錬金術 / 編者未詳哲学者たちの薔薇園

錬金術 / 編者未詳

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収録範囲: 1550年版の全192印刷頁。439対訳単位。標題の一部略号の読みは留保。
日本語訳の利用条件: CC0
追加日: 2026-10-02 / 更新日: 2026-10-02
原著: Rosarium philosophorum. Secunda pars alchimiae de lapide philosophico vero modo praeparando
出典元ライセンス: Public Domain Mark 1.0
翻訳文ライセンス: CC0
1550年版の全192印刷頁。439対訳単位。標題の一部略号の読みは留保。

扉と技術者名簿

五人の人物が火を囲み、頭上と前方に文字の巻物がある。
扉の木版図ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0底本の図版

哲学者たちの薔薇園。錬金術第二部。賢者の石を正しい方法で調製することについて。この学の進行を厳密に収め、事業の完成を示す図を付す。

私たちの石は、霊、身体、魂を持つ。

注 左側の人物の巻物。noster、habet、spiritum、corpus、animam の略記を展開。

私たちを結び合わせよ。そうすれば、おまえの求めるものを見出すだろう。

注 中央左の巻物。略記を展開。Coniunge の語尾と nos は密集した文字の読みに若干の不確かさがある。

私たちの巧みな石を作ろうとする者は、
自然の始まりを見つめなければならない。

注 右から中央へ、二人の人物の巻物を一続きの韻文として読む。anfank は当時の Anfang の綴り。

溶かせ、凝結させよ。

身体を溶かして水にせよ。

注 corp ora 等の巻物上の分割と略記を正規化。

ウィンケンティウスが『自然の鏡』で述べるところによれば、この術の名高い技術者は以下の者たちであった。
アダム、ノア、イドリド、スクイリア、コラ、モーセとその姉妹マリア、カトー、ウェルギリウス、アリストテレス、アレクサンドロス、ゲベル、ヤヒエ、ラーシー、アビマザル、マウリエヌスすなわちモリエネス、福音記者ヨハネ、枢機卿ガルシアスとギルベルトゥス、フックと呼ばれた司教グウィルヘルムス、百二十五の石についての書を編み出した施療院長アエギディウス。また司教アンドロイクスと教皇使節ドミニクス、それにユダヤ人ヤコブ・アラニクス。彼らはこの術について少なからぬことを私に教えてくれた。さらに修道士ペトルスとディランドゥス、アウィケンナ、アルノルドゥス・デ・ノウァ・ウィラ、そして近年の私たちの時代に活躍したレイムンドゥスである。

薔薇園の書

ここに、きわめて入念に編まれ、一冊に集成された『哲学者たちの薔薇園』の書が始まる。

哲学の術という大いなる学について、最も確かな知識を得たいと願う者は、この小書をいっそう注意深く調べ、幾度も読み通すがよい。そうすれば、願いどおりのよい結果を得るだろう。古の哲学者たちの子らよ、これを聞け。私はできるかぎり声を高くして告げたい。人間にかかわる事柄の最も重要なあり方を、全世界のあらゆる秘密のうち最も秘められた宝を、あなたがたに明らかにしに来たのである。偽りとしてでも、嘲りとしてでもなく、きわめて確実に、心から親切に、それを公にしよう。それゆえ、私があなたがたに伝える教えの奥義にふさわしい熱意をもって、私の言葉に耳を傾けてほしい。すなわち私は、自分の目で見、自分の手で触れた事柄について、いまいっそう確かな証しをあなたがたに示すことができる。多くの虚偽に満ちた自慢屋たちよりも、さらに確信をもってそうできる。彼らはついに多大の費用を費やし、

繰り返し読め。宝。

労苦を重ねた末、惨めな成果しか得られないのである。だから私は、熟練者も未熟な者もこの教示から秘密を理解できるよう、明瞭に、率直に語る。誰も正当な理由をもって私を罵ることはできないはずである。古の哲学者たちは、きわめて曖昧かつ混乱した書き方をした。そのため理解できないばかりか、互いに一致しているようにさえ見えない。そうして、このきわめて貴い術を求める者を欺くか、志から引き離そうとした。私はあらゆる欺きと曖昧さを除き、最も確かな実験の全体を、はっきりとあなたがたの眼前に置こう。同時に、問題にふさわしく引用され、そこに最もよく役立つ哲学者たちの言葉も添え、扱う事柄がいっそう明らかになり、より明瞭に理解されるようにする。そこでまず告げる。自然の外で働く者はすべて欺く者であり、取り組むべきでない事柄に労を費やしている。人間からは人間しか、獣からは獣しか生まれず、いかなるものも自分に似たものしか生み出さない。したがって、自分自身に由来するものを持たない者が、他に由来するものから思いどおりに得ることはできない。私たちがこう言うのは、誰も金銭を失わないようにするためである。理解力の鈍さによって欺かれ、貧窮に陥った者のなかには、さらに他人を誘惑し、惨めな境遇に追い込もうとする者がいる。そこで私は勧める。誰も、

真の自然。命令。助言。

真の自然の根源とその扱い方を知らずに、発見を求めてこの術に手を出してはならない。それを知れば、多くの物は必要なく、ただ一つで足り、大きな出費も要しない。石は一つ、薬は一つ、器は一つ、管理法は一つ、配列も一つだからである。この術がきわめて真実なものであることを知れ。哲学者たちは、自ら見たり触れたりしていなければ、あれほど多くの色の相違やその順序を言い表そうとはしなかったはずである。だから重ねて言う。自然の外で労する者はみな、欺かれる者でもあり、欺く者でもある。それゆえ、私たちの実践と熱心な奉仕を自然のうちに置こう。私たちの石は動物的、植物的、鉱物的なものに由来するからである。自然の仕事においては、一つの意志を保て。あるときはこれ、あるときはあれを試そうとしてはならない。私たちの術は、多数の物を用いて完成するものではない。その名称がどれほどさまざまでも、つねにただ一つの物であり、同じ物に由来する。自然のうちにその本性から存在しないものが、自然へ導き入れられることはない。したがって、作用するものと作用を受けるものは、類においては同一の物であり、種においては別で異なるものでなければならない。メルクリウスによれば、それは女と男が異なるのと同じである。両者は一つの類において一致していても、質料と形相が異なるように、互いに明確な差を持つ。質料は作用を受けるが、形相は働きかけ、質料を自らに

一つの物。最も真実な学。恒常心。一つの物。作用者と受動者。男。女。質料と形相。

似せるのである。そのため質料は本性上、形相を求める。それは女が男を求め、醜いものが美しいものを求めるのと同じである。同様に、身体は自らの完成へ達するため、いっそう自発的に霊を抱きしめる。
したがって自然の根を知ることによって、それらを用いてあなたの仕事をいっそうよく行える。私たちの石を、私はほかの仕方で言い表すことも、ほかの名前で呼ぶこともできない。以上から、私たちの石が四元素からなることは明らかである。富める者も貧しい者もそれを持ち、それは至るところに見いだされ、あらゆる物に似ている。それは身体、魂、霊から構成され、ある本性から別の本性へと変わり、ついには自らの完成の最終段階へ至る。
また彼らは、私たちの石は一つの物からできると言った。それは真実である。奥義の仕事のすべては私たちの水によってなされるからである。その水はあらゆる金属の種子であり、すでに示されたように、すべての金属はそれへと溶解される。
さらに、金属の塩は賢者の石である。私たちの石は金と銀のうちに凝結した水であり、火に抗し、それ自身の水に溶ける。その水から、石はその類において組み立てられる。したがって、身体を第一質料、すなわち水銀へ戻すことは、

貧しい者もそれを持つ。これが私たちの一つの物である。種子。金属の塩。第一質料。

凝結した質料の溶解にほかならない。それによって、一つの本性が別の本性へ入り込むことで錠が開かれる。
このため哲学者たちは、太陽とは成熟した水銀にほかならないと言った。メルクリウスのうちには、現実態にある元素は土と水という受動的な二つだけである。空気と火のような能動的な元素は、可能態としてのみそのうちにある。しかし純粋なメルクリウスのうちで、これらが適切な熟成と釣り合いのとれた煮熟によって純粋な可能態から現実態へ導かれるとき、金が生じる。したがって金のうちでは、四元素は等しい比率で現実化している。それゆえ、そこには成熟した能動的な硫黄がある。私たちの術は、メルクリウスに成熟した金を加えて供することにより自然を助ける。その金のうちには、すでに述べたように、成熟して十分に熟成した硫黄がある。それは自然の働きによって自然から生じたものである。
アルノルドゥス。「哲学者ではないのにこの学へ達しようとする者は愚かである。この学は哲学者たちの秘事に属するからである。」
セニオル。「この術は神の権能のうちに保留されており、無学の者には敵となる。」
それゆえゲベル。「この学は貧しく困窮した者にはふさわしくない。」

受動的元素と能動的元素。金の性質。術は自然を助ける。理論。

むしろ彼らには敵である。哲学者は『政治学』第二巻で述べている。「困窮した者が哲学することは不可能である。」
哲学者たちによれば、この術には二つの道がある。すなわち普遍的な道と個別的な道である。
普遍的な道は容易だが稀である。それは真実で自然な諸原理から導かれる道であり、これらの原理によって、種子的で再形成する力がただちに、一瞬にしてメルクリウスを固める。そして適切に調製されたどの金属も、真の金または銀へ染め変える。これは能動的なものと受動的なものとの結合によって、その力がもともといずれの目的へ向けられていたかに従う。
第二の道は個別的な道と呼ばれ、困難で労苦が多い。注意せよ。普遍的な道の錬金術は、一部は自然によるもので、一部は人為によるものであるが、それでも自然によるところが大きい。真の錬金術の道では、異質なものや外来のものが自然に導き入れられることはないからである。自然は働きかける対象を備えている。能動的なものは適切な結合または適用によって受動的なものと結びつけられ、残りは自然がひとりでに行う。プラトン。「私たちの石は火が触れたことのない物であり、それから私たちのメルクリウスが立ち現れる。」
錬金術に取り組む者には三種類ある。すなわちアルキミスタ、ラウキミスタ、ラクリミスタである。「取れ、取れ」と言う者がみな、

注 Alchimista/Lauchimista/Lachrimista は語呂を使った三分類。最後の語は「泣く者」を連想させる。原文の語を保った。

二つの道。普遍的。個別的。メルクリウスの瞬間的凝固。自然の道。アルキミスタ。ラウキミスタ。ラクリミスタ。

蛇、星、太陽と月に囲まれた、三筋の水が流れる泉。
泉ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0底本の図版

術のうちへ入れるわけではない。「取れ」と言うべきものはただ一つであり、一つの身体が別の身体に入り込むことはないからである。グラティアヌス。「これとこれを取り、このように、またこのように行え。そうすればこれを得る。」このことはすべての哲学者のもとで真実である。それゆえ哲学者。「最初の言葉である『取れ、取れ』は多くの誤りを生んだ。」ゆえに最初の仕事は石の物質を溶解すること、すなわち通俗的なものではないメルクリウスを溶解することである。アルノルドゥス。「哲学者たちの言葉を文字どおりに理解する愚者は目がくらみ、偽りしか見いださない。そして『私たちは試みたが何も見いだせなかった。だからこの学は偽りだ』と言う。そのとき彼らは絶望した者のようになり、書物と学を軽蔑する。それゆえ学も彼らを軽蔑する。自然の秘密についての私たちの学には、無知な者以外に敵はいないからである。」詩句。
この石は小さく、値も安い。
愚者には蔑まれるが、学んだ者にはいっそう愛される。
アルフィディウスも言う。「この秘事で問題となる石を、神は高い代価で買うものとはされなかったと知れ。それは道に捨てられて見つかる。貧しい者も富める者も得られ、各人が理性と知識によって容易にそれへ到達できるためである。」水銀は石ではない。そこでコンスタンティヌス。「溶融できるものであるから、石ではない。」水銀は火である。ゆえに哲学者。「したがって知れ。水銀は火であり、火よりも強く身体を焼き尽くす。」

「取れ」とは、すなわち「欺け」。学の敵。メルクリウスは火である。

われらは金属の始まり、その最初の本性。
術はわれらによって最高のティンクトゥラを作る。
いかなる泉も水も私には等しくない。
私は貧者も富者も健やかにする。
だが今の私は毒を持ち、死をもたらす。

鉱物的。動物的。植物的。
処女の乳。泉の酢。生命の水。
名称は三重。
鉱物的メルクリウス、植物的メルクリウス、動物的メルクリウス。このように一つである。

注 図中の略記を展開。欄外の a/b による補記は後世の手書きであり、1550年の印刷本文には含めない。

ルナリアの汁、生命の水、第五精髄、燃える葡萄酒、植物的メルクリウスは、すべて同じものである。ルナリアの汁は、私たちの子らのうちわずかな者にしか知られていない、私たちの葡萄酒から作られる。それによって私たちの溶解がなされ、それを仲立ちとして私たちの飲用金もできる。それなしには決してできない。
なぜなら不完全な身体は第一質料へと変えられ、これらの水は私たちの水と結合して、ただ一つの清浄で澄んだ水となるからである。それはあらゆるものを清める一方で、必要なものをすべて自分のうちに含んでいる。それは貴くも卑しくもあり、それから、それによって、私たちの奥義の仕事は完成する。それが身体を溶かすのは、身体を雲の水へ変える無知な者たちが教えるような通常の溶解によるのではない。真に哲学的な溶解によってである。そこでは身体は、初めにそこから生じた第一の水へと変えられる。この同じ水が身体を灰に変えるのである。
また、錬金術は聖霊の賜物であると知れ。そして私たちの時代には、ローマ教皇庁に、最高の医師であり神学者でもあった師アルノルドゥス・デ・ノウァ・ウィラがいたことを知れ。彼はまた偉大な錬金術師であり、金の小棒を作り、それをどのような試験にかけることにも同意したのである。

私たちの葡萄酒。不完全な身体。私たちの溶解がどのようなものか。雲の水。初めからあった。聖霊の賜物である。

アルノルドゥス。「錬金術の技術者は知るべきである。金属の種は、第一質料へ戻されないかぎり、変成させられない。だがそうしたときには、それまでとは異なる種に変わる。人工のものでも自然のものでも、一つのものの消滅は他のものの生成であるからだ。術は自然を模倣し、ある点では自然を正し、自然を超える。それは病人の自然が医師たちの熟練によって助けられるのと同じである。」
『鏡』。「それゆえ尊ぶべき自然を用いよ。自然は、その自身の自然のうちでしか改善されないからである。そこへ異質なものを導き入れてはならない。粉であれ、ほかの何物であれ、そうしてはならない。異なる本性は私たちの石を改善せず、石そのものから生じたのではないものは、そのうちに入らないからである。何か外来のものをそれに加えると、ただちに損なわれ、求めるものはそこから生じない。」
『鏡』。「そこで告げる。煮る初めに互いに似た物を取り、手で磨り潰すことなしに精妙にして、すべてが水となるまでにしなければ、まだその仕事を見いだしたとはいえない。それゆえ学ぶ者たちに、無益に疲れないように、きわめて貴い秘密を知らせよう。この奥義は、水銀と硫黄とを、ただ一つの水銀となるまで煮ることにほかならない。それは硫黄を燃焼から守る。器が十分に閉じられ、水銀が

術は自然を正す。唯一の自然。水。結合。器を閉じよ。

消え去らず、硫黄が燃えたり損なわれたりしないようにするのである。私たちの水銀は、私たちの最も澄んだ水だからである。例として普通の水を見れば分かる。それで煮られるものは、水そのものが尽きるまでは、どれほど火が強くても、決して焼けない。水が尽きると、器の中にあるものが焼ける。だから哲学者たちは、私たちの祝福された水が蒸散せず、器の中のものを燃焼から守るよう、器の口を閉じるよう命じたのである。それらの物とともに置かれた水は、火が焼き尽くすのを妨げた。それらの物は、炎に包まれるほど、ますます水がその最も内側に隠れ、火の熱に傷つけられないようになった。水はそれらを自分の腹に受け入れ、火の炎をそれらから追い払う。私は、この術を探究するすべての者に、初めは弱い火を用い、水と火の間に忍耐が生じるまでそうするよう命じる。そして水がまったく上昇せず、固定されたと認めたなら、火がどのようなものであるかを気にしなくてよい。しかし霊と身体が一つになるまでは、忍耐をもって管理するのがよい。そうして身体的なものが非身体的になり、非身体的なものが身体的となる。したがって、白くし、赤くする物こそ水である。殺し、蘇らせるのは水である。焼き、白く輝かせるのは水である。溶かし、凝らせるのは水である。腐敗し、そののち、新しいさまざまな

例。弱い火。殺し、蘇らせる。水がすべてをなす。

物を芽生えさせるのは水である。それゆえ息子よ、私はおまえに忠告する。おまえの注意のすべてを水の煮熟へ向けよ。成果を得たいなら飽きてはならず、むなしいほかの物事を気にせず、ただ水だけを心にかけよ。それを少しずつ腐敗させながら煮て、一つの色から完全な色へ変わるまで続けよ。初めにその花やその緑を焼いてしまわないように気をつけ、仕事を急いで仕上げようとするな。また、中にいるものが飛び去れないよう、おまえの扉がよく堅く閉じられているか注意せよ。神が許したもうなら、そのようにして成果へ達するだろう。自然は自分の働きを少しずつ行う。私は、おまえにもそのようにしてほしい。むしろ、おまえの想像が自然に従うものであるようにせよ。大地の腹の中で身体が再生する、その自然に即して観察せよ。そしてこれを、幻想的な想像ではなく真実な想像によって思い描け。同様に、それらがどのような熱で煮熟されるか、それが激しいのか穏やかなのかを見よ。」

ゲベル『真理の探究について』が始まる。

私たちの諸巻において、隠された自然の力と自然物の性質から、また私たち自身の経験を通して、探究による発見によって、まったく確実な質料を考察してきた。身体を変成させる私たちの薬がそこから取り出されるものは、そのうちに次の

燃焼。忍耐。質料の確実性。

性質を備えている、ということ以外は何も見いださなかったのである。
第一に、そのうちに最も精妙で燃焼しない土を持つこと。その土は固定に適し、それ自身の根源的な湿りとともに、あらゆる点で固定されていること。
第二に、空気的かつ火的な湿りを持ち、それらが一様に結合し、一方が揮発するなら他方も揮発するようであること。この湿りは、あらゆる湿りにまさり、必要に応じて十分に濃化し、灰として完成するまで火の熱に耐え、結びついた土と分離することなく、蒸発せずに存続するものであること。
第三に、その湿りの自然な配置が次のようであること。すなわち、同質性の恩恵によって、あらゆる異なる性質のうちに、両者の変換によって土を結びつけていること。両者の同質性のうちで力強く調和し、完全な合一と分離しえない結合の絆によって、最終的な調製の段階ののち、均等によい溶融を示すこと。
第四に、この同質性が本質のきわめて高い純粋さを持ち、燃えやすいものや焼くものをすべて技術によって除かれているため、最も微小な部分に至るまで結びつくあらゆるものを焼かず、かえって燃焼から守ること。第五に、澄み輝く、白または赤のティンクトゥラを自らのうちに持つこと。それは清浄で、不燃性で、安定し、固定され、火もそれを少しも変えられず、

石の性質。

焼灼性の硫黄や鋭い腐食物も、これを損なったり、その力を奪ったりできないこと。
第六に、最終的な完成を与えられ、蝋化された複合物全体が、きわめて高い精妙さと質料の粘着性を持つこと。それによって煮熟の最終段階を終えて投入されたのちも、水のような最も微細な溶融状態を保ち、完成させる対象がどのような溶融物であれ、変成可能なその物の最深部まで浸透する。そして近接性と親和性によって、自らの蒸気へ自然に密着し、分離しえない凝固をもってその時の火の作用に抗し、霊的に身体を自らの本性へ戻すこと。
これらを考察し、私たちは探究によって、私たちの石に必要かつ適切な、諸物の七つの性質を見いだした。それは、油性、質料の細微さ、親和性、根源的な湿り、純粋さ、明澄さ、固定する土、そしてティンクトゥラである。
これらを分ける特性の第一は油性そのものであり、投射の際に薬の全面的な溶融と開放をもたらす。薬を投射したのち、まず必要なのは、その薬そのものの速やかで適切な溶融である。これは自然な油性によって完成し、内奥へ入り込む。
第二は薬の細微さ、すなわちその

注 原文は「七つ」と言いつつ八つの名を列挙するが、続く第五項では「純粋さ」と「明澄さ」をまとめて扱う。数を改めず訳した。

諸性質。油性。細微さ。

霊的な精妙さである。それは溶融すると水のように細微で流動し、変化させる物の深部まで浸透する。第二段階として、薬の溶融の直後には、その侵入が必要だからである。
第三はエリクシルと変成される物との親和性、すなわち近接性である。それは自らに似たものと出会う際に密着と保持を与える。第三段階として、薬の侵入の直後には、適切な付着が必要だからである。
第四は根源的で火的な湿りである。それは、類似したものの付着と、互いに似たすべての部分の結合によって、保持された部分を凝結し、永久に分かれぬよう固める。第四段階として、付着ののちには、粘り気のある根源的な湿りによって諸部分を固めることが適切かつ必要だからである。
第五は純粋さ、すなわち清められた明澄さであり、燃焼のうちにあるものへ際立った輝きを与える。凝固ののち、残された腐敗した部分は結合しない。現実に作用する火が、凝固していない外来の余剰物をすべて焼き尽くすためである。したがって腐敗がただちに続き、それは必要である。
第六は固定する土である。それはほどよく調整され、細微かつ精妙で、固定され、不燃性であり、固定の永続性を与える。溶解の際にも付着し、対象とともにとどまり、火に抗して存続する。第六段階として、浄化ののちの固定が必要かつ適切だからである。

注 第五項は印本どおり putrificatarum/putrefactio(腐敗)を残す。浄化を意味する語へ黙って修正しない。

親和性。根源的な湿り。純粋さ。明澄さ。固定する土。

太陽と月の上に立つ王と王妃が手を取り、花の枝を持つ。頭上に鳥と星がある。
王と王妃ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0底本の図版

第七はティンクトゥラであり、輝かしく完全な色、白と濃い黄を与え、変成可能な物を月化し、太陽化する。第七段階として、固定ののちには、染める最後の色、すなわちティンクトゥラが必要だからである。それは変換可能な質料を染め、真の金または銀とし、それぞれの確かで既知の相違をすべて備えさせる。哲学者カリディウスは私たちの水について述べる。「それはあらゆるものを焼き、砕くゆえに火である。水銀は酢である。」そこでソクラテスは『集会』で述べる。「第一の力は酢、すなわち水銀である。」また『集会』。「身体を酢なしで火の上に置けば焼ける。」すなわち水銀なしで置けば、ということである。『集会』は言う。「身体を純粋にするのは最も鋭い酢である。それなしにはいかなる色も現れない。」

酢。

よく注意せよ。私たちの奥義の術において、哲学者たちが隠しているものは、この術の秘密を除けば何もない。その秘密を誰にも明かしてはならない。もし明かせば、その者は呪われ、主の怒りを招き、卒中で死ぬであろう。それゆえこの術におけるあらゆる誤りは、適切な

術の秘密。

質料を取らないことから生じる。ゆえに尊ぶべき自然を用いよ。私たちの術は、自然から、自然によって、自然のうちに生じ、ほかの何物のうちにも生じないからである。したがって私たちの奥義は、自然の仕事であって職人の仕事ではない。このように、始まりを知らない者は終わりに達しない。また何を探しているか知らない者は、何を見つけるかも知らない。
そこで知れ。哲学者たちの金である銅こそ、彼らの金である。セニオルは言った。「私たちの金は、世間一般の金ではない。」おまえは緑について問い、銅にその緑があるため、銅は癩を病んだ身体なのだと考えた。そこでおまえに言おう。銅のうちにある完全なものは、ただそこにあるその緑だけである。その緑は私たちの奥義によって、すみやかに私たちの最も真実な金へ変わるからである。私たちはこれを経験している。しかし私たちの鉱山に生じると思われる、緑色で液状のドゥエネクなしには、決して石を調製できない。おお、すべての物を生む、祝福された緑よ。それゆえ知れ。植物も果実も、芽生えるとき、そこに緑色がなくて姿を現すことはない。同様に、この物の生成は緑色であることを知れ。このため哲学者たちは、それを芽そのものと呼んだ。また彼らはそれを、自らの浄化または腐敗の水とも呼んだ。それは真実である。それ自身の水によって腐敗し、あるいは黒さから浄化され、洗われて、

自然の仕事であって、技巧の仕事ではない。私たちの銅。緑。私たちの金。ドゥエネク。

白くなり、そののち赤くなるからである。それゆえ、真のティンクトゥラは私たちの銅からしかできないことを知れ。ゆえにそれを、その魂とともに煮よ。磨り、煮て、霊が自らの身体と結合し、一つとなるまで繰り返せ。そうすれば目指すものを得る。賢者たちはそれに多くの名前を付けたが、おまえは水銀と身体とに付着する、その唯一の物を考察せよ。そうすれば真の知を得る。だが誤らぬために、身体に付着するとはどういうことかを知れ。普通の水銀が身体に付着すると言う者たちもいるが、それは誤りである。彼らはゲベルの水銀についての章を理解しているつもりでいる。そこにはこうある。「ほかの諸物を探求したが、私たちの発見において、水銀よりもいっそう身体の本性に親しい物は見いださなかった」云々。しかし、これはすべて哲学的な水銀について理解されなければならない。それのみが身体に付着するからである。古代の哲学者たちはほかの物を見いだせず、近代の者たちも、哲学的な水銀以外に身体へ付着する物を見いだすことはない。普通の水銀は身体に付着せず、むしろ身体がその水銀に付着するのである。このことは経験によって真実と分かる。普通の水銀をある身体と結びつけても、水銀は自らの本性にとどまるか、離れ去るだけで、身体を自分自身の

唯一のティンクトゥラ。身体に付着すること。それに似た物はない。

本性へ変えることはない。それゆえ水銀が身体に付着するのでなく、身体が水銀に付着する。このため、多くの者が普通の水銀を使って仕事をし、欺かれてきた。私たちの石、すなわち金にまさり、これに打ち勝った西方の水銀こそ、殺し、また生かすものだからである。ゆえに知れ。それ自身の本性によって凝固し、死なされた水銀は、私たちのこの奥義に属するあらゆる驚異の父であり、霊であると同時に身体、つまり霊的身体である。それは昇華によって上昇するからである。これこそゲベルの言ったことである。「すべてを完成する真の物の考察とは、水銀の純粋な実体から選ばれたものの考察である。」では、その水銀の実体は、特にどのようなものから取り出せるのか、とよく問われる。私たちは答える。それが存在する物から取り出されるのである。ゆえに息子よ、考察し、その実体がどこにあるかを見よ。真の理解へ達したいなら、その実体を取り、ほかの物を取るな、云々。キリストの愛によっておまえに言う。私たちも哲学者たちも、その完全で不燃性の油性の湿りのほかに、火の中で持続する物を、決して見いだせなかった。そして、それが適切に調製されると、触れたすべての身体を、最も真の太陽的完成へ導く。あらゆる身体に、特に月に対してそうする。術の根は賢者たちの石鹸であり、あらゆる塩の鉱床である。それは海の鉱床から生じるため、苦い塩と呼ばれる。

凝固したメルクリウスは凝固させる。メルクリウスの見つかる場所。古の哲学者たち。油性。

その類におけるすべての塩より鋭い。鉱床であるからであり、それによって身体と霊が焼成され、エリクシルの溶解と凝固もなされる。ゲベル。「注意せよ。すべてをまず溶解しなければ、銀はまったく作れない。第二に、どのような溶解も、それ自身の血、または適合する血の中でなすべきである。すなわち竜の水と呼ばれるメルクリウスの水の中である。第三に、その竜の水は、ほかの何物も加えずにアランビックで作るべきである。それを作る際には、きわめて強い悪臭がする。第四に、その水によってアマルガム、辰砂の身体と霊、要するにそれ自身の本性に属するありとあらゆるものを溶かすことができる。第五に、その水は清浄でなければならない。それゆえ清められた竜からのみ作られるべきである。竜は三度上昇させ、そののち再び生かすことによって清められる。第六に、溶解したものは温かく湿った場所、すなわち馬糞の中で腐敗しなければならない。これから一つの黒さが生じる。第七に、湿りの中で太陽の乾きにより、すなわちマリアの浴で凝固させること。第八に、エリクシルが完成するには少なくとも一年かかる。しかしその期間は、人間の胎児が母胎内にいる期間であるべきだという見方もある。第九に、メルクリウスは、赤を目指すなら完全な赤い身体の匂い、白を目指すなら白い身体の匂いによってしか殺されない。そして身体は、自分の重さを保ったまま重さを与えることができる。
私たちの仕事を完成させるものは四つある。

塩。胎児の期間。

すなわち重さ、火、身体、霊である。
第十に、この術では、あらゆる処方を軽蔑すべきである。
第十一に、調製された物を器に入れれば、それは子供の遊びとなり、一つの器の中で奥義を成し遂げられる。また、真のメルクリウスを持つ者は誰でもエリクシルを持つ。エリクシルは、身体の匂いによって死なされ、あるいは固定されたメルクリウスである。竜は自分の兄弟と姉妹とともにでなければ死なないからである。また注意せよ。身体からメルクリウスが生じなければならない。すなわち、固定されたものが、揮発するもの、つまり清浄なメルクリウスによって揮発性にならなければならない。そして揮発するものは固定されたものより多くなければならず、二倍から五倍、あるいは六倍から十倍までであって、それを超えてはならない。揮発する部分が多いほど、その固定は遅くなる。また固定物は、一か月の間に揮発性となる。注意せよ。身体と霊がすべての元素、すなわちあらゆる元素の本性を通過しなければ、エリクシルにはなりえない。まず土となり、次に空気、すなわち蒸気となり、第三に水、第四に火となる。固定されていないものは火から逃れる。火と呼ばれるのは、火から逃げず、火の中で衰えも消耗もしないものすべてだからである。
この術の秘密を探究したい者は、私たちの身体の第一質料を知らなければならない。そうでなければ、その労苦は空しくなる。

注 「infixa quod fugiat ab igne」は文法と前後のつながりが不整である。固定されていないものが火から逃れるという読みに従い、続く「火から逃れない」という定義も省かず訳した。

重さ。火とは何か。

身体の第一質料は、普通のメルクリウスではなく、油性で湿った蒸気である。湿ったものから鉱物の石ができ、油性のものから金属の身体ができるからである。身体はこのような油性の蒸気へ変えられなければならない。この変換において身体は殺され、身体の粒は死へと打ち倒され、完全に死なされる。これは私たちの白と赤の水を仲立ちとしてなされる。そして「麦の一粒が」、つまり身体の粒が、「地に投じられなければ」とは、このように理解せよ。それ自身の第一質料、つまり油性の蒸気、あるいは哲学者たちと賢者たちのメルクリウスへ、ということである、云々。このような蒸気は、書物の諸章で知られる石、私たちの操作における質料の原理、油性の硫黄と呼ばれる。それから、完成において第五精髄、すなわちメルクリウスが取り出され、石が最終的にどのように調製されたかに応じて、あらゆる身体を太陽または月へ染め変える。また注意せよ。古の錬金術の賢者たちは、ほとんどみな多くを述べた末、塩について結論する。それを賢者の石鹸、閉じては開き、また閉じれば誰にも開けられない小さな鍵と呼ぶ。その鍵なしには、誰もこの世でこの学の完成に達しえないと彼らは言う。すなわち、調製した後に塩を焼成する方法を知らなければ、達しえないのである。また彼らは、穏やかな場所に三日間置き、火の熱と

第一質料。鉱物の石。蒸気は私たちの石である。塩。術の鍵。

王と王妃が裸で向き合い、花の枝を持つ。頭上の鳥と三つの巻物。
脱衣した王と王妃ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0底本の図版

煙気が蒸散するようにすべきだと言う。そこで私は、これからこう結論する。良好で完全な錬金術の薬、エリクシル、あるいは粉は、すべて塩のようであり、塩であって、塩の力を持ち、溶けた、あるいは赤熱した金属の身体に投射されたとき、きわめてゆるやかに溶融し浸透するものでなければならない。ゲベルも次のように言って、このことを戒める。「薬はメルクリウスより速く溶けなければならず、メルクリウスが逃げる前にすみやかに流れなければならない。また火もそれを消耗させたり破壊したりできないものであるべきだ。」そのとき、それは可融性の塩、不燃性の油、賢者たちの石鹸と呼ばれる。また注意せよ。金属の塩はメルクリウスを真の太陽と月へ変成させる。同じように動物の塩は、いかなる動物も真に調和した状態と最良の体質へ変える。糞の火は私たちの石の熟成における作用因であり、たとえ最も穏やかなものであっても、マリアの浴の火はその代わりにはならない。そこでアルフィディウスは言う。「私が示す火で煮るとは、湿った馬糞の中に隠れることである。これが賢者たちの火であり、湿って暗く、熱は第二度、湿りは第一度である。この火の特性は、油すなわち質料を破壊せず、その穏やかな湿りによって増大させることである。この熱だけが均一で穏やかであり、そのような熱こそ、この物の生成にはどうしても必要なのである。」そこでゲベルは言う。「それらは最も精妙な蒸気なので、穏やかな煮熟を必要とする。それによって自らのうちで」

注 lentissimae(きわめて遅い/ゆるやかな)と直後の velocioris(より速い)は印本のまま。火による消耗の文は nec に従って否定の意味で訳した。

塩。糞。私たちの火。

「均等に濃くなるためである。湿りを濃くし、混合を完成させるのは、穏やかな熱だけであり、過度に強い熱ではない。自然物の生成と産出は、きわめて穏やかで均等な熱によってしかなされないからである。湿って温かい馬糞だけが、そのようなものである。」

おお月よ、私があなたの夫になることを許しておくれ。
おお太陽よ、私は当然あなたに従順であるべきです。
生かすのは霊である。

注 最初の二句はドイツ語、第三句はラテン語。高解像度図版で巻物の向きを確認し、略記を展開。

ヘルメス、『諸論考』第四書。
「この術と秘められた叡智への導入を望む者は、傲慢という悪徳を自分から退け、敬虔で誠実であり、深い理性を持ち、人に対して親切で、穏やかな顔つきの快活な者でなければならない。丁重に挨拶し、自らに明かされた恒久的な秘密を守る者でなければならない。息子よ、何より先に私は、神を畏れよとおまえに勧める。神のうちにこそ、おまえのあり方を見通す眼と、隔てられたあらゆる者への助けがある。」
ゲベル、『完全な奥義』の書。
「この学の技術者は、きわめて鋭敏な才知を持たなければならない。この術へ達する前に、金属の本性、その生成、鉱床における病と不完全さを知り、認識していなければならない。鈍く硬い知性で満ちた技術者は、その探究へ近づくべきではない。費用や支出について欲深く、吝嗇であってもならない。また二心のある者、胆力と気骨を欠く者、心変わりする者、過度にせっかちな者や頑固な者でもあってはならない。学びの子であれ。最も鋭敏な知性で飾られ、十分な富を持ち、気前よく、健全で、目的を堅く保って変わらず、忍耐強く、温和で、気長で、節度ある者であれ。」アルフィディウス。「息子よ、知れ。おまえの心を神に向けて清め、おまえが確固として正しい心を持つと神が知りたもうまでは、この学を持つことはできない。そのとき神は、おまえに世界を」

師は有徳であるべし。理論家。吝嗇な者。学びの子。

「支配させるだろう。」アリストテレス。「おお、神が人間のうちに忠実な心を見いだしたもうなら、きっとその者に秘密を明かされるであろう。」
『愚者の矯正者』。「いかなる術にも、滓を模倣し、その本性について、それがいかなる物の本性であるかを知ることが必要である。そのようにして術は自らの自然を模倣する。愚者よ、知れ。術によって自然そのものは見分けられるが、改めることはできない。自然を模倣しない者には、哲学者たちの秘密を完全な終わりへ到達させることは不可能だからである。」
ヘルメスとゲベル。
「この術を一度完成した者は、たとえ百万年生き、毎日四千人の人を養うとしても、欠乏しないであろう。」セニオルはこれを確証して言う。「エリクシルを作る石を持つ者は、このように富んでいる。火を持つ者が、自分に危険も不足もなく、望む相手に、望むときに、望むだけ火を与えられるのと同じである。」アリストテレス、『魂について』第二十。「最も自然で、最も完全な働きは、自分自身と同じようなものを生むことである。」

注 Corrector Fatuorum の冒頭は印本に scoriam(滓)とあるため、そのまま残した。文意・統語に不整がある。また vigesimo の書誌的妥当性は確認せず、印本の帰属を訳した。

大いなる学の一覧。

第一に、私たちの緑の獅子のうちに真の質料があること、その色がどのようなものかが示される。それはアドロプ、アゾート、あるいは緑のドゥエネクと呼ばれる。
第二にも同様のことが示され、第三十には、

注 印本は trigesimo(第三十)とする。続く第四以降との連続から「第三」が想定されるが、原文を保持した。

効用。

身体が哲学者たちの水銀、すなわち私たちのメルクリウスの水へいかに溶解され、一つの新しい身体となるかが示される。第四には、私たちの時代にかつて見られたことのなかった哲学者たちの腐敗が示される。それは硫黄と呼ばれる。第五には、この水の大部分が、あらゆる哲学者たちの語る、黒く汚れた土にいかに変わるかが示される。第六には、この黒い土が初めは水の上にあり、少しずつ器の底へ沈むさまが示される。第七には、この土が再び水へ溶け、油の色になるさまが示される。そのときそれは哲学者たちの油と呼ばれる。第八には、竜が黒さの中で生まれ、自分のメルクリウスで養われ、自分自身を殺し、その中へ沈み、水が少し白くなるさまが示される。これがエリクシルである。第九には、水が黒さからすっかり清められ、乳の色にとどまるさま、また黒さの中に多くの色が現れるさまが示される。第十には、器の中で水の上にあった黒い霧が、自分の出てきた身体へ降り戻るさまが示される。第十一には、その灰が輝く大理石のように最も白くなるさまが示される。これが白へのエリクシルであり、生まれたものは灰である。第十二には、その白さがルビーのように透明な赤さへ変わるさまが示される。これが赤へのエリクシルである。仕事の全体をよく理解したければ、部分から部分へと読み進めよ。そうすれば驚異を見るだろう。私はこれらすべてを、私たちの時代に、獅子に至るまで

黒化。哲学者たちの油。白化。多くの色。エリクシル。

見た。この仕事で現れ、必要となるものを、私はすべて述べたわけではない。人間に語ることが許されない事柄があるからである。それでも、見てはいないが、完成に至るまで描き出した。仕事が必然的にそのような本性に達すると知っているからである。これは神から知るか、それを教える師から知るのでなければ、知ることは不可能である。また、これはきわめて長い道だと知れ。ゆえに、私たちの奥義には忍耐と長い待機が必要である。水銀は普通の塩である。ゆえに『ロサリウス』は言う。「普通の塩は金と銀を溶かし、金の赤さと銀の白さを増し、銅を身体性から霊性へ変える。そしてこの物によって身体が焼成される。」そこで『光の光』。「全能の神がこの塩を創造していなければ、エリクシルは完成されず、錬金術の研究は空しいものであったろう。」注意せよ。メルクリウスには四つある。生のメルクリウス、昇華したメルクリウス、マグネシアのメルクリウス、油性のメルクリウスである。マグネシアは満月であり、哲学者たちのメルクリウス、すなわち哲学者たちのメルクリウスを含む質料である。それは、自然が少し働きかけ、金属の形に形作ったが、なお不完全なまま残したものである。以上が彼の言葉である。注意すべきは、「侵入の媒介」と呼ばれるこのような物は、完全でもなければ、まったく不完全でもないということだ。無からは何も生じず、自然がそのうちに完成しなかったものを、技術者自身が自然を助けることによって、不完全から完全へ導くことができるからである。そしてそれは、不可視の石、

長い道。普通の塩。マグネシア。

聖なる石、祝福された物と呼ばれる。ゲベル。
「水銀には焼灼性がない。したがってその浄化とは、工夫によって土性と水性を除くことである。それが純粋であれば、白く焼くことのない硫黄の力が、それを銀へ凝固させる。それは、技巧によってそこから銀へのエリクシルを作るのに最良の物である。他方、最良の、焼くことのない本性の赤い硫黄であれば、そこから金へのエリクシルを作るのに最良の物となる。このような硫黄こそ、私たちと賢者たちの硫黄であり、それらの身体から取り出されるもの以外には、地上で見いだされない。」アルノルドゥス。「水銀のうちに隠された硫黄こそ、その外側の鉱物的な硫黄の色の力によって、水銀そのものに金の形を与えるものである。」アウィケンナ。「このような硫黄は、身体のうちにあるもの以外には地上で見いだされない。それゆえ、地上で硫黄を得られるよう、それらの身体を精妙に調製せよ。完全な身体は、私たちの奥義によって、いかなる外来物も混ぜずに、不完全なものを助け、完成させるからである。そうでなければ、硫黄はどの種類であっても正しい溶融を妨げる。鉄で明らかなように、鉄は溶けない。その内部に固定された硫黄を持つと分かるからである。他方、固定されていなければ、正しい溶融に先行して、火によって妨げられ、燃え、蒸発する。鉛やほかの弱い身体で明らかなとおりである。」したがって普通の硫黄は、

白と赤のエリクシル。

私たちの術の真実にも、その完成にも属さない。あらゆる操作において、完全なものを妨げるからである。そこでゲベル。「硫黄は焼成されなければ決して固定できず、焼成されると、まったく溶融を与えない。」セニオル。「硫黄と砒素は、この奥義の真の薬ではない。それらは仕上げも完成もしないからである。あらゆる下位の鉱物について十分知られているとおりである。」アルベルトゥス。「硫黄の特性は、メルクリウスを凝結させ、メルクリウスとともに完成させることである。しかしティンクトゥラは、二つの完全な身体からのみ存在する。その二つから、かの硫黄を取り出すことができる。」
哲学者。「術の基礎は太陽とその影である。」モリエネスは言う。「奥義の全体には三種で足りる。白い煙、すなわち第五の力、つまり天の水。緑の獅子、すなわちヘルメスの銅。そして、すべての金属の母である悪臭を放つ水である。哲学者たちは、それから、それによって、それとともに、初めにも終わりにも、かのもの、つまりエリクシルを調製する。その調製のためのこの三種を、誰にも明かしてはならない。だが愚者は、何かほかの物を用いてこの奥義に取り組む。」哲学者たちの最も秘密の奥義。哲学者たちの父ヘルメスは言う。「哲学には三つの部分、すなわち太陽、月、メルクリウスがある。」父ヘルメスは、それらを結合してティンクトゥラを作ることを知っていた。ヨハネス・デ・アクィノ。「金の破壊を知らない者は、

砒素。ヘルメスの銅。

自然の進行に従う金の構成も、必然的に知らないことになる。したがって金は、破壊するより構成するほうが容易である。」これらなしでティンクトゥラを作れると信じる者は、宴へ向かう驢馬のように、盲目的に実践へ進む。身体は身体に作用せず、霊は霊に作用しない。形相は形相から刻印を受けず、質料は質料から受けないからである。似たものは自分に似たものに対して作用や受動を持たない。どちらも他方より優越せず、同等のものは同等のものを支配しないからである。そこでアリストテレス。「自然において適合するものからでなければ、真の生成はない。」物はその自然に従ってしか生じない。ニワトコは決して梨を生まず、茨はザクロを生まず、悪い木はよい実を結べない。また哲学者は言う。「私たちのメルクリウスは、それと結合され、あるいは分離された、あらゆる本性または諸本性へ変わる。」哲学者。「金がもはや金でなくなるように破壊する方法を知る者は、最大の秘密へ達している。」別の哲学者は言う。「金を破壊するのは難しく、構成するのはきわめて難しい。付帯的なものを壊すほうが、本質的なものを壊すより容易である。」金はすべてメルクリウスである。それはその重さと、メルクリウスが容易に結合することから明らかである。したがって、そのうちに哲学者たちの意図と志向の全体と根がある。金は天の熱と惑星の運動によって、これらの力と卓越性を獲得した。それらをそれ自体で創造することは不可能であり、付帯的にしかなされない。しかし技術者がメルクリウスにおいて仕事を始めれば、これらすべてへ

作用者。受動者。よく注意せよ。秘密。

王と王妃が浴槽に座り、枝と鳥を中心に向き合う。
浴ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0底本の図版

到達することができる。熟考と火の助け、そして豊かな労力に相当する工夫によってである。アルベルトゥス。ここから、身体のうちに水銀が大量にあることが完成の原因であると明らかになる。一方で、多量の硫黄性、すなわち不浄な硫黄性は、完成と腐敗の原因である。きわめて賢いエウクレイデスは、同時に結びつけられた太陽とメルクリウス以外のものに働きかけないよう、私たちに勧めた。賢者の石はそれらのうちに成り立つからである。完全なものからは何も生じない。それはすでに完全だからである。この自然あるいは技巧について、パンに例がある。発酵し焼かれたパンは、その状態または存在において完成し、その究極の目的へ達している。それからさらに発酵させることはできない。金も同じである。純金は火の試験によって堅く固定した身体へ導かれている。哲学者たちによれば、それを用いてさらに発酵させることはまったく不可能である。ただし、金属の第一質料を得て、そのうちで金を第一質料と混和可能な元素へ溶解するなら別である。ゆえに、金がそこから生じる質料を取ろう。それは技巧を仲立ちとして、哲学者たちの真の発酵素へ導かれる。そして工夫により、それを完全な質料、あるいは完全な身体の霊へ変えよう。それゆえ近代に働く多くの者は、哲学者たちでさえ欺かれる。本来始めるべきところで仕事を放棄するからである。災いだ、学びの子らよ。果実が熟す前に摘み、収穫期の前に刈り取ろうと望む者たちよ。別の哲学者。「完全なものからは何も作れない。物の種が自らの自然において完全なら、それは変わらず、むしろ」

注 多量の不浄な硫黄性について、印本は perfectionis(完成)とする。前後の議論との不整を残し、「不完全」へ黙って訂正しない。

完成の原因。発酵素。堅忍。

「壊れるからである。また、まったく不完全なものからも、術によって何かを作ることはできない。その理由は、術が第一の配置を与えることはできないからである。しかし私たちの石は、完全な身体と不完全な身体との中間の物であり、自然そのものが始めたことが、術によって完成へ導かれる。自然が未完成のまま残したところで、メルクリウスそのものに仕事を始めるなら、そのうちに完成を見いだし、喜ぶであろう。」
完全なものは変質せず、壊れる。しかし不完全なものはよく変質する。したがって一つのものの消滅は、別のものの生成である。

『鏡』。「私たちの石は、それから完成したエリクシルを作る前に、二つの身体の本性から取り出されなければならない。エリクシルは、金と銀よりもいっそう浄化され、熟成されていなければならないからである。エリクシルは完成を欠くものを全面的に哲学者たちの金または銀へ変えなければならないが、金と銀そのものには、それを成し遂げられない。もし自分の完成を他のものへ与えれば、自分自身が不完全になるからである。それらは自らの及ぶ範囲でしか染めることができない。何物も自らの白さに応じてしか白くせず、何物も自らの赤さに応じてしか赤くしないからである。それゆえ私たちの石にさまざまな操作を行うのは、そのうちのティンクトゥラを、それ自身の自然におけるよりもよくするためである。また賢者たちの寓言に従い、澄んだ諸種から配合されたエリクシルを作るためでもある。それは、清められ、真に月化し太陽化するものへ変えられるべきすべての身体の、調合物、解毒薬、薬、浄化剤である。」ヘルメス。
そこでは二つの身体の結合が起こり、それは私たちの奥義に必要である。この二つの身体のうち一つでも私たちの石の中に欠ければ、それはいかなる仕方でも決してティンクトゥラを与えない。ゆえに哲学者は言う。「風がそれをその腹に運んだ。」したがって明らかなのは、風は空気であり、空気は生命、生命は魂、すなわち、

エリクシル。複合物。必要な二つの身体。

油と水だということである。アルノルドゥス。「火の強さの諸段階の間で、経験が適度なものを示す。溶解では火はつねに弱く、昇華では中くらい、凝固では穏やか、白化では絶え間なく、赤化では強くなければならない。これらを知らずに誤れば、失敗と労苦を幾度も嘆くことになるだろう。ゆえに熱心に仕事へ取り組め。術は才知に助けられ、才知も同じく術に助けられるからである。また、完成だけを目指し、ほかのことは捨て置け。」聖トマス・デ・アクィノ。「石の質料は粗い水である。作用するものは、その水を凝結させる熱または冷気である。また同様に、動物から出る石は、ほかの石より貴いと信じよ。」
『光の光』。「効力を持ち、私たちの鉱山に生じる緑色で液状のドゥエネクなしには、どの種類の石も調製できない。」ラーシー。
「息子よ、右と左にある、世界の最も高いものを観照せよ。そして私たちの石が見つかる所へ、あらゆる種類の色材と香料、同じく鉱物を産するあの山へ上れ。」
マルカメク。「この仕事に必要な石は、生気ある物に由来する。平地にも山にも水の中にも、至るところで見つかり、富める者も貧しい者も持っている。それはきわめて卑しく、またきわめて貴い。肉と血から成長する。それを知る者にとって、何と貴重なものだろう。」『哲学の宝庫』より。

霊と生命。弱い火、中くらいの火、穏やかな火、絶え間ない火、強い火。貴い石。

哲学者たちは、私たちの石は霊、身体、魂からなると言った。それは真実である。彼らは不完全な身体を身体、発酵素を魂、水を霊と呼んだ。まことに適切である。不完全な身体はそれ自体では重く、弱く、死んだ身体だからである。水は霊であり、身体を清め、精妙にし、白くする。発酵素は魂であり、不完全な身体に、それまでなかった生命を与え、よりよい形へ導く。身体はウェヌスであり女、霊はメルクリウスであり男、魂は太陽と月である。身体は、それ自身の第一質料であるメルクリウスへ溶かされなければならない。モリエネスは言う。「私たちのメルクリウスは、通常の溶融で溶かされた身体からは得られない。夫婦が婚姻によって結びつけられ、一つになるまで続く溶融によってのみ得られる。それは白化に至るまでである。」モリエネスは言う。「粘液質と胆汁質のものを取り、それらとともに血質のものを磨れ。血質のものが、染める天となるまでそうせよ。」ヘルメス。「賢者の子らよ、理解せよ。この最も貴い石は叫んでいる。『私を守れ。私もあなたを守ろう。私の権利を私に与えよ。そうすればあなたを助けよう。私の太陽と私の最も内なる光線は、私のうちにある。月も私に固有のものであり、私の光はあらゆる光にまさり、私のよきものは、すべてのよきものより高い。喜び、楽しみ、富、歓楽を望む者たちに、私はそれらを豊かに与える。そして私が何を求めているかを彼らが認めれば、彼らに理解させ、神的な力を持たせる。』」

霊。身体。魂。霊。寓言。

「私は光を生む。しかし私の金属が乾いたものでなければ、闇も私の本性に属する。すべての身体は私を必要とする。私はそれらを溶かし、その錆を消し去り、実体を取り出すからである。それゆえ私と私の息子が結びつけば、この世にそれよりよく、尊ぶべきものは何も生じえない。」

あるフェラリウスという名の者の伝承による、私たちの仕事にふさわしい器の配置。

円いガラスの鉢を作り、その底は皿のように小さいものとする。その胴の中ほどに、周囲を囲むガラスの帯を設ける。この帯の上に円い壁を立て、鉢の壁から、その鉢の蓋の厚さに等しい距離だけ離す。この隙間に蓋の壁が圧迫なくゆったり入るようにするのである。この壁の高さは、鉢の壁の高さと同じか、少し高いか低い程度とする。この二つの壁の間のくぼみの寸法に合わせ、等しい二つの蓋を作る。その長さは同じで、それぞれ大きな二掌幅とし、形も一つ、すなわち錐形とする。その頂には等しい穴を二つ、一方に一つ、他方にも一つ開ける。そのどちらにも一本の鶏の

作業用の器。

羽根が入るようにする。器全体の意図は、技術者の意のままにその蓋を取り外せ、また継ぎ目を巧妙なものとすることにある。それによって、何も封泥を用いずに、霊、すなわちメルクリウスとラズマルに出口が開かないようにする。特に意図するのは、下の鉢がその胴の中ほどまで蓋の内側へ入ることである。
ヘルメス。「竜は兄弟と姉妹とともに殺されなければ死なない。一方だけでなく、両方が同時に、すなわち太陽と月が必要である。」哲学者。「メルクリウスは自分の姉妹とともに殺されなければ決して死なない。すなわち、月または太陽とともに凝結させねばならない。」注意せよ。竜は身体から取り出された水銀であり、自らのうちに身体、魂、霊を持つ。これについてこう言われる。「竜は兄弟と姉妹、すなわち太陽と月とともにでなければ死なない。」すなわち、月ゆえに湿りと冷たさの本性を自らのうちに持つ、抽出された硫黄とともにである。それらとともに竜は死ぬ。つまり、初めに同じ身体から取り出された水銀が死ぬ。それは哲学者たちの永続する水であり、腐敗ののち、元素の分離ののちにできる。この水は、別の名で悪臭を放つ水と呼ばれる。そこで哲学者。「この水は胎児に必要なすべてを自らとともに運ぶ。」アリストテレス、『自然学』第二巻。

永続する水。悪臭を放つ水。

「完全なものから、不完全でよりよいものを作るとは、滑稽なことである。」
哲学者ボネルルス。「私が先に述べた銅は、普通の銅でも錫でもなく、私たちの真の仕事である。それはマグネシアの身体に混ぜられ、生命の水とともに煮られ、磨られて、崩されなければならないからである。この術の子らよ、あなたがたは多くの水を持たなければならない。そして絶えず、少しずつ水を加え、土の大部分が溶けるまで続けなければならない。」アウィケンナ。「器の中で霊的となるものは上へ昇る。濃く粗いものは器の下方に残る。そして水がそれと混ざろうとせず、また土に受け入れられなくなるまで、身体をそのように黒くし、破壊しなければ、何も得られない。霊的な粉となるとき、それは器の下方にとどまるからである。ゆえに、すべてを霊的な粉へ変えなければ、まだ磨り終えたとはいえない。白い身体に行うことは赤い身体にも行え。この薬は本質において一つであり、作用の仕方においても同じく一つだからである。」

詩句。
銅を純粋な水へ変えることに努めよ、それ以上ではない。
宝石のティンクトゥラは、火に固定された物から来る。
火の中で溶ける確かな石は、固定され凝った水である。
最初の形へ戻るとき、そのように規則を理解せよ。
そのとき私たちの銅は、現にある賢者の石となる。

注 詩第二行の gymme は gemmae に相当するものとして「宝石の」と訳した。原文の綴りは保持した。

霊の重さ。黒化。粉砕。

哲学者たちの塩について。

石は三つ、塩も三つある。それらから奥義の全体が成り立つ。すなわち鉱物的、植物的、動物的なものである。また水も三つあり、太陽の水、月の水、メルクリウスの水である。メルクリウスは鉱物、月は植物である。月は白さと赤さの二色を自らのうちに受け入れるからである。太陽は動物的である。締まり、白さ、赤さという三つを受け入れ、大いなる動物と呼ばれる。そしてそれから塩化アンモニウムができる。月は植物と呼ばれ、それからアルカリ塩ができる。メルクリウスは鉱物の石と呼ばれ、それから普通の塩ができる。また、哲学者たちは、この術の物が溶解するのを見ると、それを塩化アンモニウムと呼んだ。腐敗したときには、「私たちの石は卑しく、糞山に見つかる」と言った。多くの者が掘り、糞の中で作業したが、何も見つけなかった。それが水へ変わったときには、富者も貧者も持ち、あらゆる場所、いかなる時にも、あらゆる物のもとに見つかる。ただし探索は探す者を苦しめる。それが白くなると、彼らはそれを砒素と呼び、あらゆる白い物の名で呼び、処女の乳とも呼んだ。そして、

注 sal armoniacus は語として「塩化アンモニウム」と訳すが、本書では錬金術的な物質の別名としても使われる。現代の特定物質と同一だという認定ではない。

私たちの塩化アンモニウム。砒素。処女の乳。

赤くなると、それを硫黄、ヒヤシンス石、血、そしてあらゆる赤い物の名で呼んだ。
グラティアヌス。「あらゆる物から灰ができ、その灰から塩ができ、その塩から水ができる。その水からメルクリウスができ、そのメルクリウスから、さまざまな操作を経て太陽ができる。」
アルノルドゥス。「しかしこの灰には溶融性がない。では、染めるためにどうして入り込むのか。確かに、哲学者たちから伝えられた方法により、液化すなわち発汗が与えられる。ではその方法とは何か。水へ溶かすことだろうか。決してそうではない。哲学者たちは、触れるものに付着する水や、そのような湿りにはかかわらないからである。」
哲学者。「身体と霊を変質させ、その本性から変えたい者は、まずそれらを塩と明礬の本性へ戻さなければならない。そうしなければ何も成しえない。そののち、それらを溶解せよ。」
哲学者。「私たちの操作から生じるものは塩と明礬である。」そこでアルノルドゥス。「可融性の塩と不燃性の油を持つ者は、神を讃えるだろう。」アウィケンナは言う。「豊かになりたいなら、純粋な水となるまで塩を調製せよ。塩は火によって霊へ変わるからである。塩はおまえの仕事の根である。」ヘルメス。「私たちのルナリアの塩を除けば、いかなる種類であれ、あらゆる塩は私たちの術に反する。」アルノルドゥス。「それが塩や明礬のうちにない理由は、

ヒヤシンス石。増殖。水へ溶かされるのではない。塩。ルナリアの塩。

水中に横たわり抱き合う二人と、太陽と月。
結合ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0底本の図版

自然のうちにないものを自然に求める者は愚かだからである。」哲学者。「金属の塩は、糞の下でメルクリウスを純粋な水へ溶解させる。そして、その混合物が凝固すると、完全な薬となる。」
注意せよ。よく調製された塩は、すべて塩化アンモニウムの本性へ戻り、秘密のすべては調製された普通の塩のうちにある。注意せよ。ローマの礬は金属の石の本性を持ち、熱く乾いている。また明礬は凝固したメルクリウスと思われるが、その完成には達していない。熱く湿っており、一なるものの伴侶、すなわちメルクリウスと呼ばれる。ゆえに、塩とその溶解を知る者は、古の賢者たちの隠された秘密を知る。だから心を塩へ向け、ほかのものを考えるな。そのもののうちにのみ、あらゆる古の哲学者たちの知と、最も重要で、最も秘められた奥義が隠されているのである。

普通の塩。熱く乾いた礬。明礬。

結合、あるいは交合。

おお月よ、私の抱擁と甘い愛によって、
あなたは私のように美しく、強く、力に満ちる。
おお太陽よ、あなたはあらゆる光にまさると知られるが、
それでも雄鶏が雌鶏を要するように、私を必要とする。

幻視の中のアリスレウス。

それゆえ、おまえのすべての息子のうちで最も愛する息子ガブリクスを、その姉妹である

ベヤと結びつけよ。彼女は輝かしく、愛らしく、柔らかな乙女である。ガブリクスは男であり、ベヤは女である。彼女は自らに由来するすべてを彼に与える。
おお、祝福された自然よ。あなたの働きも祝福されている。あなたは不完全なものから完全なものを作るからである。それゆえ、その自然を、純粋で清浄で、生のままで、快く、土的で、正しい状態においてのみ取れ。別のようにすれば何の役にも立たない。私たちの石とともに、相反するものが何も入らないように注意し、それだけを置け。それゆえ私たちの僕を、その芳しい姉妹と結びつけよ。両者の間に息子が生まれるが、その子は親に似ないだろう。ガブリクスがベヤより貴くても、ガブリクスなしには生成は起こらない。ガブリクスとベヤの交わりは、ただちに死となった。ベヤはガブリクスの上に昇り、彼を自分の胎内に閉じ込めたので、彼の姿はまったく見えなくなったからである。彼女はそれほどの愛でガブリクスを抱きしめ、彼のすべてを自らの本性のうちへ受胎し、分割不可能な諸部分にまで分けた。そこでマスクリヌスは詠う。

注 「Gabrici ... concubium protinus mortuum est」は印本の不整な表現に従う。寓意中の男女・兄妹の表現は原文のまま。

詩句。
乳のようであった受胎したものは、血へと変わる。
青白いものは黒くなり、広がった赤いものは隠れる。
白い女が赤い夫に嫁ぐなら、
たちまち抱き合い、抱いたまま結びつく。
自ら溶け、自らまた完成し、
二つであったものは、あたかも一つの身体となる。

注 第二行の litescunt は印本のまま。「隠れる」の意味として訳した。

そこでモーセの姉妹マリアは言う。「ゴムをゴムと真の婚姻によって結婚させ、それらを奔流の水のようにせよ。」アスタヌス。「霊は完全に浄化されるまで、身体と結合しない。結合の時には、最大の驚異が現れる。不完全な身体が、発酵素を仲立ちとして、確固とした色に染まるからである。この発酵素は、不完全な身体の魂である。そして霊は魂を仲立ちとして身体と結合し、縛られ、魂とともに発酵素の色へ変わり、それらと一つになる。」バシウスは言う。「完全な奥義において、石は両者ともあらかじめ清められていなければ、互いを受け入れない。身体が霊を受け入れ、霊が身体を受け入れて、霊的なものが身体的になり、身体的なものが霊的になるには、あらかじめあらゆる汚れから最も完全に浄化されていなければならない。」セニオル。「おお太陽よ、雄鶏が雌鶏を要するように、あなたは私を必要とし、私もあなたの働きを必要とする。」
アレクサンドロス、『自然の秘密』。「男と女からでなければ、何一つ生まれないと知れ。」
ヘルメス、第二論考。「息子よ、これを知れ。妻として迎え、孕ませ、種を生ませることを知らなければ、何も生じず、何も遂行されない。だがこれを行えば、最大の威厳を持つであろう。」
哲学者ロシヌス。「金の術の秘密は、男と女から生じる。女は男の力を」

浄化。最も完全な精製。

「受け入れて喜ぶ。女は男によって強められるからである。」アルフィディウス。「息子よ、栄光ある神への信仰にかけて言う。配合は、男と女という二つの光体の抱擁から生じる。そののち両者は自ら抱き合い、交わり、それらから新しい光が生まれる。全世界のいかなる光も、それには等しくない。」
セニオル。
「二つの水から一つの水を作れ。私の短い言葉を理解したなら、すべての操作はあなたがたの足もとに置かれる。」『ロサリウス』。「おまえは二つの水を持たなければならない。一つは白く、もう一つは赤い。」セニオル。「この水のうちに、白さと赤さの力が集められている。」哲学者にしてアラビアの王ハーリーは、その秘密の書で言う。「同齢の雄犬とアルメニアの雌の子犬を取り、ともに結びつけよ。この二匹は、おまえのために天の色をした息子の犬を生む。この息子は、初めから、この世でもあの世でも、おまえの家でおまえを守るだろう。」セニオル。「赤らんだ僕が白い妻を迎えた。二人の結合によって妻が孕み、息子を生んだ。その息子はあらゆることにおいて親たちを守り、彼らよりも輝かしく明るい。」哲学者ロシヌス。「この石は鍵であり、それなしでは何もできない。私たちの石は最も強い霊を持ち、苦く、銅性であり、溶解するまでは身体はそれと混ざらない。もし真の名で呼んだなら、無知な者は」

二つの水。

「それがその石であるとは信じないであろう。」アルノルドゥス。「この術の秘密を探究したいおまえは、金属の第一質料を知らなければならない。そうでなければ、おまえの労苦は空しくなる。」ロシヌス。「私たちは真の自然を用いる。自然は、その自身の自然へとでなければ自然を改善しないからである。」哲学者たちの主要な石は三つある。すなわち鉱物的、動物的、植物的な石である。鉱物的な石、植物的な石、動物的な石。名において三重、存在において一つである。
霊には二種類ある。染める霊と、調製する霊である。アルベルトゥス。「調製する霊は銅を溶かし、マグネシアの身体から取り出し、再びその身体へ戻す。」セニオルは言う。「それは身体から魂を調製し、抽出するものであり、また自らの身体へ戻すものである。」染める霊は第五精髄と呼ばれる。それは持続し、深く入り、浸透する力であり魂である。そこで『三つの言葉の書』。「第五精髄を取り出さねばならない。そうでなければむなしく労することになる。そしてこれは、疑いなく、水なしにはできない。」第二の霊は身体の外にあり、水の本性を持ち、『集会』が言うように、身体を染めてエリクシルとする。ここで男は身体であり、女は霊である。アルノルドゥス。「霊は、身体によってその霊的な力を失うように変えられることはない。しかしあらゆる身体は霊によって変えられ、染められる。」アリストテレス。「ゆえに言葉に注意し、神秘を心に刻め。白い葉状の土を溶かす霊は、

二種類の霊。

その霊が初めにそこから調製された身体とともに捕らえられなければ、それらの何ものも固定してとどまることはない。永続する水、絶えることのない水、あるいは燃える葡萄酒は、身体の水と呼ばれる。すなわち、身体がメルクリウスへ戻された状態である。また、永続する水なしには何もなされず、それは生命の水とも呼ばれる。ゆえに哲学者。「天の神に誓う。この術は、石を絶えず溶解し凝固させること以外の何ものでもない。」また。「燃える葡萄酒だけで、完全なエリクシルを完成することができる。」哲学者たちの水はヘルメスの器と呼ばれ、それについて哲学者たちはこう書いた。「私たちの水のうちで、あらゆる操作、すなわち昇華、蒸留、溶解、焼成、固定が行われる。それらは、人工の器の中で行うかのように、この水のうちで行われる。これこそ最大の秘密である。」水は賢者たちの重さである。それゆえ仕事の全体には、水と火があれば足りる。私たちの水は火より強い。火にはできない、金の身体から純粋な霊を作ることができるからである。それに比べれば火は、普通の火に対する水のようなものである。ゆえに哲学者たちは言う。「私たちの銅を最も強い火で焼け。」アリストテレスは『君主の統治』で、四元素についてアレクサンドロスに言う。「空気、すなわち太陽から水、すなわちメルクリウスを得、火から空気、すなわちメルクリウスの霊を得、土、すなわち月のものから火、すなわちメルクリウスを得たなら、そのときおまえは完全に術を持つ。」そこで哲学者。「私たちの石は土へ移り、土は水へ、水は空気へ、空気は火へ移る。そこに」

燃え、絶えない生命の水。ヘルメスの器。

「とどまるが、逆の順序で降下する。」白の仕事は火を含まない三元素で完成する。土を重量で三、水を二、空気を一とする。しかし太陽のエリクシルには、土を二、水を三、空気を一と二分の一、さらに火、すなわち赤い発酵素を加えよ。
ラーシーは『大教訓書』でこう言う。「重さを知らない者は、私たちの書物に労を費やすな。哲学者たちは自分たちの物について何も定めず、これら以外の何も隠していないからである。」
『集会』は言う。「私たちの粉砕は、手によってではなく、最も強い煮熟によってなされる。」カリディウス。「小さな火がすべてを磨り砕く。」注意せよ。元素と、元素から成るものと、第五精髄の間には違いがある。元素は構成されうるものの第一のものである。それゆえ、私たちのもとでは、土も水も空気も火も、純粋で単純な元素ではない。それらは互いに混ざり合い、とりわけ結びつく部分で混ざるからである。だが第五精髄は、それ自体で存立する身体であり、質料でも形相でも、本性でも力でも、あらゆる元素および元素から成るものと異なる。自らのうちに腐敗の原因を持たない。それが第五精髄と呼ばれるのは、あらゆる元素から成るものから取り出され、ほかの元素的身体のような元素的運動が、そのうちにはないからである。したがって石は「あらゆる物」と呼ばれる。なぜなら、自らの完成に必要なあらゆる物を、自らのうちに、自らに由来するものとして

元素。元素から成るもの。あらゆる物。

持っているからである。元素に参与するため、それは至るところに見いだされ、その本性の見事で驚くべき色の多様さのため、あらゆる名で呼ばれる。腐敗によって最も卑しく、力によって最も貴い。この奥義は哲学者たちのもとで覆われ、隠されている。私たちの石が一つの物と呼ばれるのは、身体の実体と水が分割されずに調製され、どちらか一方を他方から分離できなくなるときである。私たちの石は可燃性の質料からできると言われるが、不燃性で空気的な霊であるのはメルクリウスだけである。だから、それはこの奥義のうちになければならない。また、哲学者たちが求める石には、鉱物の第一元素、ティンクトゥラと焼灰、身体とともに魂と霊、固定物と揮発物がある。それはメルクリウスである。ただし、どのようなものでもよいのではない。自然が、その最初の働きを金属的な本性へ向けたが、未完成のまま残したものである。この石を、それが見つかる物から取り出し、自然がそれを残したところから仕事を始め、完成へ向けて操作するなら、そのうちに完全なものを見いだし、喜ぶだろう。
水銀はそれだけでは何の力も持たない。しかし、その隠された身体とともに死なされると、力を持ち、朽ちない生命に生きる。この身体は太陽の本性に属する。したがって、それは水銀のすべてを

最も卑しいもの。私たちのメルクリウス。

二つの頭を持つ一つの身体が棺に横たわる。
受胎と腐敗ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0底本の図版

太陽の本性へ変えなければならない。それは発酵素が生地全体を発酵素の本性へ変えるようなものであり、その逆ではない。支配されるものは、つねに支配するものへ移されるからである。私たちの石は、すべての哲学者たちのもとでメルクリウスと名付けられる。それは多くの者が考えるように生まれたものではなく、身体から取り出されたものである。賢者の石は、太陽、月、メルクリウスという三つからできる。すなわち、普通のメルクリウスを用いず、哲学的な道によって、太陽と月から、それ自身の存在におけるメルクリウスを作れ。注意せよ。この石は全世界に一つである。仕事の初めにこの一つからそれる者は、むなしく労する。全世界において、私たちの仕事に必要なのは、私たち子らだけに与えられたこの石のほかにはない。アルノルドゥス。「私たちの石のうちには、太陽と月が、力と可能性において、また本性においても存在する。もしそうであれば、そこから太陽も月も生じないことになる。私たちの石のうちの太陽と月は、その本性において普通のものより優れているからである。私たちの石の太陽と月は生きており、普通のものは、私たちの石の太陽と月に比べれば死んでいる。それゆえ哲学者たちは、その石を、太陽とも月とも交互に呼んだ。石のうちにはそれらが潜在的にあり、目に見えるのではなく、力と本質において存在するからである。」そこでヘルメスは言う。「私たちの石は、息子よ、私を助けよ、私もおまえを助けよう、と叫ぶ。」

注 Si hoc esset non fieret の条件文は前後と矛盾する。non の脱落が推測されるが、印本をそのまま訳し、黙って補わない。

唯一の石。

受胎、あるいは腐敗。

ここに王と王妃が死して横たわる。
魂は大きな苦しみのうちに離れ去る。

王にして哲学者アリストテレス。

私は、腐敗なしに成長する生あるものを、かつて一つも見たことがない。腐敗したものとならなければ、錬金術の仕事は空しいものとなるだろう。

モリエネス。「この土は自らの水とともに腐敗し、清められる。それが清められると、神の助けによって仕事の全体が導かれる。」
哲学者パルメニデス。「身体が壊され、砕かれ、腐敗し、実体的な実体へ変わらなければ、かの隠された力は取り出せず、身体に混ぜることもできない。」
哲学者バクス。「諸本性が壊れ、腐敗するとき、それらは生む。」哲学者プラトン。「卵に例がある。卵はまず腐敗し、そののち雛が生まれる。全体が腐敗したのち、それは生きた動物となる。」
プラトン。「注意せよ。消滅なしには生成は起こりえない。それゆえ腐敗に努めよ。」哲学者。「一つのものの消滅は、別のものの生成である。」
ヘルメス。「第二の段階は腐敗させ、磨ることである。したがってその配置は、まず黒くし、腐敗させることである。」プラトン。「サトゥルヌスの最初の操作は腐敗させ、太陽に載せることである。配合は四夜をもってなされるようにせよ。」
デモクリトス。「小石を腐敗させる際には、怠慢でも、過度にせっかちでもあってはならない。仕事の中で配置され、結びつけられた身体を注意深く見守れ。そうすれば前進する。」ロシヌスからエウテシアへ。「海の動物を取り、乾かして腐敗させよ。」モリエネス。「成長し、生まれるものは、腐敗ののちでなければ何も生じない。だが、

小石。

腐敗したものでなければ、溶融も溶解もできない。溶解しなければ、無へと帰する。」
モリエネス。「私たちの石は奥義そのものの調製であり、その順序は人間の創造に似ている。第一は交合、第二は受胎、第三は懐胎、第四は誕生、第五に栄養が続く。」おお親愛なる者よ、モリエネスのこれらの言葉を理解せよ。そうすれば真理において誤らないだろう。ゆえに目を開き、哲学者たちの種子が生きた水であることを見よ。土は不完全な身体であり、この土は、あらゆる元素の母であるから、当然、母と呼ばれる。したがって種子が不完全な身体の土と結合するとき、それは交合と呼ばれる。そのとき身体の土は種子の水へ溶け、分かたれない一つの水となる。
そこでハーリー。「身体の溶解と凝固は二つだが、一つの操作を持つ。霊は身体の溶解とともにでなければ凝固せず、身体は霊の凝固とともにでなければ溶解しないからである。また身体と魂が結合するとき、それぞれが自らに似たものへ作用する。」たとえば、水が土と結びつくと、水は自らの湿りと力によって土を溶かそうとする。それを以前より精妙にし、自らに似たものにするからである。水は土より精妙である。同様に、魂も身体において働く。そして、

種子。相互の操作。

同じ仕方で、水は土とともに濃くなり、凝縮した土に似たものとなる。土は水より濃いからである。それゆえ身体の溶解と霊の凝固の間には相違がなく、一方だけが他方なしに行われるような、別々の仕事もない。水と土の結合でも、その働きにおいて、一方を他方から見分け、あるいは分けられるような異なる時間の部分は存在しない。交合の時に男の種子が女の種子から分離されないように、両者の終わりは一つ、出来事は一つであり、一つの同じ操作が、その二つに同時に認められる。
だからメルクリヌスは詠う。
諸物の混合を、彼は交合と生成と呼ぶ。
種子は混ざり、混ざったものは乳のように見える。
第二は受胎である。土が黒い粉へ溶け、少量のメルクリウスを自らとともに保持し始めるときである。そのとき男が女に、すなわちアゾートが土に作用する。ゆえにアリスレウスは言う。「男同士は生まず、女同士も孕まない。生成は男と女から、特にその複合から生じるからである。男が女を迎えると自然は喜び、真の生成が生じる。しかし自然が、異質で適合しない本性と結びつくと、真の種子はまったく生じない。」
これがメルクリヌスの次の言葉の意味である。

受胎。

詩句。
乳のようであった受胎したものは、血へと変わる。
青白いものは黒くなり、広がった赤いものは隠れる。

アルノルドゥス。「黒さののちに現れる色は、どれも哲学者たちの集会で称賛される。おまえの質料が黒くなるのを見たなら、喜べ。それが仕事の始まりだからである。」
アルノルドゥス。「それゆえ、卵を温める養い手のような弱い火で、私たちの銅を焼け。身体が形を整え、ティンクトゥラが取り出されるまでそうせよ。しかしそれを一度にすべて取り出してはならない。日々少しずつ出させ、長い時をかけて完成させよ。」
「私は白の黒であり、白の赤であり、赤の黄である。私は確かに真実を語り、偽らない。そして知れ。この術の頭は、夜の黒さの中でも昼の明るさの中でも、翼なしに飛ぶ烏である。その喉にある苦さから着色が得られ、その身体から赤さが、その背から純粋な水が得られる。ゆえに神の賜物を理解し、受け取り、すべての無知な者から隠せ。」
それは金属の洞窟に由来する隠されたものであり、その石は驚くべき動物的なもの、その色は輝かしく、その山は高く、その海は広がっている。実際、私たちは、賢者の石において、

注 擦れた dorso は1797px級の高解像度原画像で確認した。

長い時間。私たちの石。

真に清められたのち、その大部分が水銀であると認める。だからそれは付帯的にしか燃えない。この言葉はきわめて貴い。しかし、これはすべて自然によってなされたものであり、ある愚者たちが昔も今も考えるように、何らかの技巧で作れると信じてはならない。賢者の石は、自然によってすでに作られたものとして見つかるからである。いと高き神にかけて、そのうちの余剰物を取り除く以外には、何も必要としない。ゆえにその質料を調製し、純粋なものを取り出し、土的で汚れたものを除け。そこで哲学者トゥディアヌス。「知れ。私たちの石は、顕れた面では空気的で揮発性、冷たく湿っており、隠れた面では熱く乾いている。顕れた面にあるその冷たさと湿りは、水性の蒸気であり、自らとあらゆるものを腐らせ、黒くし、破壊し、火から逃れる。隠れた面にある熱と乾きは金、熱く乾いた金であり、最も清浄な油である。それは身体へ浸透し、逃げない。錬金術の熱と乾きこそが染め、ほかのものは染めないからである。それゆえ、顕れた面にある冷たさと水性の湿りを、隠れた面にある熱と乾きの対とせよ。そうして両者がともに適合し、結合し、一つになって浸透し、染め、深く」

すでに作られたものとして見つかる。

「入り込むものとなるようにせよ。」しかしこれらの湿りは、穏やかな調整と適切で節度ある熟成をもって、火と火の諸段階によって破壊されなければならない。哲学的な腐敗とは、身体の消滅あるいは破壊にほかならない。一つの形が壊れると、自然はただちに、よりよく精妙な別の形を自らに導き入れるからである。腐敗とは、腐ったものを分けることと同じである。腐敗によってあらゆる物が熟成し、腐ったもの、すなわち悪臭を放つものと、清浄なものの間に分離が起こる。腐敗した清浄な身体は、ただちに成長し、同類のうちで増殖する。穀粒で明らかなとおりである。それは大地の熱のもとに多日置かれると膨らみ、その清浄な部分が成長して増殖し、悪臭を放つ部分は消え去る。それゆえ前述の理由から、私たちの仕事にも腐敗が必要である。
受胎と婚約は、器の底の腐敗のうちに起こり、生まれるものの生成は空気のうち、すなわち器の頭、つまりアランビックの頭で起こる。身体は腐敗しなければ何もなさず、メルクリウスとともにでなければ腐敗できない。身体一部に対し、腐敗のためには水三十六部を取るべきと思われる。温かく湿った糞の最も弱い火で腐敗を行い、決してほかの火を用いてはならない。何も上昇しないようにせよ。何かが昇れば諸部分が分離するからである。それは、

金を破壊すること。受胎。糞を用いる理由。

男と女が完全に結合し、一方が他方を受け入れるまでは、起こってはならない。そのしるしは、工夫によって完全に溶解したものの表面にある。最初の混合または結合において、女がその色で優勢となるため、アゾートが白く見えるとしても、腐敗においては火の恩恵によって両者とも黒くなる。湿ったものの中の熱を増す火によって黒いものが腐敗する。それこそティンクトゥラであるから、保存すべきである。大いなる秘密。強水の中で腐敗した金の本性は、あらゆる本性にまさる。ゆえに石の組成においては、いかなる石も力において鉱物の石にまさらないと注意すべきである。哲学者。「男と女から円を作り、そこから四角形を取り出し、四角形から三角形を取り出し、円を作れ。そうすれば賢者の石を得る。」
ゲベルは『試験の書』で、太陽と月を術によって一緒に身体化すれば、容易には分かれないと証明している。このように一方は他方を求める。一方が乾き、他方が湿っているからである。そして一方が他方を得ると、きわめて強い絆で互いを抱き、互いを保持するため、一方を他方から容易には引き離せなくなる。一方が霊的、すなわち薬的であり、その霊性によって染色にかかわるものであれば、この結合はいっそう強くなる。金は現実態において金であり、質料そのものである。

鉱物の石の力。

棺の身体から、魂を表す小さな人物が雲へ昇る。
魂の抽出ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0底本の図版

だが霊化されるなら、現実態から可能態、質料から形相、作用を受けたものから作用者、女から男、生まれた物から生み出す物になる。したがって、哲学者が言うように、金の質料はなく、以前に銀でなかった金はない。このような形相がその質料、すなわち月と結合すれば、確かに両者はきわめて熱心に抱き合う。より大きく完全なものが、より小さく完全なものを完成させる。それは自然に、親しく行われる。あらゆる本性は、自ら完成することを求め、破壊されることを本性上嫌うからである。
隠された事柄についてハセンに宛てた書簡のアウィケンナによれば、次のことを知るべきである。この術に取り組む者たちの意図、むしろこの術そのものの意図は、諸物の自然が可能とするかぎり、一つの物の質料に、別の物の形相と本性を着せることにある。たとえば、銅に銀の形相と本性を、鉛に金のものを着せることであり、ほかのものも同様である。『自然学』第二巻にあるように、形相は各々の物の本性だからである。ある物からその形相を取り去り、別の形相をその上に与えれば、疑いなくその本性も、もとの種から変成している。したがって私たちは、アルキミアという語はギリシア語で「変成」を意味すると言う。それゆえ錬金術とは、諸物の形相が区別される仕方に応じて、物をその形相と種から変成させる学である、と私たちは言う。

注 cum nulla sit materia auri 以下は統語・意味が不整な印本文を保持。語源説明も原著の歴史的な主張であり、現代の語源学的認定ではない。

個別の証明。証明。質料。形相。錬金術とは何か。

魂の抽出、あるいは懐胎。

ここで四元素は分かれる。
身体から魂がすみやかに離れる。

黒化についてさらに。

王ヘルメス、第二論考。「息子よ、知れ。この多くの名前とさまざまな色を持つ私たちの石は、四元素から整えられ、構成されている。私たちはそれを分け、諸肢に切り分け、厳密に隔て、諸部分を死なせ、そのうちにある本性へ変えなければならない。その中に住む水と火を守らねばならない。それは四元素からなり、その水によってそれらの水を保持する。もし水でないものがあるなら、真の水の火的形である。それらを自分の器で昇らせよ。それらは自らの身体に霊を含み、染めるもの、永続するものとなる。」ソリヌスの技巧、第一の区分。「それから少しずつ取り、全体を分け、順々に磨れ。黒さが強まって粉のようになり、死に捕らえられるまで行え。これは大いなるしるしであり、それを探究する中で少なからぬ者が滅びた。そののち、各々を識別し、別々に、順に磨れ。」
モリエネス。「どの身体も、魂を失うと、闇に包まれ暗くなる。」
ヘルメス。「二つの水銀を同時に死なせねばならない。」同じ著者。「その脳を取り、最も鋭い酢、あるいは子供たちの尿で、暗くなるまで磨れ。これを終えると、それは腐敗の中で生きる。それが死ぬ前に、その上とその身体の中にあった暗い雲は、」

注 水と火の保持を述べる一節は印本の統語が不明瞭であり、補足的な化学手順は加えない。歴史資料の記述であり、実験の推奨ではない。

二つの水銀。酢と尿。

「戻ってくる。私が書いたとおりに繰り返し、述べたとおりに再び死なせよ。」同じ著者。「それを二つの硫黄から隔て、黒い水になるまで絶えず煮なければならない。」同じ著者。「それゆえ、土を黒くする者は目的に達し、よい結果を得る。」アルノルドゥス。「最初に黒くなることを、私たちは仕事の鍵と呼ぶ。黒化なしではなされないからである。それこそ、私たちがあらゆる身体を染めるために探し求めるティンクトゥラである。それは、自らの銅の中に、ちょうど魂が人間の身体の中にあるように隠されていた。」『鏡』。「それゆえ最も愛する息子よ、仕事に取り組むなら、初めに黒色を得るようにせよ。そのとき、腐敗させており、正しい道を進んでいると確信できるだろう。」
「おお、祝福された自然よ。その働きも祝福されている。黒く暗い真の腐敗によって、不完全なものから完全なものを作るからである。そののち、新しくさまざまなものを芽生えさせ、自らの緑によって多くの色を現す。」この黒さは土と呼ばれる。それは、黒さが際立つまで幾度も繰り返される、穏やかな煮熟によって生じる。このようにして二元素を得る。最初は水そのもの、次に水からの土である。アウィケンナが体液についての章で言うように、湿った身体に作用する熱は、まず黒さを生じさせる。普通に作られる焼灰で見られるとおりである。それゆえメナベスは言う。「私は、

黒化。鍵。確実性。土。溶かせ。

「後の者たちに命じる。溶解によって身体を非身体とし、穏やかな煮熟によって非身体的なものを身体的なものとせよ。その際、過度の火によって霊が煙へ変わり、消え去らないように、最大限注意すべきである。」そこでマリアは言う。「それを守り、何ものも煙となって逃げないように注意せよ。火の程度は七月の太陽の熱とし、穏やかで長い煮熟によって水が濃くなり、黒い土となるようにせよ。」このようにして、別の元素である土を得る。黒化については、ひとまずこれで十分であろう。
哲学者ステファヌス。「おまえの目と心を開け。聞いて理解せよ。私は理解できる言葉をおまえに示し、告げる。理解する者の一人であるなら、知ることができるだろう。人間からは人間しか出ないことを知れ。同じように、どの動物からも自らに似たものが生まれる。それでも私たちは、その根とは似ていないものが生まれるのを見る。翼のないものから、翼のあるものが生じるのを見るからである。また私たちは、人々が知らないある物を見て、知っている。それらから、私たちに十分だと知る本性が出てくる。それは深遠な事柄なので、知られていない。それらがどこかと尋ねるなら、おそらく地下にある。そして知れ。この術は、その鉱物的本性からなされ、ほかのものからではない。」
アウィケンナ。「それゆえ鉱物の根を知り、それらからおまえの仕事を行え。」

凝らせ。凝固の火。凝固の黒化。私たちの秘密。

アリストテレス、『魂について』第二巻。「最も自然で、最も完全な働きは、自分と同じようなものを生むことである。植物が植物を、山羊が山羊を生むように。」同じ著者。「錬金術の仕事は、現れる本性を誤りなく知るのでなければ、そこに何の進歩ももたらさない。」ヘルメス。「おお水よ、永続する形よ、王たる元素を生むものよ。おお最大の自然、諸本性を生むものよ。あなたは自然を含み、ほどよく自然にまさる。それは光とともに来たり、光とともに生まれたのである。」

アルノルドゥスの『解明書』より。

石の仕事においては、全世界で考えられるあらゆる色が現れる、と述べた者たちがいる。これは哲学者たちの詭弁である。現れるのは主要な四色だけだからである。しかしそれらからほかのすべての色が起こるので、「あらゆる色」と言ったのである。すべての色が現れなくても、元素を分離できるなら、気にする必要はない。黄色は焼かれた胆汁と火、赤色は血と空気、白色は粘液と水、黒色は黒胆汁と土を意味する。そこでオルトラヌスは言う。「四色を持つものは、四元素である。」ただし、述べられた色は、

あらゆる色。四つの体質。

私たちの溶解のうちに現れることを知れ。
この祝福された石は、どれほどの時間でできるか、と私は問う。これに対する答えはこうである。哲学者リリウスという著者は、自分の奥義を八日で成し遂げたと証言し、ある者は七日、ある者は三か月、またある者は四か月、半年、一年で行った。マリアは三日で行ったと言う。これについて私は、短さと長さの違いの原因は、メルクリウスの水の力の不足にありえたと言う。あるいは、太陽と月を使って作業したためでもあろう。彼らのある者は多く、ほかの者は少なく加えた。太陽は固定され、逃げない。彼らはこれらだけで作業したのである。したがって、固定する力の不足と火への耐性のなさのため、それが溶融によって太陽と混ぜられると、その大部分を上昇させた。そのように昇るとき、彼らはそれを水、魂、霊と呼び、自分たちの水は普通の水でもメルクリウスの水でもないと言った。そのとき土は底に残った。そこで彼らはその水を身体の上へ戻し、再び火の力で上昇させ、また土と混ぜた。その腹のうちに土の全体をともに運ぶまで、そうしたのである。そこである者は言う。「風がそれをその腹に運んだ。」したがって彼らには、その水を大量に持つ必要があった。そのとき、

作業者たちの違い。反復。風は水である。

身体からの霊が固定された。そこで彼らは、全体が固定したままとなり、上昇できなくなるまで、昇華を繰り返した。そのとき霊は身体のうちに固定され、月は太陽へ身体化され、最小の部分にまで混ぜ合わされ、こうして操作が完成した。それゆえ先に述べた作業上の違いは、固定されていない身体よりも固定した身体を多く加えること、またはその逆に由来しえた。固定していないものがより多くなかったために、いっそう速く昇り、固定したものが多いときには、より遅く昇ったのである。
では、哲学者たちが言う「私たちの金は普通の金ではなく、私たちの銀は普通の銀ではない」という言葉を、どう考えるか。私は答える。彼らは水、すなわち火の力で上方へ昇るものを金と呼ぶ。実際、この金は普通の金ではない。世間の者は、金が固定されているため、それが上方へ昇れるとは信じないからである。さらに知れ。神にかけて、哲学者たちの習慣はこのようなものだった。つねに最も確かな箇所で足を引きずり、ほとんど語り終えた事柄を、あるときは型や図像によって、あるときは比喩的な言葉によって、あるときは偽りの、関係のない実践によって隠す。そして真実を言ったと感じたところでは、そのとき自分たちは比喩で語ったのだと言うのである。それゆえゲベルは言う。「私たちが明白に語ったところでは、何も語らなかった。しかし謎の下に何かを置き、」

注 印本の non erat plus de non fixo は説明の前後と不整であるが、否定を削らず訳した。

「図像に託したところに、真実を隠した」云々。
そこである詩作者は言う。
「塩と明礬は石そのものではなく、石の助け手である。塩の味を味わったことのない者は、決して望みに達しない。発酵素の発酵素は、その卓越性によって、仕上がったものさえ発酵させる。上なるものは下なるもののようである。水の中で焼き、火の中で洗え。煮よ、再び煮よ、また煮よ。幾度も埋め、つねに凝固させよ。生きたものを殺し、死んだものを蘇らせよ。これを七度行え。火の扱いを知るなら、求めるものを真に得るだろう。メルクリウスと火があれば十分である。」詩句。「私たちの銅をよく知るなら、ほかを知らなくても十分である。」
古い小書より。オルトラヌスは『ヘルメスの書簡』について言う。
「賢者の石の作り方を知る者だけが、石についての彼らの言葉を理解する。哲学者たちは、この術を、ふさわしい者には明白に示し、ふさわしくない者には隠そうと努めた。したがって意図の力においてはつねに真実を語ったが、言葉の表面の力においてはそうではなかった。それで賢者の石が卵からできると言った。卵のうちには、石を完成させる三つのものに似た三つのものがあるからである。ヘルメスは言う。『その父は太陽、その母は月である。』このように、ここですでに二つのものが石の組成へ入ることを示唆する。オルトラヌスもこれを証明する。太陽の水は揮発性であり、」

メルクリウスと火。卵。

「その身体は固定されている。月についてはその逆である。そこでゲベルとほかの哲学者たちの『固定物を揮発させ、揮発物を固定し、固定物を揮発させよ』という言葉が明らかになる。彼らが繰り返し溶解するよう勧めるのは、仕事の全体が溶解にあるからである。また『上にあるものは下にもある』と言うとき、ここで上はより尊いもの、下はより卑しいものを意味する。すなわち、その三つから一つを、あるいは太陽と月から、部分同士が等しい一つの物を作るのである。この結合は、哲学者たちの昇華と呼ばれる。昇華、高揚、あるいは尊貴化と呼ばれるのは、月とメルクリウスが尊くされるからである。合一がなされると、月は太陽とメルクリウスと同じほどの尊さを持つ。同様に、死んだ身体と呼ばれる固定がなされると、太陽はメルクリウスと同じほど卑しくなる。本文はそのように意味する。これが哲学者たちの上昇と下降である。
また、石は四元素を持つと言われ、アルノルドゥスがそれを説明する。溶解がなされたときには、一つの元素、すなわち水と呼ばれる。身体が不浄なときには、第二元素、すなわち土と呼ばれる。この土が焼成されると火と呼ばれ、石が再び溶解されると空気と呼ばれる。また石は、身体、霊、魂を持つと言われる。身体は、先に述べた不浄な身体を意味する。魂は、」

私たちの昇華。四元素。

「発酵素を意味する。霊は投射において働くものであり、この組成が獲得した第五精髄という別名を持ち、真の変換の力を備えている。
また先の石はレビスと呼ばれる。二つの物、すなわち身体と霊、あるいは太陽と月から、清められ発酵させられた身体からできる一つの物、という意味である。また真の組成のため、至るところに見つかる石と呼ばれる。太陽、月、メルクリウスの三つが一緒に結合すると、石の力は全体に行きわたり、山にも平地にも、つまり身体とメルクリウスにも、海、つまり溶解した水にもあるからである。そして飛ぶものたちは、そこから助けを得る。飛ぶものとは、生きたメルクリウスと、太陽や月へ変わる不完全な身体である。またそれは蠍、すなわち毒と呼ばれる。自らを殺し、自らを生かすからである。この三重の物を生きたメルクリウスの上へ投射すると、それを生かす。真の身体にするからである。このように、すべての哲学者たちの言葉を、さらに説明することができる。それでも哲学者たちはこれを鉱物の水銀と呼ぶ。しかし賢者の石の質料は水であり、オルトラヌスが証明するように、この三つの水を意味する。これより多くも少なくもあってはならない。そして彼は、太陽は男、月は女、メルクリウスは種子だと言う。しかし生成と受胎が起こるためには、男が女と」

レビス。飛ぶもの。三重の物。

「結びつかなければならず、それに加えて種子が必要である。したがって発酵の前に受胎と懐胎が起こらなければならない。質料が増殖するときには、幼子が母の胎内で成長すると言われる。また発酵させられるとき、オルトラヌスとアルノルドゥスは、魂が身体へ注がれ、冠を戴いた王が生まれると言う。また『哲学者たちの集会』にはこの教えがある。『身体を溶かし、霊を飲み込ませよ。』彼らが身体を複数形で言うのは、少なくとも二つなければならないからである。霊は単数形で言い、そのように、一つでなければならない。メルクリウス以外には、身体の質料なしの種子はない。そして『霊を飲み込ませよ』と言うとき、メルクリウスを固定する操作を意味し、石は増殖される。増殖されるとは、繰り返されるということである。
また、メルクリウスが太陽と月の質料を死なせると、質料は灰のように残り、哲学者たちはそれらの篩い分けと粉砕と呼ぶ。その灰について、『集会』とアルノルドゥスの書は、『この灰を軽蔑するな』と言う。また、その三つからなる灰は、哲学者たちによって不浄な身体と呼ばれる。白くなるまで煮られ、焼成されなければならないからである。それゆえモリエネスは『集会』で言う。『不浄な身体を清め、白くし、そのうちに魂を送り込まなければ、この奥義において何も正しく行ったとはいえない。』こうして二つ、すなわち石そのものの焼成と、」

二つの身体。唯一の霊。固定。灰。白化。

「発酵とが得られる。焼成とは、霊の作用によって白い灰、土、または白い焼灰の状態へ戻すことであり、私たちの火、すなわち私たちのメルクリウスの水によってなされる。また『染められたものが染める』と言うとき、この焼成され、溶解され、凝固した薬を白に向けて発酵させれば月となり、太陽とともに行えば太陽となる、という意味である。またゲベルは、第三階級の薬について証明し、文字どおりに述べる。白にも赤にも、太陽と月を用いる同じ一つの道がある。ただし発酵において異なる。この第三階級の薬は、太陽的なものと月的なものの二つであるが、本質において一つであり、作用の仕方も一つである。ただし黄色、すなわち黄色い色の付加があり、それによって薬は固定された硫黄の実体から完成される。つまり両方の薬は太陽と月から始められるが、赤へ向けるときの発酵素は太陽で、白へ向けるときは月で作られる。太陽は二つの意味で取られる。一つは太陽の水、もう一つは太陽の身体であり、前述のとおりである。
また『すべての色が現れる』と言うのは真実である。発酵以前、焼成、溶解、固定の中で、すべての色が現れるからである。また『光の光』はこう言う。『知れ。内側も外側も白くし、赤くするのは同じもの、すなわち太陽、月、メルクリウスである。』この三つが溶解され、発酵させられたものを、彼は水銀と呼び、こう言う。『水銀は、」

私たちのメルクリウスは火である。あらゆる色。

棺の身体へ雲から水滴が降る。
洗浄ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0底本の図版

「自らのうちに身体、霊、魂を持つ。』同じ箇所に、『理由はこのようである。男と女を一緒に煮て、凝固し石となるまで続けよ』とある。また、私たちのエリクシルは鉱物からしか作られないと注意すべきである。さらに告げる。竜は兄弟と姉妹とともに殺されなければ死なない。一方だけではなく、両者が同時に必要である。兄弟は太陽、姉妹は月である。最後にアルノルドゥスは言う。『哲学者たちが石について語ったことは、何であれ真実だった。言葉の力については、ふさわしくない者から隠すために語った。しかし意図の力については、ふさわしい者に語り、つねに真実を語った。哲学者たちは、このような事柄が神秘的に伝えられるべきだと知っている。詩が物語や寓言を通じて伝えられるように。そしてマクロビウスが言うように、哲学者たちが大いなる事柄を語るとき、譬え話や物語は混ぜない。』」

注 末尾の寓言使用についての緊張関係は原文に存在する。否定を削る等の改変をしていない。

竜の兄弟と姉妹。二つの身体。

洗浄、あるいは浄化。

ここに露が天から降り、
墓の中の黒い身体を洗い清める。

第一の石の、最初の白化。

セニオル、『太陽と月の書簡』。
「私が述べた水は、天から降りてくる物である。土は自らの湿りとともにそれを受け入れ、天の水は土の水とともに保持される。土の水は、自らの奉仕と砂によってそれを尊ぶ。水が水へ集められ、水が水を保持し、アルビラはアストゥナとともに白くなる。」
ヘルメス。「霊は、清浄な身体にしか入り込まない。」アルフィディウス。「白さを取り、黒さを捨てよ。」デモクリトス。「特別な洗浄で錫を清め、その黒さと暗さを取り除け。そうすれば、その輝く白さが現れる。」ソリンの著作。「白い火で、抜き身の剣のように見えるまで溶かし、白化によって身体を白く輝かせよ。」ラーシー。「水が銅と混ざると、銅を内側から白くする。この白化を懐胎と呼ぶ者たちもいる。土が白くなるからである。水が支配すると、土は成長して増殖し、そこから新しい子の増大が生じる。」アルフィディウス。「そのとき、黒い土を洗い、熱い火で白くしなければならない。」

注 albira/astuna は同定できない錬金術語として音写した。

天からの水。白化。懐胎。

そこでハーリーは言う。「器の底へ降りたものを取り、熱い火で洗い、その黒さが除かれ、濃密さが去るまで続けよ。余分な湿りを飛び去らせ、染み一つない、きわめて白い焼灰となるまで行え。そのとき土は、魂を受け入れるのに適し、準備が整う。」
そこでメルクリヌスは言う。「懐胎は変わったものを確かにし、開きを約束する。」
詩句。「よく孕んだものは、一致する平和によって結ばれる。」
モリエネスは言う。「この土は自らの水とともに腐敗し、清められる。それが清められると、神の助けによって奥義の全体が導かれる。」ヘルメスも言う。「アゾートと火はラトンを洗い、それから黒さを取り去る。」
それゆえ哲学者は言う。「ラトンを白くし、書物を破れ。あなたがたの心が破れないためである。」これはあらゆる賢者の配合であり、仕事全体の第三部でもある。ゆえに『集会』で言われるように、乾いたものを湿ったものへ、すなわち黒い土をその水へ結びつけ、白くなるまで煮よ。このようにして、水と土をそれぞれに持ち、さらに水によって白くされた土を持つ。この白さが空気と呼ばれる。

注 Firmans mutatum ... の表現は難解なまま、語義に即して訳した。laton は金属または錬金術的な身体を指す語として音写。

土。水。空気。

ソロモン、『知恵の書』第七章。
彼はこの知を光として持とうとし、あらゆる美と健康より上に置いた。この貴い石と比べて、何もそれに並ぶものとしなかった。その眼前では、あらゆる金もわずかな砂のようであり、銀も泥のように見なされるからである。それを得ることは、銀や純金、最も純粋な金を商うことよりもよい。その実りは、この世のすべての財宝より貴く、世界で望まれる何ものも、それに比べることはできない。その右手には長寿と健康、左手には栄光と無限の富がある。その道は美しく称賛すべき働きであり、軽蔑されるものではない。その小道は節度があり、性急ではなく、長い労働の不断の努力を伴う。それをつかむ者にとって、命の木であり、尽きない光である。それを保つ者は幸いである。神の知は決して滅びないからである。アルフィディウスが「この知を見いだす者の食物は、正当で永遠のものとなる」と証言するとおりである。
アリストテレス。「おお、この物は何と驚くべきものか。私たちが求めるすべてを自らのうちに持つ。私たちは何も加えも減らしもせず、ただ調製によって余剰物を除くだけである。」
アルノルドゥス。「金属の第一質料は、油性の湿りを自らのうちに含む、ある煙状の実体である。その実体から、技術者は、」

注 聖書の章の帰属および錬金術への適用は本書の記述に従う。特定の現代日本語聖書訳を用いていない。

第一質料。

「作業に適した哲学的な湿りを分離する。それは涙のように澄んでおり、そのうちに金属の第五精髄が住む。それは従順な金属であり、硫黄の本性と水銀の本性を持つため、ティンクトゥラを結びつける媒介がそのうちにある。」ゲベル。「おお、この物は何と有用であろう。私たちはこの生の薬を用いるが、それは煮られ、熟成されると、あらゆる毒を超える最大の毒となる。」哲学者グラティアヌス。「錬金術には、一人の主人から別の主人へ移る、ある高貴な身体がある。その初めには酢とともに苦難があるが、終わりには喜びと楽しみがある。」『集会』のアスタヌス。
「その黒く焼くことのない霊を取り、それで身体を溶かし、分けよ。」同じ著者。「それは全体が火的であり、その火性によって溶かし、あらゆる身体を、それらに等しいものとともに分ける。」『ロサリウス』。「私たちの錠を開くかの卑しい物なしに、私たちの薔薇園へ入り、そこで白と赤の薔薇を見て得ようとする者は、足なしに歩こうとする人に似ている。この卑しい物のうちに、七つの金属の門を開く鍵があるからである。この卑しい物なしには、貴いものは決して完成しない。」洗浄とは、黒さを終わらせること、あるいは白いものが完全に白く、赤いものが十分に赤くなるまで清めることである。アゾートと火は、

メルクリウス、私たちの女。私たちの卑しい物。

ある破れた紙片より

火の暗さを取り去る。
死化とは、身体から硬さを分離することである。そのとき魂は死んでいるが、身体は熱と乾きゆえに生きているからである。熱を持つものはすべて生命を持つ。このため錬金術の焼灰は、生命を持つと言われる。哲学者たちは、それらの不完全な生命を殺し、永続する生命を与えようと努めたからである。
再生とは、栄養、すなわちその完全な湿りと、整える湿りによる回復であり、それ自身の不完全な湿りを除去することでなされる。

死化。再生。

ある破れた紙片より。

いま私は、この私の論題において、自然の認識によって、あらゆる哲学者たちの隠された石について、おまえに明らかにする。それは三重の衣で飾られた石、富の石、愛の石、あらゆる欠乏から救う石、あらゆる病を癒す石である。そのうちにすべての秘密が含まれ、神から与えられた神的な神秘と呼ばれる。理性的魂に次いで、この世界にこれより高いものはない。
注意深く心に留めるべきである。私は、私たちの石が、

三重の衣を着ているとおまえに言った。すなわち三つの部分、身体、魂、霊へ分けられるべきだということである。それゆえ魂を失った死んだ身体は、暗い。
息子よ、その身体が再び生かされることを望むなら、それに自らの魂を戻せ。そうすればただちに生きる。
「ああ師よ、私には分かりません。」
息子よ、より明瞭に言おう。ただ一つの石、あるいは一つの物である。身体は自らの本性、すなわち自らの水、つまり自らの第一質料へ戻されたからである。身体の第一質料は油性の水である。そして身体の実体と結合の水が、最も微小な部分まで分かたれず一つになったとき、初めて一つの物と呼ばれ、無限の枝が増殖する賢者の石となる。これが、哲学者たちの書物に知られる石と呼ばれるものである。ゆえに息子よ、その石からそれ固有の水が、分離の仕方によって霊として取り出される。
私たちの昇華は、固定していない部分を固定した部分から持ち上げることである。固定していない部分は、煙と風によって持ち上げられる。
しかし私たちは、この二つがともに固定され、容易な溶融を示すことを望む。このように、私たちの真実で確かな昇華を理解せよ。そして、誰も自分の舌で触れることのできない石である。ヘルメスは言う。「精妙なものを粗いものから分けよ」云々。土は、

いつ一つの物と呼ばれるか。第一の方法における私たちの昇華。煙による上昇。

雲から魂が棺へ降り、下には二羽の鳥がいる。
魂の帰還ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0底本の図版

焼成され、水は昇華される。土は下にとどまり、水は上に昇る。土は焼成によって、水は昇華によって、両者は腐敗によって清められる。水は土が燃えるのを防ぎ、土は水を縛って逃がさない。両者が十分に清められると、一つとなり、それ以上分離できなくなる。一方は他方なしに存在できないからである。その一部を百部の水銀に投射すれば、真の銀へ染め変える。またそのようなティンクトゥラが赤へ転じれば、その一部は同じ部数を真の金へ染め変える。それよりよい金は見いだされない。これは、隠された本性と、火の熱によって獲得された本性による、云々。
注意せよ。天と地が創られる前、主の霊は水の上を動いていた。『創世記』第一章。
したがって、すべてが水から創られたことを見なければならない。神は語り、水の一部に乾いたものとなれと命じたとき、この水を分け、それを地と呼んだ。そして変えられなかった水は、地を潤し湿らせるために残した。乾いた土は、上から降る自らの雨水によってしばしば湿らされなければ、多くの実を結ばず、水なしではほとんど、あるいは決して実を結ばないからである。

魂の歓喜、あるいは誕生、あるいは昇華。

ここで魂は舞い降り、
清められた亡骸を再び生かす。

さて第四の言葉が続く。それは、土とともにあった水が、濃化し凝固したのち、昇華によって上昇することである。このようにして土、水、空気を得る。これこそ哲学者の言うことである。「それを白くし、すみやかに火で昇華せよ。その中に見いだす霊が外へ出るまで続けよ。それはヘルメスの鳥、あるいは灰と呼ばれる。」そこでモリエネスも言う。「灰を軽蔑するな。それはおまえの心の王冠であり、永続するものの灰だからである。」『集会』には言われる。「火の扱いを強めよ。白化ののちには灰化へ達し、それは焼成された土と呼ばれるからである。」ゆえにモリエネスは言う。「底には火的な本性の、焼成された土が残る。」このようにして、前述の比率における四元素、すなわち溶解した水、白くされた土、昇華した空気、焼成された火を得る。
これらの四元素について、アリストテレスは『諸原理の統治について』の書で言う。「空気から水を、火から空気を、土から火を得たとき、そのときおまえは哲学の術を完全に持つ。」モリエネスが言うように、これが第一の配合の終わりである。
私たちの奥義には忍耐と待機が必要である。この奥義における性急さは、まさしく悪魔の側から来る。
ヘルメス。「死者は生かされることを、病者は、」

注 この箇所の印本書名は principiorum(諸原理)である。別箇所の principum(君主)へ統一せず訳した。

昇華。忍耐。

「癒されることを望む。」同じ著者。「太陽のうちで磨り合わせることにより、身体と魂を結びつけなければならない。」
同じ著者。「おまえたちの金を、白い葉状の土に蒔け。」セニオル。「上の煙は下の煙へ降り、煙は煙によって孕む。」同じ著者。「この神的な水は、天から降りる王である。」同じ著者。「それは魂を自らの身体へ戻すもの。その死ののちに身体を生かす。その者によって生命があり、その後にはもはや死はない。」
ロシヌス。「魂が身体のうちに入るとき、身体は喜ぶ。」
同じ著者。「身体は魂を捕らえ、魂を見いだす身体は、どれも容易にそれを捕らえる。そして知れ。魂は身体とともに苦しめられ、身体とともに閉じ込められ、身体によって身体へ変えられる。」ヘルメス。「霊そのものが魂の抽出者、還元者、仕事全体の再形成者であり、私たちの求めるすべてがそのうちにある。」セニオル。「見た目にこれより卑しいものはなく、本性においてこれより貴いものはない。神は、それを代価で買うものとはされなかった。」
セニオル。「私たちの調製は、錠を開く仕掛けによって、自然から生じる。」
ヘルメス。「自然のものも人工のものも、その始まりを知る知識を持たねばならない。始まりを知らない者は、終わりに至らないからである。」同じ著者。「この秘密はあらゆる物の生命であり、水である。」

煙。霊。

水は人間とほかのものの栄養を受け入れ、水のうちに最大の秘密がある。しかし、誤りを少なくするために、次のことを知るべきである。私たちの「昇華する」とは、身体を高めること、すなわち霊へ導くことにほかならず、それは穏やかな火によってしかなされない。私たちが「あの人は司教に昇げられた」、すなわち「高められた」と言うのと同じである。それゆえ普通の昇華は、ただ結果のしるしにすぎない。昇華すべき身体が、すでに昇華しうるほど霊的になったというしるしである。それは私たちの仕事には何も寄与せず、第一の石の調製ののちには、それ以上必要とされない。そのような昇華は霊化せず、ただ霊性の効果を示すだけだからである。それゆえ王たる哲学者ゲベルは適切に言う。「私たちの奥義の仕事には、唯一の器、一つの炉、一つの配置しか必要ない。」これは第一の石の調製ののちについて理解せよ。『創世記』。「すべては水から作られ、神の霊は水の上を動き、人間の生成の始まりも水からである。」ヘルメス。「おお力ある自然、諸本性に勝ち、超え、自らの諸本性を喜ばせるものよ。」ゲベル。「この術の原理と、仕事の存在に属する主要な根を知らずにいてはならない。」バシウス。「私たちの硫黄はあらゆる火より強い。」哲学者アラヌス。「あらゆる物のうちから一つを選べ。それは青鉛色で、澄んだ液状の金属的な外観を持ち、」

私たちの昇華。青鉛色。

「熱く湿った物、水性で焼灼性の物であり、生きた油、生きたティンクトゥラ、鉱物の石、驚くべき効能を持つ生命の水である。」アリストテレス。「太陽とその影、すなわち妻なしには、染める毒はまったく生じない。」
昇華には二つある。第一は余剰物の除去であり、最も純粋な部分が元素的な滓から分離して残り、第五精髄の力を持つようにする。この昇華は身体を霊へ戻すこと、すなわち身体の濃密さが霊の精妙さへ移ることである。
第二の昇華は、元素的な滓から分離された、そのうちの第五精髄の本性に属するものを抽出することである。私が第五精髄と言うのは、染める魂である。それには洗浄が必要であり、それによって砒素の油性、すなわち最も純粋な油性を持つ油的な本性が抽出される。それは自らの滓と結びついており、その滓が昇華するのを妨げるのである。

昇華は二つある。第二の昇華。

ウィンケンティウス、石なるエリクシルについて。

ウィンケンティウス、『自然の鏡』第一巻。錬金術師たちは、鉱物の身体において自然の働きにならい、自然が千年をかけて行うことを短い時間で行おうと努めた。そこから、ある物を作ることを教えた。それは、その上に投射された身体を変成させるものである。彼らはそれを、

エリクシルと呼ぶ。また「石ではない石」とも呼ばれる。磨り砕けるので石であり、溶融するので石ではない。それは金のように、蒸発することなく流れる。この特性が当てはまる別の物はない。アウィケンナ。「エリクシルとは、より大きな身体の上に投射され、その物を自らの本性から別の本性へ変えるものである。より小さい身体と霊、諸元素、発酵素が混ざり、すべてから一つの調製物ができるときに生じる。エリクシルはギリシア語で、大いなる宝、あるいは宝のうち最良のものを意味する語である。身体と混ざるエリクシルは、銅に混ざるトゥティアのようなものである。しかし銅はそのトゥティアによって増大し、成長する。その理由は、トゥティアが土的な物であるのに対し、エリクシルは霊的な物であり、その類の本性が別の類へ移るからである。」
錬金術師。「エリクシルは二つの方法で作られる。一つは、鉱物の霊と、清められ調製された身体から。もう一つは、生あるものから来る物、すなわち毛髪、卵、血などからである。
第一の方法はこうである。ある霊を死化し、清くなるまで昇華する。そののち、自然に生じた身体の一つを、磨り砕けるまで焼き、それから焼灰のように清浄になるまで焼成する。
最後に、そのように調製した霊と身体を磨り合わせ、蒸留した鋭い水を吸わせる。」

注 エリクシルの語源、およびトゥティアとの比較は原著の主張の訳。現代の語源説明または実験上の指示として提示するものではない。

エリクシルとは何か。

そののち、澄んだ水へ変わるまで長く湿らせ、次に凝結させ、最後に固定されるまで長く火に置く。

エリクシルの完成について。

アウィケンナ、ハセンに宛てた書簡。「エリクシルは自らのティンクトゥラで染め、自らの油で沈み、自らの焼灰で固定される。白いものは火を含まない三つで完成するが、黄色いものは四つすべてで完成する。」注釈。「白いエリクシルに必要なのは三つ、すなわち油、ティンクトゥラ、焼灰だけだというのは真実である。しかし赤には四つ、油、焼灰、ティンクトゥラ、さらに火と呼ばれるティンクトゥラが必要である。それゆえアウィケンナは『そのうちに火はない』と付け加えるのである。」

さまざまな火について。

火にはさまざまな種類があり、その性質も異なり、いくつかの段階によって区別される。ある火は第一度に熱く、第二度に湿っている。すなわち馬の腹の火である。その特性は、油を破壊せず、その湿りによって増大させることにある。ほかの火は乾きによって破壊するからである。この火に似るものは、健全な人間の身体の物質的な火のほかには、この世界にない。太陽の火も同じ度合いに熱いが、乾いている。この火は物を従わせ、生ある物から生じ、養われる。

糞の火。従わせる火。

初めに乳を与えられる幼子のように。幼子は熱と湿りから養われ、成長する。同じように、馬の火もその湿りで油を増し、その熱をほどよく保つことで石を固定する。この二つの間に、さらに別の火があり、第二度に熱く乾いている。パンを取り出した後の竈の火のようなものである。それは穏やかに溶かし、焼き尽くさない。そこには炎も強い熱もないからである。熱は少しずつ弱まり、去っていく。しかし持続するなら、身体の中または身体の外で霊を固定するであろう。一方、馬の火は溶かしも焼きもせず、従わせ、湿りを増す。また第四の火、固定炉の火がある。それは溶かし、固定するが、焼き尽くさない。炎の火ではないからである。前の火と違うのは、この火の熱は持続するが、前のものはそうではないという点だけである。
第五は炎の火と呼ばれ、第三度に熱く乾いている。それは焼成するだけで溶かさない。すなわち同じかそれ以上の度にある金、銀、ほかの身体に対してそうである。これは焼成炉の火である。
第六は第四度に熱く乾いており、身体を穏やかに軟らかくしつつ、強く溶かし、固定するが、散逸させたり散らしたりしない。これはその度にある溶融炉の火である。
また鞴の火があり、身体を散逸させ、散らし、溶かす。これが第七である。

固定の火。第三。霊の固定。第四。第五。第六。第七。

第八は溶融し焼成するもので、炎の火である。そこでは炎だけが働くからである。火の実体は炭と炎だが、この場合は薪の炎だけである。これも先のものと同じ度にある。第九も同じ度にあり、すべての師となる火、すなわち仕上げの火、つまり試験の火である。それは溶かし、焼き、悪いものを散逸させて散らし、よいものを保ち、正す。正しいものと不正なものを見分ける裁判官のようなものである。

第八。第九。

ネズの木の火。

人工の連続する火であり、炭をむき出しにしないかぎり、望む同じ度合いを一か月、二か月、あるいは三か月保つ。したがって炭はつねに覆っておかなければならない。燃えている炭を多くまたは少なく加えることで、意のままに熱を増減できる。まず、ネズの木だけから作った灰を十分に用意する。次に大きな土製の鉢を用意し、その中央に小さい鉢、または坩堝を置く。灰を入れながら、大鉢を火の熱の上に置き、灰が温まるようにする。そして小鉢の周囲の灰の上に、やはり先のネズの木だけから作った炭を置く。さらに同じ木の温めた灰を、もっと用意し、

翼と二つの頭を持つ王冠の人物。竜、月、顔の実る木、鳥。
女帝ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0底本の図版

先の炭の上に振りかけ、温かい灰で十分によく覆う。小さい鉢またはガラス器の中には熟成すべき質料を置き、大鉢には上から蓋をする。それを室内の腰掛けの下か上に、石の上へ置く。ただし損害を生じさせないようにせよ。この方法で、そのような火をいくつも用意できる。また小鉢に温水、あるいは湿った馬の腹のものを入れ、その中へ質料の小瓶を置くこともできる。
先の炭は、次のように作る。ネズの木を指二本ほどの厚さ、あるいはそれより大きな小片に切る。大きな鉢にいっぱいに入れ、あらゆる側をよく閉じ、封泥する。その鉢を風炉の強火、あるいは薪の炎に丸一日置く。それからひとりでに冷えるのを待ち、鉢を開ければ、望むものを得る。灰は普通の方法で焼いて作る。この火は、霊を固定する第一または第二の度の火となりうる。

ここに高貴で豊かな女帝が生まれた。
師たちは彼女を自分たちの娘と呼ぶ。
彼女は増え、数えきれぬ子を生む。
その子らは不死で清らか、いかなる汚れもない。

女王は死と貧しさを憎む。
彼女は金、銀、宝石を超え、
大小すべての薬を超える。
地上に彼女に等しいものはない。
それゆえ私たちは天国の神に感謝する。
おお、力が裸の女である私を迫る。
私の最初の身体は不幸だったから。
私はまだ母となったことがなかった、
二度目に生まれるまでは。
そのとき私はあらゆる根と草の力を得、
どの病に対しても勝つ者となった。
そこで私は自分の息子に気づき、
彼と二人で、そこへ来た。
私は彼を身ごもり、
実りのない野に産み落とした。
私は母となったが、それでも乙女のままであり、
私の存在のうちに定められた。
私の息子が私の父となることが。
神が本質のあり方として、そのように取り計らわれた。
私を産んだ母も、
私によって地上に生まれた。
自然に結ばれた一つのものを考えること。
山はそれを巧みに飲み込んだ。
そこから四つが一つへと来る、
私たちの巧みな石のうちに。
そして六つは三重に考えられ、
一つの本質的なあり方へ導かれる。
これを正しく考えられる者には、
神から力が与えられる。
金属と人間の身体の、
あらゆる病を追い払う力が。

注 寓意詩の系譜的逆転や数の表現を省略せず訳した。治癒の主張は歴史的な本文の主張である。

神の助けなしには、誰もこれを作れない、
自分自身を見通せる者のほかは。
私の土から泉が湧き、
そこから二筋の流れが走る。
一つは東へ流れ、
もう一つは西へ流れる。
そこから二羽の鷲が飛び、羽を焼き、
裸となって地へ落ちる。
そして再び美しい羽を得る。
それに太陽と月が従う。
おお主イエス・キリストよ。
あなたこそ賜物を与えるお方。
あなたのかくもよき聖霊によって。
聖霊はそれらすべてを守っている。
まことに、それを与えられた者は、
師たちの言葉をことごとく理解する。
その者が来たるべき生命を思うように。
身体と魂が正しく結びつけられ、
父の王国に漂う、その生命を。
地上の術も、このように成り立つ。

ヘルメス。「風聞を探究する者たち、知恵の子らよ、知れ。山の頂にいる禿鷲は大声で叫び、こう言う。
『私は白く、黒く、赤く、黄色い。私は真実を語り、偽らない。』」アルフィディウス。「その黒い身体から取り出される水銀は白い湿りであり、失われないように殻を除いて清められている。」モリエネス。「白い煙は、溶解されたそれらの身体の魂であり霊であると知るべきである。そして確かに、白い煙が

なければ、白の錬金術の金もなかったであろう。」『ロサリウス』。「これが私たちの最も高貴なメルクリウスであり、神は理性的魂を除けば、天の下にこれより高貴な物を創造しなかった。」プラトン。「これが私たちの質料であり、私たちの秘密である。」オルトラヌス。「このようにして、前述の二つの身体から取り出された真のメルクリウスを得る。それはよく洗われ、熟成されている。神に誓う。普遍の道には、すでに明らかにしたもののほかにメルクリウスはない。哲学の全体はそのうちに懸かっている。異なることを言う者は、偽りを言っている。」『集会』のパルメニデス。「哲学者が水と言うのを聞いて、雲の水だと思う者がいる。決してそうではない。理性があるなら、永続する水であると知るはずである。この水は、ともに溶解された自らの身体なしには、永続する水ではありえない。」アルフィディウス。「哲学者たちはこの薬をあらゆる名前で呼ぶ。このメルクリウスには非常に多くの名が付いているので、新しい仕方で名称を付けることは、ほとんど、あるいはまったくできないほどである。」哲学者プラトンは言う。「私たちは、誰にも明かすことが許されない術の秘密を除き、すべてを明らかにした。その秘密は栄光ある神に委ねる。神は望む者にそれを吹き込み、望む者から取り去る。」王ソロモン。「これが、そのために南の女王が東方から来たと語られる娘である。曙のように立ち上がり、ソロモンの知恵を聞き、理解し、見るためである。彼女の手には、権力、栄誉、徳、そして」

私たちのメルクリウス。雲の水。多くの名。秘密を守れ。

「支配が与えられた。頭には王国の花咲く冠、七つの輝く星の光線がある。夫のために装った花嫁のように、衣にはギリシア語、異邦の言語、ラテン語の黄金の文字でこう記されている。『私は賢者たちの唯一の娘、愚者にはまったく知られぬ者。』」ヘルメス。「星々における太陽のように、金属においては金がある。太陽は星々に光を与え、すべての実りを含む。同様に、金もすべての実りを含む。また昼は光の誕生であり、太陽は昼の灯である。神は私たちの仕事のため、すなわち世界を統べるためにそれを創られた。またティンクトゥラは身体的でなければならず、鉱物の助けと媒介によって、完全な金属の身体から抽出されるものでなければならない。」

一般規則。

あらゆる物は、溶解して帰着するものからできている。氷は熱を仲立ちとして水へ変わるので、氷である前には水だったはずである。同じように、あらゆる金属は以前には水銀だった。それは、火の中で溶けると水銀へ変わることから明らかである。ここで注意せよ。哲学者は溶融した金属も、メルクリウスすなわち水銀と呼ぶ。したがって、この仕方で金属を水銀へ戻すことは、この溶融と呼ばれる。それは激しい火によってなされるが、その強い溶融において水銀の外観を保つので、水銀とも名付けられる。しかしこの溶解は哲学的ではなく、通俗的である。ゆえに、おまえに知られた個別の操作に関しては、ある意味で哲学の言葉に対応するのである。

第二規則。あらゆる本性は、本性上、完成されることを望み、破壊されることを嫌い、逃れる。それゆえ自らを改善するものを熱心に抱き、反するものをできるかぎり拒む。このことに従って、術は自然を模倣しなければならない。そうでなければつねに誤る。

第三規則。

ある術の中で働く、より劣ったものはみな、その自然な悪さによって、より優れたものを破壊しようとする。また、ある術の中で働く、より優れたものはみな、劣ったものを完成しようとする。それゆえ、まず諸物の本性を知るべきである。何が本性にとってよりよく、より悪いか、何によって完成され、何によって妨げられるかを見分けられるようにするためである。また劣ったものの量が優れたものの量を超えないようにせよ。そうでなければ、甚だしく誤るだろう。

第四規則。

乾いたものはみな、その諸部分が連続するよう、自らの湿りを飲むことを本性上求める。ここで、あらゆる溶融可能なものの根源的な湿りが何であるかを心に留めよ。そして過度に乾いたものに、そのような湿りを養分として与えよ。そうすればほどよく調整されるであろう、云々。このようにして、おまえは望むものを得る。

愚者の矯正より

『愚者の矯正』と呼ばれる、ある権威ある小論より
普通の硫黄と、哲学者たちの単純で燃やさない硫黄との相違について

哲学者は一般に硫黄が凝結させると語るが、そうではないと答えねばならない。哲学者によれば、普通の硫黄はすべて金属に異質で、相反するからである。アヴィセンナはいう。そこから生じていないものは奥義に入らない。術によってどのように調製されても、それは常に汚し、黒くし、損なうからである。それは汚れた火であり、ゆえに融解を妨げる。焼成すれば、死んだ粉のような土の実体へ戻る。それならどうして他のものに命を吹き込めるだろうか。それは二つの余剰物、すなわち燃えやすい実体と土の滓を持つ。したがって、普通の硫黄は哲学者たちの硫黄ではないと考えよ。哲学者たちの硫黄は、単純で生きた火であり、他の死んだ物体を生かし成熟させ、自然の欠陥を補うからである。それ自体が満ち余る成熟を持ち、その本性で完全であり、さらに術によってますます……〔次頁へ〕

注 末尾 magis は次頁冒頭の分割語尾を結合。

私たちの硫黄
普通の硫黄
哲学者たちの火はいかなるものか
成熟させ、生かすもの
自然の欠陥を補うもの

〔前頁から続く〕精製されるからである。そこでアヴィセンナはいう。そのような硫黄は、太陽と月というこれらの物体の中にあるものを除けば、地上には見出されない。ほかのあるものの中にもそれはあるが、神から啓示されるのでなければ、誰にも語られない。太陽の中では、より熟成し煮られているため、いっそう完全である。哲学者たちは、これらのより完全な物体からその硫黄を取り出し、術によってその性質を浄める方法を、精妙に考案した。自然を介する術の中で、以前は物体に現れなかったものを得るためである。もっとも、それらは以前から完全に、隠れた仕方でそれを持っていた。彼らは、物体を溶解し、その最初の由来である水銀という第一質料に還元しなければ、これが起こるとは認めない。また、異質なものを何も混ぜずに行う。異質な本性は私たちの石を改善しない。ものに適合するのは、それに近いものだけだからである。この薬は単純で力ある本性を持ち、あらかじめ金銀を溶かしたメルクリウスの水から生じる。たとえば氷を普通の水に入れると、熱によって溶け、最初の水的実体へ戻る。こうして水は、氷の中に隠れていた力によって染められる。しかし氷が熱によって水に溶けなければ、水の中に横たわっていても水と結合せず、その種の側から以前に凝結していた力によって水を染めることもない。同様に、物体をメルクリウスとともにメルクリウスへ溶かさなければ……〔次頁へ〕

注 頁頭 gis は前頁 magis に結合。non coniungitur aquae tur in aqua iacet の tur は不整な印刷を保持。末尾 mercurio は次頁の語尾を結合。

物体を液化すると水銀になる

〔前頁から続く〕そこから隠れた力、すなわち鉱床で自然の働きによって熟成し煮られた硫黄を得ることはできない。このように石は一つ、薬は一つである。哲学者たちはこれを、二つのもの、すなわち身体と白または赤の霊から成るゆえに、レビスと呼ぶ。この点で多くの愚者が誤った。

注 頁頭 curio は前頁 mercurio に結合。

赤い硫黄が太陽に、白い硫黄が月にあるのはどのようにか

哲学者たちの赤い硫黄は、より大きな熟成によって太陽にあり、白い硫黄は、より小さな熟成によって月にあると述べた。そこで哲学者はいう。黄化は完全な熟成にほかならない。熱は湿ったものに働くと、初めに黒さを生み、乾いたものに働くと白さを生む。火がさらに進んでそれに働けば、最も純粋な黄色へ変える。これらすべては鉛の焼成で観察できる。また哲学者はいう。完全な物体は各々、すでに現実に、メルクリウスとともに自らの善い硫黄を含む。すなわち金は金の硫黄を、銀は銀の硫黄を含む。そのため白い硫黄は黄色を経て金である。したがって、その中の硫黄は赤い硫黄、すなわちこの白いものをいっそう熟成させた火の実体である。こうして白と赤の両方の硫黄が太陽に存在する。それゆえ火はその完成であり、太陽は火の中で生まれたので、その本性は自らの火的な本性を親しく喜ぶ。

黄化

それゆえ異質なものは、物体の中にこれを引き起こせない。自然を介した術は、単純な労働によってその本性を煮て熟成させることにほかならないからである。たとえば朝起きて自分の尿が白いのを見れば、あまり眠らなかったと判断し、再び横たわって眠る。眠りを取ると尿は黄色くなる。私の中にある自然の熱によって、消化がいっそう進んだからである。このように自然に従い、術を通じて同様に煮、熟成させ、成熟させ、昇華せよ。自然はすでに現実に、自らを成熟させる自然の火を内に持つ。それを持たないものは、与えることもできない。月の中には単純な白い硫黄だけがあり、赤い硫黄ほど熟成せず、自然に含む熱の作用によって黒さから同じように清められてもいない。しかし火の姿は覆われ隠れていて、自然におけるように術の中でも、また逆にも作用する。したがって自然を介する術が、さらに熟成し完成させるのは不可能ではない。ここで、仲介する自然、あるいは中間の自然に注意せよ。それは自然に完成を目指すが、術と操作に動かされなければ自らではできない。ただし、この労働は頑迷な者には達成できないだろうと私は思う。ゆえに、より善いものがより悪いものを改善するほどに熟成し煮られなければ、真の金は作られない。すべての哲学者の意図は、より善いものによって、より悪いものを完成させることだからである。

注 中段の ut ars mediante natura は印刷本文で述語が次の文へずれており、文意を継いで訳す。

黄色の原因
勧告
成熟させる火に注意せよ
より善いものはより悪いものを完成する

〔前頁から続く〕愚者たちはこれを逆に理解し、より悪いものによってより善いものを完成させようと努める。そして、もともとその中に一度もなかったもの、すなわち金銀を、燃えやすいものの中に求める。以前説明したとおりである。

他の病んだ物体の中にこの硫黄を求めても無益である。そこにはないからである。

他の病んだ物体から、メルクリウスを染めるための白と赤の硫黄を取り出せるか、と問うのはもっともである。私は、できないと答える。先に述べたように、染める光線を内に持つこの二つの物体に見出されるほど、よく調和したものは他にないからである。また、病んだ物体は臭く燃えやすい硫黄を含み、この二つの中にあるような力ある本性の硫黄を含まないと、すでに述べた。術は、その従うべき自然が先に存在しなければ何の力も持たない。下位の鉱物で金属を清めることはできるが、清められてもなお、その中に金銀の本性を持たない。金の熟成と煮沸が、他方のようには行われておらず、硫黄もそこまで成熟していないからである。だから未熟なものを成熟させるには、成熟したもので助けなければならない。それゆえそれらは染めるのでなく、染められる。金銀のティンクトゥラは、それら未熟または不完全なものと釣り合う本性を持つ。ともにメルクリウスから起源を引くからである。以上から、下位の鉱物は染めることが……〔次頁へ〕

不完全なものはこのように治される

翼ある王妃が太陽の王を抱き、水中に横たわる。
発酵ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0底本の図版

〔前頁から続く〕できないと明らかである。成熟したメルクリウスの点で金銀と一致しない不完全な金属的物体は、染めることも、金や銀の本性を注ぎ込むこともできないからである。したがって染める力を持つもの以外で染めてはならない。金銀で染めよ。金は金の色と本性を与え、銀は銀の色と本性を与えるからである。力として、または自然に染める力を持たない他のすべてのものは捨てよ。そこには実りがなく、物資の損失と歯ぎしりしかない。

発酵

ここで太陽は再び閉じ込められ、
哲学者たちのメルクリウスを上から注がれる。

ヘルメス、太陽についての第七論考

哲学者たちの子らよ、物体は七つある。その第一は金、それらの最良のもの、王であり頭である。土もそれを腐敗させず、燃やすものも焼かず、水も変えない。その体質は調和し、その本性は熱・冷・湿・乾において正しく整い、過剰も不足もないからである。ゆえに哲学者たちは金を優先し、称え、金が物体の間で占める位置は、光と輝きによって太陽が星々の間で占める位置と同じだと言った。太陽によって植物は地に芽生え、神の意志によってすべての実りが完成する。同様に金は物体の中で、あらゆる物体を自らとともに保ち、生かす。それはエリクシルの発酵素であり、それなしには作業が成就しない。発酵素なしの生地が発酵せず膨らまないのと同様である。物体を白くし、昇華し、清め、滓と汚れを取り去った後、それらを一つに集め、結び、ともに混ぜようとするなら、発酵素を加えよ。生地の発酵素が発酵素以外の何ものでもないことを見よ。ゆえに、あるものの発酵素は、そのものの本性から来る以外にありうるか、熟考し観想せよ。これがすべての哲学者の鍵である。また、発酵素は調製物を白くし、燃焼を抑え、ティンクトゥラが逃げぬよう保持し、物体を柔らかくし、互いに浸入させ、結合させることに注意せよ。〔次頁へ〕

調和した体質
発酵素は金である
発酵素の有用性

〔前頁から続く〕それが作業者の目的である。その知によって物体は清められ、神が許すならその作業は成就する。ライムンドゥスは『開示書』でいう。第二の部分によって石は色づき、固定され、発酵する。哲学者たちが示すように、白の石の発酵素は銀、赤の石の発酵素は金である。発酵素なしには太陽も月も、その本性に属する他の何ものも現れないからである。ゆえに発酵素を自らの硫黄と結べ。その色を生み、さらにその本性、重量、味、音に至らせるためである。似たものは皆、自らに似たものを生むからだ。太陽のような発酵素は、その硫黄を染め、永続して浸透する薬に変える。それゆえ哲学者はいう。硫黄と水銀を染めることを知る者は、最大の奥義に至る。このため太陽と月は、かの霊と水銀の永続する水のティンクトゥラおよび発酵素でなければならない。その水によって、それらの本性を自然の熱で固定し養い、完全な固定と融解を得るまで続けよ。その後、石とその発酵素を結合する操作を行い、作業が完成に至るまで続ける。これは一度に起こるのではない。それは自然の意図するところではないからである。むしろ結合によって、すなわち少し、また少しと進み、さらに凝結によって……〔次頁へ〕

石の結合
染めよ

〔前頁から続く〕真に均一な薬ができる。それゆえこの結合は、霊的な形と本質へ変成・変質した微細な部分から生じる。粗大な物体と単純なもの、単純なものと粗大なものは、相反するために結合できず、粗大なものが自らの単純な霊を通じてその微細さへ変わる必要がある、と書かれている。そのとき両者はともに混ざりうる。哲学者たちはある真理の子にこれを説明して知らせ、完全な混合とは、混和できるよう変質した物体が、分けられない部分において互いに結びつく統一であるという。ここにそれが必要なのは、混合または統一は変質なしには成りえず、その変質が物体の微細化と霊的な形への還元だからである。これは明らかな理による。
この部分について哲学者たちは、薬はすでに一つのあり方から別の水晶状のあり方へ完成したという。そのとき、その薄板が自然の微細な部分から組成され、自然の工夫によって、部分の分割なしに、少しずつ、また少しずつ均一に結ばれたことが明らかになる。そのようなことは微細化と本性の均質さなしには起こりえない。したがって、その質料は、水と混ざるすべての部分が本性において等しくなるほど微細にならなければならない。そして……〔次頁へ〕

注 頁頭 tionem は前頁 coagula- に続いて coagulationem。

哲学的な意味
最初の石の調製
水晶のあり方

〔前頁から続く〕このことは、おまえの理解によって見て取れるだろう。多数の部分が、分割・不連続・境界なしに結合または混合し、一つの透明な物体、一つに連続した密度と、すべての部分が透ける形になったときである。子よ、汝はいま、小さくない秘密を得た。ゆえに魂を置く前に、まず身体を明るくせよ。そうでなければ霊を受け取ることも、自らの中に保持することも決してできない。以上はライムンドゥス。哲学者カリディウスはいう。金による以外に葉状の土を染めることのできた者はなく、今後もない。それゆえヘルメスは命じていう。
汝らの金を、焼成によって火的・微細・空気的になった、白い葉状の土に播け。
ゆえに金のティンクトゥラをこの土に置くとき、私たちはそこに金を播くのである。しかし金は、自分以外の物体を決して完全には染められない。確かに、術によって完成されるのでなければ、これをなしえない。
金は作業の発酵素であり、これなしに作業は成就しない。それは生地の発酵素、チーズ作りで乳を固める凝乳剤、良い香料における麝香のようなものである。これとともに大いなるエリクシルの組成が成る。明るくし、焼損から守るからであり、それが完成の徴である。そして知れ、〔次頁へ〕

不完全な物体の最初の石の秘密
金は発酵素である

〔前頁から続く〕金なしには作業は完成も改善もされない。金は水銀の手綱であり、水銀を凝結させるには、マグネシアの身体の中で行うほかない。その中には燃やすものと逃げるものとがあり、金そのものは第三のものとして両者のティンクトゥラを受け取る。それは赤いティンクトゥラであり、水銀はそれとともにあらゆる物体を変成する。それゆえある者は、金を金の中に置かなければ何もしていない、という。
アリスレウスはいう。組成に少量の金を入れれば、明らかな白いティンクトゥラが現れると、確実に知れ。太陽の発酵素は男の種、月の発酵素は女の種を意味する。両者からまず交合が生じ、その後、真実で清らかな生成が起こる。パンの発酵素がパンであるように、金の発酵素は金である。『ロサリウス』はいう。パン作りで少量の発酵素が大量の生地を膨らませ発酵させるように、この石が含む少量の土も、石全体を養うのに十分である。

水銀の手綱
男の種
不完全なものはこのように治される

鉱物の二つの区別について。同じ小論『愚者の矯正』より。

鉱物的物体は、とりわけ二つの部分、すなわち金属的なものと鉱物的なものに分かれる。金属的な部分とは、その起源をメルクリウスに……〔次頁へ〕

〔前頁から続く〕持つ金属であり、鉱物的な部分とはメルクリウスに起源を持たないものである。金属の例は太陽、月、ユピテル、マルス。エレクトルムも含まれる。鉱物の例は塩類、アトラメントゥム類、明礬類、ヴィトリオル、砒素、雄黄である。メルクリウスに由来する金属はすべて展延性と融解性を持つ。その質料は水的実体と土的実体が強く混合したもので、一方を他方から分離できないからである。その水的実体は、熱が作用した後、冷気によってさらに凝結する。それゆえ展延でき、加工できる。水だけで凝結するのではなく、水性を変える土的乾燥を伴う。その中には油状の湿りがなく、凝結は土的乾燥から成るので、強く混じり合った度合いに応じた激しい熱の作用によらなければ容易には融けない。一方、すでに述べたように、メルクリウスに由来しないものが下位または中間の鉱物である。そのうちには湿りによって容易に溶ける塩があり、明礬、普通の塩、サル・アルモニアク、岩塩、あらゆる種類の塩がこれである。また、力を帯び、湿りだけでは容易に溶けないものもあり、雄黄、砒素、硫黄がこれである。硫黄質の物体の水性は、粘る土と強く混じり、熱の沸騰によって……〔次頁へ〕

注 歴史的鉱物名は現代化学上の単一物質を必ずしも指さない。末尾 caloris は次頁の語尾を結合。

霊は金属のようには融けない
下位の鉱物は二種類ある

〔前頁から続く〕力を帯びるまでになり、その後冷気によって凝結したからである。アトラメントゥム類は塩、硫黄、石から組成され、そこにはカルカントゥムやオロカリのように、それらから成る融けうる物体の鉱物的な力があると考えられる。しかし、それらから人為的に金属的物体を作ることはできない。別の本性であり、金属と同じ近接した第一質料、すなわちメルクリウス、水銀に由来しないからである。それらによって金属を浄化または溶解できること、人を欺くために偽の形を与えられることは否定しない、など。
硫黄は二つ、生きた硫黄と燃やす硫黄である。生きたものが金属を生む。ただし土の粘りによってどれほど汚れているかに応じ、金属は互いに大きく異なる。金銀を生む単純で生きた硫黄は、最も純粋な土的乾燥から生じた熱く乾いた蒸気にほかならない。そこではあらゆる点で火が優勢であり、これはメルクリウスとともに金属の元素と呼ばれる、など。硫黄については上で明らかにした。

アトラメントゥム類はいかなるものか
硫黄は二種ある
単純な硫黄は太陽を生む

下位の鉱物を人為的に金属にすることは不可能である

注 見出しは minora metalla「下位の金属」と印刷するが、直後の本文の minora mineralia と同じ対象を指す。

前章では、下位の鉱物を人為的に金属にすることは不可能と定めた。したがってここでは、その証明が残る。第一にはこうである。下位の鉱物は、金属の第一の……〔次頁へ〕

注 metallorum は次頁冒頭までを結合。

〔前頁から続く〕質料、すなわちメルクリウスから生じていない。それらの生成は、メルクリウスの生成と、形・本性・組成において根本から異なるからである。ゆえに金属にもなれない。一つの種に属するものは、それを生む第一質料と種も一つだからである。前提の第一部分、下位の鉱物はメルクリウスから生じないことは明らかである。メルクリウスは常に金属の第一質料にとどまり、異質な硫黄がそうなのではないからである。
そこでアリストテレスとアヴィセンナはいう。それらが金属になるには、まず金属の第一質料に移らなければならない。しかしこれは人為的にはできないので、そこから金属を作ることはできない。こうして前提の第一部分は十分明らかになった。第二も同じ結論を示す。下位の鉱物は人為的に金属の原理、すなわちメルクリウスになれないので、中間と終点である金属とティンクトゥラにも至らない。これは、人間の養分がまず精液へ変わらなければ、生殖によって人間になれないのと同じである。それが同類に加えられて初めて、新しい人間が生まれる。しかし下位の鉱物は、ある鉱物的な力を共有するとはいえ、金属に対して異質な本性であり、力は弱く、焼けやすい。それゆえ金属の本性はそれを喜ばず、拒み、自分と同じ本性のものを保つ。たとえば水を土に混ぜても互いに分かれる。土は重く乾いているため底を求め、水は表面を求める。〔次頁へ〕

自然は鉱物の霊を喜ばない

〔前頁から続く〕これらの反対の本性が、一つの本性として結ばれ留まるよう、人為的に結合することは決してできない。水は確かに土を洗い清められる。しかし土が水で濡れても、その乾きが人為的に水の湿りへ変わると思ってはならない。同様に下位の鉱物を金属と結合し、浄化し、ある程度新しい形を与えることはできるが、金属とともに永続し、未熟なものを成熟させることを自然は許さない。それゆえ愚者は、人を欺くさまざまな仕事や偽術を持ち込み、釣り合わない物、質料を与えも受け取りもしない物を用いる。すなわち胎盤、動物の眼、卵の殻、髪、赤毛の人間の血、虫、草、根、人糞である。多くの愚者がこれらの植物的・感覚的な物で働き、今も働いている。しかしそこには真実を何も見出さず、ある卑しいものだけを見出した。私たちは無知な者が欺きを避けられるよう、これらを示す。彼らは後で述べる物から、長い時間をかけ、人工の水銀と呼ぶもの、油、水を抽出した。それらを四元素、すなわち水・空気・土・火と呼び、またサル・アルモニアク、砒素、硫黄、雄黄と呼んだ。そんなものは市場でより良いものを買えば、もっと早く済んだはずである。また彼らは探した、〔次頁へ〕

愚者たちの欺き

〔前頁から続く〕乾いて湿りを欠き、燃えて腐る、植物的・感覚的な物の中に。それらが持っていないティンクトゥラを、そこに求めたのである。彼らは明白な損害を受けた。その対象は、人の髪、脳、人の唾液、女の乳、人の血、尿、人糞、胎児、月経血、精液、死者の骨、鶏卵、さらにはあらゆる動物、獣、魚、鳥、虫、蠍、蟇、天然または人工のバジリスク〔これには最大の欺きがある〕、亀、ある種の草の汁、木の花であった。とりわけ月の草と、毒と呼ばれる太陽の草、さらに金属に合わせて自分勝手な名を作ったあらゆるものである。彼らは自分と他人を欺き、最悪の物から最良の物を作り、それらで自然の欠陥を埋めようとする。しかしその中の力を真に思い描くことも調べることもなく、糞を播いて小麦を刈ろうとする。これは経験上不可能に見える。それゆえ、人は播いたものを刈ると言われる。糞を播けば、糞を刈るのである。したがって、このような者が千人に一人、あるいは誰一人完成しないのは驚くことではない。金銀を播け。おまえの労働と自然の仲介によって、千倍の実りをもたらす。それだけがおまえの求めるものを持ち、〔次頁へ〕

欺き

翼ある太陽の顔が棺の上に現れる。
照明ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0底本の図版

〔前頁から続く〕世の他の何ものも持たないからである。他のものはすべて臭く、持続する火の試験によってその本性が屈する。また、下位の鉱物、すなわち四つの霊、普通の硫黄、砒素、雄黄、サル・アルモニアクに取り組み、そこからティンクトゥラを完成しようとする錬金術者もいる。しかしそれはできない。ティンクトゥラの定義から明らかである。染めるとは、染められるものを自らの本性へ変え、その後は変化せず自らとともに留まらせることだからである。一つの本性が他の本性に、火に抗して戦うことを教える。染めるものと染められるものの本性は調和するからである。たとえば金または銀で鉛、錫、その他同類のものを染めれば、本性が調和する。両側がメルクリウスに由来するからである。成熟したものが未熟なものと結ばれ、その道で未熟なものを自らとともに完成させる。しかしこの四つの霊は、すでに十分述べたように、金属とは別の本性である。ゆえにそれらが染めるとすれば、変えるのか、変えられるのかを問う。変えられるなら、定義からしてティンクトゥラではない。変えるなら、染めることによって自分の本性、すなわち金属に異質な土の本性へ変える。したがって染めて金属を作ることはできない。染めることで自らの本性へ変えることは、生むものが皆自分に似たものを生むことによって証明される。しかし、この四つの霊の、生むティンクトゥラは土的なので……〔次頁へ〕

ティンクトゥラの定義
四つの霊の本性

〔前頁から続く〕自らに似た、同じく土的なものを生む。それゆえ、このティンクトゥラも、本性の固有性に見出されない他のすべてのティンクトゥラも、異質な他の道とともに捨てよ。そこには物資の消耗、時間と労力の浪費しかないからである。下位の鉱物やその類で処理されたものはすべて、金属の見かけにすぎず、本当に存在する金属ではない。

注 頁頭 rea は前頁 ter- と続いて terrea。

照明

ここで太陽は再びすっかり沈み、
哲学者たちのメルクリウスの中に溺れた。

ライムンドゥス。私たちのこの石は、すでに自然にティンクトゥラを含む。マグネシアの身体に完全に造られているからである。しかし術と操作によって完成されなければ、自ら動くことはない。ゲベルは根源の操作においていう。作業が行われるのは、金の中の金のティンクトゥラを、その本性にある以上に良くし、さらに賢者たちの寓意に従って組成されたエリクシルを作るためである、など。しかし、必要なのは金だけで、他の物体は不要なのだろうか。ヘルメスの言葉を聞け。その父、すなわち最初の組成の父は太陽、その母は月である。父は熱く乾き、ティンクトゥラを生む。母は冷たく湿り、生まれたものを養う。それゆえ、石にその片方しかなければ、薬は決して容易に流れず、ティンクトゥラを与えない。与えたとしても、他方がある程度にしか染めず、メルクリウスは煙となって飛び去る。そこにティンクトゥラの受け容れがないからである。しかし、私たちの最終の秘密は、メルクリウスが逃げるより先に流れる薬を持つことである。したがってこの二つの結合は、私たちの作業に必須である。ゲベルは完全な奥義においていう。金属の最も貴いものは金である。それは霊を不完全な身体と結びつける魂だからである。人間の身体が魂なしには死んで動かないように、不浄な物体も、その魂である発酵素なしには、土的で……〔次頁へ〕

二つの物体の必要性
太陽・月
見よ、石の中の三つを

〔前頁から続く〕そして植物的なものである。それはあらゆる物体を変える赤いティンクトゥラであり、全塊を自らの本性へ転じる発酵素である。太陽と月が他の惑星を支配するように、この二つの物体は他の金属の物体を支配し、それらはこの二つの本性に一致するように転じる。それゆえ発酵素と呼ばれる。それなしには芽生えは改良されないからである。少量の発酵素が塊全体を変質させる、すなわち変成し膨らませるように、私たちの石にも同じことが起こる。そこでヘルメスはいう。
子よ、光線からその影を取り出せ。それゆえその四分の一を取れ。すなわち発酵素を一部、不完全な物体を三部取るのである。発酵素をそれと等量のメルクリウスの水に溶かし、ごく弱い火で一緒に煮て、その発酵素を凝結させ、不完全な物体のようにせよ。そして器の口を閉じ、すでに述べたのと同じ方法と順序によって、すべての点で調製される。アリストテレスはいう。石として、王たちが王冠に用いて敬われるもの、医師たちが患者を治すために用いるものを選べ。それは火に近いからである。
子よ、最も単純で丸い物体から取れ。三角や四角から取らず、丸いものから取れ。丸いものは三角よりも単純さに近いからである。したがって、角のない単純な物体に注意せよ。〔次頁へ〕

発酵素の重量

〔前頁から続く〕それは、星々における太陽のように、惑星の中の最初にして最後のものだからである。天空の天文学において、太陽がすべての惑星の主であり、すべての惑星がその光を必要とすることを見る。太陽は上へは土星まで、下へは月まで光を与え、上なるものも下なるものもすべてを見渡すからである。アリストテレスはいう。子よ、より脂の多い肉から取らなければならない。子よ、どの種も自らの芽生えに対応すると知れ。汝が播くものを、汝は刈り取るからである。

この術で完成される個別的なものとは何か

この言葉が届くすべての読者に、一般的に明らかにする。術全体の系列には、哲学者と自然に従って個別的に完成されるものは二つしかない。第一の個別的なものは、白についても赤についてもメルクリウスにあり、完全な薬を施さずに成る。ただしそれを完成させる物体は、自然が要求するとおり、そのティンクトゥラを自らの中に隠して持っている。二種のものの双方に関して、個別的にはまずこのことがある。メルクリウスは、すべての金属の第一質料、すなわち極めて硫黄性の白い土と清い水から組成される。そのため土の白さが水の清澄さを透かして見え、その色は最も白い。〔次頁へ〕

注 albissimus は次頁冒頭の分割語尾までを結合。

〔前頁から続く〕経験が教えるとおりである。その中に善く成熟した清い硫黄を含むなら、それから個別的に太陽と月ができる。
哲学者はいう。術によってこれを他の金属的物体と混ぜよ。それはそれらと同じ本性を持ち、それらはそれから生じたからである。それゆえ術によって可能であり、熟成した本性をそこに模倣させ、それらとともに完成させよ。こうして結びつく金属に似たものとなり、異質なものを何も混ぜる必要がない。自然は単純に自らの本性を喜び、異質なものを喜ばないからである。太陽とともには太陽、月とともには月、ウェヌスとともにはウェヌスとなる、など。各々がその力をそこへ送り込むからであり、またそれ自身が善いが未熟な硫黄を含み、その硫黄が術によって成熟するからである。したがって、燃えやすい硫黄によって凝結し汚された他の金属は、これと同じように個別的に太陽と月になることはできない。
第一の理由。もしそれらをメルクリウスに変え、太陽と月と混ぜても、そのメルクリウスは以前持っていた悪い硫黄をなお含むからである。
また浄化しても、以前のような単純さのメルクリウスへ戻せるほどには浄化できない。そのメルクリウスによって物体をその中へ溶かすこともできず、溶かせなければ、閉じ込められた力をそこへ送り込むこともできない。

注 頁頭 mus は前頁 albissimus の語尾として前頁に結合。

不完全な物体の浄化は何も役立たない

しかし両側の本性が閉じられているため、試験では各々が他から分離する。その中には、溶解によって完成へ近づけるような、隠れた完全な本性がないからである。むしろ常に、術を介して他の完全な物体が、自然に完全なその本性によって助ける必要がある。第二に、溶かさずに完全な物体へ加えるなら、金銀を作ることはいっそう難しい。凝結によって両側の本性が自然に閉じられているからである。その本性を開いて一方の力を他方へ送り込む媒介がなければ、両者は自然な結合で結ばれず、双方の起源であるメルクリウスへ戻れない。それゆえ、明らかに見られるように、不完全な本性の燃焼によって、火の激しさのうちに互いから分かれる。結合しようとするなら、閉じた本性を溶かし開くメルクリウスによって、メルクリウスを作れ。そうすれば一つは単純に他へ移り、完全なものが不完全なものへ力を送り、それを自らとともに完成させられる。これが個別的な道の労働であり、このように個別的に金銀は作られる。注意せよ。未熟なメルクリウスは物体を溶解し、その第一質料または本性へ戻すが、物体のメルクリウスにはそれができない。この働きは、それが最初の……〔次頁へ〕

〔前頁から続く〕白い土の中で持っていた硫黄の未熟さによる。それは初めにその土と清い水とから作られた。この未熟なものは、自らの本性に最も近いもの、第一に金、第二に銀などを、常に腐食しようとするからである。しかし物体から凝結したもう一方のメルクリウスは、それができない。凝結によって、それ以前にあった未熟な硫黄の本性が変化したからである。そのため初めのもののようには腐食せず、閉ざされたものを開かない。それゆえ一つの力は他へ送られず、各々は別々に留まる。流動的には結ばれていても、本性では両側とも閉じられているので、火の試験と苛烈さによって不完全なものは焼け、完全なものは残る。一つの本性が他を助けられないからである。しかし未熟な水銀をもってすれば、本性の閂を外して開き、近縁のものが各々その本性を助けることができる。したがって銀を溶かせば銀の本性を、金なら金の、鉛なら鉛の本性を見出す、など。それらの硫黄によって凝結する。そこで哲学者はいう。もし、汝が多くの臭く不潔なものに求めるのと同じように、自らの本性を共有するこれらの物体を〔求めるなら〕。したがってそれからは両方について個別的に金銀を作れるが、すでに聞いたように、他の物体ではできない。注意せよ。物体の溶解には二つある。メルクリウスによってメルクリウスにすることと、メルクリウスの水にすることである。第一の溶解は個別的作業のために必要であり、第二は……〔次頁へ〕

注 哲学者の引用は原文で条件節が不完結。第二 Secunda は改頁語尾を結合。

〔前頁から続く〕普遍的作業のためである。第一の、物体をメルクリウスにする溶解は、単なる解離にすぎない。つまり一方の本性が他方へ浸入するために、解離だけによって閉ざされたものが開くことであり、この解離は個別的作業に属する。第二の溶解はメルクリウスの水への溶解で、普遍的に行われる。それは未熟な硫黄をメルクリウスの中で溶かすだけではなく、身体と霊を湿りの中で腐敗させることによって行われる。腐敗は、互いに結ばれたあらゆる本性の溶解と分離であり、結ばれた部分が互いに、各部分が他の部分から分かれるからである。これは、メルクリウスの生成の際に結ばれた元素、すなわち水と土を分離し溶解することによって行う。同じ部分がその本性において清められると、転換を通じて結ばれ、浄化によって、以前自然にあったときよりも互いを愛する。この分離は、物体の中では霊によるのでなければできない。こうして術は一つの道において自然を超える。自然では以前長時間かかったことも、人工的なものでは速やかに行われうる。これらが普通の元素、たとえば雲の水やそれに似たものだと思うな。冷たく乾いたものが土、冷たく湿ったものが水、湿って熱いものが空気、熱く乾いたものが火である。このように元素の本性にある。しかし術は、生成の際に結ばれた部分を、かつての元素そのものへ……〔次頁へ〕

哲学的元素
元素の分割はいかなるものか

翼を持つ二頭一体の身体が棺に横たわる。
栄養ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0底本の図版

〔前頁から続く〕そのまま転じさせるほどには分離できない。最初の自然が一つの性質を他の性質へ変えたからである。術は湿りを乾きから、冷たさを熱さから、このように分けることはできる。しかし自然な混合によって、一つの性質はなお他の本性をある程度持っている。そのため、分けたものを術によって逆に再び結合できるのである。もし一つの性質が他の本性に参与しないなら、すなわち水が冷たさにおいて土の本性を、空気が湿りにおいて水の本性を共有する等のことがなければ、自然の仕事は完全に壊されたことになる。元素は、メルクリウスの生成以前のように最も単純なものとなり、術は頭から、すなわち金銀から始め、原理たる水銀まで、さらにその先の、メルクリウス生成以前にあった単純な元素の原理まで、自然を破壊したことになるからである。そこまで遠く進むことは術には不可能である。もし可能なら、術は金属の第一質料の外で新たに元素を組み立て、メルクリウスを壊したように逆に生み出せることになるが、これは人為的には不可能である。確かに術は頭から足、すなわちメルクリウスまで壊し、足から頭へ、より微細な形で組み上げる。術は以前からあった自然の実体を認めるのである。このように事物の種は、以前とは別の形に変成されるとき、分けられる。

注 ars destruitur は印刷どおりだが、文意に従って能動的に訳した。

第一質料について
術の可能性

アリストテレスはいう。錬金術の術者は、事物の種を変成することはできないと知るべきである。これは、第一質料、すなわち水銀へ還元または転換されないかぎり、真である。彼はこれより先を勧めない。他の仕方で行うことは不可能である、など。

養分

ここで太陽は黒くなった、
哲学者たちのメルクリウスとともに、樹脂のように。

第二の個別的なものは、太陽、メルクリウス、および哲学者たちの硫黄にある

すでに、金が赤い硫黄を含むように月は白い硫黄を含むと述べた。しかしその中の火の姿は白さの下に覆われている。そのためすべての銀は金になりうる。そこで哲学者は、以前に銀でなかったものは金ではないという。銀には未熟な性質がいくつか含まれ、それらは術で除くことができる。こうして個別的に固定したメルクリウスへ、また金に最も近い本性へ移る。そのとき金の持つものをすべて含むからである。哲学者たちの赤い硫黄を加えるとさらに熟成し、完全な物体と結合することで黄化が起こる。それらは単純に一つの本性だからである。しかし他の物体ではこれは不可能である。銀ほど完全な本性に近くないからだ。生成の際、燃えやすく臭い硫黄によってそれが妨げられたのである。またそれらは、哲学者が語るメルクリウスではない。極端から極端へは、中間を通らなければ移れない。すなわちメルクリウスから金は、まず銀にならなければ生じない。またそれらは、燃やさない単純な火の硫黄ではなく、焼損させる硫黄を持つ。それゆえ個別的に固定したメルクリウスへ変成できない。上でアリストテレスの「術者は知れ」という言葉で述べたとおりである。しかし似たものを作り、染めることはできる。〔次頁へ〕

注 末尾 tingere は次頁冒頭の語尾までを結合。

月のメルクリウス

〔前頁から続く〕赤い黄色によって金のように見せ、白いものを白で染めて銀に非常に似せることができる。また鉛や他の病んだ物体の汚れを取り去り、金銀のように見せることもできる。しかし鉛は常に鉛のままである。すでに述べたように、金銀の熟成した性質を持たないからである。たとえば人を欺くために塩化アンモニウム〔サル・アルモニアク〕や他の下位の鉱物を取り、銅や錫をメルクリウスと結合して、人々に銀のように見せる者たちがいる。火に熟達した者の判断でも、ある程度加工でき、火で試験できるように見える。しかしその判断者も欺かれている。色や試験に現れるような真の銀の本性を、その中に持たないからである。
第一の理由は次のとおり。銅は、その外面が硫黄による部分を除けば、ある程度清浄なメルクリウスを含む。しかし臭く燃えやすい硫黄がそれを焼き、その赤さは十分に熟成したものではなく、赤く不潔な硫黄による。メルクリウスの実体が硫黄に優勢なので、鉛や錫よりも火の中で失われるのが遅い。混じった硫黄から強制を受ける分を除き、メルクリウスが抵抗するからである。しかし鉛がより速く燃えるのは、汚れたメルクリウスのためである。鉛のように、汚れたメルクリウスが汚れた硫黄とともにあると……〔次頁へ〕

注 sal armoniacus の慣用訳を示すが、この錬金術的用例の内容物を現代の純粋な化学物質と同定するものではない。

欺き

〔前頁から続く〕自らの不完全さに近いものを求める。銀と銅が混じっていると、銀の中には汚れたものを見出さないが、銅の中にはまず焼損させる硫黄を見出し、そこへいっそう速く混ざる。全体が混ざる中でメルクリウスは銅によっていっそう汚される。鉛は、メルクリウスと硫黄という両方の側で汚れているからである。また、より悪いものは悪いものへいっそう速く付着し、それだけ弱く悪くなる。そのため銅または銀にいっそう速く付着し、それを汚し焼く。すでに聞いたように、銅と銀の本性は両側で閉じられているので、より悪いものを助けられない。こうして鉛は銅を焼いて銀から除く。鉛がなければその分離は遅い。不完全であればあるほど弱く、燃えやすいからである。しかし銅とメルクリウスとの結合では、ただちに本性をある程度開き、この二つ、すなわち錫と銅を結び合わせ、両方の側のある程度清浄なメルクリウスを結合する。錫には清浄なメルクリウスと悪い硫黄が弱く混じっているので、メルクリウスがメルクリウスに結ばれるのである。そしてメルクリウスは常に硫黄に対する力を持ち、硫黄の中にある銅の色を変えて、新たな形を現れさせる。また硫黄は、それ以前のメルクリウスに対するようには速く燃やせなくなる。未熟なメルクリウスがそれによって凝結すると、それらとともに本性を変え、ある程度銀のように見える。〔次頁へ〕

注 non invenit quam rem infectam は原文が不整。銀と銅の対比に沿って訳した。

錫

棺の上に、雲へ昇る魂の人物。
固定ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0底本の図版

〔前頁から続く〕しかし実際には銀ではない。そこには適切な熟成と煮沸がなく、火の硫黄も、水銀そのもののような単純で力のある本性を持たないからである。これに対して金と銀は、メルクリウスと硫黄という両方の側で十分に熟成され、よく成熟し、あらゆる熟成において完全である。こうして銅、錫、メルクリウスから偽の銀を得る。そのとき下位の鉱物の粉をいくつか混ぜれば、メルクリウスがその力を超えて作用することも不可能ではない。しかしそれは依然として不完全なので、結局は火の中で減り、燃える。硫黄がメルクリウスのように力のある本性を持たず、常に密かに害を帯びてメルクリウスを汚すからである。たとえメルクリウスが十分に与えられていても、後には以前のように糞へ戻る。それゆえ真の金銀が偽のものとどう違うかを理解せよ。同様の仕方で、他の金属に下位の鉱物またはその一部を加え、赤と白の偽造が多く行われるとはいえ、良い見かけを見出したと思う作業者たちは欺かれている。その原因は無知であり、金属の本性を知らないからである、など。

力あるメルクリウス
偽造のもの

固定

ここで月の命は、すっかり終わりを迎える。
霊はすみやかに、高みへ昇る。

ライムンドゥスはいう。今から、ティンクトゥラ、すなわちその中にティンクトゥラを運ぶ空気の固定を述べよう、など。それは焼成によって生じるが、その方法については今は措く。哲学者リリウスはいう。最後に、王冠を戴き、太陽のように輝き、紅玉のように明るい王が、おまえの前に現れる。外へは蝋のように流れ、火の中では耐え、水銀に浸透してそれを保持する。アルノルドゥスはいう。赤い色は熟成の完成から生じる。人の血も、まず肝臓で十分に煮られなければ生じない。同様に、朝、尿が白いのを見れば、睡眠が少なかったと知り、寝床へ戻る。眠りを取れば消化が完成し、尿は黄色くなる。このように、煮沸だけで白さは赤さへ至りうる。火をこのように持続させ、私たちの白い銅をよく煮れば、最もよく赤くなる。したがって乾いた火と乾いた焼成によって、辰砂のように赤くなるまで煮よ。それ以後、完全な赤に煮上がるまでは、水も他のものも決して加えてはならない。

固定
例
白さはどこから来るか
赤い石

融解と浸入、さらに固定を同時に何がもたらすか

ゲベルは第二書第五章でいう。私たちはいう。あらゆる溶解の完成は、微細で、とりわけ鋭く刺激的で渋みがあり、滓をまったく持たない水によってもたらされる。たとえば蒸留した酢、酸い葡萄、強い酸味の梨、同様に蒸留した石榴、またそれらに似たものである。この方法の発見の理由は、融解も浸入もしないもの、すなわち固定された霊とその類のものを微細化することにあった。それらから得られる大きな利益が失われていたからである。溶けるものはすべて、塩、明礬、あるいはそれらに似たものの本性を持たなければならない。その本性は、ガラス化する前に融解することである。したがって溶解した霊も同じような融解を示す。その本性によって物体と、また互い同士とも大いに適合するので、融解を得ればそれによって物体へ浸透し、浸透して変成させるはずである。しかし奥義なしにはここへ至らない。すなわち、その溶解と凝結の後、精製されているが固定していない霊を施し、それがともに残り、より速い融解を与えるまで、何度もそこから昇華させる。そしてそれを、融解の際に……〔次頁へ〕

融解の卓越性
霊の本性は何をもたらすか

〔前頁から続く〕ガラス化から守る。霊と物体の本性はガラス化しないことであり、その中に霊がいるかぎり、混合物をガラス化から守ることだからである。ゆえに霊の本性をより多く保つものほど、ガラス化からよく守る。ただ精製されただけの霊は、精製され、固定され、焼成され、溶解されたものより、その本性を多く保つ。したがって前者を混ぜなければならない。そこにはよい融解、浸入、永続する固定が生じる。自然の働きから、塩、明礬、それらに似たものの本性を保つものだけが溶解しうると証明できる。自然のすべての働きを考察しても、それら以外に溶けるものを見出さないからである。したがって溶けるものは何であれ、焼成と溶解の反復によって、それらの本性を通じて溶けるのでなければならない。これにより、すべての焼成物が塩や明礬の本性に近づくと証明されるので、その性質も互いに伴わなければならない。溶解の方法は二つ、温かい糞によるものと、沸騰する水によるもので、意図も効果も一つである。糞による方法では、焼成物をガラス瓶に入れ、その二倍の量の蒸留酢または類似物を注ぎ、気が漏れぬよう口を塞ぎ、ぬるい糞の下に三日置く。その後、濾過の滴下によって溶けたものを取り除き、溶けないものを再び焼成し、その焼成の後……〔次頁へ〕

塩の本性
溶解の二つの方法

〔前頁から続く〕同様に再び溶かし、その作業を繰り返して全体が溶けるまで続ける。水の沸騰による方法はより速い。焼成物を酢とともに同じように瓶へ入れ、気が漏れぬよう穴を塞ぐ。それを水と藁で満たした釜の中に埋める。水による蒸留法で順を追って教えたとおりである。その後下に火をつけ、一時間沸騰させる。次いで溶けたものを滴下して別に保存する、など、以上と同様である。浸入をもたらす火を介した融解は、完成の最後のものである。ゲベルが第七書第十七章でいうように、溶けたすべてのものは、固く閉じた器の中で、火だけの助けによって凝結する。この秘密を私から受け取れ。適切な加熱で流れ、火の試験に耐えるものこそ、完全に凝結したものである。そうでなければ作業を繰り返せ。神の助けによって、反復の末に目的へ至るであろう。ライムンドゥスはいう。私たちの幼子には二人の父と二人の母がいる。全実体から火の中で大切に養われるため、決して死なない。蝋状化とは、火を介して土の上に湿りを戻すことである。焼成によって湿りを失って乾いた土が柔らかくなり、流動性を取り戻し、その結果浸入するようにする。これは、俗人が火で融かす普通の液化によってではなく……〔次頁へ〕

器の密閉
蝋状化

〔前頁から続く〕水によって行う哲学的な液化による。固定とは、物体が染める霊を受け取り、その揮発性を取り去ることである。永続する灰となり、全体が火の中に残るまで、頻繁な反復によって行う。

メルクリウスから個々の金属がどのように生じるか

融けうるすべてのものの本性と実体は、水銀から成る。水銀には、燃やさない白または赤の硫黄の蒸気ないし熱によって凝結するという固有性があるからである。そこでアリストテレスは『気象論』第四書でいう。硫黄が白く、燃やさないなら、メルクリウスを良い銀に凝結させる。硫黄が純粋で、明るい赤さを持ち、単純にして燃やさない火性の力があるなら、鉱床が産出したものより良い、最も純粋な金に凝結させる。あらゆる乾いたものは、自らの諸部分を連続させるため、自然に自らの湿りを飲むからである。したがって水銀を凝結させる硫黄の蒸気は、微細で空気的な土の実体から成り、最初の混合から熱の作用によって結ばれ、煮られてはいるが未熟である。その後、上昇し、煮られ、熟成し、水銀を金属的物体へ凝結させる硫黄の力を得る。金は硫黄の力を多く持ち、〔次頁へ〕

注 coagulandus は文意上 coagulans 相当として訳す。decocta & indigesta の一見相反する語は保持。

メルクリウスの凝結

〔前頁から続く〕その実体は少なく、メルクリウスの実体は多く、その力は少ない。それゆえメルクリウスによって極めて重く、硫黄の力によって甚だ赤い。銀はすべてにおいて逆である。硫黄の実体を多く、その力を少なく、メルクリウスの実体を少なく、その力を多く持つので、白い。色は力の多さに従い、力は蒸気の中に置かれているからである。その質料は、他のどの金属よりも金の質料に近いため、容易に金へ変わる。色を変え、重さを与える以外の労働を必要としない。

染色に関する油と水の相違。アルノルドゥス。

水と油の染める働きには相違がある。水はただ洗い清めるが、油は染め、色を与える。その例として、布を水に浸せば水によって清められるが、乾くと水は去り、布は前と同じ状態、同じ色のままで、ただいっそう清潔になっている。油では逆である。布を油に浸すと、火や空気の熱では、布をまったく破壊しないかぎり、油は布から離れない。〔次頁へ〕

水は色をつけない

〔前頁から続く〕また、洗浄と火による乾燥なしに、その布から油を分離することはできない。水はこの魂を物体から取り出す霊である。魂が物体から取り出されると、染物師の染料が水によって布へ運ばれるように、その霊の中に運ばれて留まる。その後、水は乾燥によって去り、染料はその油性ゆえに布へ固定されて残る。したがって水は、空気のティンクトゥラを運ぶ霊である。それが白い葉状の土の上へ戻されると、霊的な水はただちに乾き、身体には魂、すなわち空気のティンクトゥラが残る。それゆえ霊は魂を保持し、魂は身体を保持する。魂は霊を介さずに身体の中へ留まれないからである。しかし結ばれると決して離れない。霊が魂を保持し、魂が土を保持するからである。それゆえヘルメスは、石の中の魂を尊べと命じる。それらの住まいは石の中にあり、ともにある逃れゆくものを引き留める。これが私たちの凝結である。逃れるものを留めるからである。ゆえに白い葉状の土の中に魂を播け。土が魂を保持するからである。それは地から天へ昇り、再び地へ降りるとき、下なるものと上なるものの力を受け取る、など。

魂の抽出

蝋状化、すなわち水を土の上へ戻す方法について。アルノルドゥス。

まず水を、擦り砕きながら何回かに分けて注ぎ、その後穏やかに焼成せよ。土が自分の水を、自身の五十分の一だけ飲むまで行う。幼児を育てるときに見られるように、土は初め少量の水で養われ、その後より多くの水で養われなければならないと知れ。だから水を少しずつ吸わせながら土をよく擦り砕き、八日ごとに糞の中で煮よ。埋め置くことによって焼損が取り除かれ、物はその第一質料に戻されるからである。その後、火でほどよく焼成し、これを何度も繰り返すことを厭うな。しばしば水を与えなければ、土は実を結ばないからである。また、水が土と一つの物体になるまで十分に粉砕しなければ、何も進まない。ゆえに粉砕の苦労から、あるいは粉砕と焙焼から手を止めるな。それは土を白くするからである。ただし長い粉砕を伴い、少しずつでなければ、土に液を吸わせないように注意せよ。土が乾いた後に補え。そしてこの作業では至るところ重量に注意しなければならない。過度の乾燥や余分な湿りが、操作によって物を損なわぬためである。すなわち、溶解によって加わっただけを焙焼によって煮去り……〔次頁へ〕

蝋状化
給餌

注 Inceratio の傍注は上下逆に印刷されている。

〔前頁から続く〕焙焼で失われた分だけを、吸液によって溶かせ。したがって土を焼成した後には毎回、水をほどよく注げ。多すぎも少なすぎもせぬように。多すぎれば混乱の海となり、少なすぎれば燃えて灰となる。それゆえ八日ごとに、穏やかに、急がずに土へ水を与え、糞の中で煮て、土が自身の五十分の一の水を飲むまで焼成せよ。また、液を吸わせた後には七日間埋め置くべきことを知れ。
長い仕事であっても、何度も繰り返せ。完成するまでティンクトゥラも有益な進歩も見られないからである。ゆえにどの作業にあるときも、それぞれの煮沸で現れるすべての徴を心に記憶し、その原因を探るよう努めよ。
色は三つ、黒、白、黄である。土が出てくるとき、黒化は不完全であり、また完成した黒化がある。
それゆえ毎回、焼成の火を少しずつ強め、火の力によって土が白く現れるまで続けよ。熱は湿ったものに作用すると黒さを与えるが、乾いたものに作用すると白さを与えるからである。したがって土が白くなければ、水とともに擦り砕き、その後ふたたび焼成せよ。アゾートと火はラトンを洗い、その暗さを取り去るからである。調製は……〔次頁へ〕

注 三色に続く nigredo の一文は原文が不整であり、推測補正をせず訳した。

埋置
白化
焼成

〔前頁から続く〕常に水とともに行われる。ゆえに水が清澄であるとおりに、土も清澄となる。土は多く洗われるほど、いっそう白くなる。したがって強い粉砕と頻繁な焙焼を伴う吸液を何度も繰り返すことで、メルクリウスの水性の大部分が取り除かれる。すなわち水性であり、その残りも同じく昇華の反復によって除かれる。以上はアルノルドゥスの『ロサリウス』から、一語一語そのまま引いた。

昇華と白化の方法について、および奥義全体の再説

土が自身の五十分の一の水を飲み尽くしたなら、できるだけ強い火で速やかに昇華させ、最も白い粉のように上へ昇るまで続けよ。
土が雪のように真っ白で、死んだ粉のようになり、アルデル器の縁と側面に付着するのを見たなら、下に残る滓を除いて、それについて昇華を繰り返せ。その固定部分が付着しており、滓とともに固定してしまうと、どんな工夫によってもそこから分離できなくなるからである。
滓から上へ昇る粉は、灰と土から取り出された灰、昇華されて高められたものなのである。〔次頁へ〕

〔前頁から続く〕しかし下に残るものは灰の灰、下方の卑しめられ、退けられた灰、滓、鉱滓である。ゆえにその明るく清澄な部分を区別せよ。雪のように真っ白になって昇るとき、完成するからである。煙となって飛び去らぬよう、注意して集めよ。それこそ求めていた善きもの、白い葉状の土、凝結すべきものを凝結させるもの、砒素を清めるもの、白い硫黄である。アリストテレスはこれについて、錬金術者が銀を作るために受け取りうる最良のものだという。土を偽術者の仕事のために昇華してはならず、私たちの完全なエリクシルのために昇華しなければならない。昇華するものは二通りに昇華する。一つは霊であるため自ら昇華し、もう一つは霊と一体化するため他のものとともに昇華する。メルクリウスは霊なので自ら昇華するが、私たちの土は焼灰なので、メルクリウスと一体化するのでなければ昇華しない。ゆえに焼灰を転じ、メルクリウスを吸わせ、一つの物体となるまで煮よ。これを何度も繰り返すことを厭うな。物体はメルクリウスと一体化しなければ上に昇らないからである。そのため、できるだけその本性を微細化し、メルクリウスとともに、一つになるまで強く搗き砕かねばならない。私たちが昇華するのは、物体を微細な質料に還元し、すなわち霊にし、物体を扱いやすくするためにほかならない。〔次頁へ〕

三枚の葉
吸液

棺の身体に、雲から水滴が降る。
増殖ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0底本の図版

〔前頁から続く〕あらゆるもの、太陽にも月にも〔転じるように扱いやすくするためである〕。この昇華は、物体をその第一質料、すなわちメルクリウスと硫黄へ戻すために行う。したがって三つの理由から昇華を行う。第一は、物体を微細な質料と本性からなる霊にするため。第二は、メルクリウスを焼灰と十分に一体化するため。第三は、全体に白または赤の色を帯びさせるためである。それゆえ月を得るために昇華するとき、焼灰は白く、メルクリウスも白くなければならない。太陽を得るために昇華するとき、焼灰は赤く、メルクリウスも同じく火で熱せられて赤くなければならず、それは蝋状化した粉でなければならない。白いものに赤いメルクリウスを、赤いものに白いメルクリウスを加えるな。それぞれの種を同じ種とともに置き、燃え立つ火にかけ、すべてを昇華せよ。下に残るものを上に昇るものと混ぜてはならない。底に残るものは、メルクリウスとの一体化によって再び昇華し、すべてが昇るまで続けよ。それ以外は奥義に入れるな。メルクリウスを昇華するアレンビックはガラス製にし、瓢形の容器は釉をかけた土器とせよ。その下器の口は、メルクリウスがより自由に昇れるよう広くせよ。アレンビックと瓢形容器は、メルクリウスが漏れ出たり蒸発したりできぬように接合し、奥義が失われないようにしなければならない、など。

増殖

ここで水は沈みゆき、
大地にその水をふたたび飲ませる。

ゲベル第三書、第七十九章

太陽の薬を調製するには、焼き損なわない硫黄を加えよ。それを固定し焼成する方法を、巧みな工夫をもって完全に施し、幾度もの溶解と多数の反復によって清らかになるまで続ける。これらには昇華によって完成する完全な処理がもたらされる。この添加の方法とは、石の固定していない部分の昇華を繰り返し、巧みに結合して、その部分とともに昇り、さらにそれとともに再び固定されて留まるようにすることである。この豊かな完成の順序を多く繰り返すほど、薬の豊かさはいっそう増し、その良さも増し、その完成の増大も極めて大きくなる。
また、私たちが不敬な者に非難されぬよう、この奥義の全完成を、短く、完全で明らかな言葉で述べる。
その意図は、昇華の方法によって石とその添加物を最も完全に清めることである。
次いで、巧みな方法によって、それらの揮発性のものを固定せよ。その後、固定したものを揮発性にせよ。〔次頁へ〕

作業の総括
添加物

そして再び、揮発性のものを固定せよ。この順序によって、世界のあらゆる学問の奥義にまさる最も貴い奥義、比類なき宝が完成する。汝は最大の根気をもって働き、長い、限りない熟考をもって、それへ向けて訓練せよ。それがあれば見出せるが、なければ見出せない。このような用心深い工夫で、薬の良き処理を反復することは、石の調製において可能であり、水銀を際限なく太陽を作るもの、真に月を作るものに変えるまで行える。それはただ、その増殖にのみかかっている。いまや、祝福され栄光ある高き自然の神を讃えよ。神は私たちに、あらゆる薬の系列を、その経験とともに明らかにしてくださった。私たちは良き探究と根気ある労働によってそれを求め、自らの奥義で探り当てたその完成を、眼で見て手で触れた。たとえ私たちがこれを覆い隠したとしても、学びの子は驚くな。汝に対して隠したのではなく、悪人と不正な者に対して隠したのである。愚者には必然的に隠れ、同時に賢者はその発見の探究へ誘われるような言葉で伝えた。それゆえ学びの子らよ、汝らだけのために保たれた、この最も優れた神の賜物を探せ。無知なる悪徳の子ら、限りない邪悪に満ちた悪意ある者どもよ、この知から逃げ去れ。それは汝らに敵対し、逆らい、汝らを……〔次頁へ〕

知は不正な者から隠される

〔前頁から続く〕貧窮の悲惨に陥れるであろう。この神の賜物は、神の摂理の裁きによって、汝らには完全に隠され、まったく拒まれているからである。以上はゲベル。同じ著者は第一書第二十六章でいう。私たちの学派に属し術を模倣した古人の考えに従って示すなら、自然の働きにおける主要な自然的原理は、臭い霊、すなわち硫黄と、生きた水である。この水を乾いた水と名づけることも認める。臭い霊は区分した。それは隠れた状態では白く、この作業の奥義においては赤と黒の双方であるが、現れた状態では双方とも赤に向かう。同じ著者は第二書第三十九章でいう。完成を助けるものを考察するとは、細工なしに物体へ付着し変化を起こすのが見られるものの本性を考察することである。たとえばマルゲシタ、マグネシア、トゥティア、アンチモン、ラピスラズリである。また、付着せずに物体を清めるもの、すなわち塩、明礬、硝、ホウ砂、およびそれと同じ本性を持つものを考察することであり、類似の本性によって浄化するガラス化を考察することである。

臭い霊
乾いた水
白と赤
物体に付着する

極めて鋭い酢の浄化。ゲベル『奥義の探究』による。

酢はどの種類であれ、また酸い汁であれ、微細化し精製される。その力、〔次頁へ〕

〔前頁から続く〕すなわち効能は、蒸留によって改善される。それらの浄化と精製についてはすでに十分に論じた。それらによって不完全な物体は調製され、精製され、改善され、微細化されうる。常に適切な火を仲介とする。それらによって火の目的に沿うよう、次の方法で調製し精製するのである。不完全な物体は余分な湿りと、焼けやすい硫黄性を持つ。それは混ぜられるものに黒さを生み、上述の物体を損なう。また不潔で滓の多い、燃えやすく、甚だ粗大な土性を持ち、浸入と融解を妨げる。これらおよびこれに類するものが、上述の物体の余分なものであり、私たちの確実で工夫ある経験と探究によって、その中に見出された。それらは物体に偶有的に加わり、根本的なものではないので、偶有物を取り去ることは可能である。したがって、人工の火を用いて上述のものを清め、余分な偶有物をすべて除き、水銀と根本的な硫黄の実体だけを残さなければならない。これが不完全なものの全き調製と完全な精製である。これら、あるいは残ったこの純粋な実体の改善、精製、微細化は、エリクシルが必要とするところに従って多くの方法で行われる。したがって調製および精製について……〔次頁へ〕

これが最初の石の調製である

〔前頁から続く〕一般的な方法は次のとおりである。まず適度な火によって、その実体の中にある余分で腐敗した湿りをすべて、また微細で焼損させる余剰物を、焼成によって上昇させて除く。その後、その焼灰の中に残る、余分な焼損性の湿りと黒さからなる腐敗した実体全体を、上述の浄化した鋭い、あるいは酸い腐食剤で腐食させねばならない。焼灰が白、赤、またはその物体の本性・固有性に応じた色となり、清浄で、すでに述べたすべての余剰物と腐敗から純化されるまで行う。これらはその腐食剤で、擦り砕き、液を吸わせ、洗うことによって浄化される。次に、不潔な土性と、燃えやすく粗大な汚れをすべて消し去り、取り除く。それには上述の清められた、または純粋な、金属的融解を持たない物を、前述の方法で精製した焼灰と混ぜ、十分に擦り砕く。それらは融解または焼灰の還元の際に、粗大で不潔な土性を自らの側にとどめ、物体は純粋で、腐敗させるあらゆる余剰物から浄められて残る。ここから全体を辿って、これらの純粋な実体を改善し微細化する一般的方法は次のようになる。まず、この浄められ還元された物体を、火と上述の浄化剤の助けで、再び焼成しなければならない。

焼成
浄化
分離
微細化の方法

その後、溶解力のあるものによって溶かす。この水は私たちの石であり、水銀からの水銀、硫黄からの硫黄、霊的な物体から取り出され微細化、すなわち希薄化されたものだからである。その同じ類から作られた他の調製物を用いて元素的な力を強め、色、固定、重量、純粋さ、融解、その他、完全なエリクシルに属するすべてを増すことで、これは改善できる。これが、私たちだけによって探り当てられた、鉱物的物体一般の調製、精製、微細化、改善の方法である。
エリクシルの増殖は二つの方法で行われる。一つは石の溶解と凝結の反復によって。第二は、最初の石であるエリクシルを白または赤の物体の上に、その物体自身も薬へ変わるだけの量、投射することによってである。その後、それらを一緒に、それ自身の水と溶媒の中へ溶解のために入れる。こうして最初のエリクシルが、そのティンクトゥラの発酵素となる。パンを焼く女たちも、このようにする。

物体

白いエリクシルの蝋状化について

次に、底に輝いて見出される水晶状の薄板から取り出し、まず擦り砕いて最後の蝋状化を施せ。弱い火にかけた坩堝の中で、すでに述べたその白い空気を一滴ずつその上に滴らせ、煙を出さず蝋のように融けるまで続ける。次に赤熱した板の上で試し、蝋のように極めて速く溶ければ蝋状化している。そうでなければ、その白い油を一滴ずつ加えて再び蝋状化し、煙を出さず蝋のように融けるまで続ける。これこそすべての哲学者の教えである。昇華した部分を固定したなら、土の最も純粋な部分において、その固定したものの上に、残りの固定していない部分の昇華を繰り返し、それも同じく固定するまで続けよ。その後火の上で試し、よい融解を示せば、十分に昇華を反復したのである。そうでなければ、煙を出さず蝋のように速く融けるまで、固定していない部分をその上へ何度も昇華させよ。そのとき取り出し、冷めるに任せる。今述べた章で、著者が蝋状化の方法を何度も繰り返す、その熱心な意図に注意せよ。一度繰り返すだけでも足りたかもしれない。しかし、倦まずに蝋状化を増し重ねることの必要性を、読者の理解へより強く、より堅固に刻み込むために、彼は……〔次頁へ〕

蝋状化
固定

〔前頁から続く〕それを幾度も繰り返すのである。エリクシルの力はすべて、そこにかかっているからだ、など。また蝋状化、固定、昇華は同じであり、同じ行為であることを考えよ。蝋状化によって霊が固定され、身体が昇華するからである。同じアルノルドゥスは前の章でいう。七度蒸留した水は別に保存せよ。それは溶解する哲学者たちのメルクリウスであり、婚姻を生じさせ、ラトンを洗う生命の水である。白い水に行ったように、赤い水にも行え。洗浄の方法は同じ一つで、効果も似ているからである。ただし白い水は白くするため、赤い水は赤くするためである。それゆえ両者を混ぜてはならない。そうでなければ誤るであろう。同じアルノルドゥスは別の章でいう。
融けにくいなら、それは蝋状化の不足からであるから、油、すなわち空気で助けよ。弱い火の上で一滴ずつ滴らせ、蝋のように融けるまで続ける。蝋状化するときは、冷たく乾いたものよりも、熱く湿ったものを多く混ぜる。固定するときは、熱く湿ったものよりも、冷たく乾いたものを多く混ぜる。ゆえに私のいうことを理解せよ。この作業の完成は、本性の交換にあるからである。以上から、水・空気・油は同じもの、すなわち鉱物的なメルクリウスの霊であると知れ、など。同じ著者は別の章でいう。互いに転じ合わせる主要な操作法は四つである。すなわち溶解、洗浄、還元、固定である。

注 末尾 figere は次頁冒頭の分割語尾を結合。

鉱物的なメルクリウス
生命の水
融解
固定
油・空気

雲から魂が棺の身体へ降りる。
再生ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0底本の図版

粗大なものを単純なものへ溶かし、微細化すること。暗いものを洗って明るくすること。湿ったものを乾いたものへ戻すこと。揮発するものを固定した物体の上に固定すること。溶解とは物体を分け、第一質料または第一の本性にすることである。洗浄とは埋め置き、蒸留し、焼成することである。還元とは肥やし、蝋状化し、または孕ませ、微細化することである。固定とは婚約させ、溶かし、凝結することである。第一によって本性は内側で変わり、第二によって外側で、第三によって上方で、第四によって下方で変わる。

注 頁頭の gere は前頁 figere の語尾として前頁に結合。

作業のさまざまな操作

再生

ここに魂が天から来る、美しく澄みわたって。
そして哲学者たちの娘を、まことに甦らせる。

ゲベル第三書第九十章。全体の総括。私たちは、意図した叙述の要求に応じて、この奥義の原因の十分さについて知られた経験を論じてきた。残るのは、この神的な作業全体の完成へ一章のうちに達し、各章に散らされた奥義を、短くまとめた叙述へ収めることである。ゆえにいう。作業全体の意図の要は、各章で知られた石を取り、その上に第一段階の昇華を、根気ある労働によって絶えず施すことである。これによって腐敗させる不純物から清められる。これが昇華の完成である。これをもって石を微細化し、微細さの究極の純粋さに至らせ、最後には揮発性にする。その後、固定の方法によって固定し、火の苛烈さの中に安らぐまで続ける。ここに調製の第二段階の到達点がある。
さらに石は第三段階でも同様に処理される。これは調製の最後の完成である。すなわち、すでに固定した石を昇華の方法によって揮発性にし、揮発性のものを固定し、固定したものを溶かし、溶けたものを再び揮発性にし、揮発性のものを再び固定する。流動し、確実に太陽と月を生む完成へ変成をもたらすまで行う。したがって、この段階の調製を繰り返すことから……〔次頁へ〕

全体の総括
根気ある労働なしには何もない
反復は必要である

〔前頁から続く〕第三段階の反復から、薬の変成の良さが増大する。それゆえ石にその諸段階で行う作業の反復が異なれば、変成の良さの増大も異なる。ある薬は七倍、あるものは十倍、あるものは百倍、あるものは千倍、あるものは無限に、物体を太陽を生むもの、真の完全な月を生むものへ変成する。そこで最後に、奥義が完成したかどうかを試すべきである。
ゆえに大いなるエリクシルの作用の固有性、またその組成の方法に注意せよ。私たちは一つの実体を作ろうとする。しかしそれは多くのものを集め、一つにし、固定したものである。火の上に置いても火がそれを追い出せず、融けたものと混ざり、それらとともに融ける。その中にある浸入しうる実体によって浸入し、混和しうる実体によって混ざり、固結させる実体によって固まり、固定させる実体によって固定する。金銀を焼くものによっても焼けず、適切で完全な加熱によって固結をもたらすものである。
しかし短時間といっても、最初から数日または数時間で回復できるという意味にまで理解してはならない。他の近代の薬師たちと比べれば……〔次頁へ〕

投射
石は複数のものから組成される

〔前頁から続く〕また自然の真実の働きと比べても、この作業はより速く終わるという意味である。それゆえ哲学者は、薬とは長い時間の経過を先取りしたものだと言った。だから汝らにいう。辛抱強く待て。遅れるかもしれないからである。性急さは悪魔に属する。それゆえ忍耐を持たぬ者は作業から手を引け。軽信が急ぐ者を妨げるからだ。
どんな作用にも自然に固有の方法と一定の時があり、その長短の期間のうちに完成する。
このために必要なものは三つ、忍耐、待つこと、器具の調整である。これらについては『完成した奥義の大全』のさまざまな章で術者に語った。私たちの言葉を十分に探究したなら、そこで試すことができる。その中で私たちは、明白で開かれた証明によって、石は臭い霊と生きた水以外の何ものでもないと結論した。その水を乾いた水とも呼んだ。それらは自然な比率で清められ、互いに離れることのできない結合で一つにされる。作業を短縮するためには第三のもの、すなわち希薄化された完全な物体を加えなければならない。
したがって以上によって、真実が近くにあり、作業そのものを完成させるものが明らかである。

自然の作用
最初の石

最初の石の凝結と調製、およびその昇華について

ここに、アデマルスと呼ばれる者の、ペルシア人の王ゲベルについての小書から、さらに注目すべき事柄を続ける。第四章で彼はいう。
石が昇華によってどれほど清められ、油を取り出すことでその焼損性が除かれ、固定によって逃亡性が破壊されても、それでもなお融けず、浸入せず、混ざらず、ガラス化する。ゲベルの第十章の中ほどにあるとおりである。それどころか、鋭い水の中で溶解し焼成することを、幾度も行わなければならない。これはゲベルの第六十七章、第一章、第七章、第七十三章にある。同じ著者は第六章でいう。
粉砕と穏やかな焙焼を伴う吸液を何度も繰り返すことで、その水性の大部分が取り去られる。これが第一段階の昇華であり、それによってメルクリウスの水的な部分が除かれる。その後、第二十八章に記されるアルデル器の底に、この実体全体を撒け。それから第三章の中ほどにいうように火を強め、その一部が最も白い雪にもまさる白さとなり、死んだもののようにアルデル器の縁へ付着するまで続けよ。これが……〔次頁へ〕

私たちの昇華

〔前頁から続く〕これが私たちの昇華であり、それによって土的な汚れと硫黄の部分は滓とともに底に残る。その中でその本性は清められる。その後、固定の方法によって固定され、すなわち発酵させられなければならない。固定しているもの、すなわち発酵素が固定するからである。それから糞のところに置く。続いて「火の苛烈さのうちに安らぐまで」とある。これは調製の、すなわち昇華の第二段階と呼ばれる。第三十九章にあるとおり、メルクリウスが現に極めて微細な実体を持つのなら、どうしてさらに微細化できるのかと問うなら、次のように答える。第七十三章には、昇華または微細化の方法、すなわち第一段階の昇華によって清め、微細化するとある。したがって最後には揮発性にする。すなわち灼熱を伴って昇華し、滓から器の縁へ、水晶よりも輝いて上昇させるのである。
ゲベルはいう。ラトン、すなわち土を白くせよ。汝らの心が破れぬよう、本をしまえ。また別の箇所で、火と水はラトンを洗い、その黒さを拭い去るという。続いて、昇華したものをアルデル器に取り、一度反復せよ、すなわち昇華によって固定せよ、とある。第六十二章の中ほどには「最も輝くもの以上に」とあり、また火の扱いに注意して、その湿りを、完全な融解を成し遂げるのに十分な程度だけ取り去るようにとある。同じ箇所でいうように、緩やかな火は……〔次頁へ〕

注 plusquam fulgidissima は引用の統語が欠けているように見えるが、印刷どおり保持。

第二の段階

〔前頁から続く〕湿りを保存し、融解を完成させる。また第二十九章には、水銀はまず昇華され、その後で固定されるべきだとある。
第二十八章には、メルクリウスは連続して繰り返される昇華によって固定され、金属的な融解を与えるようになるとある。このことは彼の言葉の中にしばしば見出される。これらすべては、最初の石の調製と、糞の中に置く前のその白化について理解しなければならない。すなわち鋭い水で蝋状化し、灰の上で溶解・凝結することを、甚だ柔らかくなり、白くなり、ついに輝く月のように流れるまで、何度も繰り返すべきなのである。これが石の昇華、すなわちより高い尊厳と力への上昇であり、その真の浄化である、など。
第七章には続いていう。しかし私はこの作業を不完全な石から始めるよう勧める。これがゲベル自身の主要な、隠された意図だったのである。第十七章には、メルクリウスの本性は、メルクリウスそのものの中にあるのと同じく物体の中にもある、むしろ知られた石々の中で最も完全である、とある。また第三章には、マルカサイトの中には殺され、ほどよく調製されたメルクリウスの本性があり、それはいっそう有用だとある。この哲学者はその作業にメルクリウスの本性だけを求める。しかし第八章にいうように、太陽の本性全体はメルクリウスから成る。
またこの哲学者はメルクリウスの実体が殺されたものであることを求める。しかし自然のうちでは、そのメルクリウスは……〔次頁へ〕

融解の火
私たちの月

〔前頁から続く〕かの尊ぶべき石の中にある。誰にも明らかなとおりである。したがって、云々。また、この哲学者がメルクリウスのこの実体を固定したものにしようと望むのは明白である。彼は多くの注意と工夫を添えて、固定の技法を教えるからだ。しかし、この貴い石の実体が最も強く固定していることを、誰が疑うだろうか。それを知る者なら、誰も疑わない。したがって、云々。
また哲学者は、湿りを保つため、火に注意して石を固定することを望む。しかし地の内臓よりも調和した熱が、どこにあろうか。したがって、云々。また哲学者は自分の石が融けることを望む。ゆえに石こそ哲学者たちの師であることが明らかだ。石はなすべきことを、自然に、おのずからさえ行う、と言わんばかりである。こうして哲学者は石の主人ではなく、むしろその奉仕者である。
したがって、自然を離れた術と細工によって、あるものに本来ないものを持ち込もうとする者は誤っており、自分の誤りを嘆くことになろう。
赤い作業の原理は太陽であり、白い作業の原理は、燃やし燃えうる硫黄から浄められた月である。
それにそのような実体があることは第四十七章に見られる。また、月が白い作業の石であることは第十八章にある。それゆえ霊、身体、魂を持つこの貴い石を取り、その湿り、またはメルクリウスとともに焼成せよ。そこに触れて感じられるものがなくなるように。

注 末文 tactus は字面を保持し、触覚的な粗粒がなくなる意味として訳した。

術と自然の師
発酵素

さらに石は第三段階で処理される。これは調製の最後の完成に存する。すなわち、すでに固定した石を昇華の方法で揮発性にし、固定していない霊とともに昇華させるのである。固定したものが昇華されるとは、身体が霊に変えられることにほかならない。この秘密は、哲学者の言葉から次のように引き出される。第三十七章には、物体、すなわち固定した実体が何であれ、術による前処理なしには霊はそれに混ざらないとある。つまり、石はまず溶解し凝結されなければならない。しかし石をどう溶かすのかと問うなら、渋みと鋭さを持ち、滓を含まない鋭い水、たとえば葡萄酒の酢などによって、と答える。なぜ石を溶かすのかと問うなら、第三十七章にあるように、溶けるものはすべて塩と明礬の本性を得るからである。塩だけがガラス化する前に融け、またその本性に従って、それら、すなわち塩だけが溶解するからである。したがって、私たちの石が溶解すれば、塩の本性を得る。しかし融けるものは浸入し、浸入するものは何であれ変成をもたらす、など。第五十七章には、物体は最高度の火によって、固定したものと固定していないものが完全に上昇するまで昇華されるとある。第十二章にあるように、全体が昇華しなければ、固定していない部分を再び加え、完全な上昇に十分となるまで続ける。〔次頁へ〕

第三の段階、または順序
溶解はいかなるものか
塩は融ける

衣と竜の翼を持つ二頭の王者。三頭の竜、太陽の木、鳥。
完成ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0底本の図版

〔前頁から続く〕最も強い火によってである。これは腐敗の火、また私たちのメルクリウスの火と理解せよ。それによってのみ物体は上昇し、すなわち霊に変わる。上昇したなら、反復操作によって全体が固定するまで昇華を繰り返す。そして固定したものを溶解したものにせよ。つまり、上にあるように酢のところに置き、すでに十分説明したとおり、すべてを四度繰り返す。また溶解したものを揮発性のものにせよ。これは、溶解によって石が揮発性になると言わんばかりである。さらに揮発性のものを固定したものにせよ。哲学者はこのように言い続ける。これは第五十七章にある、など。融解を示すまで、あるいは流れるまで行う。第十章。この作業は白のためか、赤のためか。アダマルスは答える。両方のためである。第六十六章には、月の石と太陽の石とは本質において同じだと書かれる。どちらもメルクリウスだけから完成されるからだ。処理の仕方においても道は一つである。同じ操作を同じ順番で行うからである。それゆえすべての哲学者によれば薬は一つである。ただし発酵の点で異なる。

白と赤の道は一つ

完成の顕示
王の謎

ここに、あらゆる栄誉の皇帝が生まれた。

彼より高い者は、生まれることがない。
術によっても、自然によっても、
いかなる生きた被造物からも。
哲学者たちは彼を自分たちの子と呼ぶ。
彼らのすることは、彼にもすべてできる。
人が彼に何を望もうとも、
彼は長く確かな健康を与える。
金、銀、貴い宝石、
力、そして美しく清らかな若さを。
怒り、悲しみ、貧しさ、病を取り除く。
神からこれを授けられる人は幸いである。

女王たる月の応答

ここに、富める高貴な女帝が生まれた。
哲学者たちは皆、彼女を自分たちの娘のように呼ぶ。
彼女は増え、数知れぬ子を生む。
その子らは不死で、清らかで、どんな汚れもない。
彼女は死を追い払い、貧しさを憎む。
富、健康、名誉、財を与える。
金、銀、貴い宝石にも、
大小すべての薬にもまさる。
地上に彼女と等しいものはない。
このことに、私たちは天国の神へ感謝する。

ゲベルはいう。私たちが確信を持つ探究によって、また明白な経験によって、私たち自身が著書の中に記したすべての言葉が真であることを確かめた。それらは実験と理性を通じて私たちが見たことに従い、これらの書にまとめられている。自らの経験によって指で取り出し、眼で見て、手で触れたものを、私たちは『奥義の完成の大全』に書いたのである。

したがって賢い術者は私たちの書物を学び、各所に散らされた意図を集めなければならない。悪意ある者や無知な者へ公開されぬよう、さまざまな箇所にそれを記したのである。集めたものを試し、工夫ある労働に根気よく励みながら学び実験し、完全な認識に至るまで続けよ。術者は訓練せよ。そうすれば見出すであろう。ただし妬む者に中傷されぬよう、次のことを述べておく。私たちは知を連続した叙述で伝えず、諸章に散らした。もし連続して伝えていたら、善人も悪人も不相応にそれを横取りしたであろうからだ。同じく、最も明らかに語った場所でそれを隠した。しかし術者には謎ではなく、平易な言葉の連なりで語りかけた。そして、至高にして祝福され、高く栄光ある神の知性と、それを書いた私たちの知性、または神の善の恩恵を注がれた者の知性だけが、それを再び集められるような語り方で書き添えた。神は望む者に与え、また取り去るのである。したがって学びの子は絶望するな。求めれば見出すからである。教えによってではなく、自らの動きによって自然を探究することによって。自身の勤勉さの良さによって自ら求める者は知を見出すが、本を追いかけて求める者がこの最も貴い術に至るのは、極めて遅い。私たちだけで探究した術を、私たちだけのために著したからである。〔次頁へ〕

散在する意図
散りばめられた知
慰め

〔前頁から続く〕他の者のためではない。しかしその術は真実であり、まったく確実である。ゆえに私たちは、術に賢く近づく者にだけ、伝えられた工夫を通じて探究の道を説明した。発見された術そのものは私たち自身のためにしか書かなかったが、発見の方法とその方法の工夫をも書いた。したがって善い心を持つ術者は、私たちの伝えたことによって訓練せよ。そうすれば至高の神の賜物を見出したことを喜ぶであろう。高貴な術を探究するためには、以上の言葉で十分であろう。ここまでゲベルの言葉である。ゲベルは『大全』第十六章、自然の原理について、次のようにいう。石が浄化され、腐敗させるあらゆるものから完全に清められ、その後で発酵させられたなら、もはや器を替える必要も、開く必要もない。神がそれを守って割れないようにしてくださることだけが必要である。それゆえ哲学者たちは、奥義全体が一つの器の中で作り上げられると言った。そして石の真の浄化の後、白への作業は四十日四十夜で完成すると知らねばならない。浄化については、術者がどれほどよく作業するかによるほか、一定の期間を定められない。赤への作業は九十日九十夜で完成する。これらが完全な完成に至る真の期限である。これは浄化の後に行われる凝結について理解せよ。その浄化は腐敗と、身体を……〔次頁へ〕

注 冒頭の prudentes ad artem alicuius は不整な表現を保持。末尾 corporis は次頁冒頭までを結合。

一つの器
どれほどの期間で完成するか

〔前頁から続く〕純粋な霊へ転じることによってしか起こらない。これを得たなら神を讃えよ。セニオルはいう。私は満ちてゆく月、湿って冷たい者であり、あなたは太陽、熱く湿った者〔別の読みでは、乾いた者〕である。穏やかな火によってしか成らない住まいで、釣り合った状態のもとに結ばれるとき、その穏やかな火は強い火を伴う。そこで私たちは身を空しくし、女とその夫が高貴な子の誕生のために身を空しくするようになる。この言葉は真実である。私と太陽とが結ばれ、閉ざされた家の腹の中で身を空しくするとき、私は親しくあなたから魂を受け取ろう。あなたの近さによって私の美しさと麗しい姿を取り去るなら、私たちは喜び、霊の歓喜によって高められる。年長者たちの位へ昇るとき、あなたの光の灯は私の灯へ注がれ、あなたと私から葡萄酒と甘い水との混合ができる。あなたが私の色である黒さをまとった後、私は自らの流れを抑える。それは私の溶解と凝結の後、墨のようになる。私たちが愛の家に入るとき、私の身体は凝結し、私は自らの空虚の中にいる。太陽は月に答えていう。
月よ、あなたがこれを行い、私に害を与えないなら、私の身体は戻り、その後私はあなたに浸透の新たな力を与えよう。それによってあなたは融解と浄化の火との戦いで強くなり、銅や鉛のように減損し暗くされることなく、そこから出るであろう。そしてあなたは攻められない。〔次頁へ〕

注 vacare/vacuitas の比喩は意味が不透明であり、「身を空しくする/空虚」として原語の反復を保持。

月は冷たく湿る
黒さはいつ来るか

レイムンドゥス・ルルスの書簡

〔前頁から続く〕あなたが背かないからである。以上はアデマルスから。

ライムンドゥス・ルルスがフランス王ルペルトゥスへの書簡に記すこと

哲学者たちの鉛から、黄金色、あるいはそれに近い色の油が取り出されることを知るべきである。鉱物的、植物的、動物的、または混合された石を、最初の固定の後、この油とともに三度か四度昇華するなら、それは溶解と凝結のあらゆる労苦を汝に免れさせる。
その理由は、これが隠された油であり、薬を浸透しうるもの、すべての物体と親和し結合しうるものにし、その効力を限りなく増大させるからである。世界にこれ以上秘密なものはないほどだ。
それゆえ、私は古代のどの哲学者にも信じられないような驚異を語る。すなわち、この油を水性からよく分離することを知り、すでに述べた混合の方法で働くなら、三十日のうちに石を組成できる。
ただしこれはそれ自体として必須ではない。すでに述べたように、その溶解と凝結は速やかに行われるからである。

哲学者たちの油
新しい哲学者たちは古い者たちにまさる

獅子が太陽を口にくわえ、液体が流れる。
緑の獅子ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0底本の図版

しかし、それを昇華するなら、石のティンクトゥラは大いに増すと思う。ゆえに、これらの中からおまえの意図するものを選べ。イキシル、すなわちエリクシルが何から作られるかについてのガレノスの論。彼は、学者によって異なる薬を立てるという。ある者はイキシルが山の鉱物から成るといい、他の者は草から、また他の者は獣と尿などから成るという。それはこれらのものの一つから作られ、アレンビックの中に置かれる。初めに水が煙となって出る。これが霊である。第二に油が液体として出る。これが魂である。第三に、器の中に残るものは土的であって、身体と呼ばれる。この三つ、霊・魂・身体から、混ざり融けることのできるまで煮られて、イキシルができる。他の者は、硫黄と水銀を融けうるものにすればイキシルができるという。
注意せよ。どんな水も油も火も、まず滓へ戻すことと蒸留を反復して精留されなければ、染める力を持たない。私たちは八度か十度までと付け加える。それゆえ、溶解、固定、染色、完成のすべてにおいて方法を守らなければならない。意図が適切な方法によって物を整え完成させるためである。すなわち、不完全な物体を正しく焼成し、精細に洗い、柔らかくし、液を吸わせ、あるいは蝋状化し、孕ませ、上記の方法で溶解に付す。霊は精細に洗って清め、柔軟化と低下へ向けて整える。熱いものは……〔次頁へ〕

エリクシル
霊
魂
身体
精留

〔前頁から続く〕そして乾いたものは、術者が見て取るところに従い、また作業する者の健全な判断によって最善とされるところに従い、溶解され、焼成され、あるいは昇華されねばならない。

私はまことの緑にして黄金の獅子、憂いなきもの。
哲学者たちの秘密はすべて、私の内に隠されている。

太陽を貪り食う緑の獅子、私たちのメルクリウスについて

それはメルクリウスである。それが冷たく湿り、神がそこからあらゆる鉱物を造ったことを知れ。それは元素であり、空気的で、火から逃れる。その一部が固定されると、高貴な働きをなし、有用な霊となる。世界にそれ以外のものはなく、それに代わりうるものもない。それだけがあらゆる物体の深みに入り、その物体を起き上がらせる。物体と混じれば、それを生かし、照らし、一つの状態から別の状態へ、一つの色から別の色へと転じる。したがって、それは白と赤のエリクシルのすべてであり、永続する水、生命と死の水、処女の乳、洗浄の草である。また、それから飲む者は死なない生命の泉であり、色を受け容れるもの、それらの薬であり、色を獲得させるものである。それは殺し、乾かし、湿らせ、温め、冷やし、その操作の度合いに従って反対の作用を行う。それが生きているときにはある働きがあり、死んでいるときにはそれとは異なる働きがある。昇華されたときには別の働きがあり、溶解されたときにはまた別の働きがある。それは自らと結婚し、自らを孕ませ、定められた日に産み、自らの毒によって……〔次頁へ〕

注 maricat は印刷の読みを保持。文意は maritat(結婚させる)。

元素
竜は私たちのメルクリウスである

〔前頁から続く〕すべての動物を殺す竜である。火はそれを滅ぼし、水銀のために短時間で散らしてしまう。それは火に勝つことも、火を食べることもできず、火から逃れるからである。しかし最初の賢明な哲学者たちは、そのためにさまざまな工夫を考案し、少しずつ火に耐えるものにした。それゆえ火との戦いにおいて絶えず前進し、火を食物とする。それにある固定が施されると、驚異と変化が生じる。自らが変わるとき、他のものを変えるからである。そしてその黒さ、音、輝きが現れる。染められれば、染められたものとなって染める。凝結すれば、凝結したものとなって凝結させる。溶解すれば、溶解したものとなって溶かす。それは眼に見える仕方で白くし、続いて赤くする。それは集める水、乳、強い尿、柔らかくする油、あらゆる驚異の父であり、暗霧、雲、逃亡する奴隷、西方のメルクリウスである。それは金よりも自らを高く置き、金に勝った。そこで金はいう。私は火に耐える石々の主なのに、お前は私より優れているというのか。私たちのメルクリウスは答える。まことにそうだ。私がお前を生み、お前は私から生まれた。私の一部分がお前の多くの部分を生かす。しかしお前はけちで、私に比べれば何も与えない。私を私の兄弟と姉妹とに結びつける者は、生きて喜び、その生涯に十分なものを得る。たとえ百万年生き、毎日七千人を養ったとしても、欠乏することがない。〔次頁へ〕

白いものを赤くする
兄弟、姉妹、メルクリウスの三つ

〔前頁から続く〕私は秘密のすべてであり、私の中には知が隠されている。私はあらゆる物体を太陽と月に変えるからである。私の本性は、硬いものを柔らかくし、柔らかいものを硬くするものなのだ。ゆえに、錬金術そのものを真に生み出す哲学者の石は全世界に一つであり、この一つから外れる者は深淵へ落ちたと思うべきだと知れ。しかしそれは、鉱床がもたらした自然の状態で完成しているのではなく、術が導く状態において完成する。奥義なしには私たちに何の役にも立たず、有用でなく、何一つ完全には成し遂げず、むしろ損なう。私がこういうのは、汝がそれを奥義とともに用いるためである。それは純粋な粘液である。哲学者は時に、その驚くべき力の効果ゆえに、それを硫黄、黄色い黒胆汁質と呼ぶ。ある人々の考えによれば、神はそこからすべての民を造り、その起源を定めたのである。また、ある人々は私たちのこの石を白い銅と呼んだ。そこでルカスとエクシメウスはいう。知を求める者たちよ、私たちの白い銅による以外にティンクトゥラは作られないと知れ。私たちの銅は普通の銅ではない。普通の銅は腐敗し、それを置かれるものすべてを汚すが、哲学者たちの銅は、結ばれるものを完成させ白くする。それゆえプラトンはいう。すべての金は銅であるが、すべての銅が金なのではない。したがって私たちの銅には身体・魂・霊があり、この三つは一つである。それらすべては一つから生じ、そして……〔次頁へ〕

何が粘液質であるか
私たちの銅

〔前頁から続く〕一つに由来し、その根である一つとともにあるからである。それゆえ哲学者たちの銅は彼らのエリクシルであり、霊・身体・魂から整えられ完成したものである。このように哲学者たちは、賢者には明らかで、愚者には隠されているように、石をさまざまな名で呼んだ。しかし何という名で呼ばれても、それは常に同じ一つのもので、同じものから生じる。そこでメルクリヌスはいう。

隠された石があり、泉の底に埋められている。
卑しく、捨てられ、糞や汚物に覆われている。
この一つの石は、一つなるもののあらゆる名を持つ。
それゆえ神に満たされた賢者モリエヌスは言った。
この石は石ではない。生み出すことを許された生き物である。
またこの石は鳥であり、石でも鳥でもない。
この石は塊、根株、サトゥルヌスの子である。
この石はユピテル、マルス、太陽、ウェヌスであり、
翼ある者と月である。ただ一つで、すべてより明るい。
あるときは銀、あるときは金、あるときは元素、
あるときは水、葡萄酒、血、クリソリヌム、
あるときは処女たちの乳、海の泡、または酢、
あるときは悪臭を放つ汚水溜めに滴る尿、
またあるときは岩塩、アルミサディル、普遍の塩、
あるときは雄黄を第一の元素と定め、
あるときは硫黄とともに浄化された清い海とする。
愚者に明かしたくないものを、彼らはこうして言い換える。
賢者が欺かれぬよう、このように形象化され、
論じられるものが愚者へ分け与えられぬようにされる。

注 dinus は印刷どおりで、divus 等の誤植の可能性。crisolinium/Almisadir に相当する固有物質名は特定せず転写。Alliger は翼あるメルクリウスを指す表現。

この一つの月は、すべての名で呼ばれる。

この石の操作には次のような方法があり、それらによって私たちの求めるものが生まれ、現実の存在へともたらされる。
第一は昇華、第二は下降、第三は蒸留、第四は焼成、第五は溶解、第六は凝結、第七は固定、第八は反復、第九は蝋状化である。さらにこれらに似た無数の名を語る。これらの方法は概念の上では互いに異なるが、実際には同じである。哲学者たちは、自分たちの質料が器の中にあり、太陽と熱を受けると、ただちに極めて微細な煙の形で発散し、蒸発して、器の頭の高みに昇るのを観察して、この上昇を昇華と呼んだ。その後、上昇した質料が器の底に下降するのを見て、蒸留または下降と呼んだ。さらに、その質料が濃くなり黒くなり、悪い臭いを放つのを見て、腐敗と呼んだ。長い時を経て黒い、または褐色の色と悪臭を失い、灰の色のようなある白さが現れるのを見て、灰化または白化と呼んだ。それゆえモリエヌスはいう。奥義の全体は、土から水を取り出し、それが腐敗するまで水を土の上に下ろすこと以外の何ものでもない。〔次頁へ〕

昇華
蒸留・下降
腐敗と黒化
褐色、灰色
蝋状化・白化
奥義の全体

注 傍注 Inceratio と本文 incinerationem の表記は異なる。

〔前頁から続く〕この土は水とともに腐敗し、万物を統べる方の助けで浄化されたとき、奥義全体は完成する。さらに、土がその水と混ざり、穏やかな煮沸によって水が次第に減り、土が増えるのを見て、彼らは皆、これが完全な蝋状化だと言った。それゆえ哲学者は、土は水によって蝋状化され、液を吸わされ、太陽、すなわち熱による穏やかな煮沸で乾かされ、質料全体が土へ転じるという。同じ著者はいう。この力は、土に転じるなら完全となる。
最後に、質料全体がある散逸に至り、やがて固い実体に戻って、流れずにしっかりと留まるのを見て、これを完全な凝結と呼んだ。それゆえプラトンはいう。私たちの石を溶かし、その後、示されたように十分注意して凝結させよ。そうすれば奥義のほぼすべてを得る。同じ著者は別のところでいう。私たちの石を取り、器に入れ、砕けるまで弱い火で焙れ。その後、凝結するまで太陽の熱で煮よ。奥義全体は、真の溶解と、完全で自然な凝結を行うことにほかならないと知れ。以上はプラトンの言葉である。また彼はいう。溶かせ、そして凝結させよ。そうすれば奥義全体を知る。同じく、上述の質料が完全に凝結し濃くなり、いかなる仕方でも……〔次頁へ〕

蝋状化
凝結

〔前頁から続く〕もはや水にも煙にも戻らないのを見て、彼らは真に固定されたと言った。そして、その同じ凝結と濃縮、すなわち固定が、熱によるいっそうの煮沸によって完全な乾燥と白化に至り、その白さがあらゆる白さにまさるのを見て、これを完全な焼成と呼んだ。この質料が自らの色にとどまり、また無数の色へ変わるのを見て、これは質料の分解なしには起こりえないゆえに、この分解を溶解と呼んだ。その分解によって元素は互いに離れ、作用し、作用を受ける。それゆえ哲学者はこれらの元素を夫婦と呼ぶ。だから哲学的な薬が別のものから作られると思う愚者は、ひどく誤っている。哲学者たちはいう。錬金術の子らとその信奉者は、自分たちのあらゆる溶解、昇華、結合、分離、凝結、調製、粉砕、その他の欺きに固執する。私たちの金とは別の金、私たちの水、すなわち極めて鋭い酢とも呼ばれる水とは別の水、弱い火で行う私たちの溶解と凝結とは別の溶解と凝結、私たちの腐敗とは別の腐敗などを説く者は、黙るがよい。プラトンは『大全』でいう。ゆえにおまえの求めるものは、世界の二つの光体と同じ類であれ。金は上方の部分を取り巻き、銀は下方の月の部分を取り巻くからである。アリストテレスはいう。いかなる染める……〔次頁へ〕

注 最後の tingens は改頁によって tin-/gens に分かれる。

固定
凝結における白さ
無数の色
溶解
詭弁的な術

二人の王冠の男性の間に祈る人物が座り、鳥とラテン語の巻物が頭上にある。
三位一体の図ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0底本の図版

〔前頁から続く〕……染める毒は、太陽とその影、すなわち妻なしには生じない。ヘルメスはその秘説でいう。その父は太陽、その母は月である。『ロサリウス』はいう。太陽と月を離れて別のティンクトゥラを探そうとする者は、段のない梯子を登ろうとする人に似ている。したがって、私たちにはティンクトゥラに適した受け容れが必要である。それは父にある程度似ていて、父と調和するものでなければならず、この受け容れは月そのものでなければならない。太陽はそれだけでは融解・液化することが甚だ難しく、月もそれだけでは同じである。しかし両者が結び合わされれば、ともに甚だ容易に流れ、液化する。それゆえ金細工師はこの仕方で接合材を作る。哲学者はいう。女は男の種を受け容れる一種の器であり、自らの小室と子宮の中に種を保ち、そこで種は養われ、成熟の時まで芽生え育つ。だからいま彼に配偶者を選び、彼の種を受け容れるものを与えよう。妻として選ぶべきなのは、単純さと純粋さにおいて彼に最も近いものである。同じ類である夫と妻ほど近いものはないからだ。ヘルメスは寓意の中でいう。月は夜の灯であり、夜は闇の誕生であって、神は世界を統べるためにこれを造った。月は太陽から光を受け、その中に太陽の光があるゆえに愛される。それは太陽の本性が月の本性に勝るからである。私たちのメルクリウスは鉱物的なものと植物的なものとから作られる。〔次頁へ〕

注 冒頭・末尾は改頁で語が分割される。原文冒頭は前頁の語尾「gens」、末尾 vegetabili は次頁冒頭までを結合した。

私たちのメルクリウスは二重である

〔前頁の鉱物的なものと植物的なものを〕ともに結び合わせる。両者はそれぞれ別々にあるよりも、ともに結ばれたときにいっそう役立つからである。このことから、二種のメルクリウスがともに必要なことを考えよ。

その父は太陽、母は月である。父から子が生じる。そして子は母である。
竜はその兄弟と姉妹なしには死なない。一方だけによってではなく、両者がともにあることによって〔死ぬ〕。
三つは一つ。

注 木版の巻物に沿って読む。文法的に不規則な per ambobus は印刷どおり。周囲の後世の手書き注記は1550年刊本本文に含めない。

哲学者デモクリトス

哲学者デモクリトス

最初の仕事では、白い灰の上で物体を溶解しなければならない。また粉砕は水とともにのみ行わなければならない。アヴィセンナはいう。作業の第一は、石をその第一質料へと溶解することである。セニオルとヘルメスはいう。身体を溶かして水にせよ。プラトンは『大全』でいう。汝には物体の溶解に取り組む必要がある。ゆえに全体が溶けるまで、その上で緩やかな火を持続させよ。作業はその火によって成就する。注意せよ。循環するすべてのものの循環的な復帰は、第一質料に還元されるまで決して完成しない。ラシスはいう。物体を溶かさなければ、汝らの労働は無駄である。アルベルトゥス・マグヌスはいう。いかなる物体の霊も、まず溶解されなければ染めることができないと、確実に知れ。
モリエヌスはいう。あらゆる自然物がその本性を通じて蒸気へ移らなければ、この術の操作は無益である。溶解されれば錬金術の作業は準備できている。それが増殖されれば、ともに喜ぶであろう。
ここでは自然学の諸学が従属的に結ばれる。共に操作することにおいて、それが溶解に存するからである。ソリン、第十一の区分にいう。操作の始まりは完全な溶解である。物体を希薄にし、霊のように極めて微細にするには、それらを溶かさなければならない。先に述べたように、物体の操作とは溶かされたものである。

注 最終段落は原文自体の統語が不整で、Sorin. の著者名も略記のまま。

溶解の弱い火
溶解の緩やかな火
蒸気

アルフィディウスはいう。その黒い物体から取り出される水銀は、白く湿ったものであり、作業を損なわぬよう、皮殻から清められている。モリエヌスはいう。白い煙は、溶解されたそれらの物体の魂であり霊であることを知らねばならない。確かに、白い煙が金でなかったなら、そこに錬金術はなかったであろう。『ロサリウス』はいう。これこそ私たちの最も高貴なメルクリウスである。神は理性的な魂を除いて、天の下にこれより高貴なものを造ったことがない。
ギリシア人の王ヘルメスはいう。溶解した物体は永続する水であって、メルクリウスを永久の凝結で固める。ヒポクラテスはいう。物体を清めようとする者は、それを流動するものにしなければならない。腐敗の黒さは、ある人々によれば四日か五日続く。セニオルはいう。第一の鍵は液と脂を取り出すことである。その徴は、すなわち過剰な黒さであり、それが消費されれば魂はすでに水の中にある。アルベルトゥスはいう。魂が自らの身体を出て、上方の天に昇らなければ、この術において何も達成できない。白いティンクトゥラについてのセニオルの譬え。私の愛しい両親が生命を味わい、私の乳を飲まされ、白い純粋な葡萄酒に酔い、私の小さな寝床で結婚すれば、彼らは自らの一族すべてに勝る月の子を生むであろう。そして私の恋人が岩の赤い丘から飲み、母の泉を味わい、それによって結合し、私の赤い葡萄酒と、私と……〔次頁へ〕

注 quarto diebus vel quinto は文法的に不整だが、文意は四日または五日。最後の me は次頁の mecum へ続く重複的分割。

黒い物体からのメルクリウス
白い煙
永続する水
黒化

〔前頁から続く〕私とともに酔い、その寝床で私と愛情深く交わり、私への愛のうちにその精液が私の小室に入るなら、私は身ごもり、懐妊し、時が来れば、この地上のあらゆる王や君主にまさって支配し統治する、最も力ある子を生むであろう。その子は、世々に生き統べる至高の神によって、あらゆることに勝利する黄金の冠を授けられる。『哲学者たちの集会』はいう。この術を探究する者たちよ、器の中の何よりも際立つあの白さが現れるのを見たとき、その白さの内に赤さが隠れていると心得よ。そのとき取り出してはならず、全体が赤くなるまで煮なければならない。哲学者セニオルはいう。黒いものを白くし、白いものすべてを赤くせよ。水は白くし、火は照らすからである。それは火の力によって得た染める魂により、ルビーのような色に輝く。ヘルメスはいう。第七の操作は月の操作であり、すなわち二十五日間、焙り、赤くし、熱し、炒ることである。こうして作業の完遂を得る。同じ著者はいう。魂の色は赤い。またいう。白いものは赤くされることを欲する。また、白さこそ私たちの赤さである。また、私たちのこの石は火から創られた火であり、火へと変わり、その魂は火の中にとどまる。赤いティンクトゥラについてのヘルメスの謎。私は冠を戴き、王冠で飾られ、王の衣を着る。私が物体の中に喜びを入り込ませるからである。

赤さの下の白さ
黒、白、赤
白さは赤さである

ヘルメスは第三の論考でいう。来たれ、賢者たちの子らよ。今から私たちは喜び、ともに楽しもう。死は呑み尽くされ、私たちの子はすでに王として治め、赤い武装と肉を身につけている。生まれた私たちの子は、今や王となり、火からティンクトゥラを受け取る。死と海と闇は彼から逃げ、穴を見張っていた竜も太陽の光から逃げる。死んでいた私たちの子は生き、王は火から来て、婚姻を喜び、隠れたものが現れる。今や生命を与えられた私たちの子は、火によって戦士となり、あらゆるティンクトゥラにまさる者となる。
太陽についての哲学者ベリヌスの比喩。わが父太陽は、あらゆる力にまさる権能を私に与え、栄光の衣を着せたことを知れ。全世界は私を求め、私を追って走る。私は最も大きく、すでに人々は私の力と高さを知った。私は唯一であり、唯一なるわが父に似ている。父はその恩恵によってこの力を私に与えた。人々は、私に求められるべきものを、私の下僕である棒どもに求めるが、私によるのでなければ、それに至った者はいない。大地はあらゆる力を尽くしても私を屈服させることができない。むしろ私は大地と私の下僕たちの上に立ち、彼らを低くする。そして彼らの力と本性から〔あるものを〕取り出し、父が私に与えた私の美しい輝きと光を、そのすべての働きにおいて彼らに着せる。私は卓越した者であり、〔次頁へ〕

注 fustibus(棒ども)は原文どおり。

〔前頁から続く〕すべてを高め、また低める。私の下僕の誰も私に勝てない。ただ一人、私と対立することを授けられた者を除いては。その者は私を破壊するが、私の本性までは破壊しない。それはサトゥルヌスであり、私のすべての肢体を引き離す。その後、私は母のもとへ行く。母は分割され隔てられた私のすべての肢体を集める。私は私に属するすべてを照らし、わが父サトゥルヌスから、さらに私に敵対する母からの道程で、光を明らかに現れさせる。しかしこれが起こらなければ、私は動物や植物の魂から飲むことができない。だが私は火の熱とともに来て、彼らの力と害を私から追い払う。私は鉱床の表面に住み、私の末端のものを下僕に分け与える。私の名は偉大な名々で呼ばれる。私を研究する者は他の何ものにも心を煩わせないが、私によって満ち足りることもない。私は海を渡る船を運び、密集した都市を築く。しかしそこに私の偉大さを求めるな。そこで、すべての賢者たる汝らに告げる。私を殺さなければ、汝らの理解は完全にならない。汝らの知恵の階梯は、私の姉妹たる月において高まり、他のどの下僕によっても高まらない。もし私の秘密を知るなら、私は清らかな土地に播かれた穀物であり、生じて成長し、増え、播いた者に実りをもたらす。なぜなら、すべて生むものは自らの類に従って生み、どの個体も……〔次頁へ〕

〔前頁から続く〕自らの種の形を増やし、他の種の形を増やさないからである。穀物から〔穀物が〕生まれ、ほかのものも同様である。このことによって私は汝らにすべての形象を説明した。そこで、私が白く、純粋で湿り、触れて清らかなわが妻と交わるとき、その顔の美しさ、善さ、力を増し加える。彼女は私に従順だからである。私が彼女と結ばれるなら、世界にこれより良いものも、これに匹敵するものもない。彼女は身ごもって芽を生じ、実体と色において私と同じものになる。この奥義によって種は増えるからである。私からは私に似たものが生じる。一粒の穀物が播かれると生えて増え、挽かれ、篩われて、全世界を養うパンとなるようにである。地の鉱物も私から作られ、尽きることがない。これは神の賜物だからである。私は自らの光で空気を照らし、自らの熱で大地を温め、自然物、植物、石を生み養う。私の力で夜の闇を取り去り、世の昼を存続させ、あらゆる光るものを私の光で照らす。また輝きも大きさもないものをも照らす。それらすべては、私が自分の衣を着るとき、私の働きによって成る。私を求める者は、私と妻との間に平和をもたらせ。したがって、彼女が私から分離され、分けることのできない混合によって混ざらねばならない。これは汝が私を、ある部分について私の本性から取り出し、また妻を、ある部分について彼女の本性から取り出すときに起こる。その後、それらの本性を殺せ。そうすれば私たちは新しい復活によって甦らされる。〔次頁へ〕

注 末尾 nova は次頁冒頭までの改頁分割を結合。原文 nisi 節は完結が不明瞭。

〔前頁から続く〕そして非物体的な復活によってである。その後はもう死ぬことができないからである。復活の後には永遠の栄光と力を持つ。そのとき、私たちの歩みを知るすべての者は、大きな繁栄のうちに喜ぶであろう。
ここに神の貴い賜物が完成する。それは世のあらゆる学問の奥義にまさり、比類のない宝の中の宝である。プラトンのいうとおり、この神の賜物を持つ者は世界の支配権を持つ。富の極みに至り、自然の縛めを断ち切ったからである。ただし、それはあらゆる不完全な物体を最も純粋な太陽または月に転じる力を持つからだけではない。むしろ、人間とあらゆる動物の健康を守り保つからである。白いエリクシルである水晶状の薄板は、芥子一粒ほどを熱病の者に与えるなら、その者を治す。また、癩病の者も、一年の四季を通じて同じ薄板によって浄められ、さらに金を生む赤い粉で年に二度、三月と九月に浄められるなら、治癒する。白い粉と赤い粉の双方は、死の危険にある坐骨神経痛の者を治し、麻痺をも治す。また出産に苦しむ者の鼻のところに粉を保てば、その者は解放される。ヘルメスはこのようにいう。ゲベルもいう。赤いエリクシルは医師が絶望したあらゆる慢性病を治し、人を鷲のように若返らせ、五百年にわたり生きさせる。〔次頁へ〕

注 疾病治療・延命の記述は1550年の歴史的主張を翻訳したもので、医学的有効性を認めるものではない。原文末尾 vivere は次頁の語尾を結合。

熱病
癩病
坐骨神経痛
出産に際して
長く生きる

旗付きの十字架を持つ人物が棺から立ち上がる。
復活ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0底本の図版

〔前頁から続く〕それ以上にも生きさせる。実際、ある哲学者たちは週三度、芥子一粒ほどを服用して、そのようにした。「溝のサトゥルヌス」と呼ばれる草があり、このような薬はそこから作られる。したがって、頭の頂から足の裏までに生じるあらゆる病は、一か月の病なら一日で、一年の病なら十二日で、長年の病なら一か月で治ることに注意せよ。あらゆる病から、侵されたすべての金属を治すように、人間の身体も治すからである。それゆえ、私たちの祝福された石は、人間の身体と金属の双方にとっての「大いなる解毒薬」と呼ばれるにふさわしい。これについてギリシア人の王、哲学者たちの父ヘルメスはいう。私たちのエリクシルを、七日間、毎日カロブの重量だけ服用すれば、おまえの頭の白髪は抜け落ち、黒髪が生え直す。こうして老人から若く強い者となる。
アルノルドゥスはいう。私たちのこの石は、医師の他のあらゆる薬にまさって、どんな病をも治す有効な力を持つ。魂を喜ばせ、力を増し、若さを保ち、老いを除くからである。血液の腐敗、粘液の優勢、胆汁の焼け、黒胆汁の過剰を許さない。むしろ血液を非常に増やして清め、霊的な〔器官〕の中身を浄化し、身体のあらゆる部分を効果的に回復させる。〔次頁へ〕

注 歴史的な薬効説の忠実な訳であり、服用法の推奨ではない。pondus carrobiarum は具体的数量のないカロブ種子由来の重量表現を保持。

あらゆる病
大いなる解毒薬
黒髪
喜ばせる/若さ
血液

幾多のさまざまな苦しみと大いなる責め苦ののち、
私は甦り、光り輝くものとなり、あらゆる汚れを脱ぎ去った。

結びと刊記

〔スキャン190から続く〕さらに損傷から守る。そして総じて、熱性の病も冷性の病も、乾性の病も湿性の病も、医師の他のあらゆる薬にまさって、確実に治癒する。一年の病なら十二日で治し、古く長年にわたる病なら一か月で治すからである。要するに、悪い体液をすべて追い払い、良い体液をもたらす。これを携える者に愛と名誉、安全と勇気、戦場での勝利を与える。ここに自然の最大の秘密が完成する。それはどんな価格にもまさって貴い秘密、比類なく極めて貴重な宝である。神が、それを持つ者の心の中に秘めておき、愚かな者に明かされることのないようにされんことを。生きとし生けるものは皆、アーメンと唱えよ。

注 前頁191は図版。健康上の効能等は歴史的原文の主張。

愛
勇気

フランクフルトにて、キュリアクス・ヤーコプの印刷所より。1550年6月。

図版と出典

扉の木版図(本文の図版)
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泉(本文の図版)
ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0

王と王妃(本文の図版)
ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0

脱衣した王と王妃(本文の図版)
ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0

浴(本文の図版)
ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0

結合(本文の図版)
ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0

受胎と腐敗(本文の図版)
ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0

魂の抽出(本文の図版)
ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0

洗浄(本文の図版)
ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0

魂の帰還(本文の図版)
ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0

女帝(本文の図版)
ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0

発酵(本文の図版)
ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0

照明(本文の図版)
ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0

栄養(本文の図版)
ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0

固定(本文の図版)
ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0

増殖(本文の図版)
ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0

再生(本文の図版)
ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0

完成(本文の図版)
ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0

緑の獅子(本文の図版)
ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0

三位一体の図(本文の図版)
ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0

復活(本文の図版)
ETH-Bibliothek Zürich, Rar 8230 / e-rara / Public Domain Mark 1.0