学的抽象である。<sup><a href="#note-a325-3">3</a></sup>さらに、すでに指摘したように、それは行為する意志であって、行為を差し控える意志ではない。そのため、自然的人間の拡張的な「欲望」――たとえば支配欲――を、これが本当に鎮められるのかと問える。宇宙的理性の表現として、定言命法はストア派の理性=意志を思わせる。しかしストア派が導きの原理とした理性(to hēgemonikon)は、実在と一つのものとして考えられていた。それに対して『純粋理性批判』の結論は、理性と実在との関係に関する限り、大部分が懐疑的である。そのためカントは、いくつかの重要な命題を、それ自体として必ず真だからではなく、実践理性の要請として肯定するよう求める。こうして彼は、ファイヒンガーの「かのように」の哲学(Philosophie des Als Ob)への道を準備する。ファイヒンガーによれば、人はあるものが真だからそれを意志するのではない。それが「有用な虚構」であることを理由に、真であるかのように行為するだけである。<sup><a href="#note-a326-1">1</a></sup>この「かのように」の哲学は、さらにプラグマティストの立場と近縁である。プラグマティストは、真理をすでに存在するものとは考えない。進みながら自らの真理を作る。言い換えれば、通常の自己にとって有用または快適に見えるものを真とする。こうして彼は、高い非人格的基準と、その基準を参照して拡張的欲望へ限界を設ける倫理的意志の双方を、取り除く傾向を持つ。

カント哲学は、ヒュームのような哲学に欠けていた自由と総合的要素を供給するが、それを抽象的・合理主義的な仕方で供給する。直接性への渇望を満たさない。その渇望を感じた者たちは、倫理を感情へ基礎づけることによって満たそうとした。カントの『実践理性批判』は、究極的実在、すなわち「物自体」が意志ときわめて密接に関係することを示唆する。ショーペンハウアーは実際、実在と意志との同一化にまで進む。ただし彼が立てる意志は、定言命法とは大きく異なる。<sup><a href="#note-a326-2">2</a></sup>それは宇宙的意志である。

その宇宙的意志は、生への意志であると同時に、悪の源泉として考えられている。ショーペンハウアーは、この宇宙的衝迫に、それを統制し、さらには放棄できる高次の意志を対置しない。そうしていれば、真の二元論へ到達できたかもしれない。反対に、彼の理解する意志には、人間と獣に共通するものだけを含めるべきだと明言する。<sup><a href="#note-a327-1">1</a></sup>彼は、仁愛説的な倫理、とりわけすでに見たように、ルソーの自然的憐れみの教説へ頼ることによって、真の二元論に相当するものを得ようとする。同時にショーペンハウアーは、ときに現実の自然のうちへ、憐れみではなく無慈悲な闘争を見いだす傾向を示し、この点でダーウィンを先取りする。ニーチェは、意志へ第一位を与える点でショーペンハウアーに従うが、自然的憐れみを否定し、人間の根本にある意志は権力への意志だと主張する。そのため一方ではホッブズとマキャヴェリ主義者に、他方では進化論者に結びつく。

本能または衝動へ倫理を基礎づけることで、直接性への渇望を満たそうとする者は、そこから生じる「意志」を友愛への意志と考えるか、権力への意志と考えるかを問わず、抑制の要素が第一義的でも生命的でもないと否定する点で一致する。彼らは「意志」の自由な膨張を妨げるものを、すべて人工的または慣習的なものとして退ける。さらに、本能の統一と自発性を回復しようとする試みは、通常もう一つの二元論、すなわち人間の「心」――衝動的・感情的自己という意味での心――と、「頭」――分析的知性という意味での頭――との二元論を含む。この二元論は統一を破壊し、ワーズワースの表現を借りれば、物事を「ばらばらで、死に、精神を失ったもの」として見せる。

進化論者の「歯と爪を血に染めた」自然が、ルソーの牧歌的自然に取って代わるのに正比例して、仁愛説的倫理を維持する困難は増してきた。この困難は、ハクスリーが意志の問題を扱おうとした試みによって例示できる。彼は「進化と倫理」(一八九三年、ロマネス講演)で、文明と宇宙過程は互いに鋭く対立するという命題を展開する。したがって人間は社会の利益のため、この過程を超えようと努めるべきである。講演は、この反宇宙的な方向で努力し、闘争するよう促す雄弁な勧告で終わる。同時にハクスリーは、人間が宇宙過程を超越し、それと反対方向へ動く意志を持つことを否定する。ヒュームの決定論を留保なく採用するのである。<sup><a href="#note-a328-1">1</a></sup>「人間は、身体的にも知的にも道徳的にも、最も卑しい雑草と同じく自然の一部であり、純粋に宇宙過程の一部である」と彼は宣言する。<sup><a href="#note-a328-2">2</a></sup>そうであるなら、ニーチェ的結論を避けるためには、ルソーや感傷主義者のように、自然そのもののうちへ何らかの仁愛の原理を肯定する必要があるように見える。しかし反対に、ハクスリーは自然が無慈悲であることを、最も妥協なく宣言する。<sup><a href="#note-a328-3">3</a></sup>ここで引用したような文章を突き合わせれば、ハクスリーは主要な傾向において自然主義的ソフィストである、というP・E・モア氏の結論を避けるのは難しい。<sup><a href="#note-a328-4">4</a></sup>

ベルクソン、ジェイムズ、クローチェのような近年の哲学者も、意志の扱いにおいて、機械論から逃れる手段として理性以下の統一と自発性を支持した、より古い人々と本質的に異なるとは言えない。ベルクソンは、分析的知性が「ブロック宇宙」を立てるという理由から、分析的知性へ多少とも完全に背を向ける型の「直観」を高く掲げる。同時に、生命的抑制(frein vital)を排し、生命の躍動(élan vital)だけを残す。ただしすでに述べたように、彼は多くのロマン主義的先行者と異なり、生命の躍動を友愛への意志ではなく、権力への意志と結びつける。ピッコリ氏は、クローチェの意志観がベルクソンのそれと多くを共有すると指摘する。<sup><a href="#note-a328-5">5</a></sup>ただしクローチェは、それほど率直に帝国主義的ではない。

一方ジェイムズは、自分がベルクソンの思想と深く一致していると感じていたが、より古いロマン主義心理学に近い。たとえば論文「人間のある盲目について」を考えてみよう。人間が最も人間らしくなるのは、共通に持つ人間的法則を参照し、懸命に努力する瞬間ではないらしい。反対に、怠惰で無責任な瞬間の夢想のうちでこそ、最も自分自身になる。<sup><a href="#note-a329-1">1</a></sup>そして少なくとも、互いのロマン主義的な夢へ共感的に入り込もうとすべきだという。一般にジェイムズやベルクソンのように、宇宙過程における新奇なものの「湧出」によって自由と自発性を証明しようとすれば、<sup><a href="#note-a329-2">2</a></sup>人間の間に真正な倫理的交わりの基礎を見いだす困難が深刻になる。異なるままでいる人々が、どうして一つになれるのかを理解しにくい。さらに自然そのものは、知性が予見も定式化もできない生命的変異を生み出す点で能動的かもしれない。しかし「創造的」進化が起きている当の人間は、能動的ではない。真に人間的な観点からすれば、受動的で目的を欠いたままである。この哲学的傾向を俗に要約する言い方では、どこへ向かっているかは分からないが、とにかく進んでいることだけは分かっている。いずれにしても、人間に固有の意志の性質を発揮しない結果、平和や友愛への道を進んでいないことだけは確かである。

現代の二つの教説、精神分析と行動主義については、すでにいくらか述べた。少なくとも俗に解釈される場合、それらは人間本性における統制の原理を崩し、その限りで文明を解体する傾向を持つ。行動主義について、さらに一言付け加えるとよい。人間はほかの動物と並ぶ一動物であり、その限りでは実験室的方法の対象となる。しかし、そのような方法だけによって行動を完全に説明しようとし、<sup><a href="#note-a330-1">1</a></sup>「客観的」でなければならないという口実のもと、人間と蛙の行動を質的に区別することを拒むなら、その結果は狂気に達した自然主義である。行動主義者は、生命の機械論的見方を、「意識の直接的所与」の一部を否定する地点まで押し進めるだけではない。すべてを刺激と身体的反応へ還元しようと熱望するあまり、意識そのものを消し去りかねない。ジョンソン博士が言うように、あらゆる経験が意志の自由を証言しているなら、極端な行動主義者は理論を選ぶため、きわめて実験的な何かへ背を向けている、と結論しなければならない。

総じて、職業的哲学者が唱えてきた意志の諸理論についての、このきわめて不十分な概観は、本書本文で試みた、より広い概観を裏づけるように見える。意志についての古い扱いが神学的悪夢へ導いたとすれば、近年の扱いは、あまりにしばしば形而上学的混乱へ終わった。神の意志とその働き方をめぐる宗派間の果てしない論争によって損なわれた、内面生活のいくつかの真理を、積極的かつ批判的な形で主張することに、全体として失敗してきたのである。

原注

原書319頁注1 ヴィルヘルム・カールの Die Lehre vom Primat des Willens bei Augustinus, Duns Scotus und Descartes は、この問題全体の資料を集めた有用な文献である。

原書320頁注1 意志についてのこの観察、およびその他の精妙な心理学的観察については、アウグスティヌス『三位一体論』(De Trinitate)参照。

原書320頁注2 P・H・ウィックスティードは、知性と意志との関係を示す聖トマスの文章を、Reactions between Dogma and Philosophy, pp. 582–620 に集めている。

原書320頁注3 スコラ期における信仰と理性とのこの闘争については、E・ジルソン『中世哲学』(La Philosophie au moyen âge。全体として科学的知識人の観点)と、M・ド・ヴルフ『中世哲学史』(History of Mediaeval Philosophy。カトリックの観点)参照。

原書320頁注4 ジルソンによれば(前掲書、第2巻83–84頁)、「ドゥンス・スコトゥスはキリスト教の神の権利を要求し、ギリシア思想による汚染に対して本能的にそれを擁護する」(Duns Scot revendique les droits du Dieu chrétien et les défend instinctivement contre la contamination de la pensée hellénique)。ドゥンス・スコトゥスへのアラビア思想の影響を考えれば、さらに進んで、彼の意志論ではアジア的心理学がヨーロッパ的心理学と対峙している、と言えるかもしれない。

原書321頁注1 ただしジルソンは、デカルトの神的意志観がドゥンス・スコトゥスのそれにどれほど近いかについて、カールと意見を異にする。La Doctrine cartésienne de la liberté et la théologie, pp. 128–149 参照。

原書321頁注2 同書第3章、および210頁。

原書322頁注1 『哲学原理』(Principes de la philosophie)第1部第9節。

原書322頁注2 『省察』(Méditations métaphysiques)第4省察「真と偽について」。

原書322頁注3 同上。

原書322頁注4 特に『エリザベト王女への書簡』(Lettres à la princesse Elisabeth)参照。

原書322頁注5 「したがって神が存在することは、少なくとも幾何学のどの証明にも劣らず確実である」(… par conséquent il est pour le moins aussi certain que Dieu … est ou existe, qu’aucune démonstration de géométrie le saurait être)。『方法序説』。

原書323頁注1 スピノザ『エチカ』第2部命題7備考。

原書324頁注1 「意志と知性とは、一つの同じものである」(Voluntas et intellectus unum et idem sunt)。『エチカ』第2部命題49系。第3部命題9備考には異なる意志観が現れ、そこでは意志が衝動と同一視される。推測されてきたように、ホッブズの影響かもしれない。

原書324頁注2 ここで扱っているのは主流の影響である。ゲーリンクスのような一部のデカルト派は、「機会原因論」として知られる教説に関連し、人間の神的意志への依存を、中世的謙虚さを思わせる仕方で展開した。

原書324頁注3 デカルト派のブールハーヴェの弟子ラ・メトリは、一七四七年に『人間機械論』(L’Homme-machine)を刊行した。

原書324頁注4 ジョゼフ・リッカビー師『意志の自由と四人のイギリス哲学者――ホッブズ、ロック、ヒューム、ミル』(Free Will and Four English Philosophers)参照。リッカビー師はもちろん伝統主義者だが、厳密に心理学的な観点から見ても、明察に富む指摘を行っている(たとえば205頁)。

原書325頁注1 ハクスリー『ヒューム』第10章末尾。

原書325頁注2 シラーは詩「哲学者たち」(Die Philosophen、35行以下)で、この観点から定言命法を風刺した。別の箇所(Werke, Goedeke Ed., X, p. 101)では、カント的理性の「ドラコン的」厳格さに、「美しい魂」の立場を対置している。カント自身も当初は倫理を感情へ基礎づける傾向を持ったが、一七七〇年頃、シャフツベリとその追随者を、エピクロス主義に陥っているとして退けた。

原書325頁注3 ヤコービが「そうだ、私は、死にゆくデズデモーナが嘘をついたように嘘をつき、ピュラデスがオレステスを装ったときのように嘘をついて欺き、ティモレオンが行ったように殺す、あの無神論者、神なき人間である」などと叫ぶとき、定言命法のこの側面を念頭に置いている。

原書326頁注1 225頁参照。また『ルソーとロマン主義』370頁注で、想像力の問題との関係におけるファイヒンガー哲学へ触れている。

原書326頁注2 ショーペンハウアーによる定言命法への攻撃については、『道徳の基礎』(Grundlage der Moral)最初の九節参照。ただしハクスリーが嘲笑した自由と必然との調停を、ショーペンハウアーは「超越論的感性論」と並び、カントの最も卓越した業績と見なす。

原書327頁注1 『新パレルガ・パラリポメナ』(Neue Paralipomena)。フイエは、意志へ第一位を与えたことでショーペンハウアーがデカルトを継承したと述べるとき(Descartes, p. 198)、要点を大きく見誤ったように見える。デカルトが神的意志を強調したことに真正なものがある限り、それはキリスト教的主意主義の残存である。

原書328頁注1 ハクスリー『ヒューム』第10章。

原書328頁注2 Works(Eversley Edition)第9巻11頁。

原書328頁注3 Works(Appleton Edition)第9巻200頁。

原書328頁注4 P・E・モア『シェルバーン論集』第8巻193頁以下。

原書328頁注5 ピッコリ『ベネデット・クローチェ』198頁。

原書329頁注1 「人生の休日は、その最も生命的に意味のある部分である。なぜなら、それらはまさにこの種の、魔術的で無責任な魅力に覆われているか、少なくとも覆われているべきだからである」。この観点は、シラーの言葉(Werke, Goedeke Ed., X, p. 327)と関係する。「人間は遊ぶところでのみ、完全に人間である」(Der Mensch ist nur da ganz Mensch, wo er spielt)。

原書329頁注2 ジェイムズがこの仕方で意志の自由を証明しようとした試みについては、A Pluralistic Universe, p. 391 n.、および Some Problems of Philosophy, p. 145 参照。

原書330頁注1 この種の試みについては、J・B・ワトソン『行動主義者の立場からの心理学』(Psychology from the Standpoint of a Behaviorist, 1919)参照。この傾向全体の議論については、メアリー・W・カルキンズ「真に心理学的な行動主義」(The Truly Psychological Behaviorism, Psychological Review, vol. 28, pp. 1–18)参照。

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付録B 絶対主権

絶対主義を警戒する一方、基準と、基準だけが国家へ与えうる規律とを尊重する点で、すでに述べたように(246頁)、連邦維持派の自由主義者は、バークを最良の代表者とするイギリス政治の伝統に近い。イギリス人が個人的自由へ示す関心の多くは、古い意味での humorousness――人それぞれの気質や癖を尊ぶ性向――の一側面、すなわち画一化と統制を嫌う気質の現れにすぎず、その意味では基準の否定でもある、と主張されてきた。しかし、それが真実のすべてではない。最良のイギリス政治家は、真正なキリスト教の中心にある自由について一定の理解へ到達し、その理解を政治的に有効なものとすることに、ほかのどの国の政治家よりも成功してきた。

個人的自由を愛する者は、ヨーロッパのさまざまな国とは異なり、イギリスでコモン・ローがローマ法へ道を譲らなかったことを、幸運な事情と考えやすい。中世および近代世界へのローマ法の影響という巨大な主題を論じる能力は私にはなく、現在の主題もそれを要求しない。ここで必要なのは、ローマ法に見いだされる自由の観念は、最良の形においてさえキリスト教的観念よりはるかに劣る、と指摘することだけである。それはストア派的合理主義を過度に反映し、ギリシア・ローマのあらゆる政治哲学と同じく、正当化できないほど大きな程度まで、個人を国家へ犠牲にする用意がある。最悪のローマ法は、ローマ的と呼ぶに値せず、むしろビザンツ的である。ローマ法が、無制限の主権、すなわち「権力の充満」(plenitudo potestatis)という観念へ与えた起源に注目すべきである。この観念は、中世後期から近世初頭の絶対主義者へ、相当な影響を与えたことを示せる。

『学説彙纂』によれば、王法(lex regia)によって、<sup><a href="#note-b332-1">1</a></sup>ローマ人民は自らの無制限の権力を皇帝へ譲渡した。この放棄の理由は熟考に値する。扇動家にそそのかされたローマ人民は、自らへ限界を設けることを拒み、同時に、質と、質がつねに必要とする基準への正しい従属を犠牲にして得られる種類の平等へ向かっていた。近代民主主義が単なる量的平等を追求している限り、その運命はこのローマの展開によって予告されているように見える。遅かれ早かれ、一人の人間の手へ権力が集中することが、群衆の無責任な専制からの救済として感じられる瞬間が来る。少なくともこれが、急進的民主主義が、私のいう退廃した帝国主義へ通常移行する過程である。

真正な中世的主権観は、私が王法とローマ法へ結びつけてきた観念とは大きく異なる。キリスト教徒にとって、主権はローマ法のように人民から生じるのではなく、神から生じる。しかも神は第一に理性としてではなく、意志として考えられる。恩寵の教義の全傾向は、この意志を絶対的で責任を負わないもの、一種の超自然的な「御意のまま」(bon plaisir)に見せることにある。恩寵の教義が歴史的に正当化されることについては、すでにいくらか述べた。それが西洋文明を救ったと主張しても、誇張ではない。歴史的正当化という言葉で、その教義を「有用な虚構」と見なすべきだと言っているのではない。それを救済的なものにしたのは、その真理、すなわち高次の意志を強調したことである。同時に、この教義が個人主義者へ与える困難も示唆してきた。「人間は万物の尺度である」という格言を受け入れること――そしてあらゆる個人主義者は、何らかの形でこの格言を受け入れなければならない<sup><a href="#note-b332-2">2</a></sup>――は、意志であれ理性であれ、あらゆる絶対者にとって致命的である。宗教的意味における絶対的・無制限の意志は、その意志を主張する支配者が、神的主権者の恩寵を謙虚に受け取る者としてのみ行っていると公言した場合でさえ、しばしば権力への意志へ転化した。神の恣意的主権への信仰が帝国主義的帰結を生む傾向は、王権神授説の歴史だけでなく、教皇権の歴史によっても例示できる。

第1章では、中世の絶対的意志への信仰から、合理主義の中間期を経て、同じ信仰の別の形態へ移行する過程、要するに神の主権から人民の主権への移行をたどろうとした。政治問題を、語のどの意味であれ意志の言葉で考える者の長所は、生命的かつ第一義的な何かへ立脚していることにある。それと比べれば、理性は最後には二次的で手段的なものにすぎないと判明する。この観点からヘーゲルの合理主義的絶対者を考えるのは興味深い。ヘーゲルによれば、理念は歴史上いくつもの不完全な形で現れた後、最終的にプロイセン国家のうちへ完全に受肉した。この国家を動かすと想定された絶対的理性は、実際には権力への意志の召使いだったことを示した、と大半の人は同意するだろう。

理性と意志がそれぞれ主張する優位は、国際法との関係でも興味深く研究できる。この主題全体は現在、空想的なのではないかという疑いを受けている。その疑いが正しいと判明するなら、理由は、国際法が理性へ本来属さない優位を与えたか、意志の扱いが不当に表面的だったかの、いずれかである。いわゆる国際法の実証学派の代表者たちは、さまざまな主権国家が互いに関係する際に展開する意志を記録することへ、自らを限定する傾向を持った。この記録が少しでも法の名に値するなら、単なる力、すなわち特定の国際危機で現れる、ある国家または国家連合の権力への意志から、明確に区別できなければならない。この点で、国際法の運命が、中世の神的意志への依存と、その後の合理主義の支配との双方に取って代わる傾向を持った、新しい意志の教説へ密接に結びついていることが分かる。

主権者である人民がどのような質の意志を示す可能性があるかという問題は、ルソーの根底にある自然的善性の教条が真か偽かという問題へ従属する。この教条は、内的統制と外的統制の双方を信用させなくする傾向を持つ。統制が消えれば、人民の意志は人民の衝動の別名にすぎなくなる。自然主義的膨張のこの段階へ達した人民に現れるのは、友愛への意志ではなく、権力への意志だと、すでに結論した。西洋の人文主義的伝統と宗教的伝統へ、特に絶対的・無制限の主権理論との関係で、帝国主義的要素が入り込んだことは認めなければならない。それでもこれらの伝統には、少なくともある程度、真正なものがあった。そのため支配欲(libido dominandi)へ何らかの限界を設けた。真正な宗教の中心には平和への意志があり、真正な人文主義の中心には正義への意志がある。それに対して私の分析が正しいなら、急進的民主主義と帝国主義は、その本質において同一である。

主権理論との関係における近代運動のもう一つの側面についても、すでに述べた(296頁以下)。<sup><a href="#note-b334-1">1</a></sup>功利主義者は、国家をますます絶対的なものとして考える傾向を持つ。社会的に有用なもの、すなわち最大多数の最大幸福を促進しようとするとき、国家の権力は何の制限も受けるべきではないと感じる。すでに述べたように、功利主義者の根本的誤謬は、「最大幸福」と幸福一般を、快楽または単なる外的働きの言葉で考えることにある。社会は、個人の無制約から自らを守らなければならない。しかし社会が、この必要な権威の主張を抑圧的な極端へ押し進めないためには、外的働きだけでなく、健全な個人主義の最終的源泉である内的働きをも認識しなければならない。そうすることは抽象的になることではない。反対に、社会学的理論構成から、積極的な心理学的観察へ向かうことである。

絶対主権の諸理論についてのこの短い概観は、本書の題辞の一つに掲げたジョン・アダムズの文章を裏づけるように見える。王法から功利主義的・感傷主義的運動に至るまで、これらの理論は、一連の神学的・形而上学的な思い込みと結びついてきた。そしてその思い込みは、究極的な含意において、個人的自由を掘り崩すものだった。

原注

原書332頁注1 『学説彙纂』第1巻4・1。また『法学提要』第1巻2・6参照。特定の一取引を指す限り、王法はもちろん法学上の擬制である。皇帝の手への権力集中は、より漸進的に進んだ。

原書332頁注2 この格言が持ちうるさまざまな意味については、『近代フランス批評の巨匠たち』最終章で論じた。

原書334頁注1 主権理論を功利性と社会的便宜へ基礎づけようとした試みのうち、最もよく知られているのは、ジョン・オースティン『法理学の範囲』(The Province of Jurisprudence Determined, 1832; 2nd ed., 1861)、特に第6章であろう。

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参考文献

本参考文献には、本書本文で言及した著作のうち、より重要なものを収めた。また、何らかの理由で、私が論じた諸問題にとくに関係が深いと思われる著作も数点加えた。

アクトン卿(Lord Acton)

Letters of Lord Acton to Mary Gladstone[『アクトン卿からメアリー・グラッドストンへの書簡』]。1904年。
The History of Freedom and Other Essays[『自由の歴史、その他の論文』]。1907年。

ヨハネス・アルトジウス(J. Althusius)

Politica methodice digesta[『体系的に編成された政治学』]。1603年。

アリストテレス(Aristotle)

Nicomachean Ethics[『ニコマコス倫理学』]。D・P・チェイス訳、1847年(エヴリマンズ・ライブラリーに再録)。
Politics[『政治学』]。B・ジョウェット訳、1905年。

ハンス・フォン・アルニム(H. von Arnim)

Die politischen Theorien des Altertums[『古代の政治理論』]。1910年。

F・アトジェ(F. Atger)

Essai sur l’histoire des doctrines du contrat social[『社会契約説史試論』]。1906年。

聖アウグスティヌス(Saint Augustine)

De Civitate Dei[『神の国』]。E・ホフマン編、全2巻、1898年。M・ドッズ訳、1897年。

アーネスト・バーカー(E. Barker)

Political Thought in England from Herbert Spencer to the Present Day[『ハーバート・スペンサーから現代までのイギリス政治思想』]。1915年。
Greek Political Theory[『ギリシア政治理論』]。1918年。

アルバート・J・ベヴァリッジ(A. J. Beveridge)

The Life of John Marshall[『ジョン・マーシャル伝』]。全4巻、1916年。

ベヴァリッジ氏は、マーシャルとジェファソンとの相容れない対立を興味深く描き出している。ただし、著作のどこかで、連邦維持派と帝国主義的傾向を持つ国民主義者とを明確に区別すべきだった。マーシャルは、ルーズヴェルトの先駆者と呼べる人物からはほど遠い。

ジャック=ベニーニュ・ボシュエ(J. B. Bossuet)

Politique tirée de l’écriture sainte[『聖書に基づく政治学』]。1709年。

エミール・ブルジョワ(E. Bourgeois)

Manuel historique de politique étrangère[『外交政策史便覧』]。全3巻、第4版、1909年。

エドマンド・バーク(E. Burke)

Works[『著作集』]。全8巻(ボーン・ライブラリー)、1854~1861年。
Reflections on the Revolution in France[『フランス革命についての省察』]。1790年。
Letter to a Member of the National Assembly[『国民議会議員への書簡』]。1791年。

J・B・ベリー(J. B. Bury)

The Idea of Progress[『進歩の観念』]。1921年。

R・W・カーライル、A・J・カーライル(R. W. and A. J. Carlyle)

A History of Mediæval Political Theory[『中世政治理論史』]。全4巻、1903~1922年。

フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアン(F. R. de Chateaubriand)

Essai historique, politique et moral sur les Révolutions[『革命についての歴史的・政治的・道徳的試論』]。1797年。
Mémoires d’Outre-Tombe[『墓の彼方からの回想』](1848年)。E・ビレ編、全6巻、1898~1901年。

孔子(Confucius)

The Sayings of Confucius (Analects)[『孔子の言葉(論語)』]。L・ジャイルズ訳、1907年。
The Conduct of Life[『人生の道』]。辜鴻銘(Ku Hung Ming)訳、1906年。

後者は、通常『中庸』(The Doctrine of the Mean)と題される儒教の典籍である。辜鴻銘氏による説明を受け入れるなら、題名を構成する二つの漢字をさらに字義どおりに訳せば、「普遍的規範」または「中心」となるだろう。

リチャード・カンバーランド(R. Cumberland)

De Legibus naturæ[『自然法について』]。1672年。

ダンテ・アリギエーリ(Dante Alighieri)

De Monarchia[『帝政論』]。1310年頃。ムーア編、1904年。P・H・ウィックスティード訳、テンプル・クラシックス所収。

J・ドデュー(J. Dedieu)

Montesquieu et la tradition politique anglaise en France[『モンテスキューとフランスにおけるイギリス政治伝統』]。1909年。

ヘルマン・ディールス(H. Diels)

Die Fragmente der Vorsokratiker[『ソクラテス以前の哲学者断片集』]。全2巻(3冊)、第2版、1906~1910年。

ウィリアム・A・ダニング(W. A. Dunning)

A History of Political Theories[『政治理論史』]。全3巻、1902~1920年。

W・F・ファーガソン(W. F. Ferguson)

Greek Imperialism[『ギリシア帝国主義』]。1913年。

リヒャルト・フェスター(R. Fester)

Rousseau und die deutsche Geschichtsphilosophie[『ルソーとドイツ歴史哲学』]。1890年。

ジョン・ネヴィル・フィギス(J. N. Figgis)

Studies of Political Thought from Gerson to Grotius[『ジェルソンからグロティウスまでの政治思想研究』]。1907年、第2版1916年。

神政的ヨーロッパから、大規模な領域的国民国家によるヨーロッパへ移行した、きわめて重要な過渡期についての優れた研究である。

The Divine Right of Kings[『王権神授説』]。1914年。

ロバート・フィルマー(R. Filmer)

Patriarcha; or The Natural Power of Kings[『パトリアーカ――あるいは国王の自然的権力』]。1680年(ロック『統治二論』とともにモーリー版ユニヴァーサル・ライブラリーに再録)。

テニー・フランク(T. Frank)

Roman Imperialism[『ローマ帝国主義』]。1914年。

ニュマ・ドニ・フュステル・ド・クーランジュ(N. D. Fustel de Coulanges)

La Cité antique[『古代都市』]。1864年、第16版1898年。W・スモール訳、1874年。

エートスと政治形態との関係を、過度に体系的に見えることなく――そして、おそらく実際に過度に体系的になることなく――示すのは難しい。『古代都市』は、この観点から厳しい批判を受けてきた。しかしC・ベモンは、『ブリタニカ百科事典』第11版のフュステル論で、この著作は「大部分が後代の研究によって置き換えられた」と断言しており、これは行き過ぎである。反対に、いくつかの重要な点では、ほとんど決定的といえるほど優れた著作である。

オットー・フォン・ギールケ(O. Gierke)

Political Theories of the Middle Age[『中世の政治理論』]。F・W・メイトランド訳・編、1900年。
Johannes Althusius[『ヨハネス・アルトジウス』]。1880年、第3版1913年。

自然権や社会契約などの問題に関する、貴重な情報の集成である。ただしギールケは、アルトジウスがルソーへ与えた影響を誇張していると思われる。ルソーがアルトジウスへ言及するのは、一度だけだからである(『山からの手紙』第6書簡末尾)。

テオドール・ゴンペルツ(T. Gomperz)

Griechische Denker[『ギリシア思想家』]。第2版、全3巻、1903~1909年。L・マグナス、G・G・ベリー訳、1901~1912年。

G・P・グーチ(G. P. Gooch)

Germany and the French Revolution[『ドイツとフランス革命』]。1920年。

フーゴー・グロティウス(H. Grotius)

De Jure belli et pacis[『戦争と平和の法』]。1625年。ウィーウェル訳、全3巻、1853年。

F・J・C・ハーンショー編(F. J. C. Hearnshaw, editor)

The Social and Political Ideas of some Great Mediæval Thinkers[『中世の偉大な思想家たちの社会・政治思想』]。1923年。

本書所収の一論文で、アイリーン・パワーは、フィリップ美王に仕えた法律家ピエール・デュ・ボワが、いくつかの点でシュリーの「大計画」を先取りするヨーロッパ平和案を立てたことを指摘している。この案もシュリーの案と同じく、実際にはヨーロッパに対するフランスの支配をもたらしただろう。

トマス・ホッブズ(T. Hobbes)

Leviathan[『リヴァイアサン』]。1651年。W・G・ポグソン・スミス編、1909年。

リチャード・フッカー(R. Hooker)

Ecclesiastical Polity[『教会政治論』]。1592年(エヴリマンズ・ライブラリーに再録)。

デイヴィッド・ヒューム(D. Hume)

A Treatise of Human Nature[『人間本性論』]。1739~1740年(エヴリマンズ・ライブラリーに再録)。

ポール・ジャネ(P. Janet)

Histoire de la science politique[『政治学史』]。全2巻、1858年、第4版1913年。

トマス・ジェファソン(T. Jefferson)

Works[『著作集』]。P・L・フォード編、全10巻、1892~1899年。

ハロルド・J・ラスキ(H. J. Laski)

Political Thought from Locke to Bentham[『ロックからベンサムまでの政治思想』]。1920年。

W・E・H・レッキー(W. E. H. Lecky)

Democracy and Liberty[『民主主義と自由』]。全2巻、1896年。

ジョン・ロック(J. Locke)

Two Treatises of Government[『統治二論』]。1690年(モーリー版ユニヴァーサル・ライブラリーに再録)。

J・ド・ラウテル(J. de Louter)

Le Droit international positif[『実定国際法』]。1920年。

J・ラムゼイ・マクドナルド(J. R. MacDonald)

The Socialist Movement[『社会主義運動』]。1911年。

ニッコロ・マキャヴェリ(N. Machiavelli)

Del modo tenuto dal duca Valentino nell’ ammazzare Vitellozzo Vitelli, etc.[『ヴァレンティーノ公がヴィテロッツォ・ヴィテッリらを殺害した手段について』]。1502年。
Il Principe[『君主論』]。1513年。
Vita di Castruccio Castracani[『カストルッチョ・カストラカーニ伝』]。1520年。

三篇の英訳は、エヴリマンズ・ライブラリーの同一巻に収められている。

サー・ヘンリー・J・S・メイン(Sir H. J. S. Maine)

Ancient Law[『古代法』]。1861年(エヴリマンズ・ライブラリーに再録)。とくに第4章「自然法の近代史」を参照。

ジョゼフ・ド・メーストル(J. de Maistre)

Du Pape[『教皇論』]。1819年。
Soirées de Saint-Pétersbourg[『サンクトペテルブルク夜話』]。1821年。

「第一夜話」には、有名な「死刑執行人の肖像」が収められている。

バーナード・マンデヴィル(B. Mandeville)

The Fable of the Bees[『蜂の寓話』]。1714年(本書の核となる韻文 The Grumbling Hive[「不平をこぼす蜂の巣」]は、1705年に初出)。第5版、全2巻、1728~1729年。

パドヴァのマルシリウス(Marsilius of Padua)

Defensor Pacis[『平和の擁護者』]。1324年。本文はゴルダスト編 Monarchia S. Imperii Romani 所収。

チャールズ・E・メリアム(C. E. Merriam)

American Political Theories[『アメリカ政治理論』]。1903年、新版1920年。

アンリ・ミシェル(H. Michel)

L’Idée de l’État[『国家の観念』]。1896年。

ジョン・スチュアート・ミル(J. S. Mill)

On Liberty[『自由論』]。1859年(「功利主義」「代議政治論」とともにエヴリマンズ・ライブラリーに再録)。

シャルル・ド・スゴンダ、ラ・ブレードおよびモンテスキュー男爵(Montesquieu, Charles de Secondat de la Brède, Baron de)

De l’Esprit des Lois[『法の精神』]。1748年。

F・S・オリヴァー(F. S. Oliver)

Alexander Hamilton; an Essay on American Union[『アレグザンダー・ハミルトン――アメリカ連邦についての一試論』]。1907年。

ブレーズ・パスカル(B. Pascal)

Pensées et opuscules[『パンセおよび小品集』]。L・ブランシュヴィック編、1917年。

プラトン(Plato)

Works[『著作集』]。B・ジョウェット訳、全5巻、第3版、1892年。

ロスコー・パウンド(R. Pound)

The Spirit of the Common Law[『コモン・ローの精神』]。1921年。
An Introduction to the Philosophy of Law[『法哲学入門』]。1922年。

H・H・パワーズ(H. H. Powers)

America among the Nations[『諸国民のなかのアメリカ』]。1917年。

エルネスト・ルナン(E. Renan)

La Réforme intellectuelle et morale[『知的・道徳的改革』]。1871年。

デイヴィッド・G・リッチー(D. G. Ritchie)

Natural Rights[『自然権』]。1894年、第3版1916年。

リッチーによれば、自然権という観念は空想的であり、不健全な個人主義へ導く。彼がこの不健全さへ対置するのは健全な個人主義ではなく、社会的便宜である。しかもそれ自体が、進化論の教説によって絶えず変化する。本書の有用な特徴は、フランスとアメリカにおける18世紀の主要な権利宣言を収めた付録である。

ジャン=ジャック・ルソー(J. J. Rousseau)

Œuvres complètes[『全集』]。全13巻(アシェット版)。良質な完全版は存在しない。
The Political Writings[『政治著作集』]。C・E・ヴォーン編、全2巻、1915年。

ヴォーンは本文校訂ではよい仕事をした。他方、序論的資料では、たとえばルソーが政治的には真のプラトン主義者だというような、厳密な検討に耐えない考えを展開している。

サン=ピエール師(Abbé de Saint-Pierre)

Projet pour rendre la paix perpétuelle en Europe[『ヨーロッパに恒久平和を実現するための計画』]。1712~1717年。

アルトゥル・ショーペンハウアー(A. Schopenhauer)

Grundlage der Moral[『道徳の基礎』]。1840年。A・B・ブロック訳、第2版、1915年。

エルネスト・セイリエール(E. Seillière)

L’Impérialisme démocratique[『民主主義的帝国主義』]。1907年。
Le Mal romantique[『ロマン主義という病』]。1908年。
Introduction à la philosophie de l’impérialisme[『帝国主義の哲学序説』]。1911年。
Le Péril mystique dans l’inspiration des démocraties modernes[『近代民主主義の霊感における神秘主義の危険』]。1918年。
Balzac et la morale romantique[『バルザックとロマン主義的道徳』]。1922年。
Vers le socialisme rationnel[『合理的社会主義へ』]。1923年。

セイリエール氏は最後の著作を、自らの見解全体の要約としている。第三者によって刊行された彼の哲学の解説では、R・ジルーアンの Une nouvelle philosophie de l’histoire moderne[『近代史の新しい哲学』](1921年)が最良である。同時代のフランス人著述家による12篇の研究を収めた La Pensée d’Ernest Seillière[『エルネスト・セイリエールの思想』](1923年、巻末に参考文献)も参照。セイリエール氏は、「帝国主義」という語の範囲を不当に広げたと批判されてきた。より正当な異論は、「神秘主義」という語の用法に対するものである。この点については、アンリ・ブレモン Histoire littéraire du sentiment religieux en France[『フランスにおける宗教感情の文学史』]第4巻(1920年)、566頁注を参照。

第3代シャフツベリ伯爵アンソニー・アシュリー・クーパー(Anthony Ashley Cooper, Third Earl of Shaftesbury)

Characteristics of Men, Manners, Opinions and Times[『人間・風俗・意見・時代の諸特質』]。1711年、第2版1714年。J・M・ロバートソン編、1900年。
The Life, unpublished Letters and Philosophical Regimen[『生涯・未刊書簡・哲学的養生法』]。B・ランド編、1900年。

アダム・スミス(A. Smith)

The Theory of Moral Sentiments[『道徳感情論』]。1761年。デュガルド・ステュアートによる批評的・伝記的回想を付した第6版、1790年(ボーン・ライブラリーに再録)。
The Wealth of Nations[『国富論』]。1776年(エヴリマンズ・ライブラリーに再録)。

オスヴァルト・シュペングラー(O. Spengler)

Der Untergang des Abendlandes[『西洋の没落』]。全2巻、1919~1922年。

ジェームズ・フィッツジェームズ・スティーヴン(Fitzjames Stephen)

Liberty, Equality, Fraternity[『自由・平等・友愛』]。第2版、1874年。

ラビンドラナート・タゴール(Rabindranath Tagore)

Nationalism[『ナショナリズム』]。1917年。

エルンスト・トレルチ(E. Troeltsch)

Augustin, die christliche Antike und die Mittelalter[『アウグスティヌス、キリスト教的古代、中世』]。1915年。

アシル・ヴィアラット(A. Viallate)

L’Impérialisme économique et les relations internationales pendant le dernier demi-siècle (1870–1920)[『過去半世紀(1870~1920年)における経済帝国主義と国際関係』]。1923年。

ウォルト・ホイットマン(W. Whitman)

Leaves of Grass[『草の葉』]。1855年。
Democratic Vistas[『民主主義の展望』]。1871年。

レオンティーヌ・ザンタ(L. Zanta)

La Renaissance du stoïcisme au XVIe Siècle[『16世紀におけるストア主義の復興』]。1914年。

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人名索引

注記:以下の数字は原書のページ番号であり、このMarkdownファイル上の位置を示すものではない。「注」は原書の脚注を示す。配列は原書のアルファベット順を維持した。

A

アクトン卿(Acton, Lord):2、94、127、178、184、298注
ヘンリー・アダムズ(Adams, Henry):231注、252注
ハーバート・B・アダムズ(Adams, Herbert B.):305注
ジョン・アダムズ(Adams, John):306、335
ジョン・クインシー・アダムズ(Adams, John Quincy):248
ジョゼフ・アディソン(Addison):13
アレクサンドロス(Alexander):139
聖アンセルムス(Anselm, Saint):118注
聖トマス・アクィナス(Aquinas, Saint Thomas):2、30、164、320
アリストパネス(Aristophanes):148、149
アリストテレス(Aristotle):2、27、30、31、32、35注、44、46、54、61、64、70、78、83、92、117、149、150、152注、163、164、165、192、199、204、205、209、213、214、258、273、276、299、301、302、308、309、320
マシュー・アーノルド(Arnold, Matthew):160、243、281
アショーカ王(Asoka):159、160
ハーバート・アスキス(Asquith):289
アスキス夫人(Asquith, Mrs.):203
アッティラ(Attila):158
聖アウグスティヌス(Augustine, Saint):2、21、30、31、176、319
ジョン・オースティン(Austin, John):334注

B

フランシス・ベーコン(Bacon, Francis):30、94、103、113、143、159、190、192、197、259、314、321
ロジャー・ベーコン(Bacon, Roger):113
ウォルター・バジョット(Bagehot, W.):106
オノレ・ド・バルザック(Balzac, Honoré de):17注、21注
バラバ(Barabbas):264
アーネスト・バーカー(Barker, Ernest):286注
ジェレミー・ベンサム(Bentham):224注、296注
アンリ・ベルクソン(Bergson, Henri):17、18、162、169、183注、224、229、301、328、329
聖ベルナール(Bernard, Saint):108注、178注
オットー・フォン・ビスマルク(Bismarck):41
ブレア博士(Blair, Dr.):85注
J・E・C・ボドリー(Bodley, J. E. C.):287注
ヘルマン・ブールハーフェ(Boerhaave):324注
ニコラ・ボワロー(Boileau):277
ボルド(Bordes):74注
チェーザレ・ボルジア(Borgia, Cæsar):39
ジャック=ベニーニュ・ボシュエ(Bossuet):21、55、56、57、58、60、67、187、219、260、276、277、301
エミール・ブルジョワ(Bourgeois, E.):130注
エミール・ブートルー(Boutroux, E.):131
W・C・ブラウネル(Brownell, W. C.):167注
ウィリアム・ジェニングス・ブライアン(Bryan, W. J.):240、282、285
ブライス卿(Bryce, Lord):241
ブッダ(Buddha):32、33、36、67注、158、160、161、162、163、168、169、170、173、184、194、195、199、202、209、214、222、273、275
エドマンド・バーク(Burke):22、69、96、97–116、126、128、141、157、166、178、199、202、207、221注、246、251、258、262、272、293、331
バイロン卿(Byron, Lord):244

C

カエサル(Cæsar):29、31、44、54、92、98、196、270、284、285、286、288
ジョン・C・カルフーン(Calhoun, J.):247
カリグラ(Caligula):141
メアリー・W・カルキンズ(Calkins, Mary W.):330注
ジャン・カルヴァン(Calvin):54、74、188、189、190注、253
トマス・カーライル(Carlyle):7、131、137、138、140、209、211
カストルッチョ・カストラカーニ(Castricani, Castruccio):39
チャーリー・チャップリン(Chaplin, Charlie):240
フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアン(Chateaubriand):126注、128、140、217、220
エドゥアール・シャヴァンヌ(Chavannes, E.):163注
G・K・チェスタトン(Chesterton, G. K.):125
キリスト(イエス)(Christ [Jesus]):33、34、98、130、132、140、158、159、160、161、163、164、170、172、177、195、264、269、273、275、283、284、289、291、298
朱熹(Chu Hsi):164
アルテュール・シュケ(Chuquet, A.):130注
キケロ(Cicero):2、19、47、149注、268、270、291、292
キモン(Cimon):148注
キネアス(Cineas):271
クレオン(Cleon):281
グローヴァー・クリーヴランド(Cleveland, Grover):288
アナカルシス・クローツ(Cloots, Anacharsis):124
サミュエル・テイラー・コールリッジ(Coleridge):13、130注、221
オーギュスト・コント(Comte, Auguste):258
コンドルセ(Condorcet):132
孔子(Confucius):3、33、34、35、36、61、154、158、163、164、165、184、199、200、273、277注、279、301、310注
カウドレー卿(Cowdray, Lord):153
ベネデット・クローチェ(Croce, B.):328
オリヴァー・クロムウェル(Cromwell):113
リチャード・カンバーランド(Cumberland, R.):47、216
カーゾン卿(Curzon, Lord):153

D

ダンテ(Dante):25、29、142、161、219
ジョルジュ・ダントン(Danton):126
チャールズ・ダーウィン(Darwin):164、327
レオン・ドーデ(Daudet, Léon):228
J・ドデュー(Dedieu, J.):63注
ルネ・デカルト(Descartes):62、68、224、226、319注、321、322、323、324、327注
ジョン・デューイ(Dewey, John):312、313
ドニ・ディドロ(Diderot):10、67、293
ヘルマン・ディールス(Diels, H.):168注
ベンジャミン・ディズレーリ(Disraeli):103、106、215、275
セオドア・ドライサー(Dreiser, Theodore):254
ジョン・ドライデン(Dryden):141、265、266
ドゥンス・スコトゥス(Duns Scotus):113、190、319、320、321

E

トマス・エジソン(Edison):241
ジョナサン・エドワーズ(Edwards, Jonathan):89、141、189、257、290注
エルドン卿(Eldon, Lord):77
チャールズ・W・エリオット(Eliot, Charles W.):290、303
ラルフ・ウォルドー・エマソン(Emerson, R. W.):167
エピクテトス(Epictetus):50、216、278注
エラスムス(Erasmus):25、180、189
エラストゥス(Erastus):53
エウリピデス(Euripides):181

F

ファブリキウス(Fabricius):74
エミール・ファゲ(Faguet, E.):64、108注、165
リヒャルト・フェスター(Fester, Richard):79注
ヘンリー・フィールディング(Fielding):72
ロバート・フィルマー(Filmer, R.):53、54、58
ティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌス(Flamininus):270
ヘンリー・フォード(Ford, Henry):5、146、212、239、241、253、282
アルフレート・フォルケ(Forke, Alfred):151注
レイモンド・B・フォスディック(Fosdick, Raymond B.):255注
アルフレッド・フイエ(Fouillée, A.):327注
アナトール・フランス(France, Anatole):81、294、295
フランシア博士(Francia, Dr.):211
テニー・フランク(Frank, Tenney):270注
ベンジャミン・フランクリン(Franklin, Benjamin):311
フリードリヒ大王(Frederick the Great):41、131、211
フュステル・ド・クーランジュ(Fustel de Coulanges):27、54、253注

G

ガリレオ(Galileo):321
ガレー嬢(Galley, Mademoiselle):79
チンギス・ハン(Genghis Khan):158
ジョージ3世(George III):77
ゲルヴィヌス(Gervinus):135
アルノルト・ヘーリンクス(Geulincx):324注
エティエンヌ・ジルソン(Gilson, E.):320注、321
メアリー・グラッドストン(Gladstone, Mary):2注
ゲーテ(Goethe):130、138、145、211、241、264
サミュエル・ゴンパーズ(Gompers, Samuel):232、307
テオドール・ゴンペルツ(Gomperz):51注
G・P・グーチ(Gooch, G. P.):130注
グラーフェンリート嬢(Graffenried, Mademoiselle):79
グレイ子爵(Grey, Viscount):289
フーゴー・グロティウス(Grotius):45、52、71、122

H

ハリファックス(Halifax):105
アレグザンダー・ハミルトン(Hamilton, Alexander):248注
トマス・ハーディ(Hardy, Thomas):132、140
サー・ジョン・ホーキンズ(Hawkins, Sir John):72
ジョン・ヘイ(Hay, John):249注
ウィリアム・ハズリット(Hazlitt, W.):279
F・J・C・ハーンショー(Hearnshaw, F. J. C.):71注
ウィリアム・ランドルフ・ハースト(Hearst, Wm. Randolph):240、264、281
ヘーゲル(Hegel):333
ハインリヒ・ハイネ(Heine, H.):121
ヘリオガバルス(Heliogabalus):271
神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世(Henry IV, Holy Roman Emperor):28
フランス王アンリ4世(Henry IV, of France):121、122
ヘシオドス(Hesiod):205
ヒルデブランド(Hildebrand):178注
トマス・ホッブズ(Hobbes):22、41、42、43、44、45、46、47、48、59、72、74、87、90、94、100、121、122、232、324、327
リチャード・フッカー(Hooker, R.):71
ホラティウス(Horace):271
ヴィクトル・ユゴー(Hugo, Victor):129、231
デイヴィッド・ヒューム(Hume, D.):51、85、165注、216、224、225、234、324、325注、326、328
フランシス・ハチソン(Hutcheson, F.):48、51
トマス・ハクスリー(Huxley):325、326注、328

J

アンドリュー・ジャクソン(Jackson, Andrew):246
フリードリヒ・ハインリヒ・ヤコービ(Jacobi):325注
ウィリアム・ジェームズ(James, Wm.):328、329
トマス・ジェファソン(Jefferson, Thomas):196、240、242、246、247、248、249、251、305
ルドルフ・フォン・イェーリング(Jhering):296注
サミュエル・ジョンソン(Johnson, Samuel):72、206、228、325、330
ジョゼフ・ジュベール(Joubert):12、63、74、112、113、273、279注
ユダ(Judas):190注
ユウェナリス(Juvenal):18

K

ヴィルヘルム・カール(Kahl, Wilhelm):319注、321注
イマヌエル・カント(Kant, I.):131、224、225、226、324、325、326
クリシュナ(Krishna):80

L

ラ・メトリ(La Mettrie):324注
ギュスターヴ・ランソン(Lanson, G.):84、85、86
ラ・ロシュフコー(La Rochefoucauld):41、48
ハロルド・J・ラスキ(Laski, Harold J.):223、224
エドワード・リア(Lear, Edward):80
W・E・H・レッキー(Lecky):115
ジェームズ・レッグ博士(Legge, Dr.):36
レーニン(Lenin):266、312
レオニダス(Leonidas):108注
W・S・リリー(Lilly, W. S.):83
エイブラハム・リンカーン(Lincoln, A.):81、248、249、250、251、280
リウィウス(Livy):236、271
デイヴィッド・ロイド・ジョージ(Lloyd George, D.):1
ジョン・ロック(Locke, J.):42、58、59、60、61、62、63、71、74、102、103、191、224注、324
ルイ14世(Louis XIV):56、57、124
ルイ15世(Louis XV):65
聖王ルイ(Louis, Saint):56
J・ド・ラウテル(Louter, J. de):266注
ジェームズ・ラッセル・ローウェル(Lowell, James R.):218、234
ルクレティウス(Lucretius):217
マルティン・ルター(Luther):25、53、188、189
リュクルゴス(Lycurgus):74、89

M

トマス・バビントン・マコーリー(Macaulay):103
J・ラムゼイ・マクドナルド(MacDonald, J. Ramsay):315
ウィリアム・マクドゥーガル(McDougall, Wm.):245
ニッコロ・マキャヴェリ(Machiavelli):22、37、38、39、40、41、43、44、46、48、63、70、94、119、134、135、137、314
ジョゼフ・ド・メーストル(Maistre, Joseph de):57、58
マルゼルブ(Malesherbes):79注
マレ・デュ・パン(Mallet du Pan):108
バーナード・マンデヴィル(Mandeville):48、49、50、51、52、65注、72、73
マヌ(Manu):32
ジャン=ポール・マラー(Marat):281
マルクス・アウレリウス(Marcus Aurelius):11、46、50、167、216
マリー・アントワネット(Marie Antoinette):104、124
ジョン・マーシャル(Marshall, John):248、250、251、307
パドヴァのマルシリウス(Marsilius of Padua):58
アンドルー・マーヴェル(Marvell):113
カール・マルクス(Marx, Karl):191、223、280
P・M・マッソン(Masson, P. M.):95注
墨子(Mei-ti):151
フィリップ・メランヒトン(Melancthon):190注
孟子(Mencius):151注、193
H・L・メンケン(Mencken, H. L.):274
メルシエ枢機卿(Mercier, Cardinal):28
テロワーニュ・ド・メリクール嬢(Méricourt, Mlle. Théroigne de):126注
ミケランジェロ(Michel Angelo):108注
ジョン・スチュアート・ミル(Mill, J. S.):103、111、201、286注、324注
モンクトン・ミルンズ(Milnes, Monckton):231
ジョン・ミルトン(Milton):80
ミラボー侯爵(Mirabeau, Marquis de):86、152
ムハンマド(Mohammed):161
モンテーニュ(Montaigne):274注
モンテスキュー(Montesquieu):18、63、64、65、66、87、219
ポール・エルマー・モア(More, P. E.):328
ジョン・ミドルトン・マリー(Murry, J. Middleton):135注
ベニート・ムッソリーニ(Mussolini):312

N

ナポレオン(Napoleon):10、128、129、130、132、139、140、141、256
ネロ(Nero):18、141、264
ニューマン枢機卿(Newman, Cardinal):156、182
ジョン・G・ニコレイ(Nicolay):249注
フリードリヒ・ニーチェ(Nietzsche):228、327

O

オッカムのウィリアム(Occam, William of):113、321
F・S・オリヴァー(Oliver, F. S.):248注
オリゲネス(Origen):319
オウィディウス(Ovid):172

P

ウォルター・H・ペイジ(Page, Walter H.):280
トマス・ペイン(Paine, Tom):104
ウィリアム・ペイリー(Paley):77
ジョージ・H・パーマー(Palmer, George H.):272注
ジョヴァンニ・パピーニ(Papini):284注
ブレーズ・パスカル(Pascal):12、25、37、42、62、166、167、179、180、237、274注、301、322
ウォルター・ペイター(Pater, Walter):107
聖パウロ(Paul, Saint):159、160、173、190注
ペリクレス(Pericles):36、148注
アレクサンドリアのフィロン(Philo Judaeus):171
R・ピッコリ(Piccoli, R.):328
ピンダロス(Pindar):168
ピウス9世(Pius IX):144
プラトン(Plato):11、12、30、31、32、33、51注、87、92、149、150、168、169、171、172、173、176、177、202、231
ポンティウス・ピラト(Pontius Pilate):172
アレグザンダー・ポープ(Pope, A.):48、58
ロスコー・パウンド(Pound, Roscoe):296注
H・H・パワーズ(Powers, H. H.):268注
L・プロアル(Proal, L.):77注
ピエール=ジョゼフ・プルードン(Proudhon):108注
ピュロス(Pyrrhus):139、271

R

ランブイエ侯爵夫人(Rambouillet, Marquise de):124
ラファエロ(Raphael):191
アウグスト・ヴィルヘルム・レーベルク(Rehberg):100注
エルネスト・ルナン(Renan, E.):118、130注、292
レピントン大佐(Repington, Colonel):203
リシュリュー(Richelieu):124、139
ジョゼフ・リカビー(Rickaby, Joseph):324注
アントワーヌ・リヴァロール(Rivarol):229
ロバーツ卿(Roberts, Lord):289
マクシミリアン・ロベスピエール(Robespierre):89、95、125、126、127、217、266
ジョン・D・ロックフェラー(Rockefeller, J. D.):212
セオドア・ルーズヴェルト(Roosevelt, Theodore):249、269
ジャン=ジャック・ルソー(Rousseau):1、2、4、17、18、20、21、51注、52、58、59、69、70–96、97、99、100、101、102、103、107、108、109、115、117、118、119、121、122、123、125、127、132、167、178、183、192、195、215、216、217、218、219、222、228、229、232、237、245、276、277、279、287、300、327、328、334

S

サント=ブーヴ(Sainte-Beuve):9、90
サン=テヴルモン(Saint-Evremond):139、187
サン=ジュスト(Saint-Just):126
サン=ピエール師(Saint-Pierre, Abbé de):67、121、122、131
シャルル=アンリ・サンソン(Sanson):126注
フリードリヒ・カール・フォン・サヴィニー(Savigny):100注
フリードリヒ・シラー(Schiller):81、325注、329注
アルトゥル・ショーペンハウアー(Schopenhauer):73、227、326、327
チャールズ・M・シュワブ(Schwab):239
セギュール伯爵(Ségur, Comte de):125
エルネスト・セイリエール(Seillière, E.):17注、20、21、22、260
ジョン・セルデン(Selden, John):265
セネカ(Seneca):50注、71注
第3代シャフツベリ伯爵(Shaftesbury, Third Earl of):48、49、50、51、52、72、216、325注
ウィリアム・シェイクスピア(Shakespeare):137、147
パーシー・ビッシュ・シェリー(Shelley, P. B.):76、77、136、137、220、222
メアリー・シェリー(Shelley, Mrs.):133
スチュアート・P・シャーマン(Sherman, Stuart P.):251、252
舜(Shun):200
アダム・スミス(Smith, Adam):51、191、213
ヴィンセント・A・スミス(Smith, Vincent A.):160注
ソクラテス(Socrates):32、149、165、167、172、173、179、264、278、283、284、298
ソロモン(Solomon):80
ソポクレス(Sophocles):147、295
J・スピード(Speed):81
オスヴァルト・シュペングラー(Spengler, Oswald):20、21
バールーフ・スピノザ(Spinoza):322、323、324
スタール夫人(Staël, Mme. de):5、96
ジェームズ・フィッツジェームズ・スティーヴン(Stephen, Fitzjames):286注
レズリー・スティーヴン(Stephen, Leslie):209
シュリー(Sully):121
ウィリアム・A・サンデー牧師(Sunday, Rev. William A.):240
ジョナサン・スウィフト(Swift, Jonathan):137
シュネシオス(Synesius):14

T

タキトゥス(Tacitus):232
ラビンドラナート・タゴール(Tagore, Rabindranath):161、162
イポリット・テーヌ(Taine, H.):83、100、124、127
ティムール(Tamerlane):158
ジェレミー・テイラー(Taylor, Jeremy):137
アルフレッド・テニスン(Tennyson):81注、258
テルトゥリアヌス(Tertullian):177注
D・W・トンプソン(Thompson, D. W.):164注
ヘスター・スレイル(Thrale):206
トゥキュディデス(Thucydides):38、150
ティベリウス(Tiberius):18、271
ジョージ・ティックナー(Ticknor, George):305注
ジョージ・ティレル(Tyrrell):141

U

オノレ・デュルフェ(d’Urfé, H.):124

V

ハンス・ファイヒンガー(Vaihinger):326
C・E・ヴォーン(Vaughan, C. E.):115、119注、122注
ヴィクトリア女王(Victoria, Queen):276
フランソワ・ヴィヨン(Villon):28
ウェルギリウス(Virgil):231
ウジェーヌ=メルシオール・ド・ヴォギュエ子爵(Vogüé, Vicomte M. de):117
ヴォルテール(Voltaire):48、63、68、99、323

W

ウィルフリッド・ウォード(Ward, Wilfrid):81注
ジョージ・ワシントン(Washington, George):246、247、248、249、250、251、263、269、270
ジョン・B・ワトソン(Watson, J. B.):330注
A・S・ウェイ(Way, A. S.):181注
ダニエル・ウェブスター(Webster, D.):247
「パーソン」・ウィームズ(Weems, “Parson”):249注
ウォルト・ホイットマン(Whitman, Walt):4、219、228、249、260、267、268
P・H・ウィックスティード(Wicksteed, P. H.):320注
ウッドロウ・ウィルソン(Wilson, Woodrow):196、268、280、288
ウィリアム・ワーズワース(Wordsworth, Wm.):227、327
ハロルド・ベル・ライト(Wright, Harold Bell):240
モーリス・ド・ヴルフ(Wulf, M. de):320注

Y

エドワード・ヤング(Young, E.):15

Z

レオンティーヌ・ザンタ(Zanta, E.):71注

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