人文学 / Irving Babbitt文学とアメリカの大学

人文学 / Irving Babbitt

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追加日: 2026-07-23 / 更新日: 2026-07-23
原著: Literature and the American College: Essays in Defense of the Humanities
出典元ライセンス: パブリックドメイン
翻訳文ライセンス: CC0 1.0 Universal
翻訳者: ポロミン

出典・著作権・ライセンス

原著:Irving Babbitt, Literature and the American College: Essays in Defense of the Humanities(1908)
原著本文:パブリックドメイン
翻訳・編集:ポロミン(@cacazu_right
翻訳文CC0 1.0 Universal
注記:非公式訳。第三者著作物に別個の権利がある場合は、その条件に従うこと。重要な用途では原文を確認すること。

原書の標題紙・刊記

文学とアメリカの大学――人文学擁護論集

アーヴィング・バビット 著

ボストン/ニューヨーク

ホートン・ミフリン社

リヴァーサイド・プレス、ケンブリッジ

1908年

原書記載:著作権 1908年 アーヴィング・バビット/無断転載を禁ず/1908年3月刊行

目次

第4章 文学と大学 — 原書88頁
第5章 文学と博士号 — 原書118頁
第9章 学問的余暇 — 原書246頁

題辞

二つの法が、別々に存在する。
両者は調和しない――
人のための法と、物のための法。
後者は都市と艦隊を築くが、
ひとたび暴走すれば、
人を王ならざるものにしてしまう。
――エマソン

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序文

本書に収めた文章のほぼ半分は、すでに別の場所で発表したものである。「古典の合理的研究」「文学と大学」「独創的であることについて」は、『アトランティック・マンスリー』掲載稿に、本質にかかわらない程度の変更を加えて再録した。「文学と博士号」では、『ネイション』に掲載した二本の論文に、多くの新しい材料を加えて一つにまとめている。「古代人と近代人」と「学問的余暇」の一部は、『ハーヴァード卒業生雑誌』に掲載した二本の記事から取った。再録を許可してくださった各定期刊行物の出版社に感謝したい。

私はこれらの論考で、しばしば火中を歩くような問題に踏み込まざるをえず、そのため一部の読者を不快にさせる危険を冒してきた。少なくとも言っておきたいのは、私の目的は人の型や時代の傾向を明確にすることであって、個人を風刺したり、ましてや個人にレッテルを貼ったりすることではないという点である。個人とは、たいてい簡単に分類できるものではない。とりわけ現代のような時代にはそうである。高度に統一された時代なら、高度に統一された人格の実例も生み出しうるだろう。しかし今日の個人の内部には、より大きな世界に見られるものと同じ、さまざまな傾向の混乱した対立が存在している可能性が高い。私が示そうとしているのは、現代の学者たちに人文主義的な性質が欠けているということではなく、そうした性質が支配的である学者は少数しかいないということである――「広大な渦の中を泳ぐ、わずかな者たち(rari nantes in gurgite vasto)」なのである。

また、過去および現在のある著名人たちに対する私の論じ方は、本書の主題によって範囲を限定されており、完全な人物評価を意図したものではないことも、読者に念を押しておきたい。たとえば大学教育を論じる以上、エリオット学長の果たした役割を取り上げることは避けられなかった。同時に、あれほど多方面にわたって同時代へ影響を及ぼした人物について、均整の取れた総合的評価にははるかに及ばないものとなることも、やはり避けられなかった。

この機会に、チャールズ・エリオット・ノートン教授に対する私の恩義を明記したい。過去一世代のあいだに、より人間性を重んじる学問の必要を感じてきた者は、教授に負うところがある。多くの者は直接の援助と激励を受け、すべての者はその実例から恩恵を受けた。また、ニューヨークの『イーヴニング・ポスト』および『ネイション』の文芸編集者ポール・E・モア氏は、本書の論考のうち数編を原稿の段階で読んでくださった。さまざまな批評と提案を寄せてくださったことに、ここで謝意を表したい。

I・B

ニューハンプシャー州ホルダーネス

1907年12月


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第1章 人文主義とは何か

<!-- 原書 pp.1-5 -->

少し前、ある連邦判事が、アメリカ国民に必要なのは一割の思考と九割の行動だと言った。もしそうなら、私たちはみな満足してよいはずである。すでに、おおよそその割合を実現しているからだ。これとは対照的に、近年のあるギリシア哲学史家がソクラテスに向けた非難を思い出す。その歴史家によれば、ソクラテスは人間本性の合理性を過大に見積もっている。ソクラテスは、正しく考えさえすれば、正しい行動は当然それに続くと言っているように見える。イギリス人とアメリカ人の気質は、この点でソクラテス的気質とはほぼ正反対である。私たちの信条は、力いっぱい行動しさえすれば、正しい思考のほうは自然に何とかなる、というものらしい。実際の能率さえ上げられるなら、理論面では「どうにかやっていく」程度でも構わないと考えている。

思考の明晰さと一貫性に対するこの比較的な無関心は、国民的関心の最大の対象である教育にさえ現れている。教育が恩恵をもたらすというアメリカ人の信念はきわめて強固だが、その恩恵がどのような教育に結びつくのかについての考えは、それに劣らず曖昧である。この三十年以上、私たちが教育をめぐって起こしてきた大騒ぎ、教育事業に注ぎ込もうとしている時間、精力、熱意、さらに図書館、実験室、基金の数々を眺めていると、サー・ジョシュア・レノルズの言葉を思い出さずにはいられない。「際限のない装置を整え、果てしなく調査と研究に奔走することによって、本当の労働――考えるという本当の労働――を避け、先送りすることができる」。よく言われるように、私たちはあまりに速く生きているため、考える時間がない。巨大で複雑な教育機構を組織し、運転する仕事に追われ、静かに省察する余裕をほとんど失っている。行動への熱意を少し抑え、ソクラテス的精神を少し増やしても、害はないだろう。しかし教育についての観念を明晰にしようとすれば、その最初の一歩で、ソクラテスが同時代の問題を扱ったときと同じ障害――正確な定義の必要――にぶつかることになりそうである。

実際、ソクラテス的方法は、その本質からして正しく定義するための手続きである。一つの語の下に潜んでいる、多様で、ときには互いに矛盾する概念を分け、さらに細かく分け、それぞれを区別していく。要するに、一般的な語、ことに流行の決まり文句となった語を不用意に使うことから生じる混乱に対する、絶え間ない抗議なのである。ソクラテスが今日ここにいたなら、自由、進歩、民主主義、奉仕などについて流布している月並みな文句を、いかにも軽々しく繰り返す私たち――その中には大学学長も何人かいる――のところを回り、一人ひとりを「反対尋問」する姿が想像できる。その苦労の報酬として、同時代のアテナイ人からそう見なされたように、きっと公共の迷惑と決めつけられるだろう。

一般的な語が引き起こす混乱の好例が、現在の議論にとって、おそらく何より重要な一語である。人文主義を擁護しながら、この語を説明しなければ、際限のない誤解を招くことになる。この語は、社会主義的夢想家の口にも、最新の哲学的流行を説く者の口にも、同じように上る。現代のように自由に恵まれ、誰もがほとんどあらゆる一般語を好きなように使える時代には、「人文主義」という語に今なおまとわりついている上品な連想を、さまざまな理論家が自説のために利用しようとするのも、避けがたいのかもしれない。まったく別種の思想に、その好ましい連想のおこぼれを受けさせようというのであろう。たとえばオックスフォードの哲学者F・C・S・シラー氏は、自らを人文主義者と称し、人文主義の名において「雲の上で奇妙な行いをなす」と威勢よく宣言する。ルナンは、未来の宗教は「真の人文主義」になると言う。未来像を「人文主義」または「新しい人文主義」と呼んだユートピア思想家は、列挙しきれないほどいる。グラッドストンはオーギュスト・コントの人文主義を語り、ハーフォード教授はルソーの人文主義を語り、ドイツ人は一般にヘルダーの人文主義を語る。しかしコント、ルソー、ヘルダーの三人はいずれも人文主義者ではなく、人道主義的熱狂家であった。一方、ある有力な定期刊行物は、ハーヴァードにおける「人道主義的精神」の衰退を嘆いていたが、意味していたのは、おそらく人文主義的精神のことだった。

したがって私たちには、人文主義だけでなく、それと関係し、あるいは混同されている語――人間的、人文主義的、人道主義的、人道主義――についても、実際に使える定義が必要である。これらの語をうまく定義できれば、さらに必要な定義、すなわち大学とは何かという定義にも近づけるだろう。大学における文学の位置を論じるには、その前に、文学が場所を占められるような「大学」そのものが今後も存在するのか、という問いに答えなければならないからである。大学をこの窮地へ追い込んだのは、公然たる敵というより、むしろ大学の友を自称する人々だったのかもしれない。こうした状況では、私たちもアイアスのように、光の中で戦わせてほしいと祈るべきである。

I

<!-- 原書 pp.5-12 -->

この探究の第一歩は、同じ語群に属するすべての語の源となったラテン語、humanushumanitas に立ち返ることだろう。必要な資料の大部分は、ガストン・ボワシエ氏が humanitas の古代における意味を扱った、近年の優れた研究に見いだせる。ボワシエ氏の論文によれば、humanitas はローマ人のあいだでも当初からかなり幅のある徳目であり、のちには相当に緩い意味で使われるようになった。そのため後期ラテン語の著述家アウルス・ゲッリウスは、この語が本来の意味から逸らされてしまったと不満を述べている。

ゲッリウスによれば、humanitas を「誰にでも無差別に向けられる善意、ギリシア人がフィラントロピアと呼ぶもの」の意味に使うのは誤りである。この語が本当に意味するのは教養と訓練であり、人間一般にではなく、選ばれた少数者だけに当てはまる。要するに、その含意は民主的ではなく、貴族的なのである。

ゲッリウスが不満を述べたこの混同は、それ自体として興味深いだけでなく、今日の私たちが警戒すべき混同とよく似ている。彼の言葉を信じるなら、ローマの頽廃期は、人間同士の愛、今日でいう利他主義に、他の徳の大部分を代行させようとした点で、現代と似ていた。それは人文主義と博愛を混同したのである。ただし現代の博愛は、古代にはごくわずかな萌芽しか見いだせなかった一つの観念、すなわち進歩の観念と結びつくことによって、大きく変質している。この点については、後にさらに詳しく見ることになる。

普遍的な博愛と、個人に教養を授け、規律を身につけさせることとの違いを、ゲッリウスはいくらか感じ取っていた。それが、彼を抗議へ向かわせたのである。彼の時代にも、おそらく二つの語が必要だった。今日には、確実に二つの語が必要である。人類全体に共感を寄せ、その将来の進歩を信じ、この進歩という大事業に奉仕したいと願う人は、人文主義者ではなく人道主義者と呼ぶべきであり、その信条は人道主義と名づけるべきである。現在、人文主義を、人道主義を短く便利に言い換えた語のように扱う傾向があるが、そこからはあらゆる種類の混乱が生じざるをえない。

人道主義者がほとんど全面的に重んじるのは、知識と共感の広さである。たとえば詩人シラーが、「幾百万の人々をこの胸に抱き」、「全世界に口づけを与え」ようとするとき、彼が語っているのは人文主義者としてではなく、人道主義者としてである。人文主義者は、抱擁の相手をもう少し選ぶ。

いささか気難しく衒学的な気質の人だったアウルス・ゲッリウスは、humanitas の概念から共感をほとんど完全に排除し、その意味を彼のいう cura et disciplina、すなわち配慮を尽くした教養と訓練に限定しようとしていたらしい。その根拠としてキケロの権威を引いている。しかしキケロは、そのような一面的な見方を避けていたように思われる。彼は優れた人文主義者だったから、必要なのは共感だけでも、規律と選別だけでもなく、規律づけられ、選別する共感であることを、当然知っていたのだろう。選別を欠いた共感は締まりを失い、共感を欠いた選別は侮蔑へ傾きやすい。

したがって、人道主義者と対比したとき、人文主義者が関心を寄せるのは、人類全体を向上させる計画よりも、一人の人間を完成へ近づけることである。人文主義者は共感に大きな場所を認めるが、それが規律を受け、判断によって節度を与えられることを要求する。人文主義を定義しようとした比較的最近の試みの一つに、自分の時代から取り残された人物だと見なされていたブリュンティエールの定義がある。 しかしその定義も、人文主義という語に、知識と共感の豊かさ以上のものを見いだせない現代の欠点を免れていない。ブリュンティエールは、テレンティウスの有名な一句「人間にかかわることで、私に無縁なものは何一つないと思う(Humani nihil a me alienum puto)」に、人文主義の完全な定義を発見したと考える。この一句は、人間仲間すべてへの普遍的関心をたいへんよく表している。しかし選別という観念を完全に欠いているため、人文主義者を定義するものにはならない。

この台詞は劇中では、おせっかいを正当化する口実として語られる。したがって、今日おなじみの人道主義的なお節介屋――自分自身を除くほとんどあらゆるものを改革する計画を抱えて歩き回る人物――の標語としてなら、まことにふさわしい。文学に当てはめれば、プラトンから日曜新聞の付録まで、何でも読むことを正当化する文句にもなるだろう。世界市民的な知識と共感の広さだけでは足りない。それらが人間性にかなうものとなるには、規律と選別によって節度を与えられなければならない。この観点からすると、英語の「人文学(humane letters)」より、ラテン語の litterae humaniores のほうがよい表現である。ラテン語では比較級が用いられているため、選別の必要がいっそう強調されるからだ。

真の人文主義者は、共感と選別のあいだに正しい均衡を保つ。現代人は、ブリュンティエールのような過去の擁護者でさえ、共感という要素を不当に強調しがちである。他方、ギリシア人とローマ人を含む古代人一般は、選別のために共感を犠牲にする傾向があった。humanitas を無差別な博愛と混同せず、教養と訓練のために取っておくべきだというゲッリウスの抗議だけを読めば、完全な誤解を招くだろう。

古代の人文主義は、全体としてきわめて貴族的な気質をもっている。その共感は、現代人の目には狭く見える水路を流れており、教養と訓練を受けていない卑しい者、身分の低い者を当然のように軽蔑する。実際、選別を行わない普遍的な共感、すなわち私たちが人類同胞の意識と呼ぶものが世界へ入ってきたのは、キリスト教とともにだったと普通は考えられている。さらに踏み込めば、愛と共感を、教養と訓練によって補う必要のない、至高にして万能の原理へ高めることは、おおむね近代、すなわち人道主義の時代に固有のものだと言える。

歴史上のキリスト教徒は、いつでも自分と同じ教義と規律をもつ者のために共感を取っておく傾向があり、同類への共感と、それ以外のあらゆる者への狂信的な憎悪とを、あまりにもしばしば結びつけてきた。キリスト教の一側面は、選別を途方もなく強調し、神そのものを、共感する存在というより選別する存在として考えるところまで進んだ――「招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」などの言葉がそれである。聖パウロ、聖アウグスティヌス、パスカルのような剛健な信仰者なら、社会問題を語り、宗教を集合住宅問題の一局面へ縮小しようとする現代の人道主義者を、弱者、頽廃者と見なすに違いない。

しかし人道主義と、そこにおいて共感に与えられる位置は、本書の主題にとってきわめて重要なので、後にもう一度取り上げなければならない。今のところは、現代人の共感がもつ民主的な包摂性と、古代の人文主義者が示した貴族的な超然性、そして「俗なる群衆を憎み、これを遠ざける(odi profanum vulgus et arceo)」という軽蔑とを対置しておけば足りる。この超然性と軽蔑は、ルネサンスの人文主義にも反映され、ある面ではさらに強められた。ルネサンス人は、「卑しい大衆」より二重に高いところへ置かれていると感じていた。第一に、自らの教養と訓練によって。第二に、その教養と訓練を伝える学識ある言語によってである。この高慢な人文主義の反響は、ミルトンの次の詩行に聞き取れる。

私は、人のうちのありふれた群れを、人とは呼ばない。
彼らはあてもなくさまよい、
夏の蠅のように生まれては死ぬ。
名もない頭、もはや誰にも記憶されない者たち。

その後、この人文主義的理想は次第に型にはまり、身分と特権の階層秩序に結びついていった。知的優越の意識が、社会的優越の意識によって補強されたのである。その結果として生じた共感の狭さを、アミエルはイギリス紳士について次のように批判している。「紳士同士なら、礼儀、平等、社会的作法がある。その水準より下の者に対しては、高慢、軽蔑、冷淡、無関心がある。……紳士の礼儀は、人間一般に向けられた普遍的なものではなく、まったく個人的で、特定の相手だけに向けられたものである」。イギリス人の共感がこのように狭いのは、たしかに残念なことだ。しかし共感を広げる過程で、人文主義的・宗教的な伝統的規律を緩め、弱体化させてしまうなら、それはさらに残念なことになる。アミエルが非難した欠点においてさえ、イギリスの人文主義者は古代の原型から完全に外れているわけではない。ブッチャー教授が指摘するように、イギリスにおける紳士兼学者の理念と、かつて極度に貴族的な民主政アテナイで抱かれていた教養人の見方とのあいだには、実際のつながりがある。

アウルス・ゲッリウス『アッティカの夜』第13巻第17章参照。

ブリュンティエール『フランス古典文学史』第1巻、28頁。

II

<!-- 原書 pp.13-21 -->

もちろん、ここまで古代の人文主義や人文主義者について語ってきたとはいえ、「人文主義者」という語が用いられるようになったのはルネサンス以後であり、「人文主義」という語はさらに後の時代になってから現れたことを忘れてはならない。ルネサンスの人文主義を考えるうえで注目すべき重要な対立は、この時代に一般的だった、人間的なものと神的なものとの対立である。ルネサンスとは、その本質において、神的なものが多すぎ、人間的なものが少なすぎた時代への抗議だった。中世神学が人間のある側面を飢えさせ、その成長を妨げたことへの抗議であり、人間のより純粋に人間的・自然的な能力へ死をもたらすほどの拘束を課した、超自然的世界観への抗議だったのである。

それらの能力を十分に、自由に働かせるための模範は、古代の古典作品に求められた。しかし古代人崇拝は、まもなくそれ自体が迷信となった。その結果、古代語の手ほどきを受けたという事実だけで、その語が本来含むべき教養も訓練もほとんど、あるいはまったく備えていない人物まで、人文主義者と呼ばれるようになった。初期イタリアの人文主義者で、真に人間性にかなった人物はごく少ない。彼らの多くにとって、人文主義は教養と訓練であるどころか、あらゆる規律に対する反抗であり、中世の極端から反対側の極端へ激しく跳ね返る運動だった。

ルネサンス前半を支配しているのは解放の運動である。感覚の解放、知性の解放、そして北方諸国では良心の解放であった。これは近代で最初の大きな拡張の時代であり、個人主義が初めて前方へ大きく突き進んだ時代だった。この種の時代がつねにそうであるように、最大の重点は知識を広げることに置かれ、また人文主義的な排他性と両立する範囲では、共感を広げることにも置かれた。当時の人々には、エマソンのいう「犬のように貪欲な知識欲」があった。彼らは中世の伝統という束縛と手引き綱を熱烈に断ち切り、自然と人間本性との長い不和が癒やされたことを、あふれる喜びとともに祝った。そのため、品位と選別の必要は一時見えなくなった。たとえばラブレーのような作家には、品位も選別もない。したがって、その偉大な天才にもかかわらず、教養ある古代人の目には、人間性にかなった人物というより、野蛮な人物と映っただろう。

個人の能力をこのように無秩序かつ無規律に展開し、抑制の利点に比べて自由の利点を過度に強調したことは、拡張期に特有の害悪を伴った。無政府的な自己主張と自己放縦が増大し、社会の存立そのものを脅かすように見えた。そのため社会は個人に対して反動を起こし、拡張の時代に続いて集中の時代が訪れた。この変化が起きた時期も事情も、国によって異なる。イタリアでは、おおよそローマ劫掠(一五二七年)およびトリエント公会議と重なる。フランスでは、宗教戦争の恐るべき無政府状態の後に起こり、政治面ではアンリ四世に、文学面ではマレルブに表現された。

もちろん、ルネサンスほど複雑な時代を扱うなら、無数の渦や交差する流れ、そしてほとんどいくらでも挙げられる個人的例外を考慮しなければならない。個人の場合と同じく一つの時代にも、主流に逆らう要素が普通は存在し、それが重要な要素であることもしばしばある。しかし、自分の「独創性」を証明しなければならないドイツの博士でもなく、逆説それ自体を愛好する者でもなければ、渦や逆流があっても、たいていは時代の主要な流れを見分けられる。

したがって、後期ルネサンスの主要な流れは、自由な拡張を好む人文主義から、きわめて強く規律と選別を重んじる人文主義へ向かった、と言ってよい。この運動全体には、根本的には別の問題が重なっていた。少なくともフランスとイタリアでは、社会を個人から守る必要が感じられていたのである。しかし、個人主義にそれほど不信を抱かなくても、選別と規律を強く求めることはできる。この時代の人文主義者の多くは、外部から、上方から課される規律を過度に強調し、無数の細かな規則として成文化される教義を過度に重視したため、硬直と狭量へ陥った。言い換えれば、彼らは人間性にかなった人物ではなくなったのである。

この時代の文学批評に全ヨーロッパ的な影響を及ぼした、きわめて峻烈な天才スカリジェによれば、芸術の本質は electio et fastidium sui、すなわち選別と自己に対する厳しい選り好みにある。もっとも実際のスカリジェは、その厳しい選り好みを他人に対して取っておいた。この細心な選別の精神が次第に勢力を増し、拡張的なラブレーに代わって排他的なマレルブが現れ、やがて純粋主義が、人々の語彙だけでなく思想と感情までも貧しくしかねないほどになった。

カスティリオーネは『宮廷人』の中で、紳士の構成要素には、超然性と軽い侮蔑の要素(sprezzatura)が含まれるべきだと述べた。この言葉は、正しく解釈すれば深い真理を含んでいる。しかし貴族的な超然性が、細心な選別と結びつき、しかも広く共感的な知識によって発酵させられないなら、ヴォルテールがヴェネツィアの貴族ポコクランテ卿の素描で見事に描いた態度へ直行する。つまり、現代人のように共感の包摂性によって評価されるのではなく、拒絶したものの数によって評価される学者の型である。ポコクランテは sprezzatura を徹底的に磨き上げ、ウェルギリウスとホラティウスの数行を除いて、ほとんどすべてを拒絶した。畏れ入ったカンディードは言う。「なんという偉人だ、このポコクランテは。何一つ彼を満足させられないとは」。

後期ルネサンスの規律的・選別的人文主義と、初期の拡張期との対照に目を奪われて、両者の根底にある目的の一致を見失ってはならない。両時期の人々は、自らの導き手とした古代の人文主義者と同じく、完全な人間(totus, teres atque rotundus――全体を備え、滑らかで、丸みをもった人間)を形成することを目指していた。ただし後期の人々と新古典主義者一般は、この完全性を、拡張の徳によってよりも、集中の徳によって達成しようとした。

彼らの目には、初期の人々は個人の気まぐれや奇行が入り込む余地を残しすぎたように見えた。そのため彼らが何より関心を向けたのは、題材を選別し、普遍的で人間的な教養と訓練を確立することだった。この目的のため、古典的な教養と訓練を、キリスト教の教義と規律に奉仕させようとした。異教とキリスト教の伝統を妥協させようとするこの試みは、カトリック諸国ではイエズス会の学校に、プロテスタント諸国では旧来の大学課程として形を取った学科の選択に見ることができる。

もちろん、神学と人文学の双方から代表的なものとして選び取られた内容は不十分だった。また、多くの点で方向を異にし、いくつかの点では互いに敵対する教義と規律を妥協させた全体の仕組みが、表面的だという批判を招いたのも当然である。初期ルネサンスの人々は、当時理解されていた神的なものと人間的なものとの対立を、より鋭く感じており、しばしば一方に妥協なく味方した。マキアヴェッリは、キリスト教が世界を柔弱にしたと非難した。他方、ルターは、ごく狭い範囲を除き、異教古典の研究を有害だと見なした。カルヴァンはラブレーを呪詛し、ラブレーはカルヴァンを詐欺師と呼んだ。

それでも、古代の人文学と表現技法をキリスト教に奉仕させようとした努力は、多くの点で称賛に値する。その努力を要約した標語、sapiens atque eloquens pietas――知恵と雄弁を備えた敬虔――は、正しく解釈するなら、今なお大学の目的を定義するために使えるだろう。

現在の学問に欠けており、ぜひ必要とされる研究の一つは、ある学科群がどのように代表的なものとして選ばれ、宗教から取られた要素と結びついて、一つの訓練体系を形づくるに至ったかを明らかにする研究である。要するに、旧来の大学課程について、これまでに書かれたものより慎重な歴史が必要である。これと密接に関係し、同じく必要なのが、紳士という理念の発展史である。それは十六世紀のカスティリオーネその他のイタリアの礼法論にまで遡り、紳士という観念が学者という観念とどのように結びつき、今日もなおイギリスにいくらか生き残っている理想を形成したかを、とりわけ明らかにしなければならない。

イタリアのカスティリオーネとイギリスのサー・フィリップ・シドニーは、すでに紳士兼学者の理想を、しかもルネサンスの壮麗な生命力とともに実現していた。しかしスカリジェは、あれほど細心な選別を行いながら、巨大な衒学者にとどまっている。一般に、学問が衒学から身を離し、都会的な洗練と磨きを身につけ、人文主義者の基準が社交人の基準と融合するのは、フランスの影響を受けてからである。しかし同じフランスの影響のもとで、紳士兼学者の理想は外面的・慣習的なものにもなった。後期新古典主義のポコクランテ型の人々の一部では、その理想は俗物根性と浅薄さの混合物にまで頽落し、かつて深い洞察だったものが、単なる社交上の偏見となった。

しかし私たちは、慣習という殻を捨て去ろうとするあまり、人間性にかなった理想まで顧みなかった大ロマン主義反乱の指導者たちのようであってはならない。新古典主義者は、最悪の人工性に陥ったときでさえ、一面性への恐怖、ある能力を萎縮させて別の能力を肥大させるすべてのものへの恐怖、過剰で強調の強すぎるものを避けようとする態度によって、なお古代の人文主義者と結ばれている。そして、熱狂しながら同時に節度を保つことは難しいため、彼は熱狂を信用しない。

新古典主義者は、距離を置く姿勢と気取りからの自由(sprezzatura)を養い、何事にも驚かない(nil admirari)。これに対してロマン主義者が、あらゆるもの――とりわけ自分自身と自分の天才――に驚嘆しがちなのは、周知のとおりである。新古典主義者は、外見と振る舞いにおいて人間本性の一般的特徴に忠実であろうとし、文章や会話では専門用語や職業用語を避けることにさえ注意を払う。ジョンソン博士は言う。「完成された礼儀作法とは、特定の職業の印を何一つ帯びず、振る舞いに全般的な優雅さを備えることである」――もっともジョンソン博士自身は、この基準へ完全には到達しなかった。

この見方全体の根底にあるのは、専門化への恐れである。ラ・ロシュフコーによれば、「真の紳士にして教養人(honnête homme)とは、何一つ自慢しない者である」。これと、アメリカの実業界でときどき聞かれる格言を比べてもよい。「二つのことを知っている男は、もう駄目だ」。言い換えれば、当時の人間は、一面的と思われるくらいなら浅薄と思われるほうを選んだ。今日の人間は、浅薄と思われるくらいなら一面的と思われるほうを選ぶのである。

III

<!-- 原書 pp.22-31 -->

ここで、人文主義の定義を求めてきた探究の結果を、ひとまずまとめてもよいだろう。歴史上の人文主義者は、共感という一方の極端と、規律および選別という他方の極端とのあいだを動いてきた。そして、この両極を仲介できた程度に応じて、人間性にかなった人物となったのである。この真理をさらに一般的な形で述べるなら、パスカルが言うように、人間の卓越性を示す真のしるしは、相反する徳を自分のうちで調和させ、その両者の「あいだの全領域(tout l’entre-deux)」を占める力にある。相反する性質を自分のうちで結びつける能力によって、人間はその人間性、すなわち他の動物に対する本質上の優越を示す。

たとえば聖フランソワ・ド・サルは、鷲と鳩の性質を自らのうちで結びつけていたと伝えられる。彼は、優しさを備えた鷲だったのである。すでに引用したギリシア哲学史家は、ソクラテスが思考と感情のあいだに完全な調和を実現していたと述べている。この点でソクラテスと、「自分の心と頭は、同じ一人の人間のものとは思えなかった」と語ったルソーとを比べれば、賢者と詭弁家との違いが分かるだろう。

人間は、一面的にならざるをえない運命を背負った存在である。それでも、自らの本性にあるこの宿命へ打ち勝つ程度に応じてのみ、人間性にかなった者となる。すなわち、一つ一つの徳を、その反対の徳によって和らげるところから生まれる節度へ到達する程度に応じてのみ、そうなれるのである。マシュー・アーノルドが、彼の批評の中でも最も見事な一句で述べたように、目標は「人生を揺るがずに見つめ、しかも全体として見る」ことである。しかし残念ながら、この目標へ完全に到達した者は一人もいない。アーノルドがこの句を当てはめたソフォクレスでさえ、完全には到達していない。人間が比較的単純な調整を成し遂げた後にも、その先には、さらに困難な調整が待っている。その意味で、目標は無限に遠い。

実際上の大部分の目的にとって、節度の法は人生の最高法則である。それは他のすべての法則に境界を与え、しかもそれらを包み込むからだ。極端は野蛮であると、極東最大の人格であるゴータマ・ブッダが最初の説法の冒頭で宣言したのも、おそらくこの事実を見抜いていたからである。しかしインド全体は、この教訓を学び損ねた。

ギリシアは、おそらく最も人間性にかなった国である。ギリシア人は節度の法を、「何事も過度にしてはならない」という明確な形で表現しただけでなく、傲慢な過剰(hybris)やこの法への違反がどのような形を取ろうとも、必ず復讐の女神ネメシスが追いつくことを理解していたからである。

もちろんギリシアでも、節度の法について実効的な洞察を得ていたのは少数者に限られていた。ただし、ときにはかなり大きな少数者だった。ギリシアであれ他の場所であれ、ある時点の多数者は、ほぼ必ず健全さを欠いている。そして健全さを欠くのは、一面的だからである。ここでは商業恐慌の理論から、身近な比喩を借りてもよい。少数の人々は慎重であり、企業心を思慮によって和らげることができる。しかし多数者は必ず取引を過度に拡大する。そのため、慎重な少数者に抑えられないかぎり、最後には恐慌というネメシスを自ら招くことになる。

ギリシア文明が苦しんだ過剰は、とりわけ興味深いはずである。あれほど人間性にかなった民族なら、通常必要とされる調整のどれかを行い損ねたとは考えにくいからだ。この難しい主題を十分に扱うつもりはないが、次のようには言える。ギリシアは、知的懐疑主義の成長によって伝統的基準を失った後、精神が危険なほど過度に流動化した。生活を統一し、個人に規律を課す新しい基準を作り出せなかったからである。要するにギリシアは、統一と多様性とのあいだを、哲学者の言葉を使えば絶対的なものと相対的なものとのあいだを、仲介することに失敗した。

ソクラテスとプラトンを筆頭とする最も賢明なギリシアの思想家たちは、この問題を認識し、その解決を求めた。しかしアテナイはソクラテスを死刑にすることで、賢者と詭弁家を区別できないことを明らかにした。

プラトンは言う。一なるものがあり、多なるものがある。「一なるものと多なるものとを結びつけられる人を私に示してほしい。そうすれば私は、神の足跡をたどるように、その人の足跡をたどろう」。 一なるものと多なるものを調和させることは、実に困難な調整であり、おそらくあらゆる調整のうちで最も困難である。同時に、それほど重要であるため、これを成し遂げられなかった国々は滅亡してきた。

古代インドは、一なるものへの圧倒的すぎる感覚によって呑み込まれた。これに対してギリシアでは、統一がもたらすこの抑制的感覚へ到達できなかったため、最後には、ユウェナリスが描いた「飢えた小ギリシア人」の有害な順応性へ行き着いた。

現代は、伝統的基準を失っている点で、ペリクレス時代のアテナイと似ていなくもない。したがって、昔の詭弁が磨き直されて再登場するのを目にしても、驚くには当たらないのかもしれない。F・C・S・シラー氏のような著述家が唱える、いわゆる人文主義には、プロタゴラスの知的印象主義に似たものがある。 古代の詭弁家と同じく、プラグマティストは中心的基準による規律を捨て、個々の人間と、その思考および感情を、万物の尺度にしようとする。

ジェイムズ教授は言う。「経験の前進する最前線が、そこに差し迫る満足と不満足を携え、月の光り輝く円盤が黒い深淵を切って浮かぶように、黒い虚無を背景として切り立っていてもよいのではないか」。 しかし太陽、月、星には、あらかじめ定められた軌道がある。そして古代のピュタゴラス派が言ったように、それらは自らの数的秩序を踏み越えようとはしない。ジェイムズ教授の比喩を正当なものにするには、月が中心的統一への忠誠を否定し、印象主義的な宇宙探検の旅へ一人でさまよい出なければならないだろう。

ヘーゲル形而上学が作り出す、雲でできたユノーを抱きしめることに人生を捧げるよりは、プラグマティストであるほうが、おそらくましである。しかしジェイムズ教授とその学派の人々のように、事物の互いに異なるあり方をこれほど極端に感じるようになった人々を、人文主義者と呼んでよいのか。これは大いに疑わしい。この極端にまで押し進められた多元論ほど、人間性にかなわず、人文主義的でもないものは、同じような極端に押し進められた一元論を除けば、ほとんどないように思われる。

人間の精神が健全さを保つには、統一性と多元性とのあいだに、この上なく精妙な均衡を保たなければならない。絶対的存在と交わっているという感覚をもち、その洞察から生じる、より高い基準への義務を感じるべき時がある。他方で、自分を、自然の永遠の流動と相対性の中を通り過ぎる一局面にすぎないと見るべき時もある。エマソンとともに、「ただ一人で、ただ神々とともにいる」と感じるべき時がある。またサント=ブーヴとともに、自分を「無限の幻想の懐に浮かぶ、最も束の間の幻想」にすぎないと見るべき時もある。

人間の高貴さが一なるものとの血縁にあるとしても、人間は同時に、他の現象の中にある一つの現象でもある。その現象的な自己を無視するなら、自ら危険を招くことになる。人間の諸能力が保つ、人間性にかなった均衡は、自然主義の過剰によっても、超自然主義の過剰によっても、等しく損なわれる。

すでに見たように、ルネサンスは中世の超自然主義的な過剰に抗議した。それは、自然と人間本性とのあいだの隔たりを不当に広げた一面性への抗議だった。それ以来、世界は反対側の極端へ向かってきた。自然と人間本性とのあいだによりよい調和を確立するだけでは満足せず、その隔たりを完全に閉じようとしているのである。

スピノザの有名な言葉によれば、人間は自然の中に、別の帝国の中にある一帝国として存在するのではなく、全体の一部として存在する。超自然主義者が衰えさせた重要な能力を、自然主義者は育ててきた。しかし他の能力、とりわけ観想的生活に関係する能力は、長い不使用のために萎縮しつつある。人間は事実を把握する力を途方もなく増大させたが、その一方で、事実の多様さへ深く没入しすぎたため、かつて低次の自己を畏れさせ、抑制した一なるもののヴィジョンを失ってしまった。

エマソンが記憶すべき詩句で述べるように、「別々の二つの法」がある。私たちは「人のための法」と「物のための法」を調和させられないのだから、それぞれに対する感覚を別個に保ち、一種の「二重意識」、すなわち「公的」本性と「私的」本性を維持すべきだ、と彼は考える。さらに彼は奇妙な比喩を加える。人間はこの二つの本性という馬へ交互に乗らなければならない。「サーカスの曲馬師が軽やかに一頭の馬から別の馬へ飛び移り、あるいは一方の足を一頭の背に、もう一方の足を別の一頭の背に置くように」しなければならないというのである。

エマソンには、おそらくこの精神的な曲馬乗りが多すぎる。統一性と多元性は、彼の作品ではしばしば、調和させられた対立物ではなく、衝突する二律背反として現れる。彼は、時間の半分には、あらゆるものが他のあらゆるものと似ていると言い、残りの半分には、あらゆるものが他のあらゆるものと違うと言うだけで、満足しすぎている。そのため彼の天才には、たしかに高揚と静穏があるが、同時に不安を誘う曖昧さがあり、個々の事柄を扱うときの確かな把握を欠いている。

それでもエマソンは、科学的唯物論の時代にあって、精神のある真理を証言する重要な人物であり続ける。彼が自分の時代に下した次の判定は、決定的なものとなりそうである。

物が鞍にまたがり、
人類を乗り回している。

人間そのものと、人間精神の産物である言語や文学は、それ固有の法則をもつものとしてではなく、「物」として扱われている。すなわち、現象としての自然に対して科学があれほど大きな勝利を収めることを可能にした方法へ、完全に従うものとして扱われる。近年、ある人類学者会議の会長は、年次講演の標語として、「人類が正しく研究すべき対象は人間である」という人文主義的格言を選んだ。そこに何らかの不釣り合いを感じた人は、おそらく一人もいなかった。

この調子で進めば、コンゴで一年を過ごし、あやとりを収集してきたばかりのシカゴの教授が、真の人文主義者の典型として掲げられる日も近いだろう。

今日、人文学は物理科学の侵食に対して擁護されなければならない。かつて神学の侵食に対して擁護されなければならなかったのと同じである。しかし、その前に、すでにした約束を果たさなければならない。次の論考では、人文主義的な見方に取って代わりつつあるだけでなく、現代の人々にとってその見方を理解不能なものにさえしている、自然主義的・人道主義的な大運動を、その起源からたどってみたい。

プラトン『パイドロス』266B。ギリシア人一般は、節度の法を「一なるものと多なるもの」の問題と結びつけなかった。この点でプラトンより典型的なギリシア人だったアリストテレスは、観想的生活についての理論、すなわち神的統一の感覚へ到達することについての理論を、両極端のあいだを仲介するものとして徳を捉える理論と結びつけたとは、ほとんど言えない。

シラー氏自身がこのつながりを指摘している(Humanism、序文17頁参照)。後の箇所(本書82頁以下)から明らかになるように、私がプラグマティストを批判するのは、経験と実際の結果へ訴えるからではない。一なるものへの感覚が不十分であるため、経験を検証し、判断と単なる一時的印象とを区別するための真の基準へ到達できないからである。

ウィリアム・ジェイムズ「人文主義と真理」16頁。

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第2章 人道主義者の二類型――ベーコンとルソー

<!-- 原書 pp.32-36 -->

ルナンによれば、近代思想における最重大事件は、十六世紀に、古い人間中心的宇宙観がコペルニクス天文学へ置き換えられたことである。新しい天文学の登場によって、人間は初めて無限という感覚をもった、と私たちは教えられている。しかし、かつてないほど強く物理的な巨大さを思い知らされた、と言うほうが誤解は少ないだろう。たとえばパスカルに見られ、ダンテのような中世作家には求めても見いだせないのは、この身震いするような物理的広大さの感覚である。人間は、世界を宇宙の中心、自分を世界の中心と見る代わりに、いわば無限の空間へ漂流させられた。この広大さに呑み込まれるにつれて、人間は、自分が本質において優越する存在だと主張することがますます難しくなった。自分を「別の帝国の中にある一帝国」と見るのではなく、一つの全体の中の一部分と見るようになったのである。

自然と人間本性は一つであるというこの新しい感覚は、人間が超自然的な特権を失ったことへの、それなりの慰めももたらした。感情の側では、ワーズワースによれば「賢明な受動性」から生まれる恩恵によって慰められた。科学の側では、ベーコンによれば、自然に従うというまさにその行為によって自然を支配できるという見通しによって慰められた。

したがって自然主義者は、支配的な気質が感傷的か科学的かに応じて、明らかに二大類型へ分かれてきた。そして、この二種類の自然主義者にほぼ対応する形で、科学的人道主義者と感傷的人道主義者が現れた。さらに付け加えるなら、実証主義運動と功利主義運動は、主として科学的人道主義に鼓舞されてきた。一方、感傷的自然主義は、いわゆるロマン主義運動の重要な要素であり、おそらく最重要の要素であった。

近代思想において、さまざまな形の自然主義と人道主義がなぜこれほど密接に結びついてきたのかを、ここで十分に論じる余裕はない。しかし、その結合において決定的に重要だった要素が、進歩という観念であることは明らかである。ギリシア人とローマ人も自然を科学的に研究し、またある程度までは、感情を通じて自然と交わった。古典古代の人々にも、ルネサンスの人々にも、人文主義と自然主義は併存し、ほとんど気づかれないほど微妙な段階を経て、一方から他方へ移り変わることもしばしばあった。

しかし、科学の征服が、人類全体の一般的かつ組織的な前進への希望を抱かせるほど顕著になったのは、比較的最近のことである。すでに述べたように、古い博愛は、進歩の観念といっそう密接に結びつくことによって深く変質し、人道主義へ転化した。そして進歩という観念そのものも、主として、自然との協力を深めることによって人類全体へ利益がもたらされるという信念に立っている。

この新しい構想において、科学が果たした役割は、感情の役割より明らかに大きい。人間はいつの時代にも黄金時代を夢見てきた。しかし黄金時代を過去ではなく未来に置き始めたのは、近代科学の勝利以後にすぎない。ルナンが指摘するように、新しい時代と古い時代を隔てる大きな一線は、人類という観念と、人類の集合的成果への崇拝である。伝統的信仰が衰えるにつれて、この人類崇拝はますます私たちの実質的な宗教になりつつある。

私たちは皆、アブー・ベン・アデム――その仲間は増え続けている――になりたいと思っている。そして実際、神への愛を、人間への愛とは別のものとして考えることが、ほとんどできなくなっている。この新しい宗教は、十九世紀がとりわけ誇りとしてきた歴史感覚さえ損ないかねない。現代の進歩信奉者は、中世人が古代トロイに尼僧院や大聖堂があったと想像したのと同じくらい、自分たち固有の視角から、満足げに過去を眺めている。

感傷的人道主義と科学的人道主義の定義は、抽象の雲の国から降ろし、具体的かつ歴史的な形にすれば、さらに明瞭になるかもしれない。そのための最良の方法は、それぞれの立場について、その見方を抱いただけでなく、それが人生と人格の中でどのように作用するかまで実際に示した人物を一人ずつ選ぶことだろう。

科学的自然主義者であり科学的人道主義者でもある完全な実例は、すでに十六世紀のベーコンに見いだせる。他方、感傷的自然主義については十八世紀まで待たなければならない。それはルソーの人格と著作に、驚くほど完全な形で具現されている。

ベーコンとルソーは、両者を合わせると、現在、人文主義的であれ宗教的であれ、伝統的な規律を解体しつつある主要な傾向を代表している。以下である人物をベーコン主義者、あるいはルソー主義者と呼ぶとき、それによって必ずしも直接または間接の影響関係を主張するつもりはない。ただ、その人物の人生観が、ベーコンまたはルソーによって、あらかじめ姿を示され、場合によっては実際に先取りされているという意味である。

たとえばワーズワースが、直接または間接にルソーからどの程度を負っているかは、必ずしも容易に確定できない。しかし注意深い研究者なら、ワーズワースの感傷的自然主義、すなわち彼をイギリス詩の革新者にしている作品中の全要素が、ルソーの先行する自然主義に潜在しているか、より多くの場合には、すでに完全に表現されていることを見落とさないだろう。

ルソーの直接かつ立証可能な影響は、途方もなく大きい。単なる文学者の影響をはるかに越え、彼をほとんど宗教の創始者と同じ水準に置くほどである。ジュール・ルメートル氏は近年のルソー講義で、その影響の巨大さに「聖なる恐怖(horreur sacrée)」を覚えると述べた。するとパリ社交界の流行的・反動的な人々が喝采した。

<!-- 原書 pp.37-41 -->

これに対し、ルソーの支持者たちはソルボンヌ大学の大講堂で反対集会を組織した。数千人が参加し、さらに数千人が入場を断られた。会場は白熱した興奮に包まれ、演説は、わが国なら大規模な政党大会で聞かれるような種類のものだった。このいかにもフランス的な騒ぎを、私たちは微笑ましく眺めるかもしれない。しかし根本では、フランス人の認識は正しい。ルソーに対してどのような態度を取るかには、近代生活の実に多くのものが懸かっている。現代の急進主義者――たいていはルソーの遠い、頽廃した末裔にすぎない――へ注意を集中するのではなく、急進主義の偉大な父その人を攻防の中心に置くのは正しいのである。

友も敵も、ルソーが占める支配的な位置については意見が一致している。ところがベーコンの場合、近年の一部の著述家は、ケプラー、ガリレオ、デカルトのような他の先駆者と比較して、科学的方法または科学的発見への彼の実際の貢献を低く評価する傾向にある。

しかし、どのような低評価も、同時代の誰にもまして「人間の王国」の預言者であったというベーコンの栄誉を奪うことはできない。ベーコンの精神の中に、いわば混然たる統一としてすでに存在していたさまざまな観点を、細部まで展開するには、何世代もの仕事が必要だった。要するに彼は、「来たるべき事物を夢見る広い世界の予言的な魂」が、ほとんど目に見えるほどその上に宿っていた、稀有な人物の一人である。

近代の数世紀において、この至高の意義をもつ人物は、ベーコンとルソーのほかには、無数の線に沿ってルネサンスへ影響を放射したペトラルカだけである。奇妙なことに、未来の偉大な先駆者であったこの三人は、皆、人格的に弱く、ある点では軽蔑に値する人物だった。通常、この道徳的な弱さは、多かれ少なかれ偶然の問題だと考えられている。ペトラルカ、ベーコン、ルソーが、その長所だけでなく欠点においても近代精神を予告していた、と認めることを、私たちはためらっているように見える。

たとえば、よく知られているように、マコーリーのベーコン論は二部に分かれている。第一部は、ベーコンが人間としてどれほど卑しかったかを示すことにあてられ、第二部は、ベーコン的進歩観の栄光を述べることにあてられている。そしてもちろんマコーリーは、この機会を逃さず、きらびやかな対照句を並べ立てる。

しかし、修辞効果ではなく真理を求める者にとって、ベーコンの道徳的破綻の意味は、それが彼の進歩観と同じ根源から生じたという、まさにその事実にある。彼は自然法則をあまりに従順に追求したため、人間のための法を顧みなくなった。物を支配しようとするうちに、自分自身を支配する力を失ったのである。エマソンの言い方を借りれば、自然主義的気質に征服され、力と成功に過度に魅了された人間が、いかにして「王位を失う」かを示す顕著な例である。

議会委員会によるベーコンの調査と、その調査が暴き出した卓越した能力と小規模な収賄との混合について読むと、すべてが奇妙なほど身近に感じられる。わが国の産業・金融界の指導者をめぐる、恥ずべき暴露をどうしても思い起こさずにはいられない。ベーコンと同じく、これらの人々も「人間のための法」から離れて「王位を失った」。その原因は、卑しい利得欲というより、力と成功への魅惑だった。「結果を出す」ことだけを一面的に急いだため、目の前のさまざまな過剰へ走った。そしてその過剰は、ベーコンの場合と同じく、避けがたいネメシスを行為者の上へ招きつつある。

ベーコンの人生の主流は、純粋に数量的・力学的な基準を立てる科学的実証主義へ向かっている。しかし、これほど豊かで複雑な本性においては、渦や逆流を無視してはならない。多くの点で、ベーコンはなおルネサンスの人文主義者である。たとえば大衆に対する人文主義者らしい軽蔑をもっている。他の点では、伝統的なキリスト教徒である。

マコーリーの論文に見られるような、物質的進歩への浅薄な心酔を、ベーコンに帰するのは公平でない。彼はエマソンのいう「二重意識」を自覚していた。また、物質的進歩は道徳的進歩を保証するどころか、実際には人間の高次の本性を危うくしうることも理解していた。『ノヴム・オルガヌム』の序文でベーコンは、「感覚への道が開かれ、自然の光がいっそう明るく燃え上がることによって、人々の魂に信仰の弱まりと神的神秘への盲目が生じることのないように」と厳粛に祈っている。

それはまるで、自然に対する勝利と目覚ましい能率の代償として、ものを見る力を失った現代人を予見していたかのようである。現代人は、物質的な力の充実によって戴冠される、まさにその瞬間に、精神的にはあまりにしばしば「王位を失って」いる。

ベーコン的人道主義、すなわち科学的研究と発見によって人類全体が進歩するという構想は、教育へ影響を及ぼすまでに時間を要した。それが実際の効力をもつのは、十八世紀のヨーロッパ全体、とりわけルソーとディドロのフランスで感じられるようになった、知識と共感を拡大する運動と結びついてからである。この運動は、近代における第二の大拡張期、個人主義が前方へ進んだ第二の大きな突進と見なすことができる。

私たちはすでにラブレーに、自然と人間本性との隔たりを完全に閉じようとする、選別なき自然主義の要素を見た。サント=ブーヴが述べるように、この十六世紀的自然主義のいくつかの流れは、十七世紀の集中期に地下へ潜り、その後ふたたび地表へ現れて、現代の自然主義をルネサンスの自然主義へつないでいる。しかしディドロの自然主義には、率直さ――粗野さや冷笑性とさえ言えるもの――があり、それはラブレーにさえ、ほとんど見いだせないほどである。

<!-- 原書 pp.42-46 -->

選別の原理は、一方では熱狂と共感を際限なく持ち上げることによって、他方では人間的基準より数量的・力学的基準が優勢になることによって、見えにくくなった。ディドロは、まさしくガルガンチュア的な知識欲をもっていた。しかし人文主義者の目から見れば、それは節度と抑制を欠くため、単なる知識への欲望(libido sciendi)へ頽落している。

知識と共感の充実を求める渇望が、それまでにない明確さで、ベーコン的人道主義と結びつくのはこの時である。人々は、慎重な選別を行う代わりに、普遍的・百科全書的な好奇心を養い、同時にその好奇心を人類の進歩へ奉仕させることになった。この型の学者が抱く完全な野心とは、まず一冊の百科全書を丸ごと吸収し、その後、未来の百科全書へ収録されるに値する知識上の貢献をすることである。

しかし実際には、この理想の二つの部分――広さと徹底性――は両立しないことが明らかになった。いや、むしろこれは、どのような観点も、その反対の観点によって和らげられ、人間性にかなうものとならないかぎり、最後には自分自身の原理を皮肉に裏切る矛盾へ行き着く、その一例ではないだろうか。

知識と共感の充実を、選別と判断の代用品として立てようとする試みは、まっすぐ現代の専門家の狭さへ通じている。たとえば近年の中世研究者に見られる一面性は、ヘルダーやグリム兄弟の壮大な熱狂の中に、すでに萌芽として存在していた。

ギッシングの『渦』の登場人物の一人は、多くの個人について真実であるだけでなく、十九世紀の学問全体を象徴する告白をする。

「私は、だんだん狭くなっている」とハーヴィーは続けた。「以前は途方もない夢を見ていた――六つほどの文明を手の中に収めようと夢見たものだ。東方から帰ると、東洋諸語を学びたくてたまらなくなった。知っているだろう、アラビア語から始めた。それから一つ、また一つと国を捨てていった。……最後には一つの国か、一つの町になるだろう。いや、おそらく一つの建物になる。市場の十字架記念碑の歴史へ一生を捧げてはいけない理由があるだろうか。……徹底性こそすべてだ」

あらゆるものを知り、しかもよく知ることが不可能だと分かったなら、人間は、知るべき事物の巨大で増え続ける集積へ、何らかの人間性にかなった選別原理を適用しようとするはずだ、と考えたくなる。また、その原理を探す際には、個人の洞察を、人類の知恵と経験によって強めようとするはずである。

しかしベーコン主義者は、そのようには考えない。知識の充実は個人には不可能だとして放棄し、一種の擬制によって、人類全体へ移し替える。彼には、人文主義者が全体性へ寄せる情熱、すべての能力を調和のうちに丸く完成させようとする情熱がない。ある特殊な能力または主題を極限まで育てることを許されるなら、この理想的な均整を犠牲にしてもよいと考える。

こうして知識の充実を人類へ引き渡し、一面性に対する人文主義的な恐怖から自分を解放すると、彼は、オランダ・チーズへ穴を掘り続ける昔話の鼠のように、自分の専門へますます深く潜り込んでよいと感じる。人間そのものが、哀れな、均衡を欠いた断片にすぎなくても、その断片が役に立ち、「進歩の神殿」の壁へ組み込めるなら、何の問題があるのか、と彼は論じているように見える。

彼は最高の能率へ達し、その能率によって人類の前進へ貢献できれば満足する。いかにもありがたげな口調で繰り返し語るように、彼の目標のすべては「奉仕のための訓練」と「力のための訓練」なのである。

しかし結局のところ、ベーコン主義者だけなら、人間性にかなった基準を掘り崩す力は比較的弱かっただろう。ルソー主義者による援軍がなければ、これほどの効果は上げられなかった。科学的自然主義者と感傷的自然主義者は、多くの点で鋭く対立しているが、教育観においては奇妙なほど一致することがある。

この一致は、たとえば純粋無比な科学的人道主義者ハーバート・スペンサーの『教育論』を、ルソーの『エミール』と比較すれば明らかになる。実際、スペンサーはルソーから直接借用したと、長く考えられてきた。 しかし、近年ルソーについての本を刊行したスペンサーの私設秘書は、スペンサーが『エミール』を一度も読んだことさえなかったと主張している。

二種類の自然主義者の見解を区別できる範囲で言えば、人文主義の打倒において、ベーコンに見られる科学的進歩の観念は、ルソーに見られる自由の観念によって強力に助けられた。

もっともベーコン自身は、今日なら選択科目制の原理と呼ぶであろうものについて語るとき、科学的人道主義者というより、抜け目のない観察者として発言している。

「親は早いうちに、子供に選ばせようとする職業と進路を決めるべきである。子供が最も柔軟なのはその時だからだ。子供が最も好むものに最もよく適応するだろうと考えて、子供の性向へあまり従いすぎてはならない。もちろん、子供の愛好や適性が並外れているなら、それに逆らわないほうがよい。しかし一般には、次の格言が正しい。最善のものを選べ。習慣がそれを容易で快いものにするだろう(Optimum elige, suave et facile illud faciet consuetudo)」

これは、どこから見てもエリオット学長その人の言葉、というわけではない。それでもエリオット学長は、一般的な気質と進歩観において、立派なベーコン主義者である。ただし彼の場合、ベーコン的な進歩観へ自由の観念が付け加わっている。そのため、フランスの著名な教育論者コンペレ氏が、彼をルソーの弟子だと主張するのも、もっともなのである。

もちろん付け加えるまでもなく、エリオット学長の人格と個人的な品格は、ベーコンにもルソーにも由来しない。それらが何かから受け継がれたものだとすれば、最良のピューリタン的伝統から受け継がれたものである。

<!-- 原書 pp.47-51 -->

しかし、次のような一節で、エリオット学長は純粋なルソー主義者として語っている。

「十分な教育を受けた十八歳の青年なら、自分自身のために、どの大学教授会よりも、また彼本人、その祖先、これまでの人生を知らないどの賢人よりも、優れた学習課程を選ぶことができる。……十八歳の青年は一人ひとりが無限に複雑な組織であり、その複製は現在も存在せず、将来も決して存在しない」

そうだとすれば、人文主義者が信じていたような、個人がそれを基準にして選択すべき一般的規範、すなわち「人間のための法」は存在しないことになる。個人は、ただ自分の気質と、その気質がもつと想定される唯一無二の要求だけを基準に選ばなければならない。あらゆる時代の知恵は、大学二年生の気の向くままに比べれば、無に等しいものとなる。この気の向くままへ加えられるどのような抑制も、不当な拘束であり、耐えがたい暴政とさえされる。

ところが、「十分な教育を受けた十八歳の青年」でさえ、自分自身や自分の適性について抱く見解は、その時々の印象に応じて、こちらからあちらへ移り変わり、方向を変えやすい。このような見解を最重要視する制度は、おそらく「教育的印象主義」と名づけてよいだろう。

人類の一般感覚または常識に比べて、個人の感覚をこれほど不当に持ち上げる態度は、ルソーより以前にはほとんど見られない。しかし先へ進む前に、ルソーと教育史上の位置について語るエリオット学長自身の言葉へ耳を傾けよう。次は、全国教育協会で行われた演説からの引用である。

「バトラー博士は、教育の進歩へ大きく貢献した人物としてルソーを挙げたが、それはまことに正当である。あの男の生涯における主要な仕事は、人間の自由へ向かっており、今も向かい続けている。そしてこの一つの事実が、唾棄すべき悪漢を、ほとんど聖人にしたのである。ルソーが、妻の祈りと涙にもかかわらず、妻とのあいだに生まれた五人の赤ん坊を、一人ずつどうしたかをご存じだろうか。彼は一人残らず、順番に公営の捨て子収容所へ入れた。当時の捨て子施設の状態では、そこへ送ることがほぼ確実な死を意味すると知りながらである。それでも私たちはここに座り、この卑劣で残酷な人物への賛辞を聞いている。同一人物についてのこの二つの判断が、どちらも正しいことを、どう説明すべきだろうか。私たちに言えるのは、彼が知的生涯の主要な仕事を、人間の自由という偉大な教義へ結びつけたということだけである。まことに、自由へ奉仕したという一事は、多くの罪を覆う。あなた方も、すべての仕事において自由と人類へ奉仕し、そのうえで、覆い隠すべき罪を一つももたないように願いたい」

この一節を読むと、マコーリーのベーコン論を読むときといくらか似た、奇妙な心理的異常を感じる。ルソーは「唾棄すべき悪漢」であると同時に、自由の栄光ある使徒だったというのである。しかし、ルソーが唾棄すべき悪漢だったとすれば、それは彼の自由観にもかかわらずではなく、まさにその自由観のためだったことは、きわめて容易に証明できる。ベーコンが道徳的に失敗したのも、進歩観にもかかわらずではなく、その結果だったのと同じである。

一つの哲学体系とは、しばしば、ある人間が自分の最も好む罪を自分自身の目から隠すために組み上げる、巨大な足場にすぎない、と言われてきた。ルソーの体系全体も、ときには、あらゆる形の規律と拘束に対する自分自身の恐怖を正当化するために作られたように見える。

ベーコンは、まるで特にルソーのために書かれたような一句で、ある種の「自己満足的な精神」について語っている。そうした精神は「あらゆる抑制にあまりに敏感であるため、腰帯や靴下留めさえ、束縛と枷だと考えかねない」というのである。

ルソー自身の語を使えば、あらゆる「拘束(gêne)」から逃れようとする熱意のあまり、彼は徳そのものへ手を加えようとする。徳はもはや人格の拒否権、衝動へ当てる轡と手綱であり、それゆえ困難な闘争を課すものではなくなる。ルソーによれば、これらの衝動は善い。したがって人は、ただ自分を解き放てばよい。

孤独の中で聞こえ、自己規律を促す、静かな小さな声に代わって、徳は一種の熱狂となる。大デュマが歴史を小説の品格へ高めたと称したのと同じように、徳は情熱の品格へ高められるのである。ルソーは崇高な口調で言う。「徳のある人間ではなかったとしても、少なくとも私は徳に酔っていた」。

彼が道徳的印象主義者だったのは、知的な柔軟性が過度だったという意味で古代の詭弁家に似ていたからというより、徳を感受性という移り動く流砂の上へ置こうとしたからである。彼にとっては、コールリッジにとってと同じく、何かが義務または責務として現れた瞬間に、それは不可能なものとなった。彼は、個人の感情より上に置かれる行動規範を、いっさい認めようとしない。

同じ趣旨をもつ多数の文章の一つで、ルソーは次のように語っている。

「何ものにも征服できなかった、私の不屈の自由精神。……この自由精神が、誇りよりも怠惰から生じていることは確かである――信じがたいほどの怠惰である。あらゆるものが、その怠惰を脅かす。文明生活のごくわずかな義務さえ、それには耐えがたい。ひと言口にすること、訪問を一つすること、手紙を一通書くことも、義務となった途端、私には苦痛となる。だから普通の人づきあいは嫌悪すべきもので、親密な友情はこれほど愛しい。親密な友情には、もはや何の義務も伴わないからだ。ただ心のままに従えばよい。それと同じ理由で、私は恩恵を受けることをひどく恐れてきた。恩恵を受ければ、必ず感謝が求められる。そして感謝が義務であるという、まさにその理由によって、私は自分が恩知らずな心をもっていると感じる」

この先も同じように示唆的だが、ルソーの自由観と、父親としての義務を引き受けることを拒んだ行為との関係を明らかにするには、ここまでの引用で十分である。

また、この一節から、エリオット学長が、この自由観の片半分だけを採用して教育へ適用したことも明らかである。ルソーと同じく、彼は学生をあらゆる外的拘束から解放しようとする。ルソーと同じく、個人がその規律を受けるべき一般的規範、すなわち「人間のための法」が存在することを否定する。

<!-- 原書 pp.52-56 -->

しかし学生へルソー的自由を完全に与えたうえで、エリオット学長が、その自由をベーコン的精神によって用いることを求めているのは明らかである。学生は、ルソー自身がしたであろうように、解放を利用して「甘美な怠惰」を楽しむのではなく、自分固有の関心と適性に従い、大きな精力をもって働かなければならない。

不幸なことに、わが国の大学生の多くは、この点でエリオット学長より徹底したルソー主義者である。エリオット学長自身は、最も精力的な人物の一人である。そのため、平均的な人間本性にある途方もない慣性力(vis inertiae)を、十分に考慮しなかったのかもしれない。最も理性的な人物だったソクラテスが、非理性の力を過小評価するよう導かれたのと同じである。

十八歳の青年がもつ「無限の多様性」を満足させるため、これほど豊かで費用のかかる選択科目の饗宴を用意したエリオット学長は、ほぼすべての青年が、わずかな大規模講義へ群がることを頑として望む様子に、いくらか失望せざるをえないだろう。 とりわけ彼が失望するはずなのは、多くの学生が選択科目制を利用して、自分固有の関心に沿って精力的に働くのではなく、抵抗の最も少ない道を選び、大学生活をだらだらと過ごしていることである。

ある大衆哲学者は、人は誰でも、許されるだけ怠けると言った。十人のうち九人は、許されるだけ怠ける、と言っていたなら、重大な真理をほぼ言い当てていただろう。

選択科目制はしばしば、人間に生来の堕落性があるという教説への抗議と見なされてきた。しかしこの教説は、せいぜいかなり形而上学的な基礎に立つもので、実際に検証するのは難しい。仏教徒は、その信仰の根底に、人間本性の生来の堕落性ではなく、生来の怠惰という教説を置く点で、私たちが知る事実にいっそう近いのかもしれない。

ルソーも同じ洞察へ到達していた。「人間が本来どれほど怠惰であるかは、想像もつかない。……自己保存の欲求に次ぐ、最初で最も強い情念は、何もしないことである」と彼は言う。 そしてルソーにしばしば呼応するワーズワースも、「生まれながらの人間にとって、これほど愛しい荘厳な怠惰」と語っている。(大学で教えたことのある者なら誰でも、とりわけ生まれながらの大学生にとって愛しい、と付け加えたくなるだろう。)

しかし、仏教徒にとって逃れなければならない原初の呪いであるこの怠惰は、ルソーにとっては、まさに夢のアルカディアである。

もっとも、ここではいくつかの重要な区別を設けなければならない。私たちは皆、ぶらぶらしている大学生と、工科系学校で精力的に学ぶ学生とを比べる、世間好みの不利な比較を聞いたことがある。また、同じ学生が大学では怠けていたのに、法科大学院または医学校へ入った途端、突然見せ始める猛烈な努力とを比べる話も聞いてきた。

しかし仏教徒が問題にする怠惰は、単なる精力的活動によって治せるものではないほど微妙である。大学の教授団には、忙しく走り回るベーコン主義者がいくらでもいる。彼らは当然、「荘厳な怠惰」の魅力へ屈した学生を、手早く片づけようとする。彼らの思いどおりになれば、大学から怠惰は追放されるだろう。しかし同時に、自由学芸的教養という観念全体まで追放される可能性が高い。

ベーコン主義者が理解するのは、力のための訓練、すなわち何らかの実用的または科学的結果を目標とする訓練である。学生は技術教育または専門職教育を受ける際、それが将来の生計と明白に結びついているため、しばしば非常に強い刺激を受ける。(ルソーでさえ、自己保存の本能が怠惰へ勝つことは認めている。)

いつの時代にも、相当数の人々へ、利害を離れた精神的規律への愛を吹き込み、怠けることと余暇との違いを感じさせるのは困難だった。この困難は、選択科目制があらゆる基準を弱め、印象主義を奨励したことによって、途方もなく増大した。

自由学芸的教養の観念を、一方では「人間のための法」を完全に無視するベーコン主義者へ、他方ではその法を自分自身の気質と混同するルソー主義者へ委ねるなら、ほとんど何も生き残りそうにない。

人文主義者の目から見て、人間において重要なのは、世界へ働きかける力ではなく、自分自身へ働きかける力である。それを、人間性にかなった選別原理、言い換えれば真の抑制原理に従って行うなら、これは人間が自分に課しうる最高であると同時に、最も困難な課題となる。

人間は、知識と共感の充実によって以上に、正しい選別によって、自分が本質的に優越する存在であり、単なる自然力以上のものであることを証明する。人間が試されるのは、何をするかだけではない。おそらく同じ程度に、何をすることを控えるかによっても試される。作家が偉大なのは、何を語るかだけでなく、何を語らずにおくかによってでもあるのと同じだ。

現代がどれほど忘れているように見えても、人文主義者は、活力と意志との区別を主張する。人は活力の驚異でありながら、精神的には怠惰でありうる。ナポレオンは、ヨーロッパを征服することで活力を示した。決定的な瞬間に、自分自身の支配欲(libido dominandi)を抑えることができていたなら、意志を示したことになっただろう。

仏教の格言は言う。「一人の者が戦場で、幾万に幾万を重ねた人々を征服し、別の一人が自分自身を征服したなら、後者こそ最大の征服者である」。人間を最も人間性にかなった者とするのは、自分の能力がたとえ主能力であっても、その進行のさなかにこれを制し、自分の情念がたとえ支配的情念であっても、それを反対のものによって和らげられる力である。

<!-- 原書 pp.57-61 -->

ここで少し文学の領域へ寄り道し、マシュー・アーノルドが最も人間性にかなった人物と呼んだ作家、シェイクスピアに対して、自然主義的批評家が取る態度を検討すれば、私たちの意味はいっそう明瞭になるだろう。

私たちの定義によれば、人文主義者は共感と選別とのあいだに正しい均衡を保たなければならない。もちろん、「人情の乳」という、共感を表すあらゆる表現のうち最も見事な一句を作った詩人に、共感の才能があったことを否定する者はいないだろう。

しかし科学的自然主義者と感傷的自然主義者はともに、シェイクスピアには選別と抑制の原理がなかったとすることで、彼を非人間化しようとしてきた。たとえばヴィクトル・ユゴーは、シェイクスピアについての自著――薄く偽装された、自分自身と自分の芸術の弁護論――において、ルソー主義者として、シェイクスピアの天才が純粋に巨人的・元素的なもの、気質が火山のように噴出したものにすぎないと証明しようとする。

ユゴーは言う。「シェイクスピアは、無限の中を翼を自由に広げて飛翔できるよう、神がわざと手綱を十分に締めなかった天才の一人である」。

一方、科学的自然主義者としてのテーヌは、シェイクスピアをルネサンスの純粋な産物と見る。さらにルネサンスそのものを、抑制されない活力の巨大な爆発と考える。シェイクスピア本人と、戯曲の登場人物がもつ暴力性と節度のなさを、ユゴーにほとんど劣らぬほど強調するのである。

ここで思い出されるのは、ハムレットが役者たちへ与える助言である。「情熱が激流となり、嵐となり、いわば旋風となっている、そのまっただ中でも、それを滑らかなものにする節度を身につけ、生み出さなければならない」。一般にシェイクスピアは、自分自身のこの教えを守っている。もっとも、ときにはさらに厳格な選別と抑制があれば、彼の芸術がより優れたものになっただろう、と認めなければならない。

しかし、手綱を断たれた情念の完全な狂乱を見たいなら、シェイクスピアではなく、ヴィクトル・ユゴーのある種の登場人物へ向かうべきである。あるフランスの批評家が述べるように、礼節によって抑える感覚をいっさい伴わず、このようにさらけ出された情念には、人間性にかなった文学の中の居場所などない。むしろ植物園の動物舎へ移されるべきものである。

エマソンとサンタヤーナ教授のように、互いにまったく異なる批評家を含むさまざまな人々が、シェイクスピアには宗教が欠けていると不満を述べてきた。確かに、ホメロス、ソフォクレス、ダンテなど他の大詩人の世界と比べると、シェイクスピアの世界は、一つの秩序ある宇宙というより、ロマン主義的な混沌として印象づけられる。

中世に対するルネサンスの反動の強さは、シェイクスピア作品の中で、神的なものより人間的なものがどこまで優勢になっているかによって測れるかもしれない。しかし、宗教と、宗教が人生へ与える中心的統一の感覚とを十分に認めていないかぎり、シェイクスピアは完全に人間性にかなった存在であることに届かない。

ところが、トルストイがシェイクスピアへ加えた奇妙に激烈な攻撃と、宗教の欠如という古い非難を繰り返したことは、これとは別の問題であり、現在の主題へ直接関係している。根本において、シェイクスピアとトルストイの争いは、人文主義者と人道主義的狂信者との争いである。

自らルソーの弟子であることを公言したトルストイは、 選別の原理を完全に抑圧し、その代わりに共感の原理、人類同胞の宗教を高く掲げようとする。彼がシェイクスピアに許せないのは、その知恵が少数者だけのためにあり、その人生観が全体として選別的・貴族的だということである。

人文主義者は、共感の過剰と選別の過剰、自由の過剰と抑制の過剰を、等しく警戒する。彼が求めるのは、抑制された自由と、共感を備えた選別である。

人文主義者は次のように考える。現代人が、過去の人間のように、明確な教義と規律の軛を引き受けないのなら、少なくとも、日常的な自己より高い何ものかへ、内面的に頭を下げなければならない。それを神と呼ぶか、極東の人間のように高次の自己と呼ぶか、単に「法」と呼ぶかは問題でない。

この内的な抑制原理がなければ、人は、ルソーのように相反する極端のあいだを激しく往復するしかない。ルソーは、自分にとっては「すべてと無とのあいだに中間項がない」と語った。これに対して真の抑制があれば、人は両極を調和させ、そのあいだの空間を占めることができる。

心の制御されない欲望(libido sentiendi)へ、どのような抑制も認めようとしなかったルソーは、そのため宗教的義務の代用品として、同胞への共感を立てるようになった。 そしてこれを、人間の権利と自由の激しい主張と結びつけた。

このように人々へ、義務より権利の感覚を上に置くよう促すとき、ルソーは、そこから生じる際限のない自己主張が、際限のない同胞愛によって十分に相殺されると仮定している。しかし、ルソーが解き放とうとする自己利益の根源的な力に対し、共感の原理だけで本当に勝てるのだろうか。

政治経済学者は答える。適切に啓蒙された自己利益を相手にするなら、共感は勝つ、と。

<!-- 原書 pp.62-66 -->

残念ながら、人道主義者たちが、宗教的抑制に代わる、利他的な共感と「啓蒙された自己利益」との巧妙な混合物を探し求める、この試み全体は、物理的領域で永久機関の秘密を探す試みと、あまりに同じ種類に属している。

宗教的抑制がなければ、個人だけでなく社会全体も、相反する極端のあいだを激しく往復する。現在まさに見られるように、無政府的個人主義からユートピア的集団主義へ移動するのである。人類同胞についての美しい感情が豊かに流れ出しているにもかかわらず、すでに明瞭なのは、帝国主義的な中央集権へ向かう避けがたい漂流である。

フランスの道徳家が言うように、人間は義務の奴隷になるか、力の奴隷になるか、そのどちらかでなければならない。古代の物語では、プロメテウスはゼウスの使者である「暴力」と「権力」に捕らえられ、「人間を愛する行いをやめる」よう強制される。 現代のプロメテウス的個人主義者にも、同じことが起こりそうである。

現在、この問題はいくらか見えにくくなっている。明確な教義と規律をもっていた時代の道徳的習慣は、その教義自体が時代遅れになった後も、しばらく生き残るからである。伝統的信仰を失った後もなぜ自分が徳を守り続けたのかを説明して、ルナンは皮肉にこう言った。「鶏は脳を取り除かれた後もしばらく、地面を引っかく動作を続ける」。しかし伝統的な抑制と禁制は次第に弱まり、社会はその後、残酷な自然主義の完全な衝撃を受けることになる。実際、すでに受け始めている。

私たちが道徳的印象主義へ転落していることは、物理科学の急速な前進によっても隠されている。一方向へ急速に前進しているのだから、あらゆる方向へ前進しているのだ、と私たちは思い込む。しかし歴史上の人間について知っていることからすれば、むしろ正反対を仮定するほうが正当であろう。

進歩説が抽象的にはどのような真理を含むにせよ、平均的なアメリカ人が抱く形の進歩説は、危険な心酔となりそうである。科学が明らかに新しい地上を作り出したのだから、新しい天上も作り出したに違いない、と私たちは論じる。そして電気の法則について明白に無知だった過去が、人間本性についてもっていた知識を軽く見るようになる。その一方で、電気の法則には精通し、人間本性の法則には無知な人々が現にいるという事実が、見えなくなる。

確かに、最も楽観的な者でさえ、道徳的頽廃のいくつかの兆候を見ずにはいられない。しかし私たちは、自動車へ年間七千五百万ドルを費やしており、まもなく実用的な飛行船も手にしそうではないか。この輝かしい成果を前にして、殺人、自殺、精神異常、離婚の増加を、なぜ不安に思う必要があるのか。文明に何らかの深刻な、おそらく致命的な一面性があり、それにふさわしいネメシスを私たちの上へ招いていることを示す、増え続けるあらゆる徴候を、なぜ気にかける必要があるのか。

精神へ忍び込む疑念はすべて、「進歩」という魔法の言葉の響きだけで追い払える。数年前の日曜の夕方、私はニューイングランドの辺鄙な地方で田舎道を歩いていた。ある農家の前を通りかかると、窓越しに、家族が明かりのついたランプの周りへ集まり、一人ひとりが「イエロー・ジャーナリズム」の新聞の一部へ顔を伏せているのが見えた。

それほど昔でない時代なら、このような家庭の日曜の読み物は聖書だったはずだ、と私は考えた。聖書から新聞の漫画付録へ進歩することは、宗教的抑制から、無政府状態と白痴性の混合物へ進歩することに見える。

以上の発言を、反動主義者による近代精神への全面的な告発と受け取ってはならない。正気の人間なら、ルネサンス以後の科学が成し遂げた巨大な成果を低く評価しようとはしない。まして過去二世紀に、共感が大きく活性化し、拡大し、人間社会で権利を奪われた人々だけでなく、動物まで包み込むようになったことを、軽く扱うはずはない。

科学的進歩は多いほどよく、社会的憐れみも多いほどよい。異議を唱えるべきなのは、これらがそれ自体で絶対的かつ万能のものとして立てられる場合だけである。すなわち、ベーコン主義者が人間的基準を数量的・力学的基準へ置き換えようとするとき、またはルソー主義者が社会的憐れみを宗教的抑制の位置へ高め、人間本性というアーチを支える要石そのものにしようとするときである。

どちらの場合にも、「人間のための法」は損なわれる。さらにルソー主義者の場合、かつて世俗的徳と神学的徳と呼ばれていたものが、名づけようのない形で混合される。

ブリューワー判事は近年の演説で、愛の法だけが実業界を支配するなら、刑務所は不要となり、銀行出納係の横領も、個人やトラストによる不当な出し抜きもなくなる、と述べたと伝えられる。これは思考ではなく、人道主義的夢想である。実業界が狼の群れの法以外の法に支配されることがあるとしても、それは愛の法ではなく、十戒、とりわけ「汝、盗むなかれ」という戒めによってであろう。

世俗的な事柄へ愛の法を無制限に適用すれば、愛ではなく、その反対物である憎悪へ行き着く。 無制限な自由についても同じである。

ルソーの自由を称賛するとき、エリオット学長は、実際には無政府主義者の自由を称賛している。それは彼自身が無政府主義者だからではない。自由の利益をあまりに鋭く見たため、抑制の利益を見ることができなかった世代に属しているからである。

しかし現在は、バークのいう「壮大に膨れ上がった自由の感情」へ耽るのに適した時ではないように思われる。エリオット学長は、マルクス・ブルートゥスについてのボシュエの言葉を思い起こさせる。ボシュエによれば、ブルートゥスは、抑制について語るべき時に、自由について語り続けた。しかも自由そのものの利益のために、抑制を語るべきだったのである。ローマでは、自由がすでに過剰へ達し、その反対物である軍事的専制へ転化しようとしていた。

<!-- 原書 pp.67-71 -->

この国でも自由が同じように、切断寸前まで引き伸ばされていること、私たちにも、自由が「胸膜炎のように膨れ上がり、自らの過剰のために死ぬ」危険があることを否定できるのは、教条主義者だけである。

たとえば鉄道の場合、規則へ従うより危険を冒すことを好む末端の従業員から、それぞれ自分なりの仕方で赤信号を通過してきた頂点の社長や金融業者に至るまで、すべての人々に共通する問題は、規律と自己統制の欠如である。

人間性にかなった抑制原理を何より必要としているこの危機において、感傷的人道主義者と科学的人道主義者が両者のあいだから生み出せる最良のものは、「奉仕のための訓練」と「力のための訓練」という計画である。不幸なことに、人は奉仕のために訓練され、力のために訓練されても、博愛的無政府主義者にすぎないことがありうる。

ルソーの影響がドイツに満ちていた時代に書かれたシラーの『群盗』(一七八一年)では、群盗の一人が、首領を自由の使徒としてだけでなく、あふれる共感の持ち主としても称賛する。

「立派な男たちも、このような首領の下で働くことを恥とは思わない。彼は、われわれのように略奪のために人を殺すのではない。金についていえば、十分な金を自由にできるようになると、まるで気にもかけない。正当に自分のものとなる獲物の三分の一を孤児へ与え、あるいはそれを使って、有望な青年を大学で学ばせる」などというのである。

この博愛的盗賊と、現代のある「産業界の船長(キッド船長)」との類似を、わざわざ詳しく説明する必要はほとんどない。最近の新聞では、ある欄にアメリカ一の富豪による慈善事業を読み、同じ号の別の欄に、法令違反を理由としてその人物が訴追された記事を読むことができた。

ロックフェラー氏が奉仕を願う気持ちの誠実さを疑う必要はない。また、彼が力のための訓練に成功したことには、もちろん何の疑問もない。ハリマン氏も、サザン・パシフィック鉄道とユニオン・パシフィック鉄道の経営で驚異的な能率を示し、ある点では同胞を助ける誠実な人物でもある。しかしハリマンのような人物があと数人現れれば、私たちは破滅する。

これらの人物を挙げたからといって、現在彼らへ加えられている攻撃の大部分に、私が同調しているという意味ではない。近年ボストンのある演説者は、ロジャーズ氏とロックフェラー氏は人間ではなく、「人間の姿をした食屍鬼と吸血鬼」だと言った。

これは、まさしくルソー流のやり方である。個人の胸中にある現実の二元性の代わりに、社会の中へ想像上の二元性を立てるのである。現代では、社会における悪の原理を、邪悪な資本家が代表している。昔の革命時代には、邪悪な国王と僧侶が代表していたのと同じである。彼らもまた、他の人類とは異なる種に属すると考えられていた。

事実、ロジャーズ氏とロックフェラー氏は人間であるだけでなく、典型的なアメリカ人である。同時代の無数の実業家が、できることならしたかったことを、彼らは卓越した能力によって実行した。この事実を否定するなら、わが国の成功基準に対して行うべき不安な自己検討が、富に対する半ば社会主義的な十字軍へ変わってしまう。

博愛的無政府主義者は、もちろん博愛的ですらない無政府主義者より、はるかに望ましい。それでも、少なくとも世論の一部は、次のことへぼんやり気づき始めている。抑制されないままの富豪が、金の一部を「有望な青年を大学で学ばせる」ことへ使うより、自分自身の支配欲を抑えた富豪のほうが、はるかに役に立つのである。

必要なのは「奉仕のための訓練」と「力のための訓練」ではなく、「知恵のための訓練」と「人格のための訓練」である。

近年、女子大学の卒業生へ、いくつかの徳の相対的重要性について質問表が送られた。回答者の多数は、人類愛は自己統制より重要な徳だと判断した。大学を出たばかりの若い女性なら、この人間観も許されるかもしれない。しかし、どうやら同じ見解を抱いている現代の世論指導者については、どう考えればよいのか。

まず人は、自分自身へ働きかけられることを示すべきである。他の人々と世界へ働きかけるのは、その後でも十分に間に合う。

自分自身については何も考えず、完全に他人のために生きるべきだと言われたなら、ジョンソン博士とともに次のように答えるべきである。最初に努めるべきことは、精神から空言を追い出すことである。どの時代にも、その時代固有の空言がある。そして現代は博愛の時代なのだから、私たちは精神から博愛の空言を追い出さなければならない。

博愛家が黒人や新聞売りの少年のために何かをしようと熱心に努力することは、それ自体としては結構である。しかし、黒人と新聞売りの少年のためにしたことによって救われようと望む社会は、自分の靴の引き紐をつかんで自分自身を持ち上げようとする社会である。

安全への真の希望は、未来のハリマンやロックフェラーに、自分自身の魂を広く自由なものにさせること、言い換えれば、正しい教育を受けさせることができるかどうかにある。

ロックフェラー氏とハリマン氏が、いくつかの面で示してきたような英雄的能力をもつ人間は、もちろん作られるのではなく、生まれる。しかし一度生まれたなら、善の英雄となるか悪の英雄となるかは、その教育がどこまで人間性にかなったものであるかに、大きく左右される。

ソクラテスが若者を訓練した目的は、彼らを有能にすることではなく、畏敬と抑制を吹き込むことだったと伝えられる。畏敬と抑制を伴わずに有能にすることは、害をなすための手段を、ただいっそう豊富に与えることにすぎない、とソクラテスは言ったのである。

たとえば、ハラルド・ヘフディング『近代哲学史』第2編第5章のベーコン論を参照。

たとえば、オクターヴ・グレアール『教育と教授』第2巻、175頁以下を参照。

W・H・ハドソン『生活と思想におけるルソーと自然主義』206頁、注。

G・コンペレ『ルソーと自然教育』98~99頁。

チャールズ・W・エリオット『教育改革』132~133頁。

Proceedings of the National Educational Association, 1900, p. 199.

ルソー「マルゼルブ氏への手紙」、1762年1月4日。

抵抗の最も少ない道が、いつでも大規模講義を通っている、と主張するつもりはない。大規模講義が選ばれる理由には、ほかにも功利的なもの、印象主義的なもの、あるいは単に群集的なもの――「ほかの連中」がしていることをしたいという欲求――がある。また、ときには、人文主義的な理由によって選ばれる。標準的な主題を扱い、優れた方法で実施される講義だからである。

ブッダによれば、最大の悪徳は、気質の衝動へ怠惰に屈すること(pamāda)である。最大の徳(appamāda)はその反対であり、感覚の惰眠と無気力から目覚め、能動的な意志を絶えず働かせることである。死を迎えたブッダが弟子たちへ残した最後の言葉は、この徳を絶え間なく実践せよという勧告だった――appamādena sampādetha

ルソー『言語起源論』第9章、注。

1905年3月20日付書簡、『ジャン=ジャック・ルソー協会年報』第1巻、7頁参照。「ルソーは、私が十五歳の時から私の師であった」など。

もちろん、共感についての哲学理論は、ルソーとは別に、近代における重要な歴史をもつ。ベーコンはすでに、博愛を他のあらゆる徳より高く置く傾向を示している。ハチソン、シャフツベリのようなイギリスの思想家は、共感についてのルソーの観念だけでなく、彼の道徳的唯美主義全体をも、重要な点で先取りしている。ヒュームや政治経済学者たち――アダム・スミスなど――が共感へ与えた役割は、ルソーより、これらの思想家と結びつけるべきである。憐れみを道徳の第一位へ高めることは、しばしばショーペンハウアーと関連づけられる。しかしショーペンハウアー自身は、この倫理上の革新こそルソーの偉大な栄光であると述べている。『道徳の基礎についての懸賞論文』、著作集第4巻第2部、246頁、第2版参照。

アイスキュロス『縛られたプロメテウス』第1場。

近年シュトゥットガルトで人類同胞の名のもとに開催された国際社会主義者大会は、新聞で「罵倒の大混乱」と描写された。

ここで要約した箇所は、クセノポン『ソクラテスの思い出』第4巻第3章にある。

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第3章 大学と民主主義精神

<!-- 原書 pp.72-77 -->

人文主義者についての実用的な定義を得るとともに、人道主義者の二つの主要類型を定義したいま、私たちは、それらがカレッジとどのような関係にあるかを考えなければならない。選択科目制は、感傷的人道主義者が純粋で無制限な自由を打ち立て、選択を全面的に個人へ委ねようとする願望に動かされているかぎり、明らかにカレッジの基礎原理を否定するものである。

一七九〇年、バークは、当時、純粋で無制限な政治的自由を打ち立てようとしていたフランスのルソー主義者について、次のように書いた。

「政府を作るのに、大した思慮はいらない。……自由を与えるのは、さらに容易である。……しかし自由な政府を形づくること、すなわち自由と抑制という相反する要素を、一つの整合した仕組みの中で調和させることには、多くの思考、深い省察、明敏で力強く、諸要素を結合する精神が必要である」

これは真に人間性にかなった言葉であり、政治の問題に劣らず、教育の問題にも当てはまる。中世の教育者がそうしがちだったように、純粋な抑制だけを打ち立てるのは容易である。現代の急進主義者がそうしがちなように、純粋な自由だけを打ち立てるのも同じく容易である。しかし教育において自由を抑制によって節度あるものにするには、「明敏で力強く、諸要素を結合する精神」が必要となる。

無制限の自由を確立しようとする試みは、カレッジの土台を突き崩すだけでなく、いくつかの点では、常識に対する露骨な侮辱でもある。アングロサクソン人は、一般理念を嘆かわしいほど欠くことが多いとはいえ、常識には強い。そのため、選択科目原理の行き過ぎに対する反動は、すでに始まっている。

たとえば、一八八〇年代から九〇年代にハーバード大学を支配したような教育上の自由放任主義は、明らかに終わりへ向かっている。ハーバード大学の新しい優等学位制度は、純粋な自由選択制を離れ、多くのアメリカの教育機関で支持されてきた科目群制度へ向かう、重要な一歩である。科目群制度そのものは、個人の好みと一般的基準との公正な妥協に見える。しかし、それが早すぎる専門分化へ至らないためには、学問上の理想を「ドイツ製」にしている人々ではなく、アメリカのカレッジの目的に共感する人々によって運用されなければならない。

自由を人間性にかなったものとするには、単なる猛烈な努力ではなく、真の抑制によって節度を与えなければならない。ここでも、活力と意志との区別を、もう一度主張しなければならない。

真の抑制原理は、自分自身の気質や適性だけでなく、より一般的な人間の法へ絶えず照らし合わせることを必要とする。それは、自分の考えを表現しようとするだけでなく、その考えを、エマソンのいう「人間の恒常的な精神」と何らかの形で一致させようとすることを意味する。

カレッジにおける人道主義の勝利は、この人間性にかなった抑制と選別を弱め、その埋め合わせとして、一方では共感の原理を、他方では「事物のための法」における科学的方法または規律を持ち上げた。質という観念、すなわち人間的卓越性についての高く客観的な基準は、ルソー主義者の印象主義によっても、量と力で表せないものを顧みないベーコン主義者によっても、等しく損なわれてきた。

かつてのカレッジは、社会的エリートを形成するため、学科を慎重に選び抜いた機関と定義できたかもしれない。現在の傾向に従って定義するなら、あらゆる人へ、あらゆるものを少しずつ与える機関となるだろう。

まさにこれが、私たちが民主主義精神の勝利として称賛しているもの――学生の民主制が求めるものへ応じる、学科の民主制である。「民主主義精神」は、詭弁家と演説家を喜ばせ、真剣な思索者を絶望させる、あの大衆的な決まり文句の一つにすぎない。

もちろんカレッジは、家柄と身分によるあらゆる区別を取り除くという意味では、民主的でなければならない。サッカレーが大学の俗物についての諸章で列挙したような人物の、アメリカ版を求めているのではない。

俗物とは、物事を評価するとき、その真実で内在的な価値から目をそらし、富、権力、地位という外面的な優位に目をくらまされる人間と定義できる。もちろん、そのような優位をもつ者の足もとへ這いつくばる俗物もいれば、それをもつ本人が、自分より恵まれていない人々を見下す俗物になることもある。

東部のいくつかのカレッジには家柄による俗物根性が存在するが、危険な程度ではない。豪華すぎる学生寮やクラブハウスの一部は、金を浪費的かつ愚かに使っていることを示している。それでも全体として見れば、私たちのカレッジは、富による俗物根性からも比較的自由である。

このことは、国全体で富への俗物根性がどれほど横行しているかを考えると、いっそう喜ばしい。イエロー・ジャーナリズムの新聞は、富裕層への攻撃の仕方そのものによって、読者のうちにある激しい俗物根性へ迎合していることを示している。

また、私たちのカレッジには、誰にでも機会を与えようとする称賛すべき願いがある。実際、教授団のうち人道主義的な人々は、生まれだけでなく能力によっても本来属している水準より、若者を高く引き上げようとして、自分たちの力を浪費する用意さえある。

しかし、イェール大学の学生四十人が路面電車の運転士や車掌として学費を稼ぎ、さらに四十人が夏季ホテルの給仕やベルボーイとして働いている、と新聞で読んだからといって、私たちのカレッジには俗物根性がないと考えてはならない。

学生のあいだで現実に支配している俗物根性は、家柄や富の崇拝からではなく、彼らになじみ深い特別な形の力、すなわち運動競技上の力量を崇拝することから生じている。運動上の成果と知的成果を比べて評価するとき、平均的なアメリカの大学生は疑いなく俗物であり、新聞と一般大衆が、その俗物根性を助長している。

学位さえ取れなかったが運動選手として目立っていた若者を教師に採用した予備校の校長は、きわめて不快な種類の俗物である。少なくとも、かつて試験という手続きさえ踏まず、貴族へ学位を授けていたオックスフォードの教授たちに劣らず不快である。

実際、アメリカ人は運動選手を甘やかすことによって、イギリス人が貴族へへつらうことによって被ったよりも深刻な損害を、人間性にかなった基準において被ってきた。オックスフォードの学生には、なお、アマチュアのもつスプレッツァトゥーラ、すなわち超然とした余裕がいくらか残っている。彼は運動競技を、一人の人間、一人の紳士を形づくる全体のうち、一つの、しかもやや従属的な要素と見る。

これに対してアメリカの学生は、運動競技それ自体を目的として追求し、まったくベーコン主義者らしく、成功のきらめきへ屈服する。どのような代価を払っても勝とうとする熱意のうちに、彼はすでにフットボール場で、後に実業界へ持ち込む精神を示している。

精神に属するものへ敬意を表するために集まったはずのカレッジという共同体が、実際には、成功した運動選手の足もとへひれ伏している。これは民主主義精神についてどれほど美しい感想を並べても隠せない皮肉である。

現代生活のある種の虚弱化させる影響を相殺するため、運動による訓練が必要だという主張には、十分な理由がある。しかし人間性にかなった基準が抑制として立ち会わなければ、女性的な柔弱さと野蛮さとのあいだを往復しながら、本当の男らしさを同時に取り逃がすことになる。

<!-- 原書 pp.78-82 -->

カレッジに必要な民主主義精神とは、競争の条件を公平にし、誰にも特別扱いをしないことである。そのうえで、要求する基準は、厳格で選別的であればあるほどよい。

しかし民主主義精神について語る人々の大半が、明らかに別のものを意味している。カレッジの規律へ少しでもかかわった者なら誰でも、共感と判断との微妙な均衡を失い、一人の個人へ外見上の困難を負わせるくらいなら、教育機関の基準を引き下げようとする、感傷的人道主義者の類型を知っている。

一般に人道主義者は、カレッジを、少数者を徹底的に鍛えるための手段というより、多数者を向上させるための手段と見る傾向がある。要するに彼の目的は、深さではなく広がりにある。学士号そのものを安っぽいものにする差し迫った危険があっても、より多くの人々へ学士号を届かせる制度なら、彼はいつでも支持しやすい。

ルソー主義者は、社会的な憐れみを持ち上げることによって、ベーコン主義者とは異なる道を通りながら、同じ終点へ向かう。ベーコン主義者が、人間的な意味での成長を、単なる巨大化や拡張と混同するときに到達する終点である。

人道主義的な気質と人文主義的な気質との興味深い対照は、この国で作られつつある三年制学位と、オックスフォードで実際に存在している三年制学位とに現れている。オックスフォードでは、能力の劣る学生は三年目の終わりに普通学位を取って去ることを許される。より有能な学生はもう一年残り、優等学位のために集中的に学ぶ。

この国では、優秀な学生のほうが三年の終わりに去るよう促され、残った能力の劣る学生や怠惰な学生を、人道主義的な教授団が懸命に世話する。それは、大衆という塊へパン種を行き渡らせ、社会の平均を引き上げるという、その壮大な構想に従ってのことである。

この段階になると、科学的人道主義者もたいてい加わり、機械的な等価換算の制度を提案する。たとえば四年間に十五科目で二流の成績を収めた学生を、三年間に十二科目で一流の成績を収めた学生と、学問上同等と見なそうというのである。

人間についていう質を、科学上の量的な測定と、これほど露骨に混同した例は、ほとんど想像できない。この種の制度が価値をもつのは、人間の精神を電流と同じ方法で測定し、試験できることが証明された時であろう。

ある意味で、カレッジの目的は民主主義精神を奨励することではなく、むしろ純粋民主制へ向かう流れを抑えることにある。私たちの人文主義の定義に少しでも価値があるなら、必要なのは民主制だけでも、混じり気のない貴族制だけでもない。両者を結合した、貴族的で選別的な民主制である。

初等・中等学校では、人道主義的な見方へ大きな場所を与えるべきである。さらに総合大学は、その名称そのものが百科全書的な充実を意味している。ドライデンの言葉を借り、「ここには神の豊かさがある」と言えるようでなければならない。総合大学は、人文主義者が自らの専門分野を完成させるための十分な機会を与えるべきである。しかし総合大学の第一の目的は、選別原理を維持することではない。

これに対してカレッジの役割は、質という観念を主張することにある。世界全体が普遍的な印象主義に脅かされている現在、カレッジは、人間性にかなった基準をいっそう固く守らなければならない。

アテネは、選別的民主制の最良の実例である。そこで立てられた質の基準は、いくつかの分野では今もなお越えられていない。しかしアテネでは、質的な達成を支える量と人数の基盤が、おそらく十分に広くなかった。

それでは、私たちのアメリカ民主制については、何と言えばよいだろうか。外国人の評価には、ときに拡大鏡を通したような形で、私たちの欠点が映し出される。ヨーロッパ諸語で「アメリカ化する」という動詞が、安っぽく派手な機械的方法を採用することを意味するという事実から、私たちは警告を受けるべきである。

ピッツバーグの百万長者たちは、量的な生活を送り、それを道徳的印象主義と結びつける民主制から、何が予想されるかを先取りして見せている。私たちは巨大さについて、既知のあらゆる記録を破ることは確実らしい。しかしこの巨大さが質によって節度を与えられなければ、蓄積した富と力のただなかで、締まりなく手足を広げ、無力に横たわることになる。よくても、意味のない反復へ到達するだけである。

私たちの富豪の多くは、メキシコの農民より、ほとんど高い水準にいない。その農民は、鉱山によって突然巨額の財産を手に入れ、妻がピアノを欲しがっていたことを思い出すと、千の部屋をもつ城を妻のために建て、一部屋ごとにピアノを一台置いたという。

民主主義精神には、もう一つの側面がある。選択科目制がカレッジのうちに育ててきた、学科の民主制へ向かう傾向である。そしてこれは、より高い民主主義の名において反駁できる。

旧来の課程で行われた学科の選択が完全に恣意的であり、ある学科が他の学科より尊重されたのも迷信にすぎなかった、と仮定してみよう。その場合でさえ、この制度を支持する理由は、なお大いに存在する。エマソンによれば、迷信という腰帯を備えるために、どれほどの道徳的活力が必要なのか、誰にも分からない。

しかし、この選択は恣意的でも迷信的でもなかった。かなり長い期間にわたり、多数の人々が、どの学科を実際に有益で人格形成に役立つものと見いだしたかについて、その熟成した経験を体現していたのである。

人間性にかなった選択へ到達するとき、個人は、時間が行ってきた選択によって強力な助けを受ける。たとえば文学作品については、エマソンが述べるように、わずか十年の終わりでさえ、途方もない選別がすでに行われている。

ギリシア・ラテンの古典のような書物が、それを書いた言語が死語になった後も、何世紀にもわたって生き残ってきたなら、死んでいるのはその書物ではなく、むしろ非常に生き生きとしていると推定すべきである。それらは他の大部分の書物に比べ、移ろいやすいものとの結びつきが弱く、人間本性の恒久的なものとの結びつきが強いのである。

数えきれないほどの試みを経て、世界は、本質的なものをそれほど本質的でないものから徐々にふるい分け、こうして判断の基準を少しずつ築き上げてきた。ルソー主義者は、個人のうちにあるにせよ、人々の集団のうちにあるにせよ、この恒久的な判断の要素を、その瞬間の衝動へ従属させようとする。

長い目で見れば、人民全体の良識が勝利する傾向にある――リンカーンによれば、これが真の民主主義である。 これに対して、ある一瞬における多数者の意志が最高でなければならないとするのが、ルソーの偽りの民主主義である。

<!-- 原書 pp.83-87 -->

民主主義を、冷静な再考による選別的民主主義と理解し、一時的な印象に支配される民主主義と理解しないなら、私たちは民主主義精神を安心して信頼できる。

私たちのカレッジと予備校はともに、この民主的な方法で選ばれた比較的少数の標準科目へ集中する必要がある。つまり、かなり長い期間にわたる、多数の人々の判断を記録し、その経験を体現するように選ばれた科目である。

新しい科目や、まだ試されていない流行なら何にでも飛びつく人々は、教育上の民主主義者ではなく、教育上の印象主義者である。この印象主義の結果、私たちのカレッジと予備校は、価値を認められた少数の学科を徹底して学ぶ代わりに、プラトンによれば若者の訓練にとりわけ有害な、「百科全書的な浅学と雑多な実験」へ陥りつつある。

科学者が関心をもつのは、どうやら自然選択だけである。印象主義者は、選択を完全に個人のものにしようとする。しかしカレッジで不可欠なのは、人間性にかなった選択である。言い換えれば、人類がその本質的な性質にとって恒久的に重要だと見いだしてきた事柄について、人類の総体的な経験を、ある程度まで反映するような学科の選択である。

どの学科が人間性にかなったものかを見きわめるうえで、常識は助けとなる。この国には、これらの論考で私たちが試みている一般化へは、ほとんど関心をもたない人々が多くいる。しかし彼らは、自分自身の場合に大学教育の恩恵を感じており、カレッジには、精神全体を自由で広いものにするため、少数の標準科目を教えるという伝統的な仕事を続けてもらいたいと、ほとんど本能的に思っている。また彼らは、幾世代にもわたってふるいにかけられた経験を捨て、自分たちの教育上の特効薬を試そうとする、人道主義的な熱狂者を、ほとんど本能的に信用していない。

しかし常識は多くのことを成し遂げても、すべてを成し遂げるわけではない。イギリスでは、人文主義がトーリー的伝統の一部としてだけでも生き残れるかもしれない。バジョットによればイギリス人最大の長所である、あの幸福な愚鈍さによって、あるいはバークがより丁寧にいう、イギリス人の「偏見の知恵への不屈の固執」によってである。

しかし、人文主義が、この純粋に伝統的な仕方だけで、イギリスにおいてさえ長く生き残れるかどうかは疑わしい。アメリカでは確実に生き残れない。急進主義者は、理念を用いて人文主義的伝統を攻撃してきた。人文主義者は相手と同じ土俵に立ち、自分のうちにある信念について、明確に説明しなければならない。そうすればおそらく、その一般論には直接関心をもたない多くの人々がもつ、本能的な良識を、貴重な援軍とすることができるだろう。

近年のドイツの教育論者のうち、おそらく最も著名なフリードリヒ・パウルゼンは、十六世紀のドイツには、予備校とも総合大学ともはっきり異なるものとして、カレッジの萌芽があったと述べている。そして、その萌芽が、イギリスやアメリカのカレッジに似たものへ発展しなかったことを惜しんでいる。

全体としてこれほど見事に機能し、啓蒙されたドイツ人からさえ羨望されるに至った制度を犠牲にする前に、私たちは二度考えるべきである。まして、現在そうする危険があるように、知的な混乱と人道主義的な空疎な美辞との混合物へ、それを犠牲にする前には、なおさらである。

過去三十年間の教育拡張という偉大な運動を、軽く扱うつもりはない。エリオット学長は、その立派な指導者であり、程度は小さいがギルマン学長もそうであった。しかし人間本性は一面的になりやすい。この運動は、アメリカに総合大学を作り出すためには必要だったが、いまやカレッジそのものの存在を脅かしている。

私たちのカレッジの長たちは、エリオット学長に対する正当な敬意によって、次の事実を見失ってはならない。彼らが養わなければならないのは、拡張の徳だけではなく、それ以上に集中の徳である。カレッジが今後も生き続け、総合大学と予備校のうちへ消滅しないためには、それを導く精神は、人間性にかなった基準の維持でなければならない。もちろん、その精神が去った後も、空虚な殻だけはしばらく生き残るかもしれない。

要するにカレッジが独自の目的を少しでももつとすれば、その目的は、量の時代に、質を備えた人間を生み出すことでなければならない。

それなら、民主主義はなぜ無制限に選択してはならないのか、と問われるかもしれない。答えは、民主主義の判断を拘束すべきではないが、その印象は拘束すべきだ、ということである。この国の三つの制度――上院、憲法、連邦最高裁判所――は、とりわけ、民主主義のより恒久的な判断と経験を体現すると同時に、大衆の一時的衝動に対する防壁となるよう意図されていた。これらの制度への攻撃は、たいてい最も露骨なルソー主義に鼓舞されている。

プラトン『法律』819A。ニューアーク・アカデミーのウィルソン・ファランド氏による論文と演説から判断するかぎり、予備校教師たちはすでに、大学入学要件において、「百科全書的な浅学」を減らし、いっそう集中する必要を感じ始めている。

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第4章 文学と大学

<!-- 原書 pp.88-92 -->

ハーバート・スペンサーが『教育論』において、科学が芸術と文学に勝利する日は近いと宣言したとき、その言葉には真の予言めいたところがあった。彼によれば、科学は最高の地位を占めることになり、もはや「高慢な姉妹たちが世界の目の前でけばけばしい飾りをひけらかせるよう、後景へ押し込められてきた家事使用人」ではなくなるはずだった。実際、形勢はあまりにも完全に逆転し、芸術と文学は「高慢」でなくなっただけでなく、しばしば科学の慎ましい侍女になることで満足してきた。芸術的想像力が科学のお仕着せを身につけたがる、この熱意から、私たちはすでに「実験小説」を得ている。少し前には、ハーバード大学の卒業式で演説した人物が、やがて「人間的」であることが少なく、いっそう「生物学的」な詩をもつようになると約束した。未来の生物学的詩人たちを待つあいだにも、最近刊行された詩の研究書が『実験室的方法』と題されていることを信じるなら、少なくとも過去の詩人を科学的に取り扱うことはできる。別の著者は、伝統的な詩論へ軽蔑を浴びせたのち、自分自身の公式を提出し、次のように教えてくれる。

Poem = x + HI + VF

現代の私たちの多くは、フランスのある自然科学者とともに、幸福がどこかに存在するなら、るつぼの底で見つかるはずだと確信しているように見える。ルナンは晩年、自分が物理科学ではなく、キリスト教史のような実りの乏しい主題へ生涯を費やしたことを悔やんだ。人類にふさわしい研究対象は、人間ではなく化学だというわけである。あるいは現代の態度をより正確に定義するなら、物理学と化学の方法によって人間を研究しようとする試みだと言うべきかもしれない。私たちは実験室社会学を発明し、統計の悪夢の中で暮らしている。言語が私たちの関心を引くのは、それが表現する絶対的な人間的価値のためではなく、ただ、それが事実の集積であり、自然と関係づけられるかぎりにおいてである。この硬直した字義主義が侵入するにつれて、人文学そのものが人間性を失ってしまった。ある古典学者の優秀さを示す決定的な証拠として、その人物のカード目録には二万件の参照項目がある、と聞かされたことさえある。

ルネサンスの人文主義は、禁欲主義者の行き過ぎに対する抗議だった。いまや科学は、中世の神学にいくらか似た形で、すべてを支配するものになろうとしている。したがって、自分の諸能力の人間性にかなった均衡を保とうとする者は、分析者の行き過ぎに対して、同じような抗議を発しなければならない。その分析者においては、「事実への字義どおりの服従が、人間を真に人間たらしめる光の火花をことごとく消し去ってしまった」のである。プラトンの対話篇を、文献学的な議論を掛けるための釘としてしか用いないことは、中世にオウィディウスの『恋愛術』をキリスト教的生の寓意へ作り替えたことと、実際ほとんど同じほど不合理である。中世的な極端において、人間精神は超自然的なものを夢見ながら、外的自然から完全に隔絶しようとした。いまや精神は反対側の極端へ向かい、自分を現象界と完全に同一化しようとしている。人間を自然へ同化する、この科学的実証主義の拡大は、教育においてとりわけ著しい結果を生んだ。わが国の高等教育機関の一部は、ある著名な学者が総合大学の理想と考えたもの、すなわち「巨大な科学工場」になろうとしている。旧世代の人文主義者で、まれに生き残っている人々は、奇妙な孤独と孤立を感じているに違いない。

おそらく、十九世紀的自然主義へ反動を起こすよりも、それを定義し、完成させ、とりわけ適切な限界の内側へとどめるべき時が来ている。自然崇拝は、科学的な形においてだけでなく、感傷的な形においても、あまりに遠くまで押し進められる危険がある。自然の科学的分析からハーバート・スペンサーが約束する利益と恩恵に匹敵するのは、自然との感傷的な交わりからワーズワースが約束する利益と恩恵だけである。

春の森から受ける一つの衝動は、
人間について、
道徳上の悪と善について、
あらゆる賢者より多くを教えてくれることがある。

自然への感傷的崇拝と科学的崇拝は、いくつかの点ではどれほど遠く隔たっていても、現在の主題、すなわちカレッジ教育への影響という関係から見ると、多くのものを共有している。前者は幼稚園からカレッジへ向かって上昇し、後者は大学院から下降してきて、その両者のあいだで、人文主義的基準をほとんど何も残さないように見える。この二つの傾向が実際に出会うと、ときに奇妙な結果が生じる。私はかつて、「楽な」科目を探していた学部学生の一団が、古代エジプト語のある科目を履修すべきかどうか相談しているのを耳にした。ワーズワースとハーバート・スペンサーの誇張は、伝統と因襲の反対方向の行き過ぎを克服するうえで、役に立ったのかもしれない。しかし現在では、自然崇拝そのものが一種の空疎な決まり文句へ堕しつつある。明晰な思考を愛する者は、女神ナトゥラの信奉者たちがあまりにも滑らかに口にするようになった、多くの表現をそのまま通すことはできない。たとえば「自然への服従」や「自然な方法」といった表現である。「自然」という語は、人間の世界と現象の世界の両方を覆っているため、ギリシア哲学の黎明から現在まで、ほとんど絶えず知的混乱の源となってきた。フランス文学から一例を借りれば、ラ・フォンテーヌが動物を人間化するのも、ゾラが人間を獣化するのも、等しく「自然」の名においてである。ルナンはこの語の二重の意味を弄ぶことによって、ほんの数年前、「自然は貞節など気にかけない」という有名な断言へ到達した。

<!-- 原書 pp.93-97 -->

新教育のいたるところに影響を及ぼしているルソーが、自然と人間本性を区別できないことにおいて何より際立っていたのは、不安を覚えさせる事実である。彼と同じように「自然の善性」を信頼し、そのため個人の理想的な必要を、その個人の気質上の傾向と同一視しがちな人々は、すべて彼の弟子に数えられる。彼らは本能と特異な個性を持ち上げ、気質の多様性を満足させようとして、選択の原理をほとんど保育室まで押し下げ、可能なら一人ひとりのために別個の教育制度を考案しようとする。私たちは特権的な時代に生きている。ダン博士が歌ったように、あらゆる人間だけでなく、あらゆる子供までが、

自分こそ不死鳥となるべき者だと思い、
自分と同じ種類のものは、
自分以外に一人もいないと思っている。

わが国の教育者は、生来の適性を妨げまいと心を砕くあまり、個人が自分自身の気質だけを純系培養することを奨励している。それは幼稚園に始まり、選択科目制によってカレッジまで運び上げられ、専門分野において最後の聖別を受ける。私たちは誰もが、自分自身の考えに満ちあふれ、自分が傾いている方向へそのまま倒れるよう勧められている。旧教育の害悪だった権威と規定の衒学から逃れたあげく、個人主義の衒学へ落ち込んだだけなのだろうか。人類は馬に乗った酔っぱらいの農夫のようなもので、一方から支えれば反対側へずり落ちるというルターの比喩に、つい同意したくなることがある。

現在望ましいのは、旧来の理想へ向かうトーリー的反動というより、反対方向の行き過ぎから私たちを救う節度の感覚であろう。バークの表現を借りれば、「個人性という塵と粉へ」完全に「分解」されることから救う感覚である。規律と共通理想の必要は、個人の能力を自由に働かせたいという欲求に劣らず、人間本性の中へ組み込まれている。旧課程は、あらゆる欠点にもかかわらず、この必要をいくらか満たしていた。ハーバード大学のブリッグズ学部長によれば、新教育では規律はしばしば運動競技へ任されている。そして運動競技は、仲間意識と交わりへの必要も、ある程度満たしている。同じカレッジの構成員が、異なる選択科目によって知的関心をばらばらにされていても、少なくとも大学対抗フットボールの試合では心を通わせられる。

しかし、これほど原始的でない形の交わりにも、居場所があるべきである。現代世界で物質的な結合を促す多くの力そのものが、同時に精神的な孤立を促すように見えるからである。この点でも他の点でも、私たちは中世ヨーロッパから最も遠い位置にいる。中世の人々は、時間と空間においてほとんど乗り越えがたい障害によって隔てられていたが、共通の基準によって固く結ばれていた。人生のより深い事柄になると、現代のカレッジ教授団は、エマソン風に言えば、「無限に反発し合う粒子」の集まりのように見えることがある。人々がかつてカレッジで同じ本を読んだという事実だけでも、決して小さくない仲間意識の絆だった。ホラティウスについて同じ授業を受けた二人は、少なくとも共通の記憶と引喩の蓄えをもっている。これに対して、一人がホラティウスではなくイプセンの授業を選択すれば、二人の記憶が異なるだけではない。それぞれが著者の精神に触れたかぎり、理想までも異なることになる。教育がこれほど遠心的になることを無条件の利益と考えたり、人々を集めるため増殖し続ける外面的・機械的な仕組みが、この深い相互理解の代わりになると考えたりできるのは、徹底した急進主義者だけである。

感傷的自然主義者は、イプセンのほうが「興味深い」という理由だけで、ホラティウスではなくイプセンを選ぶ権利を主張するだろう。こうして彼は、個人の趣味や好みとは独立に、その内在的な質によって、ある学科が他の学科より人間性にかなっていることを否定し、自由学芸的教養という観念を曖昧にする。科学的自然主義者も、数量的な試験だけを適用し、あらゆるものを力の単位へ翻訳する傾向によって、同じ結果へ到達する。エリオット学長は、文学士号と理学士号のあいだにあった旧来の区別は、「薄れつつあり、やがて完全に消滅するかもしれない。両方の学位を目指す者の目的は、根本において同じ、すなわち力のための訓練だからである」と、意味深く述べている。わが国のカレッジは現在、三年制の構想に大いに気を取られている。しかし学位そのものの基礎が、質的なものから量的・力学的なものへ変わることに比べれば、これは何と小さな問題だろう。

教育上の急進主義者の一部が思いどおりにすれば、文学士(A.B.)号は、ボイラー製造からブルガリア語までを含みうる選択科目の一覧に対し、ある人物が一定単位の知的エネルギーを支出したことだけを意味するようになる。学位は、その人物の知的電流の量と強さ、および克服した抵抗を測るためのものとなり、要するに知的なボルト、アンペア、オームの問題となる。ここでも必要なのは、固定した学科の階級制ではない。すべての学科は自由かつ平等であり、権利上そうあるべきだと断言する民主主義的な不条理という、反対側の極端から私たちを救う節度の感覚である。学科の順位を最終的に決めるのは、その学科が必要とする知的フート・ポンドの数ではなく、人間からどれほど近いか、あるいは遠いかである。人間存在の境界は、物理的自然の境界と決して一致しない。

人間は、自然がもつすべてをもち、なおそれ以上をもつ。
そして、その「以上」のうちにこそ、善へのあらゆる希望がある。

<!-- 原書 pp.98-102 -->

未来にはおそらく、学科を人間性にかなっている度合いによって分類する仕方が生まれるだろう。しかし、この人間性にかなった復興がどれほど望ましくても、何か真新しい教育改革を提案し、機械的に実現できると期待してはならない。それは、この時代最大の誤りへ陥り、人間は機械より偉大であるという教えを出発点とする代わりに、手段と装置によって精神を作り出そうとすることになるからである。人間性にかなった精神への希望は、百万長者の気前のよさではなく、一人ひとりがより深く、より真剣に省察することにある。エマソンの「アメリカの学者」講演は、純粋な直観に基礎を置く人文主義を訴えたものである。エマソンの構想にある唯一の難点は、彼がその学者に天才、それもまれな種類の天才を前提としていることである。

他方、オックスフォードやイギリスの諸大学に見られるような、純粋に伝統的な人文主義は、大きな強みをもつ一方で、明白な弱点ももっている。おそらく最大の弱点は、少なくとも皮相な観察者の目には、実質的価値を因襲的価値のために忘れ、人間を作ることを紳士を作ることのために忘れているように見えることである。ハーバート・スペンサーは、このイギリス式教育について次のように書いている。「オリノコ川流域のインディアンが小屋を出る前に身体へ彩色を施すように、少年にラテン語とギリシア語の訓練を課すのも、それら自体に価値があるからではなく、『紳士の教育』を身につけさせるためである」。確実に言えるのは、人間性にかなった理想が将来ふたたび現れるなら、物事の性質上、それは以前より個人の洞察に多く依存し、伝統に依存するところが少なくならなければならない、ということだけである。

私たちの時代に見られた伝統的権威の弱体化は、ペリクレス時代のギリシアで起きたことと、いくらか似ている。類似を押し広げすぎずに言えば、私たちは同じ二者択一に直面しているのかもしれない。すなわち、最初の人文主義者とも呼ばれてきたソクラテスの真の個人主義へ到達するか、それともソフィストたちの知的・道徳的印象主義へ転落するかである。この印象主義の不快な徴候は、すでにわが国の演劇と新聞、文芸批評、哲学、大衆小説に現れている。しかし最大の危険は、教育上の印象主義である。

文学士(A.B.)号の単なる形式は、その人間性にかなった志を注意深く保つなら、いくら変更してもかまわない。しかし思考の明晰さを欠くため、私たちは、一方の大学院、他方の予備校と区別されるカレッジの真の役割を忘れそうになっている。カレッジが軽視される一因には、ドイツの影響もある。わが国の教育理論家の一部は、カレッジ課程の後半を大学院と結合し、最初の一年か二年を予備校へ譲り渡し、ドイツのギムナジウムと総合大学に似た区分へ到達することを望んでいる。この区分は、ミュンスターバーグ教授とともに、学者には「受容的」学者と「生産的」学者、すなわち知識を発見する者と、それを「配給する」者という二種類しかないと信じるなら、論理的である。また彼と同じく、「十九歳の青年へ、原理上、九歳の少年が受け取るものと異なる何かを与える必要はない」と考えるなら、やはり論理的である。

しかし十九歳の青年は、一つの重要な点で九歳の少年と異なる。彼は省察する能力を以前より身につけている。受容的な精神態度から、省察し、学んだものを自分のものとして同化する精神態度へのこの変化は、人間性にかなった観点から見れば決定的なすべてであり、事実、カレッジの存在理由を含んでいる。ミュンスターバーグ教授は、わが国のカレッジにおける学問を「受容的」なだけでなく、「受動的」で「女性的」であると烙印を押す。もっとも、この好ましくない状態は近年、ドイツの幸福な影響によって、いくらか改善されたという。しかしこれは、カレッジが育てることを特別の目的とする、人間性にかなった努力を見落としているにすぎない。すなわち、散在する知識の諸要素を調整し、それらを知性だけでなく意志と人格へ関係づける、何にもまして雄々しい省察の努力である。単なる学識を教養へ変成する、あの精妙な錬金術である。

過去と現在の最良のものを自分のものとして同化し、自分自身と他者の役に立つよう適応させる仕事は、独創性を欠くどころか、創造に近い何かを要求する。ミュンスターバーグ教授は、研究成果を生み出す学者とカレッジ教師の関係を、サージェントのような芸術家と写真師の関係に近いものと考えている。さらに彼は、「純粋に模倣的な思考者でも、きわめて優れた教師になりうる。人格と、力強い提示の仕方と、平均的な知性をもつ者なら、六週間前に知らされたどの科目についても、立派な教師になれる」と述べる。

知識とは、一つの精神の上へ投げ下ろされ、その後、同じ機械的なやり方で別の精神へ「配給」されるものだという、このドイツ的観念こそ、私たちが警戒しなければならないものである。真のカレッジ教師が志すのは、学生へ知識を「配給する」ことではない。モンテーニュが言うように、知識を「学生のもとへ保管する」のではなく、「学生と結婚させ、その精神と魂そのものの一部にする」ことである。ドイツから得たあらゆる strengwissenschaftliche Methode、すなわち厳密科学的方法の代価として、単なる博識と真の学識を区別できなくなったなら、私たちはあまりにも高い代価を払ったことになる。

したがって、下級学校では受容的な精神態度が大部分を占めざるをえず、大学院では研究成果を生み出す学者に十分な活動の余地を与えるべきだと認めるとしても、カレッジは、独立して存在する理由を少しでももつためには、学問の進歩ではなく学問の同化と、教養の永続を担わなければならない。この区別はかなり明白であり、それを改めて述べるのは気恥ずかしいほどである。しかし、アメリカ教育の形成へ最も大きな影響を及ぼしている人々の一部が、この区別を見落としているように見えるため、述べざるをえない。

<!-- 原書 pp.103-107 -->

たとえば故ハーパー学長は、小規模カレッジの将来についての講演で、その一部を高校の水準へ引き下げ、別の一部を「ジュニア・カレッジ」にし、大規模な教育機関へ適切に従属させながら、学生を二年次の終わりまでだけ受け入れ、さらに別のカレッジには専門分野を育成することによって存在理由を示させる、という案を提示した。大規模総合大学の側は、互いにいっそう緊密な関係を結び、一種の教育トラストを形成することになる。小規模カレッジが多すぎ、その一部を高校の水準へ引き下げても誰も損をしないと考えた点で、ハーパー学長は明らかに正しかった。しかし彼の構想全体では、生き残る小規模カレッジの真の目的、すなわち自由学芸的教養の精神によって生気を与えられ、形づくられた、限られた数の標準科目を教えることが、ほとんど言及されていない。

どの側から近づいても、これらの新理論は小規模カレッジへの脅威となる。たとえば、予備教育を終えた直後から学生は無制限に科目を選択できるという前提は、ごく少数を除く教育機関を明白に不利な立場へ置く。自らを教育上のテレーム僧院へ変え、その門の上へ「好きなものを学べ」という人を誘う標語を書けるだけの物的資源をもつ教育機関は、わずかしかないからである。優れた小規模カレッジは、教育上の新商品を一式取りそろえて大規模総合大学と競おうとする代わりに、人間性にかなった伝統を力強く守ると決意するなら、アメリカ教育へ貢献できる。反対の道を取れば、三流で設備の乏しい科学学校となり、牛ほどの大きさへ身体を膨らませようとした蛙の寓話を、もう一度演じることになるだろう。

小規模カレッジは、自らの利点を理解するなら幸運である。人間的な意味での成長を単なる拡張と混同する自然主義的誤謬へ陥らず、規模と量に威圧されず、数字に催眠をかけられないなら幸運である。全世界が量的な生を送ることへ熱中しているように見えても、カレッジは、自らの仕事が、因襲的な意味ではなく真の意味において、卒業生を質のある人間にすることだと記憶すべきである。こうしてカレッジは、家柄による貴族制に代わり、金銭による貴族制へ向かう傾向へ対抗するため、私たちのような共同体に必要な人格と知性の貴族制を生み出すことに、自らの役割を果たすことになる。

今日では、カレッジへ行き渡るべき民主主義精神について多くが語られている。それが、民主主義の最良のものへカレッジが深く共感すべきだという意味なら正しい。しかし、しばしばそうであるように、カレッジが水準を引き下げ、平均的個人の観点に合わせるべきだという意味なら誤っている。三年制課程を支持する議論の一部は、学位をより多数の学生の手が届くものにできるなら、学位の基準を下げてもよいことを含意している。しかしカレッジの観点からは、徹底して教養を身につけた一人の人間のほうが、部分的にしか教養を身につけていない百人より、はるかに目的へかなっている。トクヴィルが述べたように、民主制の最終的な試金石は、優れた個人を生み出し、励ます力である。過去に平均人の要求が軽視されてきたからといって、今度は優れた人間の要求を軽視しなければならないのだろうか。ここでも、ルターの比喩を思い出さずにはいられない。

カレッジは、一方の大学院、他方の下級学校と、緊密で共感に満ちた接触をもつことによって利益を得られる。ただし、自らの役割がそのどちらとも異なることを忘れてはならない。下級学校は平均的市民の教育へ豊かな機会を設けるべきであり、大学院は専門化と高度な研究へ十分な機会を与えるべきである。しかしカレッジを支配する精神は、人道主義的でも科学的でもなく――これらの要素が大きな割合を占めることはありうるとしても――人間性にかない、また正しい意味で貴族的でなければならない。

このように理想を描くとき、あるフランスの著者が言うように、完全で堂々たるものに仕立てるのに費用はいらない。実際にはこの理想から大きく外れそうな理由の一つは、現状では、適切な種類のカレッジ教師を見つけることが難しいからである。ミュンスターバーグ教授は、ドイツの教師たちが熱心な専門家以上のものになろうとしなかったため、彼らを称賛し、「博士号を取得していない者は、誰もカレッジで教えるべきではない」と付け加える。この意見は多くのアメリカ人にも共有されており、そのため一部のカレッジ学長は、博士号を呪物のように崇拝している。

しかし研究成果を生み出す学者として輝いていても、あらゆる学科へ意味を与えられる唯一のもの、人間性にかなった洞察と省察をほとんど、あるいはまったくもたないことがある。そして、その洞察と省察こそ、カレッジ教師にとりわけふさわしい。博士号へ至る仕事には、一人の人間としての成長を、専門家としての成長のために犠牲にする誘惑が絶えず伴う。私たちは昆虫学者である前に、人間でなければならない。旧来の人文主義は、ある一つの主題を知りすぎることによって精神の均衡が失われうることへ、鋭い注意を向けていた。古代の笛吹きが、音楽のある点について議論しようとしたフィリッポス王へ、「陛下がこれらの事柄を、私と同じほどよくご存じでないことを神に願います」と答えたのも、おそらく専門化の危険をいくらか感じていたからである。

「何についても専門家を気取らない教養人」――l’honnête homme qui ne se pique de rien――という、洗練されたアマチュアの理想が現代までいくらか生き残っている国は、おそらくイギリスだけである。ドイツ人と比べれば、ある人物が近年そう呼んだように、イギリス人は今なおアマチュアの国民である。しかし反動も起こりつつあり、最近のイギリスの論文の一部を読むと、著者たちはオックスフォードが工科専門学校へ改造されることを望んでいるのではないかと思えるほどである。

<!-- 原書 pp.108-112 -->

この問題全体は、きわめて難しい。現代生活の条件そのものが、ほとんどすべての人に熟練者・専門家となることを求めている。そのためこそ、ある一つの主題へ没頭しすぎることから生じる精神の不具化と切断に対し、いっそう警戒しなければならない。科学へ一面的に献身したため、芸術と詩を人間性にかなった形で味わう能力が損なわれたと、ダーウィンが率直に告白した一節を、誰もが覚えているだろう。

少なくとも、古代文学または近代文学を教えるカレッジ教師は、単なる専門家以上のものでなければならないと主張すべきである。言語学または文学史のごく細かな一点を研究したというだけで、その人物をこれらの学科のカレッジ職にふさわしいと考えることは、率直に言って不合理である。これが独創性と方法の習熟を試すために必要なのだと言われるなら、知識を生産するためと同じほど、知識を同化するためにも独創性が必要であり、実際、この国やドイツで博士論文としてしばしば受け入れられている機械的な編纂物に必要な独創性より、はるかに多くが必要だと答えるべきである。

独創性をめぐるこの騒ぎは、現在これほど蔓延している個人主義の衒学が、科学的な形を取ったものにすぎない。同じ衒学は感傷的な形においては、すでに見たように、気質と特異な個性への誇張された敬意へ至る。いまや誰もがこれほど不安げに独創的であろうと努力しているのだから、現代において独創的になる最も確実な方法の一つは、ただ、古風な意味でよく本を読んだ人間になることかもしれない。すなわち、過去の文学のうち本当に価値あるものを徹底して知り、想像力をもって味わえる人間になることである。

博士号志願者は、自分だけの小さな研究を優先し、この一般的な読書と省察を怠ってもよいと考えている。独創的であろうとするこの衒学的努力は、古典学のように、研究を何より人間性にかなった同化へ従属させるべき分野で、とりわけ甚だしい。ギリシアとローマの傑作を広く読み、まして自分のものとして同化する前に、学位論文を書き始める古典学徒を、私たちはどう考えるべきだろうか。

不幸なことに、同化的・省察的な学問へのこの低い評価は、わが国民性の最も浅薄な部分と合致している。民族においても個人においても、年齢と経験を軽んじる態度、伝統に体現された「人類の古く恒久的な感覚」を低く見る態度、若者と新しい思想を偏愛する態度である。年齢と伝統への態度において、私たちの一部は、中国人が一方向へ進んだのと同じほど、反対方向へ進もうとしているように見える。若さはすでに、聖職者において主に評価される徳の一つにさえなっている。

トクヴィルは、古いものへの軽蔑は民主制の主要な危険の一つだと述べ、したがって古典研究は民主的共同体にとって特別な価値をもつと、真の洞察をもって付け加えた。実際、古典教師が目指しうる最高の仕事は、過去を想像力によって現在へ解釈することである。わが国の古典教師が全体としてこの仕事を大きく果たせず、その代わり、ドイツ文献学の最も狭い学派、ラハマンとゴットフリート・ヘルマンの学派の影響へ完全に屈してしまったことは、わが国の高等教養にとって最大級の災厄の一つに数えられるべきである。ヴォルテールが「趣味の神殿」の外門へ群がるのを見た注釈学者と解説者の大群が、いまや聖域を占領している。

古典研究の将来にある唯一の希望は、方向をかなり根本的に変え、何より現在の孤立から脱することである。たとえば、平均的なカレッジで古典を教える適性を測る試験としては、博士号より、古典語でどれほど広く、徹底して読んでいるか、またその知識を現代生活と近代文学へ関係づけられるかを示すよう設計された試験のほうが優れているだろう。この基礎をいったん築けば、研究に向いた者のうちでは、研究への本能が自然に発達しうる。現在のように、すべての者のうちで等しく、人工的な圧力によって発達させられる必要はない。

しかし古典教師たちが、このような提案を歓迎するとは考えにくい。彼らは他のほとんどの点では旧来の人文主義者と似ていないかもしれないが、なお旧人文主義者の誇りと排他性をいくらか保っているからである。ラテン語とギリシア語は litterae humaniores、すなわち「より人間的な学問」であると、彼らは態度によって今なお注意深く私たちへ思い出させる。もっとも、その誇らしい呼称が正当であることを、彼ら自身はほとんど示していない。彼らは、偉大な家名と領地を相続しながら、自分自身の業績によって、その所有を十分に正当化していない人物にたとえられる。

古典教育は、中世文学・近代文学との緊密な接触によって、新たな興味と生命を得るだろう。すぐに付け加えるべきだが、近代語教育も、古典との緊密な接触によって、深さと真剣さを大きく増すだろう。現在は、どちらの条件も満たされていない。十分な前景をもつ古典教師と、十分な背景をもつ近代語教師が不足していることは、人間性にかなった方法の復興を妨げる主要な障害の一つである。しかし現在の状況で、「古代人と近代人」の旧来の争いを何らかの形で続けることほど、実りのないものはない。

チャールズ・フランシス・アダムズは「カレッジという偶像」についての講演で、「私はキケロの陳腐な言葉に見えるものより、モンテーニュの哲学を好む」と述べている。まるでキケロの「陳腐な言葉」と、そのうえラテン文学全体を知らずに、モンテーニュを十分に理解できるかのようである。とりわけフランス語教師は、浅薄さを避けるため、徹底した古典教育によって安定と重みを与えられる必要がある。

<!-- 原書 pp.113-117 -->

ラシーヌよりロスタンへ学生の関心を引くほうが、はるかに容易であるため、フランス語教師は安っぽい同時代性へ陥る絶え間ない危険にさらされる。東部のあるカレッジでフランス語を教える人物は、長年その科目を教えた結果、全文学作品のうち『三銃士』を最もよく知るようになった、と私に語った。そして『三銃士』は、その後教材として現れた他の作品に比べれば傑作である。そうした教材では、文学的な取るに足りなさに匹敵するのは、しばしば編集のひどさだけである。 大出版社の商業主義は、ここで近代語教師の印象主義と手を携えて働いている。その結果、今日の学部学生は、一世代前ならプラトンを読んだところで、ジョルジュ・オネの小説を読む特権を得ることがある。

古代語または近代語を教養の手段として信じる人々は、共通の敵である純粋な功利主義者と科学的急進主義者へ対抗したいなら、細かな相違を一刻も早く解消すべきである。後者の典型と見なしうるハーバート・スペンサーは、科学的分析が人生にとって第一の必要である一方、芸術と文学は「遊び」の形にすぎず、暇な時間の大部分を楽しませるものだと考える。そしてこれらの学科について、「それらが人生の余暇部分を占めるのと同じように、教育の余暇部分を占めるべきである」と結論する。

芸術と文学を一種の好事家的な遊びへ引き下げるこの教説が、純粋な自然主義者から支持されるのは驚くにあたらない。事態がより深刻なのは、本来文学の領域で働いているはずの人々までが、おそらく無意識のうちに、同じ教説を受け入れている場合である。わが国のカレッジ教授団へ陣取っている言語学研究者の多くは、文献学的分析という、より真剣で精力的な労働から時折くつろぐためのものとしてなら、文学に居場所を認める用意がある。しかし好事家だと思われる罰を受けたくなければ、文学へあまり強い関心をもってはならない。ある若い文献学者は、同僚の一人について私にこう言ったことがある。「彼はほとんど好事家です。ダンテとシェイクスピアを読むのですから」。

私が文献学者のうちにしばしば認めてきた、寄席の演目や夏向けの軽い小説への奇妙な好みも、おそらくこのスペンサー的芸術観によって説明できる。認めなければならないが、文学教師の一部、とりわけ英文学教師も、自分の役割について似た考えをもっているように見える。彼らは、美的慰めを上品に提供し、言葉遣いにおける修辞上の細かな作法を裁定する者以上になろうとしない。文献学者も好事家も、真の芸術と文学が人間本性全体と生きた関係をもち、スペンサーの理論が示唆するような、単に洗練された享楽の形でも、美的感受性をくすぐるものでもないことを、自分で感じ、他者にも感じさせるところから、等しく遠い。

人間性にかなった文学が、人間のより高い働きにとってもつ、この深い重要性についての伝統は、旧来のカレッジ課程において、他の価値ある知識とともに、いくらか保たれていた。いまこの人間性にかなった伝統が弱まりつつあるため、自分だけの力へ任された個人は、その代わりとなるものを、人間性にかなった省察のうちに探さなければならない。

言い換えれば――ここで私たちは、もう一度議論の中心点へ戻る――旧来の文学士号の文字どおりの形を犠牲にするとしても、その精神を保つよう努めるべきである。この精神は現在、さまざまな方向から脅かされている。下方から押し上げる功利主義と幼稚園的方法、上方から押し下げる専門職主義と専門化、そして商業的・産業的影響の、ほとんど抗しがたい圧力である。学位の文字どおりの形と精神の両方を犠牲にするなら、少なくとも意識的にそうすべきである。単なる不注意によって、人間と発電機を十分に区別しない教育制度へ誘い込まれてはならない。

何より今は、慎重な思考と正確な定義が必要な時である。金と熱意は、それ自体として立派なものだが、力強い個人的省察の代わりにはならない。これは、主要な目的を委員会の設置によって達成できると期待し、人間同士の真の交わりの代わりに、ほとんどあらゆる形の群居性を発達させた時代の耳には、おそらく歓迎されない教えであろう。

ミュンスターバーグ教授は、研究成果を生み出す学問においてドイツと競うことを、わが国最高の野心とすべきだと考えている。そのため彼は、二万五千ドルの教授職をいくつも設け、最も功績ある研究者と科学的方法の達人を任命し、さらに選ばれた研究の英雄たちへ、あらゆる種類の栄誉と顕彰を積み重ねることを求める。しかし研究成果を生み出す学問こそ、わが国の主要な教育問題だと彼が私たちへ信じ込ませるなら、重大な誤りへ導くことになる。いまはるかに重要な問題が、文学士(A.B.)号の真の意味と価値を決定することだと、私たちは主張しなければならない。

ただし、一つの点ではミュンスターバーグ教授へ感謝すべきである。教育のこれら根本問題を扱う際、彼は、わが国でしばしばその扱い方を特徴づける、怠惰で印象主義的な精神習慣から比較的自由である。彼は、たとえ反対するためだけであっても、私たちに自分自身の観念をより注意深く探らせることによって、役に立っている。徹底して考え抜かれた意見なら、ほとんどどのような意見も、印象主義の粥より優れている。ベーコンが述べたように、真理は混乱よりも誤謬によって、前進を助けられる可能性が高いからである。

ヒューゴー・ミュンスターバーグ『American Traits』89頁。

同書、95頁。

この点については、ここ数年で改善が見られる。

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第5章 文学と博士号

<!-- 原書 pp.118-122 -->

ダーウィンは、書斎で午前中いっぱい激しく仕事をしたあと、客間へ出てきて長椅子に横たわり、小説を朗読してもらいながら休むのを常としていた、と伝えられている。この逸話は、文学に対する科学者の態度だけでなく、文学が人生の中で占めるようになりつつある位置そのものを象徴しているのかもしれない。現代人は、真剣な力を科学、社会学、あるいは金融へ注ぐ。純文学に向かうとき、彼がそこに求めるのは、心をなだめる、穏やかな麻酔のような作用である。もちろん多くの人々は、暇な時間の慰めさえ書物に求めず、芸術と文学を女性に任せている。実業家を代表してロフティが言うように、「詩は妻や娘にはなかなか結構なものだが、われわれ向きではない」のである。教育機関、とりわけ中西部の大規模大学では、男子学生は科学科目へ群がり、女子学生は文学科目を好む。実際、こうした大学の一部では、文学科目は「女々しい科目」と呼ばれている。文学をあまりに真剣に受け止める男性は、男らしさを疑われることになる。本当に雄々しいのは電気技師になることである。やがて、文学教師の典型が、少女ばかりのクラスにキーツやシェリーを解説する若い好事家になる時代が、すでに見え始めている。現状でも、言語を教える教師のうち活力と出世欲のある者は、文献学研究によって自分の男らしさを証明しなければならないと感じている。彼らは根本において、科学者とも好事家とも一致している。すなわち文学を、人生の法則の源ではなく、多かれ少なかれ快い個人的印象の源と見ているのである。

好事家と文献学者の区別は、すでに述べた、感傷的自然主義者と科学的自然主義者の区別、言い換えればルソー主義者とベーコン主義者の区別と密接に関係している。古代アレクサンドリアの文法学者の多くは、現代の文献学者と非常によく似た仕事をしていた。しかし彼らは、自分の職業をはるかに控えめに見ていたようである。それは、アレクサンドリアの文法学者が現代の文献学者のように、研究によって学問の進歩へ貢献し、進歩という巨大な車を後ろから押しているという意識によって、自分を偉大だと思い込んでいなかったからである。現代の言語学的ベーコン主義者が評価されたいと望むのは、知識に対する明確な貢献によってである。言語研究において正確な事実を突き止め、その事実から、それを支配するとされる法則を取り出すことさえできれば、人間的価値の問題はルソー主義者へ引き渡し、ルソー主義者が喜ぶ知性と感受性の放浪へ任せて満足する。

しかし、ここでも正確な定義の必要に行く手を遮られる。今日「文献学」という語は、ヴェーダ語の名詞屈折から文学批評、さらには聖パウロ書簡まで、あらゆるものを覆うために用いられている。 文献学者たちは、大学の講義要覧に掲げる分類そのものによって、文学自体を文献学の一部門と見ていることを明らかにしている。この奇妙なほど伸縮自在な語を、一般に受け入れられるよう定義することは、ほとんど望めない。しかし少なくとも、本章で用いる意味だけは定められる。

定義へ至るため、エマソンが述べた「和解していない二つの法則」の区別へ、少し戻る必要がある。言語が「物のための法則」に従うかぎり、それは文献学であり、「人間のための法則」を表現するかぎり、それは文学である。言語と文学の現象的な関係を追究する点で、文献学には広大で重要な領域がある。それが濫用と簒奪になるのは、こうした現象的関係を、言語や文学と人間精神との、さらに重要な関係の代用品として押し立てようとするときだけである。他方、文学が個人の知性と感受性へ訴えることにも、広く正当な領域がある。印象主義と好事家的態度が生じるのは、個人が、より一般的な基準による規律から完全に解放されようとするときだけである。

今日知られている文献学者は、必ずしも、学問の進歩へ貢献しているというベーコン主義的自負によって膨れ上がった点だけが、古代アレクサンドリアの先例と異なる文法学者ではない。もちろん、そういう種類の文献学者も、ことにわが国の古典教師のあいだには、今なお非常に多い。しかし、比較的近年になって初めて十分な姿を現した、もう一つの文献学の流派がある。それは言語学より歴史学に近い。より正確に言えば、十九世紀を特徴づけた、歴史的相対性、成長、発展に対する鋭い感覚が、文学史を含むあらゆる形の歴史学を深く変えたのである。ところが実際には、歴史的方法と内在的価値への正当な配慮を結びつけることが、きわめて難しいと判明した。これを適切に行うとは、絶対的なものと相対的なもののあいだを媒介することであり、それはすでに見たように、人文主義者が行わなければならない調整のうち最も難しい。この種の文献学者全体にとって大きな危険は、文学そのものを文学史で置き換えることである。この危険は、文学的現象は豊富だが、本物の文学は比較的少ない領域、すなわち中世研究において、とりわけ顕著だった。

<!-- 原書 pp.123-127 -->

ある種の中世研究者が研究対象へ示す関心は、対象の本当の重要性に反比例しているように見えることが多い。結局のところ、決定的な問いは、ある武勲詩が別の武勲詩から派生したかどうかではなく、そのどちらかが、真剣な人間の注意を引くに値するものを、それ自体のうちにもっているかどうかである。近代文学を教えるつもりの博士号志願者に対する試験で、質問のほとんどすべてが中世分野、それも言語学や文学史の細部に集中し、人文主義者にとって重要な中世の著者――ダンテ、チョーサー、ペトラルカ、ボッカッチョ――には、ついでに触れられるだけだった例を、私は聞いたことがある。

現代の文献学者は、古典学者の仲間が歴史的方法をもっと十分に用いないという理由で、狭量で非自由主義的だと非難することが多い。しかし問題はもっと深いところにあり、一つの文献学派を別の文献学派に置き換えても解決しない。歴史的方法は計り知れない価値をもつが、それは絶対的価値の感覚によって補強される場合にかぎられる。 現在盛んに行われている資料源研究(Quellenforschung)の多くは、それ自体としては、昔ながらの優れた文法研究や本文批判より低い水準にある。いつの時代にも存在する、乾いた簿記係のような精神習慣をもつ人間は、今日では起源や影響関係を研究することで学者として名声を得る。新古典主義の時代なら、「規則」について語り、「美点」と「欠点」を目録にすることで批評家として出世しただろう。比較文学が急速に繁栄したのは、歴史的方法と比較的方法に魔法のような力があると信じられているためである。しかし比較文学は、人間性にかなった基準へ厳密に従属させて研究しないかぎり、最も取るに足りない学科の一つになるだろう。たとえば、ペトラルカとルネサンス期のソネット詩人たちとの関係は興味深い。しかし、より重大な問題は、ペトラルカとその弟子たちが互いにどう関係するかではなく、その両者が「人間の不変の精神」とどう関係するかである。比較文学が、学部学生を偉大な古典そのものと直接親しませる代わりに、個々の著者や国民文学の相互関係と相互依存の研究へ向かわせるなら、積極的に有害なものとなりうる。そのうえ、ある著者が歴史上及ぼした影響や歴史的意義と、その著者の真の価値とのあいだには、必然的なつながりがない。ペトラルカは文学史上、全体としてダンテより大きな場所を占めるに値するが、作家としても人間としても、ダンテにはるかに劣る。

歴史的文献学によって文学が損なわれたことは、歴史学そのものに起きたことと似ている。歴史家もまた、研究対象の現象面へあまりに専念し、絶対的なものと相対的なものが競い合う要求を調整できなかった。ベーコンはある随筆で、歴史の諸現象に表れる人間精神の根底の法則を捉えようとし、同時に、現象そのものへあまり長く視線を固定しないよう警告している。「移り変わりという回転する車輪を、あまり長く見つめるのはよくない」と彼は言う。「それらを文献学的に扱っても、物語が輪になって回るだけであり、したがってこの文章の目的にはふさわしくない」。ここには、思想と言語の偉大な達人による「文献学」という語の正しい使い方がある。あまりに正確なので、最近の学問と、その学問が陥った行き過ぎを予言したものにさえ見える。昔の型の学者にとって危険だったのは、無限に複雑な事実を、いくつかの安易な一般論で塗りつぶすことだった。今日の学者にとっての危険は、むしろ、あらゆるものを文献学化し、文学も歴史も、宗教そのものさえ、単なる「物語の輪」に変えることである。言い換えれば、事実を際限なく蓄積しながら、その膨大な蓄積から恒久的な人間的価値を取り出せなくなることである。

ここまで述べたことは、カーライルがドライアズダストを攻撃した言葉、より一般には、科学的分析の濫用に対するロマン主義全体の攻撃を反響させているように、一部の人には見えるかもしれない。しかし乾いた分析と事実収集の過剰に対する、人文主義者の抗議とロマン主義者の抗議ほど、根本において異なるものはない。ロマン主義者が抗議するのは、この過剰が熱狂と感情の自由な働きを妨げるからである。人文主義者が抗議するのは、それが判断と選択を妨げるからである。カーライルがどれほど侮蔑的な形容を浴びせても、ドライアズダストは繁栄し、いまではアメリカのカレッジで歴史を――そして文学を――教えている。それどころか、ドライアズダストはロマン主義者に妨げられるより、むしろ助けられたとさえ言える。乾いた事実収集の過剰は、規律のない感情の過剰から生じる自然な反動だからである。カーライル自身も、どれほど頻繁に「人間のための法則」と、単にカーライルのための法則とを区別できなくなることだろう。しかしカーライルは、結局のところ単なるロマン主義的印象主義者以上の人物である。私たちの言うところは、徹底したルソー主義者だったミシュレのような歴史家を例にしたほうが、よく明らかになるだろう。ミシュレのフランス革命史を続けて読んでいる者は、ついにはこう叫びたくなる。「お願いだから、冷たい事実を示してくれ。この乱れた空想の唐草模様で飾られず、革命的気質の幻覚で歪められていない事実を」。人間的要素を作品へ入れれば、これほど放恣に主観的になるほかないのなら、人間的要素を完全に排除し、少なくとも科学者の客観性へ到達させよう――こうした推論を、1830年のロマン派が主観性を乱痴気騒ぎのように放縦に発散したあと、フランス文学全体がたどった。偉大な作家は、客観的であると同時に人間的である術を知っていた。しかし感情のロマン主義的過剰から、科学的な距離を取り、人間を完全に「物のための法則」へ従わせることで逃れようとしたフランスの作家は、あるフランスの批評家が言う「むき出しの非人間性」へ陥った。そして、事実収集に専念する科学的歴史家に、たいてい起こるのもこれである。事実を選択し、判断を表明すれば、もちろん自分の気質以上のものを表現できない危険を冒すことになる。しかしそれでも、人間的なものを何一つ表現しない危険よりはましである。

<!-- 原書 pp.127-130 -->

ここまで私たちは、科学者と印象主義者、文献学者と好事家を、必ず別々の対立する人物であるかのように語ってきた。しかし事実はまったく違う。文献学と好事家的態度は、実際には同じ自然主義運動の、分析的な側面と美的な側面、あえて言えば男性的な側面と女性的な側面にすぎない。両者はしばしば同じ人物の中に結びついている。より正確には、ルソーとその後継者に見られる、知性と感情との和解されない対立の特殊な形として、一人の人間の中に並んで存在する。ルナンが、自分自身についてあまり上品でない言い方をしたように、彼の本性の半分は、もう半分に向かって猿のようなしかめ面をしていた。実際、ルナンは、ここまで定義してきたあらゆる意味――言語、歴史、宗教――において、これほど完全な文献学者だったので、将来、十九世紀におけるこの型の最良の代表と見なされるかもしれない。同時に彼は印象主義者であり好事家でもあり、そして――人間本性とは実際に複雑なものだが――いくつかの点、とりわけ文体観においては、人文主義者でもあった。彼は最初から卓越した思想家だったが、救いがたいほど主観的でもあった。自分自身の気質から離れられないルソー主義者の無能力を露呈する思想家だったのである。こうして彼は、自分の思考そのものの真剣さをしだいに信じられなくなり、ついにはそれを一種の高級な知的ヴォードヴィルへ堕落させた。晩年、彼が真剣に受け止めた唯一のものは、文献学的事実に対する自分の貢献だった。死後、机の上から見つかった一枚の紙片には、自分に最も満足を与えた業績は『セム語碑文集』だったと書かれていた。彼の全著作のうち最も乾燥した博識の産物であり、人間的に言えば、彼自身を最も少ししか注ぎ込まなかった仕事である。この紙片には、痛ましさがある。

もちろん、わが国の文献学者の大半はルナンではない。文献学的訓練は、それ自体として、思想にも、思想を表現する技法にもつながりやすいものではないが、ルナンは結局その両方をもっていた。しかし平均的な文献学者にも、男性的側面である科学的方法と並んで、女性的な側面、すなわち好事家的側面が存在することが多い。彼はしばしば、厳格な文献学研究と、共感的・鑑賞的な気質の行き過ぎにすぎない印象主義とを結びつける。判断し選択する気質を、自分自身でももたず、他人のうちに見ても理解できない。文献学の次に彼が賞賛するのは、好事家の機知であり、ときには自分でもそれへ到達することがある。

同じ人物の中で結びつくこともあるが、より多くは別々に存在する、文献学と印象主義とのこの奇妙な相互作用は、わが国の言語教育全体を貫いている。おそらく最も目につくのは英語教育である。平均的な英語学科の一方の端には、ゴート語、古ノルド語、アングロ・サクソン語を身につけた、文献学的な中世研究者がいる。他方の端には、「毎日の作文」という科目を教え、古代のソフィストと同じく、まだ何一つ表現するものをもたない純真な若者へ、自己表現の技法を教える好事家がいる。

文献学者は好事家よりよく組織され、博士号の機構を支配することによって、上級職へ至る道を押さえている。好事家は一般に従属的な地位へ追いやられ、従順で卑屈な気質によって、その地位にふさわしくできていることも多い。実際、わが国の古代・近代文学の主要な講座の過半が、その準備も業績も文学的というより科学的だった人々によって、すでに占められていると言っても、誇張ではないかもしれない。この状況は一見して不合理であり、いくつかの点では醜聞でさえある。しかし文献学者の連合が、自分たちと同種の人間を押し上げること自体を、ほとんど責められない。また問題そのものが非常に難しいので、カレッジ学長の困惑には同情すべきである。若い博士号取得者は、少なくとも事実による規律へ服し、ある程度、骨の折れる仕事をする能力を示している。好事家は通常、何一つ証明していない。示しているとしても、せいぜい穏やかな快楽主義だけである。気質的な怠惰や正確さへの嫌悪が、文学への愛に姿を変えることは、確かにある。したがって学長が博士号取得者を好むことには、しばしば十分な理由がある。

<!-- 原書 pp.131-135 -->

しかし文学講座に適任である証拠として博士号を受け入れることこそ、文学研究を非人間化し、わが国のカレッジへ文献学的専制を固定するうえで、何より大きな働きをしている。現在の博士号制度は、広く読書し、成熟した思索を行った人物ではなく、研究能力を示した人物を優遇する。そのため学生は、一般的な読書と省察のために今なお必要な時間を、「独創性」を早熟に絞り出そうとする努力へ費やすよう促される。したがって人文学を立て直す計画は、現行の博士号に代わるものを見つけることへかかっているように思われる。必要なのは、文学的でありながら、軟弱さや気の緩みを疑われることのない訓練である。単なる事実による規律ではなく、思想による規律を表す学位である。わが国の言語教育がアレクサンドリア主義から救われるためには、文学と思考との関係を、現在よりはるかに強調しなければならない。アレクサンドリアには、美的洗練の驚異というべき学者も、文献学的勤勉の驚異というべき学者もいた。それでもアレクサンドリアの学問に疑わしい評判がつきまとうのは、美的感覚にも文献学にも生命を与えられず、全体として、思想を人生へ力強く雄々しく適用することに失敗したからである。学者に対する最終的な試験は、事実を貫き、印象を支配し、それらを一つの中心目的の火で融合する力でなければならない(ergo vivida vis animi pervicit――こうして精神の生きた力が勝ち抜いた)。わが国の言語教師について不安なのは、科学的方法や美的鑑賞力が不足していることではなく、思想を扱うある種の能力が欠けていることである。わが国の古典学者の一部は、純粋に言語学的な分野で卓越した仕事をしてきた。近代分野の学者のうちにも、言語学的研究だけでなく、多くの人が文学そのものと取り違えている文学史研究において、名声を得た者がいる。しかし古典教師からは、イギリスのブッチャー教授やフランスのボワシエ氏の文章に相当するものが、ほとんど生まれない。そうした文章は、人文主義的学問がほぼ当然に生み出すべきものである。また近代語教師も、フランスの博士論文には普通に見られる、完成された形式と成熟した一般化との結合へ、なかなか到達しない。

ドイツ式訓練を受けたわが国のある学者は、現行の博士号への不満が増していることに、明らかに不安を覚え、アメリカの博士論文は、ドイツ学問の堅実さとフランス式の形式的完成を結びつけるべきだと認めている。しかし満足のいく博士論文は、このような安易な調合で作れるものではない。少なくとも文学を扱うドイツの博士論文の大半は、形式が粗雑であるのと同じほど、内容も薄弱である。またフランスの博士論文における形式の完成も、それが内容の成熟を外に示すしるしであるかぎりにおいてのみ価値をもつ。大きな図書館へ何百本となく流れ込むドイツの博士論文を眺めていると、一種の知的な吐き気なしにはいられない。アメリカの学問は、ただその流れへ支流を一つ付け加えることより、高い目的を自らに課すべきである。

この国の文学研究に希望があるとすれば、ドイツ式訓練を受けた文献学者にとって自明に見える、まさにその事柄を疑うことにあるだろう。彼らは、大学院の主要な目的が研究者の養成であるべきだと仮定するだけでなく、大学院生は一般に、すぐ研究へ着手してよいほど広い準備をすでにもっていると仮定する。また彼らは――おそらくドイツ学派全体の根底にある仮定だが――学者には二種類あると考える。権威から知識を受け取り、なお知的未成年の状態にある受容的学者と、独立した研究によって知的成人であることを証明する独創的学者である。しかしこれは、精神が受動的に受容するだけでもなく、まだ独創的でもなく、能動的で雄々しい意味において同化する、決定的に重要な中間段階を見落としている。この見落としによって、新しい資料を提出する人物が、古い資料を本当に同化した人物に比べて、過大に評価される。ギリシア文学について最も注目すべきことの一つは、伝統の力と独創性の要求とのあいだに保った均衡であり、 そのため最良のギリシア文学は、一種の創造的模倣となっている。この創造的模倣の欠如こそ、現代文学に特有の弱点であり、それとまったく同じように、創造的同化の欠如が現代学問に特有の弱点なのである。偽りの独創性は、その両方に等しく害を与えている。

<!-- 原書 pp.136-139 -->

私たちによるドイツ学問の模倣の大半に問題があるのは、実りある模倣なら必ずそうでなければならない創造的なものではなく、隷属的なものだったことである。ドイツ人から学んだすべてについて、私たちは感謝すべきである。しかし同時に、彼らにだまされてはならない。ドイツ的方法を無批判に採用したことは、人文主義復興を妨げる主要な障害の一つである。とりわけ古典研究をドイツ化したことは、古典そのものだけでなく、わが国の高等文化全体にとって災厄だった。ギリシア語やラテン語の本文を、主としてドイツ語から訳した注釈を付けて編集するだけで、古典学者として名声を得られたのは、それほど昔のことではない。形式と均衡への感覚、良い趣味、節度と抑制、判断、識別して選ぶ力――これこそ古典研究に結びつくべき人文主義的徳である。ドイツ人が主として秀でているのが、こうした人文主義的徳だとは、とても主張できない。ダンテは、節度を欠くことをドイツ人特有の欠点として指摘している。ドイツ人は、思考と感情の次元で、この不節制を示すことがある。感情を惜しみなく浪費することは、おそらく誰もが認めるだろう。しかし私たちがその深遠さを称賛するドイツ哲学も、しばしば単なる知識欲(libido sciendi)の一形態、精神の事柄において節度の法則を守れないことにすぎない。また、しばしばそれは、フランスの著者ルソーの見解を、難解で衒学的な言い回しへ移し替えただけのものでもある。 コールリッジは、おそらくカーライルを除けば誰よりも、フランス的なものに比べてドイツ的なものを過大かつ迷信的に尊敬する態度を、イギリス人とアメリカ人へ植えつけた。この態度は、さまざまな形でその時代から今日まで続いている。しかしコールリッジでさえ、ドイツ人にはある種の「過剰」があると認めている。節度の法則を不完全にしか守れないことによって、ドイツ人は、文明においてなお若い民族であることを露呈する。科学的方法と巨大な博識を、彼らは獲得してきた。また熱狂には常に事欠かなかった。しかし科学的であること、博識であること、熱狂的であることは、文明的であることより容易である。もちろん私たち自身も、いくつかの点ではドイツ人と違わない。しかしまさにそのため、自分たちとあまり似ていない長所と欠点をもつ模範から、より多くを得られるのかもしれない。フランス人も決して欠点がないわけではない。それでもフランスの生活は、ドイツの生活より、わが国の生活を補完する関係にある。したがってフランスとの接触は、人文主義者が望む、自分たちを補い、丸みのあるものにすることへ、よりつながりやすい。

とりわけ博士号については、ドイツより古い文学的伝統をもつイギリスとフランスからの示唆によって、わが国の慣行を少なくとも和らげることができたはずである。たとえばオックスフォードの第一級優等は、わが国の学部の優等制度とはほとんど共通点をもたないが、博士号に匹敵する困難な訓練を課す。しかしその訓練の種類はまったく異なる。それは人間性にかなった同化力を試すと同時に、徹底性と正確さによる規律でもある。またフランス人は、リセでドイツのギムナジウムに相当する教育を終えても、ドイツ人のように直ちに専門化へ進むことはできない。すべての場合に学士資格(licence)を取り、ほとんどの場合には、専門研究へ到達する前に、何年にも及ぶ同化的学習を伴う教授資格(agrégation)を実際に取得する。それほどの制約があっても、最も偉大で正確な研究者の一人だったサント=ブーヴは、「独創性」と研究を過度に強調することで、フランスの人文学が損なわれていると訴えた。現代にはブリュンティエールが、より辛辣な調子で同じ訴えを繰り返している。サント=ブーヴの言葉を借りれば、「注釈学者と注解者の時代が、ふたたび幕を開け、始まり直している」。彼が予言した新たなアレクサンドリア主義は、現代語教師の真の知的業績が貧しい一方で、用語索引の作成、方言研究、綴字改革のような主題へ熱心な関心を示していることによって、裏づけられている。

<!-- 原書 pp.140-146 -->

文学研究におけるわが国の劣位は、フランスやイギリスと同じように、それへ至る学習を導き、奨励する適切な学位を設ければ、ある程度まで改善できるだろう。オックスフォードの優等課程における第一級や、フランスの教授資格そのものは、わが国の必要に合わないかもしれない。しかしそれらは少なくとも、主として読書と同化を表す学位を、主として研究を表す学位と同じほど厳しく、徹底して試すものにできることを示している。この種の学位の一般原則さえ受け入れられれば、細部はわが国特有の必要に容易に合わせられる。望ましい目的は、文学における大学院・学部の優等制度を包括的に設けることで、最もうまく達成できるかもしれない。大学院の優等制度を用いれば、これまで欠けていた意味を文学修士(A.M.)号へ与えられ、学部の優等制度を用いれば、急速に失われつつある意味を文学士(A.B.)号へ取り戻す助けになる。大学院の優等課程には二年以上を要すべきではなく、単一の国民文学より広い範囲を扱おうとすべきでもないだろう。しかしその場合、ハーバードの新しい文学優等課程のように、古代と近代の分野を相互に関連づける学部優等課程を、通常は前提とすべきである。

こうして古代と近代の古典を広く読んだフランス語教師のほうが、ゴドフロワの辞典から古フランス語の前置詞の用例を集めることで「独創性」を証明した人物より、平均的なカレッジにとって有用であることを、誰が疑うだろう。あるいは、プラトンとアリストテレスを、それ自体としても、世界の人間性にかなった伝統との関係においても知る古典学者のほうが、dumdonecquoad の用法について論文を書くため、苦しい徹夜を重ねた人物より、自分の学科を前進させることを、誰が疑うだろう。優等課程に合格した者は、フランスの教授資格取得者と同じく、アメリカの博士号取得者とは違って、普通なら実際に行うと期待される仕事のため、直接準備されている。そして研究の才能があれば、フランスの教授資格取得者と同じく、その才能を余裕をもって育て、ついにはフランスの博士論文に匹敵する成熟したものを発表できる。学生は、通常大学院へ通う年齢で、科学的方法を身につけることはできる。純粋な言語研究においても、歴史研究においても、優れた事実収集者になることはできる。しかしロンギノスが述べたように、文学研究へ価値を与えられる唯一のもの、すなわち成熟した判断力は、それが得られるとしても、長い経験の最後に実る果実としてのみ訪れる。文学的趣味をもつ学生へ、研究成果を生み出す学問という呪物のために、同化のため今なお必要な時間を犠牲にするよう勧めてはならない。

私たちが提案する新しい学位は、研究の比重を減らすとしても、思想による規律を、事実による堅固な規律の上へ置かなければならない。言語は、言語学的に徹底して習得されるだけでなく、思想を適切かつ芸術的に表現する媒体としても、徹底して習得されるべきである。事前の規律を何一つ受けておらず、普通の正確さによる規律さえ身につけていない学生を、思想によって訓練しようとするのは、歩くことを学ぶ前に飛ぶよう求めることである。文献学者の現在の方法に対する反動を起こすだけなら、おそらく容易である。しかしこの抗議運動が、単に好事家の利益になるだけなら、役に立たないどころか、いっそう有害になるだろう。批評家にある程度以上まで追い立てられた文献学者は、文学的要素への譲歩として、数人の好事家をカレッジの職へ引き上げようとする傾向がある。文献学者が人文主義者と好事家のどちらかを選ばなければならないなら、おそらく後者を好むだろう。そこには曖昧な自己保存の本能も働くかもしれないが、それ以上に、すでに指摘した、文献学者自身の性質と好事家の性質との秘密の同盟が働く。実際、現在より危険なのは、文献学者より好事家である。ただし、文献学者自身の好事家的態度もそこへ含めなければならない。近年、科学的独断論は弱まってきた。十九世紀の科学的独断論は、中世神学の独断論と同じほど深く、無自覚であることが多かった。文献学者の傲慢さも、科学者の傲慢さとともに、必ず弱まり、実際すでに弱まりつつある。いまでは「成功した」文献学者が、文学者らしい姿勢を取ろうとして、ますます不安げに努める様子さえ観察できる。友人たちは、彼の文学的感覚について息を潜めて語る。彼は自分自身と友人だけでなく、学長まで、自分が「文学的」であると納得させる。実際、「文学的」という語の濫用が現在の速度で続けば、まもなくこの語全体を、好事家と、好事家的気分になった文献学者へ明け渡さなければならなくなるだろう。文献学者に公平を期すなら、彼の文学講義の方法は、真に人文主義的な扱い方の、かなり説得力のある代用品になることが多い。サント=ブーヴの言い方を借りれば、遠くから、後ろ姿を、月明かりで眺めるなら、文学的文献学者と人文主義者は、ほとんど見分けがつかないかもしれない。文献学者は、文学と文学史を区別できない一般的な傾向から利益を得る。そのうえ彼はしばしば、判断する態度より身につけやすく、しかも人気も高い、熱狂的・鑑賞的な気質をもっている。しかし一般的な思想を扱おうとするとき、とりわけ、その思想を自分自身の気質より高い何かへ関係づけようとするとき、たいてい正体を現す。

現在カレッジ教育へ入ろうとする人文主義者は、直面するであろう困難を過小評価すべきではない。古代・近代文学は文献学者の連合に支配され、歴史学は科学的方法の濫用によって非人間化され、政治経済学は一度も人間性にかなったものだったことがない。 この状況で、人文主義者は、ワーズワースがいかにも控えめに自らへ課した仕事、すなわち自分が鑑賞されるための趣味そのものを作り出す仕事を引き受けなければならない。同僚とは多かれ少なかれ歩調が合わないだろう。より真剣な種類の学生を引きつけるとしても、学部学生のあいだで、必ずしも広く、急速な人気を得るとはかぎらない。幼稚園以来の長い練習によって、アメリカの学部学生は、あらゆる種類の規律を避ける、驚くほど巧みな身のこなしを身につけていることが多い。人文主義的精神で行われる科目を履修すれば、事実についての文献学的規律の大部分を要求されるうえ、文献学者が普通あまり気にかけない、思想による追加の規律まで要求されるだろう。したがって多くの学生が、規律の問題全体へあまり心を奪われず、そのぶん機知に富み、面白く振る舞うことへ専念できる好事家の講義を好むのは、驚くにあたらない。思想をもつある人物が、私のいるところで、長い目で見れば知性は認められる――カレッジ教授団でさえそうだ――と言ったことがある。その一方で、本人はカレッジの職を辞めて別の職業に就いた。そうしなければ、ドライデンのアヒトフェルと同じ運命に遭うのではないかと、明らかに恐れたからである。

それでも彼の運命は、なお足踏みしたままだった――
愚か者の群れが、道を塞いでいたからである。

現状で学界の評価を得やすいのは、思想をもつ人物ではなく、文献学と印象主義のもっともらしい混合物を提示できる人物である。明らかに「昇進と給与への道」であるものより、思考するという困難で人気のない仕事を選ぶには、勇気が要る。

<!-- 原書 pp.146-149 -->

しかし私たちは、文献学者に寛大であるべきであり、彼らの問題は、思想へ故意に敵対していることより、思想を目にしても、それと認識できないことにあると認めるべきである。この無能力こそ、わが国の古典学科が現在の状態へ陥った理由を、ほかの何にも劣らずよく説明する。最近、東部のあるカレッジを調査した委員会は、古典科目を主に履修しているのは、教師になるための職業訓練の一部として学ぶ「がり勉」であり、これに対して政治経済学の科目は、一般教養を目的とする多数の学部学生が履修していると報告した。古典教授たちは、自分たちを明白な運命と不可避の傾向の犠牲者と見なしがちである。たしかに古典研究は、時代精神そのものという手強い敵をもつ。しかしこの敵が克服不能でないことは、思想をもつ人物でもあるブッチャー教授やマリー教授のような古典講演者へ、わが国の公衆がすぐ応じたことによって示されている。私は別の場所で論じたように、イギリスの人文主義は、現在のわが国の必要へ完全には適合しない。それでもドイツ的な夢魔にいつまでも苦しみ続けるくらいなら、オックスフォードの優等取得者のうち最良の者を、古典教師としてこの国へ招くよう努めたほうがよい。帰国するローズ奨学生が、ときおり役に立つこともあるだろう。オックスフォード式訓練を受けた人物なら、少なくともプラトンとアリストテレスについて、ある程度は知っている可能性が高い。それだけでも、すでに大きなことである。

より自由な方法を用いれば、やがて、より多くの、しかもより優秀なアメリカ人学生を、古典研究へ進ませられると期待できる。私は古代分野でも近代分野でも第一級の人物が、現行の博士号要件への嫌悪から、文字どおり追い払われるのを見てきた。また要件を受け入れながら、心に苦々しさを抱いた者も知っている。文献学的訓練を身につけるだけの気骨を欠く好事家の嘆きなら、無視してよい。しかし人文主義的傾向をもつ学生まで、文献学者が文学教育の入口へ張り巡らせた有刺鉄線の障害物によって、この職業から遠ざけられるなら、問題はいっそう深刻である。

ここに、新しい学位を設けること、少なくとも現行学位の要件を根本的に改めることの正当性がある。もちろん問題は、新しい学界の機構を何か考案することより、博士号をめぐる現在の迷信を生み出した精神そのものを変えることにある。これは古代語研究と近代語研究のいずれを自由化するにも、必要な前提となる。しかし何より先に精神が必要だとしても、方法を軽視してはならない。方法の問題をあまり高尚に見下すこと自体、すでに好事家的態度の匂いがする。強い人物のいない正しい方法も、正しい方法のない強い人物も、等しく役に立たない。わが国の古典学者を、方法から切り離して一人ひとり見れば、おそらく他のどの学科にも劣らない有能な集団である。

したがって、これらを含むさまざまな理由から、現行の博士号に代わるもの、少なくとも別の選択肢となる新しい学位が必要に思われる。その学位は、美的鑑賞力と言語学的正確さへ正当な重みを置く一方、何より広い読書と、その読書内容を互いに関係づけ、規律ある判断の基礎を形づくる力を求めなければならない。そうすれば、文献学者と好事家だけでなく、人文主義者も存在するようになる希望が生まれ、わが国の文学教育は、アレクサンドリア主義という乾腐病から守られるだろう。

Harvard University Catalogue, 1906–07, pp. 439–440 を参照。

中世には知的な力が豊富にあったが、その大部分は各地の俗語ではなく、ラテン語とスコラ哲学へ向けられた。ダンテの詩を例外とすれば、中世は、たとえばゴシック大聖堂において成し遂げたほど完全には、自らを文学に表現できなかった。

ここで歴史的方法と比較的方法について述べたことは、本書の「古典の合理的研究」と「古代人と近代人」において、同じ主題について述べたことによって補われる必要がある。

この点は、ハーバード大学のH・W・スマイス教授による最近の論文 “Aspects of Greek Conservatism” において、明確に論じられている。

カントとルソーの関係については、クーノ・フィッシャー(Kuno Fischer), Geschichte der neueren Philosophie, vol. III, book I, chap. xiv、C・ディーテリヒ(C. Dieterich), Kant und Rousseau などを参照。R・フェスター(R. Fester)は Rousseau und die deutsche Geschichtsphilosophie において、いくらか特殊な角度からこの問題全体を扱っている。ドイツにおけるルソーの巨大な影響は、ドイツ人が、すでに自分たちのうちに潜在していたものの鮮やかな文学的表現をルソーのうちに見いだしたことに、大きく由来する点を忘れるべきではない。ルソーの気質のより深い親縁関係は、イギリスよりドイツにある。ジョゼフ・テクスト氏(M. Joseph Texte)の J.-J. Rousseau et le cosmopolitisme littéraire は、この点で誤解を招いてきた。ルソーのドイツへの影響に関する最良の概説は、今なおH・ヘットナー(H. Hettner), Literaturgeschichte des XVIII Jahrhunderts, vol. V である。

正統派政治経済学は、当初から人間性にかなったものではなく、人道主義的だった。政治経済学が人間を見るとき、その目的は知恵の獲得ではなく、富の生産である。したがって、あらゆるものを数量と力へ還元する傾向をもち、その埋め合わせとして、利他的同情と「啓発された自己利益」のさまざまな混合物へ頼る。もちろんすべては個々の教師によって決まる。ウォルター・バジョットが教える政治経済学は、わが国の多くの古典学者が教えるプラトンより、人間性にかなったものになるだろう。

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第6章 古典の合理的研究

<!-- 原書 pp.150-154 -->

スウィフトは、国王の図書館で古代派と近代派の書物が戦うさまを描いたとき、その勝敗を語らずに終えた。これはきわめて賢明な処置だった。戦いはいまなお決着していないが、形勢はしだいに近代派へ傾いている。世界は、意識して選んだ進路によってだけでなく、無意識の流れによっても、古典から遠ざかりつつあるように見える。注意を求める学科が増えるにつれて、近代人の精神は自己保存の本能から、必要不可欠でないように見えるものを、ことごとく退けようとする。

こうして古典教師が守勢へ追い込まれているなら、その立場がどこまで避けがたいものであり、どこからが、現代の必要に方法を適応させなかった結果なのかを問わなければならない。現在の古典教育法には、この三十年間に高等教育全体で起きた変化が映し出されている。この時期には、ドイツ式に専門家を養成する大学院が発達し、まったく異なる伝統に属する学部制度の上へ重ねられた。そうした大学院の最初の例であるジョンズ・ホプキンズ大学が設立され、そこでドイツ式博士号へ至る種類の研究へ強い推進力が与えられたことは、アメリカ教育史上の重大事件である。ギルマン学長は、ドイツの科学的精神、strengwissenschaftliche Methode、すなわち厳密科学的方法、そして研究と独創的仕事への本能を、アメリカ学生の知的生活へ導入することを、熱狂に近い気持ちで思い描いていた。その成果は、彼の期待を十二分に正当化した。眼前の主題を正確に把握すること、力を集中して取り組むこと、細部を支配することに関するかぎり、アメリカの学問水準は近年、目覚ましく高まり、今後も高まり続けるだろう。

わが国の大学は、忍耐強く勤勉な研究者の一群を生み出している。彼らは、ホラティウスがローマ人について、ギリシア人と肩を並べるに至ったと述べたのと同じように、ドイツ人をその得意分野で追いついたと主張できるかもしれない。

Venimus ad summum fortunae; pingimus atque
Psallimus et luctamur Achivis doctius unctis.
われわれは幸運の頂へ達した。絵を描き、音楽を奏で、
油を塗ったギリシア人より巧みに格闘する。

しかし、ドイツの科学的精神がもたらした利益を認めながら、同時にその危険と欠点を感じる人も少なくない。ドイツ的方法をアメリカ教育の必要へあまりに粗雑に適用することへの反動が始まりつつある。中世の動物寓話十二篇の本文を批判的に研究し、ピカルディ方言について論文を書いたというだけで、アメリカのカレッジのフランス文学講座を担当する資格があるとは考えない人々が、いまでは存在する。また、アンミアヌス・マルケリヌスにおける現在分詞の用法について博士論文を書いたというだけで、アメリカの学部学生へ人文学を解釈する資格が当然に与えられるわけではない、と否定する人々もいる。さらに広い観点から問題を見る人々は、ドイツの学問が、アレクサンドリアの諸学派でギリシア学問を襲ったのと似た退廃の兆候を示し始めていると考える。

マシュー・アーノルドは、十九世紀におけるアングロ・サクソン人の大きな欠点は、機械と物質的設備を過度に信頼したことだと述べた。同じように、同じ時代のドイツ人の大きな欠点は、知的機械と知的設備を過度に信頼したことだと言えないだろうか。近代科学が、ますます細かい分割と分析へ進んだ結果として生まれた、部分的成果の巨大な集積は、知的機械以外の何ものだろう。ドイツでは、特殊研究の書物と微細な細部の調査が積み上がる速度が、アングロ・サクソン世界で機械装置が増殖する速度に並んでいる。気が滅入るときには、十九世紀の主要な功績とは、二十世紀の背骨を折るほど大量の機械を蓄積したことなのではないか、と問いたくなる。コーネル大学図書館には、ダンテだけを専門研究するための書物が、すでに七千冊以上ある。ついでに言えば、その約四分の三はほとんど、あるいは完全に無価値であり、良い判断を混乱させることにしか役立たない。ダンテとその時代を研究するための特殊な装置を身につけるだけでも、近代の専門家に課される基準へ従う学生は、知性の均整と釣り合いの感覚を失う危険を冒す。しかもその二つこそ、ダンテをより高い次元で解釈するために最も必要となる性質である。

知識の目的を忘れ、その手段と装置の追求へ没頭する傾向が、古典研究ほど明瞭に現れる分野は、おそらくほかにない。こう述べることは、十九世紀の学者、とりわけドイツの学者が古典学へ果たした貢献を過小評価する意図ではない。彼らは、文献学的研究と本文の細密な批判において、ベントリーが初めて定式化し体系的に適用したものの、その主要な特徴はルネサンスの大学者たちまで遡る方法を、継承しているにすぎない。しかし、古典古代から残されたように、量が厳しく限られた資料を、永遠に第一義的な科学研究の対象と見なすことには、誤謬がないだろうか。

<!-- 原書 pp.155-159 -->

中世のフランスを無政府状態から救った封建制度は、十八世紀には最悪の時代錯誤となっていた。同じように、ルネサンス初期に古典著者の本文を救出し、復元するため必要だった型の学問も、その仕事が十分に果たされた後まで固執すれば、それに劣らぬ露骨な時代錯誤となる。十六世紀にステファヌスやカゾーボンを生み出した方法も、今日では、「すべてが言い尽くされた場所で何かを言わなければならない仕事に絶望し、霧を照明手段とする新説を熱心に適用するドイツの博士」という光景しか生まないだろう。古代文学の領域がますます完全に覆い尽くされるにつれて、専門研究者の視野はますます顕微鏡的にならざるをえない。実際、今日の古典文献学者たちは、無限に小さいものの知識へ到達することで救済を得られると信じる、ある日本仏教の一派を思わせる。近年には、古代の馬勒やローマの扉の取っ手について論文を書くことで、人文学を教える適性を示した人々さえいる。

古代語における「研究の時代」と呼べるものを、最終的に閉じる時期は、まだ到来していないだろう。とりわけギリシア文学については、ラ・フォンテーヌの言葉を借りて、「最後に来た者が拾い集めるものを残さないほど刈り尽くすことのできない畑だ」と言える。しかし古典には、上級の学生に報いる研究課題がまだ残っているとしても、専門分野の準備の一部として、初心者が有益に取り組める課題が多く残っているかは疑わしい。現在の条件のもとで古典学の博士号を得るため必要な仕事をすることが、古代文学の精神、あるいは文字そのものへ接近する最良の手段なのか、また、その文学を他人へ解説する資格を身につける最良の手段なのかは、疑問である。

研究の擁護者は、学生が調査によって重要な成果へ到達できなかったとしても、その過程で受ける訓練は、それ自体として高度に価値があり、人格形成的だと主張する。少なくとも学生は、ギルマン学長が特に重視した strengwissenschaftliche Methode へ入門する。こうした研究擁護論には、かなりの真理が含まれていることを認めなければならない。ゲーテが有名な一句で教えたように、自己を集中し、限界の内で仕事をする力によって、初めて達人が明らかになる。したがってドイツの科学的方法が、私たちに自己を集中させ、限界の内で働くことを強い、それによって集中力と、具体的事実をしっかり捉える能力を高めるかぎり、どれほど高く評価しても高すぎることはない。文学的に散漫な精神習慣と呼べるものに苦しむ人間にとって、精密研究の課程を受けること以上に健全な訓練はない。限界の内で働き、具体的事実を確実に捉える力の欠如は、エマソンのような精神に現れる場合でさえ、きわめて重大な欠点である。

しかし、正確さと科学的方法が広さを犠牲にして得られたのなら、その代価は高すぎなかったかという問題が生じる。オックスフォードとケンブリッジで現在行われている優等試験に、性格のうえで多少似た試験を考案できないだろうか。古代の生活と文学へ可能なかぎり多くの接点から触れ、博士論文では明らかにできない、学生の知識の広がりと正確さの双方を示すような試験である。志願者の専門的熟達だけでなく一般的教養を、語句への親しみだけでなく思想への親しみを、古代語の機構だけでなく精神への理解を示す試験が、たしかに必要である。

現在の傾向の危険は、まさに言語の精神と機構を区別できないこと、文学には文献学とは別個の要求があると認めたがらないことに、主として存在する。文学をそれ自体として研究することは有益でなく、好事家的態度と区別しにくく、上品な賞賛の形容詞を惜しげなく並べる以上のものへは、ほとんどつながらないという見方が、勢力を増しているらしい。東部のあるカレッジのギリシア語教授は、古典を文学として教えるなら、実際には「美しい」という形容詞を、さまざまに言い換えて繰り返すだけになる、と述べたと伝えられている。

苦労して身につけなければならないのは、厳格な科学的方法だ、と私たちは教えられる。文学を正しく感じ取る生来の本能がある人なら、鑑賞力は自然に育つ。反対にその本能がなければ、外部からどれほど圧力を加えても生み出せない。それなら、あらゆる努力を向けるべきなのは、魔法の護符のような効力をもつ strengwissenschaftliche Methode を授けることであり、文学的趣味は、ドッグベリーが「生まれつき備わるもの」の一覧へ入れた事柄の一つと見なせばよい、ということになる。この種の感情によって、文献学研究は現在、東部の大学から文学研究をますます追い出しているように見える。

しかしこの見解の持ち主は、自分たちの方法が個人へ及ぼす影響を過度に強調する一方、その方法が一つの傾向を形成する力を見落としているのではないか。長い目で見れば、ある理想が、周囲の色へ染まるだけの多数の平均的人間へ徐々に働きかけることで、その理想の方向へ向かう、ほとんど抗しがたい運動が生まれる。古典の大きな側面より細部ばかりを強調すれば、小事を好む趣味が古典学者の一般層へ伝染病のように広がり、ほどなく衒学の流行に脅かされるだろう。

<!-- 原書 pp.160-164 -->

ある型の学者が栄えるためには、植物が花を咲かせ実を結ぶために適した土壌と気候を必要とするのと同じく、自分に適した雰囲気を必要とする。現在の条件のベルリン大学に、ジョウェット教授のような人物が現れる姿は、容易には想像できない。そのうえ、現在の方法がさらに押し進められれば、文学に対する正しい生来の本能をもつ若者たちが、古典研究から完全に追い出される危険も考えなければならない。この型の若者は皆、「教養文学を愛する者ではなく、校訂者」となるための教育を望むとはかぎらない。古典ゼミナールで何か月も過ごし、ホラティウスの数篇の頌歌の本文と意味を責め立てる方法を学ぶことに、魅力を感じないかもしれない。

そして一つの哀れな語を、一万通りに拷問する。

もちろん一部の科目、とりわけ英文学には、授業があまりに美文趣味へ傾く現実の危険がある。東部のあるカレッジの学部学生のあいだでは、「教養科目」という語が、学生に何の勉強も要求しない科目を意味するようになった。近代語に比べたラテン語とギリシア語の主要な長所の一つは、古代著者の意味を理解するだけでも、相当な知的努力という骨と腱が科目へ与えられるため、教師がそこへ文学的解釈という肉と血を加える正当性が生まれることである。

わが国のように、気質が硬く実際的な文明では、放置すれば潜在したままになりやすいのは、文献学への本能ではなく、文学と想像力の事柄への本能である。乾燥した辞書編集者のような精神習慣が、アメリカ学問の目立った特徴だと、ヨーロッパ人は言う。古典研究で文献学を過度に強調し、この習慣を育てるのではなく、古典を文学として研究することへ十分な刺激と励ましを与え、それを打ち消すよう努めるべきである。ほかの科目にもまして古典では、目標は知識の蓄積ではなく同化であることを、決して忘れてはならない。古典においては、ほかのどこでなくとも、単なる博識は、それが教養へ変えられた範囲でのみ評価されるべきである。そして教養そのものも、所有者の内部へ深く浸透し、その人格の一部となるまでは、完成したと見なすべきではない。

モンテーニュは随筆のどこかで、自分は精神を家具で満たすより、鍛えることを好むと述べている。この比喩はいくらか混ざっているが、そこに含まれる考えは、学問の歴史が遅い段階へ達した時代に生まれた者が、いくら熟考しても足りないものである。過去から伝えられる学問の総量が増すにつれて、知識を受け取ることと、それを同化することとの正確な均衡を保つのは、絶えず難しくなる。この均衡こそ、インドの最も偉大な賢者が、あらゆる知恵の根だと宣言したものである。ブッダは言う。

「知識なくして省察はなく、省察なくして知識はない。知識と省察の双方をもつ者は、涅槃に近い。」

今日、私たちが冒している危険は、自分の用途へ取り込み、生きた滋養へ変える内的活力も省察力もないまま、精神を情報の死重に埋められることである。単なる情報収集者が、知識と省察との均衡を保とうとする人間より、不当に有利になることを許さないよう警戒しなければならない。たとえば古典への熟達を測る唯一の試験として、その周囲に築かれた微細な学識の巨大な機構へ、どれほど精通しているかを掲げるなら、衒学に褒賞を与えることになる。それは、近代学問の害悪である、精神への単なる受動的な詰め込みを持ち上げることである。

そうすれば、自発的に考える試みをすべて捨て、知識の小さな一部門で、他人の思想を記録し貯蔵するだけの存在になることをいとわない人間が、励まされる。精神を純粋に機械的な機能へ縮小することをいとわない者は、その代わりに事実を支配し、知識をもっと広く用いようとする人間を威圧できることが多い。ホームズが社交界について述べたように、学者のあいだにも、「行儀の悪い事実」を何頭も上品な仲間のところへ引き連れ、巧みな示唆、便利な一般化、楽しい空想が現れるたび、ブルドッグの群れのように放つ用意をしている「連中」がいる。

文字どおりの事実の人と一般法則の人、冷たい悟性の人と思考と想像力の人とのあいだには、いつの時代にも本能的な反感が存在した。この二種類の精神を分けてきた争いは、歴史を通じてたどることができる。中世には、実在論者と唯名論者という名のもとで、何世紀にもわたり激しい論争を繰り広げた。最古のインド聖典の一つを書いた人物は、文法学者と、美食を好みすぎる人間という二種類の人々へ呪いをかけ、双方を最終的救済の希望から締め出している。

争いは、一方だけに責任があるなら長く続かない、としばしば言われる。この真理は、ここで扱う論争にも適用できる。その本質は、総合を好む者と分析を好む者との対立から生じている。エマソンは「プラトン論」で、ギリシア人の主要な長所は、総合と分析の正しい中間地帯を見いだし、そこを占めたことにある、と深く洞察して述べた。これこそ真の学者が今後も目指すべき場所である。

<!-- 原書 pp.165-169 -->

オックスフォードに今なお残る旧来の人文主義には、賞賛すべきものが多い。しかし少なくともいくつかの点では、時代遅れで不十分になっている。ウォルター・ペイターの場合がそうだったように、それは時として、人生に対する極端に唯美的で享楽的な態度、象牙の塔へ退き、古代文学を精妙な慰めの源としてのみ求める傾向へ導くように見える。しかしこのイギリス的人文主義の主な欠点は、古典著者を孤立した現象として扱いすぎ、彼らを近代生活へ広く生きた形で関係づけられないことにある。

したがって古典へ新しい生命と関心を吹き込むには、旧人文主義を復元するより、比較的方法と歴史的方法を、より広く古典へ適用する必要があるように思われる。ただし、急いで付け加えなければならないが、これらの方法には思想を通わせ、絶対的価値の感覚によって補強しなければならない。とりわけ、文学がきわめて派生的でありながら、そこから多方向へ影響が放射され、近代世界へ届いたラテン語のような言語の場合、個々の著者を互いに切り離して扱うだけでは、まったく不十分である。もちろん各著者の作品は、まずそれ自体として、その固有の価値に基づいて考察すべきである。しかし同時に、古代世界から近代世界まで続く、文学的・知的伝統の途切れない鎖をつなぐ環として研究されなければならない。

この伝統の連続性をアメリカ学生の精神へ実感させることでこそ、ほかのどの方法よりも効果的に、彼が著しく欠いている、過去への正しい感情と敬意を植えつけられるだろう。ほかの国や時代の欠点が過去への過剰な崇敬だったとすれば、今日のこの国の危険は、むしろ現在へ不当に没頭することである。パンテオンやノートルダムのような過去の大建造物が、アメリカの都市のただ中にそびえ、過ぎゆく時代の安っぽく騒々しい傾向へ対して、過去のために沈黙の訴えを行うことはない。十八世紀から受け継いだ人間完成可能性の理論、より新しい進化論、とりわけ自国の歴史が示す実例など、意識の内部で不明瞭に共同して働くさまざまな要素によって、平均的アメリカ人は、十年ごとに前の十年より進歩し、世紀ごとに前の世紀より改善されると、本能的に信じるようになった。教養へ向かう道で、彼が最初に学ばなければならないのは、動きが必ずしも進歩ではなく、文明の前進は十八階建て建築の数が増えたことによって測れない、ということである。

現在へのこの隷属から解放されることは、古典研究から得られる主要な利益の一つに数えられる。不幸にも、この表面的な近代主義は、多くの人を古典研究そのものから遠ざけ、古典を研究する者のうちでも、最初の困難を克服するため不可欠な信念と熱意を弱める。

たしかにアメリカ人は、表面上の活発さのただ中で、自分の人生には結局、深さと威厳が欠けているのではないかという曖昧な感覚に悩まされることが多い。しかし彼が、この欠点を、自分の人生に背景と遠近感がないこと、自分自身に過去への正しい感情がないことまで遡って突き止めることは、あまりない。過去への感情こそ、正しく言われてきたように、文明人と野蛮人を区別する何より大きな特徴である。すでに述べたように、古典の場合、この感情は、古典を孤立した現象として扱うことより、現在と結びつく多様な道筋を明らかにし、古代生活と近代生活のあいだに精神が越えられない断絶を残さないことによって得られる。

したがって古典教師の重要な役割の一つは、ギリシア・ローマ世界と今日の世界との隔たりへ橋を架けることである。この仕事を十分に果たせるよう自らを準備する人間にとって、準備が広すぎることも、教養が包括的すぎることもない。近代の生活と文学について、古代の生活と文学に関する知識にほぼ匹敵する広い知識が必要である。理想的な古典研究者は、マックス・ミュラーの言葉によれば、近代文学の血管を火のように流れているギリシア・ラテン思想を、そのあらゆる分岐へ沿って追跡できるまで満足すべきではない。

たとえばウェルギリウスのような著者を扱うなら、古典古代のウェルギリウスだけでなく、後世のウェルギリウスにも親しまなければならない。中世の想像力へ取り憑いた魔術師・魔法使いとしてのウェルギリウス、ダンテの案内者としてのウェルギリウス、そしてテニソンの壮麗な頌歌へ至るまでのウェルギリウスである。アリストテレスを扱うなら、ラテン語の伝統を通じて直接に、またアヴェロエスとアラブ人を通じて間接に、アリストテレスが中世・近代ヨーロッパ精神へ及ぼした巨大な影響を示せなければならない。エウリピデスを扱うなら、彼が近代の劇芸術へどのような影響を及ぼしたかを知り、『ヒッポリュトス』とラシーヌの『フェードル』を比較できなければならない。ストア哲学を研究するなら、ストア派の完全性の理想と、聖ボナヴェントゥラや聖トマス・アクィナスのような著者が練り上げたキリスト教的な完全な生の理想とを対照できなければならない。また、古代思想が中世・近代型の思想へ移行した過程を示す証拠として、ギリシア語・ラテン語で書かれた偉大な教父文学を、従来よりはるかに重視すべきである。これらは、比較的方法を広く実り豊かに適用できることを示す、ほとんど無作為に選んだ数例にすぎない。

<!-- 原書 pp.170-174 -->

同様に、歴史的方法を従来より自由に用いることで、古典研究の価値をどれほど高められるだろう。「歴史的」という語は、広い意味で用いている。意味するのは、古代文明の出来事を単に目録へ並べることではなく、古代社会を偉大にし、あるいは衰退させた諸原因を調べることである。ローマ人の興隆と没落の理由について、最後の言葉を述べたのはモンテスキューではない。この種の研究には、近代科学の多くの理論を適用できるが、その成果は抽象的な科学的関心をはるかに超える。私たち自身の時代の問題へ対処するための教訓と実例を与えてくれるからである。

私たちは、過去の教えへほとんど注意を払わないため、国民生活において、喜々として次のことを行いがちである。

最も古い罪を、最も新しいやり方で犯す。

古代共和政の歴史を冷静に省察すれば、私たち自身がさらされている多くの危険への警戒心が生まれるかもしれない。安っぽい楽観主義を、ある程度は治せるかもしれない。少なくとも、マキアヴェッリが明瞭に見抜いた傾向、すなわち国家が繁栄という緩やかな下り坂を滑り、悪徳へ陥る傾向を自覚させるだろう。

Et in vitium fortuna labier aequa.
そして順境のうちに、悪徳へ滑り落ちる。

適切に行われるキケロ書簡講読の科目によって、ローマ政治だけでなく現代政治にも、どれほど多くの光を投げかけられるだろう。これは、ここで言うことの、ただ一つの実例である。

いま提案した古典研究法を用いれば、古典は現在の関心と必要からまったく遠い、という今日の批判を受けにくくなるかもしれない。古典は時代遅れだという感情が、アメリカ人の性格へ深く埋め込まれた功利主義的本能と結びつき、古典がいま占める場所を近代語へ与えるべきだという世論を、広く生み出している。未来のアメリカ学生には、『ペンデニス』に登場するあの注目すべき若い女性、ブランチ・アモリー嬢の足跡をたどる機会が与えられるらしい。記憶にあるように、彼女は「フランス語で書かれた近代の大作家たちの小説を、熱心に研究することで精神を向上させた」人物である。東部のある大学の講義要覧を比較すると、二十年前の学生ならソフォクレスの『アンティゴネー』を読まされた場所で、今日の学部学生にはエミール・ゾラの『壊滅』を読む機会が与えられているように見える。

古代語と近代語の教育的価値を比較するこの重要な問題について、ここで全面的に論じるつもりはない。しかし近代語は、古典を補う研究としてはどれほど価値があっても、古典へ取って代わるにはまったく不十分だとする見解を支持する理由を、いくつか簡潔に示すことはできる。

ポール・ブールジェは、近年の自伝的素描で、若いころ自分の精神をスタンダール、ボードレール、そのほか同型の近代文学へ浸したと語っている。彼は、それらの近代書が、本人の言うように真実と誠実さを尽くして書かれていながら、なぜ後には苦い失望と幻滅しかもたらさない人生観を自分へ与えたのかを、自分にも他人にも説明できない。ブールジェが、自分の語る著者たちは、意志と理性を刺激するどころか、彼を片隅へ退かせ、自分の感情的性質に奇妙な実験を施し、自分の感覚能力から新奇な効果を引き出すよう誘ったにすぎないことを考慮していれば、この困難はいくらか小さかっただろう。要するに彼らは、人生から純粋に個人的で感覚的な満足を得られると約束した。人生そのものが守らないと確実に予想できる約束である。

もちろん近代の著者が皆、ボードレールのように激しく主観的な型であるわけではない。しかし著者自身とその癖が作品へ侵入し、人生の客観的現実が個人という媒体を通過することで歪められることは、古代文学より近代文学にはるかに多い。近代文学の多くは、存在の明白な事実へ断固として雄々しく取り組ませるより、感傷的・ロマン主義的な夢想を奨励するだけである。ティエールが述べたように、ロマン主義がコミューンを意味するとはかぎらない。しかし少なくとも、ロマン主義型の文学は、古典的伝統に属する文学と比べ、冷静さと規律のいくつかの性質をあまりに欠くため、若者の精神を形成する力としての価値を疑わせる、と言うことはできる。

最良の古典文学は、ある感情状態へ、ましてある神経状態へ私たちを導こうとはしない。むしろ、より高い理性と想像力へ訴える。そこには、自分自身から脱出し、普遍的な生へ参加できる道を開く能力がある。したがって古典文学は、研究する者を自己の外へ、自己から離れたところへ導くという意味で、真に教育的である。最も純粋な形の古典精神は、高い非個人的理性への奉仕に自らを捧げていると感じる。そこから、抑制と規律への感情、釣り合いの感覚、あらゆるところへ行き渡る法則の感覚が生まれる。

私たちの行為を、この高い非個人的理性へますます近く一致させることによって、古典精神は、宗教とは別の道を通りながら同じ目的へ、すなわち、次のものとの、より親密な結合へ私たちを導こうとする。

私たちの唯一の真なる、深く埋もれた自己、
それと一つになることで、全世界と一つになる自己。

この正しい理性の導きと支配のもとで、すべての能力を完全かつ調和的に発達させることで、古典精神は、私たちを、二度と次のものへ堕ちる可能性のないところまで高めようとする。

肉体または精神の何らかの隷属へ、
感覚の沼へ、あるいは、
尊大で孤独な思考力が作った幻想の迷路へ。

<!-- 原書 pp.175-180 -->

古典文学に含まれるこの高い教えを理解するには、私たち自身の最良の能力、すなわち知性と想像力を、能動的に働かせなければならない。古典への関心を目覚めさせるとき、最初の大きな慣性を克服しなければならないのは、古典がこのように純粋に知性へ訴えるためかもしれない。アメリカ新聞の紙面によって注意力を散漫にされ、近代の官能小説を読むことで精神を弛緩させられた、今日の平均的な若者をギリシア学者へ変えることは、フィリップス・ブルックスの表現を一つ借りるなら、パテから槍の穂先を作るのと同じほど見込みの薄い企てに見えることがある。

ギリシア文化のより高い教えを受け取れる者の数は、いつでも少数にとどまるだろう。しかし古典精神は、それがどこに現れても健全で、人格形成的である。ピンダロスにおいて鑑賞できない者も、ホラティウスなら鑑賞できるかもしれない。ホラティウスでも無理なら、モリエールにおいてならできるかもしれない。十七世紀フランス文学は、全体として、近代における古典精神の最も輝かしい表現である。したがってフランス語は、かなりの確信をもって教えられるはずなのだが、アメリカ学生には、フランス語の読書を劣った近代著者、しばしば退廃期の小説へ限る傾向がある。

退廃小説と、それに似た菌類のような成長物は、フランス語だけに特有ではなく、ヨーロッパのすべての大文学で、警戒すべき速さで増殖している。近代文学はペトラルカ以来、多かれ少なかれ感傷的であり、ルソー以来、病的に主観的な傾向をもってきた。そして近ごろは、神経症的と呼ぶほかない性質が現れ始めている。シャンフォールの言葉を言い換えるなら、一部の現代書が成功するのは、著者の神経状態と読者の神経状態とが対応しているためだと言える。精神的意気消沈は、中世には acedia の名で七つの大罪の一つと数えられたが、後代には文学の主要な資源の一つとなった。近ごろフランスの溶解派を代表する人物の一人は、人生そのものを「二つの無のあいだに起こる癲癇発作」と定義した。

現代文学のこうした瘴気のような蒸気から、古典の引き締まった大気へ逃れ、次のような、より清らかな天空へ昇れることは、決して小さな助けではない。

そこには、輝く空気の精霊たちの、
不死の姿が天球に包まれて住み、
穏やかで静澄な空気の領域にある。

したがって、近代語が古典の十分な代用品になるという主張は、決して認められない。しかし古典が伝統的な地位を維持するには、近代生活の必要と願望へ、従来より大きく関係づけなければならない、という主張には同意する。この目的のため、古典研究は新しい方向を取らなければならない。ルネサンスの大学者たちの精神を見習いながら、その方法は改める必要がある。

現在、アメリカの古典学でドイツ的傾向が過剰になっている問題は、自然に是正されるのを待ってもよい。ドイツの研究方法は、たしかにアメリカ人の精神の硬く積極的な性質へ訴える。しかしより深く知れば、ドイツ的理想のほかの側面は、アメリカ人にとって不快になるだろう。何よりアメリカ人は、ドイツの専門家がもつ崇高な無私性に、長い目で見れば耐えられない。その専門家は、自分の仕事が実際上の目的へ役立つかを問わないどころか、そもそも何らかの目的へ役立つかどうかさえ、立ち止まって問わない。したがってドイツ的方法と科学的精神の誇張への反動は、害にはならない。ただし古典研究は、歴史的方法と比較的方法を十分に適用することで、利益を得なければならない。

今日の古典学には、過去を理解することで現在への把握を弱めるのではなく、強められる人物が必要である。中等学校の教師と大学の専門家との中間に立ち、広く自由な精神でアメリカの学部学生へ古典を解釈できる型の学者が必要である。その学者は、共和国の未来の市民の精神と人格を形成しているという自覚をもって、仕事へ臨まなければならない。このように理解された古典教育は、実生活への最良の準備の一つとなり、「死語の勉強へ時間を浪費する」という決まり文句の不満も、あまり聞かれなくなるだろう。

この最後の非難については、近年、古典をもっと自由に研究するよう求めた最も雄弁な訴え、すなわちローウェルのハーバード記念演説から引用できる。ギリシア人の言語が死んでいるとしても、その内部に収められた文学は、シェイクスピアを除くどの文章にも、おそらくこれまでなかったし、今後もないほど、生命で詰まっている、と彼は述べる。

その文学は、最初に魅了した耳にとってそうだったのと同じく、今日と同時代である。それは当時の人間にも、現在の人間にも訴えるのではなく、人間本性の全円へ訴えるからである。人間は束の間の、消えゆく存在である。しかし人間の真正な魂が、その不死化する指で触れたページは、どれほど昔のものであっても、世界の白髪の祖先たちにとってそうだったのと同じく、今なお若く美しい。忘却はギリシアのムーサの顔を見ると、自分の用向きを忘れてしまう。……ほかの学問が、とりわけこの学問から切り離されたとき、私たちをどこへ導くかは分からない。しかしこの学問が、下方の騒乱の領域からはるか上にある、どのような高峰へ私たちを導いたか、そしてそこから、どれほど多面的な眺望が開けるかを、私たちは知っている。

もし外国人がアメリカ人へ向ける、節度と釣り合いの感覚を欠くという非難に根拠があるなら、今日ほどヘレニズム精神が必要とされる時代はなく、とりわけこの国ほど必要とする場所はない。マシュー・アーノルドが見事に述べたように、近代精神が進むべき道を最もよく示すのは、ギリシアの著者たちである。近代人は中世人のように、想像力と宗教的能力だけによって生きることはできない。他方、理性と悟性を働かせることだけによっても生きられない。自分の本性のこの二要素を結合することによってのみ、均衡の取れた成長へ達する希望をもてる。そしてこの理性と想像力の融合は、偉大な時代のギリシア古典において、ほかのどこより完全に実現されている。

ヘレニズム精神のより高い秘儀へ入れる者は、疑いなく少数にとどまる。しかしその少数者は、現代の錯覚から逃れる力を身につけるというだけでも、それぞれの範囲で、善のために強い影響を及ぼすだろう。ギリシア文学のより深い教えを捉えた者については、『キリストにならいて』の言葉を借りて、多数の意見から解放された、と言うことができる。

本論は1896年に書かれたもので、本巻のほかの論文より六年ないし十一年前にあたり、ところどころ、その後すでに変化した状況へ言及していることを、指摘しておくとよいだろう。

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第7章 古代人と近代人

<!-- 原書 pp.181-182 -->

近代語は、ギリシア語とラテン語に取って代わるうえで、実際上あまりに大きな成功を収めてきたため、これまでのところ、自らの正当性を理論的に弁明する必要をほとんど感じてこなかった。オックスフォードと、伝統を守るいくつかの拠点が力強く防戦したにもかかわらず、古典人文学は全般的な退却を続けてきた。サント=ブーヴ最後の秘書は、最後の人文主義者の一人でもあったこの大批評家が、あるとき次のようにつぶやくのを耳にしたと伝えている。

Les anciens ont perdu la partie.
古代派は勝負に敗れた。

ファゲは、古代人と近代人の論争はまもなく終わるだろう、と述べている。古代人について、論争できるだけの知識をもつ人間が、まもなく一人もいなくなるからである。フランスで最近採用された中等教育の新課程は、ファゲの警句を事実へ変えそうに見える。古代の模倣を教義としてヨーロッパへ押しつけるうえで、ほかのどの国より大きな役割を果たしたフランスは、いまや古典研究に対する態度において、迷信から不敬へ転落しようとしている。

したがって近代語は、ほとんど成功するだけでよかった。近代語は、実用性へ訴える力によって、また母語の場合には感情へ訴える力によって利益を得た。文学と教育における女性の影響が絶えず増大したことからも利益を得た。ギリシア語とラテン語の代用品として、学科を選ぶとき、多かれ少なかれ意識的に最小抵抗線をたどる大多数の人々を引きつけた。その一方で、近代語、とりわけ母語が、規律と教養の手段として本当にどのような価値をもつかについて、いくつかの根本問題は未解決のまま残された。実際、近代語が人気を得たのは、規律の手段だったからというより、明確な規律から逃れる手段を提供したからだ、とさえ言える。近代語がラテン語とギリシア語へ勝利するうえでは、これまでルソーと結びつけてきた、抑制を共感へ置き換える運動が大きな助けとなった。この点を明らかにするには、古代人と近代人の論争を手短に振り返る必要がある。

I

<!-- 原書 pp.183-186 -->

純粋に文学的な面にかぎれば、この論争の第一段階はすでに時代遅れとなっている。それでも第一段階が重要なのは、進歩という観念の始まりと密接に関係しているからである。 論争の両陣営へ加わったすべての作家と才人のうち、近代人が最終的に古代人の模倣から離れ、自分たち自身の思考と表現の様式が正当であると主張することになる、その根拠を明瞭に見抜いたと言えるのは、ただ一人である。その作家はサン=テヴルモンであった。彼は、後に歴史的方法と呼ばれるものを、すでに巧みに用いていた。ギリシア・ラテンの傑作を、時間と空間を超えて高く掲げられた絶対的模範とは見ず、気候、宗教、環境など、特殊な条件から生まれた産物と見なす。いまやそれらの条件がすべて変化した以上、近代文学も、それに伴って変化する権利をもつ。ギリシア・ラテンの著者を教条的に押しつけることは、彼らも近代人と同じく、普遍的相対性の法則に従っていたことを忘れることである。

しかしサン=テヴルモンは、当時いくらか孤立しており、歴史的方法を触発した人物として大きな影響を及ぼしたとは言い難い。 古代人と近代人の論争の近代的段階については、サン=テヴルモンより歴史感覚に乏しかったルソー以前まで遡る必要はない。それでも、形式と良趣味の基準として古代語が独占していた地位を、最終的に揺るがす運動の最も重要な創始者はルソーである。ルソーは感情の名において、あらゆる種類の権威に対する、世界史上最も強力な反乱の先頭に立った。したがって、個人の感受性を支配すると古典主義が称してきた権威、固定した基準の名において感情を規制しようとする古典主義の要求を、彼が攻撃したのは必然であった。ルソーがとりわけ激しく反発したのは、古典主義的な、より正確には擬古典主義的な「適切さ」の観念である。それは自発性を禁じ、彼の言い方なら、退屈な威厳の名において心の声を沈黙させるものだった。

ルソー主義を文学と歴史の領域へ持ち込み、決定的な一歩を踏み出す役割は、ルソーのドイツ人の弟子ヘルダーに残されていた。 ヘルダーは、その仕事の本来の価値より、歴史的意義のほうが大きいことが多いという点で、ルソーに似ている。彼は創始者として巨大な重要性をもつ。過去を共感と想像力によって解釈することを促進し、キリスト教と古典主義の双方の教義を強力に溶解した歴史的方法の勝利へ道を開くうえで、同時代のどの人物より大きな働きをしただろう。歴史的方法を適用するとき、ヘルダーはサン=テヴルモンのような、冷静で慎重な世慣れた人物の気質を示さず、むしろロマン主義的・人道主義的熱狂家の気質を示した。

ルソーは『エミール』において、個々の子どもの教育を変革するため、有機的な成長と発達という観念を用いた。ヘルダーは、この観念を国民へ移し替える。彼は国民、とりわけ自国民の起源へ特別な関心を寄せ、ルソーが幼年期を個人の黄金時代として高く掲げたのとほとんど同じように、自発性と本能に満ちた国民の最初の時代を理想化する。民謡をはじめ、自然発生的に生まれるあらゆる詩は、学問的技巧によって意識的に作られた作品より高く評価される。以前の時代には、『イリアス』と『オデュッセイア』は、ル・ボシュが定めた叙事詩の規則を直接念頭に置いて書いた、一人の詩人の作品と見なされていた。新しい影響のもとでは、ホメロスは一人の人物であることをやめ、民衆的な歌謡の集成へ与えられた、単なる名称となる。

<!-- 原書 pp.187-190 -->

ヘルダーの方法の背後にある哲学理論は、ルソーの共感の観念を興味深い形で拡張したものである。ルソーによれば、各人は自分自身の独創性を極限まで育て、その後、同じようにする他者へ共感すべきである。ヘルダーによれば、各国民は自国民固有の天分を極限まで育て、その自己主張を相殺するものとして、他国民それぞれの独創性へ広い共感を抱くべきである。国民主義は国際主義によって和らげられなければならない。このように定義した国民主義と国際主義が、世界を動かす力として初めて効力をもつのはフランス革命以後だが、その理論は、すでにヘルダーとルソーにおいて完成している。

近代の世界市民主義は、倫理の基礎を抑制から共感へ置き換えようとするルソーの試みの一形態にすぎない。人間同士の関係において、同胞愛の本能が、利己的本能へ外から助けられずに打ち勝てると信じる人なら、国際関係においても、同じように利他性が勝利すると容易に信じられるだろう。しかし旧来の道徳家の目には、ルソー主義者の根底にある仮定は、どこか空想的に映る。個人または国民の、多様で衝突し合う利己心が、共感だけによって、あるいは「啓蒙された自己利益」によって補強された共感によって、十分に相殺されるという観念全体は、十戒についてある人物が述べたのと同じく、「虹色に輝く夢」に終わるかもしれない。

ルソー主義者は、人々が互いの相違のうちで交わることを望む。より正確に言えば、人間の交わりを、共感と自己主張との混合物の上へ置こうとする。これに対し、共感を人々のあいだで自由に働かせるための必要な前提として、人々が共通の規律によって結ばれなければならないと主張した古い教説のほうが、少なくとも一見したところ、ユートピア的ではない。中世ヨーロッパの世界市民主義は、この型のものだった。人々は一つの信仰によって結ばれていた。中世ヨーロッパは、いくつかの点で、今日のヨーロッパより真に世界市民的だったことを忘れてはならない。

ルソー以前には、文学上の世界市民主義も存在した。それも及ぶ範囲において、共感より規律を基礎としていた。二世紀以上にわたって支配した新古典主義の教説は、国の違いにかかわらず、教養ある全ヨーロッパ人へ共通の文学的基準を課そうとした。ドイツ人、イギリス人、フランス人である前に、まず人間でなければならないと主張したのである。一般的規範へ従うことを妨げる地方的・個人的特性は、訓練されるか、抑圧されなければならなかった。新古典主義者が立てたこの一般的規範は、人工性と慣習性を免れていなかった。新古典主義が、あらゆる地方性、個人的または国民的特徴を強く際立たせることを、ことごとく禁じる方向へ行きすぎたのは疑いない。

しかし、少なくともこの自己抹消の極端からは、私たちは完全に治癒している。最近、議会で立ち上がり、ゲール語で演説すると言い張ったアイルランド議員は、個人としても民族としても、高度な自己主張へ達していたことは明らかである。少なくとも、何ごとについても――アイルランド人であることについてさえ――自慢しないとされた、旧来の紳士の観念からは、はるかに遠いところにいた。

したがってルソーとヘルダーによって始められた運動は、激しい個人主義と国民主義を含むと同時に、原始的なもの、自発的なもの、本能的なものへの崇拝を含んでいた。この崇拝は、詩的・想像的な形だけでなく、厳密に博学的な形も取った。すでにグリム兄弟には、精密な学問とロマン主義的熱狂との混合が見られる。慣習的生活より本能の幸福を高く掲げたルソーの思想を一つの形で適用し、新しい学派は、少数の大作家が完成の全量を示した国民的成熟の時代から目をそらし、自ら誇りとした理解力と共感力を、起源の研究へ注いだ。

ロマン主義者がしばしば用いた意味での起源、すなわち国民的・集合的起源の研究は、実際上、ヨーロッパのすべての民族にとって中世へ戻ることを意味する。中世研究は、古典的伝統が弱まったことから莫大な利益を得た。ハイネによれば、シュレーゲル兄弟がインドへ関心を寄せたのは、インドのうちに、象のように巨大な中世を見たからにすぎない。しかし極東の研究には、それ以上のものがあった。それはロマン主義者の手によって、古典的正統性を掘り崩す手段となった。明らかに教養をもっていながら、私たちとはあまりに異なる仕方で教養をもっていた遠い時代と国々が明らかになったことは、新しい相対性の教説を強く暗示した。それは人々へ、次のものを見るよう教えた。

彼らの情熱が届く最も広い範囲の彼方、
永遠の変化が続く遥かな領域を。

<!-- 原書 pp.191-194 -->

この経験は、古典主義者が主張したような唯一の趣味の基準が存在するのではなく、複数の基準があり、その一つ一つが、それぞれの時代と環境の特殊な事情によって正当化される、と人々に感じさせる助けとなった。

新しい国民主義と世界市民主義を、ほかの誰より広く普及させた人物は、スタール夫人である。彼女はルソーの直接の弟子であると同時に、主として子どもたちの家庭教師A・W・シュレーゲルを通して、ドイツ人たちの弟子でもあった。彼女の『ドイツ論』は、古代人と近代人の論争に一時代を画し、女性が書いたどの本より、多くの思想が詰め込まれているかもしれない。スタール夫人を読むと、古代人は、そもそも文学をほとんど必要としない科学的急進派から受けたのと同じほど、感情とロマンスの文学を求める女性たちの影響から損害を受けてきたことが分かる。また彼女の著作は、形式感覚が不十分であることが、近代人になるうえでどれほど助けとなるかも示している。スタール夫人は言う。

Les Grecs, tout étonnants qu’ils sont, laissent peu de regrets.
ギリシア人は、どれほど驚嘆すべき存在であっても、失ったことをほとんど惜しませない。

ギリシア人を原典で本当に知り、同時に、レオナルド・ダ・ヴィンチが自分には到達できなかったと嘆いた「古代の均整」(sola mi defuit symmetria antiqua)を、わずかでも感じ取れる人物なら、このようには書けなかっただろう。

反対に、ある人物が徹底した偶像破壊者であり、アナトール・フランスのように、伝統的信念のすべてへ無政府主義的な不敬を示す人物であっても、古代の均整を一瞥しただけで、近代派への参加をためらうことになるだろう。アナトール・フランスは言う。

ラテン語研究が「古典」という高貴な名称を近代の競争相手と分かち合いさえすれば救われる、と考える人々の幻想へ加わるのは難しい。近代の競争相手は、どれほど努力しても、威厳、力、優美、美において、ラテン語研究へ並ぶことはないからである。

現在の主題という観点から、スタール夫人と、同じくルソーとヘルダーの影響を受けた同時代人とを比較すれば、多くのことが明らかになるだろう。ゲーテが古代人と近代人の論争で占める位置は、とりわけ興味深い。彼は偉大な科学者であると同時に偉大な文学者であり、また新しい世界市民主義を最も早く身につけた人物の一人だった。しかし同時に古代の均整を鋭く感じ取っていたため、年を重ねるにつれて古典的伝統へ戻る傾向を示す。彼はラテン語とギリシア語を純粋に歴史的な仕方で扱うことを拒み、それらに相対的価値だけでなく絶対的価値を認めた。後期の作品には、古典主義的な、より正確には擬古典主義的な、いくつかの誤りへ奇妙に後退する箇所さえ見いだせる。

それでもゲーテは、人文主義を新しい世界市民主義とどのように調和させられるかを示すうえで、今なお助けとなる。歴史的方法を獲得した結果、価値感覚を失い、相対性の果てしない海へ投げ出されるなら、その方法のために支払った代価はあまりに大きい。この危険を逃れるために必要な調整は、すでに述べたように、人文主義者が行わなければならない調整のうち最も困難なものである。さらに、ゲーテがこの困難へ対処した方法は、実質的にはサント=ブーヴの方法と同じだったと付け加えるべきである。

ゲーテは、「世界文学の時代が到来した」と述べ、外国文学に対する態度において、世界全体へ広がる共感を養うよう促す。しかし彼は、次のように付け加える。

傑作を求めるなら、中国人にもセルビア人にも、カルデロンにも『ニーベルンゲンの歌』にも目を向けるべきではない。古代ギリシア人へ向かわなければならない。彼らの作品には、真に美しい人間の模範が見いだされるからである。その他のものは、歴史的に考察し、そこに見いだせる善いものを自分のものとするためにのみ扱うべきである。

また別のところでは、こう言う。

今日では、私たちはギリシア人とローマ人、イギリス人とフランス人であることを要求される。そのうえ今度は、狂気じみた連中が私たちを極東へ送り出そうとしている。若者は本当に頭がおかしくなってしまう。マイヤーを慰めるため、私は自分の巨大なユノーの頭像を象徴として見せ、ギリシア人のもとへとどまり、そこで平静を得ればよいのだ、と語った。

厳密な哲学のうえでは、もちろんゲーテの立場は維持できない。ギリシアも他国と同じく、相対性の法則に従っていた。古典的なものも近代的なものも、普遍的流転の一部である。しかしゲーテの解決には、理論的価値はなくとも、少なくとも実際的価値がある。恒星は本当には固定していないが、通常の目的では固定していると見なしてよい。同じように、古代人の一部と近代のごく少数の偉大な人物は、文学の恒星と見なしてよい。私たちは彼らを基準に安全に自分の位置を定め、人間本性において何が本質で何が偶然かを判断するとき、その導きを受けることができる。

彼らは、いわば具体化された「人間の理念」(idea hominis)である。彼らの人生表現には、決定的なものがある。そこでは地方性が洗い落とされ、新古典主義の教条家が考えたのとまったく同じ意味でなくとも、典型として受け入れるに値するものとなっている。たとえば『オデュッセイア』のナウシカアの挿話ほど、広大で単純でありながら、人間の女性を代表する像が、再び現れるまでに、あと何世紀を要するだろうか。ゲーテは言う。

古典古代を真剣に研究するとき、私たちは、そのとき初めて本当に人間になったかのような感情に包まれる。

そして彼が、次のように結論するのは自然である。

ギリシア・ローマ文学の研究が、高等教養の基礎であり続けることを願う。

II

<!-- 原書 pp.195-199 -->

ゲーテは後年の見解において、ときおり新古典主義的な狭さへ戻る。それでも全体としては、最も広い知識と共感を獲得しながら、同時に判断と選別を主張することが、どのように可能かを見事に示している。真の人文主義者らしく、彼は相反する両極を結びつけ、そのあいだの全空間を占める。価値感覚を十分に強固にした者なら、ここでルソー主義と定義してきたものから、大きな利益を得られる。偉大な傑作を十分に同化し、人文学的伝統を確実につかんだ人物なら、新しい世界市民的な徳と歴史的方法によって、自分の人文主義を有益に完成させられる。

しかしルソー主義は、それだけに任せれば、個人的・国民的気質を内向きに純化し、確固とした判断原理を、雑多な共感、または反感へ置き換える傾向をもつ。近代語では、古代語より印象主義の危険が大きいことは明らかである。第一に、近代語が成功を収める基礎となった新しい世界市民主義そのものの性質が、その危険をもつからである。第二に、古代人の場合とは異なり、近代人については、時間が選別の問題を単純化してくれていないからである。エマソンは、永続するに値する本だけが後世へ伝わる、と述べた。古典教師が用いる可能性の高い本の大半は、それ自体として重要であるだけでなく、世界の思想と文学へ及ぼした影響のためにも重要だと言える。

これに対し近代文学の領域で選ばれる本は、純粋に個人的・国民的な好み、しばしば単なる気まぐれ以上のものを代表しないことが多い。近代語には、安っぽい同時代性へ陥る絶えざる危険がある。学校とカレッジで読まれる本の一覧や出版社の目録を見れば、ギリシア・ローマの傑作に代わりつつあるのは、二流のフランス小説とドイツ小説の寄せ集めだと推測したくなる。最良の判断者でさえ、同時代人を扱うと印象主義者になりやすい。したがってカレッジという観点からは、「良い著者は死んだ著者だけである」という原則を立てたくなるほどである。

近代語教師は、読む本を選ぶとき、自分自身の印象にさえ従わず、学生の印象へ従うことがある。学生の興味を確保しようとして、学生の未熟さと粗野さへ意識的に身を低くするのである。私はかつて、読む本の選択をクラスの投票へ委ねたフランス語教師を知っていた。多数者の意志へ従う、まことに民主的な敬意である。別の教師が私へ説明したところでは、読書の基準をあまり高く設定すると、近代語がラテン語と同じくらい退屈になる危険があるという。

初級課程では、学生の興味を得るため、ある程度のものを犠牲にしてよいことは確かである。しかしこの原則は、あまりに遠くまで押し進められている。結局、教師の真価は、学生を刺激し、その興味をより高い水準へ引き上げる力にある。カレッジの観点から決定的なのは、教師が興味を起こさせるかどうかではなく、どのような興味を、どの程度の資質をもつ学部学生へ起こさせるかである。カレッジ教師は、鈍い学生を退屈させる危険を冒してでも、能力ある学生の興味を引くよう努めるべきである。

軽薄で劣った読書選択の危険は、同時代の著者にかぎられない。永続するに値する本だけが後世へ伝わるというエマソンの言葉には、それが本当の生き残りを意味するかぎり、真理がある。しかし近代学問の顕著な特徴の一つは、過去が礼儀正しく埋葬してくれたものを、掘り返そうとする傾向だった。たとえば、十七世紀イギリスの劇作家たちを、女子学部学生の研究領域とすることを、どう考えるべきだろう。

乙女たちの空想を、――ウィチャリーという飼い葉桶の中で、のたうち回らせよ。

もちろん、ここで指摘する困難は、カレッジと大学院の基準が混同されていることから、大部分が生じている。カレッジであると同時に大学院でもあろうとする機関では、きわめて微妙な調整が必要になることを、私たちは理解している。ウィチャリーは大学院の課程には居場所をもつ。カレッジの基礎となる選別原理へ反する、ほかの多くの事柄と同じである。ただし大学院でさえ、このような広い自由が望ましいのは、そこへ集まる者の大部分が、すでに人文学的訓練を受けている場合だけだ、と付け加えるべきである。

カレッジと大学院の基準の混同は、小規模なカレッジさえ苦しめる問題である。自分の専門分野だけへ偏った関心をもつ若い博士が、そこで自由に振る舞うことを許され、しばしば自分の素朴な熱狂を学部学生へ押しつける。

近代語研究における印象主義の危険について、これ以上詳しく述べる必要はほとんどない。この危険は一般に認識されている。本当に意見が分かれるのは、その治療法である。現在、対抗薬として最も好まれているのは文献学である。印象主義を、主として中世領域の文献学的研究によって和らげること――これが現在の近代語研究の傾向を要約しているように見える。

<!-- 原書 pp.200-203 -->

中世が強調されるのは、もちろん一つにはドイツの影響による。アメリカの学問は、その模範となったドイツの学問と同じく、起源、「ほの暗く露に濡れた、芸術の春の誕生」を好む。しかし私たちの中世主義は、より厳密な意味での近代、とりわけ英文学の「柔弱さ」へ対抗するものが必要だと感じられたことからも生じている。

それでも文献学上の規律は、人文学的基準を認めることから生じる抑制の代わりにはならない。言語上の正確さは、いずれにせよ必要である。実際上の問題は、近代文学を学ぶ平均的学生が、この正確さを得ると同時に、人文学的基準を形成するための、より大きな助けを、中世的背景より古典的背景から得られないか、ということである。古典を支持する理由は、歴史的方法そのものから引き出せる。歴史的方法が扱うのは、文献学上の事実と、それらの相互関係だけではなく、思想の伝達でもあるからだ。

近代語は、文献学上は中世へ結びついているとしても、 想像力と知性の面では、少なくとも同じ程度に、古代ギリシア・ローマへ結びついている。中世フランスと近代フランスのあいだに、鋭い断絶、フランス人の表現では「連続性の切断」が存在することは、残念に思われるかもしれないが、歴史的事実である。近代フランス文学の学生が、ラテン古典を顧みず、『ローランの歌』、宗教劇、クレティアン・ド・トロワへ親しもうとするなら、フランスの大作家たちが深く浸っていたものから、彼らがほとんど、あるいはまったく知らなかったものへ、注意をそらされることになる。

中世の過去との断絶は、フランスよりイギリスでは急激でなかった。しかし英文学の学生にとってさえ、チョーサー以前の中世へ親しむことは、古典へ親しむことより、はるかに重要性が低い。たとえば偉大なイギリス詩人へ近づく最良の道は、道を誤った一部の近代人が信じさせようとするように、ケイドモンと『ベーオウルフ』を通る道ではなく、ホメロスとウェルギリウスを通る道である。

理論上、いくつかの教育機関、とりわけハーバード大学は、古典的背景の重要性を認めている。しかし実際には、大学院生がひとたび中世についての小さな研究課題へ着手すると、古典研究を断念しなければならないだけでなく、博士試験の準備をするため、後に自分が教えることになる近代文学の諸領域を、手引書から大急ぎで詰め込まなければならないことが多い。

中世研究の行きすぎを抑えるよう主張するとき、私たちは中世を軽視しようとしているのではない。中世研究それ自体の価値を問題にしているのではなく、それよりさらに価値あるほかの研究領域を、中世研究へ従属させることが賢明かどうかを問題にしている。人生があまりに短く、人間の力があまりに限られているのは残念である。そうでなければ、古典、中世、近代という三時代すべてへ、十分な正義を与えられるだろう。中世を専門とするつもりのない者でも、ローウェルのいう「メトシェラの数世紀に及ぶ青春」をもっているなら、全体の釣り合いを犠牲にせず、ゴート語の課程さえ履修できる。

近代語を学ぶ平均的学生は、中世について一般的な基礎を身につけるべきであり、とりわけダンテとチョーサーを注意深く研究することで得られる中世生活の知識をもつべきである。しかし健全な文学的基準が復活する希望は、現在の中世文献学への固執にあるのではない。古代人と近代人との実りのない敵対によって切り離された、人文学的伝統の両端を、もう一度結び合わせることにある。

私は別の場所で述べたように、古代人と近代人が論争をやめるだけでなく、共通の敵である純粋な功利主義者と科学的急進派へ対抗するため、実際に協力しなければならないと認識するとき、両者の関係にまったく新しい一章が始まるだろう。ラテン語とギリシア語は、litterae humaniores、すなわち「より人間的な学問」という名称を、自分たちだけのものとして独占しようとしてはならない。

イギリスでは以前ほどではないとしても、古典教師が威信と尊厳を享受する一方、近代語教師は舞踏教師と同程度の人物と見なされる、という状況が今なお多かれ少なかれ残っている。古典人文学は、この高慢な孤立を永久に維持することはできない。近代派はいまやオックスフォードの門を打ち破ろうとしている。必要な調整を行う際、オックスフォードが、私たちの場合のように、疑わしいあらゆる種類の急進的実験へ巻き込まれずに済めば幸運である。

古典人文学は、近代文学との接触を緊密にすることで、関心と生命を大いに増すだろう。他方、近代文学は、古代人への負債を十分に認めることによってのみ、人文学と呼ばれるに値する。近代という前景をもつ古典は、乾燥と停滞から守られる。古典という背景をもつ近代文学は、印象主義と表面性から救われる。

III

<!-- 原書 pp.204-209 -->

しかし古代人と近代人を相互に関連づけるという、この問題全体は、大学院よりカレッジに、はるかに直接関係する。近代語を学ぶ大学院生は、すでに確固とした古典的基礎をもっているべきである。現状では、これらの学生の多くと、その教師のかなりの割合が、少なくとも一つの点でシェイクスピアに似ている。 彼らは「ラテン語を少し、ギリシア語をそれよりさらに少し」しか知らない。

この不足は、学部教育において近代語が古代語を圧倒していることから、自然に生じた結果である。たとえばハーバード大学では、近代語の選択科目――英語を含む――の学部履修者数が、古典の履修者数の五倍を超えている。近代語側の、より思慮深い人々の一部は、このような大差は、すでに自分たちにとって望ましくないこと、そして差がさらに広がり、カレッジと大学院における古典研究が少数の専門家へ追いやられれば、教養の利益にとって破滅的な結果になることを認識し始めている。

一九〇三年にハーバード大学で設けられた「文学優等課程」については、すでに簡単に触れた。この新しい制度は、学部学生にとって実際に魅力あるものとなるかという実務上の問題を別にしても、原則の宣言として、ある程度の注意に値する。予備的な告知から引用すれば、文学優等課程の目的は、次のとおりである。

既存の優等課程に加えて、古典の読書と近代語の読書とを組み合わせるよう、学部学生を促す計画を提供する。この方法により、文学研究の根底にある統一、とりわけ古典文学と近代文学との相互依存を強調することを目的とする。

要するにこの計画は、古代人と近代人との休戦だけでなく、より広く健全な文学教育のために、両者が誠実に協力しようとする、カレッジ教授団による、おそらく最初の試みである。

ハーバードの新しい優等課程は、オックスフォードの古典優等試験と、いくつかの点で似ている。学生へ独立した読書を促すこと、文献学を文学へ従属させること、主として学生の同化力を試すこと、論文という形の研究さえ要求しないことにおいて、オックスフォードの優等課程と似ている。

しかし言語的要素をこれほど完全に排除することには、明らかな危険がある。この制度を「柔弱だ」という非難から守り、人文主義者を育てるためのものであって、好事家を育てるためのものではないと明確にするには、特別な警戒が必要となる。わが国の語学教師は、その大部分が科学的研究の方法だけによって訓練されているため、人文主義者を好事家と混同し、事実の収集と分類に従事する人物だけへ学者の名を認めがちである。

したがって多くの場合、オックスフォードの優等試験へ骨と腱を与えているプラトンとアリストテレスに代わるものを、見いださなければならない。ギリシア哲学を、より深く把握することは、確かにアメリカ学問における最大の不足の一つである。しかしプラトンとアリストテレスにおける願望法の用法より、人類思想史における両者の最高の位置へ関心をもつ古典学者が、いつの日か現れたとしても、ギリシア哲学がこの国でイギリスの大学と同じ位置を占められるとは考えにくい。

古代と近代の領域を調整するという理論面では、ハーバードの文学優等課程は、オックスフォードに存在するどの制度より重要な前進を示している。しかし実際面では、この制度も、ハーバードやほかのアメリカの教育機関にある他の優等制度も、到達する同化的学問の水準においても、引きつける学生数においても、近い将来オックスフォードへ並びそうにない。

平均的な教養あるアメリカ人は、イギリスの大学で普通学位を取ることが容易であることは、たいてい知っている。しかし、たとえばオックスフォードでは、学生の大部分が普通学位ではなく優等学位を取るという、はるかに重要な事実を知らないことが多い。オックスフォードではハーバードより、はるかに多くの優等学位が授与されるだけでなく、 オックスフォードの優等試験は、対応するハーバードの試験より、はるかに難しい。もちろん平均的なハーバード学部生にとって、カレッジ教育は優等課程を意味しない。あまりにしばしば、大規模な初級科目を継ぎ合わせ、終盤に職業教育または半職業教育を付け足したものにすぎない。

したがって最も単純な言葉で述べれば、ハーバードの学部教育は、低い水準の同化的学問を、オックスフォードは高い水準の同化的学問を代表する。敵意ある批評家なら、わが国のカレッジは同化的学問においてイギリスへ劣り、大学院は生産的学問においてドイツへ劣る、と付け加えるかもしれない。しかし第一の劣位は、第二の劣位よりさらに確実であり、わが国の国民生活全体の調子へ、より直接影響する点で、より重大であると言いたくなる。

近ごろ高等教育について、これほど大きな騒ぎを起こしてきたにもかかわらず、出版社によれば、良質な読書への需要は、長年にわたり増えるどころか減っている。ハーバードの文学優等課程は、良書を読む趣味だけでなく、関係づけながら読む習慣を育てることを目的としている。大学院に対してカレッジを支持する者の最高の野心は、広く利用される優等制度を築くことであるべきだ。そのような制度を築くことは、結局、文学士号を再建し、急速に失いつつある意味と厳粛さを取り戻す、最も実際的な手段となるかもしれない。

アメリカのカレッジは、それが伝統的に代表してきた大部分のものとともに、現在、完全な消滅の脅威にさらされている、と述べても、ほとんど言いすぎではない。文学士号は、在学期間の短縮によって脅かされているだけではない。 それ以上に深刻なのは、文学士号を授与する条件が、何の意味ももたなくなるまで拡張されることである。

たとえばリーランド・スタンフォード大学では、学生はラテン語とギリシア語を履修せずに入学できるだけでなく、英作文を除けば、いかなる言語も、科学以外のいかなる科目も履修せずに入学できる。その後、機械工学で一定時間の科目を修了すれば、文学士号を受けられる。 この調子なら、文学士号はまもなく、配管工になるための職業訓練を受けた褒賞として、学生へ授与されることになるかもしれない。少なくともリーランド・スタンフォード大学について言えば、文学士号は、すでに伝統的内容を完全に失っている。

この問題全体について、古い教育機関の卒業生は積極的な関心をもつべきであり、これまでそうしてきたように、教育専門家へ委ねてはならない。これらの専門家と称される者の大半は、ドイツ式訓練を受けた人物であり、第一の関心をカレッジではなく大学院へ向けていることを、卒業生は覚えておくべきである。

<!-- 原書 pp.210-214 -->

したがって文学士号が本当の意味をもつためには、教育機関の名称を添えるだけでなく、さらに優等学位でなければならない時代が、まもなく到来するかもしれない。あるいは、すでに到来しているかもしれない。大規模科目を、より注意深い個別指導によって監督し、各科目の試験基準を引き上げることで、学部教育を改善するためにできることは、疑いなく多い。しかしそれに加えて、オックスフォードの優等課程で第四級にさえ合格した人物が示すような、相互に連結された学習計画の証拠が必要である。

問題は、学生へ合理的な範囲で十分な選択の自由を認めながら、選択の不統一を防ぐことにある。学部学生の必要へ応えるため、優等科目群は広く柔軟でなければならない。その目的は第一に同化であり、研究を早すぎる段階で奨励してはならない。最後に、学生の時間をすべて奪わず、副次的科目を追究する余裕を残さなければならない。この精神で構想された優等制度は、選択科目制へ反動する手段ではなく、それを完成する手段となりうる。ただし一部の教育急進派のように、選択科目制を個人主義の単なる乱痴気騒ぎと考えるなら、話は別である。

どのような優等制度も、現在の各科目試験制度と同じく、人文主義的本能をもつ学生と、単なる「がり勉」とを、完全に区別することはできない。しかし別々で、しばしば相互に無関係な科目の点数を合計するより、優等科目群についての総合試験によって、二種類の学生を区別するほうが容易かもしれない。カレッジの観点から学生を試す基準は、特定の科目で何ができるかではなく、すべての科目で行った学習を、どこまで秩序ある全体へ組織できるかである。

予備教育では、個別科目で行う学習が正しく重視される。カレッジでは、この強調を弱めてよい。カレッジの目的は、精神の獲得力だけでなく、それ以上に同化力を試すことだからである。どれほど巧妙な優等制度も、その背後にいる人物の生きた精神より、はるかに大きな価値をもつことはない、という初歩的真理を見失ってはならない。学部の文学教育が成功するかどうかは、最終的には、生来の資質によっても、大学院その他で受けた十分な訓練によっても、それに適した人物を確保できるかどうかにかかっている。適切な人物が運営しなければ、科目群制度のどのような形態も、時期尚早な専門化へ導くという明らかな危険をもつ。

かなりの成功を収める優等制度を構想することは可能である。 一九〇六年にハーバード大学で設けられた「歴史・文学優等課程」は、この点で有望である。しかし古代語と近代語の研究を相互に関連づける、どの計画についても、すぐに成功するとあまり楽観すべきではない。そこに含まれる原則は、人文学的観点から、あらゆる原則のうち最も重要であるとしてもである。

大きな難点の一つは、この国で古典が不人気なことである。アメリカの古典学科の事情は、寓話に出てくる獅子の巣穴と、ほとんど正反対である。すべての足跡が、そこから外へ向かっている。古代人と近代人が、共通の人文学的努力のために結合するうえで、さらに重大な障害は、近代派が現在の優位を最大限まで押し進めようとする、明白な意図である。

近代語教師が全体として、近年におけるギリシア語研究の急速な衰退と、近い将来にラテン語なしの文学士号が要求される見通しを、平然と眺めているらしいことは、ただ嘆くほかない。現在の功利主義は、近代語研究を古代語研究の犠牲によって高めるように見える。しかしこれへ屈すれば、まさに近代語研究そのものから、その真剣さと尊厳の大部分を奪うことになる。

ハドリー学長は、最近の演説で述べたように、プラトンより『ヴィルヘルム・マイスター』を好むのかもしれない。しかし、この発言に含まれる教説によって、ゲーテ本人以上に腹を立てる人物はいなかっただろうことを、覚えておくべきである。近代語が伝統的規律の安価な代用品ではないかという疑いを逃れられるのは、自らも優れた古典学者である教師によって、古典的背景へ十分に関連づけて教えられるときだけである。

論争の第一段階についての最良の研究は、今なおH・リゴー『古代人と近代人の論争』(La querelle des anciens et des modernes, 1856)である。

サン=テヴルモン(一六一〇―一七〇三)は、人生の最後の四十年間をロンドンでの亡命生活に送った。ドライデンがときおり歴史的方法を先取りしている箇所には、サン=テヴルモンの影響が現れている可能性がある。

オシアンやパーシーの『古詩拾遺集』(Reliques)など、イギリスからの影響も、ルソーの影響とともにヘルダーへ作用した。

共感による世界市民主義は、たとえばルソーの次の一節にはっきり定式化されている。「自然な憐れみは……いまや、諸民族を隔てる想像上の障壁を越え、自分たちを創造した至高の存在の例にならって、人類全体を善意によって抱きしめる、少数の偉大な世界市民的精神のうちにしか存在しない」(『人間不平等起源論』など)。ルソーが国民的気質の内向きな純化を、どこまで奨励したかについては、『ポーランド統治論』で示された教育計画を参照。

スタール夫人のために公平を期して付け加えれば、この一文は、初期の、まだ成熟していない著作『文学論』第一部第四章から取られている。

優れた中世研究者となるには、優れたラテン語学者でもなければならない。近代語が直接、言語学的に結びついているのは中世だが、より遠い関係については、ロマンス諸語の場合はほぼ全面的に、英語の場合も大きな部分で、ラテン語へ結びついている。

より正確には、シェイクスピアについて広く流布している観念に似ている。シェイクスピアが執筆した環境には、ギリシア・ラテンの影響があまりに深く浸透していたため、彼本人が古典へ直接どれほど親しんでいたかは、二次的な問題となる。

カーゾン委員会の報告によれば、一九〇七年にオックスフォードで五三一人が優等学位を得た。一九〇六年の『オックスフォード大学暦』によれば、在学中の学部学生は三六六三人だった。これらの数字から判断すると、オックスフォードの学部学生の少なくとも半数が、優等学位を得ていることになる。

在学期間を二年へ短縮するバトラー学長の提案に続き、意欲的な高等学校教師たちから、残されたカレッジ課程を予備教育学校へ併合せよという提案が出たのは、自然な成り行きだった。

Leland Stanford Register, 1906–07, pp. 36, 74参照。

優等制度が大規模に成功した場合、独立した試験委員会を設けるか、現在の各科目試験制度を大幅に簡素化する必要が生じるかもしれない。各科目試験と優等試験の双方を実施することは、すでに過重労働に置かれている教授団へ、不当な負担を課すことになる。

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第8章 独創的であることについて

<!-- 原書 pp.215-219 -->

この百年間に、独創性に対する世界の態度は根本的に変化した。同調の時代は自己主張の時代へ道を譲った。そのため今日では、アレグザンダー・ポープの時代なら常套句を磨き上げることで名声を求めたように、逆説を一つ世に放つことで名を売ろうとする。当時は、真に独創的な人物でさえ奇人と見なされる危険があった。いまでは、実際には奇矯なだけの人間が、独創的な人物として通用することが少なくない。旧批評を代表するボワローは、ペローを「奇妙だ」と評した。新批評を代表するサント=ブーヴは、ペローには天才があったと評した。

新古典主義の批評家たちは、当初から「規則」の名において自由な創意を抑え、革新のあらゆる試みに対してアリストテレスと古代人の権威を突きつけた。この時代、文学を志す者と「模範」との関係は、喜歌劇の次の言葉にかなり正確に要約されている。

もちろん、あなたは決して私たちのようにはなれない。
だが、できるかぎり私たちに似るよう努めなさい。

後にはフランスの影響によって、古典模倣の専制に礼儀作法の専制が加わった。アリストテレスを舞踏教師が補強したのである。社会的慣習は、旧体制下のフランス人の全性質へあまりに深く絡みついたため、彼が慣習のとぐろから自らの独創性を解き放つことは、中国人について私たちが想像するのと同じほど困難になった。「独創的」という言葉自体が、嘲笑や軽蔑の語としてしばしば使われた。ブロセットは、東方旅行家タヴェルニエについて、「粗野で、いくらか独創的ですらある」と書いている。同じころブールソーは、「誰かを笑いものにしたいときには、その者を『写しのない原物』(un original sans copie)だと言う」と書いた。文学や美術で慣習的な型から外れるものは、何であれ「怪物的」と宣告された。ラ・アルプは『神曲』にこの形容を当て、この「不条理で形のない狂詩曲」に時おり見られる美点が、ヴォルテールの『アンリアード』のような真の叙事詩の正規の美に、いかに劣るかを指摘した。

たとえばセインツベリー氏が『批評史』の数十頁にわたって行っているように、新古典主義の狭量さを暴き、それと対照して近代の解放の栄光を並べ立てることなら、いくらでも続けられる。しかしそれは、フランス人の言い方を借りれば、開いている扉をぶち破る楽しみにふけることだ。この爽快な遊びに興じる代わりに、第一に、いわゆる良識派が天才・独創派へ勝利するに至った具体的な歴史的理由を問い、第二に、最も乾燥し、見込みのなさそうな新古典主義の慣習の下にさえ潜んでいた真理の要素を探るほうが、いっそう有益だろう。セインツベリー氏や多くのロマン主義者のように、慣習と一緒に真理まで捨てれば、私たちは一つの極端から別の極端へ転落するだけだからである。

独創性という問題全体は、やや曖昧に個人主義と呼ばれているものと密接に結びついている。後期ルネサンスの規律的古典主義に先立って、独創性をきわめて強く促した初期ルネサンスがあったことを思い起こさなければならない。この初期の時代が始まったばかりのころ、ペトラルカはボッカッチョへの書簡で、独創性を擁護する有名な主張を行い、この点でもほかの点でも、最初の近代人と見なされる資格を確立した。

ペトラルカは言う。

すべての人は、顔立ちや身振りだけでなく、声と言葉にも、その人だけのもの(quiddam suum ac proprium)をもっている。それを変えようとするより、育て、正すほうが容易であり、賢明でもある。

ペトラルカに続いた多くのイタリア人は、この「その人だけのもの」を育てようとした。そこでは真の自己表現への熱意が示されることも多かったが、それ以上に、新しい自由が単なる放縦の隠れ蓑として使われることも多かった。社会はついに、その放縦だけでなく、互いに競い合う独創性の衝突にも警戒を抱いた。各人が、人類の一般的・共通的な感覚をほとんど顧みず、自分だけの個人的感覚へふけったからである。

しかし、過度の個人主義に対して後期ルネサンスが起こした反動については、第1章ですでに述べたので、ここで繰り返す必要はない。この反動は、とりわけフランスとイタリアで、まもなくそれ自身の極端へ走った。それでも、新古典主義の規律家が登場した時点では、初期ルネサンスの偉大な創造的衝動がすでに衰えつつあるか、気取りへ退化しつつあったことを忘れてはならない。十六世紀末から十七世紀初頭にかけて、ヨーロッパ全土へ流行病のように広がったさまざまな悪趣味――クルティスモ、マリニズム、ユーフュイズム、プレシオジテなど――には、健全な理性へ逆らって独創的であろうと力むという共通の源があった。これら諸派の作家を一括して評するなら、時おり叙情的な美点はあるにせよ、彼らは「樫の節くれをすべてもつが、その力をもたず、巫女の身悶えをすべてもつが、その霊感をもたない」と言える。

良識派は、この偽の独創性に対する自然で正当な抗議だった。しかしこの派は、先行する過剰への反動だったという以上の高い根拠によって正当化できる。良識派は、不完全な仕方ではあっても、芸術の最終的試金石は独創性ではなく、普遍的なものへの真実性であるという、アリストテレスの深い教説を適用しようとした。

この問題がとりわけ興味深いのは、私たちが、いくつかの点でルネサンスに比べられる大膨張時代の末期に生きているからである。当時と同じく、現在も、いわゆる独創性が乱舞している。この独創性の名のもとで、芸術はますます離心的で奇矯なものとなっている。古典主義者なら、基準を失った結果、私たちは個人的・国民的な特異性を近親交配させ、普遍的人間性からますます遠ざかっている、と訴えるだろう。

<!-- 原書 pp.220-224 -->

言い換えれば、後期ルネサンスの一部の芸術とこの点で似ている近代芸術の最大の野心は、独創的であることだ。これに対し、古典芸術と新古典主義芸術の第一の目標は、典型を示すことだった。アリストテレスは、あるものをこの個別の場合やあの個別の場合にそうであるように描くだけでは不十分であり、一般にそうであるように描かなければならないと述べた。そして詩が歴史より優れているのは、詩のほうがこの普遍性を多くもち、人間本性の偶然的要素より本質的要素に関わるからだ、と続けた。

新古典主義芸術の弱点は、何が偶然的で何が本質的かを決める際、直接観察の代わりに便宜的な規則と隷属的模倣を置いたことにある。実際にはアリストテレスのある注釈者たちが定めた境界の外にあるだけなのに、それを「怪物的」、すなわち自然の外にあるものとして排斥しようとした。芸術家は、このようにして定められた慣習的な型へ従わなければならず、そのために感情の鋭さや直接性を犠牲にすることさえあった。

芸術家は、悲劇や叙事詩など特定の文学形式を扱う場合だけでなく、個々の人物を創造する場合にも、型によって制限された。たとえば一人の特定の兵士ではなく、典型的な兵士を描くよう注意しなければならなかった。そして典型的な兵士の特徴が何であるかを決める際、当然、古典的模範からあまり遠く離れてはならなかった。こうしてライマーは、イアーゴーが「世界で数千年にわたり兵士がつねに身につけてきた性格」に忠実でないとして非難する。同じくライマーによれば、ボーモントとフレッチャーのある戯曲に登場する王妃は、作法の境界を越えている。個別の王妃ならそのように振る舞ったかもしれない、とライマーは認める。しかし正統な典型的王妃となり、「悲劇の高靴を履いて堂々と歩く」資格を得る前に、彼女は「歴史上の偶然的な厚かましさ」をすべて取り除かれなければならない。

新古典主義者が型の名において独創性を専制的に支配し、創造的衝動を制限しようとしたことは、長い目で見れば、必然的に反動を引き起こした。慣習と決別するという困難で繊細な仕事を成し遂げるには、ソクラテスをも上回る知恵をもつ人物が必要だった。ところが実際にこの仕事へ乗り出したのは、「自らを責めさいなむ詭弁家、荒々しいルソー」だった。

ルソーは『告白』のほとんど冒頭の一文で、初期ロマン主義者からイプセンとズーダーマンに至るまで、十九世紀を通じて響く調子を鳴らしている。

私がほかの人間より善くないとしても、少なくとも私は違っている。

自分が型から外れていることを誇らしげに味わう、この感覚によって、ルソーは奇矯な個人主義者たちの父となった。抑制されない感情の権利と正当性を主張することで、彼はドイツだけでなくヨーロッパ全体に、疾風怒濤の時代を開始した。自分自身の感受性を万物の尺度にしようとする近代の印象主義者は、彼の遅れて生まれた弟子にすぎない。

古典主義者は、感情は規律を受け、典型的なものへ従属しなければならない、そうでなければ奇矯になり、人間の心の真実に適わなくなる、と主張する。ジャン=ジャックの忠実な弟子らしく、アルフレッド・ド・ミュッセは叫ぶ。

誰の人間の心だ。何の人間の心だ。そこに悪魔がいようとも、私には私自身の人間の心がある――j’ai mon cœur humain, moi

フランス・ロマン主義の全体は、この「私」(moi)の一語にある。人間とその自発性とのあいだへ入り込み、「自然」との直接の接触を妨げる、古びた権威、慣用、伝統などは追い払え。人間に、暁の新鮮な驚異に浸された世界を、もう一度見させよ。そのためには書物――「退屈で果てしない争い」――を捨て、「自分以前には誰も生きていなかった」かのように生きさせよ。

要するに、すべての人間が独創的天才でなければならない。ドイツのルソー追随者がこの態度を採用したため、文学史の一時代全体に「天才時代」(Geniezeit)という名がついた。ドイツは、レッシングが望んだように理性の規律によってではなく、「天才」と「独創性」によって慣習から解放されようとした。それは実際には、感情の水門を開くことを意味した。

若いゲーテのルソー主義を見たレッシングが、どれほど嫌悪したかは想像できる。『若きウェルテルの悩み』では、批評家たちが独創性を敵視する陰謀を企てていると非難される。批評家たちの規則は、彼ら自身の小さなキャベツ畑を守る堰と溝の体系にたとえられる。それがなければ天才の奔流が勢いよくあふれ、彼らを押し流すと同時に、世界を驚嘆させるというのである。

これを読むと、レッシングが批評を見事に擁護した一節が思い出される。そこでは、自分がもつすべてのものを、天才や独創性ではなく、過去の知恵を忍耐強く同化したことに負っていると告白している。

批評がなければ、私は貧しく、冷たく、近視眼的だっただろう。だから、批評を軽蔑する言葉を聞いたり読んだりすると、私はいつも恥ずかしくなるか、腹が立つ。批評は天才を抑圧すると言われる。だが私は、批評によって天才に非常に近いものを得たと思っていた。私は足の不自由な人間であり、自分の松葉杖を罵られて啓発されるはずがない。

私たちは今なお、レッシングが批評と呼ぶものに対して、独創的天才の側へつきがちである。批評という言葉自体も、今日では、レッシングにとってそうだったような判断基準の適用ではなく、単なる鑑賞的な受容性を意味するようになった。しかし、シェリーをはじめとするロマン主義の偉大な指導者たちが、レッシングのいう批評を欠いたために、どれほど苦しんだかが、いつの日か明らかになるかもしれない。そのとき人々は、根底では規律を欠いた感情の放出にすぎない天才と独創性に、倦み始めるだろう。

アメリカ超越主義派の一側面全体は、ドイツ・ロマン主義の遅れて届いた反響にすぎず、そのドイツ・ロマン主義自体が、独創的天才の時代を継承している。とりわけ危険なのは、エマソンの独創性の観念と、それが訓練されていない個人へ抱かせる限りない敬意である。偉大になるには、すべての人が自分の本能の上へ不屈に立てばよいらしい。しかし平均的な人間が、ライマーならその人自身の「虫」と呼んだであろうものを、これほど盲目的に信頼するのは安全ではない。この集団で最も優れた観察者だったホーソーンは、コンコードの影響下で育った、悪夢のような独創性のいくつかを記録している。

<!-- 原書 pp.225-229 -->

マリヴォーのある戯曲には、次のような人物が登場する。

彼が最初に尋ねるのは、「私を尊敬しますか」ではなく、「私に驚きましたか」である。自分がほかの人々より優れていると納得させることではなく、自分は自分以外の誰にも似ていないと納得させることが、彼の目的である。

この十八世紀のバーナード・ショーが登場する喜劇は、ルソーがアルメニア風の衣装を身につけ、逆説によってヨーロッパを騒がせ始める何年も前に書かれた。ルソー以後、世界は、自分を世界の前で演出し、身ぶりをつくり、自分だけの唯一性を確立する特徴へ世界の注意を引きつけるまで満足しない人物に、ますます慣れ親しんできた。

奇矯な個人主義者は、自分の特異性を喜ぶだけでなく、たいていはそれを他人へ押しつけたがる。その目的は人を仰天させること、フランス人の言い方なら、épater le bourgeois――平凡な市民を「目を見張らせ、息を呑ませる」ことだ。ジョンソン博士はモンボドー卿について、もし尻尾があったなら、リスと同じほどそれを誇っただろう、と述べた。ルソーが最も深く傷ついた瞬間の一つは、彼と別れる女性から「あなたもほかの男と同じです」と言われたときだったかもしれない。あるフランスの批評家が述べたように、これはモリエールの小間使い役でも、これ以上うまく突けなかった急所である。

ルソーと初期の追随者たちは、単に唯一であるだけでなく、感情において唯一であると主張した。この感情上の唯一性は、まもなく苦悩における唯一性へ変わった。考える者にとって人生は喜劇であり、感じる者にとって悲劇である、というよく知られた原則によったのだろう。ここからロマン主義派には、いくらか芝居がかった悲嘆の気取りが生じた。人前で「血を流す心の見世物」を繰り広げたのは、バイロンが最初ではまったくない。とりわけシャトーブリアンは、自分には宿命的で比類ない悲哀があるという感覚を育て、最もありふれた災難に出会ってさえ、「こんなことが起こるのは私だけだ」と叫ぶ用意ができていた。

サント=ブーヴは、シャトーブリアンと、同じブルターニュ出身で『ジル・ブラース』を書いた人物とを、興味深く比較している。

『ルネ』のような本は、微妙な精神的自負を助長する。人は想像のうちに、自分だけの不幸を探し、その不幸へ身を委ね、孤独のうちにそれを自分の周りへ巻きつけようとする。偉大な魂は小さな魂より多くの悲しみを含むに違いない、と自分へ言い聞かせ、そして自分こそその偉大な魂かもしれないと、小声で付け加える。これに対して『ジル・ブラース』は、人生と同胞の群れへ、あなたを真正面から接触させる本である。ひどく憂鬱になり、宿命を信じ、ある異常な出来事が自分だけに起こると想像したなら、『ジル・ブラース』を読みなさい。彼にもまったく同じ不幸、あるいはよく似た不幸が起こり、彼がそれを単なる災難として受け止め、乗り越えたことが分かるだろう。

同じ対照は、広い意味でそれぞれルサージュとシャトーブリアンの師である、モンテーニュとルソーを比較しても明らかになる。この対照は見落とされやすい。一見すると、モンテーニュもルソーと同じく極端な自己中心主義者に見え、自分の特異性を読者へ押しつけることにも、ほとんど同じほど積極的だからである。しかし最終的に見ると、モンテーニュがモンテーニュに関心をもつのは、自分が一人の人間だからである。ルソーがルソーに関心をもつのは、自分がジャン=ジャックだからである。

モンテーニュは、自分を人類という属の正常な一標本として、公平に観察する。ルソーは、すでに見たように、自分が他人と違うことを露骨に喜ぶ。モンテーニュが目指すのは平均的人間、より誤解の少ない言い方をすれば代表的人間である。ルソーが目指すのは非凡な人間、すなわち独創的天才である。ルソーは離心的個人主義者であり、モンテーニュは求心的個人主義者である。

モンテーニュを要約する一文は、次の言葉だ。

すべての人間は、自分の内に人間の運命の全像を担っている。

これに対しルソーは、次の言葉に要約される。

あまりに恵まれているため、普通の道を歩めない魂が存在する。

そして当然、その恵まれた魂の一つが自分自身である、という結論が続く。

十九世紀には、ことに芸術と文学の領域で、奇矯な個人主義者という種族が現れた。彼らはルソーと同じく普通の道を軽蔑し、服装の細部から感覚の洗練に至るまで、あらゆる点でブルジョワや俗物と自分を区別しようとした。希少なものと独創的なものを求めるうち、彼らの規範からの逸脱は、単に奇矯なだけでなく、病理的なものとなった。すべての人間が、自分だけの人生観だけでなく、自分だけの悪夢まで表現する権利をもつことになった。

ついにはボードレールのような作家へ到達する。彼は「ロマン主義のカムチャツカ半島の最果てに、奇妙な香りと奇妙な色の小亭を自分のために建て」、「歓喜と恐怖をもって自らのヒステリーを培う」。旧式の古典主義者なら人間の心に忠実であれと言うところで、彼は「新しい戦慄」を生み出すことを野心とする。

アナトール・フランスによれば、近代の作家が気にかけるのは、独創的だと思われることだけである。凡庸になることを恐れ、ヴィクトル・ユゴーのように、ほかの人が読まない本だけを読むと誇るか、まったく本を読まない。その結果、「自分の無知のうちに、自分の独創性を働かせる原理を尊重した」と評された、十八世紀のあるフランス女性に似てくる。

過度に同化的で、伝統の富をあまりに完全に所有する人間には、独創性はもはや不可能だと感じる危険がある。あるフランスの批評家は、新しく提出される詩集を一冊ごとにうんざりして退け、「詩はすべて、もう書かれている」と言ったという。

<!-- 原書 pp.230-234 -->

しかし真の独創性は丈夫な植物であり、過去の文学へ深く根を下ろすことで、失う以上のものを得るのが普通である。ラ・ブリュイエールは『人さまざま』を「すべてはすでに言われている」という観察から始め、その後、フランス語で書かれた最も独創的な本の一つを書いた。モンテーニュは、しばしば単なる引用の継ぎはぎのように読者へ映る、さらに独創的な本を書いた。

過去を過度に尊重することは、現在私たちが苦しんでいる過剰より害が少ない。たとえば、ある若い作家は書評で、次のように称賛されている。

伝統からのむき出しの自由……まるで文学の世界へ、先行者を一人ももたずに現れたかのようである。彼は文学芸術における、いくつかの巨大な拒絶の表現である。

まさにこの独創性の観念こそ、現代の著作の多くが示す、途方もない無意味さを説明する。このように過去と決別する人間は、実際には無知で思い上がっているだけなのに、自分を独創的だと思う。自分は時代より一世紀進んでいると思いがちだが、実際には少なくとも四、五世紀遅れている。バジョットの言い方では、「ノアが方舟の中で捨てた考えを携えて現れ、それを自分の驚くべき新発見であるかのように人の注意へ差し出す」のである。

洞窟人のうち、いくらか啓けた者たちは、現代の急進主義者の多くより、人間本性について深い発見をすでにしていたに違いない。ゲーテは、若いころ、ギリシア語ですでに存在していた傑作を知っていたなら、一行も書かなかっただろうと述べた。ゲーテは謙遜しすぎている。しかしその謙遜をほんの少しでも、今日の平均的作家がもっていたなら、どれほどありがたいことか。

ゲーテの知識と洞察のわずかな一部でもあれば、ロマン主義運動と自然主義運動の澱と最後の濁った滓を、独創性や天才として私たちへ差し出し続けることはなくなるだろう。自分の逆説そのものが、すでに古びていることにも気づくだろう。生焼けの作家になる代わりに、謙虚でありながら判断力のある読者となるだろう。あるいは書き続けるとしても、創造することより、自分の創作物を人間的なものにすることへ心を配るだろう。

遅かれ早かれ、すべての作家と、作家が構想する登場人物は、仏教教団へ入ろうとする者へ最初に向けられた質問へ答えなければならない。

あなたは人間ですか。

世界が長い目で見て支持するのは、人間本性の遠い周縁ではなく、つねにその中心へ住む作家または芸術家である。ゴーティエはヴィクトル・ユゴーについて、ユゴーの作品は人間からではなく自然力から生まれたように見え、キュクロプス的であり、「いわばポリュペモスの作品」だと述べた。これは疑わしい賛辞である。ルソー主義者として出発した後、人間的な抑制へ達したゲーテとは対照的に、ユゴーは最後まで独創的天才であり続けた。

ロマン主義は最初から、独創的であろうと過度に焦ることで奇矯になりやすく、いまや末期的な退化を見せている。現代の作家の多くは、最も極端な新古典主義者と同じほど、明らかに極端である。彼らは、代表的なものになろうと努力せず、自己表現へ到達しさえすれば独創的になれると考える。これに対し新古典主義者は、代表的であろうとあまりに努力したため、個人的な味わいを完全に失い、無色の抽象へ陥ることが多かった。どちらの極端も、同じように人間的ではない。

私たちの根本原理へ戻れば、人文主義者は相反する極端を結び、その両者のあいだの全空間を占めなければならない。真の独創性が途方もなく困難なのは、一般的な人間の真実をもちながら、同時に強烈に個性的でもある作品を生み出すという課題を課すからである。この二つの性質が結合した最良の例は、おそらくギリシア文学に見いだされる。ギリシア人にとって独創的な人間とは、過去を模倣する、その行為そのもののうちで創造できる人物だった。最良のギリシア文学は、驚くべき程度まで、ホメロスの創造的模倣である。

近代人はギリシア人のように、伝統を同化することで独創的になろうとはしない。伝統を無視するか、学者であれば、伝統が誤っていると証明することで独創的になろうとする。ここまではほとんど全面的に、ルソー主義者、すなわち感傷的自然主義者の独創性を論じてきた。しかしここでもほかのところと同じく、感傷的自然主義と科学的自然主義との奇妙な接点を見落としてはならない。

ベーコン主義者は、過去の知恵を同化することより、学問を前進させることを目指す。彼の場合も、最大の力点は新しさと独創性に置かれる。かつては権威と規定の衒学があった。ルソー主義者とベーコン主義者が共同で作用した結果、いまや本格的な独創性の衒学が生じている。自分の小さな研究領域だけへ完全に没頭する科学的衒学者は、自分の感覚だけへ完全に没頭する芸術的・文学的衒学者の従兄弟である。

近代学問の英雄は、人文主義者ではなく調査研究者である。埃をかぶった文書庫から未刊行文書を掘り出す人物は、すでに印刷された文書を適切に扱える人物より高い地位を得る。しかも、その新文書を口実に一冊の本を書き、名誉回復を試みることができれば、その栄光はいっそう大きくなる。真理への愛は、ほとんど気づかれないまま逆説への愛へ移り変わる。そしてルソー主義者とベーコン主義者が、同じ一人の人物の中に共存することも多い。

独創性の評判を得る王道は、過去の判決へ異議を唱えることである。伝統的に黒いものを白く塗るか、伝統的に白いものを黒く塗る。つい先日も、イギリスのある評論誌が「ダンテの黒塗り」を掲載した。さらによい例は、ルナンによるダビデ王の黒塗りであり、次のように結ばれている。

敬虔な魂が、典礼書のうち最も美しい書に含まれる、諦念と優しい憂愁に満ちた感情を味わうとき、自分たちはこの盗賊と心を通わせているのだと思うだろう。人類は、最終的正義について一度も考えなかったダビデと、そもそも存在しなかった巫女の証言によって、最終的正義を信じることになるだろう。

<!-- 原書 pp.235-239 -->

白塗りのほうは、さらに数多い。ティベリウス、ボルジア家、ロベスピエールの名誉回復が現れた。第一のナポレオンが、きわめて平和を愛する性質の人物だったと証明する本も書かれた。スティーヴン・フィリップス氏は、あの愛すべき青年ネロの人物像へ、詩的な魅力をまとわせようとした。『パンチ』の韻文作者によれば、ネロは――

きっと名を残していただろう、
狂った、狂った、少年らしい悪ふざけで、
母を殺しさえしなければ!

この白塗りと黒塗りが続けば、独創的になるために残された唯一の方法が、世界の伝統的良識を控えめに擁護することになる時代が、まもなく来るだろう。この伝統的良識が、現在ほど軽々しく軽蔑されたことはない。革命の怪物マラーの名誉回復を試みる本を最近出版したバックスという作家は、序文で次のように述べる。

このような問題――たとえばマラーの人物像――について、大多数の人々が何を考えているかを自分で確かめ、その正反対を真実と仮定するのは、実際かなり安全な原則である。

この種の本の大半については、ヘンリー・アーヴィングがシャイロック役で救世主のように見える扮装をしたとき、フィッツジェラルドが述べた言葉を当ててよい。

常識と伝統へ真っ向から逆らいながら、独創的な考えを打ち出そうとする試みである。

もちろん、すでに別のところで述べたように、どの時代にもどの個人にも、主要な傾向へ逆らう要素が存在する。ドイツの博士論文を書く定番の処方の一つは、そのような要素の一つをつかみ、誇張し、そこを出発点として伝統的見解を論駁することである。たとえばルソーは、ある箇所で、政治的扇動者をつねに嫌悪してきたと述べている。ルソーを革命家と見なすのは残酷な中傷だったと証明するため、この一節から出発するドイツ人学者が現れることは、前もって確信してよい。

さらに真面目な学者たちでさえ、自分の結論が正しいだけでなく新奇でもあることを要求する、時代精神の何ものかへ抵抗するのが難しくなっている。古い大学でさえ、研究への愛と脚光を浴びることへの愛とを、ほぼ同じ割合で兼ね備えた教授に慣れ始めている。世間の考えでは、この型の完成形はシカゴ大学の教授であり、その独創性は大衆新聞の笑い草となっている。以下は、日刊紙に折々発表された多数のシカゴ発「発見」から、ほとんど無作為に選んだ例である。

キスは破傷風を引き起こす。
ペンシルヴェニア人はインディアンになりつつある。
男性は三十五歳を過ぎれば運動する必要がない。
音楽には殺菌作用がある。
犬は教育のない人間にはついていかない。
結婚は狂気の一形態である。
アメリカ人には友情をもつ能力がない。
ボッカッチョはスウェーデン人だった。
ジョン・D・ロックフェラーはシェイクスピアと同じほど偉大な人物である。
いつの日か、傷ついた、あるいは疲弊した人間の心臓を、生きた猿の健康な心臓と取り替えられるようになる、など。

シカゴ大学の教授たちは、これらの新聞報道が自分たちを誤って伝えていると言うだろうし、疑いなくそのとおりだろう。 しかしここで述べているのは、一般に与えられた印象だけである。オスラー博士を、学界の競争相手全員より一歩先に悪名獲得競争へ押し出した発言さえ、その文脈の中で読めば、比較的穏当なものとなる。

脚光を浴びたくてたまらない教授は、逆説の大巨匠ルソーを手本にするだけでよい。ルソーの方法は、群衆を集めるため街頭で拳銃を発砲する人間の方法にたとえられてきた。いったん群衆を集めた後では、ルソーは逆説を弱めていくことができ、ときにはそれが常識的な決まり文句へ縮みかねないほどになる。

優れた観察者の大半は、現代の学問と文学が、あまりに奇矯で離心的になりつつあることに、おそらく同意するだろう。また、独創性を求めるこの過度の努力を相殺するため、何らかの統一原理が必要だという点にも同意するだろう。

たとえば、最終的にヘルダーとグリム兄弟へ遡る学問的伝統の、最も優れた代表者の一人であるガメア教授は、最近の「文学における独創性と慣習」という論文で、現在の病をきわめて明瞭に診断している。 彼によれば、近代生活に働く分解的な影響と、分析の過剰によって、より高い形式の詩と創造芸術が不可能になりつつある。彼は治療法として、この知的・分析的要素を船外へ投げ捨て、共同体的共感の絆をもう一度回復するよう提案する。

この治療法は、そのロマン主義的起源をただちに露呈している。それは、外から助けられない共感のほうが、裸の自我主義と自己主張の力が人々を引き離す以上に、人々を引き寄せる働きをする、というルソーの仮定の一形態にすぎない。詩の起源を研究するときでさえ、ガメア教授は、共同体的共感に先立って必要となるものとして、共同体的規律をもっと強調すべきだったかもしれない。

いずれにせよ、現在の希望は、原始生活に存在したとロマン主義者が想定する、本能と感情の統一へ戻ろうとする試みにはないように思われる。私たちは、日常的な自己より低いところではなく、高いところで交わり、結ばれる必要がある。このより高い統一へ至る道は、共同体的であれ何であれ、共感ではなく抑制を通る。私たちがこれほど離ればなれになったのは、共感ではなく、人文主義的基準を欠いているからである。

<!-- 原書 pp.240-245 -->

近代社会の印象主義、伝統的基準の喪失、そして新しい基準をいまだ見いだせていないこと、という大問題へ全面的に立ち入るつもりはない。しかし少なくとも、教育は現在ほど、独創性を衒学的にひねり出そうとする風潮へ感染すべきではない、と指摘できる。

一般に教育は、国民生活における保守的で統一的な要素を代表すべきである。とりわけカレッジは、大学院や予備教育学校とは異なるものとして存在する理由を少しでも保ちたいなら、人文主義的基準を維持しなければならない。その役割は、しばしば考えられているように、学生の自己表現を助けることだけではなく、それ以上に、学生が人間的になるのを助けることである。

ニューマン枢機卿の言葉では、カレッジは「大きいが平凡な目的へ至る、偉大で通常の手段」である。この目的とは、趣味と判断の原理を与え、健全さと中心を外さない見方を訓練し、背景と遠近感を与え、同調の精神まではいかなくとも、少なくとも世界の過去の経験への適切な敬意を呼び起こすことである。

シェリー夫人が、自分の息子を、自分で考えることを教える学校へ送るよう勧められたとき、「何ということ。むしろ、ほかの人と同じように考えることを教えてください」と答えた話は、多くの人が聞いたことがあるだろう。シェリー夫人は、真の天才であるだけでなく、ドイツ的な意味での独創的天才でもあった男性と暮らしており、自分が何を言っているかを知っていた。

もちろんカレッジは、学生へ必ずしもほかの人と同じように考えることを教えるべきではない。しかし学生自身についても他人についても、真に独創的なものと、単に奇妙で奇矯なものとを区別することを教えるべきである。ローウェルによれば、ワーズワースはこの区別を一度もできなかった。そしてこの点で、ロマン主義の指導者のうち、ワーズワースだけが例外だったわけではない。

醜聞を引き起こす危険を冒してでも、カレッジは、これらの言葉がしばしば理解されている意味での独創性や思想の独立を、第一の目的として奨励するための場所ではない、と主張しなければならない。東部のあるカレッジの教授は、自分の専門分野で通説へ反対した学部学生には、必ず高い点を与えたという。しかし最高点は、伝統的見解へ反対するだけでなく、自分自身の新説を打ち立てた学生のために取っておいた。この事実が知られるにつれ、その教授は、学生のあいだで独立的・独創的思考が急速に成長するのを見て満足した。

カレッジは、自己表現を過度に強調し、人文主義的同化を十分に強調しないことを警戒すべきである。この危険は、英作文の教育にとりわけ明白である。ある父親は「日々の小作文」の授業について、少なくとも息子の頭を働かせるようにはした、と私に語った。しかし、それが息子の頭を空虚の中で働かせたとすれば、どうだろう。

人文主義的同化という背景を、ほとんど、あるいはまったくもたない若者へ文章を書かせても、期待できるのは、せいぜい巧妙な印象主義である。彼らは文学へ真剣な貢献をするためではなく、せいぜいジャーナリズムの表面的な部門で輝くための訓練を受けることになる。

英語を直接教えるどの方法も、翻訳、とりわけラテン語翻訳から得られる、文体の微妙さに対する訓練の代わりとなるのかどうかは、いまなお未解決の問題である。たとえばキケロを、意味の微妙な濃淡へ正当に配慮して訳した学生のほうが、同じ時間を日々の小作文と独創的作文へ費やした学生より、英語を――ラテン語は言うまでもなく――よく使いこなせるようになるのではないだろうか。

しかし英語科に対しては、公平でなければならない。英語科は、全面的に自分たちが生み出したわけではない状況へ対処しなければならない。そのうち最も重大なのは、予備教育学校から押しつけられる学生の多くが、文盲に近い状態にあることだ。実際には英語科は、英語の優美さではなく、最も基本的なまともさを教えるために、時間の大半を費やさなければならない。

最終的には、カレッジの初級英語科目で行われていることの多くを、下級学校へ――そして家庭へ――移してよいだろう。また上級作文科目で行われている仕事は、全面的に廃止されるか、フランスでそうであるように、偉大な作家を読み、細かく研究することと結びつけて行われるようになるだろう。そのとき同化は、当然そうあるべきように、表現と歩調を合わせることになる。

スピノザは、人間はつねに一種の人間本性の模範(idea hominis, tamquam naturæ humanæ exemplar)を目の前に保つべきだと述べている。言い換えれば、人間は、それへ従うことのできる人文主義的基準をもつべきである。その基準は独創性を禁じるのではなく、自分自身と他人のうちで、真に独創的なものと、単に奇怪で異常なものとを区別する助けとなる。

この人文主義的基準は、少数の人には哲学的洞察によって得られるかもしれない。しかし大多数の場合、それが得られるとすれば、良い文学を知ることによってである。すなわち、人類のより永続的な経験を一つの伝統へ結びつける、傑作の黄金の鎖へ親しむことによってである。それらの書物は本質においてあまりによく一致するため、エマソンの言い方では、すべてを見、すべてを聞く一人の紳士が書いた作品のように見える。

要するに、人文主義を促進する最も実際的な方法は、ほとんど失われた読書の技術を復興させるために働くことである。一般に、人間的教養をもつ人物とは、文学における最良のもの、巨匠にしか見いだせない、完全な表現を得た健全な良識によって、記憶を豊かに満たしている人物だろう。

反対に、人文主義の衰退とルソー主義の成長は、記憶を高度に用いる能力の着実な衰退によって印づけられてきた。ギリシア人にとってムーサたちは、近代人が考えるような霊感や天才の娘ではなく、記憶の娘だった。

サント=ブーヴは言う。

私たちは時おり丘の頂へ、崇敬される人々の一団へ目を上げ、自分へ尋ねるべきである。彼らは私たちについて、何と言うだろうか。

ここまで述べてきた仕方で記憶を豊かにしていない人は、この助言から利益を得られない。サント=ブーヴ自身も、この助言を述べたとき、おそらくロンギノスを思い出していたにすぎない。

シカゴ大学の教員たちは、同大学が一部新聞による一種の陰謀の犠牲になっている、と私に語った。

Quarterly Review, January 1906.

『崇高について』第14節参照。

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第9章 学問的余暇

<!-- 原書 pp.246-249 -->

現在の状況では、「学問的」と「余暇」という二つの語を結びつけることに、ほとんど皮肉の響きさえある。ある著名な医師によれば、神経衰弱に最も陥りやすい二つの階級は、ウォール街の投機家とカレッジ教授だという。よく知られているように、神経衰弱は、することが多すぎる人と、少なすぎる人との双方を犠牲者にする。実業家なら疑いなく、カレッジ教師は後者に属すると付け加えるだろう。

しかし実業家の皮肉にもかかわらず、カレッジ教師には十分以上の仕事があり、その仕事は並外れた緊張と重圧を伴うように見える。このまま進めば、カレッジはまもなく「楽しい学問の静かで穏やかな空気」を思わせる場所ではなく、時おり療養所へ退いて回復しなければならない場所を思わせるようになるだろう。ベーコン主義的な猛烈さの増大とともに、あらゆる矛盾の中でも最も奇妙な存在、忙しく駆け回る学者が生まれたのである。「学者」という語を、そのギリシア語の語源に従って理解するなら、これは忙しく駆け回る余暇の人ということになる。

学界で奨励され、あるいは強いられている多くの忙しさは、厳密にベーコン主義的な観点から見ても、思慮を欠いている。ベーコン主義者の目には、考えを深める時間をもつことは重要でないかもしれない。しかし、自分の仕事を最も有利な条件で行う時間をもつことは重要である。たとえばヨーロッパでは、創造的な研究を行う能力があると認められた者に、週三時間を超える講義を求めることは普通ない。この国では、創造的な研究者が週九時間から十八時間も授業や講義をしなければならないことが多い。そのうえ事務上の職務まで背負わされ、不十分な給与を補うため、ときには糊口をしのぐ副業へ手を出すこともある。この状態は、健全なベーコン主義の原則だけでなく、常識にも反しており、やがて徐々に改められるに違いない。

学者を不要な雑務から解放する問題は、余暇の問題と多くの点で接しているが、別の点ではまったく異なる。各自が自分の専門で優れ、自由に研究を進める創造的な学者の集団を想像することはできる。しかし、その全員の中に余暇をもつ人が一人もいないこともありうる。今日の学者が余暇の不足を訴えるとき、ほとんど常に意味しているのは、自分の仕事をする時間の不足である。余暇という語にそれ以上の意味を認めないことは、学問についての私たちの観念全体に生じた変化を、そのまま表している。

かつて学者が尊ばれたのは、何をしたかより、どのような人物であるかによってだった。『集会の書』の言葉では、「学ある者の知恵は、余暇の機会によって生まれ、仕事の少ない者が知恵ある者となる」。これに対してベーコン主義的傾向は、学者の達成をほとんど全面的に仕事の量で測ろうとする。たとえばハーパー学長は、死の少し前に行った講演で、完全な教授に必要だと考える資格を列挙し、最後に「一年のうち十一か月、進んで懸命に働く者でなければならない」と述べた。

この言葉を読むと、故ラッセル・セージと、その有名な論文「休暇の不正」を思い出さずにはいられない。その論文には、八十八歳の著者が株価表示器の上へかがみ込む、慈愛に満ちた姿の肖像まで添えられていた。一方、対照的に思い出されるのは、アリストテレスの「私たちは余暇をもつために働く」という言葉である。ハーパー学長の模範的教授が、その激しい活動の合間に短い休みをどうにか取るとしても、それは明らかに余暇をもつためではない。ただ、療養所その他で体力を回復し、新たな労働に備えるためにすぎない。

現代の英雄は余暇をもつ人ではなく、人道主義的奔走とでも呼ぶべき活動へ身を投じる人である。カレッジの学長と福音の聖職者は、何よりこの点で頭角を現すべきだという考えが、しばらく前から自明のものとされてきた。近ごろではさらに奇妙な教説、すなわち裁判官も人道主義的に奔走すべきだという主張まで聞かれるようになっている。

<!-- 原書 pp.250-254 -->

これは並の現象ではない。ラッセル・セージのような実業家だけでなく、本来なら余暇の観念を代表するはずのカレッジ学長までが、仕事を普遍的に礼賛しているのである。エリオット学長は言う。「仕事の喜びこそ、産業民主主義の最大の希望である。」ここでもまた、最高善とは仕事の喜びではなく、観照の喜びであると結論したアリストテレスを思い出す。

余暇と観照生活を称賛したアリストテレスは、静寂主義者や神秘家として語ったのではない。ギリシア文化で最も成熟したものの解釈者として語ったのであり、つけ加えたくなることには、あらゆる文化で最も成熟したものの解釈者として語ったのである。ボザンケット氏は、見事にこう述べている。

余暇――私たちの「スクール」という語のもとになった言葉――は、ギリシア人にとって精神が最も高まる瞬間の表現だった。それは労働ではなく、まして気晴らしでもなかった。それは、偉大な思想によって、自分を超えたところへ高める芸術と詩によって、知性の最高の働きによって、そして私たちなら宗教も加えるところだが、そのようなものによって、奪われることのない何か、宇宙の中での真の一体性と中心を、ときおり感じ取る精神の営みだった。そして、はかなく小さな現在の人格の形に何が起ころうとも、人生はなお生きるに値すると思わせるものだった。人生が永遠の価値をもつ何かと、現実に、しかも感覚できるかたちで接しているからである。

この学者的余暇の伝統は、古い人文主義とともに、今なおイギリスの大学へいくらか残っている。しかしオックスフォードとケンブリッジでさえ、そしてそれ以上に、わが国のカレッジ教授団では、人文主義者であり余暇をもつ人である者が、科学的専門家と忙しく駆け回る人道主義者によって脇へ押しのけられつつある。

優勢になりつつある人生観は、静けさという観念を排除する。それは人間を、自己のうちに目的をもつ存在としてではなく、外的な目的を達成するための道具として見る。したがって、人間の活動と本来の完成が、道具や機械の活動と本来の完成と、どのように異なるかを無視する。一言で言えば、ギリシア人が余暇という観念へ凝縮したすべてを顧みず、その代わりに、エネルギーと機械的能率への崇拝を打ち立てるのである。

ブライス氏は言う。「今日のアメリカでは、人生の緊張とせわしなさが、かつてないほど大きいように見える。労働者から百万長者まで、誰もが父親の時代より強い蒸気圧をかけている。」この比喩が示すように、人間は機関車とほとんど同じ基準で判断され、車輪が目に見えて回っていなければ、活動していないと見なされる。

機関車が摩耗の徴候を示し始めたとき、廃品置場へ送り、新しいものへ取り替えるのが経済的だと分かったように、人間についても、中年の者より、生命の機械がまだ損なわれていない若者を好む傾向がある。オスラー博士のように、実業界がむき出しの自然主義へ流れていくこの傾向へ、一種の科学的承認を与えようとする学界のベーコン主義者もいる。ユーモラスな誇張を大幅に差し引いても、オスラー博士の発言は、ある種の精神が科学的進歩の姿を借りて石器時代の倫理へ逆戻りしていることを示す、奇妙な実例であり続ける。

ベーコン自身なら、現代の猛烈さの多くを、おそらく是認しなかっただろう。それでも、この猛烈さの最も誇張された形と、観照生活より活動生活を高く置いたベーコンの態度とのつながりは明らかである。ベーコンの時代まで、最高善は行動ではなく瞑想によって得られるという、かなり一貫した伝統が世界に存在していた。少なくともこの一点では、東洋と西洋、ギリシア人とキリスト教徒、イスラム教徒と仏教徒とヒンドゥー教徒が一致していた。

妨げられない瞑想の効用への信仰から、無数の修道院が建てられた。中世神学は、アリストテレスの余暇の教説を取り入れ、それを用いて、マルタの知恵よりマリアの知恵を高く置き、至福直観の達成を宗教生活の冠であり完成と見なすキリスト教の教説へ、さらに権威を与えた。そのため、ベーコンによるアリストテレスとその余暇観への攻撃は、伝統的信仰の中心教義の一つに対する攻撃を含むものだと、ただちに受け取られた。

観照生活へのベーコン主義的反動を助けたのは、この生活を奨励するための組織的な試みの、ある側面に対して何世紀も積み重なってきた不満だった。人々はいつの時代にも余暇と観照の必要を感じてきた。しかし最高善だと考えたものを促進しようとする努力が、ほとんど同じほど確実に、最大の悪の一つである怠惰を促進するように見えることが、しばしばあった。「最良のものの腐敗は最悪である」(corruptio optimi pessima)。

たとえば理論上、修道院とは、賢者と聖者が世俗の仕事から解放された時間を、厳しい瞑想へ用いる場所だった。現実にはあまりにしばしば、ヴォルテールの言うように、「私たちの費用で暮らすことを神へ誓った」怠惰な修道士がいた。またオックスフォードやケンブリッジのような大学は、学問的余暇の住まいとなるはずだった。ところがオックスフォードは、ギボンが描いたポート酒と偏見の住まいとなり、十八世紀の別の観察者は、ケンブリッジを、人が「ぶらぶら過ごす技術」を完成できるだけの場所と見た。 ローウェルは、ハーヴァードにいくつかの「怠け職」(lazyships)を設けることに賛成した。しかしこの言い方は、怠惰と余暇との決定的な違いを曖昧にするため、明らかに不適切である。

<!-- 原書 pp.255-258 -->

このように、余暇という観念は、ベーコン主義の進展だけでなく、それを代表すると称してきた多くの者のふさわしくなさによっても損なわれた。さらにこの百年余りのあいだ、ルソーとルソー主義者の影響によっても損なわれてきた。

パリの新ソルボンヌの閲覧室入口の両側には、二人の女性像を描いた壁画がある。一方は険しい表情で眉を寄せ、「科学」と題されている。もう一方は、ひらひらする衣をまとい、ぼんやりと遠くを見る目をしており、「夢」(Rêve)と題されている。こうして象徴される科学的分析者とロマン主義的夢想家は、十九世紀を二分してきた。そして両者は対立そのものによって、いずれも余暇へ敵対してきた。

ベーコン主義者が、休息や気分転換とは異なるものとしての余暇を完全に否定するなら、ルソー主義者は余暇を夢想へ変えてしまう。彼は考えることと夢見ることの境界を消そうとする。「甘美で静かな思考の時」と「賢い受動性」との違いを、十分に感じ取らない。ティエールがルイ・ナポレオンについて述べたように、動詞 rêver(夢想する)と réfléchir(省察する)を区別しようとしないか、区別できないのである。

サント=ブーヴの言うように、夢想はルソーの大発見、彼自身のアメリカ(son Amérique à lui)だった。ただぶらぶら怠けることの魅力は、世界の初めから十分に理解されてきた。しかしルソーは「夢」の実践によって、一種の超越論的な怠けへ到達した。彼は自分の魂にまで、ぶらぶらするよう招いたのである。

ルソーは、贅沢な夢の世界に慰めを見いだし、科学的分析によって魅力を失った現実から、その世界へ逃げ込むことの多かった、美的放浪者の長い列の最初に位置する。観照生活と夢想とのこの混同は、私たちがロマン主義運動をもっと外側から眺められるようになり、現在ほどロマン主義の指導者たちによる自己評価をそのまま受け入れなくなったとき、興味深い研究対象となるに違いない。

ルソーは「私は活動生活に少しも心を引かれない」と言う。ここまでなら、賢者や隠者のように語っている。しかし読み進めると、彼はバイロンの言う「洞窟の代わりに後宮」を欲しがったであろう種類の隠者であり、聖アントニウスが雪へ飛び込んで逃れようとした、まさにその種のイメージによって孤独を楽しませていたことが分かる。

夢想と余暇との混同は、フリードリヒ・シュレーゲルの異様な「怠惰への哀歌」において、さらに露骨である。

おお、怠惰よ、怠惰よ。お前は無垢と詩との生まれながらの元素である。……お前を大切にする人間は幸いである。お前は聖なる宝石、神のような存在のうち、楽園から私たちへ残された唯一のかけらである。……神々が神々であるのは、意識的に、意図して何もしないから、そしてこの技を理解し、その達人であるからではないか。ああ、詩人、賢者、聖者たちは、この点で神々に似ようと、どれほど努めていることか。孤独と余暇と、寛大なまでの無頓着と無活動を称賛することにおいて、どれほど互いに競い合っていることか。……沈着と穏やかさによってのみ、真の受動性の聖なる静けさの中でのみ、私たちは自分の全体を実現できる。……怠惰の権利こそ、高貴な者と卑しい者とを分ける印であり、貴族制の真の本質である。一言で言えば、人間は神的であればあるほど、植物に似るのである。

夢想は、個人の気質だけでなく、国民的気質によってもさまざまに変化する。ルソーでは官能的であり、ドイツ人では感傷的かつ衒学的であるものが、ワーズワースのようなイギリス人では、禁欲的かつ倫理的になりやすい。ワーズワースは、根底ではただ甘美な快楽主義、魂と感覚との恍惚とした混合にすぎないものへ、道徳的な真剣さと威厳を与えようとする。

たとえばピーター・ベルは「正式な妻を十二人も」もち、神と人に対してほかにも数々の凶悪な罪を犯していた。もちろん最も凶悪だったのは、「川辺の桜草」を超越的なものへ高められなかったことである。もし彼が「柔らかな青空の魔力」を感じてさえいたなら、ピーター・ベルのすべては違っていたかもしれない。

私たちはロマン主義的夢想を、無差別に攻撃しようとしているのではない。人文主義者は「賢い受動性」の効用を否定しない。ただ、それが余暇の十分な代用品であることを否定する。ルソーが人間の魂へ新たに加えたと、崇拝者たちが言う能力についても、人文主義者は感謝するだろう。しかしルソーの言葉にある健全で価値あるものが、これほど多くの病的なものと混じっていることを、つねに惜しむだろう。

人文主義者は、正しい位置にあるルソー主義の善を、ためらわず認める。しかし位置を外れたルソー主義については、近年のあるフランス人著述家とともに、それは「人間本性の高次部分を全面的に腐敗させるもの」だと言うだろう。

<!-- 原書 pp.259-263 -->

一般に人文主義者は、感傷的自然主義も科学的自然主義も否定しないだろう。それは不可能な反動を試みることになるからである。彼の目標は、自分の時代を否定することではなく、それを完成させることである。

本書の諸論考では、近代のさまざまな傾向を率直に批判してきた。とりわけ、必要なのが常識と人間性にかなった基準の規律へ従うことであるときに、同胞愛の原理へユートピア的に訴えかける傾向を批判した。しかし十九世紀のロマン主義的・自然主義的な乱痴気騒ぎとでも呼びたくなるもののあとで、いくらか酔いをさますことが望ましいからといって、十八世紀の見方へ戻るべきだということにはならない。 もっとも、一部のロマン主義者と比べて、ジョンソン博士のような十八世紀の著述家へ、もう少し敬意が払われるようになるなら、悪い兆候ではないだろう。

十九世紀の大きな拡張、知識と共感の豊かさは、優れたものである。ただし、それがより正しい判断と、より豊かな選択への道を準備するかぎりにおいてである。知識と共感だけでは、皮肉にも自分自身の反対物へ変わり、同時に、無秩序と印象主義から私たちを救う力をもたないことが明らかになるだろう。

私たちが必要とする新しい総合へ至る道は、ベーコン主義者の猛烈さを通るものではない。またルソー主義者の夢想へ逃げ込むことによって、ベーコン主義の一面性から抜け出せるとも期待できない。猛烈さに対する実りある反対物は、夢想ではなく、余暇と省察である。

エマソンの言うように、私たちの「独創性」を容赦なく打ち砕くプラトンは、『政治家』と呼ばれる対話篇の終わり近くで、この猛烈な生活という問題全体を論じている。 プラトンによれば、性格には二つの型があり、それぞれがそれぞれの仕方で立派である。一方は運動やエネルギーを表す語によって、もう一方は休止と静けさを表す語によって記述できる。前者については、何と雄々しい、何と力強い、何と機敏なのだろう、と言う。後者については、何と穏やかで、何と節度があり、何と威厳があるのだろう、と言う。

政治の最大の勝利とは、この二つの型の均衡を保ち、どちらにも過度の優位を与えないことである。猛烈さは、過度に支配するようになると、「初めは花開き、力を増すかもしれないが、ついには露骨な狂気となって噴き出す」。そしてプラトンが別の箇所で付け加えるように、国家をすべての隣国との戦争へ巻き込みやすい。

しかし他方では、「猛烈な性格は、正義と慎重さにおいて節度ある型より劣るとはいえ、行動する力を並外れて備えている。そしてこの二つの型のどちらかが欠ける都市は、公的生活においても私的生活においても、十分に繁栄することができない」。そこでプラトンは、機械仕掛けの神のような完全な政治家を想定する。その仕事は、猛烈な性格と節度ある性格とを、完全な国家の縦糸と横糸として織り合わせることである。

プラトンが理想の統治者へ課した職務の一部は、現代では高等教育機関に属するように思われる。わが国のカレッジと大学がなしうる最大の奉仕は、エネルギー崇拝と行動への狂熱的な焦りに対して、余暇と省察の空気を対置することだろう。過去の修道院的弊害へ陥ることも、世間から隔絶した閉鎖生活を奨励することもなく、観照生活の要求を認めることは可能なはずである。

私たちの人生が、機械的能率の狂暴で熱病的な追求へ退化しないためには、「最後に残る静けさの要素」のために、大きな余地を設けなければならない。エリオット学長の言う産業民主主義が、文明人の住みたいと思える民主主義になるには、仕事の喜びを余暇の喜びによって和らげる必要がある。

仕事だけに喜びを見いだす産業民主主義は、回転する機械が永遠に狂騒する悪魔の宴の中で暮らし、それを進歩と呼ぶようになるだろう。そのように理解された進歩は、野蛮へ後退する一つの方法にすぎないことが明らかになる。力の秘密へ到達するのはよい。しかし平和の秘密を犠牲にしてはならない。

必要なのは、東洋的静寂主義でも、ある種の西洋人に見られる非人間的な猛烈さでもない。純粋な行動でも、純粋な休止でもなく、両者のあいだの全領域を満たす混合である。すなわち、人文主義的理想と定義されてきた、静けさの中の活動である。

近代機械の本当の利点は、世界の苦役を軽くし、これまで可能だった以上に多くの人へ、余暇の機会を開くことにある。この機械の目的は、さらに激しい活動へ出発するための足場を提供することにすぎない、と信じ込まされてはならない。

とりわけ現在の状況は、救われるとしても、私たちが人道主義的奔走と呼んできたものによって救われる状況ではない。私たちはすでに、アメリカ人へ、一割の思考と九割の行動を組み合わせるよう勧める連邦判事の言葉を引用した。私たち自身がアメリカ人へ勧告するなら、むしろデモステネスがアテナイ人へ述べた言葉を選ぶだろう。

神にかけて、どうか考えていただきたい。

行動は、いずれにしても十分にある。だが国民生活から余暇の原理を省こうとする国に、必ず課される代償から逃れるには、より人間性にかなった省察によるほかない。

しかし風刺雑誌は、疑いを抱き始めている。最近の『ライフ』誌に載った「新型大学学長」の一覧から、二例を挙げる。――「アーカナ大学学長フィランダー・ボッグズ神学博士は、このたびヤーヴァード大学から法学博士号を授与された。ボッグズ学長は、最近三週間で二十五万ドルを集めるという行動によって、この名誉に十分値すると同時に、自校を国の最先端の大学の一つに押し上げた。」/「あの堅実な教育者ボクソール・ウェブスターがヒルデール神学校の運営を引き受けたとき、金庫には一ドルもないに等しかった。現在では新しい建物が五棟あり、遺贈金があまりに急速に流れ込むため、新しい金庫を買わなければならなかった。ウェブスター学長が近代思想の指導者であることは疑いない」など。

『スペクテイター』第54号参照。

「怠惰への哀歌」を収める『ルツィンデ』は、1799年に刊行された。

P・ラセル『フランス・ロマン主義』(1907年)70頁参照。ラセルの著書は、フランス・ロマン主義運動に対する鋭い分析と告発であるが、建設的な面では弱い。

本書42~43頁参照。

ジョウェット訳『プラトン著作集』第4巻429頁および517~518頁参照。

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