文学 / ジョナサン・スウィフトドレイピア書簡集The Drapier's Letters

『ドレイピア書簡集』の装画。銅貨を調べる商人と書簡を読む人々。

文学 / ジョナサン・スウィフト

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原著・底本

原題
The Drapier's Letters
著者
ジョナサン・スウィフト
編者
テンプル・スコット
原典の利用条件
パブリックドメイン(米国)
Project Gutenberg 利用条件
英語Wikisource寄稿者 — CC BY-SA 4.0
収録範囲
第I〜VII書簡を一冊に収録。原刊題紙、第五書簡に先立つ読者への告知、第六書簡の印刷者への指示、各書簡に付随する底本注を含む。独立した編者解説、公文書、付録、索引は含まない。

日本語訳

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表紙

装画
日本人文
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本書のために制作した独自装画。原刊の装丁とは異なります。

追加日: 2026-10-21 / 更新日: 2026-10-21

第I〜VII書簡を一冊に収録。原刊題紙、第五書簡に先立つ読者への告知、第六書簡の印刷者への指示、各書簡に付随する底本注を含む。独立した編者解説、公文書、付録、索引は含まない。

第一書簡 アイルランドの小売商人、商工業者、農民、一般の人々へ。

書簡本文

アイルランドの
小売商人、商工業者、農民、一般の人々へ
送る書簡。

この王国で通用させようとして
ウッズ氏が鋳造した
真鍮の半ペニー銅貨について。

右の特許状が持つ効力、半ペニー銅貨の価値、各人が支払いとしてどこまでその受取りを義務づけられるのか、またウッズその他の者がそのような受取りを強いようとした場合に、どう振る舞うべきかを明らかにする。

[各家庭に一部ずつ備えておくのに、まことにふさわしいもの。]

M・B・ドレイピア著。

ダブリン、モールズワース・コートのJ・ハーディング印刷。

兄弟、友人、同国人、そして同じ国王の臣民である皆さん、

これから皆さんにお話しするのは、神への務めと自分の魂の救いへの配慮に次いで、皆さん自身とお子さんたちにとって最も大切な問題です。日々のパンや衣服をはじめ、暮らしに必要なものはすべて、この問題にかかっています。そこで、一人の人間として、キリスト教徒として、親として、祖国を愛する者として、細心の注意を払ってこの書面を読み、あるいは他の人に読み聞かせてもらうよう、心から強く勧めます。少ない出費でそうできるよう、印刷業者には、できるかぎり安い値段で売るよう指示しておきました。

皆さんの大きな欠点は、誰かがただ皆さんのためを思って書いたときにも、その助言を読む手間を惜しむことです。この書面は一部あれば十二人ほどで読めるので、一人当たり一ファージングにもつきません。皆さんは、共通の利益や全体の利益を考えないという愚を犯しています。一番分別のある人でさえ、そうです。誰が味方で、誰が敵なのか、知りもせず、調べもせず、気にもかけません。

三年[9]ほど前、この愛すべきわが国で作られた品を、みんなで身につけようと勧める小冊子が書かれました。[10] それ以外の狙いはなく、国王や議会にも、誰にも、悪口を言ったわけではありません。それなのに、哀れな印刷業者は二年間、激しい追及を受けました。しかも、この冊子がほかならぬ自分たちのために書かれた織工の中からさえ、陪審に加わって、彼を有罪とした者がいたのです。これでは、皆さんのために何かしようとする気持ちを、誰でもくじかれてしまいます。せっかく尽くしても、皆さんは知らぬ顔をするか、かえって食ってかかる。その人が予期できるのは、自分の身の危険と金銭の損失だけで、それが破産にまでつながるかもしれないのですから。[11]

編者注 9

フォークナーが一七二五年に『暴かれた詐欺、あるいはアイルランドの愛国者』という題で出した『ドレイピア書簡集』の再版では、「三年」を「四年」としている。もちろん、これは再版の刊行年に合うように改めたものである。『提案』は一七二〇年に刊行された。[T・S]

編者注 10

この「小冊子」は『アイルランド製品の全面的な使用を勧める提案』である。第七巻を参照。[T・S]

編者注 11

フォークナーの一七二五年再版では、「金銭の損失」の代わりに「罰金と投獄を受けること」となっている。[T・S]

とはいえ、皆さんが取るべき行動を取らなければ、目の前に明らかな破滅が迫っていると、もう一度警告せずにはいられません。

そこでまず、事実をありのままにお話しします。それから、普通の分別に従い、わが国の法律に照らして、皆さんがどう行動すべきかを示します。

事実はこうです。この王国で最後に半ペニー銅貨やファージング銅貨を鋳造してから、何年もたったため、しばらく前からそれらがひどく不足し、[12]「ラップ」と呼ばれる偽銅貨が数多く出回るようになりました。そこで、昔のように自分たちで新たに鋳造することを許してほしいと、何度もイングランドへ願い出ましたが、認められませんでした。ところがついに、ウッド[13]という、身分の低い、ありふれた金物商が、国王陛下の国璽を付した特許状[14]を手に入れ、この王国のために九万ポンド[15]分の銅貨を鋳造することになったのです。ただし、この特許状は、こちらの誰にも、本人が望まないのにその銅貨を受け取る義務を課してはいません。ここで知っておいていただきたいのは、イングランドの半ペニーやファージングは、実際の地金の価値をほんの少し上回る額で通用しているということです。砕いて銅細工商に売ったとしても、一シリングにつき一ペニーを超える損はしないでしょう。ところがウッド氏の半ペニーは、金属があまりに粗悪で、イングランドのものよりもずっと小さいため、彼の銅貨一シリング分を持っていっても、銅細工商は良貨で一ペニーより多くは出さないでしょう。つまり、立派な金貨や銀貨で九万ポンドもの金額を、実際の価値はせいぜい八千か九千ポンドにしかならないがらくたと引き換えに渡さなければならないのです。しかも、これが最悪というわけではありません。ウッド氏は、気が向けば、さらに九万ポンド、また九万ポンドと、ひそかに送り込んで、わが国の商品を、本来の価値より十二分の十一も安く買うことができます。たとえば、帽子屋が帽子一ダースを一個五シリングで売れば、代金は三ポンドになりますが、ウッド氏の貨幣で受け取れば、実際に受け取った価値はたった五シリングなのです。

編者注 12

銅貨が不足したのは、本来の価値より低く評価されていたため、商品の購入代金として国外へ送られたからである。一七二九年刊のプライアー『貨幣に関する考察』を参照。同書によれば、この不足が生じたのは過去二十年ほどの間に限られていた。[T・S]

編者注 13

ウィリアム・ウッド(一六七一〜一七三〇年)は、ウォルヴァーハンプトンの製鉄業者であった。この第一書簡の導入解説で詳しく述べた、アイルランド向けの半ペニー銅貨の鋳造特許に加え、ウッドは一七二二年、アメリカのイングランド植民地向けに、半ペニー、一ペニー、二ペニーの銅貨を鋳造する特許も得た。こちらの特許もうまくはいかなかった。アメリカへ持ち込まれた貨幣には一七二二年と一七二三年の年記があり、現在では収集家が盛んに求めている。「ローザ・アメリカン貨」として知られるものである。『ドレイピア書簡』をめぐってダブリンが沸いた時期に出た、ウッドに関する詩や小冊子の一覧は、本版第十一巻に掲げるスウィフト著作書誌に収録される。モンク・メイソン『聖パトリック大聖堂史』も参照。この書簡の初版では、Woodの名がWoodsと誤記されている。[T・S]

編者注 14

この特許がどのように得られたかについては、導入解説を参照。[T・S]

編者注 15

金額は初版でこのように記されているが、実際には十万八百ポンドであった。これは、特許状に記載された銅三百六十トンの価額である。W・スコット卿の版では十万八千ポンドとなっている。コックス『サー・ロバート・ウォルポール回想録』では十万ポンド、レッキーは十万八千ポンドとしている。[T・S]

ウッド氏のようなありふれた男が、なぜそれほどのつてを持ち、こんなに大量の悪貨をこの貧しい国へ送り込むために、陛下の国璽まで取り付けられたのか、皆さんは不思議に思うかもしれません。それなのに、こちらの貴族や地主は総がかりでも同じ恩恵を得られず、かつてのように自分たちで半ペニーを作ることも許されないのです。では、その訳をはっきり説明しましょう。わが国は国王の宮廷から遠く離れ、あちらでこちらのために働きかけてくれる者がいません。こちらに領地を持つ、わが同胞の貴族や地主の多くが、あちらで一生を送り、財産を使い果たしているにもかかわらずです。ところがウッド氏は、自分の利益のために、絶えずその場にいて動くことができました。彼はイングランド人で、有力な友人がいました。そしてどうやら、誰に金を渡せば、その者から別の者へ話が通り、その先から国王へ、もっともらしい話を持ち込めるのか、よく心得ていたのです。陛下や、おそらく陛下に進言した有力な貴族の方々は、これがわが国の利益になると思われたのでしょう。こうして、法律家の言い方を借りれば、「国王は特許を与える際に欺かれた」のです。これは、どの治世にもよくあることです。そして私は確信しています。このような特許がウッド氏の望みどおりに実行されれば、これほど忠誠を示してきたこの王国が、すっかり滅びてしまうと陛下がお知りになれば、直ちに取り消され、誰かに御不興を示されることもあるでしょう。ですが、「賢明な人には、一言で足りる」のです。皆さんの大半は、わが誉れ高い庶民院が、ウッドの特許の知らせをどれほど憤慨して受け止めたか、聞いているはずです。[16] 立派な演説がいくつも行われ、この件が最初から最後まで卑劣な詐欺にほかならないことを示す、明白な証拠が挙げられました。手厳しい決議もいくつか印刷されました。ところがあのウッドは、あつかましくも、やはり印刷物でそれに答えたのです。しかも、自分一人のほうが、わが議会の全員を合わせたよりも偉いと言わんばかりの、自信に満ちた態度ででした。[17]

編者注 16

アイルランド庶民院は、特許が条件どおりに履行されても、国の損失はおよそ百五十パーセントに上ると報告した。アイルランド議会の両院は、この鋳貨に反対する国王への上申を議決し、特許権者を詐欺と欺瞞のかどで非難した。両院は、特許の条件は履行されておらず、「この半ペニー銅貨の流通は、歳入を甚だしく損ない、商業を破壊し、臣民の権利と財産にきわめて危険な結果をもたらす」と主張した。導入解説を参照。[T・S]

編者注 17

ウッドの軽率な反論は、一七二三年十月八日の『フライング・ポスト』に掲載された。後には、ウォルポールの助けを借りて「人々の喉へこの貨幣を流し込んでやる」と豪語した。[T・S]

ウッドは、特許が認められるとすぐ、あるいはその間もなく、この半ペニー銅貨を樽に何杯も詰め、コークその他の港町へ送り込みました。[18] それをさばくために、自分の銅貨で百ポンド分を、銀貨七十ないし八十ポンドと引き換えに渡すと申し出ました。けれども、国王の関税徴収官たちは、まことに正直にも受取りを拒みました。ほとんど誰もが、同じように拒みました。そして議会がこの銅貨を非難し、流通を止めるよう国王に求めて以来、王国全体がこれを忌み嫌っています。

編者注 18

ダブリン、コーク、ウォーターフォードその他の港では、商人たちはこの銅貨の受取りを拒否した。モンク・メイソンは、次のように記している。「『ダブリン・ガゼット』第二五六二号には、一七二四年八月二十五日付のコーク商人の決議と、同月二十二日付のウォーターフォード商人の同様の決議が見られる。そこでは、『ウィリアム・ウッドの鋳造した半ペニーやファージングを、いかなる支払いにおいても決して受け取らず、また支払いにも使わない。これらを輸入し流通させることは、陛下の歳入と王国の商業を甚だしく損なうと考えるからである』と宣言している。これらの決議は、同月十八日に会館で議決された、ダブリン市商人のトリニティ組合の決議に沿うものであると表明されている」(『聖パトリック大聖堂史』三四六頁、注r)。付録第九も参照。[T・S]

それでもウッドは、半ペニーをこちらに押しつけようと、今も陰で動いています。イングランドの友人たちの力を借り、国王の金を扱う委員や徴収官にこの銅貨を受け取らせ、軍隊の給与もこれで支払わせる命令まで取り付けられれば、仕事は済んだも同然だと考えているのです。そうなれば、皆さんはこんな苦境に立たされます。兵卒が市場やエール酒場へ行ってこの金を出し、断られると、威張り散らして脅し、肉屋や酒場の女主人を殴ると言い出すかもしれません。あるいは、商品を力ずくで取り上げ、代わりにこの悪い半ペニーを投げつけるかもしれません。こうした場合や、それに似た場合、商店主も飲食店主も、ほかの商売の人も、ウッドの金で支払うなら商品は十倍の値段だと要求すれば、それでよいのです。たとえば、エール一クォートなら、その金で二十ペンスを求める。ほかの商品も同じようにして、代金を手にするまでは品物を渡さないことです。

たとえば、皆さんがこの粗悪な金を持ってエール酒場へ行き、主人が半ペニー四枚と引き換えに一クォートを出してくれたとしましょう。では、その酒場の主人はどうすればよいのでしょう。醸造業者は、その銅貨で払われることを承知しません。仮に醸造業者が、そんな愚かな真似をしたとしても、農民は醸造用の大麦[19]の代金として、それを受け取らないでしょう。農民は、小作契約によって、イングランドの正当な法定貨幣で地代を払わなければならないからです。この金は、その貨幣ではありません。アイルランドの法定貨幣でもありません。地主も、自分の土地の対価にそんながらくたを受け取るほど、気がふれたようにはならないでしょう。ですから、どこかで必ず行き詰まるのです。どこで止まっても結果は同じで、私たちは皆、破滅してしまいます。

編者注 19

Bereは大麦のこと。アングロサクソン語のbaerlic、アイスランド語のbarrを参照。いずれも、ビールを醸造する麦芽の原料となる穀物、大麦を意味する。[T・S]

この半ペニー銅貨は、ふつう一オンスにつき四枚から五枚の重さです。五枚だとすると、三シリング四ペンスで重さ一ポンド、したがって二十シリングでは、バターを量るときの重さで六ポンドになります。さて、年二百ポンドの地代を払う農民は何百人もいます。その一人が半年分の地代、つまり百ポンドを納めに来ると、それは少なくとも六百ポンドの重さとなり、馬三頭分の荷物になるのです。

郷紳が、自分や家族の衣服、ワイン、香辛料を買いに町へ来ようとしたり、こちらで冬を過ごそうとしたりすれば、農民が穀物を運ぶときと同じく、袋を積んだ馬を五、六頭連れてこなければなりません。奥方が馬車で私たちの店へおいでになるときも、その後ろにはウッド氏の貨幣を満載した荷車がついてこなければならないのです。その際には私たちにも、それを実際の値打ち以上では受け取らないだけの分別があってほしいものです。

コノリー殿[20]には、年一万六千ポンドの収入があるそうです。おそらくそうしておいででしょうが、地代を町へ取り寄せようとなされば、半年分を運ぶのに馬二百四十頭、家にしまうのに大きな地下室が二つか三つは必要になります。けれども銀行家たちがどうするのか、私には見当もつきません。大きな銀行家の中には、あらゆる支払いに応じるため、四万ポンドの現金を手元に置いている人もいると、確かな筋から聞いています。この金額をウッド氏の貨幣で運ぶには、馬千二百頭が必要になるのです。

編者注 20

ウィリアム・コノリー(一七二九年没)は、一七一五年十一月十二日にアイルランド庶民院議長に選出され、一七二九年十月十二日まで在職した。スウィフトは別の箇所で、ウォートンがアイルランド歳入委員会の首席委員の職を、三千ポンドでコノリーに売ったと述べている。一七〇六年から一七二九年までの間に、コノリーは十回、アイルランドの統治委員に選ばれた。本文のコノリーの収入についての記述は、ボールターの『書簡集』第一巻三三四頁にも見える。ただし、この首座大主教は年一万七千ポンドとしている。ここでコノリーに言及するのは意図してのことである。ミドルトンが特許を非難したのに対し、コノリーはそれを擁護していたからである。[T・S]

私自身は、どうするかもう決めています。私にはアイルランド製の毛織物と絹織物を商う、まずまずの店があります。ウッド氏の悪質な銅貨を受け取る代わりに、近所の肉屋、パン屋、醸造屋などと、品物と品物を交換するつもりです。わずかばかり持っている金貨と銀貨は、よい時代が来るか、もう餓死するという間際まで、自分の命の血のように大切に取っておきます。そのときになったら、父がジェイムズ王の時代に真鍮貨を買ったように、ウッド氏の貨幣を買うのです。[21] 父は一ギニーで十ポンド分を買えました。私も一ピストル金貨で同じだけ買い、それでパンを買うつもりです。そんな貨幣で私にパンを売るほど愚かな人がいれば、ですが。

編者注 21

ジェイムズ二世は、アイルランドでの不首尾に終わった戦役中、兵士への支出を賄うために貨幣を悪鋳した。キング大主教は『アイルランドにおけるプロテスタントの状況』で、この措置の弊害を次のように記している。「ジェイムズ王の評議会は、法律や道理の手続にこだわることなどなかった。そこで大量の真鍮貨が鋳造され、一六八九年六月十八日付の布告により、厳罰をもってその通用が強制された。この貨幣の材料は最も粗悪な真鍮で、古い大砲や金属のくずを溶かして作られた。職工たちの評価では一ポンドの重さで三ペンスか一グロート、つまり四ペンスにしかならなかったが、六ペンス、一シリング、半クラウンの貨幣に鋳造すると、一ポンドの重さでおよそ五ポンドの額面となった。さらに一六九〇年の別の布告では、半クラウン貨を回収し、刻印を打ち直して一クラウン貨として通用させた。こうして三、四ペンス相当の金属が十ポンドとなったのである。造幣所が初めて設けられてからボイン川での敗走まで、およそ十二か月の間に、総額九十六万五千三百七十五ポンドが鋳造された。ジェイムズ王はすべての俸給をこの貨幣で支払った。王の給与を受ける者はおおむねカトリック教徒であったので、彼らはプロテスタントに、この貨幣と引換えに店の品物を渡させ、貸金の返済もこれで受け取らせた。そのため真鍮貨による損失は、いわばすべてプロテスタントに降りかかった。この策略によって月におよそ六万ポンドをだまし取られたのである。ほかに呼びようがない。これでは数か月で彼らの資力はすっかり尽きてしまう。カトリック教徒は、隣人のプロテスタントから売り物の大半を手に入れても、なお大量の真鍮貨を持っていた。そこで、土地を持つ自分たちの仲間のうち、どれほどの者が、判決債務や、土地を担保とする商事債務認諾証書や、抵当によって、土地をプロテスタントへの担保に入れているかを考え始めた。そしてこれも彼らから奪うため、一六八九年二月四日付の布告を出させ、いかなる支払いにも真鍮貨を通用させた。」ウィリアム三世の一六九〇年七月十日付の布告は、このジェイムズ王のクラウン貨を一枚につき一ペニーとして通用させるよう命じている。[T・S]

この半ペニー銅貨がいったん通用するようになれば、まもなく偽造されるでしょう。材料があまりに粗悪なので、安くできるからです。オランダ人もおそらく同じことをし、私たちの商品への支払いとしてこちらへ送ってくるでしょう。[22] ウッド氏も休むことなく鋳造を続けるでしょうから、数年もたてば、このがらくたは少なくとも九万ポンドの五倍にもなります。ところが、この王国で現在通用している貨幣は、全部で四十万ポンドを超えないと見積もられています。銀の六ペンス貨が一枚でも残っている限り、この血を吸う連中が静かになることはないでしょう。

編者注 22

オランダ人は以前にも、悪鋳されたアイルランド貨幣を偽造し、アイルランドの製品への支払いとして送ってきたことがあった。[T・S]

王国がいったんそんな状態に陥れば、どういう結末になるか、お話ししましょう。地主の方々はみな、支払いがないとして小作人を追い出します。すでに申し上げたとおり、小作人は賃貸契約により、イングランドで適法に通用するスターリング貨で払う義務があるからです。そうして地主は自分で農場を経営し始めます。すでに、そうする地主があまりに多いのですが、可能な土地はすべて羊の放牧地にし、ほかの家畜は必要な分だけ残します。それから自分で商人にもなり、羊毛、バター、獣皮、亜麻布を海の向こうへ送り、現金や、ワイン、香辛料、絹織物と引き換えます。残しておくのは、みじめな零細小作人[23]をほんの少しだけです。農民は盗むか、乞うか、国を去るかするほかありません。この町でも、ほかのどの町でも、店を営む者は破産して飢えることになります。商人、店主、職人を養っているのは、土地を持つ者なのですから。

編者注 23

レッキーは言う。「自作農とも、中世の農奴とも違って、この零細小作人には土地に対する恒久的な権利がなく、将来の地位の保障もなかった。イングランドの農業経営者のように、選ぶことのできる数多くの有利な投資先の一つとして土地を選ぶ資本家でもなかった。知識も資本も何一つ持たず、自分と餓死の間に残されたものは土地だけ、という人間だったのである。下層の借地の地代は競争によって決まったが、それは土地以外に頼るものがなく、それを奪われるくらいならどんな約束でもしようとする、半ば飢えた人々の間の競争だった。地主は彼らのために何もしなかった。泥の小屋を建て、生け垣を植え、溝を掘るのは自分たちだった。半ば裸で半ば飢え、将来への備えも教育もまるでなく、いつでも借地から放り出されかねなかった。三つの大きな重荷に、彼らは地面へすりつぶされていた。地主ではなく中間の借地人に払う法外な地代、自分が属していない教会の、しばしば土地にもいない聖職者に払う十分の一税、そして自分たちの司祭に払う上納金である」(『アイルランド史』第一巻二一四〜二一五頁、一八九二年版)。[T・S]

しかし、郷紳が自分で農民にも商人にもなれば、外国から得る良い貨幣はすべてため込むか、イングランドへ送ってしまいます。そして貧しい仕立屋や織工などを何人か自分の屋敷に置くでしょう。そうした者たちは、どんな条件であれ食べ物にありつければ喜ぶのです。

この呪われた貨幣を受け取るほど愚かで悪い人間に私たちがなったら、どれほどの惨めさに苦しむことになるか、語っていけばきりがありません。アイルランド全土をはかりの一方の皿に載せ、もう一方にこのつまらない男ウッドを載せたとき、ウッド氏のほうが王国全体より重いとされたら、あまりにひどい話です。イングランドはこの王国から、毎年百万ポンドを超える良い貨幣を、純益として自分たちの懐へ入れているのです。それは、イングランド人が世界のそのほかの国々すべてから得る額よりも多いのです。

しかし、皆さんには大きな安心の種があります。陛下の特許状は、この貨幣を受け取る義務を皆さんに負わせてはいません。それと同様、法律も、王の好きな貨幣を臣民に無理やり受け取らせる権力を、王権に与えてはいないのです。もしそんな権力があれば、悪い君主の治世に生きる羽目になったとき、同じ理屈で、小石でも貝殻でも刻印つきの革でも、通貨として受け取らねばならなくなります。その君主は同じ権力で、一ギニーを十ポンド、一シリングを二十シリングとして通用させることもできるでしょう。そうやって短い間に、王国の銀と金をすべて自分の手に集め、私たちには真鍮なり革なり、好きな物だけを残すことになります。フランス政府のやり方の中でも、貨幣の価値をひどく下げてから全部を回収し、それよりずっと高い価値の貨幣に鋳造し直す、あの常套手段ほど残酷で圧制的だと思われているものはありません。それでさえ、ウッド氏の忌まわしい計画の悪辣さの千分の一にもならないのです。フランス人は臣民に、銀には銀、金には金を渡します。ところがこの男は、私たちの金銀に対し、まともな真鍮や銅さえよこさず、その値打ちの十二分の一すら渡そうとしません。

ここまで申し上げましたので、次に、この問題について高名な法律家たちが下した判断をお伝えしましょう。皆さんのためにわざわざ謝礼を払って相談し、確かな根拠に立っていると確認できるよう、署名入りの意見を頂いたのです。

『司法の鏡』[24]という有名な法律書は、昔の王たちの定めた条項、つまり法律を論じる中で、次のように法を述べています。「この王国のいかなる王も、すべての州の同意なく、貨幣を変更、減損、改良してはならず、また金銀以外の貨幣を作ってはならない、と定められた。」すなわち、クック卿の言うとおり、[25] 議会の同意がなければ、ということです。

編者注 24

これはクックがしばしば引用した、重要な法律論の書である。正式な書名は『司法の鏡と呼ばれる書、アンドルー・ホーム著。諸裁判所の相違とその裁判権と呼ばれる書を付す……ロンドン……一六四六年』。フランス語版は一六四二年に『La somme appelle Mirroir des Justices: vel speculum Justiciariorum, Factum per Andream Home』という題で刊行された。クックは刊行前に没しているので、写本から引用している。[T・S]

注 25

『法学提要』第二部五七六頁。[原刊]

この本はきわめて古く、書かれた時代について大きな権威を持ち、あの偉大な法律家クック卿もしばしばそのような書物として引用しています。[26] イングランド法では、さまざまな金属を、適法な、すなわち真正な金属と、不法な、すなわち偽りの金属とに分けています。前者に含まれるのは銀と金、後者はそれより卑しい金属すべてです。支払いに用いてよいのが前者だけであることは、エドワード一世の治世第二十年に制定された、「ペンス貨の通用に関する法」という議会制定法から分かります。[27] 当時の法律にはラテン語で書かれたものもあるそうですので、英訳してもらったままを、ここにお伝えします。「売買において、所定の刻印を備えた適法な貨幣である半ペニー貨またはファージング貨を、あえて拒む者は、国王陛下を侮る者として捕らえ、牢に投ぜよ。」

注 26

『法学提要』第二部五七六〜五七七頁。[原刊]

注 27

『法学提要』第二部五七七頁。[原刊]

この法律によれば、国王陛下を侮る者とされ、その罪で牢に入れられるのは、適法な金属で作られた王の貨幣を受け取るのを拒む者だけです。そして、先にも述べたとおり、ここでいう金属とは銀と金だけなのです。

これがこの法律の正しい解釈であることは、文言の明らかな意味からだけでなく、それについてのクック卿の所見からも分かります。卿はこう述べています。「この法律から、売買その他の支払いにおいて、適法な金属、すなわち銀または金以外で作った貨幣を受け取るよう強制される臣民はいないことが明らかである。」[28]

注 28

『法学提要』第二部五七七頁。[原刊]

イングランド法は、金と銀の鉱山はすべて王のものとしていますが、ほかの金属の鉱山はそうしていません。クック卿によれば、[29] この大権ないし権力の理由は、金銀からは貨幣を作れても、ほかの金属からは作れないからです。

注 29

『法学提要』第二部五七七頁。[原刊]

この考え方に従い、昔は半ペニー貨とファージング貨も銀で作られていました。これはヘンリー四世の議会制定法、第四章からも明白です。[30] そこには、次のように定められています。「また、イングランド王国内では現在、銀の半ペニー貨とファージング貨が甚だしく不足しているため、造幣用に持ち込まれる銀器から作るすべての貨幣のうち、三分の一は半ペニー貨とファージング貨とすべし、と命じ、定める。」このことからも、先のペンス貨の通用に関する法で、「適法な貨幣」である「半ペニー貨」や「ファージング貨」と言っているのは、銀でできた半ペニー、ファージングの小額貨幣のことだと分かります。

編者注 30

ここでのスウィフトの法令引用は誤っている。該当する法はヘンリー四世治世第四年、第一〇章である。[T・S]

エドワード三世治世第九年、第三章の法からも、この点はさらに明らかです。そこには、「金細工師その他の者は、スターリング銀の半ペニー貨またはファージング貨を溶かして、器物その他いかなる物も作ってはならない。違反すれば、溶かした貨幣を没収する」と定められています。

この王の治世の別の法律では、[31] 黒い貨幣をイングランドで通用させてはならないとされ、治世第十一年、第五章の法では、ガレー半ペニー貨を通用させてはならないとされました。これらがどんな貨幣だったか、私は知りません。しかし卑しい金属でできていたのでしょうし、これらの法も新しい法律ではなく、貨幣に関する古い法律を改めて明らかにしたものだったのでしょう。

編者注 31

黒い貨幣を禁じる法が制定されたのは、エドワード三世ではなくヘンリー四世の治世である。「ガレー半ペニー貨」を扱うのは、ヘンリー四世治世第九年、第四章である。[T・S]

貨幣に関する法律は、以上のようになっています。これに反する実例もありません。ただし、デイヴィスの『判例集』[32]に一件あるだけです。それによると、ティローンの反乱のころ、エリザベス女王は、ロンドン塔で混合金属の貨幣を鋳造し、軍への支払いのためにこちらへ送るよう命じました。そして、すべての者にそれを受け取る義務を課し、銀貨はすべて地金として、つまり重さに見合うだけの値で受け取るよう命じたのです。デイヴィスは、この件についていろいろ詳しく述べていますが、ここで皆さんを煩わせるには長すぎます。また、この王国の枢密院が、こちらへ送った品物への支払いとして、この混合貨幣を受け取るようイングランドの商人に強いたとも記しています。[33]

編者注 32

サー・ジョン・デイヴィスの『サー・エドワード・クック判例集摘要』を指す。初刊は一六五一年。デイヴィスはアイルランドの司法長官であり、詩人でもあった。その著作はA・B・グローサート博士が収集、編集し、「フラー・ワージーズ・ライブラリー」に収録した。[T・S]

編者注 33

チャールズ一世は内戦中、自分の鋳造した悪質な貨幣で軍への支払いを行った。[T・S]

しかし、この処置は違法であるとして、最も優れた法律家たちはみな退けています。こちらの枢密院には、そのような権力はないのです。それに加えて考えるべきなのは、当時女王が、この王国でスペインの援助を受けた反乱により、甚だしい困難に陥っていたということです。切迫した危険な時代に行われたことを、平和で穏やかな時代の先例にしてはなりません。

さて、親愛なる皆さん、手間をおかけしないよう、法律が皆さんに何を義務づけ、何を義務づけていないのかを、簡単にお示ししましょう。

第一に、王が鋳造し、イングランドの品位または重量の基準にかなう貨幣は、金貨か銀貨である限り、すべて支払いとして受け取る義務があります。

第二に、金でも銀でもない貨幣は、受け取る義務がありません。イングランドの半ペニー貨やファージング貨も、ほかのどこの国のものも、例外ではありません。皆さんがそれらを受け取っているのは、ただ便利で手間が省けるからです。銀の半ペニー貨やファージング貨を鋳造する習慣は、ずっと前に廃れていますから。なくしやすいせいだったのだろう、と私は思います。

第三に、例のウッドの粗悪な半ペニー銅貨を受け取る義務など、なおさらありません。これでは一シリングにつき、ほとんど十一ペンスも損をするのです。

ですから皆さん、一人残らず踏みとどまり、この汚いがらくたを拒んでください。ウッド氏に反抗しても反逆罪にはなりません。陛下は特許状の中で、この半ペニー銅貨を受け取る義務を、誰にも負わせていません。[34] 慈悲深いわが君主の周りには、そんな悪い助言者はいないのです。仮にいたところで、お分かりのように、法律は、正しい品位の金銀による適法な貨幣以外のものを私たちに強制する権力を、王には認めていません。ですから恐れることは何もないのです。

編者注 34

特許状の文言は、「自発的に、事情を承知のうえで、これを受け取ろうとし、または受け取る意思のある者により、通貨として通用し受領されるものとし、それ以外の場合を除く」となっている。「これ」とは半ペニー銅貨とファージング銅貨である。[T・S]

次に、商売をなさる方のうちでも、貧しい皆さんへ特にお話しさせてください。この半ペニー銅貨が通用したところで、金持ちほど損はしない、とお考えになるかもしれません。銀貨などめったに見かけず、お客が店や露店へ持ってくるのは真鍮貨ばかりで、それさえ手に入りにくいのですから。しかし、私の言葉を信じてください。この貨幣が皆さんの間にいったん根づけば、皆さんは完全に破滅するのです。これを持って、煙草やブランデーや、ほかに必要な物を店へ買いに行けば、店主はそれに応じて値をつり上げます。そうしなければ破産し、店を閉め、鍵を戸の下へ残して去るほかありません。十ペンスの毛織物一ヤードを、ウッド氏の半ペニー銅貨二十枚で、私が売ると思いますか。いいえ、少なくとも二百枚なければ売りません。それもいちいち数える手間などかけず、ひとまとめに重さを量るでしょう。もう一つ申せば、ウッド氏の計画が成功したら、わが国の乞食さえ破滅します。私が乞食に半ペニーをやれば、渇きを癒やせるか、腹を満たすかなりの助けになります。しかし半ペニーの十二分の一では、私が袖から針を三本抜いて渡すのと、たいして違いはないのです。

要するに、この半ペニー銅貨は、聖書が語る、「イスラエルの子らが触れることを禁じられた、呪われた物」のようなものです。疫病のように広まり、手にする者を誰も彼も滅ぼします。学者たちがこんな男の話をするのを聞いたことがあります。真鍮の雄牛に人を入れ、下から火をたいて責め苦を与える方法を発明したと、ある王に申し出た男です。しかし君主は試してみようと、まず発案者自身をその真鍮の雄牛に入れました。[35] これはウッド氏の計画によく似ています。ウッド氏も同じ運命に遭うかもしれません。この王国を苦しめようと彼が工夫した真鍮が、自分自身の責め苦となり、ついには破滅を招くかもしれないのです。

編者注 35

『書物合戦』のころにあれほどファラリスについて耳にしたスウィフトが、ここでこのように言及しているのは興味深い。[サー・H・クレイク]

付記。この文章の筆者は、この半ペニー銅貨の本当の価値を正確に調べることに専念してきた人々から、三十六枚もあれば、誰でも二ペンスのエールを一クォート買えると思ってよい、と聞いています。

皆さんには、この紙を大切に手元に保管し、ウッド氏の半ペニー銅貨や、ほかの同じような詐欺について、さらに知らせがあったとき、記憶を新たにしていただきたいと思います。

第二書簡 印刷人ハーディング氏へ

書簡本文

印刷人ハーディング氏への書簡
八月一日付の新聞に掲載された
ウッド氏の半ペニー銅貨に関する記事を受けて

M・B・ドレイピア著
『商店主その他の皆さんへの書簡』の筆者

ダブリン、モールズワース・コートのJ・ハーディング印刷

拝啓。今月一日付のあなたの新聞に、ウッドの半ペニー銅貨について、七月二十五日ロンドン発の記事が載っています。それを見ると、この卑しい男は決しておとなしくはならないという、私が『商店主その他の皆さんへの書簡』で予言したことが、はっきり分かります。私たちの破滅の危険はますます近づいており、したがって、この王国には新たな警告を改めて発する必要があります。もっとも、この記事の大部分は世間を欺くものだと思います。少なくとも、そうであってほしい。ウッドはたいてい、自分で自分の記事を書くと聞いているからです。この記事からはまた、私たち共通の敵であるこの男が、がらくたで私たちを破滅させるだけでは満足せず、機会あるごとにこの王国をこの上なく侮辱していることが分かります。彼の述べるところでは、「アイルランドの商人、業者数名が、枢密院の委員会での審問に際し、特許が与えられる前には、当地で銅貨がどうしても必要であったこと、そこで何人もの紳士が、職工との間で割符を用い、自分の名を書いて印を押したカードの切れ端を渡さねばならなかったことを認めた」というのです。それがどうしたというのでしょう。医者が患者に一ドラムの薬を処方したら、悪党の薬屋は一ポンド分を、毒まで混ぜて無理やり飲ませてよいのでしょうか。それに、地主が自分の労働者に渡す署名と印章は、五シリングや十シリングの支払いに対してなら、額面の七分の一の実質価値しかないウッドの真鍮が十万四千ポンド分について王国に与えるより、確かな保証ではありませんか。[3]

編者注 3

初版の記載どおり。一般には十万八千ポンドとされる。一五頁の注を参照。[T・S]

しかし、「銅貨がどうしても必要な状況にある」という報告をする、このアイルランドの商人や業者とは、誰なのでしょう。国を裏切る、ほんの数人の者たちにすぎません。ウッドの仲間で、彼から大量の貨幣を、おそらく半値で買い入れ、私たちの間で売りさばいて、世間を破滅させ、自分だけ利益を得るのです。自分の事件で証人になり、この不正な仕事の分け前にもあずかる者たち。その誠実さに王国の運命を託さねばならないとは、ずいぶん立派な証人ではありませんか。

かつてのように、自分たちの貨幣を自分たちで鋳造する自由が、私たちにふさわしいものとして認められていたなら。なぜ認められていないのか、私だけでなく誰もが不思議に思っています。[4] それなら、実質価値と額面の差が五分の一だけの貨幣を、このダブリンで一万ポンド分鋳造できたでしょう。そして当時あった半ペニー貨と合わせれば、それで十分だったのです。[5] ところがウッドは、神とこの王国の敵である手先どもを通じて、古い半ペニー貨をできるだけ買い集める手を打ちました。いま釣銭が不足しているのは、そのためです。それをウッド氏の処方で治そうというのは、指のかすり傷を腕の切断で治すようなものです。しかし仮に、全国に釣銭が一ファージング分もなかったとしても、二万五千ポンドあれば、あらゆる必要を十分に満たせると、私は断言します。私もこの町では小さくない店を営んでいます。同業やほかの業種の人々、市内や地方の多くの紳士、そして大勢の農民、零細小作人、労働者と話をしてきましたが、すべての取引において、一家族につき二シリングの釣銭があれば十分すぎる、という点でみな意見が一致しています。さて、この王国の人口は、多めに見積もっても百五十万人とされています。人口をあれほど減らした、農業へのあの深刻な圧迫が始まる前でさえ、そうでした。[6] 一家族わずか六人としても二十五万家族ですから、各家族二シリングなら、合計は二万五千ポンドにしかなりません。ところが、あの正直で気前のよい金物商ウッドは、その四倍を超える額を私たちに押しつけようとしているのです。

編者注 4

アイルランドは繰り返し、ダブリンに造幣所を設けるようイングランド王に請願していた。一六三四年には議会の両院がチャールズ一世へ上申し、イングランドと同じ品位と価額の貨幣をアイルランドで鋳造し、利益を政府に納める造幣所を求めた。ウェントワースもこの上申を支持したが、認められなかった(カート『オーモンド』第一巻七九〜八〇頁)。一七〇〇年、コーンウォリス卿が貨幣鋳造特許の更新を請願すると、それは統治委員たちの委員会に付託された。その報告で統治委員たちは現行制度を非難し、貨幣鋳造を政府と臣民の手に置く造幣所の設立を強く勧めた。この助言には何の配慮もなされなかった。レッキー『アイルランド』第一巻四四八頁(一八九二年版)を参照。[T・S]

編者注 5

ボールターは、一万ポンドか一万五千ポンドあれば、需要を満たすには十分だったと述べている(『書簡集』第一巻四、一一頁)。[T・S]

編者注 6

人口を減少させたのは、農業への直接の圧迫だけではなかった。アン女王の治世の反カトリック法も大きな原因である。それらは「ローマ・カトリック教徒を抑圧された状態に置き」、生活の糧を求めて、何千人もの人々を他国へ向かわせた。クローフォード『アイルランド』第二巻二六四〜二六七頁を参照。[T・S]

記事はさらに、サー・アイザック・ニュートンが、ロンドン塔で行われたウッドの金属の試金について報告し、その結果、ウッドがあらゆる点で契約を履行したことが明らかになった、と伝えています。[7] 契約ですって。誰との契約なのでしょう。アイルランド議会か、アイルランドの人民と結んだのでしょうか。買い手になるのは彼らではありませんか。しかし彼らはそれを、汚れやがらくたの混じった、腐敗した詐欺的な代物として、嫌悪し、憎み、拒んでいます。すると彼は腹を立て、法に訴え、力ずくで自分の商品を私たちに押しつけようとするのです。

編者注 7

ニュートンの報告の全文は、付録第二を参照。[T・S]

しかし、あなたの新聞によると、この貨幣の試金が行われたというのです。なんと厚かましい、我慢のならない話でしょう。ウッドは抜かりなく、良い金属で半ペニー貨を一ダースか二ダース鋳造し、ロンドン塔へ送って認めてもらいます。それで、すでに鋳造したものも、今後鋳造するものも、全部の保証にしようというのです。たしかに、紳士がよく私の店へ毛織物の見本を取り寄せます。私は正直に切り取り、気に入っていただければ、ご自分か使いの者が来て、見本と反物全体を比べます。そうして、おそらく取引がまとまるでしょう。しかし私が羊を百頭買おうとするとき、牧畜業者が、太って毛並みのよい去勢雄羊をたった一頭、見本に連れてきて、それと同じ値で百頭全部を買えと言ったらどうでしょう。支払い前には見せもせず、痩せた羊、毛を刈られた羊、疥癬の羊について代金を返す確かな保証もないなら、私は彼の客にはなりません。家を売りたいと思い、買い手の気を引こうと、ポケットに煉瓦のかけらを入れて持ち歩き、見本だといって見せた男の話を聞いたことがあります。ウッド氏の試金とは、まさにそれなのです。[8]

編者注 8

この試金について、モンク・メイソンはこう述べている。「試金官たちは、ウッド氏の鋳貨が過去の王たちの鋳貨より優れていたとは報告していない。ウッド氏が提出した、そうした鋳貨の標本より優れていたと報告しただけである。そしてその標本がひどく摩耗していたことは認められている。前の治世に鋳造された貨幣が良かったか悪かったかなど、実際、問題に関係ない。」モンク・メイソンはさらに、一七二四年刊の小冊子『ウッド氏の銅貨を全員一致で拒否したアイルランド人民の行動の弁護』から引用している。「『以前の鋳貨が悪かったということから、何が言えるだろう。私たちはこれまで貨幣鋳造者にだまされてきたのだから、ウッド氏にもう一度だまされるのを甘受すべきだ、ということ以外に。むしろ私たちがウッド氏の鋳貨にこれほど激しく反対する理由の一つは、これまで銅貨ではいつも不当な目に遭わされてきたからであり、彼も前任者とまったく同じ道を歩み、先例を示せるのだからだます権利があると考えているのが分かるからである。』実際、これらの貨幣には莫大な数の偽造品があり、主としてスコットランドから輸入されていた。このことは、一六九七年にその輸入を禁じた布告から分かる」(『聖パトリック大聖堂史』三四〇頁、注d)。[T・S]

記事の次の箇所には、「今後の異議や懸念を防ぐため」に、ウッド氏が自発的に示した提案が載っています。

最初の提案は、こうです。「すでに一万七千ポンド分を鋳造し、四万ポンド分に達するだけの銅を用意しているが、特許ははるかに多い量の鋳造を認めているとはいえ、商業上の必要が生じない限り、それ以上は鋳造しないことで了承する。」

これに答えるなら、私はこう言いましょう。「ウッド氏も、その仲間の鋳物師や鋳掛屋たちも、王国に古い釜が一つもなくなるまで、勝手に鋳造を続けるがよい。古い革でも、煙管を作る粘土でも、道の泥でも貨幣にして、その安物を、一ギニーから一ファージングまで、好きな名で呼ぶがよい。彼とその一族や共犯者が、どんな仕事をするつもりなのか、私たちは知ったことではない。」しかし、私たち全員が一人残らず、彼にもその商品にも一切かかわらないと、固く決意していることを、私は願い、信じています。

王は彼に半ペニー銅貨を鋳造する特許を与えましたが、私たちにそれを受け取る義務を課してはいません。そして『商店主その他の皆さんへの書簡』ですでに示したとおり、正しいスターリングの品位と基準にかなう金銀以外の貨幣を、臣民に無理に受け取らせる権限を、法律は王の大権に認めていないのです。

ウッドはさらに、「商業上の必要が生じない限り、四万ポンドを超えて鋳造しない」と提案しています。表現が曖昧なので、私の理解が正しければ、ですが。まず指摘しておきたいのは、この四万ポンドという額が、古い半ペニー貨が一枚も残っていないとしても王国全体に十分だと、私が立証した額のほとんど二倍だということです。さらに尋ねます。商業上の必要が生じたとき、誰がそれを判断するのでしょう。もちろん、彼は自分のことを言っているのです。計画が成功すれば完全に破滅する、この貧しい王国の私たちは、すべてが決まるまで、一度も相談されませんでした。彼は私たちの必要を、自分自身の必要で判断するでしょう。そして、彼とその仲間が十分に得たと思うまで、その必要に終わりはありません。いまや、彼は私たちの金銀を全部手にするだけでは満足せず、同じ貨幣で私たちの商品や製品を買い占めるつもりだということも、明らかになっています。

彼がいま、半ペニー銅貨、あるいは彼のいわゆる銅を、重さ一ポンドにつきいくらで売ると提案しているか、その価格の検討には立ち入りません。前の書簡で十分に述べましたし、ほかの人々も検討しています。確かなのは、彼自身の最初の計算によっても、本当の値打ちが一シリングしかないものに、私たちは三シリングを払うことになっていたということです。[9] しかもこれは、彼が契約で約束したという正しい重量と品位があったとしての話です。ところが彼の貨幣は、個々の重量や粗悪さに非常に大きな違いがあり、中には額面に対して実質価値が十分の九も足りないものがあり、たいていのものも十分の六か七は足りませんでした。[10]

編者注 9

ウッドの鋳貨を審査した枢密院委員会の報告によると、鋳造の用意を整えた銅の費用は、ロンドン塔の造幣所へ運び込む前で、重さ一ポンドにつき十八ペンスだった。第三書簡の前に置かれた報告と、付録第二を参照。そこにはウッドの銅が、重さ一ポンドにつき十三ペンスの値打ちであったとも記されている。[T・S]

編者注 10

ニュートンの試金報告は、ウッドの貨幣の重量が不揃いだったとしている。[T・S]

最後の提案は、その調子も性質も独特なので、内容と文体の両方について、とりわけ念入りに検討する必要があります。次のとおりです。

「最後に、ウッド氏がこの鋳貨によってアイルランドの金銀を吸い尽くすのではないかという、同国に広まっている恐ろしい不安に配慮し、交換に同国の製品を受け取ること、また、いかなる者も一度の支払いにおいて五ペンス半を超えて受け取る義務を負わないことを提案する。」

まずご覧ください。このちっぽけで厚かましい金物商が、「王国全体の恐ろしい不安」をあざ笑い、その原因となったことを得意がり、自分の真鍮貨を全国民にどこまで受け取る義務があるか、定めようとまでしています。イングランドの王さえ、一度も企てたことのないことです。もっとも、彼が侮辱したくなるのも無理はありません。一つの大きな王国が、一年以上もおびえさせられ、完全に滅びるのではないかと日々恐れ続けるなど、歴史上、実例がなかったに違いありません。それも、二万人の軍勢を率いた強力な侵略者のせいでも、疫病や飢饉のせいでも、暴虐な君主や腐敗した政府のせいでもなく、たった一人の、取るに足りない、ちっぽけな職工のせいなのですから。君主について言えば、今の方ほど慈悲深い方を頂いたことはありません。

しかし、先へ進みましょう。「鋳貨によって私たちの金銀を吸い尽くすのではないかという、恐ろしい不安」を取り除くため、この小さな専制的な偽君主は、まことにありがたくも、「引換えに私たちの製品を受け取る」と申し出ています。彼の考えでは、私たちアイルランド人の理解力は、それほど低いのでしょうか。それこそまさに、私たちが訴えている災いではありませんか。彼の呪わしい計画のため、私たちは、無に等しいものと引換えに商品を売らざるを得なくなるのです。もしフランスでもスペインでも、ほかの取引相手の国でも、自国の貨幣を実質価値の十倍で受け取ることだけを条件に取引を申し出てきたら、そんな提案はどう聞こえるでしょう。たとえば、ウッド氏は、羊毛一ストーンを、六ペンスの値打ちもない彼の計算札ひと包みで、私たちが売ると思っているのでしょうか。それをイングランドへ送れば、金銀で六シリングも受け取れるというのに。まったく、厚かましさと悪辣さと愚かさを、これほど混ぜ合わせたものは聞いたことがありません。

彼の提案は、まぎれもない大逆罪で締めくくられています。一度の支払いで、誰も自分の貨幣を五ペンス半を超えて受け取る義務はない、と彼は約束します。これでは、この王国のすべての臣民に対し、支払いのたびにそれだけ差し出されれば受け取る義務を負わせるつもりなのは明らかです。しかし彼の特許状は誰にも義務を負わせていませんし、何度も述べたとおり、法律上、王の大権にもそのような権力を主張することはできません。ですからウッド氏はここで、立法権のすべてと、全国民の財産に対する絶対的な支配権を、自分にあるものとしているのです。

神よ。このろくでなしに助言しているのは誰ですか。支持し、手助けし、励まし、分け前にあずかっているのは誰ですか。ウッド氏が、支払いのたびに、私に真鍮貨を五ペンス半分受け取らせるですって。百ポンドの支払いに一ファージングでもその貨幣を無理やり押しつけようとするなら、私はウッド氏とその代理人の頭を、追いはぎや押込み強盗と同じように撃ち抜いてやります。獅子に屈しても名誉は失いませんが、人の姿をした者で、鼠に生きながら食われることを平然と考えられる者がいるでしょうか。彼はアイルランド人民に、一ポンドにつき少なくとも十七シリングの税を課したのです。税、と言いました。土地だけでなく、利子収入、商品、製品、職人、労働者、奉公人の賃金にまでかかる税です。商店主の皆さん、ご用心なさい。ウッドは支払いのたびに、そのがらくたを五ペンス半分、無理やり皆さんに受け取らせます。皆さんの多くは、一日に二十回、三十回、四十回の支払いを受けます。それくらいなければ、食べることも難しいでしょう。一年でどれほどになるか、考えてみてください。五ペンス半の二十倍は九シリング二ペンス、一年では百六十ポンドを超えます。そのうち、彼の貨幣で支払いを受けることによる損は、少なくとも百四十ポンドになるのです。そんな条件でウッド氏と取引したい人は、すればよいでしょう。しかし私自身は、「彼の金も彼も共に滅びよ」と言います。かの有名なハムデン氏が、議会の権限なしにチャールズ一世に数シリング払うくらいなら牢に行くほうを選んだのなら、私も、尊敬すべきウッド氏の勝手気ままな意志によって全財産に一ポンド当たり十七シリングの税をかけられるくらいなら、絞首刑を選びます。

記事はこう結んでいます。「N・B」すなわちnota bene、よく注意せよ、という意味ですが、「訴えられている弊害や、この特許の実施において犯された何らかの不正を証明する証言は、アイルランドからも、ほかのいかなる場所からも出なかった。」

この所見の厚かましさは、それまでのすべてを上回っています。第一に、この王国の全人民を代表するアイルランド庶民院が、第二に、枢密院が、この半ペニー銅貨に反対して陛下へ上申したのです。全国民の共通の感情と意見を表すために、それ以上何ができたでしょう。彼の銅がダイヤモンドだったとしても、王国全体が反対しているなら、それだけで拒むには十分ではありませんか。庶民院の委員会も、こちらの枢密院全員も、海を渡ってウッド氏と賛否を論じ合わなければならないのでしょうか。そもそも王は、何のために、アイルランドで半ペニー銅貨を鋳造する特許をお与えになったのでしょう。その鋳貨が、この王国と、ここにいるすべての臣民のためになると、畏れ多くも陛下に申し立てられたからではありませんか。その申立てが虚偽で、特許の実施が詐欺的で不正だったなら、その危険を負うのは特許権者です。彼は、自分が六万か八万ポンドをもうけるため、百五十万の人民を破滅させよと特許を与えられたと思うほど、悪くて愚かな男なのでしょうか。特許を得る費用を出す前に、まして、あれほどの汚い金属くずをかき集め、陛下の「像と銘」を刻む前に、常識、公正、礼儀からしても、まず主たる当事者に相談すべきだったのではありませんか。つまり、この王国の人民、貴族院か庶民院、あるいは枢密院です。外国人に、ウッドの貨幣にあるのは「誰の像と銘か」と聞かれたら、カエサルのものだと答えるのが、私たちは恥ずかしくなるでしょう。彼の言うほど銅の半ペニー貨が大いに不足していた時期に、私たちの市は、わがカエサルの像を良質の銅で建てました。[11] その費用は、彼の貨幣の三万ポンド分に相当します。それより悪い金属に刻まれた陛下の像など、私たちは受け取りません。

編者注 11

ダブリンのエセックス橋にある、ジョージ一世の騎馬像。[F]

この件で、人々の多くが、こんな気の重くなる仮定を持ち出すのを耳にします。「たしかに、ウッドの半ペニー銅貨を通用させねばならないなら、私たちはみな破滅だ。しかし、陛下が受け取れと命じる布告をお出しになったら、どうすればよいのか。」この言葉を、何度も耳にたたき込まれました。しかし同国の皆さんには、それに何の根拠もないと、確信していただきたいのです。王が布告を出すのは、法律が王に認めたことを命じる場合だけです。法律に反する布告などお出しになりません。仮に何かの誤りでそんなことが起こっても、それに従う義務は、火の中へ頭を突っ込む義務と同じく、私たちにはありません。それに陛下は、特許状そのもので命じようとされなかったことを、布告で命じたりなさいません。特許状では私たちの判断に任せておられるのですから、私たちが滅びるなら、それはすべて自分たちのせいです。ですから、決して出されない布告を恐れることはありません。たとえ出されたところで、この場合には効力はないのです。この国での王の歳入は、年四十万ポンド近くあります。大臣たちが、それを五万ポンドの値打ちに減らすウッドの真鍮で受け取るよう、王に勧めると思いますか。イングランドはこの国から、スターリング貨で百万ポンドを得ていますが、この計画が進めば、それもほとんど無になってしまいます。アイルランドの土地の収入でイングランドに住んでいる人たちが、ウッドのくずで払われて八分の一や十分の一になるのを、喜んで受け入れると思いますか。

ウッドとその仲間が、私たちを愚か者だと確信していなければ、これほど大胆な企てに手を出すことはなかったでしょう。彼はいま、自分に抗する気勢が上がったのを見て、その勢いが衰え始めるのを待ち構えているだけです。私たちを「食らおう」と、「見張り」ながら歩き回っています。私たちが彼と争うのにくたびれ、ついには、無知や恐怖のため、あるいは反対にすっかり疲れ果てて、屈服せざるを得なくなることを期待しているのです。ですから、私のいちばんの努力は、皆さんの気概と憤りを保つことに向けられていると認めます。足元に崖があり、進めば必ず首を折ると私が告げ、その崖を目の前に指し示したなら、それを毎朝繰り返す手間までかけねばならないのでしょうか。私たちの民の「心は鈍くなった」のでしょうか。「耳は聞こえにくくなり」、「目を閉じた」のでしょうか。私たちの中には、十ポンド、二十ポンドのもうけのために、魂も国も売る毒蛇が、ほんの少しはいるのではないかと心配しています。結局は、私たちだけでなく、自分の破滅にもなるというのに。「いかに巧みに呪文を唱えられても、蛇使いの声を聞こうとしない、耳の聞こえない毒蛇」のようにはならないでください。

ハーディング氏、この書簡はあなた宛てですが、同国のすべての人々に向けて書いています。この件について、私には公共と共通するもの以外、何の利害もありません。私はほかの多くの人よりよい暮らしができます。金銀をいくらか手元に持ち、店にも品物は十分あります。私より身分の高い人々が大勢飢えていても、なんとかやっていけるでしょう。しかし、話す相手の多くが冷淡で無関心なのを見ると、私は悲しくなります。布告を恐れる人もいれば、肩をすくめて、「どうしろというのか」と言う人もいます。危険などまるでないと言いふらす人もいます。みんなの災難なのだから、隣人よりひどい目には遭わないと慰められている人もいます。夜中に戸口で強盗の音を聞いた者なら、床を出て家族を起こし、力を合わせて防ぎます。それなのに、ウッド氏が仲間を率いて全財産を奪い、私たちと子孫を永遠に破滅させようとやってくる間、王国全体は眠りこけているのでしょうか。街道で追いはぎに出会えば、命を守るため金を渡します。しかしありがたいことに、ウッド氏は皆さんの髪の毛一本にも触れられません。神と人間のあらゆる法が、皆さんの味方です。彼やその仲間が金属くずを差し出してきたら、ただ、いいえと言えばよい。それで安全なのです。狂人が、溝からかき集めた泥をひとつかみ持って私の店へ来て、毛織物十ヤードの代金だと差し出したら、私は気の毒に思うか、笑うか、振る舞い次第では戸口から蹴り出すでしょう。ウッド氏が、そのがらくたと引換えに、私の金銀や、金銀を払って仕入れた商品を求めてきたら、もっとよい待遇に値するでしょうか。それを期待できるでしょうか。

災いの日が来たら、どうしても来るというのならですが、この半ペニー銅貨を、あえて支払いに差し出す者を見定め、よく見張りましょう。名、商売、住まいを公にし、国の裏切者でありウッド氏の仲間である者として、誰もが警戒できるようにしましょう。市場や市で見張り、最初に見つけた正直者が、ウッドの半ペニー銅貨が差し出されたと触れ回り、事情を知らぬ貧しい人々に、受け取らないよう注意を促してください。

長くなりすぎたかもしれません。しかし、この憂鬱な主題から言えることをすべて言おうとすれば、終わりがありません。最後に、つつしんで一つ提案をいたしましょう。実行すれば、この破滅的な計画をただちに吹き飛ばせる提案です。筆の立つ、判断力のある方に、次のような趣旨の告示を起草していただきたいのです。

「金物商ウィリアム・ウッドなる者は、現在、または最近までロンドン市に滞在し、数々の虚偽の申立てによって、この王国向けに、半ペニー銅貨十四万ポンド分を鋳造する特許を得た。[12] これは私たちの必要額の五倍にもなる。また、同人が鋳造した半ペニー銅貨は、金属が粗悪で重量も不正確であるため、実質価値が額面より少なくとも七分の六も不足していることは、周知の事実である。また、同人が今後いつでも、好きなだけさらに半ペニー銅貨を秘密に鋳造するおそれがあると、私たちが考える理由がある。また、この特許状は、いかなる支払いにおいても、陛下の臣民にこの半ペニー銅貨を受け取る義務を課しておらず、課すこともできず、自発的な選択に任せている。法律上、臣民に金銀以外の貨幣を受け取る義務を課すことはできないからである。また、同人は、この特許状の文言と趣旨に反し、支払いのたびに、誰もがその貨幣を五ペンス半分受け取る義務があると宣言した。また、庶民院と枢密院はそれぞれ、畏れ多くも陛下に上申し、この鋳貨がこの王国にもたらすかもしれない悪しき結果を訴えた。最後に、全国民が一人残らず、ウッド氏とその仲間を除き、この鋳貨が必ずもたらす破滅的な結果を、この上なく恐れていることは、万人の認めるところである。よって、この王国に相当の土地を持ち、ここに居住する私たち下記署名者は、ウッドの鋳造した貨幣を、一ファージングも半ペニーも決して受け取らず、また、すべての小作人に、誰からであれこの貨幣を拒むよう命じることを、全会一致で決議し、宣言する。このことを知らずにいる者がないよう、この告示の写しを小作人たちへ送り、管理人、地代徴収人その他の者に読み聞かせさせるものとする。」

編者注 12

この書簡の最初の段落では、金額は十万四千ポンドとされていた。[T・S]

こうした文書を起草し、この王国の主だった紳士二、三百人が署名して、印刷した写しをそれぞれの小作人へ送れればと願っています。ウッドとその共犯者の忌まわしい企みを、これより早く打ち破る方法があるとは思えません。これなら、ただちに警鐘を鳴らし、王国を警戒させることができます。最も身分の低い小作人や零細農民にさえ、勇気を与えます。「正しく、まことなる主よ、いつまでなのですか。」

ハーディング氏、あなたには特に、ひどく責められるべき点があると申し上げねばなりません。何百人もの人が、あなたの店へ『商店主その他の皆さんへの書簡』を求めに行ったのに、売る分がなかったというのです。あの書簡とこの書簡を、切らさず用意しておいてください。前の書簡ではあなたもずいぶんもうけましたが、あのときも今と同じく、あなたのために書いたわけではありません。両方をあらゆる新聞で広告してください。同国の人々が警告を聞き入れないとしても、それをあなたや私の落ち度にしないようにしましょう。また、できるだけ安く売っていただきたいと思います。

敬具

M・B

一七二四年八月四日

第三書簡 アイルランド王国の貴族および郷紳の皆様へ

書簡本文

ウッドの半ペニー銅貨に関する
イングランドの
最も名誉ある枢密院の
委員会報告
と題する文書についての
若干の考察

M・B・ドレイピア著
『商店主その他の皆様への書簡』の著者

ダブリン
フィッシャンブル通り、モールズワース・コートの
ジョン・ハーディング印刷

私はすでに、自分と同じ身分、境遇の人々に宛てて二通の書簡を書きました。そして今、第三の書簡を書く差し迫った必要が生じましたので、貴族ならびに郷紳の皆様にお届けするのが、何よりふさわしいと考えたのです。

その事情はこうです。今月十八日、「ウッド氏の半ペニーおよびファージング銅貨に関する、イングランドの国王陛下の最も名誉ある枢密院所属の貴族委員会報告」と題する印刷物が、私のもとに送られてきました。[2] 印刷地はどこにも記されていませんが、ダブリンではないかと思います。また、その原稿は『ガゼット』に載って渡ってきたのではなく、『ロンドン・ジャーナル』か、ほかの権威も重みもない新聞に載ったものだと聞いています。法律上これに反する証拠が示されていない以上、これは私たちを脅すための仕掛けかもしれず、あるいは、この王国で今や誰もが気をもんでいる問題について何かを出版し、一稼ぎしようという印刷屋の企てなのかもしれません。ウッド氏はこの文書を公にして、委員会が、当地の枢密院や議会両院の名誉、さらにはこの王国全体の平穏と幸福よりも、彼の信用と私腹を肥やすことのほうを大切にしているかのような印象を、世間に与えようとしています。というのも、この文書はウッド氏を弁護するためのものらしく、アイルランドの貴族院と庶民院に対する手厳しい批評まで、いくつも含んでいるからです。

編者注 2

この報告書の全文は、ドレイピアの第三書簡に先立って掲げてある。報告書は一七二四年八月の半ばごろ、『ロンドン・ジャーナル』に掲載された。『ガゼット』にも、そのほかの政府系機関紙にも掲載されなかったことが、スウィフトにあの容赦ない攻撃の糸口を与えたのは明らかである。モンク・メイソンは、次のように考えていた。「大臣[ウォルポール]がこの伝達方法を採ったのは、それが自分の目的にかなっていたからだという可能性は、小さくない。彼はこのような文書に自分の信用を賭ける勇気がなかったのだ。公表された形のこの文書には、甚だしい事実誤認がいくつか含まれているのである」(『聖パトリック大聖堂史』三三六頁の注)。[T・S]

実際、全体の書きぶりも調子も論争用の小冊子そのもので、ウィリアム・ウッドを一方に、統治代行官、枢密院、そして議会両院を他方に置いた論争であるかのようです。その狙いは、傷つけられたウィリアム・ウッドの名誉を潔白なものとして弁護し、相手方には彼について軽率で根拠のない中傷を浴びせたという罪を着せることにあります。

しかし、もし本当に表題どおりの文書なのだとすれば、ウッド氏は委員会に対して大変無礼なことをしています。委員会の許可も得ず、しかも、委員会が送付するよう勧告したアイルランドの政府と枢密院に伝達される前に、委員会の公の措置をこれほど不似合いな形で発表したからです。ただし、畏れながら申し上げますが、イングランドの枢密院の一委員会による報告が、今のところ、どちらの王国でも法律になっているとは思えません。そして、ある事柄が法律であると確定されるまでは、どの臣民にもそれを論じる権利があるのです。

貴族ならびに郷紳の皆様、このような話し方は、学問のない商店主には似つかわしくないと思われるかもしれません。私は、本の助けこそ借りていませんが、神がお与えくださったわずかな理性を磨こうと努めてきました。そして、理にかなったことが目の前にはっきり現れたとき、私はそこから顔を背けることができません。たとえば、ある法律家が、そこから数多くの甚だしく明白な不合理が生じるような事柄を、これが法律なのだと教えたとしても、私はその人を信じようとは思いませんし、信じることもできません。もしエドワード・クック卿が、権力に制限のある君主でも、大権によって、自分の肖像を刻んだ半オンスの鉛を金貨二十シリング分として受け取るよう臣民に強制できる、と断言したとしたら――卿はどこにもそんなことを述べておらず、まったく反対のことを述べていますが――私は、卿が欺かれているか、さもなくば人を欺いていると、誓って申し上げます。そのような権力があれば、国民すべての生命と財産が、ことごとく君主の意のままになってしまうからです。それなのに、実質的にはこれこそ、ウッドがいくつかの文書で主張してきたことであり、用心深い人なら、いわゆる「報告」のいくつかの箇所から読み取って、不安を覚えるかもしれないことなのです。

その文書には、「この問題について意見を述べることを望み、その意思のある人々を取り調べた」と書かれています。聞くところでは、その人々は全部で四人、コールビー、ブラウン、銀行家のフィンリー氏、そしてもう一人、私の知らない名前の者だったそうです。最初の者は、アイルランドの国庫から盗みを働いたとして裁判にかけられました。法にかなう証拠が足りなかったため無罪となりましたが、法廷にいた人は誰もが有罪だと思っていました。二番目の者は強姦の罪で裁判にかけられており、また、偽証と偽証の教唆によってジョン・ビンガム氏の命を奪おうと企てたことが、庶民院の議決録に記されています。[3]

編者注 3

委員会による取調べを受けたこれらの人物について、モンク・メイソンは、キング大主教からエドワード・サウスウェル氏に宛てた二通の書簡を引用している。キングは当時、枢密顧問官の一人であり、サウスウェルは国務長官であった。最初の書簡には、次の一節がある。「ウッドのようなつまらぬ男が国民に敵対して厚遇され、支えられ、ブラウンやコールビーのような無頼漢が議会全体、政府、枢密院よりも信用されるのを見せつけられるとは、一国民に対するこれ以上の侮辱がありましょうか」。一七二四年八月十五日付の二通目の書簡から、モンク・メイソンは次の箇所を引いている。

「――私がダブリンに戻ると、我々の半ペニー銅貨に関する決議が出ていましたが、その根拠は主として、ジョン・ブラウンとコールビーという二人の悪名高い者の証言でした。このうち前者の人物については、前議会の庶民院議決録に、その人となりをお読みになれます。十一月五日、火曜日の項です。

「『ジョン・ビンガムの生命と財産を奪うため、悪意をもって邪悪な陰謀が企てられ、実行されたものと、本委員会は認める旨、決議する。

「『前記レイベンズのジョン・ブラウン氏およびその共犯者らが、前記陰謀の主たる推進者および助言者であったと、本委員会は認める旨、決議する。

「『前記ジョン・ブラウンは、文官、武官を問わず、いかなる職務、職業においても陛下に奉仕するにふさわしくない人物であると、本委員会は認める旨、決議する。

「『前記ジョン・ブラウンは、その取調べの間に、本委員会に対して甚だしく事実を曲げた答弁を行った旨、決議する。

「『以上の各決議をそれぞれ採決に付したところ、本院は全会一致でこれに同意した。

「『前記ジョン・ブラウンを、前記の虚偽答弁のため、本院付きの守衛官の拘禁に付すべき旨、命令する。

「『陛下の法務総裁は、前記ジョン・ビンガムらの生命を奪う前記陰謀を黙認し、悪意をもって実行した件につき、前記ジョン・ブラウンを告発すべき旨、命令する』。

「コールビーについて申せば、彼は相当額の金を盗んだため、国庫から追放されました。私は王座裁判所で行われた彼の裁判に立ち会いましたが、その証拠は、誰もが良心に照らして有罪を確信するほどのものでした。しかし、証拠は状況証拠であって直接証拠ではなかったので、陪審は無罪としました。その際、裁判官――記憶に誤りがなければパインです――は、誰もがその人の有罪を確信していても、証拠が法の厳密な要件を満たさなければ処罰を免れるのだから、イングランドの臣民は幸福であると述べました」(『聖パトリック大聖堂史』九四―九五頁[序文頁])。[T・S]

しかし、ここまで個人の名前を挙げた以上、ほとんど二年もの間、一王国全体を意のままに扱うという栄誉に浴している、このウッド自身が何者なのかを知るのも、一つの慰めかもしれません。特許状には彼に「エスクワイア」の称号が付いているのを見ました。ただの金物商だと聞いていたので、前の書簡でも大胆にもそう呼んだのですが、ともかく彼は紳士なのです。それも、特許状の力によるばかりではありません。シュロップシャーで徴収官を務めていたからでもあります。そこで彼は、強盗に遭ったと偽って州を訴えましたが、敗訴し、その行いの悪質さによって職を失ったのです。

このウッド紳士については、ある大変高貴な夫人から、もう一つ話を聞いています。その夫人にはハミルトンという人が語ったそうです。このハミルトンは、六年前、アイルランド向けの半ペニー銅貨の鋳造特許を申請していた四人の貨幣を試験するため、アイザック・ニュートン卿に呼ばれました。四人の名は、ウッド、コスター、エリストン、パーカーでした。パーカーの申し出が最も有利で、ウッドのものが最も悪く、その貨幣の価値は、ほかの者のものより一ポンドにつき一ペニー半も低かったのです。これを見れば、彼がどういうつもりでこの特許を申請したのかは明らかですが、どうして手に入れられたのかは、それほど明らかではありません。

いわゆる「報告」という前記文書には、国務長官から、特許状に対して議会両院が提起した異議を裏づけるのに適当と思われる書類と証人を送るよう、繰り返し命令があったのに対し、総督が次のように申し述べたとあります。「この命令に従うには甚だしい困難がある。国王に仕え、または枢密顧問官を務める両院の主要議員のうち、この件について有力な人物や書類をどのように送ればよいか、進んで助言を引き受けようとする者は誰もいない、云々」。このことが繰り返し取り上げられ、次のように評されています。「これはきわめて異例に見える措置である。アイルランドでこれほどの騒ぎを起こした問題でありながら、アイルランド議会両院の一致した見解を裏づけるため、アイルランドから渡ってくるよう説得できる者が一人もいないという。とりわけ奇異なのは、主要な困難が、陛下の御前での調査、あるいは法の正規の手続による審理で不首尾に終わるのではないかという、一般的な不安から生じているという点である。しかもこの件では、議会両院は、きわめて厳粛に行われた証拠の提出と取調べに基づき、十分な確信と納得を得ていると宣言しているのである」。[4]

編者注 4

この点について、モンク・メイソンは次のような注を付している。この博識な伝記作者の所見は、執筆当時まだ公刊されていなかったキング大主教の書簡によって裏づけられているだけに、特に重要である。「しかし、キング大主教から……エドワード・サウスウェル氏に宛てた次の書簡を読めば、このこと[スウィフトが引用した報告書の一節を指す]も、それほど奇異でも不可解でもなくなるだろう。……したがって、この重要な公文書は、この問題についてのアイルランド枢密院の見解を正式に伝達したものと見なしてよい。

「ダブリン大主教ウィリアム・キングよりエドワード・サウスウェル氏への書簡。一七二三年三月二十三日付。

「『最近は、書簡でお手を煩わせる用件もありませんでしたが、昨晩、私に少なからぬ不安を抱かせる出来事を知りました。公になれば、王国全体も同じ不安を抱くと思います。総督閣下が、枢密顧問官である貴族院議員と庶民院議員を数名召集し、陛下の御命令によってカータレット卿が書いた書簡を伝えられました。そこには、ウィリアム・ウッドなる者のファージングおよび半ペニー銅貨に関する両院の上奏に対して、すでに与えられた回答が繰り返されていました。そして総督閣下は、特許権者ないし特許状に不利な証人と証拠を送るよう求められたのです。多くの人はこれに驚いています。というのも、その件はもう立ち消えであり、二度と聞かされることはないと、私たちは思わされていたからです。

「『総督閣下のお考えは、どのような手段と方法によって陛下の御命令を実効ある形で果たせるか、助言を得ることでした。しかし、私の見たところ、現在の情勢では、陛下の御期待にも王国の期待にも応えることは不可能だというのが、皆の意見でした。その理由は、次のとおりです。

「『第一に、これはアイルランド議会とウィリアム・ウッドとの間の争いだからです。議会は今、停会中であり、議会が攻撃した案件に自分から介入しようとか、議会と国民全体にこれほど深くかかわる事件を、明示の命令もなしに取り仕切ろうとかいう者は、誰もおりませんし、その勇気もありません。この書簡が議会の開会中に届き、両院に伝えられていたなら、両院は自分たちのために行動する人物を任命し、それを支える資金を調達できたでしょう。この王国でも以前、何度かそうした例がありました。しかし、そのような権限なしに、アイルランドの立法府と国民を代表する当事者になろうというのは、大胆な企てであり、おそらく危険でもあります。そのような役を買って出た者たちが、入手しうる証拠をすべて提出できなかったり、事実を明らかにするために必要な書類の一つでも出せなかったりすれば、次の議会で、お節介を焼いたかどで厳しく責められ、事件を不首尾に終わらせた責任を負わされるのを、覚悟しなければならないからです。私の見るところ、こうした理由から、枢密顧問官たちはこの件を引き受けることも、介入することも、まったく望まなかったのです。

「『しかし第二に、その実行は不可能に見えました。というのも、意図するところが、見受けられるように、特許状を法律上の審理に付すことだとすれば、議会に提出された書類の写しを送っても、何の役にも立たないからです。そのような写しは、どの法廷でも証拠として提出できないと、法律家たちは申しました。一方、原本は両院の所有であり、保管を委ねられた所管の役人の手から取り出すには、それに相応する命令が必要だと考えられたのです。

「『証人については、総督閣下がご自身の権限で送り出せるのかという疑問がありました。仮にその権限があっても、証人を突き止めることはできません。両院の何人もの議員が、自分の知っているさまざまな事実を証言し、両院はその証言を信用したのです。総督閣下には、誰が証言したかも、議員たちがどのような細部を証言したかも、分かりません。議会が開会中であれば、それらの議員が出頭して、自分の主張を立証できるでしょう。

「『両院には、重さが異なり、刻印にも違いのある数種のファージングおよび半ペニー銅貨が提出されました。これはウィリアム・ウッドが当地の取引相手に送ってきたもので、その人々が提出したのです。しかし、正式な裁判で、この特定の半ペニー銅貨を彼が鋳造したと証明できるでしょうか。彼は簡単に、偽物だと言えます。記憶が正しければ、庶民院の上奏への反論として、すでに新聞紙上でもそう主張しています。

「『しかし第三に、議会が問題としたのは、特許状の違法性でも、主として特許権者によるその濫用でもありませんでした。後者に至っては、貴族院は言及さえしていません。議会が力説したのは、それが王国に必然的にもたらす害悪と破滅、そして、陛下に甚だしく明白な虚偽をお伝えして取得されたものだという点でした。前文から明らかなように、王国にはそのような半ペニーおよびファージング銅貨が必要である、と申し立てられているのです。しかし法律家によれば、国王に誤った情報が伝えられた場合、その授与は無効となります。そして、この特許を授与するに当たって陛下が虚偽の申し立てによって欺かれたことは、特許状そのもののほかに証拠を要しない、とされました。――それによってウィリアム・ウッドは、三百六十トンの銅を半ペニーおよびファージング銅貨に鋳造する権限を与えられました。額にして九万ポンド、アイルランドの全流通貨幣のおよそ五分の一に当たります。全流通額は、最も多く見積もる人でも五十万ポンドとは考えていないからです。一方、イングランドの流通貨幣は二千万ポンド以上と見積もられています。したがって、同じ割合でいえば、アイルランドに九万ポンドが必要なら、イングランドには四百万ポンドが必要なはずです。そのような貨幣鋳造を陛下に提案する者が、何と言われるかは容易に想像できます。そして、流通貨幣の五分の一が真鍮に変わるという見通しに、アイルランドの国民が覚えている不安は、イングランドの国民がそのような特許状に対して覚えるであろう不安にも、劣らないという点では、意見が一致しています。

「『覚えている限りでは、以上が総督閣下の御前での会合で交わされた話の要旨です』」(『聖パトリック大聖堂史』八七―八八頁[序文頁])。[T・S]

法律をまったく知らない、無学な一介の商店主である私に、これほど重大な異議をどうして論駁できるでしょうか。技巧も策略も雄弁も借りず、ありのままの道理だけで、どこまでできるか試してみましょう。

私の卑見では、枢密院委員会は、アイルランド議会両院の一致した意見を「国じゅうの騒ぎ」と呼んだことで、すでに事件全体に予断を下しています。「名もない一人の事業請負人」の破滅的な計画に反対するアイルランドの貴族院と庶民院の上奏が、ここでは「騒ぎ」と呼ばれているのです。イングランドの枢密院委員会が同国の議会にこのような言葉を使ったなら、どれほどの怒りを招き、どれほどの弾劾が続くことになるのか、伺いたいものです。もっとも、この呼び名がふさわしいと仮定しても、国民全体の騒ぎを軽んじた賢明な大臣というものを、私は聞いたことがありません。そして、たった一人の不正な企てを挫くことでその騒ぎを鎮められるのなら、その代償は法外なものではないでしょう。

しかし、この異議にお答えしましょう。第一に、もしこの貨幣鋳造が、以前のほかの特許状に明記されたような制限のもとに、アイルランド国内で行われ、十分な担保を差し入れられるこの王国の人々、あるいはイングランドの人々に特許が与えられていたなら、直ちに是正できない不都合は、ほとんど、あるいはまったく起こらなかったことは明らかです。「報告」にあるノックス氏の特許状についていえば、特許権者はいつでも自分の半ペニー銅貨を引き取り、代わりに金銀を支払うという担保が、財務府に差し入れられていました。そして、その特許状を譲り受けたと思われるムーア氏は、一六九四年、自分の貨幣を返しにくる大群衆が絶えなかったため、その年の終わりを待たずに鋳造をやめざるを得ませんでした。一六九八年に再び鋳造しましたが、同じ理由で断念せざるを得なかったのです。これは、事情をまったく別のものにします。ウッドの特許状には、そのような条件がないからです。この条件一つで、ほかのどんな制限をすべて合わせたものより、百倍の価値があったのです。[5]

編者注 5

アイルランドに対して発行されたさまざまな貨幣鋳造特許状の経緯を述べれば、この段落は理解しやすくなるだろう。モンク・メイソンは、スウィフト伝の長い注にその経緯を記しているが、その資料は、きわめて優れた論考『アイルランド国民の行動の弁護』等から得ている。そこで本要約では、その小冊子自体に当たった。一七二四年刊、ジョージ・ユーイング印刷のダブリン版二一―二四頁から引用する。

「チャールズ二世は一六六〇年、アイルランド王国向けにファージング銅貨だけを鋳造する特許状を、アームストロング大佐に与えた。しかし、彼がそれを行使した事実は見当たらない。[A] というのも、一六八〇年まで、わが国の銅貨と真鍮貨はすべて、半ペニーおよびファージング銅貨を金銀と交換する担保を差し入れ、個別の許可を得た私人によって発行されていたからである。しかし、ある者は担保が破綻し、またある者は交換のために持ち込まれた半ペニー銅貨が偽物だと言い張ったので、損をするのはいつも公衆だった。アームストロング大佐の息子は、いつでも取り消せる個別の許可によるアイルランドでの半ペニー銅貨鋳造が大きな利益を生んでいるのを見て、のちにダートマス卿となるジョージ・レッグの名で特許状を申請し、取得した。一六八〇年から二十一年間、請求があれば金貨または銀貨と交換する担保を差し入れて、アイルランド向けに半ペニー銅貨を鋳造するというものだった。[B] これに基づいて、彼は四年間、大量の半ペニー銅貨を鋳造した。しかし一六八五年、[ジョン・]ノックスが、アームストロングの同意を得て、残りの期間を自分名義の特許状で与えられた。同じように担保を差し入れ、二つの議会制定法がこれを歳入として受け取ってはならないと定めていたにもかかわらず、自分の半ペニー銅貨をアイルランドの通用貨幣と宣言させたのである。ノックスの鋳造は一六八九年、ジェームズ王がみずから鋳造を引き受け、その有名な真鍮貨を鋳造したことで、中断された。その鋳造額は実に九十六万五千三百七十五ポンドであり、三ペンス分の金属が英貨十ポンドとして通用した。債権者はこの貨幣で債務の支払いを受けなければならず、この残酷な策略によって、アイルランドは毎月およそ六万ポンドを失った。これによって金銀貨のみならず、半ペニー銅貨さえ姿を消したので、ウィリアム王は自軍のために白鑞の半ペニー貨を鋳造せざるを得なくなった。……

[注A:モンク・メイソンは、サイモン『アイルランド貨幣論』(付録第六十五)を引いて、次のように述べている。「トマス[・アームストロング]卿は、この特許を利用することを一度も認められず、その王国の臣民の間に王国貨幣として流通させるというアイルランドの最高統治官の許可も、得られなかった」。]

[注B:「総督によって布告が出され、これらの半ペニー銅貨が王国の通用貨幣であると宣言された。ただし、百ポンドの支払いに際して五シリングを超えて受け取ることを強制される者はなく、それより大きい額も小さい額も、すべて同じ割合によるものと定められていた。……この特許状は、オーモンド公ジェームズの助言に基づき、その同意を得て授与された」(モンク・メイソン『聖パトリック大聖堂史』三三四頁、注y)。]

「名誉革命ののち、ノックスの特許状を保有していたロジャー・ムーア大佐はダブリンで鋳造を始め、初めのうちは、自分の半ペニー銅貨を金貨または銀貨と交換する窓口を数か所設けていた。だが、彼はたちまち王国を銅貨であふれさせ、人々は多額の支払いを銅貨で受け取らざるを得なくなった。王室の役人たちが、その報酬として彼から割増金をもらって、盛んにそれをばらまいたからである。当時は、支払額の四分の一を銅貨で受け取るという取り決めをすることがよくあり、徴収官たちは銅貨以外では支払わなかった。国じゅうがこのように粗悪な貨幣であふれると、誰もがそれを交換してもらおうとムーア大佐に持ち込んだ。ところが彼は、偽物だという口実でこれを拒んだ。……こうして彼は一六九八年に鋳造をやめたが、わが国を悲惨な状態に置き去りにした。その有様は、ウッド氏が特許状を取得した際、ウィリアム・トレンチ氏が大蔵卿たちに提出し、わが国の委員たちも言及した覚書に、生き生きと描かれている。……ムーア大佐は、このような特許状のうまみを知ると、ウィリアム王にその更新を願い出た。しかし、請願がアイルランド政府に照会されると、事情が正確に国王に伝えられたため、その企ては挫かれた。

「先の女王の治世には、ロバート・ベアードとウィリアム・ハーニルが、ロンドンデリーを防衛した守備隊の受託者として、アイルランド向けに粗悪な貨幣を鋳造する特許状を求めて申請した。……彼らの請願は却下された。……その後も、この種の特許状を求める申請は数多く出されている」。[T・S]

仮に、イングランドの貴族院と庶民院、そして同国の枢密院が、王国全体にきわめて破滅的な結果をもたらすと危惧する特許状を取り消してほしいと、陛下に上奏したとしましょう。さらに念を入れるなら、これを受けて国民のほとんど一人残らずが、ウッド氏のいう「この上なく暗澹たる不安」を示したとします。陛下は、どうすべきか、三十分も思案なさるでしょうか。そのような特許状を取り消さないよう進言する勇気のある大臣が、いるでしょうか。あるいは、議会両院を原告、ウィリアム・ウッドを被告として、この件を枢密院かウェストミンスターの法廷に付すのでしょうか。そして、こちらの場合とそちらの場合に、ほんのわずかでも違いがあるでしょうか。

アイルランドの国民も、イングランドの国民と同じく、生まれながらに自由なのではありませんか。どうしてその自由を失ったというのでしょう。その議会も、イングランドの議会と同じく、公正に国民を代表しているのではありませんか。その枢密院も、公務の運営に同じほど、あるいはそれ以上の役割を担っているのではありませんか。同じ国王の臣民ではありませんか。同じ太陽が彼らを照らしているのではありませんか。そして同じ神に守られているのではありませんか。私はイングランドでは自由人なのに、海峡を渡る六時間の間に奴隷になるというのでしょうか。それなら、どれほど大胆な人でも、国民の総意によってすでに決着した事柄に介入したり、王国の代表者をさらに代表しようなどと出過ぎた真似をしたりするのを慎み、次の議会で当然受けるべき扱いを受けるのではないかと、もっともな不安を抱いたのも、不思議ではありません。イングランドの下級裁判所が、停会中に最高の議会裁判所から事件を取り上げ、両院の意見に反する判決を下したとすれば、それは大変異例のことと思われるでしょう。

しかし実際には、当地の最高の議会裁判所がこの特許状に対して提起した異議の正しさを証明するため、証人として海を渡るほど大胆な者はいなかったにしても、その異議は、ウッドとその弁護人たちがいかに答えようと、依然として有効なのです。

「報告」には、「この銅の純度、重さ、価値を試験したところ、すべての点で基準を上回った」とあります。試験された貨幣については、十分あり得ることでしょう。しかし、ウッドが試験に耐える半ペニー銅貨を十分な数量だけ用意しておかなかったとしたら、その手腕もずいぶんお粗末だったことになります。たとえ「いくつもの包みから取り出した」ものであっても、彼にはそれくらいできたのです。今では、ひいきの天秤がすっかり彼の側に傾いていたことが、明らかになっているのですから。[6]

編者注 6

委員会の貴族たちが報告書で要約した分析官の報告は、正確に伝えられていない。モンク・メイソンは、その要約が次の一節を省いていると指摘する。「しかし、銅は非常に良質であり、貨幣も全体を平均すれば規定の重量を満たしていたとはいえ、一枚ごとの重さは、本来そうあるべきほど均一には鋳造されていなかった」。また、試験された貨幣が、アイルランドに送られたものと同種であったことも示されていない。イングランドで使われた銅はウッドの使ったものより一ポンド当たり五ペンス高いとされているのに、イングランドでは一ポンドの銅から二十三ペンス分を鋳造し、ウッドにはアイルランド向けに三十ペンス分を鋳造することが認められている。委員会の報告書は、この点から必然的に生じる疑問を見落としている。[T・S]

しかし、この点についてはウッドの不正を明白に証明するものがあるのに、議論する必要がどこにあるでしょうか。私は、非常に熟練した人が大量の半ペニー銅貨を量るのを見ました。それらには四つの異なる種類があり、そのうち三つは、かなり目方が足りませんでした。今、私の手もとには、この四種類の重量差を正確に計算したものがあります。それによれば、第四の、つまり最も軽い種類と第一の種類との差は、三百六十トンの銅を鋳造するとき、この違いだけで特許権者に二万四千四百九十四ポンドの利益をもたらすほどです。そして、金属の質がウッドの契約と、すでに行われた分析の結果にかなっていると仮定してさえ、公衆の損失は総額八万二千百六十八ポンド十六シリングになります。実際には、その仮定は決して成り立ちません。この点も非常に経験豊かな人々が調べ、多くの半ペニー銅貨を何度も試験したところ、少なくとも本来の価値を四分の一は下回ると分かったからです。これは、彼またはその仲間が、すでに彼自身の貨幣をまねて作り、ばらまいたラップ貨や偽造貨幣を含めない話です。さて、三百六十トンの銅を、第四の、つまり最も軽い半ペニー銅貨の目方で鋳造すれば、その額は十二万二千四百八十八ポンド十六シリングになります。そして金属に粗悪な混ぜ物をしたために実質価値の四分の一を差し引くなら、銅の素材価値から失われる四分の一を、公衆の損失に加えなければなりません。これは三百六十トンで一万八十ポンドに上り、先の八万二千百六十八ポンド十六シリングに加えると、全体で公衆に九万二千二百四十八ポンドの損失となります。彼が今後いつでも好きに鋳造できるラップ貨や偽造貨幣は、また別です。さらに、この三百六十トンの銅に、かすを含めて数えているのか、除いて数えているのか、私には分かりません。どちらにしても、計算には相当の違いが生じるでしょう。

ここでご注意いただきたいのは、特許状によってウッドに認められている利益が、一シリング六ペンスと評価される銅一ポンドごとに十二ペンスであるのに対し、イングランドの半ペニー銅貨では、重さ一ポンド分の鋳造に対して、五ペンスしか認められていないことです。この差はほとんど二十五パーセントに当たり、現在この不幸な王国を圧迫し、貿易を妨げているあらゆる負担を加えた状況のもとでさえ、為替相場の最高の割増率の二倍に当たります。三百六十トンの銅の鋳造では、この一点だけで、イングランドとアイルランドの半ペニー銅貨の間に二万七千七百二十ポンドの差が生じるのです。ウッドのものをすべて最も重い種類だと認めたとしても、そうなのです。

また、重さ一ポンドから鋳造する枚数を、特許状で定められた枚数より半ペニー銅貨一枚増すごとに、三百六十トンの銅の鋳造で、ウッドは特許状に認められた利益を千六百八十ポンドずつ上回ることになる点も、考慮すべきです。その中から、この点について検査官たちに気を楽にしてもらうくらいの金は、出せるでしょう。

「この半ペニー銅貨は、陛下の先王たちの治世にアイルランド向けに鋳造された同種の貨幣を、はるかにしのぐ」という主張については、これほど異議の多い論法もそうはないでしょう。仮にその事実が正しかったとしてさえ、そうなのです。もっとも、実際にはまったくの誤りです。委員会の落ち度ではなく、ウッドの詐欺と欺瞞によるものです。彼は、見つけられる限り最悪の見本を出したに違いありません。たとえば、私人への許可によって少量ずつ鋳造された肉屋の半ペニー銅貨、ブラック・ドッグ貨など、あるいは、ファージング銅貨として通用する小型の聖パトリック貨、よくても、ごく最近のラップ貨の中で最も小さいものです。というのも、今私の手もとには、ダートマス卿に授与され、ノックスに更新された特許状によって一六八〇年に鋳造された半ペニー銅貨がありますが、これはウッドのものより九分の一重く、金属もずっと良質だからです。さらに、大型の聖パトリック半ペニー銅貨は、そのどちらよりも大きいのです。

しかし、こうした話が今の論争と何の関係があるでしょうか。戦争、反乱、暴動など、昔のさまざまな緊急時に、イングランドの国王が、当地の軍に混合金属や粗悪な貨幣で給与を払わざるを得ないことがあったとしても、騒乱の時代の必要に迫られた措置を、平和と秩序と安定の時代の先例にするなど、あってはなりません。

先に述べた、チャールズ二世の治世にダートマス卿に授与され、ノックスに更新された特許状では、特許権者は求めがあるたびに自分の貨幣を引き取る義務を負い、その担保が財務府に差し入れられていました。これは、あらゆる不都合に対する有効な救済策でした。また、銅貨はわが王国内で鋳造されましたから、それを買うためにすべての金銀を他国に持ち去られる危険もなく、弊害を正してもらうために、わざわざイングランドへ出向く必要もなかったのです。

イングランドの国王が、アイルランド向けにもイングランド向けにも銅貨を鋳造する大権を行使してきたかどうかは、今の問題ではありません。しかし、ある国王が、アイルランドで銅貨を鋳造してイングランドで通用させようとお考えになり、その特許が妥当か、国民がそれを望んでいるかを知るために同王国の役人へ照会もせず、それに反対する議会の上奏も顧みなかったとすれば、それは「報告」の言い方を借りるなら、「いささか異例に思われる」でしょう。私のような卑しい者が国王の大権に口を出すなど、あってはならないことです。しかし私は、国王の大権は国民の利益と幸福によって境界を定められ、制限される、と非常に賢明な人たちが言うのを聞いたことがあります。この特許状はアイルランドの利益を意図したものだと、理解され、公言されているのではないかと、私は伺いたいのです。ところが、アイルランドはこの件について何の相談も受けず、知るや否や反対を表明します。議会両院と枢密院は、そのような特許状がもたらすと危惧される害悪について、陛下に上奏します。するとイングランドの枢密院が、この件を議会の管轄から取り上げるのです。王国の利益は放り出され、今では、ウッド氏が私利のために一国民全体を破滅させる権力を持つことに、話が決まってしまいました。

このような特許状が、もともと公衆を害して特定の個人に利益を与える利権仕事として授与されたなどと、私は決して考えられません。特許権者に生じるどのような利益も、せいぜい第二義的な動機として意図されたに違いありません。誰かが利益を得る以上、その人物は、えこひいきか、何か別の事情によって、[7] あるいは功績と誠実さがあるという触れ込みによって、選ばれたのでしょう。この論点は、あまりにたびたび、強く私の頭に浮かんでくるので、何度も繰り返さずにはいられません。陛下がこの特許状の発給に同意されたときは、ウッド氏を手段として用いる以上には顧慮せず、アイルランドのこの上なく忠実な臣民に恩恵を施すおつもりだったに違いありません。しかし、アイルランドの国民は、この特許状を――疑いなく自分たちの利益のために意図されたものなのに――最も耐え難い苦痛だと考えています。ですからウッド氏が成功するには、一つの大きな王国の利益ばかりか、その安全と存立そのものより、彼の利益を優先するのだと、公然と認めるほかありません。しかもこの王国は、その忠節によって、おそらく地上のどの王国よりも際立っています。「貴族院の裁判権を一挙に廃止」されても、「新たに強制された航海法の苦難」に遭っても、「貿易にあらゆる妨害」を加えられても、さらに「この紙面を埋めるに足る」そのほか百もの仕打ちを受けても、臣下の務めから離れなかったのです。また、王位僭称者を支持して反乱を起こそうという企ては、わが国にはこれまで、ほんのわずかもありませんでした。したがって、自由な国民が求め得る正当な扱いについては、少なくともイングランドの同胞と同等の権利が私たちにもあり、善良な君主が最も忠実な臣民に与え得る恩恵についても、それを期待する理由があります。この王国は、たった一人の「強欲で、無名で、恥知らずな山師」の犠牲にされるようなことは、何一つしていないのです。

編者注 7

特許取得に際してのケンダル公爵夫人の影響力をほのめかしている。[T・S]

この特許状がいかにアイルランドの利益になるかを示すために挙げられた条項の中に、いささか風変わりなものがあります。特許権者は期間中、「王室に年八百ポンド、検査官に年二百ポンドを支払う」義務を負うというのです。[8] 確かに、国王の法律顧問は、特許状を発給するに当たり、それが王室の利益になるかどうかを必ず検討すると聞いています。しかし同時に、その発給が、ほかの個人や公的団体を害するおそれはないかも検討すると、聞いています。もっとも、法務総裁も法務次官も国王の臣下であり、したがって陛下の利益を図る義務があるとはいえ、王室への年八百ポンドが、一王国の破滅に見合うものかどうか、私には多少疑問があります。私たちの全面的な破滅を代価として、このような歳入の増加を手に入れるよりは、あらゆる税の負担を抱えたままでも、陛下の金庫に年八千ポンドを納めたほうが、私たちにははるかによかったでしょう。しかも、わが王国の税負担は、その規模に照らせば、戦時を含めたイングランドのどの時期のものよりも重いのです。

編者注 8

特許状の条件により、ウッドは、国王付き書記官、すなわち鋳造検査官に年二百ポンドを、陛下の財務府に年百ポンドを支払うことを約した。ウォルポールの報告にある八百ポンドと二百ポンドではない。[T・S]

ところが、ここではっきりしているのは、ウッドが特許状を買い取るに当たり、単なる付随的な小経費として、一万四千ポンドを支払うことになっているということです。ほかにどのような表向きの費用があったのか、私は知りません。裏の費用については、さまざまな憶測が飛んでいます。しかし、彼はきっと、何か驚くべき功績のある人物なのでしょう。ほかの王国を自費で救ったので、わが国を破滅させてその費用を取り戻す権利があるのでしょうか。経度の測定法か、万能薬でも発見したのでしょうか。いいえ。ですが、銅を粗悪なものにして、金の代わりに私たちに押しつけようと決意することによって、新しいやり方の賢者の石を発見したのです。

両院が陛下に、このウッドへの特許状は秘密裏に取得されたものだと上奏したとき、議会が、通常の形式を経ず、手数料や役得を納めるべき役所をすべて通していないとほのめかしたのだと、委員会が考えたはずはありません。官職に就いている人々が特許の授与を嫌わないことも、王室の役人たちに隠し通せるはずがないことも、議会はよく知っていたのです。しかし、前のアイルランド総督は、[9] 自分には秘密にされていたと断言しました。その誠実さを誰が疑うでしょう。とりわけ、この半ペニー銅貨でアイルランドが悩まされることは決してないと、ある身分ある人に誓っていたのです。その人から、私は直接聞きました。ただ被害だけを受けることになるアイルランドの国民にとっても、これは秘密でした。そして、王国の事情を最もよく知り、このような案件について最も適切に助言できる人々は、まったく何も知らされていなかったのです。

編者注 9

グラフトン公。ウォルポールは彼を、「最初の嵐が起こると何をすべきか分からなくなる、凪の海だけの水先案内人」と呼んだ。第二代グラフトン公チャールズ(一六八三―一七五七)は、有名な書簡でジュニアスから激烈な攻撃を受けた第三代公爵の祖父である。[T・S]

「報告」は、この特許状がアイルランドの最高統治官や役人たちに知られずに発給されたことを認めています。そして、「以前の特許状も同じ方法で発給されており、法律上有効である」と、念入りに示しています。私は特許状の合法性を争おうとは思いません。陛下には、丸い銅片に刻印を押す特許状を、すべての臣民に一つずつ与える権限があると、ひとまず認めましょう。そこで法律の問題は脇に置き、一王国の幸福がかかっている案件であれば、その王国にしかるべき時期に知らせ、そこから利益を得る唯一の者たちである特許権者と王室の役人との間だけで話を進めないのが、道理と正義に照らして適切だったのではないかと、ただそれだけを伺いたいのです。

この種の問題では最も有能で忠実な助言者である議会は、この特許が「貿易を破壊し、国民の財産を危うくする」と上奏しました。それに対する唯一の答えは、「国王にはそのような特許を授与する大権がある」というものです。

ノックスの特許状では、その「半ペニー銅貨を王国の通用貨幣として定め、宣言」しているのに対し、ウッドの特許状では、ただ「それを受け取る意思のある者に発行する権限」が与えられているだけだと、主張されています。「報告」の著者たちは、国王が特許状によって何であれ通用貨幣と宣言することは法律上できる、とまでは述べていないと思います。断言しますが、そのようには述べないでしょう。そして、ノックスの特許状に法に反する権限が含まれていたのなら、なぜ陛下の正しく慈悲深い治世に、その特許状を先例として持ち出すのでしょうか。[10] しかし、その条項はウッドの特許状にないとしても、同じくらい合法性の疑わしい条項が、ほかにあるかもしれません。とりわけ、「ウィリアム・ウッドに、自分の貨幣をまねて作ったものを捜索するために家屋へ押し入る権限を与える」という条項です。これは違法であり、臣民の自由を危うくするものだと、言ってよいかもしれません。それでも、これも同じ権限を認めたノックスの特許状から取った先例なのです。先例というものが、ときにどのように使われるかを示す、顕著な実例です。

編者注 10

モンク・メイソンの指摘するように、ノックスの特許状には、自分の貨幣を王国の通用貨幣とする権利は含まれていなかった。それは総督の布告で許され、同じ方法で取り消すこともできた。ノックスは自分の貨幣を引き取り、その代わりに金貨または銀貨を渡す義務があり、また、百ポンドの支払いごとに五シリングを超えて受け取ることを強制される者はなかったので、その特許状は、ウッドに与えられたものとは本質的に異なる。六六頁の注を参照。[T・S]

しかし、この特許状を発給する前には、この王国の誰に相談する必要もなく、私たちの間に銅貨が必要かどうか、少しも調べなくてよいとされていたのに、今になってようやく、何もかも済み、特許状が発給されて久しく、ウッドがすでに一万七千ポンドを鋳造し、その六倍をさらに鋳造する道具と設備も整えたあとで、委員会はこの件を調査の対象にしてくださったのです。ウッドは証人を出すことを許されています。先にも述べたように全部で四人で、そのうち三人がコールビー、ブラウン、銀行家のフィンリー氏です。そして、この者たちは、アイルランドで銅貨がきわめて不足していることを証明するはずでした。最初の者は、国庫の金を盗んだかどで裁判にかけられたときから、ほとんど二十年、この王国を離れていました。したがって、その知識も信用も、同じ程度のものです。二番目の者は、もっと事情に通じた証人と認めてもよいでしょう。「偽証と偽証の教唆によって、議会議員ジョン・ビンガム氏の生命を奪おうと企てた」件で、庶民院が法務総裁に起訴を命じてから、まだ一年もたっていないと思うからです。彼は、小銭が足りないので労働者に割符で支払わざるを得なかった、と述べました。イングランドでも、アンブローズ・クローリー卿らがよく行ったことです。[11] しかし、彼をもっとよく知る人々は、別の理由を挙げます。この話にそもそも事実があるのなら、労働者に割符で支払わざるを得なかったのは、半ペニー銅貨ではなく、もっとまともな金がなかったからだというのです。それは大いにあり得ます。偽証教唆、偽造、偽証、強姦を働く輩は、たいてい財産のない者か、悪徳と浪費で財産を使い果たした者だからです。三番目の証人フィンリー氏は、アイルランドに銅貨が不足しているかどうかは知らないと、正直に認めました。彼の目的はただ、ウッドから一定量を大幅な値引きで買い取り、できるだけうまく売りさばいて、自分の懐に二、三千ポンドを収めることだったのです。

編者注 11

アンブローズ・クラウリー(クローリーではない)は、ロンドン市の市参事会員およびシェリフであった。一七〇六/〇七年一月一日にナイトに叙せられ、一七一三―一七一四年、アンドーヴァー選出の庶民院議員を務めた。[T・S]

しかし、仮に王国全体に半ペニーの銅貨一枚もなかったとしても、それは多少の不便ではあっても、私たちにとって本当の害にはなりません。ウッド氏は、こちらが自分の条件をのまなければ、実際そうするつもりらしいのです。手先を使って、私たちの古い銅貨を通用額一シリングにつき一ペニー高く買い占めさせていることからも、それは分かります。私たちには、イングランドではなじみのない小額銀貨が何種類もあります。たとえば、フランスの三ペンス貨、四ペンス半貨、八ペンス半貨、スコットランドの五ペンス貨、十ペンス貨があり、さらに二十ペンス貨、三シリング四ペンス貨もあります。これらをすべて使えば、ほとんどどんな金貨や銀貨でも、半ペニーの端数まで釣り銭を出せます。残り少ない金銀貨を使いながら、ブラウンのいう、印を押した札という手段に追い込まれたとしても、ウッドの混ぜ物入りの銅貨しか残らないよりは、多少ましだと思います。ウッドには、それを正貨で引き取る義務は特許状によっても課されておらず、今のところ、その資産による支払能力もないのです。

「報告」はさらに、「グレートブリテンの国璽のもとに発給された、アイルランド向けの銅貨鋳造特許状は、合法かつ拘束力を有し、陛下の王権大権の正当かつ合理的な行使であって、アイルランドの臣民のいかなる自由や特権をも、何ら損ない侵すものではない、と認められねばならない」と述べています。第一に、私たちが知りたいのは、この特許状をアイルランドで発給し、契約のさまざまな条件を、利害の直接かかわる当地の人々の監督に委ねることによっても、同じように陛下の大権を確立できたのではないか、ということです。エリザベス女王の時代、反乱に苦しむ中で使われた混合金属の貨幣以来、[12] この王国向けの貨幣鋳造のために与えられた特許状の、わずかな先例では、以前そうしていたのです。ところが今では、考え得る限り最大の不正を押しつけられても、私たちは苦情を訴えるためにイングランドまで行かなければなりません。しかもそこでは、しばらく前から、「我々にはどれほどひどい扱いをしてもしすぎることはない」と考え、言い立てるのが流行しているのです。また、「報告」は「このような特許状は拘束力を持つ」と述べています。長く考えてみても、ここで拘束力という言葉が、いったい何を意味し得るのか分かりません。このウッドの特許状は、彼に貨幣の発行を義務づけてもいなければ、私たちにその受取りを義務づけてもいません。仮に後者を義務づけていたとしても、その限りで無効でしょう。どのような特許状も、法に反して臣民を拘束することはできないからです。もっとも、一方の王国で発給された違法な特許状が、発給された王国は拘束せず、他方を拘束できるというなら、話は別ですが。

編者注 12

「内戦によってアイルランド全土が燃え上がったため、女王[エリザベス]は、反徒をより容易に征服しようと、その死の数年前、アイルランド人から銀貨を取り上げ、軍には混合金属の粗悪な貨幣で給与を払った。この貨幣は、英貨の銀貨として支払いに使い、また受け取るよう、布告で命じられた。この粗悪な混合貨幣は、四分の三が銅、四分の一が銀であったが、混合によって銀の一部が消耗するので、イングランドの金細工師たちは、二ペンス半の価値があるとは認めながら、その一シリングを銀の二ペンスにしか評価しなかった」(ファインズ・モリスン『旅行記』第一部、二八三頁)。[T・S]

最後に、「このような特許状は、アイルランドの国王臣民のいかなる自由や特権をも、何ら損ない侵すものではない」と付け加えられています。この命題が、ここに記されたとおり、明示的にも黙示的にも一切の制限なしに正しいのなら、イングランドの国王は、いつでもアイルランド向けに銅貨を鋳造し、当地の臣民に、半ファージングにも満たない銅片を半クラウンとして受け取るよう強制できる、ということになるはずです。先のジェームズ王が実際にしたとおりです。しかも、あの専制君主が持ち出した、政務の切迫した必要という言い訳さえなしに、できるのです。これが「アイルランドの臣民のいかなる自由や特権をも、何ら損なわず侵さない」というのなら、私たちの自由と特権とは何なのか、そもそもそのようなものがあるのか、明示しておくべきでした。ただ「陛下の臣民」と言わず、アイルランドという語を特に挙げることは、私たちがイングランドの同胞臣民と同じ立場にはないと、ほのめかすように思われるからです。実際の扱いがどうであったにせよ、そんなことが正面から主張されることは決してないと、願っています。ポイニングス法が私たちの自由を奪ったとは、私は理解していません。[13] それは、議会両院に拒否権を残したまま、当地での法律成立の方法を変えただけなのです。もっとも、その権限が手に入れられた手段は、甚だしく不正なものでした。しかし、立法府についての論争はいっさい措くとして、アイルランドの国民には、陛下のほかの臣民と同じくコモン・ローの恩恵を受ける権利がない、などと断言するほど大胆な者は、まだいなかったと思います。したがって、イングランドの国民がコモン・ローによって享受するどのような自由や特権も、アイルランドの私たちには同様にあります。ですから私の卑見では、この命題の中のアイルランドという語は、最も穏やかに解しても、筆の誤りだったのです。

編者注 13

ポイニングス法は、国民の自由を侵害する意図で作られたものではない。しかし、この法律が利用され、法令集に載せた当初の意図とはまったく異なる解釈を加えられたことは、疑いない。これは、ヘンリー七世の治世第十年、エドワード・ポイニングス卿がドロヘダに召集した議会で成立した。直接の原因は、パーキン・ウォーベックの侵入であった。この王位僭称者は、アイルランドで王権を僭称し、その短い権力の座にある間に、いくつかの法律を成立させた。いかなる副王も立法権を僭取することのないよう、ポイニングスの議会は次のように定めた。

「今後アイルランドで議会を開くには、まず当地の国王代理官および枢密院が、同国の国璽のもとに、その理由、検討事項、および当該議会で成立させるべきと考えるすべての法案を国王に証明し、当該の理由、検討事項、および法案が、同国にとって善良かつ適切であると国王およびその枢密院によって認められ、前記の理由と法案の承認、ならびに前記議会の召集の双方について、イングランドの国璽のもとに国王の許可が取得された時に限る。以上が行われたのち、前記のとおり議会を開き、開催するものとする」(『アイルランド法令集』第一巻、四四頁)。

二つの法律、すなわちフィリップおよびメアリー治世第三・四年第四章の法律と、エリザベス治世第十一年第三会期第八章の法律が、この法律をさらに説明している。後者は当初の制定理由を次のように示す。「この法律以前には、統治官たちが意のままに議会を召集する自由を与えられていたため、君主の名誉を傷つけ、またその臣民を妨げる法律が成立した」(『アイルランド法令集』第一巻、三四六頁)。

レッキーは言う。「ポイニングス法によって、アイルランド議会の独立の大部分は、確かに放棄された。しかし、それを成立させた隷属的な議会でさえ、それ以前にイングランドで制定された法律を、自らの権限によってアイルランドに適用したとはいえ、イングランド議会がアイルランドのために立法する権利を認めたことは、決してなかった」(『アイルランド史』第二巻、一五四頁、一八九二年版)。[T・S]

「報告」はさらにこう述べています。「アイルランドにとってきわめて重要で、その王国の利益に直接影響する問題について、陛下のアイルランドの役人たちへの事前の照会や諮問なしに、国王および先王たちの権限により、親署のもとに令状、命令、指示が発せられた先例は多く、それらは常に所定の効力を有し、正確に履行され、遵守されてきた」。そうなのかもしれません。私は心から残念に思います。これは、永遠に尽きない不満の源となりかねないからです。しかし、これらすべての先例の中に、アイルランド向けの貨幣鋳造特許状は、一つもないのです。

この先例という教えほど、私を困惑させるものはありません。利権仕事をしようとして、記録を調べ、以前にも行われたと分かれば、先例を持ち出してその合法性を弁護する法律家には事欠きません。その最初の発端となった動機や事情、時代の窮迫、騒乱、不正、大臣の腐敗、あるいは当時の君主の専制的な性向などは、一度も考えようとしないのです。そして、この同じ教えによれば、人間のなし得る最悪の行為さえ正当化できると、法律の大家から聞かされたことがあります。当地の国王の役人に事前の照会や諮問もせず、アイルランドにとって最重要で、その利益に直接影響する問題を決めるという最初の先例が、どのように始まったかは、容易に説明できます。エリザベス女王の治世の最終年にティローンが服従し、この王国が完全に平定されるまで、四百年の間、イングランド領ペイルとアイルランドの先住民との間では、戦争と平和がさまざまに移り変わってきました。そして、この島のうちイングランドの手にあった部分の統治は、多くの点で国王の直接の管理下に置かれていました。当地では金銀のうち銀と、銅の貨幣がしばしば鋳造され、少なくとも一度、大きな必要に迫られて、混合した、あるいは粗悪な金属貨幣がイングランドから送られました。ジェームズ一世の治世は、ティローンの反乱後の王国の安定に費やされ、この国は一六四一年の虐殺の時まで、非常に繁栄しました。その困難な時期には、貴族や郷紳が、当地ダブリンで自分たちの銀器を貨幣に鋳造したのです。

私に調べられる限り、過去三百年間のアイルランドの銅貨は、個々人が鋳造許可を得た小型のペニー貨、半ペニー貨からなり、それらは発行者本人の信用に応じ、特定の町や地区の中だけで通用するものでした。発行者にはそれを再び引き取る義務があり、そのさまざまな種類を私は見たことがあります。また、チャールズ二世の治世まで、アイルランド向けの銅貨鋳造特許状が与えられたとは、聞いたことがありません。それは一六八〇年、ダートマス卿ジョージ・レッグに与えられ、ジェームズ二世の治世第一年にジョン・ノックスに更新されたものでした。どちらの特許状もアイルランドで発給され、どちらも特許権者は、自分の貨幣二十シリング分を持ち込む者があれば、それを引き取り、代わりに金貨または銀貨を支払う義務を負っていました。

ダートマス卿とノックスの特許状は、どちらも当地の法務総裁に照会され、それに応じた報告が作られ、すでに述べたように、どちらもこの王国で発給されました。ノックスが得たのは、ダートマス卿に認められた期間の残りの分だけであり、特許状は一七〇一年に失効しました。その更新を求めるロジャー・ムーアの請願に対しては、件は当地に照会され、法務総裁と法務次官が、更新は陛下のためにも国民の利益にもならないと報告したため、ウィリアム王によって却下されました。それゆえ、王国の利益を意図し、そう公言される半ペニー銅貨の鋳造特許状が、利益を受けるはずのその王国に一度も相談せず発給されるのは、甚だしく異例のことと思われます。それも、「貧しく無名の一職人」の申請によってです。しかも、その特許状は、発給されたことを王国が知るや否や、破滅と破壊をもたらすものだとして、全員が声をそろえて反対するような性質のものなのです。議会における国民の代表者も、枢密院も、取り消していただくよう国王に上奏します。それでも、私が描いてきたような特許権者のほうが勝って、その特許状を承認させ、その私益が王国全体の訴えより重んじられるのです。聖パウロは、「すべてのことは許されているが、すべてのことが益になるわけではない」と言っています。この特許状は合法だと、私たちは答えられます。しかし、益になるのでしょうか。大祭司が、「民のために一人の人が死ぬほうがよい」と言ったと、私たちは読んでいます。これは甚だしく邪悪な主張でした。しかし、一人の人のために国民全体が死ぬほうがよいなどということは、これまで聞いたこともありません。

しかし、アイルランド向けの銅貨鋳造のために与えられたほかの特許状の先例が、これほど重視されていますので、この問題をできるだけはっきりさせておきましょう。「報告」を読んだ人は誰でも、イングランドで発給された特許状に基づきアイルランド向けに銅貨を鋳造した先例が、少なくとも一ダースは挙げられ、鋳造もイングランドで行われたと思いがちでしょう。しかし私は、過去百年余りの間に、アイルランド向け銅貨鋳造の特許状がイングランドで発給された先例は、一つも示せないと確信しています。それ以前にあったとしても、混乱の時代のことに違いありません。私が聞いたことのある特許状は、先に述べたダートマス卿とノックスへのものだけで、前者は一六八〇年、後者は一六八五年です。では、この二つをウッドに与えられた特許状と比べてみましょう。第一に、ダートマス卿に与えられたものと同じ条件のノックスの特許状は、政府、法務総裁、法務次官が、この王国に役立つとの報告を作成して、アイルランドで発給されました。[特許権者は半ペニー銅貨一枚をトロイ衡で百十グレーンとする義務を負い、それによって一ポンドの銅から鋳造できるのは、二シリング二ペンス分だけでした。][14] 特許状は、当地の国王の枢密院の助言を得て発給されました。特許権者は、銅貨を持たされすぎたと考える人々から、その貨幣を引き取り、代わりに金銀を渡す義務を負っていました。最後に、特許権者が王室に支払うのは、年十六ポンド十三シリング四ペンスだけでした。次に、その特許状の履行についてです。第一に、半ペニー銅貨には縁の刻みが付けられていたことが分かります。これは偽造を防ぐのに大変役立ち、だからこそウッドは熱心に避けているのですが、鋳造費を余計に要するものでもありました。そして、重さと金属の質についていえば、今私の手もとにある数枚の半ペニー銅貨は、その多くがウッドの鋳造したものより九分の一重く、火や槌にもはるかによく耐えます。刻印も、決して小さなことではありませんが、もっと鮮明で深いのです。確かに、後期の鋳造分には、ウッドのものの一部よりも軽いものが数多くあります。この種の特許権者にはつきものの不正です。しかし、特許の直後、まだ貨幣が通用し始めないうちから、ということではありません。この点では、ウッド氏こそ将来の先例となるに違いありません。

編者注 14

ここで角括弧に入れた部分は、この書簡の第四版、および『暴かれた詐欺』と題する著作に印刷されている。一七三五年刊のフォークナーによる最初の作品集にも、一七三〇年刊の『アイルランドの愛国者』にもない。[T・S]

では、ウィリアム・ウッドに与えられたこの新しい特許状を調べましょう。これは、彼自身と少数の共謀者の甚だしい虚偽の申し立てに基づいて発給されました。当地にはまったく照会せず、イングランドで発給されました。当時イングランドにいた総督その人にも知らされずに、発給されました。ウッドは十万八千ポンドを鋳造する権限を与えられ、「王国のすべての文武の官吏は」彼を支持し、援助するよう、「報告」で「命じられて」います。ノックスには、私たちが受け取るだけの量を発行する権限しかなく、「私たちの請求に応じて自分の貨幣を引き取ること」、そして「そうするための担保を差し入れること」を義務づけられていました。ウッドの半ペニー銅貨には縁の刻みがないので、ほかの者だけでなく、彼自身にとっても偽造が容易です。ウッドは十四年間、年千ポンドを支払い、ノックスは二十一年間、年十六ポンド十三シリング四ペンスしか支払いませんでした。

この二つの特許状を比較する手本を私に示したのは、「報告」のほうでした。その比較で委員会は、ウィリアム・ウッドの虚偽の説明によって、ひどく惑わされています。ダートマス卿とノックスの特許期間二十一年の間に、七百トンの銅が鋳造された、というもう一つの主張についても同様です。その量の銅を、一ポンドにつき二シリング八ペンスの割合で鋳造すれば、およそ十九万ポンドになります。当時の王国の流通貨幣の総額に、ほとんど匹敵する額です。それなのに、その期間、アイルランドで銅貨が多すぎるとされたことは一度もなく、何年もの間、鋳造がまったく行われなかったことさえありました。さらに、税関の帳簿を調べたところ、一六八三年から一六九二年までに王国へ輸入された銅は、すべて合わせても四十七トンを超えなかったと、確かな筋から聞いています。この期間には、前記二十一年のうちの八年が含まれ、ほかに騒乱のための一年も見込まれています。そのわずかな量でさえ、すべてが貨幣鋳造に使われたとは考えられません。これほどまずい比較、それを持ち出した目的をこれほど自分で損なう比較は、かつてなかったと思います。

詩篇の作者は、神が「その民をただ同然で売り、彼らのために代金も取られない」ことを、神の怒りの現れに数えています。私たちの悪い暮らしぶりが、神を大いに怒らせたことは争えません。しかし、私たちは言葉でも行いでも、国王には背いていません。そして、国王は地上における神の代理者ではあっても、その合法的な権威、その尊い御身――神よ、お守りください――あるいは国法に対して私たちが犯す罪以外については、私たちを罰しようとはなさらないでしょう。

「報告」は、アイルランドが銅貨の大いなる不足にあると、議論をふんだんに並べています。[15] それを証明する証人が誰だったかは、すでに示しました。しかし、神にかけて伺いますが、誰が判断するのでしょうか。国の必要をいちばんよく知っているのは、その国民ではありませんか。議会両院、枢密院、国民の全体が、それとは反対のことを述べています。あるいは、どんな不足があるにせよ、私たちはそれをウッド氏に満たしてもらいたくありません。自分たちの不足は、嫌というほど承知しています。多く、耐え難いものばかりですが、種類がまるで違うのです。イングランドには、もう満足してもらいましょう。この調子でいけば、間もなく私たちの金銀をすべて手にするでしょうから、混ぜ物入りの銅貨は、国の中に取っておいてかまいません。私たちは、それを自分たちの製品と引き換えに買わないと決めているからです。ウッドはありがたくも、製品で受け取ってよいと言ってくれましたが。私たちの不足は、それを補うために彼が採った方法のひどさに比べれば、百分の一にもなりません。彼はすでにニューイングランドで腕を試しています。[16] 当地でも、少なくとも同じ程度の歓迎を受けてほしいものです。それがどのような歓迎だったかは、世間の報道にお任せします。ここで一つ、突飛な場合を想定しましょう。すでにこの王国から莫大な年金を受け取っている人物が、この特許状の取得に力を貸したのだとしたら、その人は自分の利益をよく考えていなかったか、さもなければウッドが、[17] 銅にもっとかすを混ぜ、さらに重さを減らさなければならないでしょう。

編者注 15

アイルランドにおける小銭不足という問題について、モンク・メイソンは次のように「報告」に反論している。

「この論点に関する貴族委員たちの報告には、明白なごまかしがあるように見える。彼らは、アイルランドには小銭の不足があると証人たちが証言した、と述べる。それゆえ彼らは、確実に不足などしていなかった銅貨を、押しつけようとするのである。この点を読者に納得してもらうため、キング大主教の未刊書簡から、次の箇所を引用しよう。第一のものは、一七二四年十月十七日付のゴージ将軍への書簡からで、その趣旨は次のとおりである。

「『……釣り銭にする半ペニー銅貨が足りないというのは、まったくの虚偽です。半ペニー銅貨は、すでに必要以上にあります。確かに釣り銭は足りません。しかし足りないのは、六ペンス、シリング、半クラウン、クラウンの銀貨です。私たちの銀貨とギニー金貨はほとんどなくなってしまい、今、王国で一般に通用しているのはモイドール金貨で、一枚三十シリングです。銀貨での価値より、少なくとも九ペンス高いのです。ところが、今度はこれを半ペニー銅貨に換えさせようというのですから、王国の現金はすべて、この半ペニー銅貨になってしまうでしょう』。……

「しかし、貨幣についての実情は、同じ大主教がその数か月前、すなわち一七二四年六月九日にサウスウェル氏に宛てた次の書簡で、さらに詳しく明らかにされている。

「『……それでも結局、私たちには釣り銭が足りません。そこで、お許しを得て、この王国の貨幣事情をお知らせします。かつて当地で通用する貨幣は、外国のドゥカトン貨、プラーテ貨、パーン貨、ダラー貨などが、ほとんどすべてでした。しかし、東インド会社がイングランド貨幣を海外へ送ることを禁じられると、同社は私たちの外国貨幣をすべて買い集め続け、その一部の代わりにイングランドの貨幣を渡したので、私たちは一オンスにつき二ペンスを失いました。その結果、二年たつと、アイルランドでは外国銀貨を一枚も見かけなくなりました。

「『何か持ち込まれても、すぐに送り出されてしまいます。東インド会社が一オンスにつき二ペンス、聞くところでは三ペンスを支払うという誘惑には、抗し難いからです。しかし実際には、持ち込まれるものはごくわずかです。わが国の産物を外国市場へ運ぶ商人たちは、現金で受け取った分はそのままロンドンへ運んだほうが得だと気づいたからです。以前は、積荷を売り払うと、アイルランドで需要のある商品を船に積み、残りを現金で持ち帰ったものでしたが、今は商品だけを持ち帰り、銀はロンドンへ送っています。そして、東インド会社から一オンスにつき二ペンスを受け取ると、残りは私たちがイングランドへ送らなければならない支払いに充てられます。アイルランドに領地を持ちながらイングランドに住む貴族や紳士に払う地代、年金、その他数多くの用件です。この方法によって商人たちは、現金を送るより通常四、五パーセント有利な為替差益も手にします。

「『さらに注意すべきは、イングランドでのギニー金貨の価値である二十一シリングが、アイルランドでは二十二シリング九ペンスに相当するのに、わが国ではギニー金貨が二十三シリングで通用することです。したがって、銀貨をイングランドに送る者は、ギニー金貨を送った場合よりも、三ペンス多く得をします。この利益は小さいようですが、実質的には、外国銀貨の代わりに渡されたイングランド貨幣を、すっかりわが国から吸い尽くしてしまいました。

「『さらに、外国の金貨をイングランドに持ち込んでも、容易には通用せず、通用させても、ギニー金貨より損失が大きくなります。このため私たちのギニー金貨は持ち去られ、今では一枚見かけることさえほとんどありません。わずかなモイドール金貨とピストール金貨を除けば、貨幣はほとんど残っておらず、それでは到底、王国内の商取引をまかなえません。

「『そこで、私たちの事情を簡単に示せば、こうです。イングランド貨幣の輸出を禁じる議会制定法があるため、イングランド貨幣を手に入れるには、ひそかに行うほかありません。したがって、私たちが金銀を鋳造してもらおうとイングランドへ送っても、取り戻すことはできず、仮にできても、先に述べた理由から、手もとにとどめられません。同じ理由で、外国銀貨も持てません。これに加えて、航海法やその他の法律によって、私たちは売る市場で買うことができません。必要な商品を、その市場ならイングランドよりずっと安く手に入れられるにもかかわらず、です。すなわち、東インドやトルコの商品すべてと、その他多くの商品がそれに当たります。また、こちらが商品を交換しようとしないのに、どこかの国が銀だけを携えて私たちと貿易してくれるとは、期待できません。

「『したがって、イングランドは、アイルランドを完全に破滅させるつもりでないのなら、私たちに何らかの救済を与えることを、考えるべきです。アイルランドという王国によって、イングランドは毎年百三十万ないし百四十万ポンドを得ていると、証明できるのですから』」(『聖パトリック大聖堂史』九三―九四頁[序文頁])。[T・S]

編者注 16

一四頁の注を参照。[T・S]

編者注 17

ケンダル公爵夫人と、この特許状との関係を再びほのめかしている。[T・S]

当地の国王の歳入担当官たちが、すでにすべての下級官吏に、ウッドの貨幣を一切受け取らないよう命じた、というウッドの訴えに対し、「報告」は、「これはきわめて異例の措置と見なさざるを得ない」と述べています。そして、特許状で与えられた権限に反するため、委員会は、「両院の上奏で求められたように、前記貨幣を一切受け取らず、流通させないよう、当地の歳入担当官に指示を与えることを、陛下に進言するわけにはいかない」とし、逆に、「前記貨幣の受取りを妨げ、阻止するために発した命令等をすべて撤回するよう、歳入委員等に陛下が直ちに命じられることが、公正かつ合理的だと考える」と述べています。それに従った命令が届いたと、私たちは聞かされています。[18] さて、これはウッドの政略の一手でした。彼の申し立ては、まったくの虚偽で根拠がなく、本人もよく知っていたからです。それに、当地の歳入委員は、一人を除いてすべてイングランドから送り込まれた人々で、あまりに職を大切にしているので、そのような措置に出るはずがないことも、知っていたのです。しかしウッドは、そのような撤回命令が出れば、王室が自分を支持すると公然と宣言したことになり、当地の政府を難しい立場に置き、騒ぎを起こし、ことによると哀れなアイルランド国民に多少の恐怖を抱かせると考えるだけの知恵がありました。そして彼は、一つ大きな点を勝ち取りました。撤回命令などまったく不要なのに、それでも歳入委員とアイルランドの国王の全官吏に、新しい命令が送られることになり、ことによると、すでに届いているのです。それは、ウッドの「半ペニー銅貨が、それを受け取る意思のある者によって通用貨幣として流通し、受け取られることを、いかなる国王の官吏または大臣も、妨害、訴訟、煩擾、干渉、拒絶を加えることなく、容認し許可する」という命令です。この命令には例外がないので、私に判断できる限りでは、大法官から治安判事まで、将軍から少尉まで、すべての文武の官吏が含まれます。ですから、ウッドの計画は、取り仕切る人手が足りずに失敗することはなさそうです。私自身は、このような事情であれば、自分がその仲間に入っていないと知っても、ほとんど残念には思いません。したがって私は、これまで以上にはるかに速く、大きな歩幅で王国を乞食の境遇に追い込むこの貨幣を、決して受け取らず、流通させないよう、同胞臣民に謹んで勧告し、警告し続けるつもりです。[19]

編者注 18

モンク・メイソンの引用したキング大主教の書簡は、なぜ歳入担当官たちがウッドの貨幣の受取りを拒んだのかを説明している。貨幣を受け取れば、請求された場合に、その額を正貨で支払わなければならなくなる可能性が十分ある、と法律家から助言されていたらしい。以前、貨幣鋳造のために私人に発給された特許状はすべて、特許権者が貨幣を引き取り、その代わりに金貨または銀貨を支払うことを求めていたので、訴えを起こす者にとって、先例を挙げるのは容易だった。[T・S]

編者注 19

貴族委員たちによるこの提案は、ウッドに持込みを許す貨幣の総額削減と組み合わされていたが、何の役にも立たなかった。キング大主教が、これはアイルランド国民を愚か者か子供のように扱うものだと論じたのは、もっともである。ウッドが四万ポンドを鋳造できるなら、二十万ポンド鋳造するのを何が妨げるのか。この提案は実際、特許状そのものとほとんど同じくらい、人々をいらだたせた。[T・S]

しかし、これ以上論じる必要はありません。問題は決着すべきところまで来ました。陛下は法に従い、ウッドとアイルランド王国とが自由に向き合う場を残されました。ウッドには自分の貨幣を差し出す自由があり、私たちには、それを拒む法律上の根拠、道理、自由、そして必要があります。いかさま馬売りが、足の悪い老いぼれ馬を市場で乗り回しても、誰も買う義務はありません。「自発的」と「受け取る意思のある」という言葉が、プロテスタントが普通に理解するとおり、本来の自然な意味に解され、適用されることを願います。というのも、荒々しい大尉が、緋色の布を六ヤード買いに私の店に来て、その後ろにはウッドの貨幣の袋を肩に担いだ荷運び人が付き従っているとしましょう。値段の折り合いがつき、私の緋色の布はすでに切られて、売台の上にあります。そこで大尉が、ウッドの貨幣で代金を受け取れと号令をかけ、断る私を「不忠なジャコバイトの犬」と呼びます。私も彼と同じく忠実な臣民であり、しかも給金ももらわずにそうしているというのにです。そして、大尉は私の布を取り上げ、代金としてあの忌まわしい銅貨を置き、文句があるなら訴えてみろと言います。こうなっては、私が自分の自由意思に任されていると、納得させるのは難しいでしょう。ですから、そのような場合、私はまず、その荷運び人に荷を持って立ち去るよう命じ、それから銀貨か金貨の代金が自分の手に入ったことを確かめて、初めて布を切ったり量ったりするつもりです。しかし、一兵卒が先にビールを飲み干し、それからウッドの半ペニー銅貨で払おうとすれば、宿の女将は困るかもしれません。大尉や少尉に苦情を言っても、彼らもまた、この半ペニー銅貨を通用貨幣として流通させるよう奨励する一般命令に含まれる官吏だからです。治安判事に訴えても、その人もまた、この一般命令の宛先となった官吏です。そこで私は、自分がすでに始めているやり方に倣って、品物を渡す前に代金を受け取ることを、女将に勧めます。もっとも、いくつかの理由から、軍人の方々は名指しで除外しておいてほしかったものです。軍の規律は、その受持ち区域の中だけに限るのがよいと、聞いたことがあるからです。

陛下は、ウッドの貨幣に反対する貴族院の上奏への御返答の結びで、「国民を満足させるため、御自身の力の及ぶすべてを行う」と、仰せになっています。すると、特許状の取消しは、その力の及ぶ事柄に含まれないようです。しかし、いずれにせよ、法律は私たちにこの貨幣を受け取る義務を課しておらず、したがって特許状も、自発的な選択に任せています。ですから、破滅を免れるために残された手段は、王国全体が、この致命的な貨幣を決して受け取らず、流通させないという、固く揺るがぬ決意を貫くことだけです。[20]

編者注 20

スウィフトのこの提案には、すぐさま大きな反応があり、商人たちは、ウッドやその貨幣とはいっさい関係がないことを公に知らせるため、用心する必要が生じた。次に掲げる広告の写しが、それを例証している。

「本王国内の一部の人々が、ミース通りの金物商ジョン・モリニューと、その兄弟であるエセックス通りの金物商ダニエル・モリニューが、ウィリアム・ウッドの取得した、本王国向け半ペニーおよびファージング銅貨鋳造の特許状に利害関係を有しているのではないかと疑っているため、

「ここに前記ジョン・モリニューおよびダニエル・モリニューは、公衆の疑念を晴らすため、前記特許状に関して、前記ウッドといかなる関係もないことを宣言する。また、前記ジョン・モリニューが郵便の書簡に同封されて受け取り、その直後にアイルランドの統治代行官の一人に手渡した半ペニー銅貨一枚とファージング銅貨一枚を除き、前記の半ペニーまたはファージング銅貨を所有したことは一度もない。

「また我々は、直接にも間接にも、前記ウッドの半ペニーまたはファージング銅貨にいかなる形でもかかわらず、反対に、善良で、国を愛する忠実な臣民のなすべきとおり、本王国の大きな利益と満足のために行動することを、さらに宣言する。また、我々の知る限り、前記ウィリアム・ウッドは本王国内にいないことを、さらに宣言する。

「一七二四年八月二十二日、ダブリンにおいて署名。

「ジョン・モリニュー

「ダン・モリニュー」

別の広告は、次のようなものであった。

「広告

「私、ダブリン、ミース通りのトマス・ハンディは、先便の郵便船で、まったく面識のないロンドンのある人物から、ウッドの半ペニー銅貨十一樽についての船荷証券を受け取った。銅貨はブリストルで船積みされ、前記人物が自らの勘定で私宛てに委託したものであり、私はこの船荷証券を受け取るまで、何一つ知らされていなかった。

「そこで、前記トマス・ハンディである私は、すべての誠実な人間が祖国と同胞臣民に対して負う務めと配慮を、深く自覚しているので、前記ウッドの半ペニー銅貨のいかなるものについても、通関、陸揚げ、輸入、受取り、流通に、直接にも間接にもかかわらないことを、ここに宣言する。議会両院の上奏からも、その他の事情からも、前記半ペニー銅貨の輸入と流通は、この国を破滅させ、陛下の歳入を損なうものと、私は十分に確信しているからである。

「私は、船荷証券を受け取ったその日に、送り主へ書簡を出して、この決意を知らせ、前記船荷証券も返送した。

「トマス・ハンディ

「ダブリン、一七二四年八月二十九日」。[T・S]

そのうえで、これらの命令を受けた官吏たちには、勧告と議論と雄弁を携えて来て、私たちの破滅に私たちの利益を見いだすよう、説得してもらいましょう。軍人はできれば除いておきたいところですが。ウッドとその仲間には、自分たちの商品を荷車に山と積んで国じゅうを回り、誰が引き取ってくれるか試してもらいましょう。強盗に遭う心配はありません。追い剥ぎも、そんなものには触れるのさえばかばかしいと思うでしょうから。

私がただ気がかりなのは、この局面で歳入委員たちがどうするかということです。聞けば、陛下の関税の支払いには、議会制定法によって金貨と銀貨以外は受け取れないということですから、自分たちで受け取るつもりがないのに、このウッド氏の貨幣をほかの人々に差し出すのは、正当ではないと思います。

話をすべてまとめれば、こうです。「委員会は国王に対し、ウッドの貨幣が、それを受け取る意思のある者によって、妨害、訴訟、煩擾等を受けることなく、通用貨幣として流通し、受け取られることを容認し許可するよう、当地の全官吏へ直ちに命令を送ることを進言する」。最初の、自ら進んで受け取る人々は、おそらく、望むと望まないとにかかわらず、少なくとも職を失う覚悟がなければ受け取らざるを得ない人々でしょう。しかし、独立した地主たち、商人たち、商店主たち、そして国民の大部分は、決して受け取らないと、私は願い、ほとんど確信しています。すると結果はどうなるでしょう。持ち主は、取れるだけの値段でそれを売り払います。ウッドの半ペニー銅貨は、一ペニーにつき六枚で売りに出されるようになり、それでもなお、彼には十分な利益があります。そして、受け取らざるを得ない人々は、俸給や給金の三分の二を失うのです。

このことから、私は何年も前、イングランドで聞いた出来事を思い出します。レスターの四季裁判所で、治安判事たちが賢明にも、エールの値段を一クォート当たり半ペニー下げることに決めました。決定が済んでから来た一人が、その経緯を聞いて、こう言いました。「皆さん、わが地方のエールを一クォート一ペニー半で売れという命令を出されたのですな。では、今度は誰が飲まなければならないのか、もう一つ命令を出していただきたい。神――に誓って、私は飲まんから」。[21]

注 21

次に掲げる一枚刷りは、スウィフトに帰されているが、おそらくシェリダンの作であり、スウィフトの論点をさらに面白く例証している。印刷はジョン・ハーディングによる。

「ウッド氏の半ペニーおよびファージング銅貨等に関し、先ごろ発表された、国王陛下の最も名誉ある枢密院の貴族委員会報告を機として、印刷人ハーディング氏に宛てた、もう一通の書簡。

「ハーディング様――この書簡もあなたに宛てていますが、王国全体の利益のためのものだということは、ご存じのとおりです。ですから、公表し、広く行き渡るようお取り計らいください。

「その目的はただ、すべての人に、次のことを心に留めてほしいというものです。ウッド氏の半ペニーおよびファージング銅貨に関する前記の報告によって、一部の人がどのような不安を抱いているように見えても、名誉ある委員会が陛下に差し上げるのを適当とした助言は、最大限に解しても、前記の半ペニーおよびファージング銅貨の一定額を、それを受け取る意思のある者が、通用貨幣として受け取ってよいということにすぎません。そして、自分と祖国を進んで破滅させるのなら、私たちは憐れんでもらう筋合いもないと思います。

「この機会に、私はただ、同国の人々に短い話を一つしたいのです。

「スコットランド訛りのきつい、あるグレートブリテンの国王は、自ら機知に富んだ人で、面白い話を聞くのも話すのも好きでした。あるとき、この国王に一通の請願が差し出されました。請願者は自分の功績を並べたうえで、自分に一シリングを与える意思のある臣民すべてから、その額を受け取る特許状を賜りたいと、謹んで陛下にお願いしたのです。「ほんに、まことにもっともな請願じゃ」と国王は言いました。「皆、そなたに二シリング与えるがよい、そうしたいというならな。そなたは自由に受け取ってよいぞ」。「ですが」と請願者は言いました。「特許状には、次の条項を入れていただきたいのです。私に一シリングを与えるのを拒む者は、皆、ウェストミンスターの法廷に出頭し、なぜ拒むのか、理由を示すべきものとする、と」。「それも許そう」と国王は言いました。「ただし常に、本人が出てきたいと思う場合に限る、という条件付きじゃ」。

「敬具、云々。

「ミソクシュロス」

貴族ならびに郷紳の皆様には、一点、あえてご注意を申し上げなければなりません。ウッドは、ありがたくも、王国の必要が残りを求めるまでは、今のところ自分の貨幣を四万ポンド分だけ私たちに背負わせると約束しました。皆様の必要を判断する役を、決してウッド氏に任せないでいただきたいのです。王国内に金貨か銀貨が一枚でも残っていれば、彼はそれを必要だと言い、できるだけ早く、ひそかに現在の量を倍にしても、なお残りを出す余地を持ち続けるでしょう。自分で作ったラップ貨や、[22] 偽造貨幣を私たちに注ぎ込むでしょう。フランスもオランダも同じことをし、わが国内の偽造屋たちも引けを取らないでしょう。その証拠に、今私の懐には、彼のものをまねたラップ貨、つまり偽の半ペニー銅貨が一枚あります。ただし出来があまりに悪いので、私は心から、彼自身の鋳造ではないと思っています。

編者注 22

Rapという語は、おそらくrapareeの短縮形で、アイルランドで小額の銅貨として通用した代用貨幣に与えられた名である。一般には粗悪な貨幣を指したので、粗悪な国民と見なし得るrapareeと関連するのかもしれない。ラパリーたちは、その携帯するrapary、すなわち短槍にちなんでそう呼ばれた。[T・S]

ここで、貴族ならびに郷紳の皆様には、この長く、まとまりのない文章を、どうか大目に見ていただきたいと思います。何度も同じことを繰り返してしまいましたが、急いでいたところへ新しい考えが浮かび、先に述べたことに何かを付け加えたためです。私は、「報告」のすべての段落に十分な答えをしたと、言ってよいと思います。「報告」は決して拙く書かれてはおらず、自分の依頼人を弁護するために、いかにももっともらしい論点を見つけ出す弁護士の精神に徹していますが、その中に数多くある誤りを見抜くのに、大した手腕は要りませんでした。ただし、その誤りは、名誉ある委員会の責任では決してなく、ウッドとその仲間たちの、まったく虚偽で、厚かましく、欺瞞に満ちた説明のせいです。もう何度も述べましたが、一つの点を心に刻んでいただきたいのです。先例をあれほど重視したにもかかわらず、「報告」全体に、アイルランドで通用させる銅貨をイングランドで鋳造する特許状の先例は、一つも示されていません。言及されているのは、ただ二つの特許状であり、実際それ以上はなかったのですが、どちらも当地の国王の枢密院への照会を経て、アイルランドで発給されたものです。どちらもウッドのものほど鋳造者に有利ではなく、どちらも、請求のたびに貨幣を引き取り、その代わりに金銀を渡す担保が差し入れられていました。これで、ウッドのこの上なく甚だしい虚偽と厚顔無恥が明らかになります。彼は、自分の違法で法外な利益のために、名誉ある委員会を道具にして、まるで違う扱いを受けるに値する一王国を、破滅させようとしているのです。

私が引き受けたような仕事には、私よりはるかに優れた書き手が取り組むのがふさわしかったことは、十分承知しています。しかし、家に泥棒が入ろうとすると、家族でいちばん弱い者が、真っ先に戸を押さえに走ることも、よくあるのです。私が受けた助けは、ある優れた人物からいただいた、いくらかの情報だけでした。[23] その一部は、自分の書いたものに調子を合わせようとして、かえって損なってしまったのではないかと心配していますし、残りは使いこなせませんでした。私はサウルの鎧を着て動けなかったダビデのようなもので、そのため、むしろこの「割礼を受けぬペリシテ人――ウッドのことです――を、石投げと石で」攻撃する道を選んだのです。そして、ウッドと私の双方の名誉のために申せば、今の話にぴったり当てはまる多くの点で、彼はゴリアテに似ています。ゴリアテは、「頭に真鍮の兜をかぶり、鎖帷子を身に着け、その鎧の重さは真鍮五千シェケルであり、脚には真鍮の脛当てを着け、肩の間には真鍮の小盾を負って」いたからです。つまり彼はウッド氏のように、全身が真鍮、厚顔そのものでした。そして「生ける神の軍勢を侮った」のです。ゴリアテの申し出た勝負の条件も、ウッドと同じでした。「彼が我々に勝てば、我々はその僕となろう」。しかし、もし私が彼に勝ったなら、私はこの条件のもう一方を放棄します。彼を私の僕にすることは、決してありません。誠実な人の店で仕事を任せられる男とは、思わないからです。

編者注 23

ダブリンの法律家ロバート・リンジー氏が、『ドレイピア書簡』で取り上げられた法律上の論点について、スウィフトを助けた。スウィフトがゴーマンという人物に関する案件を相談した弁護士リンジー氏とは、この人である(スコット版、第十九巻、二九四頁参照)。印刷人ハーディングを放免した大陪審に対するウィットシェッド首席裁判官の振舞いを問題として、同裁判官に宛てられた二通の書簡は、リンジー氏の作とされている(スコット版、第六巻、四六七頁参照)。[T・S]

結びに、第二の書簡で述べた、私のささやかな願いとお願いを、もう一度申し上げます。貴族ならびに郷紳の皆様には、ウッドの半ペニーまたはファージング銅貨を決して受け取らず、流通させないという固い決意を、この上なく強い言葉で表し、小作人にも受取りを禁じる宣言書を、作成するよう命じていただきたいのです。そして、この王国内に領地を持つ、できるだけ多くの人々に、その宣言書へ署名していただき、それぞれの前記小作人のもとへ送り届けていただきたいのです。[24]

編者注 24

この要望に従った宣言は、まもなく王国の最も有力な人々によって署名され、あまねく広まって、大いに役立った。[F]

「市の合同参事会に集まった、ダブリン市の市長、シェリフ、市民代表および市民による謹んでの請願」は、一七二四年九月八日、一枚刷りとして発行された。付録第九も参照。[T・S]

また、ウッドの半ペニー銅貨への恐れが、次の四季裁判所の開廷まで続くようなら――そうならないことを願いますが――各州の郷紳の皆様には、一致と熱意をもって反対を表明する、よい機会が得られるでしょう。

貴族ならびに郷紳の皆様、
この上ない敬意をもって、
皆様に最も忠実にお仕えする、
従順なる僕
M・B

一七二四年八月二十五日。

第四書簡 アイルランド全国民への書簡。

書簡本文

アイルランドの
すべての人々への
書簡

M・B・ドレイピア著
『商店主その他の皆様への書簡』の著者

ダブリン
フィッシャンブル通り、モールズワース・コートの
ジョン・ハーディング印刷

親愛なる同国の皆様、

ウッド氏とその半ペニー銅貨という、これほど不愉快な問題について、すでに三通の書簡を書いたので、私の務めも終わったと思っていました。ところが、弱った体質には、自然の身体であれ政治の身体であれ、気付け薬をたびたび施さなければならないようです。長く苦難に慣れた国民は、次第に自由という観念そのものを失い、自分たちを情けにすがるほかない生き物と思い、強い手から押しつけられるものは何でも、「報告」の言葉を借りれば、合法で拘束力があると見なすようになります。そこから、個人にも劣らず一王国も陥り得る、あの心の貧しさと卑屈さが生じるのです。そしてエサウが、疲れ果て、今にも死にそうになって野から帰ってきたとき、一椀の煮物で長子の権利を売ったのも、不思議ではありません。

この貨幣を差し出されたとき、どのような方法で安全に対処できるかは、教えを必要とするすべての人に、十分示したつもりでした。そして、この忌まわしい詐欺に反対する今のわが王国ほど、重大な一点について固く団結した王国の例は、幾世代もなかったと思います。それでも、盛んに流される噂によって、気の弱い人々が再びおびえ始めています。ウッドは、ロンドンの新聞屋たちに、何を書くべきか指図しています。名もない印刷屋が当地で出した新聞の一つに、おそらくろくでもない意図から、「アイルランドの教皇派が、彼の貨幣に反対する同盟を結んだ」とあります。しかし、教皇派がこの問題で一度たりとも動こうとしなかったことは、周知の事実です。こうして、議会両院、枢密院、多数の自治団体、ダブリンの市長と市参事会員たち、各地の大陪審や有力な郷紳たちが、一括して「教皇派」の名で汚名を着せられているのです。

この詐欺師とその一味はまた、私たちが、彼の金属くずを正貨として受け取るのを拒むことによって、「国王の大権を争い、反乱を起こす機が熟し、アイルランドのイングランド王権への従属を振り払おうとしている」と言いふらしています。この噂にもっともらしさを添えるため、彼は別の新聞に一段の記事を載せ、「総督は、彼の半ペニー銅貨の問題を片づけるため、直ちに渡海するよう命じられた」と、私たちに知らせたのです。

親愛なる同国の皆様、こうした噂やその類については、ほんの少しも気にかけないでいただきたいのです。それは、生きたまま解剖された犬の、最後の遠吠えにすぎません。彼が十分に解剖されたことを、私は願っています。このような中傷こそ、彼に残された最後の手なのです。一人の無名の金物商に、持っているものを残らず奪わせないからといって、私たちの変わらぬ、ほとんど類例のない忠節が疑われることなど、あるはずがありません。

国王の大権を争うという点については、大権という言葉の意味を、知らない方々のために説明させてください。

これらの王国の国王には、法律が立ち入っていないいくつかの権限があります。たとえば、議会の同意なしに戦争と講和を行うことができ、これは非常に大きな大権です。しかし、議会が戦争を承認しなければ、国王は自分の財布からその費用を出さなければならず、これも王権に対する同じくらい大きな歯止めです。同様に、国王には議会の同意なしに貨幣を鋳造する大権があります。しかし、それが正規の金貨または銀貨でなければ、臣民に受取りを強制することはできません。この点では法律によって制限されているからです。確かに、法律の許す範囲を超えて大権を広げた君主もいました。しかし、後世の法律家は、いかに先例好きでも、その点をあえて正当化しようとはしませんでした。ですが、本当のところ、大権の範囲が定められ、明確になったのは、ほんの近ごろのことです。イングランドの歴史を読めば、昔の国王の中には、しかも決して最悪ではない国王たちが、さまざまな機会に、ほとんど遠慮もためらいもなく、法律を押さえつけることを敢行したと分かるでしょう。エリザベス女王の時代より後でさえ、そうでした。女王の治世には、粗悪な貨幣を当地へ送るという有害な進言のため、危うく王国を失うところまでいき、総督代理、枢密院、当地のイングランド人全体から苦情が出ました。[5] そのため、女王の死後まもなく、後継者によってその貨幣は回収され、代わりに適法な貨幣が支払われたのです。

編者注 5

スウィフトの述べることを十分に裏づける記述は、モリスン『旅行記』(第二部、九〇、一九六、二六二頁)を参照。[T・S]

これで、国王の「大権」というものが何を意味するか、一商人に説明できる範囲ではありますが、多少お分かりいただけたと思います。あとは、偉大なベーコン卿の意見を付け加えるだけにしましょう。「神は、自ら定めた不変の自然法則によって世界を治め、きわめて重大な場合のほかは、その法則を超えることはない。それと同じく、地上の君主の中で最も賢明かつ善良なのは、国の周知の法律によって統治し、大権を用いることが最も少ない君主である」。[6]

編者注 6

引用符の中の言葉は、正確な引用というより、記憶によるものと思われる。この文のままでは、ベーコンの著作中に見いだせなかった。しかし、世界が自然法則に従って規則的に統治されることと、その法則が例外的に破られることとの対比は、ベーコンの『信仰告白』に述べられており、大権を無理に拡張する危険は、「帝国について」の随筆で説かれている。貨幣鋳造についてスウィフトが大権に設ける制限を、ベーコンが支持していないことは確かである。[クレイク]

さて、これでお分かりのとおり、自分の真鍮を拒む私たちを「国王の大権を争う」と責める、ウッドとその仲間たちの卑劣な告発には、何の根拠もありません。正貨でない貨幣を臣民に無理に受け取らせることは、国王の大権に含まれないからです。そして、もし含まれるのであれば、私たちは陛下の国民の中で、最後までそれを争おうとはしない者となると、私は固く信じています。それは、これまで陛下に尽くしてきた揺るがぬ忠節のためでもあり、また、私たちには常識も五感もないと考えているらしい人々から、その場合に当然予想される扱いのためでもあります。しかし、ありがたいことに、彼らはその最上の者でさえ、私たちと同じ臣民にすぎず、私たちの主人ではありません。私たちには、イングランド生まれの者には決して主張できない、一つの大きな功績があることは確かです。それは、私たちの祖先がこの王国をイングランドに服従させたことです。その報いとして私たちに与えられたのは、より悪い気候、自分たちが同意しない法律で統治される特権、荒廃した貿易、裁判権のない貴族院、ほとんどあらゆる官職に就くことができない立場、そしてウッドの半ペニー銅貨への恐れなのです。

しかし、私たちは鋳造についての国王の大権を争うどころか、国王には、どんな材料にでもお望みのままにその肖像と銘を付ける特許状を誰にでも与え、特許権者にはそれをイングランドから日本まで、どの国ででも差し出す自由を認める権限があると、承認しています。ただ一つ、小さな制限が付くのです。生きている者は誰一人、それを受け取る義務はない、ということです。

このように考えて、私は、今まさに降りかかろうとしている害悪から救われるためにイングランドへ頼ることには、常に反対してきました。とりわけ、両院の上奏が、長く待たされたすえ、ウッドを全面的に支持する「報告」しか生まなかったのを見てからは、そうです。私は前の書簡でその「報告」について若干の考察を述べましたが、少なくとも同じくらい多くを、さらに述べることもできました。私が見たことのある中でも、これほど風変わりな性質の文書はないからです。

しかし、私は間違えました。この「報告」が作られる前に、貴族院に対する陛下のこの上なく恵み深い御返答が送られ、印刷されていたのです。そこには、「歴代の先王の慣行に従い、半ペニーおよびファージング銅貨鋳造の特許状を与える、云々」という言葉があります。チャールズ二世とジェームズ二世が、しかもこの二人だけが、この目的の特許状を与えたことは争えず、私は詳しく示しました。その特許状は、アイルランドへの照会を経て、アイルランドの国璽のもとに発給され、銅貨はアイルランドで鋳造することとされ、特許権者は、請求があればアイルランドで自分の貨幣を引き取り、その代わりに金銀を支払う義務を負っていました。ウッドの特許状は、イングランドの国璽のもとに作られ、真鍮貨はイングランドで鋳造され、アイルランドにはまったく照会されず、額は莫大で、特許権者には、それを引き取って良貨を渡す義務はありません。このことを申し上げるのは、陛下のこの上なく恵み深い御返答に、「歴代の先王の慣行に従い」という言葉を記した人が、私の浅い考えでは相違を生むように見えるこうした事情を、一つ一つ十分検討したのだろうかと、ひそかに疑問を抱くことがあるからです。

さて、一部の人々の不安を引き起こしているもう一つの大きな原因について、少し述べさせてください。ウッドがロンドンの新聞記者に書かせた表現によれば、「総督閣下は、ウッドの半ペニー銅貨の問題を片づけるために渡ってこられる」ということです。

ここ数年の総督たちは、国王の御用に絶対必要な期間を超えて、この王国に住まう栄誉を与えようとはなさらず、したがって御用の処理にも速度が欠けなかったことを、私たちはよく知っています。そのため、新任の統治者が普通でない時期に来るからには、何か普通でない仕事をする前触れに違いないという考えが、自然と多くの人の頭に浮かびました。とりわけ、いつまでか私の知らない日まで停会となっている議会が、その停会を取り消す新たな召集令によって、総督の到着後まもなく集まるという、世間の噂が本当なら、なおさらです。この異例の手続については、海の向こうの法律家たちが、まことに幸運にも、二つの先例を見つけたそうです。

これらをすべて認めてもなお、ウッドのようなつまらぬ者が、国王と大臣たちにそれほど信用され、自分の使いとしてアイルランド総督を大急ぎで当地へ送り込ませることができるとは、私にはどうしても考えられません。

というのも、一部の人々が加える、私たちには関係のない微妙な理屈を取り除き、目の前にある問題全体を、ありのままに見てみましょう。虚偽の申し立てに基づき、イングランドの国璽のもとで、ウィリアム・ウッドという者に、アイルランド向け半ペニー銅貨の鋳造特許状が与えられます。当地の議会は、その特許状から最悪の結果が生じると危惧し、取り消してほしいと国王に上奏します。これは拒否され、枢密院の一委員会が陛下に、ウッドは特許状の条件を履行したと報告します。そこで彼は、半ペニー銅貨をできるだけうまく処分するよう、自分に任されます。誰にもそれを受け取る義務はありません。当地の国民も同じく自分たちに任され、一人の人のように団結して、彼の商品とはいっさいかかわらないと決意します。この簡明な事実の説明から明らかなのは、国王と政府は、この件から完全に離れ、問題は彼と私たちとの間で争われるよう残されている、ということです。それなのに、最も忠実な王国を破滅させ、一人のいかさま師の懐に十万ポンドを入れるためだけに、総督が通常の時期より早く、大急ぎで派遣され、停会期限を繰り上げて議会が召集されるのだと、私を説得しようとする人がいるのでしょうか。

しかし、それがすべて本当だとしましょう。総督は、どのような議論によって、この害悪にあれほど熱心かつ真剣に反対の上奏をした同じ議会を説得し、それを法律として成立させられるのでしょうか。前回の停会以来、ウッドとその計画に対する議会の評価がよくなっていないことは、確かです。そして、悪口を言う人たちが、ときには票を得るために用いられてきたと語る手段が使われるとしても、この王国には与えるべき官職が少なく、仮にもっとあったとしても、それが誰の取り分になるかは、同じくよく知られています。

しかし皆様の多くは、祖国の事情をまるでご存じないので、この王国で振り分けられる官職がなぜこれほど少ないのか、その理由をいくつかお話ししましょう。当地の重要な終身官職はすべて、後継権を与えられた人々が握っています。そしてそれは、たいてい最高統治官の取り巻きか、イングランドの宮廷に引きのある人々でした。たとえば、ストラットンのバークリー卿は、[7] 記録長官という大きな官職を持ち、パーマーズタウン卿は、[8] 年ほぼ二千ポンドになる首席記録官です。ドディントンなる者は、[9] ペンブルック伯爵の[10] 秘書であり、 年二千五百ポンドになる財務府出納簿書記の後継権をねだって得て、今ではニュートン卿の死により、その職を享受しています。サウスウェル氏は国務長官であり、[11] バーリントン伯爵は、[12] 世襲によりアイルランドの大蔵卿です。これは、私が聞いたものの覚えていられない多数の例の中の、ほんの一部にすぎません。それどころか、君主の意向次第で在職するいくつかの官職まで、同じ方法で後継権が与えられています。これもまた、アイルランド王国を地上のほかのあらゆる国々から区別する、多くの事情の一つであって、文官の職に就くことを非常に困難にしています。そのため、アディソン氏は、バーミンガム塔記録管理官という年十ポンドの古びた無名の官職を買い取り、それに四百ポンドの俸給を付けてもらわなければなりませんでした。[13] そこにある記録を全部合わせても、珍しさからいっても、実用からいっても、半クラウンの価値さえないというのにです。また近ごろ、寵愛されたある秘書が、祝典監督官に身を落とすのを、私たちは見ました。彼は引きと強要によって、その職をかなりの実入りのあるものにしました。[14] 年およそ八千ポンドになる財務次官の職や、通常は四人がイングランドに住んでいる歳入委員については、何も言いません。これらには後継権が与えられていないと思うからです。しかし、その本性を試すものとして、こうした不在官吏の中には、アイルランドから一グロートの恩恵も受けたことがないかのように、機会があれば激しくその利益に反対する者がいることを、私は知っています。

編者注 7

バークリーは、一七一〇―一七一四年のハーリー政権の少数中枢の一人であった。ジョン・テンプル卿の娘を妻としていた。スウィフトにこれほど嫌われた人物とのつながりが、ここに彼の名が挙げられた理由かもしれない。[T・S]

編者注 8

初代パーマストン子爵ヘンリー・テンプルであり、スウィフトはのちに彼と不愉快な書簡のやり取りをすることになる。パーマストンが、ルーク・キングとともに、両者の生存中を任期として、アイルランド財務裁判所の首席記録官に任命された一六八〇年九月二十一日には、まだ七歳を超えてはいなかったはずである。キングは一七一六年に死んだが、任命はパーマストンとその息子ヘンリーの終身職として更新された。一七二二/二三年三月、彼はマウント・テンプルのテンプル男爵、およびパーマストンのパーマストン子爵として貴族に列せられた。チャールズ・ハンベリー・ウィリアムズ卿は、彼を「小柄な尻広パーマストン」と呼んだ。一七五七年没。[T・S]

編者注 9

ジョージ・バブ(一六九一―一七六二)は、一七〇九年、ウォートンの総督在任中、首席秘書官を務めた。一七二〇年に伯父が死去すると、ドディントンの姓を名乗った。[T・S]

編者注 10

第八代ペンブルック伯爵トマス・ハーバート(一六五六―一七三三)は、ウォートン伯爵の前任のアイルランド総督であった。歴史上、高い評価を受けており、ウィリアムとメアリー、アン、ジョージ一世、ジョージ二世という、続く四回の戴冠式で、剣を捧持する役を務めた。トーリーでありながら、マコーリーさえ、ペンブルックの気品と寛大さを認めている。[T・S]

編者注 11

前の注でモンク・メイソンから引用した、キング大主教の書簡の宛先、エドワード・サウスウェルである。外交官で、ウィリアム・テンプル卿の友人でもあったロバート・サウスウェル卿の息子である。スウィフトはテンプル卿からの紹介状を携え、書記の職を求めてロバート卿を訪ねた。一七二〇年六月、エドワード・サウスウェルは秘書官としての俸給を三百ポンド増額され、同年七月、その官職は彼とその息子の終身職として与えられた。サウスウェル家が初めてアイルランドに来たのは、ジェームズ一世の治世、マンスター植民の時代であった。[T・S]

編者注 12

第三代バーリントン伯爵(ヨークシャーのブリドリントン伯爵ともいう)および第四代コーク伯爵リチャード・ボイル(一六九五―一七五三)は、一七一五年八月、アイルランド大蔵卿に任命された。その曾祖父、初代コーク伯爵も、一六三一年に同じ官職を務めていた。ヨークシャー西ライディングの統監、および北・西ライディングの治安判事名簿管理官の職も、この家に世襲されていたようである。第三代伯爵は建築を好み、バーリントン・ハウスの建て直しに莫大な金額を費やした。この建物は、ホガースやハーヴィー卿から、遠慮なく風刺された。しかし、その好みは実用よりも装飾に向かっていたようであり、それを満たすために深刻な財政難に陥り、アイルランドの領地の一部を売らざるを得なかった。スウィフトは、「バーリントン卿は今、アイルランドで年九千ポンドになるものを、一口で二十万ポンドで売ろうとしている。それで借金を払わねばならないのだ」と記している(スコット版、一八一四年、第十九巻、一二九頁)。[T・S]

編者注 13

この官職は、一七〇九年にアディソンがアイルランド総督ウォートン伯爵の秘書官に任命された際、彼のために見つけられたものである。ティッケルは、そのアディソン作品集の序文で、この職はアン女王の特別な寵愛のしるしとしてアディソンに与えられたと述べている。バーミンガム塔は、記録を保管していたダブリン城の一部分であった。[T・S]

編者注 14

グラフトン公の秘書ホプキンズ氏。この人物が祝典監督官として俳優たちに行った取り立ては、二篇の風刺詩の題材となっている。[S]

これは、ロンドンデリー主教の次男ジョン・ホプキンズかもしれない。彼はグラフトン公爵夫人に献呈した『アメイジア』の著者であった。[T・S]

白状すると、私はときどき、ウッドのこの計画が成功してほしいと思いたくなったことがあります。というのも、貴族や郷紳、男女の年金受給者、文武の官吏など、何と愉快な一団が海を渡って私たちのところへやってくることだろうと、多少の楽しみをもって考えたからです。そうすれば、私たちは一緒になって、乞食のように陽気で親しみ深く暮らせるでしょう。ただし一つ難点があります。鎖帷子を着て跳ね回ったり、ダチョウが鉄を食べるように真鍮を食べたりして満足できない限り、食べる肉も、着るための製品も、なくなることです。

この脱線から、そのきっかけとなった話へ戻りましょう。アイルランド議会が、キリスト教世界から一マイル以内のどんな議会にも劣らず誘惑に弱かったとしても――神よ、そうならないように――工作をする連中は、使う道具がないために必ず失敗するということが、もうお分かりいただけたと思います。しかし、私はさらに一歩進んで、従う者たちに報いるためだけに、百の新しい官職が設けられたと仮定してみましょう。それでもなお、克服できない困難が残ります。どういうわけか、金はホイッグでもトーリーでもなく、宮廷派でも地方派でもないからです。ある紳士が、金銀を生む自分の領地だけで暮らすことを、官職を加えても、地代も俸給も八十パーセント以上値下がりするウッドの真鍮で払われなければならない暮らしより、むしろ選ぶというのは、十分あり得ることです。

これらの理由、そしてほかの多くの理由から、総督の急な到来が見込まれることを、[15] 皆様はほんの少しも恐れる必要がないと、私は確信しています。今の私たちの真剣な決意が続く限り、それを変えさせるほどの誘惑は、どうしても差し出しようがないからです。そして、最も確かな権威に基づいて私がたびたび主張したとおり、正貨以外の貨幣を臣民に強制する権限が、法律によって王権に認められていないのなら、王権がそのような権限をほかの者に委ねることは、なおさらできません。

編者注 15

カータレット卿、のちのグランヴィル伯爵。本スウィフト作品集第七巻の「カータレット卿の弁護」の注を参照。[T・S]

私は、カータレット総督閣下の御身と地位に、この上ない敬意をもってこう申し上げています。その人物については、閣下が初めて世に出られたころから知っている、ある紳士から伺いました。その紳士によれば、閣下は多くの才能と優れた学識を備え、生活は規律正しく、気概と活気に富む若い貴族だということでした。その後は、聞くところによると、海外で職務を務め、国務長官となり、今、三十七歳ほどでアイルランド総督に任じられています。このような統治者であれば、これほど多くの不利な条件のもとでも、この王国が受け取り得る限りの繁栄をもたらしてくださると、期待してよいでしょう。[16]

編者注 16

カータレットはスウィフトの古い友人であった。一七二四年四月、伯爵が総督に任命されると、スウィフトはウッドの半ペニー銅貨の問題について書簡を送り、「昔からの謙虚な僕であり、常に敬愛してきた者」の自由を許してほしいとして、ウッド氏の特許状について人々が抱いている不安を知らせた。「また、閣下が十分に事情をお知りになれば、その正義感と、虐げられた国民への同情によって、人々を救済するために御威光をお使いにならずにはいられまいと、誰も疑ってはおりません」と、彼は書いた。スウィフトは一か月以上待ったが、返事がなかったので、二通目を送った。ヘンリー・クレイク卿が、正当に「この種の手紙の傑作」と評したものである。内容は次のとおり。

「一七二四年六月九日。

「閣下、

「この王国の幸福に深くかかわる問題について、私が大胆にも閣下に書簡を差し上げてから、一か月余りが過ぎました。

「当地の数名の有力な方々の御希望により、書いたものです。その方々は、私が閣下によく知られている栄誉に浴していることを、当然ご承知でした。

「閣下には、下級書記のお一人に、書簡を受け取った旨を私へ知らせるくらいには、御身を低くしていただきたかったものです。

「私は長く世間を離れておりますが、その中にいたころ、付き合っていた人々の間で何が普通に行われていたかを、忘れたわけではありません。そして、長年の経験と、政情の幾多の変化を通じて申せるのは、閣下と、閣下とは比較するにも値しないもう一人だけが、用件や党派や地位の高低を問わず、私からの書簡に返答することを拒んだ、唯一の高位の方々だということです。閣下のお人柄に特別な敬意を抱いていなければ、このような苦情を申し上げる自分を、ずいぶん卑しい役を演じていると思ったことでしょう。

「私は、権力の座にある人々と知り合いだというだけで得意になるほど、へりくだったことは一度もなく、呼ばれないときは、むしろその付き合いを避けることにしてきました。また、本人の値打ちがなければ、その権力や称号だけで、私に親交を求めさせることはできませんでした。このことの証人は、時の巡り合わせや、人、政策、意見の変化によって、ずいぶん多くが失われたあとでも、まだ十分に残っています。

「閣下が新しい高位に就かれるたびに、御自身についてのお考えがどう変わるのか、私には分かりません。しかし私の考えは、同じままであるか、悪いほうへ変わるかの、どちらかでなければなりません。

「私は、閣下もよく御存じのある偉大な大臣に、権力と地位のあらゆる昇進を通じて同じ人物であり続けるからこそ、尊敬するのだと、よく申し上げました。閣下にも同じことを期待しておりましたし、そうではないと気づく者が、私一人で終わるよう、今も願っております。

「閣下のあらゆる善い事業、とりわけこの王国の統治において、神の御導きがありますよう、お祈りいたします。

「これ以上、お煩わせはいたしません。閣下に深い敬意を捧げつつ、

「閣下に最も従順な、

「最も謙虚な僕、

「ジョナサン・スウィフト」

この書簡に対して、カータレットは直ちに返事を寄こし、沈黙していたのは自分が悪かったと認め、それによってスウィフトの友情を失ってはいないと信じたいと述べた。ウッド氏の特許状については、目下調査中であり、「それが終わるまでは、国民全体に見られる一般的な反感によって自然に導かれる判断以外には、この件について判断を下すのに十分な情報を得ていません」と述べた。スウィフトは魅力的な調子で返事をし、自分の叱責を、年を取って気難しくなったためだと、巧みに取り繕った。閣下は自分をへこませてしまったのだという。「それゆえ私は、これほど気難しく、これほど取るに足りぬ者を、これほど容易に征服できたあなたなら、まもなくこの王国全体を従わせて、あなたを愛し敬うようにするだろうと予言します」(スコット版、一八二四年、第十六巻、四三〇―四三五頁)。[T・S]

確かに、人々の記憶の届く時代にも、在職者への影響力を使い、ほかの人々を誓いの言葉や愛想のよさ、さらには晩餐によって操り、あるいは欺く術を使って、この王国に恐ろしい結果をもたらす事柄を押し通すほど、手腕に富んだ統治者はいました。もしそのころ、ウッドの真鍮が金床に載っていたなら、どんな手段が採られたかは、容易に想像できます。地位に頼る人々には、はっきりと、それは「彼らに期待される奉仕であり、果たさなければ、公務はもっと従順な者の手に渡される」と告げられたでしょう。ほかの人々は約束で釣られるでしょう。地方の郷紳には、甘い言葉に加えて、ブルゴーニュ酒と内密の会談です。おそらく、「強制ではないとはいえ、国王の特許状に従えば、いかに喜ばれるか」、不都合が生じても、「後日、ほかの恩恵や厚遇で」埋め合わせられるかもしれない、とほのめかされたことでしょう。「イングランドの機嫌を損ねることが、賢明で安全かどうかを、紳士たちは考えるべきだ」と言われたでしょう。「貿易を奨励し、貧民に仕事を与えるよい法案、教皇派に対する追加の法律、プロテスタントを団結させる法律を考えてほしい」と頼まれたでしょう。「彼の貨幣で四万ポンドを超えて悩まされることは決してなく、それもすべて最良で最も重い種類であり、その交換には製品を渡すだけで、金銀は国内にとどめられる」と、厳粛な約束がされたでしょう。ことによると、公的な手続上の障害を取り除くのに大いに役立つ、「侵略に関する時宜を得た噂が、最も適切な時機に流され」、「王国が危険にあるとき、いざこざを起こす時ではない」と、私たちは言われたかもしれません。

つまり、腐敗した時代には、この真鍮の洪水を私たちの間に流れ込ませるため、これらやその類の方法が採られたでしょう。しかし私は、そのころでさえ成功しなかったと確信しています。まして、カータレット卿ほど優れた人物の統治のもとでは、なおさらです。しかもこの国では、あらゆる身分、党派、宗派の人々が、一人残らず確信しているのです。あの呪わしい貨幣を受け入れる日が、自分たちと子孫の永遠の完全な破滅の始まりになること、ひとたび入り込めば、疫病を数家族にとどめておけないのと同様に、小量やほどほどの量に限ることはできないこと、そして死骸を気付け薬で生き返らせられないのと同様、地上のどの権力にも、それに見合う代償は与えられないことを。

ウッド氏へのこの全国的な反対には、一つ心強い事情があります。聖職、文官、武官の空席を埋めるためイングランドから送り込まれた人々が、皆、私たちの味方だということです。世界を大きく分かつ金が、奇妙な逆転によって、この上なく分裂した国民を大いに団結させるものとなりました。自由な国イングランドでの年百ポンドを捨て、アイルランドでウッドの金庫から千ポンド払ってもらおうとする者が、いるでしょうか。最近、首座大主教にされた方は、[17] イングランドの貴族院の議席と、年千二百ポンドになるオックスフォードとブリストルの聖職を捨てて、当地で額面は四倍でも、価値は半分にもならないものを受け取ろうとは、なさらないでしょう。ですから私は、この件については、その方もほかの主教たちに劣らず、さらにはこの島に生まれるという不運に遭った私たちにさえ劣らず、立派なアイルランド人になると聞くのを期待しています。普通の言い方でいって、「言葉を習いにここへ来る」のではない人々なら、金の代わりに真鍮を受け取るために、よい国を悪い国に換えようとは、決してしないでしょうから。

編者注 17

ヒュー・ボールター(一六七二―一七四二)は、一七二四年八月三十一日、アーマー大主教に任命された。オックスフォードのモードリン・カレッジのフェローを務め、一七一九年にはハノーファーで国王の礼拝付き牧師を務めた。同年、ブリストル主教、およびオックスフォードのクライスト・チャーチ首席司祭に昇進した。アイルランド首座大主教への任命は、アイルランドをイングランドから統治するというウォルポールの計画に沿ったものであった。ウォルポールはカータレットを好まず、自分の政策を支える力や意思があるとも信じていなかった。実際、カータレットがアイルランドに送られたのは、邪魔を除くためだった。彼は名目上の統治者であり、真の統治者は、新任の首座大主教を通じて働くウォルポールだったのである。ボールターに与えられた指示は、彼が目的を遂げたやり方から推し量れる。強固な性格と尽きぬ精力を備えたボールターは、ウォルポールの人選が正しかったことを示す仕方で仕事に取りかかった。アイルランドで起こった重要な出来事、在職者個々についての興味ある事実、疑われている、あるいは疑わしい人物の動静は、一つとして彼の監視を免れなかった。その書簡は、イングランド人が、イングランドの利益のために、アイルランドの諸事をイングランド政府によって治めることへの、衰えぬ熱意を証し立てている。その粘り強さには、障害というものがなかった。彼はあらゆる困難に逆らい、執拗でありながら有能なやり方を続け、混沌としたアイルランドの状態から、多少の秩序を築こうとした。しかし、その統治は、アイルランドはもっぱらイングランドの利益のために統治されるべきだという、深い確信から生まれていた。アイルランドを繁栄させ、満足させることができれば、それだけ多くの利益がイングランドにもたらされる。しかし、その繁栄と満足は、アイルランドの制度を守ることとも、アイルランド国民の権利を認めることとも、いっさい関係がなかった。世論に譲ることがあったとしても、それは便宜にかなうか、イングランドの利益に役立つ場合だった。実際に彼がプロテスタントの勅許学校の設立を推進したのも、それがイングランドの権力を強めるからだった。その権力を守るため、彼はローマ・カトリック教徒を法律専門職や司法行政の官職から排除する法律を成立させ、さらに、彼の作った別の法律は、彼らの選挙権を完全に奪った。ボールターは、アイルランド枢密顧問官および統治代行官でもあった。後者の職は、カータレット、ドーセット、デヴォンシャーが総督を務めた時期に保持した。秘書のアンブローズ・フィリップスは、それ以前の一七一八年に発行された『自由思想家』という定期刊行物への寄稿で、彼と関係があった。フィリップスは一七六九年、オックスフォードで出版されたボールターの『書簡集』の刊行を監督した。[T・S]

ウッドとその手先が流すもう一つの中傷は、彼に反対することで、私たちが「イングランド王権への従属を振り払う」意向を示している、というものです。このウィリアム・ウッドが、何という重要人物であり、二つの王国の公益が、彼の私益にどれほど巻き込まれているか、ご覧ください。第一に、彼の貨幣を受け取らない者は、皆、教皇派です。「自分に反対して同盟するのは教皇派ばかりだ」と、本人が言っているからです。第二に、その者たちは「国王の大権を争って」います。第三に、「反乱を起こす機が熟して」います。そして第四に、「イングランド王権への従属を振り払おうとして」います。つまり、「別の国王を選ぼうとしている」ということです。いかに言葉を無理にこじつけようとする人がいても、この表現にそれ以外の意味はないからです。

そこで、これまで何度も胸にこみ上げてきた、もう一つの点を、ご存じない方々のために説明する機会が得られました。イングランドから私たちのところへ渡ってくる人々や、私たち自身の中の気の弱い人々は、私たちが話の中で自由と財産に触れると、いつも首を振って、アイルランドは「従属する王国」だと言います。まるでこの言い方で、アイルランド国民は、イングランド国民とは異なる、ある種の奴隷状態か従属状態にあると、言いたいかのようです。ところが、「従属する王国」は近代の専門用語で、聞くところでは、昔の民法学者や統治を論じた著述家には、まったく知られていません。逆にアイルランドは、いくつかの法律では、神からのみ授けられるものとして、「独立した王権」と呼ばれています。これは、どんな王国にも与え得る最高の呼び名です。したがって、「従属する王国」という表現が意味するのは、当地でヘンリー八世の治世第三十三年に作られた法律により、「国王およびその後継者は、イングランドの独立した王権と結合し、一体となった、この王国の独立した国王となる」ということ、それ以上ではありません。私はイングランドとアイルランドの法令をすべて調べましたが、アイルランドをイングランドに従属させる法律は、イングランドをアイルランドに従属させる法律と同様、一つも見つかりませんでした。確かに私たちは、彼らと同じ国王を持つ義務を自らに課しましたが、したがって彼らにも、私たちと同じ国王を持つ義務があるのです。この法律は私たち自身の議会によって作られたのであり、その当時の祖先たちは、今では法律にも道理にも常識にも何の根拠もなく語られている、正体の分からない従属状態に、自らを置くほど愚かではありませんでした。前の治世にはどうだったにせよ、です。[18]

編者注 18

政府が訴追の根拠として選んだのは、この一節であった。ウォルター・スコット卿が指摘するように、ここには「論争全体の核心と本質が含まれている」。[T・S]

誰がそうでないと考えようと、私、M・B・ドレイピアは、その例外にしていただきたいのです。[19] 私は、神の次には、わが君主たる国王と、自国の法律にのみ依存する、と宣言します。そして、イングランド国民に依存するどころか、もし彼らが私の君主に反逆することがあれば――神よ、それを防ぎたまえ――陛下からの最初の御命令によって、彼らに対して武器を取る用意があります。わが同国人の中に、プレストンで、彼らの同国人を相手にそうした者がいたのと同じです。そして、もしその反乱が成功して、王位僭称者をイングランドの王座に据えるに至ったとしても、私は彼がアイルランドの国王となるのを阻むために、自分の血の最後の一滴を失うところまで、あえて前記の法律に背くでしょう。[20]

編者注 19

「例外にしていただきたい」という言葉をスウィフトが使ったわけを説明する愉快な話については、ドレイピアの第六書簡を参照。[T・S]

編者注 20

この段落は、大いに憤慨を招いた。スウィフトは、第六書簡で再びこれに触れている。ヘンリー・クレイク卿は、その『ジョナサン・スウィフト伝』(第二巻、七四頁)で、この段落と、すでに言及した第六書簡の段落について、鋭い注を付している。ここに転記させていただく。「反対者にジャコバイトの疑いを結びつけることに成功したスウィフトの策略は、ことのほか彼らしい。また、次の書簡で、この段落への異議に応じ、同じくらい相手を困らせかねないほどの服従を、半ば申し出る手腕も、彼らしいものである。それは、ジャコバイトが十分に強くなれば、そのジャコバイトへの服従さえ含む。しかし、彼は自分を縛る言質は与えない。『意地の悪い解釈』を恐れるからである。つまり、彼はイングランド政府を、逃げ道のない二者択一に追い込む。『私はジャコバイトに抵抗すべきなのか。それなら、あなた方のアイルランド従属論はどうなるのか』。あるいは、『イングランドが命ずれば、私はジャコバイトになるべきなのか。それなら、あなた方のプロテスタント王位継承はどうなるのか。それさえも、あなた方が専制したいという欲望に道を譲らなければならないのか』」。[T・S]

確かに、人々の記憶にある時代にも、イングランド議会はときどき、そこで制定した法律によって、この王国を拘束する権限を僭称しました。[21] これには当初、当地生まれのイングランド人紳士、著名なモリニュー氏や、[22] イングランドの最も偉大な愛国者、最良のホイッグの人々のうち数名が、真理と道理と正義の及ぶ限り、公然と反対しました。しかし、権力への欲望とその激流のほうが勝ったのです。実際、双方の議論とも、打ち破れないものでした。道理のうえでは、統治される者の同意なしに行うあらゆる統治は、奴隷制の定義そのものです。しかし事実のうえでは、十分に武装した十一人は、下着一枚のたった一人を、確実に征服します。しかし、もうやめましょう。権力を使って自由を抑え込んできた人々は、苦情を言う自由にさえ腹を立てるところまで来ています。拷問台に載せられた人が、思う存分大声でわめく自由を拒まれた例など、聞いたこともないのですが。

編者注 21

特にウィリアム三世の治世である。ジェームズ二世の召集したアイルランド議会の権威を失墜させるため、このイングランド優越の主張が採られた。[S]

七七頁のポイニングス法の注を参照。[T・S]

編者注 22

一六七頁の注を参照。[T・S]

私たちは、不合理な恐怖によって必要以上に沈みがちなのと同じく、根拠のない希望によって、あまりにも早く浮き立ちがちです。私たちのように衰弱した身体の性質どおりです。そこで、ここ数日の間、イングランドの何者かが、別の何者かに権限を与え、当地の第三の何者かに、「あの半ペニー銅貨で、これ以上悩まされることはない」と私たちを安心させる手紙を書くようにした、という話が流れています。そして、これをしたのは、数か月前、「あれを我々の喉へ無理やり押し込む」と誓ったとされる、その同じ人物だと伝えられています。もっとも、胃の腑には引っかかってしまうと思いますが。しかし、このどちらの噂が本当で、どちらが嘘であろうと、私たちの関知することではありません。この点では、イングランドの大臣たちは、私たちには関係ないからです。そして、この苦痛を取り除くことも、押しつけることも、その人々の権限に属しているとしたら、私は残念に思います。「委員会報告」で、もう腹いっぱいなのです。救済の手段は、すべて皆様自身の手にあります。ですから私は、これほど時宜にかなって皆様の間に起こった気概をよみがえらせ、持続させるために、また、神の法、自然の法、諸国民の法、そして皆様自身の国の法によって、皆様はイングランドの同胞と同じく自由な国民であり、そうあるべきなのだと知っていただくために、少し話を脇へ進めたのです。

もし、ウッドとその雇い人たちが、自分たちの立場を弁護するためにロンドンで出した小冊子が当地で再刊され、同国の人々に読む気になってもらえたなら、それは、私がどれほど語るよりも、彼の邪悪な企てを皆様に納得させるでしょう。要するに、計画を正当化するために彼が雇った人々の文章に現れる彼に比べれば、私の描く彼は、まるで聖人です。しかし彼は、戦場をすっかり支配しているので――理由はほかの人の推量に任せます――ロンドンの印刷屋には、アイルランドを支持して書かれた文章を出す勇気がある者は一人もおらず、当地では、彼を支持するものを出版するほど大胆な者が、まだ一人もいません。

数日前、ウッド氏とその貨幣鋳造を支持して書かれた、ロンドン印刷の、五十頁近い小冊子が送られてきました。おそらく当地では決して出版されないでしょうから、答える価値はありません。しかし、そのために、私たちの抱える一つの不幸について、考えさせられました。イングランドの人々が、私たちの事情をまったく知らないということです。もっとも不思議ではありません。ほかに話題がないとき、コーヒーハウスで話の種にするかもしれないという以上には、彼らが少しも関心を持たない問題だからです。実際、私たちを弁護して書かれた文章を、わざわざ読んだ大臣などいなかったと思うだけの理由があります。おそらく彼らの意見はすでに決まっており、ウッドとその仲間たちの報告だけに基づいて作られているのでしょう。そうでなければ、私の挙げたような小冊子を、どんな人間でも、あれほど厚かましく書けるはずがありません。

私たちの隣人たちは、理解力では私たちとちょうど同程度なのに――私たちも、特に頭のよいほうではないかもしれませんが――たいていの国民を、ことにアイルランドを、ひどく軽蔑しています。私たちを、何百年も前に私たちの祖先が征服した、野蛮なアイルランド人の一種と見なしているのです。私が皆様に、カエサルの時代、身体に色を塗り、獣の皮を着ていたころのブリトン人の姿を描いても、彼らのしていることと、理屈の通り方はまったく同じでしょう。しかし、今の問題に関しては、彼らにもそれだけの弁解の余地があります。片側の言い分しか聞かず、反対側を調べる機会も好奇心もないため、面倒を避けるためだけに嘘を信じ、ウッド氏が権限を持つと称しているのだから、道理も彼の側にあるのだと、結論してしまうのです。

そこで、ウッドとその支持者たちが、この問題をイングランドでどう説明しているかをお見せするため、前記の小冊子に含まれる、事実と論理に関する甚だしい虚偽のうち、いくつかを抜き出すのがよいと考えました。両方を比較して、自分たちの敵がどれほど間違っているかが分かれば、その知識は、わが同国人の正しい考えを、いっそう固めるでしょう。

第一に、その書き手は、断言しています。「ウッドの半ペニー銅貨は、数か月の間、たった一人の反対者もなく、すべての人の全面的な賛同をもって我々の間に通用し、我々は皆、一人残らず、それを持つことを幸せだと考えていた」。

第二に、こう主張しています。「我々がそれを嫌うよう仕向けられたのは、我々の中の、ずる賢く邪悪な企みを抱く数人の者が、自分たちで別の特許状を得るために、ウッドの特許状に反対したからにすぎない」。

第三に、「初めにウッドの特許状に最も強く反対した者たちこそ、自分たちの利益のために、別の特許状を得ようとした当人たちだった」。

第四に、「我々の議会と枢密院、ダブリンの市長と市参事会員、大陪審と商人、要するに王国全体、いや、犬に至るまで」――その人の表現です――「前記の少数の陰謀家にあおり立てられるまでは、あの半ペニー銅貨を好んでいた」。

第五に、はっきりとこう言っています。「半ペニー銅貨に反対した者は、すべて教皇派であり、ジョージ王の敵だった」。

ここまでの各項目については、皆様のうち最も無学な方でも、自分自身の知識に基づき、この著者がまったく甚だしい嘘つきだと、安心して誓えるはずです。正反対のことが王国全体にあまりにも明白なので、必要とあれば、五十万人の署名をもって確認してもらうこともできるでしょう。

第六に、彼は私たちをこう信じ込ませようとします。「たとえ我々が、五シリング分の品物または製品を、銅を溶かしてしまってもなお二シリング四ペンスの価値しかない量の銅と引き換えに売り、しかも同じ品物に対して金貨か銀貨で五シリングを得られるとしても、それでも、その二シリング四ペンス分の銅を受け取るほうが、我々には大いに有利である」。

そして最後に、彼はウッドから権限を与えられたとして、私たちにまことに立派な提案をしています。「もし我々が、自分たちの品物と引き換えに、彼の半ペニー銅貨二十万ポンド分を引き取り、さらに、その貨幣を貸してもらう対価として、十二万ポンドについて三十年間、年三パーセントの利子を払うなら――彼は鋳造された貨幣の額と銅の素材価値との差を、十二万ポンドと計算している――彼は、その期間が過ぎたあと、そのとき残っている半ペニー銅貨を、良貨に換えてくれる」というのです。

この救いようのない悪党の、耐え難い不正と厚顔無恥を示すため、その申し出を、できるだけはっきりした形にしましょう。まず、彼はこう言うのです。「私は、あなた方の国に、自分の貨幣を二十万ポンド送ります。銅の実際の価値は八万ポンドと見積もり、鋳造代としてあなた方に十二万ポンド請求します。つまり、ご覧のとおり、私はあなた方に十二万ポンドを三十年間貸すのですから、あなた方は私に三パーセント、すなわち年三千六百ポンドを支払わねばなりません。三十年間では十万八千ポンドになります。そして、その三十年が過ぎたら、私の銅を返してください。そうすれば、良貨を差し上げましょう」。

これが、ウッドの代理人の一人によって書かれた前記小冊子で、彼が私たちにしている提案です。著者は、あの悪名高いコールビー、すなわち枢密院委員会で彼のために証言した下っ端の一人で、下級書記を務めていた当地の国庫から金を盗んだとして、裁判にかけられた当人だと考えられています。[23]

編者注 23

六一頁の注を参照。[T・S]

この提案によれば、彼は第一に、自分では八万ポンドと評価しているものの、実際には三万ポンドの価値もない銅と引き換えに、品物か正貨で二十万ポンドを受け取ります。第二に、利子として十万八千ポンドを受け取ります。そして、三十年後、私たちの子供たちが、彼の半ペニー銅貨をその遺言執行人のところへ返しに来ると――そのころにはおそらく、彼は行くべき場所へ行っているでしょうから――その執行人たちは、それをラップ貨や偽造貨幣として、まことに理にかなった仕方で拒むでしょう。おそらく実際そうなっており、しかも何百万枚もが、彼自身の鋳造したものなのでしょう。

こんな商売人は、どうも好きになってしまいそうです。こちらが相手をしている間に、日に日に調子づくのですから。まるでオランダ式の勘定書です。請求が不当で法外だと文句を言えば、宿の主人がそのたびに新しい項目を加えて、また持ってくるのです。

ウッドがロンドンで出しているこれらやその類の小冊子は、当地ではまったく知られていません。ここで読めば、誰もが、軽蔑のあまり怒る余地がある限り、憤慨せずにはいられないでしょう。それでも私は、この男が、反論する者が一人もいない場所で、独り我が物顔に振る舞いながら、どのように時間を使っているか、一例をお示しするのが適切だと考えました。その間、かの地にいる私たちのわずかな友人たちは、私たちの沈黙を不思議に思い、イングランドの一般の人々は、そもそもこの件を考えることがあるとしても、ウッドとその雇い人たちが好んで描くとおりに、私たちの拒絶を頑迷さか不忠のせいにしているのです。

しかし、私たちの議論がイングランドで印刷することを許されなくても、さして大きな影響はないでしょう。私たちは彼の貨幣を受け取るべきだと、ウッドにはかの地の人々を説得させておきましょう。私は当地の人々に、私たちの完全な破滅を避けるため、それを拒まなければならないと納得してもらいましょう。そのうえで、彼には、できる限りのことも、できる限りの悪事も、やらせておけばよいのです。

結びに入る前に、謹んでウッド氏に申し上げなければなりません。自分の件に絡めて、ウォルポール氏ほど名誉あるお名前を、あれほどたびたび、あのような仕方で口にさせるのは、甚だしく軽率なことです。ブリストルで印刷され、当地で再刊された短い文書には、ウッド氏が、「自分の貨幣を拒むアイルランド人の厚顔と横柄には驚く、ウォルポール氏が都へ来たらどうしてやろうか」と述べたとあります。ちなみに、この点でも彼は間違っています。それを拒むのは、アイルランドの、真にイングランド系である人々だからです。もっとも、アイルランド人も、尋ねられれば同じようにするだろうことは、当然と思っています。彼は別の文書に、「ウォルポール氏が、この真鍮を我々の喉に押し込むだろう」と印刷させています。ときには、「この半ペニー銅貨を受け取るか、自分たちの粗皮靴を食べるか、どちらかだ」とも言いふらされます。そして、つい昨日の別のニュースレターには、その同じ偉い方が、「この貨幣を火の玉にして、我々に呑み込ませてやると誓った」と書かれています。

これで、有名なスコットランド人の話を思い出しました。絞首、斬首、四つ裂き、内臓の摘出その他、あらゆる付け足しを伴う死刑を宣告されると、その人は、「こんなに手の込んだ料理にする必要があるのか」と叫んだのです。私たちにも、同じことを尋ねる理由があると思います。ウッドを信じるなら、今、私たちのための晩餐が準備されていて、その献立はご覧のとおりです。飲み物が忘れられているのが残念です。溶かした鉛と、燃え上がる瀝青で、簡単に補えるでしょうに。

陛下の厚い信任を受け、首相と見なされる偉大な顧問官の口に、何と卑劣な言葉を入れるのでしょう。ウッド氏が自分の後援者を描くのに、これよりましなやり方を知らないなら、私が偉い人間になった暁には、朝の拝謁に来ることを、決して許しません。これは大臣の言葉遣いではありません。釜と炉の匂いが強すぎます。すべてウッド氏の鍛冶場から出てきたものなのです。

粗皮靴を食べさせてやるという脅しについては、心配する必要はありません。彼の貨幣が通用すれば、あの不作法な足の覆いは、もはや国民の恥ではなくなるからです。そのときには、この王国に、靴も粗皮靴も、一足として残らなくなるでしょう。しかし、ここでウッド氏の嘘は、はっきり見破られます。ウォルポール氏は、その生涯に、粗皮靴など聞いたこともないと、私は確信しているからです。[24]

編者注 24

ウォルポールがアイルランドの事情に無知であることへの、痛烈な皮肉。[T・S]

「この半ペニー銅貨を火の玉にして呑み込ませる」というのも、同じくらいありそうにない話です。この作業を実行するには、ウッド氏の貨幣と金属の在庫をすべて溶かし、普通の喉が呑み込める大きさを超えない、中に燃焼剤を詰めた空洞の球に鋳直さなければなりません。さて、彼が準備し、またすでに鋳造した金属は、少なくとも半ペニー銅貨五千万枚分になり、それを百五十万人が呑み込むことになります。球一つを半ペニー銅貨二枚分とすれば、この王国の一人一人が、十七個ほどの火の玉を呑まなければなりません。そして、この薬を投与するには、三十人につき一人を割り当てて、少なくとも五万人の施術者が必要でしょう。胃の敏感な人がいることや、小さな子供がむずかることを考えれば、それももっともな人数です。さて、より優れた判断による御訂正には従いますが、このような実験の手間と費用は、利益を上回ると思います。したがって私は、この噂を偽物と考えます。あるいは、せいぜいウッド氏自身の新たな計画にすぎず、アイルランドで通りをよくするために、国務大臣にその親の役を押しつけようとしているのでしょう。

しかし私は今、たった一つの反駁しようのない議論によって、ウォルポール氏がウッド氏のこの計画に反対であり、まったくのアイルランドの友人であることを、疑いの余地なく証明しましょう。すなわち、彼は賢明な人物、有能な大臣であり、そのすべての行動において、主君である国王の真の利益を追求していると、世間一般から認められているということです。そして、その廉直さがあらゆる買収を超えているのと同じく、その財産もあらゆる誘惑を超えています。ですから、あちらの方面については、私たちはまったく安全だと考えます。それほど恐るべき権力と争う必要に迫られることは決してなく、ユピテルから遠いのと同じく雷鳴からも遠く離れて、粗皮靴とジャガイモを平穏に持つに任されるでしょう。

親愛なる同国の皆様、
皆様を愛する同胞臣民、
苦しみを共にする仲間、そして謙虚な僕、
M・B

一七二四年十月十三日。

第五書簡 大法官ミドルトン卿への手紙

読者への告知[2]

以下の二篇のうち初めのものには一七二四年十月六日という日付がある[3]。したがって、ドレイピアの第四書簡の著者に対する布告が出てから、ほどなくして書かれたものとわかる。筆者は自分が聖パトリック大聖堂の首席司祭であると認めているため、たいへん慎重な述べ方をしている。また、原稿の末尾には、別人の手で消されてはいたものの、その名が署名されているのを見分けることができた。これが印刷されなかった理由として私が挙げられるのは、聞き及んだ次の話だけである。つまり筆者は、ドレイピアの企てがいかに功を奏したかを知るとともに、権力者たちがそれをどれほど不快に思っているらしいかを知り、この文書を机の中にしまっておくほうが賢明だと考えた、というのである。しかし、ドレイピアが書いたとされるアイルランド関係の文書をすべて一巻に集めるよう勧められ、また、この種の著作がいかに好意をもって世間に迎えられてきたかを知っていた私は、この巻をさらに充実させるため、[著者がイングランドに滞在中、原稿を預かっていたその友人の一人から、以下の書簡の写しを手に入れ、][4]できるかぎり年代順になるように印刷した。

編者注 2

ニコルズは『スウィフト著作補遺』第二巻(一七七九年、八折判)に、バウヤーから提供された、この「告知」についての注を載せている。次のとおりである。

「一、最初の文書の日付は一七二四年十月六日とされ、そこから、ドレイピアの第四書簡に対する布告が出てからほどなくして書かれたものとされている。ところが第四書簡そのものの日付は一七二四年十月二十三日である。どこでも大目に見られる間違いだが、「前に来る」がそのまま「後に来る」になるのが、その土地特有の言い回しである国なら、なおさらのことだ。それでも首席司祭が、アイルランドへの熱意のあまり、そのお国ぶりを示す合言葉まで採り入れてくださるとは、思ってもみなかった。

「二、この序文の筆者は、見つけた貴重な手稿の原本の末尾に、別人の手で消されてはいたものの、首席司祭の署名を見分けることができたという。先ほどの箇所がこの告知のアイルランド製である証拠となるとすれば、こちらは首席司祭自身の指図の下で書かれたことを強く推測させる。ほかの誰に、名が別人の手で消されたと見抜けるだろうか。違うインクだった可能性はある。だが、われわれの時代のこうした新しい手稿で、消し跡が筆跡の証拠を帯びているという話を聞いたのは、これが初めてだ。首席司祭と印刷者のどちらがこの消し跡を突いたかは問わず、この発見に続く後者の愉快な手続きをお目にかけよう。見てのとおり、彼は首席司祭自筆の原稿を手に入れた。ところが名は消されている。そこで何をしたかというと、自分の原本の真正さを証明できる写しを取り寄せるため、はるばるイングランドへ人をやったのであり、世間はそうした写しを通じて、この文書を恵んでいただくのである! かつてサー・ジョゼフ・ジーキルの法廷で、ある男が、係争中の土地の権利証書を読み始めたのを覚えている。『原本は少々読みにくいので』と男は言った。『たいへん鮮明な写しを持ってきました。これで続けさせていただきたいのです』――『待ちなさい』とサー・ジョゼフは言った。『原本が有効でなければ、写しで有効にすることはできない』。もっとも私は、印刷者が世間を欺こうとしたと非難するつもりは毛頭ない。これほどあけすけに事情を語る者なら、その正直さの保証としては十分である。この告知は大部分が首席司祭の筆になったものだとしても、私にはたやすく理解できる。あの方はもともと読者に過度の礼儀を尽くしたことなどなく、たまには読者をからかって楽しもうとしても、不思議はないからだ。」[T.S.]

編者注 3

フォークナーが十月二十六日を誤植したもの。[T.S.]

編者注 4

角括弧内のこの箇所は、フォークナーの「告知」にはない。[T.S.]

次の論説は「上申、その他」と題されている。日付はないが、カータレット卿の統治下で最初の議会会期中に書かれたものと思われる。この上申の題には、通例の形で、M・B・ドレイピア著と記されている。ウィリアム・ウッドとその貨幣に関する部分はごくわずかで、それ以外は、アイルランドを改善するいくつかの提案、この国にのしかかる多くの障害、そしてそれらに対する最良の対策を論じている。

ドレイピアの以前の書簡にも多く見られるが、とりわけ以下の上申の、国外居住地主によるアイルランドからの巨額の資金流出、外国商品の輸入、貿易収支などに関する箇所からは、著者が計算の仕事に大いに骨を折り、よく事情に通じていたことがわかる。この文書では細かな金額にまでは立ち入っていないが、この問題についての推論はすべて、後にそれを専門の研究とした人々の算定と、おおむね一致している。また、この上申と刊行済みの書簡の一つには、後に同じ問題を論じた人々も取り上げていない重要項目がいくつか明記されていることにも、注目されたい。

第五書簡 大法官ミドルトン卿への手紙[5]

閣下、どうか私を、討論も終わりに近づいたころに入ってきた議員、あるいは先に弁じた人々によって論点がほとんど語り尽くされたところで、事件について弁論する弁護士のような者とお考えください。

編者注 5

アラン・ブロドリック、ミドルトン卿(一六六〇?―一七二八)は、アイルランドの没収地によって大きな利益を得たサリーの一族の出であった。法律家となり、一六九五年にアイルランドの法務次官に任命された。コーク選出のアイルランド庶民院議員を務め、一七〇三年には議長に選ばれた。聖餐による資格審査を定めた法律に強硬に反対したため、政府の信任を失い、法務次官を解任された。しかし一七〇七年には法務長官に任命され、一七一四年には大法官となった。翌年、ミドルトンのブロドリック男爵に叙された。ウォルポールとカータレットの間で日和見の立場を取っていたが、それでもウッドの特許状には反対した。ただしドレイピアに対する布告には署名した。この書簡が「国王とアイルランド人民の間に不信を生む」役割を果たしていると考えていた。[T.S.]

数か月前、私も管理委員の一人を務める委員会の用件で、閣下のお宅に伺ったことを覚えています。しかし伺った主な目的は委員会のことよりも、アイルランド向けの半ペニー銅貨を鋳造するウッド氏の特許状について、いくつかお尋ねすることでした。その折、閣下は居合わせたさまざまな人々の前で、あの邪悪な計画にずっと強く反対してこられたと、たいへん率直に話してくださいました。それで私は閣下への敬意を深め、何年もご無沙汰していたのに、数日後にはご機嫌伺いに参りました。また、ご子息がロンドンから二通の手紙を送られたとも伺いました。その一通は私も読みました。ご子息がウォルポール氏に、ウッドの貨幣四万ポンドをアイルランドで受け入れると約束した、という悪意ある噂が流れているが、それは虚偽で根拠がなく、ご子息はこの件についてあの大臣と話したことすらなく、この国であの貨幣を一ファージングでも通用させることに決して同意しない――手紙は宛先の人々に、友人たちへそう保証する権限を与えるものでした。爵位や地位のある人々と話す面倒は久しく避けてきた私ですが、そういう楽しみで満足できる人々から聞くところでは、この国の有力者には、この件についての意見を公言するのを少しでもためらう者は一人もいないそうです。もっとも、議会の両院、枢密院、ダブリンの市長と市参事会員、数多くの自治団体、そして大多数の州で四季裁判の席に集まる主だった紳士たちが、党派、宗教、出身国の違いを問わず一致して、ウッドの特許状がもたらす破滅的な結果をきわめて強く訴えていることを考えれば、こうした話を持ち出すまでもありません。

ここから私は、この半ペニー銅貨の流通は、この国の人々が一致して考えているとおり、王国を完全に破滅させるものであり、したがって誰もが、自分でこの貨幣を拒むばかりでなく、できるかぎり他人にも同じようにするよう勧める義務を負う、と結論します。それを私的に行おうと、印刷物で行おうと、事情は変わりません。平信徒が宗教や道徳の問題について著述したり語ったりすることは禁じられていないのと同じです。もっとも、少なくとも私たちの教会では、説教壇からそうすることは許されませんが。また、権力者がこれを国政上の問題と宣言するまでは、国政上の問題でもありません。仮に閣下がそういう意味にお取りになったとしても、私が今説教をしているわけではないことは、お考えいただきたいのです。

そこで私は、今後ドレイピアの声を聞くことはおそらくなくなる以上、その身に降りかかった災難までは招かない範囲で、彼の役を補うのが自分の義務だと思います。長年の経験から、人は潔白であるとともに慎重でもなければならない時期がある、と学んだからです。ですから、この二つを守るかぎりは、新しい論拠を示し、古い論拠を補強することによって、同胞たる臣民の記憶を呼び覚まし、その間に生まれた立派な気概を保たせることを、お許しいただきたいと思います。合法的で、陛下がお認めになっている手段によって、完全な破滅から身を守るためなのです。

閣下には次の二つの命題をお認めいただけると信じます。第一に、私たちはきわめて忠実な民であること。第二に、私たちは自由な民であること。後者は、権力に制限のある君主の下の臣民についていう場合の、通常の意味での自由です。何年も前、ウォートン卿の面前で閣下と私が話した際、アイルランドに関してこの自由という語をどう解するかについて、大いに意見が食い違ったことは、よく覚えています。しかし、私たちが自由な民であるとお認めにならないなら、残る呼び名はただ一つです。それを口にする勇気を私が出したなら、首席裁判官ホイットシェッド卿から責任を問われるのではないかと思います。というのも、あの方の馬車に掲げられた標語が Libertas et natale solum、すなわち「自由と生まれ故郷」であるのを、私は見たからです。どういう折に見たのかも、決して忘れません。まさしくあの方が法廷の席につき、偽誓を行い、この両方を裏切っていた、そのときでした。[6]

編者注 6

ホイットシェッドのこの標語について、スウィフトは次のように詩で言い換えている。

「Libertas et natale solum――自由と生まれ故郷。
ご立派な言葉だ! どこから盗んできたのやら。
お前の一番の恥を示すものしか、
馬車の標語には使えなかったのか。
では今、お前の言葉を訳してやろう。
生まれ故郷とは、わが領地。
愛しい領地、それをどれほど愛しているか、
疑うなら、わが小作人たちが証明しよう。
私が実に情け深く善良だと、彼らは誓う。
抱き締めて血を搾り取るほどなのだから。
自由には、広い意味がある。
第一に、法廷で威張り散らすこと。
第二に、言うことを聞かない陪審に
激怒を浴びせること。
第三に、新案を工夫して、
ウッドを助け、わが年金を守ること。
第四に、風変わりな一手を打ち、
国璽を手にしてブロドリックを追い出すこと。
第五に、誰のことかわかるだろうが、
あの厄介な首席司祭をへこませること。
第六に、わが魂を、
その値打ちの五十倍でカータレットに売ること。
さて、お前が標語をそう解するのなら、
一度は本当のことを言ったと認めねばなるまい。
自由と生まれ故郷。
盗み取ったのには、もっともなわけがあったのだな。」

[T.S.]

さて、現在の陛下に対する私たちの忠誠ですが、その御領土のほかの地方に、これと同等の忠誠があったとしても、これを超えたものはなかったと断言できます。また、これを一度でも疑い得た大臣が、イングランドに一人でもおられるとは思いません。しかし少なくとも、海の向こうから厳しい噂が伝えられてきたことは、閣下もお疑いにならないでしょう。それもきわめて過酷な噂です。多くの善良な人々は、これをウッド氏とその手先たちの曲がったやり方のせいだと考えています。まるで彼が、自分の銅貨を拒むか受け取るかという試験次第で、私たちの忠誠が決まるかのように、思わせようとしているというわけです。閣下が私たちを忠実な民とお認めになることは確かですから、これほど慈悲深い国王から、忠実で自由な民の期待し得る、しかるべき恩恵と保護のしるしをことごとく望むとしても、お許しいただけると思います。その一つとして私たち皆が一致して数えるのは、ウッドの半ペニー銅貨を、この王国へ決して入り込ませないことです。この願いを口にすることすら、もはやできなくなったときにも、私たちは願い続けるでしょう。たとえドレイピアという人間が、この世に一人もいなかったとしても。

誰であれ、これほど広く支持されている大義を論じる筆者が、政府と枢密院に、彼の文章を「陛下とその大臣をはなはだしく誹謗し、イングランドとアイルランドにおける善良な臣民の心を互いに引き離し、人民の間に扇動を広めようとする」段落であると非難する機会を与えたのは、心から残念です。[7]私もほかの多くの人と同じく、あの人の意図は善良だと思っていたことを認めます。もっと優れた筆者にもある欠点、つまり表現の仕方がいつも適切とは限らないという欠点は、あったかもしれませんが。

編者注 7

ここでスウィフトは、ドレイピアの第四書簡に対して出された布告の文言を引用している。付録第四参照。[T.S.]

しかし、ドレイピアはたった一人の人間なのですから、ほかの同胞たちは、その小冊子から国王や大臣を誹謗し、扇動を生むようなことを学んだわけでは決してない、と断言すれば、私は公共への奉仕をしたことになるでしょう。

私は厳粛に申し上げます。ウッド氏の貨幣に関して、国王を少しでも誹謗する言葉を、一度として聞いたことはありません。この問題についての数々の会話でも、陛下のお名前が口にされたことすら、覚えがありません。イングランドの大臣については、ほのめかされたのはグラフトン公爵とウォルポール氏の二人だけです。[8]前者は、閣下やほかの百人もの方が確言されるのを聞いたところでは、当時総督であったにもかかわらず、ウッド氏を利する特許状が通過するまでは、それを見たこともなかったと明言されました。ですから、公爵閣下がその後もこれにまったく関与しておられないことは、誰もが信じていると思います。

編者注 8

ウォルポールは、一七二四年、バス勲章の再興に際して同勲章の騎士となった。一七二六年にはガーター勲章の騎士となったが、ジェームズ一世の治世以来、この栄誉にあずかった平民は、後にサンドウィッチ伯爵となるモンタギュー提督を除けば、彼だけであった。一七二三年には爵位を勧められたが、自分のためには辞退し、息子のために受け入れた。息子はノーフォークのウォルポールのウォルポール男爵に叙された。[T.S.]

確かに、いくつかの新聞に出たWという頭文字は、ウォルポール氏を指すものと考えられました。それらには、あの方がアイルランドの人々にあまり好意的でない言葉を漏らした、と書かれています。しかし、その真偽について王国が責任を負う必要はありません。それを公にした人々の分別について、責任を負わないのと同じです。ご承知のとおり、ドレイピアはきわめて有力な論拠によって、ウォルポール氏をこの嫌疑から完全に解き、礼儀正しく論じています。同席した人々がウォルポール氏はウッド氏の計画をひいきしていると意見を述べる場に、私がたびたび居合わせたことは否定しません。しかし私はいつも、それに反論しました。自分自身のことをいえば、多人数の集まりでも内輪の集まりでも、あの大臣を攻撃するために、一度も口を開いたことはありません。この慎重さには理由があります。女王の御代に――いつまでも祝福されるべきアン女王のことです――あの方は庶民院で、わざわざ私を名指して、真っ向から攻撃する演説をなさったからです。そのわずか数分後、請願の間で五十人以上の議員から、私はそう聞かされました。

しかし、この地で高い地位にある閣下なら――この地の何かを高いと呼べるのであればですが――、世間の声によって首席大臣と見なされている者は、一般の噂好きの間では、不評なことが何か起これば、正当かどうかにかかわらず、その非難の一部を浴びるものだと、ご存じないはずはありません。私が世間に出ていたころの経験から、多くの実例を挙げて、これは容易に示せます。とりわけ、私がかつて交際した中で最も偉大で、最も賢明で、最も清廉な大臣の場合がそうでした。[9]

編者注 9

ロバート・ハーリー、オックスフォード伯爵。[T.S.]

しかし、あの半ペニー銅貨の件で、ウォルポール氏について人々がどのような悪い意見を抱いたにせよ、それはひとえにウッド氏のせいであったと、私ははっきり断言します。イングランドから来た信用ある多くの人々が、私やほかの人たちに、彼の自筆の手紙を見たと語っています。それらはアイルランドに対する尊大さと無礼に満ち、ウォルポール氏の寵愛を受けていると自慢するものでした。これは十分ありそうなことです。そんな話を広めれば自分の利益になると、彼が考えたのももっともだからです。また、偉い人の名を絶えず口にするのは、卑しく小さな心の持ち主におなじみの芸当だからです。[10]

編者注 10

コックス『ウォルポール回想録』第一巻第二十六章、三八九頁、一八〇〇年版参照。この件でウッドの無分別が非難されている。本版のドレイピア第一書簡の前に置いた解説も参照。[T.S.]

こうして私は、アイルランドの人々が陛下とその大臣に関し、ドレイピアの小冊子から悪い教えを何か学んだという疑いを、十分に晴らしました。ですから、あの文書が私たちの間に扇動の種をまく意図で書かれたのだとしても、ありがたいことに、その種はひどく不向きな土地に落ちたのです。

イングランドとアイルランドの人々の心を互いに引き離すという点については、ドレイピアの意図が何であったにせよ、もともとあった状態を少しも変えなかったと思います。

私は両王国の田舎にも町にも長く暮らしました。したがって、両国の人々が相手に対してどのような気持ちを抱いているかについては、たいていの人に劣らず心得ているつもりです。ここで人々というのは、一般庶民の大多数だけを指します。法律家がこの意味をねじ曲げたり、広げたりしないよう願います。

イングランドの人々には全体を通じて、勤勉と倹約の気風があります。それに地代の安さが加わって、豊かで頑健になるのです。アイルランドについては、メキシコについて知っているより、少し多く知っている程度です。イングランド王に従属する国で、沼地だらけで、野蛮なアイルランド人の教皇主義者が住み、イングランドから送られた傭兵に威圧されている、というくらいのことしか知りません。この島が丸ごと海に沈んでしまえば、イングランドにはそのほうがよい、というのが大方の意見です。アイルランドでは四十年ごとに必ず反乱が起こる、という言い伝えがあるからです。私はこの人々が、途方もなく荒唐無稽な話を信じ込むのを見ました。「野生のアイルランド人は網で捕まえられるが、しばらくすれば手から餌を食べるほどおとなしくなる」というのです。何百人もの人、とりわけペッパーハローにいる私の隣人、つまり閣下の小作人たちからは、「アイルランドから海路で来たのか」と尋ねられました。地方の町にアイルランド人が一人やって来ると、人だかりがその周りに集まり、自分たちよりずっと立派な姿をしているのに驚くのを、見たこともあります。

今ダブリンにいるある紳士は、こう語っています。「数か月前にノーサンプトンを通りかかったところ、町じゅうが鐘を鳴らし、かがり火と灯飾りをともして浮き立っていた。理由を尋ねると、アイルランド人が服従し、ウッドの半ペニー銅貨を受け入れたので喜んでいるのだ、と言われた」。これは、あの大きな町が私たちについてどう思っているか、また、いかに他人事としか考えていないかを、はっきり示していると思います。ロンドンへ向かう私たちの通り道にある町なのですから、私たちが人間の形をしていることを、しょっちゅう確かめずにはいられないはずなのに。

一方、この王国の人々は、アイルランド人の教皇主義者か、イングランド系のプロテスタントから成っています。前者の力は、女性や子どもたちと同様、取るに足りません。後者はあの王国の同胞を愛しています。もっとも、不当に扱われていると思えば、ときには不平を言うこともあるでしょう。しかし、海が二つの国を隔て、同じ君主への忠誠を保っているかぎり、互いの個人的な感情がどうであろうと、大した意味があるとは、私には思えません。それでも閣下にお尋ねしたいのです。イングランドから財を求めてこちらへやって来る者たちには、不平を言う理由があるでしょうか。あるいは、同じ目的でイングランドへ行くアイルランドの人々には、自慢する理由があるでしょうか。

私の第二の命題は、アイルランドの私たちは自由な民である、ということでした。閣下もこれはお認めになると思います。少なくとも、胸の内に一定の留保を残してなら。しかし、そう述べることが罪にならないのは確かです。臣民について「自由」や「財産」という言葉は、議会両院でも、閣下の法廷やその下の法廷でも、しばしば口にされるからです。そこから、アイルランドの人々はコモン・ローと制定法によるあらゆる利益を享受している、あるいは享受すべきだ、ということが導かれるはずです。たとえば、陪審による裁判を受けること、議会に代表を送る自分たち自身の同意なしには金銭を支払わないこと、などです。そうであり、また自由な民は金銀以外の貨幣を支払いとして受け取るよう、法律で強制されることはないと、誰もが認めるのなら、法律によって守られた私たちの財産を詐欺で奪おうとする、このウィリアム・ウッドの貨幣に用心するよう、同胞に呼びかけるのを、なぜ誰かが妨げられるのか、私にはわかりません。私が間違っていて、この銅貨を押しつけることができるのであれば、別の角度からドレイピアの場合を考えてみましょう。誰かが彼の店に入り、三十シリング分の商品を買う約束をし、実質的な価値は一クラウンを超えない銅片の束を、その代金として売り手に強いて受け取らせた、と仮定します。そこでお尋ねしたいのです。ドレイピアは実際に二十五シリングを奪われたことにならないでしょうか。また、その財産を自分で支配していると、どこまで言えるでしょうか。同じ問いは、地代にも、証文や抵当による債務にも、あらゆる種類の取引にも当てはまります。

ドレイピアが私より先に、すでに何度もしていることを、私にもさせてください。世間の目の前にあるとおりの、ありのままの事実を述べることです。

ウィリアム・ウッドなる、紳士を名乗る金物商が、イングランドで詐欺によって特許状を手に入れ、アイルランドで通用させるための銅貨を十万八千ポンド分鋳造することになりました。私たちには、受け取るか拒むかの自由が残されています。こちらの人々は、あらゆる種類の団体や代表を通じて、この貨幣を受け取らないと、公然と、心から宣言しています。その宣言の正当な理由として、おおむね二つが挙げられます。第一に、特許状の文言によれば、自分たちの選択に任されていること。第二に、法律上の義務がないことです。ですから、ご覧のとおり、これは bellum atgue virum、戦いと一人の男、一方に王国、他方にウィリアム・ウッド、という構図なのです。そしてウッド氏が、アイルランドの破滅を犠牲にし、自分には十万あるいは二十万ポンドの利益を得て勝利するのだとすれば――生きているかぎり鋳造を続け、偽造もし続けるという意味です――、現代も後世も、少なくともこれは非常に風変わりな企てだと思うのではないでしょうか。

この事実の述べ方が正しいのであれば、神が私に授けてくださった能力の及ぶかぎり、また真実と義務と礼節の範囲を守っているかぎり、同胞たる臣民に警告するのが私の義務だと、私は考えます。国王と祖国、また大切にすべき、あるいは大切にし得る一切を重んじるなら、この有害な貨幣を決して受け入れないこと、ただの半ペニー一枚でも受け入れないことです。たった一人の盗賊に戸を破られてしまえば、後ろに控える一味を全員締め出すと話しても、無駄だからです。

こうした仕事をしている間、私の発言が総督閣下のお気に障るなどとは、決して考えないことにします。あの方ご自身とその優れた資質を、私はいつも深く尊敬してきましたから。閣下もきっと、その証人になってくださるはずです。また、イングランドの大臣たちのお気に障るとも思いません。私とは互いに何の関わりもない方々だからです。まして、この地の枢密院はなおさらです。聞くところでは、ウッド氏の貨幣に反対する上奏を陛下へ送ったのですから。もしこれが間違いでも、虚報を広めた者として非難されないことを願います。ただ、私は政務の事情にたいへん疎いので、ひょっとすると枢密院の顔ぶれは、その後すっかり入れ替わったのかもしれません。それに、この貨幣に反対する最近の声明に、ドレイピアに対する布告の署名で見たのとまったく同じ名がいくつかあったとはいえ、別人である可能性もあります。私にはまるで知らない方々ですし、今後もそうでありそうですから。

セント・ジョージ海峡を挟んで双方の論者が分かれているこの争いで、陛下の大権が持ち出されることは、ウッド氏とその擁護者たちがそうせざるを得なくしなければ、おそらくなかったでしょう。彼らは、布告によって彼の貨幣の流通を強制するつもりだと言いふらしたのです。この王国の商人と一般の人々は、この貨幣を心底から拒むつもりでした。しかし布告への恐れが、この上なく恐ろしい不安をもたらしました。したがってドレイピアには、この難点を取り除くことが絶対に必要でした。そこで以前の小冊子の一つで、どこから拾い集めたものかは知りませんが、国王の大権はこの件にまったく関わらない、という反論しようのない論拠を挙げたのです。金銀以外の貨幣を臣民に押しつけることについては、法律が十分に防いでいるからです。また、銅は貨幣ではなく、適切に nummorum famulus、すなわち「貨幣の下僕」と呼ばれるものにすぎないからです。

ドレイピアの先の三通は公の非難を受けていませんから、私は問題のないものだと考えています。この王国の善良な人々は、ウッド氏の破滅的な貨幣に反対して起こった気概を保つため、それらをたびたび読むべきでしょう。布告の出された最後の書簡については、どんな意味であれ非難の対象になり得る箇所を、すべて取り去れたらよいのに、ということだけ申します。私にそれだけの力があれば、その仕事を引き受けるのも、身分にふさわしくないとは思いません。しかし私は、生来いささか理解が遅いうえ、法律家でもなく、利益や名誉という目に見える動機もないのに善意を掲げる人々については、よいほうに信じがちです。いつまでも目を凝らして読んだところで、麦から毒麦を見分けられないかもしれません。

聞くところによると、この最後の書簡で最も不興を買っているのは、ドレイピアが次のように断言した箇所だそうです。「もし反乱が成功し、王位僭称者をイングランドの王座につけるまでになったとしても、私はアイルランドをイングランドと同じ一人の国王の下に結びつけるアイルランドの法律を、あえてそれほどまでに犯し、彼がアイルランドの国王となるのを阻むため、一滴残らず血を流すだろう」。

法律を、しかもこれほど重要な法律を犯すと、公然と宣言する人を、私があえて擁護するつもりはありません。しかし、この上なく謙虚に服し、まったく罪のない思い違いをお許し願ったうえで申せば、筆者の忠誠に満ちた意図は、少なくともその罪をほんの少し軽くする理由にはなるのではないか、と思います。というのも、この点については私もドレイピアと同じ考えであると、認めねばならないからです。

あの小冊子に対するそれ以外の異議は、今のところ聞いていません。しかし、ドレイピアが訴追されれば、すべて明らかになるのでしょう。そして私は、あの小冊子が「邪悪で悪意に満ち、扇動的かつ中傷的で、陛下とその大臣をはなはだしく誹謗する、その他」であると、良心に照らして信じる人なら、著者を見つけ出すのがよいと考えます。私は密告という商売の味方では決してありませんが、発見の報奨に三百ポンドが付いていなくても、です。この事件について、判事ばかりでなく弁護士の議論も聞けたら、たいへん満足だろうと思います。閣下もご存じのとおり、多くの人々に、どう行動すべきか知らせておけば非常に都合がよい、という場合がしばしばあるからです。だからこそイングランドの議会は賢明にも、出版の自由を制限することにきわめて慎重であったのです。あちらでは、両院のどちらかで法案が審議されるとき、双方の立場から小冊子で論争するのが、ごく普通のことです。その著者たちが少しでも叱責されることはありません。

ですから、こちらでのウッド氏とその貨幣の場合も同じです。あの銅貨の流通がアイルランドにいかに危険かを、両院が上奏によって述べている以上、大多数の人々に、自分たちの陥っている危険の性質と、賢明にも使おうと思えば自分たちの力で使える対策とを、もっと詳しく知らせることは、疑いなく合法であり、有益でもありました。それには、神からこの仕事を果たすに足りる熱意と理解力を授けられた個々人が行う以上に、適切なやり方はありません。数年前、議会に提出された、あの破滅的なアイルランドの銀行設立計画の場合も、そうでした。議会の外にいる数人の議論と著述が、その否決に大きく役立ったことは、認められていたのです。[11]

編者注 11

スウィフト自身が一連の小冊子を書き、この「破滅的な計画」への反対に加わった。第七巻参照。銀行に対する賛否の議論は、ハーキュリーズ・ロウリーとヘンリー・マクスウェルが互いに宛てた一連の論争的な書簡で、徹底的に論じられた。[T.S.]

そこで私は、有能な法律家の方々が、公の事柄について私見を述べる際に、一個人はどこまで踏み込んでよいのか、その限界を定めてくだされば、心からうれしく思います。祖国を真に愛する者にとって、国民全体を破滅させかねない公の誤りがまかり通っている間、何もせず、ただ傍観しているのは、つらいことかもしれないからです。財産を持つ人は皆、公共の利害の一部を担っています。したがって、公共を気にかけることは、そういう人々の一人一人に、ある程度までは関わることなのです。

具体的に申せば、私が知りたいのは、どのような筆者であれ、大権について言及することすら、少なくとも何らかの点でそれを疑問の対象とすることは、まったく違法なのか、ということです。ウェストミンスターの法廷ではしばしば議論され、サー・エドワード・クックをはじめ、優れた法律家たちも、その著書でこの問題をたびたび扱っていることは、承知しています。

第二に、正規の金銀貨ではない貨幣、たとえば鉛、真鍮、銅、合金、貝殻、革、そのほかどんな材料のものでも、それを臣民に押しつけ、王権が適当と考える額面をつけるということについて、大権はどこまで及ぶのでしょうか。

第三に、アイルランドについて用いられる「従属王国」という言葉は、本当に、実際には何を意味し、その従属とは何から成るのでしょうか。

最後に、自由と財産に関するどの点で、アイルランドの人々はイングランドの人々と異なり、少なくとも異なるべきなのでしょうか。

これらの点が、誰にも取り違えようがないほど明らかにされれば、王国に計り知れない安心と利益をもたらし、あらゆる不満を未然に防ぐか、鎮めることになるでしょう。

私の知るかぎり、閣下と同じ法服を着る方々の中で最も偉大であったサマーズ卿は、アイルランドに対するお考えも、この地の同職者の幾人かとは天地ほど違っていました。その方が私に、王権の大権も議会の特権も、そのどの一部分であれ、争いの対象になり得ること自体が嘆かわしい、と話されました。そのために、公共はしばしば大きな不都合を被るのだと、いくつか実例も挙げられました。私は、こうした重要な問題のいくつかを明らかにしていただきたいという願いが正当であることを示すため、これほど優れた方の権威を持ち出すのです。

筆者が祖国のためを思う気持ちを述べる際、どこまで進んでよいかが、このように周知の明確な形で定められていないため、まったく潔白な意図を持つ人でさえ、法律家の雄弁と解釈によって、心の底から忌み嫌っている数々の罪を着せられるかもしれません。その結果、ただ法律の境目を取り違えただけで財産を失い、臭い牢獄で盗賊たちとともに朽ち果てるままにされるかもしれないのです。私はこれまで生きてきた間に、小冊子を出版したために訴追され、有罪になった印刷者を知っています。その筆者の意図は、殉教者の最後の祈りと同じほど善良で潔白だったと、私は確信しています。[12]ごく最近、私は自分の義務だと考えて、牧会を任されている人々に、ウッド氏の貨幣について説教しました。誰かの気分を害するつもりなどなかったのは確かですし、その説教が少しでも不興を招いたとは聞いていません。それでも今これを印刷して公にしたなら、この説教を公の刑吏の手から、また私自身を逮捕官の手から守れるとは、断言できません。[13]

編者注 12

著者の筆になる『アイルランド製品の普遍的使用についての提案』のことと思われる。[F.]

編者注 13

ここで指すのは、スウィフトの説教「善を行うことについて」。本版『スウィフト著作集』第四巻一八一頁参照。[T.S.]

故ホルト首席裁判官[14]が、あらゆる刑事事件では、言葉が許すかぎり、最も被告人に有利な解釈を与えるべきだ、と断言するのを、私は聞いたことがあります。同じ原則は、最も重大な犯罪についての多くの裁判でも、主張されています。ただし、判事たちの絶え間ない腐敗によって、実際には往々にして、ひどく不十分にしか守られていません。そして、ケントで、サー・ジョージ・ルーク[15]がある紳士を「knave、悪党」「villain、ならず者」と呼んだかどで訴えられた裁判を、私は覚えています。被告側の弁護士は、この言葉には侮辱はない、と主張して、依頼人を無罪にしたのです。knaveは、古い本来の意味では単なる召使を表し、villainをラテン語にすればvillicusであり、これは農作業に雇われている者、むしろ農場管理人という以上の意味はない、というわけでした。

編者注 14

サー・ジョン・ホルト(一六四二―一七一〇)は、一六八五年にロンドン市の法律顧問判事を務め、一六八八年に王座裁判所の首席裁判官に任命された。有名なアシュビー対ホワイト事件では、庶民院に対抗して有権者の権利を強く擁護した。被告人に対して常に公正で偏りのない審理を行うことで、当時際立っており、法律上、弁護人をつけることが認められない事件では、自ら被告人を助けることさえあった。ホルトの意見の多くは、実際に「標準となる法の格言」となった。[T.S.]

編者注 15

サー・ジョージ・ルーク提督(一六五〇―一七〇九)。一七〇四年、ビング海軍少将とともにジブラルタルを攻略した。[T.S.]

サー・ジョン・ホルトの意見が、どんな時代、どんな事情でも標準となる法の格言であるなら、どの筆者も、ごくわずかな分別さえあれば、容易に身を守れるでしょう。しかし実際には、少なくともあの方の時代より前には、しばしば抑えつけられていたのではないかと思います。法律上の古い原則だと、私は理解しているのですが。

イタリア人のレーティ氏について、ある話を読んだか聞いたかしたことがあります。ロンドンに滞在し、イングランド史の執筆に忙しくしていたころ、チャールズ二世に、できるかぎり不興を買わないよう努めているが、たとえソロモンほど賢かったとしても、それは不可能だとわかった、と話したそうです。国王は、そういうことなら、ソロモンのように格言を書くことに時間を使ったほうがよい、とお答えになりました。しかし、レーティには、公の必要に迫られて書く理由はありませんでしたし、彼が書こうと書くまいと、イングランドには半ペニー分の得にも損にもならなかったでしょう。

この話を挙げたのは、すぐに次のような異議が出ることを知っているからです。「私人に公共の事柄が何の関係がある。羅紗商が政治家に転じ、国政に口を挟むなど、どんな資格があったのか。店の面倒を見ることに時間を使うか、格言や哀歌や俗謡や歌集や奇談を書くことに筆を使うほうが、よかったのではないか。そうしていれば、布告や訴追の危険からまったく無縁でいられた。われわれには、一刻一刻、公共の幸福を見守る、有能な行政官や顧問官がいないとでもいうのか」。どれも本当かもしれません。それでも、ウッド氏の半ペニー銅貨に反対する議会両院の上奏が失敗したとき、もし誰かが筆を執り、この貨幣を拒むにあたって法律上どこまで行動してよいのかを人々に知らせず、この鋳貨業者の詐欺と策略と横柄さを暴かず、その貨幣の流通から必ず生じる、王国全体にとってこの上なく破滅的な結果を明らかにしなかったら、どうだったでしょう。何十万もの人々にお尋ねしてよいと思います。その中の誰か一人でも、それを拒む勇気や先見の明を持てたでしょうか。

この銅貨が、物事を知らない一般の人々の間に入り込み始めたら、私たちの破滅は避けられません。最も不安なのはその人々なのです。たやすくおびえさせられ、誤った情報を進んでうのみにするからです。誰もが、自分にとって何が利益かを理解できるほど賢ければ――自分の利益こそ誰もが第一に考えることですが――、この件で小冊子など必要ないでしょう。しかし現状では、私は神と国王と祖国に対する義務から、次のことを人々に知らせるのが、絶対に必要だと思いました。最近ドレイピアに対して出された布告は、ウッド氏とその貨幣の問題には、少しも関わりません。ただ、政府がお気に召さなかった、ドレイピアの最後の小冊子の特定の段落だけを指しています。それらは主題に直接関係せず、この問題の本質にはまったく関係のない段落です。したがって、誰もが以前と同じく、この貨幣を拒み、これに反対して書き、意見を述べる自由を持っています。また、ドレイピアに対するあの記念すべき布告に署名した、閣下を筆頭とする名誉ある方々が、ウッド氏やその貨幣について、少しでも考えを変えたと信じる義務は、誰にもありません。

ですから、ここまでは安全で確かな足場に立っていると考え、私は今後も、ふさわしい機会があるたび、神から力をいただくかぎり、ウッド氏のこの恐ろしい企てに反対して国民の間に起こった気概を、よみがえらせ、保ち続けるつもりです。その気概を生んだ本当の著者が、本物の羅紗商であるかどうかなど、大したことではありません。同時に、一筆一筆に注意深く目を配り、あえて受ける非難は、筆者として世間一般から受けるものだけにし、犯罪者としてホイットシェッド首席裁判官卿から受けるものにはしません。ウッド氏の半ペニー銅貨に反対することは、書いても語ってもならず、違反には最も重い刑罰を科す、と権力者の命令が出れば、私は必ず従います。しかし、もしそうなったとしても、この王国でそれを受け取る最後の一人より、さらに後になるつもりです。なにしろ私は、決して受け取りませんから。沈黙する仕方は心得ていますが、良心と公共の安全に反して、行動によって服従することは、まだ学んでいないのです。

ここで一つの場合を考えていただきたいと思います。ドレイピアも著書のどこかで、私より先に取り上げたと思いますが、必要なほど十分には論じていないものです。

ご存じのとおり、イングランドの半ペニー銅貨は公の手で鋳造され、一枚ごとの銅の価値も、額面とかなり近いものです。そこで仮に、公の鋳造に代えて、どこかの名もない個人に、ウッド氏がこの国のために用意している量と釣り合うだけの銅貨を、あの王国で鋳造する特許状が与えられたとしましょう。そしてその全部が、実質的には額面のせいぜい五分の一の価値しかないとします。イングランドで流通する貨幣は二千万ポンド、私たちの国では五十万ポンド未満と見積もられています。この計算によると、ウッド氏が私たちに十万八千ポンドを与える権限を持つのと同じ割合で、イングランドの特許権者は四百三十二万ポンドを流通させられることになります。さらに、それと同じだけを密かに、偽造によって流通させることもできます。そこで閣下に伺いたいのです。こういう場合、議会は上奏しなかったでしょうか。それはおそらくどのような結果を得たでしょうか。また、何人のドレイピアが現れ、小冊子で世間を騒がせたでしょうか。それでもあの王国は、同じ立場にある私たちほど、大きな損害は受けないでしょう。あちらの現金は国外へ運び出されず、慎重で倹約家の人々の金庫に隠され、時代がよくなるのを待つでしょうから。そこで、人々が納得できるよう、この上なく重要な点で、この国がこれほど違った扱いを受けるのはなぜか、お教えいただきたいのです。ポイニングズ法のせいでしょうか。下位にあること、従属していることのせいでしょうか。それとも何か別の専門用語でしょうか。私はそれを争うつもりはありません。ただ愚鈍で、理解できないのです。

ウッド氏の成功不成功が閣下に及ぼす影響は、この王国の有力者の誰よりも小さいことは、十分承知しています。賢明にも、不動産はすべてイングランドで買っておられると伺うからです。まったく、私にも金があれば、百年分の収益に当たる代価を払ってでも、そうするでしょう。自分自身が同意していない法律によっては奪われることのない自由保有地を持ちたいですし、地代を合金の銅貨で受け取り、一ポンドにつき十六シリングを失う危険など、決してないところにいたいからです。閣下はサリーのペッパーハローで、安楽に豊かに暮らせます。ですから、この争いで、ウッド氏の計画への反対を包み隠さず示し、王国の側に立たれたのは、きわめて寛大で公共心のあることだと、私は思いました。少なくとも、私に対するのと同じほど率直に、ほかの人にも話されていたなら、です。実際、ほかの点では私たちの意見が大きく違っていることを考えれば、驚かずにはいられませんでした。それで、ご自身のお言葉によって、この点での閣下の立場を弁護しようとしても、信じてくれる人はほとんどいなかったのです。

もう一つ、ドレイピアは気づいていなかったように記憶している考えを、謹んで申し上げたいと思います。この半ペニー銅貨がひとたび入り込めば、鋳貨業者の密かな手口や、その者自身による偽造、さらに国内外の他人による偽造によって、ほどなくして、許可された量の三倍が私たちに押しつけられ、ついにはこの国に金銀が一粒も見えなくなる、という点では、皆の意見が一致しています。私の考えでは、これは王権に重い負担をかけることになります。少なくとも主だった文官の俸給を支払うために、イングランドから送金する必要が生じるからです。たとえば判事が、ウッドの貨幣で年千ポンドをもらっても、その実質価値が二百ポンドにも遠く及ばないのであれば、どうやってその威厳を保てるのか、私にはわかりません。ほかに流通する貨幣がなければ、この半ペニー銅貨でも、私たちの間での取引の一般的な目的は果たせる、というのは大きな間違いです。ドレイピアは、そのような窮境で、土地を持つ者が誰も、自分の土地の生産物をどう扱わざるを得なくなるかを示し、この問題を、反論の余地がないほど明らかにしています。第二、第三書簡に詳しく述べていますので、そちらをお読みください。

終える前に、どうしても指摘しておきたいことがあります。この数か月の間、この町では、出来はともかく、祖国への愛という最も立派な公共の原則から書かれた文書が、おそらくほかのどの国でも、これほど短い期間に例がなかったほど、多数現れました。ドレイピアから俗謡の作者までを、ひとまとめに言っているのです。そのすべてが、筆者たちの普通の動機、すなわち利益、引き立て、名声を顧みずに書いています。利益については、信用できる人々から、ウッド氏についての最高の俗謡でも、作者の手に入るのは一グロートを超えない、と保証されています。また、不運な事業家ハーディングは、ドレイピアには鋏一丁のほか、何も贈ったことがないと述べています。引き立てについていえば、ウッド氏に反対してご機嫌を取れると思う人は、政治にあまり通じていません。名声についていえば、立派で学問のある人が、こんな一時的な題材で、しかも世界のこれほど目立たない片隅で、著述家として名を上げるために筆を執るはずはありません。ですから私は、自分も、ドレイピアも、大勢いる仲間たちも、それぞれの程度に応じて、真の愛国者であると思っています。

人々が今後期待できるのは、ウッド氏の半ペニー銅貨に気をつけるよう、ときおり警告を受け、納得するためにドレイピアの論拠を読むよう勧められること、それだけです。いかに優れた理解力の持ち主でも、制約されながら書く間は、その力を最大限に発揮することは不可能です。ホイットシェッド首席裁判官卿の訴追を、自分や印刷者に招くのを恐れ、絶えず表現を和らげ、直し、消さなければならないのですから。『ドン・キホーテ』の狂人を思い出します。いつも肩に担いでいた石をスパニエル犬の上に落として、織物職人にひどく殴られたため、それからは出会う野良犬がどれも同じ種類ではないかと恐れた、あの男です。

こうした理由から、今私の書いたものは、低調で味気なく見えるだろうと確信しています。それでも、ウッド氏のこの致命的な計画に反対するため、私たちの結束を保つことに少しでも役立てば、私の苦労も、すっかり無駄にはならないでしょう。

この原稿は、ある著名な法律家へ送りました。しかもその方は、徳と学識まで兼ね備えた人です。多くの修正をしたうえで送り返し、これは完全に潔白であり、反逆、反乱、扇動、悪意、不忠、中傷、その他いかなる邪悪なほのめかしも、少しも混じっていない、と保証してくださいました。

各教区の夜回りが、毎晩巡回の際に、「十二時を過ぎました。ウッドの半ペニー銅貨にご用心」と叫べば、おそらく小冊子をこれ以上出版する必要はなくなるでしょう。ただし地方の町では、市の立つ日に行うことにします。私自身は、法律違反でないと決まり次第、聖パトリック大聖堂の特別管轄区でこの実験を始めるつもりです。そして町全体がこの例に倣ってくれることを願います。しかし権力者が、ウッド氏を支持するものを除き、この問題についての一切の著述や発言を禁じるのが適当とお考えになるなら、私は身分にふさわしく従います。ただし、胸が張り裂けそうになったときだけは、葦の間へ行って、ささやくでしょう。同胞たちの賢明さを誹謗することなど、一つも言いません。ただ次のわずかな言葉だけです。「ウッドの半ペニー銅貨にご用心」。

しかるべき敬意をもって、
閣下に最も従順な、
謹み深い僕、
J・S

首席司祭館にて
一七二四年十月二十六日

第六書簡 モールズワース子爵閣下への手紙

原刊題紙

モールズワース子爵閣下への
手紙

「商店主その他への手紙」の著者
M・B・ドレイピア著

彼らは偽りの言葉で私を取り囲み、
理由もなく私に戦いを挑んだ。

私の愛に報いて、彼らは敵となる。
だが私は、祈りに身をささげる。

彼らは私の善に悪で報い、
私の愛に憎しみで報いた。 詩篇第一〇九篇、三、四、五節。

不正を取り除けないのなら、裁判官になろうとするな。
そうしなければ、権力者の顔を恐れ、
自分の正しい道につまずきの石を置くことになる。

町の大衆に罪を犯すな。
そうすれば、人々の間で自らを倒すこともない。

罪の上に罪を重ねるな。
一つの罪によっても、罰を免れることはないのだから。
『集会の書』第七章、六、七、八節。

私ムネステウスは、もはや一着を望まず、勝ちを争いもしない。
とはいえ、ああ! いや、ネプトゥヌスよ、そなたがそれを授けた者らを勝たせよ。

ダブリン。
フィッシャンブル通り、モールズワース・コートの
ジョン・ハーディング印刷。

印刷者への指示

ハーディング氏へ。以前の原稿をお送りしたとき、あなたに得をさせようとも、損をさせようとも思っていたとは言えません。それなのに結果として、私のために両方を受けられました。これ以上損害に遭わないよう、また利益のほうが増えるよう、神に祈ります。あなたがたの商売は、とりわけこの王国では、どんな商売にも増して不幸な境遇にあります。一文なしの三文文士が作る一ペニーの読み物という、この上なくくだらないがらくたを扱うために、しばしば自由を、ときには命まで、半クラウンを得るために危険にさらし、自分の無知のために、他人の行為について罰せられるのですから。

ことにあなたは、ご自分と奥様が牢に入れられ、苦労のうえに多額の費用まで負い、今なお訴追が迫っていることで、私に不平を言う理由があると、お考えなのではないかと思います。しかしハーディング氏、その事情をお話ししましょう。出版がこれほど厳しく監視されるようになって以来、世間に何かを知らせたい者たちは、できることなら危険の及ばないところに身を置くよう、たいへん慎重になりました。私は普段、筆跡を変えて書ける徒弟に口述し、できた原稿を、使い走りの少年に持たせて、あなたのお宅へ送っています。しかし同時に、私の名誉にかけて保証しますが、あなたが責任を問われる可能性があると思ったものを、お送りしたことは一度もありません。また、悪意のないところにも、法律を商う者たちが言いがかりをつける材料を見つけ出す腕前を知っていたので、あえて印刷に踏み切る前に、しかるべき助言を得るよう、いつも手紙でお願いしていたことは、あなたも証言してくださるでしょう。実際、そのとおりに、たいへん有能な何人かの方に相談され、後にあなたに敵対して現れた方にも相談されたと聞きました。これには、助言者を変えるか、羅紗商から来たものは何も印刷しないと決めるか、そのどちらかになさるしかない、としかお答えできません。

同封の手紙を、「スウォーズ近郊、ブラックデンズタウンの御邸宅にて、モールズワース子爵閣下へ」という宛名で、お届けください。ただ、閣下が読みやすいよう、印刷したものをお送りいただきたいのです。私の徒弟が筆跡を変えて書いた文字は、あまり読みやすくないからです。また、これを公にするのが適当だと思われるなら、まず有力な法律家に、注意深く読み通してもらってください。ドレイピアに好意を持ち、無料で引き受けてくれる方なら、きっと十分に見つかると聞いています。これまでの出費を考えれば、あなたに謝礼を払う余裕はあまりないでしょうから。以下の原稿から、あなたを再び牢へ送る口実を見つけるのは不可能だと思えるほど、注意を払ってはいます。それでも、あえてあなたの保証人になるつもりはありません。

以下の手紙にあるのは、私自身の短い身の上話と、これまでの小冊子、とりわけ最後のものについての、謹んでの弁明だけです。ウッド氏やその半ペニー銅貨については、ほとんど触れていません。新たな恐れを抱く事情が生じるまでは、この問題については、すでに十分述べたからです。そのような事情が生じた場合には、また私の便りをお聞きになるかもしれません。

あなたの友であり、
僕である、
M・B

聖フランシス通りの私の店より
一七二四年十二月十四日

追伸。あなたと私は、これからも決して認めるつもりのない直接の交際をしていないため、そちらの方々は、印刷で非常に大きな間違いをしがちです。そうならないよう、手配していただきたいと思います。

第六書簡 スウォーズ近郊、ブラックデンズタウンの御邸宅におられる、モールズワース子爵閣下への手紙[6]

閣下、「自分の本業に関わりのない事柄に首を突っ込む者は、後悔することになる」という、世間の人々の格言を、遅すぎる今になって考えています。まさしく私自身に当てはまってしまったからです。著述という商売に関わったことで、政府の不興を招いてしまいました。私を告発でき、その意志のある最初の忠実な臣民には、三百ポンドの報奨を与えるという布告が、そのしるしです。これに、これほど危険な人物を発見しようと、首席裁判官卿[ホイットシェッド]が示す、称賛すべき熱意と勤勉を付け加えてもよいでしょう。ですから、私が後悔していようといまいと、後悔すべき理由があることだけは確かで、世間の格言は、やはり正しいままなのです。

編者注 6

ロバート、モールズワース子爵(一六五六―一七二五)は、ダブリンに生まれ、同地の大学で学び、一六八八年の革命ではオラニエ公の有力な支持者であった。一六九二年、ウィリアム王は彼をコペンハーゲン宮廷への特命公使としてデンマークへ派遣したが、そこで反感を買い、突然離任した。フランドルへ退いたモールズワースは、仕返しに『一六九二年当時のデンマークの記述』を書き、自由を重んじる者には、あの国はふさわしい場所ではないと述べた。モールズワースはアルジャーノン・シドニーの共和主義思想に強く染まっており、この著書はその影響を十分に示している。刊行は大きな憤激を引き起こし、論争が起こった。スウィフトの友人、ウィリアム・キング博士もこれに加わった。一六九五年にアイルランドへ戻り、一六九七年に枢密顧問官となり、一七〇三年から一七〇五年までアイルランド議会、一七〇五年から一七〇八年までイングランド庶民院の議員を務めた。一七一三年、反逆的な発言をしたという理由でアイルランド枢密院から除名された。この発言は、スティールが『イングリッシュマン』と『危機』で弁護した。しかしジョージ一世の即位によって再び栄誉を得て、一七一九年にフィリップスタウンのモールズワース男爵、スウォーズのモールズワース子爵に叙された。一七二三年刊の『農業振興についての考察』を、スウィフトは「きわめて有益な示唆に満ちた、優れた論説」と評した。スウィフトがこの第六書簡を送った当時、モールズワースはブラックデンズタウンで隠退生活を送っていた。[T.S.]

人の世の成り行きには、どういうわけか、神に対しても祖国に対しても、何ら責任を問われることのない者が、法律上の非難を受ける羽目になることがあります。最後の審判の日には決して咎められないことによって、ウェストミンスターの法廷で有罪になるのです。

私は厳しく自分の心を調べ、名高い神学者数人にも相談しましたが、「公共に対する悪意や邪悪さ」、「扇動の種をまく企て」、「国王とその大臣への誹謗」、あるいは「この王国の人々の心をイングランドの人々から引き離そうとすること」の、いずれについても、自分に罪があるとは思えません。[7]自分を咎められる点があるとすれば、きわめて邪悪で悪意ある計画屋によって破滅の危険にさらされた国民を、助けに来るよう頼まれるまで待つことなく、弱いながらも救おうと試みたこと、それだけです。この試みのために、出しゃばりの思い上がった者と呼ばれることはあるかもしれません。しかし、私の良心に重荷を負わせることは、決してないでしょう。こんなに注意していても、これほど自分の弁明を述べたことで、すでに危険に飛び込んでしまったかどうか、神のみぞご存じです。というのも、ある判事の話を聞いたことがあるからです。罪人が恐ろしい最後の審判の日に訴えると言うと、その判事は、外国の裁判権に上訴したため、王権侵害罪に問われるぞと告げたそうです。またウェールズの別の判事は、同じ申し立てをした囚人を厳しく叱り、そんな比較は当法廷を誹謗するものだと非難しました。「比較は不愉快なもの」だから、というのです。

編者注 7

これらの引用は、先の書簡の筆者と印刷者に対する起訴状と布告に挙げられた容疑から取ったもの。[T.S.]

しかし、同じ境遇のほかの人々よりも物思いにふけりがちなことを、いささか弁明するため、ひどく愚かなことをする間、どうか閣下にお許しいただきたいのです。私自身について、ほんの少しお話しすることです。

私は無料の学校で育ち、そこでラテン語をいくらか覚えました。ロンドンで徒弟奉公をし、それから独立して、うまく商売をしていました。ところが友人の幾人かが亡くなり、ほかの人々にも不運が重なったので、この王国へ戻り、毛織物業のあらゆる部門を育てることに、思いを向けるようになりました。そこで、大きな妨害と強力な反対者に出会いましたが、その異議は、私には非常に奇妙で特異なものに思えました。私たちの製品がイングランドの製品に肩を並べるようになれば、イングランドの人々の気分を害する、と言うのです。織物業者の中にまで私の敵がおり、愚かで不自然なことだと思わずにはいられませんでした。そのころ閣下には、ご親切にも私の店へお越しいただき、染物屋から戻ったばかりの白黒の布地をお見せしたところ、お気に召して、お買い上げいただいたことを覚えています。[8]

編者注 8

「染物屋から戻ったばかりの白黒の布地」とは、一七二〇年刊の小冊子『アイルランド製品の普遍的使用についての提案』を指す。第七巻参照。[T.S.]

しかし私はすっかり意気をくじかれ、今後はほかの同業者のように、店でおとなしく普通の品物を扱っていこうと決めました。ところが数か月前、身分の低い貧しい人々には、長い間ひどく激しく吹きつけ、身を切るようだった冷たい東風を防ぐため、飾り気のない、丈夫な粗い布地が必要だと思い至りました。それで、そのための布を考案したところ、王国じゅうでたいへんよく売れ、何千人もの人を悪寒の出る熱病から守りました。そこで紳士方のために、第二、第三の布地も作り、同じ成功を収めました。おかげで、しばらくは、そんな熱病の話をほとんど聞かないほどでした。[9]

編者注 9

「冷たい東風」とは、ウッドの半ペニー銅貨を受け入れるよう、アイルランドの人々に加えられた要求を指す。三種類の「布地」とは、「M・B・ドレイピア」という筆名で書かれた三通の書簡である。[T.S.]

これにすっかり励まされ、私は手に入るかぎり上等のアイルランド羊毛で、あえて第四の布を織ってみました。この国の最高の貴族や判事が着るにも、十分に重々しく、豪華だと思ったのです。ところが近ごろ、偉い方々の中から、「これを着ると手足に震えを感じる」という苦情が出ていると聞きます。そして腹を立てて脱ぎ捨て、これを考案した哀れな羅紗商に、地獄へ落ちろと呪いを浴びせたそうです。そこで私は、閣下と、ごくわずかな方々を除き、二度と身分の高い方々のための仕事はしない、と決めています。[10]

編者注 10

これはドレイピアの第四書簡を指す。この書簡のために布告が出され、著者を見つけた者には三百ポンドの報奨が示された。[T.S.]

正直な市民の言葉にかけて、閣下に保証します。私が考案したさまざまな布地をすべて売っても、ウッド氏の半ペニー銅貨一枚分すら、私は豊かになっていません。利益は丸ごと、染物屋とプレス屋に与えているからです。[11]ですから、祖国への愛以外の動機では、時間を失い、いらだちと敵意しか得られないのに、頭と手をせわしなく動かす気にはならないと、お信じいただきたいのです。

編者注 11

印刷者たちのこと。[F.]

今、閣下のために特別に織ろうとしている布地が一枚、手元にあります。もっとも、先の布地に使った羊毛の切れ端や残りだけで作ると白状しては、差し上げるのが恥ずかしくなるかもしれません。それでも、できるだけうまく仕上げるつもりですし、最悪でも、小作人の誰かにお与えになれば済むことです。

羅紗商が自分の商売の専門用語をひけらかすのを聞かされても、閣下にはさぞ退屈だろうと、よくわかっています。それなのに、ほんのわずかとはいえ、私がまた国政の問題へ入っていくのをご覧になれば、いったいどれほど話がましになるでしょうか。偉い法律家たちの言うことを信じるなら、ウッド氏との争いは、今では国政の問題に育ってしまったのです。そして賭け事ではよくあるように、ファージングで始めた人が金貨にまで進み、ついには財産を失い、牢で死ぬ者まで出るのと同じことが、私にも起こるかもしれません。ウッド氏の半ペニー銅貨をあまり長くもてあそんでいると、私を売る報奨の二倍の罰金を払わされ、牢へ送られて、「最後の一ファージングを払い終えるまで、そこから出られない」ことになるかもしれないのです。

閣下、私は三種類の人間とは、決して議論しないと決めています。胸に拳銃を突きつけてくる追い剥ぎ、家を略奪しに来る竜騎兵の一隊、そして私を告発することで手柄を立てられる法律家です。この三つはほとんど同じ場合ですが、最善の方法は、近づかないことです。次によいのは、金を差し出し、家を明け渡し、何も自白しないことです。

最後の書簡で非難のきっかけとなったのは、二つの箇所だと聞いています。ウッド氏の特許状について貴族院が行った上奏に対する陛下の返答に触れた箇所と、アイルランドが従属王国であることについて論じた箇所です。前者については、最大限の敬意と注意をもって扱ったとしか言えません。ウッドの特許状が、これまで与えられたほかのすべての特許状と、多くの重要な点でどう違うかを示すのは、必要なことだと思いました。正しい情報がないために、その反対のことがあまりに強く、広く主張されていたからです。後者の、アイルランドの従属については、しばしば耳にしたことを認めますが、その意味を理解できたことは一度もありません。それで好奇心を起こし、優れた法律家数人に尋ねましたが、皆、何も知らないと明言しました。そこで両王国の法律をすべて繰りましたが、私が引用した、ヘンリー八世治世第三十三年のアイルランドの法律、つまりアイルランドをイングランドと一人の国王の下に結びつけるもののほかは、何の情報も得られませんでした。探して何も見つからなかったのを、残念だったとは言えません。ほかの国民と同じく、神と自分の君主と自国の法律だけに従属することで、私は確かに満足できるからです。しかし私より上の方々は違う意見を持ち、さらに従属先を増やしたいとお望みなのですから、私は喜んで従い、M・B・ドレイピアについて設けた例外に固執することはしません。実際、あの思いつきは、イングランドで聞いたつまらない話から借りたものでした。よく知られた、ありふれた話かもしれませんが、反逆も扇動もほのめかすものではないので、ただそのままお話ししましょう。

数百年前、貴族がたいへん強大で、庶民はその従属者と大差ないと見なされていたころ、貴族の権力と特権に、新たなものをいくつか加える法案が提出されました。朗読が済むと、下院議員のドリュー氏が立ち、この法案には大いに賛成で、可決に票を投じるが、ただ、自分だけがよく知るいくつかの理由から、ドリュー家を例外とする条項を入れていただきたい、と言いました。この提案の奇妙さで、ほかの人々も少し考えるようになり、法案は否決されました。

従属を調べるにあたって私が間違っていたか、行き過ぎたかは、裁判所ばかりでなく、世間の公平な判断にも委ねるほかありません。もっとも、世間には裁判所ほどの実効性や決定権はありませんが。しかし、聞くところでは一部の人々が、臆病で卑屈な精神を助長するため、この点は私の主題に関係しないと主張しているそうです。これは誤った、愚かな異議です。ウッドとその共謀者は、あの悪名高い計画に対するあらゆる反対をくじこうと、いくつもの中傷的な噂を、せっせと広めました。私たちは反乱の用意をしている、国王の大権を争っている、従属を振り捨てようとしている、と言いふらしたのです。第一の噂は、反対の証拠がこの上なく明白だったにもかかわらず、あまりに広まり、あまりに信じられたため、今イングランドにいるこの王国のある偉い方が、善良な臣民なら誰もが悲しみ震えるような報告を、こちらの友人たちに送ってきたほどでした。ですから私は、この誹謗を、その性質にふさわしく扱う必要があると思いました。次に、陛下の大権を争う意図など、私たちにはあり得ないことを、反論の余地のない論拠で証明しました。どの国のローマ法学者も法律家も、銅は貨幣ではないと認めている以上、大権はこの問題に関わらないからです。最後に、従属を振り捨てようとしているとの非難を晴らすため、この従属が何から成ると私が考えるかを示し、前に述べたアイルランドの法律を引用しました。「イングランドの国王である者は、アイルランドの国王であるべきこと」、両王国は「一人の国王の下に、永久に結び合わされること」を定めた法律です。これによって、従属を断つ意図があるという疑いは、完全に晴れたと考えました。私たちには、それをする力がまるでないのですから。イングランドの国王が、その法律の廃止に同意することなど、決してないはずです。

ところが、この点について、もっと重い非難を浴びせられています。次のように宣言したのは行き過ぎだ、というのです。「もし王位僭称者が、イングランドの王座に据えられるようなことにでもなれば――神よ、それを防ぎたまえ――、私はあえて、それほどまでにこの法律を犯し、彼にアイルランド王として服従する前に、最後の一滴まで血を流すだろう」。

これが私への最も強く重い異議であり、最も大きな不興を招いたものだと、方々で聞きます。はっきりした法律にあえて反対を唱え、どんなに強い動機があろうとも、イングランドが受け入れる国王を拒むとは何事か、というのです。さて、この非難から自分を守るため、私が率直に、「行き過ぎた」、「その表現はきわめて軽率だった。もっとも、それは現在の陛下と、ハノーファー家のプロテスタント王統に対する熱意から出たものだった」、「今後は同じ種類の過ちを決して犯さぬよう注意する」と認めたとしましょう。さらに、「この率直な告白と、自分の誤りへの悔恨が、いくらかの償いとなり、力ある敵対者の心を少しでも和らげることを望む」と言ったとしましょう。このような弁明をしたとしても、ある人々は意地悪な解釈によって、悪い意味にねじ曲げるに違いありません。ですから、あの段落について、ほかに可能な返答を思いつかない以上、私は公正な読者の一人一人の寛容に、これを委ねます。

ここで、閣下に一つの秘密を、あえてお話しします。恐らく閣下には、あまりに深い関わりがある秘密です。どうかお聞きください。この王国のほとんどすべての人と、不幸にも私が違っている点、つまり、望むより多くの方々の耳を不快にしかねない、この書いたり論じたりする癖は、ロンドンでの徒弟時代と、独立してからの長い滞在の間に身につけたものです。こちらに帰って住みついたときも、自由のある一つの国から、別の自由のある国へ移っただけだと思っていました。私は長く、閣下[12]、ロック氏、モリニュー氏[13]、シドニー大佐[14]、その他の危険な著者の書物に親しんできました。そういう人々は、「自由は、人類全体が生まれながらに権利を持ち、不法な力によってしか奪い去ることのできない恵みである」と論じます。私はヨーロッパ各地のゴート人に由来する制度について、また、それがどんな出来事や成り行きによって壊されたかについて、かなり知っていました。そして、人々が自分たちの同意で作った法律によって治められることこそ自由であり、その反対が隷属だということは、最も疑いようがなく、誰もが認める原則だと、ずっと考えていました。また、自由や財産という言葉は、この王国でも使い方と意味が知られており、法律家たち自身も、理解している顔をして、しばしば口にするのだと聞き、本当だと信じています。これらこそ、私を迷わせた誤りであり、私が受けた厳しい扱いは、ただこれだけのせいにするほかありません。しかし、やがては賢くなり、自分を追い立てる御者も、今いる道も、誰と同じ軛につながれているかも、考慮するようになるでしょう。これだけは、あえて申します。私がこれまで述べた最も大胆で、最も嫌われた言葉も、イングランドなら、晴れた夏の日に太陽が輝いていることを証明しようとする、愚かな馬鹿だと思われるだけだったでしょう。また閣下が、五十倍もひどいことを話し、書いてこられたと、いつでも証言できる証人がいます。さらに罪を重くすることに、それがはるかに優れた機知と学識と、より強力な論拠によってなされているのです。ですから、今の政治のあり方では、閣下ほど非難すべき原則をお持ちの方を、私は知りません。もし私の正体がわかったら、閣下は名誉にかけて、私の罰金を払い、牢での暮らしを支える義務があると思います。そうでなければ、仕返しに閣下を密告することになるかもしれません。[15]

編者注 12

前掲一六一頁の注参照。[T.S.]

編者注 13

ウィリアム・モリニュー(一六五六―一六九八)は、ジョン・フラムスティードとロックの文通相手であった。その『新光学』には、ロックの『人間知性論』への熱烈な賛辞がある。一六九八年十月に没したが、その年の初めには、イングランドの法律がアイルランドの製造業に及ぼす影響について、有名な考察を刊行した。『イングランド議会の法律によってアイルランドが拘束されることの問題を論ず』と題するこの著作は、イングランドとアイルランドの双方で大きな騒ぎを起こした。モリニューは、アイルランド議会はイングランド議会から独立していることを示そうとした。一六九八年六月二十二日、庶民院の委員会はこの著書を、「イングランドの王権と議会に、危険な結果をもたらすもの」と報告した。しかし事態は、この委員会決議を国王への上奏に盛り込む以上には、進まなかった。[T.S.]

編者注 14

アルジャーノン・シドニー(一六二二―一六八二)は、よく知られた『統治論』の著者で、クロムウェル時代と王政復古期の有名な共和主義者であった。第二代レスター伯爵の、成人まで生きた息子のうちの次男である。軍人、政治家、扇動家、大使、著述家としての生涯は、イングランド史のこの興味深い時代に、一つの興味深く、魅力的ですらある章をなしている。ジェフリーズの前で反逆罪の裁判にかけられ、この上なく優れた弁護にもかかわらず、死刑を宣告された。処刑は一六八二年十二月七日に行われた。[T. S.]

編者注 15

M・Mと署名する筆者は、『モールズワース子爵閣下への手紙を機として、M・B・ドレイピアへの時宜にかなった忠告』という一枚刷りで、スウィフトのこの書簡に答え、実際にこの段落を、スウィフトが本気で密告者になろうとしている意味だと受け取っている。「さて、あなたはこれを行き過ぎたものにした、という意見の人々もいる。密告者たちの先例になってしまうからだ。ほかの人々は、あなたが口述を聞かせている徒弟の脅しによって、惨めな立場にいることを、閣下にほのめかしているのだと考える。金を渡してやめさせなければ密告する、というあなたの言明は、先の機会にその徒弟が、奉公契約書をすぐに返し、独立して商売をするために店の商品の半分を渡さなければ、あなたを密告し、裁判に引き出し、自分は法律によって奉公から解放され、約束の三百ポンドを開業資金にする、と誓ったことを意味するというのである。こうした解釈がどれほど真実に近いかは、私にはわからない。ただ、密告という言葉を時宜にかなわないと思う人がいることは知っている……」。[T.S.]

差し当たり、閣下には私の告白をお聞き届けいただきたいと思います。もし、神の法、自然法、理性の法、国際法、あるいはこの国の法律のいずれによってであれ、私の説明した以外の意味で、アイルランドのイングランドへの従属というものがあるなら――これについて、私は今後決して争いません――、私に対する布告は、かつて出されたうちで最も慈悲深いものでした。私を悪意ある邪悪な扇動者と非難する代わりに、まっすぐ大逆罪で告発してもよかったのですから。

私が望むのはただ、ウッド氏と争う祖国の大義が、私の何らかの不注意によって損なわれないことです。アイルランドがイングランドに従属しようと、神と国王と法律だけに従属しようと、ウッド氏に従属していると主張する人はいないでしょう。私に対するこの称賛すべき憤りが、図らずも――それは決して意図したことではないと願いますが――、ウッド氏の無謀で破滅的な計画に反対する、あらゆる身分や団体の人々の気概を冷やすなら、心から残念に思います。同胞たちには、私の最後の書簡のうち、気に入らない部分を消していただきたい。そして、私たちのこの上なく恐ろしい敵につけた傷を治すのに使える錆など、私の剣に残さないでください。サー・チャールズ・シドリー[16]が、いくつものことを否認しなければならない宣誓を行ったとき、「否認するのは好きだ」と言って、「ほかにも否認するものはないか。望まれるだけ否認する用意がある」と尋ねたそうです。私はそこまで徹底した否認者ではありませんが、この疫病のような鋳貨から守られるという、商都の確かな保証さえいただければ、四通の書簡の一音節まで、すべて否認する用意があります。それどころか、自分の手で喜んで公の刑吏に渡し、鋳貨業者の人形ほどの仲間とともに焼いてもらう用意もあります。その人形のどこかが、群衆という世俗の執行者の手を逃れて残っているならば、ですが。

編者注 16

これは、チャールズ二世治世の有名な才人で劇作家のサー・チャールズ・セドリー、正しくはシドリーのことに違いない。フォークナーは一七三五年の再版でSidleyと印刷しているが、原刊の二ペニーの小冊子と『ハイバーニアン・ペイトリオット』ではSidneyとなっている。サー・W・スコットはSedleyと訂正している。[T.S.]

しかし、一部の人々の考えがどうであれ、私に反対して署名した者の多くが、ウッド氏に反対する王国の圧倒的多数の側にいることは、認められていると思います。そして、彼とその貨幣に反対する強硬な声明の末尾に、非常に尊い方々のお名前が、私の名とたいへん仲よく並んでいるのを見て、私は大いに満足しました。とはいえ、すでに私たちの間でこの貨幣を受け入れると決まっているなら、私を売ろうとしている立派な人物は、賢明にも、できるかぎり早く実行すべきです。さもないと、その報酬を支払うための三百ポンドを、正規の金銀貨で見つけるのが難しくなるかもしれません。公衆が五十万ポンドを――この国にそれほどあるとしてですが――失い、さらに毎年の所得の五分の四を永久に失ったあとでは。

法律家から聞くところでは、人と人との争いでは、どちらが先に挑発し、最初の一撃を加えたかが、非常に重要なのだそうです。ウッド氏がその両方を行ったのは明らかですから、まず彼を絞首刑にし、そのくず銅を海に投げ捨てることを、謹んで提案します。その後ならドレイピアは、喜んで裁判を受けます。「つまずきが来るのは避けられないが、つまずきをもたらす者は災いである」。ウッド氏が手を出さなければ、ほかの者も皆、黙っていたでしょうし、この件で小冊子や陪審や布告が必要になることも、ほとんどなかったでしょう。目立たず、怠け者の羅紗商を、著述家になるまで奮い立たせたからには、挑発はよほど大きかったに違いありません。こういう大義のためなら、道端の石さえ立ち上がるのではないかと、思いそうになります。そしてウッド氏が、いつかその手の届くところへ来たなら、石が本当に彼に向かって立ち上がらないとも、私には言い切れません。口の利けない少年が、父の喉に短剣が突きつけられるのを見て恐怖にかられ、舌が通り道をこじ開けて声を発した、という話は有名です。これを思えば、人目を避け、静かに隠れ暮らしていた商人が、自分を生んだ政治上の母の命と存在が、これほど卑劣な手によって、目の前で奪われようとしているとき、声を上げたからといって、さほど不思議ではなくなるでしょう。

それなのに、王国を滅ぼすウッド氏は、得意顔で歩き回っています。借金のために牢にいるという話が本当でなければ、ですが。一方、祖国の自由を守ろうとした者は、たまたま論争に関わったために、頭を隠さなければなりません。もっとも、軍紀の厳命に一度だけ背き、強敵に大勝したため死刑を宣告された者は、私が初めてではありません。

私は今、ある首席司祭から受けた忠告に従うことに決めました。もう手遅れになってからという、人間によくあるやり方ですが。その方は、私が人々の全般的な好意を当てにしたのは間違いだと指摘しました。「これまでは思いのほかうまくいったが、おそらく何か不運な細部の手落ちによって、権力の手の届くところへ引き込まれるだろう。魂の憤りのままに動く君の筆を、一筆一筆見張っている者たちに対して、善意など何の保障にもならない」と。そして、こういう例を挙げました。「君と同じく潔白で、私欲がなく、善意に満ちた筆者がいた。その著者の正体を知る印刷者が、この上ない熱心さで訴追され、陪審は九度も評議をやり直させられ、ついにはその男は法廷の情けに委ねられた」。[17]さらに首席司祭は言いました。「君は、いわば一人だけで戦いに立ち向かうままにされている。羅紗商より一万倍も優れた才のある人々は、賢明にもじっとしていて、ほかの者が自由と財産を賭けて楽しませてくれるのを、安全な場所から眺めるのは、悪くない娯楽だと思っているのかもしれない。そして少し喝采すれば、十分な礼をしたつもりでいる」。そうして最後に、マドリードのあるユダヤ人の短い話をしました。信仰のために火刑を宣告されたその男の後を、学童の一団が火刑柱までついて行きました。男が信仰を捨てると、自分たちの楽しみがなくなるのではないかと心配して、しきりに背中をたたき、「スタ・フィルメ・モイセ、モーセ、しっかり信仰を守れ」と叫んだ、という話です。

編者注 17

これは『アイルランド製品の普遍的使用についての提案』を出版したためのことであった。[T.S.]

この紳士の忠告は適切であり、その見方も正しかったと認めます。それに一つの点では、私の境遇はあのユダヤ人より悪いのです。何を撤回しても、私は救われませんから。それでも最近の成り行きを見ると、私の立場は、まるで望みがないわけでもなさそうです。これはただ、二つの公平な大陪審が動じなかったおかげだと思います。そのため、私は長く抱いてきた意見を、ますます確かにしました。哲学者の言う「徳は中庸にある」という言葉は、別の意味でも成り立ち、この世に残るわずかな徳は、主として人々の中間の階層に見つかるのです。野心に誘われて徳の道を外れることも、貧しさに追い出されることもない人々の間に。

最後の書簡によって布告が出され、法廷で私を訴追する準備が十分に整えられてから、二つの印刷物が密かに出回りました。誰もその出所を突き止められず、推測するしかありませんが、推測というものはいつもの慈悲深さで、私の作だということにしています。最初のものは「時宜にかなった忠告」[18]という題で、あの書簡に対する起訴状が用意されると仮定して、大陪審に事情を知らせるためのものらしく見えます。もう一つ[19]は、一六八〇年の議会審議を記録した刊本からの抜粋で、大陪審の解散に反対する、イングランド庶民院の憤激した決議を含んでいます。前者は、お読みになれば、普通の羅紗商よりも巧みな手になるものだと、閣下にもおわかりになるでしょう。まったく自由で偏りのないはずの陪審員の心に、影響を及ぼそうとするものだと非難されています。その理屈からすれば、判事が法廷の内外で、自ら、あるいは手先を通じて、陪審員の誰か一人の感情や利害にでも、影響しかねないことを少しでもほのめかした例など、まして陪審全体に対してそんなことをした例など、これまで知られていないのは明らかです。ありふれた公刊裁判記録を、わざわざ少し拾い読みするだけで、誰もが納得するでしょう。そう考えると、過去六十年以上にわたり、両王国にいかに多くの高潔な判事がいたことかと、驚かずにはいられません。長くその地位を、任命者の意のままに解任できる条件で保っていたことを考えれば――この国では今もそうですが――、ほとんど奇跡だと思います。

編者注 18

一二三頁参照。[T.S.]

編者注 19

一二七頁の注参照。[T.S.]

もう一つの文書については、それがイングランド庶民院による厳しい非難であることを認めなければなりません。判事が、大陪審でまだ事案を検討中で、告発が済んでいない間に、開廷期、巡回裁判、あるいは裁判会期の終了を待たず解散させることは、恣意的かつ違法であり、公正な司法を破壊し、宣誓の明白な違反であり、王国の根本法を転覆させる手段となる、というものです。

しかし、この文書を公にした者は、ねらいを間違えたようです。アイルランドがどれほどイングランドに従属していようと、アイルランドの首席裁判官卿の行動まで、イングランド庶民院の決議に従わなければならない、とほのめかそうとしたのでないことを願います。それに、その決議は特定の首席裁判官卿、サー・ウィリアム・スクロッグズ[20]に向けられたものでしたが、事情はまるで反対でした。スクロッグズは、ロンドンの大陪審が告発を行うのを恐れて解散させましたが、ダブリンの大陪審は、告発を行おうとしなかったため解散させられたのです。これでは、事情が驚くほど違ってきます。そこで第二の大陪審が、この欠けたところを埋め、王国全体を喜ばせる告発を行いました。[21]しかし、どちらの陪審も、この国に徳や公共心への敬意が少しでも残るかぎり、その名誉として記憶されるべき振る舞いをした、ということは、すべての側が認めていると思います。

編者注 20

サー・ウィリアム・スクロッグズ(一六二三?―一六八三)は、一六七八年、サー・トマス・ラムズフォードの解任に伴い、イングランドの首席裁判官に任命された。一六八〇年の彼に対する八つの弾劾条項の一つは、開廷期が終わる前に、違法にミドルセックスの大陪審を解散させたことだった。一六八一年に弾劾条項は貴族院へ送られたが、手続きは、保釈保証を立て、一定の期日までに答弁書を提出するよう命ずる以上には進まなかった。スクロッグズは不評のため、一六八一年四月十一日に解任された。法律家としての評判は高くなく、判事としては、悪名高いジェフリーズと同類に数えねばならない。[T.S.]

編者注 21

付録第五参照。[T.S.]

一つのことについては、閣下も私と同じお考えだと確信しています。小陪審と大陪審の双方のために、その権限がどこまで及び、どこで限られるかを知らせる、短く平明で信頼できる論説を刊行し、その印刷物を各法廷に一部ずつ置き、陪審員が評決を考える前に参照できるようにすればよい、ということです。そうすれば、多くの不都合を避けられるでしょう。その実例は、昔のことから無数に挙げられます。今のことは、何も申しません。

どこかで、東方のある王の話を読みました。不正な判決を下した判事を死刑にし、その皮を詰め物入りの座布団に仕立てて、裁判官の席に置かせ、父の職を継がせた息子を、その上に座らせたというのです。こういう形見は、サー・ウィリアム・スクロッグズの息子にも、無用ではなかったかもしれません。その座布団がもつ間は、本人も後任者たちも、しばしば座席で身をよじっただろうと思います。この話の語り手が、あの国にはこんな座布団がいくつあったのか、教えてくれていればよかったのですが。

私人が人々に情報を知らせることが、ウッド氏の件のように、公共の利益と安全にこれほど深く関わる事柄においてすら、いかに微妙で危険なことになったか、閣下に申し上げずにはいられません。しかも、忠誠が人々の心そのものに織り込まれた国でのことですから、いささか異様に思えます。この称賛すべき鋭さを、法廷に初めて持ち込んだのはサー・ウィリアム・スクロッグズでした。しかし後任たちが、このやり方をどこまでまねたか、あるいは場合によってどこまで拡張したかは、私の知るところではありません。大臣たちの気に入らない小冊子が、誹謗文書として告発されると、彼は問題の段落を自分の前で読ませ、王座裁判所の判事や法律家が、イングランドの人民全体よりも鈍いとは不思議なことだ、と言ったものです。そして、名の頭文字が誰を指すかを当てたり、曖昧なほのめかしを解いたりすることに、しばしば実に巧妙な手腕を発揮しました。これは、その種の筆者が法律を逃れるために使う、お決まりの二つの手段ですが、彼は著者が意図したことより、ずっと多くを発見したのです。その著者や印刷者の多くが、身にしみて知ったとおりです。ウッド氏について、私がこれまで書いたものや今後書くかもしれないものを調べるのに、こういうやり方を使うのなら、私の五十倍もの理解力と用心深さがある人でも、罠に落ちずに済むものかと思います。世間がもう飽きた古い論拠や計算を繰り返し、誰も読まないものを書くだけで満足するのでなければ、ですが。ですから、私のよき友ハーディングは、二つに一つの難題を抱えています。私の学識豊かな著作を、いつまでも縄に掛けて乾かしたままにしておくか、足枷をはめられる危険を冒して、出版に踏み切るかです。

難しさがどこにあるか、閣下に申し上げるまでもありません。確かに、国王と法律は、ウッド氏の貨幣を拒むことを私たちに認めています。しかし同時に、国王と法律が、それを受け取ることも私たちに認めているのは、同じく本当です。そしてイングランドの大臣たちが、あの真鍮を私たちの間に流通させた結果を、私たちの恐れるほど破滅的なものとは考えていないことは、まったく確かです。もしそういうものだと理解していれば、あれほど名誉と正義を重んじる方々が、この上なく忠実な王国を破滅から救うため、陛下への影響力を使わずにいるはずはないからです。しかし、あの偉い方々が、この貨幣は私たちにさほど有害ではないとお考えになるかぎり、私たちは、国王の特許状に従おうとしない頑固者だと非難される、不利な立場にあります。ですから、残る手立てはただ一つ、国王と法律が私たちに残した自由を使い、この貨幣を拒み続け、たびたび注意を呼び起こして、これに反対して生まれた気概を保つことです。そうしなければ、気概は衰え、やがては完全に沈んでしまうかもしれません。イングランドの指示なしに、この王国でウッド氏の半ペニー銅貨の受領や流通を禁ずる公の命令が出ると期待するのは、無理なことです。そしてそんな指示が出るとは、誰も考えていませんし、そこまで楽観的な望みを抱く人もいないでしょう。

しかし閣下、本当のことを申せば、私は著述家としての務めに飽き始めており、歌や俗謡を作る仲間たちに、これを引き継いでもらえたらと、心から願っています。今この論争の落ち穂を拾うには、おそらく彼らが最もふさわしいでしょう。私自身に関しては、誤った土台に立って始め、そのまま続けたのが不運でした。この卑劣な詐欺師ウッドの詐欺と虚偽を、あらゆる点で暴いたあと、私は愚かにも、泣き言を並べ、嘆き、慈悲を求めて叫ぶことを軽蔑しました。それよりも、法律と自由と、人類共通の権利に訴えるほうを選んだのです。自分がどんな風土の中にいるかも考えずに。

閣下が前回アイルランドにお住まいだったころ以来、私はしばしば小馬に乗り、閣下の領地を回っていました。そこでは周りに自由の風が吹いているように感じたものです。また、商人という低い身分のために、邸宅へ伺う資格がなかったのを、ありがたく思っています。もし伺っていたら、私の著作はもっと厳しい非難を免れなかったでしょうから。しかし近ごろ、その小馬を売りました。そして最大の欠点も、正直に話しました。ブラックデンズタウンの空気を吸い込み、すっかり自由を愛するようになったので、ほとんど抑えが利かなくなったことです。また、閣下の著作は、丈夫な箱の底へ、自由を論じたほかの多くの本の下に埋め、その上にホッブズ、フィルマー、ボダン[22]、その他同類の著者の本を一、二層重ねておきました。統治について新しい一組の原則を採り入れたい気分になれば、いつでも、いちばん手近に取り出せるようにです。それまでは静かに店の面倒を見て、閣下の影響から、できるだけ遠ざかるつもりです。もしまたこの問題についての私の著作をご覧になることがあれば、今お目にかけたものと同じくらい潔白で、味気なく、とげもないものになっていると、お約束します。しかし、もし閣下がヨークシャーの領地[23]の一部を、楽な条件で貸してくださるなら、そこへ箱を運び、ひっくり返して、読みさしにした政治の読書を再開しましょう。そして飾り気のない粗末な食事を取り、自由で正直なイングランドの農民として、生きて死にたいと思います。ただし、ウッド氏の真鍮の爪への恐れの中に、同胞たちを置き去りにすることには、悔いを残すでしょう。この上なく忠実で罪のない同胞たち。私と、彼らに仕えようとする私のささやかな努力に、よい評価を与えてくれたことについて、私はそれほど多くの恩を負っているのです。

閣下にこの上ない敬意をもって、
閣下に最も従順な、
最も謹み深い僕、
M・B

聖フランシス通りの
私の店より
一七二四年
十二月十四日

編者注 22

サー・ロバート・フィルマー。チャールズ一世の側に固く立ったため、苦難を受けた政治著述家である。主著は、没後の一六八〇年に刊行された。『家父長制論』と題し、ホッブズの社会契約説に対して、家父長的な統治の理論を擁護している。ロックは、一六九〇年刊の『統治二論』でこれを激しく攻撃した。

ジャン・ボダンは一五九六年に没した。政治的統治の理論的基礎について、情報と考察を見事に集めた『国家論』を書いた。[T.S.]

編者注 23

モールズワースのヨークシャーの領地は、ティックヒル近郊のエドリントンにあった。[T.S.]

第VII書簡 議会両院への謹んでの上申。M・B・ドレイピア著。

「恥辱と、驕る勝者から受けた打撃に、幾度もうめきながら——」

[ウェルギリウス『農耕詩』第三巻、二二六〜二二七行。]

第VII書簡 議会両院への謹んでの上申。

国王や議会に請願や上申を行うことは、君主やこのような大いなる会議に対する当然の敬意を損なわないかぎり、すべての臣民の権利だと聞いております。また、一私人の控えめな提案や意見が、助言めいた口調で述べられたのでなければ、不興を買ったという話も覚えがありません。そのような思い上がりは、私の考えからはまったく縁遠いものです。しかし、提案さえも出過ぎたことと見なされるのでしたら、せめて自分自身やこの国の願いを述べることくらいは、誰にでも許されるものと存じます。たとえば、商業の振興のため、また、賢明な国々すべての方針に反して、今や異様なまでに放置されている農業の改良のため、植樹に関する法律の明白な不備を補うため、貧しい人々に仕事を与えるため、その他さまざまな目的のために、さらに法律を定めていただきたいと願うことは、私にも許されましょう。

この原則に立って、私はあえて断言いたします。ごく少数の例外を除き、国民全体の心からの願いは、議会が今会期の最初の仕事として、ウィリアム・ウッドなる、現在あるいは先ごろまでロンドンにいた金物商の、忌まわしい詐欺を厳しく調査してくださることです。この男は、両院の決議と上申にも示されているとおり、不法かつ秘密裏にイングランドで特許状を手に入れ、かの王国で半ペニー銅貨を鋳造して、この国で通用させようとしたのです。申しましたとおり、ごく少数の例外を除いて、これが国民全体の願いです。そして、その少数の者がいるために、ほかの国民の願いはいっそう強く、また正当なものとなっております。その少数とは、ウッドの共犯者たちか、何者とも知れぬ商人たち、あるいは判断力は乏しく野心ばかりは強い、向こう見ずな「請負人」たち[1]で、自分の地位を固め、あるいは高めることで、国家の破滅から利益を引き出そうと考えているのです。このような者たちは、ある種の政治の仕組みに従って行動しています。皆様にはいつまでもまったく無縁であっていただきたいと心から願う仕組みですので、ここに謹んでご説明いたします。

編者注 1

これはチャールズ二世の時代の言い方で、国王がとりわけ望む施策の実行を請け負うことで権力を得た、押しの強い大臣たちを指した。ただし首席司祭は、いつものように周到な曖昧さを持たせてこの語を用い、一般的な意味での策謀家や計画屋とも解せるようにしている。[S.]

どうか、私が俸給と役得を合わせて年に千五百ポンドの役職にあり、そのうえ年収八百ポンドの不動産を所有していると仮定してください。次に、たとえばウッドの計画のような破壊的な事業が始められ、それが成功したあかつきには、そこから当然予想される結果によって、この王国の地代と富が半減するとします。もっとも私は、実際には六分の五が失われただろうと確信しております。そして、この計画に賛意を示すか、内々に後押しすれば、私の地位を守り、あるいはさらに引き立ててくれると期待する人々の意にかなう、と私が考えたとします。そうなれば、あとは得失を計算して差し引きし、総額を出すだけです。私は十年間その役職にとどまるものとします。さらによい役職に就く見込みも十分あるのですが、それは勘定に入れません。年千五百ポンドですから、十年では一万五千ポンドになります。先の計画が成功すると、私の土地からの収入は年四百ポンド減りますが、土地の価格を年収の二十年分と見積もっても、わずか八千ポンドです。ですから差し引き七千ポンドの純益になります。しかもその間ずっと、私は権力と信用を手にし、お気に入りの者に恩恵を与え、敵に復讐できます。計画が失敗しても、私個人の功績はそっくり残ります。恐るべき勘定に見えますが、国家の破滅か存続かが懸かった局面で、実際にこの勘定が用いられ、実行に移されたことを、私は確かな事実として断言いたします。もっとも、おそらく議会の寛仁さと徳をもってしては、人間のうちにかかる怪物がいるとは、にわかにお信じになれないでしょう。それでも、賢人ベーコン卿は、「自分の卵をその火で焼く都合のために、一軒の家に火を放つ」ような連中について述べています。この種族がまだ絶えていないのではないかと、私は恐れております。

しかし、名誉革命以来のこの王国の公の事柄を記憶できるだけの年齢に達し、その成り行きを注意して見てきた人なら、公益と自由にかかわる最重要の事柄が、まさしく今私の仮定した原理と計算によって、しばしば個人の強欲と野心の犠牲にされてきたことを認めざるをえません。ただ不思議なのは、この手練れたちが、どうやって大勢を従わせ、さらには公の会議にまで働きかけて、その忌まわしい企てを成し遂げる道具にできたのか、ということだけです。

地位にある者が、賄賂を得る、恨みを晴らす、自分の党派に尽くす、昇進を図るといったいつもの動機で不正を働くにしても、その悪行が個々人を破滅させるだけにとどまるなら、それだけで悪徳には良心に照らして十分すぎる自由が認められていると私は思います。しかし、自分の国全体と、そこに暮らすすべての生きた人間を、確実な破滅へ引き渡すことまで許した者は、腐敗にもっとも寛容な詭弁家にも、私の記憶にはありません。すでにしかるべき所へ去ったある大臣[2]の構想と意図どおり、この王国に生まれたという不運を持つ者が、誰一人として治安吏以上のいかなる官職にも就けなくされたほうが、私たち自身のうちにいる少数の偽りの同胞を、日々恐れて暮らすより、はるかによいでしょう。前の場合には、裏切られる危険だけはすっかりなくなるからです。そうなれば、公のためだなどと装えるほど厚顔な者は、一人もいなくなるでしょう。

編者注 2

サンダーランド伯。本版第五巻三七七頁の注を参照。[T.S.]

たしかに、この新しい半ペニー銅貨をめぐる絶望的な問題については、今までのところ、私と同じ商店主という身分より上の者で、この破滅的な計画をはっきりと言葉に出して弁護するほど大胆な人物がいるとは、耳にしておりません。とはいえ、初めて議論になったころには、ずいぶんと事を丸く収める言い回しが使われ、実に穏やかな折衷策が提案されて方々に回された、と聞いております。しかし、国民の目がここまで開かれ、もっとも無知な者にも、ウッドの企ての成功は自分たちの破滅なのだとはっきりわかるようになって以来、この大立者の妥協屋たちも、以前より慎重になりました。[3]

編者注 3

鋳造額を四万ポンドへ減らすというウォルポールの申し出を指す。[T.S.]

しかし、その同じ精神が依然として生きていることは、権力への大いなる迎合を示すほかの例ともども、最近ある裁判所で行われた手続きに伴う、いくつかの事情から明らかになりました。私たちの国制を論じる者が、陪審による裁判の大きな恵みと優秀さほど、たびたび繰り返す常套句はありません。しかし、法のこのありがたい部分が、権力や威圧や策略によって、思うままにすり抜けられるのであれば、この点でヨーロッパのほかの諸国より優れているなどと誇る理由は、ほとんどなくなります。そして、国民の命の糧、欠くことのできない生計、まさに食べ物や衣服、さらには公の平穏にまで、これほど深くかかわる事柄について、このような高圧的手続きが取られたことは、どう見ても好意的には受け取れません。というのも、これほど過剰な熱心さの狙いは、ウィリアム・ウッドとその加担者たちの呪わしい企てに反対して、この国に燃え上がった気概をくじくこと以外にはありえず、またそのほかの結果を生むはずもないからです。今日まで私たちを守ったもの、そして将来も守られるとの希望を与えるものは、ひとえにこの気概であり、この先も永遠にそうであります。皆様の賢明な両院が、これを保ち、力強く支えてくださるならば、ですが。このような振る舞いについて、自分の利益と祖国の破滅を秤にかけて利益のほうを重くする、という説明より、もう少し寛大な解釈ができたらよいのですが。

数か月前、この問題がまだ新たな話題であったころのことを覚えております。この件に深くかかわっていると思われていた「何者か」、あるいは街の売り子たちの呼び名では「何者でもない者」と、近い縁のある人物が、知人たちの間をひどく熱心に歩き回り、縁者のウッド氏に不利な形で人々が公然と憤慨したなら、どのような悪い結果が起こりうるかを説いていました。なかでも、すべての官職がイングランドからの指図で割り振られる危険を、主に訴えていたのです。その使者の一人が私の所へ来て、同じ論点を持ち出しました。私は当然の返事として、イングランドから来た者が、願い出るだけの価値があると思えば手にできない官職など、一つもないことは承知しているし、この国に生まれたという不利を負う者は皆、落ち穂を拾う者や刈り残しを集める者と同じ境遇だと考えている、と答えました。また、農夫とロバの、あのよく知られた寓話にも触れずにはいられませんでした。農夫は敵に捕まらぬよう逃げようとロバに頼むのですが、ロバはその骨折りを断ります。実に賢明な理由からです。今の主人より悪い主人に替わることは、どうしてもありえないのですから。敵とて、これ以上ひどい食事をさせることも、もっと残酷に打つことも、もっと重い荷を背負わせることもできないのです。

こうしたことや、ほかにも数多くのことを考えれば、陪審の権能と特権を立法府が明示し、確定し、保証してくださることが、国民全体の願いであると、私は断言できます。また、それらを侵害したことが明らかになった者は、誰であれ公の譴責によって汚名を着せられるべきです。そうした譴責がその行いを改めさせたり、その利益を損ねたりすることを期待してではありません。どちらについても、まったく逆の結果になるかもしれないからです。ただ、国民が味方と敵を見分けられるようにするためです。

私は自分のことを念頭に置いて、このように申しているのではありません。私は大いに身の安全を確保して書いており、祖国に仕えて義務を果たそうとする私を、捜し出し、訴追し、有罪にしようと熱意を示すこと以外には、誰にも私を踏み台にして功を立てさせまいと決めています。それでも私は、陛下の大臣たちを非難する意図など少しも持たなかったと、自ら確信しております。ほかの何人についても、ウィリアム・ウッドだけを例外として同じです。そのウッドは、以前も今も、私は大臣たちの一人だとは考えておりません。もっとも、私が行き過ぎたと言いたがる者もおりますが、今では誤りだったと認めてくれることでしょう。私なら、もっと先へ進むことはたやすかったと確信しておりますし、今よりさらにひどい目に遭うことは、そう簡単ではなかったと思います。ですから、あの布告と、それに続く手続きに私が心を痛めたとしても、それは善良な聖職者が人々の罪に心を痛めるのと同じ程度でした。哀れな印刷業者については、今やさらに高く、正義の行われる法廷の前に立つため、旅立ってしまいました。

私の意図は、この国の一般的な願いを皆様の大いなる両院にお伝えすることだけです。議会の最初の手続きとして、ウィリアム・ウッドの有害な詐欺を調べていただきたいということが、私たちの第一の願いであると、すでに申しました。そこでさらに、これは国民の一致した見解として申しますが、交換や妥協その他の弥縫策は、公然と唱えるにせよ、暗に含ませるにせよ、すべて社会全体にもっとも有害な結果を及ぼし、自由な王国の尊厳を傷つけ、今後も同じ破壊的計画を企てる山師たちを励ますことになります。というのも、現在誰も異を唱えない原則ですが、この半ペニー銅貨をわずか千ポンド分でも黙認して受け入れれば、時がたつにつれ、百万ポンド分の受け入れに公然と同意した場合と、同じ破滅的効果が生じるからです。したがって、弱く、背信的で、卑屈な政治家たちが、あらゆる場合に、あらゆる病に、あれほど進んで投与したがるそのような応急薬を使うことに甘んじるくらいなら、物事を今のような不安で憂鬱な状態に置いておき——もっとも、そうならぬよう神に祈りますが——この銅貨を忌み嫌う国民全体の気持ちだけに頼り、その嫌悪を守り、保ち、強めるために、あらゆる誠実な努力を尽くすほうが、比べものにならぬほど安全で、望ましいのです。

私の読書の範囲は狭いものですが——もっとも、私のような低い稼業の者にしては広く読んできたほうです——その中で気づいたのは、租税の承認よりも、つねに苦情の是正が先であったということです。もし苦情にそのような優先権が認められる場合があるとすれば、このウッドの件こそ、まさにそれに当たります。いかなる国も被りうる最大の災厄であるばかりか、実現すれば、不純な銅貨で納める以外、私たちが租税を一切提供できなくなる性質の災厄だからです。あるいは、行政と軍の俸給や多額の年金を、金銭の代わりに現物で支払う税を設けることもできましょうが、それにも多少の異論と困難はありそうです。というのも、兵卒たちは牛肉や羊肉、羊毛、麦芽、革で満足するかもしれませんが、将軍や大佐、多数の年金受給者、文官その他、アイルランドの金でイングランドに暮らす人々が、それでよいかとなると、私はいささか疑わしく思うからです。やむをえないためだけにこの国に住んでいる、少数の方々も同様です。

ある一点については、以前の拙文のいくつかで、一度ならず触れました。それでも、もう一度繰り返し、少し詳しく述べずにはおれません。どの時代、どの国の歴史を読んでも聞いても、このような例は記憶になく、また、それを思うたびに、この上なく驚かずにはいられないからです。

王国の三身分をなす議会両院が、ウッドのこの特許状に反対する一致した上申を、神聖なる陛下に奉ったあと、さらに、最高統治者たちの下で行政全体を託されている枢密院も上申を行ったあとで、この問題はロンドンの枢密院委員会へ付託されました。一方ではウッドとその支持者の言い分が聴取され、他方では、こちらから何らの委任も指示も受けていない、少数の志願者の言い分が聴取されます。問題は、記憶によれば、主としてアイルランドに半ペニー銅貨が足りないかどうかをめぐっていました。ウッド側の証人たちが召喚されます。彼らの信用がどれほどのものかは、すでに示しました。審理の結果、特許状は有効かつ合法とされ、軍人をも例外とせず、この国にいる陛下の全官吏に、その施行を援助し、協力するよう命令が下されます。議会両院、枢密院、ダブリン市の上申も、この王国の大部分の州や自治団体の宣言も、何の重みも重要性もなく、一切考慮に値しないものとして、ことごとく脇に追いやられます。そしてアイルランド王国全体が、出廷しなかったために訴えを退けられるのです。まるで原告ジョン・ドウと被告ウィリアム・ロウの間の、私的な訴訟ででもあったかのように。

ロンドンの枢密院委員会の尊敬すべき方々には十分な敬意を払いますが、私はあの方々が、私たちの統治者や顧問官や裁判官であるとは、承知しておりませんでした。また、私たちの問題は、アイルランドで半ペニー銅貨が不足しているかどうかなどには、まったくかかっていません。たしかに私たちは、半ペニー銅貨も、金も、銀も不足しています。そのほかにも数えきれないほど不足するものがあり、名を挙げることすら許されないものもあります。その中には、この国だけに特有で、神によって宗教と法律、あるいはいささかの土地と日光でも与えられたほかの国々は、いずれも苦しめられていない欠乏もあるのです。とはいえ、私たちの側のどのような罪科のためにそうなったのかは、私にはさっぱりわかりません。

しかし、ウッドの半ペニー銅貨に反対する私たちの上申や宣言で、銅貨の不足を肯定したり否定したりした覚えはありません。私たちが主張したのは、特許状の取得と実施が不正であること、金属の質が劣ること、鋳造される巨額の貨幣が、国内の偽物に加えて、外国からの輸入やウッド自身の偽物によっても、密かに膨れ上がりうることでした。そのために私たちは、わずかばかりの金銀も、ひどく制限され妨げられている商業の、乏しい残りかすも、間違いなくすべて失うのです。また、特許状がこちらへの照会を一切せずに認められたこと、求められれば自分の半ペニー銅貨を引き取るという保証を、ウッドが与えたとの記載がないことも訴えました。この二点はいずれも、同様の場合の過去すべての手続きに反します。こうした議論や、ほかにも数多くの議論を私たちは差し出しました。それでも特許状の実施は進みました。もし神が憐れみによって、王国全体にこの半ペニー銅貨への一致した嫌悪を起こし、決して受け取らないという固い決意を生ませてくださらなかったなら、今ごろは私たちの破滅も半ばまで進んでいたはずです。私たちには、人の法であれ神の法であれ、この銅貨を受け取る義務を負わせる法律など、ないのですから。

しかし、神と、あらゆる正義と信仰心の名において伺います。国王陛下がこの特許状の発給をお認めになったとき、それは臣民の幸福と利益のため、大きく豊かな王国の繁栄のための、慈悲深い行為であると、お考えになり、信じ、意図された、と理解すべきではないでしょうか。そこは地上でもっとも忠誠の厚い王国で、陛下に対して、一度も手が上げられたことも、反抗の声が上がったこともありません。ブリテンから三時間もかからずに渡れる王国であり、カトリック教徒の権力も所有する土地も、イングランドより少ない王国なのです。また、陛下の大臣たちも、特許状の発給を進言したときには、この国の幸福という同じ目的を理解し、目指していたということを、否定したり疑ったりできるでしょうか。ウッドなる人物は、炉や燃料、金属や刻印を用意するための道具、職人、現場の頭と見るほかに、どう見られるというのでしょう。私が靴磨きの少年を雇うのは、少年の利益を考えてのことでしょうか、それとも自分の都合のためでしょうか。私がウィリアム・ウッド一人の名を挙げるのは、ほかには誰も表に出てこないからです。憶測に基づいて論じるわけにはいきませんし、仮に憶測に根拠があったとしても、それで何かの役に立つわけでもありません。

ですから、この半ペニー銅貨鋳造の特許状が、慈悲深い国王と、賢明で公益を重んじる大臣たちによって、もっぱらアイルランドの利益のために意図されたことを認めるとしましょう。それ以下のことは私たちにはできません。しかし、特許状が利益をもたらすはずの王国全体が、一人の例外もなく、もっとも慎重に検討した末、一致団結して、この半ペニー銅貨に反対し、公然と宣言し、抗議し、上申し、請願しているのです。罪のない貧しい国の隷属と破滅を完成させるために、かつて企てられたうちでも、もっとも破壊的な計画だとしてです。そのような場合に、この王国とウィリアム・ウッドのどちらが得をするか、ということならともかく、この王国がウィリアム・ウッドのために、すっかり滅ぼされ、破壊され、沈められ、住民を失い、悲惨と荒廃の地とされてよいかどうかが、問題なのでしょうか。かつて問題だったのでしょうか。問題になりうるのでしょうか。今後いつか問題になるのでしょうか。神がその無限の憐れみによって、この恐ろしい裁きを避けさせてくださいますように。そして皆様を、これほどよい仕事のための神の道具となろうとするお気持ちにしてくださいますように。これが私たち皆の願いです。

私自身は、身分も知れぬ一人の人間にすぎませんが、全能の神の御前で厳粛に宣言いたします。この呪わしい貨幣、あるいは同じ異議を免れないほかのいかなる貨幣を受け取ることにも、自分の国の法律によって強制されるまでは、決して服従しません。服従するくらいなら、この上なく不名誉で、苦痛に満ちた死を甘んじて受けます。もしそのような法律ができることがあれば、私は異国へ渡り、自由な民の中で、貧しさのパンを食べるつもりです。

私はこの言葉のために、法律に従って罰せられるのでしょうか。ウィリアム・ウッドに対して祖国の側に立つことを、私があえてするからといって、しかも祖国の最終的な破滅が目論まれているときにそうするからといって、またしても私に対する布告が出されるのでしょうか。しかし皆様が、いつであれ私に沈黙をお命じになれば、私は従います。皆様の一致した声は国民の声であり、それはある意味で神の声なのだと、私は教えられ、また信じているからです。

一つの王国全体が、このように卑劣な敵の意のままに、これほど長くさらされている。その大きな屈辱は、この悲惨な事態をいっそう耐えがたくするもので、どれほど激しく恥や怒りを表しても、なお十分に言い尽くせません。ですから、このことについては、議会にふさわしい憤りをもってお扱いいただくことに委ねます。

また、この国の議会が勧告する制限の下に、私たち自身の用に供する半ペニー銅貨を、この王国で鋳造する自由を、陛下がお許しくださることも、私たち皆の願いです。外国では、どんな小さな君主も金銀さえ鋳造する権利を持ち、スコットランドも合同の時まで、つねにその権利を行使していました。それでも、土地、気候、広さを考えれば、スコットランドそれ自体の価値は、アイルランドの四分の一にも達しないはずです。バーネット主教によれば、ブリテンの残りの部分に比べれば、その価値は四十分の一を超えないそうです。そして、イングランドがそこから得る利益に至っては、こちらから得るものの四万分の一にもなりません。もっとも、目の中の塵や脇腹の棘のほうが、離れた所にある梁や太い釘より、危険で痛いことは認めなくてはなりません。

イングランドや、ほとんどの諸国の歴史には、貨幣の悪用がもたらした、悲惨な、ときにはこの上なく悲劇的な結果が数多く記されています。金属の質を落としたり、折に触れて価値を上げ下げしたりして、社会に損失を与えるのです。私たちの記憶にも、イングランドでの例があり、ごく最近にはフランスにも一例があります。これは政治のうちでも、もっとも扱いの難しい点で、一人一人の人間に、最大限の影響を及ぼします。貨幣の価値が恣意的であったり、定まらなかったりするときには、そもそも誰かが何らかの財産を持つなどとは、まず言えません。また、これほどたちまち痛みを感じ、治すことが難しく、深く長く残る傷痕を残す傷は、ほかにありません。

この貧しく不幸な島には、イングランドからいくらかの配慮を受ける資格があると、私は考えます。それは、キリスト教や自然の公平、人類に共通の権利からいってそうであるばかりか、とりわけ、かの国が私たちから受け取る莫大な利益を考えれば、そうなのです。それがなければ、あの王国がヨーロッパで占める地位は、今日とは大きく異なったものになるでしょう。

アイルランドの地代は、近ごろ途方もなくつり上げられ、絞り取られているので、およそ二百万ポンドと見積もれます。そのうち少なくとも三分の一は、つねにイングランドに住む不在地主たちに、そのまま送られています。これは、数人のよく通じた方々に助けていただいた計算からわかったことです。

ほかにも、私たちにとっては損失ばかりとなり、イングランドには利益となる項目を調べたところ、それらも合わせれば、ほぼそれに等しい額になることがわかりました。私は思い出せるだけの項目を、ただ列挙するにとどめ、私などより会計のわかる方々のご検討に委ねます。

仕事、療養、娯楽のため、一時的に国外で暮らす者たち。

最高統治者の不在中、その収入の四分の三。不在の期間は、通常、在任期間の五分の四です。

郵便事業の収益の全額。

イングランドにいる人々に支払われる、数多くの年金。

イングランドに不在滞在している軍の上級将校たちの俸給。これは多額になります。

つねに不在である四人の歳入委員。

非常に数が多く、収入も大きい文官職。

貴族院や委任上訴裁判所への上訴にかかる莫大な費用。

法学院と二つの大学に学ぶ学生たち。

石炭の代金として毎年イングランドへ送られる八万ポンド。その原価はただも同然ですから、利益はすべてあちらのものになります。

イングランドからこの国へ送られてきた穀物に、ここ数年、支払われた十万ポンド。農業を冷遇するという、私たち自身のたいへん賢明な政策の結果です。

わが国の女性たちの虚栄と愚かさを満足させるため、インドの織物やキャラコを着る自由を、親切にも私たちに与えてくださったこと。これはイングランドに利益をもたらすほか、私たちには想像もつかないほどの損失を与え、織物職人たちを、わが国の街路で物乞いさせるか、外国へ移住させることになります。

私たちの羊毛をすべて、イングランドの言い値で売ることによる、こちらの莫大な損失と、あちらの利益。羊毛を製品にすれば、その価値は原価の十倍を超えるのです。キリスト教世界にも異教世界にも、例のない仕打ちです。

私たち自身の羊毛が、イングランド製の製品となって送り返されてくること。それは私たちの計り知れない恥と損害になり、イングランドの大きな利益になります。

私たちの鉱山の利益がすべてイングランドに帰すること。ひどい怠慢と愚かさの結果です。

あらゆる種類のイングランド製品を好む、この国の気取り。

注。上記の項目の多くは、その後、別の著者が詳しく計算していますので、読者にはその論考をご参照いただきたいと存じます。[4]

編者注 4

ここで指している著作は、トマス・プライアー氏の『アイルランド不在地主一覧、および国外で費消される彼らの土地と収入の年額』である。プライアーはアイルランド出身で、哲学者バークリーの学友であり、生涯にわたる友人だった。サミュエル・マデンらの友人と協力し、一七三一年に、農業、製造業、技芸、科学の振興を目的とするダブリン協会を創設した。この協会が、現在の王立ダブリン協会の母体となった。『アイルランド不在地主一覧』は一七二九年に刊行された。ほかに『貨幣についての考察』(一七三〇年)、またバークリーも寄稿した『タール水が数多くのさまざまな疾病の治療にもたらした成功についての確かな記録』(一七四六年)を刊行している。[T.S.]

これらの項目と、今は思い出せないほかの多くの項目を合わせると、イングランドに毎年ほぼ七十万ポンドの純益がもたらされると、分別のある人々の見解は一致しています。総じて、誰であれ商業を論じた著者たちを調べれば、貿易の本質や諸条件のうち、一国の損失となりうる要素で、この国が最高度に備えていないものは一つもないことがわかるでしょう。どの点にも、ウィリアム・ウッドにどこか似たものがあるのです。そして、枝がすべて切り払われた今、彼は根元に斧を振り下ろそうと、構えているのです。

私は、恒常的な不在地主というこの問題について、いくらかの時間を取って、ささやかなことを考えてみました。人間を行動に駆り立てるいつもの動機である、快楽、利益、野心を考えてみても、この人々がそのどれについて得をしているのか、いまだに理解できません。私が申すのは、本国の土地に加えてこちらにも所領を持つ、イングランドの貴族や紳士たちのことではありません。その場合は、手の打ちようがないからです。私が指すのは、この王国で生まれ、教育もある程度ここで受け、全財産が——わずかな例外にすぎない人々の、ごく小さなものを除いて——この王国にある、貴族や裕福な騎士、郷紳たちです。イングランドに住んでいた数年の間、私はその多くをかなりよく知っていましたが、正直なところ、あちらでの彼らの暮らしぶりに、何か羨むべきものがあるとは、どうしても思えませんでした。少なくとも私には、それとはまるで違う二つの感情が湧いたものです。というのも、ときどきオペラへ行けるとか、たまに宮廷で群衆の後ろに顔を出せるとか、ハイド・パークを巡る馬車の輪に加われるとか、チョコレート・ハウスで金をすれるとか、ダブリンの私たちより五日ばかり早く、新聞や議会決議、議事録を手にできるとか、そうしたことや、そのほかのさらに小さな特権を別にすれば、ロンドン暮らしに彼らがどんな魅力を感じるのか、私にはわからず、想像もつかなかったからです。そして、生まれもよく気概もある者が、祖国では華やかに暮らせるのに、異国ではまったく取るに足りない、影の薄い存在であることに、どうして耐えられるのか、不思議でなりませんでした。しかも祖国では、無理をして使っている費用の半分以下で、それができるのです。そうして無理をしても、得られるものといえば、牛と大きさを競わずにはおれなかったカエルと、同じ結末くらいしかありません。学者たちから聞いたのですが、カエサルは、ローマで二番目の者になるより、どこだったかの村で第一の者でありたい、と言ったそうです。これは、カエサルにしかふさわしくない考えだったかもしれません。しかし、何千人もの者に先を越され、何百万人にも無視され、権力も威容も影響力も、名誉も信用も特別な扱いも、まったく持たないというのは、私のささやかな考えでは、爵位や富があり、祖国ならわずかな金でたやすく光り輝ける人にとって、あまり魅力的な境遇ではありません。

しかし、このように多くの貴族や富裕な人々が不在であることは、王国の人口を減らし、国土の多くを荒れ地のまま耕さずに置き、数多くの田舎の邸宅や植林地を荒廃させ、イングランドでの出費を賄うために森をことごとく伐採させるばかりではありません。もう一つ、おそらく気づいている人の少ない、致命的な結果の原因にもなっています。この国に最大級の財産を持つ、相当な数の貴族たちが、祖国に住むことで満足し、議会で自国の問題に携わっていたなら、あの高貴な議院に加わったはずの重みと名声と尊厳によって、どう考えても、ある手続きは防げたことでしょう。もはや改めることができないため、今や永遠に嘆かずにはいられない手続きです。そうしていれば、私たちは自分たちの財産の争いを、自分たちの間で裁定できたでしょうし、正義を求めて別の王国へ、海路と陸路を合わせて五百マイルも旅を強いられずにすんだでしょう。こうして私たちは、限りない費用と苦痛と面倒を負っているのです。これは、世界のいかなる時代、いかなる国の慣行にも例のない、隷属のしるしです。

私はときどき、イングランドの貴族たちが、どんな動機から、私たちの争いを裁定することに、それほど熱心だったのだろうと不思議に思います。というのも、こちらからの頻繁な上訴は、あの輝かしい議院にとって、ひどく厄介なものであったと、私は確かな人から聞いていますし、一部は自分でも知っているからです。また、ペインテッド・チェンバーやコート・オヴ・リクエスツの部屋へ足を運んだことのある方なら、アイルランドからの上訴が審議されるときほど、あそこが高貴な方々で埋まることはない、とお気づきになったはずです。

非常に数の多いスコットランドの貴族たちは、あの寒々とした不毛の気候の中で、自分の城や屋敷に住んで満足していました。中にはしばしばロンドンへ旅をする人々もいましたが、あちらの最有力の家柄の人々が、合同以前にイングランドを定住の地とした例は、ごく最近のことを除いて、記憶にありません。仮にそうしたとしても、たいていは自分たちの利益のためだったことは確かですし、得たものはすべて、自分たちの土地を改良し増やすために用いられ、そのようにして、自分たちと祖国を豊かにしたのです。

爵位を持たない、多数の裕福な不在地主については、すでに述べたこと以外に、その不在がこの国へどのような具体的な悪影響を及ぼすかは、私が触れるには、繊細すぎる問題かもしれません。しかし、この国の大きな所領の収入で、別の王国に暮らし、そこから収入を受け取るということ以外には、祖国に対する一切の関心を失った人々が、空いた議席へ、頼りない官職のほかにはこの国に何の利害関係もなく、したがって、得たものを守るか、さらに昇進すること以外には、何一つ目指しえない人々を推薦するよう、仕向けられるおそれはないのでしょうか。もしこれが、そもそも問うまでもないことだと言わぬのであれば、まことに陰鬱な問いであることは確かです。

しかし、イングランドが、この王国全体の収入の三分の二を送金させることで、途方もない利益を受け取るほかに、もう一つの大きな利点があります。この国を、余った官職志願者を厄介払いする受け皿にできることです。自国では二流の実力しかない人々で、その多くは渡り鳥のように、ここで栄えて肥え太り、信用と役職が尽きると飛び去ってゆきます。ですから、アイルランドは、ルターが自分自身について言った言葉を、そのまま言ってよいのです。「貧しきアイルランド、多くの者を富ませる」と。

これほどの困難のただ中にあっても、ふさわしく活用できさえすれば、私たちには一つの大きな利点がある、と私があえて主張したなら、読者の大半は、いったいどんな利点が私たちの取り分になりうるのか、長いこと考え込むでしょう。しかし、私たちの間では、党派や派閥を生み出す通常の種はすべて、完全に根こそぎ取り除かれたことは確かです。今後何か新たなものが芽生えるとしたら、それは種一つなしに自然発生したものであるに違いありません。そしてそれは、生まれた土地や気候のせいとして、これまで私たちに浴びせられてきた非難をさえ超える愚かさによるものと、当然ながら見なされるでしょう。

この王国の党派は、新しく生まれたものも含めて、第一に、王位請求者を支持すると非難され、あるいは疑われてきた者と、その者に熱心に反対する者です。第二に、非国教徒を法律で容認することに、賛成する者と反対する者です。第三に、高教会派と低教会派、あるいは当世の決まり文句を使えば、ホイッグとトーリーです。そして第四に、宮廷派と在野派です。このほかにもあるとすれば、私の観察や政治知識の及ぶ範囲を超えています。というのも、下位の党派や、その場かぎりの党派は、すべて、この同じ源から派生したものだからです。

さて、こうした派閥や党派や分裂への誘いが、私たちの間からすっかり除かれたことは、明らかです。王位請求者についていえば、その望みにはもう見込みがなく、話そのものが時代遅れだからです。その父の時代に成人していて、父王の側に立っていた者は、今ではほとんど生き残っていません。それ以外のすべての者には、良心の義務が関与する余地はありません。[5] 財産や土地をいくらか持つカトリック教徒さえ、おおむね、そしてその司祭たちはほぼ例外なく、私たちがその語の一般的な意味で、ホイッグと呼ぶ人々です。彼らは以前受けた傷の痛みを感じ、その傷痕を見ており、変革に向けたどんなささやかな企てにも、自分たちが犠牲に供されるほかないと、よく承知しています。もっとも、いかなる君主の下であれ、自分たちの迷信が復活するなら喜ぶだろうことは、疑いありません。

編者注 5

つまり、彼らはその人物に忠誠の誓いを立てていなかった、ということである。[T.S.]

第二に、非国教徒は今では法律で容認されています。今のところ、その方面から不平の声が聞こえるとすれば、文官の職から締め出されているため迫害されている、と彼らが訴える、あの道理のある苦情くらいです。しかし、議会のどちらの院でも、その人数は非常に少ないので、まだ党派を立ち上げられる状況ではありません。というのも、人々は宗教についてはどれほど無頓着であっても、非国教徒にそれほどの自由を認めたなら、都市や自治団体に私たちのために残されている、わずかな小役職は、別の者たちの手に取られてしまう、とわかるくらいには、今では賢くなっているからです。

第三に、高教会派と低教会派の争いは、今や終わっています。主教の三分の二は今の御代に任じられ、その大半はイングランドから来た者で、自分たちに任命権のある聖職をすべて、十分信頼できる人々に与えてしまったからです。三つを除くすべての首席司祭職と、主要な聖職禄の多くは、国王に授与権があります。したがって私たちは、この古くさく、すでに斥けられた問題について、決して論争にかかわらないような聖職者の集まりを、すでに持っているのです。

最後に、大部分の御代のイングランド議会で、名も知られ、公然と存在を認められている宮廷派と在野派についてです。この王国は、ここ数年、そのような争いを演じるのにふさわしい舞台ではなく、今は以前にも増して不向きです。終身の重要な官職の多くが遠くの者たちの手にあり、その後継の権利も丹念に見張られ、押さえられています。任期付きで何らかの魅力的な価値のある職は、空きが出るそばから、すべてよそへ与えられます。わずかに残るものは、私のような商人や、家の跡を継げない弟たちの間は別として、それをめぐって争いが起きるほどの値打ちがありません。ですから、材料もないのに宮廷派と在野派を設けるというのは、政治上のまったく新しい方式で、これまで誰も考えつかなかったことだと思いますし、愚か者の国でもなければ、決して成功しないでしょう。何しろ、もっとも無知なアイルランドの小屋住まいの農民でさえ、グロート銀貨一枚で牛を売りはしないのですから。

したがって私は、この王国では、公の事柄に関するあらゆる党派と派閥は、今や消滅していると結論いたします。新たな原因が持ち込まれないかぎり、どうすれば復活しうるのか、見当もつきません。そしてそのような原因を作るには、同じ政策を続けることで、もっとも得をしている人々の利害に、逆らわずにはいられないのです。また、救済の望みもない共通の災難こそ、人間をもっとも強く結びつけるものだということは、広く認められています。

その原因がどれほど気に入らなくても、国全体のあらゆる議論において、また都市や自治団体、地方の近隣関係においても、私たちの間に広く一致を生むというこの結果は、少なくとも私たちを生き延びさせ、許されているわずかなパンを、平和と友愛のうちに食べられるようにするかもしれません。私はある酒場の喧嘩の話を聞いたことがあります。皆が刃を抜いてにらみ合っていたところ、一人が声を上げて、何が喧嘩の原因か知りたいと言いました。誰にも答えられなかったので、彼らは剣を収め、腰を下ろし、その晩の残りを穏やかに過ごしたそうです。前半は私たちの境遇そのものです。後半もそうなってほしいと願っています。少なくとも、争うだけの理由となる何かを手に入れるまでは、仲よく一緒に腰を下ろしていたいものです。鳶が頭上を舞っている間は離れずにいるよう、自然はガチョウの雛の一群にさえ教えているのですから。

どの国であれ、公のことについて皆が同じことを望んでいるなら、固い団結によって、いくつかのもっとも重要な点では、権力の欠如をある程度補えることは確かです。さらには、人類に生まれながらの、疑いえない相続財産である、あの権利の欠如さえも補えるでしょう。ある問題についての国民全体の願いが、庶民院の全会一致の決議と、相当数の貴族たちの決議によって表されたなら、私は良心にかけて、自分の立場でその決議に従って行動する義務があると考えます。というのも、すべての自由な国において、法の正しい定義とは、土地を所有する人々の多数の意志であり、君主制であれば、それに国王の裁可が加わるべきものだと、私は考えるからです。そのような決議や宣言が、何らかの偶然の事情によって、裁可を受けていないとしても、臣民にとっては大いに重みを持つべきものと考えます。ただし、それが国王の大権に反せず、国の平穏を危うくせず、現に効力のある法律を侵害しないことが条件です。もっとも、どれも、そのような事態を合理的に想定することはできません。ですから、たとえば庶民院の十分の九と、相当数のこの国出身の世俗貴族が、一定の制限と保証がないかぎり、真鍮貨を受け取ったり流通させたりする者は誰でも、国王と国民の敵と見なすと宣言したなら、その決議に反する行動を取ることは、私にとって大きな罪だと考えます。また、同じ権威が、この国を悲惨のどん底に沈める原因となっている、インドの織物やキャラコ、あるいは外国から輸入した毛織物を身に着ける者にも、同じ譴責を宣言したなら、私は進んで、心から、喜んで従い、ほかの人々にもそうするよう、力のかぎり説くつもりです。この国には、そのような貨幣を受け取ることも、そのような外国製品を着ることも、私たちに義務づける法律はないからです。

この最後の点について、私は謹んで、尊敬すべき聖職者の皆様が、アイルランド製の織物の法衣や、そのほかの衣服を着ることで満足され、私たちに模範を示していただきたいと願います。それは俗人をいくらか励まし、多くの人々に仕事を与えるばかりでなく、聖職者ご自身も、安くすむ利点をお感じになることでしょう。あの尊敬すべき集団の、あまりにも多くの方々にとって、それは無視できない事情なのです。[6] そして、そのために、織物業でもっとも工夫に富む職人たちが、聖職者にふさわしい品のよい織物や絹地を、手ごろな値で作り出してくれることを、私は心から望みます。[7]

編者注 6

これは、その著者とされる人物の説得と影響によって、その後実行されたが、商店主たちのこの上なく恥知らずな詐欺によって、大いに妨げられた。[F.]

編者注 7

その著者とされる人物は、この案も織物職人たちに繰り返し勧めたが、実行するよう説得することは、ついにできなかった。[F.]

私は、同業者のうちでもとりわけ資力のある数人に、強く勧めてきました。絹織物と毛織物の職人組合全体で、あらゆる身分の男女に、自国の毛織物や絹織物を身に着けるよう呼びかける提案を、公にしていただきたいのです。できれば、それを議会両院へ提出してほしいと願っています。そして、買い手は代金に見合う、良質で丈夫な、ちゃんとした商品を、値切る面倒もなく、定まった値段で得られるという、厳粛な相互の約束を結んでもらいたいのです。そうすれば、私が特定の色と織りの細かさの布地を買いに子供をやっても、騙されないと確信できますし、不満を申し立てる理由があれば、組合が直ちに埋め合わせをしてくれるはずです。また、私を不当に扱った商人の名は公表され、今後その者と取引しないよう警告が出されるべきです。明らかな間違いだったと判明した場合は、別ですが。というのも、客は店から店へ歩き回る面倒だけでなく、事情を知らなければ、買う品の値段と品質をごまかされる危険にもさらされるからです。相手はその道の熟練者で、不正直な人間であり、自分の得意分野で、不釣り合いな勝負を強いてくるのです。このために、この国の品物は全体として悪い評判を受けるようになり、上流の人々は、品質のよさで値段の違いは十分埋め合わせられると考えて、イングランドの毛織物や絹を求めるのです。その考えは、私たち自身の落ち度のために、往々にしてもっともなのです。

そのうえ、私たち商人の間では、国内からであれ国外からであれ、品物に大きな需要が生じると、直ちに値を上げ、それまでより粗雑で、ごまかしの多い作り方をするという、愚かで身を滅ぼす慣行が続いています。

この卑しく愚かなやり方の例は、あまりにも多く挙げられます。そのうち一つには、触れずにはおれません。この貧しい王国に許された、ただ一つの重要な商業分野に、致命的な打撃を与えた例であり、ウッドの計画の成功でもなければ、これを上回ることはできないでしょう。先ごろフランスでペストが流行したとき、あの国で亜麻布を買うスペイン人たちは、感染を恐れて、危険を冒して渡ろうとはしませんでした。そこで、こちらに亜麻布の非常に大きな需要が生じ、スペインへ輸出されたのです。ところが、商人の無知のためか、北部の織物職人の不正直さのためか、それとも両者の結託のためか、品物の質はあまりに悪く、値段はあまりに高かったので、原価を下回る値で売られた少量を除き、大部分が送り返されました。たいへん事情に通じた人々から聞いたのですが、私たちが公正な商売をしていれば、スペインへ向かう亜麻布貿易の流れは、すべてこちらを起点とするようになっていたはずだそうです。

もし大勢の人間に罰を科すことがあるとすれば、このような裏切り者の一族、神と祖国の敵に対して、重すぎると思われる罰など、決してないはずです。彼らは、目先のわずかな利益を見込んで、自分自身を破滅させるだけではありません。それだけなら、ほかの者の戒めとなり、国にとっては恵みとなるでしょう。彼らは、自分の魂を地獄へ、祖国を破滅へと売り渡すのです。もしペストがマルセイユからこちらへ渡ってきて、その罪に加担した者たちだけに閉じ込められたとしたら、あの悪党どもは、絞首台へ向かう追い剥ぎよりも、憐れみに値しない死を遂げたでしょう。

ところが、まことに不運なことに、ここしばらくは、たとえどれほど誠実で無害な意図に基づいていても、一私人が公益を進めようとする努力や提案は、すべて「国王の御顔に飛びかかること」と呼ばれています。しかも、私の知るところでは、その言い方をしているのは、本人もその先祖も——先祖と呼べるものがあった連中のことですが——この八十年間、君主の顔に飛びかかってきた人々です。彼らは自分の性分からすれば、今でもそうするでしょう。ただ、自分の利益に従うなら、むしろ一つの王国の顔に飛びかかるほうがよいのです。その王国こそ、彼らに翼を与えて、そのような飛翔を可能にしたのですが。

たとえば、四年ほど前、この国の人々に、自国製の毛織物を着るよう勧める論考が刊行されました。[8] 国王へのこの上なく恭順な言葉に満ち、党派をほのめかすところなど少しもなかったのに、「国王の御顔に飛びかかること」と呼ばれました。印刷業者は、皆が覚えているあのやり方で訴追されました。どこかで、この先も覚えられていることを願います。陪審は十一時間も引き留められ、九度も審議に戻され、とうとう特別評決によって、囚人の処遇を裁判所の慈悲に委ねるほかなくなったのです。裁判席の判事は、著者の狙いは王位請求者を呼び込むことだと断言し、その証人として神に呼びかけたのでした。[9]

編者注 8

これはスウィフトの小冊子『アイルランド製品の全面的な使用のための提案』である。[T.S.]

編者注 9

ホイットシェッド判事の行為と言葉を指す。[T.S.]

同じように、ウッドの貨幣を受け入れることで祖国が破滅するのを防ごうとする、私のささやかな努力も、同じ人々から「国王の御顔に飛びかかること」と呼ばれました。私はこれをきっぱりと否定いたします。ウィリアム・ウッドの粗悪な銅に刻まれた、あの王の御容貌の卑しい似姿を、神聖なる陛下の御顔だと認めるわけにはいかないからです。仮にそうだとしても、私が飛びかかったのは、刻まれた肖像ではなく、金属の質の悪さです。私はよく覚えていました。ネブカドネザルが「あらゆる人がひれ伏して礼拝するよう、建てさせた」像は、銅ではなく、純金だったのです。そして、この国にその金属で作られた王の御像が、これほど少ないことを、心から残念に思います。それを目にしても、すでにこれほど大きい陛下への崇敬が、さらに増すことはまずないでしょう。しかし、慰めと満足が混じることによって、その崇敬はいっそう生き生きしたものとなるでしょう。

アレクサンドロス大王は、フェイディアス以外のいかなる彫刻家にも、石や金属で自分の像を作ることを許しませんでした。王の御容貌を見苦しく歪めて表した滓を、袋いっぱいに詰めて持ち歩き、私たちの誰にでも、何千枚も、その価値の六倍を超える値段で押しつけようとする、ウッドのような細工人を、大王ならどう扱ったことでしょう。

しかし、ウィリアム・ウッド本人が何を反論しようとも、また、公然であれ内々であれ、彼をひいきし、加担し、支える者たちが、何を言おうとも、私の考えは変わりません。彼らの中には、寵愛を失ったり官職を危うくしたりするのを恐れ、彼の計画を見逃したり、反対者たちの気をくじき、冷遇したりする者もいます。この貨幣に対して立ち上がった国民の気概を弱めようとしたり、文章や話によって、それを保つためにできるかぎりを尽くす人々の、誠実な熱意を抑えようとしたりする者もいます。角を丸め、甘い言葉で包み、妥協を取り持ち、弥縫策を売り歩く連中で、あまり激しく頭を振るので、ポケットの中の金が鳴る音さえ聞こえるほどです。このような王国の敵の行いを暴くことで、私が「国王の御顔に飛びかかっている」などと考えたことは、一度もありません。また、彼らが密かに、あるいは公然と弁護しているあの貨幣以上に、彼らが陛下をよく代表する者だと考えたこともありません。

もし、実現が私たちの力に及ぶような国の願いだけを列挙することを許されるなら、次の少数の項目にまとめられると思います。

第一に、ウッドの半ペニー銅貨に対する不安と、今後の同様な破壊的計画の危険を、終わらせていただきたいということです。

第二に、この王国の公の造幣所で、適切な制限の下に、半ペニー銅貨を鋳造していただきたいということです。

第三に、国外から輸入される絹織物や毛織物を着用することに反対し、また、イングランドではもっとも重い罰をもって禁じられている、インドの絹やキャラコを着用することにも反対する、全会一致の、心のこもった決議によって、議会両院、少なくとも庶民院の意向を表していただきたいということです。私たちは、このように賢い国の例に倣うべきです。私たちのほうが、そうする必要はいっそう大きいからです。イングランドでは外国貿易の主要な部門である、自国の毛織物の輸出を、私たちは一切認められていないのですから。

第四に、この王国でアイルランド人が多く住むすべての地域で、土地の住民のうち貧しい人々を文明化するため、実効ある手段を講じていただきたいということです。その人々の間に、私たちの言語と慣習を広めるのです。それを欠くために、彼らは極度の無知と野蛮と貧困の中に暮らし、怠惰と不潔と盗みにすっかり身を委ねています。このため、あまりにも多くの地主が、きわめて大きな、そして当然の非難を受けることになります。もし私に計画屋の心意気が少しでもあれば、ほんのわずかな費用で、数年のうちにこれを実現すると、お約束するところです。[10]

編者注 10

この示唆がなされて以来、アイルランドでは「勅許労働学校」の名で、有用な教育施設がいくつか設けられた。年千ポンドの国王の寄付、街の売り子や行商人への税、自発的な寄付によって支えられている。これらはカトリック教徒の両親から生まれた少年少女の教育のための学校で、大半の学校では子供たちが自分の衣服を作り、男子は農業に関する仕事に従事している。[F.]

これらの勅許学校は、クロガー主教マーシュによって創設され、一七三三年に首座主教ボールターが採用した。その目的は、「幾千もの貧しい子供たちの魂を、カトリックの迷信と偶像崇拝の危険から救い、身体を怠惰と物乞いの悲惨から救う」こととされた。実際には、カトリック信仰の拡大を防ごうとする制度だった。子供たちは親といかなる連絡を取ることも実際に禁じられていたので、教育の条件も方法も、まぎれもなく残酷だった。レッキー氏は『十八世紀のアイルランド』第一巻で、この問題を詳しく扱っている。フルードはこの制度を褒め、称賛しているが、設立当時は、「刑罰法規のどの部分にも、ほとんど匹敵するものがないほどの激しい恨み」の原因となった。「両親は、子供をあのような牢獄に送るくらいなら、何でもしたほうがよいと考えた。そこでは結局、自分たちの考えでは、魂の救いを失わせるに違いない教育を、子供が受けることになるからである。」[T.S.]

第五に、農業を適切に奨励し、ときには遠く離れた所まで広大な土地を独占して、国の人口を甚だしく減らしている、牧畜業者たちの有害な慣行を、止めていただきたいということです。

第六に、森林となる樹木の植樹を定めた法律の不備を、十分に補っていただきたいということです。これまで、少数の紳士の直営地の周辺を除いて、その法律はまったく効き目がなかったからです。その周辺でさえ、一般に植え方はひどく拙く、生育もそれに見合ったものです。植えたものを保護したり、土地を囲ったりするための、十分な注意もいまだに払われておらず、技術と勤勉さが足りないため、百の生け垣のうち、一つも育ち切らないほどです。伐採した森を再び茂らせることを怠ったのも、非常に悪い結果を生んでいます。また、ほかのいくつかの国で行われているように、自分の森だからといって、適した時期より前に、際限なく伐採する自由を制限するなら、この王国には大いに有益でしょう。これほど大量の優れた材木が、これほど短い間に伐り倒されながら、造船にせよ建築にせよ、国のためになることがこれほど少ない例は、ヨーロッパのほかにはないと、私は思うのです。

さらに、何の秩序もなく泥炭を切り取るという、愚かな慣行も付け加えられます。このため、再生可能な土地が大量に、まったく回復の望みを失い、何千頭もの家畜が失われ、泥炭は掘り出すにも家へ運ぶにも難しくなり、燃料としても劣るものになります。よどんだ池や沼地によって空気は不健康になり、そのような場所の眺め自体が、馬で通りかかる人々の気分を害します。また、小屋の屋根を葺いたり、溝の土手を築いたりするために、地面の緑の表面を剝ぎ取る、「スクロー」と呼ぶ芝土の切り取りも、あの忌まわしい慣習として、許されるべきではありません。わずか数インチ下はすべて砂利であるような、土の浅い所でも行われますし、薄い緑の芝の下がぬかるんでいる低地でも行われます。後者は、このような無茶な扱いによって、全体が泥炭湿地になってしまいます。たいへん詳しい農村の人々から聞いたのですが、泥炭と芝土についてのこの二つのやり方によって、王国は毎年、数百エーカーの有益な土地を失っているそうです。そのうえ、草の緑の覆いを持ちながら、泥炭のために切り荒らされる、数多くの湿地の縁の、取り返しのつかない損失もあります。また、秩序立てて切り取ればできるはずの水路も、失われています。その水路があれば、泥炭を安く家へ運ぶための大きな便宜となるだけでなく、大きな泥炭湿地でさえ、より乾いて安全になり、夏の放牧に使えるようになるのです。

こうしたことや、そのほか同種の考察を、私は今会期の議会に間に合うよう、独立した論考として刊行しようと思っていました。これまでの人生のある時期には、農村経営のあらゆる部門で見られる、あの大きな誤りが、どんな原因から生じてきたのかを観察する機会があり、また関心もあったからです。今、私があえて述べたのは、非常に多い例のうち、ごく少数にすぎません。中には、述べると不興を招かずにはすまないものもあるでしょう。不興を招くことは、私はあらゆる手段を尽くして避けようとしてきました。そして同じ理由から、この問題について述べてよいと考えたわずかなことを、ここに添えることにしたのです。

しかし、恒常的な不在地主の土地に至っては、いつか改良されるという見込みは、私にはまったく見えません。以前は、その小作人たちは楽な地代で土地を借りていましたが、ここ数年は、一般にいって、イングランドから来た無慈悲な管理人たちの手腕によって、この国でももっとも厳しい地主の下にいる者たち以上に、恐ろしく絞り上げられてきました。コーク州のある巨大な所領では、人の生存期間を期限とする借地契約が結ばれ、多額の契約金も支払われたのに、地代があまりに高いため、小作人たちは契約を返上する許しを求め、契約金を失ってもよいと考えていた、と私は現地で、大勢の信用できる人々から、確かな話として聞きました。

土地の耕作と改良は、どの国でも、もっとも深く調査するに値する問題であることは確かですが、私たちの国では、とりわけそうです。私たちに利益となる商業のあらゆる分野で、異様なまでに制限され、もっとも重要な分野は、すっかり奪われているからです。ヨーロッパでもっとも学識の深い人に、世界のほかの王国から、これに比べられる例を示してみていただきたいものです。商業に恵まれた位置と、多数の優れた港が、はっきり示しているとおり、私たちは神と自然が与えようとされた利益を、否定されているのです。ですから、自分たちの土地を耕し、農業を奨励し、大々的に植樹すること以外、私たちに残されたことはほとんどないと、私は思います。そうすれば、穀物と樹皮をイングランドから、材木をほかの国々から取り寄せる必要もなくなるでしょう。これによって住民の数が増え、国内で、製造品だけでなく天然の産物を消費する助けにもなります。そして、かつてイングランドのある偉い方に、私があえて申し上げたことを、決して忘れません。「政治家たちは、ありとあらゆる計画を持っていても、巧みに排水し、囲いを設け、肥料を施し、作物を植えることによって、一筆の土地そのものの価値を高め、祖国に永続する奉仕をした、誠実な農夫の半分ほどにも、この国にとって有用でない者が、ほとんどなのです」と。世界の創造以来、政治家のうち誰か一人でも、そのような奉仕をしたことがあるかとなると、大いに議論になります。しかし、百人のうち九十九人が、山ほどの害をなしたことには、まったく議論の余地がありません。