解剖学 / レオナルド・ダ・ヴィンチウィンザー解剖手稿 B
解剖学 / レオナルド・ダ・ヴィンチ
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84面を収録。29rの判読未確定部分と9vの図符号に未完箇所がある。
第1r葉
肩を上げる筋(すじ)について。
また頭を上げるもの。
また頭を下げるもの。
また頭を回すもの。
また頭を横に傾けるもの。
背をかがめること。
それを曲げること。
それをねじること。
それを起こすこと。
注 nerbi は筋・腱・神経などにまたがる歴史的な語。ここでは運動に関する列挙なので「筋(すじ)」とし、現代の特定組織に限定していない。
人相について書くこと。
注 filosomia は人相・相貌を指す歴史的表記。現代の生理学を意味する語としては訳していない。
私の見るところ、血管は温める以外の働きをしない。神経や、感覚を与えるべきものと同じである。
注 文中の come 以下と前半との論理的なつながりは明瞭ではない。

[図1]
[図2]
(おまえの書物の最後で扱うこと)
[図3]
第1v葉

[図4]
呼吸する原因。
心臓が動く原因。
嘔吐の原因。
胃の食物が下る原因。
腸の内容を排出する原因。
余剰物が腸を通って動く原因。
呑み込む原因。
咳をする原因。
あくびをする原因。
くしゃみの原因。
さまざまな肢体がしびれる原因。
ある肢体の感覚が失われる原因。
くすぐったさの原因。
情欲、および身体のその他の欲求の原因。
排尿する原因。
同様に、身体のあらゆる自然な作用について。
第2r葉
覚え書き。
マギーノ。師ジョヴァンニ・フランチョーゾの『スペクルム』。
注 書名・人名の同定は行わず、刊本の表記に従った。
触覚は、人間の表面の皮膚全体を覆う。
ガレノス。『効用について』。
きわめて忌まわしい。
禁じられた。
唯一の。
重要な。
明敏な。
過ぎ去る。
結果として続く。
注 単語の書き留め。Calente の語義は確定しにくく、ここでは「重要な」とした。
五感がどのように魂の役人であるか。
魂は判断を行う部分に座を占めるように思われ、その判断の部分は、すべての感覚の集まる場所にあるように思われる。その場所は
注 文は次頁へ続く。
共通感覚と呼ばれる。魂は、多くの人が信じたように身体の至る所にその全体があるのではなく、この部分にその全体がある。もし魂の全体が至る所に、また各部分のそれぞれにあるなら、感覚の器官をすべて一つの場所に集まるようにする必要はなかったからである。むしろ眼がその表面で感覚の働きを果たせば足り、見たものの像を視神経の道を通して感覚へ送る必要はなかった。前述の理由によれば、魂は眼のその表面でそれらを認識できたはずだからである。
聴覚についても同じである。ただ声が耳の内部にある錐体骨のくぼんだ孔の中で響けば足り、その骨から共通感覚へ別の通路を設け、そこを通じてその口が共通の判断へ至るようにする必要はなかった。
注 刊本の正規化本文は bocca(口)。文意上は voce(声)との関連が考えられるが、置換せず訳した。
嗅覚もまた、必然によって、前述の判断の場所へ集まることを余儀なくされているのが分かる。(味覚と触覚)
触覚は、中空の索を通らず、その感覚へ運ばれる。それらの索は無数に枝分かれし、身体の肢体と内臓を取り巻く皮膚の中に広がっていく。
注 刊本の non passa elli を、句読点に従って否定の断定文として訳した。反語的な疑問として読む可能性もあり、前後とのつながりには不確実性がある。
(神経)貫通する索は、働きを担う肢体に命令と感覚を伝える。これらの索は筋肉や筋束の間に入り、それらに運動を命じる。それらは従い、この服従は、しぼむことによって実行される。というのも、膨らむことがそれらの長さを縮め、その後ろに筋(すじ)を引くからである。これらは肢体の細部に織り込まれ、指先に入り込み、その接触の原因を感覚へ伝える。
注 正規化本文の sgonfiare(しぼむ)と直後の gonfiare(膨らむ)の不整合をそのまま残した。nervi の指示対象には筋腱と感覚神経が混在する。
筋(すじ)はその筋肉とともに、兵士が隊長に仕えるように索に仕える。索は隊長が総大将に仕えるように共通感覚に仕え、共通感覚は総大将が主君に仕えるように魂に仕える。
(したがって筋は筋肉に仕え、筋肉は)
したがって骨の関節は筋に、筋は筋肉に、筋肉は索に、索は共通感覚に従う。共通感覚は魂の座であり、記憶はその蓄え、印象を受け取る能力はその報告役である。(そして心臓はその)
注 括弧内の未完の文言も収録。imprensiva は感覚印象の受容能力を指す歴史的用語。
感覚が魂に与えるのであって、魂が感覚に与えるのではないことについて。魂の役人たる感覚が欠けているところでは、魂はこの世の生において、その感覚の働きについての知識を欠く。生まれつき口のきけない者、または盲目の者に見られるとおりである。
第2v葉
神経が、ときに他の役人や魂の命令なしに、それ自体で働くことについて。
これは明瞭に現れる。麻痺した者、寒がる者、凍えた者の、頭や手のような震える肢体が、魂の許可なしに動くのが見られるからである。魂は力を尽くしても、それらの肢体が震えるのを止められない。同じことは、てんかんや、トカゲの尾のように切り離された肢体にも起こる。
観念、すなわち想像力は、感覚の舵であり手綱である。想像されたものが感覚を動かすからである。
先に想像するとは、これから起こることを想像することである。
後に想像するとは、過ぎ去ったことを想像することである。
肝臓は、人間に生命の栄養を分配し、供給するものである。(生命へ)
胆汁は肝臓の召使い、または従者であり、肝臓から肢体へ分配された栄養の、あらゆる汚れと残った余剰物を掃き清める。

[図5]
[図6]
これらは膨らませれば、その曲がりくねりがよく理解できる。こうして整えたものを四方向から描いたのち、今度は広げて、さらに四方向から描くことを忘れぬように。その隙間や開口を通して全体、すなわちその太さのさまざまな違いを理解できるようにするためである。
男性器について。それは硬いときには太く長く、密で重い。そして(小さい)柔らかいときには、細く短く、軟らかい、すなわち柔らかく弱々しい。ここに加わるのは肉でも空気でもなく、動脈血であると判断すべきである。私は、それが勃起している死者にこの血を見た。多くの者がその状態で死ぬからであり、とりわけ絞首された者がそうである。
注 文は次頁へ続く。
私はそれらの者の解剖を見て、非常に密で硬く、それらがすべて多量の血で満たされているのを認めた。その血は肉の内側をひどく赤くしていたが、他の者のものは内側も外側と同じである。もし反対者が、遊戯用の球のように大きさと硬さを生む空気によって、それだけ肉が増えたのだと言うなら、その空気は重さも密さも与えず、肉を軽く疎にするはずである。また勃起した陰茎の先端が赤いのも見られ、これは血が流れ込んだしるしである。勃起していないときは、その先端は白みを帯びている。
第3r葉
長い爪はヨーロッパ人の間では恥ずべきものとされるが、インド人の間では大いに尊重され、染み込む液で彩色させ、さまざまな透かし彫りで飾る。そして、これは高貴な人々にふさわしく、短い爪は労働者や、さまざまな技芸の職人にふさわしいものだと言う。
腸間膜にある乳糜の血管の枝分かれを通して、腸内で食物が腐敗することから栄養が吸収される。そして最後には、動脈の末端の枝を通って、その腸へ戻る。そこでその血は死んで腐敗し、糞便のあの悪臭を帯びる。
注 vena del chilo は当時の生理学的な名称のまま訳した。現代の乳糜管と同一視していない。

[図7]
b c は大網を養う血管であり、腸間膜を養う血管 a n の前に位置する。腸は腸間膜と大網の間に収められている。
[図8]a a c b n。
この血管を、その末端が各肢体の中で終わるように描くこと。
a は腸間膜の枝分かれであり、腸全体と結びつき、死んでいく血を腸へ戻し、腸から新しい栄養を再び取り込む。これは、あらゆる草木の根が、それを覆う土と混じり合い、その土から自らを養う水分を吸うのと似ている。
また b c は胃の外側につながり、枝分かれして下へ行き、腸と脾臓を覆う大網を養う。
腸間膜は、脂肪に富み、筋張って獣脂状をなす薄膜で、十二本の主要な血管が枝分かれしており、横隔膜の下部と結びついている。
[左側]腸間膜に動脈があるかどうか調べること。
[図9]
注 「左側」は刊本の位置表示。
この腸間膜にはすべての血管の根が植わっている。それらは肝臓の門で一つに合わさり、その肝臓で血を清める。それから血は乳糜の血管に入り、その血管は心臓へ行って血をより高貴なものにする。それは精気を帯びた血として動脈に入る。
[図10]大網。
大網の全体、すなわち網を描き、その上に血管を散りばめるようにすること。
第3v葉
筋肉の力について。
どの筋肉であれ長さの方向に引き伸ばすなら、わずかな力でその肉質は裂ける。また感覚神経を長さの方向に引けば、わずかな力で筋肉から引き抜かれる。その筋肉の中では、神経の枝が織り込まれ、広がり、尽きている。それらの筋肉と入り混じる静脈や動脈の、筋張った被膜にも同じことが起こるのが見られる。
それでは、あらゆる動物の働きに見られるような、腕や脚のあれほどの力の原因は何か。それらを覆う皮以外とは言えない。感覚神経が筋肉を太くすると、その筋肉は縮み、その末端が変じた索を後ろへ引く。このように太くなると筋肉は皮の内を満たし、皮を張らせて硬くする。筋肉が細くならないかぎり、皮は伸びることができない。筋肉は細くならないことによって抵抗の原因となり、前述の皮を強くする。その内側で、増大した筋肉は楔の役割を果たす。
注 pelle は筋を覆う皮膜として論じられているが、現代の特定組織名に置き換えていない。

[図11]老人のもの。a b c d e a c c e、後ろに r。
五本の枝のうち、どれでも一本が剣による切断を免れれば、腕の感覚には十分である。
e 脇の下。
a(腕の後ろ)
二本の前腕骨。
湾曲。
b 肘。
(b 湾曲)腕の。
r 肘のところ。
注 fucili は対をなす前腕骨を指す用語。図中文字列は PDF 62 の刊本画像で確認した。
この図示では、一番上の第一肋骨だけを描くこと。この一本だけで、頸が胴から分かれる場所を示すには十分である。
腕と脚の神経が互いに持つ、長さと太さの比例関係を描くこと。
覚え書き。
[図12]脊柱を伴う頸。
[図13]肩。
短縮法で見た頸。
[図14]肩を伴う頸。
注 meri は肩、肩の部分を指す語として訳した。
この頸の図示を、内側から、外側から、また横から、最大限の注意を払って行うこと。索と神経相互の比例関係を、それらが起こり終わる場所とともに示すこと。そうしなければ、自然あるいは必然がそれらに定めた働きや効用を論じることも、示すこともできないからである。
さらに、神経の間にある距離を、深さについても幅についても記述すること。同じく、その太さと長さの比例、起始する位置の高低の違いも記すこと。筋肉、静脈、動脈についても同様にすること。これは傷を治療する者にとって、きわめて有用なものとなるだろう。
第4r葉

シファクは全体が m v の間に収まる。
[図15]4。
注 sifac は腹膜を指す歴史的な解剖用語。
[図16]i y n m v x a b c f S t d p q r。
雄でも雌でも臍の血管が四本あるか調べること。
臍の血管 x v を通して、蛙、亀、緑のトカゲ、トカゲなどのように卵から生まれるのではない、あらゆる四足動物の生命と身体が形づくられる。
注 動物の列挙を卵生動物の例と解した。原文の come の係り方には曖昧さがある。
[図17]n m r S a b o p b p c d e f q r。
n b q は動脈、m p r は静脈である。r d c b a と r e f o p は動脈と混じった臍の静脈であり、臍へ集まり、静脈 r S を通って母親の子宮に結びつく。
老人のもの。[図18]老人の臍。
この四本の筋(すじ)は腎臓のものか、あるいは動脈だと思う。
腎臓の主要な静脈に属するものだと分かった。
臍は、臍の静脈を介して私たちの身体がそこから形づくられた門である、等々。
第4v葉

[図19]p°。
この図示では椎骨を九個だけ描けば十分で、そのうち七個が頸に属する。
[図20]
[図21]
この図示は、優れた文法家にとってラテン語の語の派生が必要であるのと同じほど、優れた素描家に必要である。人物の運動を引き起こす筋肉がどれなのか知らない者は、その人物が動き、何かを行っている姿の筋肉をうまく描けないからである。
第5r葉

[図22]神経。脛の骨。
[図23]外側の神経(静脈)。脛の骨。
[図24]内側の静脈。膝から下では外側になる。
注 dimestiche/silvestre は内側/外側の位置を表す歴史的用法。fucile/focile は下腿骨の名称。
自然は脚の主要な静脈を膝関節の厚みの中央に置いた。関節を曲げるとき、その静脈は、膝の前または後ろを通る場合よりも圧迫が少ないからである。
神経の枝の数は筋肉の数と等しく、それより多くも少なくもありえない。これらの筋肉は、それらの神経によってのみ縮み、また伸び、筋肉はそれらから自らの感覚を受け取るからである。また肢体を動かす索の数は、筋肉の数と等しい。
第5v葉

[図25]神経。静脈。下。
[図26]
[図27]
[図28]
[図29]さらに下。
第6r葉
神経は、人間のある部分では丸く、別のある部分では平たくなっている。
神経は腎臓の静脈より低いところから起こる。
神経の数は大腿の筋肉の数と等しい。

[図30]3 7 3[?]a b c d e。
[図31]
頸に対して行ったように、この尾を中央で切ること。脊髄の神経がどのように起こるかを見られるようにするためである。
注 数字に付された疑問符は刊本のもの。nuca はここでは脊髄を指す歴史的用法と解した。
第6v葉

[図32]
[図33]
腎臓の後ろにある背の椎骨は五個である。
完成した人の姿を三体。
骨と静脈を伴うものを三体。
骨と神経を伴うものを三体。
骨だけのものを三体。
これで全身像の図示が十二となる。
注 同頁の外交的転写には、この一覧の前に括弧付きの「20」があるが、正規化本文にはない。
第7r葉

[図34]
足の「脳」の筋肉の中。
[図35]
[図36]
[図37]a b c n m d e f g h。
注 cervel del piede は直訳して「足の脳」とした。特定の現代解剖学的部位への同定は未確定。
膝の後ろにある神経 b f の右には c h、すなわち二つに分かれて左へ m e の枝を出す静脈がある。その左には動脈 a d があり、これも二つに分かれ、右へ n h の枝を出す。このような分岐は必要であった。この脚のふくらはぎの両側に静脈と動脈、すなわち栄養と生命を備えさせるには、これより短い道がほかになかったからである。
第7v葉

[図38]
[図39]
第8r葉

[図40]
この伏在静脈と、それに側行し付着する他の血管は、大腿の栄養を担うものであり、脚全体の輪郭線の内に収めて描かなければならない。
第8v葉
人間の高さ、幅、厚みのほぼ中央には、他のどの部分にもまして精妙な仕組みがある。女性ではさらに著しく、その同じ場所に、膀胱、子宮、精巣、直腸、痔の静脈、神経、筋肉、軟骨、そのようなものを備えている。
注 女性の testiculi は当時の卵巣に対する呼称。原語の表現を残して「精巣」と訳した。

[図41]
[図42]c a b。
感覚神経より先に静脈が現れ、筋肉の力を伝える索より先に感覚神経が見つかる。
a b は手の内側の神経である。そのうち a は肘の二股の部分を通り、b は腕の内側の折れ曲がる部分を通って来る。c は静脈である。
第9r葉

[図43]a b
a は動脈の分枝である。
b は静脈の分枝である。
[図44]
[図45]a b
a、動脈。
b、鼠径から脇腹へ向かう静脈。
第9v葉

人間 a b m n。
猿 c d p v。
注 上段の腕の比較図に対応するラベル。
筋(すじ)c d が骨 o p をつかむ位置が手 o に近いほど、その手はより大きな重さを持ち上げる。このため猿は、その体の割合に応じて比べると、人間よりも腕の力が強い。
注 nervo はこの筋の力学的作用の文脈では、現代の「神経」ではなく筋・腱を表す「筋(すじ)」とした。
注 使用した1901年版PDFでは、9vの活字翻刻・対訳頁が欠け、PDF137に自筆稿の複製図版のみがある。本文と上段図の語句は、Giambattista De Toni, Le piante e gli animali in Leonardo da Vinci(1922年)、印刷147頁・比較資料PDF173頁の引用から補った。同書は出典を W. Anat. B fol. 9 verso と明記する。以下のsource_pdf_pageはsource_refで指定する比較資料の頁を指す。
注 本文引用と図版の文章の対応を確認したが、自筆稿全文の直接校訂ではない。図版下段のてこの模式図にある小さな符号は、この引用に含まれず、判読を確定していない。
第10r葉

細密画家フランチェスコの腕を写し取ること。その腕には多くの血管が現れている。
[図50]
この種の図示では、身体の部分の正しい輪郭を一本の線で描き、その中に、皮膚、すなわち腕の皮膚からの実際の距離を保って骨を配置すること。それから、透明な場の中で血管の全体が見えるように描くこと。こうすれば、骨、血管、神経の位置を明瞭に知ることができる。
若い時と老いた時の血管の性質。
[図51]若者。
[図52]老人。
血管が老いるにつれ、その枝分かれの中でまっすぐな形が失われ、年を重ねて老齢になるほど、ますます曲がりくねり、すなわち蛇行し、その外皮も厚くなる。
注 本文はPDF140へ続く。
ほとんどどこでも、静脈の通り道と神経の通り道とは同じ道筋を取り、同じ筋肉へ向かい、それぞれの筋肉の中で同じ仕方で枝分かれしていることが分かるだろう。また、一つ一つの静脈と神経が動脈とともに筋肉と筋肉の間を通り、それらの中で等しい分枝をつくることも分かるだろう。
血管は伸ばすことも広げることもできる。その証拠として、私は、ある人が偶然に共通の血管を傷つけ、すぐにきつく縛ってそれを閉じたところ、数日のうちに血液を満たした、ガチョウの卵ほどの大きさの(赤い)血性の腫れ物が生じ、そのまま数年間続いたのを見たことがある。また、衰えきった老人では、腸間膜の血管が血液の通路を閉ざし、長さが二倍になっているのを見いだした。
注 vena comune は本文だけでは現代解剖学上の特定の血管に同定できないため、直訳した。
第10v葉

[図53]
老人では、脾臓と肝臓との間に延びる動脈と静脈の壁がたいそう厚くなり、腸間膜の血管から来る血液の通路を閉ざす。この血液はそれらを通って肝臓、心臓、二本の大きな血管へ、したがって全身へ流れていくのである。また、こうした血管は壁が厚くなるだけでなく、長くなり、蛇のようにねじれる。そして肝臓は、この血管によって運ばれていた血液の液分を失う。そのため肝臓は乾き、色も質も固まったふすまのようになる。わずかにこすると、その物質は鋸屑のような細かい粒になって落ち、静脈と動脈を残す。肝門を通って肝臓の中へ入っていた胆汁と臍の管は、肝臓の物質をすっかり剥ぎ取られ、実を取り去った(種)モロコシ、あるいはホウキモロコシのような姿になる。
注 本文はPDF146へ続く。括弧内の seme は正規化本文に残る取り消し語に相当する形を保持した。
老人では結腸とその他の内臓が大いに狭くなる。また私は、胸の叉骨の下を通る血管の中に石を見いだした。それらは栗ほどの大きさで、色と形はトリュフ、あるいは鉄の鉱滓や炉滓のようであった。この石はその炉滓と同様にきわめて硬く、前述の血管に取り付いた、こぶのような袋をつくっていた。
注 forcole del petto は胸の「叉骨」を指す歴史的呼称として訳した。
この老人は、死ぬ数時間前、自分は百歳を過ぎており、衰弱以外には身体のどこにも不調を感じないと私に言った。そしてそのまま、フィレンツェのサンタ・マリア・ノーヴァ病院の寝台に腰掛けていたところ、ほかには何の動きも、何らかの異変の兆しも示すことなく、この世を去った。
私は、これほど穏やかな死の原因を知るため、その遺体を解剖した。そして、心臓と下方の他の諸器官を養う血液と動脈の不足によって衰えたことを見いだした。それらの器官はひどく乾燥し、痩せ衰え、干からびていた。この解剖について、私は非常に注意深く、しかもたいへん容易に記述することができた。諸部分を見分ける大きな妨げとなる脂肪と液分が失われていたからである。もう一つの解剖は二歳の男児について行ったが、そこではすべてが老人の場合とは反対であることを見いだした。
注 本文はPDF147へ続く。「血液と動脈の不足」は原文の不規則な構文を保持した訳。
[欄外]健康に暮らしている老人も、栄養の不足によって死ぬ。これは、それらの血管の壁が厚くなるため、腸間膜の血管の通路が絶えず狭くなり、次々に毛細血管にまで及ぶからである。毛細血管は、最初に完全に閉じてしまう血管である。このため老人は若者よりも寒さを恐れ、非常な高齢者の皮膚は木、あるいは乾いた栗の色となる。その皮膚はほとんどまったく栄養を奪われているからである。
そして、このような血管の被膜は、人間において、オレンジにおけるのと同じことをする。オレンジも古くなるほど皮が厚くなり、内部の果肉が減る。もし君が、濃くなった血液は血管を通って流れないと言うなら、それは真実ではない。血液は血管の中で濃くはならないからである。血液は絶えず死に、また生まれるからである。
注 本文はPDF148へ続く。lo ingrossamento del sangue non corre は構文上不規則であり、「濃くなった血液は流れない」と解した。
第11r葉

心臓にある静脈を描き、同様に、心臓に命を与え養う動脈も描くこと。
[図54]n m o
心臓は血管の樹を生み出す種の核である。その血管は糞の中に根をもつ。すなわち腸間膜の血管であり、それらは得た血液を肝臓に蓄えに行き、そこから肝臓の上方の血管が養われる。
まず血管の枝分かれをそれだけで描き、次に骨をそれだけで描き、その後で骨と血管を組み合わせること。
[図55]種の核 c a b
[図56]心臓。
[図57]
植物が枝分かれから生まれることは決してない。植物はその枝分かれより先にあり、心臓も血管より先にあるからである。
すべての静脈と動脈は心臓から生じる。その理由は、それらの静脈と動脈のうち最も太い箇所が、心臓との接合部にあり、心臓から遠ざかるほど細くなり、より細かな枝に分かれるからである。
もし君が、植物の根が土の中で枝分かれするのと同様に、血管は肝臓の凸面の中で枝分かれするのだから、そこで生じるのだと言うなら、その比較には次のように答えられる。植物はその根に(自らの)起源をもつのではなく、根と他の枝分かれは、空気と土の間にある植物の下部から生じるのである。そして植物の下方および上方のすべての部分は、土に接するその部分よりも常に小さい。したがって植物全体がこの太い部分から生じることは明らかであり、ゆえに血管も、それが最も太い心臓から生じる。根や他の枝の先端から生じる植物は決して見いだされない。+[+印の欄外へ続く]このことは、桃の木がその核から生まれる際に実際に見られる。上の a b および a c に示したとおりである。
注 本文はPDF155へ続く。+印は原文の欄外への継続位置を示す。日本語では「先端」の後に一文をまとめた。
第11v葉
各部分を解剖した人間の指に寸法を付すこと。また、その位置にも。
腸間膜。
注 冒頭の不規則な構文では「各部分」と「位置」の係り先に曖昧さが残る。

なぜ老人の血管はたいへん長くなり、かつてはまっすぐだったものも曲がりくねるのか[図58]、また、なぜその壁は、閉じ合わさって血液の動きを妨げるほど厚くなるのか、という問いがある。このことから、老人には病気のない死が生じる。
私は、養分に近いものほど、より大きくなると判断する。したがって、このような血管は身体を養う血液の鞘なのだから、血液に近いだけに、それだけいっそう血液が血管を養うのであろう。
[図59]a b
大網の基部を養う。
老人では a b の血管が非常に狭くなり、その中の血液は動きを失う。そのため通常どおり腐敗するが、胃の門から来て、以前のようにこれを押し流す新しい血液は、もはや入り込むことができない。それゆえ、この良い血液も腸の外で腐り、こうして老人は高齢になると、発熱もなく衰えて死ぬ。
また、なぜ老人の腸はたいそう狭くなっているのか。
[図60]
[図61]
ここには、脾臓の本性を知らない人々が可能だと信じている、人間から脾臓を取り出すことが不可能であることを示す。ここに示すように、死を招かずに身体から取り出すことはできない。これは、脾臓が胃を養うための血管をもつからである。
(根)肝門と脾門との間に延びる静脈は、五つの分枝からなる根をもち、それらは肝臓の五つの葉に分かれて入る。その幹の中ほどから一本の枝が出て、(大網を)大網の基部を養うために分かれ、そのあらゆる部分へ延びる。その少し先で一本の枝が上方へ立ち上がり、胃の左下部につながる。その後、さらに少し先の脾臓との接合部で二本の枝になって終わり、脾臓の全体にわたって枝分かれしていく。
注 本文はPDF163へ続く。penule はここでは肝臓の葉を指す歴史的表現。
[図62]
(老人では)血管はその被膜が厚くなることによって血液の通路を狭める。この栄養の不足のため、老人は少しずつ衰え、いかなる発熱もなく、ゆっくりとした死によって命を失っていく。
[右側]これは運動の不足によって起こる。血液が温まらないからである。
第12r葉

[図63]
血液の熱の原因について。
熱は心臓の動きによって生じる。このことは、心臓が速く動くほど熱が増すことから明らかであり、心臓の拍動によって動く熱病患者の脈が、それを私たちに教えている。
[図64]C S B M N
至高の師によって考案された、驚くべき器官。
精気の容器、すなわち動脈のところで開いた心臓。M で血液を受け取る、あるいは動脈へ与え、口 B から肺の風によって冷やされ、C から心臓の耳 S を満たす。N は硬い筋肉で、収縮し、心臓の運動の第一の原因となる。収縮すると太くなり、太くなると短くなって、上方と下方のすべての筋肉を引き寄せる。そして門 M を閉じ、心臓の底と尖端の間にある空間を短くし、それによって心臓を空にし、新鮮な空気を自らへ引き込む。
注 本文はPDF170へ続く。spiriti は歴史的生理学の「精気」。
第12v葉

[図65]
[図66]
[図67]
人類について。
第13r葉
人間。人間の記述。その中には、ヒヒ、猿など、ほぼ同じ種のものを含む。同類は多い。
獅子とその同類。たとえば、パンサー、レオンツァ、虎、豹、(猫)オオヤマネコ、スペイン猫、ガンネッティ、普通の猫、その他その同類。
注 leonze と gannetti はこの箇所だけでは動物の正確な同定が確定しないため音写した。lupi cervieri はオオヤマネコ。
馬とその同類。たとえば、ラバ、ロバ、(鹿)など、上にも下にも歯をもつもの。
雄牛とその同類で、角があり、上の歯のないもの。たとえば、水牛、鹿、ダマジカ、ノロジカ、羊、山羊、アイベックス、ムケーリ、シャモア、キリン。
注 mucheri は動物名の同定が未確定のため音写した。「上の歯のない」は原文どおりで、「切歯」などの補正は加えていない。
心臓について。これは自ら動き、永遠に止まる時以外には止まらない。
肺について。これは他のもの、すなわち第一の動者である心臓によって動かされる。心臓は収縮する際に血管を引き寄せ、それらを通じて温められた空気を肺へ返し、肺を開く。この肺は、意志によって、あるいは思索にふけりすぎたための忘却、すなわち忘れることによって、止めることができる。その間、心臓は、自らが肺へ与えた温かい空気を肺から引き戻す。しかし、この働きを何度も行うことはできない。新しい空気によって冷やされなければ、窒息してしまうからである。
注 本文はPDF182へ続く。
精巣、交合の証人。これらは自らの中に勇気を宿す。すなわち、動物の気概と獰猛さを増すものである。そのことは去勢された動物において、経験上明らかに示される。雄牛、雄豚、雄羊、雄鶏はきわめて獰猛な動物だが、この精巣を取り去られると、非常に臆病になる。雄羊が去勢羊の一群を追い立て、雄鶏が多くの去勢鶏を逃げ散らせるのを見るとおりである。私は以前、雌鶏が同じことをするのも見た。また去勢牛も同様である。
陰茎について。これは人間の知性と通じ合うが、ときにはそれ自身の知性をもっている。人間の意志がこれを刺激しようとしても、頑として従わず、自分の流儀で振る舞う。ときには人間の許しも考えもなしに自ら動き、眠っていようと目覚めていようと、望むことを行う。しばしば人間が眠っているのにこれは目覚めており、またしばしば人間が目覚めているのにこれは眠っている。人間がこれを働かせようとしても、これは望まないことが多い。これが望むのに、人間が禁じることも多い。したがって、この動物はしばしば人間とは別の魂と知性をもっているように見える。また、人間がこれを示すどころか名を口にすることさえ恥じ、いつも覆い隠すのは、不当なことに思われる。本来これは、務めを果たす者として飾り、厳かに示されるべきなのである。
注 本文はPDF183へ続く。ministro は奉仕者・務めを担う者の意。
人体の内部の器官は、肺を除けば、意志によって止めることができない。見よ、心臓は自らその務めを果たし、胃も、それにつながる他の腸も同様である。肝臓、胆嚢、脾臓、精巣、腎臓、膀胱も同じである。
注 inferiore は原語では「下方の」。ここでは列挙される臓器に合わせて「内部の器官」と解した。
第13v葉
私は人体の構成について、動物のあらゆる構成の中で人間の感覚がより鈍く粗いのと同様に、その器官のつくりも巧みさに欠け、感覚の力を受け入れる場所の容量も小さいことを見いだした。獅子の類の嗅覚においては、脳の物質の一部が、嗅覚器に向かってかなり大きな容器の中へ下っているのを見た。この嗅覚器は、多数の軟骨性の小嚢の間へ入り、前述の脳が達してくる方へ向かう多くの通路を備えている。
注 末文の il quale の先行詞と contro の関係には曖昧さが残る。歴史的な構造の説明を現代の解剖学に置き換えず訳した。
獅子の類の眼は、その容器として頭部の大きな部分を占め、視神経は直ちに脳につながる。人間ではその反対であることが分かる。眼の容器は頭部の小さな部分を占めるにすぎず、視神経は細く長く弱いからである。そのため日中にもその働きは弱く、夜にはさらに悪いことが分かる。前述の動物は昼よりも夜によく見える。その証拠は、夜に獲物を捕らえ、昼に眠ることである。夜の鳥たちも同じことをする。
注 本文はPDF190へ続く。
人間の眼の明かり、すなわち瞳孔は、拡大し縮小する際、自らの大きさの半分だけ増減する。夜行性の動物では、その大きさの百分の一を超えて減り、また増える。このことは、夜の鳥であるフクロウの眼に、火のついた松明を近づければ見られるだろう。太陽を見させれば、さらに明らかになる。その時、以前は眼全体を占めていた瞳孔が、一粒のキビほどの大きさに縮むのが見えるからである。このように縮むと人間の瞳孔と同じになり、明るく輝くものは、その時人間に見えるのと同じ色に見える。そして、その動物の脳が人間の脳より小さいだけ、それはいっそう強くなる。したがって、その瞳孔は夜になると人間のものより百倍も大きくなり、人間の百倍の光を見るので、その視力は夜の闇にも打ち負かされない。人間の明かりは大きさを二倍にするだけなので、わずかな光しか見ない。それは、暗すぎる時には飛ばない蝙蝠とほとんど同じである。
注 本文はPDF191へ続く。「百分の一を超えて」と後段の「百倍」の数量表現は原文のまま保持した。luce はここで瞳孔を指す。
実際、人間が動物と異なるのは偶有的なものにおいてのみである。それによって人間は神的な存在であることを示す。自然が自らの種を生み出すことを終えるところで、人間は自然の事物を用い、その自然自身の助けを借りて、無限の種類のものをつくり始めるからである。[レオナルドの引いた線に従って続く]しかし、動物のように自らをよく律するものには、それらは必要ではないので、動物にはそれらを求める性向がない。
注 角括弧内は1901年版編者による配置の説明であり、レオナルド本文ではない。accidentale は本質に対する偶有的・付随的なもの。

[図68]それを中央で切り、尿の通路がどのように狭まるか、またどのように滴下するかを描くこと。
注 対象は図の腎臓。si serrino は「閉じる/狭まる」で、末尾の si destillano の主語は不明瞭。
これらの腎臓が脇腹と仮肋骨からどれほど離れているかを記すこと。
[欄外]尿管は注ぎ出す[以下略]。
注 1901年版編者はこの欄外文の全文を14r(PDF199、印刷頁93)に移して掲げる。ここでの[以下略]は底本の[ecc.]に対応し、翻訳者による省略ではない。全文は14rの該当節を参照。
第14r葉

〔図69〕尿管。膀胱の内部。
注 二つの図中注記として読んだ。poro uritide はここでは尿管を指す。
〔図70〕
注 図への参照のみ。刊本整文欄に言語的注記はない。
〔図71〕c b a。
a–b は3ブラッチャ、b–c は13ブラッチャである。
注 braccia は長さの単位 braccio の複数形。現代単位へ換算せず保持した。
著述家たちは、尿管は尿を膀胱へ運ぶためにまっすぐ入るのではなく、皮膜と皮膜の間へ、互いに向かい合わない経路を通って入ると述べる。そして膀胱が満たされるほど、その経路は強く閉じるという。彼らによれば、自然がこうしたのは、膀胱が満たされたとき、尿が来た道へ逆に流れ出してしまうのを防ぐためだけである。そこで、膜と膜の間の経路が、狭い道を通り、最初の膜の開口と向かい合わない位置から内側の膜へ入るようになっているので、膀胱は満たされるほど、一方の膜をもう一方へ強く押しつける。それゆえ尿が流れ出して逆戻りする理由はなくなる、というのである。
しかし、この説明は正しくない。尿が膀胱の中で、その高さのほぼ中央にある入口より高く上がると、すぐにその入口が閉じてしまい、それ以上の尿は膀胱へ入れなくなるはずだからである。そうすると尿は膀胱の容量の半分を決して超えず、残りの部分は無用になるだろう。自然は何一つ無用なものをつくらない。
注 本文はPDF197頁から198頁へ継続する。
したがって、水についての第6巻第5命題により、尿は広く曲がりくねった道を通って膀胱へ入り、膀胱が満ちたあとには尿管も尿で満たされたままになる、と述べよう。人が直立しているかぎり、膀胱の尿が自分自身の液面より高く上がることはできない。しかし横になっていれば、尿はその管を通って逆戻りできるだろう。上下逆さまになれば、なおさらである。逆さになることは少ないが、横になることは多い。
注 「第6巻第5命題」は原文の内部参照であり、対応する水論の所在はここでは確定していない。
その場合、人が横向きになれば、〔編者注:レオナルドの引いた線に従う〕一方の尿管は上に、もう一方は下になる。上の管は入口を開いて尿を膀胱へ流し込み、下の管は尿の重みで閉じる。したがって一本の管だけが膀胱へ尿を送り、それで足りる。ただし、一方の腎血管が、乳糜に由来する血液から、それに混じっている尿を取り除けばよい。なぜなら、これらの腎血管は互いに向かい合っており、すべてが「乳糜の血管」から出ているわけではないからである。
注 本文はPDF198頁から199頁へ継続する。
注 vene mulgenti は腎臓に属する血管の歴史的名称。vena chili は大静脈を指す歴史的名称として原語の意味も保持した。
注 il sangue del chilo della orina は係り受けが曖昧。「乳糜に由来する血液から尿を取り除く」と解した。tutte non escan の否定も底本どおり保持した。
人が背中を空へ向けて横たわれば、両方の〔編者注:13葉裏の欄外へ続く〕尿管が膀胱へ尿を流し込み、膀胱の上側から入る。これらの管は膀胱の後部につながっており、身体を下向きにしていると、その部分が上になるからである。こうして尿の入口は開いたままになり、膀胱を満たすだけの尿を送り込める。
注 刊本の13v欄外を参照する継続指示はスキャンで確認した。OCRの「15 verso」は「13 verso」に訂正した。
〔欄外〕人が上下逆さまになると、尿の入口は閉じる。
〔図72〕
上下逆さま。
〔図73〕a b。
直立。
〔図74〕
横向き。
〔図75〕
うつ伏せ。
注 刊本の下段左欄にある整文イタリア語を底本とした。図番号と角括弧内の位置・読順指示は刊本編者による。
注 PDF199頁の本文の一部は、刊本の指示に従って13v欄外からここへ続けて収録されている。
第14v葉
脚のない動物には、まっすぐな腸がある。それは常に横たわっているからであり、その動物には足がないので立ち上がらず、たとえ身を起こしても、すぐ平らな姿勢へ戻るからである。しかし、かなりの時間直立している人間には、この仕組みは適さない。腸の曲がりくねりが食物の下降を遅らせなければ、胃はすぐ空になってしまうからである。また、腸がまっすぐなら、曲がりくねった腸の場合のように、食物の一つ一つの部分が腸に触れることはないだろう。
そうすると、その食物の残滓の中に多くの栄養分が残ることになる。それは腸の組織によって吸い取られ、腸間膜の血管へ運ばれることができないからである。

〔図76〕食道。e o n r c d a b。
a–b 直腸。
a–c 結腸。
d–o 回腸。
o–n 空腸。まっすぐであり、そのため空である。
n–r 十二指腸。
d–c 盲腸。
注 図中注記はPDF205–206頁。meri は食道を指す古語。monoculo はここでは盲腸の名称。
注 meri の語義参照:CNR『Tesoro della Lingua Italiana delle Origini』語彙項目 MERI(https://iris.cnr.it/retrieve/9d9ad2ad-58c9-46a1-a85b-039400040cb1/prod_260099-doc_70780.pdf)。
〔図77〕n m。
結腸 n–m の耳状部 n は、収縮したり広がったりするのに適した盲腸の一部である。これは、余分な気体が盲腸を破らないためである。
注 orecchia は文字どおり「耳」。図中の突起を耳状部として訳した。
身体の横走筋で腸の不要物を外へ押し出すとき、肺が空気で満たされなければ、それらの筋は十分に、力強くその役目を果たせない。肺が空気で満たされていなければ、肺自身で横隔膜の全体を満たさないからである。それで横隔膜は緩んだままになり、これらの横走筋に押された腸は、(そうなるだろう)空間を譲ってくれる所、すなわち横隔膜の方へ曲がる。
注 括弧内 sariano も刊本に残された語として訳出した。
しかし肺がすっかり空気で満たされ、上方へ(口から)息を吐き出させなければ、横隔膜は張って硬くなり、横走筋に押された腸が上へ上がるのに抵抗する。そのため腸は、そこに閉じこめられている不要物の大部分を、必然的に直腸を通して排出する。
注 本文はPDF206頁から207頁へ継続する。括弧内 per bocca も底本どおり保持した。
〔図78〕
私は胃を覆う肝臓を、胃を覆っているその部分で、肝臓へ入り、またそこから出る血管の所まで切り開き、その血管が肝臓の中でどのように枝分かれしているかを見たい。しかしその前に、肝臓全体がどのように位置し、どのように胃を覆っているかを描いておこう。
第15r葉
身体のすべての筋は、ごく薄い軟骨に包まれている。そして、より厚い軟骨へと変わり、その中で筋の広がりは終わる。
腸を圧迫するのは横走筋であって、縦走筋ではない。もし縦走筋によるのなら、人が前かがみになってそれらの筋を緩めたとき、押す働きを行う力を失うはずだからである。しかし横走筋は、人が身をかがめても決して緩まず、むしろ引き伸ばされる。

〔図79〕n r b a S h m。
a–b は最も奥にある横方向の筋であり、これらの筋が変化してできる膜は、縦走筋 a–m の下を直角に横切る。
注 ultimi は層の順序を示す語として「最も奥」と解した。
筋 n r S h は四つで、五本の腱を持つ。各々を短くするため、ほかの筋のように一つの塊にはつくられなかった。厚みとともに生命の働きがある所には力があり、運動の幅がこれほど長い所では、動かすものをいくつもの部分に分ける必要があるからである。その最大に伸びた長さは、最小の長さより、その人の片腕の長さの三分の一だけ大きくなり、背中をより深い弧に反らせるほど、その差も大きくなる。曲芸師たちが、両手と両足を合わせるほど後ろへ反るのを見るとおりである。この余分な伸びは、足と手との距離を縮めることから生じる。〔編者注:線に従う〕また、これらの筋が右と左との二列につくられているのは、右にも左にも身をかがめる必要があるためである。
注 本文はPDF213頁から214頁へ継続する。
注 vita con grossezza および raccortamento de' piedi colle lor mani は構文が不明瞭なため、生命の働きと厚み、手足間の距離の短縮という語面を保つ解釈で訳した。
〔図80〕a c d b。
横走筋 c–d は、引くことによって腸を締めつけて持ち上げ、横隔膜を上へ押し、肺の空気を追い出す筋である。そのあと、それらの筋が緩むと、腸は下がって横隔膜を引き下ろし、肺は開く。
a–b はすべて軟骨で、腹膜に接しており、肉質の筋 c–d から生じる。これらの筋は肋骨の下へ入り、横方向に走る筋であり、背骨から起こる。身体の不要物を外へ押し出すのは、この筋だけである。
注 本文はPDF214頁から215頁へ継続する。sifac は腹膜を指す歴史的名称。
膜 a–b の上を、前述の縦走筋 n–m が下っている。これらは、剣状突起のかたわらにある下端の肋骨から起こり、下方の恥骨で終わる。
注 pome granato は字義では「ザクロ」。ここでは胸骨下端の剣状突起を指す語として訳した。用語参照:Royal Collection『Leonardo da Vinci: Anatomist』作品31b(https://media.rct.uk/sites/default/files/file-downloads/Leonardo%20da%20Vinci%20Anatomist.pdf)。
注 この葉の cartilagine は腱・腱膜状組織をも含みうる歴史的用法。原語の名称を尊重して「軟骨」と訳した。
第15v葉

〔図81〕a n m o p q。上部。
〔図82〕a b c。
a b c は古い筋のくぼみ。
注 antico は「古い」、次節の moderna は「新しい・現代の」。古い図と新しい図の比較か、身体の年齢差かは本文だけでは確定しない。
〔図83〕d e。
c d f は新しいものである。
注 moderna の対象は明示されない。直前の図82の注記との対比を保って訳した。
〔図84〕a c b。
太るとき、骨の上で肉がどのように増し、痩せるときにどのように減るのか、またどんな形をつくるのか、そしてどの……ということを記せ。
注 刊本の文末は e qua... と中断している。訳でも補完しなかった。
筋 a–b は、腕の下でも上部でも、また側方、すなわち脇腹の下部でも、肉質のまま終わる。後方では背骨に、前方では身体の縦の中央に達し、後方では背骨の椎骨で終わる。
注 列挙と後方についての反復は原文どおり保持した。
筋 n m o p q は肋骨の上にあり、その(尖端)角の所で短く厚い軟骨へ変わり、接している肋骨と結びつく。そしてすぐそこから別の筋、すなわち a m n が起こる。ここに示したものは、皮膚を取り除くと現れる。
注 本文はPDF221頁から222頁へ継続する。括弧内 punte はスキャンで確認し、刊本どおり保持した。
a b c は、上の第2の図では、筋 a に覆われた(ままで)いる。
注 括弧内 resta も刊本の語として訳出した。
身体に起こる筋はすべて膜へ変わり、その膜は腹部の上を通って、反対側の筋と連続する。横走筋や斜走筋がそうである。しかし縦走筋、すなわち直筋は、剣状突起の高さから恥骨まで肉質のまま走る。また、乳房の筋は胸郭の中央全体から起こり、肩の骨で終わるが、乳房よりいくらか下を通ると膜へ変わり、身体全体を覆う。
注 pomo granato は剣状突起を指す歴史的名称として訳した。原語名と語義の根拠はB-015rの注を参照。
注 ventre inferiore は当時の体腔区分で下方の体腔、すなわち腹部を指す表現として訳した。
注 この葉の cartilagine は腱・腱膜状組織をも含みうる歴史的用法。「軟骨」として原語の名称を保持した。
第16r葉

〔図85〕上部。
背中から起こる。
腹部の第1の筋は、その上部では胸の第6肋骨から起こり、腕の方へ向かって、鋸の歯のような形で、肋骨の上から起こる筋の中に終わる。下方では軟骨に変わり、腰の骨から恥骨に至る所で終わる。
〔図86〕n m。
腹膜の上で終わる。
注 sifac は腹膜を指す歴史的名称。
筋 n–m は下の横走筋である。臍の後ろの椎骨から起こり、脇腹の軟らかな部分を通り、下から2番目の仮肋で終わる。そして縦走筋の上で軟骨へ変わる一方、恥丘までは肉質のまま走る。
注 costa mendosa は仮肋を指す。pettignone は恥部・恥丘の歴史的名称として訳した。
注 cartilagine は腱・腱膜状組織をも含みうる歴史的用法。「軟骨」と訳して原語の名称を保持した。
第16v葉

b は上腕骨の上端で終わり、肋骨と胸の胸郭を支えるものである。
注 aiutorio はここでは上腕骨を指す歴史的名称。
肋骨部を図示するには、まず肋骨だけをむき出しにし、間の空間を開けて示さなければならない。次に、肋骨の側面に結びつき、肋骨どうしを鎖のようにつなぐ筋を示す。その次に、肋骨の上に織り重なり、肋骨を広げたり狭めたりする運動に役立つ筋を示す。さらに、先に述べた筋の上をさまざまな向きに横切り、いろいろな運動に役立つ、ほかの筋を示す。
〔図87〕n b。
肋骨の運動を妨げる、肩を最大限に上げ下げすることについて。
首の脊柱の椎骨に付いている首の筋によって肩を最大限に上げ下げすると、肩が上がったときには肋骨が下がる運動が妨げられ、肩が下がったときには肋骨が上がる運動が妨げられるからである。
注 本文はPDF233頁から234頁へ継続する。diserve は続く阻害の説明に合わせて「妨げる」と解した。
そのため自然は、横隔膜の筋によって備えをした。これらの筋は、そのくぼんだ中央で横隔膜を(上げ、そして)下げる。再び上がるのは、腸内に閉じこめられた気体が圧迫されることから生じる。その気体は、糞が乾燥して蒸気を発することから生じる。そして、上がった肩が筋 b を介して肋骨を高く保っている場合、横隔膜は自身の筋によって動くだけで、肺を開く(そして閉じる)役目を果たす。圧迫された腸は、その中で生じる圧縮された気体とともに横隔膜を上へ押し返し、横隔膜は肺を押して、その中の空気を追い出す。
注 括弧内の alzano e、e serrare も刊本に残された語として訳出した。
〔図88〕d a c b。
筋 a は乳房をその中に含み、剣状突起のかたわらで、第7肋骨まで肉質のまま下る。そのあと膜へと変わり、腹部全体を覆ってゆき、恥骨に結びついて終わる。この乳房の筋はいくつもの筋から成り、それらは胸郭全体から起こって合流し、上腕の筋の部分で終わる。
注 本文はPDF234頁から235頁へ継続する。pome granato は剣状突起。
a d c は肩の骨で終わり、胸郭の中央から起こる。下方では、その軟骨によらなければ、上に b と記した部分を覆うまで届かない。その軟骨で腹部全体を覆い、脇腹と恥骨で終わる。
注 図中文字 a d c はスキャンで確認し、OCRの ade を訂正した。
注 cartilagine は腱・腱膜状組織をも含みうる歴史的用法。「軟骨」として原語の名称を保持した。
第17r葉

〔図89〕a b n。
肺が空気を外へ送り出し、そこから(呼出された)出ていった空気の量だけ肺の容積が減るとき、小さくなった肺を収める胸郭内の空間は、増えた空間を満たす空気をどこから引き入れるのか、調べなければならない。自然の中には真空が存在しないからである。
注 括弧内 esalò も刊本に残された語として訳出した。cassa は肺を収める胸郭を指すと解した。
さらに、肺が大きくなるとき、その容器内の空気はどこから追い出され、どの道を通って逃げ、逃げたあとはどこに収まるのか、ということも問われる。
肺は、呼気として吐き出すべき空気を外へ押し出したあとでも、常にいくらかの空気で満たされている。そして新しい空気によって冷やされるとき、肺は胸の肋骨に接し、それをいくらか広げて外側へ押す。呼吸している胸の上に手を置くと、胸が大きくなったり小さくなったりするのを見て感じることができるとおりであり、大きなため息をつくときには、なおさらそうである。
注 本文はPDF241頁から242頁へ継続する。
自然は、この力が胸の肋骨にかかり、肺の組織を包んで境界をなす膜にはかからないようにした。非常に大きなため息をつくために、過度の(ため息、あるいは)空気の取り込みが起こっても、その膜が破れたり裂けたりしないためである。
注 括弧内 sospiro o も刊本に残された語として訳出した。
横隔膜、すなわち肺の先端の下にある厚い膜は、肺が大きくなっても変形せず、どの部分も押されない。肺は幅の方向へ大きくなり、長さの方向には伸びないからである。ただし、肺の拡大に場所を譲る風、つまり空気によって横隔膜が押されるのでなければ、ということである。その場合には、空気に押された横隔膜が肺の拡大に場所を譲り、横隔膜が肝臓を押し、肝臓が、その蓋になっている胃を押すことはありうるだろう。こうしてすべての腸が次々に押されることになり、この絶え間ない運動によって、人の運動が激しければ激しいほど、腸内の排出はいっそう速くなるだろう。
注 本文はPDF242頁から243頁へ継続する。lei の指示対象を横隔膜として訳した。
腸の中で生じる気体は、直腸にとどまる不要物によって生み出される、と述べよう。それは乾燥するほど、自分の水分を蒸気として発する。この蒸気は空気の形で内臓を膨らませ、結腸へ集まると痛みを生じる。
注 il quale の文法上の照応には揺れがある。乾燥し水分を蒸発させるものは直前の不要物として訳した。
〔欄外〕肺は空気で満たされると、長さの方向ではなく幅の方向に大きくなる。これは(動物の)豚の肺を膨らませれば見ることができる。(そして、そこに……する脂は)しぼんだ肺と、その周りの肋骨との間にあった空気は、肺が大きくなると、下方、つまり肺と横隔膜の間へ逃げる。そして横隔膜を下へ、胃に向かって膨らませる。そのため胃は圧迫され、自分の中にあるものを腸へ送り出す。
注 括弧内 animale および未完の句 e l'unto che si も保持した。後者を補完せず、訳でも言いさしとして示した。
さらに、肺と横隔膜の間で圧迫されたその空気は、心臓を包む袋に当たる。そしてその袋の底にある少量の液が上がり、心臓全体を濡らす。こうして絶えず濡らすことで、熱くなった心臓を潤し、激しく動くために乾いてしまわないようにする。
注 呼吸・胸腔・腸内気体・心臓についての説明は、歴史的本文の主張を変更せず訳した。角括弧の位置指示は刊本編者による。
第17v葉
最初に形成されることに関していえば、身体全体は心臓から生じる。したがって血液も血管も神経も同じである。ただし、これらの神経はすべて明らかに脊髄から生じ、心臓から離れているように見え、脊髄は、それが由来する脳と同じ組織から成っているように見えるのだが。

〔図90〕
すべての神経の樹状図。そのすべてが脊髄から起こり、脊髄が脳から起こる様子を示す。
〔図91〕
注 図への参照のみ。刊本整文欄に言語的注記はない。
〔図92〕
神経の全体を図示するときには、毎回、身体の形を示す外側の輪郭線を描け。
注 nuca は通常語の「うなじ」ではなく、この解剖学的文脈では脊髄を指す歴史的用法として訳した。
第18r葉
別の筋肉を露わにするためにどの筋肉を取り除こうとも、いかなる肢体の輪郭も決して変えてはならないことを覚えておけ。また、取り外す筋肉の端が、その筋肉を剝がす肢体の一部分の境界になっている場合には、その筋肉を切り離したため失われた肢体の輪郭を、細かく打った点で示さなければならない。これは、描写する肢体が、部分を取り去ったために奇怪なものにならないようにするためである。さらに、こうすると全体についての理解が深まる。ある部分を除いたとき、その部分が除かれた場所の真の形を、全体のなかに見ることができるからである。

[図93]
[図94]
[図95:]a a (d) c b b e
[図96:]f g h a b c d f e (g)
f g hから神経が出て、その枝は膝より下の下腿の後ろで、a bにあるふくらはぎの筋肉を包む。さらに下ではc dの第二の筋肉群を包み、最後にe fでくるぶしの後ろを曲がり、その後、足の下へ通る。
第18v葉
筋肉a bと筋肉a cは、大腿を前方へ上げる働きをする。
また、大腿に横方向の運動、すなわち両大腿を開いたり閉じたりする運動を与える。大腿を開くときには、筋肉a cが太く短くなることと、筋肉a bが短くなることが働く。

大腿の回旋運動について。
大腿を右や左へ回す運動の部分は、上述の筋肉によって生じる。すなわち筋肉a cは大腿を内側へ回し、筋肉a bは外側へ回す。そして両者が一緒に働くと大腿を上げる。
[図97:]a c b
[図98:]a c b
筋肉は常に、互いに接する別々の骨に始まり、終わるのであって、決して同じ一つの骨に始まり、終わることはない。そうでなければ、自分自身を疎または密にする以外、何も動かせないからである。
注 本文はPDF第262頁へ続く
どの筋肉が、一方では骨に始まり、他方では別の筋肉の上に終わるのか。
筋……
注 「Il lace...」は底本でも未完の語句
私は筋肉、すなわち筋束a bを取り外し、その下に続くものを示したい。
大腿のすべての筋肉は膝のところへ到達する。それらはまず筋(すじ)となり、次いで、その筋の下でそれぞれ薄い軟骨へと変わる。この軟骨によって、大腿から膝へ下る筋肉の数と同じだけの層、すなわち膜の衣で膝関節が包まれる。これらの包みは膝関節の上方四指幅、下方四指幅に及ぶ。
注 nervoはここでは筋肉の腱性部分を指すものとして「筋(すじ)」と訳した
第19r葉

[図99]
[図100]
第19v葉
痩せてゆくと幾つもの筋肉に分かれるのはどの筋肉か。また、(それはどの筋肉か)肉付きがよくなると、幾つもあったものが一つになるのはどれか。

[図101]
[図102]
第20r葉
肩から上の静脈の分枝、および脾臓から肺への静脈の分枝。
神経の分枝、および心臓へ向かう反回神経の分枝。
腸の形と位置について。
臍がどこに付着するか。
胴体と腰の筋肉について。

足を上げ下げする筋肉は、下腿から起こる。すなわち足の前部を上げるものは下腿の外側から起こり、足の親指の付け根に付着する。
[図103]
[図104]
注 parte silvestraはここでは外側と解した
どれが主要な索状の筋で、切断された場合に動物へ最も大きな害を与えるか、またどれが重要性の低いものかを記せ。これを各々の肢体について行うこと。
注 本文はPDF第280頁へ続く。cordeは神経・腱など索状の組織を指す表現
骨どうしの比例関係を記せ。
また、それぞれが何に役立つかを記せ。
さまざまな方向から描くこの図解では、下腿を動かすすべての筋肉を取り扱う。これらの筋肉は骨盤の縁に付着しており、またこの骨盤から、膝より上の大腿を動かす筋肉も起こる。
さらに、跪くときに下腿を曲げる筋肉も取り扱う。
注意すべきこと。
動物のさまざまな運動において、さまざまな筋肉が現れ、また、こうした運動の違いによって別の筋肉が隠れる。このことについて、傷によって損なわれた場所を知るため、また彫刻家や画家などのためにも、長い論述を行う必要がある。
注意すべきこと。
下腿のすべての運動は大腿の筋肉から生じる。その運動は下腿を曲げ、曲げたものを伸ばし、右や左へ回す。
一方、足の運動は下腿から起こる筋肉によって生じる。足指の運動を生じるものは、一部が下腿に、一部が足に起こる。
また、下腿を動かす筋肉は、一部が腰骨に、一部が大腿に起こる。それらすべてについて正確な位置を示すこと。
第20v葉
本の構成について。
この著作は人間の受胎から始めるべきである。子宮のありさま、子供がその中にどのように住まい、どのような状態でそこに位置するか、どのように生命を得て養われるか、その成長、および成長の一段階から次の段階までの間隔を記述せよ。また、何が子供を母体の外へ押し出すか、なぜ時として定められた時期より前に母の腹から出てくるのかを記述せよ。
次に、子供が生まれた後、ほかよりもよく成長するのはどの部分かを記述せよ。そして一歳の子供の寸法を示せ。
次に成長した男と女、およびその寸法、体質の性状、色、顔貌を記述せよ。
その後、人がいかに静脈、神経、筋肉、骨から構成されるかを記述せよ。これは本の最後に行うこと。
その後、四つの場面に、人間に共通する四つの事態を描け。すなわち喜びを、さまざまな笑う動作とともに描き、笑いの原因も描け。泣くことを、さまざまな仕方で、その原因とともに描け。争いを、殺す、逃げる、恐れる、猛る、敢えて立ち向かう、殺人を行うなどのさまざまな動作、およびこのような事態に属するすべてのこととともに描け。
その後、労働を、引く、押す、運ぶ、止める、支えるといったこととともに描け。
姿勢。
その後、姿勢と運動について記述せよ。
作用。
その後、眼と聴覚の働きに関する遠近法。音楽について述べ、ほかの感覚について記述せよ。
感覚。
その後、五感の性質を記述せよ。
3 3 3 3 3 3 3 3
注 底本に並記された数字列
人間のこの器官構成を図で示す。そのうち最初の三枚は骨の枝分かれする構造である。すなわち、一枚は前方から見て骨の位置と形の幅を示す。二枚目は側面から見て、全体と各部分の奥行き、およびその位置を示す。三枚目の図は後方から骨を示す。
次に同じ方向から、骨を切断した図をさらに三枚作り、その中に骨の厚さと空洞が見えるようにする。さらに、完全な骨と脊髄から起こる神経、およびそれらがどの肢体へ枝分かれするかを三枚の図にする。また骨と静脈、およびそれらがどこへ分枝するかを別の三枚にする。それから筋肉を付けた図を三枚、皮膚を付けて釣り合いの取れた形を示す図を三枚、そして子宮と乳房へ行く月経の静脈を示すため、女性の図を三枚作る。
注 nucaはこの文脈では脊髄を指す
第21r葉
カタルがどこから生じるかを描け。
涙。
くしゃみ。
あくび。
震え。
癲癇。
狂気に陥ること。
眠り。
飢え。
情欲。
怒りが身体のどこで働くか。
同じく恐れ。
熱。
病。
毒がどこを損なうか。
すべての器官の性質を記述せよ。
なぜ雷は人を傷つけずに殺すのか。また、もし鼻を払って通じさせれば、人は死なないであろう。それは雷が肺を損なうからである。
注 saettaは雷撃、si scopassi il nasoは鼻を払う・通じさせるとの趣旨と解したが、具体的な動作は不明確
魂とは何かを書け。
必然によって、生命を保ち活動を行う器官を、適切かつ必要な形と位置に作る自然について。
必然がいかに自然の伴侶であるか。
精液がどこから来るかを描け。
尿はどこから来るか。
乳はどこから来るか。
食物が静脈を通ってどのように分けられてゆくか。
酩酊はどこから来るか。
嘔吐はどこから来るか。
砂状の尿石と結石はどこから来るか。
脇腹の痛みはどこから来るか。
夢を見ることはどこから来るか。
病気による譫妄はどこから来るか。
動脈を圧迫すると人が眠り込むのはなぜか。
首を刺すと人が倒れて死ぬのはなぜか。
涙はどこから来るか。
一方が他方を引き連れる眼の回転は、何によるのか。
しゃっくりについて。

[図105:]n a
[図106:]b
弓なりになった腰について。
腰、すなわち背が弓なりになった場合には、乳房は常にその背の肩甲骨より低い。
胸を弓なりに反らした場合には、乳房は常に背の肩甲骨より高い。
腰が真っすぐな場合には、乳房は常にその肩甲骨と同じ高さに見いだされる。
[図107]
[図108]
[図109]
第21v葉
対象が感覚を動かす。
散らすこと。
それを手に入れないと苦しむことになると分かるなら、物事を自分に約束せず、行いもしないこと。
注 Dissipareおよび後続文の関係と構文は曖昧なまま保った
粗野で、習いが悪く、思慮の乏しい人々が、思索し深く考える人々と同じほど美しい器官、これほど多様な仕掛けを持つに値するとは思えない。食物を受け入れ、そこから排出する袋一つでよい。実際、彼らは食物の通り道以外の何ものとも見なされるべきではない。声と姿のほかには人間という種に参与するものが何もないように思われ、そのほかのすべては獣にもはるかに劣るからである。

[図110]
[図111]
人が上がる段が高ければ高いほど、その頭は上方にある足よりいっそう前に出る。
aがbより重いため、この人は段mの上に位置できない。それを線a f gが示す。
[図112:]f a b g m
[図113]
人が走るのをやめ、その勢いを使い尽くそうとするとき、必然によって後ろへ身を傾け、小さく速い歩を取る。
片足を地面から上げる人の重心は、常に地面に残した足の足裏の中心の上にとどまる。
注 原文の suo piedi は接地している側の足と解した
階段を上る人は、自分の重さを、高い方の足の前方と横へ、低い方の脚に釣り合うだけ移す。そのため低い方の脚の労力は、自分自身を動かすことだけに用いられる。
人が段を上がるときに最初にすることは、上げようとする脚から、それに掛かっていた胴体の重さを取り除くことである。それに加え、もう一方の脚に、反対の脚を含む身体の残りすべての重さを掛ける。次いで脚を上げ、自分が上がろうとする段に足を置く。こうした後、高い方の足に胴体と脚の残りの重さをすべて移し、大腿に手を置き、頭を前へ突き出す。そして高い方の足の先へ向けて動き、低い方の足の踵をすばやく上げ、その勢いで上へ上がる。同時に、膝の上に支えていた腕を伸ばす。この腕を伸ばす動作が胴体と頭を上へ押し、こうして曲がっていた背を真っすぐにする。
注 本文はPDF第305頁へ続く
第22r葉
老人について。
その主幹によって胃底のこちら側と向こう側を潤し、腸を覆う網の中で枝分かれしてゆく静脈。
注 reteはここでは大網を指す

[図114:]b a c 胆嚢。
下に静脈があり、その上に動脈がある。
b a cは脾臓から肝門まで伸び、胃の後ろを通る静脈である。aからは、腸を覆う網の中で枝分かれする静脈と動脈が出る。すなわちaから二本の静脈が出て、胃底の下を通り、一方は後方で肋骨と胃の間を、他方は前方を通る。そして述べたように、後方の大網と前方の大網の中で分枝してゆく。図の示すとおり、前方のものは二重である。静脈が行うことは、動脈も行うと認められる。
注 zirboは大網に当たる古い解剖用語
[右側:]老衰した人では、肝門から出て胃の後ろを横切り、脾臓へ枝分かれする静脈について、次のことを認めた。その枝の静脈は、若者では真っすぐで血液に満ちているが、老人では曲がりくねり、押しつぶされ、しわが寄り、血液がなく空になっている。
注 本文はPDF第312頁へ続く。「右側」は底本の配置説明
肝臓も同様で、若いときにはふつう色づき、均一な強靱さを持つが、老人では青白く、血液の赤みがまったくなく、静脈は空のままである。そしてその(肺)肝臓の実質の中では、その実質の疎なありさまは少量の水で濡らした糠に似ており、洗うとたやすくばらばらになる。そのため、その中で枝分かれする静脈は、肝臓のすべての実質から離され[……]残る。
注 (polmone)は底本が保存する訂正前の語。「[...]」も底本にある欠落表示。構文の不整は補って医学的に改変していない
[図115]
[図116]
第22v葉
覚え書き。
胃が臍の上どれほどの高さにあるか、また「柘榴」との関係、脾臓と心臓が左乳房に対してどのように位置するか、腎臓が脇腹に対してどのように位置するかを記すことを忘れるな。結腸、膀胱、その他の腸についても、縦走する筋肉からの距離に比べ、背からどれほど遠いか近いかを記せ。このように静脈や神経なども含め、身体全体を記述せよ。
注 pomo granatoはこの図の解剖学的指標だが、何を指すか断定せず原義「柘榴」を残した

[図117:]肝臓 脾臓 胃。
[図118:]柘榴 臍。
(奇異な静脈)腹膜の上に置かれ、腹壁と腹膜の間に挟まっている静脈。
注 sifacは腹膜、miracはそれを覆う腹壁を指す古い用語。(Vena mira)は底本に残された語句
老人の結腸は、その手の中指ほどに細くなる。若者では、その腕の最も太い部分ほどの太さである。
腹膜と腸の間にある網は、老人ではすべての腸から退いてそれらを露わにし、胃底と腸の上面との間へ引き込まれる。
注 reteは大網、sifacは腹膜
第23r葉

[図119:]脊髄と、そこから起こる神経。
脊髄を覆うこの二層の膜は、脳を覆うものと同じ、すなわち軟膜と硬膜である。
注 nucaはここでは脊髄を指す
[図120:]第二 胸郭。
頸の椎骨。中央から前方を切って取り除き、脊髄のある場所、および脊髄がどのように収まり、これらの椎骨の外へ枝分かれするかを露わにしたもの。
脊髄の実質は、神経の起始部の中へある距離入り込み、それから孔のある神経がその末端の枝まで続く。この孔を通って感覚が各筋肉へ運ばれる。筋肉は、それをほぐすと分かれる糸の数だけ、ごく小さい別の筋肉から成る。それぞれのごく小さい筋肉は、ほとんど知覚できない薄膜に包まれ、上述の神経の最末端の枝はこの薄膜へと変わる。それらは神経の空洞を通る感覚の要求のたびに従い、自ら引き縮むことで筋肉を短くし、太くする。
注 本文はPDF第324頁へ続く。中空神経を介する感覚・運動の説明は原文の歴史的理解をそのまま訳した
しかし脊髄の話に戻ると、それは二枚の薄膜に包まれている。その一方は脊髄の髄性の実質だけを覆い、椎骨の空洞から出るときに神経へと変わる。他方は神経をその主要な枝とともに覆い、神経の各枝とともに分枝し、こうして脊髄の第二の衣となって、椎骨の骨と脊髄の第一の薄膜との間に介在する。
[図121:]第三 神経の源。
脊髄は、肢体に随意運動を与える神経の源である。
軟膜と硬膜は、脊髄から出るすべての神経を覆う。
第23v葉
すべての筋肉を付けた神経の分枝図を作れ。
それから、神経と骨に筋肉を付け、腕全体を構成するように、その分枝図を作れ。

[図122:]肩 上腕骨 腕の紡錘形の筋肉 肘の筋肉。
[図123]
[図124]
注 pesce del braccioは字義では「腕の魚」。筋腹をその形から呼ぶ表現として訳した
ここでは腕の各神経が、脊髄から出る四本の神経すべてと結ばれている。
ここでは腕のすべての筋肉を、神経と静脈とともに示す。
両腕を広げた人を描き、そのすべての神経と、それぞれの働きを細部まで示せ。反回神経については、そのすべての枝に最大限の注意を払うこと。
腸を除いた大網の図解。
切断した骨の図解。
骨だけの図解。
骨と神経の図解。
骨と静脈の図解。
神経と筋肉の図解。
静脈と筋肉の図解。
骨と腸の図解。
腸間膜の図解。
精気に関わる器官と筋肉の図解。
女性の図解。
骨と神経と静脈の図解。
神経だけの図解。
骨だけの図解。
切断した骨の中にある神経の図解。
注 spiritualiは当時の精気・生命作用に関する表現。単に心理的・宗教的な意味の「精神」とはしていない
切り開いていない骨の中の神経の図解。
骨と、それらを互いにつなぐ筋(すじ)の図解。これらの筋はごく短く、特に椎骨を内側でつなぐものは短い。
注 後半のnerviは骨を結ぶ靱帯性の組織を指すものとして「筋(すじ)」と訳した
第24r葉
解剖の順序。
まず骨を描け。たとえば腕である。そして肩から肘まで、すべての線に沿って運動を起こすものを置け。次に肘から腕へ、次に腕から手へ、手から指へと置け。
注 braccioは文脈によって腕全体と前腕の双方を表すため、原文の語の繰り返しを残した

また腕には、指を開く運動を起こすものを置け。その図解では、これらだけを描け。第二の図解では、これらの筋肉を、指を動かす第二の筋肉群で覆え。混乱しないよう、このように段階を追って行え。しかしまず、骨の上にはその骨と結び付く筋肉を、ほかの筋肉を混ぜて混乱させずに置き、それらとともに、それらを養う神経と静脈を置け。その前に、骨だけの上に、静脈と神経の樹状の図を作っておくこと。
[図125:]a b d c e
歯の性質、その位置、およびその運動の支点からの距離について。
運動の中心から遠い歯ほど、噛み締める力は弱い。たとえば歯の運動の中心を、顎の支点aとするなら、歯がその中心aから遠いほど、噛み締める力は弱いと言える。したがってd eは歯b cより噛み締める力が弱い。このことから、次の系が導かれる。すなわち、運動の中心、あるいは運動の支点に近い歯ほど力が強い。つまり歯b cの噛み締める力は、歯d eより強い。
(自然は、より大きな力を持つ歯を、食物に突き入りにくく、先端の太いものに作る。)したがって歯b cは、より大きな力で動かされるほど、その先端がいっそう鈍くなる。このため歯b cは、顎a dおよびa eの支点aに近いほど、歯d eに比べていっそう鈍くなる。それゆえ自然は臼歯を、食物を突き刺したり切ったりするのではなく、すり潰すのに適した幅広い面を持つものに作った。そして前方には、食物を切り、突き入る歯を作り、すり潰すには適さないものにした。また、臼歯と切る歯の間には犬歯を作った。
注 本文はPDF第339頁へ続く。maestreはここでは犬歯を指す
第24v葉
注 底本に「verso (bianco)」と明記される白紙面
第25r葉
夜行性動物の瞳孔は、夜の暗さが大きいか、さらに大きいかに応じて、大きなものから、いっそう大きなものへと変化してゆく。
また、これら夜行性動物の瞳孔は、昼の明るさが大きいか、さらに大きいかに応じて、小さなものから、いっそう小さなものへと変化する。
以上述べたことから、これら夜行性動物は、昼と夜の時間に起こり得る明るさや暗さのあらゆる変化の中で、常に等しい強さの視覚能力を備えていると結論される。
視覚能力は、その全体が瞳孔全体にあり、またその全体が瞳孔の各部分にもある。
したがって瞳孔の半分でも、それが完全な瞳孔であるかのように、対象をまるごと見る。
瞳孔が大きければ大きいほど、その対象をより大きな形で、より明るく見る。また逆に、瞳孔が小さければ小さいほど、その対象をより小さく、より暗く見る。
したがって片眼を閉じると、視覚の力は半分に減じられる。このことは太陽、月、星など光る物体で、また灯火や火でも確かめられる。

この明るさの減少は、片方の眼を閉じずとも見ることができる。閉じる代わりに、一方の瞳孔の前、空気と眼の間に、手または指を差し入れよ。すると二つの瞳孔である範囲の空気が見え、その範囲は一つの瞳孔だけで見える空気に接する。一つの瞳孔で見える方は、二つの瞳孔で見える方より、それに応じて暗くなる。その理由は図の示すとおりである。
[図126]
第25v葉
注 底本に「verso (bianco)」と明記される白紙面
第26r葉
注 底本に「recto (bianco)」と明記される白紙面
第26v葉

[図127]
第27r葉
各筋肉の法則と寸法を定め、そのすべての働き、どのように用いられるか、何がそれを動かすかなどを説明せよ。

[図128]
[図129]
まず背骨を描け。その後、これらの筋肉を一つずつ、互いに重ねながら段階的に覆い加えてゆき、それぞれの筋肉に神経、動脈、静脈を個別に配せ。さらに、それがいくつの椎骨に結びつくか、その向かいにどの内臓、骨、そのほかの身体器官があるかなどを記せ。
痩せた人で最も高くなっている部分は、筋肉の発達した人ではいっそう高くなり、太った人でも同様である。しかし、太った人の筋肉の形と筋肉の発達した人のそれとの差は、以下に記すことにする。
第27v葉

肋間筋の働きについて。
[図130]f n。
[図131]o p q m n。
肋骨を上に引く三つの筋肉を、牽引筋と呼ぼう。
五つの筋肉 c d e f は胸を広げるために作られているので、拡張筋と名づけよう。
[図132]a b c d e f g。
注 「五つ」に対して、本文に列挙される符号は c d e f の四つ。原文どおり。
肋間筋とは肋骨の間に挟まれた小さな筋肉で、肋骨を広げ、引き寄せる役目をもつ。この二つの相反する動きは、胸郭内に収められた肺に空気を取り込み、吐き出すために定められている。肋骨の拡張は、m n の斜めの方向に位置する外側の肋間筋によって生じ、三つの筋肉 o p q がこれを助ける。これらは大きな力で肋骨を上へ引き、内部の容積を広げる。それは、次に見るものと同じ仕方である。
注 文は次ページへ続く。
すなわち心臓の心室に見られる動きである。しかし肋骨が下へ戻らねばならないとき、人が横たわっていれば、外側の筋肉と逆の斜行をもつ内側の筋肉がなければ、肋骨はひとりでに下がることができない。その斜行は線 f n に沿っている。
肋間筋の力について。
外側の肋間筋の働きは、肋骨を持ち上げて広げることであり、その配置のおかげで驚くべき力をもっている。なぜなら、その上方の端は、関節をなす肋骨が起こるのと同じ背骨に固定され、その斜めの方向が臍へ向かって下っているからである。
第28r葉

[図133]
足や手の指の関節によってできる一つ一つの隆起には、隣接する指の側に、その丸みを受け入れるくぼみがある。自然がこのようにしたのは、幅を不格好にしないためである。もしこれらの丸い隆起が互いに接していたら、足は大変幅広くなり、さらに、指がすべて同じ長さになるか、一方が二つの関節をもち他方が一つになるか、そのどちらかが必要になるからである。骨について述べる適切な箇所で、これを示す。
ここに続く。
[図134]
[図135]
どちら向きに起こされた液体の運動でも、その最初の動因から与えられた勢いが内部に生きている間だけ、開始した回転を続ける。
動物の身体が絶えず死に、再生することについて。
栄養を摂るあらゆるものの身体は、絶えず死に、絶えず再生する。栄養が入り込めるのは、以前の栄養が尽きた場所だけだからである。それが尽きれば、もはやそこには生命がない。失われた栄養と同量の栄養を返してやらなければ、生命はその健全さを失う。栄養を取り去れば、生命は完全に滅びる。しかし日々失われるのと同じだけ返してやれば、消耗するのと同じだけの生命が再生する。
これは蝋燭の液から栄養を与えられて生じる炎と同様である。その炎も、上で燃え尽きて死んでゆく分だけ、下からきわめて速やかな補給によって絶えず回復され、死ぬときには輝く光から暗い煙へと変わる。この死は、煙が続くのと同じく連続しており、その煙の持続は栄養の連続的な供給に等しい。そして一瞬のうちに、すべての……
注 文は次ページへ続く。
炎が死に、その栄養の動きとともにすべてが再生される。
[線に沿って続く]その生命もまた、先端の揺れが示すように、寄せ引きの動きを受ける。動物の身体でも同じことが起こる。心臓の拍動が、すべての血管を通じて血の波を生じさせるのである。血管は絶えず広がり、縮む。拡張は余分な血を受け入れるときに起こり、縮小は受け取った血の(余剰)過剰な分を放すときに起こる。生きた身体のどの場所でも、指でこれらの血管に触れたときの脈拍が、このことを教えてくれる。
注 角括弧内は版の配列指示。丸括弧は本文に残された語句を保持。
しかし本題に戻ると、動物の肉は、その栄養から絶えず生じる血によって作り直されるのであり、その肉は分解し、腸間膜の動脈を通って戻り、腸へ引き渡される。そこで腐敗し、腐って悪臭を放つ死を迎える。それは次のことが示している。
注 文は次ページへ続く。
すなわち、その排泄物と煤がそれを示すのであって、比較のために挙げた煙と火がそうするのと同様である。
第28v葉
舌を動かす筋肉について。
舌ほど多数の筋肉を必要とする器官はない。その筋肉には既知のものが二十四あり、このほかに私の見つけたものがある。意志によって動くあらゆる器官のうち、舌は運動(および感覚)の数において、ほかのすべてを上回る。
もし君が、無数の形や色をもつ眼前の対象のあらゆる像を受け取る眼の働き、無限に混じり合う匂いを受け取る嗅覚、音を受け取る耳のほうが上だと言うなら、舌もまた単一のもの、複合されたものを含む無数の味を感じる、と答えよう。しかしこれは本題ではない。われわれが扱うと定めたのは、各器官の位置を変える運動だけだからである。
舌の運動に唇と歯の助けが加わることによって、事物のあらゆる名称の発音が、どのように……よく考察せよ。
注 文は次ページへ続く。
われわれに知られ、また、一つの言語の単純語と複合語が、この器官を通じてわれわれの耳に届くかを。自然のすべての働きに名があったなら、それらの語は、自然のうちに現実に存在する無数のもの、および可能性として存在する無数のものとともに、無限へと広がるだろう。しかも、それらは一つの言語だけで表されるのではなく、非常に多くの言語で表され、その言語自体も無限へ広がってゆく。戦争やその他の出来事のために絶えず混じり合う諸民族の混合を通じて、言語は世紀ごと、国ごとに絶えず変化するからである。それらの言語もまた忘却にさらされ、ほかの被造物と同じく死すべきものである。もしわれわれの世界が永遠だと認めるなら、無限の時間に含まれる無限の世紀のゆえに、言語の種類は過去においても、またこれからも無限であると言うことになる。等々。
このことは、ほかのどの感覚にもない。それらは、次に述べる事物だけに及ぶからである。
注 文は次ページへ続く。
すなわち自然が絶えず生み出す事物である。自然は、自ら作ったものの通常の種類を変えることがない。これに対し、自然の最大の道具たる人間が作るものは、時とともに変わる。自然がなしうるのは単純なものを作り出すことだけだからである。しかし人間は、その単純なものから無数の複合物を作る。ただし、もう一人の自分、すなわち自分の子供を除いて、単純なものを一つとして創造する力はない。このことの証人には、昔からの錬金術師たちがなるだろう。彼らは偶然によっても、意図した実験によっても、自然が作りうる最小のものさえ、作り出すことに行き当たったためしがない。
この種の人々は、人間の役に立つものを発見したその有用さのために、無限の称賛に値する。もし彼らが毒や、それに類する生命や精神を破滅させるものを発明しなかったなら、いっそう称賛に値しただろう。彼ら自身もその破滅を免れない。なぜなら、大いに研究し実践して、自然の最も卑しい産物ではなく最も優れた産物、すなわち金を作り出そうとするからである。金は、ほかのどの被造物よりも太陽に似ているため、太陽の真の子なのであり……
注 末尾の s’assomiglia は次ページ冒頭へ分綴される。原語をつないで記録。
その金よりも永続する被造物は何もない。[欄外:以下で欠けている部分が続く]金は火による破壊を免れる。その破壊は、ほかのあらゆる被造物に及び、それらを灰、ガラス、煙に変える。それでも愚かな貪欲が君をそのような誤りへ導くのなら、なぜ自然が金を生み出す鉱山へ行き、そこで自然の弟子にならないのか。自然は確実に君の愚かさを治してくれるだろう。君が火の中で行うどんな操作も、自然が金を生むために用いるものとは一つも同じでないことを示してくれるからである。
注 欄外・続きの位置を示す角括弧内は版の配列指示。
そこには水銀もなく、どんな種類の硫黄もなく、火もなく、われわれの世界に生命を与える自然の熱以外の熱もない。自然は、ラピス、すなわち群青の中に散らばる金の枝分かれを君に示すだろう。この青は火の力に侵されない色である。その金の枝分かれをよく見よ。先端が緩やかな動きで絶えず成長し、先端に触れるものを金へ変えてゆくのが見えるだろう。そして、そこには植物的魂があることに注意せよ。それは……
注 anima vegetativa は当時の生命論でいう栄養・成長にかかわる魂。
君の力では生み出すことができないものである。(紙をめくって読め。)
第29r葉
口の唇を動かす筋肉について。
口の唇を動かす筋肉は、人間において、ほかのどんな動物よりも数が多い。人間にこの仕組みが必要なのは、唇が絶えず多くの働きを行うからである。たとえばアルファベットの四文字 b f m p を発音し、口笛を吹き、笑い、泣き、その他同様のことをし、さらに道化が顔をまねるときに用いる奇妙な歪め方をする。

口を締め、その左右の端を近づけるのは、どの筋肉か。
[図136]a b。
口を締めてその長さを縮める筋肉は、唇そのものの中にある。むしろ唇そのものが、自分自身を閉じる筋肉なのである。
注 以後の続文は、印刷本文の欠落を補うため写本複製図から別項として暫定翻刻・訳出した。
下唇を構成する筋肉には、ほかの筋肉が結びついている。その一部は唇を伸ばし、[判読不明]笑うときに引くものである。一方、下唇を短くするのは、それを構成する筋肉そのものであり、この筋肉は両端を自分自身の中央へ引くことで収縮する。同時に上唇にも同じことが起こる。また唇を[動詞判読不明]する筋肉、平らにする筋肉、裏返す筋肉、まっすぐにする筋肉、横にねじる筋肉、初めの位置へ戻す筋肉がある。したがって、唇の変化の数だけ筋肉が見いだされ、さらに、それらの変化を元に戻すための筋肉が同じ数だけ見いだされるであろう。これらについて、ここに[判読不明]記述し図示するが、まず私の数学的原理によって、これらの運動を立証する、等々。
注 1901年版PDF397ページの鏡像文字を左右反転して独自に暫定翻刻。綴り・分かち書き・句読点を読みやすく整えた。印刷翻刻の再現ではない。判読の定まらない箇所は明示し、推測による補文はしていない。
注 冒頭は印刷本文の「decompone」ではなく、写本では「che conpone」と読めるため「che compone(構成する)」とした。
注 この暫定翻刻には専門的な古文書学的校訂が必要。特に筋肉の動作を列挙する最初の動詞、および段落末の数語が未確定。
口の筋肉とその側方の筋肉の運動について。
唇を構成する筋肉が、それに結びついた側方の筋肉を動かすことは多く、側方の筋肉が唇を動かすことも同じように多い。[判読不明]できない。筋肉の働きは引くことであって、押すことではないからである。ただし、生殖器と舌は例外である。口が短くなるときにその側方の筋肉も等しく引き寄せられるならば、それらの側方の筋肉が口を引き戻さないかぎり、口は自分自身では初めの長さに伸び戻らない。また、[判読不明]側方の筋肉が、[笑いを生じさせる際に、と暫定的に読める]口の長さを伸ばすならば、これらの側方の筋肉は、口が短くなることによって、[笑いを解消する際に、と暫定的に読める]後ろへ引き戻されなければならない。
注 写本複製図からの独自の暫定翻刻と訳。原文に判読未確定部分があり、連続した完全な本文の復元には至っていない。
注 「生殖器と舌は例外」はレオナルドの原文の主張であり、現代医学上の説明として提示するものではない。
注 Internet Archiveの同じ撮影画像のJP2版でも照合。末尾は creatione del riso / distruzione del riso と読めるが、疑問符付きの暫定読解として扱う。残る判読不明部分は補わない。
注 印刷本文はPDF393ページの「il labbro」で途切れ、続く印刷ページが欠落している。PDF397ページの写本複製図から続文を暫定的に独自翻刻・訳出した。判読不明箇所を残しており、この葉は完全に確定された翻刻ではない。
第29v葉

[図137]
これら四本の筋(すじ)には血がまったく含まれない。しかし臍に入ると、それらは一本の太い血管に変わり、さらに肝門へ延び、肝臓の下部で枝分かれしてゆく。その部分で最も末端の枝がすべて終わり、それより上には延びない。
注 nervi はここでは臍部の索状構造を指す歴史的表現として「筋(すじ)」とした。
前述の四本の臍血管のうち、外側の二本から、大網に接する膜であるシファクができ、それらはその後下方へ折り返し、背骨の上を走る大静脈と大動脈の最初の分岐で終わる。
臍静脈の外側の分枝は、第一と第二の膜の間に包まれている。子供はしばしばこの膜に包まれたまま生まれる。
注 sifac は腹膜、zirbo は大網を指す歴史的名称。本文の膜の同定・発生説は原文のまま保持。
子葉 a は雌型で子宮側に残り、子葉 n には雄型の突起がある。
注 colidonio は胎盤の子葉状付着部。雌雄は嵌合する凹凸の比喩。文は次ページへ続く。
その突起が子葉のくぼみに入り込み、この子葉は子宮に付着したままである。ほかに結合はない。
[図138]a n。
女性の子宮と子供の後産を結ぶ海綿状の部分は、厚みの中央で分かれ、一方の半分は子宮に残り、もう一方は子供を包む後産に残る。ここでは、残る半分に歯状突起があるのか、それを受ける鞘があるのかに注意しなければならない。a は鞘、n は歯状の側である。
この臍静脈は、子宮内で生じる動物のすべての血管の起源であり、妊娠した雌のどの血管からも起こらない。これらの血管は一本一本、妊娠した女性の血管から完全に隔てられ、分かれているからである。静脈と動脈は対になっており、一方だけで他方を伴わないことはきわめて稀である。ほとんどいつも動脈は静脈の上に見られる。動脈の血は生命精気の通路であり、静脈の血は……を養うものだからである。
注 文は次ページへ続く。spiriti vitali は当時の生理学でいう生命精気。
動物を養うのである。図示したこれらの分枝のうち、上に上がるものは子宮の第三の薄膜を養うためにあり、下方で斜めに走る血管は、動物に接し、それを包む最内の膜を養うものである。この二つの膜は、しばしば子供とともに母親の子宮の外へ出る。それは、動物が膜を破れず、包まれたまま出てくるときに起こる。これは容易に起こることである。前述のように、これら二枚のきわめて薄い膜は、子宮のどの部分にも結びついていないからである。その子宮自体も二枚の膜でできているが、こちらはかなり厚く、肉質で、筋張っている。
第30r葉

解剖学。
肋間筋に感覚を与える神経について。(脊髄から出るもの。)
[図139]
斜めに位置し、背骨の上部から下って、柘榴のほうに向かって終わる小さな筋肉は、肋間筋と呼ばれる。これらは肋骨と肋骨の間に挟まれ、ただその間隔を狭めるためにある。この筋肉に感覚を与える神経は、背骨の中を通る脊髄から起こり、脊髄からの最も下方の起始は、背が腰に接する所にある。
注 nuca はこの文脈では脊髄。pomo granato(柘榴)が具体的に指す位置は不確かで、直訳を保持。
第30v葉
✝ 空気に入り込んだものは、ばらばらに引き裂かれるだろう、[等々]。
注 B-31rからの続文を示す断片。完全な続文はPDF423ページのB-31rに版が再録しており、そこで訳出。
霊が空気の身体を得たとき、自ら動くことができるか否か。
ある量の空気に入り込んだ霊が、その空気を動かすことは不可能である。これは前の命題から明らかである。そこでは、霊は自らが入り込む量の空気を軽くすると述べた。したがって、その空気はほかの空気より上へ昇り、それは空気がその軽さによって行う運動であって、霊の意志による運動ではない。その空気が風に出会えば、この第三命題により、その空気は風に動かされるのであって、中に入り込んだ霊によって動かされるのではない。
霊が話すことができるか否か。
霊が話すことができるか否かを示すには、まず声とは何か、どのように生じるかを定義しなければならない。そして次のように言おう。
注 文は次ページへ続く。
声とは、密な物体に擦りつけられる空気の運動、あるいは空気の中で擦られる密な物体の運動であり、この二つは同じことである。この密なものと疎なものとの摩擦は、疎なものを凝縮し、抵抗するものにする。また、速い疎なものが遅い疎なものの中を進むとき、両者は接触する所で凝縮し、音、あるいはきわめて大きな響きを発する。疎なものが疎なものの中をほどほどの速さで動くと音やざわめきが生じる。空気の中で音を発する大きな炎が、その例である。疎なもの同士が作るきわめて大きな響きは、速い疎なものが静止した疎なものを突き通るときに生じる。たとえば大砲から噴き出した火炎が空気に打ち当たる場合や、雲から出た火炎が稲妻を生じるときに空気を打つ場合である。
したがって、空気の運動なしに霊は声を生じさせることができない、と言おう。霊の中には空気がなく、持たないものを自分から押し出すこともできない。もし自分の入り込んだ空気を動かそうとするなら、そのためには……
注 文は次ページへ続く。原語末尾の分綴は保持。
霊が増大することが必要である。しかし量をもたなければ増大することはできない。また第四命題によれば、疎なものは、その運動の起点となる固定した場所をもたなければ動かない。とりわけ、元素が元素の中で動かねばならないときにはそうである。その元素は、発散するものの中心から一様に発散することによってしか、自らは動かない。これは水中で手に握り締めた海綿に起こるのと同じである。海綿から水は、握り締める手の指の隙間を通って、どちらの方向へも等しい運動で逃げ出す。
注 vaporazione はここでは中心からの発散として訳した。
霊が分節された声をもつか、霊の声は聞こえうるか、聞くことと見ることとは何か、声の波はどのように空気を伝わるか、そして対象の像はどのように眼へ届くか。
第31r葉
霊について。
この面の裏で、ここまで、霊の定義は(結びついていない名前)身体に結びついた力であると述べた。霊は自分だけでは存立できず、いかなる位置移動も行えないからである。もし霊は自ら存立すると君が言うなら、それは元素の中ではありえない。霊が物体をもたない量であるなら、そのような量は真空と呼ばれるが、自然には真空がないからである。仮にあったとしても、その真空の生じた元素が流れ込むことによって、ただちに満たされてしまう。
注 括弧内は版に残された訂正前の語句。
さて、重さの定義は「重さとは、一つの元素がほかの元素へ引かれ、押し入れられることによって生じる、偶有的な力である」と言う。したがって、どの元素も同じ元素の中では重さをもたないが、自分より軽い上位の元素の中では重さをもつ。たとえば、一部分の水はほかの水の中では重さも軽さもない。しかしそれを空気中へ引き上げるなら、重さを得る。そしてもし君が引き入れるなら……
注 文は次ページへ続く。
空気を水の下へ引き入れるなら、その空気の上にある水は重さを得る。その重さは自ら支えることができないから、落下せねばならず、こうして水の中の、水がなく空いている場所へ落ちる。元素の間に霊がある場合も同じことになるだろう。霊は自分のいる元素の中に絶えず真空を作ることになるので、それらの元素の外へ出るまで、絶えず天へ向かって逃れねばならない。
霊は元素の間で身体をもつか。
霊は身体なしには元素の間で自ら存立できず、また上方へ向かう以外には、自らの意志によって動けないことを証明した。次には、空気の身体を得る場合、その霊は空気の中へ拡散しなければならないと述べよう。もし一まとまりでとどまれば、空気から隔てられ、前述のように真空を生じさせることになるからである。したがって、とどまろうとするなら……
注 文は次ページへ続く。
空気の間にとどまろうとするなら、霊はある量の空気の中へ拡散する必要がある。しかし空気に混ざれば、二つの不都合が生じる。一つは、混じり込んだ量の空気を軽くするため、その軽くなった空気が自ら上へ飛び、自分より密な空気の間にはとどまらないことである。さらに、この霊的な力は、拡散すれば分離し、本性を変えるので、元の力を失ってしまう。
これに第三の不都合が加わる。霊の得たその空気の身体は風の侵入にさらされる。風は空気のまとまった部分を絶えず分離し、引き裂き、ほかの空気の中で巻き返し、かき回す。したがって、このような ✝[30葉裏の冒頭、✝印へ続く]空気に入り込んだ霊は、入り込んだ空気が引き裂かれるのとともに、ばらばらにされ、すなわち引き裂かれ、砕かれることになる。
注 角括弧内は版の配列指示。末尾は版がB-30vから再録した続文。
第31v葉
足の図のある面の裏で欠けている部分が続く。
人間の論説のうち最も愚かなものと見なすべきなのは、降霊術を信じるに至る論説である。降霊術は、単純で自然なものを生む錬金術の姉妹である。しかし錬金術よりも、はるかに強い非難に値する。降霊術が生み出すのは、(文字と)自分に似たもの、(言葉)すなわち嘘だけだからである。錬金術ではそうではない。それは自然の生んだ単純なものを取り扱う。この働きは自然自身には行えない。自然には、人間が手を使って行うことを行える身体器官がないからである。(人間は位置を変える運動をもつ。)人間はこの働きによってガラスなどを作ってきた。
注 括弧内は版が残す訂正前の語句。「ha fatti e vetri」の e は原文どおり保持。
しかし降霊術は、風に動かされてはためく旗、愚かな群衆を率いる旗印である。その群衆はこの術の無数の効験を吠え立てて、絶えずその証人となり、本をそれで埋め尽くして、呪文や霊が……と主張する。
注 文は次ページへ続く。
働き、舌もなしに語り、身体器官もなしに(それらなしには語ることはできないのに)語り、非常に重いものを運び、嵐や雨を起こし、人間を猫や狼やそのほかの獣に変える、と主張するのである。しかし、まず獣になるのは、そのようなことを言い張る者たち自身である。
もし知性の低い者たちが信じるように、そのような降霊術が本当に存在するなら、地上には、人間に害を及ぼし、また人間に役立つうえで、それほど有力なものは何もないだろう。この術が、静かな晴天を乱して夜のような様相に変え、暗闇を走る恐ろしい雷鳴と稲妻を伴う閃光や風を起こし、激しい風で高い建物を倒し、森林を根こそぎにし、それを軍勢にぶつけ、打ち破り、なぎ倒し、さらに有害な嵐によって農民から労苦の報いを奪う力を、本当にもつとするなら、これほどの損害をもって敵を攻撃できる戦争の方法が、ほかにあるだろうか。収穫を奪う権能をもつとは。どんな……
注 文は次ページへ続く。
海戦が、風に命じ、どんな艦隊でも破壊し沈める暴風を起こす者の海戦に比べられるだろうか。確かに、そのような猛烈な力に命ずる者は諸民族の支配者となり、いかなる人間の知恵も、その有害な力には抵抗できないだろう。地中に隠された宝や宝石も、すべて彼には明らかになる。どんな錠前も難攻不落の要塞も、この降霊術師が望まなければ、誰一人救えない。彼は空中を東から西へ、そして宇宙のあらゆる対向する方角へ、運ばせることができるだろう。
だが、なぜこれ以上長々と述べるのか。このような術者にできないことが何かあるだろうか。自分から死を取り除くこと以外、ほとんど何もない。こうして、この術が真実であるならば、それに含まれる害と有用さの一端は結論づけられた。だが、もし真実なら、なぜ人間の間に残っていないのか。人間は、どんな神にも配慮することなく、かくも強く欲望する。自分の欲望一つを満たすためなら、神を万物もろとも破滅させようとする者が、実に無数にいるというのに……
注 末尾の文は次ページへ続く。
すなわち、宇宙もろともに、である。人間にとってそれほど必要なのに、人間の間に残っていないのなら、それはかつて存在したことがなく、これからも決して存在しない。霊の定義によれば、それは目に見えず、物体をもたないからである。元素の中には物体をもたないものはない。物体のない所は真空であり、元素の中に真空は存在しない。すぐにその元素によって満たされてしまうからである。(紙をめくれ。)
第32r葉

老人のもの。
[図140]c b a。
a は肘より上の腕の紡錘状の筋肉、b は肩甲骨、c は腕の骨が肩に結びつく所である。
[図141]前方。a n c b m。
[図142]前方。
[図143]
もし自然が、頭を肩のほうへ曲げるために筋肉 a c を取り付けていたなら、頸の脊柱は、弓が弦によって曲げられるように曲がらねばならなかっただろう。そこで自然は、その不都合を避けるために筋肉 a b を作った。これは頸の骨をわずかに曲げるだけで、頭蓋の側 a を下に引く。筋肉 a b は、頭蓋の側 a を、頸の脊柱の根元 b のほうへ引くからである。頭蓋は頸の骨の上端にある小さな支点に載っているので、大変……
注 文は次ページへ続く。
容易に左右に傾き、頸の骨をあまり曲げずにすむ。等々。
老人のもの。
[図144]a b。
a 動脈。
b 静脈。
第32v葉

老人のもの。
ただし、この図解は三つの異なる方向から行え。すなわち、前、横、後ろからである。
[図145]m n S a b o c。
喉の左右にある四本の血管 m を締めるなら、締められた者はただちに眠ったように、ほとんど死んだように地面へ倒れ、自力では決して目覚めない。そしてその状態のまま一時間の百分の一だけ置かれれば、自力でも他人の助けによっても、二度と目覚めない。
注 歴史的原文の記述を訳出したもので、持続時間や結果の正確性を保証する記述ではない。
a は動脈の分枝。
b は静脈の分枝。
c は橈側皮静脈。
n は頸椎に入り、それを養う二本の血管。
o は尺側皮静脈。
S は卒中を起こす血管。
注 vene apopletiche は原文の歴史的名称。
第33r葉

老人の動脈。
[図146]動脈の(乳糜の)静脈。
注 図中語句の関係は不明瞭。chyli は版で括弧入りの語として残る。
第33v葉

気管の輪がつながって閉じていないのには、二つの理由がある。一つは声のためであり、もう一つは気管と頸の骨との間に食物の場所を与えるためである。
[図147]
老人のもの。
気管の輪を数えよ。
[図148]a b n m f。
左の反回神経がどこで折り返し、どんな働きをするかを記せ。
また、脳の物質が、神経の起始部の上では、ほかの部分より疎なのか密なのかを記せ。そして反回神経がどのように気管の輪へ感覚を与えるか、また低い声、中くらいの声、高い声を生じさせるために、それらの輪を動かす筋肉はどれかを調べよ。
反回神経は a b に起こり、b f は反回神経であって……
注 原語は次ページへ分綴して続く。
胃の幽門へ下るのである。そしてこれと対になる左の神経は、心臓の袋へ下る。これが心臓に入る神経であると、私は考える。
心臓それ自体は生命の起源ではない。ほかの筋肉と同じく、動脈と静脈によって生命を与えられ、養われる、密な筋肉でできた容器である。ただし、その中で浄められる血と動脈は、ほかの筋肉の生命と栄養である。心臓は非常に密なので、火さえほとんど損なうことができない。これは焼けた人間で見られることで、骨が灰になった後でも、心臓は内部がまだ血に満ちている。自然がこれほどの耐熱性を与えたのは、心臓の左側に生じる大きな熱に耐えられるようにするためである。その熱は、この心室の中で精妙化される動脈の血によって生じる。
注 「il sangue e l’arteria」は版の表記を保持。「動脈」が物質のように扱われる点に語義・構文上の疑問がある。
声の変化は、気管を構成する輪が広がったり縮まったりすることから生じる。この拡張は……
注 文は次ページへ続く。
これらの輪に結びつく筋肉によって生じる。そして収縮は(私の考えでは)ひとりでに生じる。軟骨でできており、軟骨は与えられた最初の形へ戻るために、自ら曲がるからである。等々。
第34r葉

老人のもの。
[図149]
老人のもの。
[図150]a d、動脈と静脈の間を、心臓の袋へ下る神経。
a は静脈。
b は動脈。
動脈が静脈より太いのか、静脈が動脈より太いのかを記せ。子供、若者、老人、男性、女性、また陸の動物、空の動物、水の動物についても同じことをせよ。
第34v葉
すべての血管の根は、心臓の膨らんだ部分、すなわち血を包む殻にある。このことは、そこがほかのどこよりも太く、動物のあらゆる部分へ向かって無限に枝分かれしてゆくことから明らかである。

老人のもの。
[図151]o t r c f p n m。
肝門で動脈と静脈が作る分枝。
n m は腸間膜に枝分かれする血管であり、c p は大網に枝分かれする血管である。
老人のもの。
[図152]
この血管は肝臓で終わるのであって、多くの人が言うように、そこから生じるのではないこと。
乳糜の静脈が肝臓で作る分枝。
注 vena chyli は原文の歴史的名称。
肝臓から脾臓へ向かい、背骨の大きな血管から来る二本の太い血管は、余分な血を集めるものだと私は判断する。その血は毎日、腸間膜の血管を通じて排出され、腸に沈着する。腸へ達した後は、墓の中の死者の全体が放つのと同じ悪臭を放つ。これが糞便の悪臭である。
老人のもの。
[図153]
臍と静脈と動脈が、肝門で作る分枝。
まず、肝門へ来る血管の分枝をすべて一緒に描き、その後、一つ一つを別々にして、三つ、あるいは望むなら四つの図で示せ。三つと言ったのは、静脈と動脈が同じ道筋を通るからである。
第35r葉

a b c d は匂いを受け取る神経である。
[図154]c a b e n。
[図155]a b e f c d。
神経は、脳と脊髄を包む最も内側の膜から生じる。
e n の神経は視神経であり、肉阜と呼ばれる神経の下に位置している。視神経は視覚の働きに、肉阜は嗅覚の働きに役立つ。
注 nuca はここでは古い解剖学用語として脊髄と解した。caroncole は嗅覚に関わる肉阜状の構造を指す原語の表現を保持した。
頭蓋底の骨と脳の実質との間に介在する硬膜の境まで、脳の実質を取り除くこと。それから、硬膜が、軟膜とともに自ら包んでいる神経を伴って頭蓋底の骨に入り込む場所を、すべて記録すること[線に沿って読む]。このことを確実に知るには、端から始めて軟膜を注意深く少しずつ持ち上げ、前述の孔の位置を一つずつ記録すればよい。まず右側か左側から始め、その側をすべて図示し、次いで反対側を調べること。それによって、先に描いた側の位置が正しいかどうかが分かり、また右側が左側と同じかどうかも理解できる。もし相違が見つかったら、ほかの解剖でも調べ、その相違があらゆる男女に共通するかどうかを確かめよ、等々。
注 本文はPDF475–476頁にまたがる。角括弧内の「線に沿って読む」は版の読順指示。
外側の部分が下方の部分とどこで出会うかを記録せよ。
[図156]臍、子宮。
第35v葉
注 版に「bianco(白紙)」と明記される。
第36r葉

[図157]
注 図番号は版の整理番号。翻訳すべき文章はない。
注 本文はなく、図157への参照のみ。
第36v葉

[図158]
解剖体を脊柱の中央で切断せよ。ただし、流れ出さないよう、まずキロと動脈を結紮すること。そうすれば痔静脈を半分ずつ、すなわち解剖体の各半部で見ることができる。
注 chilo はこの文脈では大静脈を指す古い用語と考えられるが、原語を音写した。
[図159]
腐敗がもたらす養分について。
腸内に含まれる食物の実質を引き寄せる腸間膜静脈の末端は、人間の自然の熱によって広げられている、と私はいう。なぜなら、熱は分散させて広げ、寒さは集めて狭めるからである。しかし、この熱に、動脈から腸へ送り込まれた血液の腐敗によって生じる悪臭が加わらなければ、それだけでは不十分であろう。その血液は、腸内でも墓の中と変わらぬ作用をする。この悪臭は内臓を広げ、あらゆる小孔へ浸透し、体を太らせて樽のように膨らませる。もし、この悪臭が体内で熱を帯びるのだと君がいうなら、雪に覆われながら膨らんだ死体では、それは裏づけられない。悪臭の力は、熱よりもはるかに速やかに働き、増大する。
注 本文はPDF489–490頁にまたがる。腐敗・熱・悪臭についての原文の説明をそのまま訳した。
第37r葉

人間の膀胱の図示。
[図160]m n。
[図161]a n m b。
[図162]L c h d n f p a b g。
[図163]S。
第一の図示。
これら三つの膀胱の図のうち、第一では尿管を描き、それらがどのように腎臓 L h から出て、膀胱の頸の始まりより指二本分高いところで膀胱に結合するかを示す。その結合部の少し内側で、尿管は p b から n f へと尿を膀胱内に注ぐ。その様子の一部は管 S に描かれている。そこから尿は陰茎の管 a g を通って排出される。ここでなお私に残されているのは、膀胱頸の入口で尿の通路を開閉する筋の位置を図示し、記述することである。
注 本文はPDF495–496頁にまたがる。pori oritidi は尿管を指す。dita は指幅による長さ。
第二の図示。
第二の図では、(二つの)四つの分枝、すなわち、この膀胱に栄養を与える左右の静脈と、膀胱に生命、つまり精気を与える左右の動脈を描く。
静脈は常に動脈の上にある。
注 丸括弧内の語は版の本文表記を保持。spiriti は歴史的生理学における精気。
第三の図示。
第三の図では、尿管 m n の始まる部分を、位置 n で静脈と動脈がどのように取り巻くか(静脈に取り巻かれている)を示し、静脈の分枝と動脈の分枝とが織り合わさる様子を示す。
[欄外]人間、猿、その他同類の腸の相違を書き記せ。次にライオンではどこが異なるか、続いて牛、最後に鳥について記せ。そして、この記述を論述の形で用いよ。
注 本文はPDF496–497頁にまたがる。[欄外]は版の位置指示。
膀胱への尿の流入。
腎臓を出た尿は尿管に入り、そこから膀胱の高さのほぼ中央へ通じ、一つの膜ともう一つの膜との間を横切る小さな孔を通って膀胱内に入る。この孔が斜めに作られたのは、尿が腎臓へ戻りうると自然が案じたからではない。それは『管について』の第四命題によって不可能だからである。そこには次のように述べられている。高所から細い流路を下り、水域の底の下へ入り込む水の折り返す運動に対抗できるのは、下ってくる流路の太さに等しい太さをもつ水域の水だけであり、またその水域の深さを超える高さの水が対抗するわけではない。
注 4ª de’ condotti は「管について」の第四命題への参照として訳した。moto refresso と水柱の太さ・高さの説明は難解なため、原文の比較関係を保持した。
もし、膀胱が満たされるほど孔が固く閉じるのだと君がいうなら、こう答えよう。そのような壁を押し閉じる尿によってこれらの孔が閉じられるなら、下ってくる別の尿が入るのを妨げることになる。しかしそれは、先に述べた第四命題によって起こりえない。その命題は、細く高い尿柱のほうが、膀胱内にある低く幅広い尿よりも強い力をもつ、と述べている。
注 本文はPDF497–498頁にまたがる。
第37v葉

この図示を行うこと。
[図164]a b c d e。肺、肝臓、脾臓、胃、横隔膜、脊柱。
a、気管。声が通るところ。
b、食道。食物が通るところ。
c、イポプレティケ。生命の精気が通るところ。
d、脊柱。肋骨が生じるところ。
e、椎骨。項に終わり、顔を空へ向けて持ち上げる筋が生じるところ。
注 ipopletiche は古い血管名称で、ここでは原語を音写した。精気は原文の歴史的概念。
腸の高さと幅をすべて記述し、死体の手の指幅、その二分の一、三分の一を単位として測れ。そして、これらすべてについて、死体の臍、乳房、あるいは脇腹からの距離を記せ。
(肝臓の)肺の実質は膨張し、伸びることができ、気管の枝分かれの間に置かれている。それは枝分かれがそれぞれの位置からずれないためである。また、この実質は、その枝分かれと胸の肋骨との間に、柔らかい敷布団のように介在している。
注 本文はPDF503–504頁にまたがる。括弧内の fegato は版に記された訂正前の語を保持。
縦隔を心臓の袋とともに、下に記す方法で、四方向から四つの図に描くことを忘れないように。
注 cassola del core は心臓を包む袋、すなわち心膜を指す表現。
[図165]
まず肺の枝分かれを描き、次いで心臓の枝分かれ、すなわちその静脈と動脈を描け。それから第三に、一方の枝分かれを他方と組み合わせたものを描け。この組み合わせを四方向から描き、前述の枝分かれについても同じようにせよ。これで十二図となる。それから、それぞれについて上から見た図と下から見た図を一つずつ描けば、全部で十八図となる。
この肺は、まず完全な形をそなえた全体を四方向から描くこと。その後、内部を透かし、気管の枝分かれだけを、さらに四方向から見せること。これができたら、心臓の図示でも同じように行い、まず全体を、次にその静脈と動脈の枝分かれを描け。
注 本文はPDF504–505頁にまたがる。
それから、心臓の静脈と動脈が気管の枝分かれとどのように入り交じるかを四方向から示せ。次いで、神経の枝分かれだけを四方向から描き、それを、心臓と肺を合わせたさらに四方向の図に織り込め。そして、肝臓と脾臓、腎臓、子宮と生殖腺、脳、膀胱、胃(および腸)についても、同じ規則に従え。
注 testiculi は性別の限定がない列挙であるため「生殖腺」とした。
第38r葉
雌牛の子宮。
生殖腺は、この血管のあるものにではなく、血管の見えないその被膜に付着している。そして、これらのものは、その前述の被膜とともに、本来の子宮を構成する。
注 testicoli(睾丸)は雌牛の文脈では卵巣を指す古い用法。「これらのもの」の指示対象の曖昧さは原文に従った。

これら四本の血管 a b c d は、二本が動脈、二本が血液の血管であり、月経血を子宮へ運ぶものである。それらは子宮の第一の膜と、第二の膜であるこの膜との間に収まっている。生殖腺は第一の膜に付着している。
[図166]a b c d。
注 動脈と「血液の血管」の区別は原文の歴史的表現を保持。
海綿状体のどの部分が、その歯状の突起をもって他の部分へ入り込むかを記録せよ。
[図167]c b a d f e g h i K。
子宮が分娩後に閉じるとき、小さな薔薇状体、すなわち子宮の海綿状体が再び結合する仕方。
注 rosette・spugnole は牛の胎盤の結合部を形態的に呼んだ語で、その比喩を訳した。
[図168]
手の指をまっすぐにして向かい合わせると、一方の指が他方の指の隙間に組み合わさるように、この海綿状体の肉の糸も、ひっつき虫の実のように、一方の半分が他方の半分と織り合わさる。
注 lappole は衣服などに付着する鉤状の実をいう。
[図169]
両端の二つの膜の間にある膜を結び合わせる海綿状体は、どのように一方の半分が他方の半分から剝がれ、子が膜に包まれて生まれるとき、その半分、すなわち下側のものが子とともに出てゆき、上側に残るもう半分が子宮とともに留まるか。これらは六つずつ配されているので、子宮が縮むとき、肉質の海綿状体はみなその側面を互いに接し、ついには六角形の辺で結合し、最後に一体となって、一塊の肉となる。それらはその後、次の妊娠の際に、再び分かれて広がる。
[図170]
注 子宮の膜と胎盤の分離・再結合についての原文の説明を保持。
この下のものは、子宮に包まれた動物の第三と第四の被膜を含む。これらの被膜は(肉質の小薔薇状体によって)結合している、すなわち接し合っている。ここにある上のものは、互いに入り込み、ひっつき虫の実同士のように付着するこれらの肉質の小薔薇状体を介して、このものと結合する。出生時には、子はこれら二つの被膜を、この薔薇状体の厚さの半分とともに持って出てゆき、残り半分は母の子宮内に留まる。その後、子宮が縮むと、それらは再び結びつき、互いの側面を付着させるので、かつて分離していたようにはまったく見えなくなる。生まれる動物に接する被膜には、これらの肉質の薔薇状体は一つもない。
注 spochia はこの版の綴りを保持した。最後の文では文脈上、被膜を意味する。
第38v葉

口の唇を動かす筋。
[図171]
[図172]c b a。
ここでは唇が筋となり、側方の筋を自分とともに動かす。
[図173]o n p m。
そして今度は側方の筋が唇を動かす。
まず顔の骨の上で、口の唇を開き、次いで閉じる筋(すじ)がどの部分から生じ、どこから来るか、また、それらの筋(すじ)が入り込む筋肉がどこに付着するかを記録すべきである。
[図174]p o n m。
[図175]p o f n m。
注 nervi はこの筋運動の記述では現代の「神経」だけに限定しない「筋(すじ)」とした。
下唇の筋(すじ)n m と上唇の筋(すじ)o p は、これらの唇を構成する筋肉の助けを借りて、口を閉じさせる。
[図176]
雌牛の子宮。
[図177]n o m t v d c S。
[図178]g h r。
[図179]n o m t v d c S。
[図180]
口の唇と呼ばれる筋は、自らの中央へ向かって縮むとき、側方の筋を引き寄せる。そして側方の筋が自らの内へ引き込み、短くなるときには、今度はそれらが唇を引き寄せるので、口は横へ広がる、等々。
口を最も短くしたとき、その長さは最大に広げたときの半分に等しくなる。また、鼻孔部の最大幅、および両眼の涙点の間の距離にも等しくなる。
注 lagrimatoi は目頭の涙の通り口を指す表現として「涙点」と訳した。
唇を締める筋(すじ)について。
唇が縮むときの運動は二つある。一つは、一方の唇を他方へ押しつけるようにして閉じ、締める運動である。第二は、口の長さを狭める、つまり短くする運動である。一方の唇を他方に押しつけて締めるものは、(置かれている、最後のものへ向かう)口の最も奥の臼歯の上から出る。これらの引く力は非常に大きいため、歯を少し開いておくと、唇を歯の内側へ引き込む。それは、両側から筋 r によって引かれた口 g h に示されているとおりである。
注 括弧内は版が残す書き直しの語句を直訳した。末尾の r はOCRで脱落していたが印刷画像で確認した。
口を横方向に狭めるのはどの筋か。
上に示したように、口を横方向に狭める筋は唇そのものであり、口の両端をその中央へ引き戻す。このことは、この篇の第四命題が示す。そこには、引く筋を覆う皮膚は、常にその皺とともに、運動の原因がある場所へ向く、とある。また第五命題によれば、いかなる筋も押すことに力を用いず、常に、自分につながる部分を自分へ引き寄せることに力を用いる。したがって、口の唇と呼ばれる筋の中央は、頬の一部とともに口の両端を自分へ引き寄せる。それゆえ、この働きをするとき、口にはいつも皺が満ちる。
注 本文はPDF521–522頁にまたがる。第四・第五は原文の命題参照。
第39r葉
注 版に「bianco(白紙)」と明記される。
第39v葉

[図181]
注 図番号は版の整理番号。翻訳すべき文章はない。
注 本文はなく、図181への参照のみ。
第40r葉

[図182]
[図183]r a c b h f n m。
線 a m が線 c b と交わるところに、すべての感覚が集まる場所がある。そして線 r n が線 h f と交わるところに、頭の下方三分の一の位置にある頭蓋の極があり、このように c b は中央に位置する。
注 polo del craneo は原文どおり「頭蓋の極」とした。bassezza は頭の上下の寸法に関する表現で、その三分の一の位置をいう。
この半分の頭を内側から描くときには、全体がよりよく理解できるように、同じ向きに置いた外側を示す図も、もう一つ描くことを忘れないように。
第40v葉

[図184]a b c d。
私は、頬の骨組みである骨のうち、四本の線 a b c d の間にある部分を取り除き、露出した開口から、その背後に隠れた二つの空洞の幅と深さを示したい。上方の空洞には視覚の器官である眼が収まり、下方の空洞には歯根を養う体液がある。
[図185]b n m。
頬の骨の空洞は、深さと幅において、眼を内部に収める空洞と似ており、その容積も非常によく似ている。また、孔 m を通して、その内部に血管を受け入れる。これらは脳から下り、頭の体液の余分を鼻へ排出する濾過器を通過する。この空洞には、眼を取り囲む上方の空洞にあるもの以外の明らかな孔は見当たらない。孔 b は視覚の力が感覚へ伝わるところであり、孔 n は、涙が鼻の管を通って心臓から眼へ上るところである。
注 本文はPDF541–542頁にまたがる。i quali の文法上の係り先は曖昧だが、脳から下る構造として訳した。colatorio は体液を濾す器官という歴史的説明を保持。「他の孔」の比較構文も難解である。
第41r葉

[図186]b a m n a m。
すべての感覚が集まる場所の垂直に下、指二本分の距離には、食物を味わう口蓋垂がある。その場所は肺の管の真上にあり、心臓の開口の一足分上方に位置する。また、その半頭分上には頭蓋骨の縫合があり、(半球状の)水平線に沿って三分の一頭分前には眼の涙点がある。後方三分の二頭分のところには項があり、両側には、等しい距離と高さに、こめかみの二つの脈がある。
注 感覚の集合部・味覚・心臓との位置関係は原文の記述を保持した。頭・指・足を用いた比例的な単位をメートル法へ換算していない。
頭蓋の内側に描かれる血管は、枝分かれしながら、その太さの半分を頭蓋骨に食い込ませ、残りの半分は脳を覆う膜に隠れる。骨の内側に血管が乏しいところでは、外側から血管 a m によって補われる。この血管は頭蓋を出たのち、眼を通り、それから……へ入る。
注 印刷本文自体が nella... で途切れる。欠落の続きを補わない。
第41v葉

[図187]
眼窩の空洞、頬を支える骨の空洞、鼻の空洞、口の空洞は、等しい深さをもち、共通感覚の垂直下方で終わる。
これらの空洞はそれぞれ、人の顔、すなわち顎から髪の生え際までの三分の一に等しい深さをもつ。
注 senso comune は諸感覚を統合すると考えられた「共通感覚」であり、現代語の常識ではない。
上側。
[図188]4。
[図189]2。
[図190]4。
[図191]6。
上顎の六本の臼歯はそれぞれ三本の根をもち、そのうち二本は顎の外側に、一本は内側にある。最後の二本は、およそ二、四年で生える。
注 年齢の表記は印刷本文に「2, 4 anni」とある。そのまま保持し、24歳などへの修正はしていない。
その次に四本の臼歯があり、それぞれ二本の根をもち、一本は内側、もう一本は外側にある。次いで、一本の根をもつ二本の主歯が続き、前方には切断する四本の歯があり、それらも一本の根をもつ。
注 maestre は犬歯を指すと考えられるが、語義に沿って「主歯」とした。
下顎にも上顎と同じく十六本の歯がある。ただし、その臼歯には二本の根しかない。ほかの歯は上顎のものと同様である。歯2は動物において獲物を押さえ、4は切り、6はすりつぶす。
第42r葉
1489年4月2日。(……の)『人間の形態について』と題する書。
注 括弧内の del は版に残された断片的な語。

[図192]n m。
血管 m は上へ上がり、頬の骨の下へ入り、眼窩の孔を通って、眼球の下側と、それを支える骨との間を通る。この経路の途中で、その血管は骨を貫き、指幅の半分だけ下がる。そして、前述の眼窩 n の縁の下で骨の表面を貫くと、そこから上昇し始める。(通って)眼の縁に沿ってしばらく溝を刻んで進み、涙点を通る。最後には眉の内側で指二本分の距離を上がり、そこで枝分かれが始まり、頭全体に広がる。
[図193]
注 括弧内の passato は印刷本文に残された訂正前の語。ciglia はここでは眉と解した。図193の参照も印刷画像で確認した。
第42v葉
一方の眼の運動が他方の眼を引き動かすように、眼の運動を起こすのはどの神経か。
まつげを閉じることについて。
眉を上げることについて。
眉を下げることについて。
眼を閉じることについて。
眼を開けることについて。
注 ciglia は睫毛・眉をともに表しうる。動作の違いに応じて訳し分けた。
鼻孔を持ち上げることについて。
歯を噛み合わせたまま唇を開くことについて。
唇を尖らせることについて。
笑うことについて。
驚くことについて。
人間が子宮内で生じるとき、その始まりを記述することに取りかかれ。
そして、なぜ八か月の子は生きないのか。
注 八か月児に関する命題は原文の歴史的観念としてそのまま訳した。
くしゃみとは何か。
あくびとは何か。
てんかん。
痙攣。
麻痺。
注 mal maestro はてんかんの古称。parletico は麻痺した状態または麻痺した人を表す語。
寒さによる震え。
汗。
疲労。
飢え。
眠り。
渇き。
性欲。
肩から肘までの運動を起こす神経について。
肘から手までの運動について。
手首の関節から指の付け根まで。
指の付け根からその中央まで。
そして中央から最後の関節まで。
大腿の運動を起こす神経について。
そして膝から足まで、足首の関節から足の指まで。
同様に、それらの指の中央まで。
そしてその脚を回すことについて。
図版と出典
B 1葉表、図1–3。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 27頁、対応する自筆複製は同PDF 29頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 1葉裏、図4。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 33頁、対応する自筆複製は同PDF 35頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 2葉裏、図5–6。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 49頁、対応する自筆複製は同PDF 51頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 3葉表、図7–10。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 57頁、対応する自筆複製は同PDF 59頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 3葉裏、図11–14。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 65頁、対応する自筆複製は同PDF 67頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 4葉表、図15–18。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 71頁、対応する自筆複製は同PDF 73頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 4葉裏、図19–21。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 77頁、対応する自筆複製は同PDF 79頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 5葉表、図22–24。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 83頁、対応する自筆複製は同PDF 85頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 5葉裏、図25–29。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 89頁、対応する自筆複製は同PDF 91頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 6葉表、図30–31。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 95頁、対応する自筆複製は同PDF 97頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 6葉裏、図32–33。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 101頁、対応する自筆複製は同PDF 103頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 7葉表、図34–37。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 107頁、対応する自筆複製は同PDF 109頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 7葉裏、図38–39。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 113頁、対応する自筆複製は同PDF 115頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 8葉表、図40。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 119頁、対応する自筆複製は同PDF 121頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 8葉裏、図41–42。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 125頁、対応する自筆複製は同PDF 127頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 9葉表、図43–45。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 131頁、対応する自筆複製は同PDF 133頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 9葉裏、図46–49。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 135頁、対応する自筆複製は同PDF 137頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 10葉表、図50–52。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 141頁、対応する自筆複製は同PDF 143頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 10葉裏、図53。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 149頁、対応する自筆複製は同PDF 151頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 11葉表、図54–57。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 157頁、対応する自筆複製は同PDF 159頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 11葉裏、図58–62。1901年版の図番号付き保護紙。 図58は保護紙上の番号が不鮮明なため、同版の図索引で所属を確認。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 165頁、対応する自筆複製は同PDF 167頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 12葉表、図63–64。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 171頁、対応する自筆複製は同PDF 173頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 12葉裏、図65–67。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 177頁、対応する自筆複製は同PDF 179頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 13葉裏、図68。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 193頁、対応する自筆複製は同PDF 195頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 14葉表、図69–75。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 201頁、対応する自筆複製は同PDF 203頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 14葉裏、図76–78。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 209頁、対応する自筆複製は同PDF 211頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 15葉表、図79–80。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 217頁、対応する自筆複製は同PDF 219頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 15葉裏、図81–84。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 223頁、対応する自筆複製は同PDF 225頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 16葉表、図85–86。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 229頁、対応する自筆複製は同PDF 231頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 16葉裏、図87–88。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 237頁、対応する自筆複製は同PDF 239頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 17葉表、図89。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 245頁、対応する自筆複製は同PDF 247頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 17葉裏、図90–92。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 251頁、対応する自筆複製は同PDF 253頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 18葉表、図93–96。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 257頁、対応する自筆複製は同PDF 259頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 18葉裏、図97–98。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 263頁、対応する自筆複製は同PDF 265頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 19葉表、図99–100。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 269頁、対応する自筆複製は同PDF 271頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 19葉裏、図101–102。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 275頁、対応する自筆複製は同PDF 277頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 20葉表、図103–104。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 283頁、対応する自筆複製は同PDF 285頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 21葉表、図105–109。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 299頁、対応する自筆複製は同PDF 301頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 21葉裏、図110–113。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 307頁、対応する自筆複製は同PDF 309頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 22葉表、図114–116。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 313頁、対応する自筆複製は同PDF 315頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 22葉裏、図117–118。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 319頁、対応する自筆複製は同PDF 321頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 23葉表、図119–121。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 325頁、対応する自筆複製は同PDF 327頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 23葉裏、図122–124。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 333頁、対応する自筆複製は同PDF 335頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 24葉表、図125。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 341頁、対応する自筆複製は同PDF 343頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 25葉表、図126。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 349頁、対応する自筆複製は同PDF 351頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 26葉裏、図127。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 359頁、対応する自筆複製は同PDF 361頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 27葉表、図128–129。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 365頁、対応する自筆複製は同PDF 367頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 27葉裏、図130–132。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 371頁、対応する自筆複製は同PDF 373頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 28葉表、図133–135。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 379頁、対応する自筆複製は同PDF 381頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 29葉表、図136。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 395頁、対応する自筆複製は同PDF 397頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 29葉裏、図137–138。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 403頁、対応する自筆複製は同PDF 405頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 30葉表、図139。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 409頁、対応する自筆複製は同PDF 411頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 32葉表、図140–144。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 439頁、対応する自筆複製は同PDF 441頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 32葉裏、図145。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 445頁、対応する自筆複製は同PDF 447頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 33葉表、図146。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 451頁、対応する自筆複製は同PDF 453頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 33葉裏、図147–148。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 459頁、対応する自筆複製は同PDF 461頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 34葉表、図149–150。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 465頁、対応する自筆複製は同PDF 467頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 34葉裏、図151–153。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 471頁、対応する自筆複製は同PDF 473頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 35葉表、図154–156。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 477頁、対応する自筆複製は同PDF 479頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 36葉表、図157。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 485頁、対応する自筆複製は同PDF 487頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 36葉裏、図158–159。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 491頁、対応する自筆複製は同PDF 493頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 37葉表、図160–163。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 499頁、対応する自筆複製は同PDF 501頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 37葉裏、図164–165。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 507頁、対応する自筆複製は同PDF 509頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 38葉表、図166–170。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 515頁、対応する自筆複製は同PDF 517頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 38葉裏、図171–180。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 523頁、対応する自筆複製は同PDF 525頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 39葉裏、図181。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 531頁、対応する自筆複製は同PDF 533頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 40葉表、図182–183。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 537頁、対応する自筆複製は同PDF 539頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 40葉裏、図184–185。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 543頁、対応する自筆複製は同PDF 545頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 41葉表、図186。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 549頁、対応する自筆複製は同PDF 551頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 41葉裏、図187–191。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 555頁、対応する自筆複製は同PDF 557頁。Internet Archive。パブリックドメイン。
B 42葉表、図192–193。1901年版の図番号付き保護紙。(本文の図版)
Giovanni Piumati編『I manoscritti di Leonardo da Vinci della Reale Biblioteca di Windsor: Dell'anatomia, fogli B』(1901年)。図番号付き保護紙はPDF 561頁、対応する自筆複製は同PDF 563頁。Internet Archive。パブリックドメイン。