文学 / Irving Babbittスペイン人の気質、ほか論考Spanish Character, and Other Essays
文学 / Irving Babbitt
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原著・底本
- 原題
- Spanish Character, and Other Essays
- 著者
- Irving Babbitt
- 底本
- 1940
- 編者
- Frederick Manchester
- 編者
- Rachel Giese
- 編者
- William F. Giese
- 原典の利用条件
- パブリックドメイン(米国)
- 収録範囲
- 一九四〇年版の標題・刊記、編者序文、目次、全十四論考と原注、著作目録、全著作索引を収録。
日本語訳
表紙
- 画像
- 標題紙
- 利用条件
- パブリックドメイン(米国)
日本語訳と同じ一九四〇年版の標題紙。
追加日: 2026-10-10 / 更新日: 2026-10-10
索引はバビットの複数の著作を対象とする。SCは本書を指し、参照頁は原書の頁数。ほかの略号は索引冒頭の凡例を参照。
スペイン人の気質、ほか論考
スペイン人の気質
ほか論考
アーヴィング・バビット著
著作目録および全著作索引を付す
編者
フレデリック・マンチェスター
レイチェル・ギーゼ
ウィリアム・F・ギーゼ
ボストン・ニューヨーク
ホートン・ミフリン社
ケンブリッジ、リヴァーサイド・プレス
一九四〇年
著作権 一九四〇年、ドーラ・D・バビット
本書の全部または一部をいかなる形式で複製する権利を含め、すべての権利を留保する。
これは一九四〇年版に記載された権利表示の訳であり、現在の権利状態を示すものではない。
リヴァーサイド・プレス
マサチューセッツ州ケンブリッジ
アメリカ合衆国にて印刷
序文
アーヴィング・バビットは、その著作の主要な部分をなす六冊のほかにも、多くの論考、講演、書評を発表した。書評と呼ばれるものの多くも、むしろ自身の思想を独立したかたちで述べたものだった。本書には、それらのうち十四篇を集めた。
これらの文章は、死後刊行された『法句経(ダンマパダ)』を含む既刊の著書を、さまざまな点から補うものである。バビットはふだん、哲学上の問題を解くことに力を注いでいる。ところが「スペイン人の気質の明暗」では、距離を置いて対象を眺める文学的な随筆家としての姿を見せる。また彼は、人を個人としてよりも、思想を代表し、伝える者として論じるのが常である。だが「ジョルジュ・サンド」「ディドロ」「マシュー・アーノルド」では、『近代フランス批評の巨匠たち』と同じく、主として、彼のいう偏りなく全体を見渡した評価を与えようとしている。クローチェ、ラシーヌ、パスカルを論じた文章は、この重要な三人について彼が最も詳しく述べたものであり、とりわけパスカルは、長年にわたり彼の講義の一つで取り上げられていた。彼はインドの哲学、なかでも仏教に深い関心を寄せていた。「インドの警句」と「西洋にインドを伝える」は、既刊の著書でこの主題について述べたことへの重要な補いである。「英国人は批評的か」と「マシュー・アーノルド」は、ほかでは折に触れて言及するにとどまった重要な領域を、まとまったかたちで扱っている。「人文主義者と専門家」「エリオット学長」は、教育に関する晩年の見解を示すものである。存命であれば、彼は教育についてもう一冊の本を書くつもりだった。アメリカ芸術文学アカデミーでの講演である文体論は、この主題を全般にわたって扱った唯一の文章である。「私の信じること」は、彼自身がその哲学を短くまとめた文章のなかで、おそらく最も優れたものだろう。
バビットは新しい本を刊行するとき、まだ本に収めていない論考を自由に利用するのを常としていたらしい。そのため本書の読者も、ときには主要な著書で読んだ覚えのある一節に出会うだろう。とはいえ、ほかの点では収録する価値のある文章を見送るよりも、多少の重複を承知で収めるほうがよいと考えた。重複の量も、全体としては多くない。本文は初出のとおりとした。ただし、書評のうち永続的な関心にはつながらない短い箇所をいくつか省き、明らかな不注意による誤りをいくつか正し、もっぱら形式上の調整を少し施している。
バビットの著作目録は、主としてハーヴァード大学エマソン・ホールの哲学図書館に勤めるルイス・ハラップ氏が作成した。
レイチェル・ギーゼ氏が作成した索引には、固有名だけでなく主題も収めた。対象としたのは、バビット自身が刊行した六冊の著書、『法句経』所収の仏教論、そして本書に集めた諸論考である。
再録を許可してくださったアメリカ芸術文学アカデミー、ブラウン大学、および『アトランティック・マンスリー』『フォーラム』『ネイション』『イェール・レビュー』の各誌に感謝する。
目次
スペイン人の気質の明暗 一ページ
英国人は批評的か 二一ページ
マシュー・アーノルド 四八ページ
クローチェと流動の哲学 六六ページ
パスカル 七三ページ
ラシーヌと反ロマン主義の動き 八九ページ
ディドロ生誕二百年 一〇五ページ
ジョルジュ・サンドとフローベール 一二一ページ
インドの警句百篇 一四一ページ
西洋にインドを伝える 一五〇ページ
民主主義社会における文体の問題 一七〇ページ
人文主義者と専門家 一八三ページ
エリオット学長とアメリカの教育 一九八ページ
私の信じること――ルソーと宗教 二二五ページ
アーヴィング・バビット著作目録 二四九ページ
アーヴィング・バビット全著作索引 二六一ページ
スペイン人の気質の明暗[1]
本篇は一八九八年の文章であり、国民性や「東洋」についての一般化には当時の著者の見方が表れている。
スペイン人の気質には、謎めいた独特なところがある。フランス人なら、何とも言いようのないもの、ジュ・ヌ・セ・クワ、とでも呼ぶだろう。イベリアの人々の考え方や感じ方を探ろうとすると、私たちはしばしば、ある近年の著述家のいう、「スペイン人には何かスペイン的なものがあって、それが彼をスペイン風に振る舞わせるのだ」という説明に頼らざるをえなくなる。数年前にスペインを訪れたとき、土地そのものの姿にはいささか失望した覚えがある。とはいえ、国土の大半に芝や樹木がない土地ならではの、線と色の美しさは備えていた。しかし、この国民の気質の際立った独自性には、それを十分に埋め合わせてくれる面白さがあった。私はありきたりの旅の道筋を離れ、数か月をかけてピレネーからジブラルタルまで半島を歩いて旅した。そうすることで、マドリードのフランス風の文明の向こうに、村々や地方の町にいまも残る古いスペインの文明を訪ねることができたのである。それほど観察の機会に恵まれても、スペイン人から受けた印象を言葉にまとめるのには、しばしば困った。その一因は、彼らのなかでヨーロッパ的な特徴と奇妙に混じり合っている、強いムーア的・東洋的な要素にあった。また一因は、スペイン自体が、何にもまして不可解な食い違いに満ちた国だということにあった。国土にも国民性にも、輝かしい長所にはたいてい甚だしい欠点が伴っている。ヨーロッパでこれと同じ広さの地域を探しても、おそらく世界を探しても、乾燥と湿潤、暑さと寒さ、肥沃さと不毛とがこれほど極端に分かれ、ほほえむような風景と陰鬱な荒廃がこれほど隣り合うところはない。アラゴンの乾いた草原とバレンシアの灌漑農園、カスティーリャの荒涼たる高地とエルチェのヤシ林、ラ・マンチャの風にさらされた荒野とグラナダの沃野のあいだに見られる対照は、住民の性格にも対応するものがある。たとえばカタルーニャ人について言えることで、セビーリャ生まれの人にも当てはまるのは何だろう。マドリードの劇場で、舞台の従僕が、自分はガリシア人とアンダルシア人の混血だと名乗ると、観客がそれをこの上なく滑稽な取り合わせだと思っていたのを覚えている。「おれはガリシア人とアンダルシア人の混じりものさ」。実際、スペインを語ると、逆説や対句を乱用しているように見えるのを避けがたい。フォードの言葉を借りれば、そこは「ヨーロッパとアフリカ、文明と野蛮のあいだを漂う、あの特異な国。緑の谷と不毛の山、果てしない平原と険しい山並みの国。ブドウ、オリーブ、オレンジ、アロエの生える楽園のような庭。道もなく、広大で、静まり返った、耕されぬ荒れ地は、野生の蜂の受け継いだ領地である。……あの昔の姿を変えずにいる独特な国では、享楽と奢侈が欠乏と貧困とせめぎ合い、寛大さや慈悲がまったく欠けていることと、最も献身的で英雄的な徳とが入り混じり、無知と博識が激しい、目を見張るような対照をなしている」。
[1] 著作権 一八九八年、アトランティック・マンスリー社。
ヨーロッパのほかの国々から隔絶され、まだその相反する性質を思うままに表していた十七世紀末のスペインで、マドリードには不潔な貧しさと華麗さ、野蛮さと洗練とが混在していたというドーノワ夫人の記述を、私たちはほとんど信じかねる。このキアロスクーロ、この強烈な光と影の交錯は、スペイン的なもののほぼすべてを貫いている。これほどの活力と無気力の交替、偉大さと衰退の突然の浮き沈みが、ほかのどの国の歴史に見られるだろうか。十六世紀のスペインの宗教は、一方では異端審問に行き着いた。他方では、聖テレサ、修道士ルイス・デ・レオン、十字架の聖ヨハネという、偉大な神秘家たちの最後を飾る人々において、最も純粋な霊性とキリスト教的な慈愛に達した。それは中世カトリシズムの壮麗な夕映えだった。黄金時代の輝かしい文学は、突如として月並みで取るに足らないものへと消えていった。この文学そのものの傑作のあいだでも、神秘主義の高みや雄弁な抒情の調べから、悪党や放浪者の所業を語るピカレスク作家の作品へと、私たちはほとんど間を置かずに移っていく。近年まで中産階級を持たなかったスペインの社会は、セルバンテスに、ドン・キホーテとサンチョ・パンサという完璧な対照を思いつかせた。そしてセルバンテスの時代にも今日にも通じるスペインの農民、サンチョ・パンサ自身のうちにも、生来の抜け目のない知恵と、無知で信じやすい性質との対照がある。フランスが自分の特有の領分とした、明晰さ、良識、批判的な識別力からなる中間の領域を、スペインはほとんどまったく耕さずにおいてきた。
スペイン人をはっきり理解するための第一の条件は、おそらく、彼がどの点でフランス人に似ていないかを知ることだろう。ラテン系の諸民族には一体性があるはずだという考えに、惑わされてはならない。ある本質的な特徴において、スペイン人とフランス人は、ほとんどインド人と中国人ほどにも異なっており、その違い方もどこか似ている。フランス文学に接してまず強く感じるのは、ドイツ人がインニヒカイトと呼ぶもの、内面の深さが欠けていることだ。人間のすべてが、その社会的な性質に従属しているのである。これに対して、スペイン人は孤独と孤立に耐える力がはるかに大きい。フランスでは、想像力に十分な生気を与えられない理性が、たやすく干からびた合理主義に陥る。一方、ドン・キホーテの国では、想像力が感覚と悟性の統制を振り切り、現実の制約を受け入れまいとする。その結果、世界が実際には空想のなかで描いた姿と違うとわかると、避けようのない幻滅が訪れる。エンガーニョとデセンガーニョ、幻想と幻滅は、スペインの詩の永遠の主題なのだ。
スペイン人のこの節度を欠いた想像力と密接に結び付いているのが、その誇り、自分を理想化する力、自分の尊厳についての高い評価である。自尊心が彼に特有のかたちを取ったもの、すなわち名誉の名において訴えかけられると、彼はほとんどどんな犠牲でも払えるし、名誉を傷つけられたと思えば、ほとんどどんな暴力や残虐行為にも及びうる。スペインの古典劇は、ほとんどもっぱら、この中世的・ゴート的な名誉の感情と、東洋的な嫉妬の感情を軸に展開する。ローマが、近代精神との戦いでスペイン人を自らの戦士に仕立てたのは、その宗教的な本能に訴えるよりも、はるかに強く、その誇りと名誉心に働きかけたからだった。スペイン人は自分を、母なる教会のために英雄的な戦いに赴く遍歴の騎士だと考えていた。
スペイン人のこの自己への没頭は、新しい人道主義の理想を受け入れる妨げとなった。モリエールの劇のドン・ジュアンは、従僕に、神への愛のためではなく人類への愛のために、乞食に施しをせよと命じる。実際、モリエールの時代以来、人間は神の崇拝と個人の救済という古い考えに代えて、この人類崇拝、集団としての自分自身の神格化を据えてきた。自分の未来を理想化して、進歩という観念を生み出した。自分の過去に細やかな関心を注いで、歴史的精神を生み出した。自分の便利さと快適さにますます心を砕き、消え失せた楽園の夢に代わるものを、この世に見つけようとしてきた。個人は、この巨大な共同の仕事に自分を従属させるあまり、自分には独立した価値があるという感覚をほとんど失ってしまった。「未来の社会では、個人の重みはますます小さくなるだろう」と、つい先ごろもベルトロ氏は言っていた。
しかしスペイン人は、そのように個人としての自分の利益を人類の利益と一体のものとするのを拒む。彼には、中世の宗教が生み出した、あの微妙な利己主義がしみ込んでいる。その宗教は、人間が自然や同胞と持つ関係を顧みず、ひたすら自分自身の救済という問題に注意を向けさせた。昔、信仰心の厚いスペイン人が死に臨み、自分の魂の安寧のためにミサ代を払おうとして、この世の債権者への支払いをごまかすことは珍しくなかった。そのような人は、「自分の魂を相続人にした」と言われた。スペイン人はいまも、こうして自分を中心に考える。他人を信頼し、協力し、共通の目的に向かって私心なく働く力に乏しく、組織や規律を嫌う。それゆえ、ある人が言ったように、好戦的でありながら軍人的ではないのである。国民としての誇りにあふれながら、本当に愛国的ではない、とも付け加えられよう。彼の血にはいまも、アラブ人の荒々しい砂漠の本能と、ゴート人の個人的な独立を愛する心とが、いくらか残っている。ある昔のイギリス人著述家は、スペイン人について、「彼らが一緒に暮らしているのは、ただ狼を恐れるからではないかとさえ思われる」と言っている。公職に就いたスペイン人は、「われ亡きあとに洪水よ来たれ」を座右の銘としがちである。諺の言い方では、「最後の猿が溺れる」だ。
スペイン人が身体の快適さや物質的な洗練に無関心なのには、身体を軽蔑する東洋的・中世的な態度の名残が見られる。
肉体というこのぼろきれに、いったいそれほどの重みがあるのか。
わざわざ気にかけるだけの値打ちがあるというのか。
とはいえ、フアン・バレーラが描いた、スペイン人の質素な暮らしの幸福な時代は、もう過ぎ去り、戻ってはこない。フランス料理が入ってくる以前のあの黄金時代には、大貴族からラバ追いまで、あらゆる階級の人々が、ニンニクと赤トウガラシを合わせたこの国の料理を、等しくおいしく食べていた。窓ガラスは半島ではまだ珍しかった。マドリードの住民の十分の一でも入浴しようと思い立てば、飲み水も、スペインの食生活に欠かせないガルバンソ、すなわちヒヨコマメを煮る水も、残らなくなっただろう。だが、バレーラ氏が禁欲的な不信の目で見る近代の贅沢が広がっても、スペイン人は全体として、いまなおヨーロッパで最も節制を守る人々である。
スペイン人の残酷さ、より正確には、その無感覚さ、自分の命にも他人の命にも頓着しない態度もまた、中世と東洋の名残である。そのうえ、スペイン人の気質の底には、何とも言いようのない、原始のイベリアの野蛮さの筋が流れている。ドーノワ夫人によると、一年のある日には、宮廷の伊達男たちが、むき出しの肩を激しく鞭打ちながらマドリードの大通りの一つを走るのが慣わしだった。この悔悛の行者が、見物人のなかに意中の女性を見つけてその前を通ると、特別な好意のしるしとして自分の血を彼女に浴びせたという。動物の苦痛に無感覚なことは、スペインでは広く見られるが、私の観察するかぎり、ほかのラテン系の国々よりひどいわけではない。中世の宗教は、人間をほかの被造物より高く押し上げ、自然のほかの部分との関係を認めまいとしたために、動物へのこの共感の欠如を強めたのかもしれない。スペインの農民がロバを打ち据えるのは、マルブランシュが犬を蹴ったのと同じ理由からである。動物も自分と同じように苦痛を感じる仕組みを備えた存在なのだと見ることを、まだ学んでいないからだ。
スペイン人の中世的・貴族的な人生への態度と密接に結び付いているのが、実際的な判断力や機械を扱う技能の、不思議なほどの欠如である。「スペイン人の長所も、その欠点と同じく、古い世界の趣を帯びている。そのため彼らは、芸術を重んじず、商業的で、民主的で、懐疑的な時代に、秀でることができない」とバトラー・クラーク氏は書いている。フアン・バレーラも、スペイン人が実際的な事柄では不器用で能率が悪いことを認めるが、「崇高な無能力だ!」と叫び、そこに彼の「神秘的で、恍惚とし、超越へ向かう性質」のしるしを見いだす。つまりスペイン人は、石油ランプに火をつけるにも、火屋を割らずに済ませるのに苦労するのである。エマソンが銃を手に取り始めると友人たちを不安にさせたのも、それに似ている。残念ながら自然は、天使を気取って自然を軽蔑しようとする者にも、スペイン人のように、用心深さや倹約を欠くのを貴族的な超然の証しと見る者にも、手ひどく復讐するすべを心得ている。「天使のように振る舞おうとする者は、獣のように振る舞う」。何世紀ものあいだ必死の緊張を続けた末に、人間はついに、自分を純粋な精神と見なそうとするのをやめた。もっとも、ゾラ氏とその一派に至っては、自分を純粋な動物と見なそうとしたのである。人間は少しずつ、自分の感覚を尊重し、自然と友好的に暮らすことを学んできた。だがスペイン人は、時間と空間の法則に自分を合わせるのを拒んできた。最も崇高な企ても、たいていは最もありふれた細部をおろそかにするために失敗するということを、認めようとしない。ルネサンス以来、人間が物質の世界をますます確かな手で捉えるのを可能にしてきた観察と分析の能力を、彼は育てなかった。スペイン語の壮麗な響きは、詩においては自然を正確に表すことの代わりとなり、議会の演説家の言葉では事実の的確な把握の代わりとなる。スペイン人は、過度の正確さによって生きることの詩情を損なうのを嫌う。スペインの新聞では、蒸気船は何時何分ごろ、多少の前後はある、という具合に出航時刻を広告する。先延ばしは国民的な悪癖である。スペインに着いて間もなく、サラゴサの並木道を歩いていると、人々の話し声のざわめきのなかから絶えず聞こえてきたのは、「マニャーナ、マニャーナ・ポル・ラ・マニャーナ、マニャーナ」、明日、明日の朝、明日、という言葉だった。「スペインでは、破産以外のすべてが明日に延ばされる」とフォードは言う。「スペインでは何事も始めるのが遅く、決して終わらない」とこの国の諺にもある。また、「スペインの援軍は、来ても遅いか、さもなければ来ない」とも言う。
時間の価値に対するこの東洋的な無頓着さには、東洋的な宿命論もいくらか伴っている。あるとき、老いた農民と連れ立ってデスペニャペロス峠を越え、アンダルシアへ向かいながら、このことを話し合ったのを覚えている。「この呪われた世の中じゃ」と、彼は最後に言った。「クアルトで生まれた人間は、ペセタにはなれんのさ」。クアルトは銅貨、ペセタは銀貨である。スペイン人のこの真正の東洋的な宿命論、あらかじめ定められているという宿命論と、私たちのあいだで勢いを増しているように見える、進化の宿命論とを比べると、興味深いだろう。
スペイン人のもう一つの東洋的・中世的な特徴は、好奇心の欠如である。「キエン・サベ」、誰が知るものか、というのが知的な無関心の決まり文句である。それは「ノ・セ・プエデ」、できはしない、というのが宿命論の決まり文句であるのと同じだ。近代世界は、理性と知性の発達にますます救いを求めるようになっている。この見地に立てば、ルナンが「好奇心」をあらゆる徳の上に置くのも筋が通っている。他方、キリスト教は当初から知性の役割を十分に認めていなかったのではないか、と疑うのにはもっともな理由があり、ときには無知に特別な優しさを示す傾向さえあった。パスカルが近代の科学的探究の営み全体を、欲望の一形態、リビドー・スキエンディ、知ることへの欲情と決めつけたのも、キリスト教神秘家の伝統に忠実だったからにほかならない。自分のうちに理性という新しい力が起こり、中世的な信仰のまとまりを脅かすのを感じると、彼は自戒して叫んだ。「聖水を使い、ミサを聴かなければならない。そうすれば自然と信じるようになり、愚かにもなるだろう」。スペインはここ数世紀、理性の度を超えた働きに対するパスカルのこの万能薬を、きわめて効果的に用いてきた。したがって、スペインが陥った惨めな無知は、一部はキリスト教的な蒙昧主義の、一部は東洋的な無好奇心の結果なのである。
とはいえ、ついでにこう問いたくなる人もいるだろう。結局、スペイン人のこの好奇心のなさと、その正反対のアメリカ人が示す旺盛な詮索好きと、どちらが悪いのだろうか。後者は、日々の新聞にあふれる限りない無益な事柄で、自分の魂を浸しきってしまうのだ。少なくともスペインは、その無知のおかげで、キリスト教が非常に尊んだ幼子の知恵を、いくらか持っているのかもしれない。「スペインには、ヨーロッパのほかの地域よりも素朴さ、親切さ、無邪気さがある」と、ヴィルヘルム・フォン・フンボルトはゲーテ宛てに書いている。西洋のほかの国々には、いまや知性を鍛えすぎた徴候が見られる。今日の典型的なパリのフランス人から受ける印象は、その人格の全精力が批判的な知性を養うために費やされ、知性より下にあるものと上にあるもの、すなわち身体と魂の双方が犠牲にされている、というものだ。スペイン人の批判的な知性は、何世紀も使われなかったために発育を妨げられ、衰えてしまい、その欠陥に気づく感覚さえ失われている。教育がアメリカ人の第一の関心事であるのとまったく同じ意味で、スペイン人にとっては最後の関心事なのである。
スペインの衰退の原因を鋭く分析したフアン・バレーラによると、スペインは十六世紀に突然、世界に及ぶ支配を手にして、うぬぼれにとらわれた。それはちょうど、七世紀にわたる戦いの末にムーア人に勝利した時期と重なっていた。スペインは自分自身への狂信的な信念、「誇りの熱狂」に満たされ、その偉大さを生んだと考える中世的な形態に、それ以来、絶対不変の真理が宿るものとして、必死にしがみついてきた。そのあいだに、ほかの世界は静かに、文化についての中世的な見方からギリシア的な見方へと変わっていた。成長は一つの方向だけでなく多くの方向に起こること、個人も国家も、最も多くの相反する性質を自らのうちに取り込み、調和させることのできるものが最も偉大なのだということを、発見していたのである。実際フランスも、中世の排他性の原理を近代に持ち込もうとしたために、ほとんど致命的な打撃を受けた。サント=ブーヴは、フランスの国民性が均衡を失った原因を、ジャンセニストの迫害とユグノーの追放にさかのぼっている。一八七〇年の包囲戦で、パリの周囲に響くドイツ軍の大砲の轟音を聞き、パリのネフツェルが「われわれは聖バルテルミーの虐殺の代価を払っているのだ!」と叫んだのも、単なる思いつきではなかったかもしれない。排他性は結局自分自身を締め出す、というエマソンの言葉の真実を、スペインの歴史はさらに悲劇的に物語っている。ユダヤ人とモリスコの追放に伴い、金融、製造業、農業に関する技術のほとんどすべてが国外へ去った。そして異端審問は、燃え立ちすぎる想像力と狭く激しい気質を正すために必要だった知的な要素を、この国の生活から閉め出したのである。
しかし、ここ四十年ほどのあいだに近代思想はスペインにかなり根を下ろし、新旧の思想は、いかにもイベリアらしい鮮烈な対照をなして対峙してきた。この中世と近代の戦いは、近年のスペイン文学が好んで取り上げる主題である。ガルドス、アラルコン、バレーラのような小説家は、ときに非常に力強くこの主題を扱い、ヌニェス・デ・アルセやカンポアモールのような詩人の作品も、そこから力を得てきた。矛盾する理想のあいだでためらう一国民の姿は、不思議な眺めである。スペインは私たちの科学的・産業的な文明に疑いの目を向け、それを受け入れようとするまさにそのときにも、自分は破滅の道に踏み込むのかもしれないと感じている。私たちの満ちあふれた楽観主義を分かち合わず、進歩という考えにも不安を抱く。ほかの西洋諸国のように、物質を支配する仕事へ激しい精力で飛び込み、次のように忘れ去ることはできないのだ。
目もくらむ行動の渦に巻かれて、
世界を蝕む、あの何かを。
スペインには、ときとして、人生を実在しないものと感じる東洋的な感覚が取りつく。この国最大の劇作家の最も名高い劇が、『人生は夢』という題名を持つのは、単なる偶然ではない。この調べは、英語ではときおり、とりわけシェイクスピアの作品に聞かれるにすぎないが、スペイン語ではマンリーケの『詩節』からエスプロンセーダに至るまで、絶えず繰り返される。東洋人にとっては常に、スペイン人にとってもしばしば、知恵は、夢から目覚めるのに似た、孤独な悟りの不思議な過程によって姿を現す。エスプロンセーダの詩のなかで、知恵は自らを、「人が最後の愛を捧げ、その前ではあらゆる学知が沈黙する、神秘の乙女」と名乗っている。
私は神秘の乙女、
最後の愛を捧げられる者……。
これに対してベーコンは、西洋を代表するように、知識への道は誰も一人では進めない道だと言っている。
近代的な進歩の道に踏み出そうとするスペインの試みも、その手本の選び方がもっと適切だったなら、いっそう明るい見通しを持てただろう。スペインを哲学的に観察した数少ない人々の一人、ヴィルヘルム・フォン・フンボルトは、この国の最大の不幸はその地理的位置だと述べている。すべての思想はフランスを経由して入ってくるのに、フランスこそがスペインにとって何より危険なのだ。ゲーテが夢見た理想的な世界市民主義においては、各国はほかの国民の長所を賢明に取り入れることで、自らを広げていくはずだった。ところが今世紀に実際に生じた世界市民主義は、おそらく徳よりも悪徳の交換をもたらしたのではないか。私はときおり、フィレンツェのある広場に、この世界市民主義の象徴を見たい気持ちに駆られた。その土地に昔からあった見事な建築は、パリの大通りの安っぽい模倣に道を譲り、その近代的な建物の一つの正面には、「ガンブリヌス・ハレ」という文字がけばけばしく掲げられているのである!
理屈からいえば、スペインは何百人もの若者をドイツの大学やイギリスとアメリカの技術学校へ送り、ゲルマン人の科学的方法と、アングロサクソン人の実務と実行の才を身につけさせるべきだった。若者たちに商業、製造業、そして何よりも農業への関心を育てるべきだった。故郷の荒れ地を開拓し、森を植え、スペインでは風景そのものに刻まれている、人間と自然との長年の争いを癒やすために、出ていくよう励ますべきだったのである。
それなのにスペインは、フランスに、パリに体現された、限りなく魅力的で限りなく偽りの理想に、手本を求めた。この選択へと導いたのは、治しようのない貴族的な本能だった。スペインが偉大だった時代、人口九百万人のうち働くことを承知していたのは三百万人だけだったと推定されている。そしてスペインはいまなお、貴族の国である。真のカスティーリャ人は誰もが、いまもカバリェロ、すなわち馬に乗る者であろうとする。スペイン人は馬を降り、近代文明の仕事を肩で担おうとはしない。ある昔のイギリス人著述家に、いまも真実をほとんど失っていない、次のようなスペイン評を見つけた。「土地が耕されていないのは、一つには人が少ないためであり、一つには人々が高慢だからである。彼らは、自分の生まれに見合うよりも大それた考えを持つよう育ち、われわれのいう耕作者や農民になるのを軽蔑する。……もしこの国の人々を、国内で高い地位を得たり、仕事や財運を求めて国外を渡り歩いたりして、自分を損なう以前に捉えるなら、たいていは、その生まれつきの心のありようが、高潔で、礼儀正しく、穏やかなことがわかるだろう。ところが国内であれ国外であれ、もっと新しく甘美な暮らし方を見せると、世の虚栄と悪徳に酔わされて、多くの者がたちまちその毒を吸い込み、この上なく悪い人間となってしまう。したがって私は、彼らは生来善良であるが、境遇と感染によって、たやすくまったくの悪人になるのだと考える」。
こうしてスペイン人は、パリの大通りの毒を吸い込み、自国のどこにもそれに見合うもののない、借り物の優雅さという華やかな表構えを首都に築いた。灰色の貧しい旧カスティーリャの村から、マドリードのフエンテ・カステリャーナの人工的なまばゆいきらめきのなかへ突然出るときほど驚くべき対照を、私はスペインにおいてさえ、ほかに知らない。何千というスペインの地方出身の若者にとって最大の望みは、ぴったりしたフロックコートを着て威張って歩き、政治的な引き立てを求めることだ。それより卑しい職業は、このような高貴な郷士にはふさわしくないのである。官職の数は志願者に比べて少なく、給料は安く、いつまで勤められるかも不確かである。そのため役人は、盗むか飢えるか以外に、ほとんど選びようがない。古い絶対主義の悪しき伝統が、こうして新しい軽薄さと結び付き、近代スペインの役人のうちに、私たちのよく知る、腐敗と無能の見事な調和を生み出したのである。
底本の raised up. in their の句点は文意上の区切りとはせず、続けて訳した。
しかし、マドリードのカフェに入り浸るフランスかぶれのスペイン人、こうしたアフランセサードたちが、実際には国民をほとんど代表していないことを忘れてはならない。スペインでは、フランスやイタリア以上に、未来への希望の芽は上流階級以外のところに求めなければならない。近年の文学から判断すれば、上流階級のなかにも、フランス的な「ありふれた欲望を持つ平凡な人間」の理想を受け入れず、スペイン人の性格が近代の影響をある程度受けながらも、生来の重厚さや宗教的な真剣さを犠牲にせずに済むことを願う人々がいる。ここ数年に刊行された多くのスペインの本に、スペイン人がほかのラテン系の人々に生来まさっている点である、あの頑健さと力強さがいくらか見られるのは、心強い。スペインには、まだデカダン派の作家も、ゾラも、ガブリエーレ・ダヌンツィオもいない。
そこで下層の人々についていえば、実際に彼らのなかに入り交わった人々のあいだには、彼らが生来、善へ向かう可能性を備えているという点で、不思議なほど意見の一致がある。ボローはこう言う。「スペインでは、嘆かわしく非難すべきものが多い一方で、高潔で賞賛に値するものも多く見た。厳しく英雄的な徳も多く、野蛮で恐ろしい犯罪も多かった。だが卑しく下品な悪徳は、少なくともスペイン国民の大多数のあいだでは、ごくわずかだった。……アストゥリアスにはいまも勇気があり、アラゴンには寛大さがあり、旧カスティーリャには誠実さがある」。だがスペインの農民のこうした古風な徳は、十九世紀の文明との接触にどこまで耐えられるだろうか。素朴で本能に従った暮らしの深い詩情は、その接触によって消え失せ、生来の習俗の生き生きとした独自性は、うぬぼれた画一性の下で息を詰まらせるのではないか。要するに、無秩序と混乱に陥らずに、中世的な考え方から近代的な考え方への困難な移行を成し遂げられるだろうか。スペインはほかのどの国よりも、トリエント公会議から生まれた、あのイエズス会的なカトリシズムの支配を受けた。それはラテン系諸民族の生命そのものを毒し、人々の精神を掌握する力を失うくらいならと、決疑論者たちを通じて放縦を認めた。そして、人が近代精神においてどれほど進んだかを何よりもよく示す、自立と自制という徳の発達を、あらゆる手段で妨げてきた。いまスペイン人は、宗教による人為的な拘束から逃れつつあるが、その結果、情熱的で衝動的な子供のまま、十九世紀の生活の責任に立ち向かわなければならなくなった。庶民を観察したところでは、聖職者の権力はすでに崩れ、王制への敬意は損なわれ、現在の支配者への深い不信とともに、共和主義へ急速に流れている、と私は言いたい。現在の争いが終わるまでに彼らが味わうだろうデセンガーニョ、手ひどい幻滅は、何か激しい爆発を引き起こし、マドリードで政治を私物化する連中に災いをもたらすかもしれない。それでも慎重な人なら、半島の政治について予言する危険は冒さないだろう。スペインは予期しないことの国であり、論理的で当然と思われることが、最も起こりにくい国だからだ。想像力を持つ人をこの国がいまも引きつけるのは、おそらくそのためでもある。
何が起ころうとも、宗教と政治の絶対主義が何世紀にもわたって作り上げた考え方を、スペインがすぐに変えることはない、と確信してよいだろう。過去から逃れようとして、きっと宗教的な信条への狂信から革命的な定式への狂信へと移り、おそらくラテン系諸国の急進主義がたどる、ほかの嘆かわしい段階をも通過するのだろう。それでも、紙幅が許せば、スペインにはフランスやイタリアよりも真の共和主義の要素が多いと信じる理由を挙げることができる。この指摘も、これまで述べたことのほとんどすべても、とりわけ半島の真の背骨をなすカスティーリャ地方、アラゴン、北西部の諸州に当てはめるつもりである。
いずれにせよ、スペインをじかに知る人々は、ソールズベリー卿が先ごろ言及した「死にゆく国々」の名簿に、この国を載せることをためらうだろう。スペインには、いまの世界が失うわけにはいかない徳が、なお豊かに残っている。それらの徳を実りのないものにしている障害を取り除けるかどうかは、まだわからない。自らの血からイエズス会の毒を追い出せるだろうか。中世的な名誉の感情に代えて、良心を自尊心の土台とすることを学び、至聖なるマリアにではなく、近代人の宗教である行動に頼るようになるだろうか。何より重要なのは、ゴート人とベドウィンを合わせたような本能を飼いならし、よい政治に必要なだけの、秩序立った協力ができるようになるかどうかである。ところが、ああ、スペイン人自身がこう語っている。かつて聖母は、聖ヤコブの願いを聞き、スペインにさまざまな恵みを授けたが、よい政治という恵みだけは拒んだ。それまで授ければ、天使たちが天を捨て、楽園よりスペインを選んでしまうからだ、と。
英国人は批評的か[1]
近ごろ、イギリスの文芸批評について、かなり大きな主張がなされている。たとえばセインツベリー教授が一般的な『批評史』を書いた主な目的の一つは、明らかに、フランスの批評と批評家、とりわけボワローを低く評価し、イギリスの批評と批評家、とりわけドライデン、ジョンソン、コールリッジを高く持ち上げることだった。教授は『イギリス批評史』のなかで、「大きいほうの著書を書くにあたっての副次的な目的の一つ――しかも、それほど副次的でもない目的――は、この分野ではわが国の文学は借り物で二流だという非難から、それを擁護することだった」と認めている。一般的な『批評史』も、主としてそこから抜き出して作られたこの新刊も、意識的な、そしておそらくそれ以上に無意識的な、自国びいきの例だという印象を与える。
セインツベリー教授の個人的・民族的な好き嫌いを割り引いて考え、モーリー卿が正当に賞賛した、あの「途方もなく広範な学識」の恩恵を受けることも、できないわけではないだろう。ただ、その好き嫌いが、しばしば事実の解釈だけでなく、事実の述べ方そのものにまで色を付けていなければ、の話である。たとえば教授は、「ドライデンはオラニエ公ウィリアムに膝を屈するのを拒んだが、ボワローはウィリアムの敵の足もとで、しつこく卑屈に這いつくばった」と言う。教授だけを頼りにする読者なら、ボワローはドライデン以上の追従者だったと推測するだろう。だがボワローがルイ十四世を褒めたからといって、もちろんそれは、当時のほとんどすべての作家が心から行っていたことを、彼も行ったというにすぎない。スペンサーや同時代の文人たちが、エリザベスをもっと大げさに賞賛したのと同じである。何の説明も与えずに、サント=ブーヴとはほぼ正反対のボワロー評価へと到達するのは、セインツベリー教授の方法の典型である。しかも教授自身の説明によれば、この分野での大きな権威、十七世紀をほかの誰よりもよく知った人こそ、サント=ブーヴなのである。同じく何の説明もなく、重要な点でジョンソンのドライデン評価から離れるのも、この方法の特徴である。こちらも教授自身の説明によれば、ジョンソンは大批評家であるだけでなく、その『ドライデン伝』において最も優れた力を発揮しているのだ。ルイ十四世との関係を含め、ボワローが総じて厳正で誠実だったことは疑いない。これに対して、一人どころか多くの庇護者に対するドライデンの態度について、ジョンソンはこう述べている。「誇張された追従の卑しさと卑屈さにおいて、ローマ皇帝たちが神に祭り上げられた時代以来、彼に匹敵する者がいたかどうか、私は知らない」。今日ではほとんどイギリスの公認批評家ともいうべき地位にあるセインツベリー教授が、こうした事実を曖昧にすることをよしとしなかったなら、これほどよく知られた事柄を持ち出すのも恥ずかしいところである。
[1] 『ネイション』一九一二年三月二十一日、二十八日。ジョージ・セインツベリー著『イギリス批評史』の書評。
一
批評の分野でイギリスが成し遂げたことを、ほかの国々、とくにフランスの業績と、真に公平な判断のもとで比べるなら、セインツベリー教授の結論とは不思議なほど異なる結論に達する、と私は考える。ポープは、「批評の学はフランスで最も栄えた」と言った。この言葉は、ポープ以前の時代だけでなく、それ以後の時代についても、ほぼ同じように当てはまるだろう。もちろんイギリスにも何人もの大批評家がいたが、批評というジャンルそのものは、イギリス文学のなかでいくぶん二次的な地位を占めてきた。批評において、イギリス人はつねに多かれ少なかれ、他に由来するものに頼り、寄生してきた。一世紀近くものあいだ、芸術理論を大陸から出来合いのまま受け取り、その後、王政復古とともにフランスの影響、より正確には別のかたちのフランスの影響が加わった。アディソンによれば、「フランスの著述家から抜き出した少数の一般的な規則と、いくつかの決まり文句とによって、無学で鈍重な書き手が、この上なく明敏で恐ろしい批評家に仕立てられることもあった」。のちにはドイツ人がフランス人に取って代わる。ハズリットは、「浅く、平底で、小回りの利かない知性という船に載せて、重たいドイツの批評をこの国に輸入する、われわれのなかの人々」を嘆いている。さらに後には、マシュー・アーノルドが、サント=ブーヴは文芸批評において、詩におけるホメロスと同じ種類の最高の地位を占めると言って、少なくとも自分の拠って立つところを明らかにしている。要するに、イギリス批評の歴史は、大部分が外国の影響の歴史なのである。この分野でイギリス人は、絶えず借り手であり、ときたま貸し手となったにすぎない。いくつかのイギリスの批評作品、とくにアディソンのミルトン論やバークの『崇高と美の観念の起原』は、十八世紀のドイツに影響を与えた。しかし、これらはイギリス批評の国外での影響力が頂点に達した例でありながら、作品そのものとしては、最上のイギリス批評を基準としても、いくぶん二流なのである。
イギリスの文芸批評は、ほかの国々への影響が比較的小さかっただけでなく、イギリス文学そのものへの影響も比較的小さかった。これに対してフランス文学では、批評と創作とのあいだにつねに存在した緊密な関係ほど目立つものはない。近代フランス批評の最初の重要な作品、デュ・ベレーの『フランス語の擁護と顕揚』は、ロンサールとプレイヤードのほかの詩人たちが実際に実践しようとした文学と詩の考え方を示している。のちには、より狭い意味で古典主義的なフランス詩の一派が、真の詩人というよりも批評家だったマレルブから生まれる。サント=ブーヴの言い方では、苦しみながら姿を現すのである。もちろんこれは、強みと同時に弱みも示している。フランスでは、重要な創作上の運動に先立って、あるいはそれに伴って、重要な批評上の運動が起こってきた。その例はいくらでも挙げられる。イギリスでは、批評と創作が相反する方向に進むことがあまりに多く、あるいは同じ人物が、批評するときと創作するときとで、自分自身と矛盾する方向に進んできた。たとえばフィリップ・シドニーが『詩の弁護』で演劇に課す条件は、当時の実際の演劇に見られるものと、ほぼ正反対である。エリザベス朝の批評家は、劇ではディーセンシー、すなわち適切さを守るべきだと絶えず説く。一方、同時代の劇作家は、その言葉を批評家のいう意味で取っても、今日の私たちのいう品位という意味で取っても、同じように絶えずそれを破っている。根底には、古典模倣という教義に立つルネサンスの批評理論と、イギリスの想像力のロマン主義的な自発性とのあいだに、埋められない隔たりがあるのだ。
イギリスの資質と外国由来の規則との対立は、その後のフランスの影響の時代にも感じられる。王政復古に際してこの影響が現れるとともに、同時代の作家を本格的に批評しようとする、ほぼ最初の試みが起こり、ほとんど同時に職業的な批評家の一群が生まれたことに注目してよい。「近年までイギリスには、狼がいないのと同じほど批評家がいなかったので、無害で善意の本なら、何の危険もなく世を渡れた」とライマーは言う。エリザベス朝の劇作家は、王政復古期の劇作家とは違い、この意味での職業的な批評家を計算に入れなくてもよかった。
芝居に毒を盛ろうと、あいつらが座っているのが見える。
鼠取りの毒のように、平土間のあちこちへ散らばって。
コングリーヴの『喪に服す花嫁』の跋詩を書いた人物は、そう言っている。
さて、こうして現れた批評家たちは、全体として形式主義者だった。その影響は健全な散文の伝統を育てる方向に働いたが、彼らが採用した批評上の信条は、創造的な想像力が自由に働くことを、いや、その存在そのものさえ、まったく不十分にしか認めなかった。そのため、この時代を代表する批評家ドライデンには、新しい形式的な正確さの追求と、「大洪水以前の巨人族」である偉大なエリザベス朝作家たちの業績への賞賛との、絶えざる葛藤が見られるのである。スペンサーが真の叙事詩人になるのに必要だったのは、ただ「ボシュの規則を読むこと」だけだった、という言葉には、この対立がよく現れている。十八世紀にはジョンソンが、イギリス散文の傑作である『詩人伝』において、新古典主義の立場をある程度一貫したかたちにまとめることに成功した。しかし、そのために彼は、ふたたびロマン主義へ向かい始めていた同時代の創造的な力から離れ、同時に、過去のイギリス文学の最も詩的なものの多くを見落とした。彼が伝記を書いた五十二人の詩人のうち、今日の私たちの意味で、そもそも詩人だったと認められるのは、六人ほどにすぎないだろう。しかもそのうちの何人かについて、ジョンソンは、私たちなら最も詩的だと考える部分を、まさに低く評価している。要するにイギリスには、国民生活の主流に応える偉大な創作文学と、緊密な共感と調和を保ちながら仕事をした、ボワローのような大批評家が一人もいなかったのである。
二
「イギリスのアカデミーが布告を出したなら、多くの人は、確実にそれに背くためだけに読むだろう」とジョンソン博士は言っている。マシュー・アーノルドによれば、イギリス人がフランスのアカデミーのような組織を嫌うのは、中心となる規準の名において天才の想像の自由を少しでも削るように見えるものに対し、天才の側に立つからである。私には、この反感は、イギリス人のより想像力に富む気質だけでなく、ユーモアと気ままな個性への愛、とでも呼ぶべきものからも生じていると思われる。この国ではときおり、イギリス人にはユーモアの感覚がない、という非難を耳にする。その文学から判断するなら、むしろ逆に、世界にかつて現れたなかで最も優れたユーモアの民だと結論しなければならないだろう。イギリス人は、誰もが自分の気質を存分に発揮するのを好み、愛すべき個性にはいつも好意を寄せる。昔の言い方なら「独特な人」、今の言い方なら「ひと癖ある人物」に、愛情を感じるのだ。アディソンが教えてくれるように、徳そのものさえ、どこか風変わりな味わいと結び付くことで、イギリス人にはいっそう好ましくなる。イギリス人がこのようなユーモアを好むことに気づいた最初期の人々の一人がドライデンである。しかし、ウィリアム・テンプルの『詩論』は、その点をさらに明確にしているかもしれない。「われわれには、ほかの国々よりも独特な人物が多く、ありのままの自分を表に出す者が多い」とテンプルは言う。「われわれにユーモアが多いのは、誰もが自分の気質に従い、それを示すことに喜びを、おそらく誇りさえ感じるからである」。ユーモアという言葉が、それだけで用いられるとき、フランス語のユムールでは不機嫌を、英語では上機嫌を意味するようになったことも、国民の気質の深い違いを示しているのかもしれない。フランス人は、中心となる規準の立場から物事を知的に眺める。その規準を離れる場合も、自分自身の何らかの論理的な規準の名においてそうする。どちらの場合にも、規範から外れた人々を嘲笑で打つ。言い換えれば、生まれながらの機知の人なのである。それに劣らず、イギリス人は、その言葉の古い意味でも新しい意味でも、生まれながらのユーモアの人である。すなわち、自分の気まぐれな個性を自由に発揮する人という意味でも、他人のそうした個性を温かい共感をもって描く人という意味でもそうなのだ。『カンタベリー物語』の序から、クルックシャンクが挿絵を描いたディケンズの小説まで、イギリスには、ほかのどの文学にも類を見ない、一連のユーモアの傑作がある。
humor は古くは人の気質・気まぐれ・特有の癖も意味した。この段落はその意味と、他人の癖を温かく捉えるユーモアとの重なりを論じている。
一見すると、自己満足した順応と正確さの時代のようにも思える十八世紀のイギリスでさえ、ひと癖ある人物が驚くほど豊富だった。スモレットの『ハンフリー・クリンカー』の登場人物の一人は、全員が変わり者という一家を発見したと、うれしそうに告げる。この時代の豊かなユーモアは、ホガースの絵やホレス・ウォルポールの書簡にも現れている。地主ウェスタンのような、ユーモアあふれる偉大な創造は、イギリスの暮らしの核心そのものから取り出されたのである。ウェスタンは、貴族や宮廷の人々全般を「ハノーヴァーの鼠ども」と呼んで軽蔑する。その点で彼は、ヴェルサイユをまねていなければ自分が滑稽に思えた、当時のフランスの田舎貴族とは対照的である。アーノルドは、アディソンが文芸批評家としてラ・ブリュイエールに劣ること、その知的な生ぬるさ、中心となる立場を欠くことを、正しく指摘している。しかし、ラ・ブリュイエールはロジャー・ド・カヴァリー卿に匹敵する人物を創造していない。要するにラ・ブリュイエールは、批評家としてはアディソンよりはるかに優れているが、温かい人間味とユーモアでは、このイギリス人にはるかに劣るのである。
三
こうしてイギリス文学は、想像力の熱情、温かい人間味、ユーモアを、とりわけ豊かに備えてきた。また道徳的な真剣さにも、とりわけ恵まれてきた。批評家が折に触れて人間味とユーモアを示すことは望ましいし、想像力に富み、道徳的に真剣であることは、さらに重要である。しかし、これらの徳はどれも、第一義的には批評に固有のものではない。そのため、イギリスの文芸批評のうち最も賞賛に値するものの多くも、批評的な徳としては二次的なものによって、賞賛に値することになる。たとえばフィリップ・シドニーは、ルネサンス批評の最も古びた常套論に、自らの想像力の黄金色の輝きを投げかけることに成功している。一方ベン・ジョンソンは、『ティンバー、あるいは発見』で、まさに同じ常套論に道徳的な重みを与えている。シドニーもジョンソンも、批評上の独創性はほとんどまったく持たない。もう一度、ジョンソン博士の『詩人伝』を取り上げよう。この作品で博士は、偉大で真正な批評家であることを示しているが、道徳家としてはさらに大きな偉大さを示している。『詩人伝』で最も興味を引くのは文学上の判断ではない。その判断は、しばしば明らかに不十分である。むしろ、深く、どこか憂いを帯びた人生の知恵なのだ。さらに言えば、道徳家ジョンソンが、批評家ジョンソンにあまりにも完全に勝ってしまうことが多い。「最近の詩集にワッツ博士の詩が収められたのは、私の推薦による」とジョンソンは言う。「その読者は、ブラックモア、ワッツ、ポンフレット、ヤルデンを読んで、どんな喜びを得ようと、どんな退屈を覚えようと、それを私のせいにしてよい」。教訓を与えることへの愛が、文学的な感覚にこれほど完全に勝つのを、ボワローが許したとは考えられない。ジョンソン博士のような真正な批評家でさえ、批評的な傾向が教訓を説く傾向に譲ってしまうのなら、批評家としての力量がもっと劣るイギリス人たちには何を期待できるだろう。私は、どんな徳も過剰になれば悪徳となると信じる程度には、アリストテレス主義者である。機械的に、一方に偏って働く道徳的な真剣さは、われわれの民族において、文芸批評だけでなく、芸術と文学そのもの、さらには美の感覚と結び付いた人生の側面全体にとって、しばしば致命的だった。中世は批評的ではなくても、芸術的だった。だがピューリタニズムの空気のなかでは、芸術も文学も、それらの批評も、ほとんど不可能だった。悪魔が美術をさらっていってくれればよいと願ったカーライルは、カルヴァン派の先祖たちの精神に忠実だったにすぎない。
イギリスにはまた、想像力と感情のある種の過剰が、批評的な判断を損なった例もある。ラスキンほど才能に恵まれながら、同時にこれほど気まぐれで、知的な責任を負わない人物は、ほかのどの文学にも見つからないかもしれない。また、カーライルの、異常なほど狭く激しい感情ほど、真の批評的な気質に反するものも少ない。
イギリス批評のさまざまな時期、とくにその最も輝かしい時期の一つであるコールリッジ、ド・クインシー、ハズリットの時代が、ある要素の侵入によって毒されていたことにも注意すべきである。それは適切な場と程度においては徳となりうるもの、すなわち党派と政治への情熱である。ハズリットは、とりわけギフォードと『クォータリー・レビュー』を念頭に置いてこう言う。「この政治的な批評は、無力な悪意と鈍さの抜け殻にすぎない。そこに卑屈さの粘液が上塗りされ、最も執念深い偏狭さの毒によって、不自然に活発な状態へと駆り立てられるのだ」。しかしハズリット自身も、『ウィリアム・ギフォードへの手紙』で、ジャコバン派の怨恨は、少なくともトーリー党の怨恨に劣らぬことを示している。
四
これまで述べてきたことは、批評家の主な徳とは、ある種の落ち着き、あるいは均衡だという前提に立っている。テニソンが好んで断言したように、真の批評家が真の詩人よりもいっそう稀にしか現れないとすれば、その理由はきっと、霊感に満ちた人を見つけるよりも、均衡を保った人を見つけるほうが難しいからだろう。狭い意味で創造的な作家や芸術家は、たいてい自分の才能に閉じ込められすぎていて、この批評的な均衡を持てない。たとえばポーが、完全な詩の長さは百行を大きく上回っても下回ってもならず、世界で最も詩的な主題は美しい女性の死だと言うとき、私たちはただ微笑んで『大鴉』を思い浮かべる。これに対して真の批評家は、文学的な表現のあらゆる様式を包み込めるだけの、広い知識と共感を持たなければならない。そのうえで、さらに難しい仕事として、この知識と共感を、最も厳密な判断の統制の下に置かなければならない。そうして初めて、世の良識が最後に是認するような裁定を下すことが望める。天才は良識を昇華したものにすぎない、というフランス新古典主義の定義は、天才一般には狭すぎるとしても、批評家の天才には実に適切だからである。
批評家に落ち着きと良識があると言うのは、その見方が周辺的でなく中心的だと言うことにほかならない。ロマン主義的な批評家は、知識と共感を広げようとする。それはよい。しかし、広げることしかしようとしないので、セインツベリー教授のように、判断を鑑賞や享受と同一視するようになる。ところが判断と鑑賞は、同じ方向にではなく、反対の方向に動く。それぞれ人格の求心的な力と遠心的な力に属するのだ。批評家が真価を問われるのは、この両極のあいだを取り持つ力である。鑑賞する力を持つと同時に、中心へと引き戻す力も持つことである。この仲立ちなしには、判断と趣味には至らず、単なるロマン主義的な熱中に至るだけだろう。それには、セインツベリー教授の場合のように、「途方もなく広範な」、とはいえ必ずしも正確ではない、学識が伴うこともある。
セインツベリー教授は、拡大するだけの徳に反対すれば、必ず独断家になってしまうと信じさせようとする。集中には縮小が不可避に伴い、選べる道は形式主義か無抑制か、新古典主義の狭さか、教授が実に巧みに言い表した「ロマン主義の虚空を、いつまでもいつまでも落ち続けること」か、どちらかしかないというのである。しかし、人々がこの誤った二者択一を受け入れなくなる時代が来るかもしれない。中心へ向かう過程も、その反対の過程と同じほど直観的で、単なる形式主義から自由でありうるとわかれば、ロマン主義の脇を突くことになり、まったく異なる種類の批評への道が開かれるだろう。それまでのあいだも、教授は熱心に半面の真理を繰り返し続ける。それは一世紀ほど前なら、当時の型にはまった態度や洞察の乏しさに対する、有用な対抗刺激になったかもしれない。しかし今日の人々には、すでに傾いている方向にさらに倒れ込み、無秩序と印象主義へいっそう深く飛び込むよう励ますものになっている。
五
ここまでイギリスの批評を、ほかの国々、とくにフランスの批評と比べながら、想像力の熱情、道徳的な真剣さ、温かい人間味、ユーモアという、ある種の徳が豊かすぎるために、かえって損なわれてきたことを示そうとしてきた。次には、イギリス人にある明確な欠如が、その批評にどこまで影響したかを考えなければならない。
第一に、フランス人と比べると、イギリス人には趣味が欠けているように見える。ここではこの言葉を、味を見分ける力という、やや文字どおりの意味で使っている。この意味での趣味とは、ヴォルテールの言うように、「舌や口蓋のような即座の識別力であり、それらと同じく、熟考に先立つもの」である。批評家の趣味は、サンチョの話に出てくる、ワインのなかに鉄と革の風味を感じ取った目利きたちの味覚に、文学の世界で対応するものとなるべきだろう。彼らの判断は、あとで大樽の底から、革ひもの付いた古い鍵が見つかって、正しかったと確かめられた。サント=ブーヴもヴォルテールと同じく、文学的な趣味と身体的な味覚のこの類似を強調するのを好んだ。そして、教条主義者はほとんどいつも、何でも区別なく食べる人間だと気づいた、と付け加えている。たとえばギゾー氏なら、厚紙を食べても違いがわからなかっただろうという。さて、イギリスの大批評家の何人かには、食べ物の趣味にも文学の趣味にも、ある粗さが感じられると私は思う。ドライデンはホラティウスよりユウェナリスを好むと認めている。この好みには、彼の食べ物の好みについて知られていることと一致する何かがある。その味覚は、繊細というより旺盛だった。ジョンソン博士は料理についての洗練を自負し、イギリスにかつて現れたどんな料理書よりもよい本を書けると誇った。しかしボズウェルらの話から推測すると、むしろ味に無頓着な大食家だったと思われる。
結局、批評家とは、昨日書かれた本であれ千年前の本であれ、よい本を見ればそれとわかり、よい本なら、そのよさがどの種類でどの程度なのかも言える人にすぎない。この種の才能には、つねにいくらか直観的なところがあるはずだ。セインツベリー教授によれば、「ボワローは、古今いずれの著者についても、公平でよさを認めた批評を、一つとして残していない」のは「議論の余地がない」という。もしこれが、本当に優れたものにもボワローは心を動かされなかったという意味なら、明らかに誤りである。モリエールに宛てた「風刺詩第二篇」と、ラシーヌに宛てた「書簡詩第七篇」だけで、十分に反証となるだろう。ボワローには、教授のいう「批評の最高の働き」である「熱烈な鑑賞」の力があっただけではない。実際にその最高の働きである判断の力もあった。記録に残るどの批評家よりも、おそらく実際の裁定における誤りが少なかった。それは規則の体系を持っていたからではなく、ほとんど誤ることのない文学的な直観で、その規則を支えていたからである。ジョンソンも同じ規則を持っていたが、直観には比較的乏しかった。そのため、ブラックモアの『天地創造』を褒め、「リシダス」を不快だと呼び、フィールディングを不毛なごろつきと決めつけ、グレイをけなした。クーパーがアンウィンに宛てて次のように書いた気持ちも、少なくとも理解はできる。「ところで私は、彼、ジョンソンには、詩の韻律を聴き分ける耳がないと確信しています。ああ、あの老人の上着をひっぱたき、ポケットのなかで年金の銭がじゃらじゃら鳴るほどにしてやりたい!」
美しく芸術的な言葉への愛は、フランス人には、ほとんど生まれつきの適性のように見える。もちろん私は、民族によって運命が決まるという説を立てているのではない。フランス人も趣味を失うかもしれないし、実際、近ごろは失いつつある徴候も見える。同じように、これまでイギリス人のあいだではいくぶん稀だった批評的な徳が、将来は普通になる可能性もある。それでも、マレルブの詩一篇を三か月間吟味しても、冒頭の数連より先に進まなかったと伝えられるフランスのアカデミー会員たちは、古代ガリア人の正統な子孫に思える。カエサルによれば、ガリア人の主な望みの一つは、的確に言葉を使って自分を表すことだったのである。
フランス人は論理と抽象的な推論を好むのに、ドイツ人のように美学理論の底なしの虚空へ飛び去らずに済んでいる。それは具体的な芸術作品に対して、鋭く直観的に反応するためかもしれない。死に至る病の床で、ボワローはクレビヨンの劇を一冊読み始めたが、とうとう部屋の向こうへ放り投げ、この芝居はひどすぎて自分の命を縮める、と叫んだという。サント=ブーヴも、最期の病のあいだ、オウィディウスのよさについてガストン・ボワシエと議論しているうちに、あまりに興奮したため、医師にやめるよう注意されたと伝えられる。だが、たとえば美とは「感情移入」の過程だと証明するために、あるドイツの教授が何巻もの著作を書き上げたと聞いたとしても、ボワローもサント=ブーヴも、それほど心を動かされはしなかっただろう。
六
いま、フランス人が論理を好むことに触れた。それは美学の理論化の過剰にはつながらなかったが、フランスの批評に方法と一貫性を与えてきた。イギリスには優れた個々の批評家が見られるのに対し、フランスにはほとんど整然と対称をなす批評の流派の継起がある。ロンドンの建築や街路と比べたときのパリの建築や街路に、ある論理的なリズムが貫かれているように、フランスの批評にも、ある種の論理的なリズムが流れている。もちろんフランス人は、論理を徹底するという、この第一の徳の過剰によって、しばしば害を受けてきた。人間は推論する動物ではあるが、分別のある動物ではない、というジョン・アダムズの言葉は、とりわけ強くフランス人に当てはまるように見える。イギリス人は、このフランス人の論理性に比べ、自分たちの手探りで何とかやっていく習慣のほうが優れていると言いたがる。しかし、イギリス人がフランス人にまさるのは、道徳的な点である。明晰で論理的な思考が欠けているのは、純粋に実際的な見地からしても、重大な欠点だ。ともあれ、とくに十八世紀半ばごろ以来、イギリス文学にはフランス文学と比べて、思想が驚くほど乏しい。イギリス人には、その頑健さと精神の融通の利かなさに、古代ローマ人を思わせるところがある。他方、知的に自在なフランス人は、ギリシア人といっそう多くを共有している。もっとも、彼ら自身の道徳家の一人にならって、横顔だけがギリシア人なのだ、と付け加えなければならないとしても、である。
フランスでは、ときに批評家があまりに多くなり、互いを批評し始めなければならなかった。まるでヒューディブラスの剣のようである。
切り刻む相手がいないので、
自分自身へ食い込んでいった。
批評という言葉を広い意味に取り、個々の例外が多いことを認めたうえでなら、フランス人はしばしば批評の過剰に苦しみ、イギリス人はその不足に苦しんできた、と確かに言える。というのも、すべてを解体し、あらゆることを問い直そうとする批評には、きわめて重大な危険があるからだ。批評精神の最も偉大な代表者の一人であるソクラテスを有罪としたアテナイの陪審員たちは、その危険を言葉にできないまま、おぼろげに感じていた。知性は真剣さにとって致命的だ、とエマソンは言う。ゲーテはさらに賢明に、知性を解放しながら、それに見合う自己統御を与えないものは、すべて有害だと言っている。多くのフランス人は、その人格が支えうるよりも多くの知性を持っているように見える。ファゲ氏の言い方では、フランス人の人格は、その精神に釣り合っていない。反対にイギリスでは、人格においては巨人でありながら、知的には幼児のままの人に出会うことが少なくない。ゲーテがイギリス人に大きな賞賛を示し、ほとんどその同じ息のうちに、「イギリス人には、厳密に言えば知性がない」と言ったとしても、本当の矛盾ではなかったのである。ちなみにこの言葉は、「まったくものを考えぬ、生粋のイギリス人のように」というドライデンの一行を、内容のうえでは繰り返したものにすぎない。
人格と知性の自然な対立は、「本物の、健全な愚鈍さでは、イギリス人に並ぶ者はいない」というバジョットの自慢に、愉快なかたちで表れている。エマソンによれば、この救いとなる愚鈍さは、鷲の眼を覆う膜のように、彼らの知覚を覆い、守るのだ。自分の領分である政治思想では、ときに最も鋭い批評家の一人となりえたバークも、イギリス人の知性が外からの影響を通さないことに、同じような満足を示している。当時の急進派を数匹のバッタにたとえたところがそうである。「その場かぎりの、小さく、しなびた、やせた、跳ね回る虫どもは、声だけは大きく厄介で、しつこい鳴き声を野原じゅうに響かせる。一方、何千頭もの大きな牛は、イギリスの樫の木陰に休み、反芻し、黙っている」。これはアリストファネスの誤りを繰り返すものだ。彼はソクラテスとソフィストを区別しようとせず、鈍重な保守主義に立ち戻れば、知的な自覚の避けられない前進を阻めると考えた。このような見方の当然の帰結は、近ごろヒュー・セシル卿とその貴族の友人たちが見せた、哀れな姿に表れている。必要なのは頭脳の力だけだと明白なのに、彼らは肺の力、大声に頼ったのである。事態はすでに、保守派に残された唯一の望みが、社会主義者やほかの急進派からいま出てくる二流・三流の社会批評に、一流の社会批評を対置することだというところまで来ている。残念ながら、この危機を迎えるイギリス人には、知的な備えがない。その精神の体質は、私たちの時代の伝染に徐々に鍛えられ、耐えられるようにはなっていない。危険なのは、いざ思想に感染すると、それが南洋の島民にとっての麻疹のように、命取りの病となりかねないことだ。オックスフォードの学生が伝統主義から離れると、無政府主義者になるのも珍しくない。
七
イギリス人の批評に現れるもう一つの明確な限界は、あまりに知られていて、強調するまでもないほどだが、その島国的な狭さである。「私の見るかぎり、外国人は愚か者だ」とジョンソン博士は言った。この信念はいまも、普通のイギリス人のなかにいくらか残っている。十七世紀にサン=テヴルモンは、フランス人は自分たちの外に出られず、相手が自分の国にいるときにさえ、その人を外国人と呼ぶほどだ、と嘆いた。今日なら、この特徴はむしろイギリス人に結び付けるだろう。実際私は、パリでイギリス人の知人に、話すことも聞いて理解することもできない言葉を使う、これほど多くの人々のなかにいて、自分がひどく異国の人間だと感じないか、と尋ねたことがある。「いや」と彼は答えた。「でも、この人たちは私にはひどく異国の人間に見えるね」。
イギリス人の島国的な狭さも、知的な影響を通さない性質も、多かれ少なかれ、イギリス紳士という見事な慣習上の型と結び付いている。イギリス紳士は思索を疑うが、行動の人として偉大であることを誇るし、その誇りは正当である。イギリス文学における紳士の最もよい例であるスコットは、同時に、この国の最も偉大なユーモア作家の一人でもある。彼は、たとえば盟約派を扱う場合に見られるように、思想が個人や国民の特有の気質を描くのに役立つかぎりを除いては、思想そのものにはほとんど関心を示さない。スコットランド人をはじめとする人々の気質を描く豊かさと多様さに、鮮やかな対照をなすのが、彼の淑女と紳士たちの単調さと色彩の乏しさである。それは私の考えでは、彼らが皆、同じ慣習上の型に支配されているからだ。スコットにはトーリー党ふうの自己満足が強すぎる。その型を支える社会秩序全体がフランス革命によって掘り崩されたことに、あまりに無自覚である。バルザックは『人間喜劇』の序文で、スコットから受けた恩を記している。しかし彼がスコットと最も大きく異なるのは、全作品が一つの論理的な観念に支配されている点である。すなわち、革命の結果フランス社会にもたらされた道徳的な解体を示そうとする企てだ。彼の小説は実際のところ、近代フランス人の戯画であり、伝統的な宗教の抑制から離れた社会において、利己主義が破滅的な勝利を収める姿を、不吉でどぎつく描いたものである。バルザックの構想は、根本的に誤ってはいないとしても、少なくとも非常に一面的である。ただし、ポール・ブールジェ氏は――もちろん自身も反動主義者だが――近ごろの論考で、バルザックは近代フランスを実際に襲った病弊の、驚くべき診断者だったと述べている。しかし、私がここで言いたいのは、先ほどアディソンとラ・ブリュイエールを比べて指摘したことと、きわめてよく似ている。バルザックはより知的で批評的であり、スコットはより温かい人間味とユーモアに富むのである。
八
イギリス人の長所と欠点、およびそれらと文芸批評との関係を挙げてきたが、英語を話す民族全体の、おそらく最も支配的な本能である実用への本能には、まだ触れていなかった。イギリス人は、自分たちの持つ論理や思想を、主として功利主義と科学的な実証主義に役立ててきた。冷蔵の原理を見つけようとして鶏に雪を詰め、そのために最期の病を得たベーコンのほうが、『ハムレット』を執筆するシェイクスピアよりも、イギリス民族をよく代表していると思いたくなることもある。比較文学を学ぶ人は、シェイクスピアの国外への影響は、ドイツに対する影響でさえ、誇張されやすいことを知っている。しかし世界のどこであれ、地平線に煙を吐く工場の煙突がそびえるのを見れば、そこにはベーコンの影響力の強さを証しするものがある。英語を話す民族の、この功利的な側面と想像力の側面との隔たりは広すぎる。オックスフォードとイギリスの工業都市との隔たりが広すぎるのと同じである。功利主義と実証主義の伝統を代表する偉大な人々――ベーコン自身、ニュートン、ホッブズ、ロック、ヒューム、アダム・スミス、ベンサム、スチュアート・ミル、ハーバート・スペンサー、ダーウィン――には、思想は豊富にあり、ときには論理も豊富にあった。しかし芸術や文学の事柄では、俗物と大差なかった。最も美しい彫像にも石の人形しか見なかったニュートンから、「迷信を研究するために」ホメロスを読んだものの、あまりに退屈して第六巻より先に進めなかったハーバート・スペンサー、そして晩年にはシェイクスピアに何も見いだせなくなったと告白したダーウィンまで、この名簿を順にたどることは容易だろう。
極端な功利主義者は、ピューリタンと同じほど、芸術と文学にとって完全に望みがないだけではない。その見方は、はるかに広まりやすい。功利主義の波は、フランスでもドイツでも年々高くなり、オックスフォードのゴシック様式の小塔さえ呑み込もうとしている。実用にこれほど全面的に捧げられた世界に、伝統的な意味での芸術や文学の居場所があるかどうかは、疑わしい。ここでも正しいのはアリストテレス主義者の態度である。アリストテレス主義者なら、実際的な才が、想像力の熱情、道徳的な真剣さ、温かい人間味、ユーモアと並ぶ、イギリス系の人々の主要な徳の一つだと認めるだろう。しかし実用を機械的に、偏って追い求めれば、それは悪徳となりうる。そしてこの功利主義の過剰には、イギリスとアメリカだけでなく、多かれ少なかれ西洋世界全体が達してしまったように見える。
九
健全な文学上の規準を取り戻し、科学的・産業的な物質主義へ向かう今日の傾向を防ぐために、どのような手段を望めるかを論じるなら、現在の主題の範囲を大きく越えてしまう。最も明白な必要の一つは、私たち自身のうちに文学的伝統への感覚をよみがえらせることである。そのためには、ほかで述べたことをあえて繰り返すが、英文学やほかの近代文学を学び教える人々が、今のように功利主義者と結び付きがちになるのではなく、古典的人文学を担う人々と心から協力することが急務である。
だが伝統への感覚をよみがえらせる必要があるからといって、単なる伝統主義者になるわけにはいかない。そうなれば、イギリスの批評に、そして付け加えればアメリカの批評にも認められる最大の不足、すなわち思想の欠如に苦しむことになる。伝統を受け継ぐ態度は、この上なく批評的でなければならない。それは、厳しく明晰に考え続ける過程を伴わなければならないということだ。言い換えれば、変わりゆく現在の必要に、過去の経験を絶えず合わせ直していかなければならない。
過去をこのように正しく批評的に解釈するうえで、誰を手本とすべきだろうか。十九世紀は、通例、最も歴史を重んじた世紀だと考えられているのに、そのなかには不思議なほど手本が見つからない。この時代には、過去に対する二つの主要な態度が支配的だった。それぞれ科学的、ロマン主義的と呼べる態度である。科学的な態度を取る人は、主として過去の事実を調べ、確定することに関心を持つ。一方ロマン主義者は、事実の絵になる趣だけを楽しむか、現在から過去へ逃れ、テーヌなら言うように、自分のための逃げ場を作るために過去を用いる。しかし過去は、何よりも、研究の実験室とも、夢を見るあずまやとも考えるべきではない。経験を学ぶ学校と考えるべきなのだ。では、伝統を十分に身につけ、同時にそれを現在に生かすすべを知る人はどこにいるのだろう。この点ではサント=ブーヴさえ、私たちを完全には満足させない。彼もまた、ここ五十年以上にわたり人間の精神を枯らす病のように覆ってきた、自然主義的な宿命論の犠牲者の一人だった。「人間は自由という幻想を持つ」と彼は言う。その知識を役立てる自由がないのなら、過去を知ることに何の意味があるだろう。対照的に思い浮かぶのは、サント=ブーヴ自身が批評家の王と呼んだゲーテである。そして、私の全著作を学ぶことから得られる主な利益は、ある内面的な自由の感覚である、というゲーテの言葉である。
実際ゲーテは、ほかのどの近代人よりも、私たちの求めるものに近い。ただし付け加えておけば、ロマン主義的なゲーテでも科学者ゲーテでもなく、エッカーマンらとの対話や、晩年の批評的な発言に現れる、人文主義的なゲーテのことである。というのもゲーテは、『ファウスト』において、十九世紀を支配することになる二つの主要な力、科学的実証主義とルソー的ロマン主義に、「初めに行為ありき」「感情こそすべて」という、この上なく適切な言葉を与えたあとも長く生き、ついにはロマン主義を退け、科学は固く守りながらも、それが適切な位置にとどまるべきだと説いたからである。批評という技を実践する者としては、彼は最良のフランス人たちに劣るように私には思える。しかし批評的な考え方へ人を導く者としては、比べるものがない。伝統の一つをではなく、あらゆる伝統を自らのものにしながら、しかも最も近代的な近代人であり続けた。サント=ブーヴの言い方では、水平線に現れる新しい帆を一つも見逃さず見張りながら、スニオンのような高みから眺めているのである。より大きな背景と展望によって、個人としての洞察を補い支え、現在を、そのあるべきものにしようとする。過去の隷属的な模倣でも、過去の全面的な否定でもなく、その創造的な継続にしようとするのだ。「その時々の誤りや逸脱には、世界史の大きな蓄積を対置しなければならない」と彼は言う。絶対的なものについて理論を立てるのをやめ、それが実際に現れる姿のなかで認めることを学ぶよう、私たちに求める。多のなかに一を見るという人文主義的な技の、この特定のかたちは、私たちの時代にとりわけふさわしいように思える。私たちの時代が、たとえばギリシア・ローマの古代をはじめとするほかの時代と何より異なるのは、確かめられた人間の経験を、はるかに大量に利用できることだからだ。したがってゲーテは、イギリスやフランスのどの批評家よりも、私たちの最も切実な問題の一つを解く助けとなりうる。それは、一方では科学と功利主義の過剰に、他方ではロマン主義的な印象主義の過剰に対抗する規準を見つけるという問題である。セインツベリー教授は一般的な『批評史』で、批評家としてのゲーテの高い評価は、「いまやいくぶん古びた迷信」だと言っている。この言葉からすると、ロマン主義的な印象主義への対抗を始めるには、まずセインツベリー教授に対抗するとよさそうだ。批評家としての教授自身の名声こそ、本当の迷信だと判明するかもしれない。その名声がこれほど高いこと自体が、おそらく、イギリス人は批評的ではないという証拠なのだろう。
マシュー・アーノルド[1]
マシュー・アーノルドについては、よい論考が二、三篇書かれている。とくにW・C・ブラウネル氏の『ヴィクトリア朝の散文の大家たち』に収められたものがそうである。しかし、最初のよい単行本を書いたという栄誉は、シャーマン教授のものだ。盲目的な支持者ではないにせよ、教授自身が確信を持つアーノルド主義者なので、その解釈には、彼のいう「欠かすことのできない、個人としての熱意」がいくらか備わっている。……
一
アーノルドとその訴えが、こうして説得力をもってアメリカ人に示された以上、その訴えはアメリカ人にとってどんな価値を持ちそうか、と当然問いたくなる。この問いに答えるには、しばしば見落とされる点、すなわちアーノルドの本質的な近代性を、シャーマン教授とともに強調するのがよい。さらに言えば、アーノルドが同時代人に誤解されたのは、彼らほど近代的でなかったからではなく、彼ら以上に近代的だったからであり、いまも同じ理由で誤解されている、と断言できる。ただし、この主張には「近代的」という言葉の定義を添えておく必要がある。この言葉は、最新のものを表すためにしばしば用いられ、またそう使われるのも避けられないだろう。しかしゲーテ、サント=ブーヴ、ルナンのような人々は、単にその意味で使っているのではない。たとえばルナンがペトラルカを「近代精神の創始者」と呼ぶときがそうである。アーノルドが「文学における近代的要素」という講演でこの言葉を用いるのも、最新のものという意味ではない。これらの人々に共通するのは、近代精神とは実証的・批評的な精神、権威を根拠に物事を受け入れるのを拒む精神と同じだ、という考えである。アーノルドによれば、偉大な時代のギリシア人は、この意味で近代的であり、したがって中世の人々よりも私たちにはるかに近い。実際のところ、この実証的・批評的な気質を育ててきたのは、自然科学と、科学がもたらした種類の進歩である。この実証主義は、ルネサンス以来、多かれ少なかれ伝統に敵対してきた。しかし外的な権威が決定的に崩れたのは、十八世紀のあいだだった。過去のあらゆる形態が信用を失ったあと、多くの個人を襲ったのは、大きな精神的孤立、空虚さと見捨てられたような感覚だった。人生にはもはや中心も意味もないように思えた。古い秩序は知性をつかむ力を失ったが、想像力をつかむ力はなお保っていた。この特有の郷愁を、アーノルドが詩で表したほど完全に表したイギリス人は、おそらくほかにいない。確かに彼は、「一方は死に、他方は生まれる力のない、二つの世界のあいだ」を、慰めもなくさまよい続けたわけではない。しかし最後に近代精神と未来に運命を託したとしても、それは激しい葛藤のあとだった。シャーマン教授が言うように、彼には「いくらか不幸に分裂した人格」があった。のちに彼は、ギリシア人が実証的で批評的であったことだけでなく、想像力と理性の結合を成し遂げたことを賞賛するようになる。近代の試みを成功させようとするなら、私たちもまた成し遂げなければならない結合である。アーノルド自身において、この結合は完全には程遠い。想像力において最も彼らしいとき、その支配的な調べは哀歌的である。誰かが不満を述べたように、ときには詩神を病院の看護婦の役にまで引き下げるようにさえ見える。彼の理性は詩をそのように使うことを強く否定したので、実際に一時、『エンペドクレス』の流通をやめた。他方、理性を満足させる詩を書こうとすると、想像力の炎が彼を見捨てたように見えた。きわめて厳格な『メロペ』について、シャーマン教授は、それがある人々には、「視学官、教授、批評家を伴って進み始める詩人に待ち受ける災難の、悲しい実例」と思えるだろうと述べている。
[1] 『ネイション』一九一七年八月二日。スチュアート・P・シャーマン著『マシュー・アーノルド――彼を知るために』の書評。
二
十九世紀半ばごろには、アーノルドのように実証的で現実的な態度を取りながら、同時に何度も名残惜しげに後ろを振り返り、古い秩序と近代精神との争いに関しては、自分の心情と知性が同じ人間に属していないように感じることも、珍しくなかった。アーノルドが、この型の普通の人々とも、同時代人一般とも違っていたのは、その実証主義の徹底ぶりである。自分の近代性を最も誇った人々も、自然の法則に関して実証的だったにすぎない。人間の法則については、それが埋め込まれてきた伝統的な形態とともに、ただ捨て去ろうとしていた。しかしアーノルドは、人間は二つの法則に従う存在だと主張した。一時的な衝動や欲望からなる普段の自己のほかに、永続的な自己があり、それは普段の自己との関係では、統御する力として感じられる。経験上の事実として、人間が幸福を見いだせるのは、この統御を働かせるかぎりにおいてだけである。精神の法と身体の法とのこのような争いが人間のうちにあるのを否定するのは、単に事実から顔をそむけ、したがって完全に実証的で批評的であることに届かないということだ。この回避の結果は道徳的な無秩序である。それが自然の法則への把握の深まり、言い換えれば機械的・物質的な能率の向上と結び付くと、さらに危険になる、と付け加えてよい。
この近代的な方向に沿って、積極的に闘う人文主義者となることは、前世紀には、イギリスだけでなく大陸でも、きわめて稀な達成だった。多くの点でアーノルドの師だったフランス人たちのなかにも、それに当たる人を見つけるのは難しい。たとえばサント=ブーヴは積極的で闘争的だったが、自然の法則に仕える者としてそうだった。彼の人文主義は概してエピクロス的であり、人格よりも感受性のうちに宿るものだった。実際、人文主義の質という点では、マシュー・アーノルドよりもアナトール・フランスのほうが、サント=ブーヴに近い。
普段の自己の水準から十分に高く上がれないこと、すなわち無秩序へのアーノルドの処方は、言うまでもなく教養である。教養の名において彼が俗物と戦ったことを、慣習に対するロマン主義的な反抗と混同してはならない。ハイネは俗物の世間的な立派さに、あからさまな不品行を対置した、とアーノルドは嘆く。彼はボヘミアン的な生き方を支持するどころか、ダンテでさえ、外に現れる不行跡を許そうとはしなかった。ロマン主義者が俗物のうちにまず攻撃したのは、美的な洗練の欠如だった。アーノルドがまず攻撃したのは、全体性の欠如である。全体性を目指す人の反対にいるのは、成長が妨げられ、部分的で偏狭な見方しかできない人だ。「私は、一つの要素があまりにも優勢になることを、すべて嫌う」。引用できるほかのどの言葉よりも、この一文が、アーノルドの散文を理解する鍵を与えるかもしれない。模範として掲げる、偏りなく発達した人間性の手本を作り上げるために、彼は過去へと向かう。実証主義者は、過去を教義として押し付けられることは拒んでも、経験としての有効性は認めるからである。人間の法則を、抽象的な定式で最終的に言い尽くすことはできない。それは多面的で、捉えにくい。そのある側面を知るには、ある国、ある個人、ある時代に赴かなければならない。釣り合いの取れた生き方を求める人には、ギリシアがある要素を、ユダヤが別の要素を与えてくれる。アーノルドはつねに、正常な経験の核、人間のうちの永続的な自己を想定する。そして、あらゆる境遇の流れのなかでも持続するこの何かを、どれほど見抜いているかによって作家を評価する。彼自身の言い方なら、その作家の人生批評がどれほど深く健全かによって評価するのである。シャーマン教授が指摘するように、アーノルドが近代の学問の大いなる偶像、歴史的方法に対して比較的無関心だったのは、避けがたいことだった。歴史的方法は、持続する価値の尺度を否定し、すべてを相対的に見て、時間と場所の条件によって説明しようとする傾向があるからだ。
アーノルドは、想像力における全体性へ向かい、倫理的な洞察と形式の卓越を高い程度で結び付けていると思える少数の作家、主として詩人を、特別の一群に置く。彼の言い方では、内容の高い真剣さと格調高い文体を結び付けた人々である。彼らはほかの作家と、程度だけでなく種類において異なる。アリストテレスにさかのぼるこの大きな区別は、確かに健全である。強烈さやほかの基準を優先して、高い真剣さを捨てようとする人々は、詩と文学を危うくしているにすぎない。文学を人生の娯楽の側へ追いやろうとする功利主義者を、利することになる。功利主義者の物の見方には、知恵の文学、アリストテレス的な意味での余暇に役立つ文学の居場所がない。ただし、アーノルドがこの中心的な区別を展開するとき、もっと明晰で一貫していてもよかった場合があることは、認めなければならない。詩における格調高い文体とは何か、その根底にある想像力、倫理的な想像力とでも呼べるものの特質とは何か、と定義を求めると、彼は代わりに大詩人たちの短い一節を示し、それを試金石として使うよう求める。この方法は、詩の価値は個々の一節でなく、その構成術、全体の構造によって決まる、という以前の彼の主張と、必ずしも容易には両立しない。彼が理論を避けるのは、「詩的な真実を批評的に捉える感覚は、あらゆるもののなかで最も移ろいやすく、捉えにくく、消えやすい」と感じているからだ。理論が単なる形而上学を意味するかぎり、あらゆる種類の実証主義者は彼に共感するだろう。しかし彼が理論を避けることには、それ以上の何か、すなわち精密な分析を恐れるロマン主義的な気持ちの名残があるように見える。すでにアリストテレスに触れたが、実際、アーノルドのように人文主義と宗教の真理を批評的な土台に据えようとする人々にとって、アリストテレスはほとんど必然的に師となる。さて、完全なアリストテレス主義者となるには、二つのことが必要だ。第一に、原理を導き出す際の、厳密で筋道の通った思考。第二に、それを適用する際の、最大限の柔軟さである。確固とした原理が存在するにせよ、具体的な生とは「絶えず新しいものが湧き出すこと」だというベルクソンの言い分を認めなければならないからだ。一般的な法則と個別の事例の隔たりを正しく架橋するには、どれほど繊細に見分け、「揺れ動き、多様」であっても、行きすぎにはならない。残念ながらアーノルドは、ときに、実践の領域でのみ許される流動性を、厳密で筋道の通った思考が何より必要な原理の領域へまで持ち込むように見える。
内容の高い真剣さと格調高い文体が共存するのは、最良の詩人においてだけなので、アーノルドは、最良の詩を哲学と宗教の代わりに据えるようになる。そして哲学や宗教そのもののなかで最もよいものは、そこに無意識のうちに宿る詩なのだと宣言する。この種の発言を修正する言葉は、アーノルド自身からいろいろ取り出せる。それでも、これはなお彼の疑わしい側面として残る。今日の人が規準を求めて苦闘するとき、詩人の第一人者ホメロスを読むよりも、アリストテレス、とりわけ『倫理学』と『政治学』を学ぶほうが、より助けになると言ってよい。アリストテレスは、おそらく古代人のなかで最も近代的な人である。同時に、プラトンとともに反対の極端へ走り、宗教的な真剣さが足りないとホメロスを告発することは、拒んでもよい。ところがアリストテレスの内容の卓越は、格調高い文体と結び付くどころか、ときに危ういほど専門用語の羅列に近づくものと結び付いているのである。
『倫理学』では、最も妥協を許さない分析が、ついには宗教的な洞察へと燃え上がる。アーノルドは、アリストテレスが持たなかった多くのものを、キリスト教から得た。このキリスト教の真理を、教養というかたちで近代精神と調和させようとした試みには、賞賛すべきところが多い。しかし分析の鋭さにおいても洞察においても、いくらか足りないように見える。アーノルドが招いた反対の多くについては、彼自身が正しい説明を与えている。「世の半分を超える人々は、何かを教わる相手をどうしても受け入れられず、学びながら同時に蹴りつける」。それでも、伝統的な信仰が弱まったことでもたらされた事態の深刻さを、彼は十分に見ていないと感じた人々の不安も、理解できる。宗教を、感情を帯びた道徳と定義したことで、それらの信仰から真理の魂を余すところなく救い出した、とも言い切れない。真正な宗教的洞察を、最も受け入れがたい形の神学と結び付けたジョナサン・エドワーズは、ある説教で、宗教は単なる知性や道徳や感情以上のものであり、そのすべてを超えた「純粋な超自然の光」なのだと強調している。初期の仏教徒たちは、この問題に、ほとんどアリストテレス以上ともいえる徹底した分析を持ち込み、瞑想のある段階では宗教にまだ感情が混じっているが、瞑想が深まると感情は消え去り、混じりけのない安らぎ、万象の深い静けさに代わると認めた。根本の問題は、宗教を扱うとき、アーノルドが自然主義の水準を十分に超えているかどうかである。彼の場合、それはストア主義の水準を意味する。シャーマン教授は、マルクス・アウレリウスの哲学は最後には不十分だというアーノルドの評言に、自伝的な響きを聞き取り、この問題を実に巧みに示唆している。アーノルドをテニソンと比べれば、この点はさらに明らかになるだろう。アーノルドはテニソンのように、ヴィクトリア朝的な妥協を受け入れなかった。知的にはテニソンよりもしっかりとまとまり、彼自身の言うように、自分の時代の「精神の主要な動き」のなかにいる点でまさっている。しかしテニソンのいくつかの詩、たとえば「砂州を越えて」や「ウェルギリウスに捧げる頌歌」には、アーノルドにはまったく見られない何か、少なくとも、あの純粋な超自然の光の暗示が入り込んでいるのである。
三
アーノルドは、宗教の本質をいささかも犠牲にせずに、近代精神と調和させることには、完全には成功しなかったとしても、この点でも確かに正しい道を進んでいた。他方、それ自体としてきわめて健全な、実証的・批評的な人文主義を作り上げただけでなく、民主主義のなかで人文主義の理念が果たすべき役割を、見事な明晰さで捉えた。この点で彼は、自分の時代だけでなく、私たちの時代にも先んじていた。当時のイギリスには、革命的急進主義とナポレオンとの戦いに続く反動が、なお残っていた。貴族に代わって権力を握りつつあった中産階級は、「精神の主要な動き」が自分たちの決まりきった考えの邪魔になるかぎり、精神のほうを捨てようとした。アーノルドは、この知的な閉鎖性と闘うことに主な力を注いだ。だからといって、外からの抑制だけでなく内からの抑制も投げ捨てる、革命期のひたすら拡大する姿勢に戻ろうとしたのではない。しかしイギリスでもアメリカでも、実際に起こってきたのは、まさにそれだった。主要な拡大運動が再開し、急進主義がふたたび勢いを得て、それに伴い、アーノルドが民衆と呼ぶ人々がますます権力へ進み出た。シャーマン教授が『ネイション』で指摘したように、H・G・ウェルズのような作家は、ヴィクトリア朝の人々を飛び越えて、シェリーのような革命的ユートピア論者へと立ち戻るのである。
今日の私たちの大半が、ひたすら拡大することだけを求めていると言うのは、大半の人がなお、民主主義の質よりも量に関心を寄せていると言い換えることにすぎない。しかし、この態度はきわめて重大な問題を生む。民主主義はいま、帝国主義に対する十字軍へ出発しようとしている。だが歴史が一貫して教えるのは、ある種類の民主主義の行き着く先は帝国主義だということであり、しかもいま育ちつつあるのが、まさにその種類だという徴候がある。この危険を避ける唯一の道は、貴族主義的な原理、規準と規律の必要を認めることなのかもしれない。そうならば、質を重んじ、選び分ける民主主義を目指したアーノルドは、私たちの大半よりも冷静で現実的であり、要するに近代的だった。最良のときのアーノルドのように、今日、完全に近代的であること、すなわち自然の法則と人間の法則の双方に関して実証的であることに成功する人がいれば、私たちの熱心な進歩主義者、たとえば『ニュー・リパブリック』の編集者たちは、ほとんど時代遅れの存在に見えるだろう。確かに『ニュー・リパブリック』の編集者でさえ、民主主義には規律が必要だとわかる程度には、近代的かもしれない。その場合、彼は何らかの「能率」に規律を求める。能率は適切な場所では優れたものだが、こうして場所を外して高く掲げると、アーノルドが生涯闘った俗物性、あるいは単なる仕組みの崇拝へと、まっすぐにつながる。道徳的な無秩序への処方を、物質的な組織化という考えより先に進められないなら、なお十九世紀特有の幻想の領域にとどまっているのである。
アーノルドが質の高い民主主義を確保するために何らかの外的な手段を頼みとしたかぎりでは、それは教育だった。国家によって高い規準に保たれ、今度は国家に、十分に訓練された指導者を供給する教育である。科学と文学のどちらを重んじるべきかをめぐるハクスリーとの論争には、人間の法則と自然の法則の両方に関して実証的な人と、自然の法則に関してのみ実証的な人との対照が現れている。ただしハクスリーの自然主義は、比較的穏健だった。人間性全体を一つの法則の下に置こうとすることの危険が全面的に現れるのは、むしろハーバート・スペンサーである。彼は人間が類人猿の子孫だと信じ、このつながりを過度に強調する教育の構想を作り上げた。民主主義に健全な指導を与えるという、この上なく重要な問題に対するアーノルドの解決策は、カーライルとJ・S・ミルの一種の折衷だと主張するシャーマン教授の説明は、巧妙ではあるが、必ずしも説得的ではない。ロマン主義者と功利主義者のあいだを取り持って、人文主義者を得ることは、ほとんどできそうにない。カーライルの気質は「健全に保守的」だったとか、老年になってもその心理は真のトーリー党人のものだったとかいう教授の主張は、そのまま認めるのをためらう。この点を十分に論じることは、ここではできない。ただ、偉大なトーリー党人の最後の一人だったかもしれないジョンソン博士なら、カーライルの「英雄」という観念ほど噴出するように激しく非合理なものを、どう考えただろうかと自問してみよう。カーライルのように、フランス革命を「地獄の炎をまとった真理」と見て、それが「定式や慣習を突き破る」ことを喜んだだろうか。教育と政治の相互作用によって質の高い指導者を確保することは、実際にはアリストテレスの中心的な思想であり、アーノルドはそれをキリスト教によって補ったのである。シャーマン教授自身も、次のように書くとき、そのことを示唆している。「思索を重ねることで、アーノルドは熱烈に進歩的になった。……奴隷を除いたアテナイの民主政に似たものを目指した。すべての人のための、格調高い社会を志した。……自分を未来の自由主義者と呼んだとき、念頭にあったのは、この遠い理想だった」。この一節が示すほど楽観的ではなかったとしても、アーノルドが少なくとも望んだのは、誰であれ最良の規準に届かないとすれば、その原因が外的な障害でなく内的な障害にあるような社会だった。
四
こうしてアーノルドは民主主義とともに進むことを望んだ。ただし、質を重んじ、選び分ける民主主義であることを条件とした。この点で彼は、真の近代精神を示したのである。この種の民主主義は、その規準を形作るにあたり、批評から大きな助けを得られると彼は考えた。彼のいう批評がどんなものかを知るには、私たちのアメリカ民主主義についての評言を見ればよい。三十年以上が過ぎたいま、「数」についての講演と「合衆国の文明」についての論考を読み、彼が私たちの主要な危険だと見抜いたものを、私たちは正したかと自問するのは興味深い。それは凡俗さへ流れる傾向、国民生活における「深さと味わい」の欠如である。この凡俗さへの傾向は、多くの点で、抑えられるどころか速まったと言う人もいるだろう。「アメリカ人は立派な人々だが、その新聞は、いまのところ恐ろしい徴候に思える」と、アーノルドは一八八三年にボストンから書いた。この徴候は、いまやさらに恐ろしくなった。それ以後、私たちは扇情的な大見出しや漫画の付録が登場するのを見てきた。古代ミレトスの人々について、愚か者ではないのに、愚か者がすることばかりをする、と言われた。今日の新聞や大衆雑誌の店頭を一目見れば、私たちも、愚か者ではないのに、愚か者が読むものばかりを読んでいるように思えてくる。気だるく身を投げ出して日曜新聞を読む今日のアメリカ人は、世界がこれまで見たなかでも、質に対する量の勝利を最も完全に象徴する姿の一つである。民主主義の本質については、さまざまな見解が述べられてきた。目にすることだけで判断するなら、その本質はメロドラマだと断言したくなるかもしれない。新聞や「活動写真」が応えているのは、メロドラマ的な刺激への渇望である。ハロルド・ベル・ライトの小説に五百万人以上の読者を引きつけるのも、メロドラマなのだ。
チャーリー・チャップリンは、八本の映画への出演に百七万五千ドルを受け取ることになったと、先ごろ「公式に」発表された。この事実や似たような事実は、私たちが「あらゆる高尚なもの」に向けて育てつつある情熱に、いくらか光を当てるだろう。アーノルドが好んで引いた、凡俗さの束縛へのゲーテの警告、「われわれすべてを縛るもの、それは凡俗なものだ」には、その束縛の源についての、もう一つのゲーテの言葉を補う必要がある。「享楽を追えば凡俗になる」。アーノルドが指摘するように、私たちの古いピューリタン的な規準は畏敬を教え、そのかぎりでは凡俗さを正す働きをしていた。しかし道徳について現実を見る者の立場からすれば、この国の主な動きは、ピューリタニズムからエピクロス的な享楽主義へ向かってきたように思われる。確かに私たちは、非常に「理想主義的」である。だがその「理想主義」を分析すると、大部分は、まさにアーノルドが反対したものに行き着く。つまり平均的な人間をほとんど宗教的に崇敬し、移ろう多数派に表れるその意見に、過度に従うことである。私が挙げてきた凡俗さのさまざまな徴候が何かを示すとすれば、私たちがこうして理想化した平均人が、ますます享楽的になっているということだ。彼は永続する価値の尺度をほとんど顧みず、過ぎていく瞬間を最大限に楽しもうとする。今日の多くのアメリカ人には、「楽しい時間」という魔法の言葉が、大空の表に、燃えるような大文字で書かれているのが見えているようだ。この流れが続けば、私たちは「進歩性」や「理想主義」にもかかわらず、ローマの衰退期と似た心理を育てるかもしれない。アーノルドがアメリカ人について賞賛し、とくにエマソンに認めて高く褒めた楽観的な気質も、平均人を拝む私たちの宗教と、それが前提とする規準の欠如と、まったく無関係とは言い切れない。アーノルドが語るオハイオの婦人のように、卓越したものはありふれていて豊富だと考えるなら、彼自身のように、「卓越は近づきがたい岩山のあいだに住み、それに達するには、ほとんど心をすり減らし尽くさなければならない」と考えるよりも、陽気でいるのは容易だ。しかし規準を犠牲にして得られた快活さには、欠点もあるとわかるかもしれない。
多数派は健全ではない、とアーノルドは賢者たちに従って言う。民主主義に質をもたらそうとするなら、平均人を引き上げる無数の計画によってというよりも、私たちの「残された少数者」を増やすことによってであろう。この救いをもたらす少数者という教えは、独善的だと非難されてきた。実際は正反対である。その少数者に属するには、謙虚でなければならず、普段の自己より上に置かれた何らかの規準を仰ぐ必要を感じなければならない。こうして上を仰ぐ人には、今度は自分が仰がれるに値する者になる可能性がある。かなりの数の個人が、このように共通の規準の軛を引き受ければ、協力した努力と模範の力によって、社会全体の生地を発酵させるように、全体を変えていくだろう。高い規準を持つ少数者を十分に増やせない原因の一部を、アーノルドは私たちの教育に結び付けた。彼は「増殖するわれわれのカレッジや大学について、疑わしいという以上の思い」を抱いていた。彼の訪問以来の教育の変化が、その異議に応えたとは、とても言えない。ここ一、二世代のあいだに私たちの教育の運命を形作ってきた人々は、実際のところ、ハクスリーよりも、さらにハーバート・スペンサーに近い精神を持っていた。古いカレッジの課程は幅を広げる必要がある、と改革者たちが言ったのは正しかった。しかし実際に行ったのは、その課程を広げることではなく、本質を変えることだった。主な流れは、少なくとも意図のうえでは、一部は人文主義的、一部は宗教的だった教育から、一部は感傷的、一部は功利的な教育への移行である。アーノルドのいう「この活発に栄える運動」の最新の代弁者たちは、私たちになお残る人文的な規準の痕跡を取り除こうと、まさに熱意をもって働いている。ここでも正しい進み方は、ただ伝統へ戻ろうとすることではない。アーノルドのように、一面的な実証主義に徹底した実証主義を対置し、私たちのアブラハム・フレクスナーたちがどうしても捉えられない、人間性のうちの事実を主張することである。
厳密にアーノルドの立場に立てば、私たちに対してどのような批判ができるかを、私はいくらか強く述べすぎたかもしれない。それでも、民主主義の量に気を取られすぎ、その質には十分に関心を向けていない、という彼の主要な主張が、力を失ったとは言いがたい。普段の自己を好き放題に振る舞わせれば、そこから生じる害は、少数の「知識人」の美的な感受性に限られるものではない。このことを考えておくとよいだろう。すでに述べたように、結局私たちに残る選択は、質を重んじる民主主義か量を重んじる民主主義か、ではなく、質を重んじる民主主義か帝国主義か、というものになるかもしれない。民主主義の大敵、過去に何度もそれを死に至らせた敵は、無秩序である。そして、繰り返し強調しても足りないことだが、無秩序を正すのは能率ではなく、人文主義的あるいは宗教的な規律である。能率という言葉は、今日の意味では、人間存在の単に自然主義的な水準にとどまる。そうした規律を持つには規準が必要であり、現在の条件のもとで規準を得るには批評が必要だ。「アメリカ人が最も切実に必要とするのは、冷静で健全な批評を絶えず示されることだ」とアーノルドは言う。この問題、彼のいう「人間の問題」を解決したどころか、私たちはまだ、まともに向き合ってさえいない。才気のある人々には事欠かないが、規準を持たない才人ばかりである。シャーマン教授は、明らかな才気に規準への関心を結び付けるだけでなく、徹底して近代的・実証的な方法で、その規準に達しようとしている。この点で彼が先駆者であることを望みたい。アーノルドが語る、あの「象のような本隊」に先立って進み、未来を準備する狙撃兵の一人であることを。
クローチェと流動の哲学[1]
クローチェの著作はすでに十分な量が翻訳され、英語の範囲を出なくても、その評価を下せるようになっている。さらにピッコリ氏が、クローチェの立場からその哲学を見事に解説したので、この仕事はいっそう容易になった。自分たちがピューリタニズムと見なすものに反抗する知識人の多くは、クローチェが芸術における自由な表現を擁護すると知って、その根底の理論をあまり詳しく問わずに歓迎しがちだった。だが詳しく調べてみれば、この問題全体が並外れて難しいとわかる。ピッコリ氏によれば、取り組まなければならないのは、「一貫した厳格な認識論であり、今日の哲学研究と一般教養の衰退のなかでは、最も教養の高い人々にさえ、急速に理解できなくなりつつある種類のもの」なのである。クローチェを多く読んだ末の私自身の結論は、彼には周辺の多くの長所と、中心の誤りとが結び付いており、ときには中心の空白に不気味なほど似たものさえある、ということだ。この結論を十分に裏付けずに述べれば、独断的で意地悪にも見える危険がある。十分に裏付けるには一冊の本が必要だろう。それでも、いくつかの大きな区別を示すことで、クローチェの思考の主な方向に自分は賛成するのか反対するのかを、読者が自ら判断できるようにすることは、可能かもしれない。
[1] 『イェール・レビュー』一九二五年一月。クローチェ著『歴史――その理論と実践』『ダンテの詩』『アリオスト、シェイクスピア、コルネイユ』『ゲーテ』、クローチェの序文を付したG・ジェンティーレ著『教育改革』、およびF・R・ピッコリ著『ベネデット・クローチェ』の書評。
哲学には永続的な問題などない、という彼自身の言葉から始めるのが、おそらく最もよいだろう。規準は必要であり、また可能だと信じる人々は、永続的な問題はある、プラトンのいう一と多の問題だ、と主張するだろう。変化のなかで持続し、それを測る何かがなければ、規準はありえないのは明らかである。プラトン自身は、人生の単なる流れを、それを超えるイデアの世界に照らすという意味で、観念論者である。プラトン主義の、いやあらゆる超越の宿敵であるクローチェもまた、自分を観念論者と呼ぶことが、小さくない混乱をもたらす。彼の観念論は、主としてヘーゲルから絶対者を除いたものだ。実際彼は、P・E・モア氏が近代哲学の大いなる災いと呼ぶ、プラトン的な「イデア」をヘーゲル的な「理想」に置き換えることの、主要な実例である。クローチェ自身も、今日の状況には何か重大な誤りがあると気づいているようだ。同じ「観念論者」であるジョヴァンニ・ジェンティーレの『教育改革』に寄せた序文で、「新しいキリスト教」あるいは「新しい人文主義」を訴え、そうすることで私たちが「知的な無秩序から、抑えのない個人主義から、官能主義から、懐疑主義から、悲観主義から、この百五十年のあいだロマン主義の名のもとに人の魂と人類の社会を苦しめてきたあらゆる逸脱から」救われることへの希望を述べている。これは力強く響く宣言である。残念ながら、クローチェが言うと、その響きは真実らしくない。彼が極端なかたちで採用したヘーゲル的な発展の観念は、彼自身が指摘するように、哲学におけるロマン主義運動の頂点をなす表現だからだ。さらに、ヘーゲルに次ぐ彼の主な精神的祖先ともいえるヴィーコの著作は、彼自身の言葉では、「ロマン主義的な思想の、豊かで有機的な先取り」なのである。概して、純粋な自発性や束縛のない表現という意味での直観を崇拝し、芸術を一種の抒情的なあふれ出しに還元するクローチェの姿勢ほど、ロマン主義的なものはない。それは創作者にも批評家にも、判断の永続的な中心によって律せられないものであり、その結果、天才と趣味とが同一視されるのである。
多のなかに一を見て、流動するものに規準を課すことがクローチェにはできない。その結果、境界は弱められ、あるいは消される。中心的な方向から定義するなら、彼は新ヘーゲル主義的な混同論者と呼ぶのが最もよいかもしれない。文学や芸術におけるジャンルの有効性を否定するだけでなく、ついには宗教を哲学と、さらに哲学を歴史と同一視する。すべてが過程の問題であり、あるものの現実性は、それが何になったかによってのみ明らかになるので、クローチェがあらゆる境界を溶かしていくと、最終的にその利益を受けるのは、歴史、少なくともある種の歴史となる傾向がある。したがって、その立場を理解するうえで、彼の歴史についての著書はきわめて重要である。ここでもほかの場合と同じく、周辺の卓越した点には心からの賞賛を与えられる。ギリシア・ローマ時代から今日までの歴史の理論と実践を見渡すにあたり、彼は自分自身の豊かな学識に加えて、スイスのフーターの学識をも援用している。この本によれば、アメリカの歴史学教授たちは、ドイツの専門家に見られる、科学を装った尊大さに陥っている。「史料」への迷信が、真剣な思索に取って代わったという。それならば、彼らはクローチェから学ぶことが多い。しかし最後まで彼についていくのを拒むとしても、その理由は、よく言われるように思想を受け付けないからではなく、常識があるからかもしれない。たとえばクローチェが、歴史から個人を切り取ろうとする者は「個人とともに歴史そのものを切り取ってしまった」と述べるなら、分別ある人はただ賛同するだろう。だが彼が、「歴史は、その素材となる行為や人物に、善悪という資格を与えてはならない。まるで世の中に実際に善い事実や悪い事実、善い人々や悪い人々がいるかのように扱ってはならない」と主張するとき、その哲学には何か致命的に抜け落ちたものがあると気づく。類型の存在を事実上否定しておきながら、歴史そのものをこれほど純粋な類型にしてしまうので、たとえばエイブラハム・リンカーンはネロよりよい人間だったと言う人は、それだけで歴史的な態度から離れることになる。歴史家は退けたり非難したり、一般に「否定的な判断」にふけったりしてはならない。ヘーゲルの弁証法によれば、何ものも、それどころか大戦さえ、それ自体では悪ではないからだ。それは何らかの反定立に対する、必要な定立にすぎず、その対立はより高い総合のうちで解かれるが、その総合もまた次に乗り越えられる運命にある。この過程全体が本当に進歩や改善であると、どうすればわかるだろう。この点で確信を得るには、流動を超えて置かれ、歴史の発展が向かう何らかの目標が必要に思える。クローチェによれば、そうした目標はなく、それとの関係で従来想定されてきた至福や幸福もないのである。
歴史と哲学を同一視するクローチェの考えは、詩は歴史より真剣で哲学的だという、よく知られたアリストテレスの見方と、興味深い対照をなしている。詩がそうなのは、単に流動に巻き込まれる度合いが小さく、言い換えれば、現実の混乱のなかから典型的・代表的なものを取り出す自由が、より大きいからである。言うまでもなくクローチェは、詩を普遍的なものの創造的な模倣とするこの見方を退け、表現と抒情的な自発性とする自分の見方を取る。さまざまな大詩人に自分の批評方法を適用するとき、彼は賞賛すべきことを多く語る。これほど広い学識と輝かしい知性を持つ人なら、そうせずにはいられないだろう。おそらく最も優れているのは否定的な判断においてであり、たとえばダンテやシェイクスピアの批評として通用しようとしてきた、さまざまな無関係な議論を退ける場合である。それでも、その方法が中心において十分なものかという問いは残る。とりわけダンテについての本では、この問いが強く迫ってくる。クローチェによれば、『神曲』の宗教的・思索的な要素には、少なくとも客観的には、重要性がない。その構造は、詩を享受する助けというより妨げである。作品は構成の面からではなく、抒情詩の集まりとして見るべきだというのである。
このような詩の見方が、知性や意識的な芸術制作を低く評価することにつながるのは、避けがたい。たとえばスピンガーン氏は数年前、クローチェの名において、「子供の芸術も、ミケランジェロの芸術とまったく同じく芸術だ」と私たちに断言した。これは、クローチェ自身が認めるところを、おそらく超えている。しかしサント=ブーヴによれば、弟子の誇張のなかに師の欠点を研究することは許される。クローチェの知性に対する態度よりも、さらに重要なのは、意志に対する態度かもしれない。ダンテは深く思索する詩人だが、最後に重みを置くのは知性ではなく、より高い意志である。「御心こそ、私たちの安らぎである」。中世の見方から近代の見方への移行で何かが失われたとすれば、それは確かにここにある。すなわち、自分はより高い意志に依存しているという、人間の感覚が弱まったことである。ピッコリ氏は、クローチェの意志の見方にはベルクソンと共通するところが多い、と指摘する。ベルクソンは近ごろ、自分の生の飛躍の哲学は帝国主義的だと認めた。生命の衝動は、実際上、個人と国家における権力への意志と一致する、と言うのである。支配欲の自由な拡大を有効に釣り合わせるものが必要だと感じる人は、明らかにクローチェにもベルクソンにも、求めるものを見いだせないだろう。二人が訴えるのは、平和の追求とは正反対の極にあるもの、変化や運動を、それ自体のために愛する気持ちである。外の世界でかつてなく力と速度が増すことに内面で対応する、心の落ち着きのなさなのだ。概して、クローチェや近年のほかの流動の哲学者たちの強さは、彼ら自身にあるというよりも、時代全体がその共犯者になっていることにある。
国際的な名声でクローチェに並ぶ、存命のもう一人のイタリア思想家パピーニは、『一刀両断』の一篇を彼に捧げ、その新ヘーゲル主義的な混同に鋭い突きを加えている。残念ながら、この混同から抜け出す正しい道を示してはいない。クローチェが規準を覆すような批評を行うのに対し、パピーニは批評精神の全面的な否定のうえに『キリスト伝』を据えた。真の近代人であること、言い換えれば批評的であることと、同時に規準を保つこととのあいだにある問題を、ゲーテ以上に明晰に見た人は、おそらくいない。クローチェのゲーテ論がひどく不十分に見える理由の一つは、ゲーテのこの側面を正当に扱えていないことである。
パスカル[1]
一
この十年ほどのあいだに、パスカルへの関心が目立って復活している。このパスカル復興は、同じ時期に起こったルソー復興とは違い、国際的というよりフランス国内の現象であり、その意味も、より解釈しにくい。ルソーへの回帰は、世界を席巻してきた急進主義の大波と、明らかに密接な関係がある。『社会契約論』を扱った最近の著作の著者が述べるように、革命当時、ブルジョワジーが人民主権の教義を使って貴族を追い落としたのと同様に、プロレタリアはそれを使ってブルジョワジーを追い落とそうと望んでいる。しかし、なぜパスカルなのか。とりわけ、近代的なもののすべてから最も遠く見える、パスカルのあの側面への関心は、なぜ生じたのか。これほど多くのフランスの著述家に見られる共感は、セント・サイアズ卿の新しい『パスカル伝』にも、はっきり現れている。……
パスカルのうち、より神秘的な要素を扱うその仕方には、いま大きな広がりを見せている知性主義への反動が、いくらか反映されているようだ。プラグマティズムは、その唯一の現れでは決してないが、おそらく最もよく知られた現れである。とくにパスカルの回心の扱いには、宗教的経験における意識の閾下の働きについての、ジェイムズのいくつかの理論が、明らかに色を添えている。現象のあいだに厳密な因果の連鎖を打ち立てようと努めた、前世紀の偉大な科学的知性主義者たちは、「雷鳴のように襲い、目に見える激変を引き起こす恩寵」を、また総じてパスカルに見られる純粋な直観への訴えを、あまり好意的には見なかった。「回心者たちは私の友ではない」とゲーテは言った。とりわけパスカルに対するゲーテの非好意的な態度は、よく知られている。サント=ブーヴは、人は回心した後も、おおむね以前のままであると、飽きることなく証明しようとする。彼の『ポール=ロワイヤル』第六巻の追記に、きわめて明瞭に現れている、ジャンセニスムへの最終的な冷ややかさは、この見方によって説明できる。
[1] 『ネイション』一九一〇年十一月十七日。セント・サイアズ子爵著『パスカル』の書評。
理性的なものより直観的なものに寄せる、いま強まりつつあるらしいこの特有の共感が、サント=ブーヴやゲーテの堅実な知性主義に比べ、真の前進なのかどうかは、疑ってよいだろう。知性は、せいぜい仲立ちをする能力にすぎない。究極の始まりも終わりも、等しくその目には隠されている。そのどちらについてであれ、知性が何かを知るなら、それは直観に負っているはずだ。それでも、キリスト教のより禁欲的な形態に現れた、高次の直観の名による知性の軽視は、つねに不幸な結果をもたらしてきた。ルソーからジェイムズやベルクソンにいたるまで、さまざまな形を取って現れた、低次の直観の名による知性の軽視には、さらに確実な報いが待っているのではないか。初期のポール=ロワイヤル派の大部分は、自ら堅実な知性主義者であり、哲学のうえではプラグマティズムの対極にいた。セント・サイアズ卿の言葉を借りれば、彼らは「きわめて神秘的で直観的な宗教を、戦闘隊形を組んで行進する、密集した定式の隊列によって」擁護したのである。しかし、その論理性と合理性のすべてにもかかわらず、彼らは結局、奇跡的なもの、自然の秩序の激烈な転覆に重みを置いた。そのため、痙攣派と助祭パリスへ、サント=ブーヴが、天上にも地上にも自分をそこへ入らせるものはないと言った、あの十八世紀のジャンセニスムへと、道を開いたのだった。パスカルの宗教観には、すでに何か痙攣的なものがある。
話がこれだけなら、純粋に宗教的な側面におけるパスカルを、時代遅れと見なす人々に、私たちも同意せざるをえないだろう。たとえば、『スペクテイター』誌でセント・サイアズ卿の本を評した筆者は、今日の読者にとって真に重要なのは『プロヴァンシアル』のパスカルであり、『パンセ』の大部分に見いだされるのは、近代精神の明るい陽光によって、まだ払いのけられていない中世主義の、最後の名残の影にすぎない、と断言している。この見方は、少なくとも半ばは真実であるだけに、いっそう誤解を招く。『プロヴァンシアル』には、『パンセ』に比べて明白な利点がある。それは単なる断片ではなく、円熟した文章の芸術家、ほとんどフランス散文の創造者とさえ呼びたくなる人物の、完成した作品だということである。というのも、ギュエズ・ド・バルザックのような作家たちが、近代フランス語の文の、まだ内容のない形式を完成させたのだとすれば、その形式に生きた内容を与えたのは、パスカルだったからだ。今日、モンテーニュのように書こうとするフランス人は、鼻持ちならない気取り屋になるだろう。しかし、パスカルのフランス語は、構文でも語彙でも、ほとんど古びていない。それはいまも、すべてのフランス人が「できるものなら」書いてみたいと思うようなフランス語である。ドライデンのような作家に対するフランスの影響を通して、パスカルは英語でも、健全な散文の規準の確立に寄与したと言ってよい。
しかし、『プロヴァンシアル』が文章の芸術家として最良のパスカルを示すとしても、人間そのものにかかわる興味では、『パンセ』に劣る。イエズス会的な道徳に対するパスカルの攻撃は、当座の効果を狙ったものであり、そのため、ときには局地的で一時的な事柄に巻き込まれすぎている。また、『プロヴァンシアル』では、宗教がしばしば、神学者同士の応酬の、単なるきっかけに見える。完全な痛悔と不完全な痛悔、十分な恩寵と有効な恩寵といった区別には、私たちは心を動かされない。これに対し『パンセ』では、恩寵の教義がキリスト教のまさに核心にあると、感じさせられる。実際、それは、その勝利によって、キリスト教が古代の自然主義から身を引く力の大きさを最もよく示し、その衰退によって、近代の自然主義が信仰の内なる砦へ着実に侵入するさまを最もよく示してきた教義である。ある意味では、歴史上の信仰としてのキリスト教を特徴づける、固有の教義なのである。
二
実のところ、異教の哲学者たちにも、恩寵をわずかながら先取りするものは見いだされる。とくにプラトンが、徳は「生まれつきのものでも、習得されるものでもなく」、「神の贈り物として、有徳な人々に与えられる」と言うときがそうである(『メノン』)。しかし、プラトンもほかのギリシア人も、真のキリスト教的な意味で恩寵の教義を奉じることはできなかった。彼らは「シオンで恐ろしいほど安楽に構えていた」からである。つまり、彼らには謙虚さが、自然と人間性のいずれをも超える力への、絶対的な依存の感覚が欠けていた。聖アウグスティヌスによって詳しく展開され、ジャンセニストたちによって、ほとんど当初以上の厳しさで復活させられた恩寵の教義は、異教徒の意識にはふつう存在しない対照、すなわち、人間の徹底した罪深さと、神の無限の義との対照を、いっそう鋭くすることを意図していた。人間的なものと神的なものとの隔たりは絶対的であり、二重の奇跡によってしか越えられない。内においては恩寵の奇跡、外においては贖いの奇跡によって、である。セント・サイアズ卿の言葉を借りれば、ジャンセニストにとって、「自然はたちまち、巨大な不浄の混沌、腐敗した一面の揺れ動く泥沼となり、そのただなかに、嵐に打たれる恩寵の砦が、むき出しで孤独にそびえ立つ」のだった。この二重の奇跡なしに、自分の力だけに任されれば、人間は無力である。人間のうちで高貴なのは理性だけだ、とパスカルは言う。だが、理性そのものほど「軽蔑すべき」ものはない、とも付け加える。理性はいつまでも想像力にだまされ、その玩具になっているからである。このように、パスカルは恩寵の名のもとに、理性と想像力という、近代人がそれによって生きなければならない二つの能力を、ともに失墜させようとする。ついには私たちも、ヴォルテールのように、「この崇高な人間嫌いに抗して、人間性の側に立つ」ことを余儀なくされる。
極端な形を取った恩寵の教義の難点は、精神の恐怖政治を樹立することによって、ぐらつく神学を支え、補強しようとする試みに見えることである。とくに、この教義の最後の偉大な提唱者、ジョナサン・エドワーズによるその用い方がそうだ。エドワーズによれば、恩寵と回心がなければ、人間は「ほかの点でどれほど道徳的で厳格であり、慎み深く信心深くあろうとも」、地獄の穴の上に、細い糸で吊るされている。その糸は、神の怒りの火で、いつ焼き切られるとも知れない。これほど恐ろしい強迫観念に対して世の人々が反旗を翻し、脅されて天国へ行くことを拒んだとしても、それを責めることはできない。しかし、この神学的な恐怖への反動は、今度はほとんど同じほど激しく危険な、反対の極端を生んだ。
「お聞きなさい、私の子たち」と、アンジェリック修道院長は死の数時間前、修道女たちに言った。「私の言うことを、よくお聞きなさい。たいていの人は、死が何であるかを知らず、それについて考えもしません。私といえば、生涯それを恐れ、一度も心から離したことがありませんでした。それでも、私の最悪の予感でさえ、いま私を襲っている恐怖に比べれば、何ものでもありませんでした」。こうした神学的な恐怖の表現に、意図的に対抗して、ルソーは、死にゆくジュリの念入りな安堵と自己満足を描き出した。その最期は穏やかであるだけでなく、美的ですらあった(「生涯の最後の日は、その最も魅力的な日でもあった」)。自然は徹底して腐敗しており、人間は「神に向かって毒を吐く毒蛇」だという観念に対し、ルソーは、人間は善良であり、自然は美しいと主張するのである。あるいは、誰かがこの教義のクリスチャン・サイエンス版を要約した言い方では、「私はすばらしい。そして世界もすばらしい」のだ。魂のうちにある罪と義との裂け目を、どれほど善行を重ねても埋められないほど広くする代わりに、ルソーは、そもそも裂け目などなく、悪は外から魂に持ち込まれると断言する。言い換えれば、悪の責任を個人ではなく社会に負わせる。個人が自らの責任を感じる、その感覚を掘り崩すことによって、神学的な恐怖を取り除くのである。
ルソーに典型的に見られる感傷的自然主義だけでなく、カトリック世界でも、それ以外の世界でも、ほかの主要な潮流のすべてが、着実に恩寵の教義から遠ざかってきた。現世的な成功という点から見れば、ジャンセニスムほど、初めから確実に失敗を運命づけられた企ては、かつてなかった。カトリック教会は、絶対的な謙虚さという徳の代わりに、それとは大きく異なる、外的権威への絶対的な服従という徳を掲げる方向へ傾いてきた。一方、非カトリック世界は、謙虚でも従順でもない、自然主義的で人道主義的な人生観へ、ますます向かってきた。バークからジュール・ルメートルまで、優れた観察者たちは、ルソーには謙虚さがまったくないと指摘している。科学的自然主義者が人間の力を誇ることは、ルソーが人間の善良さを誇ることと同じく、謙虚さにとって致命的である。ある種の科学者の謙虚さの見本として、クリフォードの次の言葉を挙げよう。
「超人間的な神の、ぼんやりした影のような輪郭が、私たちの前からゆっくりと消えてゆく。その存在を包んでいた霧が流れ去るにつれ、私たちは、さらに偉大で高貴な姿を、いよいよ明瞭に見て取る。すべての神々を造り、やがてそれらを滅ぼす者の姿である。歴史のおぼろな夜明けから、そしてすべての魂の最も奥深いところから、われらの父なる〈人間〉の顔が、永遠の若さの炎をその目に宿して、私たちを見つめ、こう告げる。『エホバが在る前から、私は在る』と」。
もしルターが、永遠の若さの炎を目に宿す、この「われらの父なる〈人間〉」の姿を予見していたら――ルターなら、むしろ永遠の肉欲の炎と呼んだだろうが――あの大分裂に踏み出しただろうか。ルターとジャンセニストたちの努力をすべて合わせても、世界全体が恩寵の教義から善行の教義へ流れてゆくのを食い止めるには、ほとんど役立たなかった。イエズス会士たちは、服従を強調する点でも、善行を強調する点でも、近代カトリックの傾向を、ただ誇張したにすぎない。セント・サイアズ卿は、イグナティウス・ロヨラを、最も「徹底した功利主義者」だったと指摘する。ロヨラは、奉仕という考えを、今日のどの人道主義者にもほとんど劣らぬほど重視する。イエズス会士によれば、人の役に立ち、従順でありさえすれば救われる。人道主義者によれば、人の役に立ち、共感に富んでいさえすれば救われる。両者とも、罪の現実、個人の内での善悪の闘いの現実を、見えにくくする。イエズス会士は、自分の罪の重荷を司祭とその赦罪の力に預けて、降ろせるのだという望みを、個人に過度に抱かせる。人道主義者は、自分の重荷を社会に預けて降ろせるのだという望みを、過度に抱かせる。両者とも、善行の教義を骨抜きにしている。それは、ありうべき善行の教義だけでなく、実際にかつて定式化されたものについても、言える。というのも、プラトンが恩寵の教義をかすかに先取りするにとどまるのに対して、アリストテレスは、善行の教義を十分に説き明かしているからだ。アリストテレスは、個人を無数の絆で社会に結びつけようとし、倫理学さえ政治学の一部門とする。それでも、社会への奉仕を個人の目標とする、人道主義的な誤りには陥らない。アリストテレスの目に社会が重要なのは、主として、個人がより高い自己を実現するのを助けうるからである。社会が個人に働きかけ、正しい習慣の予備的な訓練を施すのは、ただ、自分自身に働きかけるという至高の課題に、備えさせるためだ。実際、アリストテレスのすべては、習慣という考えに収斂する。それは、科学的であると同時に人文主義的な考えであり、本能に属する善から理性に属する善へと、少しずつ上ってゆくための手段なのである。
超自然主義者は、これほど霊感を欠く方法を、軽蔑しがちである。そのためヤンセンは、アリストテレスと、地上の事柄を超えられない、その細切れの短い言い回しについて、侮蔑を込めて語る(「彼はその細かな言葉遣いによって、ただ地上の事柄だけを探究した」)。同様の精神で、ホルバインは、教会の高位聖職者や神学博士たちが、世の光であるキリストに背を向け、アリストテレスに従って深淵へ入ってゆく図を描いた。しかし、三段論法的な乾いた文体の下に、しばしば潜んでいる情熱が、実際に表へほとばしるとき、アリストテレスは、最も深い感銘を与える著述家の一人となりうる。生命の成長と発展への感覚を備えた、純粋な自然主義者として出発し、彼は徐々に、しかも存在の諸次元を混同することなく、両極端の仲立ちとして捉えられた、人文主義的な自己鍛錬へと上ってゆく。そして、いわば人文主義的な徳の頂点から、節度の法則さえ超える真理を垣間見るにいたる。「人間だからといって、ある人々が勧めるように、人間的な事柄だけを考え、死すべき者だからといって、死すべき者にふさわしい事柄だけを考えるべきではない」と彼は言う。「むしろ、できるかぎり自らを不死なるものとし、自己のうちの最善の原理に従って生きることを目指して、あらゆることをなすべきである。その原理は、大きさでは小さくても、力と価値では、ほかのすべてにはるかにまさっているのだから」。
このようにアリストテレスは、一方では、現代の最も鋭く、最も冷徹な科学者たちにつながり、他方では、至高天を見つめるダンテにつながっている。自然主義者としては、彼を超える者がいたかもしれないし、超自然主義者としては、確かにいた。しかし、ほかの偉大なギリシア人たちと同じく、人文主義において、彼はいまだ超えられていない。そして、どちらの極端にも意味を与えるために必要なのは、人文主義的な徳なのである。より多くの人が、超人間的な者になろうとする前に、自らが人間的であることを確かめていたら、世界はもっとよい場所になっていたかもしれない。たとえばパスカルは、相反する徳のあいだを仲立ちし、その中間に立つという、人文主義の技について、実に見事に語りながら、自分自身は人文主義者ではなかった。彼は宗教を、自然主義から超自然主義への、一種の「決死の跳躍」としてしか捉えなかった。「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と、彼が回心を記録した羊皮紙の小片にはある。「哲学者や科学者の神ではない」。かの大実験を行い、計算機を発明し、パリで最初の乗合馬車路線を設けた人物が、粗い獣毛の苦行衣を身につけ、病こそキリスト者の自然な状態だと断言した人物でもあるという事実は、一見、何かちぐはぐに思える。今日では、私たちはほとんど皆、頑固で悔い改めない自然主義者であり、ジャンセニストの目からすれば、まったく恩寵を欠いている。何らかの宗教を持つにしても、私たちは、パスカルのように自然と激しく対立することによってではなく、アリストテレスのように、自然を通してそれを得るだろう。総じて、アリストテレスの方法は、私たちが自分自身と世界に施した善行、そして正しい理性の規準に従って、自らを鍛えて身につけた習慣について、その報いを秩序立って刈り取ることに、注意を向けさせる。この方法は、それ自体としては、おそらく、雷鳴のような恩寵と、その目に見える激変を重んじるジャンセニスム、すなわち、聖アウグスティヌスの壮大な精神的ロマン主義よりも、健全なのである。
三
そこまで認めたうえで、急いで付け加えなければならない。恩寵と回心の教義は、結局のところ、人間性のある深い側面、しかもおそらく永続的な側面を、神学の言葉で表現したものにすぎないのである。アウグスティヌス型のキリスト教には、少なくとも、人間のより高い自己とより低い自己とのあいだに現にある二元性を、最も鋭く浮き彫りにするという利点がある。アリストテレス的な自然主義者でさえ、この二元性を絶えず覆い隠し、曖昧にしがちなのだ。実際、自然主義的な徳から人文主義的な徳へ、さらにそこから宗教的な洞察へと、秩序立って上ってゆくという、アリストテレスの示した模範が、大きな影響力を持ったとは、ほとんど言えない。アリストテレス以後の古代世界の主流は、ストア主義とエピクロス主義へ向かった。この二つは対立しているが、パスカルが強調するように、どちらも等しく成り立ちえない人生観である。これはまさしくパスカルの中心をなす、大きな一般化であり、彼がおそらく最も十全にそれを表現したのは、ふつう『パンセ』の冒頭に置かれる「ド・サシ氏との対話」である。パスカルによれば、人間についての純粋に自然主義的な説明は、必然的に、ストア的な傲慢とエピクロス的な弛緩とのあいだを揺れ動く。いずれの場合も、人間は孤独で頼りないままだ。自らのうちに堅固な中心を持たず、現象の巨大な渦、自然の果てしない流転と相対性に対抗させられる原理を、何一つ持たないからである。
『パンセ』の多くは、モンテーニュを書き直したものにすぎない。パスカルは、いささか不公平にも、モンテーニュを純粋なエピクロス主義者の典型と見なしている。しかしモンテーニュには、エピクロス主義とともに、真に人文主義的な要素がある。そしてその人文主義がまとう懐疑の仮面も、神学の時代をとりこにした「恐るべき確信の狂熱」への、正当な反動なのである。パスカルの激烈な論理に無理に奉仕させられると、モンテーニュは、その温かな親しみやすさをすべて失い、鋭さと良識をも、いくらか失う。それでも、私たちにとっていまなお最も興味深い『パンセ』の断章は、信仰の人と、ストア派であれエピクロス派であれ、自然主義者との、全体的な対照を明らかにするものである。というのも、近代世界も古代世界と同じく、伝統的な自己鍛錬の規律に背を向け、純粋な自然主義へと、ますます進んでいるからだ。そして、一見きわめて近代的な多くの見方のうちに、ストア派やエピクロス派の教説を、単に仕立て直したものを見つけるのは難しくない。たとえば、人間性に対するエピクロス的な絶望を見つけるのに、サント=ブーヴをそれほど深く探る必要はない。さらに近年の、より明白なエピクロス主義者を求めるなら、アナトール・フランスがいる。また、テーヌも十九世紀の多くのストア主義者と同じく、あの寂寥と哀感に満ちたマルクス・アウレリウスに、生き方の規則を実際に求めたことを知らなくても、テーヌの人生に対する態度と、ストア主義との類似には、気づくはずである。
現代社会に現れつつあるいくつかの症状と、ローマ末期の社会に現れた症状との類似は、さまざまな観察者を驚かせてきた。とはいえ、今日のアメリカ人は心理的に衰退期第一世紀のローマ人に、ヨーロッパ人は第二世紀のローマ人に対応する、と主張するフェレーロ氏ほど、細かな区分に踏み込む人は少ないだろう。この種の類比は、つねに不完全であり、もちろん、予言の根拠としては、まったく危うい。類似があるかぎりで、それは一つの共通の原因に帰せられる。究極の問題を扱う際の、純粋な自然主義の望みのなさと無力さである。チェスタトン氏は、この国では、すでにヘリオガバルスの段階に達したと言う。私たちはまだ、その段階からはほど遠い。とはいえ、伝統的な道徳の拘束力をすべて捨てても、自分の内であれ外であれ、何らかの権威の原理に十分取って代わるものを、雑多な人道主義的熱狂のなかに見つけられると思っているなら、いずれそこへ達するかもしれない。実際には、アメリカの状況は、ヨーロッパの状況と、それほど大きく違ってはいない。違うのは、犯罪、自殺、離婚、そして自然主義的な解体の、ほかのよく知られた徴候の増大に、私たちが、より衰えを知らない楽観主義を結びつけていることだ。ヨーロッパ人は私たちよりも、古代ローマを苦しめた生への倦怠に対応する、近代のいくつかの現象を、認めやすい。数年前に『現代の憂鬱』という本を刊行した、フィーレンス=ヘヴァールという著者は、教養あるヨーロッパ人の根底の気分が悲観的であることを、自明としたうえで、近代の魂の病を、整然と列挙している。
言葉にできぬ悲しみの感染、
測り知れぬ狂気の感染、
癒やしえぬ絶望の感染。
この描写は、おそらく誇張されているし、いずれにせよ、イングランドには、ほとんど当てはまらないだろう。もっともイングランドでさえ、ヴィクトリア朝的な活力の横溢とでも呼ぶべきものが、著しく衰えてはいる。
確かに、近代世界には、パスカル特有の角度から見ても、古代にまさる点がいくつかある。パスカルによれば、堕落した人間の大きな頼みは、気晴らしをすることである。それによって、自らの惨めさへの感覚(「神なき人間の惨めさ」)を、いくらか忘れられるのだ。さて、気晴らしとなると、私たち近代人は、はるかに優れている。「宴を開き、花で頭を飾った」ローマ貴族の、近代の末裔は、自動車を持ち、飛行機にも期待を寄せられる。科学の玩具は、際限なく次々に現れてくれる。それらが彼を楽しませ、自分自身の存在の根本問題についての、不快な省察から、気をそらしてくれると当てにできるのだ。ミルトンの言葉を借りれば、「楽しみがあり、娯楽があり、陽気な遊びがある。それらは、日の出から日の入りまで一日を巡らせ、退屈な一年を、楽しい夢のなかにあるかのように、揺り寝かせてくれる」。私たちは楽しみを持っているだけでなく、その代価を喜んで払う。この国では現在、自動車、活動写真、蓄音機に、年六億ドルを費やしていると推計されている。
しかし、「気晴らし」に対する、パスカルの過度に禁欲的な態度を共有しない一方で、ストア的な自然主義にもエピクロス的な自然主義にも、全面的には同意できない人もいるかもしれない。パスカルの言葉を借りれば、「万物の恐ろしい流転」のただなかに、信仰の堅固な島を、何か見いだす必要を感じる人たちである。パスカルの健全な復興は、こういう人々に訴える彼の力に、かかっているはずだ。この数年、フランスでパスカルに寄せられてきた関心の一部は、よくない意味で反動的だったのではないかと懸念される。たとえばヴィクトル・ジローは、パスカル自身の言葉を本人に当てはめ、彼はいまなお、すべての「悲しみに満ちた真理の探究者」の師である、と言う。宗教的な探究の悲しさを、こうまで強調するのは、不幸なことに思える。かつて哲学者になろうとしたが、陽気さがどうしても割り込んできてしまった、と語った、あの老紳士の言葉を、あまりにも思い出させるからだ。復興させることが可能であり、望ましくもあるパスカルは、伝説によれば、自分の傍らにつねに深淵が口を開けているのを見たというパスカルではない。自らの宗教的経験を、「喜び、確信、平和」という言葉にまとめたパスカルである。もちろん、『パンセ』の最良の断章の多くは、比較的世俗的な性格のものであり、その主題は政治から文芸批評まで及ぶ。厳密に宗教的な断章のなかで、最も見事なのは、信仰と世俗性との全体的な対照を扱うものだ。陰鬱なもの、禁欲的なもの、中世的なもの、狭く神学的なものを、すべて差し引いても、そこに残る、完璧に表現された純粋な宗教だけで、『パンセ』を、単にフランスの偉大な一冊ではなく、世界の偉大な書物の一つとするには十分なのである。
ラシーヌと反ロマン主義の動き[1]
一
数年前に象徴主義の灯が消えて以来、フランス文学には、新たな出発を促す力が、異様なほど乏しい。フランス人自身も、現在が、何か新しい運動が始まる前の、単なる休止期なのか、それとも、自分たちが決定的に、アレクサンドリア的な創造力喪失の段階に入りつつあるのか、確信を持てないようである。前世紀に、ほかのどの文学形式にもまして栄えた小説でさえ、疲弊の徴候を見せている。昨年、ある優れたフランス人に、小説の前途について尋ねたところ、返事はただ、「もう終わりだ」だった。その一方で、現在の倦怠のなかに、十九世紀と、その芸術・文学上の余波に対する不満の、興味深い徴候を認めることができる。ある種のロマン主義的、自然主義的な見方が、初めて力強く表現されたのは、フランスにおいて、ルソーの著作のなかでだった。いま、ルソー主義の根本的な前提への反動の始まりが見えるのも、近代諸国のなかで、知的に最も敏感なフランスにおいてである。フランス・ロマン主義に対する、ラセール氏の才気あふれる辛辣な攻撃ほど、近ごろ話題になった本は、そう多くない。ラセール氏によれば、ルソーは、単にロマン主義の祖先の一人なのではなく、その完全な体現者である。そしてラセール氏は、ルソー主義を「人間性の高次の部分の全面的な腐敗」と定義する。とくにヴィクトル・ユゴーについてのラセール氏の意見が、広く受け入れられるようになるのなら、ユゴーの崇拝者たちは、急いで『諸世紀の伝説』の五十周年を祝っておいて、よかったことになる。百周年のころには、ユゴーの栄光も、十七世紀におけるロンサールの栄光と同じく、単なる思い出になっているだろうからだ。
[1] 『ネイション』一九〇九年十一月十八日。ピエール・ラセール著『フランス・ロマン主義』およびジュール・ルメートル著『ジャン・ラシーヌ』の書評。
しかし、主に重要なのは、個々の作家に対するラセール氏の態度ではない。自著の後の版の一つに付した序文で、本人が言うように、その目的は、ロマン主義と自然主義の運動の花や実を攻撃するというよりも、その根元に少し毒を注ぐことにある。残念ながら、ラセール氏の本は極端に傾き、フランスでいう意味で反動的になる。一年ほど前、私はたまたまサン=ジェルマン地区の縁を走る細い通りの一つを散歩していて、反動的な書物ばかりを扱う本屋に行き当たった。そこでは、王政復古を勧める本と並んで、ラセール氏の本や、ほかの反ロマン主義的な刊行物が、飾り窓に置かれていた。さて、私自身としては、十九世紀の生活と文学の、ある種の傾向への正当な抗議が、このように、およそ実現不可能と考えてよい政治的、宗教的な反動と混ぜ合わされることを、残念に思う。
二
とはいえ、私の目的はラセール氏を論じることではなく、同じ反ロマン主義の運動に属する、もう一冊の本が示唆する話題を取り上げることである。その本もまた、広く話題になり、版を重ねてきた。存命のフランス批評家のうち、最も才能に恵まれたジュール・ルメートル氏が、ラシーヌをたたえるこの本は、彼が最近ルソーを攻撃した本と、自然に対をなしている。両書のもとになった講演では、ともに、サン=ジェルマン大通りの地理学会ホールの前を、流行の華やかな馬車が同じように行き交った。しかし、高級住宅街の老婦人たちの喝采にもかかわらず、『ラシーヌ』は成功した本であり、『ルソー』をはるかに上回る。それは、おそらく著者が、思想より芸術のほうに、よく通じているためでもあるだろう。伝統を擁護しながら、無味乾燥な伝統墨守から、ルメートル氏ほど遠く離れた人はいない。何よりも礼節正しく、慣習に従っていたと見なされる時代と作家を賛美するために、これほど印象主義的に小刻みに揺れる文体が駆使されている。その全体には、実に、めったにない面白さがある。
ルメートル氏のラシーヌへの愛には、疑いや留保の入る余地が、ほとんどない。彼は、友人の戯曲をソフォクレスの作品と同じ高さに置いたボワローにも、次の世紀に『アタリー』を「人間精神の最高傑作」と断言したヴォルテールにも、賛成するだろう。確かに、ロマン主義者たちはラシーヌに反旗を翻した。しかし、ラシーヌがいま再びこれほど高い支持を得つつあるとすれば、それは一部には、「ロマン主義の虚偽と幻想」への反動だ、とルメートル氏は言う。そしてその先で、古典主義的な気質の冷静さというよりも、それ自体、ロマン主義的な熱情を思わせるような仕方で、ラシーヌを褒めたたえる。
たとえば彼は、「ラシーヌは、私たち人類の最も美しい二つの伝統、ギリシア的伝統とキリスト教的伝統を、自らのうちに結びつけ、融合させている」と言う。それに対して私たちは、ラシーヌがこの二つの伝統を自らのうちに結びつけたとしても、両者の融合に完全には成功しなかった、と付け加えることこそ、きわめて重要だと言うべきである。十七世紀全体が、過去から受け継いだ、この二つの偉大な精神的規律を、和解させる試みに、十分成功したかどうかも疑わしい。たとえば、ボワローの叙事詩論は、日常生活の通常の関係ではキリスト教徒であり、書き物机に向かったら異教徒であるべきだ、ということを意味する。これを満足のいくものと見なすのは、難しいだろう。さて、ラシーヌも同じく、古典古代とキリスト教古代という「二つの古代」によって教育されていた。しかし、同時代のほとんどすべての作家と異なり、ラテン語だけでなくギリシア語についても、深い知識を持っていた。その知識は、アッティカの悲劇作家たちから、後期の牧歌的物語にまで及ぶ。また、彼のキリスト教も、その世紀に広まっていた、いくらか気楽でイエズス会的な種類のものではなかった。彼は若いころ、ポール=ロワイヤルの厳格で禁欲的な信仰に、深く浸されていたのである。要するに、二つの偉大な伝統の、それぞれ異例なほど純粋な形に導き入れられていたのだ。その結果、自己の内だけでなく、外の世界とのあいだにも、避けがたい葛藤が生じた。高貴で威厳ある姿を備え、教養ある社交人に求められる嗜みのすべてに秀でたラシーヌは、理想的な宮廷人となるのに、うってつけだった。その道を遮ったのは、ジャンセニスムだけである。というのも、彼が宮廷でいくらか寵を失い、その最期も早めたとされる原因は、苦しむ庶民のためにルイ十四世へ差し出したという、多分に伝説めいた請願ではなく、彼のジャンセニスムだったからだ。また、彼が三十七歳で、能力がまさに円熟の頂点にあったとき、戯曲の執筆を断念したのも、敵たちの『フェードル』への攻撃のせいというより、教育に含まれていた人文主義的な要素と、少年・青年時代のジャンセニストとしての、再び目覚めた良心のためらいとの、闘いのためだった。思い出さなければならないのは、演劇に対するジャンセニストたちの態度が、イングランドのピューリタンたちのそれと、よく似ていたことである。ピューリタンたちが劇場を「悪魔の礼拝堂」と呼んだように、ジャンセニストのニコルは、劇作家たちを、「信徒の身体ではなく、魂に毒を盛る者」として非難したのだった。
ジュベールは、ラシーヌの才能はその作品のなかにあるが、ラシーヌ自身はそこにはいない、と言う。少なくとも、『アタリー』があるとはいえ、ラシーヌは自らの宗教的な側面を、戯曲のなかで十分には表現できなかった、と言うことはできる。その点で、ソフォクレスやアイスキュロスのような劇作家たちとは異なる。彼らは、聖なるものと俗なるものとの、そのような対立を意識していなかった。実際、彼らにとって演劇は、宗教によって禁じられるどころか、それと密接に結びついていた。ラシーヌが情念の心理を、並外れて自在に扱いながらも、アイスキュロスやソフォクレスが、人間の運命のまさに深奥を探るかに見える、あのくだりに相当するものを与えてくれないのは、おそらくこれも一つの理由なのだろう。
三
私たちの多くが、ルメートル氏を責めるとすれば、その古典主義のなかにさえ現れる、ロマン主義的で印象主義的な傾向よりも、ラシーヌの論じ方を、国際的な視点に合わせて調整できていない点だろう。これは確かに重大な欠点である。もっとも、『ルソー』における同じ欠点とは違い、致命的ではない。ラシーヌについての国際的な評価を、これほど軽く退ける、ルメートル氏自身の理由は、きわめて単純だ。ラシーヌには、外国人には永遠に近づけない何かがある、と彼は言う。ラシーヌに対する、自国と外国との評価の隔たりが、おそらく、ほかのどのフランス作家の場合よりも広いのは、きっと、この近づきがたい何かのためなのだろう。たとえば、ラシーヌの翻訳や翻案が、イギリスの舞台や英文学に足場を築くことに、ほぼ全面的に失敗してきた点に、注目しなければならない。最近のあるフランスの著者が、その失敗の歴史を振り返った末に、「イギリス人にはラシーヌ向きの頭がない」と結論するほどなのである。ドイツでは、レッシングが、十分に古典的でないとしてラシーヌに異を唱え、A・W・シュレーゲルは、十分にロマン的でないとして異を唱えた。ドイツ人の頭も、少なくともイギリス人と同程度には、ラシーヌ向きでないことを証明する例なら、いくらでも挙げられるだろう。
さて、ルメートル氏によれば、教養あるフランス人がラシーヌに感嘆するのは、理性、絶妙な節度、このうえない明晰さ、判断力によって調えられた繊細な感受性、要するに、真に古典的な美徳である。一方、外国人が反感を持つものは、作為性という一語にまとめられるだろう。ルイ十四世の宮廷の、いくらか空疎な華麗さと大仰さを、あらゆるところで感じさせるもの、つまり、真に古典的というより、擬似古典的な要素である。
それならば、ラシーヌについて、よく理解した評価に達するためには、何よりも、彼がどの点で真に古典的であり、どの点で新古典的、あるいは擬似古典的なのかを、定める必要があるだろう。同時に、彼がむしろロマンスの精神から霊感を受けている、別のいくつかの点にも、忘れずに注目しなければならない。
フランス悲劇の新古典的要素は、もちろん、イタリア・ルネサンスの、アリストテレスの注釈家たちと、文学の細則を論じた人々にまでさかのぼる。この新古典主義による演劇の規制の、当初からの、おそらく最も著しい特徴は、想像力の規準よりも、理性的な規準を適用しようとする傾向である。それは、詩の世界と、論理や日常の事実の世界との区別を、廃するところにまで及ぶ。ふつうの現実の範囲を越えたり、厳密な論理の連続に従って展開しなかったりする戯曲は、すべて「ありそうにない」と非難された。劇の真実らしさについての、このいくらか狭く機械的な考えが、すべての規則のなかで最も有名な、時・場所・筋の一致の、主な原因となっている。このうち二番目は、アリストテレスにはまったくなく、真にアリストテレス的と言えるのは、三番目だけである。三一致と、論理性への要求のもう一つの表れである、場面の連続(「途切れない場面」)とは、ボワローの、碑銘のように簡潔な詩句に、まとめられている。
一つの場所で、一日のうちに果たされる、ただ一つの出来事が、
最後まで、舞台を満たし続けるように。
コルネイユと違って、ラシーヌは、新古典主義の規律の擁護者たちが舞台に課した、あらゆる規則のなかを、まったく自在に動いた。実際、これほどの演劇への規制が正当化されるとすれば、どこをおいてもラシーヌにおいてでなければならない。彼は、ヘインシウスの『悲劇の構成について』(一六一一年)のような論書を精細に研究し、ルネサンスのアリストテレス的学識の精髄を吸収した。その結果、いくつかの戯曲において、単に厳密な構成だけでなく、古今の文学に比類のない、劇作技法の実際の完璧さにまで達している。これは、それ自体で、最良のギリシア芸術の神々しい自然な発露に取って代われるわけではないとしても、決して小さな長所ではない。
新古典主義の規則は、集中しようとする、ラシーヌ自身の傾向に合っていた。ただ一つの情念を描き、その情念そのものを、まさに危機と頂点において捉えるという傾向である。ラシーヌの関心は、この劇が表現される外的な行動よりも、心理の劇に向いている。最近のある著者(G・ミショー『ラシーヌのベレニス』、一九〇七年)は、ラシーヌの戯曲のうち、最もラシーヌらしいもの、すなわち、彼の劇芸術観の全体が向かっていた作品は、『ベレニス』だと主張している。それは、フランス悲劇とは五幕にわたる会話だという、通俗的な見方を、ほとんど実現している。しかし、『ベレニス』の心理の劇は強烈であり、最初から最後まで騒々しい事件の詰まった、多くのロマン主義的メロドラマよりも、舞台上でよく働く戯曲なのである。また、「地方色」、つまり時間と空間に応じて人間を多様にする、具体的で絵画的な細部のすべてが、ラシーヌに欠けることも、一部には、その集中に帰せられる。同時代のサン=テヴルモンから今日まで、批評家たちは、この欠如を責めてきた。すべての古典主義者と同じく、ラシーヌは、場所によって変化した人間性ではなく、その本質を表そうとした。しかし、その本質的な人間性を、自分自身の時代に特有の人間性の形態と、同一視しすぎることが、しばしばあった。「フランスの詩人たちは」とドライデンは言う。「どこを舞台にしようと、どの時代にしようと、登場人物の振る舞いが、まったくフランス風だと、広く非難されている。ラシーヌのバジャゼは、コンスタンティノープルで育った。しかし、その礼儀作法は、ヴェルサイユから後宮に通じる、何か秘密の通路を通って、彼に届けられるのだ」。ともあれ、ラシーヌは、その限界に伴う長所を持っていた。一八三〇年のロマン主義者たちが崇拝し、ルメートル氏があれほど面白く攻撃した、地方色の追求のために、演劇の本来の仕事から、それることを許さなかったのである。
四
新古典主義の作家が擬似古典主義に陥る、一つの道は、優れた趣味の永続的な法則と、ローウェルがいう、礼儀作法の地方的な細則とを、区別できなくなることである。レッシングによれば、古代人は、上品な社交作法について、何も知らなかった。これに対して、十七世紀のフランス悲劇には、洗練された社交の慣習が行き渡っている。優れた人文主義者であると同時に、完璧な宮廷人でもあったラシーヌは、古典主義の規準とヴェルサイユの規準との、この融合を達成するのに、とりわけ適していた。上品なものと卑俗なものとの区別は、一定の身分を備えていなければならない主要人物から、庶民的なものの痕跡を一切排さなければならない言葉にいたるまで、その戯曲のすみずみに及ぶ。プラトンとアテナイの魚売りの女たちは、同じ語彙を使っていた、と言われている。ともあれ、アテナイでは、言葉が「高貴な」ものと「低俗な」ものに、公的に分類されてはいなかった。もちろん、エリザベス朝のイングランドについても、同じことが言える。『ハムレット』の最初の場面に論評するとき、ヴォルテールがとくに憤るのは、悲劇のなかで、鼠ごときがあえて動くことである。正確な比較は容易ではないが、その時代の威厳と礼節の観念によって、ラシーヌの語彙は、シェイクスピアの半分にも満たない数に、制限されていたと見積もれるだろう。フランス悲劇が動く、慣習の魔法の輪の内側からは、生々しく現実的なものがすべて追放されている。登場人物たちは、神々の飲み物と食べ物で生きているように見える。精神が身体に及ぼす作用は、ほとんど語られず、身体が精神に及ぼす作用となると、実質的には何も語られない。
もちろん、ラシーヌは優れた古典学者だったから、この点で自分の芸術と古代人の芸術が違うことを、知らないはずはなかった。古代人の芸術は、趣味に厳しく、選び抜かれたものではあっても、過度に潔癖ではなかったと、彼は知っていた。「私たちのフランスの詩では、そして小説でさえ」と彼は書く。「食べることは、登場人物たちが栄養を摂る必要に縛られない神々であるかのように、まったく語られない。ところがホメロスは、機会があるたびに英雄たちを食卓につかせる」。付け加えれば、とくに『オデュッセイア』は、その飲食の多さで際立っている。フィールディングが「食べる詩、オデュッセイア」と呼んだとおりである。それは、オデュッセウスが死者たちを呼び出そうとするときにも、彼らに、よい晩餐の幽霊版に当たるものを捧げるほどなのだ。
「フランス人のこの過度の繊細さは、まことの弱点である」と、ラシーヌは結論する。フランスの社会と文学が、どのように、この洗練された慣習の世界で動くようになったのかを理解するには、もちろん、十七世紀の初めと、そのころ強まりつつあった女性とサロンの影響に、さかのぼらなければならない。とくに注目すべきなのは、ランブイエ夫人のまわりに集まった男女が、当時の文学上の大成功作、オノレ・デュルフェの果てしなく長い牧歌的物語『アストレ』の、男主人公や女主人公に、意識的に自分たちを似せたことである。ランブイエ夫人とその仲間の考える上流社会は、何らかの形で、つねに人の心につきまとってきた牧歌的な夢の、不思議な変形なのだ。「このように理解するならば」と、アミエルは言う。「社交界は詩の一形態である。教養ある階級は、過去の牧歌と、埋もれたアストライアの世界を、意識的に作り直しているのだ」。十七世紀のサロンに入ることは、きわめて人工的なアルカディアに入ることだった。しかし、それでもアルカディアには違いなく、そこでは日常生活の心配や用事は追放され、自由に愛を論じることができた。確かに、こうした愛の論議は、しばしば単なる気取り、いわゆる、細く引き延ばされ、過度に微妙なものとなった恋愛作法に、陥った。それでも同時に、これほどまでに心を解剖することから、情念についての、きわめて多くの真実の洞察が生まれたのである。
さて、ラシーヌの悲劇は、この上流社会の恋の語らいから、大きな影響を受けている。その戯曲の若い恋人たち、アレクサンドルや、ピリュスでさえ、デュルフェとその模倣者たちの、幾巻もの本を通して、ため息をつき、恋にやつれる牧歌の若者たちと、近い親戚なのである。この牧歌の若者たちも、同時に、洗練された紳士淑女なのだ。すでに述べたように、ラシーヌはギリシアの牧歌的物語に親しんでおり、その一つのなかで、後に『フェードル』で展開する、まさにその状況にさえ出会っていた。しかし、ギリシアの牧歌における愛は、フランスのサロンの愛とは、大きく異なる。古代人が上品な社交作法について何も知らなかったとすれば、女性への洗練された求愛についても、ほとんど何も知らなかった。気取りを重んじる男女が理解する愛は、イタリア・ルネサンスの洗練にさかのぼり、それはさらにペトラルカへ、究極には、中世の「貴婦人」崇拝と恋愛法廷にまで、たどることができる。熱烈な古典主義者ライマーは、フランス人が、相変わらず「ロマンスという、捕まる当てのないものを追いかける」ことに、こぼしている。最高の動機として愛に心を奪われるラシーヌが、古典的というよりロマン的だというのは、確かである。ときには、その愛の描き方は、単にロマン的なだけでなく、騎士道的で中世的ですらある。彼のアレクサンドルが世界を征服する、ただ一つの目的は、その征服の成果を、愛する貴婦人の足もとに捧げることである。ピリュスはアンドロマックに、彼女の美しいまなざしによって、自分がトロイアに放ったものよりも多くの炎に、焼かれていると告げる。『フェードル』では、イポリットをアリシーの魅力にため息をつかせることによって、ラシーヌは古代の伝説の意味全体を変えてしまった。「詩人は」とドライデンは言う。「古代から伝えられたとおりの人物像を保つべきだった。アマゾン族の血を引く粗野な若者、快活な狩人であり、その生業からも早起きの習慣からも、恋愛の不倶戴天の敵である者の姿を、見せるべきだった。それなのに、詩人は彼に優雅な恋愛作法を身につけさせ、アテナイからパリへ旅立たせ、エウリピデスのヒッポリュトスを、イポリット氏に変えてしまったのである」。
五
しかし、ラシーヌの作為や慣習の要素に、あまり長くとどまってはならない。それらは結局、多かれ少なかれ、表面に属する。彼のアレクサンドラン詩行の、いささか礼儀正しすぎる表面の下へ入り込むと、たいてい私たちが見いだすのは、最も鋭い心理の把握と、最も厳しい写実である。その愛の扱いには、コルネイユに比べて、こじつけや空想的なもの、気取った繊細さが少ない。最良のとき、彼はサロンの牧歌的な気取りを、完全に超える。そのため、サロンの人々自身の目には、彼が激烈で、猛々しくさえ映った。この意見には、外国人がしばしば彼に向ける、精彩がなくおとなしいという、反対の非難よりも、多くの真実がある。優雅な恋愛作法の、単なる技巧の洗練から、根源的な情念の大きなうねりにいたるまで、愛のほとんどすべての相を描く、力強さと繊細さの結びつきにおいて、ラシーヌは世界の劇作家のなかでも傑出している。その情念は、とくに『フェードル』では、キリスト教的な良心の呵責によって、高められ、激しさを増す。
ああ、この身につきまとう恥、その恐ろしい罪から、
悲しいこの心は、かつて一度も実りを得なかった。
ロマン主義の勝利以来、私たちがあまりにも忘れがちになったこと、すなわち、感情の表現は、激しくありながら、同時に抑制されてもいられるのだということを、ラシーヌから学ぶことができる。
したがって、外国人がラシーヌに無関心なのは、一部には、その作品の擬似古典的な要素への、もっともな嫌悪から生じるが、おそらく、それ以上に、その真に古典的な美徳を、正当に評価できないためだ、と結論してよい。たとえば、十七世紀のイングランドのラシーヌに対する態度は、より高尚で、慣習にとらわれない演劇観のためというよりも、未熟なロマン主義によるものだった。ラシーヌに無関心だった、その同じ観客が、ラ・カルプルネードやスキュデリーのような、劣ったフランス作家たちの大言壮語や、途方もなく気取った恋愛に触発された「英雄劇」に、喝采を送ったのである。今日でも、多くの人は、『アタリー』や『フェードル』のような戯曲の精妙な芸術よりも、ユゴーの『エルナニ』のわめき立てる大仰な言葉を、好むに違いない。それと同じことだ。平均的なイギリス人やアメリカ人は、ラシーヌを評価できないことを、自分の想像力が優れている証しと見がちである。しかし、十中八九、それはむしろ限界の証しなのだ。
いま、私たちがそのような限界を乗り越え、健全な古典的美徳への感覚を、自らのうちに新たにすべき、特別な理由がある。だからこそ、そうした美徳をいくつも備えていた作家を、これほど自然で気取りのない優雅さで論じ、自分が生き生きとした、生命力あるものを扱っていると、自ら感じるだけでなく、ほかの人々にも感じさせることによって、ルメートル氏は私たちに貢献している。ラセール氏もまた、人文主義の復興を訴えることで、貢献している。そのような復興の必要は、誰の目にも明らかなはずだ。印象主義の広がりによって、文学は規準と規律を失い、同時に、力強さと真剣さも失った。文学は、ロマン主義の最後の、衰弱した代表者である唯美主義者や好事家の手に落ちた。彼らは、科学的実証主義者たちに対抗して、その偉大な伝統を守る仕事には、まったく力不足だった。他方、もし人文主義の運動が起こるなら、それは、ラセール氏らがフランスで始めようとしているものよりも、いくらか否定的でなく、より真に建設的なものとなってほしい。十九世紀を最も厳しく問い直すときでさえ、ある種の均衡と節度、知識と共感の広がりを保ち、それによって、後退ではなく前進と見えるものであってほしいのである。
ディドロ生誕二百年[1]
今週、十月五日に生誕二百年を迎えるディドロの際立った点は、近代の生活のあらゆる領域における先駆者であることだ。おそらく、十八世紀の人物のなかではルソーを除く誰よりも、アミエルの言い方で、万事における祖先と見なされるに値する。「時代は」と、彼は一七六五年にグリムに書いた。「結局いつも、私の趣味と見方に追いついてくる。……笑わないでくれ。未来を先取りし、その考えを知っているのは、私なのだ」。さて、ディドロの時代から私たちの時代までに起こった、革命的な変化の大部分は、突き詰めれば、自然という語の再解釈に基づいている。そしてディドロが未来の先取りに成功したのは、それほど徹底した自然主義者だったからである。『ブーガンヴィル航海記補遺』で、彼は原始生活を描いている。細部のいくつかの、ラブレーをも超える露骨さはともかく、人間の生来の善良さを強調する点では、ルソーにきわめて近い。しかし、彼はルソーのような反啓蒙主義者ではなかった。たとえ研究者の利益のためだけであれ、知性の権利を保とうとした。ゲーテが、ルソーを退けた後も長く、ディドロをほとんど崇拝し続けた、主な理由はここにある。彼の最高傑作『ラモーの甥』が、推定される執筆時期から五十年以上も後の一八二一年に、ゲーテの翻訳をさらに訳し戻すことによって、初めてフランスで知られるようになったのは、ディドロの著作の歴史を象徴している。しかし、ディドロとゲーテの、より重要な関係が現れるのは、後者の『植物変態論』のような作品においてである。というのも、ディドロが最も独創的なのは、科学的自然主義者として、とくに進化を先取りする点においてだからだ。その先取りのいくつかは、あまりに大胆だったので、彼はそれを印刷するどころか、ダランベールが熱に浮かされた夢のなかで、つぶやいたこととしてしか、あえて表せなかった。一八三〇年に刊行された『ダランベールの夢』に見いだされるのは、細胞説に加え、近代の進化論者の、本質的な仮説のほとんどすべてである。ディドロは自然を、より高い存在形態が、より低い形態から、ほとんど気づかれないほどの段階を経て発展してゆく、絶え間ない流れとして捉える。「あらゆる動物は、多かれ少なかれ人間である。あらゆる鉱物は、多かれ少なかれ植物である。あらゆる植物は、多かれ少なかれ動物である。自然には、はっきり区切れるものは何もない」。彼は、その仮説だけでなく、真の科学において仮説が従属的な位置を占めると、認める点でも、ダーウィンを先取りしている。単なる理論と対比される実験の役割が、自分に明かされた、不思議な幻を、彼は語っている。実験は、初め、子供の姿で現れる。しかし、その子が進むにつれて手足が膨らみ、ついには巨大な巨人となる。そして、その手が触れると、空中に浮かぶ形而上学の神殿が、轟音とともに崩れ落ちる――そこで、ディドロは目を覚ますのだ。
[1] 『ネイション』一九一三年十月九日。
一
このようなくだりで、ディドロは、イギリスの実証主義者や功利主義者の精神に沿って語っている。実際、その個人的な性質が、どれほどイギリス人らしく見えなくても、同時代のほとんどどのフランス作家にもまして、ベーコンから当時の感傷主義者たちまで、イギリス人の弟子なのである。たとえば『運命論者ジャック』は、スターンの模作であると同時に、科学的自然主義の宣言でもある。実際、自然主義運動の科学的な側面と感情的な側面との相互作用と、その根底の深い結びつきは、ディドロにおいて、おそらくほかの誰にもまして、よく見える。自然を純粋な流転と捉えた彼は、古代のソフィストたちと同じく、その考えを、物理的な次元から人間的な次元へと移す。「二人の死すべき者が、最初に誓いを交わしたのは」と彼は叫ぶ。「塵へと崩れつつある岩の下だった。彼らは、その不変の忠誠の証人として、一瞬たりとも同じではない空を呼び出した。彼らの内でも周囲でも、すべてが移り過ぎていた。それなのに彼らは、自分たちの心だけは、この変転を免れると思っていた」云々。このくだりは、アルフレッド・ド・ミュッセによって詩にされ、ロマン主義の好む主題となった。
そう、二人の死すべき者が、この地上で交わした、
最初の口づけ、最初の誓いは、
風に葉を散らされた木の下で、
塵へと崩れる岩の上で、交わされたのだった。……
このようにディドロを読むと、ロマン主義者たちが、いわゆる写実主義者や科学的進化論者たちと、いかに多くを共有しているかを、絶えず思い知らされる。とくに、古典的であれキリスト教的であれ、伝統的な精神の規律との関係において、そうである。自然という語の、特に近代的な用い方のすべては、『ブーガンヴィル航海記補遺』の、次の一節に萌芽として含まれている。「私たちのほとんどすべての苦しみの物語を、手短に知りたいか。かつて、自然な人間がいた。この人間の内に、人工的な人間が持ち込まれた。そして洞窟の内に、生涯続く内戦が起こったのだ」。
したがって、「自然」を抑えるものはすべて、空虚な慣習として退けられる。何よりも、本能のうちで最も強く命ずる性の本能には、いかなる抑制もあってはならない。『補遺』における、この本能の解放の牧歌的な描写に対応するのが、『修道女』における、それを抑制することへの、激しい非難である。「彼らが福音的な完成と呼ぶものは」とディドロは不満を述べる。「自然を抑え込む、破滅的な技術にすぎない」。そこでディドロは、「洞窟の内の闘い」、つまり個人の胸の内での善悪の闘いから目をそらし、人類全体の知識と共感の進歩に、注意を向けようとする。積極的な面では、ベーコン的、功利主義的な理想の表現として、『百科全書』はイギリスに由来する。しかし、ディドロをほとんど専ら『百科全書』の編集者として知っていた同時代人たちが、その仕事の意義は、積極的な面よりも否定的な面にあると感じたのは、正しかった。それは、伝統的な権威のすべての砦に向けられた、巨大な破城槌なのだ。「この仕事は」と、彼はヴォラン嬢に書く。「やがて必ず、人々の心に革命を起こすだろう。そのとき、暴君、圧制者、狂信者、偏狭な人々に、利がもたらされないことを、私は望んでいる」。
総じて、ディドロの仕事は、積極的で建設的な面よりも、否定的な面で、まとまりがある。彼は、確固たる原理の人というより、印象主義者である。本人の意味で、きわめて「自然」であり、つまり、きわめて気質に左右されやすい。自分はラングル生まれだと彼は説明し、ラングル人の頭は、尖塔の上の風見と同じように、身体の上に載っていると言う。ディドロはさらに、この動きやすさを気候に帰している。「私は一日のうちに、百通りもの違った顔つきになった。心を動かされる状況次第で、穏やかにも、悲しくも、夢見るようにも、優しくも、激しくも、情熱的にも、熱狂的にもなった」云々。彼は、自らの印象を統御し、統一することが、あまりにできない。要するに、構成する能力があまりに乏しいので、そもそも作家とさえ、ほとんど呼べないほどである。むしろ、サント=ブーヴの言う、ジャーナリストたちのホメロスなのだ。その全集は、膨大で混然とした即興である。真の劇的感覚は乏しいのに、好む文学形式は対話である。それはおそらく、すでにルナンのように、「脳の二つの葉を、互いに語り合わせる」傾向があるからだろう。彼の著作のなかには、人間の思考の対極から出てきたように見えるものもある。総じて、その天才観は、徹底してロマン主義的である。天才とは自分を制御できず、新古典主義的な自己満足から、嵐のように解放されることを願う人間だ。「詩は」と彼は言う。「巨大で、野蛮で、荒々しいものを求める」。そして、ロマン主義運動と革命との実際の関係を、驚くほど先取りして、こう続ける。「私たちは、いつ再び詩人を見るだろうか。それは、災厄と大きな不幸の時代の後、苦しめられた諸国民が、もう一度息をつき始めるときだろう。そのとき、恐ろしい光景に揺さぶられた想像力は、それを目撃しなかった者には知られないものを、描き出すのだ」。
ところが『俳優についての逆説』では、自然な発露、自由なほとばしりという、ロマン主義の中心的な教義に対して、同じく古典主義の中心的な、模倣の教義を対置する。誰よりも気質に左右されやすく、本人の言葉では、自分の横隔膜に翻弄されて生きていたディドロが、気質任せの演技には反対するのだ。俳優は、感情に流される者ではなく、冷静な観察者でなければならない。知性と判断力の助けを借りて模範となる像を作り上げ、それを模倣するのである。とりわけ、演じているあいだに、役の感情を実際に感じることを、避けなければならない。『俳優についての逆説』が刊行されたのは一八三〇年であり、ミュッセの「マリブランに寄せる詩節」の、わずか数年前である。ミュッセが取るのは、ディドロなら先取りしていそうな立場だ。マリブランは、ロマン主義的な意味での「魂」にあふれ、舞台で本当の涙を流したために、たたえられる。この感情が容易に湧き出ることは、天才ではなく凡庸さのしるしだ、とディドロは言う。「私は、ありふれた告白をしているのではない」と彼は付け加える。「というのも、自然がもし、感情に動かされやすい魂を作ったとすれば、それこそ私の魂なのだから」。
実際、ディドロは、感受性豊かな魂、すなわち涙もろく大仰な、真のロマン主義者の先駆の、完璧な見本である。ラ・ブリュイエールによれば、人は劇場で感情を見せるのを恥じる。ディドロの時代なら、人は感情を見せないことを恥じただろう。そのあいだに、人間は生来善良であり、この善良さが現れる正しい仕方は、目からあふれ出すことなのだ、という大発見がなされたからである。人前で涙を流し、すすり泣くことは、よい作法の、ほとんど必須条件になっていた。一七六九年の『一家の父』の上演では、すべてのハンカチが使われていた、と伝えられる。革命は、涙もろさと善良さとのあいだに、必然的な結びつきがあるのかどうか、疑いを生じさせたようである。一八一一年には、『一家の父』は、やじを浴びて舞台から退けられた。ジョフロワは、新聞の文芸欄で、こう評した。「感受性、人間愛、善意をめぐる四十年の大仰な弁舌や美辞麗句は、人々の心を、野蛮の極限の暴虐へと準備させたにすぎなかった。このことを、私たちは、取り返しのつかない経験によって学んだのだ」。
ディドロが実際に書いた戯曲が退屈で、出来が悪いという点では、誰もが一致している。それらに添えた演劇理論の価値と影響については、いくらか意見が分かれる。一定の社会的身分にある人物だけが、舞台で真剣に扱われる権利を持ち、それ以外の人物は喜劇や笑劇に追いやられるべきだという考えへの攻撃、中産階級の劇の擁護は、世界的な運動の一部だった。その運動は、彼がいなくても、おそらく勝利しただろう。その演劇理論のうち、より独創的な部分は、少なくとも興味深い形で、「洞窟の内の闘い」をなくそうとする試み、言い換えれば、自然主義の立場からの二元性の否定を、示している。性格の代わりに、職業や職分を舞台に載せようとするのだ。人間は、自分自身を決定する者としてではなく、社会的な役割と環境によって決定される者として、示されるべきだというのである。この構想が実現したとすれば、それは演劇においてではなく、バルザックの『人間喜劇』においてだった。偉大な劇作家たちが、動機の内的な葛藤を描くのに必要とした、言葉の微妙な濃淡に、ディドロは、できるだけ無言の身振りを代えようとする。また、真の劇的行動の代わりに、一連の舞台上の絵、彼のいう「生きた舞台装置」を与え、それらを組み合わせて、一般的な社会的有用性の教訓を説こうとする。きわめてメロドラマ的な問題劇を、活動写真に仕立てれば、彼の要求のすべてを、ほとんど満たせるように思われる。
二
ディドロの演劇観は、あまりに絵画的だ、と批判されてきた。反対に、その絵画観は、あまりに文学的、演劇的である。「詩は絵のように」という格言に基づく、旧来の、あるいは擬似古典主義的な諸芸術の混同を攻撃することで、彼はレッシングに、豊かな可能性をはらむ示唆を与えた。同時に、あらゆる垣根をあふれ越える感情主義から生じる、近代の混同への道をも、準備しているのである。
彼の『サロン』についての意見は、演劇理論について以上に大きく分かれる。ある人々は、彼を真の美術批評の創始者と見なし、別の人々は、その堕落をもたらした者と見なす。絵画を、形を変えた一種の文学と見て、制作の技法よりも主題や物語に関心を寄せる、という非難に対しては、明らかな答えがある。当時の絵画に、画家自身が盛り込もうと努めていた以上の文学的な意図を読み込むのは、難しかっただろう、ということだ。そもそも芸術作品は、技法の勝利以上の、何かであるべきだ。十分な、人間的な目的を持つべきなのである。ディドロに向けるべき真の非難は、主題を第一に重視したことではなく、その主題観が、グルーズの『罰せられた悪い息子』で満足してしまうことだ。ここでも、その弱点は、二元性の否定と、その結果、洞察の代わりに感情主義を置くことに、たどることができる。彼は、ただ鋭く味わう喜び、尽きせぬ熱意を、判断によって調えることができない。その内なる仲立ちも、結局は、「洞窟の内の闘い」の一側面にすぎないのだ。だから彼にあるのは、趣味というより、熱烈な鑑賞の喜びである。その熱烈さは、たとえばハズリットの場合にしばしばそうであるような、反感の激しさではなく、ふつう、評価の温かさに現れる。「私は生まれつき、欠点を見過ごし、長所に熱中するほうに傾いている。……本、人物、絵、彫像に、優れたところが一つでもあれば、私の目はそこにとまる。私はそれだけを見て、覚えている。残りはほとんど忘れられる」。彼が、新ロマン主義的な意味での「創造的」批評家、傑作を前にした自分の「魂」の冒険を語る者の、先駆者なのは明らかである。芸術家の役割は、何らかの外的刺激に対する、自分の気質の反応を表すことに縮められる。次に批評家の役割も、この表現によって、自分の気質がどう影響されたかを語ることに縮められる。どちらの場合にも排除されるのは、人間性のうち、気質に歯止めをかける働きをする、あの要素なのである。
三
旧来の学派によれば、主要な問題は、気質をただ表現することではなく、それを人間らしく調えることにある。正常な人間性の像を、自分の前に掲げ、その模範を模倣することによって、気質の衝動に課せられる抑制を、受け入れなければならない、とこの学派は主張した。こうして気質を抑えることの結果が、適切さ、すなわちデコルムである。古典主義のこの偉大な中心的教義が、単なる作為に堕落し、デコルムが、上流社会の作法や、アカデミーの型どおりのやり方と同一視されるようになった過程は、よく知られている。この人工的なデコルムへの反抗におけるディドロの役割は、おそらくルソーに次ぐものだ。演劇の人工的なデコルムに対する彼の攻撃については、すでに多少述べた。「ああ、残酷な礼節よ、おまえは作品を、行儀よく、小さなものにしてしまう」。ディドロの気質の奔放さと、真のものであれ人工的なものであれ、デコルムの課す限界とのあいだには、ほとんど滑稽なほどの対立があった。エカチェリーナ二世は、ジョフラン夫人に、会見中にディドロが叩いたため、身体が青あざだらけになり、その激しい身振りから身を守るため、あいだに机を置かなければならなかった、と書き送っている。
批評家たちは、ディドロの見抜く閃き、その天才的な直観を、よく褒める。そして、物理的な法則への直観に関するかぎり、その賞賛は正当である。一方、人間の法則への認識と、そこから生じる繊細な分別や節度の感覚とには、根本的に欠けている。彼は、純粋な拡張主義者、「どこまでも開けた宇宙」に生きる人間の、驚くほど完全な典型である。その人格が全体として与える印象は、過剰さ、知性と感情の抑えのない奔騰、フランス人なら、悪魔的なまでの勢いと呼ぶようなものである。「あの人は、誇張しているときにしか、自然に見えない」と、ネッケル夫人は言った。別の同時代人は、その理論を、「酔っ払って、互いを追いかけ回し始めた観念たち」と描写した。しかし、彼はしばしば、実際よりも、はるかに狂気じみて見える。その点では、ルソーと正反対なのだ。彼の作品は、デコルムと品位とが、非常に近い関係にあり、実際に長いあいだ、同義の言葉だったことを、あまりにもしばしば思い出させる。すでに引いた、あの忘れがたいベーコン的な幻を見る作品は、単に猥雑なのではなく、犯罪的なほどに猥雑である。ディドロ自身が、「下水溝からの、疫病をもたらす悪臭」と表現しているが、それでさえ控えめなのだ。サント=ブーヴによれば、彼の額にはプラトン的な光が宿ることもある。しかし、もっと近くから見れば、必ずサテュロスの蹄が見えるという。「彼はベーコンとアレティーノに比肩した」と、同時代の二行詩は、いささか怪しい賛辞を送っている。
多くの人が、文学的な長所の第一と見なすもの、すなわち、驚くほど率直に自分を明かすことを、ディドロが備えているのは、大部分、そのデコルムの欠如に負っている。『古い部屋着を手放しての後悔』から『ヴォラン嬢への書簡』まで、彼の著作を読んできた人なら、著者との親密な接触が足りないと、こぼすことは、まずないだろう。
ふつうの人々だけでなく、国務長官や大統領までがデコルムを捨て、近ごろのいくつかの徴候から判断すれば、品位まで捨てようとしている、私たちのような時代は、確かにディドロを、祖先の一人として認めるべきだろう。それでも結局、ミルトンの言葉を借りれば、守るべき最高の技は、デコルムなのである。もし世界が、現在の自然主義的な混乱から、なんとか抜け出すなら、慣習的なデコルムとともに、真のデコルムまで捨てたことは、よくある言い方を許してもらえば、「産湯と一緒に赤ん坊まで流す」ことの、記録に残る最悪の例の一つだったと、わかるかもしれない。デコルムを失うことは、芸術と文学の最良のものを成しえなくなることであり、人生そのものについては言うまでもない。それは、選択と格調高い様式の秘訣を失うことなのだ。この点でのディドロの弱さは、芸術が最近陥った苦境を、すでに予示している。写真のように文字どおりの再現と、純粋に個人的な感情を象徴化しようとする、理解不能な試みとのあいだを、無力に揺れ動くという苦境である。確かにディドロは、ほかのほとんどどんな話題についてもそうであるように、格調高い様式についても、ときには見事なことを言える。古典をよく知っており、テレンティウスについて書いた文章が、高く評価されているのは正当である。彼はテレンティウスを、市民劇の一種の祖先と見ていた。それでも、リチャードソンにふさわしい栄誉を運んで来るようにと、幾世紀よ、もっと速く過ぎ去れと呼びかけ、それを待つあいだ、リチャードソンをホメロスと同じ棚に置く批評家、そして『ロンドンの商人』の作者リロを、ソフォクレスの隣にまで高める批評家の、高い真剣さには、疑問を抱かざるをえない。彼が女帝エカチェリーナに提出した『大学の計画』がなくても、教育における人文学の役割について、真の理解を持っておらず、その精神の全体的な傾向が、徹底して功利主義的であることは、確信できるはずだ。
四
十八世紀の感傷主義者として語るとき、ディドロは、人間は自然に帰りさえすれば、つまり気質に従って生きさえすれば、アルカディアの住人になれると、信じ込ませようとする。しかし、少なくとも一つの作品、『ラモーの甥』では、この牧歌の霧が晴れ、自然の実際の状態は、生存競争であることが見えてくる。自分の生きる社会の法や習俗を、すべて単なる慣習として投げ捨て、気質の促しにだけ従うことは、実際には、ボヘミアンになることだ。そしてラモーの甥は、単なるボヘミアンではなく、少なくとも意図のうえでは、猛獣でもある。彼の見る人生は、権力と快楽をめぐる、万人の争奪戦だ。賞品は強い者と狡猾な者に渡り、愚か者と弱い者が、ほかのすべての者の代価を払う。合理主義は、社会の伝統的な基盤を掘り崩しており、その代わりに何かを据えるには、無力である。住む者たちの頭上に、いまにも崩れ落ちようとする建物の、不吉なきしみが、『ラモーの甥』ほど明瞭に聞こえる十八世紀の作品は、おそらくほかにない。
ラモーの甥が示す人生観は、すでにバルザックのラスティニャックや、それに似た人物たちのものになっている。バルザックを崇拝した世代が、ディドロをも最も高くたたえたのは、偶然ではない。すなわち、十九世紀の半ばごろに活動を始め、前のロマン主義の世代に対抗して、自らを写実主義的と呼んだ世代である。彼らは、テーヌを自分たちの代表的な思想家として仰ぎ、ゾラの小説に、その戯画とまでは言わなくても、極端な表現を見いだした。ディドロは、次のように宣言するとき、テーヌや決定論者たちを、先取りする以上のことをしている。「自由はない。賞賛や非難に値する行為はない。悪徳も美徳もなく、報いられるべきものも、罰せられるべきものもない。……正確に言えば、原因は一種類しかない。物理的な原因だけだ」。この学派のある者の表現を借りれば、生命を、分子の集合体の利用から得られるものに還元しようとする、この試みは、写実主義と呼ばれるに値するだろうか。物質的な自然を扱うディドロの方法は、疑いなく現実に即している。そのかぎりでは、あらゆる賞賛に値する。しかし、人間性についてはどうか。エカチェリーナ女帝の人間性についての知識は、その及ぶ範囲では、現実に即していたと、一般に認められるだろう。彼女は、数か月にわたり、ほぼ毎日ディドロと会見した末に、彼は現実を見据える人ではなく、夢想家だと結論した。想像力が事実の感覚を置き去りにして駆け出す人であり、したがって、実際的な事柄についての考えは、ユートピア的なのである。日常生活で出会う人々を、正しく判断できることは、現実を見据える人かどうかを試す、公平な基準に思われる。だが、ディドロがそれをできなかったことは、周知の事実だった。この学派のほとんどすべての作品には、想像力による、ある種の現実の変形が見られる。たとえば、バルザックのパリは、現実ではなく、どぎつい夢である。現実から脇へ逸れて飛んでゆく想像力が投影する、いささか特異な種類のアルカディアなのだ。レズリー・スティーヴンの言い方では、バルザックによれば、パリは地獄である。ただし、地獄こそ、生きるに値する唯一の場所なのだ。また、ゾラの農民たちも、現実のものではなく、自然主義的な悪夢である。私たちは、現実を描く者という高貴な名を、軽々しく与えないよう、気をつけるべきだろう。
人間性を現実に即して描くとは何かをめぐる、この論争全体は、結局、一つの問いに帰着する。「洞窟の内の闘い」は、本当に人工的なものなのか。人文主義者の主張するように、個々の人間の胸の奥には、思考や感情よりもはるかに根源的で直接的なものとして、思考と感情を統御する力、経験に即して、中心へ引き戻す力と定義できる何かがある、と仮定しよう。その場合、「洞窟の内の闘い」は、人工的なもの、古びた独断の単なる偏見などではなく、恐るべき重要さを持つ事実である。この事実を「自然」の名で否定することは、人間性を、途方もなく切り損なうことなのだ。未来への希望は、この事実に断固として立脚し、知性や感情の何かの幻影へと、そこから引き離されることを拒む人間に、あるかもしれない。この事実の見地から、科学的自然主義者と感傷的自然主義者の、滑らかな前提を、厳しく吟味する人間に。ベーコン主義者が「物の法則」を扱ったように、「人間の法則」を扱い、先験的に断定する者や体系を築く者に、少なくとも同じほどの軽蔑を向ける人間に。科学者たちに対し、彼らが冷徹だからではなく、冷徹さが足りないから異を唱える人間に。実証主義者への不満を、彼らが十分に実証的でないという点に置く人間に。要するに、近代精神の名において、前世紀の大きな拡張運動に反抗する用意のある人間に、である。その運動の、あらゆる面での先駆者こそディドロだとされるのは、正当なのである。
ジョルジュ・サンドとフローベール[1]
近ごろ、ジョルジュ・サンドへの関心が、復活する兆しを見せている。自然主義が勝利を収めていたあいだ、その名声は影を潜めていた。しかしいま、自然主義が「胸膜炎になるまで膨れ上がり、自らの過剰によって死んだ」以上、フランスの若い世代の作家たちは、何らかの理想主義的な芸術に達しようと、真剣な、ほとんど必死とさえ言いたくなる努力を重ねている。この運動は、すでにバルザックの人気を衰えさせたように、ジョルジュ・サンドの人気を高めることになりそうだ。
テーヌは、文学の全歴史を見渡しても、ジョルジュ・サンドほど、その歩みから多くを学べる作家はいない、と言う。その生涯を研究する資料が、これほど豊かにある作家も、サント=ブーヴの方法を、これほど完全に適用できる作家も、ほかにいないというのである。いま世界は、自然主義に飽きたように、サント=ブーヴの方法にも、飽き始めているようだ。私たちは、作家の才能の自然的な起源を気にかけることが減り、才能そのものに迫り、その絶対的な高さを測り、それが環境だけでなく、どの程度まで作家の意志の産物でもあるのかを、見きわめることを、いっそう重んじるようになっている。ジョルジュ・サンドの生涯は、サント=ブーヴの方法よりも、この後者の扱い方、新しい批評の方法に、さらによく適している。テーヌ自身、晩年には、自分と最も違う見方にも共感を示し、作品に現れたジョルジュ・サンドの人格の発展について、見事な研究ができるだろうと述べた。この種の研究の資料として、彼女の書いたもののなかで、書簡ほど豊かなものはない。そして書簡のなかでも、最も興味深いのは、フローベールとの往復書簡である。芸術家としての才能は、確かに田園の牧歌的な小説群において円熟に達した。しかし、彼女の人格と人生観の、最も明瞭で十全な表現を求めるべきなのは、むしろ、このフローベール宛ての書簡なのだ。
[1] 『アトランティック・マンスリー』一八九八年十月。
ジョルジュ・サンドの歩みの初めについては、書簡ではなく、自伝『わが生涯の記』、とくに、パリのイギリス人修道女会の修道院で過ごした歳月を扱う章に、目を向ける必要がある。修道院生活のあいだに、熱烈なカトリック的神秘主義の時期を経たことは、覚えておくべきである。「私は感じる」と、後年のある書簡にある。「無限の恍惚の前触れを、そして子供のころ、聖母を見たと思ったときのような歓喜を。頭上に浮かぶ太陽の上の、白くぼんやりした姿のように、聖母が見えたのだった」。初期の手紙の、素直で気取りのない調子は、デュドヴァン男爵との不幸な結婚生活の終わりごろ、ロマン主義の影響を受けてから書いたものと、不思議な対照をなす。ジョルジュ・サンドには、夫への正当な不満もあったに違いない。しかし、主な不満は、彼が天才ではなかったことにあるようだ。ついに別居を決め、一八三一年初めにパリへ来て、本人の表現では、「文学という嵐の海へ乗り出した」。それに続く数年間を、マシュー・アーノルドは、適切にも「苦悶と反抗」の時期と呼んだ。彼女は、あらゆる形の慣習から逃れようと努め、市民社会の礼儀についての、ふつうの考えのすべてを驚かせることに、喜びを覚えた。男の服を着て、ボヘミアンの仲間と交わった。ある文通相手には、主な出費は煙草代だ、と知らせている。すべてのロマン主義作家と同じく、彼女は情熱の宗教を奉じ、その理想を『レリア』に表現した。「詩的な魂にとっては」と、この作品のなかで言う。「官能の愛にさえ、崇拝の感情が入り込む」。理想主義と官能との、この混合は、近代の愛の観念全体に、あまりにも多い。宗教的感情を、快楽のためにこのように用いる、初期の例の一つが、ペトラルカに見いだされる。理想を天から引き降ろし、その天上の輝きを、地上の情熱にかけようとするのである。しかし、この傾向全体が頂点に達したのは、おそらく、ロマン的恋愛として知られる、あの異様な産物においてだ。ルネ・ドゥーミック氏の言葉を借りれば、それは「一世紀にわたり、フランス文学のなかで猛威を振るい、人々の心を感染させ、考えを歪め、社会をかき乱し、道徳を掘り崩し、幾千もの犠牲者を生んだ、致命的な幻想」である。「ジョルジュ・サンドとアルフレッド・ド・ミュッセは、その最も有名な犠牲者にすぎない」。言うまでもなく、アルフレッド・ド・ミュッセとの関係も、ほかの一、二の同様のロマン的恋愛の試みも、彼女には幻滅だけを残して終わった。その幻滅はあまりに徹底しており、一時は、完全な絶望と、自他への軽蔑に陥った。「あらゆるものへの嫌悪、生きることへの恐怖を、どこまで押し進めたか、あなたに話したら」と、後に友人に告白する。「作り話をしていると思われるでしょう」。自分の「反社会的な精神」、「あらゆる人間への憎しみ」を語り、隣人の子供が溺れても、救うために動きはしない、と言う。自死の思いが、彼女につきまとっていた。「十年前」と、一八四五年にマッツィーニに書いている。「私はスイスにいました。まだ嵐の年ごろでした。氷河の上で私を追いつめた、自死の誘惑に抗うことができたら、あなたに会おうと、そのときすでに決めていました」。ついにノアンへ退き、その後の生涯を、そこで過ごすことになる。本人の表現を使えば、青春は「痙攣とうめきのただなかで」、終わっていた。比較的穏やかな状態に達するまでの、内省の過程は、手紙のなかで追うことができる。「自分自身との恐ろしい決闘、理想との巨大な闘いを経験しました。深く打ちのめされ、傷つきました。いまは、どうにか静かに、草木のように生きています」。健全さと自制を取り戻すことが、いくらか容易だったのは、自己愛から自由だったためだ。というのも、理想をどれほど誤用していたにせよ、自分を理想化するためには、それを使わなかったからである。自分自身の言葉を借りれば、「ルイ=フィリップ時代の男たちを特徴づける、あの巨大な虚栄心」に、「感染」してはいなかった。彼女は、ロマン的恋愛の神聖さに、疑いを抱き始めた。「いま、勇気を出して言おうと思います」と、最近公刊された、サント=ブーヴへの手紙の一つに書いている。「私たちを苦しめる愛は、神が私たちのために意図した愛ではありません。そうだと思うなら、私たちは欺かれているのです」。「真理の支配がひとたび来たなら――私はその支配を信じています。自分の生きているうちではないと、知ってはいますが――私たちが味わった苦しみは、もはや人間の言葉のなかに、名を持たなくなるでしょう」。
そのあいだに、情熱の宗教の廃墟の上に、新しい形の信仰が、ジョルジュ・サンドの心のなかで、立ち上がり始めていた。「私について言えば」と彼女は宣言する。「ルルーの教えが、疑いを解き、宗教的な信仰の基礎を築いてくれました」。「私は社会主義の教説に浸っています。そこに、力、信仰、希望、そして忍耐強く、たゆみない人類への愛を、見いだしました。カトリシズムのなかに夢見ていた、青春の宝です」。ジョルジュ・サンドが、このように人類の福音にたどりついたのと、ほぼ同じころ、サン=シュルピスを抜け出したルナンが、科学の宗教を宣言していたことは、注目に値する。ルナンとジョルジュ・サンドの双方において、古い教義を捨てるほうが、百年来受け継がれてきたカトリシズムによって形づくられた、思考と感情の型から心を解放するより、いかに容易であるかを見るのは、興味深い。ルナンが初期の著作で、科学的な無謬性、科学的な教皇、科学的な天国と地獄、さらには科学者たちによって造られる神の観念にまで至ったように、ジョルジュ・サンドは、キリスト教神秘主義の語彙全体を、社会主義へ移す。「諸国民のキリスト」であるフランスがもたらすべき「社会的な再生」、「社会の聖人」、「社会の殉教者」などを語るのである。一八四八年の革命勃発の知らせを聞くと、際限のない歓喜のうちに、パリへ急いだ。そして、社会についてのすべての夢と夢想家たちが、完全に崩れ去ると、再び深い落胆に陥った。「理想の生活では、あれほど立派な人物」であるルルーが、現実に触れると、どうしようもなく、もがくばかりであることを知ったのだ。この点で、ルルーは運動全体の象徴だった。六月の日々の後の、自分の「完全な意気消沈」を語っている。あれほど理想化していた人類の内には、「多数の悪党、非常に多数の狂人、そして途方もない数の愚か者」が含まれているという、痛ましい発見をしたのだった。ジョルジュ・サンドは、ほとんど最晩年まで、多かれ少なかれ、自然、進歩、人類という、三つの大きな言葉に欺かれていた。これらの言葉の無差別な使用が、過去二世紀の思考に、いかに大きな破壊をもたらしてきたか。しかし、「社会的な再生」の夢を捨てはしなかったにせよ、少なくとも、それを、いつとも知れぬ未来へ延期しなければならないことは、わかったのである。
希望に満ちた若者の、まだ慣れない目には、
短く見えた道が、いまは長く見える。
そして雲かかる空に、山々の頂は高い。
真理の玉座がある、あの山々の頂は。
「巨大な幻想から、完全な幻滅へと移る」には、「大変な努力」を要した、と彼女は認めている。
しかし、彼女は再び絶望を克服した。そして第二帝政のまさにただなかで、ローマ衰退期以来、世界が見た最も濃密な物質主義のただなかで、理想への信仰を、新たに築いた。今度は、より広く、より確かな土台の上に、である。次第に、「フランスの救いは、政治によってはもたらされない」こと、人類の漠然とした未来の進歩よりも、個人の、いますぐの具体的な進歩のほうが重要であることに、気づいた。最も必要なのは、「人々の心と良心に、新しい方向を与えること」だと、見て取ったのである。「彼らが境遇の奴隷なのは」と、当時の政治家たちについて断言する。「生まれつき、自分自身の奴隷だからです」。さらに、こうも言う。「義務は、それ自体の報いを伴ってきます。私の精神には静けさが戻り、信仰が帰ってきました」。「すべては過ぎ去ります。青春も、情熱も、幻想も、生きたいという望みも。ただ一つ残るのは、心の誠実さです。心は老いません。それどころか、その本来の道を進ませてやりさえすれば、六十歳のときのほうが、三十歳のときよりも、みずみずしく、強いのです」。
ジョルジュ・サンドがフローベールと知り合ったのは、生涯の最後の時期、円熟と洞察の時期の、始まりごろだった。二人を引きつけたのは、互いに認めた、生来の人格のある種の気高さ、繊細さと無私の心だった。だが何よりも、ロマン主義に敵対する世代のただなかで、二人とも、悔い改める気のないロマン主義者だったことが、大きかった。「あなたは、いつまでも二十五歳のままでしょう」と、彼女は書いた。「今日の老いぼれた若者たちを信じるなら、時代遅れになった、さまざまな考えのおかげで」。
こうした接点を別にすれば、ジョルジュ・サンドとフローベールほど、根本的に意見の違う二人を想像するのは、難しい。彼女自身も、「私たちほど違う二人の仕事人は、きっといなかったでしょう」と、彼に認めている。フローベールは、サンドの大らかで自在な即興に驚きながら、こう答える。「あなたは、頭を両手で抱えたまま一日じゅう、形容の一語を探して、みじめな脳を絞るとは、どういうことか、ご存じない」。この往復書簡の面白さの多くは、このように、対立と対照によって、それぞれの特徴が、絶えず浮き彫りにされることにある。ジョルジュ・サンドが意志を働かせるよう勧めると、フローベールは、自分は「トルコ人のように宿命論的だ」と答える。「あなたは生を信じ、それを愛している」とフローベールは言う。「私には、生は不信を抱かせる」。「生まれつき、幸福への信頼が、なんと乏しいことでしょう。私はごく若いころに、すでに生の全体を予感していました。それは、地下室の窓から漏れてくる、むっとする台所の匂いのようでした」。「ええ」とジョルジュ・サンドは答える。「生は、喜びと苦しみの恐ろしい混合です」。それでも、「苦しみ、泣き、望み、存在しなければなりません。要するに、あらゆる方向に意志を働かせなければならないのです」。彼は別のところで言う。「あなたは最初の一跳びで天に上る。ところが、哀れな私ときたら、鉛の靴底でも履いているように、地面に貼りついている」。「あの大きなスフィンクスの目を持ちながら、あなたはいつも、金色の霧を通して見るように、世界を見てきた」。それに対し、「私は絶えず解剖している。そして、純粋だとされるもののなかに腐敗を、その最も美しい部分に壊疽を、ついに見つけたとき、顔を上げて笑うのです」。フローベールは、「異常で人工的な環境」が自分には必要だと語る。ジョルジュ・サンドは言う。「木の下か、二本の薪が燃えている前に、何時間でも私を置いておいてかまいません。何かしら興味を引くものを、見つけるはずですから。自分の外に生きる術を、私はそれほどよく学びました。いつもこうだったわけではありません。私にも若いころがあり、消化不良に悩まされたものです。でも、そんなことは、もうすべて終わりました」。
ついにフローベールは、芸術家は書くもののなかに、自分の感情を表してはならない、とジョルジュ・サンドに言う。「書くものに、自分の感情を入れないのですって!」と、彼女は言い返す。「あなたの言うことが、まったくわかりません。ええ、本当に少しも」。実際のところ、フローベールは、最も偉大な芸術作品が非個人的であることを、見て取っていた。しかし、非個人的な、人間の感情の領域を考えられなかったので、感情をまったく取り除き、少なくとも自然研究者の非個人性には達しようと、決めたのである。「人間を」と彼は言う。「マストドンや鰐であるかのように、扱わなければならない」。そこで、何よりも熱烈に表したいと思っている、その思考や感情を、書くものから断固として切り捨てた。「不思議ですね」と、ジョルジュ・サンドは書く。「あなたには、本のなかにまったく出てこない、一つの側面があるのです」。実際、フローベールの公刊された作品と、手紙に見られる、間投詞、叫び、俗語、罵り、猥語の混合とのあいだほど、不思議な対照は、想像しにくいだろう。
逆説的に聞こえるが、フローベールをはじめ、感情を動かさないとして非難されてきた、世紀半ばのフランスの文人たちは、実際には、文学のなかで、ほとんど最も主観的で、最も完全に自己を中心とする作家たちである。芸術至上主義の学派の心理全体が、その主要な代表者の一人の、この手紙のなかに明かされている。この教義を奉ずる人々の大部分は、カトリシズムに由来する思考の習慣、とりわけ感受性の様式を、芸術へ持ち込んだ。ジョルジュ・サンドに人類の福音を、ルナンに科学の宗教を見いだしたように、フローベールには、芸術への狂信を見いだす。彼は芸術の名のもとに、節制、放棄、肉の苦行を説く。芸術の正統から外れる者を破門し、芸術における異端者や不信者について、スペインの異端審問官にふさわしい獰猛さで語るのだ。
残念ながら、フローベールは、憧れていた純粋な芸術的恍惚、あの「文学的な陶酔」に達することができなかった。ジョルジュ・サンドと意見が合わなかったとすれば、自分自身とも、ほとんど同じほど不和だったのである。知的な出発点はすべて、文字を読めるようになる前に、そらで覚えた『ドン・キホーテ』にある、と彼は語る。実際、彼の内では、セルバンテスがその傑作で象徴したものに似た、中世的な夢想と近代の実証主義との闘いが、進んでいた。感情の時代から科学的分析の時代への過渡期に生まれたフローベールは、二つの世界のあいだに宙吊りになり、どちらの恩恵も、十分には受けられなかった。「私には、相反する理想がある」と彼は叫ぶ。「その結果は、ためらい、足踏み、無力だ!」。叙情的な感情に迫られて涙を流すと、最初の衝動は、鏡で自分を観察することだった。彼は、自分が忌み嫌う自然主義の創始者となった。他方、何か壮大な詩的主題へ乗り出そうとすると、叙情の感覚が、分析によって蝕まれていることに気づいた。この世紀の、ほかの多くの作家と同じく、内的な生命力の欠如を、知識の蓄積の下に隠そうとした。『ブヴァールとペキュシェ』を書くための、準備の一部として、三百冊を読み、注記した、と彼は述べている。しかし、彼のうちで優勢だったのは、カトリック的な感受性と、そこから来る近代生活への憎悪だった。実際、フローベールと、十九世紀の芸術家の一学派全体、とくに、いわゆるデカダン派を理解するには、その魂がいまだ中世的な夢想に深く浸り、科学的分析に基づく、近代の直角定規のように整えられた文明に、同意できない人々として、見なければならない。
あなたたちの鉄道は、どこもきれいに掃き清められている。
何もかも大きく、美しい。だが、あなたたちの空気のなかでは、人は死ぬ。
「私はカトリックなのだ!」と、フローベールは叫ぶ。「私の心には、ノルマンディーの大聖堂の、緑色のぬめりが、いくらかある」。また『サランボー』について、こう言う。「古代カルタゴを蘇らせようとするには、人がどれほど憂鬱でなければならないか、それを察する人は少ないだろう。あれは、近代生活への恐怖に追われた私が、逃げ込んだテーベの砂漠なのだ」。この近代生活への恐怖は、フローベールのなかで強まり、ついには、慢性的な憤りの状態、同時代人への、白熱するほどの激怒のなかで、生きるようになった。『ブヴァールとペキュシェ』について、彼は言う。「私を窒息させている胆汁を、少しでもこの本のなかへ吐き出せるようにと、願って書いたのだ」。
「ほかの人々の愚かさに、もう少し憤らずにいてほしい」と、ジョルジュ・サンドは書く。しかしフローベールは、その憤りを手放そうとしなかった。芸術に孤独に献身する生活を支えてくれたのは、誇りと、自分は人とは違うという感覚だった、と彼は念を押す。周囲の人々より本当に優れているのだと、自分に確信させるために、憤りを必要としたのだ。「憤りがなかったら」と、あるところで告白する。「私は、へたり込んでしまうだろう」。残念ながら、人は、いつも見つめているものに似てくる。「馬鹿を罵り続けるあまり」と、フローベールは書く。「自分まで馬鹿になる危険がある」。そして、二人のブルジョワ、ブヴァールとペキュシェについて、こう言う。「彼らの愚かさは、私の愚かさだ。それが私を殺しつつある」。
ジョルジュ・サンドは、このように誤った芸術論で自分を苦しめるフローベールを、見事な心配りでたしなめる。「才能は、義務を課します」と彼女は言う。「そして、芸術のための芸術というのは、空虚な言葉です」。美は、それ自体、原因ではなく結果であり、個人の生活であれ、一つの民族の生活であれ、すべての部分の調和から生じるものだ。付け加えれば、美は、それ自体では、ただ幻の要素にすぎない。それを切り離されたものとして追い求める人は、形を内容から切り離そうとしており、イクシオンのように、幻を抱きしめて生涯を費やすことになる。「おお芸術、芸術よ」と、フローベールは叫ぶ。「苦い欺瞞、名づけようのない幻よ。輝いて、私たちを破滅へと誘うものよ!」。別のところでは、「身も心もすり減らしている、文体という幻想」について語る。ジョルジュ・サンドは、年を取るにつれ、ますます、美より真理を、力より善を、上に置くようになったと述べる。「何が真実かについて、ずいぶん考えてきました」と、彼女は書く。「そして、この真理の探究のなかで、自我への感覚は、しだいに消えてゆきました」。それに対して、フローベールは、精妙なものの探究者となり、美の追求に生涯を捧げることで、自我への感覚を強め、神経を苛立たせることにしか、成功しなかった。美的な感覚に、ほとんど宗教的な重要性を認めたため、病的な感受性の、あらゆる気まぐれに迎合するようになった。フランス語で、翻訳しがたい「ノスタルジー」という語で表す状態、自分の皮膚から飛び出したい、いまいない場所にいたいという欲望に、陥ったのである。ルソー以来、あれほど多くのフランス作家が苦しんだ、芸術上の知覚過敏の犠牲者となったのだ。老年になって、彼はこう訴える。「私の感受性は、剃刀の刃より鋭い。扉のきしみ、ブルジョワの顔、馬鹿げた発言が、心臓をどきどきさせ、すっかり私を動揺させる」。
フローベールと、その学派のほかの人々の生涯から、芸術が、それ自体より高い何らかの原理に従属していないときの空しさを、推論することは、許されるかもしれない。「もし誰かが、徳より美を好むなら」と、プラトンは言う。「それは、魂の真の、完全な不名誉以外の、何であろうか」。芸術至上主義の信奉者、フローベール、ルコント・ド・リール、テオフィル・ゴーティエほど、苦い調べ、心の最も深いところから、求めもしないのに湧き上がる憂鬱を、文学のほかのどこかに見いだすのは難しい。ジョルジュ・サンドが、クロワッセでのフローベールの暮らしの動揺に、驚くのは当然である。そこは、「何もかもが安楽と静けさを感じさせる、あの快適な隠れ家」なのだから。
芸術の理論と実践において、ジョルジュ・サンドが全面的に正しく、フローベールが全面的に間違っていたと、考える必要はない。偉大な大家たちの制作には、自分ほどの苦悶や発作、努力や苦痛は伴わなかったはずだ、というフローベールの考えには、同意できる。一方、偉大な大家たちの制作は、ジョルジュ・サンドの場合のような、純粋な即興でもなかった。彼女がそうだったと推察されるような、半ば夢遊病の状態で、書いたのではない。「私は、ただの風鳴琴です」と、彼女はフローベールに言う。「私の心を、思うままに奏でるのは、別の者なのです。……そのことを考えると、恐ろしくなって、自分に言います。私は何ものでもない、まったく何ものでもない、と」。「天才は、心から来る」と、ジョルジュ・サンドは、飽くことなく繰り返す。これは女性的な天才論であり、ラマルティーヌやアルフレッド・ド・ミュッセのような男性が唱えるときよりは、ジョルジュ・サンドの口から聞くほうが、不快でない。しかし、彼女が完成に達するのを妨げたのは、心の促しへの、あまりに無条件な服従だった。「人生が、私の足をすくって運んでゆくのです」と、彼女は告白する。感情や情緒、愛情や共感に押し流されるので、フローベールが彼女について、「サンド夫人は、あまりに慈愛深く、天使的だ」と書いたのも、もっともなのだ。フローベールの見方を擁護するなら、新約聖書のある一節が、激しく求める者に、天の国を約束しているとも言えよう。ジョルジュ・サンドを、芸術家の第一列から遠ざけるのは、集中する力、燃えるような強烈さの不足と、同時に、フローベールの備えていた、細部への際限のない丹念さの不足である。「私は、理想的な芸術家ではありません」と、本人も認める。「裁縫や、子供たちの身体を洗ってやることが、好きすぎるのです。……それに、私は、完全さを愛する者ではありません。完全さを感じはしますが、それを形に表すことは、できないのです」。
ジョルジュ・サンドの老年の平静を乱した、主な出来事は、普仏戦争とコミューンだった。「私の国と、私の民族の病に、私も病んでいます!」と、コミューンの後で叫んだ。「野蛮が、いまなお世界で、これほど生き生きと活動していると知る前に、死んでいたかった」。さらに、こうも言う。「私は、自分を基準に、ほかの人々を判断していました。自分の性格を直すために、ずいぶん努め、無益で危険な噴出を鎮め、自分の火山の上に草や花を植えました。そして誰もが、自分を啓発し、自制することができるのだと、思い込んでいました。ところがいま、突然夢から覚まされ、目の前の世代は、愚鈍と振戦せん妄とに、二分されているのです」。どんな欠点があったにせよ、人道主義には欺かれていなかったフローベールは、早くも一八四八年に、ルルーやほかの社会主義者たちは近代人ではなく、いまだ「首まで中世に浸かっている」と断言した。そしてコミューンにも、中世性の現れを見た。ジョルジュ・サンドもまた、経験に教えられ、晩年には、自分の考え方に、なお中世的なものが残っていた部分を、急速に脱ぎ捨てていた。それは、絶対的で先験的な定式への不信が、強まっていることに現れる。彼女はしだいに、エマソンが「報償」の論考で表した洞察、反対側の真理によって釣り合いを取られないなら、いかなる真理も真ではない、という洞察に達しつつあった。「おわかりになりませんか」と、ある政治上の友人に言う。「カトリックの司祭が、このうえなく不寛容なのは、反対の見方を、絶対的に拒むからなのです」。「権力を握る司祭たちを倒せ。どんな服を着ていようとも。共和国は、教義として押しつけられなければ、自分で自分を守るでしょう」。別のところでは、こう言う。「九三年の原理が、私たちを破滅させました。恐怖政治も、聖バルテルミーの日の虐殺も、同じ精神の表現です」。
最後の人道主義的な希望が消えるとともに、ジョルジュ・サンドの人格の発展は、完成したと言ってよい。「これからは、幻想なしに信じます」と、彼女はアレクサンドル・デュマ・フィスに書く。「それが、私のささやかな力のすべての秘密です」。信仰がこのように生き残ったことこそ、ジョルジュ・サンドの内面の生活を研究する際、最も注目に値する事実なのである。キリスト教の、歴史上の大きな誤りは、信仰を軽信と混同したことであった。そして、近代人の圧倒的多数にとって、信仰は、それと同一視されていた信条とともに、滅びてしまった。ジョルジュ・サンドの際立った点は、誤った理想の残骸のなかから、信じるという貴重な原理を、繰り返し救い出したこと、幻滅の衝撃が次々に襲っても、生き延びるほど、たくましい信仰を持っていたことにある。老年には、ますます、幻想から自由な信仰に達していった。本人の表現では、「全体は、私たちよりも大きく、より善い」という、素朴な感覚に、そして神的なものを何かの定式に閉じ込めようとする試みとは、まったく離れた、神的なものへの感覚に、基づく信仰である。
「永遠の真理の杯から飲んだ人は」と、彼女は言う。「相対的で一時的な真理に、過度に熱烈な賛否の立場を、もはや取りません」。信仰とともに、ジョルジュ・サンドの生涯には、喜び、確信、平静、行いを律する感覚、意志の自由への信念が入ってきた。いずれも善く、望ましいものであり、信仰の消失とともに、世界から消えつつあるように見えるものである。
「人間を、あるがままに見たいのです」と、彼女はフローベールに書く。「人は、善いか悪いかではありません。善く、かつ悪いのです。でも、そのほかにも何かがあります。善く、かつ悪い人間は、非常に悪く、少しだけ善くなるか、あるいは、非常に善く、少しだけ悪くなるかへと導く、内なる力を持っているのです」。「私はしばしば不思議に思いました」と、彼女は付け加える。「あなたの『感情教育』が、形式の見事さにもかかわらず、なぜ、あれほど読者に受け入れられなかったのか。その理由は、私の考えでは、登場人物が受動的だからです。自分自身に、働きかけないからなのです」。人間を、マストドンや鰐のように研究しようとしたとき、フローベールが見落としたのは、この、自分自身に働きかける力、まさに、人間のうちで最も人間的なものなのである。
ジョルジュ・サンドが示した、自分自身に働きかける力こそ、その生涯に、独特の興味を与えるものである。彼女は自分について、正当にこう言えた。「絶望に対する、私個人の勝利が、意志の働きと、かつて抱いていたものとは正反対の、新しい人生理解の成果だったことを、忘れられません」。フローベールの疲れた叫びとは、何と違うことだろう。「私は時計仕掛けのようなものだ。今日していることを、明日もするだろう。昨日も同じことをした。十年前も、まったく同じ人間だった」。あるいは、ジョルジュ・サンドの生涯を、ヴィクトル・ユゴーの生涯と比べてみればよい。ユゴーは、省察の熟した果実として、ロベスピエールとマラーの神格化以上のものを、生み出さないのである。
テーヌはサント=ブーヴについて、この世紀のフランス作家のなかで、ジョルジュ・サンドを除けば、こうした持続的な発展の力を示した唯一の人物だ、と述べている。しかしジョルジュ・サンドは、成長が、一つの能力の拡大ではなく、釣り合いの取れたものだった点で、サント=ブーヴにまさっている。近代の専門家のように、一方向へ機械的に成長するのでなく、植物が太陽へ向かって伸びるように、理想へ向かって成長した。サント=ブーヴには、科学的精神の後を追って現れた、知的な仕組みへの過信、頭脳の酷使が、いくらか見られる。「気の毒なサント=ブーヴ」と、ジョルジュ・サンドは書く。「知性は、発達したかもしれません。でも、知性だけでは、生きる目的のために十分ではなく、死に方も教えてくれません」。別の文通相手には、こう言う。「あなたは、サント=ブーヴ、ルナン、リトレよりも、全体としての真実への感覚に優れています。彼らは、ドイツ流の轍にはまり込んでしまいました。そこに弱さがあるのです」。そして、フローベールはジョルジュ・サンドに書く。「私を驚かせ、喜ばせるのは、頭脳だけの強さではなく、あなたの人格全体の強さです」。
このように、ジョルジュ・サンドは、その歩みの終わりに近づくにつれ、ジョージ・エリオットの晩年の仕事をあれほど損なった、十九世紀的な知性主義から、ますます自由になった。「私は、自分がますますキリスト教徒でなくなっていると感じます」と、彼女は書く。「そして、ますます穏やかに近づきつつある、生のあの地平線の向こうに、別の光が明け始めるのを、日々認めるのです」。自分はキリスト教徒でないという、ジョルジュ・サンドの言葉にもかかわらず、彼女の欠点の多くと、長所のほとんどすべてが、キリスト教からの直接の遺産であることを示すのは、容易だろう。それは、聖トマス・アクィナスよりも、聖フランチェスコのキリスト教である。実際、その人格の研究が主に興味を引くのは、彼女が、テーヌのいう、「受け継いだ信仰から、個人的な確信への、苦痛に満ちた移行」を、成し遂げられたという事実によるのだ。
私たちが生きているのは、選択の原理、方向の感覚が、かつてなく重要でありながら、同時に、かつてなく獲得しにくい時代である。ジョルジュ・サンドのように、古い信仰のなかで最も生命力のあったものを、このように引き継ぎ、それを、近代思想の最も進んだものと結びつけることに成功した人々に、私たちは、とくに恩義を負っている。この点で、ジョルジュ・サンドは、未来の理想主義の先駆者として、エマソンと並ぶ。またエマソンと同じく、病的な自己意識に陥ることなく、理想に忠実であり続けた。道徳法則をしっかり捉えられなくなったために、同時代の人間が堕落していることを、カーライルにも劣らず、明瞭に見ていた。しかし、それだからといって、同時代人たちを、「死海の岸辺で、きゃあきゃあ騒ぐ猿の群れ」と見ることはなかった。最後に、このゆえにこそ、ジョルジュ・サンドは、単に偉大な文学的芸術家として記憶されるだけではない。大いなる啓蒙がありながら、光の乏しい時代にあって、理想を尊び、「不屈の信仰が宿る、観照の感覚」を働かせることを、辛抱強く続けた、数少ない人々の一人としても、記憶に残るだろう。そして、ほとんど廃れかけたこの感覚を、彼女が働かせたことを、最も鮮やかに証言するくだりは、その書簡のなかに収められているのである。
インドの警句百篇[1]
モア氏の小さな警句集が、学識に富むと同時に、一般の読者にも魅力のある、インドについての本であることは、心地よい驚きだ。ショーペンハウアーが、サンスクリット研究の結果として期待した、新しいルネサンスは、文学では、いまだわずかにしか表現されていない。この一世紀、ドイツの学者たちは、サンスクリットから、学識の巨大な塊を切り出してきた。しかし、学問のこの粗鉱から、人間の知恵と経験という、そこに残る精髄を取り出す試みは、おそらくリュッケルトの詩節を除いて、成功していない。それでも、アーリア文明の両極、イギリス人とヒンドゥー教徒とが、インドで出会うこと、そしてインド思想が、西洋へゆっくり浸透することの提起する問題は、それ自体、考えるすべての人にとって、真に興味深い。モア氏は、古代インドの理想の忠実な姿を、短い範囲のなかに示そうと試みることで、この問題を、より広い側面から考えたい人々に、貢献している。サンスクリットの原文を、自分自身の詩的空想を刺繡するための背景として用いたのは、まれな場合だけである。また、フィッツジェラルドのように、近代の不可知論者の気分を、そこに読み込むこともしていない。
古いサンスクリット文献を、文学的に訳すのは、ほとんど不可能だっただろう。『東方聖典叢書』の『ウパニシャッド』訳のような本を読み、ときおり現れる印象的な一節のために、退屈で拙い文章の荒野を、苦労して進むことを受け入れた人なら、誰でもそう証言するはずだ。モア氏は、警句の半数を、バルトリハリに帰される詩節集から採ることで、この難点をかわしている。この作品には、サンスクリットのどの作品にも劣らぬほど、はっきりした個人的な味わいがある。ある程度、自覚的な芸術に達していながら、まだ全面的な作為には陥っていない、文学のあの短い時期に属するように見える。そして、さらに古い典拠から広く借りることで、その「百篇」を完成させた。バルトリハリの詩節は、恋愛、処世の知恵、離欲という、三つの「道」に、それぞれ百篇ずつ分けられている。モア氏は、警句の配列にこの区分をならい、とくに第一と第三の道に、ふさわしい重みを与えた。というのも、本人が指摘するように、ヒンドゥー教徒は、享楽者の理想と禁欲者の理想とのあいだに、中間の領域を、ほとんど考えなかったからである。
[1] 『アトランティック・マンスリー』一八九九年十月。ポール・エルマー・モア著『インドの警句百篇』の書評。
ある者は、離欲の道を歩む。
またある者は、処世の知恵によって、
魂の大きな負債を、すべて返そうと願う。
そしてある者は、快楽の道で、
愛とともにさまよい続け、すべてを忘れようとする。
広い世界には、三つの道がある。
モア氏は序文で、ヒンドゥー教徒による恋愛などの扱いは、多くの点で、古典古代のそれよりも、私たち自身の感情に近いと述べている。女性に対する、このロマン的な態度は、ナラとダマヤンティの物語のような、叙事詩の挿話全体に見られるし、おそらく、次のような警句にも現れている。
まだ誰も香りを味わっていない花、
まだ誰の耳をも喜ばせていない歌う鳥、
宝石細工師が、まだ穴をあけていない白い真珠、
清らかな壺に、採りたてのまま蓄えられ、
まだ味わわれていない蜜。美徳の根から、
いま熟してゆく、まだ割られていない果実。
けがれなき姿よ、私は不思議に思って尋ねる。
愛らしい娘よ、誰の喜びとなるよう、定められているのか。
しかし総じて、ヒンドゥー教徒の女性観は、中世の女性観を思い起こさせる。実際、ガストン・パリは、古いフランス詩の研究で、中世の女性観が、いかに大きくインドに由来するかを示そうとした。したがって、モア氏の警句の一部には、真の歴史的な興味がある。中世の思考に浸透し、修道士の理想の、きわめて重要な一部となった、禁欲的な女性への不信、その遠いインドの起源へと、私たちを連れ戻すからである。「女は男の破滅である」。
女には、恥の原因がある。
女ゆえに、憎しみの炎が燃える。
女によって、魂は、この肉体の罠の内に
閉じ込められる。ああ、女を警戒せよ。
モア氏は、この小著の題辞に、エマソンの一節を選んだ。実際、エマソンの思想、さらには、老年のテニソンの思想と、インドの哲学との類似には、驚かずにいられない。「大霊」の論考や、「新しい汎神論」のような詩に現れる、この類似を、さらに注意深く考えてみれば、それは、ある種の絶対者への感覚に存する、とわかるのではないか。十九世紀の思考の主な成果は、絶対者への信仰を弱めたことだ、というシェレールの言葉は、よく知られている。しかし、この言葉で彼が意味したのは、規則や慣行のなかに、目に見える形で具現された絶対者、完全で不変の真理を、信条や定式のなかに閉じ込める試みであった。この形の絶対者と、エマソンやテニソンの絶対者との関係が、ごく乏しいのは明らかだ。後者は、信条や定式への信仰とは、まったく切り離された、理性の彼方の光への、純粋に精神的な知覚と定義できるだろう。
火は、バラモンの神である。見者は、
自らの心の内に、神が近く在ると知る。
愚者には、その偶像がある。しかし、澄み切って
乱れのない眼は、あそこにも、ここにも、神を見る。
インドが近代世界に伝えるものを、どこかに求めるとすれば、この内なる絶対者の感覚、生の中心的な統一への、絶えざる憧れのなかにこそ、求めなければならない。シェレールの意味での、目に見える絶対者への信仰の消失は、ふつうの人にとって、純粋な印象主義への転落を意味してきた。失った外的な規準に代わる、内的な規準の体系を、省察によって作り上げることに、まだ成功していないのである。私たちアメリカ人は、過去から、権威や伝統へのあらゆる敬意から、最も完全に解放されているだけに、最も印象主義的でもある。歴史上ほとんど例のないほどに、印象主義者の国民なのだ。私たちの弱さと強さの、両方の秘密は、ここにある。とりわけ、外的な絶対者への信仰に、ほとんど必ず伴う双子の悪徳、排他性と不寛容から自由でいられるのは、この事実のおかげだ。あまり寛大でない批評家なら、私たちの気質のある種の軽薄さと高尚さの不足、力強い個人的確信の欠如、行いを律する感覚の弱まり、個人の人格の堅固さの衰えをも、ここに帰するかもしれない。印象主義のこうした害が、いま私たちに見えにくいとすれば、それはおそらく、ピューリタニズムから受け継いだ、道徳的な力の元手で、まだ生きているからだろう。したがって、東洋哲学の研究が、私たちのうち、たとえ少数にでも、印象主義から逃れる手段を与えるなら、そこに、いくらかの正当性を見いだせるかもしれない。つまり、ブリュンティエール氏のような思想家を、あまりに恐れさせたため、カトリシズムに具現された、古い絶対者観へ戻ろうとさせる、現在の知的無秩序から、逃れる手段である。実のところ、ブリュンティエール氏の議論に、有効に対抗するためには、近代合理主義の建物を、その頂で完成させ、純粋な知性の立場から見ると、生が分裂して陥る二律背反を、和解させるために、何か新しい絶対者の洞察が、必要と思われる。
インドから判断するなら、この新しい洞察は、新しい義務の感覚、新しい形の自己鍛錬を伴うだろう。それは、徐々に消えてゆくことが、ブリュンティエール氏をあれほど不安にさせている、あの「抑制の原理」に、取って代わるものである。ヒンドゥー哲学のすべてが向かう目標は、アートマン、すなわち真の自己、心の奥の隠れた場所に宿る神性と交わり、その権威のもとに、感覚と、より低い自己の荒れ狂う情念を、従わせることにある。
この身体という車の内に座り、
沈黙の〈自己〉は、遠く運ばれてゆく。
そして轅についた五つの感覚は、
抑えに逆らう馬のように、引っぱっている。
御者が道を失ったなら、
あるいは手綱が切れたなら、誰にわかるだろう。
どんな見通しのない道へ、どんな恐ろしい穴へ、
狂った疾走のうちに、馬たちが飛び込むかを。
よく御せよ、おお知性よ、持てる技のすべてを使え、
御者であるおまえよ。おお、感じる心よ、
堅く、強い手綱であれ。
主が乗っておられ、道は長いのだから。
それならば現在は、おそらく、西洋の歴史のなかで、ある真理への感覚を、東洋の思想との接触によって、新たにし、生き生きとさせる必要のある、一つの時なのだろう。私たちは、力の秘密の追求に、すっかり没頭してきた。もし飽和した倦怠を避けたいなら、それに劣らず全面的に、平安の秘密の追求へ身を捧げてきた、インドのような国へ、ときに目を向けるのも、よいかもしれない。
落ち着きのない愚か者のように、おまえは遠く、
地下の深淵へとさまよいゆく。
あるいは、最果ての天の、ほの暗い星が眠るところへ、
上へ上へと登ってゆく。
おお、わが魂よ、おまえは世界じゅうを駆け巡り、
探し求めて、休もうとしない。
見よ、ブラフマンの平安も、おまえの目指すものも、
自らの胸の内に、隠れている。
分析によって無限に小さいものへ迫ろうとする、私たちの努力は、東洋人が無限に大きいものへ寄せる憧れによって、いくらか調えられなければ、単なる衒学や、細部への埋没に終わるかもしれない。インドが、最もインドらしいとき、純粋な静止へ向かったように、西洋は、ますます純粋な活動へと向かう。ここでも、東洋の半面の真理が、西洋の半面の真理を正し、ある人が古典的理想と定義した、静止のなかの活動を、実現させるかもしれない。とりわけ、私たちアメリカ人は、空しい表面の動揺に力を使い果たさないために、「究極の静けさの要素」への感覚を、いくらか養うとよいだろう。そうすれば、国民として休息することができないという、ラスキンの非難も、避けられるはずだ。
古典的教養を愛する人は、反対の極端である静寂主義へ導かれるのではないかと恐れて、インドの思想を、このように勧めることを、ためらいはしないだろう。いま私たちは、天の国は自らの内にある、という考えに、心を奪われすぎる危険は、少しもないように見える。むしろ危険なのは、東洋思想をアメリカの読者に解き明かす、真剣な試みが、正当な評価を受けないことである。確かに、東洋的な事柄への、ある種の関心が不足しているわけではない。そのために特別に招かれたバラモンが、神的な本質の内に自分を溶かす至福を、長々と説くのを、喜んで聞く人々には事欠かない。実際、ときには、アメリカの読者の一部を引きつけるには、東洋趣味に、いくらか山師めいた味つけが要るのではないかと、思いたくなる。ポール・ケーラス氏の著作に説かれる仏教に熱中する人々のうち、パーリ語の文献に直接触れたなら、その原典の欠点以上に長所に反発し、しりごみする者は、どれほどいるだろうか。モア氏の多くの警句の主調である、離欲と瞑想、人間精神の本質的な孤独の強調ほど、根底において、現代の群れを求める本能や人道主義的な本能に、逆らうものはないのである。
人はそれぞれ、独りで、最初の息を吸い、
独りで、死の道を下ってゆく。
独りで、悪しき行いの苦い糧を味わい、
独りで、善の実りを味わう。
インドの見方が、これほど私たちになじまない、真の理由は、遠くに探すまでもない。ヒンドゥー教徒にとって、中世のキリスト教徒にとってそうだったように、主要な関心は、個人の魂の救済である。これに対し、近代人の関心は、ますます、個人ではなく社会の進歩に集中する。バルトリハリは、精神において、十九世紀の慈善家より、中世の聖者に近い。それは、ほとんど逐語訳である、次のような警句に現れる。
おお、母なる大地よ。おお、父なる風よ。光よ、
わが友よ。同族なる水よ。そして高き
空よ、わが兄弟よ。おまえたちに呼びかけ、
呼びかけて、別れを告げよう。
おまえたちのなかで、私は、よく務めを果たした。いま、
知恵の日が明け、古い誤りの支配を打ち砕く。
そして光が差し、長く待った魂は、
至福に満ちた、その終着を迎える。
このような質の翻訳が、モア氏の小著を、広く文学一般への貢献としている。同時に、この本の成功、そして同じ精神でなされた、ほかの仕事の成功は、この国で、極東の思想に寄せられている、正当な関心を測るものともなるだろう。
西洋にインドを伝える[1]
一
よく知られているように、仏教は、その発祥の地から、事実上姿を消した。小さな乗り物、すなわち小乗として知られる、より古く、より本来の姿に忠実な形の教えは、今日、主としてセイロン、ビルマ、シャムに見られる。大きな乗り物、すなわち大乗として知られる、本来の姿から、より離れた形の教えは、一つの宗教というより宗教の体系であり、主としてチベット、中国、日本に見られる。クーマラスワーミ博士は、この両方の形の教えを説明し、あわせて、諸時代を通じた仏教美術の展開を、概観しようとした。広大で難しい主題について、最初の印象を手早く得たい人には、有用な一冊となるかもしれない。しかし、その観点からは、これは単なる編纂であり、著者もそれ以上を主張していない。この本は、「情報で、すでに過重になっている図書館に、もう一冊を加えるためではなく、人生哲学への、明確な貢献として構想された」と言う。私も、そのようなものとして考察したい。西洋における、仏教哲学の学問的な扱いの大部分には、何らかの厄介な歪みがある。また、この主題への通俗的な言及の大部分は、荒唐無稽として退けてよい。クーマラスワーミ博士には、多くの誤解を解く機会があった。しかし、その冒頭で、ヤーコプ・ベーメ、ウィリアム・ブレイク、ウォルト・ホイットマンなどから題辞を選んでいるのを見て、早くも不安を感じる。ブッダとは何者かを示す最良の方法は、おそらく、この題辞の一覧に名のある人々と、どの点で似ていないかを示すことだろう。最後の、ブッダ自身からの題辞は、一覧全体の不適切さを説明するものとしてだけでも、実に適切である。「ヴァッチャよ、この教えは深遠で、奥深く、理解しがたく、善く、優れており、単なる推論では到達できず、微妙で、賢者だけが理解できる。そして、ほかの宗派に属し……別の師の足もとに座す、おまえが学ぶには、難しい教えである」。クーマラスワーミ博士は、ときに、仏教の教えに対して、ヴェーダーンタの教えの弁護を引き受けているように見える。とはいえ、この「ほかの宗派」の、激しい党派人になることは、決してない。そして、問題の根は、ここだけにあるのではない。少なくとも同じほど大きいのは、仏教だけでなく、ヴェーダーンタそのもの、さらに、古代インドの精神一般への、微妙な不忠実さである。その点で、この本は、近年、西洋にインドを伝えると称してきた、一群の本の典型と見なしてよい。
[1] 『ネイション』一九一七年十月十八日。アーナンダ・クーマラスワーミ著『ブッダと仏教の福音』の書評。
古代インドの真の精神に迫りたいなら、神的なものを「内なる歯止め」とする定義を、よく考える必要がある。エマソンが、コールブルックのヴェーダーンタ論で出会い、強く心を打たれた定義である。ほかの何より、この言葉が、古代インド思想の鍵を与える。その思想は、総じて強く引き締める性質を持つ。つまり、私たちのように、拡張という観点で善を考えるのでなく、集中という観点で考えるのである。「否と言う精神」を神と同一視するか、ファウストのように、その精神を悪魔と同一視するかは、かなり重要な問題に思われる。ファウストが、このように拡張をたたえる一節全体は、ブートルー氏が、近ごろのドイツの戦争弁護と結びつけているものだが、クーマラスワーミ博士がブッダと好んで比較する、ヤーコプ・ベーメの一面と、よく一致する。ベーメが、博士のもう一人のお気に入り、ウィリアム・ブレイクに、主要な影響を与えたことは、知られている。ブレイクでは、制限する原理を悪として非難し、善を、拡張する欲望と同一視する傾向が、頂点に達する。「抑圧された欲望は疫病を生む」というブレイクの言葉は、精神分析によって確かめられた、とクーマラスワーミ博士は言う。そのように考える人が、そもそもブッダについての本を書きたいと思うのは、いささか奇妙だ。おそらく古今のほかのどんな師にもまして、ブッダは、反対の前提に立っているからである。人間の思想史のなかで、ほとんど最も完全な対照を見たいなら、ブレイクの『天国と地獄の結婚』と、仏教の『法句経』を、並べて読むとよい。
内なる歯止めを強調する点で、ブッダは、ほかの古代インドの師たちと同じだった。しかし、この引き締める性質を、きわめて実証的な気質と結びつけた点では、異なっていた。当時流行していた六十二の哲学体系を前に、形而上学の空しさを宣言した。「見解」を持つ者を、好ましく思わなかったのである。「如来、すなわちブッダには、理論がない」。直接的で、経験によって確かめられるものでなければ、何も信頼してはならない。「知覚と想像を備えた、この一尋ほどの、小さな死すべき身体の内に、世界はある、と私は宣言する」。ここにあるのは、ソクラテスの一派とソフィストたちが論じた、人間は万物の尺度であるという、重大な帰結を伴う格言の、東洋における対応物である。ブッダとの真の類似を探すべきなのは、総じて、この時期のギリシアであり、ブレイクのようなロマン主義者のなかではない。批判的探究の問題の解決において――人間は万物の尺度だという格言が関わるのは、この問題なのだが――ブッダが最も思い出させるギリシア人は、アリストテレスである。ブッダは、その強い分析的傾向において、アリストテレスに似ている。現在のブッダをめぐる、いくつかの混乱を解く最良の方法は、東洋のこの最も偉大な分析者を、西洋の分析の巨匠と比較することかもしれない。本質的に仏教的な行為は、道徳上の原因と結果を、厳密にたどることである。ブッダが最高の悟りに達したのは、分析の行為、すなわち、悪の連鎖を、一つの環から次の環へと、無明という始まりにまで、さかのぼることによってだった。悪を無知に帰する点で、ブッダはソクラテスとプラトンに一致する。しかし、だからといって、無知の反対である知識を、徳と同一視することを拒む点では、アリストテレスに一致する。正しいことを知っていても、それを行わない場合がある。その妨げとなるのは、あらゆる罪のなかで最も微妙で、最も致命的なもの、道徳的な怠惰、気質と欲望に受動的に流される傾向だ、とブッダは言う。実証的な見地からは、人間の怠惰を、その無知の単なる一面とは見なせない。人間は、無知であり、かつ怠惰なのである。
仏教徒にとって、道徳的な怠惰が主要な悪徳なら、その反対が最高の徳であることになる。あるバラモンが、ブッダのもとに来て、急いでいると断ったうえで、教えを一語にまとめられないかと尋ねた。ブッダは、できると答え、その一語は、励み努めること、不放逸であると言った。弟子たちへの最後の訓戒も、この徳をたゆまず実践せよ、というものだった。人は、衝動の流れに漂うのをやめ、自分をしっかり掌握すべきである。「奮い立ち、励み努め、抑制し、統御することによって、賢者は、どんな洪水も押し流せない島を、自らのために築くことができる」。不放逸は、油断なく見張ること、とも訳せる。仏教徒は、「誤りが真理に対する関係は、眠りが目覚めに対する関係と同じだ」というゲーテの言葉に、同意するからである。「怠る者のなかで励み、眠る者のなかで目覚めて」と、ブッダは言う。「賢者は、駄馬を置き去りにする駿馬のように、進んでゆく」。
二
ブッダはアリストテレスのように実証的であるとしても、西洋で近ごろ、この語に与えられた意味で、実証的なのではない。たとえば、すでにブレイクに見た、大きな拡張運動の別の側面を代表するディドロは、「人間において、すべては経験的である」という原理を掲げる。そのうえで、人間の二重の本性、すなわち、一方に拡張する欲望の要素があり、他方に、その欲望を統御する力があるという観念、彼のいう「洞窟の内の内戦」は、「人工的」であり、生き生きと「自然」でありたいなら、取り除くべきだと、その原理から論じる。ブッダも、人間においてすべては経験的だと断言する。しかし、ディドロに反対して、「洞窟の内の内戦」を出発点とする。それ以上に経験的なものは、何もないからだ。権威や伝統によって受け入れる必要はなく、ただ自分の内を見るだけでよい。事実は、ブッダの側にあるようだ。気質の水準を超える自己統御の行為ほど、生きて直接的なものはない。この問題を冷静に考える人には、直接的なものを渇望し、経験で確かめられるものでなければ満足しないと公言しながら、同時に、「蓋を取り払った宇宙」に生きることを支持する、現代のプラグマティストは、いささか滑稽に見えざるをえない。
ブッダが促す、衝動と気質に対する精励した闘いの目的は、彼が教えを簡潔にまとめた、別の言葉に現れる。「苦と、苦からの解放」。仏教は、その本質において、幸福と不幸に関わる欲望の心理学である。人間の賢さと愚かさは、欲望の質によって、あるいは同じことだが、快と苦への評価によって、決まる。「愚者が楽と言うものを」と、ブッダは断言する。「聖なる者たちは苦と言う。愚者が苦と言うものを、聖なる者たちは楽と知る。見よ、理解しがたいことを。無知な者たちは、ここで戸惑う」。聖なる者の列に加わり、同時に悪を逃れたいなら、より長く続くものを選んで、より続かないものへの欲望を捨て、究極には、生まれも滅びもしないものを選んで、移ろうものへの欲望を、まったく捨てなければならない。無常を超えようとする、この憧れが、仏教徒の中心的な憧れである。たとえば、最も高い天界でさえ、最後には消え去る。そのため、天界への欲望も、「低い」ものとして退けられるのである。
ブッダによれば、人間には、偽りの安心へと自分をなだめ、永続するものに達していないのに、達したと思い込む、さまざまな方法がある。その主要な一つは、流転の背後に、実体や本質とされるものの世界を、思弁によって築くことだ。そうした思弁を、形而上学的な自負が巣を作る場所にすぎないと見る傾向において、ブッダは、西洋なら極端な唯名論と呼ばれるものに近づく。しかし、「アニミズム」と絶対主義的な形而上学を嫌うからといって、リス・デイヴィッズ夫人[1]のように、ブッダを、一種のベルクソンの先駆者と見てはならない。ブッダが、流転の本性をあれほど深く見抜いたのは、ただ、それを逃れるためだった。「流転からの脱出」は、実際、涅槃の定義の一つである(bhavanirodho nibbānam)。これに対して、ベルクソンだけでなく、いま哲学者と見なされる多くの人々は、新しさそれ自体を喜び、変化の輪の上で永遠に回り続けること以上のものを望まず、未来への自分の陶酔を、形而上学へと築き上げたのである。
[1] 著書『仏教』(ホーム・ユニヴァーシティ・ライブラリー)において。
ブッダは、形而上学的な実体という意味での魂や自己を認めないとしても、すでに見たように、流動の哲学者が無視しようとする、心理的な事実を出発点にする。すなわち、人間には、一つではなく二つの自己があり、そのあいだに葛藤があるという事実、「洞窟の内の内戦」である。言い換えれば、個人が経験によって生命の衝動として知る、変化の要素と、同じく経験によって生命の抑制として知る、永続的な要素との対立だ。苦からの脱出は、この統御の原理を、励み努めて働かせる結果としてしか、来ない。人も神も、他人に代わって励み努めることはできない。信による救済は、大乗仏教徒のあいだでは、非常に極端な形でも現れる。しかし、古い教えで、ブッダへの信が意味するのは、ただ「道に入る」ための信である。「自己こそ、自己の主である。ほかの誰が、主であろうか」。「あなた自身が、努力しなければならない。諸仏は、ただの教師なのだ」。
ブッダは明らかに、私たちから最も遠いところにいる。私たちは、個人に対し、自分の責任を他へ、とくに社会へ転嫁するよう、勧めている。誰かの言い方では、いま政府には、すべての人に翼をつけてやることが期待される。ブッダによれば、翼があるべきだとすれば、それは自分で生やしたものでなければならない。将来どのような者になるかだけでなく、現にどのような者であるかについても、これほど厳しく、個人に責任を自覚させた人は、いない。ブッダが責任を、未来だけでなく過去にも及ぼす根拠となる業の法則は、「思考では捉えられない」と、彼は警告する。それは直に見抜かなければならず、完全に見抜けるのは、ブッダだけである。しかし、仏教徒でない者にも、通常を超えた記憶に達すると、時の暗い過去を垣間見ることが、許される場合がある。そのとき人は、繰り返される生を通して、自分でまいたものの実りを、いかに刈り取ってきたかを、少なくともある程度は、見て取れるのである。
救いのためには、自分自身に頼らなければならないのだから、自分を大切にせよ。統御を働かせる自己を、である。古い教えに対する、大乗仏教徒の非難を繰り返して、ドイセンは、このように自己を重んじることは、利己的であると言う。ともあれ、同じ非難は、アリストテレスにも当たる。彼にとっても、倫理の究極の動機は、真の自己愛だからである。自己という語に曖昧さがあることは、否定できない。最近のイプセン論の著者は、「何よりも、自分自身に忠実であれ」云々の詩句が、近代の自己表現の福音を先取りしていると主張する。しかし文脈からすれば、ポローニアスは、衰えたアリストテレス主義者であって、イプセンの先駆者でないことが、明らかなはずだ。ブッダとアリストテレスが、ともに自己と理解するのは、永続する自己である。ブッダによれば、人間のうち、永続せず、今日はあっても明日にはないものは、正当に自己と呼ぶことができない。そして彼は、より永続するものを選んで、より永続しないものを退けるという方針を、ひるまず貫く。仏教的な意味で自己を愛することは、自我に関するかぎり、無私であることだ。ブッダは、肉体を痛めつける苦行は勧めない。しかし、彼が勧める、通常の自己に対して死ぬことは、少なくとも、最も厳しいキリスト教にも劣らぬところまで進む。「私は在る」と言わない喜び、ブッダが好んで繰り返し語るその喜びは、世俗の人には、いつまでも謎めいた喜びだろう。実際、西洋人は、ブッダが自己から無常を取り除き終えたとき、何かが残るのだろうかと、疑いがちである。仏教徒自身は、貪欲、悪意、迷妄という、三つの致命的な罪が「消滅」し、「消える」――涅槃の文字どおりの意味――その後に何が残るかを、形而上学的に論じることを拒む。しかし、未来ではなく、現在の経験の事柄である、心理的な事実としての涅槃については、大いに語るところがある。前後を眺め、ないものを恋い焦がれることほど、その気質にそぐわないものはない。原資料に密接に接しながら、生涯を送ってきたリス・デイヴィッズ教授は、初期仏教徒の「横溢する楽観主義」を強調する。この表現には、いくらか説明が必要だろう。真の仏教徒は、真のキリスト教徒と同じく、回心していない人間を、暗く見る。しかし、量の面では生を悪いものとしながらも、ある質の生については、紛れもなく明るい。ここで、彼は、しばしば比較されるストア主義者と異なる。鋭く分析的でありながら、合理主義者ではなく、熱意に満ちた人なのだ。しかし、その熱意は、私たちに親しい感情的な種類のものではなく、高揚した平安と定義されてきた種類のものである。より永続しないものから、より永続するものへ移ることは、より平安でないものから、より平安なものへ移ることだからだ。幸福の問題と平安の問題とは、ついには、切り離せないとわかる。キリスト教徒に、理解を超える平安を認める用意があるなら、仏教徒にも、その涅槃を認めるべきだろう。ブッダの捉える平安は、能動的で、恍惚に満ちてさえいる。受動性ではなく、最大限の努力への報いなのである。「戦いで、千人の千倍もの人に勝つ者がいても」と彼は言う。「自分自身に勝つ者がいれば、後者こそ、より偉大な勝者である」。この戦いで勝利する者について、こう記されている。「真の知恵によって自由を得て、このように静かな人となったとき、その思いは静かであり、言葉と行いも静かである」。ブッダ自身は、測り知れない静けさの深みから語るように見える。その静けさには、気だるさのかけらもない。
三
いま私たちは、人々のあいだに集団として平和を促す計画に、たいへん心を奪われている。その一方で、一人ひとりの人間には、極度の心の落ち着かなさを発達させがちな人生哲学を、抱いている。カーライルによれば、靴磨きに宇宙の半分を与えても、やがて残り半分の持ち主と、争い始める。気質にひどく左右される靴磨きなら、そうなるだろう。だから仏教徒は、問題をこの端からつかむ。アリストテレスと同じく、ブレイクやロマン主義者たちがたたえる、拡張する欲望の「無限」を、悪いものと見る。そして、通常の自己、気質に支配される自己が、もっと、さらにもっとと手を伸ばすことに、限界を設けようとする。彼の見るところ、戦争と平和の真の劇が演じられるのは、あの「一尋ほど」の小さな生き物の胸の内である。そこを支配するものが、輪を広げながら、社会へ及んでゆく。ほかのすべての形の戦争は、近く、あるいは遠くから、「洞窟の内の内戦」を映しているのだ。
戦争と平和のこの問題で、仏教が実際にどう働くかは、インド史から、興味深く例示できる。紀元前二七三年ごろ、アショーカが、近代の英領インドよりも広大な領土を継承した。彼は、アレクサンドロス大王の残したマケドニアの守備隊を、パンジャーブで破り、追い返した、あのチャンドラグプタの孫である。世界を血に浸す力を、手にしていた。実際に、その始まりをなした――その後、仏教への回心が来た。結果は、本人の言葉で語れる。広大な帝国各地の岩や石柱に刻ませた勅令[1]の、いくつかが、いまなお残っているからだ。岩に刻んだ勅令の一つで、彼は、カリンガ人との戦争で殺された何十万もの人々と、多数の非戦闘員にもたらされた苦しみへの、「深い悲しみ」を語る。「いま、その百分の一、千分の一でも、同じ運命を被るなら、それは陛下にとって、悔やまれることであろう」。支配欲を悔いただけでなく、後世への教えとして、その悔いを岩に刻ませた、強大な皇帝。現在の状況のもとで、これは、よく考えるべきことだ。自らの言葉で言えば、アショーカは、戦いの太鼓の響きに代えて、正しい生の法の響きを、広めたいと望んだ。およそ三十年間、信仰の拡大に、きわめて実効的に努めたため、仏教における役割は、しばしば、キリスト教におけるコンスタンティヌスの役割と、比較される。その個人的な性格が示唆する比較相手は、マルクス・アウレリウスである。仏教徒とストア主義者の気質の違いは、先ほど引いた、同じカリンガ勅令の、ある一文の最後の語に現れる。「陛下は、すべての生き物が、安全、自制、心の平安、そして喜びを持つことを望まれる」。釈迦族の聖者の、実践的で実証的な精神は、少なくともアショーカの時代まで、インドに生き残っていた。「小さき者も、大きき者も、励み努めよ」と彼は言う。「すべての喜びを、努力のうちにあらしめよ」。これほど隔たった時代から判断するかぎり、アショーカの生涯は、あらゆる意味で、努力の奇跡だった。しかし、自ら語るところ、彼がとくに尊んだ努力は、内なる努力、瞑想に示される努力だったのである。
[1] 岩石勅令と石柱勅令の翻訳は、ヴィンセント・A・スミス著『インドの仏教皇帝アショーカ』(第二版、一九〇九年)に収められている。
実際、ブッダの意味で励み努めるとは、瞑想することなのだ。ここでも、アリストテレスとの類似に、注意すべきである。アリストテレスによれば、目的は、何よりも重要であり、あらゆる目的の究極の目的は、幸福である。変わりゆくものから、平安で永続するものへ向かうことによってのみ、人は幸福になる。そして、この上昇は、人間性に固有の法則に従う努力によってのみ、つまり、正しい観照によってのみ、成し遂げられる。だから、アリストテレスの幸福の最終的な定義は、「観照的な活動」となる。中世のキリスト教は、アリストテレスの「観照の生」と、自らの理想との近縁性を、正しく認めていた。イエスがマルタよりマリアを選んだのは、マリアがマルタより停滞していたからではなく、より瞑想的であり、したがって、より平安だったからである。ブッダは、アリストテレスより専ら瞑想に心を向け、それを、より遠くまで進める。実際、ブッダは、アリストテレスを思い起こさせる分析の鋭さを、ある種の宗教的洞察に奉仕させた、きわめて感情に動かされない人物と、定義できるかもしれない。その洞察は、実りによって試すなら、キリスト教を思い起こさせるものだ。というのも、仏教とキリスト教は、教義の側では、しばしば当惑するほど隔たっていながら、実践においては、互いを裏づけるからである。聖パウロによれば、「霊の実り」は、「愛、喜び、平和、寛容、親切、善良、信仰、柔和、自制」である。アショーカによれば、それらの実りは、「慈悲、寛大、真実、清浄、温和、そして聖なる徳」である。アショーカの列挙は、パウロのものほど完全でないかもしれないが、確かに同じ方向を指している。
四
ブッダの、励み努めること、精神的な精進という考えを、これほど詳しく取り上げてきたのは、この並外れて油断なく、男性的な人物を、眠たげな目をした、悲観的な夢想家に変えてしまう、西洋の傾向を警戒する、最良の備えとなるからだ。たとえばチェスタトン氏は、芸術に表された両者の典型における、仏教の聖者のまったくの無気力と、キリスト教の聖者の、すべてを呑み込むような生命力との対照を、考えるよう促す。「仏教徒は」と彼は言う。「特有の熱心さで、内側を見つめている。キリスト教徒は、狂おしいほどの熱心さで、外側を凝視している」。確かに、聖者にも、いろいろいる。数年前、ロンドンの新聞は、インドから、次のような通信を載せた。「スワート渓谷に、新しい聖者が現れた。警察が、その者を追っている」。しかし、仏教徒であれキリスト教徒であれ、聖者としての仕事を心得た聖者は、正しく瞑想し、その瞑想の深さに、平安の深さも、正比例する。チェスタトン氏が、尊重せざるをえない権威によれば、天の国は、私たちの内にある。「狂おしいほどの熱心さで外側を凝視する」ことによって、聖者がどうやって、内にあるものを見つけるのか、チェスタトン氏の説明を、ぜひ聞いてみたい。ほかの多くの人々と同じく、宗教とロマン主義を区別できないために、彼は、仏教とキリスト教の両方を、同時に中傷することに成功したのである。
仏教、あるいはアリストテレスの、瞑想と観照の考えを心にとめておけば、冒頭に述べた、クーマラスワーミ博士による、主題の歪曲にも警戒できる。それもまた、それなりにロマン主義的な歪曲なのである。博士は、瞑想と擬似的な瞑想、真の哲学や宗教と、その原始主義的な戯画とを、十分に区別しない。「神秘の道は、内へ通じる」と、ノヴァーリスは言う。しかし、内面の生活そのものに、きわめて重要な分かれ道があることを、付け加えない。一方には、洞察と識別の、上昇する道がある。そこを進む人々は、精神の鍛錬者と呼んでよい。他方には、理性以下の領域へ下ってゆく道がある。そこをたどるのは、垣根を壊し、区別をぼかすことで生まれる、混然とした夢想を求め、「自然な発露」のためなら、目的を捨てる用意のある人々である。彼らは、宇宙的な怠け者と呼んでよい。天の頂から地獄の底まで、道徳的価値の目盛りが明確な、ダンテの「幻視」を、ウォルト・ホイットマンの『わたし自身の歌』の「幻視」と、比べてみればよい。後者では、善人、悪人、そのどちらでもない人々、男女だけでなく、「ニワトコ、モウズイカ、ヤマゴボウ」までが、汎神論者が好んで愛と呼ぶもののおかげで、すべて同じ水準で見られる。クーマラスワーミ博士が、賛意をもって引用するホイットマンの詩句、「粗大な物体と、目に見えない魂は、一つである」は、初期仏教や、内なる歯止めのいかなる哲学とも、精神のうえで、ほとんど想像を絶するほど隔たっている。統御を緩め、存在の諸次元を混ぜ合わせる、汎神論的な夢想は、この一世紀ほどのあいだに、西洋で、巨大な偽の精神性の体系へと発達したのである。
こうした拡散的な夢想は、きわめて詩的、芸術的でありうるし、生活の休養や娯楽の側には、確かにその居場所がある。しかし、人間の法則、あるいは自然の法則に従う、確固とした男性的な目的や仕事の代わりに据えるなら、それは、ただ力を弱めるだけだ。いずれにせよ、ブッダの真の精神から、これほど遠いものはない。クーマラスワーミ博士も、そこまでは認め、ブッダは、ただの心理学者であり、イエス――そしてニーチェ――のような「神秘家」ではなかった、と結論する。この本の別のところでは、ニーチェは単に、「最も新しい神秘家」だったと、教えられるのである。近年現れてきた、一群の神智学的な文献には、このような奇怪な名前の並べ方が、あふれている。それは、知性と道徳的努力の出費を最小限に抑えながら、広大な精神性の感覚を楽しみたい、ある種の半可通な人に、訴えるようだ。
実際、西洋で進んできた、ほかの形の動員に対抗するため、いま賢者の総動員が必要だという、クーマラスワーミ博士の考えにも、一理はある。しかし、ここでこそ、募った者たちの質を、厳しく吟味しなければならない。そうしなければ、たちまち、この本にあるように、並外れて精進するブッダが、宇宙的な怠け者ウォルト・ホイットマンと並ばされ、ニーチェが、イエスとともに「神秘家」の名簿に加えられるのを、見ることになるだろう。インドが、古来の習いに従って、「軍団が轟音を立てて通り過ぎるにまかせ、再び思索に沈む」のは、よいことである。しかし、その最も偉大な師に、あれほど際立っていた鋭い識別から切り離されたなら、その黙想は、大して役立ちそうにない。この民族の、精神の鍛錬者たちの真の系譜に連なるヒンドゥー教徒は、まだいるかもしれない。しかし、いるとしても、外の世界には、その姿を見せていない。姿を見せている人々が示すのは、西洋にきわめてなじみ深い型、黙示を授かったような姿勢を取る唯美主義者との、近縁性なのである。
内面の生活の価値を、唯美主義者に委ねるわけにはいかない。また総じて、「賢い受動性」を説く原始主義者に、委ねるわけにもいかない。東洋にも、初期中国の道家からタゴールにいたるまで、そうした原始主義者がいた。自然の法則に従っては精力的であり、人間の法則に従っては受動的であること、すなわち、物質的な目的と、精神的に流されることを結びつけることは、究極に重要な唯一の問題、幸福の問題に対する、不十分な解決となるかもしれない。私たちの現代生活には、まさに、その結びつきの兆しが、わずかどころではなく見られる。しかし、外の世界だけでなく、自分自身にも働きかける必要があるからといって、要するに、賢明に精進する必要があるからといって、いま一部の人々[1]が説得しようとするように、仏教徒になるべきだとは、言えない。ブッダと初期の弟子たちは、どれほど冷静に分析していても、純粋な超自然主義者だった。存在の究極の高みに上り、「インドラの空を、はるかに超えたところから吹く、甘美な調べ」に、耳を澄まそうとしたのだ。このことは、自然主義的な水準へ向かってきた私たちとのあいだに、かなり広い隔たりを置く。その水準を超えたいなら、西洋には、私たち自身の、霊感を受けた師たちがいる。ブッダからと同じく、それらの師たちからも、一方で、集中、瞑想、平安のあいだにあり、他方で、拡張性と戦争のあいだにある関係を、学べる。戦争が、自己とのもの、「洞窟の内の内戦」であれ、他者とのものであれ、同じことである。
[1] パウル・ダールケ『仏教と科学』(一九一三年)、A・ダヴィッド『仏教モダニズム』(一九一一年)など。
しかし、仏教は西洋の知恵に取って代わることはできなくても、それを補い、支えるために使える。とくに、純粋に伝統に基づいて、この知恵を受け入れるには、あまりに実証的な人々には、有用だろう。危険なのは、外からの抑制を振り払うには、十分に実証的で批判的になりながら、内なる抑制を成し遂げるには、十分に実証的で批判的にならないことである。他方、ブッダやアリストテレスは、批判的探究の問題を提起するだけでなく、それを最後まで貫く。実証的で批判的であることが、半ばにとどまる人では、欲望の要素が暴走しがちだ。欲求は、ただ多いだけでなく、しばしば両立しない。たとえば、純粋に拡張的でありたいと望む。それこそ、生き生きとして力動的であり、さらには「創造的」でさえあることだ、と考える。同時に、平和と友愛をも望む。しかし、歴史が何かを教えるとすれば、純粋に拡張的な世界を支配するはずなのは、狡猾さの法則と、力の法則だ、ということである。平和と友愛を、拡張的な生き方と結びつけようとすること。これこそ、現在の西洋の、最大の幻想なのである。ある種の拡張主義者が、欲望の両立しなさを糊塗する、知性や感情の詭弁や逃げ口上と比べると、仏教の良さが際立つ。ブッダは、統御の法則、人間性に固有の法則を、ニュートンが重力の法則を扱うのと同じく、実証的で冷静な精神で扱う。平和と友愛を望むなら、人は、その代価を払わなければならない。自然主義的な水準を超えなければならないのである。そして、それをなしうるのは、道徳的な怠惰を克服し、気質の衝動に、内なる歯止めを働かせることによってだけなのだ。「すべての善い状態、すなわち諸法は」と、ブッダは言う。「励み努めることに、その根を持つ」。
民主主義社会における文体の問題[1]
本篇のstyleは、文章の文体だけでなく、芸術や生き方の様式にも及ぶ。訳文では文脈に応じて「文体」「様式」と訳し分けた。
ここで私が用いようとする意味での文体は、価値あるものの大部分がそうであるように、難しい調停の結果である。人の文体には、きわめて個性的な何かがあるべきなのは、言うまでもない。しかし、そこに構造的な何かがあることも、少なくとも同じほど重要だ。そして、この構造的な性質は、一人ひとりが自然から無償の贈り物として受け取る独自性を、何か、より大きな全体に従属させることによってしか、生まれない。カール・サンドバーグ氏は、次のように書くとき、明らかに、文体という語を、きわめて一面的に用いている。
そのまま話し続けなさい。
ただ、私の文体を取り上げないでくれ。
それは私の顔なのだ。
ろくなものではないかもしれない。でも、ともかく、私の顔なのだ。
ブラウネル氏が『文体の特質』で示したように、これは、ビュフォンが「文体は人そのものである」と言ったときの意味ではない。実のところ、ビュフォンは、アカデミーで『文体論』を講演しただけでなく、自ら、アカデミーの伝統の内に、深く身を置いていた。文体を、第一に自己表現への衝動と結びつけたのではなく、むしろ本人の言い方で、「人が自らの思考に与える秩序と運動」と、結びつけたのである。この意味の文体を、ブラウネル氏は、芸術作品の「あらゆる部分に、全体の形への何らかの感覚を保つ要因」と定義した。実際ビュフォンは、全体の効果のために、局部的で個別的なものを、あまりに進んで犠牲にするので、事物は「最も一般的な語によってのみ」記述するよう求める。これは、真に古典的というより、擬似古典的な教説であり、ともあれ、地方色の名による、ロマン主義の抗議を招いた。
[1] 一九三二年十一月十日、アメリカ芸術文学アカデミーでの講演。アカデミー刊行物、第七十九号。
総じて、十八世紀以来の時期には、自然の絵のような多様さと豊かさを好み、その豊かさに何らかの型を課すことを、恣意的で人工的だと見る傾向があった。とくに、言語の生まれながらの豊饒さを、このように抑え、限ろうとする試みを、単なる貧困化と見がちである。これに対して、フランス・アカデミーは、伝統的に、私たちの自然さや自然な発露の崇拝とは、最も遠い、言語への態度を取ってきた。フランス語が、おそらく古今のほかのどの言語にもまして、意識的な芸術の作品であるのは、とくに十七世紀の、アカデミーの努力の結果に、大きく負っている。創設者たちの意図では、アカデミーは、何が真に人間らしく、品格があるかについて、合意に達した社会、つまり、慣習という語の文字どおりの意味で、共に集まり、取り決めを作った社会の、一機関にすぎなかった。要するに、サンドバーグ氏がこの語に与えるのとは、きわめて違った意味で、様式を達成した社会なのである。アカデミーが辞書で定めた、よい語法の規準は、パリの比較的小さな社交集団の見方を反映しており、その構成員の多くは、宮廷とつながっていた。アカデミー会員を含む文人たちは、サロンで貴族と会い、文体の問題、とくに、おそらく語彙の選択に関わる問題を、彼らと論じた。こうした議論が、しばしばアカデミーの決定を左右した。この内輪の集団に属する人々が、自分たちは言葉の生殺与奪の権を持っていると、感じるようになったのも、不思議ではない。「féliciterという語が、まだフランス語でないなら」と、サロンのある婦人は書く。「来年には、そうなるでしょう。私たちが、その採用を願い出るとき、ヴォージュラ氏は、反対しないと約束してくださいました」。
初期のアカデミー会員たちは、守銭奴が天秤で金を量るように、言葉を量ったと言われる。総じて、文学の技法に関わる問題で、小さすぎて、彼らの注意を逃れるものはなかった。たとえば、アカデミーは、マレルブのある頌歌を、顕微鏡で見るように精査するため、数週間を費やし、それでも冒頭の数節から先へ進めなかった、と伝えられる。文体の純粋さの崇拝を、純粋主義にまで押し進めたという非難を、招いたことは疑いない。フェヌロンは、ロンサールやプレイヤード派の、いくつかの怪しい造語への反動から、マレルブと、アカデミーの後継者たちは、反対の極端へ傾き、「私たちの言葉を貧しくし、干からびさせ、不当に制限する」危険を冒した、と不満を述べる。しかし、細部にこだわりすぎ、人為に多くを、自然に少なすぎるものを認める傾向はあっても、振り返れば、アカデミーは、ルイ十四世の偉大な古典時代への道を準備しただけでなく、フランス語に、今日まである程度保たれている文体上の優越を与えた、機関の一つだったとわかる。「ああ、何も成し遂げなかったなどと言わないでほしい」と、ルナンは書く。「言葉を裁き、音節を量って、一生を過ごした、十七世紀の、あの名も知られぬ才人たちについて。彼らは、一つの傑作、フランス語を成し遂げたのだ。辞書を作り、言語にとって致命的な、あの限度の定まらぬ自由から、私たちを守ることによって、人間精神に、計り知れない貢献をした。……どれほど繊細で、新しく、洗練された思考でも、そのすべてを表すのに必要なものが、アカデミーの辞書に含まれていると、わかるようになって初めて、人は真に、精神の十分な成熟に達したのである」。
ルナンがアカデミーの辞書に示す敬意は、彼の時代でさえ、すでにいくらか例外的になりつつあった。言語においても、ほかの領域と同じく、新旧の対立が生まれていた。それをサント=ブーヴは、二つの言葉、宮廷と民主主義で、要約する。「現在の時点は」と彼は続ける。「ある点で、ヴォージュラの時代の、正反対である」。ヴォージュラは、ご存じのように、初期のフランス・アカデミーにおける、言葉の主要な裁定者の一人だった。「当時は、すべてが純粋さと洗練へ向かっていた。今日では、すべてが反対の方向へ進んでいるようだ。……当時は、疑わしい言葉はすべて、言語から出てゆこうとしていた。今日では、庶民的、実用的、技術的な言葉、さらには冒険的な言葉までもが、騒々しく、言語のなかへ押し入ってくる」。旧体制のフランス人は、その選別において、ときに狭量で排他的すぎたことは、疑いない。だが、平等主義的な民主主義者のように、選別的で貴族的な原理を、まったくなくそうとするのは、別の、はるかに重大な誤りである。平等主義的な民主主義者が勧める、平凡な人間の崇拝は、凡俗さの崇拝と区別しにくい。この種の民主主義は、シェレールには、「三世紀にわたる偉大な作家たちが、比類のない完成度にまで高めた、あの壮麗な言語の腐敗」をもたらしかねないものに見えた。言葉の純粋さの、この劣化、後に「フランス語の危機」と呼ばれるものを、シェレールは、すでに「アメリカ主義の侵入」に帰している。それ以来今日まで、ヨーロッパ人は、品格の喪失、文化的規準の崩壊に役立つものすべてを、アメリカの有害な影響に、結びつけてきた。最近の書名を引けば、『脅威としてのアメリカ』、さらには『癌としてのアメリカ』とさえ言われる。オルテガ・イ・ガセット氏が、大衆人と名づけるものの出現について、アメリカだけに責任を負わせるのを拒むのは、確かに正しい。彼の趣旨によれば、ヨーロッパは、アメリカがあろうとなかろうと、この人間を出現させるような道筋で、自らの過去と断絶してきたのである。オルテガ・イ・ガセット氏の定義する、平均的な人間、すなわち大衆人は、自然科学の助けで築かれた、力と物質的な安楽の巨大な仕組みを、進んで利用する。この仕組みを、季節の移り変わりと同じく、物事の必然的な秩序の一部だと、誤って思い込む。同時に、怠惰で自分に甘く、様式、さらに一般に品格を得るために必要な規準に従って、自分を鍛えることを拒む。要するに、その心理は、甘やかされた子供の心理なのである。
ここで私たちは、これまで主に論じてきたものとは、明らかに異なる、文体の問題の一面に近づいている。文体が求めるのは、優れた技量、たとえば、初期のフランス・アカデミーが重視した、言葉の純粋さだけではない。文体は、その人の人生観全体とも関係している。技法、すなわち外的な形と、内的な形、すなわち内容とのあいだには、明らかに、保たれるべき均衡がある。そのような均衡を保てないことこそ、根底において、プラトンがソフィストたちを攻撃した理由である。無邪気な若者に、表現するものが何かあるようになる前から、自己表現の技術を教える、現代のある種の英語の教授たちを見ると、ときには、ゴルギアスやプロタゴラスの直系の子孫だと、考えたくなる。言葉の修辞的な細巧への過度の執着は、ソフィストたちだけでなく、ギリシア人一般の弱点でもあったようだ。「修辞の精神は」と、ジョウェットは言う。「まもなくギリシア全土に広まるはずだった。そしてプラトンは、予言的な洞察によって、ギリシア文学がまもなく姿を消すことになる、巨大な文学の荒野、あるいは平板な停滞、果てしない沼地を、遠くから見ていたのかもしれない」。この言明には、いくつかの例外を設ける必要がある。とりわけ私なら、ロンギノスの『崇高について』を、例外としたい。あるいは、いわゆるロンギノスの、いわゆる崇高についての論書と、言うべきかもしれない。近代の学者たちによれば、これは、紀元三世紀に生きた、歴史上のロンギノスの作ではなく、紀元一世紀の、偉大な無名の人物の作だからである。また、十八世紀以来の意味での崇高を、扱っているとも、ほとんど言えない。実際に論じるのは、文章の高尚さや品格の源であり、要するに文体論、おそらく、どの言語でも最良のものである。アカデミーとの協力のもとに練り上げられた文体観を、自ら体現するボワローも、そう見た。彼の訳したこの論書は、一六七四年に出て、フランス文学の偉大な創造期に、健全な影響を及ぼした。この論書は、文体の二つの主要な要素のあいだに、見事な均衡を保っている。技法を、細部にわたって詳しく扱う。同時に、文学の優秀さは、第一に、精神の高尚さから生じなければならないと、強調する。ロンギノスは、この高尚さと、とくに両立しないものとして、金銭への愛と快楽への愛を挙げる。これらの悪徳は、私たちの時代に確かにそうであるように、彼の時代にも、はびこっていたらしい。実際、私たちは、最も反ロンギノス的な時代に生きている、と私は考えがちである。現代の文学だけでなく、現代の生活で、ほとんど例のないほど欠けているように見えるのは、気高さの響きなのだ。最近のあるイギリスの著者によれば、ダンテの地獄に堕ちた者の多くは、いま地上にいる人類よりも、人間の尊厳への感覚が高いという。ここでも、ヨーロッパ人たちは、アメリカを身代わりの犠牲にする傾向を、過度に満足させてきた。マシュー・アーノルドは、すでにアメリカ人に対して、「すべて高きもの」を求めよという使徒の勧告を、とくに軽んじると非難していた。これほど難しい話題を、全面的に論じようとは思わない。しかし、今日の凡俗さの伝染を、専らこの国に帰すべきではないという確信は、表明しておきたい。それはむしろ、主としてイングランドに起源を持ち、西洋全体を席巻し、東洋にまで入り込みつつある、巨大な運動の結果なのだ。その運動は、主要な一面では感傷的であり、もう一面では功利主義的である。感傷主義者は、拡散的で選別のない共感を、ほかのすべての徳の代わりにしがちだ。高尚さの問題でさえ、上より下を見ているように思われる。たとえばグレイは、「冷たい貧困が、その高貴な情熱を抑えた」ために、おそらく田舎の墓地に眠っている、「声なく、名もなき」ミルトンたちを夢見る。グレイのいう階級の大部分は、その後、貧困の水準を、はるかに超えた。しかし、ミルトンの数が、目立って増えたわけではない。確かに、選別の感傷的な否定と、選別の土台を広げたいという正当な望みとのあいだに、線を引くのは難しい。グレイが「挽歌」で感傷的であるとしても、バークが次のように言うときは、感傷的ではない。「権力、権威、名誉を、血筋、家名、爵位に限りたくはない。……資格となるものは……現にある、あるいは、あると推定される徳と知恵以外にはない。それらが実際に見いだされるところでは、どんな身分、境遇、職業、生業であれ、人の世の地位と栄誉へ通じる、天の通行証を持っているのだ」。
選別の土台を広げることで生まれうる、バークのいう自然の貴族に対して、単なる生まれの貴族は、せいぜい不器用な代用品である。しかし、貴族的原理と民主的原理との、この難しい調停を、私たちが満足な程度に達成してきたかどうかは、疑わしい。たとえば、文体とよい趣味の規準を保つために、古い貴族階級が成し遂げたほどのことを、しているだろうか。知識人たちは、近年、「ピューリタニズム」と「上品ぶった伝統」の非難に、多くの力を注いできた。むしろ、西洋の人文主義的、宗教的伝統に対して、功利主義的・感傷主義的な人生観が勝利したことが、どの程度まで、文明全体の利益になったのかを、考えるほうが、有益だったかもしれない。功利主義者と感傷主義者が、とくに優勢になったのは、教育の領域であり、とりわけこの国である。アメリカの存命の哲学者のうち、最も名高いジョン・デューイ教授の場合に、これが何を意味するか、考えてみよう。その影響は、私たちの教育の全体に行き渡り、中国やボリシェヴィキのロシアにまで及ぶ。デューイ教授は、経験を、科学的実験と同一視するのをためらわない。その結果、過去に、宗教的であれ人文主義的であれ、真の経験だと考えられ、尊崇される傑作を通して伝えられてきた、膨大な領域の経験は、実験室で試せないかぎり、単なるたわごととして退けなければならなくなるのである。
デューイ教授のような功利主義の哲学は、通例、専門家を王座に据えることへと、行き着くだろう。ある知識分野の、ごく小さな区画へ、ますます深く潜り込み、自分の研究を、その分野の全体とさえ関係づけない専門家は、ビュフォンの考えた文体から、ほど遠くにとどまりがちである。自己表現の名のもとに、気質から来る衝動を、自分の内だけで掛け合わせ続ける作家や芸術家も、それなりに専門家だ。フランス・アカデミーの、当初からの長所は、不当に部分的で一面的に見えるものすべてに、釣り合いの観念を対置したことである。その見地は、要するに、教養ある社交人、オネットムの見地だった。私は、この古い型の人文主義者に対して言いうることを、すべて承知している。専門的知識を恐れるあまり、しばしば浅薄さに陥った。そのよい形式は、ときに形式主義に近づいた。適切さを、単に上品なものと混同しがちだった。しかし、その歪みとともに、根底の考えまで、退けるべきではない。生の全体の均整を垣間見ようと努め、その均整を参照しながら、ある程度の落ち着いた釣り合いと中心性を保つべきだ、という考えは、それ自体、貴重である。「惜しまれるべきなのは」と、ルナンは、フランス・アカデミーについての論考で言う。「十七世紀が、この言葉に与えた意味でのオネットムである。つまり、あらゆる職業の狭い見方から自由で、いかなる階級の振る舞いも、知的な偏りも持たない人間を、私はいうのだ」。
ルナンの、オネットムへの賛辞には、回顧の趣があることに、気づくだろう。しかし、フランス・アカデミーは、今日でさえ、平等主義的な民主主義の侵入に抗して、文体や様式を生む規準を維持するために、いくらかのことをしている。アメリカでも、アカデミーが同じような役割を果たすことは、可能だろうか。このアカデミーの会員で、アメリカの条件のもとで成し遂げられることについて、過度に楽観的な人は、いないと思う。まず、これほど広く、分散した国で、公衆と有効な接触を築くという難しさがある。ある地方のアカデミーの代表団が、自分たちのアカデミーは、フランス・アカデミーの長女だと告げたとき、ヴォルテールは、こう答えたと伝えられる。「そうですな、諸君、長女であり、身持ちのよい娘ですな。一度も、噂になったことがないのだから」。実際、アカデミーは、話題になる必要がある。もちろん、より取るに足りない宣伝術に頼ることによってではない。フランス・アカデミーは、その初めから、コルネイユの『ル・シッド』について評決を下すことで、注目を集めた。サント=ブーヴは、アカデミーが、ほかにも同様の評決を、とくに、広く論じられ、公論を二分している作品について、下さなかったことを残念がった。アカデミーは、当初の計画の一部だった文法書を、三世紀の遅れを経て、いまようやく刊行した。だから、『ル・シッドについての意見』に当たる、何か現代版を、まだ発表するかもしれない。これをアメリカに当てはめてみよう。シンクレア・ルイス氏は、一九三〇年、スウェーデン・アカデミーでの講演で、アメリカ・アカデミーについての見解を、このうえなく率直に述べた。こちらも、その礼を返し、ルイス氏の著作についての見解を、述べてもよいだろう。言うまでもなく、風刺の精神でではなく、反対に、自らなしうる、このうえない公平さをもって、である。あるいは、アカデミーは、さらに進み、ときどき、場合によってはナショナル・インスティテュートと協力して、現代アメリカの芸術と文学の達成を概観するものを、発表してもよい。この種の概観は、批評上の評価のいくつかで、重大な誤りを犯すに違いない。いずれにせよ、一部では嘲笑されるだろう。フランス・アカデミーの歴史が、何かを証明するなら、それは、アカデミーが最も恐れるに値しないものこそ、嘲笑だということだ。フランス・アカデミーは、ほとんど創設の年から、さんざん嘲笑されてきた。もし嘲笑されなくなったら、フランス人がもはや真剣に受け取っていないしるしだ、とさえ言いたくなる。付け加えれば、アカデミーを最も辛辣な警句の的にした者の多くが、後には、自ら模範的な会員になったのである。
したがって、このアカデミーも、嘲笑を恐れず、影響を広げると思われる措置を、何でも取るべきだ。フランス・アカデミーの慣行で、倣えるものとして、際立った価値のある本に「冠を授ける」、つまり顕彰することが、提案されている。フランス・アカデミーだけでなく、フランス学士院のほかの四つのアカデミーも、それぞれの領域の、その時々の成果の価値を、公衆が評価するのを助ける、さまざまな方策を発達させてきた。そのいくつかは、おそらく、アメリカの条件に合わせられるだろう。今後アカデミーが取るかもしれない、この種の措置は、結局、すでに取ってきた措置と、軌を一にするだけである。過去の措置と同じく、その目的は、芸術であれ文学であれ、ロンギノスの二重の試験を、ある程度満たす仕事を励ますことになる。言い換えれば、全体の構想の高尚さと、技法の優秀さとを結びつける仕事である。このようにして、アカデミーは、民主主義社会における文体の問題の解決に、ささやかながら寄与できると、期待してよいのである。
人文主義者と専門家[1]
モンテーニュは、かつてボルドーへの道で、二人の旅人に出会った話をしている。一人に、一緒にいる紳士は誰かと尋ねたところ、「彼は紳士ではなく、文法学者です。そして私は、論理学者です」と答えたという。モンテーニュは、その随想では、しばしば、ただ自分の気分を私たちに分け与えることにしか、関心がないように見える。最も軽やかで無責任な個人主義者に見えるのである。しかし、おそらく、同時代の誰にもまして、衒学を失墜させ、新古典主義の時期にフランスで優勢となる、人文主義的な自己鍛錬への道を、準備した。新古典主義の人文主義者の、際立った特徴は、専門化を嫌うことである。何かを重く見すぎ、そのために、釣り合いの感覚を失うと思わせるものを、すべて嫌うのだ。この、すぐれた釣り合いの尊重は、当時の上流社会に受け入れられ、オネットム、すなわち紳士の理想へと発展した。ラ・ロシュフコーによれば、紳士は「何ひとつ、自慢にしない」。モンテーニュは、すでにこう言っていた。「私の考えでは、最も優れた生き方は、驚くようなところや、行きすぎたところがなく、共通の型に従うものだ」。この伝統の紳士は、専門家であるどころか、特定の生業や職業を思わせる言葉さえ、使ってはならない。何かになろうと、熱心に努めてはならず、紳士になろうとさえ、努めてはならないのだ。新しい理想の確立に大きく貢献したメレ騎士も、それでも、「よい育ちを広める、使徒のような熱意」を示したと、非難されたのである。
[1] 一九二六年十月、ブラウン大学マーストン語学館の開館記念式典での講演。ブラウン大学論集、第三集。
この型の人文主義の敵には、ある種の厳格なキリスト教徒も、数えなければならない。たとえばパスカルは、メレらによって、新しい社交作法を教えられたが、ついには、それを退けた。世俗性を十分に超えさせてくれるとは、思えなかったからである。キリスト教の求める、内なる人の深い変容、回心を経ずとも、人文主義的な紳士にはなれた。恩寵の光を受けたパスカルのようなキリスト教徒には、オネットムは冷たく、利己的に見えた。パスカルは、彼なりの熱誠の人だった。一方、オネットムは、いかなる熱狂によっても、自らの落ち着いた均衡を、乱されたくはなかった。
しかし、人文主義的な考えへの、本当の脅威は、宗教からではなく、自然主義の前進から来る運命にあった。すでにフランシス・ベーコンは、人格的な均衡と円満さを目指す人間よりも、何らかの発見や、ひとかけらの実証的な情報によって、今日でいう人類の進歩を促しそうな人間に、関心を寄せている。専門家たちの協力による進歩という、ベーコン的な理想は、一六六二年の王立協会の設立によって、促進された。新しい協会の会員たちは、一般に、ヴィルトゥオーゾと呼ばれた。この好事家たちは、メダルから蝶、鰐の剥製まで、何でも集めた。そして、釣り合いの感覚を犠牲にして、見境のない好奇心を追っているように見えたため、当時の才人や人文主義者たちから、際限なく嘲笑された。ご存じのように、ポープは、この好事家たちが、愚鈍の女神に敬意を捧げる姿を描く。
そのとき、地を黒くするほどの蝗のように、びっしりと、
草や貝殻の、奇妙な冠をかぶった一族が、
それぞれ不思議な贈り物を持ち、女神のもとへ近づいた。
巣、ヒキガエル、茸、あるいは花を。
ポープがほのめかすのは、人が好事家になることを受け入れる、あるいは、私たちの言い方で、専門へ逃げ込むのは、知性を広く自由に使うことが、何一つできない場合だけだ、ということである。
形而上学で途方に暮れる精神は、
苔の荒野を、さまようがよい。
月より上の事柄で、目が回る頭は、
尾で釣り合いを取り、ウィルキンズの翼で、進むがよい。
ここでポープは、現代の航空の専門家たちに、ちらりと先の目を向けている、とお気づきだろう。
フランスでは、ラ・ブリュイエールが、これに対応する姿を描く。「昆虫愛好家は、毎日新しい昆虫を買い込む。とくに蝶については、ヨーロッパ第一人者だ。あらゆる大きさと色の蝶を持っている。なんと間の悪いときに、彼を訪ねたことだろう! 激しい悲しみ、不機嫌、暗い気分に沈み込み、そのため、家族全員が苦しめられている。なぜなら、取り返しのつかない損失を被ったからだ。近づいて、指に載せて見せているものを、ご覧なさい。命がなく、いま息絶えたばかりのものを。それは毛虫だ。しかも、なんという毛虫だろう!」。ラ・ブリュイエール以来、私たちがどれほど遠くへ来たかを測るには、近ごろ、フランスの博物学者ファーブルに与えられた、「昆虫のホメロス」という賛辞が、おそらく最もよいだろう。
ポープやラ・ブリュイエールの嘲笑する好事家たちも、彼らなりに熱中する人々だった。もっとも、その熱意は、パスカルやポール=ロワイヤル派のそれとは、まったく違う種類のものだった。ルソーは、友人のミュサール氏が、パッシーの自宅の基礎を掘っていて、貝の化石を見つけた、と語っている。発見に興奮し、貝への関心が高まるあまり、ついには、宇宙全体に貝殻の泥灰土しか見えなくなった。ルソーの言葉では、貝殻狂になったのであり、私たちの言い方なら、貝に「夢中」になったのである。ルソーは、オネットムならそうしたであろうように、その結果、釣り合いの感覚が失われたことを、嘆かなかった。反対に、ミュサール氏の生活に入ってきた、新しい熱意と楽しみは、そうした損失を補って余りある、と感じた。総じて、このころ、人々は、人文主義者の望むように、何か中心的な模範や、適切さの法則に合わせて鍛えなくても、自分の天分や生来の傾向を、自由に発達させるべきだと、感じ始めていた。同時に、人文主義的な見方は、まさに、それを代表すると称する多くの人々によって、信用を失いつつあった。デコルムの名のもとに練り上げられた、社交の形式や礼儀の規則は、温かく直接的な感情に対する、単なる無意味な障害に見えた。サロン型のデコルムは、利己心の仮面にすぎないというルソーの主張には、いくらかもっともらしさがあった。オネットム、つまり育ちのよい人間になるには、「悪党になるほかない」と、彼はこぼした。女性のデコルムは、真の徳と、さらに関係が薄いように見えた。十六世紀のブラントームにまでさかのぼっても、女性に適用されたオネットという語は、ときに、「性根は怪しいが、完璧な淑女」という滑稽な歌を思い出させる。新古典主義の人文主義者・紳士の、最終段階におけるイギリスの代表的な見本、チェスターフィールド自身も、デコルムを、皮肉に、「悪徳の確かな楽しみと、美徳の役立つ見かけとを、結びつける」技と定義した。この技を、最終的な完成にまで高めたのは、おそらく、ナポレオンに「泥を詰めた絹の靴下」と評された、タレーランであった。
チェスターフィールド型の紳士の主要な関心は、下品さを避けることにある。あまりに自然に出てしまい、そのため、落ち着いた均衡や威厳を乱しがちなものは、何でも、人を下品にする。たとえば、涙も笑いも、そうである。十八世紀の、新しい自然な発露の支持者たちは、自然な人間への、この非情な制限への抗議として、ほんの些細な機会にも、大いに涙を流した。もしチェスターフィールドが今日、私たちのなかにいたら、おそらく最も不快に思うのは、泣きがちなことではなく――私たちは、十八世紀の、あのすぐに涙を流す態度からは、遠く離れている――思慮を欠き、抑制のない笑いだろう。「私の考えでは」と彼は言う。「声を立てて笑うほど、教養がなく、育ちの悪いことはない。……理性を十分に使えるようになって以来、私が笑うのを聞いた人は、誰もいないと確信している」。
総じて、目につくのは、伝統的な人文主義者が感情の要素に与えた地位に比べて、私たちが、並外れて大きな役割を、それに与えていることである。現代の理論は、自分は熱心な専門家でありながら、同じく自らの専門を熱心に追う自由を持つ他者に、共感することで、狭さを免れるべきだ、というものに見える。要するに、拡張的な感情の一つの形を、別の形によって正すのである。それに対し、オネットム、すなわち育ちのよい人は、排他的で、選び抜かれたものを好み、通例、拡散的な共感を養わなかった。確かに、新古典主義の人文主義者たちも、この点で一致してはいない。「自然な憐れみが、自分に大きな力を持つ」と言うモンテーニュから、次のように考えるラ・ロシュフコーまで、幅がある。「人は、同情を示すことだけに、厳密にとどめ、それを感じることは、最も慎重に避けるべきだ。……それは庶民に任せておくべきである。彼らは、決して理性に従って行動しないから、何かをさせるには、情念の拍車が必要なのだ」。
今日、紳士を定義するよう求められたら、おそらく最初に挙げるのは、親切で、共感に富み、奉仕の精神に満ちているべきだ、ということだろう。しかし、伝統的な人文主義者なら、そうしたものをすべて備えながら、品格をまったく欠くこともある、と言い返すだろう。そして観察は、人文主義者の側にあるようだ。完全に人がよく、同時に、完全に浅薄であることは、あまりにも可能なのである。実際のところ、私たちは、伝統的な意味で、品格ある者になりたいとは思わない。最良の人文主義者のように、内面で均衡と釣り合いを保つことも、さらには、チェスターフィールドのように、受け入れられた模範に従う結果として、外見で優雅で洗練されることさえも、望まない。私たちにとって、際立った人とは、むしろ、例外的で、独自で、最上の人、ある特定の方向へ、誰よりも遠く進んだ人である。そして通例、その専門で傑出することに夢中になりすぎて、専門と、生の全体の調和との関係を、考えない人である。この型の専門家は、伝統的な紳士の、静けさ、控えめな調子、過度の強調を避けること、「何ひとつ自慢にしない」ことを、示しそうにない。反対に、ふつうは、自分の優越を広く知らせてもらいたいと望み、脚光を浴びたくて、うずうずすることさえある。この傾向全体は、記録を破り、奇抜なことをする、今日の情熱と密接につながっている。たとえば、ある若い女性は、ハマグリの早食い競争で、まさに勝つところの写真を、新聞に載せてもらう。ハーヴァードは、近ごろ、卵を食べることを専門にする学生の在籍という栄誉に浴した。彼は、四十一分で四十八個の卵を平らげ、競争相手の意欲を失わせた。ほとんど誰でも、十分に熱心に探せば、自分が独特である、あるいは少なくとも例外的である点を、何か見つけられる。最近ある男は、一八七〇年以来、同じ襟ボタンを使ってきたことを、世間に名を知られる根拠とした。このように理解される際立ち方は、下品さの対極にあるどころか、それに近いのである。
これまで述べてきたことは、ヨーロッパより、この国で、いっそう顕著に当てはまる。イギリス海峡を泳いで渡った若い女性に、近ごろニューヨークで贈られた歓迎に、ロンドンやパリで匹敵するものを想像するのは、容易ではない。また、いま新聞で読んだ、野球の勝利の結果、セントルイス全市が「熱狂した」という記事に当たるものも、想像しにくい。とくにイングランドには、紳士の伝統的な規準が、かなり残っている。スポーツに関して、イギリスの学生とアメリカの学生の態度が、これほど違う理由の一つは、そこにある。私たちの学生が、スポーツを釣り合いよく見て、勝利への熱意を適切な限界の内に保つのが、どれほど難しいかは、誰もが知っている。極東の偉大な人文主義者、孔子は言う。「真の君子は、決して争わない。競争の精神が、どこかで避けられないとすれば、弓の競技である。しかし、そこでも、場所につく前に、相手に礼を尽くして挨拶し、また、負けて罰杯を飲みに下がるときにも、同じようにする。だから、競うときにも、真の君子であり続ける」。私たちの学生は、スポーツの競技で、必ずしも孔子の規準に達していないのではないか。スポーツを、正しい価値の尺度に照らして、その適切な場所に置く人間よりも、専門家や職業選手にふさわしい精神で、追い求めがちである。言い訳があるとすれば、外の公衆からの、ほとんど抗しがたい圧力に、屈していることだろう。ケンブリッジには、いま、「レッド・グレンジは、数百万のアメリカ人の、至高のアイドルだ」と宣言するポスターが、現れたところである。
スポーツへの、この一面的な重視も、ほかの形の一面性も、もし何かによって正されるとすれば、それは人文学の研究によってであるべきだ。しかし、人文学は、人文主義者によって解き明かされる必要がある。ギリシア・ラテンの古典は、その精神を十分に身につけていない人々によって教えられた結果、ひどく損なわれてきた。狭い専門化が、とくに不適切な領域で、しばしば狭い専門家であった人々によって、である。近代の古典も、しばしば同じ目に遭ってきた。さらに、近代を扱う人文主義者は、古典の同僚には同じ程度にはない、困難に直面する。個々の作家だけでなく、その根底の人生観において、人文主義の対極にある、文学の時期全体を扱わなければならないのだ。ジュール・ルメートルは、この観点から、前世紀の終わりごろ、フランスで栄えた文学集団の、面白い姿を描いている。その構成員は、文人になろうとする前に、人間であることを確かめよ、というボワローの忠告を、忘れてしまった、と彼は言う。独創性への崇拝が、正常な人間の経験への軽蔑と結びつき、実際には、一人ひとりが、自分の感情の最も奥まったものに、自由に専門化してよいと感じることになる。「昔は」とルメートルは言う。「作家は、たいてい、本を書く紳士、オネットムであり、それ以外の時間は、ほかの人間と同じように生きていた。成功するには、その時代の上流社会と交わり、できるだけ、それと違って見えないようにする必要があっただけに、なおさらそうだった。今日では反対に、若い文人たちは、まことに人類の新しい変種をなしている。……二十歳で、ときにはそれより早く、病気が彼らをつかまえ、しっかりと握って離さない。……すると、三人、二人、さらには一人からなる集団を作る。すでに極端な文学形式を、痛々しいほど誇張する。ゾラ以上に自然主義的で、ゴンクール兄弟以上に印象主義的で、ボードレール以上に神秘的に恐ろしい。象徴主義、器楽主義、デカダン主義、カバラを発明する。前代未聞のことを言おうと、自分を責めさいなむ。……ラ・ブリュイエールは、ある種の金満家について言った。『このような人々は、親族でも、友人でも、市民でも、キリスト教徒でもなく、おそらく人間でもない。彼らには金がある』。私も、この種の若者について、こう言いたくなる。彼らは、キリスト教徒でも、市民でも、友人でも、親族でもなく、おそらく人間でもない。文人なのである。それぞれが、自分一人しか信じず、自分一人しか理解しない、別々の文学上の宗教を奉じる文人なのだ。自分でも理解していると、仮定すればの話だが」。
さらに、人文主義の精神で近代文学を扱おうとする者は、もう一つの困難にも向き合わなければならない。この文学の時期全体が、個人的な感情だけでなく、国民的な感情の、内輪だけでの増殖に苦しんでいるのだ。最近のあるフランスの著者は、近代文学を、距離を置いて公平に扱うことは不可能なので、人文学として、ギリシア・ラテンの古典に対抗することも不可能だ、ときっぱり主張する。実際には、人文主義的な教養の手段というより、宣伝の道具になりがちだという。私たちは、この危険を認めなければならないが、避けられないと認める必要はない。近代の多くの本、その一部は傑作とされているが、その著者は、明らかに、人間であることを確かめる前に、たとえばフランス人やドイツ人であろうとした。これは、「百パーセント主義者」の問題と呼べるものだ。アメリカ人であることにさえ、専門化するわけにはいかない。国民感情の内輪での増殖に対抗する、何か真の統合原理を見いだせないことは、西洋文明そのものの存続を脅かす。今日ありふれた型の国際主義者が有効でないのは、より強い感情の形に、より弱い感情の形を対置するからである。それに対して、私たちの必要とする統合原理、人をあらゆる形の専門化から引き上げ、共通の中心へ引き寄せるかもしれない原理は、究極には、感情にまったく根ざしておらず、実際、いかなる形の拡張にも根ざしていないと、わかるだろうと私は信じる。事柄の本性からして、それは、集中と選択の原理でなければならない。ブリタニカ百科事典の全体を、包括的に、共感をもって身につけていても、人文主義者ではないことがある。真の価値尺度がなければ、この膨大な資料を、釣り合いよく扱えないからである。実際、現代の哲学者の何人かは、いまの進歩の観念が助長してきた、専門化による狭さの脅威に気づいている。しかし、専門主義の害に打ち勝つ、統合する要素を探すことには、成功していないように思う。たとえばA・N・ホワイトヘッド教授は、近著『科学と近代世界』の終章で、この問題全体を論じている。彼は、人々が専門から抜け出し、美的に結び合えると、信じているようだ。おそらく何よりも、夕陽の光を眺め、この光と人間の心とに、同じ本質があるという想定を思いめぐらす、ワーズワース流の方法によって、である。またジョン・デューイ教授も、最近の論文で、この話題を論じた。「何らかの統合に達しないかぎり」と彼は宣言する。「あらゆる領域で専門化が進む結果、絶えず増大する孤立と対立が、ついには私たちの文明を崩壊させることが、日ごとに明らかになっている」。これほど重大な問題に対する彼の解決は、強調点こそ少し違うが、ホワイトヘッド教授と同じく、美的で感情的なものだ。求める統合は、絵画を見ることから来るかもしれない、と彼は保証する。論文が載った『バーンズ財団紀要』に複製された絵画は、マティスや、ほかの極端なモダニストの作品であり、それ自体、特定の感情への、激しい専門化の産物である。芸術そのものが、いかなる人間的中心にも従って鍛えられていないのに、その芸術のうちに、人間の中心を与えようとするのは、明らかに悪循環だ。しかし、マティスやモダニストをまったく別にしても、人間性の遠心的な傾向に対して、自然の驚異や多様さを眺めることでも、絵画を眺めることでも、十分な釣り合いが得られるとは、認められない。
このような講演で、現代哲学を困惑させている問題の、完全な解決を示せるはずがないのは、明らかである。せいぜい私が試みるのは、近代語の研究で、より人文主義的な態度を育てるための、最良の方法について、いくつか示唆することだ。第一の提案は、私が長年してきたものだが、古代派と近代派は、伝統的な争いを続けるよりも、協力すべきだ、ということである。現在、ギリシア語とラテン語に対して、近代語が優勢なのは、教養上の優越ではなく、功利的、感傷的な訴求力によることを、よく考えるべきだろう。学長報告によれば、一九二四―二五年度、ハーヴァード大学に在籍していた古代語の大学院生は十二人で、近代語の大学院生は二百十六人だった。このような開きは、ギリシア語やラテン語の教師だけでなく、人文主義的な視野を保つ、すべての英語、フランス語、ドイツ語の教師にとって、重大な懸念の種であるべきだ。東部の大きな大学の一つで、ロマンス語学科の長が最近、幅広い教養の背景を持ち、伝統的な意味で広く読書した、自分たちの分野の教師を確保するのは、ほとんど不可能だと、こぼしていた。今日、これほどしばしば欠ける教養の背景は、大部分、古典的なものであるべきだ。近代の分野で博士号を目指す者が、望むなら、中世の言語学の相当部分に代えて、たとえばギリシアの演劇や哲学といった、古典の講義を受けることを、なぜ認めてはいけないのか。私は、納得できる理由を、いまだ一つも見つけていない。総じて、現在の状況の害は、博士号の現行の要件が助長する、早すぎる専門化に、大きく由来する。その結果、多くの人は、精神の地平を狭め、私の見るところ、二度とそこから回復しない。単なる好事家や、美文をもてあそぶ軽薄な者を防ぐには、現在のような訓練が必要だという、いつもの議論は、十分に説得的とは言えない。いま運用されている博士号よりも、いわゆる独創的な研究には重きを置かず、人文的に深く身につけることを重んじ、同時に、はるかに厳しく力量を試す学位を、考案することは可能だろう。実際、フランスには、アグレガシオンという、この種の資格がある。私の判断では、アグレガシオンは、私たちのPh.D.よりも、凡庸さを通しにくいのである。
大学院生は、専門の内に、あまりに孤立しているだけでなく、しばしば物理的な孤立にも苦しむ。この後者への対策は、ローウェル学長が指摘している。「博士号のために学ぶ者たちを」と、彼は言う。「専用の食堂と共用室を備えた、彼らのための寮や館で暮らさせ、より緊密な交わりへと集められれば、互いにとって、大きな利益になるだろう。そのような場の知的雰囲気によって、関心が広がり、思考が刺激されることは、彼ら全員にとって、最高の価値を持たずにはいないはずだ」。実際、現在の状況のもとでは、大学院生、学部生、あるいは教師たちのあいだに、より多くの結集と連携をもたらすものは、何でも、強く望まれる。この見地から、エドガー・ルイス・マーストン館のように、近代語だけに充てられる建物を得たことについて、ブラウン大学を、心から祝福したい。私自身のハーヴァード大学を含め、ほかの大学でも、同様の建物の必要が、痛切に感じられている。結びに、今日、私たちが開館を祝う建物によって、第一に促進されるのが、専門化ではなく、人文学の研究であることを、願いたい。もちろん、学問的な徹底を、犠牲にしてはならないことは、言うまでもない。
エリオット学長とアメリカの教育[1]
一
エリオット学長の教育理論と、その人格や人柄とのあいだに、つながりを認められるなら、心強いことだろう。しかし、その人格や人柄は、最良のピューリタンの伝統から来ているように見えるのに対して、理論のほうは、肝心な点で、ピューリタニズムからの、極端な反動を示している。その肝心な点とは、悪の問題に対する態度である。真正のピューリタンは、「古きアダム」への、生き生きとした、誇張されたほどの感覚を持っていた。それに対し、エリオット学長は、肉体に働く罪の法則を、ほとんどまったく勘定に入れない。今日の流行は、ピューリタニズムを、過度に抑圧的だとして見下しながら、実際に抑える必要のあるものを、どれほど抑えていたかは、見過ごすことである。実際、ピューリタニズムが、その仕事を、これほど効果的に果たしていなかったら、エリオット学長が、人間性をこれほど牧歌的に見ることも、容易ではなかったはずだ、と主張できる。総じて、何世代にもわたる、宗教的、あるいは人文主義的な鍛錬の結果であるものを、自然な人間から、自発的に発するものと、取り違える危険がある。エリオット学長のような人の幻想は、自分が大きな富のなかに生まれたため、誰もが銀行に現金を持っているのが「自然」だと思う人の、幻想なのである。
[1] 『フォーラム』一九二九年一月。
確かに、この幻想は、彼一人ではなく、多くの人と共有したものだ。エマソンほどの思想家にも、それは顕著に見られる。しかしエマソンは、重要な点で時代を超えていたのに対し、エリオット学長は、時代の主要な傾向を反映した以上のことを、ほとんどしなかった。四十年間、アメリカの教育を、それがすでに傾いていた方向へ押し進めた。実際、その歩みの全体は、時代がどこへ向かっているかという問題とは、まったく別に、時代とともに進むことの利点を、よく示している。
しかし、最後に、偉大で賢明な指導者と見なされるには、このように、一つの時代の知恵の忠実な僕であるだけでは、足りない。幾時代もの知恵にも、忠実でなければならない。エリオット学長が、この後者の賞賛に値するかという問題は、彼にふさわしい仕方で論じるなら、些細で個人的な事柄を超えて、思想の領域へ引き上げるべきである。これは実際には、彼と、十九世紀のほかの指導者たちが、あれほど熱心に支持した、自然主義の哲学の価値を、考えることを意味する。
この哲学は、ある進歩の教説で頂点に達する。しかし、その教説は、幾時代もの知恵と、深刻に対立するように思われる。というのも、そのような知恵があるには、境遇の移り変わる潮流を超えて置かれる、正常な人間経験の核を、何らかの形で想定しなければならないことが、明らかだからだ。これに対し、自然主義者たちの宣言する進歩は、現象の流転を超えることでなく、それに身を任せることによって、達成される。テニソンが、最もヴィクトリア朝らしい瞬間に、叫んだように。
前へ、前へと、進んでゆこう!
大いなる世界を、変化の、鳴り響く軌道に沿って、
永遠に回らせよ。
最も素朴な形の進歩への信仰は、いまも多くの人々に、とくにアメリカで、抱かれている。しかし今後、エリオット学長に匹敵する品格を持つ人が、同じ穏やかな確信で、それを抱けるかどうかは疑わしい。それは、最も手ごわい反駁、すなわち事実による反駁を、受けてきた。「はるか彼方の神聖な出来事」という構想全体と、世界大戦のような事件との対照は、あまりにも露骨なのだ。
二
進歩への信仰に基づく、人道主義的な理想主義は、分析すれば、功利主義的か、感傷主義的かの、いずれかだとわかるだろう。実際、教育でも、ほかの領域でも、功利主義的・感傷主義的な運動が、宗教的、あるいは人文主義的な伝統に取って代わってきた。エリオット学長が、教育分野における、私たちの第一の人道主義的理想主義者に数えられるに値するのは、見解が新しかったためではなく、一貫して、揺るがぬ確信をもって、それを適用したためである。実際、その見解は、功利主義の側では、ロックの『教育に関する考察』のような著作によって、功利主義と感傷主義の両面では、ルソーによって、先取りされている。ルソーの『エミール』は、具体的な勧告においてはともかく、少なくとも、その全体的な精神において、近代の教育者の聖書となった。
少なくとも表面上、人道主義は今日、エリオット学長の生前よりも、さらに勝利を収めている。いま、小学校の学年から大学まで、教育方針を形づくっているのは、人道主義者たちだ。しかし、ここで一つ、不思議な事情にも触れておこう。最も徹底した人道主義者たち、たとえば教育学や社会学の教授たちは、学界では、ほとんど普遍的に疑いの目を向けられ、同僚たちから、まったくの山師と見なされることも、少なくないのである。
状況全体を扱うにあたって、とくに望ましいのは、批判的に明らかにすること、言い換えれば、表面の下へ踏み込み、第一原理にまで達しようとすることだろう。たとえば、選択科目制の名による、伝統的な大学課程へのエリオット学長の攻撃を、このように根底まで探れば、よく知られた型の自然主義哲学と、幾時代もの知恵との衝突が含まれるとわかる。というのも、その知恵が、功利主義的でも感傷主義的でもなく、宗教的か人文主義的かの、いずれかだったことほど、確かなことはないからだ。この衝突の性質を示すには、できるだけ独断的な断言を避け、実証的に、また健全な意味で心理学的に、進めるのがよいだろう。過去を見渡して、実際に明らかになるのは、さまざまな時代や場所で、相当数の人々の集団が、ある基本的な事柄について合意してきたこと、要するに、慣習を作り上げてきたことである。この慣習は、いわば、歴史上のある時期全体の、精神的な気候を構成した。そうした時期の人々の大部分は、自分の生きる慣習を疑うことなど、呼吸する空気そのものを疑うのと同じほど、思いつきもしなかった。
三
単なる歴史的な過程を超えて置かれる、人間経験の永続的な核などない、と主張する人々の議論は、過去に優勢だった主要な慣習が、互いに、どうしようもなく対立していると示せるなら、いっそう強くなるだろう。確かに、この慣習はどれも、局地的で相対的なものに、深く絡んでいる。それでも、生活と行いにおいて、何を実りとして目指したかという観点から考えるなら、ある重要な一致に、驚かずにいられない。東洋と西洋で、それぞれ広まった二つの主要な宗教的慣習、仏教とキリスト教から、ほとんど任意に例を挙げられる。
紀元前三世紀の半ばごろ、インドの仏教徒の統治者アショーカは、広大な帝国各地の岩や石柱に、いくつかの徳を実践するよう勧める言葉を、刻ませた。この徳は、聖パウロが、宗教の実りとして列挙した、「愛、喜び、寛容、親切、善良、信仰、柔和、自制」と、ほとんど、あるいは完全に同じだとわかる。また、極東の人文主義の主要な源である、儒教の書物を知る中国人は、それらの書物と、おそらく西洋の人文主義の伝統で、単独では最も権威のある文献、アリストテレスの『倫理学』との、実質的な一致に、すぐに気づくのである。
さらに、人文主義の異なる形のあいだだけでなく、人文主義と宗教のあいだにも、重要な一致を見いだせる。すなわち、人間は、その自然な自己を、何らかの規準に従って鍛える必要がある、要するに、この語のほとんど文字どおりの意味で、回心を経る必要がある、という想定である。回心には、つねに、自然な人間から向きを変え、離れることが含まれるが、その捉え方は、大きく異なりうる。たとえば、アウグスティヌス的なキリスト教徒は、神の恩寵の突然の侵入によって起こるものとして、いささか芝居がかった仕方で捉える。それに対し、アリストテレス主義者にとっては、むしろ、子供のころから、正しい習慣を徐々に作ることによって、成し遂げられる。しかし、どの形であれ、回心は、個人の心の内に、拡張する欲望と、統御の原理との対立があることを、含んでいる。
この統御の原理を働かせるには、特別な質の努力、あるいは意志を、発揮しなければならない。私が「幾時代もの知恵」と呼んだものは、要するに、第一に、内面の生活の問題に関わり、それらの問題に対する態度では、二元的である。それが促す活動は、宗教的な水準では、瞑想という語にまとめられる。真の瞑想は、自然な人間を、より高い意志に従わせることを含む。つまり謙虚さであり、今日の自然主義の時代には、この語は、その真の意味をほとんど失っている。より高い意志への従属は、キリスト教の、より厳格な形にあるように、自然な人間の欲望の放棄にまで、至ることがある。それに対し、人文主義者は、これらの欲望に、節度、あるいはデコルムの法則を課すことで、満足する。その方針は、調停という語にまとめられる。
宗教と人文主義は、回心の考えで合流するだけではない。さらに付け加えれば、人文主義者が自然主義的な水準へ落ち込む危険を避けるには、その調停の背後に、ある程度、瞑想が必要なのだ。究極には、心理学的な根拠からだけであっても、「謙虚さは、すべての真の徳の、低いが深い基礎である」というバークに、同意せざるをえない。だからといって、人文主義は不安定で寄生的なものであり、とくに西洋人にとって、教義と啓示に基づく宗教の支えがなければ、速やかな崩壊を免れない、というT・S・エリオット氏の論旨を、受け入れなければならないわけではない。世界がこれまでに見た、人文主義の最も重要な現れ、古代ギリシアのそれは、そのような支えを持たなかったのである。
しかし、人文主義が必ずギリシアに由来しなければならないとは、キリスト教が宗教を独占してきたとは認められないのと同じく、認められない。交流が普遍的かつ容易になり、物質的な接触が、ますます緊密になる今日、極東の宗教的、人文主義的な達成を、正当に評価することが重要である。たとえば、アンリ・マシス氏の『西洋の擁護』には、ローマ・カトリック教会の外に、人文主義的、宗教的な知恵の、有効な源を一切認めない傾向がある。それは一部には宗派的な狭さ、一部には事実への、まったくの無知による。西洋人が、通常、自らの人文主義と宗教を、ローマ、ギリシア、ユダヤへさかのぼる伝統に結びつけるべき理由は、きわめて強い。しかし、それは第一原理よりも、実際上の適切さに関わる問題である。批判的な気質を発達させるにつれて、それに正比例して、信念の基礎を、第一に何らかの伝統にではなく、意識の直接の所与に置かざるをえなくなる。
四
過去の宗教的、人文主義的な師たちが、なぜ、統御の原理を働かせること、さらに、内面の生活の問題一般に、これほど関心を寄せたのか、できるだけ、この批判的な仕方で、問うてみよう。この問いへの最良の答えは、おそらく、アリストテレスの三つの文を、並べてみることだろう。彼は、哲学全体を実験に基づけると称する、近代の多くの人々よりも、徹底して経験に即した思想家だとわかる。その三つの文は、次のとおりである。「目的は、すべてのなかで最も重要である」。「あらゆる目的の究極の目的は、幸福である」。「幸福は、一種の活動である」。
アリストテレス自身、古の賢者の言葉は、事実と一致するとわかるかぎりでのみ、心に留めよ、と戒めている。したがって、アリストテレスを重んじるなら、第一に、その伝統的な権威のためではなく、アリストテレスとは、霊感を得た良識の、別の名にすぎないとわかるからであるべきだ。
実際、自分に正直に向き合うなら、自分自身の幸福ほど、身近な関心事はないと、認めざるをえないだろう。アリストテレスの幸福の扱いが、いまの主題に、とくに関係するのは、幸福と教育構想とのあいだに、密接なつながりを設けているからである。教育が、自由人の教養教育と見なされるに値するのは、閑暇の考えにおいて頂点に達するかぎりだ、と彼は言う。この考えは、あらゆる部分的な目標や、専門的な訓練を、人間に固有の形の努力、あるいは「活動力」に従属させることを求める。その努力は、真の幸福の源であり、調停において、そして究極には、観照の生活、洞察の生活において、発揮されるものだ。
この背景を心に置けば、幾時代もの知恵と、エリオット学長の人道主義的な「理想主義」との衝突の性質を、つかめるはずである。過去の宗教的、人文主義的な師たちと同じく、エリオット学長は、幸福の問題に、大いに、そして正当に、関心を寄せていた。また、それらの師たちと同じく、幸福になるには、活動的で精力的である必要があると考えた。しかし、どんな種類の活動が幸福へ導くかという点では、明らかに、それらの師たちと、大きく隔たっていた。あるフランスの権威によれば、「幸福は容易な問題ではない。自分の内に見つけるのは難しく、ほかのどこかに見つけるのは不可能である」。エリオット学長は、それを「ほかのどこか」に見つけたいと望んだ人々に、数えなければならない。九十歳の誕生日の講演で、聴衆に、内省を避け、「内でなく、外を見よ」と助言した。文脈からすると、内省を、内向的な人の病的な思い悩みと、同一視していたようである。その先で与える助言は、表面上、何世紀も前に、仏教徒アショーカが石に刻ませたものと同じに見える。「すべての喜びを、努力のうちにあらしめよ」。「小さき者も、大きき者も、励み努めよ」。
しかし、エリオット学長の勧める努力は、外へ向かう努力、功利主義的な種類の努力である。他方、アショーカの第一の関心は、内なる努力、瞑想において発揮される種類の努力だった。もちろん、ここでもほかの点と同じく、エリオット学長には、きわめて代表的であるという長所がある。彼の時代、西洋の主要な努力は功利主義的であり、今日もそうである。功利主義的な努力が、アショーカや聖パウロの、宗教に結びつけた実りへ導くと考える人がいるなら、彼には、この性質があるとされた、イギリスの田舎の副牧師以上に、「何でもたやすく呑み込む、大きな喉」があるのだろう。
ともあれ、ここが道の分かれ目である。エリオット学長の努力観が、本質的に正しいと確信するなら、私たちアメリカ人は、十九世紀の進歩の教説が想定したような、何か輝かしい完成へ向かっていると、信じ続けられる。そうでなければ、むしろ、私たちは応報を受ける時期へ、熟しつつあると考えるかもしれない。応報とは、精神的な盲目に下される罰だからである。功利主義者のものとは根本的に違う、ある形の努力が必要であることへの盲目は、かなり重大に思われる。
五
エリオット学長の決定的な想定は、功利主義的な努力によって促される、物質的な効率が、利他的に用いられるということのようだ。教養と人格のために育てるという、伝統的な試みに代えて、本人の言葉で、「奉仕と力のための訓練」を据えようとした。力は、何か十分な目的のために用いられるなら、それ自体、望ましい。問題のすべては、人道主義的な意味での奉仕が、この目的を与えられるかどうかにある。アメリカ人の大部分は、与えられるだけでなく、現に与えていると確信している。奉仕は、ロータリーの福音の基礎とされた。したがって、私たちの、ロータリー流の慣習と呼んでよい。
この慣習が立派であると、どれほど深く確信していようとも、世界のほかの部分では、ごく限られた程度にしか受け入れられていないことを、心に留めておくべきだ。総じて、外国人は、人道主義的な型であるかぎり、私たちの理想主義を、偽善か自己欺瞞、ふつうは前者と見がちである。とくに外国との関係で、私たちは、自分についての感情では利他的だが、実践では帝国主義的だ、という意見が、海外では、ほとんど普遍的になっている。アメリカ人のなかでも、少数ながら増えつつある人々が、「奉仕の宗教」を疑い始め、それは商業主義の上塗りにすぎず、しかも、その上塗りが薄れてきたと、主張し始めている。
奉仕という語は、キリスト教から人道主義への移行のなかで、意味を変えたことに、注意しなければならない。総じて、功利主義的・感傷主義的な運動の代表者たちは、一般的な語をいじることによって、新しい秩序と古い秩序との隔たりの広さを、他人から、おそらく自分自身からも、隠しがちだった。その傾向の例として、ほとんど任意に、ある生命保険会社の、次の広告を選ぼう。「王子として生まれたブッダは、安らかな保障を得るために、その名、継承権、遺産を捨てました。しかし私たちは、世間を捨てる必要はありません。心の平穏への、最も直接的な一歩として、将来の保障を売ってくれる生命保険代理人に、会えばよいのです」。この広告の提起する問題は、仏教に劣らず、キリスト教にも密接に関わる。両宗教の目指す「平穏」や「安らかな保障」は、生命保険会社の代理人から買える種類のものとは、とても言えない。宗教の言葉を、まったく違う秩序へ移すことの、差し引きの結果は、幾時代もの知恵の観点からすれば、並外れて自己満足的な物質主義を、助長することだったのである。
とくに奉仕という語の意味の変化、伝統的な神への奉仕を、人間への奉仕に置き換えることは、教育への影響において重要だった。実際には、回心という考えを、多かれ少なかれ、完全に取り除くことを意味したからである。キリスト教徒は、この考えを、原罪の教義に基づけていた。ジョナサン・エドワーズのようなピューリタンが、この教義に与えた形には、確かに大きな問題がある。残念ながら、エリオット学長と人道主義者たちは、この教義を退けることで、産湯と一緒に赤ん坊まで流したのではないか、という疑いを招いた。ピューリタニズムだけでなく、人間の二重の本性を認める、あらゆる教えは、人間の自然な自己との関係では、多かれ少なかれ、抑制的と感じられるはずなのである。
この抑制の代わりに、エリオット学長は、十分で自由な表現を置きたかった。彼の擁護した選択科目制は、個人の理想的な必要を、その気質と個性の、単なる展開と同一視しがちだ。すべての若者に、何か生得の才能があると想定される。この才能は、ほとんど宗教的な真剣さで扱われ、したがって、何の反対も受けてはならない。気質の偏りに沿って発揮される努力は、その人自身の幸福に役立ち、最後には、人類への奉仕に用いられる。アリストテレスが、次のように述べたとき、明らかに、異なる幸福観に基づく、別の型の努力を念頭に置いていた。「自分自身の自然な偏りも、考慮に入れるべきである。それは人ごとに異なり、自分の内に生じる快と苦から、確かめられる。さらに、自分を反対の方向へ、強いて引っぱるべきである。誤った側から、十分に遠く離れれば、中間にいることになるからだ。ちょうど、曲がった棒を、真っすぐに直すときと同じである」。
そもそも、エリオット学長の理論が生み出しがちな、これほど純粋に気質に従う人間が、利他的になるという証拠は、どこにあるのか。人道主義者は、最後には、人間の生来の善良さについての、何らかの理論に頼らざるをえない。ふつうルソーに結びつけられるが、イングランドでは、第三代シャフツベリ伯爵が先取りした、あの種類の理論である。シャフツベリによれば、回心していない人間も、宗教が伝統的に主張してきたような、利己的な者ではない。反対に、同胞への本能的な愛情、いわば奉仕への意志を、持っているのである。
この理論は、シャフツベリの時代から今日まで、驚くほど修正されていない。たとえば、この国だけでなく、新しい中国の教育にも、おそらく、存命のほかのどのアメリカ人より、大きな影響を及ぼしたジョン・デューイ教授は、「子供は、与え、行い、奉仕したいという、自然な欲求を持って生まれる」と書く(強調は引用者)。育ちつつある子供を持つ人なら、よく観察して、この奉仕への熱意が、自発的ににじみ出ているかどうか、自分で判断してみるとよい。次に、過去数世代にわたり、この理論が、より大きな規模でどう働いたかを見渡して、その観察を補ってみるとよい。宗教的、人文主義的な統御の衰えによって解放された、本能的な善良さの量は、いささか誇張されてきた、と結論するかもしれない。瞑想的でも調停的でもなく、要するに、謙虚さとデコルムを捨てた人間性が、牧歌的なものになるだろうという証拠を、見つけられないかもしれないのである。
六
人道主義者の、過度に牧歌的な希望は、その想像力の質を明らかにする。誰の人生観でも、これは、見定めるべき重要な点である。エリオット学長は、この問題全体に、大いに関心を寄せていた。「想像力の訓練は」と、彼は正当に言う。「教育のうち、はるかに最も重要な部分である」。彼自身の想像力の質が、倫理的というより牧歌的だったことだけでなく、その事実によって、冒頭で述べた、悪の問題への態度が説明できることも、示せる。彼は、想像力の二つの形、構成的なものと受容的なものを、区別するよう求める。さらに、構成的な想像力を、その構成力が文学で働くか、自然科学で働くかに応じて、細分する。そして、すべてが陰鬱で不調和な、ダンテやゾラの想像上の構築と、たとえば近代の発電所に現れる、すべてが正確で、秩序立ち、有益な、科学者の想像上の構築とを、対比する。エリオット学長は、人間の悪の要素に関わる作家たちを、冷静に事実を観察する者というより、陰鬱な理論家と見ていたのは明らかだ。ついでながら、悪の扱いにおいて、ダンテとゾラを隔てる、測り知れない距離にも、気づいていないようである。
受容的な想像力の例として、サッカレーが「ベッキー・シャープの邪悪な動機と、汚れた魂」を描く場面を、無益に読みふける若い女性を描く。そして、その姿に対して、窓の近くのカエデの分かれ目に、「家と家族を築いた二羽のコマツグミ」を観察して時間を過ごし、雛への接し方から、無私と愛情を学ぶ、別の若い女性を対置する。この対照に含まれる、自然と人間性の両方についての、牧歌的で感傷的な見方を、あえて強調するまでもないだろう。
エリオット学長の想像力の扱い全体、たとえば、ダーウィンとパストゥールは、その想像的な活動によって、人間の「精神的な必要」を満たすため、ダンテ、ゲーテ、シェイクスピアと同じほどのことをした、という主張は、すでに「時代がかって」いる。十九世紀が、その特有の雰囲気とともに、さらに背景へ退くにつれ、彼や同時代のほかの人々が、自然主義的な土台の上に築こうとした「理想主義」は、まったく空想的に見えるだろう。回心していない人間、衝動を自由にあふれさせる人間では、奉仕への意志よりも、権力への意志のほうが、さらに自由にあふれ出るとわかったら、科学的想像力の助けで得た、自然の力を統御することの恩恵は、どうなるのか。世界大戦は、この点について、私たちを啓発した。
人道主義の仮説が、中心で破綻したと、ひとたび認めるなら、代わりの道は、何らかの形で二元的な考えを復活させることに思われる。個人は、自分自身の幸福のため、外へ向かう欲望を、何らかの健全な規律に従わせ、ブッダの言葉では、気高い渇望のために、卑しい渇望を捨てなければならないと、再び確言するのだ。「生の楽しみを求める、普遍的な渇きは」と、エリオット学長は言う。「ますます熱くなり、満たされない」。それならば、この渇きを、何か正しい価値尺度に照らして和らげることが、急務だと考えるだろう。しかし反対に、彼はこの観察を、政治経済学を伝統的な人文学と同じ水準に置くための、訴えの一部にする。
政治経済学のほうは、正統派でも非正統派でも、あらゆる形で、統御の原理に代わる、人道主義の代用品を受け入れているとわかる。その置き換えの結果、いまだ「陰鬱な科学」との疑いを受けている。政治経済学者は、主として消費者として捉える個人が、欲望を制限することを、何であれ好ましく思わない。その制限が、生産の減速を招くのを恐れるからだ。どうやら生産は、無限に拡大すべきらしい。この計画は、「もっと多くの豚のための豚、さらにもっと多くの豚のために」という公式にまとめられる。ヘンリー・フォードが、最近『フォーラム』に寄せた記事は、この計画を思い出させる。根底のいくつかの前提を共有する、エリオット学長のような、本当に威厳のある人物が背後にいなければ、フォードは、これほど自信たっぷりに、付け加えたくなるのだが、これほど無邪気に、その産業哲学を説きはしなかったに違いない。
七
純粋な拡張性を支持するために、統御の原理を失墜させることは、総じて疑わしい。教育の領域では、疑わしいだけではない。生得の才能と、それが自由に伸びるはずの権利を、第一に強調することにつながるかぎり、ユートピア的でもある。大学の学部生に助言することを仕事としてきた人なら、通例、学生たちは、そのような才能があると、自覚していないと証言するだろう。生涯の仕事を選ぶ際、多くの場合、偶然や必要によって決まり、その仕事を、実際に行う過程で、関心を持つようになる。確かに、ときには、生まれつきの適性を持つ、あるいは持つように見える学生もいる。人文主義者が、こうした適性を妨げようとしないことは、言うまでもない。しかし、それを持つ者も、偏った専門家にならないためには、補う訓練が必要だ、と強く主張するのである。
学生の大部分は、自ら進んで従いたい、本能的な傾向を持つという、最初の想定の上に、エリオット学長は、さらに、努力は、古い教育のように、競争によって刺激する必要がないという想定を置く。「怠惰な学生は、必修制よりも選択制のもとで、無気力から奮い立つ可能性が高い」という主張は、現実に即した観察によって、裏づけられない。今日、平均的な学生が、知的な事柄より、フットボールに関心を持つとすれば、その理由の一つは、新しい教育のもとでの大学と違って、フットボールには明確な目標があり、それを目指して、率直に競争することかもしれない。
現在、私たちの高等教育機関には、およそ七十五万人の学生が在籍していると推計される。ほかのすべての国を合わせたよりも多い。同時に、アメリカでは、大きな混迷のただなかで、教養教育という考えそのものが、滅びる危険にある。この混乱の責任を、エリオット学長一人に負わせるのは、公平ではない。しかし、人間性の恒常的な要素よりも、変わりうる要素を高く掲げたことは、一つの要因となった。「十八歳の若者は、一人ひとりが」と、彼は言う。「限りなく複雑な組織であり、それと同じものは、いまも、これからも存在しない」。この危険な半面の真理を、教育体系の基礎とするなら、宗教的、人文主義的な規準の存続とは、まったく両立しないのである。
今日、私たちは、規準が弱まった結果を、目撃しているようだ。アンドレ・ジークフリート氏によれば、私たちは、量産と物質的な効率のために、より高い文化的な価値を、容赦なく犠牲にしている。チャールズ・マーズ氏の、悪意のない風刺『大いなるアメリカの流行楽隊車』によれば、現代アメリカの見せる光景は、本質的に浅薄な人々の群れが、一つの取るに足りない流行から、次の流行へと、落ち着きなく駆け回る姿である。そのような描写は、確かに一面的だ。しかし、アメリカに、規格化された凡庸さへの流れがあることは、疑いない。また、私たちの教育全体が、それを適切に正すものを供給していないことも、疑いない。
たとえば、大学卒業者のうち、アリストテレスの意味での閑暇を、持てる者は何人いるだろうか。単なる職業上の活動から解放されたとき、卒業者たちの心理は、疲れた実業家のそれと区別できないことは、周知の事実である。それどころか、伝統的な人文学の教師を含め、大学の教師たち自身の心理も、専門家として働いていないときには、疲れた実業家の心理になりがちだ。人文的な目的が不在のために、勝利したのは、功利主義者の目的である。あらゆる専門を、ほぼ同じ水準に見る、その多数の専門が、古い課程における学問の選択だけでなく、選択の原理そのものに取って代わった。教育は、ますます雑多で、百科事典的なものとなった。
古いものから新しいものへの変化の、重大な性質は、すべてを一括する学位の下に隠されてきた。この隠蔽は、ときに、実質的な不誠実にまで達した。人は、伝統的なA・B、すなわち文学士号の威信を享受しながら、その学位が伝統的に表してきた訓練を、かわしたいと望む。たとえば、「家禽の屠殺、脚や翼を縛って形を整えること、市場への出荷」という講義を選びながら――ある州立機関の講義要項から引用している――同時に、教養教育を受けた者として、通りたいのである。
教育の理論と実践における、人道主義の革命について、私が述べてきた疑いを共有するアメリカ人は、比較的少ないだろう。エリオット学長が宣言し、私たちのロータリー流の慣習の土台となった、奉仕の考えは、まだ深刻には揺らいでいない。それでも、アメリカでさえ、功利主義的・感傷主義的な運動が、頂点を過ぎた徴候がある。感傷主義者によって、道徳的な責任の感覚が掘り崩されることに、不安を覚える人が増えている。さらに多くの人々は、功利主義的な努力観が一面的であり、その一面性の結果、近代生活が、どこへ向かうとも知れない暴走へと堕落する危険にある、と気づき始めている。実際、「物が鞍に乗って支配している」、外面的な行動でも、内面的な心でも、私たちが機械化されている、要するに「ロボット」になりかけている、という不満は、かなり普通になってきた。シャーウッド・アンダーソンでさえ、現在の規格化されたアメリカが、万事うまくいっているわけではないと見抜く、知恵はある。
残念ながら、規格化の害を嘆くだけでは、健全で建設的な計画に支えられていないかぎり、大して役に立たない。必要なのが、ロータリー流の慣習と「奉仕の宗教」を嘲笑することだけなら、メンケン氏やシンクレア・ルイス氏のような作家たちが、すべての要件を満たすように見える。しかし、これらの作家たちも、自ら攻撃する、その病気の一部であると示せる。この病気は、気質の自由な拡張を制限する、いかなる規範、人間の法則も、認めようとしないことと、定義できるだろう。
十八世紀以来の近代の運動を研究した人なら、ついには、単に気質に任せた、慣習への反乱の空しさを、確信するようになるだろう。気質至上主義者が、柔らかく感傷的な種類であろうと、メンケン氏とその追随者たちのように、硬くニーチェ的な種類であろうと、比較的重要ではない。ロータリー流の慣習への反対は、それが慣習だからではない。むしろ、それは強みである。反対するのは、その基礎に、疑わしい要素が組み込まれているからだ。すなわち、自然な人間の「欲望」に対して、十分な釣り合いとは思えない、奉仕の考えである。宗教の言葉で言えば、ロータリー主義者は、回心なしに救済を得ようとするのである。
ロータリー主義者への、有効な対抗は、それぞれが、自分の気質の接線に沿って飛び去る、ボヘミアンたちからは来ないだろう。まったく別の土台に集まりつつある人々から、来るはずだ。彼らは、規格化から逃れる道が、今日の意味での理想を通るのではなく、規準を通ること、そして規準を得るには、自然主義者たちによって排除された、人間のうちの、人間に固有な要素を、強調しなければならないことを、見ている。この排除が、どれほど完全だったかは、最近の心理学の、ほとんどすべての形で見て取れる。とくに、J・B・ワトソン氏を筆頭とする行動主義者たちは、この点で、かつて測られたことのない深みにまで、沈みつつある。
八
擬似科学や、規準のほかの代用品を受け入れることを拒む人も、自分の規準を、批判的な仕方で得るのか、純粋に伝統的な仕方で得るのか、なお決めなければならない。たとえば、ローマ・カトリック教徒は、後者の仕方で規準を得る。もっと批判的に進みたいなら、プラトンの言葉で、一と多の問題として知られるものに、向き合うことになる。言い換えれば、自然主義的な流転への服従と、人間のうちに、それを超える何かがあるという主張とのあいだで、選ばなければならないのだ。
過去から多かれ少なかれ完全に解放され、そのため、規準を得るとすれば、一と多の問題を通して得なければならない時期は、つねに決定的なものとなってきた。私たち自身の発展も、すでに、この決定的な段階に達しており、誤った道へ曲がりつつあるという証拠がある。世界の目に、アメリカと結びつけられるようになった哲学、プラグマティズムは、宗教的な見地からも、人文主義的な見地からも、未熟で、文明化されていない。プラグマティストの問題は、働くものを好むことではなく、働きについての考えが、一面的なことにある。アリストテレスによれば、幸福に達するために必要な、あの形の活動を、考慮に入れないことだ。この一面性が、ほかのどこよりもアメリカで優勢である理由は、明らかである。一つの大陸を征服するうえで、功利主義的な形の努力が、とくに必要だったのだ。開拓者の徳を、最大限に発達させた私たちは、いま、その徳の犠牲になる危険にある。
しかし、この点でのアメリカと諸外国との隔たりを、誇張しないよう注意すべきだ。諸外国は、いま、「アメリカ主義」の害を嘆きながら、同時に、無理なくできるかぎりの速さで、自らをアメリカ化している。もし、アメリカ主義からの有効な反動があるとすれば、それは、アメリカ自身から来なければならないのかもしれない。私たちは、ほかのさまざまな国のように、いくらかもっともらしく、経済的な必要の圧力を、功利主義的な行きすぎの言い訳にはできない。経済的条件に関するかぎり、私たちは、怠惰や娯楽とは異なるものとして、閑暇の考えを発達させ、功利主義者たちの意味とは、まったく違う意味で、「行動の民」であることを、示す自由がある。閑暇の考えは、それ自体、きわめて重要なので、十分に発達させれば、世界の文化的な指導権を担う立場に、立てるかもしれない。私たちが、状況をこれほど理解せず、とくに高等教育が、閑暇を生きる人を育てるどころか、人道主義者の「理想」に、ますます完全に支配されていることは、気の滅入ることだ。
私は、これらの理想に対抗して規準を得るには、少なくとも近代的で批判的な仕方では、究極に、一と多という哲学上の問題に、向き合わなければならないと述べた。しかし付け加えれば、この難しい問題の解決とは、まったく別に、良識だけでも、新しい教育の欠点を明らかにし、対策を考えるうえで、大きく役立つだろう。おそらく今でも、支配的な教育上の慣習とは異なる土台に集まり、根底の精神が、人道主義的というより人文主義的である、少なくともいくつかの教育機関に、十分な支援を与える用意のある、鋭い観察者の少数派がいる。規格化への愚かな流れに、うまく抵抗できるかもしれないのは、まさにこの点においてである。
この問題は、小規模なカレッジにとって、とくに興味深いはずだ。そうしたカレッジでは、健全な教育実践が、自らの利益とも一致すると、わかるかもしれない。新しい教育は、途方もなく複雑で、高価な設備を必要とする。この複雑さを助長するのは、多数の専門家の協力による人類の進歩を、功利主義者が第一に強調することと、生得の才能と、それが満たされる権利を、感傷主義者が第一に強調することである。教育を百貨店と考える見方を受け入れた、小さなカレッジは、たちまち、どうしようもなく不利になる。他方、人文主義的なカレッジは、その必要を、もはや、あの伝統的な丸太の端に座るマーク・ホプキンズだけで、適切に象徴することはできないにせよ、はるかに控えめな設備で、栄えることを期待できる。
九
大きなものから小さなものまで、私たちの教育機関の長の大部分は、一世代以上にわたり、エリオット学長の後を追うことで、満足してきた。いま必要なのは、第一の目標を質に置く、教育の指導者たちであるようだ。教員の質、学生の質、何よりも、教える科目の質である。カレッジが明確な目標を持ち、それに伴って、健全な競い合いの精神の復活を見るためには、百科事典的にすべてを含むことに代えて、選択を置かなければならない。しかし、教養のための訓練の構想で、ある科目をほかより優先すべき理由は、フットボールの規則が多かれ少なかれ任意であるような意味で、恣意的なのではない。反対に、その理由は、歴史と人間性の事実に、深く根ざしている。
示そうと努めてきたように、教育論争全体の根底にあるのは、宗教的・人文主義的な哲学と、功利主義的・感傷主義的な哲学との対立である。この対立は、第一原理に関わるので、妥協や調停の対象にはならない。そのような調停を試みる人々は、人文主義者ではなく、ラオディキアの人々のように、熱くも冷たくもない者たちだ。自らを穏健と考える多くの人は、実は、ただ混乱しているにすぎない。だからこそ、すでに指摘した、批判的な明確化が必要なのだ。私の試みてきた区別によって、たとえ少数でも、この生ぬるい態度を捨て、究極にはアメリカ文明の未来に関わる争点で、立場を選ぶようになるなら、その試みは無駄ではない。高等教育が、その中心に据えて尊ぶのが、アリストテレスの意味での閑暇の考えなのか、それとも、エリオット学長や人道主義者たちがこの語に与えた意味での、奉仕の考えなのか。それは、決して小さな問題ではないと、わかるだろう。
私の信じること――ルソーと宗教[1]
一
ルソーは、ふつう、過去二百年間で、最も影響力の大きかった著述家と見なされている。実際、アクトン卿は、いくらか誇張を交えながら、「ルソーは、その筆によって、アリストテレス、キケロ、聖アウグスティヌス、聖トマス・アクィナス、あるいは、かつて生きた、どんな人間よりも、大きな影響を生み出した」と言ったと伝えられる。ともあれ、この言葉は、「ルソーは何も発明しなかったが、あらゆるものに火をつけた」という、スタール夫人の言葉に照らして、理解する必要がある。その主要な思想は、とくにイングランドで、十分に先取りされていた。これらの思想が主に訴えたのは、十八世紀に、急速に力と威信を増し、それ以来、支配的であり続けた、中産階級だった。
ルソー的な人生観も、存続してきた。確かに、表面上の修正は多かったが、その根底の想定に、人々の大部分が、深刻な疑問を向けることはなかった。ルソーを論じることは、実際には、文学、政治、教育、そして何より宗教における、現代生活の主要な問題を論じることなのだ。したがって、その名声と著作が、当初から今日まで、一種の国際的な戦場であり続けたのは、不思議ではない。この争いで、単なる党派人になり、ルソーの多くの長所に盲目になるわけにはいかない。たとえば、自然、とくに野生の自然の美への、人間の感覚を目覚めさせるために、彼がなしたすべてを、見失ってはならない。同時に、この争いのすべてには、最後には明確な態度を取らなければならない、中心的な争点が含まれることも、忘れてはならない。
[1] 『フォーラム』一九三〇年二月。
この中心的な争点、ルソー主義者と反ルソー主義者との、根本的な衝突の源については、多くの混乱があり、いまも続いている。その主な原因の一つは、ルソーにも、ほかの偉大な作家と同じく、しかも、大部分の作家以上に、主要な傾向に逆らう要素があるという事実だ。たとえば、ルソーには合理主義的な側面がある。この事実に基づいて、あるフランス語の教授[1]は、ふつう考えられてきたような、感傷主義の大御所どころか、「本当のルソーは、その倫理、政治、神学において、根底では合理主義者である」と、いま証明しようとしている。
また、ルソーには、伝統的な道徳と、まったく一致する発言もある。そのため、別のアメリカの学者は、倫理上の革命の責任をルソーに負わせるのは、誤りだと示そうとしている。さらに別の学者も、同様の筋道で、『人間不平等起源論』のルソーは、第一に原始主義者なのではないと、自らを納得させるに至った。
何より驚くべきなのは、いま刊行された一冊の本[2]である。その著者は、この分野の先人の、ほとんどすべてを、党派心に目を曇らされたという理由で罵倒し、ついにルソーの真の意味を示すと、約束する。ところが、この著者は、ルソー自身が正しく述べているとおり、主要な著作の鍵を与える、あの一節を、引用さえしない。悪い意味でアカデミックでない、ルソーのあらゆる解釈者が、重んじるのは、この一節である。そこに要約される命題が、実際に、世界へ強大な作用を及ぼしてきたからだ。それほど作用したのは、ルソーのほかの一節、それ自体では、この命題を正す働きをしえた一節にはない、想像力と感情の推進力が、その背後にあったためなのである。
[1] アルベール・シンツ『ジャン=ジャック・ルソーの思想』。
[2] アーネスト・ハンター・ライト著『ルソーの意味』。
私が指している一節は、一七四九年の暑い夏の日、パリからヴァンセンヌへ歩く途中、道端で突然訪れた幻視を、ルソーが語ったところにある。この幻視が、近代の主要な運動に持つ重要性は、ダマスコへの道での聖パウロの幻視が、その後のキリスト教の発展に持つ重要性に、比べられる。ルソーが、このとき引き込まれた、一種の恍惚状態のなかで、多数の「真理」が、彼にひらめいた。そのなかで、ほかを圧する重要さを持つ真理は、本人の言葉では、「人間は生来善良であり、人が邪悪になるのは、私たちの制度だけによる」ということだった。
人間の生来の善良さという、この新しい「神話」から生じた結果は、ほとんど計り知れない。その最初の効果は、人間性についての神学的な見方を、失墜させることだった。その見方は、人間が堕ちたのは、ルソーの言う自然からではなく、神からであり、この堕落した状態で養うべき主要な徳は、謙虚さだと強調する。キリスト教徒によれば、善と悪との真の対立は、個人の心の内にある。精神の法が、肉体に働く罪の法に打ち勝つには、多かれ少なかれ、神の恩寵という形の助けが、必要だとする。ルソーの設ける新しい二元論、生来善良な人間と、その制度との対立は、神学に代えて社会学を置くだけでなく、古い二元論を、いかなる形においても、失墜させる傾向を持ってきた。
実際、ルソー主義の運動家の戦いは、制度に対する以上に、制度を統御し運営する者に、向けられてきた。運動の初期には王や司祭、今日では資本家に、である。「私たちは」とルソーは宣言した。「危機の時期、革命の時代に、近づきつつある」。彼は予言しただけでなく、その実現を確かなものにするため、ほかのどの一人の人間よりも、多くのことをした。その著作には、保守的で、さらには臆病な要素もある。しかし、人間の生来の善良さの神話に基づく、新しい二元論の、想像力への訴えが、ほかを上回った結果、実際に果たした役割は、急進主義の大御所のものだった。これまでに現れた、最も釣り合いの取れた評価の一つで、フランスの批評家ギュスターヴ・ランソンは、ルソーの作品の、さまざまな副次的な傾向を正当に扱った後、その主要な影響を、正確にまとめている。「それは、苛立たせ、反抗を促し、熱狂に火をつけ、憎悪をかき立てる。暴力の母であり、妥協を知らぬすべてのものの源である。その不思議な力に身を委ねる、素朴な魂を、絶対的なものの、絶望的な探求へと送り出す。あるときは無政府状態によって、あるときは社会的な専制によって、実現されるべき絶対的なものへ、と」。
このルソー的な影響に伴って、神学的な人生観が、社会学的な、あるいは人道主義的とも呼べる人生観に、着実に道を譲ってきたと、私は述べた。付け加えれば、人道主義の哲学全体には、ルソー以前からある、功利主義的と定義できる成分が入っている。功利主義は、すでにフランシス・ベーコンという預言者を持っていた。ルソーの著作と同じく、ベーコンの著作にも、きわめて多様な要素が含まれる。しかし、ルソーと同じく、中心的な推進力がある。伝統的な神の国を、人間の王国に置き換えることを、つねに促してきたし、今後もつねに促すと、言ってよい。精神的な「慰め」よりも物質的な「安楽」を高く置き、自然の力に対する人間の支配の増大を、進歩の名のもとに、たたえるのである。
ルソー主義者とベーコン主義者は、表面上はしばしば反目しながらも、宗教的な伝統だけでなく、西洋で、究極にはユダヤではなく古代ギリシアへさかのぼる、もう一つの伝統を掘り崩すことに、協力してきた。この古い伝統は、人文主義的と定義できる。人文主義者の目標は、均衡と釣り合いの取れた生き方である。節度の法則を守ることによって、それを達成したいと願う。この一般的な教えと、ある具体的な難局との隔たりを、うまく橋渡しした人は、そのかぎりで、ふさわしく、適切なものを達成したのだ。キリスト教徒の目に、謙虚さが、ほかのすべての徳に優先するように、人文主義者にとって、デコルムは至高である。伝統的に、デコルムの考えは、しばしば、単なる形式主義をかなり交えながら、紳士の考えと結びついてきた。さまざまな形の人文主義と宗教は、ときには衝突したが、よりしばしば、互いに同盟してきた。バークが、有名な一節で言うとおりである。「私たちの作法、文明、そして作法や文明に結びつく、すべてのよいものが、このヨーロッパの世界において、幾世代ものあいだ、二つの原理に依存してきたこと、実際に、その両者の結合の結果だったことほど、確かなことはない。私がいうのは、紳士の精神と、宗教の精神である」。
二
これまで区別してきた、ベーコン的、ルソー的、キリスト教的、人文主義的な見方は、しばしば混然と交じり合う。しかし、その混乱のすべてから、最後には明確な争点が現れる。すなわち、人道主義、あるいは、そう呼びたければ、功利主義的・感傷主義的な運動が、バークの二つの原理に代わる、有効な何かを、供給してきたかどうかである。「紳士の精神」については、その衰退は、ほとんど議論の余地がないほど明白だ。伝統的な規準の崩壊が、最も完全だった国、アメリカでは、紳士であることは、実際社会では、明らかに不利にさえなる、と言われている。「ごろつきの構え」[1]を取るほうが、早く出世できるらしい。ふつう、アメリカを代表する哲学者とされるウィリアム・ジェイムズによれば、紳士という考えそのものに、いくらか悪魔的なものがある。「闇の君主は」と、ジェイムズは言う。「そうだと教えられるとおり、紳士かもしれない。しかし、天地の神が何であれ、確かに紳士ではありえない」。
宗教の精神については、私の考えでは、その衰退は、少なくとも紳士の精神の衰退に劣らないほど大きい。しかし、それほど明白には、とても見えない。いずれにせよ、近代の宗教の代用品では、ベーコン的であれルソー的であれ、すべてが奉仕の考えに収斂するとわかる。決定的な問いは、功利主義的な活動の結果生まれた、力の巨大な仕組みを、現在とほぼ同じ方向のままで、無私の目的に仕えさせられると、想定してよいかどうかである。むしろ、国民集団や個人の、利己的な目的に奉仕するのではないか、ということである。
この問いへの答えは、ルソー的な友愛の理論を、どう見るかによって決まる。運動全体が、擬似宗教的であるとすれば、ほかでもない、この点においてである。それが擬似宗教的だという、私自身の確信の理由は、ごく大まかにしか示せない。ルソーによれば、人間がそこから堕ちたという自然は、現実の何ものにも対応せず、牧歌的な想像力の投影であると、示せる。そのように投影された自然状態、あるいは、それに似た状態にいる人間が善良だと主張することは、現実世界の、伝統的な統御を失墜させることだ。謙虚さ、回心、デコルムは、どれも、気質の自由なほとばしりのために、投げ捨てられる。このように解放された人間から、利己的な衝動の、むき出しの拡張に、有効に釣り合う同胞愛が、自発的ににじみ出るのだろうか。もしそうなら、第三代シャフツベリ伯爵からジョン・デューイまで、すべての利他主義者の側に、安心して立てる。神への奉仕から人間への奉仕へ、神の恩寵による救済から、自然の恩寵による救済へ移る際、肝心なものは何一つ、抜け落ちなかったと、想定できるのだ。
[1] ジェイムズ・トラスロー・アダムズ「ごろつきの構え」、『ハーパーズ』一九二八年十一月を参照。
残念ながら、事実は、人道主義の理論に従うことを、執拗に拒んできた。十八世紀から世界大戦まで、何かロマン的な夢の国ではなく、現実世界に存在する自然な人間では、総じて、権力への意志が、奉仕への意志を上回るという証拠が、増え続けてきた。確かに、この証拠に納得しない人も多い。頑固な事実も、頑固な理論に比べれば、何ものでもないと、正しく言われている。利他主義の理論は、とりわけ頑固になりやすい。おそらく、かつて考え出された、ほかのどの理論よりも、人を喜ばせるからである。それに見合う精神的な努力なしに、最高の精神的な恩恵、たとえば平和や兄弟的な結合を得られるという、希望を差し出すのだ。
人道主義的な奉仕は、宗教の精神と紳士の精神、バークの「二つの原理」に、取って代われないと結論するなら、どうなるか。少なくとも、近代の運動を単純に退け、多かれ少なかれ、純粋に伝統主義的な態度へ戻る人々の見方は、理解できるはずである。彼らは、教義と啓示に基づくキリスト教には、利他主義では代えられない、超自然的な要素があると考える。この型の宗教だけが、古代世界を、頽廃した自然主義から救えた。そして、今日世界の直面する、同様の状況に対処できるのも、それだけだと論じる。
しかし、私が述べたように、宗教的・人文主義的な人生観と、功利主義的・感傷主義的な人生観との選択は明確であるべきだとしても、それによって、純粋な伝統主義者になるか、単なる近代主義者になるかの、二者択一を迫られるのだろうか。根底にある争点は、個人主義である。典型的な伝統主義者であるローマ・カトリック教徒は、宗教に関して、個人主義を、端的に拒んでいる。少なくとも、この領域では、個人より「先にあり、上にあり、外にある」権威に服する。反対の事例は、批判的な精神の名で、外的な権威から自らを解放しながら――この精神は、近代精神と同じものだとわかるだろう――その解放を、規準を作り上げるためでなく、ただ精神の無秩序へ陥るために用いた人である。他方、規準を批判的に作り上げた人なら、健全な個人主義者であると同時に、徹底した近代人であるだろう。確かに、伝統主義者と近代主義者の両方を敵に回し、要するに、怒った二人の争う者のあいだに割って入った、ピクウィック氏と同じ運命を被る、危険はある。しかし、少なくとも伝統主義者の側については、この敵意は、賢明でないように思われる。私が定義しようとしている真の近代人は、伝統を擁護するうえで、彼と、かなり遠くまで、ともに進む用意があるのだから。
ともあれ、宗教の問題を、近代的に、言い換えれば批判的に扱おうとする人は、すぐにルソーへ引き戻される。明確に選ばなければならないのは、一方の教義と啓示に基づく宗教と、他方の単なる近代主義とのあいだではない。個人の心の内に、善悪の闘いを認める二元論と、ルソーのように、その闘いを社会へ移す二元論とのあいだで、選ばなければならないのである。
古い二元論の衰退とともに、近代人は、何を失いがちになったのか、自らに問うてみよう。ウォルター・リップマン氏によれば、近代人の失った信念は、「欲望の上に、王のように君臨する、不滅の本質がある」というものだ。彼のいう、この不滅の本質は、経験と、その実りによって判断するなら、より高い意志である。しかし、そのような意志を認めることを、なぜ純粋な伝統主義者に任せておくのか。まず第一に、それを、心理的な事実、意識の直接の所与の一つとして、認めてはどうか。それほど根源的な知覚であるため、比べれば、決定論者による、人間の道徳的な自由の否定は、ただの形而上学的な夢にすぎない、と。そうすれば、いま人間性の主要な敵に数えられるべき、行動主義者や、ほかの自然主義的な心理学者たちに対して、素早く側面から迫る道が、開けるだろう。
この超越的な質の意志は、謙虚さの源であり、同時に、直接的で直観的なものでもある。伝統的には、しばしば、恩寵という形で働く、神の意志と結びつけられてきた。この、より高い直接性を、ルソー、少なくとも世界に影響を及ぼしたルソーは、感情の、より低い直接性に置き換え、そうして、理性以下の、一種の恩寵の戯画を作り出した。この置き換えを、もっともらしく見せるために、彼と、その後に続く感傷主義者たちは、ソフィストの、いつもの技を用いてきた。主要なものは、半面の真理の曲芸と、一般的な語の意味をいじることである。たとえば「徳」や「良心」のような語を用いる際、生の衝動を支持するために、同じく生命的な統御の原理、生の抑制を、多かれ少なかれ完全に除いてきた。要するに、宗教と人文主義の両方が必要とする、二元的な要素を、除いたのだ。
とくに宗教を損なうために用いられた、半面の真理は、宗教は、それ自体では感情とは別のものだが、通常の現れでは、感情と深く混じり合っている、ということである。この誤りの、最新の流行形を、一例挙げよう。きわめて博識で、ある点では優れた本[1]のなかで、N・P・ウィリアムズ師は、聖アウグスティヌスの恩寵の経験、あるいは同じことだが、神への愛は、「肉欲」の「昇華」にすぎなかったと、示そうとする。聖アウグスティヌスは、非常に情熱的な人であり、その情熱性が、神への愛に入り込んでいたことは、疑いない。しかし、聖アウグスティヌスや、ほかの主要な聖者において、神への愛が、昇華されていようといまいと、単なる感情だったと示せるなら、宗教は、フロイト自身が宣言したとおり、ただの「幻想」となるだろう。イングランドでは、かなりよく見られる型だと聞く、精神分析的な神学者は、今日の混乱の時代に現れたもののなかでさえ、ほとんど最悪の、種類の混同なのである。
この領域で広まる誤解の、もう一つの例は、教義の見地からだけでなく、鋭い心理観察の見地から見ても、P・M・マッソンによる、ルソーの宗教の標準的な研究である。この本は、学者たちから、ほとんど普遍的に賞賛され、実際、歴史的研究として、すぐれた長所を持っている。マッソン氏は、この宗教には「贖いも、悔い改めも、罪の意識もない」と認める。そのうえで、ルソーの「深いキリスト教性」を語るのだ!
宗教は、ルソー主義者だけでなく、擬似科学者によっても、害を受けてきた。ルソー主義者が、感情に、そのものに属さない第一位を与えるなら、擬似科学者は、自然科学に、その資格のない覇権を要求する。このように、適切な場所を越えて高みを望む科学は、単に「頭脳から飛び出した、荒ぶるパラス」となるだけでなく、戦争での利用と結びついて、「地獄の君主たちに仕える女衒」となる、危険を冒す。ウォルター・リップマン氏は、『道徳序論』で、科学的な研究者のように「私心のない」者になれば、「人文主義」だけでなく、「高い宗教」にも相当するものを得られると、説得しようとする。まさにこの瞬間にも、一部の科学研究者たちは、実験室で、恐るべき威力の毒ガスを考案することに、忙しく従事している。科学的な型の「無私性」に関するかぎり、これらのガスが、権力への意志のために用いられないという証拠は、どこにあるのか。一元論的な前提に倫理を基礎づけようとして、リップマン氏は、ただスピノザの誤りを復活させたのである。そしてスピノザ自身も、ストア派の誤りを復活させたのだった。この誤りは、科学の方法と結びつくと、危険が減るのでなく、増す。ともあれ、ここで関わるのは意志の問題であり、究極には二元論の問題だ。「人間の欲望の上に、王のように君臨する不滅の本質」は、超越的である。言い換えれば、ルソーの意味でだけでなく、科学者がこの語に与える意味でも、「自然」の上に置かれる。このことは、いくら強調しても、しすぎることはない。
この、より高い意志は、自然な人間の印象、衝動、拡張する欲望との関係では、差し控える意志として感じられる。偉大な伝統的宗教、とくにキリスト教と仏教では、差し控える意志は、放棄にまで押し進められてきた。これに対して、近代の運動は、十八世紀以来、ある点ではルネサンス以来、差し控える意志の信用が、ますます失われることで特徴づけられてきた。この運動に加わった人々は、「放棄」という語そのものを、めったに口にしなかった。思い当たる主な例外は、ゲーテである。ときには、カーライルも、それに唱和した。しかし、七十代まで続いた、ゲーテの一連の恋愛を考えるなら、彼のいう断念が、聖者はもちろん、世俗の人間にとってさえ、きわめて厳しいものだったとは、とても言えないだろう。
[1] 『堕落と原罪の観念』(一九二四年バンプトン講演)。三三一頁を参照。
三
信仰の時代でさえ、真の放棄は、決してありふれたものではなかったと、認めなければならない。典型的な近代人に至っては、放棄に似た何かから、無限に遠く隔たっているだけでなく、差し控える意志であれ、何であれ、単なる伝統と権威に基づいて受け入れることが、ますますできなくなっている。しかし、何らかの形、何らかの程度で、差し控える意志を働かせないことは、精神の無秩序を意味する。今日ますます進むように、精神の無秩序と、増大し続ける物質的効率とを結びつけること、言いたくなるが、知恵なき力は、個人の幸福にも、社会の福祉にも、役立ちそうにない。精神の無秩序への流れが、大部分、教義と啓示に基づく宗教の衰退の結果であったことは、ほとんど疑えない。しかし、精神の規律を取り戻す唯一の希望が、この型の宗教への回帰にある、ということにはならない。自然主義者も超自然主義者も、人生への、第三の可能な態度、私が人文主義的と定義した態度の価値を、あまりに低く見がちだった。
人文主義者は、差し控える意志を働かせる。しかし、目指す目的は、拡張する欲望を放棄することではなく、節度の法則に従わせることである。人文主義的な徳、穏健さ、良識、ふつうの品位は、聖者の徳よりは、はるかに手が届きやすい。それでも、自然な人間の性向には逆らう。歴史の事実を冷静に見渡せば、恐ろしいほどに逆らう、と結論せざるをえない。実際、人文主義的な統御でさえ、人々に実践させるのが、これほど難しいため、必ずしも原罪の教義を復活させるのではないにせよ、ベーコン的であれルソー的であれ、人道主義者たちは、悪の問題を扱う際、どうしようもなく浅薄なのではないかと、疑うようになる。彼らの設けた社会的な二元論は、究極の発展において、古い二元論を非難したディドロのいう「洞窟の内の内戦」に代えて、階級闘争を置く傾向を持つ。
五人の子供を捨てた理由として、ルソーが挙げた一つは、彼らを養う資力を、富者によって奪われた、ということだった。この道徳的な責任逃れにおいて、多くの人々が、いともたやすく説得され、ルソーに従ってきたことは、ある人間の性質を探る手がかりになる。それは、自他に実際に観察でき、古きアダムを神学が強調することに、いくらか実証的な根拠を与える性質である。この性質は、精神的な怠惰と定義できる。拡張する欲望に対して、差し控える意志を、何一つ対置したがらず、その不愉快な結果の責任を、何か、あるいは誰かほかのものに、無邪気に転嫁しようとすることだ。
人間には、それに照らして、責任ある道徳的な行為者となれる、より高い意志が存在すると信じる人の目には、近代特有の病が、飾りのない単純な物質主義ではなく、偽の精神性であることは、明らかだ。治療法は、人道主義型の理想主義の、究極の空しさを確信するようになった人々のあいだで、今日広まっている、単に冷笑的で「非情な現実派」の態度よりも、何らかの形で、真の二元論を再確認することに、あるようだ。ジュベールは、一世紀以上前に書いた。「すべての、優しく、熱烈で、高尚な性質の人々に、私は言う。あなたたちを宗教から引き離せるのは、ルソーだけであり、ルソーからあなたたちを癒やせるのは、真の宗教だけである」。すでに明らかにしたように、私の判断では、宗教的な根拠だけでなく、人文主義的な根拠からも、ルソーに対抗できる。それだけでなく、過去の知恵を豊かに用いながら、人文主義そのものへ、これまでふつうだったよりも、実証的で批判的な仕方で、近づくこともできるのである。
四
一つの論文の範囲で、実証的で批判的な人文主義とは何を意味するのかを、完全に明らかにできるとは、とても期待できない。私の立場についての、現在のいくつかの誤解から判断すると、一連の著作を通しても、成し遂げられなかった仕事なのだ。しかし、主要な問題のいくつかには、簡単に触れておこう。ルソーと、その影響を考察すると、二つの主要な問題に収斂するとわかる。一つは、すでに述べた意志の問題、もう一つは、それより重要さは劣るが、なお重大な、知性の問題である。ジェイムズやベルクソン、さらにその先まで続く、反知性主義的な潮流の源頭にルソーがいることは、一般に認められている。「考える人間は、堕落した動物である」という言葉が、この潮流を予示している。根底では、この型の反知性主義者の抗議は、科学的、あるいは擬似科学的な合理主義による、世界の機械化に向けられる。彼は、ロマン主義的な自然な発露の道を通って、機械論から逃れようとする。これは実際には、「創造的」になれると望んで、自然主義的な流転に身を任せる用意がある、ということだ。残念ながら、この服従は、創造に真の人間的な意義を与えるのに必要な、規準と意識的な統御を、犠牲にすることを含んでいる。
私が、何よりも実証的で批判的であろうと努めてきたのは、知性と意志の問題を扱う際である。ルソー的な感情至上主義者に対して、真の二元性、生の衝動と生の統御との二元性を、再び確立することが、不可欠に思われる。そのために、より高い意志を、第一に、心理的な事実として認める必要がある。しかし、個人が、まず自分の幸福を念頭に置いて、個々の場合に、どこまで統御すべきかを決めるには、この事実を超えて進まなければならない。要するに、規準が必要だ。少なくとも批判的に規準を得るには、ルソー主義者のように、知性を見下すわけにはいかない。その鋭い分析の力を、自然科学の考える経験とは、まったく違う秩序の経験へ、向ける必要がある。
規準を持つとは、実際には、単なる多様さや変化を測る、何らかの統一の原理を持つことである。人間には、しばしば想像力と呼ばれる力があり、手を伸ばして、類似や類比をつかみ、それによって、統一を打ち立てようとする。しかし、このように把握された統一は、その現実性の観点から、分析的な知性、すなわち識別する力によって、吟味されなければならない。その知性は、抽象的にではなく、経験の実際の所与に働くものだ。ルソー主義者が、拡張的な感情に基づいて、人々のあいだに築こうとする兄弟的な結合は、このように吟味すると、人間の秩序と自然の秩序の、両方の現実からの、想像力による逃避を含み、したがって、夢の国にしか存在しないとわかる。過去と現在の、人間経験のすべての事実を調べるなら、人が、自分自身の内でも、同胞とのあいだでも、達成できる統一は、第一に感情ではなく、より高い意志を働かせることに、基づかなければならないと、示されるように思われる。
生のうちの、恒常的で統一をもたらす要素を、どう捉えるかは、一般的な語の使い方に現れる。人文主義者とルソー主義者が、定義において根本的に衝突することは、明らかだ。すでに述べたように、二元的な要素を除いた結果、ルソー主義者は、人文主義者の目には真の徳ではない「徳」を、立てた。「正義」や「自由」、そして何よりも、少なくとも人間に適用される場合の「自然」についても、同じである。これらの語に、二元的な要素を再び組み入れるには、ソクラテスがソフィストたちに対して用いたものに、いくらか似た、帰納的に定義する技術が、必要だろう。私が述べた鋭い識別が、最も十分に働くのは、まさにこの点である。ともあれ、想像力と分析的な知性との協力から生まれ、定義に反映される規準を、人文主義者は最後に、より高い意志に奉仕させる、と言ってよい。それによって、自然な人間の衝動と、拡張する欲望に、正しい方向を与えるのである。
人文主義者は、突然の回心や、銃声一発のような、人間性の急変を、いささか疑っている。だからこそ、教育をこのうえなく重視する。人文主義の目標に達し、大人が、好むべきものを好み、嫌うべきものを嫌うようになるには――プラトンによれば、これが倫理的な努力の究極の目的なのだが――ほとんど幼児のころから、適切な習慣を身につける訓練を、受けなければならない。現在の条件のもとでも、ときには人文主義者が現れるかもしれない。しかし、人文主義の運動に似た何かが起こるとすれば、すでに述べたように、第一段階は、ソクラテス的な定義であろう。第二段階は、その定義に基づいて、人々の一団が集まること、つまり、不当に信用を落とされた、慣習という語の文字どおりの意味で、共通の取り決めを作ることになる。そして第三段階は、ほとんど必然的に、この慣習を、教育を通して有効なものにしようとする試みとなるだろう。
五
教育に触れると、議論全体は、アメリカという身近な場所に帰ってくる。私たちの教育者たちは、ほとんどどの国の教育者たちよりも、徹底して、また無邪気に、ルソー主義的である。たとえば、フランスやドイツ、とくにイングランドには、宗教的・人文主義的な教育観が、重要な形で残っている。それに対し、アメリカで、初等段階から大学までの教育方針を左右する人々のあいだでは、若者の気質的な性向の自由な展開、いわば自己表現の権利に、限界を設けるものは、何であれ時代遅れの偏見だ、という想定が、ほとんど普遍的である。規律が存在するとしても、人文主義的、宗教的な種類ではなく、職業や専門の訓練で得る種類のものである。おおむねアリストテレスの時代以来、理解されてきた、真の教養教育の規準は、功利主義者と感傷主義者によって、着実に掘り崩されている。もし、ベーコンとルソーの公式が、私の信じるとおり、その前提のいくつかにおいて、これほど不健全なら、私たちは、この国で、歴史上の大きな文化的悲劇の一つを、目撃する危険にある。
さらにルソー主義は、教育を支配するだけでなく、プロテスタントの宗教の、まさに急所を蝕んできた。実際には、プロテスタントが、内面の生活の宗教であることをやめ、ますます「社会を向上させる運動」の宗教になっている、ということだ。悪を、個人の内にある源においてではなく、社会的に扱い、欲望の内なる統御を、外からの統御に代えようとする試みの結果は、巨大な法規偏重となった。憲法修正第十八条は、その最も目立つ一例にすぎない。反酒場同盟のような団体と手を組んだプロテスタントたちは、最も欠かせないキリスト教の戒めの一つ、神に属するものと、カエサルに属するものとを混同するな、という戒めに、背いてきたのである。
法律の増殖と、それに伴う無法の増大、すなわち、この国の現在の状況は、歴史を学ぶ者なら誰でも知るように、きわめて不吉な徴候である。私たちの民主主義の実験が、過去の同様の実験と同じく、頽廃した帝国主義に終わるということかもしれない。しかし、私たちが、宿命的な下降曲線の上にいると示唆することほど、私の考えから遠いものはない。そのような宿命を、私は信じないし、総じて、どんな歴史哲学にも、とりわけシュペングラー型のものには、懐疑的である。シュペングラーのような人々が、集団的な傾向を重んじるあまり、見落とし、あるいは否定しがちな、決定的に重要な要因は、個人の道徳的な選択だ。たとえば、いまアメリカ合衆国の多数派は、より高い文化的価値に無関心で、量産の奇跡に基づく、現在の型の物質的繁栄が続くこと以上を、望んでいないように見える。しかし、すでに個々の人々は、多数派から離れ、その「理想」に対し、批判的な態度を取り始めている。
この残された少数者が、重要な形で存在を感じさせるほど、大きくなるかどうかは、もちろん、なお問題である。ともあれ、この国には、少なくとも、世界のほかの部分の見方を理解できる人々が、増えている。その見方は、私たちの効率への感嘆と、物質主義への軽蔑との、不思議な混合と定義できる。しかし外国人は、今日の機械による人間の支配について、アメリカを、万能の身代わりの犠牲にしすぎる。
功利主義的・感傷主義的な運動は、ほかの場所よりアメリカで、徹底した勝利を収めたかもしれない。しかし、その征服を、西洋全体へ広げ続け、いまや東洋にも侵入している。要するに、それが提起する問題は、国際的なのだ。この運動の、周辺的な長所が、ほとんど数えきれないことは、私が誰よりも先に認めよう。実際、そのまさに中心まで踏み込むまでは、ほとんどすべてが、もっともらしく見える。しかし、中心では、一つの欠落を発見する。それを正さないかぎり、ほかのすべてを損なう欠落である。すなわち、私が示そうとしてきた、より高い意志、あるいは統御の力への、いかなる言及も欠けていることだ。
預言者を気取るつもりは、まったくない。それでも、真の二元性が回復されないかぎり、あるいは同じことだが、伝統的であれ批判的であれ、宗教的であれ人文主義的であれ、何らかの形で、内面の生活の真理が再確認されないかぎり、これまで文明という語に与えられてきた、いかなる意味での文明も、その基礎を脅かされる、という確信を、表明しておきたい。私は文明の利益について語っている。しかし、ルソー主義に対する、私自身の第一の反対理由は、究極には、それが個人の幸福に役立たないと、わかることなのである。
アーヴィング・バビット著作目録
著作目録
略号
BC:『創造的であること、ほか論考』
DH:『法句経』
DL:『民主主義と指導力』
LC:『文学とアメリカの大学』
MC:『近代フランス批評の巨匠たち』
NL:『新ラオコーン』
RR:『ルソーとロマン主義』
SC:『スペイン人の気質、ほか論考』
論文がバビットの著書の一つに再録されている場合は、(LC:VI)のように括弧で示した。数字は章または論考の番号を表す。大きく改稿された場合、または内容のみが利用された場合は、短剣符を前に付した(†MC:X)。星印は、著書に再録されていないが、本書の編者たちが、とくに注目に値すると考える論文を示す。
1897年
「古典の合理的研究」。『アトランティック・マンスリー』第79巻、3月、355–65頁。(LC:VI)
「フェルディナン・ブリュンティエールとその批評方法」。『アトランティック・マンスリー』第79巻、6月、757–66頁。(†MC:X)
翻訳(著者原稿から):F・ブリュンティエール「フランス人の文体の妙技」。『アトランティック・マンスリー』第80巻、10月、442–51頁。
1898年
「スペイン人の気質の明暗」。『アトランティック・マンスリー』第82巻、8月、190–97頁。(SC:I)
「ジョルジュ・サンドの書簡」。『アトランティック・マンスリー』第82巻、10月、569–76頁。(SC:VIII)
テーヌ『イギリス文学史序論』、テーヌ論を付す。ヒース、ボストン。(†MC:VIII)
1899年
ポール・エルマー・モア著『インドの警句百篇』の匿名書評。『アトランティック・マンスリー』第84巻、10月、573–76頁。(SC:IX)
1901年
「デシャン氏とハイド講座」。『ハーヴァード卒業生誌』第10巻、9月、165–66頁。
1902年
「人文学」。『アトランティック・マンスリー』第89巻、6月、770–79頁。(LC:IV)
ルナン『幼年・青年時代の思い出』、序論と注を付して編集。ヒース、ボストン。(†MC:IX)
1903年
「文学における新しい優等課程」。『ハーヴァード卒業生誌』第11巻、6月、499–505頁。(†LC:VII)
1905年
ヴォルテール『ザディーグ、ほか物語』、選編し、序論、注、語彙集を付す。ヒース、ボストン。
1906年
「印象主義批評と判断的批評」。『近代語学協会紀要』第21巻(新シリーズ第14巻)、9月、687–705頁。(†MC:XI)
「文学と博士号」。『ネイション』第83巻、9月20日、238–39頁。(LC:V)
「学問的余暇」。『ハーヴァード卒業生誌』12月、第15巻、257–60頁。(†LC:IX)
1907年
「博士号の価値」。『ネイション』第84巻、6月24日、78–79頁。(†LC:V)
「フェルディナン・ブリュンティエール」。『アトランティック・マンスリー』第99巻、4月、530–36頁。(†MC:X)
1908年
「独創的であること」。『アトランティック・マンスリー』第101巻、3月、388–96頁。(LC:VIII)
「教養と学識」。『ネイション』第87巻、7月2日、7–8頁。投書。
『文学とアメリカの大学――人文学擁護論集』。ホートン・ミフリン、ボストン。viii+263頁。
1909年
「サント=ブーヴ」。『ネイション』第88巻、6月24日、622–24頁。(†MC:V, VI)C・M・ハーパー著『シャルル=オーギュスタン・サント=ブーヴ』の書評。
「ラシーヌと反ロマン主義の動き」。『ネイション』第89巻、11月18日、480–82頁。(SC:VI)ピエール・ラセール著『フランス・ロマン主義』およびジュール・ルメートル著『ジャン・ラシーヌ』の書評。
1910年
「パスカル」。『ネイション』第91巻、11月17日、466–69頁。(†SC:V)セント・サイアズ子爵著『パスカル』の書評。
ラシーヌ『フェードル』、序論と注を付して編集。ヒース、ボストン。(†SC:VI)
『新ラオコーン――諸芸術の混同についての一考察』。ホートン・ミフリン、ボストン。xiv+259頁。
1911年
「超教授」。『ネイション』第92巻、2月16日、164頁。社説「超教授職」(1911年2月9日、135–36頁)への返信。この社説は、『ネイション』の記録によれば、F・J・メイザー・ジュニアの執筆。
H・G・ポール著『ジョン・デニス――その生涯と批評』の匿名書評。『ネイション』第93巻、11月2日、421–22頁。
J・ベザール著『文学の方法について――プルミエール学級の教師の日誌』の匿名書評。『ネイション』第93巻、12月21日、609頁、第2–3段。
1912年
「英国人は批評的か」。『ネイション』第94巻、3月21日・28日、282–84頁、309–11頁。(SC:II)
「バビット対セインツベリーの件」。『ネイション』第94巻、5月16日、493頁。「英国人は批評的か」での、バビットのセインツベリーの扱いを非難した、H・E・ウッドブリッジへの返信。
*「ベルクソンとルソー」。『ネイション』第95巻、11月14日、452–55頁。
『近代フランス批評の巨匠たち』。ホートン・ミフリン、ボストン。xi+427頁。
1913年
ゲルハルト・グラン著『ジャン=ジャック・ルソー』の匿名書評。『ネイション』第96巻、3月27日、313頁、第2段。
『ジャン=ジャック・ルソー協会年報』第8巻の匿名書評。『ネイション』第97巻、8月28日、191–92頁。G・ランソン、D・モルネ、H・ヘフディングについて。
W・F・ギーゼ著『段階式フランス語教授法』の匿名書評。『ネイション』第97巻、9月11日、235頁、第1–2段。
A・L・ゲラール著『昨日のフランスの預言者たち――第二帝政下の宗教思想研究』の匿名書評。『ネイション』第97巻、9月25日、288–89頁。
「ディドロ生誕二百年」。『ネイション』第97巻、10月9日、329–32頁。(SC:VII)
1914年
P・E・モア著『ロマン主義の潮流』の書評。『イェール・レビュー』第3巻、1月、386–89頁。
「近代精神とスピンガーン博士」。『哲学雑誌』第11巻、4月9日、215–18頁。J・E・スピンガーンによる、バビットの『近代フランス批評の巨匠たち』書評(『哲学雑誌』第10巻、1913年、693–96頁)への返信。
「スピンガーン博士への返信」。『哲学雑誌』第11巻、
6月4日、328–29頁。バビットの「近代精神とスピンガーン博士」に対する、スピンガーンの返答(同誌、326–28頁)について。
「自伝的記述」。『ハーヴァード・カレッジ1889年卒業生、卒業二十五周年報告』244–45頁。
1915年
*「国際主義の破綻」。『ネイション』第100巻、6月17日・24日、677–80、704–06頁。
「人文主義者と人道主義者」。『ネイション』第101巻、9月2日、288–89頁。投書。
1916年
「社会学と人文主義」。『ネイション』第102巻、6月8日、620頁。投書。
1917年
「ルソーの政治的影響」。『ネイション』第104巻、1月18日、67–72頁。C・E・ヴォーン編『ジャン=ジャック・ルソー政治著作集』の書評。
『ジャン=ジャック・ルソー協会年報』第10巻の匿名書評。『ネイション』第104巻、6月14日、715–16頁。
「マシュー・アーノルド」。『ネイション』第105巻、8月2日、117–21頁。(†SC:III)スチュアート・P・シャーマン著『マシュー・アーノルド――彼を知るために』の書評。
「西洋にインドを伝える」。『ネイション』第105巻、10月18日、424–28頁。(SC:X)アーナンダ・クーマラスワーミ著『ブッダと仏教の福音』の書評。
*ピエール・モーリス・マッソン著『J・J・ルソーの宗教』の書評。『モダン・フィロロジー』第15巻、1917年11月、441–46頁。
1918年
*「天才と趣味」。『ネイション』第106巻、2月7日、138–41頁。(誤植訂正の投書。同誌、2月14日、182頁。)J・E・スピンガーン著『創造的批評』に関連して。『アメリカにおける批評――その機能と地位』、ハーコート・ブレイス、ニューヨーク、1924年に再録。また一部を、L・ルイソン編『創造するアメリカ』、ハーパー、ニューヨーク、1933年に再録。
A・K・ライシャワー著『日本仏教研究』の匿名書評。『ネイション』第107巻、10月19日、450–51頁。
1919年
『ルソーとロマン主義』。ホートン・ミフリン、ボストン。xxiii+426頁。第9章を、ノーマン・フォースター編『アメリカ批評論集』、オックスフォード、1930年に再録。第10章の一部を、L・J・A・メルシエが、『ラ・ルヴュ・エブドマデール』第30年次(1921年)、268–83頁、および、同氏の『アメリカ合衆国における人文主義運動』、アシェット、パリ、1928年で意訳。
1920年
*「英語と思想の訓練」。『イングリッシュ・ジャーナル』第9巻、2月20日、61–70頁。
「ルソーと良心」。『哲学雑誌』第17巻、3月25日、186–91頁。A・シンツによる『ルソーとロマン主義』の書評(『哲学雑誌』第17巻、1920年、20–27頁)への返信。
「フランス革命の新しい歴史」。『ウィークリー・レビュー』第2巻、6月23日、653頁。ネスタ・H・ウェブスター著『フランス革命――民主主義の研究』の匿名書評。
「ロマン主義の倫理」。『アシニーアム』9月17日、375頁。M・B・フィンチおよびE・アリソン・ピアーズ著『フランス・ロマン主義の起源』の書評。
1921年
「一と多」。『ウィークリー・レビュー』第4巻、1月19日、58頁。アーサー・マクドウォール著『リアリズム――芸術と思考の研究』の匿名書評。
シャーリー・G・パターソン編、J・J・ルソー論考集『戦争状態と永久平和案』の書評。『ウィークリー・レビュー』第5巻、9月10日、237–39頁。
ランダー・マクリントック著『1849年以後のサント=ブーヴの批評理論と実践』、シカゴ、1921年の書評。『ウィークリー・レビュー』第5巻、9月17日、258–59頁。
*「中国と西洋における人文主義教育」。『中国学生月報』第17巻、12月、85–91頁。
1922年
「判断を擁護する」。『ニュー・リパブリック』第29巻、1月25日、252–53頁。H・L・メンケンらによる「批評の機能」についての共同討論(『ニュー・リパブリック』第28巻、1921年10月26日、247頁以下)への論評。
「シラーとロマン主義」。『モダン・ランゲージ・ノーツ』第37巻、5月、257–68頁。(†BC:V)A・O・ラヴジョイによる『ルソーとロマン主義』書評(『モダン・ランゲージ・ノーツ』第35巻、1920年、302–08頁)への返信。
1924年
『民主主義と指導力』。ホートン・ミフリン、ボストン。349頁。
1925年
「クローチェと流動の哲学」。『イェール・レビュー』第14巻、1月、377–81頁。(SC:IV)クローチェの『歴史――その理論と実践』『ダンテの詩』『アリオスト、シェイクスピア、コルネイユ』『ゲーテ』、クローチェの序文を付したG・ジェンティーレの『教育改革』、F・R・ピッコリの『ベネデット・クローチェ』の書評。
アンケートへの回答。『東洋からの呼びかけ』所収。エミール=ポール兄弟社、パリ、242–44頁。
1926年
『人文主義者と専門家――1926年10月、ブラウン大学マーストン語学館開館記念式典での講演』。ブラウン大学論集、第三集、プロヴィデンス。14頁。(SC:XII)
1927年
C・ブリントン著『イギリス・ロマン主義者の政治思想』の書評。『ポリティカル・サイエンス・クォータリー』第42巻、9月、441–45頁。
「ジョンソン博士と想像力」。『サウスウェスト・レビュー』第XIII巻、10月、25–35頁。(BC:III)
1928年
「批評家とアメリカの生活」。『フォーラム』第79巻、2月、161–76頁。(BC:VII)
H・マシス『西洋の擁護』の書評。『ハウンド・アンド・ホーン』第I巻、夏号、367–69頁。
「人文主義者の見方」。『フォーラム』第80巻、10月、638頁。T・S・エリオットの論文「アーヴィング・バビットの人文主義」(『フォーラム』第80巻、1928年、37–44頁)についての投書。
『フランス文学』。「目的をもって読む」第37号、アメリカ図書館協会、シカゴ。48頁。
1929年
「エリオット学長とアメリカの教育」。『フォーラム』第81巻、1月、1–10頁。(SC:XIII)
「バンダとフランスの思想」。『サタデー・レビュー・オブ・リテラチャー』第5巻、3月23日、808頁。(BC:VI)バンダ『ベルフェゴール』英訳、ペイソン・アンド・クラーク、1929年の序論としても再録。
W・リップマン著『道徳序論』の書評。『フォーラム』第82巻、7月、X、XII、XIV頁。
「コールリッジと想像力」。『ナインティーンス・センチュリー・アンド・アフター』第106巻、9月、383–98頁。(BC:IV)『ブックマン』第70巻、1929年10月、113–24頁にも、「コールリッジと近代人たち」として再録。
G・R・エリオット著『近代詩の循環』の書評。『フォーラム』第82巻、10月、XVII頁。
1930年
「私の信じること」。『フォーラム』第83巻、2月、80–87頁。(SC:XIV)『生きている哲学』、サイモン・アンド・シュスター、ニューヨーク、1931年にも再録。
「経験と教義」。『サタデー・レビュー・オブ・リテラチャー』第7巻、11月1日、287頁。ウォルター・リップマンとヒュー・アイアンソン・フォーセットへの返信。ジョン・デューイへの論評を含む。
*「人文主義――定義の試み」。ノーマン・フォースター編『人文主義とアメリカ』、ファラー・アンド・ラインハート、ニューヨーク、1930年所収。一部を『アマースト卒業生季刊誌』第XIX巻、1930年5月、157–63頁に再録。
1931年
「創造的であること」。『ブックマン』第73巻、4月、113–22頁。(BC:I)
「ワーズワースの原始主義」。『ブックマン』第74巻、9月、1–10頁。(†BC:II)
「ロマン主義と東洋」。『ブックマン』第74巻、12月、349–57頁。(BC:VIII)
1932年
『創造的であること、ほか論考』。ホートン・ミフリン、ボストン。xliv+266頁。
『民主主義社会における文体――1932年11月10日、アメリカ芸術文学アカデミー、エヴァンジェリン・ウィルバー・ブラッシュフィールド基金講演』。アカデミー刊行物、第79号、9–34頁。(SC:XI)『サタデー・レビュー・オブ・リテラチャー』第9巻、12月17日、325–26頁にも再録。
アーヴィング・バビット著作集総索引
索引
一つの主題に充てられた章全体については、その主要項目の下で内容をさらに細分していない。書誌および書誌的脚注は、批評的な論評を含む場合に限って索引に収めた。架空の人物は、その創作者の名の下に収めた。引用は、その著者名が本文に現れない場合でも、原則として著者名の下に収めた。
略号
BC:『創造的であること、ほか論考』
DH:『法句経』
DL:『民主主義と指導力』
LC:『文学とアメリカの大学』
MC:『近代フランス批評の巨匠たち』
NL:『新ラオコーン』
RR:『ルソーとロマン主義』
SC:『スペイン人の気質、ほか論考』
I.B.:アーヴィング・バビット
アベラール、RR 238
絶対者、形而上学的な幻想として、DL 14, 42–43, 169, RR 18, 371;意志との関係、DL 175–76;基準との関係、DL 306, BC xxii–xxx;インド人、エマソン、テニソン、シェレールによる論評、SC 143–44
アカデミー、フランスのアカデミーと言語、SC 36, 170–82;イギリスに同様の機関を設けることについてのジョンソンとアーノルドの見解、SC 27;アメリカのアカデミーが果たしうる役割、SC 180–82
アケーディア(精神的倦怠)、ロマン主義的な憂鬱との関係、RR 334;近代文学における、LC 176;近代人の欠点として、BC 66
アクトン卿、自由について、DL 184–85;自由・平等・恐怖政治について、DL 127;古代国家の専制について、DL 297注;暗黒時代について、DL 178;マキャヴェリとベーコンについて、DL 94;ルソーについて、DL 2, SC 225
アダムズ、チャールズ・フランシス、モンテーニュとキケロについて、LC 112
アダムズ、ヘンリー、ピューリタニズムとの関係、DL 252注;このほか、DL 231注
アダムズ、ハーバート・B、DL 305注
アダムズ、ジェイムズ・トラスロー、「ごろつきの構え」について、SC 231
アダムズ、ジョン、理性と推論の対比について、MC 244, SC 37;絶対主権について、DL v; 306, 335
アダムズ、ジョン・クインシー、マーシャルとジェファソンについて、DL 248
アディソン、機知に品位を与える、BC 43;諸芸術の混同との関係、NL 32;想像力について、RR 12, DL 13, BC 82, 176;天才と模倣について、RR 35, 37, 38;文学上のゴシップについて、MC 157;マールバラについて、RR 202注;批評について、SC 23;ドイツへの影響、SC 24;イギリス人の風変わりさについて、SC 27;ラ・ブリュイエールとの比較、SC 29, 41
アイスキュロス、宗教的な深さ、SC 93–94;運命の観念、RR 190;『プロメテウス』の自然的背景、RR 292;シェリーとの比較、RR 359;サント=ブーヴとの関係、MC 166
美学、倫理学との関係、RR 43–45, 131–33, 203–08, 238, 289, 294, BC 113;美の学問、その発展と価値、NL 217, BC 134–86各所;ドイツ人の美学への傾倒、SC 36–37;「美」「芸術」も参照
アガトン、ソルボンヌについて、MC 385注
エイキンサイド、理神論との関係、BC 41
アラルコン、旧いスペインと新しいスペインについて、SC 13
オールバニ伯爵夫人、ラ・ブリュイエールとの関係、MC 110
オルドリッチ、E・A、ビーティーとワーズワースについて、BC 45注
アレクサンドロス大王、サン=テヴルモンによる論評、DL 139;このほか、MC 215, SC 161
アレクサンドリア時代、その原始主義、RR 77;その時代のロマンスとリアリズム、RR 104注
寓意、新古典主義の詩における、NL 22, RR 294;「象徴主義」も参照
アレン、グラント、自然について、RR 299注
アルトジウス、人民主権について、DL 58
利他主義、正義との関係、DL 196–202;権力への意志との関係、DL 134, SC 231–33;ロマン主義的道徳における利己主義との関係、RR 114–219各所;古代中国における、RR 397, DL 151注
アメリカ、生活と文学の現代的傾向、BC 201–34, SC 44, 60–65, 244–47;道徳的印象主義、SC 144–46;ヨーロッパからの遅ればせの借用、BC 32–33, 221–23;批評の基準、MC 377–78;思考より行動を好む、LC 1;意志についてのヨーロッパとの比較、DL 294;慈善をめぐる空疎な美辞麗句、LC 69–71;似非理想主義、DP 113;専門化の崇拝、LC 22, SC 188–91;実利主義の行き過ぎ、SC 43;良書の需要の減少、LC 208–09;実りのない詮索好き、SC 11;その落ち着きのなさについてのラスキンの論評、SC 147;歴史的な遠近感の欠如、LC 110, 166–67, 170;紳士との関係、SC 230–31;余暇の軽視、LC 261–63;教育との関係、LC各所, SC 244–45;教育およびC・W・エリオットとの関係、SC 198–224各所、とくに199;教育の仕組みへの信頼、LC 2, SC 11;学部教育におけるイギリスとの関係、LC 208;大学院教育におけるドイツとの関係、LC 208;ヨーロッパから見たアメリカの学問、LC 161;アメリカのアカデミーとの関係、SC 180–82;民主主義の諸問題との関係、DL 240–317各所;アメリカの立憲民主主義、LC 83注;退廃的な帝国主義、LC 66–67, DL 19–20;退廃期のローマとの関係、DL 270–71, SC 62, 85–87;政治的・経済的平等、DL 204–05;マキャヴェリと「百パーセント・アメリカ主義」、DL 40;古くからの住民層の出生率低下、DL 210;ニューイングランドの民主主義についてのエマソンの論評、RR 111;レーナウのピッツバーグのアルカディア、RR 91;シャトーブリアンのアルカディア、RR 91, 228;アメリカ主義についてのシェレールの論評、MC 208;アメリカとポーについてのボードレールの論評、RR 321–22;アーノルドとの関係、SC 48, 60–65;外国からの評価、LC 81, BC 231–32, 238, DP 67, 117, SC 174, 177, 208–09, 220–21;南アメリカからの評価、BC 233;スペインの学ぶべき手本として、SC 15;東洋との関係、DL 152, BC 238, 244–45;インドとの関係、SC 144–49;A・ジークフリート、チャールズ・マーズ、シャーウッド・アンダーソンによる論評、SC 216–18
アメリカ大学教授協会、教育の現代的傾向について、BC 224
アメリカ合衆国憲法、モンテスキューの影響、DL 63;連邦統合を重んじる伝統との関係、DL 246–50;人道主義的な法律主義との関係、DL 50–54;ルソー主義者による攻撃、LC 83注;教育との関係、DL 305;主権の観念との関係、DL 306–07;ブリュンティエールによる論評、MC 334
アマースト、MC 385
アミエル、幻影に対する感覚、MC 391;宇宙的な夢想、RR 315;イギリスの紳士について、LC 12;ラ・フォンテーヌについて、MC 52注;ルソーについて、RR 165, SC 105;その形而上学についてのシェレールとアーノルドの論評、MC 197–98;その主観性についてのルナンの論評、MC 287
アンミアヌス・マルケリヌス、LC 152
アンペール、J=J、アンペールとニザールについてのサント=ブーヴの論評、MC 194–95, 172
分析、感情との関係、NL 205–08, 216;想像力との関係、RR 199–201, 217–18, 373–79, 386–87, DL 232–33, BC xxx;神秘主義との関係、DL 163, DP 72–73, 106–08
アーナンダ、DP 101
アナクサゴラス、西洋の合理主義との関係、DP 81
古代人と近代人、新旧論争、LC 181–95;現代教育における対立、LC 195–214;進歩の観念との関係、RR 64;伝統との関係、RR 177–78;シャトーブリアンによる論評、MC 65注;サント=ブーヴによる論評、MC 144;「古典」も参照
アンダーソン、シャーウッド、アメリカ文学にふさわしい粗野さについて、BC 218;画一化について、SC 218
アンジェリック修道院長、死について、RR 123, SC 78
アン女王、サッカレーによる論評、MC 159
ダヌンツィオ、退廃派として、SC 17
聖アンセルムス、DL 178
聖アントニウス、LC 256
人類学、人文主義との関係、LC 30
『アンチ・ジャコバン』、ルソーについて、RR 143注
アンティステネス、自然と慣習について、RR 244–45
ロドスのアポロニオス、アレクサンドリアのロマン主義との関係、RR 104注
アプレイウス、幼稚な驚きの趣向、NL 73
トマス・アクィナス、知性と意志について、DL 320;古典研究における位置、LC 169;批判精神との関係、RR 112;アリストテレスとの関係、DL 30;朱熹との比較、DL 164;マリタンとの関係、BC 188;このほか、MC 188, 317, RR 101, DL 2, SC 139, 225
『アラビアン・ナイト』、責任に縛られないその虚構、BC 118–19
アラゴー、RR 344注
建築、ロマン主義の芸術理論における、NL 61–62;建築における形式と表現、NL 233–35;自然美との関係、BC 177
アレティーノ、日没について、BC 113;このほか、SC 115
アリオスト、アリオストとホメロスについてのレッシングの論評、NL 49, 152;新古典主義批評におけるタッソとの関係、NL 192;アリオストと中世についてのF・シュレーゲルの論評、RR 264;このほか、NL 30注
貴族制、人文主義との関係、LC 5–12, 17;教育との関係、LC 104–06;文芸批評との関係、MC 352–55;新古典主義の演劇における、RR 124–25;倫理的な働きとの関係、DL 202–03;議会政治との関係、DL 61–62;バークによる擁護、DL 104–05, 107–08, SC 177–78
アリストファネス、ティークとの関係、RR 243;ソクラテスについて、MC 346, DL 149, SC 39;渦巻きの神について、RR 181, DL 148 49;キーブルによる論評、RR 285
アリストテレス、バビットによる捉え方、RR xxi–xxiii, 15–16, DL 273–74, SC 54–55;正当な自然主義、MC 381;模範的な人文主義、SC 81–83;霊感に満ちた良識、SC 205–06;文芸批評における権威、RR 355, BC 118;理想の読者、MC 352注;詩の定義、RR 237, BC 221;詩と歴史について、RR 354, SC 70;詩の韻律について、NL 13;普遍的なものの模倣について、LC 219, NL 9–10, RR 15–19, 202, BC 11–14, 20–21, 103–04;驚異的なものについて、NL 110;詩における蓋然性について、NL 110, RR 4, BC 129;想像力と虚構について、RR xv注, BC 83–84, 91, 93;虚構と行動について、BC 89–90;悲劇の筋について、NL 246;悲劇の発展について、NL 215–16;悲劇固有の快について、NL 248, BC 20–21;比例としての美について、RR 205注;ホメロスの非個人性について、NL 115, RR 310, BC 83–84;政治思想における権威、DL 31–32;『政治学』の現代性、MC 25, DL 150–51;ギリシアの伝統の危機との関係、DL 149;不十分な自由の観念、DL 31–32, 92;民主主義と自由について、DL 117, BC 206;家父長的統治について、DL 54;私有財産について、DL v;物質的平等について、DL 204, 205;肉体労働と徳について、DL 213;政治的動物としての人間について、DL 44, 46;指導力について、DL 35;識別力に乏しい多数者について、RR 390, DL 83;無秩序を好むことについて、RR 24, 389, DL 308;悪への傾きについて、DL 276;統治の倫理的基礎について、DL 27, 64, 70;教育と統治について、DL 302, SC 60;習慣について、RR 385–86, DL 299;生来の傾向について、RR 329, SC 210–11;徳と努力について、MC 371–72;正義の定義、DL 198–99;不正と分裂について、DL 309;友情の観念と中国の仁、DL 151注;余暇について、LC 249, 250, BC 229, SC 224;活動としての観照について、RR 349;幸福について、RR 330, 372, DL 209, SC 162–63;賢明な自己利益について、DL 213–14, DP 103, SC 158;目的の優位について、NL 45, 76, 195, DL 78, BC v, xi, 97;デコルムについて、RR 33;節度の法則について、LC 25注, RR 222, 381–82, DL 301;無限について、RR 253–54, BC 140, SC 160;知性と直観について、MC 51–52, RR 29, 161, 171;不動の動者について、NL 228–29, RR 160–61, 254, BC xxxi–xxxii, xxxv;形相としての神について、RR 148;科学的な関心、RR 363, DL 258–59;ダーウィンによる称賛、DL 164;中世とルネサンスにおける評価、DL 30, RR xxi–xxii;中世における彼の余暇の観念、LC 253;知性と意志に関する中世の教説との関係、DL 320;『詩学』の影響、NL 4–19, SC 95–96;新古典主義批評における、LC 215, 216, 220, NL 66;ボワローへの影響、NL 4;ホッブズの心理学への影響、RR 12注;レッシングの『ラオコーン』への影響、NL 37–40, 43–45, 190;コールリッジへの影響、BC 108–10;高等教育における位置、LC 141, 169, 206–07;その雄弁についてのキケロの論評、RR xxi注;ベーコンによる批判、LC 253;ブレイクによる批判、RR 47;A・W・シュレーゲルによる批判、NL 85–86;その論理と芸術の結びつきについてのニューマンの論評、NL 39;高い真剣さについてのアーノルドとの関係、SC 53;クローチェによる否定、NL 224;メアリー・コラムによる論評、BC 2;アリストテレスとルソーについてのレベッカ・ウェストの論評、BC 24;プラトンとの比較、NL 87–88;ブッダとの比較、RR xix, xxi, 343, DP 73, SC 153, 168;孔子との比較、RR xix, xxi, DL 34, 163–65, BC xvi, SC 203;ルソーとの比較、NL 66–67;ベルクソンとの比較、MC 54;このほか、MC 126, 227, 303, 365, RR 365, 374, DL 2, BC 7, 54, SC 225, 244
アルノー、サント=ブーヴによる論評、MC 154
アーノルド、その人物像と議論、SC 48–65;シェレールとの関係、MC 198–99, 201;セナンクールとの関係、MC 199;テニソンとの比較、MC 199;ロマン主義的な幻滅、MC 199, RR 323;ジュベール論、MC 35;『エンペドクレス』、RR 325;『ドーヴァーの海辺』とサント=ブーヴ、MC 104;「高い真剣さ」についてのゲーテとの関係、BC 12;宗教の定義、DL 160, DP 100;イエスについて、MC 272–73;東洋と西洋について、BC 239, DP 67–68;教養について、BC 1, 60;人間と自然について、LC 97, NL 95;精神の光について、MC 362;真理について、SC 126;情念と理性について、NL 64;苦痛を和らげるものとしての行動について、SC 13;近代精神について、RR xi;十九世紀の悲観主義について、RR 308;「象のように鈍重な本隊」について、NL 241;アングロサクソンの仕組みへの信頼について、LC 153;イギリスのアカデミーについて、SC 27;アメリカの高尚さの欠如について、SC 177;アメリカのジャーナリズムについて、DL 243;アメリカにおける批評の必要について、DL 281;詩のジャンルについて、NL 249;古典精神について、LC 174;ギリシア語の今日的価値について、LC 179;ギリシア詩の想像力と理性について、BC 143;ソクラテスについて、MC 387注;ソフォクレスについて、LC 23;レッシングの『ラオコーン』について、NL 44–45;フランスについて、MC vii;サント=ブーヴと批評について、同所, SC 23;ラ・フォンテーヌについて、MC 52注;シャトーブリアンについて、NL 142;ジョルジュ・サンドについて、123;モーリス・ド・ゲランについて、RR 281;アミエルの形而上学について、MC 197;シェレールのゲーテ論・ミルトン論との関係、MC 213;シェイクスピアについて、LC 57, MC 248;アディソンとラ・ブリュイエールについて、SC 29;イギリス・ロマン主義の時期尚早な創造性について、BC 131;ワーズワースについて、NL 81, MC 357, RR 351, BC 57–58, 67, 68;バイロンについて、BC 66;キーツの『イザベラ』について、NL 130;エマソンについて、DP 79;このほか、MC 66注, RR 315注
芸術、新古典主義とロマン主義の芸術理論、NL各所;美的価値と倫理的価値、NL 227, RR 201–17;一なるものとの関係、NL 216, RR 18–19;霊感との関係、BC 6–11;宗教との関係、BC 145–46, DP 117;デコルムとの関係、RR 33;技巧との関係、BC 220–22;独創性との関係、LC 219–20, RR 61;進歩との関係、RR 64;指導力との関係、DL 259;公衆との関係、RR 87–90;気晴らしのための芸術、RR 208–09, 354, BC 20–21, NL 110;芸術のための芸術、RR 213, 341, BC 170–73;これについてのルソーの見解、RR 165, 205;これについてのジョルジュ・サンドとフローベールの見解、SC 128–35;芸術の遊戯説、RR 42–43, BC 134–86、とくに147–58;ベルクソンの「弱められた催眠」、NL 129–30, MC 341;芸術における想像力と理性、NL 100–03, 223, 244, RR 353–54;芸術における形式と表現、NL 217–52、とくに231;十九世紀の芸術宗教、RR 340;ロマン主義による芸術の信用失墜、NL 243–44;芸術とアラベスクについてのドイツ・ロマン派の見解、BC 17;芸術と科学についてのテーヌの見解、MC 240–42;歴史との関係、MC 249;クローチェによるロマン主義的な芸術の定義、SC 68–71
禁欲主義、ヒンドゥー教の分別を欠く実践、DL 175;ブッダによる否定、DP 71
アジア、ヨーロッパとの関係、DL 152–85, BC 238–39, 260;分岐する諸文化、BC 237;文明的なアジアと野蛮なアジア、DL 158;ナショナリズムと国際主義、BC 260;キリスト教との関係、同所;「東洋」も参照
アショーカ、その聖性の理想、DL 159–60, BC 250, DP 102, SC 161–63, 202–03, 207;寛容の精神、DP 70;精神的な力、DP 91–92;平和主義、DP 111
アスキス夫人、イギリスの貴族階級について、DL 203
アスキス卿、「理想主義的」自由主義、DL 289
ロバ、古典文学とロマン主義文学における、RR 144–46
運動競技、倫理的価値、LC 94–95
アッティラ、DL 158
アウグスティヌス、精神的ロマン主義、MC 367, SC 83;プラトンとの比較、DL 30, 31, 176;歴史哲学、DL 21;恩寵の教説との関係、MC 370注, RR 116, DL 176–77, 188, SC 77;意志と知性について、DL 319–20, DP 86;神における平安について、RR 252;奇跡について、DP 78;ロマン主義的恋愛との関係、RR 224;人道主義との関係、LC 11;ペトラルカとの関係、RR 273;N・P・ウィリアムズによる精神分析、SC 236;このほか、MC 167, RR 213, 304, DL 2, SC 225
オースティン、ジョン、主権について、DL 334注
アヴェロエス、LC 169
畏敬、驚異との関係、RR 49–51, 148, 168, 304, 365, DL 107;より高い意志との関係、DL 163, BC 209
ベーコン、フランシス、実利主義的自然主義との関係、LC 32–71各所, RR xxi, DL 115, SC 42, 229;近代的性格、LC 38–39;その思想における人文主義とキリスト教、LC 40–41;進歩の観念との関係、LC 33–45;科学における協力について、SC 14;自然の征服との関係、LC 33;近代科学との関係、MC 236, RR 119, DL 143;科学的方法の欠陥、LC 37–38, DL 259;専門化との関係、SC 184;教育との関係、LC 41–46, 54–55;イギリス哲学との関係、DL 113;実利主義的倫理との関係、DL 159, 291;慈善の称揚、LC 61注;マキャヴェリへの敬意、DL 94, 314;啓蒙主義との関係、RR 26;ディドロへの影響、RR 122;労働についての皮相な観念、DL 191, 197;アリストテレスの余暇論への批判、LC 252–53;アリストテレスの誤解、DL 30;言葉の玩具としてのアリストテレスについて、DL 192;文献学について、LC 125;信仰と理性について、DL 321;想像力・理性・感情について、NL 102–03;奇異さと美についてのポーとの関係、RR 63;芸術の遊戯説の先取り、BC 155;ディドロへの影響、SC 107;マコーリーのベーコン論、LC 38–40, 49, DL 103;このほか、LC 49, 116, MC 337, SC 115
ベーコン、ロジャー、その経験論、RR 26, DL 113
バジョット、ウォルター、その経済学、LC 145;イギリス人の愚鈍さについて、LC 86, DL 106–07, SC 39;似非独創性について、LC 231;独りよがりとフランス革命について、RR 25;科学の天才について、RR 41;女性と芸術について、RR 159;ハートリー・コールリッジについて、RR 231注;ロマン主義的理想主義について、RR 377
バルザック、ギュエズ・ド、近代散文との関係、SC 75;ロンサールについて、RR 11;ボワローによる論評、同所;サント=ブーヴによる論評、MC 154
バルザック、オノレ・ド、批評家の試金石として、MC 332;支配的情念の理論、MC 181, 333;逆転した理想主義、RR 106–07;力の崇拝、RR 192–93;専門語彙、RR 58;コスモポリタニズムについて、MC 29;ディドロとの関係、SC 117–18;スコットとの関係、SC 41–42;サント=ブーヴとの関係、MC 137;その関係についてのブリュンティエールの論評、MC 332;ナポレオン主義についてのサント=ブーヴの論評、MC 50;虚栄心についての同人の論評、MC 107;決定論についての同人の論評、MC 179, 181–82;テーヌによる崇拝、MC 181, 220–23, 229, 306;ブリュンティエールによる研究、MC 301;L・スティーヴンによる論評、RR 107, SC 119;このほか、SC 121
野蛮、文明との関係、DL 2–4
バーボールド夫人、コールリッジの怠惰について、RR 154;『老水夫の歌』について、BC 119, 129
バルブ、ユスタシュ、サント=ブーヴとの関係、MC 103–04
バルベー・ドールヴィイ、批評家として、MC 396;ロマン主義的郷愁、RR 92;「悪魔的」カトリシズム、RR 324
バルビゾン派の絵画、RR 290
バリーヌ、アルヴェード、ロマン主義的描写について、NL 141注
バーカー、アーネスト、十字軍について、DL 286注
バレス、モーリス、自我の哲学、MC 291;反動的ナショナリズム、MC 368注
バリー、ジェームズ、NL 206
バートン、ブルース、キリストについて、BC 258, DP 115
バッシュ、ヴィクトール、シラーの美学について、BC 138;カントの美学について、BC 142
バトー神父、詩における模倣について、NL 9, 14–15, 17;原始主義的芸術について、NL 15;詩の彩色について、NL 23注;絵画的幻覚について、NL 77注;クローチェとの比較、NL 226
ボードレール、激しい主観性、LC 173;病的な奇矯さ、LC 229;悪魔を気取る姿勢、RR 319;道徳的孤独、RR 332;倦怠について、RR 251;芸術のための芸術の崇拝、BC 172;ピューリタニズムと美について、BC 176;グリゼットへの賛歌、RR 222;「崇高」という語の乱用、BC 184;香りと無限について、NL 112;『万物照応』、NL 133, 177;純粋芸術とジャンルの混交、BC 174–75;『小散文詩』についてのゴーティエの論評、NL 158–59;ワーグナーとの出会い、NL 177–78;ポーへの関心、NL 179, RR 63, 230;ポーとアメリカについて、RR 321–22;エジソンとの比較、RR 350;キプリングとの比較、NL 172注;コールリッジによる先取り、BC 125;サント=ブーヴによる先取り、MC 118–19;シェレールによる批判、MC 209–11, 212;ユイスマンスへの影響、NL 178;ブールジェへの影響、LC 172;A・フランスによる論評、RR 324注;このほか、SC 192
バウムガルテン、その『美学』、BC 140
バックス、E・B、マラーの名誉回復、LC 235–36
ベール、サント=ブーヴとの関係、MC 112, 121–26, 131–32;寛容との関係、RR 114;学識、NL 43;A・フランスによる論評、MC 316
ビーチ、J・W、ワーズワースとブッダについて、BC 66
ビーティー、ジェームズ、ワーズワースへの影響、BC 45
ビーティー、アーサー、ワーズワースについて、BC 42, 56
ボーマルシェ、古典的なものと野蛮なものを同一視する、RR 2;シラーの『群盗』との関係、BC 135
ボーモン夫人、MC 43
ボーモントとフレッチャー、ライマーによる非難、LC 221
ボーピュイ、ミシェル、ワーズワースへの影響、BC 47
美しい魂、ロマン主義的道徳における、RR 131–35;ルソーによる論評、RR 131–32;シラーによる論評、RR 132注;ドイツにおける、RR 132;ルナンによる論評、RR 133–34;自然主義的宿命論との関係、RR 187
美、その知覚と定義、BC 142, 175–79;崇高との関係、BC 180–81;リアリズムとの関係、BC 218;倫理との関係、RR 133, 341, BC 139–41;奉仕との関係、BC 172–73;古典主義・新古典主義・ロマン主義における美の観念、NL 46–47, 217–26, 238, 240, RR 56, 63–64, 205–08, BC 150–51, 156–57;「美学」も参照
ベックフォード、RR 151
ベートーヴェン、ルソーとの関係、NL 164;『田園交響曲』の音による絵画、NL 165;その音楽を色彩で描いた絵、NL 173;テーヌとの関係、MC 234;クリンガー作のベートーヴェン像、NL 134注
行動主義、精神分析および仏教との関係、DP 118–19;倫理の堕落をもたらす作用、DL 229–30, SC 235;自由意志との関係、DL 329–30, BC xxiv;似非科学との関係、BC 215–16
デ・ベッカー、L・J、ルソーと色聴について、NL 173
デュ・ベレー、ジョアシャン、SC 24
バンダ、ジュリアン、その人物像と議論、BC 187–200;アメリカとの関係、BC 222;このほか、BC vii, xxxix
ベンサム、実証主義者かつ俗物として、SC 42;このほか、DL 296注
ベントリー、LC 154
『ベーオウルフ』、英語・英文学研究との関係、LC 201
ベランジェ、サント=ブーヴの宗教心について、MC 104–05;ナポレオンについて、DL 140;ルナンによる擁護と批判、MC 173, 279;ベランジェとルナンについてのサント=ブーヴの論評、MC 173
ベルクソン、一と多について、MC viii–x, 53–56, 252–53, RR xiii;新たなプロタゴラスとして、MC 382–83;渦巻きの神の信奉者、RR 186;流動についてのブッダとの比較、DL 169, DP 77–78, SC 156–57;分析への批判、RR 1, 167, DL 162;蒙昧主義、DL 183, SC 74, 241;理性以下の直観、MC 388, RR 200;美的直観について、MC 375;弱められた催眠としての芸術について、NL 129, MC 341;生命と新しさについて、RR xii, 301, 366, SC 54;生命の無目的性について、RR 372;時間と幸福について、RR 281;偽りの精神性、RR 364;衝動の賛美、NL 212–13, MC 231, RR 147, 300;生命の躍動と帝国主義、DL 17–18, 328–29, SC 71–72;生命の躍動と道徳的努力、DL 229;生命の躍動とヨーガ、BC 251;ドイツ・ロマン主義哲学者との関係、NL 212–13, RR 295;パスカルとデカルトについて、RR 200;バンダによる批判、BC 189–95;このほか、DL 224
バークリーの観念論、倫理性を欠くこと、DL 230
ベルリン大学、LC 160
ベルリオーズ、表現と構成、NL 165–68;『レクイエム』、RR 211;同作についてのダンロイターの論評、NL 166;標題音楽についてのダンロイターの論評、NL 160;激烈な個人主義、RR 79, 112;狂乱の噴出、RR 215;衝動性、RR 162–63
聖ベルナール、その活力、BC 113;このほか、DL 178注
バーンバウム、アーネスト、ロマン主義運動について、BC 34–35
ベルニーニ、諸芸術の混同、NL 58注
ベルトロ、マルスラン、ブリュンティエールとの関係、MC 306, 309;このほか、MC 275, 287
ベルトロ、ルネ、プラグマティズムについて、RR 350注;個人主義について、SC 6
ベルタン、アントワーヌ、イギリス式庭園とフランス式庭園について、RR 275注
ベルタン、エドゥアール、テーヌによる論評、NL 148, MC 242
ベヴァリッジ、A・J、その『マーシャル伝』、DL 337–38
バルトリハリ、インドとの関係、SC 141–52各所
『バガヴァッド・ギーター』、その牧歌的な口絵、DL 80
聖書、新聞の漫画付録との関係、LC 64;新約聖書の倫理的逆説、RR 246;牧歌的要素、DL 80;ロゴスについての第四福音書の記述、DL 171;子供についての新約聖書の記述、RR 52;激しい者たちについての新約聖書の記述、SC 135;自然の驚異について、RR 304;旧約聖書についてのアディソンの論評、RR 38;ヨセフの物語についてのシャトーブリアンの論評、MC 66;アーノルドと山上の説教、MC 199;ルナンと『コヘレトの言葉』、MC 258, 268;ルナンと『黙示録』、MC 273;『創世記』についてのルナンの論評、MC 274;このほか、LC 248, MC 274, RR 115, DL 29, 31, 43, 196, 215, 224, 284, 285, 286, 288–89, 291, 316, BC xxiv, 252, 259, DP 71, 88, 99
生物学、倫理との関係、DL 244–45
ビスマルク、MC 27, DL 41
ブレイク、神秘主義、RR 254–56, DP 105;ブッダとの比較、RR 152, SC 151, 152, 153;拡張的な倫理、SC 154, 160;倫理的混乱、RR 94;共感と力の崇拝、RR 196–97;性格についてのアリストテレスとの対立、RR 47;有限なものへの反対、RR 168, 242;驚異の再生との関係、NL 81;象徴的な幻視、RR 297;天才の孤立について、RR 327注
青い花、ロマン主義的恋愛との関係、RR 225–26
ブリュームナー、H、レッシングの『ラオコーン』について、NL viii, 52–53
ボッカッチョ、アーノルドによる論評、NL 130–31;このほか、LC 123
ベックリン、諸芸術の混同との関係、NL 162
ボードマー、シラーによる論評、BC 164
ベーメ、新プラトン主義的神秘主義、DP 105;無限の多様性について、RR 46;ブレイクとゲーテへの影響、RR 254–55;ロー、バイロム、ブルックへの影響、RR 258;ブッダとの比較、SC 151, 152
ブールハーフェ、DL 324注
ボワロー、現代の批評家の模範として、MC 379–81;その時代との関係、SC 26;批評的直観、SC 35;批評への情熱、SC 36;規則より趣味を上位に置く、NL 40–41, RR 20;直観的な良識、MC 254;自然の観念、RR 16, 268;慣習への敬意、RR 87;文学ジャンルの固定性について、NL 190;演劇の規則、SC 96;天才について、RR 66;ありそうなものと驚異的なものについて、NL 73;真と美について、NL 76;キリスト教と詩について、MC 65, BC 85, SC 92;神話について、RR 21, BC 85;知的ロマン主義への批判、RR 76;十七世紀のロマンスへの批判、RR 5;描写詩への嘲笑、NL 30;人間と文学について、SC 191;格言となった詩句、MC 24;アリストテレスとホラティウスの影響、NL 4注;ロンギノスの翻訳、NL 41, 63, SC 176;ルイ十四世との関係、MC 338, SC 22;ラシーヌとソフォクレスについて、SC 91;シャプランへの批判、NL 42;G・ド・バルザックへの批判、RR 11;デカルトと詩について、RR 27;ペローについてのサント=ブーヴとの比較、LC 215;ボワローに対するサント=ブーヴの態度、MC 126–27, 340;その影響についての同人の論評、MC 182–83;ボワローと第一帝政期の批評家についての同人の論評、MC 389;それぞれの同時代人についてのボワローとサント=ブーヴの論評、MC 137;ニザールによる称揚、MC 88–89;その非幾何学的な理性についてのニザールの論評、MC 93;ボワローとその時代についてのテーヌの論評、MC 228–29;ボワローとロベスピエールについてのテーヌの論評、MC 244;ブリュンティエールとの比較、MC 303;ジョンソンとの比較、SC 30;セインツベリーによる論評、SC 21–22;このほか、NL 156注, MC 63注, 172, 325; DL 277, BC 169
ボワシエ、文芸批評家として、MC 397;人文主義について、LC 5;このほか、LC 133, SC 36
ボルシェヴィズム、文明の根幹を揺るがす、DL 186;ツァーリズムとの関係、DL 221;アジア的要素とヨーロッパ的要素、BC 259
聖ボナヴェントゥラ、感覚を超えた神の認識について、BC 78, 102, 106;このほか、LC 169
ボルジア、チェーザレ、マキャヴェリによる論評、DL 39
ボルジア家、名誉回復、LC 235
ボロー、ジョージ、スペインの素朴な徳について、SC 17
ボザンケ、余暇について、LC 250–51
ボシュエ、歴史哲学、DL 21;摂理の観念、DL 67;政治理論、DL 55–58, 60, 65;ブルートゥスについて、自由の称賛、LC 66;人を殺す憐れみについて、DL 219;イエズス会的な規律の弛緩について、DL 187, 277;神秘主義について、DL 260, DP 104;人間の悪意について、DL 276;良識の主権について、RR v, 392;誇張された真理について、DL 301;倦怠について、RR 251;ジュベールによる論評、MC 57;シャトーブリアンによる論評、MC 74;ニザールによる論評、MC 89;ボシュエとヴォルテールについてのサント=ブーヴの論評、MC 93;ボシュエとその時代についてのテーヌの論評、MC 229;ブリュンティエールの文体の模範として、MC 304;ボシュエとブリュンティエールについてのヴォギュエの論評、MC 330–31;このほか、NL 222, RR 304注
ボズウェル、MC 349, RR 356, SC 35
ブフレール夫人、ルソーについて、RR 129
ブウール神父、ドイツ人の機知について、MC 348;優美さについて、BC 9
ブールジェ、文芸批評家として、MC 397;反動的ナショナリズム、MC 368注;若いころのスタンダールとボードレールの読書について、LC 172;テーヌとの関係、MC 239, 343–44;ディレッタント主義について、MC 288–89;ロマン主義的幻滅について、RR xvi;科学的決定論とロマン主義的憂鬱について、RR 343注;バルザックについて、SC 41
ブルソー、独創性について、LC 21
ブートルー、E、戦争の前触れとしての平和主義について、DL 131–32;ゲーテとドイツ帝国主義について、SC 152
ボウルズ、サミュエル、RR 101
ブラフマ、DP 79
ブランデス、ティークについて、NL 157注;このほか、RR 399
ブラントーム、SC 187
ブレモン神父、純粋詩について、BC 124–25, 174
ブルーワー判事、商業における愛の法則について、LC 65
ブリッグズ、L・B・R、運動競技について、LC 94
ブルック、ヘンリー、ベーメ・ルソー・ウェスレーの影響、RR 258
ブルックス、フィリップス、LC 175
ブロセット、タヴェルニエについて、LC 216
ブラウン、サー・トマス、人間のうちなる神的なものについて、NL 95, MC 310, RR 286
ブラウネル、W・C、エマソンの謙虚さの欠如について、DL 167注, DP 79;「生意気な」エマソンの信奉者について、MC 355;ホーソーンの薄明的な象徴主義について、RR 67;「独自性」について、BC 6;「襟をはだけた」解放について、BC 208;アーノルドについて、SC 48;文体についてのビュフォンとの比較、SC 170–71
ブラウニング、倫理的混乱、RR 211–13;『最高善』、RR 216–17, 234;偽りの精神性、RR 287;強健な快楽主義、RR 307;失われた指導者としてのワーズワースについて、RR 249, BC 64;このほか、RR 236注
ブリュンティエール、その人物像と議論、MC 298–337;趣味における禁欲主義、MC 350;論理的な古典主義、RR 28;不十分な人文主義の定義、LC 8–9;文学上のダーウィニズム、NL 215;研究への批判、LC 139, MC 85, 141;近年のフランス批評への影響、MC 381;ニザールとの比較、MC 87, 88, 89, 94;モリエールについてのシェレールとの比較、MC 191注;カトリシズムとの関係、SC 145–46
ブライアン、W・J、大衆的な弁論家として、DL 240;「比類なき指導者」として、DL 282;銀の自由鋳造運動、DL 285
ブライス、アメリカの生活のテンポについて、LC 252;ニュージーランドの俗悪さについて、DL 241
バッキンガム、ル・ボシュとホメロスについて、NL 242–43
ブッダ、その人物像と議論、DP x, 65–121, SC 150–69;今日における権威、DL 195, 273–74;東洋人の究極の姿として、BC 241, 260–61, RR xix;孔子・老子との比較、BC 253;キリストとの比較、DL 158–63, BC 54, DP 73;アリストテレスとの比較、RR xxi, DP 73;ショーペンハウアー・ブレイクとの比較、RR 148–53;プラトン・ベルクソンとの比較、DL 168–70;ジュベール・ベルクソンとの比較、MC 55;個人主義、RR xx, 370, DL 36, BC xxxvi–xxxvii;洗練された穏やかさ、RR 381, DP 71, 82–83;極端を野蛮とみなす、LC 24;実証的かつ批判的な信仰、DL 32–33;謙虚さと自立を結びつける、DL 184, 194;活力、BC 113;自己鍛錬、RR 372–73;道徳的怠惰について、LC 53注, RR 367;活動としての観照について、RR 349;内的行動と外的行動について、BC 255–56;放棄と平安について、BC 257;高貴な欲求と卑しい欲求について、SC 214;働きの観念、DL 194–95, 199, 202, 222;幸福と働きについて、RR 343, DL 209, BC 66–67;賢明な自己利益の是認、DL 213–14;うぬぼれと怠惰について、BC 128;政治談義への反対、BC 252;知識と省察について、LC 162;思議を超えたものとしての業について、MC 369–71;働きとしての業について、DL 194;法の観念、DL 67注;偏狭さについての寓話、DP 70–71;中国で蛮人と呼ばれる、BC 236–37, DP 66;鴨長明による論評、RR 272注;P・E・モアによる論評、BC xxxiii;生命保険会社による論評、SC 209;このほか、DL 275, BC 248–49
仏教、ロマン主義との関係、RR 148–53, BC 241, 249–61, DP 74–75;キリスト教との関係、DL 159–63, BC xxiv, xxxii–xxxvii, xxxix–xl, SC 202–03, 209;その関係についてのチェスタトンの論評、DP 99;観念論との関係、DL 225–26;奉仕の観念との関係、BC 173;幸福主義、DP 103–04;行動より瞑想を重んじる、LC 253;放棄について、SC 237–38;自己克服について、LC 56–57;宗教的平安について、SC 56;怠惰について、MC 349, RR 333;陶酔について、RR 182, BC 248;マーヤーについてのヒンドゥー教との比較、BC xxiii–xxiv, DP 90;新たな入門者への問い、LC 232;パーリ語聖典のユーモア、DP 71, 79;煩瑣な教学、DP 73;アショーカによる保護、DP 70;地域的要素と普遍的要素、RR 176;その諸変種、BC 253–54, DP 74, 89–91, 102, 117;政治的傾向と後代の展開、DL 33;チベットにおける、DL 33, 275, DP 69;ビルマにおける、DL 275, BC 248–49, DP 69, 75–76;中国と日本における、LC 155, DL 275, BC 236–37, 254, DP 69, 90;禅仏教と道教、RR 397, BC 254;今日の衰退、DP 116–17;仏教とショーペンハウアーについてのブリュンティエールの論評、MC 310–11;テーヌとルナンによる論評、MC 277;アメリカの表面的な関心、SC 147–48
ブルワー=リットン、その奇矯さ、RR 62
バニヤン、罪人の筆頭として、RR 133
バーク、政治思想、DL 97–116;自由な統治について、LC 72;内的統制と外的統制について、DL 251;財産と自由について、DL 272;イギリスの自由の観念との関係、NL 195, DL 331;国家の観念、DL 141;想像力に富む保守主義、DL 69;保守主義の弱点、DL 157;偏見の知恵について、LC 86;急進派と保守派について、SC 39;模範の力について、DL 199;紳士とキリスト教徒について、SC 230;謙虚さについて、RR 380, DL 166, 258, SC 204;共感について、RR 142–43;個人主義について、LC 94, MC 360;資質による自然な貴族について、DL 202, SC 177–78;階級的な正義について、DL 125–26;啓蒙主義の精神的暗黒について、DL 178;ルソーの謙虚さの欠如について、RR 127–28;ルソーとフランス革命について、DL 96;ナポレオンの予見、DL 127–28;フランス革命についてのコールリッジとの比較、DL 221注;アメリカ合衆国憲法との関係、DL 246;技巧と自然について、DL 293;美学理論、BC 140, 141;同理論のドイツへの影響、SC 24;崇高について、BC 180–83;ジョンソンとの関係、MC 339;このほか、LC 66, 219, MC 347, RR 147, 346, 367, DL v, 22, 207, 262, BC xliii
ビルマ、仏教、DL 33, DP 69;ロマン主義的なビルマと現実のビルマ、BC 247–49, DP 75–76
ビュルヌフ、ウジェーヌ、仏教との関係、DP 74
バーンズ、RR 229, MC 302
ブッチャー、S・H、その人文主義、LC 133, 147;イギリスとアテネの貴族階級について、LC 12
バトラー、ニコラス・マレー、二年制の大学課程について、LC 209注
バトラー、サミュエル、『ヒューディブラス』からの引用、SC 28
バイロム、ジョン、熱狂について、RR 257;ローとベーメの影響、RR 258
バイロン、ロマン主義的な巨人的反抗、RR 318–19;悲嘆の誇示、LC 226, RR 322;それについてのアーノルドの論評、RR 308–09;芝居がかった性格、RR 54;宗教的反逆、RR 324;人間と自然について、RR 269, 279–80;自由への熱狂、NL 197;陶酔の崇拝、RR 181;愛の観念、RR 228–29, 232;風刺とロマン主義的アイロニー、RR 266–67;民主主義の定義、DL 244;噴出としての詩について、BC 18;セルバンテスへの批判、RR 223注;ポープの称揚、MC 61, 65;ワーズワースへの嘲笑、BC 54;A・W・シュレーゲルとスタール夫人について、RR 101;ルソーの理想的な恋愛について、NL 98, 104, RR 220;ルソーの影響、MC 60–61;シャトーブリアンとの比較、MC 60–65, RR 283–84;フランス・ロマン主義への影響、MC 81–82;その文学上の保守主義についてのゲーテの論評、MC 2;C・ディディエによる論評、RR 327注;このほか、LC 256, MC 302, RR 161, 186
ビッシュ、エドワード、NL 221注
キャドモン、英詩の研究との関係、LC 201
カエサル、ローマ帝国主義との関係、DL 270;ガリア人の雄弁について、SC 36;サント=ブーヴによる論評、MC 134
カイン、ロマン主義的英雄として、RR 139
カルデロン、スペイン的な幻影の感覚、SC 13;このほか、MC 23
カルフーン、州権との関係、DL 247
カリグラ、DL 141
カルヴァン、厳格さ、RR 118, DL 74;原罪について、BC 40;予定説と恩寵について、DL 188–90, MC 32, DP 112–13;ラブレーとの関係、LC 19;ブリュンティエールとの比較、MC 299;このほか、DL 54
カルヴァン主義、神学的な恐怖支配、RR 123;政治的傾向、DL 53–54;近代資本主義との関係、DP 112–13;サント=ブーヴの関心、MC 102
カモンイス、MC 23
キャンベル、O・W夫人、最初のロマン主義者としてのキリストについて、BC 121
カンポアモール、旧いスペインと新しいスペインについて、SC 13
カノーヴァ、カノーヴァとシャトーブリアンについてのサント=ブーヴの論評、MC 154
資本、労働との関係、DL 204–08
カーライル、ロマン主義的孤立、RR 327, 328, 329;その英雄と十八世紀の独創的天才、RR 327;その英雄とニーチェの超人、DL 212;人間の無能さについて、SC 140;ドライアズダストについて、LC 126–27;特許消化器について、NL 87;美術への反対、SC 30;無批判な激しさ、SC 31;批評について、MC 258;経済学について、DL 209;不十分な労働の観念、DL 211–12;満足を知らない靴磨きについて、RR 193, DL 137–38, 140;ロマン主義的政治、SC 59–60;自由に対する蒙昧主義的攻撃、BC xlii–xliii;沈黙について、BC 69–70;自然的超自然主義、RR 52–53;永遠の肯定について、RR 147;放棄について、SC 238;ソクラテスとイエスについて、BC 4–5;キリスト教と革命的ルソー主義について、DL 7;フランス革命について、DL 131;フランスよりドイツを好む、LC 137–38, MC 13;ノヴァーリスについて、RR 300;コールリッジについて、RR 154, 159注;コールリッジの談話について、BC 107–08;その利己主義についてのフルードの論評、RR 309;その気取りについてのシェレールの論評、MC 198注;このほか、MC 21注
カロ、文芸批評家として、MC 398–99
カーペンター、F・I、オニールについて、BC 237;このほか、BC 256
キャロル、ルイス、NL 206
カルース、W・H、BC 76
ケーラス、ポール、仏教との関係、SC 148
カゾーボン、LC 155
カステル神父、レッシングの先駆として、NL 53, 57–58;色彩クラヴサン、NL 54–58;香りのクラヴサン、NL 57;キルヒャーとニュートンの影響、NL 55注;ヴォルテールによる風刺、NL 58;ディドロによる称賛、NL 118;ルソーによる批判、NL 122–23;ユイスマンスとの比較、NL 184
カスティリオーネ、貴族的な超然さについて、LC 17;紳士と学者について、LC 20
カストリカーニ、カストルッチョ、マキャヴェリによる論評、DL 39
決疑論、仏教とイエズス会の、DP 71
カトリシズム、中世の、ガリカニズムの、ウルトラモンタニズムの、DL 52–58;ローマを中心とする組織、DP 90–91;宗教的見解の合意との関係、DL 156;文明の最後の防壁である可能性、DL 186;個人主義との関係、DL 186–87, 237, BC xiii–xiv, SC 220, 233;神秘主義との関係、DP 106;謙虚さとの関係、SC 79–81;スペインとの関係、SC 3, 5, 6, 18–19;ユグノーとジャンセニストの迫害によるフランスの弱体化、SC 12;カトリシズムとヨーロッパの平和についてのルソー・ハイネ・ホッブズの見解、DL 121;その専制に対するアメリカの恐れ、DL 284;ルネサンスとの関係、RR 117–19;ルターによる批判、NL 37;ラスキンによる説明、RR 164;シャトーブリアンによる美的な捉え直し、MC 67–68, 70–72;悪魔的ロマン主義との関係、RR 322, 324;F・シュレーゲルの改宗、RR 97, 263;バルザックの態度、MC 333, RR 106–07;ジョルジュ・サンドの態度、SC 122, 125–26, 136–37, 139;フローベールの態度、RR 108, SC 130–31;ルナンの態度、RR 323–24, SC 125, 130;ブリュンティエールの態度、MC 330, 333, SC 145–46;モーラスとマリタンの態度、BC 187–89;バンダの態度、BC 188–89;H・マシスの態度、SC 205
カトゥルス、生涯と詩、MC 116–17;愛の観念、RR 229;キーブルによる論評、RR 285
ケリュス、レッシングの先駆として、NL 32–33, 53
セシル、ヒュー卿、SC 39
中心、倫理的な中心の定義、RR xxii, 53, 150, 153, 173, 175–76, BC 209–10;拒否権との関係、RR 377;ロマン主義的アイロニーとの関係、RR 242–46, 263–66;慣習との関係、RR 246–50, 328–30;想像力との関係、RR 41, 102, 200–01, 250, 258–59, 391, BC 81;芸術との関係、RR 208–11, 341, 351, BC 103;指導力との関係、RR 390–91;ナショナリズムとの関係、RR 347;近代におけるその欠如、NL 185, BC 26, 172;そこへの回帰の可能性、NL 239;「集中」も参照
セルバンテス、国民的であると同時に普遍的、RR 176;冒険のロマン主義との関係、NL 110;騎士道物語との関係、MC 254;ドン・キホーテとサンチョ・パンサの対照的な性格、SC 3–4;『ドン・キホーテ』のロマン主義的解釈、RR 87;フローベールとの関係、RR 87, 109, SC 130;F・シュレーゲルによる論評、RR 99, 264;ラスキンとバイロンによる論評、RR 223;ローウェルによる論評、MC 163;このほか、RR 104, 224, DL 256注, SC 34
セザンヌ、古典主義者として、RR 63;プッサンとの関係、BC 16–17
シャンフォール、LC 176, MC 158
チャンドラグプタ、DP 111, SC 161
チャン、H・H、西洋の独断主義について、DP 69
『ローランの歌』、近代フランス語の研究との関係、LC 201;無形式で非近代的であること、MC 24–25
シャプラン、叙事詩について、NL 8注;ボワローによる失墜、NL 41;形式主義、NL 63;論理的な古典主義、RR 28
チャップリン、チャールズ、アメリカ文化との関係、DL 240, SC 61
チャップマン、ジョージ、想像力と詩について、MC 302
人格、気質との関係、RR 47, 155, 163, 347
シャルパンティエ、J、BC 115
シャルパンティエ、ユーリエ・フォン、RR 226
シャトーブリアン、その人物像と議論、MC 60–78;芝居がかった性格、MC 294, RR 54;独自性への歓喜、RR 50–51;ルネの道徳的孤独、RR 332;ルネの飽くことを知らない心、RR 306–07;ルネの魔的な心、RR 252;ルネの陰鬱な巨人的反抗、RR 317–18;悲嘆の誇示、LC 226–27, RR 308–09;エピクロス的な憂鬱、RR 313, 316注, 322;ロマン主義的な落ち着きのなさ、RR 151;感傷主義、RR 126;異国的な恋、RR 231–32;妖精への憧憬にとりつかれること、RR 227–30;廃墟への愛、RR 276;嵐に満ちたアルカディア、RR 281, 304;アメリカのアルカディア、RR 91, 228, 277–79;自然との交感、RR 283–85;月との関係、RR 159注;ロマン主義的憂鬱とキリスト教について、RR 333–34;キリスト教の擁護、MC 107, 118, RR 155, DL 220;ロマン主義的宗教心についてのサント=ブーヴの論評、MC 104;想像力と理性、RR 206–07, 209;思想家として、NL 145;美的な蒙昧主義、MC 307–08;王座と祭壇の擁護者、MC 79;政治的幻滅、DL 220–21;恐怖政治の逸話、DL 217;革命期の牧歌主義について、DL 126注;革命と文学について、MC 1–2;美点を論じる実りある批評について、DL 24;頭と心の葛藤、RR 249;古典主義的理論とロマン主義的実践、RR 60–62, 310;イメージ、RR 297注;描写の魔力、NL 141–44;暗示性、NL 154;ありそうにない絵画美、RR 58–59;ナポレオンとの関係、RR 327注, DL 128–29, 140;スタール夫人との比較、MC 5;ルナンとの比較、MC 269–71;ジュベールの『パンセ』を紹介、MC 35;ジュベールについて、MC 43, 52注;フォンターヌとジュベールの影響、MC 41–42;ジュベールによる評価、MC 48–49, RR 134;サント=ブーヴへの影響、MC 118;サント=ブーヴによる評価、MC 96–98, 107, 136, 138, 145, 166;その目についての同人の論評、MC 278;描写の妙技についての同人の論評、NL 143–44, MC 136;「刺青を施した」文体についての同人の論評、RR 57;シャトーブリアンとル・サージュについての同人の論評、LC 227;シャトーブリアンとカノーヴァについての同人の論評、MC 154;同人によるシャトーブリアンの逸話、MC 159;ヴォギュエによる論評、MC 302;ルメートルのシャトーブリアン論、MC 138;その気取りについてのルメートルの論評、RR 155;ルネとユイスマンスのデ・ゼッサントについてのルメートルの論評、RR 332–33;このほか、MC 82
シャトネ夫人、ジュベールについて、MC 37
チャタートン、ロマン主義的な不適応との関係、RR 90;ロマン主義の象徴として、RR 320–21
チョーサー、イギリス的ユーモア、SC 28;コールリッジとダンテとの比較、BC 123–24;近代語研究における、LC 123, 202–03;アケーディアについて、RR 334
シャヴァンヌ、E、孔子について、DL 163注
シェニエ、ギリシア詩のジャンルについて、NL 198, 249–50;芸術と科学の調和を目指す、MC 308
チェスタトン、G・K、バイロンについて、RR 322;慈善と革命について、DL 125;人文主義と宗教について、BC 261;仏教とキリスト教について、DP 99, SC 163–64
シカゴ大学、LC 237–38
中国、儒教との関係、DL 33–36, 195;道教との関係、RR xix, 395–98;道教と風景画、RR 292–93;戦国時代の個人主義と帝国主義、DL 151;年長者への敬意、LC 110, DL 54;伝統と革新、LC 216, RR 246–47, DL 300;真のデコルムと偽りのデコルム、RR 380–81;優越感に基づく思い上がり、BC 236–37, DP 66;現在の解体、BC 240, DP 68;産業革命に伴う危険、DL 184;日本帝国主義との関係、DL 154–55;私たちの歴史的経験との関係、DL 145;J・デューイとの関係、SC 178
ショパン、NL 163
クレティアン・ド・トロワ、近代フランス語の研究との関係、LC 201
キリスト、「イエス・キリスト」を参照
クリスチャン・サイエンス、悪との関係、MC 359, RR 256注, SC 79;配当を生む美しさ、MC 377
キリスト教、批判精神との関係、BC xxxiv–xli, DL 142–43, 156–57, 186–90, RR 379;自然主義の台頭との関係、RR 29, 36, 44, 115–24, BC 39–40, SC 225–47各所;近代世界との関係、RR 367, DL 22;内面生活との関係、BC 208–13, 257–58, DL 6, 227, 273;宗教的交わりとの関係、DL 46;根本教義、BC xiii, DP 77, SC 73–88各所;愛と正義について、DP 101–02;恩寵について、DP 88–90;瞑想について、LC 253;内省について、BC 87–90;謙虚さについて、RR 246, DL 77, DP 80;原罪について、RR 153;努力を伴う幸福について、BC 66;より高い意志について、DL 222, 224, 316, BC xxiv, 72–73, DP 88, 112–13, 119;知性と意志について、DL 158–85各所, DP 81–82, 85–86;知識・感覚・力について、DL 139;蒙昧主義、MC 286–87, DL 106, 176–83, BC 195–96, DP 72, 81–82, SC 10–11, 74, 136;洞察を伝統に従属させる、RR 177–78;自然に対する態度、RR 272–73;牧歌的想像力との関係、DL 80;敬虔主義・静寂主義・ロマン主義、RR 134;ロマン主義的原始主義との関係、BC xxi, 68–70;ロマン主義的恋愛との関係、RR 224, DL 74–75, BC 119–20;ロマン主義的憂鬱との関係、RR 323–24, 333–36;奉仕の観念との関係、BC 173, 226–27, SC 209–10;選択的共感、LC 10;動物への残酷さとの関係、SC 8;人道主義との関係、RR 367注, DL 275, 282–85, SC 148;十字軍との関係、DL 285–86, BC 258;個人の自由との関係、DL 92, 331;古代国家との関係、DL 297;教会と国家について、DL 28–29, 31–32, 33;超自然主義と政治、DL 37–38;ヨーロッパの連帯との関係、DL 121–22, 141–42, 156–57;宗教を独占するものではないこと、SC 205;東洋との関係、BC 235–36, 239, 260, DP 65, 67;仏教との関係、DL 158–63, 250, DP 77–80, 102–04, 121, SC 202–03;仏教に影響した可能性、DP 90;仏教との関係についてのチェスタトンの論評、DP 99;道教との関係についてのパピーニの論評、BC 257–58;新プラトン主義的神秘主義との関係、DP 104–08;古代の合理主義との関係、BC xii;ストア主義との関係、DL 22;新古典主義批評における古典主義との関係、RR 20;キリスト教と詩についてのボワローとジョンソンの論評、BC 85;初期の音楽、RR 211;ラシーヌとの関係、SC 92–93;ルソーによる論評、DL 92–95, 121–22;ゲーテの態度、MC 366–68;シャトーブリアンの態度、MC 67–76, RR 207, 284–85;ワーズワースの態度、BC 64;ジョルジュ・サンドの態度、SC 122, 125–26, 136–37, 139;サント=ブーヴの態度、MC 101–12, 126, 186–88;シェレールの態度、MC 198–200;アミエルの態度、MC 198;アーノルドの態度、MC 198–99;ルナンの態度、MC 259–63, 267–78, 281–86;ブリュンティエールの態度、MC 310–11, 328–35
荘子、道教との関係、RR 395–96, BC 253–55
朱熹、仏教的要素と儒教的要素、DL 164
シュケ、A、DL 130注
教会、社会との関係、DL 271;キリスト教・バラモン教・仏教における国家との関係、DL 28–33;教会と国家についてのマキャヴェリの見解、DL 37–38;同じ問題についてのホッブズの見解、DL 43;同じ問題についてのルソーの見解、DL 92–95;同じ問題についてのバークの見解、DL 101–02
キケロ、選択的共感、LC 7–8;人文主義的二元論、BC xv;不十分な人文主義、BC xvi;ストア主義との関係、BC xvi, DL 47;行動としての徳について、RR 134;正義について、BC xli;デコルムについて、MC 114;高潔なものと有用なものについて、DL 291–92;都市の称賛、RR 273注;諸芸術の共通の絆について、NL 61;アリストテレスの雄弁について、RR xxi注;ギリシア人の人格と知性について、DL 149注;ローマ帝国主義について、DL 268–70;その幻滅についてのサント=ブーヴの論評、MC 134;キケロと孔子についてのヘーゲルの論評、BC xvi;キケロとルソーについてのアクトンの論評、DL 2, SC 225;その陳腐な言説についてのC・F・アダムズの論評、LC 112;大学での読書教材としての『書簡集』、LC 171;キケロからの翻訳が持つ文体上の価値、LC 242;このほか、MC 57
キモン、DL 148注
南北戦争、アメリカの、DL 247–48, 272
文明、批判精神との関係、RR 112, 369–70;習慣との関係、RR 387–89;野蛮との関係、DL 2–4;倫理的意志との関係、DL 229
クラーク、バトラー、スペインについて、SC 8
古典時代、古典時代と歴史的循環についてのニザールの論評、MC 88–90;サント=ブーヴによる論評、NL 240
古典研究、キリスト教の伝統との関係、RR 36;イエズス会の教育における、RR 118–19;現在の衰退、LC 146–48;大学課程での位置、LC各所、とくに150–80;近代語研究における中世文献学との関係、LC 200–03;実利主義に対抗する古典研究と近代語、SC 44;比較文学との関係についてのゲーテの見解、LC 193–95;サント=ブーヴの愛着、MC 101;A・フランスによる擁護、MC 320–21;その衰退についてのバンダの論評、BC 193
古典主義、その定義、NL 10–11, 72, RR 1–4, 14–30, 214, 355, 391;無限との関係、RR 250;デコルムとの関係、RR 177, 265;構成との関係、NL 97, RR 55;一般的真理との関係、RR 15, 57, 61;模倣との関係、RR 64–65, 115;憂鬱との関係、RR 92–93, 309–13, 322–23;自然との関係、RR 268–71;中世主義との関係についてのスタール夫人の見解、MC 21–26, RR 99–101;ロマン主義との関係についてのゲーテの見解、RR 96;ジャコバン派の論理との関係についてのテーヌの見解、MC 244;フランスの政治的反動との関係、RR 14;「新古典主義」も参照
古典、文学における恒星、LC 194–95;ルネサンスにおける迷信的な崇拝、LC 13
クロード・ロラン、ハズリットによる論評、NL 128
クラヴィエール、BC 135
クレオン、DL 281
クリーヴランド、グローヴァー、賛辞、DL 288
クリフォード、W・K、人道主義的な傲慢さ、RR 138–39, SC 79–80
気候、アリストテレスによる論評、DL 64;モンテスキューによる論評、DL 64;ルソーによる論評、DL 86–87;ディドロによる論評、SC 109;サント=ブーヴによる論評、MC 151;テーヌによる論評、MC 151, 237
クローツ、アナカルシス、普遍的慈善とその死、DL 124–25
コルベール、テーヌによる論評、MC 229
コールブルック、「内なる歯止め」について、SC 151
コールリッジ、ハートリー、バジョットによる論評、RR 231注
コールリッジ、S・T、創造的想像力との関係、BC 97–133各所;想像力の統一する力について、NL 132, RR 296, 303, DL 13;想像力と空想について、NL 126–27, RR 303注, BC 72;形式と想像力について、BC 150;驚異について、RR 51;『クーブラ・カーン』、RR 181–82;詩的創造についてのJ・L・ロウズの論評、BC 98–102;理性と悟性について、BC 61;有機的な独創性について、BC 4;詩的信仰について、NL 72;暗示的な言葉による絵画について、NL 125–27;美について、NL 231;人間と自然について、RR 303, 305, BC 64;月との関係、RR 159注;『老水夫の歌』の道徳性、RR 287;芝居がかった哀感への反対、MC 66注, RR 126;プラトン派とアリストテレス派について、NL 87;ギリシア語・ラテン語で詩を書くことについて、NL 24;政治思想と批評、SC 31;自由について、DL 221;人間の邪悪さについて、MC 245;革命期と帝政期のフランスについて、DL 130注, 221;ドイツとフランスについて、LC 137–38, MC 13;理論と行動、MC 37;義務の回避、LC 50;行動からの尻込み、NL 113;幼年期についてのワーズワースとの比較、RR 52;ワーズワースへの影響、BC 48–50;ワーズワースの想像力について、BC 75;シェリングの影響、NL 65注;ボードレールとの比較、RR 319;バイロンによる論評、RR 146注;バーボールド夫人による論評、RR 154;カーライルによる論評、RR 154, 159注;セインツベリーによる論評、SC 21
コレ、MC 172
集産主義、自由との関係、DL 297–98;ルソーにおける個人主義との関係、DL 86
コリニョン、オーギュスト、モンテーニュとの関係、MC 114
色聴、カステル神父の、NL 55注;ロマン主義の芸術との関係、NL 172–85
コラム、メアリー、アリストテレスについて、BC 1–2, 12
パリ・コミューン、ジョルジュ・サンドとフローベールによる論評、SC 135–36;ロマン主義との関係についてのティエールの論評、LC 173
交感、宗教的・ロマン主義的・科学的な、RR 322–52各所;宗教的なものと原始主義的なもの、BC 67–79;自然との交感、BC 110–11
共産主義、自由との関係、BC xliii;「ボルシェヴィズム」も参照
比較文学研究、古典との関係、LC 112, 167–69;価値、LC 123–25;範囲、NL xi–xii;スタール夫人による促進、MC 19–20
コンペレ、G、LC 46
競争、正統派と非正統派の経済学における、DL 191–92, 213–14;正義に不可欠なもの、DL 204–05
コンプトン、A・H、純粋科学との関係、BC 174
コント、人道主義的熱狂、LC 4;科学の司祭団、DL 258;死者の多数派について、MC 304;ブリュンティエールとの関係、MC 304, 331;コントとカトリシズムについてのブリュンティエールの論評、MC 334;J・S・ミルとの関係、MC 224;このほか、MC 195
うぬぼれ、想像力との関係、DL 12–13;人間特有の病、DL 16;無制限なものを目指す、DL 138;ネメシスの前触れ、DL 181;うぬぼれと怠惰についてのブッダの論評、DP 104
集中、その定義、RR 183, 251–53, BC xix;精神的成長との関係、NL 201, 226–27, 240–41;熱狂との関係、RR 256–58;平安との関係、DP 100–15;芸術的形式との関係、NL 230–31, 234, 248, RR 21;「中心」も参照
コンドルセ、大衆への配慮、DL 132
コンファロニエリ、スタール夫人との関係、MC 32注
孔子、批判精神との関係、DL 273–74;地域的要素と普遍的要素、RR 176;アリストテレスとの比較、RR xix, xxi, SC 203;ジョンソンとの比較、RR xx;アジアの精神との関係、DL 158, BC 260–61;中国の伝統との関係、RR 247;その関係についてのE・シャヴァンヌの論評、DL 163注;東洋の人文主義との関係、RR 380–81, DL 33–36, BC 253, DP 68;謙虚さの重視、BC xvi;謙虚さと自立の結合、DL 184;節度の法則について、DL 301;理性と意志についてのアリストテレスとの比較、DL 163–65;内面の働きについて、RR 390, DL 199–201;模範による統治について、同所, 310注;進歩について、DL 3;自らの成長について、RR 386;自己追従について、DL 277注;言葉と事物について、DL 279;先見について、DL 154;紳士的な競技精神について、SC 190;倫理的な音楽との関係、RR 211注;荘子による批判、RR 395–96;孔子とキケロについてのヘーゲルの論評、BC xvi
コングリーヴ、SC 25
コンラッド、「コンラール」を参照
コンラール、MC 85;「コンラッド」と誤植、MC 121, 122
良心、理性を超えた知覚として、RR 157, 160–61;正義との関係、DL 200;シャフツベリと理神論者の見解、RR 45–46, 130–31, 253, BC 41;ルソーの見解、RR 157, 180, 218;ディドロの見解、RR 130–31, 147, 161, 187, 189, 191, 344, DL 10, 230, 291, 293, SC 105–20各所;ニーチェの見解、RR 198;「内なる歯止め」も参照
コンスタン、バンジャマン、ロマン主義的コスモポリタニズムとの関係、MC 81;『アドルフ』における頭と心の葛藤、RR 316;芸術のための芸術について、BC 170注
コンスタンティヌス大帝、SC 162
『ル・コンスティテュショネル』、文学的・政治的傾向、MC 80
現代芸術、落ち着きのない印象主義、NL 184–85
現代文学、時代遅れの独創性、LC 230–32;その冷笑主義についてのA・フランスの論評、MC 319–20
現代思想、中心問題、MC 334–35;似非神秘主義、NL 104–05
慣習、その定義、RR 10;一なるものとの関係、RR 45–49;批判精神との関係、RR 111–13, 244–47, BC xii;洞察との関係、RR 175–76, SC 201–05;教育との関係、RR 387–88, DL 299–304;芸術との関係、BC 34
回心、倫理的意志との関係、RR 252, 329, 385, DL 242, SC 203;交感との関係、RR 331, 335;恩寵との関係、SC 73–88各所、とくに73–74;仏教における習慣との関係、DP 93;ルソーの偽りの回心、RR 78, SC 227
『マンリーケの詩節』、スペインの神秘主義との関係、SC 13–14
コルネイユ、ピエール、規則について、SC 96;愛について、SC 102;『ル・シッド』についてのアカデミーの論評、RR 17注, 21–22, BC 90, SC 180;ジュベールによる論評、MC 38;サント=ブーヴとラ・アルプの評価の対立、MC 153;その談話についてのサント=ブーヴの論評、MC 185;テーヌの方法を適用できないこと、MC 249
コルネイユ、トマ、MC 249
コーネル大学、ダンテ・コレクション、LC 153–54
コロー、ルソー的な夢想、NL 165
コルテス、RR 277
コスモポリタニズム、旧いものと新しいもの、LC 186–89, DL 118–23;その危険、MC 26–30, SC 14–15;スタール夫人による論評、MC 18–21, 28–32;ロマン主義運動との関係、MC 80–82;ヴィルマンの批評における、MC 85–86;その危険についてのニザールの論評、MC 87–88;シェレールにおける、MC 189–90;サント=ブーヴによる論評、MC 163;「ナショナリズム」も参照
クールマン、サント=ブーヴによる論評、MC 163
高級娼婦、ロマン主義による名誉回復、RR 140–41
クーザン、ヴィクトール、その人物像と議論、MC 82–85, 87;その性格についてのサント=ブーヴの論評、MC 95–96, 107;その利己主義についての同人の論評、MC 107;研究の重視に対する同人の批判、MC 141;同人による諫言、MC 174
カウドレー卿、DL 153
カウリー、RR 12
クーパー、その詩の誠実さ、NL 25
コックス、ケニヨン、進歩について、RR 64注;ティツィアーノとサージェントについて、RR 291
クラッブ、サント=ブーヴへの影響、MC 118
クレイン、スティーヴン、BC 219
創造、独創性との関係、BC 1–33、とくに3–6;模倣との関係、RR 17;基準との関係、RR 65;文芸批評との関係、BC 201–34各所, SC 23–26
クレビヨン、ボワローとの関係、SC 36;このほか、MC 1, 179
批評、現在の傾向と課題、MC 338–92;フランスの批評、MC各所;イギリスの批評、SC 21–47;アメリカでの現状、BC 1–3, 201–34;基準との関係、BC 1–33, RR 65, DL 9–10, SC 60–65;創造との関係、BC 23–30, 202;裁断的批評と共感的批評、MC 257–58, RR 65;これらについてのスタール夫人の見解、MC 16–17;これらについてのサント=ブーヴの見解、MC 95–96;批評における学識と趣味についてのサント=ブーヴの見解、MC 141–44;伝記との関係、MC 161, BC 34–35, 39;その関係についてのエマソンの見解、MC 162;新古典主義の批評、LC 15–22, 219–21, NL 3–58、とくに6–8, 186, 188, 190–93, 245–46(「新古典主義」も参照);十九世紀初頭の批評、MC 79–96;レッシングによる称賛、NL 35;近代文学における批評の優位についてのアーノルドの見解、MC vii;ディドロの印象主義、SC 113;シャトーブリアンの貢献、MC 65–67, 73–78;ジュベールの方法、MC 50–51, 56–58;ニザールの方法、MC 87–94;サント=ブーヴの方法、MC 98, 124–27, 141–88, SC 121;シェレールの方法、MC 201, 215–16;テーヌの方法、MC 241–42;ルナンの方法、MC 264–67;ブリュンティエールの方法、MC 299–306, 324–37;ルメートルの方法、MC 311–16, 324;A・フランスの方法、MC 316–24;同じく、RR xvi–xvii, DL 5–10, 22–26
クローチェ、流動との関係、SC 66–72;多の形而上学、RR xiii;一元論、DP 107;表現を中心とする美学、NL 223–27, 238;意志について、DL 328–29;純粋な歴史について、BC 174;このほか、NL 18注, MC 50, 53
クロムウェル、伝統との断絶、DL 113
クルックシャンク、SC 28
十字軍、キリスト教精神との関係、DL 285–87, BC 258;その関係についてのルソーの見解、DL 92
教養、その定義、RR 64–65;ギリシア人の見方、SC 12;エマソンの態度、RR 67;シラーの態度、RR 80, BC 159–62
カンバーランド、実利主義的倫理、DL 47;ストア的傾向と感傷的傾向、DL 216
カーゾン卿、DL 153
キュヴィエ、テーヌへの影響、MC 325;このほか、MC 145
冷笑主義、近年のアメリカ文学における、BC 207–22各所;宗教的謙虚さとの関係、DL 276
ダランベール、SC 106
ダニエッロ、アリストテレスの模倣説との関係、NL 10, 20
ダンロイター、E、標題音楽について、NL 160;ベルリオーズの『レクイエム』について、NL 166;このほか、NL 168
ダンテ、中世の伝統との関係、RR 112, 357–58, LC 32;内的形式と外的形式、BC 154;選択の基準、MC 387;政治思想、DL 29, 142;正義と愛について、MC 373, DL 219;精神的な階層秩序、SC 165;完全な中心について、RR 259;平安について、DL 161, BC xli, DP 119, SC 71;瞑想について、BC 258, DP 121;理性と霊感について、NL 93;天才と技芸について、BC 7–8;自然と技芸について、NL 10;遺伝について、MC 161;ドイツ人の不節制について、LC 136;無関心な者たちについて、DL 25;論争的な気質、MC 347;ワーズワースとの比較、BC 72–74;チョーサーとの比較、BC 124;シャトーブリアンによる論評、MC 68;ベールの『辞典』における、MC 126;『神曲』についてのラ・アルプの論評、LC 216;リヴァロールによる論評、RR 215;クローチェによる論評、SC 70–71;C・W・エリオットによる論評、SC 212–13;近年の「汚名を着せる」扱い、LC 234;学問的研究、LC 123, 125, 153–54, 202–03;このほか、LC 59, 114, 122注, NL 196, MC 78, BC 101, 217, SC 52, 82, 177
ダントン、階級的な正義について、DL 126;シラーとの関係、BC 135
ダートマス大学、同大学の文学士号、BC 225
ダーウィン、チャールズ、文学上の趣味、LC 108, SC 42–43;小説の読書、LC 18;アリストテレスの生物学への敬意、DL 164;進化上の闘争について、DL 327;自然主義との関係、DP 95;ロマン主義的な自然観との関係、RR 197;相対性の感覚を促す、MC 317;ディドロによる先取り、SC 106;シェレールへの影響、MC 216;ブリュンティエールへの影響、MC 325–26;ダーウィンとカトリシズムについてのブリュンティエールの論評、MC 334;C・W・エリオットによる論評、SC 213
ダーウィン、エラズマス、『植物園』の言葉による絵画、NL 25–26;詩論、NL 26注;目に見える音楽について、NL 55注
ドービニャック、NL 30注
ドーデ、レオン、愚かな十九世紀について、DL 228
ドーヌー、サント=ブーヴへの影響、MC 99, 102;ロマン主義について、RR 99–100
ダヴィッド、フェリシアン、『砂漠』と異国趣味、NL 162;『砂漠』と色聴、NL 172
ダビデ王、ルナンによる論評、LC 234
リス・デイヴィッズ、仏教の楽観主義について、DP 102
デイヴィッドソン、ジョン、RR 90
デイヴィッドソン、トマス、ルソーとエマソンについて、MC 355
ドビュッシー、遅れてきたロマン主義、NL 160;希薄な印象主義、NL 238
退廃、古代と近代における帝国主義との関係、DL 18–22;古代ローマと近代アメリカにおける、DL 270–71;古典時代との関係についてのニザールの論評、MC 89–90;サント=ブーヴの恐れ、NL 240;シェレールの恐れ、MC 205–08, 216;ルナンによる否定、MC 216
デコルム、似非デコルムとの関係、RR 16–17, 22–25, 54–55, 154, 380–81;人文主義との関係、SC 230;洞察との関係、RR 166;想像力との関係、RR 200–02;共感との関係、RR 142;相対性との関係、RR 174–76;ヨーロッパとアジアにおける、RR xix, DL 158;専門化との関係、SC 183–93;儒教における礼儀作法との関係、DL 35–36;演劇との関係、RR 125;新古典主義の詩語との関係、BC 52;理神論による掘り崩し、RR 44–46;ヴォルテールの誤った観念、RR 33;ディドロによる無視、SC 114–16;ロマン主義と自然主義による攻撃、RR 38, 128–29;ルソーによる拒否、RR 103;ワーズワースによる拒否、BC 52–54
定義、批判的分析との関係、NL x–xi, 109, RR 1–3, 379, DL 192–93, 278–82, 292, BC 96, 102
理神論、キリスト教および人文主義との対立、RR 44–45;古代と近代の自然主義との関係、RR 121–24;人道主義との関係、DL 47–48;良心の変容、RR 131;摂理と自然法について、DL 68;ロマン主義的汎神論との関係、BC 41–42;「シャフツベリ」も参照
ドリール、トムソンからの着想、NL 26注;ドリールとミルトンについてのジュベールの論評、MC 51
『民主主義と指導力』、RR 345注
民主主義、指導力との関係、RR 389–90, DL各所、とくに16–17, 26, 280–82;基準との関係、RR 378–79, DL 239–317, SC 57–65;制限されたものと無制限なもの、BC 205–07;貴族制との関係、DL 61–62;帝国主義との関係、DL各所、とくに117–57, 334;文芸批評における、MC 352–55;教育における、LC 72–87, 104–06;文体との関係、SC 170–82各所;ルソーによる擁護、DL 2;シェレールの反対、MC 204–06
デモステネス、LC 263
ド・クインシー、言語的想像力、NL 153;その散文の音楽性についてのレスリー・スティーヴンの論評、NL 158;ワーズワースとシモン氏について、MC 172;政治思想と批評、SC 31
デカルト、哲学の破綻との関係、RR xvi, DP 85;科学的合理主義、RR 26–28, 168–69, 171–72, 176, DL 62, 224, DP 81;科学への貢献、LC 37;機械化された宇宙、DL 68;それについてのパスカルの論評、RR 138;論理への信頼、MC 226;心理学、MC 236;偽りの二元論、DP 85;意志についての不十分な見方、DL 226;理性と意志について、DL 321–24, 327注;想像力への反対、NL 69, BC 80, 82;詩を枯渇させる作用についてのボワローの論評、RR 27;ストア主義との関係、DP 82;マルブランシュとの関係、MC 176;啓蒙主義との関係、NL 64;古典精神との関係についてのニザールの論評、MC 92–93;デカルトとパスカルについてのベルクソンの論評、RR 200, BC 194–95;マリタンによる論評、BC 188;このほか、BC 51
デシャン、エミール、フォンターヌとシャトーブリアンについて、MC 63注
デシャネル、エミール、古典作家のロマン主義について、MC 400
描写、新古典主義の詩における、NL viii, 25–27, 30–31;詩と絵画における描写についてのレッシングの論評、NL 44–53;ロマン主義文学における、NL viii–ix, 136–45;それに対するシェレールの反対、MC 208–09
デポルト、NL 156
決定論、ロマン主義的なものと科学的なもの、RR 163–70, MC 181, BC xxiv–xxv;限界、MC 246–47, DP 95;形而上学的な幻想として、DL 227–29;原始主義との関係、MC 31–32;ロマン主義的憂鬱との関係、RR 339, 343;現代文学との関係、BC 215–19;政治理論における、DL 100–01;エマソンによる論評、MC 246–47;テーヌにおける、MC 218–56各所、とくに230–33;ブッダによる論評、DP 120
ドイセン、仏教の自己への配慮について、SC 158
『法句経』、編纂と歴史、DP ix–x, 74, 91;このほか、DP 119, MC 311
ドゥドト夫人、BC 18
ディキンソン、エミリー、「脱出」について、BC 111
語法、新古典主義とロマン主義の、RR 56–58;詩的語法、NL 20–34;詩的語法についてのニザールの論評、RR 23;それに対するワーズワースの反発、BC 52–54
教訓主義、倫理的想像力との関係、RR 204–05, 358
ディドロ、感傷的・科学的自然主義、LC 41–42, NL 215, RR 122, SC 105–20;拡張性、NL 200;巨人的反抗、NL 42;合理主義的人道主義、DL 67;不徹底な実証主義、RR xi–xii;良心の変容、RR 130–31, 147, 161, 187, 189, 191, 347, DL 10, 230, 291, 293, SC 154–55, 239;『ラモーの甥』の影響、RR 191;孤独についてのルソーとの比較、RR 326;感傷劇、RR 126;リチャードソンとホメロスについて、RR 208;詩の野蛮なものについて、RR 38, BC 3;ロマン主義的な諸芸術の混同との関係、NL ix, 174;言葉による暗示について、NL 119–22, 124–25, 130, 142, 153, 174;レッシングとの比較、NL 39–40, 117–21;ヘルダーへの影響、NL 117, 119;A・W・シュレーゲルへの影響、NL 125注;ジュベールへの影響、MC 39;十九世紀自然主義への影響、RR 192;シャトーブリアンによる論評、MC 68;ファゲによる論評、NL 119;このほか、NL 137, RR 70, 100
ディディエ、C、バイロンについて、RR 327注
ディレッタント主義、近代語教育における、LC 114–15, 118–49;ルナンにおける、MC 286–89;ブールジェによる定義、MC 288
偽ディオニュシオス・アレオパギテス、DP 105
識別、うぬぼれとの関係、DL 14–17;「定義」も参照
ディズレーリ、派手な服装、RR 62;イギリス人の論理への軽蔑について、DL 106;想像力の重要性について、DL 103;快適さと文明について、DL 215;ヴィクトリア女王への追従、DL 275–76
神授権、人民の権利との関係、DL 52–54;フィルマーによる擁護、DL 53–55;ボシュエによる擁護、DL 55–58
教義、想像力との関係、RR 368–70;キリスト教と仏教における、DP 68–69, 80–81
ドナトゥス、A、詩の彩色について、NL 23注
ダン、独創性について、LC 93
ドルヴァル、マリー、RR 337
ドス・パソス、その『マンハッタン・トランスファー』、BC 219–22
ドストエフスキー、ロマン主義的倫理、RR 141
二重人格、RR 262
ドゥダン、文芸批評家として、MC 401;ユゴーについて、RR 214;ルナンについて、MC 271, RR 304注;アラゴーと1848年革命について、RR 344注;シェレールによる論評、MC 206
ドゥーミック、ルネ、ロマン主義的恋愛について、SC 123
演劇、模倣についてのアリストテレスとの関係、NL 13–14;技巧と動機づけ、BC 91;メロドラマとの関係、RR 124–27, 188–90;運命についての古代劇と近代劇、RR 188–91;ギリシア悲劇のアイロニー、RR 243;新古典主義の演劇とラシーヌ、SC 89–104各所;問題劇、RR 204–05;それについてのルソーの論評、MC 10–11;歴史悲劇についてのスタール夫人の論評、MC 15–16;ロマン主義の演劇についてのサンタヤーナの論評、NL 203–04;中国の演劇の不足、RR 397;批評より上位にあること、BC 23–24
ドライサー、ピューリタニズムへの批判、DL 254;自然主義的宿命論、BC 213, 217;俗悪さ、BC 218–19;ゾラとの関係、BC 222
服装、古典主義的趣味とロマン主義的趣味、RR 59–60
ドレフュス、ブリュンティエールとの関係、MC 300;ルメートルとの関係、MC 315;A・フランスとの関係、MC 319
ドライデン、批評家・詩人として、BC 24;粗野な趣味、SC 34;サン=テヴルモンの影響、LC 184注;詩の彩色について、NL 23注;空想と判断力について、RR 13;『アエネーイス』における判断力と想像力について、RR 353–54;エリザベス朝と自らの時代について、RR 34–35, SC 26;イギリス人の気質について、SC 27;イギリス人の思考嫌いについて、SC 39;ラシーヌについて、SC 97, 101;戦争中の宗教について、DL 141;腐敗した統治について、DL 265–66;パスカルの散文との関係、SC 76;愛の称揚についてのジョンソンの論評、RR 223;その詩語についてのジョンソンとローウェルの論評、NL 24;ジョンソンとセインツベリーによる論評、SC 21–22;このほか、LC 80, 146, NL 11注, 156注, 224
二元論、批判精神との関係、RR xi, 374, DL 144–45, 316–17, BC 77–79;真の二元論と偽りの二元論、RR 130, DL 76, BC 133, DP 85–86;人文主義との関係、RR 147, DL 195, BC xiv–xv, SC 84;宗教との関係、RR 115, 147, DL 92–93, 161, SC 225–47各所;神秘主義との関係、DP 104–08;仏教とキリスト教における、DP 82, 91, 121;禅仏教との関係、BC 254;自然主義との関係、RR 187, 328–31, DL 37;人道主義との関係、DL 288–93;自由との関係、DL 222–38;政治理論との関係、DL 52–53, 91–92;個人と国家における、DL 273, BC 206;意志の諸理論との関係、DL 319–30;文学との関係、BC 217–18;ルソーの態度、RR 157;シラーの態度、BC 136–38;「意志」も参照
デュボワ、サント=ブーヴとの関係、MC 100
デュ・ボス神父、散文詩の擁護、NL 30注;文学の循環について、NL 240注;美学理論、BC 140
デュドヴァン男爵、ジョルジュ・サンドとの関係、SC 122–23
ダフ、カントの美学への影響、BC 141
デュ・フレノワ、レノルズへの影響、NL 11注
デュガール夫人、エマソンについて、MC 357
デュ・ゲ、サント=ブーヴによる論評、MC 148, 152
小デュマ、SC 136
大デュマ、歴史と小説について、LC 50;大学の読書教材として、LC 113
ドゥンス・スコトゥス、理性と意志について、DL 113, 190, 320;アウグスティヌスの影響、DL 319;デカルトへの影響、DL 321
エッカーマン、MC 363, 367注, 370注, RR 96, 309, BC 27, 138, SC 45
エックハルト、神秘主義、DP 105–06
折衷主義、近代の人文主義との関係、BC xxxvi–xliv
経済学、非人間的な精神、LC 144–45;政治と哲学への従属、DL 1;生産の福音との関係、SC 214–15;マンチェスター学派、DL 191, 213–14
恍惚、仏教的なものとキリスト教的なもの、RR 348注
エディントン、宇宙論、BC xxvi;科学的真理について、BC xxix
『エディンバラ・レビュー』、詩の基準について、MC 338
エジソン、科学的好奇心、RR 350;教育の権威として、DL 241
教育、倫理的基準との関係についてのアリストテレスの論評、DL 198;習慣との関係、RR 387–89, DL 299–302;近年のアメリカの傾向、LC各所, DL 302–05, 312–13, BC 1, 223–31, SC 63–64;エリオット学長との関係、SC 198–224;J・デューイとの関係、SC 178–79;アメリカにおける分別を欠く教育熱、LC 2;政治的指導者としての大学長、DL 280–81;大学長の財務活動についての『ライフ』の論評、LC 249注;科学的・感傷的自然主義、LC各所、とくに41–57;アメリカの大学での運動競技、LC 76–78;カレッジと下級学校およびユニヴァーシティとの対比、LC 80–87, 99–106;教養と専門化の対立、LC各所、とくに88–117, SC 183–97;学問的余暇、LC 246–63;選択科目制とエリオット学長、LC 45–55, DL 290;選択科目制の偽りの民主性、LC 72–87;同制度による怠惰の助長、LC 92;同制度と個人主義の衒学、LC 93–94, RR 66;小規模大学での同制度、LC 103–04;同制度を補うオナーズ制度、LC 210–11;同制度に鍛錬的価値が欠けること、NL 238;同制度と指導者のための教育、DL 303–04;三年制の大学課程、LC 79–80, 96–97, 105;大学教員の資格、LC 106–11;文学士号、LC 115–17, 209–14;博士号、LC 106–08, 118–49;リサンス、アグレガシオン、博士号、LC 139–41;オックスフォードとケンブリッジのオナーズ、LC 138–40, 157–58;卒業後および学部在学中のオナーズ、LC 140–41;博士号の代案、LC 157–58;博士論文のドイツ式作成法、LC 236;ドイツからの有害な影響、LC 100–02, 110, 134–38, 177;近年のフランスの傾向、MC 383–87;スペインの無関心、SC 11;近代語と古典の対立、LC 112–13, 150–214各所, SC 44, 191–96;英語教育における文献学とディレッタント主義、LC 130;英語教育におけるソフィスト的修辞、SC 175;英語の作文と古典からの翻訳の対比、LC 242–43;中世研究と古典研究の対比、MC 24–26;イエズス会とプロテスタントの人文主義、LC 18–19, RR 118–19;イギリスの人文主義、LC 98–99;ビルマにおける、BC 248–49, DP 76
エドワーズ、ジョナサン、精神の光、MC 362;精神的恐怖支配、MC 357–58, RR 123–24, SC 78;極端主義、MC 367, RR 139;神学的帝国主義との関係、DL 141;知的な思い上がり、DL 189;神の意志について、DL 89–90;超自然の光について、BC 209, 228, SC 56;人間の堕落について、BC 40, SC 210;自己満足について、DL 257;奉仕の観念との関係、BC 226–28;エリオット学長との比較、DL 290注
エグリ、エドモン、シラーについて、BC 134–35, 137
利己主義、ロマン主義的道徳における利他主義との関係、RR 114–219各所;古代中国における、RR 397
選択科目制、「教育」を参照
エリオット、C・W、バビットによる捉え方、LC viii;奉仕のための教育との関係、SC 198–224;選択科目制との関係、LC 45–55;時宜を得ない自由の談義、LC 66;大学教育への影響、LC 87;文学士号と理学士号の統合について、LC 96;働く喜びについて、LC 250, 261–62;奉仕と力のための訓練について、DL 303;奉仕の観念、BC 227–28;ピューリタニズムとの関係、DL 290
エリオット、ジョージ、十九世紀的な知性主義、SC 139
エリザベス女王、SC 22
エリオット、G・R、ワーズワースについて、BC 77–78
エルトン、O、シェリーについて、RR 206;このほか、RR 400
エマソン、事実の把握の不確かさ、LC 157;実生活での不器用さ、SC 8;独創性の観念、LC 224–25;解放への信頼、MC 40;直観的人文主義の提唱、LC 98;教養を天才の犠牲にする、RR 67;自立の教説、DL 167, DP 88;自由意志についての見解の変化、MC 186;精神的洞察、MC 52, 375, 388;理想主義、SC 140;印象主義と洞察、MC 345–46, 353–62;洞察と汎神論的夢想、BC 76;ジュベールとの比較、MC 54–56;ルナンとの比較、MC 261;サント=ブーヴとの比較、MC 388–92;C・W・エリオットとの比較、SC 199;インドの超自然主義との関係、SC 143–44;インドについてのルコント・ド・リールとの比較、BC 244–45;エマソンと仏教についてのD・ソーラの論評、BC 256;一と多について、LC 28–29;人間と事物の法則について、LC v, 29, 39, 40, NL 200, RR x, DL 3, BC 76;内なる歯止めについて、NL 201, SC 151;補償について、SC 136;物質と精神について、MC 37;形式と魂について、NL 227;超自然的なものについて、MC 165, 166;魂の孤独について、RR 348;道徳と意志について、BC 31;迷信について、LC 82;熱狂について、RR 257;反感について、MC 172;排他性について、SC 12;気質について、MC 174;科学的決定論について、MC 246–47;伝記的批評について、MC 161–62;歴史について、MC 263–64;民主主義について、RR 111;知性の軽薄さについて、MC 280, SC 38;一般化への反対、MC 277, 300–01;真理と定式について、MC 252;美について、BC 151–52, 176;人間の不変の心について、LC 74;文学的名声について、MC 351–52;文学の傑作に共通する精神について、LC 244, MC 346, RR 176;プラトンと独創性について、LC 260;道徳の教師としてのモンテーニュについて、MC 114;シェイクスピアの宗教性の欠如について、LC 59;ゲーテの独立性について、MC 353;ゲーテの高尚さの欠如について、MC 366, 372, 374;ポーを韻を鳴らすだけの男と呼ぶ、MC 172;自らの文体について、MC 35;文学形式の重要性の乏しさについて、NL 29;音楽について、RR 93;ゴシック大聖堂について、BC 100;子供のようなギリシア人について、BC 165;ギリシアにおける総合と分析について、LC 164;イギリス人の愚鈍さについて、SC 39;アーノルドによる論評、SC 62;アーノルドとブラウネルによる論評、DP 79, DL 167注;このほか、LC 14, 95, 196, 198, MC 23, 150, 376, 381, BC 189
感情、拡張との関係、NL 216, 245;個人的特異性との関係、RR 87, BC 116;似非理想主義との関係、NL 228;ロマン主義による解放、NL 26–27, 38, 64, 202, RR各所、とくに44–45, 70, 179, 218, 122–27, 171, 306, BC 139–40;宗教との関係、DL 160, SC 235–36;仏教とキリスト教における、DP 99–102;感情と芸術についてのロンギノスの論評、NL 41–42;同じ問題についてのレッシングの論評、NL 52;同じ問題についてのシラーの論評、RR 43, BC 137, 146, 161;同じ問題についてのシュレーゲルの論評、NL 61–62;バンダの反対、BC 188–200
エンペドクレス、ロマン主義の象徴として、RR 325
『ブリタニカ百科事典』、メンケンについて、BC 203
イギリス、知的気質、SC 21–47;陽気さの減退、SC 86;イギリス人の理性への不信についてのディズレーリとバジョットの論評、DL 106–07;哲学的・政治的傾向、DL 112–16;貴族階級の現状、DL 203;実利主義、DL 47;個人の自由との関係、DL 331;帝国勢力として、DL 162;インドとの関係、SC 141;フランスのイギリスに対する不信、DL 153;その利己的な政治についてのルナンの論評、MC 282;ドイツへの態度、NL 242注, MC 173;教育におけるドイツとの関係、LC 107–08;教育におけるアメリカとの関係、LC 138, 147, SC 190;スペインの学ぶべき手本として、SC 15;伝統的人文主義、SC 244;人文主義の狭さ、LC 12, 98–99, 164–65;近代語と古典の対立、LC 203;学問的余暇、LC 251, 254;文学類型への無頓着、NL 111;初期ロマン主義運動、RR 34–38;庭園におけるイタリア・フランスとの対比、RR 275–76;ラシーヌとの関係、SC 94, 102–03;ディドロへの影響、SC 106–08;シャトーブリアンへの影響、MC 74–75;スタール夫人とギゾーへの影響、MC 83;サント=ブーヴへの影響、MC 124;テーヌへの影響、MC 224–25;テーヌの『イギリス紀行』、MC 247;テーヌの『イギリス文学史』、MC 249
啓蒙時代、合理主義と古典主義、NL 63–64, RR 25–30;機械化された宇宙、RR 168–69, 177;ロックとデカルトの影響、DL 62;政治の仕組みへの信頼、DL 66;その精神的暗黒についてのバークの論評、DL 178
倦怠、宗教的およびロマン主義的な脱却、RR 251–52
熱狂、理性を超えるものと理性以下のもの、RR 256–59, BC 9–11, 41–42, DP 98–99;それらについてのジュベールの論評、MC 45;スタール夫人におけるロマン主義的熱狂、MC 6–9, 13–15
叙事詩、その規則についてのヴィルマンの論評、MC 86;キリスト教的主題の叙事詩についてのボワローとジョンソンの論評、BC 85;中国における欠如、RR 397
エピクテトス、シャフツベリへの影響、DL 50, 216;このほか、MC 376, DL 278
エピクロス主義、アタラクシア(心の平静)、DL 216;他者を通じて刺激を味わう傾向、DL 217;憂鬱な飽満、RR 312–13;古代自然主義との関係、RR 268–70;理神論との関係、RR 121;パスカルによる論評、SC 84–85, 87
エピクロス、自然主義の限界、RR 270;サント=ブーヴとの親和性、MC 120;エピクロスと大衆についてのルナンの論評、MC 285;このほか、MC 357
平等、自由との関係、DL 123–28, 298;その関係についてのシェレールの論評、MC 204–05;経済的平等の真の基礎、DL 204;イギリスの政治理論における、DL 61–62;ルソーの観念、DL 107–08;プルードンによる論評、DL 108注
エラスムス、ルターとの関係、DL 25;愚かさについて、NL 77, 187, DL 180;宗教改革の知的な思い上がりについて、DL 189
エラストゥス、DL 53
エスプロンセーダ、孤独の中での啓明について、SC 13–14
倫理、洞察との関係、RR 47–49;力との関係、RR 330–31, 333, 339–40, 343, 347–49, 367;芸術との関係、RR 125, 202–17, 355–62, BC 21–22, SC 30;宗教との関係、DP 100;統治との関係、DL 27;政治上の倫理と私生活の倫理、DL 39–40;人道主義的なものと伝統的なもの、DL 289–92, DP 113–14;ロマン主義的倫理、RR 114–219, 264;理神論による感情化、RR 44, 131, DL 47–52, BC 41–42;ルソーによる感情化、LC 49–50, MC 169, RR 131, 153–67, 179–80, 187, 218, 258, 270, 330–31, 345, DL 51注, 72–75, 215–21;ショーペンハウアーによる感情化、DP 101;シラーの美学における、BC 134–86、とくに156–58;倫理と美についてのルナンの論評、RR 133
ユーフュイズム(綺飾文体)、LC 218, RR 10
エウリピデス、比較文学研究における、LC 169;真の倫理的目的の欠如、RR 204;個人主義、RR 244;『バッコスの信女』のソフィスト的傾向、RR 183;悲嘆の快について、RR 322注;ネメシスについて、DL 181;エウリピデスとラシーヌについてのシャトーブリアンの論評、MC 75
ヨーロッパ、意志と知性についてのアメリカとの比較、DL 294;アメリカへの影響、BC 221–22;アメリカの評価、DL 241, 269, 271, BC 231–32, 238, DP 67;アジアとの関係、DL 152–85, BC 235–60各所, DP 65–121各所
イーヴリン、「ロマンティック」という語との関係、RR 6;スイスについて、RR 274
悪、伝統的な見方と近代的な見方、DL 274;新プラトン主義とロマン主義的神秘主義における、DP 105–08;仏教における、DP 82
進化、宿命論との関係、SC 15;文学形式の進化についてのブリュンティエールの論評、MC 324–27;悲劇の進化についてのアリストテレスの論評、MC 326;教義の進化についてのニューマンとブリュンティエールの論評、MC 334;同じ問題についての大乗仏教徒の見解、DP 117;文明の進化についてのルソーの論評、DL 78–79
異国趣味、その幻想、RR 111
拡張性、コスモポリタニズムとの関係、MC 26–30;ロマン主義的なものと実利主義的なもの、DL 4–6;似非神秘主義的なものと唯物主義的なもの、DP 104–13;初期ルネサンスの拡張性、LC 13–19;「自発性」「集中」も参照
経験、実証的かつ批判的な人文主義における、RR xi–xxiii, 391, DL 6–7
表現、形式との関係、NL 217–52;シラーの美学における、BC 151
ファーブル、F、「昆虫のホメロス」、SC 186
ファゲ、文芸批評家として、MC 401;観念への乏しい信頼、MC 336;十九世紀の思考の人と感情の人について、MC 72;モンテスキューについて、DL 64;ルソーとモリエールについて、RR 30;ルソーの牧歌的観念について、DL 79;ディドロのジャンル混同について、NL 119;シャトーブリアンについて、MC 60;ベールとサント=ブーヴについて、MC 121–22, 126;古典主義と論理についてのテーヌとの比較、MC 244;ルナンの文体について、MC 292;フランスと自由主義について、DL 108注;フランス人の人格と知性について、SC 38;謙虚さの衰退について、DL 165
信仰、知性に対する意志との関係、DL 227, DP 86
人間の堕落、キリスト教的謙虚さとの関係、DL 166;その心理的真実、DL 173
家族、その衰退、DL 271–72
空想、想像力との関係、DL 10–14, NL 126, BC 111;空想と判断力についてのホッブズの論評、RR 12–13
ファリネッリ、A、RR 415
ファーカー、三一致の法則への批判、BC 91
ファランド、ウィルソン、LC 84
宿命論、仏教的なものではまったくないこと、RR 151;イスラム教の、DL 175–76;スペインの、SC 10;自然主義的なものと予定説的なもの、DL 202;ロマン主義的なものと科学的なもの、RR 163, 187–88, 339;「決定論」も参照
運命、古代と近代の演劇における、RR 188–91;ギリシア悲劇と近年の小説における、BC 217;道教における、RR 396
教父たち、自然状態について、DL 71;古典研究における位置、LC 169
フォーリエル、学識と影響、MC 32–33, 99
ファウスベル、『法句経』の翻訳、DP 74, xi
フォーセット、H・I、イエスの正統的解釈について、BC 2;汎神論的混乱、BC 76–77
フォーセット、E・D、RR xv注
フェレ、文芸批評家として、MC 402
フェヌロン、新古典主義の散文詩としての『テレマック』、NL 29;同作についてのヴォルテールの論評、NL 30;模倣としての詩について、NL 8;アカデミーの細かさについて、SC 172;ルメートルによる論評、MC 316
フェレーロ、G、ヨーロッパとアメリカの退廃について、SC 85
フィヒテ、フィヒテとスタール夫人についてのハイネの論評、MC 13;ドイツ人の性格について、MC 31, RR 347, BC 31;ロマン主義的アイロニーとの関係、RR 241
フィチーノ、新プラトン主義的神秘主義との関係、DP 105
虚構、古典主義と新古典主義の見方、NL 20–22; BC 83–90, 103–04
フィールディング、ユーモア、SC 28–29;『オデュッセイア』について、SC 99;フィールディングとリチャードソンについてのサッカレーの論評、MC 171;感情的倫理についてのサー・J・ホーキンズの論評、DL 72;ジョンソンによる論評、SC 35
フィーレンス=ヘヴァール、ヨーロッパの憂鬱について、SC 86
フィルマー、政治理論、DL 53–55;ロックによる反駁、DL 58
目的因、理神論における、DL 68;科学・人文主義・宗教の見解、BC xxvi, xxxi–xxxv;近代思想における起源との対立、BC 97–98
フィッツジェラルド、アーヴィングのシャイロックについて、LC 236;エウリピデスの哲学談義について、RR 204;その『ルバイヤート』の不可知論、SC 141
フラミニヌス、感傷的帝国主義、DL 270
フローベール、ロマン主義的幻滅、RR 107–09, 218–19;科学的自然観との関係、RR 299;『ドン・キホーテ』について、RR 87;ブルジョワについてのメンケンとの比較、BC 212;『ボヴァリー夫人』の愛、RR 234, 314–15;細心の技巧、RR 67;ジョルジュ・サンドとの関係、RR 339–42, SC 122, 127–40各所;芸術宗教、RR 340–41;純粋な美を幻影とみなす、BC 175;非個人的批評について、MC 255;『サランボー』についてのサント=ブーヴの論評、MC 140;ブリュンティエールによる論評、MC 306–07
フルーリ、福音書について、MC 272
フレクスナー、エイブラハム、SC 64
フォースター、ノーマン、スピンガーンとゲーテについて、BC 28注
フォンターヌ、シャトーブリアンへの影響、MC 41–42, 65;その影響についてのE・デシャンの論評、MC 63注
フォントネル、文学上のデカルト主義者、RR 27;フォントネルとボワローについてのサント=ブーヴの論評、MC 172
フォード、ヘンリー、拡張的唯物主義、DL 239, SC 214–15;産業界の指導者として、DL 212;金融の権威として、DL 241;平和船、DL 282;反ユダヤ主義、DL 5;歴史について、DL 146;禁酒法について、DL 253;フォードとガンディーについてのA・ジークフリートの論評、BC 252–53, DP 117
フォード、ジョン、病的傾向、NL 113注
フォルケ、アルフレート、墨子との関係、DL 151注
形式、表現との関係、NL 217–52, MC 10, BC 150–51;内的形式と外的形式、BC 150–51, 175
フォスディック、R・B、アメリカにおける法律主義・感傷主義・犯罪について、DL 254注
フォスター、ジョン、「ロマンティック」という語について、RR 8–9, 96
フーシェ、A、インドのルソー主義について、BC 252注
フイエ、A、ショーペンハウアーとデカルトについて、DL 327注
フランス、批評的気質、MC各所, SC 21–26;文学上の趣味、SC 36;中世と近代のフランス、LC 201;人文主義との関係、LC 20;新古典主義的正統との関係、NL 37;気取りへの反発、RR 10–11;新古典主義の慣例、RR 22–25;旧体制下の社会慣習、LC 216;古代の古典に代わるものとしての十七世紀文学、LC 175;古典的散文、NL 4, MC 295–97;心理的肖像を描く技芸、MC 250;古典主義とナショナリズムの同一視、RR 14;無政府状態と反動、MC 329–30;現在のロマン主義への反発、NL xii–xiii;教養教育との関係、SC 244;古典研究に対する過去と現在の態度、LC 181–82;近年の思想動向、MC 381–87, BC 187–200, SC 43;アメリカの評価、BC 201;アメリカによる遅ればせの模倣、BC 221–23;アメリカの模範としてのフランスとドイツ、LC 137–41;フランスとドイツについてのスタール夫人の論評、MC 12–23;同じ問題についてのルナンの論評、MC 292;スペインへの影響、SC 1–20各所;ワーズワースの見方、BC 38;フランス人についてのコールリッジの論評、LC 137, BC 121;フランス精神についてのニザールの論評、NC 87–93;フランスの理性と想像力についてのゲーテの論評、RR 22;過度の知性主義、SC 11;論理への情熱、MC 226, 299–300, RR 28;不寛容、SC 12;その不寛容についてのサント=ブーヴの論評、MC 123;その不寛容についてのシェレールの論評、MC 212;自由を平等の犠牲にする、DL 108;共和主義との関係、SC 19;その関係についてのシェレールの論評、MC 204–05;十字軍的精神、DL 285–87;「諸国民のキリスト」、DL 98, 130, 269;革命期と帝政期のフランス、DL 129–30;フランスとイギリスの帝国主義、DL 152–53;出生率の低下、DL 210;フランスと国際連盟についてのルソーの論評、DL 121–23
フランス、アナトール、文芸批評家として、MC 57, 311–12, 314, 316–24, 327, 345, 403;ブリュンティエールとの論争、MC 305, 306, 311–13, 330;エピクロス主義、SC 85;人文主義、SC 51;外的形式と内的無形式、BC 152注;力を衰えさせる詭弁、MC 349;幻影の感覚、RR 370;科学の虚しさについて、MC 289–90;汎神論について、BC 75;ロマン主義的宗教心、MC 322;魂と感受性の混同、BC 179–80;アイロニーと憐れみの崇拝、RR 265;人間を優しく軽蔑する、MC 347;人権について、DL 294–95;理想主義と人間嫌いについて、DL 81;無目的な芸術について、NL 46;ラテン文学と近代文学の対比について、LC 192;近代文学の独創性について、LC 229;文学的名声について、MC 351;シャトーブリアンと悪魔的詩人たちについて、RR 324注;ユゴーについて、BC 127;ルメートルとサント=ブーヴについて、MC 150;サント=ブーヴについて、MC 188;ルナンについて、MC 290;ヴィリエ・ド・リラダンについて、RR 88–89;象徴派について、NL 183
フランシア博士、カーライルによる称揚、DL 211
聖フランチェスコ、宗教的な面とロマン主義的な面、RR 222;謙虚さ、DP 79;愛の観念、DP 100–01;清貧の称賛、BC 68;ジョルジュ・サンドとの関係、SC 139;アナトール・フランスとの関係、MC 322
フランク、A、MC 123
聖フランソワ・ド・サル、LC 22
フランクリン、ベンジャミン、奉仕の観念との関係、DL 311, BC 226–27;サント=ブーヴによる論評、MC 113
友愛、統制の原理との関係、DL 4–8;政治的自然主義との関係、DL 74–75;恐怖政治との関係、DL 123–27;帝国主義との関係、DL 127–36
フリードリヒ大王、マキャヴェリとの関係、DL 41;このほか、DL 211, 131
フロイト、心理学、RR 262;倫理の堕落をもたらす作用、DL 229–30;宗教について、SC 236;幼年期についてのワーズワースとの比較、BC 98;このほか、DL 140, BC 62
フロマンタン、シェレールによる論評、MC 206
フルード、カーライルについて、RR 309
フーター、エドゥアルト、歴史をめぐるクローチェとの関係、SC 69
フュステル・ド・クーランジュ、DL 27–28, 54, 253注, 339
ガルドス、旧いスペインと新しいスペインについて、SC 13
ガリレオ、LC 37, RR 119, DL 321
ゴールズワージー、RR 252
ガンディー、ルソー的・トルストイ的性格、BC 251–53, DP 117;インドのナショナリズムとの関係、BC 260
ガラ、サント=ブーヴによる論評、MC 176–77
造園、イタリア式・フランス式・イギリス式、RR 271, 275–76;ルソーの影響、RR 275
ゴーティエ、空虚な唯美主義、MC 308;苦々しさを帯びた唯美主義、RR 341, SC 134;ロマン主義的郷愁、RR 93注, 108;赤いチョッキ、MC 295, RR 60;絵画への関心、RR 61;空虚なイメージ、MC 45;言葉による絵画、NL ix, 150, 155, MC 227;純粋な芸術家として、BC 175;その点についてのボードレールの論評、BC 174;文芸批評家として、MC 403;行いと恩寵について、MC 348;視覚的な鋭さについて、MC 302;職人的技巧について、RR 67;ロマン主義的な巨人的反抗について、RR 318注;ヴィニーの『チャタートン』について、RR 320;ポーの幽霊のようなヒロインたちについて、RR 230;ボードレールの音楽的散文について、NL 158–59;ユゴーへの敬愛、MC 377;ユゴーの巨人的天才について、LC 232;ユゴーの固有名詞の詩について、NL 149;マニーの会食におけるシェレールとの関係、MC 190–91;シェレールによる軽蔑、MC 209
ゲッリウス、アウルス、人文主義と慈善について、LC 5–9
チンギス・ハン、DL 158
天才、古代と近代の見方、MC 164–66;古典主義的なものとロマン主義的なもの、RR 32–69;ロマン主義的孤立、RR 313–43;独自なものと普遍的なものの結合、MC 248;カントによる議論、BC 141;ヴォルテールとルソーによる定義、RR 34;ディドロによる定義、SC 109–10;ビュフォンによる定義、RR 66;ユゴーによる定義、MC 180;無意識の活動についてのコールリッジの論評、BC 122;天才と才能についてのハズリットの論評、BC 4;ルソーと天才時代、LC 223
ジャンル、その区別、NL各所、とくに242–52
ジョフラン夫人、SC 14
ジョフロワ、批評的気質、MC 3–4;ディドロの『一家の父』について、RR 126, SC 111
ジェラード、A、その『天才論』、RR 40注;カントとの関係、BC 141
ジェラール・ド・ネルヴァル、音楽による暗示について、NL 169–70;妖精への憧憬にとりつかれること、RR 230–31
ドイツ、感情的・知的な不節制、LC 135–38;美学的な理論づくり、SC 36–37;知的な仕組みへの信頼、LC 153;衒学への寛容、NL 43;十六世紀の大学、LC 86;教養教育との関係、SC 244;サンスクリット研究、SC 141;科学的方法、LC 157;博士論文、LC 15–16, 134, 236;スペインの学ぶべき手本として、SC 15;アメリカ教育への影響、LC 74, 100–02, 134–38, 152–53, 177;ドイツ文化へのアメリカの態度、RR 389;批評の基準、MC 378;アディソンとバークの影響、SC 24;イギリス批評への影響、SC 23;疾風怒濤運動、RR 85;運命劇、RR 190–91;ロマン主義的アイロニーとの関係、RR 240–43;民族的誇り、MC 31, RR 347, BC 31;現実政治との関係、DL 40–41;近代ナショナリズムとの関係、DL 120;フランス革命との関係、DL 130;イギリスとの関係、NL 242注, MC 173;1914–18年の戦争における宗教的帝国主義、DL 231;インフレーション、DL 207–08;実利主義の増大、SC 43;シャフツベリの影響、RR 45;ルソーの影響、LC 223, RR 194, 224–25, 346–47, DL 118;シュペングラーの影響、DL 21;その超越主義についてのペイターの論評、BC 114;アメリカの超越主義との関係、LC 224;コールリッジへの影響、BC 106–08;カーライルへの影響、RR 52注;シェレールへの影響、MC 192–93;ルナンへの影響、MC 265, 268, 269;ドイツとフランスについてのルナンの論評、MC 292;同じ問題についてのテーヌの論評、MC 225;ドイツ人の機知についてのブウール神父の論評、MC 348;スタール夫人による論評、MC 6, 11–23, 247;P・S・シャーマンによる論評、DL 251–52
ジェルールド、キャサリン・F、RR 49注
ゲルヴィヌス、マキャヴェリについて、DL 135
ゲーリンクス、デカルト的合理主義との関係、DL 324注
ギル、ルネ、母音についてのランボーとの対立、NL 183
ギボン、オックスフォードについて、LC 254;ジョンソンとの関係、MC 339
ギールケ、O、DL 340
ギーゼ、W・F、ユゴーについて、BC 180注, 241
ギフォード、ハズリットとの関係、SC 31
ギルマン、D・C、LC 87, 151, 156
ジルソン、E、ドゥンス・スコトゥスについて、DL 320注, 321注
ジロー、ヴィクトル、パスカルについて、SC 88
ギッシング、科学的専門化について、LC 43;芸術と悲惨について、RR 309
グラッドストン、コントの「人文主義」について、LC 4
『ル・グローブ』、文学的影響、MC 80–82;ゲーテの関心、MC 80–81;サント=ブーヴとの関係、MC 80, 97, 102;クーザンとヴィルマンとの関係、MC 82
グルック、MC 176
神、経験による認識、DP 80;より高い自己との関係、LC 60;プラトン主義・キリスト教・仏教における、DP 77–78, BC xxxiii;プラトン・ゲーテ・アーノルドによる論評、DP 80
ゴダール大佐、RR 73
ゴドフロワ、LC 141
ゴドウィン、ワーズワースとの関係、BC 47, 49
ゲーテ、人文主義と自然主義、MC 242, 362–79, 381, RR 362, SC 45–46;成長、LC 232, MC 137, RR 339, 360–62;古典的な超然さ、RR 101–02;好んだ言葉、MC 341;コスモポリタニズム、MC 291, SC 14;スタール夫人との関係、MC 20–21, 88;『グローブ』への関心、MC 80–81;パスカルとの比較、MC 239;シャトーブリアン・ユゴーとの比較、MC 72–73;サント=ブーヴとの比較、MC 137, 142, 171;『ファウスト』『ヴェルテル』『ゲッツ』、RR 192;自然と『ヴェルテル』、RR 299;ロマン主義の「病院の詩」と『ヴェルテル』について、RR 310;『ヴェルテル』、ヘルダーリン、ルソー、RR 82;『ヴェルテル』と『フランケンシュタイン』、DL 133;ヴェルテルの弱さについて、RR 215;ヴェルテルの放縦について、RR 252;『ヴェルテル』とモンテーニュについてのサント=ブーヴの論評、MC 115;『ヴェルテル』についてのシラーの論評、RR 80, BC 164;同作についてのヴィレールの論評、RR 45;同作とユイスマンスのデ・ゼッサントについてのルメートルの論評、RR 332–33;『ファウスト』の理性と感情、RR 114–15, 170–71, 147, BC 192;眩暈へのファウストの献身、RR 181;至高の瞬間についてのファウストとベルクソン、RR 281;解放の象徴としてのファウスト、BC 31;ファウストの孤立、RR 327;『ファウスト』の偽りの精神性、RR 287;『ファウスト』の中心的詭弁、RR 375注;『ファウスト』第二部の非倫理的結末、RR 331, 346, DL 211;第二部における女性への賛辞、MC 265;『ファウスト』とドイツ帝国主義、SC 152;『ファウスト』へのベーメの影響、RR 255–56;『ヘルマンとドロテーア』の逆説、RR 23;タッソとアントーニオについてのゲーテの論評、MC 312;近代精神について、RR xi, SC 49, 72;キリスト教的蒙昧主義について、RR 246;現にあるものと真に実在するものについて、MC. 306;原現象について、RR 2;共感と反感について、MC 171;個人とその時代について、RR xvii;天才と環境について、MC 162;自然と天才について、RR 103注;生来の愚かさについて、MC 361;折衷主義について、BC xxxvi;改宗者への反対、MC 174, SC 74;真理と誤謬について、BC xxiv, SC 154;誤謬を好むことについて、RR 389, DL 138;幻想について、RR 73;歴史的経験について、RR xviii, DL v, 145;限界の内で働くことについて、LC 157, MC 95;自由と自己抑制について、BC 214, SC 38;同じ問題についてのブッダとの比較、DP 120;自由と依存について、RR 378;放棄について、SC 238;快楽と凡庸さについて、DL 241–42, SC 61–62;憎むべき多数派について、DL 264;革命的ナショナリズムについて、DL 130;二種類の音楽について、NL 108;伴奏者および指導者としてのミューズについて、BC 172;より高い現実の幻影としての芸術について、RR 19, BC 13;文芸批評について、LC 223, BC 27–31;アリストテレスの『詩学』の危険について、NL 6;古代人と近代人について、LC 192–96;ギリシア人への敬意、LC 231;オウィディウスの古典的憂鬱について、RR 92;古典的・ロマン主義的という語について、RR 96;ロマン主義への解毒剤、RR 85–86, 89;流行の自然愛について、RR 275;レッシングについて、NL 36;フランスの理性と想像力について、NL 69, RR 22;ディドロとの関係、SC 105–06;ルソーとの関係、SC 105;ヴォルテールとルソーについて、RR 32;ルソーの『ピグマリオン』について、RR 224–25;シラーの自由の観念について、BC 135–36, 148;シラーの哲学談義について、BC 138;シラーとロマン主義について、RR 96, BC 158;A・W・シュレーゲルの批評について、BC 30;イギリス人の知性を否定、SC 38–39;バイロンの文学上の保守主義について、MC 2;バイロンの幼稚さについて、MC 65;高い真剣さについてのアーノルドとの関係、BC 12;その独立性についてのエマソンの論評、MC 353;高尚さの欠如についてのエマソンの論評、MC 37, 366, 372, 374;サント=ブーヴの態度、MC 127, 162, 363, SC 45–46;シェレールのゲーテ論、MC 213–14;その影響についてのテーヌの論評、MC 242;クローチェによる論評、SC 72;C・W・エリオットによる論評、SC 213;このほか、SC 11
ゴールドスミス、LC 118
ゴンパーズ、サミュエル、進歩の観念、DL 232;裁判所への攻撃、DL 307
ゴンペルツ、Th.、プラトンとルソーについて、DL 51注;プラトンとショーペンハウアーについて、NL 91;古代自然主義について、RR 268注
ゴンクール、エドモンおよびジュール・ド、目の欲望、NL 142;文体、MC 304;愚かなゴシップ、MC 140;サント=ブーヴとの関係、MC 105–06, 123;二人の描写についてのサント=ブーヴの論評、NL 152–53;ゴーティエとシェレールについて、MC 190–91;ドス・パソスとの関係、BC 222;二人の印象主義についてのブリュンティエールの論評、MC 307;エドモンの資料収集についてのブリュンティエールの論評、MC 306;このほか、SC 192
ゴンゴラ主義、RR 10
ゴルギアス、MC 290注, SC 175
ゲレス、音楽としての建築について、NL 61注
ゴットシェート、NL 63
グールモン、文芸批評家として、MC 404
恩寵、伝統的および心理学的な教説、MC 367–76, RR 115–21, 157, 385–86, DL 176–84, 186–90, 194, 316, 319–23, 332–33, BC xiii–xxi, DP 88–90, 112, SC 76–88各所;霊感についてのプラトンとの関係、BC 8;ロマン主義的自然主義によるもじり、MC 375, RR 66–67, 133–34, 385–86, DL 218–19, 237, BC xx–xxi, xxxviii–xliv, SC 235
グラン、ゲルハルト、RR 78注
グレイ、作詩法、NL 156;感傷主義、SC 177;古典的憂鬱、RR 323;人文主義についてのサント=ブーヴの論評、MC 143–44;植物学と思考の対比について、NL 138;ピンダロスについて、RR 311;ジョンソンによる論評、SC 35
グレアール、O、スペンサーとルソーについて、LC 45注;シェレールの代表性について、MC 192, 202;同人の幻滅について、MC 197;A・フランスについて、MC 322
ギリシア、模範としての価値、LC 179–80, NL 250–52;人文主義、SC 12, 204; LC 24, RR 15–19, DL 35–36;行動より瞑想を重んじる、LC 253;人間と無限について、RR 253–54;文化的排他性、BC 236;限られた経験、SC 46;芸術形式の独自の伝統、MC 24;鍛錬された想像力、RR 354;倫理的な音楽、RR 210–11;神話、RR 224, 269;文学における模倣と独創性、LC 135, 233, 244;伝統との断絶、LC 24–26, RR 112, 175, 181, 244–45;ロマン主義とリアリズム、RR 104注;階級闘争と帝国主義、DL 148–50;過度の知性主義、DL 178;修辞への愛、SC 175;ロマン主義的ヘレニズム、RR 80, BC 165–67;その狭い完全性についてのルナンの論評、RR 251
グリーン、J・R、テーヌとテニソンについて、MC 342
グレゴリウス大教皇、無知について、NL 68
グルーズ、ディドロとの関係、SC 113
グレヴィル、フルク、「ロマンティック」という語との関係、RR 6
グレイ子爵、理想主義的自由主義、DL 289
グリーグ、反抗的ナショナリズム、NL 162, 163
グリルパルツァー、コスモポリタンな退廃について、MC 30;運命について、RR 191
グリム、ヘルマン、『ファウスト』の至高性について、RR 360
グリム、ヤーコプおよびヴィルヘルム、ロマン主義的学問、LC 43, 190, 239
グリム、メルヒオール、SC 105
グロティウス、国際法とストア主義、DL 45;国際法と自然主義、DL 52;国際法と合理主義、DL 71–72, 122
ゲラン、モーリス・ド、汎神論的夢想、RR 281, 342
ギゾー、歴史的方法、MC 82–83, 87;サント=ブーヴとの関係、MC 96, 154, 225;テーヌとの関係、MC 225–26;サント=ブーヴによる論評、SC 34
ガミア、F・B、LC 238–39
習慣、科学と人文主義の見解、RR 383–86;教育との関係、RR 387–89, DL 299–304;バーク・ルソー・ペイターによる論評、DL 107;仏教における回心との関係、DP 93
ヘッケル、似非科学的独断主義、NL 211, 213–14;ブリュンティエールへの影響、MC 325
ハリファックス、「中道を行く者」について、DL 105
ハミルトン、アレグザンダー、ジェファソンとの関係、DL 248注
ハミルトン、アンソニー、人文主義についてのサント=ブーヴの論評、MC 144, 160
幸福、究極の目的、RR 372–73, 375, 383, BC 118, 229;働きとの関係、DL 201, 242;目的との関係、RR 262, 306–52各所, 365–66, 393;幸福と放棄についてのブッダの論評、DP 102–04;倫理的幸福とロマン主義的幸福、RR 347–50, BC 65–67;アリストテレスとC・W・エリオットによる論評、SC 206–07
ハーディ、自然主義的宿命論、RR 191, BC 217;『覇王たち』の無形式、NL 232;戦争のキリストとしてのナポレオンについて、DL 132, 140
ハーパー、G・McL.、ワーズワースとアネット・ヴァロンについて、BC 36
原文の姓は Wallon。本索引の Vallon 項と同じアネット・ヴァロンを指すため、訳文の表記を統一した。
ハーパー、W・R、小規模大学について、LC 103;学問的余暇への反対、LC 248–49
ハリマン、E・H、LC 68, 71
ハリソン、J・S、MC 355注
ハートリー、デイヴィッド、ワーズワースとの関係、BC 42, 46, 49, 61
ハーヴァード、選択科目制、LC 52–53;古典研究と中世研究、LC 202;古典と近代語の対立、LC 205;文学オナーズ、LC 141, 205–09;歴史・文学オナーズ、LC 213;学問的水準、BC 225;卵の大食いチャンピオン、SC 189;このほか、LC 4
ドーソンヴィル、サント=ブーヴについて、MC 100
ハヴマイヤー、H・O、美しい魂として、RR 141
ホーキンズ、サー・ジョン、フィールディングとシャフツベリについて、DL 72;ジョンソンの虚構への軽蔑について、BC 84
ホーソーン、精神的な特異性、RR 67;孤立について、RR 326–27;奇矯なエマソン信奉者について、LC 225
ヘイウッド、MC 170
ハズリット、ヘンリー、デコルムについて、BC 2
ハズリット、ウィリアム、文芸批評家として、BC 25–26, RR 235–36, SC 31, 113;暗示性について、NL 125;意志によらない天才について、BC 4;ラファエロの目的性について、NL 97–98, RR 289–90;絵画の「グスト」について、NL 127–28;気質について、MC 170;愛について、RR 224;理想について、RR 97;幻影と現実について、RR 186注;ルソーの情熱的回想について、RR 235;フランス革命について、RR 181, DL 279;ラムの趣味について、MC 52;文芸批評におけるドイツの影響について、SC 23
ハーン、ラフカディオ、異国趣味、RR 111
ハースト、ウィリアム・ランドルフ、アメリカ文化との関係、DL 240, 264;扇動政治家として、DL 281
心、宗教的な見方とロマン主義的な見方、RR 252, 375–76, BC xxxviii–xl;心と理性についてのパスカルの論評、DL 179;頭との葛藤、DP 72
ヘーゲル、一元論、DP 107;進化との関係、MC 317;プロイセンと理念について、DL 333;孔子とキケロについて、BC xvi;ロマン主義的アイロニーをめぐるシュレーゲル兄弟との関係、RR 240;シラーの影響、BC 170;クーザンとの関係、MC 83;テーヌへの影響、MC 224–25;ルナンへの影響、MC 258, 281注;サント=ブーヴによる論評、MC 120;シェレールによる論評、MC 192–94, 216;クローチェとの関係、SC 67–72各所;ヘーゲルとプラトンについてのP・E・モアの論評、SC 67
ハイディッガー、『ミュトスコピア・ロマンティカ』、RR 7, 8
ハイネ、自発性、NL 163;ロマン主義的アイロニー、NL 82–83, RR 264–65;同じ主題について、RR 240;『ドン・キホーテ』について、RR 87;ロマン主義と中世について、RR 31;ローマとカトリシズムについて、DL 121;聖母について、RR 221;シュレーゲル兄弟とインドについて、LC 190;A・W・シュレーゲルとスタール夫人について、MC 12;スタール夫人の『ドイツ論』について、MC 13;テーヌによる論評、MC 341;アーノルドによる論評、SC 52
ヘインシウス、ラシーヌへの影響、NL 6, SC 96
ヘリオガバルス、SC 86
エヌカン、文芸批評家として、MC 405
皇帝ハインリヒ四世、中世の神権政治との関係、DL 28
フランス王アンリ四世、その大計画についてのルソーの論評、DL 121–23;このほか、LC 15
ヘンゼル、パウル、ルソーとドイツについて、RR 194注
ヘラクレイトス、一と多について、RR xiii注, DP 77
ヘルダー、ルソー主義的原始主義、LC 185–87, RR 97–98;人道主義的熱狂、LC 4;自然詩と人為詩について、BC 163;中世志向の学問との関係、LC 43, 239;暗示をめぐるレッシングとの関係、NL 116–17;レッシングの形式主義について、NL 229;ヴィーコによる先取り、NL 225注;ディドロとの比較、NL 117–19;フォーリエルとの比較、MC 33;スタール夫人への影響、MC 22;ルナンへの影響、MC 281注
エレディア、言葉による絵画、NL 155
遺伝、正義との関係、DL 202–03;遺伝と原罪についてのブリュンティエールの論評、MC 334;ダンテによる論評、MC 161;サント=ブーヴによる論評、MC 154–55;自らの遺伝的素質についてのルナンの論評、MC 265, 276, 279;テーヌによる論評、MC 221–56各所
ハーフォード、C・H、ルソーの「人文主義」について、LC 4;シェリー・プラトン・キリストについて、RR 359, BC 22–23;ワーズワースについて、BC 37
ヘルマン、ゴットフリート、狭い文献学、LC 110
ヘロドトス、MC 268
ヘロンダス、RR 104注
ヘリック、生涯と詩、MC 116–17
ヘシオドス、競争について、DL 205
ヘットナー、H、ルソーとドイツについて、LC 137注, NL 65, RR 194注;ティークの自由詩について、NL 222注
ヒルデブラント、DL 178注
ヒンドゥー教、精神的優越の自認、BC 236;行動より瞑想を重んじる、LC 253;内なる歯止めについて、RR 148;幻影について、MC 318, RR xv注, BC xxiii, 244, DP 104;「現世における解脱」について、DP 98;分別を欠く禁欲主義、DL 175;情熱的信仰、DP 89;魂についてのヴェーダーンタ学派の見解、DP 84;サーンキヤとヨーガの哲学、DP 94–95;『マヌ法典』からの引用、RR 326注;『カタ・ウパニシャッド』からの引用、RR 261;文法学者と美食家への呪詛、LC 164
歴史、その価値、DL 145–48, RR xviii–xix;旧い歴史と新しい歴史、MC 263–64;科学的な歴史とロマン主義的な歴史、LC 125–28, MC 362–63, RR 237–39, SC 44–46;人道主義による促進、SC 5;研究と独創性、LC 234–36;あらゆる歴史哲学に疑問があること、DL 20–21, SC 245;ルソーとドイツの歴史哲学、DL 78–79;ヘルダーの影響、LC 185;シャトーブリアンの影響、MC 76–78;ギゾーの歴史哲学、MC 82–83;文献学との関係、LC 121–26;古典研究との関係、LC 169–71;哲学との関係、MC 82–83;文芸批評との関係、MC 82–83, 339–40, RR 15;サン=テヴルモンとドライデンの批評における、LC 183–85;ヴィルマンの批評における、MC 85–86;ニザールの批評における、MC 9496;サント=ブーヴの批評における、MC 148–49, 151–61;詩に対する歴史と哲学についてのアリストテレスとシドニーの見解、RR 17–18;ゲーテによる論評、RR xviii, DL v, 145;エマソンによる論評、MC 264;サント=ブーヴによる論評、MC 263;口実としての歴史についてのテーヌの論評、MC 234, 263, RR 237;歴史の虚しさについてのテーヌの論評、MC 245–46;ルナンの見方、MC 263–67;シェレールの見方、MC 192–94;クローチェによる論評、BC 174, SC 68–70;ヘンリー・フォードによる論評、DL 146;ボルシェヴィキの歴史観、BC 259
ヒッチナー、エリザベス、シェリーによる論評、RR 266
ホッブズ、政治理論、DL 41–46;自然状態について、DL 59, 72, 74;権力への意志について、RR 192, 196, DL 48, 327;激烈な個人主義、DL 100;自然主義的決定論、DL 324, SC 42;想像力・空想・判断力について、RR 12–13, BC 83;言葉について、DL 232;ローマとカトリシズムについて、DL 121;シャフツベリによる批判、RR 131, 197;カンバーランドによる批判、DL 47;マンデヴィルの先駆、DL 48, BC 42;スピノザへの影響、DL 324注;ルソーとの比較、DL 87, 90, 94, 122;セリエールの先駆、DL 22
ホフマン、E・T・A、二重生活、RR 86;二重人格、RR 262;感覚の重なりについて、NL 175–76;ルソーの影響、NL 176;ルソーとワーグナーとの関係、NL 107注
ホガース、ユーモア、SC 28
ホルバイン、キリストとアリストテレスについて、SC 81
ヘルダーリン、狂気、RR 86;ロマン主義的ヘレニズム、RR 81–82, 90, 98, 110, BC 166;エンペドクレスとの関係、RR 325注
ホームズ、オリヴァー・ウェンデル、事実に偏る学問について、LC 163;カルヴァン主義について、MC 370
ホーム、H(ケイムズ卿)、カントへの影響、BC 141
ホメロス、ギリシア文学における模倣、LC 233;その非個人性についてのアリストテレスの論評、NL 115, RR 310;巧みな嘘についてのアリストテレスの論評、BC 13, 83–84;新古典主義と近代の批評における、LC 186, NL 242–43;新古典主義批評におけるロバとの関係、RR 144;アディソンによる論評、RR 38;ウェルギリウスによる模倣についてのポープの論評、NL 12注;ホメロスとアリオストについてのレッシングの論評、NL 49;リアリズムについてのラシーヌとフィールディングの論評、SC 99;ヘルダーとバラッド説、LC 186;暗示性についてのディドロとヘルダーの論評、NL 117–21;ホメロスとリチャードソンについてのディドロの論評、RR 208, SC 116;素朴さについてのシラーの論評、RR 80, BC 162–64;ホメロスとオシアンについてのスタール夫人の論評、MC 11;ホメロスと旧約聖書についてのシャトーブリアンの論評、MC 66;ホメロスとダンテ・ミルトンについての同人の論評、MC 68, 73;ホメロスとタッソについての同人の論評、MC 74;ホメロスとシェイクスピアについてのサント=ブーヴの論評、MC 184;ホメロスとオシアンについてのルナンの論評、MC 266;その名声についてのエマソンの論評、MC 352;その訴求力についてのニューマンの論評、RR 391–92;ユリシーズをめぐるテニソンとの関係、RR 92;ホメロスとコールリッジについてのJ・L・ロウズの論評、BC 117注;英文学研究におけるキャドモン・『ベーオウルフ』との対比、LC 201;このほか、LC 5, 59, 195, NL 25, MC vii, 144, 185, RR 295, 311–12, BC 101, SC 55, 109, 186
フッカー、法と人間の堕落について、DL 71
ホプキンズ、マーク、SC 222
ホラティウス、現代性、MC 25;人文主義、MC 116–18, 143, 144, RR 24;古典精神との関係、LC 175;大学の読書教材としてのイプセンとの関係、LC 95–96;直観的な良識、MC 254;原始主義との関係、RR 77;恐怖政治との関係、MC 244;『詩論』の影響、NL 4–5, 17, 41;ボワローへの影響、NL 4注;「詩は絵のごとく」、NL 3, 5, 11注, 17, 31, 32, 34, 61, RR 274;詩の彩色について、NL 23;形式と暗示について、NL 231–32;趣味の自由について、MC 347;ローマの退廃について、DL 271;ポープによる創造的模倣、BC 14;ホラティウスと感傷詩についてのシラーの論評、RR 77, 81, BC 164;サント=ブーヴとの親近性、MC 112, 116–18, 121, 137;キーブルによる論評、RR 285;ニューマンによる論評、RR 391–92;このほか、LC 152, 160, NL 79, RR 36, 115, 182, 379, DL 265, BC 130
原著画像で末尾の文字が欠損した書名は、参照先を照合して Ars Poetic[a] と補った原文に基づき『詩論』と訳した。補訂は原文の編集記録に明示されている。
フーバー、H、諸芸術の混同との関係、NL 162
フーフ、リカルダ、ロマン主義的陶酔について、RR 184;御者としての魂について、RR 261;このほか、RR 415
ハドソン、W・H、LC 45注
ユゴー、批評家の試金石、MC 332;思想家として、NL 145, MC 72–73;文芸批評家として、MC 405;風変わりな読書、LC 229;虚栄心、RR 50–51;自己神格化、DL 231;自由への熱狂、NL 197;非倫理的な想像力、RR 392–93;ロマン主義的道徳、RR 141–42;愛の賛美、RR 213;幼年期の崇拝、RR 52;ロバ崇拝、RR 146;似非東洋趣味、BC 241;詩的な錯乱、NL 71;ロマン主義的な大言壮語、NL 246;対照法、MC 180, RR 59;イメージ、RR 297注;描写の妙技、NL 149–50, MC 45;革命的語彙、MC 296;専門的語彙、RR 57–58;狂乱する登場人物、LC 58;成り上がり者のメロドラマ、RR 189–90;『エルナニ』の大げさな台詞、SC 103;『サテュロス』とプラトンの『パイドロス』、NL 135–36;『クロムウェル序文』、MC 220;同序文とスタール夫人の『ドイツ論』、MC 32;『オランピオの悲しみ』、RR 236;物質と精神について、NL 132–33;怪物と無限について、RR 94;醜いものへの好み、NL 167;崇高をめぐるバークとの関係、BC 180, 184;天才について、MC 180, BC 184;詩的霊感について、NL 15;詩語について、MC 296, RR 146;称賛する批評について、MC 67, 93–94, 377;芸術と進歩について、BC 171–72;ロマン主義と政治について、MC 79;恐怖政治の担い手たちについて、MC 243;ロベスピエールとマラーについて、RR 340, SC 138;ナポレオンとの関係、DL 129;シェイクスピアについて、LC 57–58, MC 75, 180;リストとの関係、NL 162, 168;ニザールとの関係、MC 91–92;ヴィルマンとの関係、MC 95;サント=ブーヴとの関係、MC 80, 102, 105–06, 107, 108, 136, 137;巨人的天才についてのゴーティエの論評、LC 232;固有名詞についてのゴーティエの論評、NL 149;激しさについてのドゥダンの論評、RR 214;空虚な描写についてのシェレールの論評、MC 209;ユゴーとゾラについてのブリュンティエールの論評、MC 307;テーヌによる論評、MC 341–42;A・フランスによる論評、MC 321, BC 127;ラセールによる論評、SC 90;セリエールによる論評、RR 307注;W・F・ギーゼによる論評、BC 180注, 241;このほか、NL 240, RR 140, 262注, 318注, 396
ユゴー、アデル、サント=ブーヴとの関係、MC 98, 100注, 105
ユグノー、追放によるフランスの弱体化、SC 12
人文主義、その定義、LC 3–31, DL 5–10;選択を伴う自己鍛錬、LC 56–57;絶えざる調停、NL 189–90;創造的模倣、RR 64;専門化との関係、SC 183–97;教育との関係、LC各所, SC 198–224;陶酔との関係、RR 182–83;現実と法則について、DL 233–35;正義との関係、DL 334;宗教との関係、LC 13, RR xx–xxi, 22, 379–82, DL 5–6, 195–96, 316–17, BC xi–xliv各所, 256–61, SC 203–05, 224–47各所;キリスト教との関係、RR 116–17;イエズス会の妥協、LC 18–19, RR 118–19;人文主義とキリスト教に対する十八世紀の反発、RR 44;近年のフランスでの議論、MC 383–87, BC 187–200各所;近年のアメリカでの議論、BC 1–3;サント=ブーヴにおける、MC 141–45;シェレールにおける、MC 206;A・フランスにおける、MC 320–21;アーノルドにおける、SC 48–65各所;中国における、RR xix, DL 33–36, BC 253, 261
人道主義、感傷的なものと科学的なもの、LC各所、とくに32–71, RR 344, SC 198–247各所;人文主義との関係、LC 3–12, DL 4–8, 26, BC xli;中心的な弱点、RR 331, DL 47–48, 235–36;倫理的混乱、RR 155–36, DL 196–200, DP 102, 110–15;個人主義との関係、SC 5–6;進歩の観念との関係、DL 66–67; DP 97–98;平和主義との関係、DL 131–32;ストア派の奉仕の観念との関係、DL 214–16;ピューリタンの奉仕の観念との関係、BC 209–10, 226–32;十字軍的精神との関係、DL 282–91, BC 258–59;非倫理的な法律主義、DL 250–58, 296–97;帝国主義との関係、DL 267–73;自然主義による反発、RR 197–98;今日の教会との関係、RR 367;アメリカとヨーロッパにおける、DL 310–14;古代中国における、DL 151, RR 397–98;仏教との関係、RR 151, DP 97;文芸批評における、MC 352–55;フランスの教育における、MC 383;サント=ブーヴの態度、MC 132–34, 202;ジョルジュ・サンドの態度、SC 125–26, 130, 135–40;シェレールの態度、MC 195–96, 202;ルナンの態度、MC 273–76;ブリュンティエールの態度、MC 327–31
ヒューム、合理主義、DL 224–25;懐疑主義、DL 234;自然主義的経験論、DP 85, SC 42;決定論、DL 324–25, 326, 328;感情的倫理、DL 51, 216, LC 61注;謙虚さの誤った観念、DL 165注;ルソーの感受性について、NL 112;このほか、DL 85
謙虚さ、その定義、DL 6, 163, SC 77, 204;宗教的なものと人文主義的なもの、RR 115–20, 380–82, DL 39, 158–85各所, 186–90, 195, 298–99, SC 230;中世における、BC 169–70;近代カトリシズムにおける、SC 79–81;東洋と西洋における、BC xvi–xvii, 238–39;仏教とキリスト教における、DP 79–80;儒教における、DL 34–36;近代の冷笑主義との関係、BC 11;政治秩序との関係、DL 55–56, 65;自由との関係、DL 108–09;指導力との関係、DL 257–58;ヒュームによる誤解、DL 165注;ルソーによる攻撃、DL 93–94;バークによる擁護、DL 97–116各所
ユーモア、イギリス人とフランス人の感覚、SC 27–29
体液、その学説、MC 167–68
ハント、リー、LC 35
ハード、中世のロマンスについて、RR 31;ジョンソンによる論評、MC 227
ハチソン、理神論的倫理、LC 61注, RR 44, 121, 131, 179, DL 48, 51;美学、RR 131, BC 140
ハッチンソン大佐、テーヌによる論評、MC 343
フォン・フッテン男爵夫人、『ヴィオレット』における色聴、NL 172
ユイスマンス、カステル神父との比較、NL 58;ボードレールとポーの影響、NL 178–80;『さかしま』、NL 178–84;デ・ゼッサントの精神的孤立、RR 332–33;ルメートルによる論評、MC 314, RR 332–33
イプセン、独創性の崇拝、LC 222;自由への熱狂、NL 197;自分に忠実であることについて、RR 330, SC 158;三一致の法則との関係、BC 91;大学の読書教材としてのホラティウスとの関係、LC 95–96
理想主義・観念論、真のものと偽りのもの、RR 376–77, BC xli–xliv, SC 67;うぬぼれとの関係、DL 16–17;自然主義との関係、DL 313–16;カント的・プラトン的・インド的観念論、DL 225–26, DP 77, 84–85;帝国主義との関係、DL 266–73;1789年革命との関係、MC 254–55;1848年革命との関係、MC 129–30;芸術における理想主義についてのサント=ブーヴの論評、MC 138–39;ルナンの理想主義、MC 260–63, 281–86;ブリュンティエールの理想主義、MC 333–37;シラーの理想主義、BC 157
幻影、感覚的なものと形而上学的なもの、NL 186–90, MC 251–52;現実との関係、RR xiii–xvi, 200–01, 370–71, DL 12–14, 146–47, 168–70;科学との関係、BC xxix;普遍的なものとの関係、RR 102, BC 13–14;真実らしさとの関係、NL 22, BC 90–93;スペイン人の幻影の感覚、SC 4, 13–14;ロマン主義的崇拝、RR 260;ヴォルテールによる論評、RR 39;ジュベールによる論評、NL 100, 103, MC 42–59, 196, RR 171注, DL 12, 13, 169, 175, BC 122;シェレールによる論評、MC 195–97;ルコント・ド・リールによる論評、MC 318, RR xiv, 365;ヒンドゥー教と仏教の見解、LC 26, MC 318, DL 168, BC xxii–xxiv;道教の見解、RR 397;「想像力」「一と多」も参照
想像力、その役割、RR 353–93各所, SC 77;古代と近代の用語法における、RR xv–xvi, DL 11–13;遠心的なものと求心的なもの、RR 200–01, 258–60, DL 147;人文主義的なものと自然主義的なもの、NL 134–35;帝国主義的想像力、DL 137–42;分析との関係、RR 165–86, DL 10–17, 179–80, 233–38, BC xxx, xxxvii–xxxviii;文芸批評との関係、SC 29;倫理的芸術との関係、RR 202–03, BC 21–23;古典主義・新古典主義・ロマン主義の理論における、NL 69–86, BC 80–133;新古典主義批評における、NL 20–22, 9–14, 20;十八世紀批評における、RR 39–43;ロマン主義の理論と実践における、RR 70–113, BC 5–6, 139;道教と儒教の想像力の観念、RR 397;政治との関係、DL 70–116、とくに78–82, 103–16, 125–27;ルソーによる論評、NL 69–72;カントによる論評、BC 141–48;シラーによる論評、BC 148–56;ワーズワースによる論評、BC 71–75;ジュベールによる論評、MC 41–59;C・W・エリオットによる論評、SC 212–13
模倣、人文主義との関係、RR 64–65;古典的伝統とキリスト教的伝統における、RR 36;古典的伝統と中世的伝統における、BC 169–70;古代と近代の理論における芸術的創造との関係、NL 3–19, RR 19–20, BC 3–6, 11–20, 127–32;芸術的形式との関係、BC 150;模倣と天才についてのアディソンの論評、RR 35;同じ問題についてのヴォルテールとルソーの論評、RR 34;同じ問題についてのヤングとロンギノスの論評、RR 37–38;同じ問題についてのカントの論評、BC 141;無選択な模倣についてのレノルズの論評、NL 188;バークの政治体系における、DL 101;儒教における、DL 34
不死、経験に基づく超自然主義との関係、DP 80;ブッダの無関心、DP 97–98
帝国主義、政治的なものと心理的なもの、DL 17–22;自然主義との関係、MC 129–30, 386, RR 366;国民的気質との関係、RR 194;民主主義との関係、DL各所、とくに117–57, 311–12, 334, SC 57–65各所;開拓地の心理との関係、DL 240;アメリカの理想主義との関係、DL 266–73、その関係についてのジークフリートの論評、BC 232;人道主義との関係、LC 60–71, 241–42;文学研究における、MC 386–87;西洋と東洋における、BC 235–40;キプリングのロマン主義的東洋趣味との関係、BC 245–47;ギリシアにおける、DL 148–50;ローマにおける、DL 18–19, 151, 270;古代中国における、RR 398, DL 151;ベルクソンによる論評、DL 17–18, SC 71–72;セリエールによる論評、DL 20–22, 194注, BC 187, 197;バンダによる論評、BC 197–98
印象主義、文芸批評における、MC各所、とくに125–26, 340–52;ブリュンティエールの反対、MC 306, 311–13, 324–37;ルメートルの批評における、MC 311–16;A・フランスの批評における、MC 316–24;ペイターの批評における、MC 323;メンケンの批評における、BC 18–19; 201–34、とくに202–05;教育における、LC 45–48;近代語教育における、LC 196–99;アメリカの生活と文学における、BC 221–22, SC 144–46;ギリシアにおける、DL 148–49
インド、優越感に基づく思い上がり、BC 236, DP 66;節度の感覚の欠如、LC 24, RR 381;一なるものの感覚に呑み込まれる、LC 26;ヨーガの観念、DP 94–95;業への信仰、DP 92;神秘主義、RR 255;宗教的傾向、DL 158–63, SC 141–52各所;牧歌主義、DL 80;バラモンの神権政治、DL 32;イギリスの産業主義との関係、DL 114, 151;イギリス統治、DL 162;ロマン主義的誤解、RR 148–53, BC 241, 243–47;精神的伝統と西洋のロマン主義、BC 249–60;シュレーゲル兄弟のインドへの関心についてのハイネの論評、LC 190
個人主義、行動・思考・感情の個人主義、RR 114–15;近代精神との関係、RR xi–xiii, DL 8, 142–45, 316–17, SC 233–34;分析との関係、RR 386–87, DL 278;健全なものと不健全なもの、RR 328–33, DL 186–238、とくに211–13, 232–35, 237–38;仏教における、DP 88–89;カトリシズムとプロテスタンティズムにおける、DL 186–90, 237, 332–33;ルネサンスにおける、LC 13–19, 41;十八世紀における、LC 41;現代教育における、LC各所、とくに93–94;ヘルダーにおける、LC 185–87;ルソーにおける集産主義との関係、DL 86;バークにおける、DL 101–02, 104–05;ブッダにおける、RR xx, 370;ギリシア・ローマ・中国における、RR 398, DL 148, 151;スペインにおける、SC 5–6;個人主義と利己主義についてのブリュンティエールの論評、MC 329
怠惰、原罪との関係、LC 52–55, RR 153, DL 316;うぬぼれとの関係、DL 274–78, DP 104;物質的な働きによって増大すること、RR 367–68
産業主義、実利主義の伝統との関係、DL 113;大衆との関係、DL 132–33;国際的信頼との関係、DL 208–09;帝国主義との関係、RR 366–67, DL 114;機械的効率と真の働きの対立、DL 212–13;余暇との関係、BC 229–30
無限、人間による知覚、RR 165–86, DL 137–39;内的なものと外的なもの、RR 200–01, 250–53, 348;人文主義・宗教・ロマン主義の見方、RR 253–63, BC 148–49;ロマン主義的自然崇拝との関係、RR 280–305各所, DL 219–20;パスカルによる論評、DL 180
内なる歯止め、この語の出典、SC 151;人間の中心的な力、NL 201, RR 147–57, 160–61, 250–59, 368, DL 24, 230, BC xix;「内的統制」についての孔子の論評、DL 35;「良心」「意志」も参照
狂気、ロマン主義的象徴表現との関係、RR 296–97;霊感との関係、BC 6–11
洞察、「直観」を参照
霊感、狂気との関係、BC 6–11;模倣との関係、RR 37–38, 87
知性、「理性」を参照
国際法、自然状態との関係、DL 45–46, 52;意志と理性、DL 266–67
国際主義、「コスモポリタニズム」「ナショナリズム」を参照
陶酔、ロマン主義・宗教・人文主義の見方、RR 180–84;荘子による称賛、RR 396;キプリングとブッダによる論評、BC 247–48
内省、宗教的なものと人文主義的なもの、BC 228–29
直観と洞察、その定義、NL 90–96, MC x, 34–59、とくに51–59, 218–97、とくに250–54, BC 121–22, RR 372;良心との関係、RR 153–54;知性との関係、SC 74;分析との関係、RR 165–86, 200–01, 364;論理との関係、DL 322;芸術との関係、NL 226–30;文芸批評との関係、SC 35;ワーズワース・コールリッジ・エマソンにおける汎神論的夢想との関係、BC 75–76, 106;ブッダによる論評、DP 94;パスカルによる論評、RR 29;カントによる論評、BC 143–45;バンダによる論評、BC 194–96;クローチェによる論評、SC 68
アイルランドのサガ、真に素朴であること、NL 73;形式の欠如、MC 25
アイロニー、ロマン主義の理論と実践における、NL 82, RR 240–67
アーヴィング、ヘンリー、LC 236
イタリア、ロマン主義的憧憬、RR 91;共和主義との関係、SC 19;帝国主義、DL 40–41;スタール夫人の影響、MC 32;スタンダールとテーヌによる論評、MC 232
ジャクソン、アンドリュー、平等主義的民主主義との関係、DL 246
ヤコービ、嘘についてのカントとの対立、DL 325注
ジェイムズ、ウィリアム、実用主義的印象主義、LC 27, NL 212;蒙昧主義、SC 74–75, 241;一と多について、MC ix, 53–54, RR xiii;哲学的眩暈について、RR 181;酩酊の称賛、RR 183–84;習慣について、RR 384;自己限定について、BC xix;意志について、DL 328–29, DP 86;古典主義と論理について、MC 253–54;紳士について、SC 231;パスカルの回心との関係、SC 74;ルソーの「回心」との関係、RR 78
ジャナン、文芸批評家として、MC 405;ニザールとの関係、MC 91
ヤンセン、アリストテレスについて、SC 81
ジャンセニスム、パスカルとの関係、SC 73–88各所;ラシーヌとの関係、SC 92–93;神学的恐怖支配、RR 123;禁欲的謙虚さ、DL 181;禁欲的排他性、DL 187;内なる光について、DP 88;知性と意志について、DL 321;自然美について、BC 176–77;逸話、MC 287, RR 133;迫害によるフランスの弱体化、SC 12;恩寵をめぐるヴォルテールとの関係、DL 323;サント=ブーヴとの関係、MC 98, 102, 104–05, 108, 109, 111, 148, 150, 153, 174
日本、仏教、LC 155, DL 275, BC 254;家父長的統治との関係、DL 54;西洋との関係、BC 236, DP 65;帝国主義、BC 240, DP 68, DL 154–55;アメリカとの関係、DL 267
ジーンズ、サー・ジェームズ、宇宙論、BC xxvi
ジェファソン、平和への情熱、DL 196;エピクロス主義、DL 242;平等主義的民主主義との関係、DL 246–52;アメリカの発展について、DL 240;教育への影響、DL 305
ジェフリー、ジョフロワとの類似、MC 4;引用、BC 38–39
イエズス会、恩寵をめぐるジャンセニストとの関係、DP 88;キリスト教の厳格さを覆い隠す、RR 123;パスカルによる論評、SC 76;人道主義との関係、SC 80;決疑論、NL 7–8, DL 253;教育制度、LC 18, RR 118–19;芸術の観念、RR 33;政治理論、DL 53;ボルシェヴィキより望ましいこと、DL 186;恩寵をめぐるヴォルテールとの関係、DL 323;スペインの衰退との関係、SC 18, 19
イエス・キリスト、批判的な接近、DL 273–74, 298, DP 69–70;孔子との関係、DL 34;ブッダとの関係、DL 158–64, 170, 172, DP 73, 79, 87–88, 115, SC 163, 167–68;アジアの精神との関係、DL 158, 172, BC 260–61;人道主義との関係、DL 283–84;ロマン主義的誤解、RR 52, DL 195, BC 121, DP 101–02;ヴィニーによる論評、RR 336;ブレイクによる論評、RR 254–55;カーライルによる論評、BC 4–5;アーノルドによる論評、MC 272–73;ルナンによる論評、MC 27, 271–76, 286, RR 265, 304;イエスとマルクス・アウレリウスについてのテーヌの論評、MC 241;H・I・フォーセットによる論評、BC 2;イエスとシェリーについてのC・H・ハーフォードの論評、RR 359–60, BC 22–23;パピーニとブルース・バートンによる論評、BC 257–58, DP 115;帝国主義的な捉え方、DL 141;このほか、MC 26, RR 36, 115, 379, DL 33, 177, 264, 275, 289, 291, BC 54, 198, 259
ユダヤ人、スペインからの追放、SC 12;その影響についてのバンダの論評、BC 192–93
イェーリング、ベンサムとの関係、DL 296注
ジョンズ・ホプキンズ、ドイツ式の方法、LC 151
ジョンソン、想像力に乏しい伝統の擁護、RR 21, 356–57, 360, 362, BC 80–96;倫理的英知、RR 256;専制的な気質、MC 339;十七世紀の学問、NL 43;都会的趣味、RR 91;美食の趣味、MC 349;食物と文学の趣味、SC 34–35;詩の批評家として、SC 26, 29–30, 35;批評家・詩人として、BC 24;ロマン派との比較、LC 259;ブリュンティエールとの比較、MC 303;孔子との比較、RR xx;ブッダとの比較、RR 370;サント=ブーヴによる称揚、MC 96, 340;外国人について、SC 40;イギリスのアカデミーについて、SC 27;専門化について、LC 21;空疎な美辞麗句について、LC 70;うぬぼれについて、RR 71;個人的特異性について、RR 46;直観的良識について、MC x;心の機械化について、MC 230;印象主義について、MC 349;自由意志について、MC 370–71, DL 228, 325, 330;永遠について、DP 80;驚異について、NL 80, RR 50;ラセラスの倦怠について、RR 68–69;想像力について、RR 72, 89, 96, 356;形而上派詩人の機知について、RR 12;一般性の壮大さについて、RR 12, BC 180, 219;細部の描写への反対、NL 236;詩的幻影をめぐるA・W・シュレーゲルとの関係、NL 86注;シェイクスピアについてのヴォルテールとの対立、RR 33;ドライデンの詩語について、NL 24;ドライデンの愛の称揚について、RR 223;ドライデンの卑屈さについて、SC 22;ポープの作詩法について、RR 25;ポープの良識について、RR 174;支配的情念をめぐるポープへの反対、MC 169;モンボドー卿について、LC 226;ハードについて、MC 227;オシアンについて、MC 266;スレイルの醸造所について、DL 206;クーパーによる論評、SC 35–36;セインツベリーによる論評、SC 21;このほか、NL 42, RR 348, BC vii, 75, 104, 146
ジョンソン、ベン、文芸批評家として、SC 29;気質について、MC 168;このほか、RR 209
ジュベール、その人物像と議論、MC 34–59, 65, 312, 355–56, 378, NL 100;幻影について、NL 100, 103, 196, RR 171注, DL 12, 13, 169, 175, BC 122;想像力について、BC 121–22;精神的洞察について、MC 199;英知について、MC 331;人生の充実について、RR v, 393;情念と幸福について、RR 314;直観と分析について、MC 69–70;真理と対抗する真理について、MC 359;天窓について、MC 375;精神を捻挫させることについて、BC 142;想像力に富む語法について、NL 116注;隠された技芸について、MC 293;模倣について、RR 25, BC 14;女性について、RR 158;ギリシアの退廃について、RR 253;マキャヴェリとモンテスキューについて、DL 63;イギリスの政治理論について、DL 112–13;フランス革命の非宗教的自由について、DL 273;ラシーヌについて、SC 93;ルソーにおける魂と官能について、NL 99–100, RR 220–21;ルソーと宗教について、SC 240;ルソーの徳の観念について、MC 7–8, RR 179, DL 74;ルソーの哲学的怠惰について、DL 279注;スタール夫人の非倫理的熱狂について、MC 8;シャトーブリアンの才能について、MC 64;シャトーブリアンの宗教的唯美主義について、MC 71;シャトーブリアンの性格について、RR 134;このほか、MC x, 74, 381
ジュフロワ、ルメートルによる論評、MC 315
ジャーナリズム、民主主義的印象主義、MC 354;扇情主義、DL 217–18;アメリカにおける、DL 243;国際関係との関係、DL 267
ジョウェット、退廃期ギリシアの修辞について、SC 175;このほか、LC 160, BC 124
ジョイス、創造性、BC 25;コールリッジによる先取り、BC 126;『ユリシーズ』における精神の解体、BC 132
フアン・デ・ラ・クルス、スペインの神秘主義との関係、SC 3
ドン・フアン、ロマン主義的理想主義との関係、RR 231–32
ジュシュー、MC 145
正義、倫理的なものと社会的なもの、DL 197–209;平和との関係、DL 236, 293, 334, BC xli;人格との関係、DL 308–09;仏教とキリスト教における愛との関係、DP 101–02
ユウェナリス、LC 26, DL 18
鴨長明、自然と宗教について、RR 272注
カント、哲学の破綻との関係、RR xvi;アプリオリ主義、DP 84–85;想像力の不十分な扱い、RR 42–43, 70, 240, 370;純粋理性と実践理性について、DL 224–26;意志について、DL 324–26;実効性のない平和主義、DL 131;倫理学と美学、BC 136–37, 140–48, 152注, 158, 163–64, 170注, 181, 183;ストア主義との関係、DP 82;美学へのイギリスの影響、RR 40;ルソーの影響、LC 137注;シラーへの影響、NL 83注, RR 43, BC 136–37, 143, 151, 152注;カントとスタール夫人についてのハイネの論評、MC 13;ルヌーヴィエとの関係、BC 196;ラ・アルプによる論評、RR 100;ジュベールによる論評、MC 43;このほか、DP 97
業、その定義、DL 194, RR 386注;決定論と恩寵との関係、MC 176;仏教・ヒンドゥー教・プラトン主義における、DP 92–93;ブッダが思議できないとしたものの一つ、MC 369–70
カタルシス、その定義、BC 12–13, 103–04;自己表現をめぐるメンケンとの関係、BC 18–19;ワーズワースの詩における、BC 74注;精神分析における、BC 117
修道女カトライ、神秘主義、DP 106
キーツ、大学の読書教材として、LC 119;気晴らしの詩との関係、RR 357–58, 360, BC 21;遺伝的素質、MC 161;病的傾向、NL 113;若いころの感覚主義、NL 145;美的知覚の鋭さ、MC 375;美の観念、BC 177–78;無目的なロマンス、NL 76;それについてのアーノルドの論評、NL 130–31;幻影と理性について、NL 79;聞こえない旋律について、NL 57;快楽と苦痛について、RR 316注;ワーズワースについて、BC 75;その感受性についてのシェリーの論評、RR 321注
キーブル、異教的自然観について、RR 285
ケレット、E・E、コールリッジとチョーサーについて、BC 123–24
ケプラー、LC 37, RR 119
キプリング、地方色、NL 153;感覚印象、NL 172;ボードレールとの関係、NL 172注;ロマン主義的帝国主義、BC 245–49, DP 75;ギリシアの喜びについて、RR 312
キルヒャー、アタナシウス、音と色について、NL 54
クライスト、その女性たちについてのヴァルツェルの論評、RR 160注
クリンガー、「音楽的」なベートーヴェン像、NL 134注
クロッツ、レッシングとの関係、NL 43
クネヒト、J・H、ルソーの影響、NL 164
コッツェブー、MC 352
梅光迪、道教について、BC 255
ラ・ブリュイエール、独創性について、LC 230;機知と想像力について、RR 11–12, BC 81;内的形式と外的形式について、BC 182;文学の商売について、BC 220;服装について、RR 60;劇場での振る舞いについて、RR 125–26, SC 110;昆虫愛好家について、SC 185–86;金融家について、SC 192;オールバニ伯爵夫人所蔵の著作、MC 110;サント=ブーヴへの影響、MC 110–11;文体についてのサント=ブーヴの論評、MC 152;アディソンとの比較、SC 29, 42
ラ・カルプルネード、イギリスにおけるラシーヌとの関係、SC 103
ラハマン、狭い文献学、LC 110
ラ・フォンテーヌ、言葉と色彩について、NL 48;幻影の魅力について、NL 77;ロマン主義的想像力について、RR 71–72;新奇さへの渇望について、RR 313注;男女の心理について、RR 157;森について、RR 285–86;マレルブの影響、NL 156;ジュベール・サント=ブーヴ・アミエル・アーノルドによる論評、MC 52注;ニザールによる軽視、MC 89;寓話作家としての天職についてのサント=ブーヴの論評、MC 179;ラ・フォンテーヌとボワローについての同人の論評、MC 183;その失策についての同人の論評、MC 185;テーヌによる論評、MC 247–48;このほか、MC 20
ラ・アルプ、文芸批評家として、MC 3, 85;中世について、MC 11;『神曲』より『アンリアード』を好む、LC 216;ラ・アルプとロマン主義についてのドーヌーの論評、RR 99–100;その形式主義についてのジュベールの論評、MC 51;歴史感覚の不足についてのサント=ブーヴの論評、MC 153
ラマ教、神権政治的傾向、DL 33
ラマルク、若いサント=ブーヴへの影響、MC 102
ラ・マルトリエール、シラーとの関係、BC 135
ラマルティーヌ、叙事詩人として、NL 115;思想家として、NL 145;音楽的暗示性、NL 154;主観性、MC 199, RR 310;天才と感情について、SC 134;天才と涙について、RR 126;自然への信頼、MC 233, RR 279;自然への自己の溶解、RR 292注;水辺の夢想、RR 281;最後の孤立、MC 131;ルソーによる先取り、RR 103, 187, 236;その模倣者たち、RR 61;逸話、MC 159–60;心情豊かな無知についてのサント=ブーヴの論評、NL 115, MC 121注;サント=ブーヴの嫉妬という説、MC 136;シェレールの共感、MC 199, 208;テーヌによる論評、MC 341–42
ラム、文芸批評家として、BC 25–26;美的感受性、MC 52;ロンドンのロマン主義的な見方、RR 91–92;王政復古期の喜劇について、RR 92, 209;共感と反感について、MC 170;スコットランド人について、MC 331–32;コールリッジの『老水夫の歌』について、BC 116;ラムとジュベールについてのサント=ブーヴの論評、MC 36
ラムネ、サント=ブーヴとの関係、MC 102, 106–08;ルメートルによる論評、MC 315
ラ・メトリ、DL 324注
ラ・モット=ウダール、三一致の法則への批判、BC 90;このほか、RR 55
『ラ・ミューズ・フランセーズ』、文学的・政治的傾向、MC 80
ラニア、シドニー、五感が一つになることについて、NL 173
ランマン、C・R、DP xi
ランソン、高等教育への影響、MC 384–86;ボワローの第九風刺詩について、MC 380注;ルソーの二重性について、RR xvii–xviii, DL 84–86;ルソーの政治的影響について、SC 228–29
老子、道教との関係、RR 395–98, BC 253–55
ラプラス、神について、RR 138
ラ・ロシュフコー、フロンドの乱との関係、DL 41;冷笑主義、DL 48;頭と心について、MC 53, RR 160;憐れみへの反対、SC 188;専門化への反対、LC 21–22, MC 212, SC 183;サント=ブーヴへの影響、MC 109–11, 132, 156–57, 173–74;その文体についてのサント=ブーヴの論評、MC 152
ラスキ、H・J、自然権について、DL 223–24
ラセール、ピエール、ロマン主義への攻撃、LC 258注, NL xii–xiii, 236–37, MC 381, SC 89–91, 103–04;ロマン主義的な大言壮語について、NL 146;ロマン主義の登場人物たちについて、RR 140;アメリカとの関係、BC 222
法・法則、仏教とキリスト教における摂理との関係、LC 60, DL 67注, DP 80–81;ロマン主義における愛との対立、RR 141–43;芸術における、NL 220–22, 250;人間と事物の法則、NL 200–03, 205, 209, 215, RR ix–x, 343, DL 233–35;自然権と正義の社会化、DL 294–97; 307–08;イギリス法とローマ法、DL 331;ローマ法と絶対主権、DL 331–32;中世・ルネサンスにおけるローマ法とストア的自然主義、DL 71;国際法における理性と意志、DL 233–34;法と立法者についてのルソーの論評、DL 88–89
ロー、ウィリアム、宗教的熱狂との関係、RR 254, 258
指導力、民主主義との関係、RR 389–90, DL各所、とくに16–17, 26, 280–82;倫理的なものと帝国主義的なもの、DL 245–46, 257–66, 308–10;模範と奉仕、DL 199;模範および奉仕と宗教、DP 117;孔子とアリストテレスによる論評、DL 35, 61
国際連盟、唯物主義的平和主義との関係、DL 196;超委員会として、DL 215, BC xli;人道主義的な空想として、DL 288;サン=ピエール神父とルソーによる論評、DL 121–23;古代中国における、DL 151
リア、エドワード、1848年のイタリアの逸話、DL 80–81
ル・ボシュ、叙事詩の規則、LC 186, NL 242–43;詩の仕掛けへの信頼、MC 65;ドライデンによる論評、SC 26
レッキー、バークとルソーについて、DL 115
ルコント・ド・リール、絵画美の崇拝、NL 154–55;芸術のための芸術、BC 172;苦々しさを帯びた唯美主義、RR 341, SC 134;感情を表に出さない悲嘆、RR 317;その悲嘆と科学的自然観、RR 299;宗教的反逆、RR 324;幻影の感覚、MC 318, RR xiv, 365;インドのロマン主義的な見方、RR 149, BC 244–45
レッグ、孔子との関係、DL 36
ルグイ、ワーズワースとアネット・ヴァロンについて、BC 36;ワーズワースとゴドウィンについて、BC 47注;ワーズワースとドロシーについて、BC 48–49;ワーズワースの原始主義について、BC 51;ワーズワースの想像力の定義について、BC 94–95;ワーズワースの神の観念について、BC 105–06;ワーズワースの教訓主義について、RR 250注;このほか、RR 249注
ライプニッツ、美の観念、BC 140, 141;啓蒙主義との関係、NL 64;このほか、MC 365
余暇、教育との関係、LC 54–55, 246–63, BC 229–31;倫理的な働きとの関係、DL 203;気晴らしとの関係、RR 289
リーランド・スタンフォード、文学士号、LC 210
ル・メートル、アントワーヌ、サント=ブーヴによる論評、MC 152
ルメートル、ジュール、文芸批評家として、MC 125, 311–16, 321, 324;サント=ブーヴとの関係、MC 125;その関係についてのA・フランスの論評、MC 150;ブリュンティエールとの論争、MC 306, 311–13, 326, 331;ラシーヌについて、SC 91–104各所;ルソーについて、RR 127–28, SC 79, 91, 94;ジュベールについて、MC 52;シャトーブリアンの不確かな趣味について、MC 62;同人の才能について、MC 64;同人の気取りについて、RR 155;シャトーブリアンをめぐるサント=ブーヴとの関係、MC 138;ユイスマンスのデ・ゼッサントについて、NL 184, RR 332–33;ゾラについて、RR 106;オーネについて、MC 323;テーヌについて、MC 302;A・フランスについて、MC 320;自由詩について、NL 222;現代文学の無為な奇矯さについて、MC 308, BC 16, SC 191–92;ロシアにおけるフランス・ロマン主義について、RR 141, BC 259
ルメルシエ、ネポミュセーヌ、悲劇の規則について、MC 2
レーナウ、ピッツバーグのアルカディア、RR 91
ランクロ、ニノン・ド、喜びについて、RR 307;このほか、MC 336
レーニン、DL 266, 312, BC 260–61
ル・ノートル、RR 275
レオ十三世、ブリュンティエールとの関係、MC 334
レオナルド・ダ・ヴィンチ、古代の均整への郷愁、LC 192, NL 191, RR 117
レオパルディ、RR 238
レランの聖ヴァンサン、聖ヴァンサンとダーウィンについてのブリュンティエールの論評、MC 334
ル・ロワ、E、ベルクソン的な混乱、BC 189–90
ル・サージュ、サント=ブーヴによる論評、LC 227;ジュベールによる論評、MC 39;ヴィルマンによる論評、MC 86
『東洋からの呼びかけ』、BC 237–38, 242–43, DP 66
レッシング、文芸批評家として、NL vii–x, xiv, 32–58;批評の称賛、LC 223–24, NL 35;古代人の節度について、NL 186;礼儀と古代人について、SC 98;アリストテレスの無謬性について、NL 190;ラシーヌについて、SC 94;無目的な表現について、NL 227;似非古典的寓意について、NL 134;絵画をめぐるディドロとの関係、SC 112;風景画について、NL 97;言葉による絵画について、NL 120–21, 125, 145, 150–52, 154;言葉の客観的な扱い、NL 116;その不十分さについてのヘルダーの論評、NL 116–17;形式主義についてのヘルダーの論評、NL 229;同じ問題についてのA・W・シュレーゲルの論評、NL 85–86;ブリュンティエールのレッシングに関する無知、MC 302;『新ラオコーン』との関係、NL ix–x, 18–19, 233注, 252
ル・トゥルヌー、サント=ブーヴによる論評、MC 177
ルヴァスール、テレーズ、NL 208, RR 78, 220, 224
レヴィ、シルヴァン、東洋について、BC 237, DP 66;このほか、DP xi
自由思想家たち、サント=ブーヴとの関係、MC 111–12, 122, 128, 132, 154注
自由、近代精神との関係、DL 184–85;倫理的統制との関係、RR 378–79, DL 108–09, 186–238各所, 294–95, BC xli–xliv, 148–49;教育における、LC 45–57;専制を招く可能性、LC 66–67;平等との関係、DL 108, 117, 127;働きとの関係、DL 201, 293;財産との関係、DL 272;精神的権力と世俗的権力の分離との関係、DL 31–32, 54, 92;キリスト教とロマン主義の自由観、DL 136–37;ルソーの自由観、NL 195, RR 377–79, DL 109–10, 127, 136, 222;ホッブズの自由観、DL 43–45;バークの自由観、DL 101, 108–11;ジェファソンの自由観、DL 251;シラーの自由観、BC 135–36, 148–49;ゲーテによる論評、RR 378, BC 214;ジュベールによる論評、MC 39–40;シャトーブリアンとコールリッジによる論評、DL 220–21;アクトンによる論評、DL 184–85
列子、道教との関係、RR 395
フランス文化連盟、MC 385注
リロ、ドイツの運命劇との関係、RR 190注;リロとソフォクレスについてのディドロの論評、SC 116–17
リンカーン、立憲民主主義との関係、DL 248–51;民衆を欺くことについて、MC 351;楽園の夢について、DL 81;労働の報酬について、DL 280;このほか、BC 174, SC 69
李白、道教との関係、RR 397
原文は “or disinterestedness” と印刷されている。参照先SC237頁ではリップマンによる科学的な無私性の議論を扱うため、“or” は “on” の誤植と判断し、その主題についての論評として訳した。
リップス、テオドール、美について、NL 220–21, 238
リスト、標題音楽、NL 160, 165;表現と構成、NL 167–68;諸芸術の混同との関係、NL 162, 168
『文学とアメリカの大学』、NL xiv, RR ix注, DL 8
リトレ、ジョルジュ・サンドによる論評、RR 342, SC 138–39
リウィウス、退廃期のローマについて、DL 236;古代の徳について、DL 271;テーヌのリウィウスを捉える定式、MC 228;ルナンによる論評、MC 267, 268
ロイド・ジョージ、経済学について、DL 1
地方色、印象主義との関係、NL 138;ロマン主義の語法における、RR 57–58;シャトーブリアンにおける、RR 57, MC 63, 76
ロック、独断的合理主義、RR 26, DL 42, BC 44, SC 42;政治思想、DL 58–63, 71, 74, 102–03、および教育との関係、SC 200;実利主義的な労働の観念、DL 191;色聴について、NL 174;想像力と記憶について、RR 12;ヴォルテールへの影響、RR 32, DL 62
ロングフェロー、その『エクセルシオール』とC・ディディエ、RR 327注
ロンギノス、批評上の成熟について、LC 142;批評における普遍的同意について、MC 352注;霊感と模倣について、LC 245, RR 37–38;叙事詩について、NL 102–03;崇高について、MC 165, 166, BC 13, 180–85, SC 176;新古典主義批評との関係、NL 41–42, 63
ロングヴィル夫人、クーザンとの関係、MC 84
ロティ、描写の妙技、NL 141注, 151–52;異国的な恋、RR 232
ルイ九世、キリスト教的王権との関係、DL 56
ルイ十一世、MC 233
ルイ十四世、空虚な華麗さ、SC 95;神授権との関係、DL 56;ガリカニズムとの関係、DL 57;ボワローとの関係、MC 338, SC 22;その関係についてのサント=ブーヴの論評、MC 182;スタール夫人による風刺、MC 15;ニザールによる称揚、MC 89;サッカレーによる過小評価、MC 159;このほか、MC 264
ルイ十四世の時代、アカデミーとの関係、SC 173;固定した基準、MC 10;似非デコルム、RR 154;退廃した貴族階級、DL 124;この時代と十八世紀についてのシャトーブリアンの論評、MC 68–69;この時代と摂政時代についてのヴィルマンの論評、MC 86;この時代の文体についてのジュベールの論評、MC 56–57;ニザールの崇敬、MC 88–89;その多様な文体についてのサント=ブーヴの論評、MC 152;テーヌのこの時代を捉える定式、MC 228–29;このほか、NL xii, 42
ルイ十五世の時代、退廃した貴族階級、DL 65
ルイ=バルトゥー、アリス、ロマン主義的東洋趣味、BC 242–43
愛、ペトラルカからラシーヌまで、SC 99–102;ロマン主義の愛の観念、RR 220–39, SC 123–25;ロマン主義と宗教の愛の観念、DL 74–75, 218–22, BC xxxviii–xl;ロマン主義における自然との関係、RR 280–88;その関係についてのワーズワースの論評、BC 71–75;プラトン的な愛と似非プラトン的な愛、NL 98–100;ヒンドゥー教の見方、SC 142–43;仏教とキリスト教における、DP 96, 100–02, RR 151;儒教における法との関係、DL 151注
ラヴジョイ、A・O、ロマン主義の多様性について、BC xx;シラーをめぐるバビットとの論争、BC 134注;シラーの自然と教養の見方について、BC 159–60
ローウェル、ジェームズ・ラッセル、ギリシア人の天才について、LC 178–79;ドライデンの詩語について、NL 24;ディドロとレッシングについて、NL 39;ワーズワースの奇矯さについて、LC 241;ルネサンスの奇想について、RR 10;イギリスの風景について、RR 270–71;自然の中の神について、RR 286–87;生来の善について、DL 218;ベンサム化への反対、DL 234;アメリカでの批評の必要について、BC 233;ハーヴァードのための「閑職」について、LC 254;礼儀作法について、SC 98;このほか、LC 202
ロウズ、J・L、コールリッジについて、BC 98–102, 114–19, 123
ロヨラ、その実利主義についてのセント・サイアズの論評、SC 80
ルキアノス、退廃期ギリシアのジャンル混交について、NL 73;このほか、MC 185
ルクレティウス、限界を設けられた自然主義、RR 270;サント=ブーヴとの親和性、MC 120, 188;ルナンとの比較、MC 260;他者を通じて味わう感覚について、DL 217
修道士ルイス・デ・レオン、スペインの神秘主義との関係、SC 3
ルター、近代自然主義との関係、SC 80;古典との関係、LC 19;政治理論、DL 53–54;恩寵の教説との関係、DL 188–89, 321;人間の不安定さについて、LC 94, 106, NL 193, BC 204;エラスムスとの関係、DL 25;レッシングとの比較、NL 36–38;マリタンによる論評、BC 188
リュコフロン、MC 290
マコーリー、ベーコンについて、LC 38–40, 49, DL 103
マクドナルド、J・ラムゼイ、科学的政治について、DL 315
マキャヴェリ、政治理論、DL 37–41, 43, 44, 46, 48, 70, 94, 118–19, 134–35, 137, 313–14;最大多数の最大の善について、DL 134;キリスト教的な柔弱さについて、LC 19;国家の繁栄と悪徳について、LC 170;マンデヴィルとの関係、BC 42–43;ルソーとの関係、DL 94;セリエールとの関係、DL 21–22;マキャヴェリとモンテスキューについてのジュベールの論評、MC 38, DL 63;ゲルヴィヌスによる論評、DL 135
マダリアーガ、ワーズワースについて、BC 56,–58
メーテルリンク、幼年期の賛美、NL 94–95, RR 52;汎神論的夢想、RR 295–96;タゴールとの比較、BC 251
マニャン、Ch.、サント=ブーヴによる論評、MC 158
『マハーバーラタ』、「ナラとダマヤンティー」のロマン主義的恋愛、SC 143
メグロン、L、RR xvi
マントノン夫人、サント=ブーヴによる論評、MC 152
メーストル、ジョゼフ・ド、教皇至上主義的カトリシズムとの関係、DL 57–58;メーストルとヴォルテールについてのサント=ブーヴの論評、MC 172
マルブランシュ、想像力への批判、NL 69–70, BC 80;抽象的推論への信頼、MC 262;犬を蹴る、SC 8;マルブランシュとモンテーニュについてのサント=ブーヴの論評、MC 172;形而上学への天職についての同人の論評、MC 176;マルブランシュとその時代についてのテーヌの論評、MC 228
マレルブ、批評的気質、LC 15, 17, MC 325, RR 11, SC 24;フランス・アカデミーとの関係、SC 36, 172;詩の調和について、NL 156;サント=ブーヴによる称揚、MC 340
マラルメ、言葉の交響曲、NL ix, 157;ドイツ・ロマン主義との関係、NL 155;象徴主義との関係、NL 183;このほか、MC 304
マレ・デュ・パン、フランスと自由について、DL 108
マンブラン神父、詩と絵画について、NL 3;叙事詩の詩的熱狂について、NL 21–22, BC 8;中世のロマンスへの反対、NL 74–76
マンデヴィル、政治理論、DL 48–52;シャフツベリとの関係、BC 42–43;モンテスキューとの関係、DL 65注;自然な憐れみをめぐるルソーとの関係、DL 72–73
『マヌ法典』、DL 32, RR 326注
マンゾーニ、フォーリエルとの関係、MC 33;批評をめぐるゲーテとの関係、BC 28注
マラー、バックスによる名誉回復、LC 235–36;ユゴーによる神格化、RR 340, SC 138;このほか、DL 281
マルクス・アウレリウス、憂鬱、SC 85;ストア派の誇りとの関係、DL 167;空想の抑制について、DL 11;奉仕について、DL 46;シャフツベリとの関係、DL 50, 216;その幻滅についてのサント=ブーヴの論評、MC 134;テーヌとの関係、MC 241, 251;ルナンとの関係、MC 276;アショーカとの比較、SC 162;アーノルドによる論評、SC 56
マルグリット・ダングレーム、倦怠について、RR 251
マリー・アントワネット、牧歌主義、DL 124;バークとペインによる論評、DL 104
マリネッティ、美について、RR 208
マリーニ、ドライデンとの関係、RR 353–54;影響、LC 218–19, RR 10
マリタン、アクィナス・ルター・デカルト・ルソーについて、BC 188;アメリカとの関係、BC 222
マリヴォー、独創性について、LC 225
マーシャル、ジェファソンとの関係、DL 248;立憲民主主義との関係、DL 250, 251;最高裁判所との関係、DL 307
パドヴァのマルシリウス、人民主権について、DL 58
マルティアリス、生涯と詩、MC 116–17
マーティノー、ハリエット、独断的無神論、MC 269
マーヴェル、クロムウェルについて、DL 113
マルクス、カール、労働をめぐるリカードとの関係、DL 191;このほか、DL 223, 280
聖母マリア、中世とロマン主義の愛との関係、RR 221–22;仏教の慈悲の女神との関係、DP 102
メアリー・スチュアート、MC 278
マシス、アンリ、ベルクソンとタゴールについて、BC 251;ドイツの道教について、BC 253;ヨーロッパとアジアについて、BC 260
マッソン、P・M、その評価、RR 408;ルソーの主観的自然観について、RR 302–03;ルソーの宗教について、SC 236;ルソーの牧歌的なイエスについて、RR 304
支配的能力、科学的・感情的自然主義におけるその観念、RR 66;それ以前の相当する概念、MC 167–73;サント=ブーヴにおける、MC 173–86;テーヌにおける、MC 220, 229;バルザックの支配的能力についてのテーヌの論評、MC 221
『近代フランス批評の巨匠たち』、RR ix, xv, 343注, DL 9, 22
マスターズ、エドガー・リー、民主主義の風刺家、DL 262
メイザー、F・J、硬派と軟派の気質主義者について、RR 192;セザンヌと表現主義について、BC 17注
マチルド公女、テーヌとの関係、MC 245
マティス、激しい専門化、SC 194–95
モーパッサン、文体と精神、RR 203
モーラス、文芸批評家として、MC 408;反動的ナショナリズム、MC 368注, BC 187–88;バンダによる論評、BC 189;アメリカとの関係、BC 222
マッツィーニ、ジョルジュ・サンドとの関係、RR 338, SC 124
マクドゥーガル、W、アメリカにおける逆優生的傾向について、DL 244–45
節度、「調停」を参照
調停、人文主義の本質、LC 22–25, NL 196, RR xix, DL 6, 195–96, BC xxx;第一原理には適用できないこと、DL 24–26, 97, 166;基準との関係、RR 173, DL 300–02, BC xxi–xxii;調停と習慣についての孔子の見解、RR 386;宗教との関係、RR 222–23, 253–54, 381–82;その関係についてのブッダの見解、DP 71;愛との関係、RR 222–23;政治との関係、DL 109–11;近代の軽視、NL 208, 251, BC 148–49, 212–15;極端主義との対立、MC 220
瞑想、その定義、SC 204;宗教との関係、DP 93–99, 101, 104–08, 121;夢想との関係、RR 348–51, BC 62–67, 72–73, 105–06, 112–13;バンダによる論評、BC 198–99
メイヤン、セナック・ド、MC 149
メッソニエ、MC 143
墨子、実利主義的利他主義、RR 397, DL 151
憂鬱、ロマン主義的なものと古典的なもの、RR 306–52, SC 86–87
メランヒトン、予定説について、DL 190注
孟子、利己主義と利他主義について、RR 397, DL 151注;精神労働と肉体労働について、DL 193;子供の心を持つ偉人について、BC 114
メンケン、創造的批評との関係、BC 18–19, 203–12, 223, 226, 231, 233;奉仕について、SC 218–19;このほか、DL 274
メルシエ枢機卿、DL 28–29
メルシエ、ルイ=セバスティアン、RR 100
メレ騎士、洗練された作法への熱意、SC 184
メリメ、文体と精神、RR 203
メルレ、G、シャトーブリアンについて、MC 61
マーズ、チャールズ、アメリカの流行について、SC 216–17
形而上派詩人、知的ロマン主義、RR 9–12
メソジズム、サント=ブーヴの関心、MC 102;宗教的熱狂との関係、RR 258
メキシコ、メキシコと合衆国についてのホイットマンの論評、DL 268;ウィルソンとの関係、DL 268
ミケランジェロ、MC 55, SC 71
ミショー、サント=ブーヴによる論評、MC 158
ミショー、G、ラシーヌについて、SC 97
ミシュレ、主観性、LC 127;教訓的な気取り、RR 209;恐怖政治の担い手たちへの熱烈な賛辞、MC 243;オーギュスタン・ティエリーとの関係、MC 77;テーヌの偏愛、MC 223;このほか、MC 181, 231
中世、過度の超自然主義、LC 28, 90, MC 254–55;独断主義、MC 251;批判の萌芽、RR 112;歴史的な遠近感の欠如、LC 35;人文主義の萌芽、RR 116–17;コスモポリタニズム、LC 95, 188, MC 26, DL 118;芸術との関係、SC 30;政治思想、DL 28–30;自然状態について、DL 70–71;理神論について、RR 121;実在論者と唯名論者の対立、LC 164;アリストテレスの影響、RR xxii;観照と行動をめぐるアリストテレスとの関係、LC 253, DL 199;節度の法則について、RR 221–22;自然について、RR 272–73;女性と愛について、RR 221–24, SC 100–101;中世とロマン主義の憂鬱、RR 333–35;寓意詩、NL 101注;ロマンス、RR 3–5;ロマンスへの新古典主義的批評、NL 74–76, 191–92, RR 30–31;行動のロマン主義、NL 110, RR 3–5, 10, 30, 71;ロマン主義の中世への関心、LC 190, RR 3, 31, 90–91, 97–99, BC 167–70;スタール夫人による復興、MC 11, 24, BC 168–69;シャトーブリアンによる名誉回復、MC 60; 72, 74, 307–08;ニザールとブリュンティエールによる軽視、MC 89;フローベールの郷愁、RR 108;中世の禁欲主義についてのテーヌの論評、MC 227;中世の文学形式の発展についてのブリュンティエールの論評、MC 325;中世とギリシアについてのアーノルドの論評、RR xi;中世研究、LC 122–23, MC 24–26;中世研究についてのサント=ブーヴの論評、MC 141–42;近代語研究における古典との関係、LC 200–03;近代スペインとの関係、SC 1–20各所
ミル、J・S、イギリスの実証主義との関係、SC 42;自由の観念、DL 111, 201;その観念についてのフィッツジェームズ・スティーヴンの論評、DL 286注;コントとテーヌとの関係、MC 224;ワーズワースとの関係、NL 206;ディズレーリによる論評、DL 103;ミルとアーノルドについてのP・S・シャーマンの論評、SC 59
ミリカン、宇宙論、BC xxvi
ミルンズ、モンクトン、ユゴーについて、DL 231
ミルトン、高慢な人文主義、LC 11;詩の観念、BC 70–71, NL 246;教訓主義と牧歌主義、RR 358, DL 80;『イル・ペンセローソ』とグレイの「挽歌」、RR 323;詩語の源泉、NL 27;カタルシスについて、BC 13, 104;デコルムについて、RR 22, 25;自己抑制について、BC 213, DP 120;良心の自由について、RR 114;気晴らしについて、SC 87;牧歌主義についてのジョンソンの論評、BC 86;言葉による絵画についてのコールリッジの論評、NL 126;ミルトンとドリールについてのジュベールの論評、MC 51;シャトーブリアンによる論評、MC 68, 73–75;シェレールによる論評、MC 213;テーヌによる論評、MC 343;このほか、LC 176, NL 214, RR 210, DL 189, BC 77, 101, SC 24, 35, 177
ミラボー、民主主義と戦争について、DL 152
奇跡、キリスト教と仏教における、DP 78
穏健さ、「調停」を参照
近代語、大学課程における古典との対立、LC 171–77, 181–82, 195–214, SC 44
近代性、真のものと偽りのもの、RR x–xii, xxii–xxiii, DL 30, 142–45, 186, 316–17, BC xli–xliv, 27, 210, SC 48–65各所、とくに48–49;バンダによる論評、BC 198–200
ムハンマド、RR 91, DL 161
イスラム教、行動より瞑想を重んじる、LC 253;より高い意志への服従、DL 161;絶対主義、DL 175–76;ヨーロッパ帝国主義との関係、DL 162
モレ、MC 49, 172
モリエール、古典精神、LC 175;良識、RR 29–30;自然主義、MC 236, RR 268;非宗教性、BC 146;衒学への批判、NL 42;気取りへの批判、RR 76, 214;慈善的なドン・ジュアン、RR 231, SC 5;ボワローとの関係、SC 35;ルソーによる批判、RR 30;ニザールによる軽視、MC 89;サント=ブーヴによる称賛、MC 133–34, 184;ボワローへの負債についての同人の論評、MC 183;演劇の天職についての同人の論評、MC 178;語法についてのシェレールの論評、MC 191;俗物性についてのファゲの論評、RR 30;文学研究との関係、MC 336;このほか、NL 222, MC 213, 263, 300, BC 234
モンボドー卿、LC 226
金銭、働きとの関係、DL 207–08
一元論、怠惰の産物として、NL 226;ストア主義との関係、DP 82;新プラトン主義との関係、DP 105–08
モンテーニュ、独創性、LC 230;時代遅れの文体、SC 76;教育について、LC 102, 162;衒学の信用を落とす、SC 183;目的性について、RR 260;自身の自然な憐れみについて、SC 188;ルソーとの比較、LC 227–28;サント=ブーヴとの比較、MC 112–16, 121;パスカルによる評価、MC 112, SC 84–85;ニザールによる軽視、MC 89;モンテーニュとシェイクスピアについてのサント=ブーヴの論評、MC 184;モンテーニュとマルブランシュについての同人の論評、MC 172, 176;ブリュンティエールによる論評、MC 298–99;A・フランスによる論評、MC 316;モンテーニュとキケロについてのC・F・アダムズの論評、LC 112
モンテギュ、エミール、文芸批評家として、MC 409;シェレールによる称賛、MC 206
モンテスキュー、政治思想、DL 63–66;ルソーへの影響、DL 86–87;ジュベールによる論評、MC 38, DL 63;ファゲによる論評、DL 64;このほか、LC 170, DL 18, 219
ムーア、ジョージ、羞恥への反対、RR 128
道徳、「倫理」を参照
モア、ヘンリー、ロマン主義的想像力について、RR 109
モア、P・E、宗教的立場、BC xiv;アリストテレスの不動の動者について、BC xxxii;ブッダについて、BC xxxiii, xxxv;エマソンについて、MC 357注;ハクスリーについて、DL 328;芸術の超自然的なものについて、BC 145–46;牧歌主義について、BC 86;レベッカ・ウェストとの関係、BC 24–25;その『インドの警句』、SC 141–52;同作からの引用、RR 261注;このほか、LC viii
モーリー、ジョン、人道主義、MC 134;セインツベリーの学識について、SC 21
モーセ、MC 352
モーツァルト、NL 169, 230
マルグレーヴ、空想と判断力について、RR 13
ミュラー、マックス、近代文学における古典の影響について、LC 168;このほか、DP x–xi
ミュンスターベルク、フーゴー、受容する学者と生産する学者について、LC 100–02, 116–17;大学教員の博士号について、LC 106–07
マレー、ギルバート、LC 147
マリー、J・ミドルトン、科学について、DL 135注;キリストとルソーについて、BC 121
音楽、倫理との関係、RR 210–11;レッシングによる論評、NL 53–54;ロマン主義による称揚、NL 61–62, RR 93;詩と散文における、NL 154–59;標題音楽の表現と形式、NL 159–72;道教と標題音楽、RR 396
ミュッセ、個人的感情の崇拝、LC 222;苦痛のエピクロス的崇拝、RR 216;宗教的懐疑、MC 270;その分身、RR 262注;色聴、NL 176–77;情熱的回想、RR 236;感傷的メロドラマについて、RR 126–27;ロマン主義的描写について、NL 139–40;ロマン主義の形容詞好きについて、RR 214;芸術と感情について、SC 110, 134;詩と情念について、RR 310–11;方向を持たない情念について、RR 161注;愛について、NL 99, RR 231注, 232–34;愛と孤立について、RR 328;ドン・フアンについて、RR 231注;ディドロとの関係、SC 107;ジョルジュ・サンドとの関係、RR 232–33, 328, 338;バイロンとの関係、RR 232;テーヌによる論評、MC 223–24, 242, 341–42
ムッソリーニ、DL 312
ムツィオ、叙事詩について、NL 115
神秘主義、東洋と西洋の、DP 104–08;キリスト教的蒙昧主義との関係、SC 10–11;スペインにおける、SC 3;ブッダとブレイクにおける、RR 152;プラトン的なものと似非プラトン的なもの、NL 91–105;新プラトン主義的なものとロマン主義的なもの、RR 251–56;ボシュエによる論評、DL 269;サント=ブーヴによる論評、MC 167
神話、新古典主義の詩における、NL 22;ボワローとジョンソンによる論評、BC 85
ナポレオン、意志ではなく活力を示す、LC 56, RR 330;その想像力の型、DL 139–40;想像力の優位について、DL 10, 193, BC xxxviii, 92;革命的帝国主義との関係、RR 346, DL 127–30;機会としての革命について、DL 256;フランス人の平等への情熱との関係、MC 9;ルソーとの関係、DL 132;オシアンとの関係、MC 12;明確に区別されたジャンルをめぐるゲーテとの関係、NL vii, 108;スタール夫人との関係、MC 5, 8, 9, 12, 18;タレーランについて、RR 24, SC 187;教育への影響、MC 384;文学的影響、RR 192;その影響についてのサント=ブーヴの論評、MC 129;スタンダールとの関係、RR 317;その孤立についてのシャトーブリアンの論評、RR 327注;シャトーブリアンとユゴーによる擁護と批判、DL 128–29;シェレールによる論評、MC 214–15;テーヌによる論評、MC 245;このほか、MC 167, RR 138, SC 57
ナポレオン三世、ティエールによる論評、LC 255;サント=ブーヴとの関係、MC 130;ルナンとの関係、MC 282
ナショナリズム、その台頭、MC 26, DL 52–54, 118–23;プロテスタンティズムとの関係、DL 37, 54;フランス革命との関係、DL 129–30;人道主義との関係、RR 345–46;ドイツにおける、RR 98, 346–47;ルソーにおける、RR 345, DL 93–95;ヘルダーにおける、LC 185–89;スタール夫人における、MC 18–20, 28, 30–32;中世の再評価との関係、RR 98–99;アジアにおける、BC 259–60
自然権、「自然状態」を参照
自然主義、それに対するI・Bの態度、MC ix–x, RR ix–xii, DL 1, 22–26;影響と正当性、LC 258–60, MC 255;その限界、NL 186–217;古代およびルネサンスにおける、LC 33–34;古代文明の衰退との関係、MC x, DL 28;十九世紀における、MC 216–17;中国における、RR xix, 395–98, BC 253–55;進歩の観念との関係、LC 34, DL 2–4;感傷的および科学的自然主義、LC各所、とくに32–71, NL 205–17, SC 225–47各所;功利的、感傷的、帝国主義的自然主義、DL 313–16, BC 42–45;ロマン主義的倫理との関係、RR各所、とくに114–219, DL 216–21, BC 34–79;帝国主義との関係、MC 129, 386–87, DL各所、とくに36–69;教育における、LC各所, RR 386–91, SC 198–224;芸術における、NL各所、とくに217–52;批評における、MC各所、とくに338–92;文学における自然主義についてのサント=ブーヴの論評、MC 139–41;同じ主題についてのブリュンティエールの論評、MC 306–10, 333;現代フランスにおける反発、BC 187–200, 222–23
自然、その誤った定義、DL 292–93;心身を回復させる自然との交わり、RR 351, BC 110–11;その交わりとルソー、SC 226;古典的、ロマン主義的、科学的自然観、RR 38–39, 268–305, 336–37;スペインにおける軽視、SC 8–9, 15;理神論による復権、RR 44–46, DL 47–48;古典的および新古典主義的批評における模倣説との関係、NL 3–19, RR 16–19, BC 14;美の階層との関係、BC 176–78;崇高との関係、BC 182–83;日没についてのアレティーノの言葉、BC 113;シラーの美学における自然と教養、BC 158–62;ルソーの自然観、RR 187–88, DL 72–83;自然と社会についてのルソーの見解、NL 66–68;シャトーブリアンとルソーの自然観の対立、MC 61–62;ワーズワースの自然観、RR 248–50, BC 45–79, 94–95;テニソンの自然観、RR 249;テーヌの自然観、MC 233, 240, RR 187–88;人間による自然征服についてのバンダの見解、BC 198
自然状態、古代および近代の思想における、DL 43–96各所;自然権の逆説、DL 223–24;バークの見解、DL 98–99;自然権とコモン・ロー、DL 294–97
ネッケル、スタール夫人への影響、MC 8
ネッケル夫人、ディドロについて、SC 115
ネフツェル、1870年の戦争と聖バルテルミーの虐殺について、SC 12
ニールソン、W・A、詩について、RR 400, BC 21–22
新古典主義、その起源、LC 15–22;形式主義、LC 219–21, NL 3–58、とくに6–8, 66, 186, 188, 190–93, 218, 245–46, RR 56, 144, BC 40;理性と想像力について、NL 69, 71, 74, 77–78, RR 9, 21, 30–31, 70–71, 353–54, BC xxvii;寓意、RR 294;詩的熱狂、NL 21–22;教訓主義、RR 21, 205, BC 22–23;自然との関係、RR 273–74
新プラトン主義、一元論的神秘主義、DP 104–08;人間と無限について、RR 253–54, DL 5;ロマン主義への影響、RR 254;キリスト教的憂鬱との関係、RR 334
新スコラ哲学、BC 188
ネロ、その人気、DL 264;そのロマン主義についてのルナンの論評、MC 294;このほか、SC 69
『新ラオコーン』、RR ix, 345注, DL 10
『ニュー・リパブリック』、その自由主義、DL 274;近代性の不十分さ、SC 58
新約聖書、「聖書」を参照
ニューマン、自然への愛について、RR 272;感情主義について、RR 258, DL 216;あらゆるものを腐食させる知性について、MC 388, DL 182, BC 196;アリストテレスにおける論理と芸術について、NL 39;古典について、RR 391–92;大学について、LC 240;宗教的見解の一致について、DL 156;ブリュンティエールへの影響、MC 334;このほか、BC xxxvi
ニュートン、その科学的想像力、RR 41;芸術への無感覚、SC 42;カステル神父への影響、NL 55注;ジョンソンによる論評、MC 169;ロマン主義者による攻撃、RR 26–27;ワーズワースによる論評、BC 64注;このほか、RR 2, SC 168
ニューヨーク市、腐敗した政治と外国人住民、DL 244
ニュージーランド、同国の文芸批評、MC 378;その民主主義的俗悪さについてのブライスの論評、DL 241
『ニーベルンゲンの歌』、形式の欠如、MC 24–25
ニコラルド、MC 347
ニコル、サント=ブーヴによる論評、MC 148, 158
ニークス、フレデリック、標題音楽について、NL 160
ニーチェ、偽りの預言者、RR 352;狂乱したロマン主義、RR 197–99;熱狂の観念、BC 10;自由への狂熱、NL 197;意志崇拝、DL 175;権力への意志について、DL 228, 259, 327;イロニーについて、RR 242;自己を超えることについて、RR 25, 245–46;近代人の無限への渇望について、RR 250–51, BC 149;永劫回帰について、RR 260–61;受容する信仰について、RR 263;自らの孤立について、RR 327;混沌へ至る脇道について、RR 95;ドイツの原始主義について、BC xi;十九世紀の驢馬崇拝について、RR 144;リヒャルト・シュトラウスとの関係、NL 162;カーライルとの関係、DL 212;メンケンとの関係、DL 274, BC 207;その神秘主義についてのA・クーマラスワーミの論評、SC 166
十九世紀、それに対するI・Bの態度、DL 22–23;中心的な欠落、MC 188;相対性の感覚、MC 317;宗教の代用品、RR 335;偽りの預言者たち、RR 351–52;そのいかさまについてのサント=ブーヴの論評、MC 188注;その捉えがたさについてのルナンの論評、MC 257;その後期の文学についてのルメートルの論評、MC 313;その驢馬崇拝についてのニーチェの論評、RR 144
涅槃、積極的な状態として、DP 95–98, 109, 116
ニザール、デジレ、その人物像と論考、MC 87–95, 136, 325;新古典主義的語法について、RR 23;ニザールとアンペールについてのサント=ブーヴの論評、MC 172;このほか、MC 99
ノルダウ、マックス、近年のドイツ批評について、MC 378
ノース、クリストファー、BC 53
ノートン、チャールズ・エリオット、人文主義、LC viii;A・フランスとの関係、MC 321;ラスキンの中世への共感について、RR 90;同人の女性的性質について、RR 158;同人の自然への感受性について、RR 163–64;同人の悲しい生涯について、RR 384
郷愁、古典的およびロマン主義的なもの、RR 92–93;新プラトン主義的神秘主義との関係、DP 105–08;キプリングの東洋趣味における、BC 245–47
ノヴァーリス、ロマン主義的中世趣味、RR 99注, 110;原始主義、RR 166;疑似神秘主義、DP 107–08;愛の観念、RR 226;諸芸術の混同との関係、NL ix, 84, 155, RR 94;最高の芸術形式としての童話について、NL 80;子供について、NL 80, RR 74;物質と精神の照応について、NL 132;幻影と現実について、RR 186注;超越論的自我について、RR 241;罪という幻影について、RR 256;輪郭の定まらない感情について、RR 262;内面への道について、SC 164;『夜の讃歌』、RR 159;『ヴィルヘルム・マイスター』について、RR 86;シラーからの影響、BC 170;カーライルによる論評、RR 300
小説、形式の欠如、NL 204–05;近代の流行、NL 207;大学での読み物として、LC 172, 175;その中世的起源についてのブリュンティエールの見解、MC 325;近年のフランスにおける枯渇、SC 89
ヌニェス・デ・アルセ、旧来と新しいスペインについて、SC 13
ニンフへの憑依的な憧憬、RR 225–36
蒙昧主義、キリスト教における、MC 286–87, DL 106, 176–83, BC 195–96, DP 72, 81–82, SC 10–11, 74, 136;ルソーにおける、NL 67–68, 89–90, RR 379, DL 183;バークにおける、DL 106–07, 111–12, 116;シャトーブリアンにおける、MC 68–69;ベルクソンにおける、DL 183, DP 72;仏教とは無縁、DP 70–72
オッカム、ウィリアム、霊的権力と世俗的権力についてのオッカムとルターの見解、DL 53;その唯名論と近代の実在論、DL 113;神の意志について、DL 321
オーネ、G、大学での読み物としてのオーネとプラトン、LC 113;A・フランスとルメートルによる論評、MC 323
オリヴァー、F・S、『ハミルトン伝』、DL 248注
一と多、その定義、MC 252–53;I・Bの考察法、RR xii–xvi, xx;定式化を免れること、MC 371;分かちがたく混じり合うこと、DL 145–48, 168–70, BC xxii–xxiv;想像力との関係、RR 171注;畏敬と驚異をもたらすこと、RR 365–66;基準との関係、DL 9, 13–14, SC 120, 122;芸術における、MC 76;詩における、RR 18;文芸批評における、MC viii–xi, RR 15;歴史との関係、SC 46;ヒンドゥー教における、LC 26, MC 318, BC xiii, 244;仏教における、MC 371, RR xx, DL 168–70, BC xxiii–xxiv;古代および近代の思想における、LC 25–30, BC xxviii, DP 77;ギリシア思想における、NL 250–55;プラトンにおける、LC ix–xi, RR xiii, xx, DL 168–73;アリストテレスにおける、LC 25注;プロティノスにおける、DP 105;中世および近代の実在論との関係、DL 113;バークにおける、DL 105–06;ゲーテにおける、MC 364;ジュベールにおける、MC 53–54;シャトーブリアンにおける、MC 70;サント=ブーヴにおける、MC 149–50, 166;ベルクソン、ジェイムズ、デューイ、クローチェにおける、MC viii–x, 53–54, RR xiii, SC 67–70
オニール、オニールとソフォクレスについてのE・ウィルソンの論評、BC 2;その東洋趣味についてのF・I・カーペンターの論評、BC 237
東洋、西洋との関係、RR xviii–xxiii, BC 235–61, DP 65–121各所, SC 141–52各所, 205, 246;東洋と西洋の幻影についての見解、RR xiv;東洋と西洋の謙虚さについての見解、DL 6;その政治的経験、DL 32–36;その芸術におけるロマン主義と慣習、RR 203;ロマン主義的関心の対象として、LC 190, BC 240–47;その関心についてのゲーテの見解、LC 194;スペインへの影響、SC 1–20各所;「アジア」も参照
オリゲネス、キリスト教的主意主義との関係、DL 319
独創性、感傷的および科学的自然主義との関係、LC 215–45、とくに233–34, MC 141;新古典主義的形式主義との関係、RR 20, 31, 35;ロマン主義的な独創性観、NL 161, RR 40, 46, 53, 59–67, BC 4–5, 223;ゲーテの見解、MC 361;エマソンの見解、MC 360;「個人主義」「印象主義」「創造」も参照
原罪、生来の怠惰との関係、LC 53, RR 153;キリスト教的政治理論における、DL 71;文明との関係、BC xxxix;自然主義の興隆との関係、BC 39–43;現代のプロテスタンティズムとの関係、BC 211
起源、近代思想における目的因との関係、BC 39, 97–98
オルテガ・イ・ガセット、大衆人について、SC 174
オズボーン、H・F、自然と人間性について、RR 295–96
オスラー、ウィリアム、LC 238, 252
オシアン、その詩的散文、NL 157–58;独創的天才の学説との関係、RR 38;ロマン主義的な山への愛との関係、RR 276;ヘルダーへの影響、LC 185注;スタール夫人による論評、MC 11–12;ルナンとジョンソンによる論評、MC 266
オウィディウス、悪と知りながら行うことについて、DL 172;神々を生み出す恐怖について、RR 129;その古典的憂鬱についてのゲーテの論評、RR 92;このほか、LC 90, RR 93, SC 36
オックスフォード、人文主義との関係、LC 181, DL 113–14;普通学位と優等学位、LC 79;古典学の優等課程、LC 206–08;近代語研究、LC 203;運動競技、LC 77;功利主義との関係、SC 42, 43;このほか、SC 40
平和主義、戦争の蔓延との関係、DL 131–32;その倫理的混乱、DL 196, 284;古代中国における、RR 397;アショーカ王の平和主義、DP 111;「平和」も参照
ペイジ、W・H、ジャーナリズムの基準について、MC 354;ウィルソンについて、DL 280
ペイン、バークとマリー・アントワネットについて、DL 104
絵画、新古典主義批評における詩との関係、NL 3, 10–11;バロックおよびロココにおける諸芸術の混同との関係、NL 56;不明瞭なロマン主義的象徴表現、NL 134;絵画における表現と構成、NL 222;モダニズムの奇矯さ、SC 195;セザンヌと表現の狂信者たち、RR 63, BC 16–17;ラファエル前派と未来派、RR 68;マリネッティと眩暈の崇拝、RR 208;ロマン主義的風景画、RR 274–75;バルビゾン派、RR 290;風景と人物、RR 289–90;中国の風景画と道教、RR 292–93, 397;絵画的幻影についてのバトーの見解、NL 77注;絵画についてのディドロの見解、SC 112–13;絵画についてのレッシングの見解、NL 44–51, 97;模写に反対するレノルズ、NL 188;ラファエロについてのハズリットの論評、NL 97–98, RR 289;クロードとティツィアーノについての同人の論評、NL 127–28;ロマン主義の画家についてのシャトーブリアンの論評、RR 62;ロマン主義的風景画についてのテーヌの論評、NL 148–49
パルグレイヴ、テニソンについてのパルグレイヴとテーヌの論評、MC 342
汎神論、倫理的弱さ、RR 268–305各所、とくに286–87, 348–49, 382;理神論との関係、RR 122, BC 41–42;ワーズワースにおける、RR 286, BC 42, 63, 106;インドにおける、DL 161;中国における、RR 395;日本における、BC 254;その詩についてのA・フランスの論評、BC 75
教皇権、中世、ガリカニスム、ウルトラモンタニスムにおける見解、DL 29, 52–58;近代のナショナリズムとの関係、DL 120;その帝国主義、DL 141, 333;教皇不可謬説、DL 237
パリス助祭、SC 75
パリ、ガストン、文芸批評家として、MC 410;中世およびヒンドゥーの愛について、SC 143
パリス、ポーラン、その教養の不足についてのサント=ブーヴの論評、MC 142
議会主義、指導力との関係、DL 61–62;ルソーによる反対、DL 89
パルメニデス、一と多について、RR xiii注, DP 77;思惟と存在の同一視、DL 168
パルテニオ、NL 12注
パスカル、その人物像と論考、SC 73–88;文体、MC 296;キリスト教的な恐怖による威嚇、RR 123;幼児の永罰について、DL 179, BC 40, DP 69;宗教的恍惚、MC 331, DP 89;過度の禁欲、RR 246;デコルムの軽蔑、RR 24, SC 184, 186;イエズス会士について、MC 313, DL 25, DP 71;自然と恩寵について、MC 115;マキャヴェリ的政治観、DL 37;人道主義的でない精神、LC 11;調停について、LC 22, RR 151, DL 301;人間の悲惨と偉大について、MC 111, 361, RR 266, DP 97;放棄について、DP 102;愛徳について、RR 53, BC xxvii;謙虚さについて、DL 166;恩寵について、RR 28–29, DL 179, 322–23;心情についてのパスカルとルソーの見解、MC 53, RR 375, BC xxxix, 194–95;想像力、理性、心情について、RR 28–29, 167, 168, 178, DL 12, 62, BC 144–45;想像力の支配力について、RR x, 71, 393, BC 92, 101;想像力への攻撃、NL 69, 101–02, RR 8, BC 80, 82;想像力、知性、意志の和解に失敗、DL 237;好奇心の空しさについて、MC 287注;蒙昧主義、SC 10–11;自己認識について、DL 274注;論理と洞察について、MC 219, RR 28–30, DL 42, 322–23;科学と宗教における批判精神について、DL 179, BC xxvii;奇跡について、DP 78;進歩について、MC 135;デカルトの機械化された宇宙について、RR 138;宗教と自然について、RR 304;物理的無限について、LC 32;二つの無限について、NL 209, DL 180, BC xxvii;人間と自然について、MC 240, BC 183注;古代および近代の自然主義について、MC 112;ストア主義とエピクロス主義について、MC 241;ストア派の高慢について、DL 167;ヴォルテールによる論評、RR 177;ゲーテによる論評、MC 367;クーザンとの関係、MC 84–85;サント=ブーヴによる論評、MC 127, 152, 174–75;パスカルとブリュンティエールについてのヴォギュエの論評、MC 299, 330–31;パスカルとルナンについてのルメートルの論評、MC 315;パスカルとデカルトについてのベルクソンの論評、RR 200, BC 194–95
パストゥール、西洋の自然主義との関係、DP 95;C・W・エリオットによる論評、SC 213
牧歌主義、古典的およびロマン主義的なもの、RR 273, 280–81, 303–04;ロマン主義的および宗教的なもの、DL 79–80;プレシューズから恐怖政治家たちまで、DL 124–27;ジョンソンによる攻撃、BC 86–87;ルソーにおける、DL 79, BC 160;シラーにおける、BC 160–63
ペイター、ウォルター、人文主義的な耽美家、MC 118;A・フランスとの比較、MC 321–23;洗練された感覚主義、MC 350;習慣への反対、DL 107;『マリウス』における自然、RR 292;音楽について、NL 62;絵画について、NL 123注;ギリシア精神について、BC 166;近代の宿命論について、MC 155;コールリッジの超越主義について、BC 114
感傷的誤謬、その定義、RR 269–71;ロマン主義的超越主義との関係、BC 110–11, 130
パタン、ギー、MC 121
家父長的統治、西洋および東洋における、DL 54–55
パトリッツィ、プラトンとの関係、NL 15–16, 44
聖パウロ、霊的な競技者、RR 349;決して人道主義者ではないこと、LC 11;キリストにおける一致について、MC 26–27;自由について、BC xli;恩寵の教義との関係、DL 6, 176, 188, 319;霊の実についてのパウロとアショーカ王の見解、DL 159–60, 173, BC 250, DP 102, SC 163, 202–03, 207;ルナンによる論評、MC 274–75, 277;このほか、LC 120, RR 78, SC 61, 177, 227
パウルゼン、F、人文主義的大学について、LC 86
平安・平和、宗教的および人道主義的な見解、DL 195–97, 236, 293, DP 110–12;創造的熱狂との関係、BC 10–11, DP 98–99;ブッダ、アショーカ王、聖パウロの見解、SC 159–63;ブッダと西洋の見解、SC 167–69;「平和主義」も参照
ピーコック、文壇の噂話について、MC 158;ロマン主義的な愛について、RR 229;コールリッジの戯画化、BC 115
ペラギウス、生来の善について、RR 44;ルナンとの関係、MC 274
ペリシエ、ジョルジュ、ルソーについて、MC 344注
ピープス、「ロマン的」という語との関係、RR 6
パーシー主教、ヘルダーへの影響、LC 185注;ジョンソンによるロマンスの読書について、BC 81–82
ペリクレス、その人文主義的デコルム、RR 24;その民主主義的帝国主義、DL 148注
ペリクレスの時代、現代との比較、LC 26, 99;このほか、MC 247, 264
ペロー、文学上のデカルト主義者、RR 27;ペローとボワローについてのサント=ブーヴの論評、MC 172
隠者ピエール、そのロマン主義、RR 222
ピーターバラ伯爵、異国的な恋愛について、RR 232
プティ・ド・ジュルヴィル、感傷的および自然主義的演劇について、RR 188
ペトラルカ、文学研究との関係、LC 123, 124, 125;感傷主義、LC 176;意識的な独創性、LC 217;個人主義、RR xi–xii;宗教と愛、SC 123;理想の愛と現実の愛、RR 224;自然への態度、RR 273;詩的寓意について、NL 101注;プレシューズとの関係、SC 101;ルソーの愛好した詩人、RR 224;その詩人としての天職についてのサント=ブーヴの論評、MC 179;その近代性についてのルナンの論評、RR xi, SC 49;模倣者たちの疑似プラトン主義、NL 88
ペトロニウス、その文学愛についてのサント=ブーヴの論評、MC 144, 160
マケドニアのフィリッポス、LC 107
フィリップス、スティーヴン、ネロの復権、LC 235
ユダヤ人フィロン、ロゴスとの関係、DL 171
文献学、文学との関係、LC 118–49;進歩の観念との関係、LC 119–20;定義と範囲、LC 121;好事家的態度との関係、LC 110, 128–34, 143–44, 199–200;ドイツの方法との関係、LC 134–39, 152–53, 157, 200;古典分野をほぼ掘り尽くしたこと、LC 154–56;クーザンからの影響、MC 84–85;ルナンの献身、MC 262
哲学、政治および宗教との関係、DL 1;西洋哲学の中心的弱点、BC xxviii, DP 81;ギリシア哲学の頑固な知性主義、DL 173–75;ギリシア哲学の自然主義的眩暈、MC x–xi;ギリシア哲学における想像力の概念、RR 171注;近代哲学の破綻、RR xv–xvi, 370–71, DP 85;近代哲学の最新の傾向、MC viii–xi, DL 225;近代哲学における意志の不十分な扱い、DL 226;現代フランスにおける、BC 187–200各所;クローチェの哲学、SC 66–72;心理学との関係、DP 118;詩に対する哲学と歴史についてのシドニーの見解、RR 18;ギリシアとローマの哲学についてのスタール夫人の見解、MC 11;その空虚な抽象についてのジュベールの論評、MC 42–44
『フォトプレイ』、「するな」という禁止について、DL 5
敬虔主義、美しい魂との関係、RR 134
ピンダロス、古典精神との関係、LC 175;その謙虚さ、RR 382;静穏な非個人性、RR 311–12;郷愁について、RR 311;人間の重い運命について、RR 312, 316;人間の無常について、DL 168;酒について、RR 182;アディソンによる論評、RR 38
ピロン、サント=ブーヴによる論評、MC 79–80, 82
ピウス九世、ルナンについて、MC 272;進歩と自由主義について、DL 144
ピウス十世、ブリュンティエールとの関係、MC 334
プランシュ、ギュスターヴ、文芸批評家として、MC 11
プラトン、知識、徳、習慣について、RR 385, SC 153;想像力と空想について、RR 171注, DL 11–12;理性と洞察について、NL 103, RR 29, 166;一と多について、LC 25, NL 228–29, MC ix–xi, 54, 253, RR xiii, xx, SC 67;イデア説、DL 225–26, DP 77, 84;万物の尺度としての神について、DP 80;ロゴスとの関係、DL 171;業との関係、DP 92;知性と意志について、DL 167–73, 176–77;恩寵の教義を先取りすること、MC 371, SC 76–77, 81;宗教的放棄について、RR 253;自然への態度、NL 96–97;愛の概念、NL 98–99, RR 220–21;象徴表現、NL 103, 135–36, RR 294;神的狂気について、MC 165;詩的霊感について、BC 7–11;模倣について、BC 11;音楽について、RR 211注;蒙昧主義的芸術観との関係、BC 173;ホメロスについて、SC 55;美と徳について、SC 133–34;その語彙、SC 98;教育について、LC 84–85;ギリシアの伝統の危機との関係、DL 149, 150, SC 175;衝動の神格化について、DL 231;その理想の政治家、LC 260–61;不十分な自由の概念、DL 30–31, 92;神権政治、DL 30–31, 33;国家の概念、DL 87–88;正義の定義、DL 198–99;貴族主義的排他性、DL 202;無制限の民主主義と専制について、BC 206;アリストテレスとの関係、NL 87–88, 228–29, MC 372, RR 385;ブッダとの関係、RR xx, DL 32–33, 167–73, DP 77, 84;聖アウグスティヌスとの関係、DL 30, 31, 176–77;ルソーとの関係、NL 89–91, DL 51注;バークとの関係、DL 101, 104–06;ジュベールとの関係、MC 34–59各所;A・W・シュレーゲルとの関係、NL 85–86;ショーペンハウアーとの関係、NL 91;ワーズワースとの関係、NL 92–94;プラトンとシェリーについてのC・H・ハーフォードの論評、RR 359–60, BC 22–23;エマソンとの関係、LC 260, MC 355, 358;ユゴーとの関係、NL 135, RR 146;ブリュンティエールとの関係、MC 302;ベルクソンとの関係、MC 54, 253;クローチェとの関係、NL 224;大学での読み物としてのプラトンとオーネ、LC 113;オックスフォードの優等試験における、LC 206–07;このほか、LC 90, 141, 145, 164, NL 250, 251, MC 211, 358, 376, BC 54
プラトン主義、疑似プラトン主義との関係、NL 87–114, DP 105
小プリニウス、滋養となる苦味について、MC 185;衰退期ローマの詩人たちについて、RR 298注
プロティノス、その神秘主義、DP 105;想像力について、RR 171注;ロマン主義への影響、RR 254
プルタルコス、レッシングとの関係、NL 48;ルソーとの関係、RR 84;プルタルコスとシェイクスピアについてのサント=ブーヴの論評、MC 184;このほか、BC 218
ポー、驚異を作り出す名人、RR 50;美の観念、NL 219–20, RR 63;詩の定義、NL 220;完璧な詩の長さについて、SC 32;古代に対するロマン主義的感情、RR 90;ニンフへの憑依的な憧憬、RR 230;秋への共感、RR 292;精神的孤独について、RR 326;束縛のない想像力について、RR 354–55;「鐘」における催眠的な反復、NL 157;感覚の混同について、NL 179–80;コールリッジからの影響、BC 116;ポーとアメリカの俗悪さについてのボードレールの論評、RR 321–22;ボードレールとユイスマンスへの影響、NL 179–80, RR 230;ゴーティエによる論評、RR 230;エマソンによる論評、MC 172
詩、古典的、疑似古典的、ロマン主義的詩論、NL各所;新古典主義理論における詩語、NL 23–27;詩語についてのワーズワースの見解、BC 52–53;新古典主義およびロマン主義理論における叙事詩、NL 115–16, 242–43;音楽との関係、NL 154–59;自由詩、NL 221–22;形式と内容、BC 220–21;ロマン主義的な詩の純化、BC 123–26;純粋詩とジャンルの混合、BC 174–75;感情との関係、RR 310–11;ジャンルの階層における詩と批評、BC 24;科学との関係、BC xxviii–xxix;生物学との関係、LC 88;詩の科学的研究、LC 89;詩、歴史、哲学についてのアリストテレスとシドニーの見解、RR 17–18;民衆の詩と技巧的な詩についてのヘルダーの見解、LC 186;その暗示性についてのジュベールの見解、MC 44–45;自らの霊感についてのワーズワースとミルトンの見解、BC 52–53, 70–71;アリストテレスとワーズワースによる定義、RR 237;アリストテレスとカール・サンドバーグによる定義、BC 221
ポアンカレ、H、科学について、NL 211
ポロック、MC 352
ポロニウス、ジャン、RR 325注
ポンフレット、SC 30
ポンティウス・ピラトゥス、DL 172
ポープ、直観的良識、RR 177;その良識についてのジョンソンの論評、RR 174;一貫性を欠く人間性観、DL 48;自然状態について、DL 59;支配的情念について、MC 168–69;好事家たちについて、SC 185–86;不十分な古典主義、RR 33;ホラティウスの創造的模倣、BC 14;ウェルギリウスによるホメロスの模倣について、NL 12注;フランスの批評について、SC 23;詩語の源泉として、NL 25, 27, RR 34;機知の定義、RR 12, 268;「ロマン的」という語との関係、RR 6;その作詩法についてのジョンソンの論評、RR 25;ポープとシェイクスピアについてのヤングの論評、RR 38;ロマン主義的な理想化、RR 91;バイロンによる共感、MC 61, 65;サント=ブーヴによる共感、MC 137, 167–69, 178;このほか、LC 215, NL 187, BC 1, DP 97
ポーターフィールド、A・W、RR 415
ポール=ロワイヤル、「ジャンセニスム」を参照
実証主義、「個人主義」を参照
パウンド、ロスコー、現代の法理論との関係、DL 296注
プッサン、セザンヌとの関係、BC 16–17
プラドン、MC 126
プラグマティズム、そのソフィスト的印象主義、LC 26–27;一と多について、MC 166;働きについての誤った観念、SC 220;功利主義的ロマン主義として、RR 350;カントとファイヒンガーによる準備、RR 370注, DL 225, 326;このほか、SC 73
気取り、LC 218–19, RR 10
プレスコット、F・C、BC 62
プレヴォー、ヴィルマンによる論評、MC 86
プレヴォー=パラドル、ドン・ジュアンと理想について、RR 231注
原始主義、その定義と論考、BC xi–xliv各所;古代と近代における、RR 38–39, 75–82;西洋と東洋における、BC 250–55, RR 395–98, DP 108;決定論との関係、MC 31–32;慣習との関係、RR 110–13;自発性の崇拝との関係、NL 80–85, RR 51–52, BC 1–33各所, DP 93–94;無限との関係、RR 93–94;ジャンルの混合との関係、NL各所、とくに105–08, 131;叙事詩との関係、NL 242–43;中世の再評価との関係、RR 97–99;シラーの美学における、BC 158–67;ワーズワースにおける、BC 34–79;現代フランスにおける、BC 187–92;「自然主義」「牧歌主義」「蒙昧主義」も参照
プロアル、L、ルソーと無政府主義について、DL 77注
進歩、その定義、NL 237–52各所, RR 374–75, DL 2–4, 14–15, 135, 235–36;相対性との関係、MC 149;牧歌的想像力との関係、DL 114–15;決定論との関係、DL 229;古代および近代の自然主義との関係、DL 66–67, 214–15;科学的人道主義との関係、LC 6–7, 33–35, 40–48, 63–65, SC 5, 199–200, 207–08;文芸批評との関係、RR 64;新旧論争との関係、LC 183;文献学研究における、LC 119–20;アメリカの生活における、LC 166–67;スタール夫人における、MC 11;ユゴーにおける、BC 171–72;サント=ブーヴにおける、MC 132–36;シェレールにおける、MC 203–04;ブリュンティエールの見解、MC 301;クローチェの見解、SC 69–70
禁酒法、憲法との関係、DL 250;功利主義との関係、DL 253;プロテスタンティズムとの関係、SC 245;「陶酔」も参照
プロメテウス、人類の恩人、LC 62;ロマン主義的英雄、RR 139
財産、働きとの関係、DL 203–09;自由との関係、DL 272;ロックの見解、DL 59–60;ルソーの見解、DL 75–76
プロタゴラス、F・C・シラーとの関係、LC 26;ベルクソンとの関係、MC 382–83;このほか、SC 175
プロテスタンティズム、恩寵の教義との関係、DL 187–90;その教義についてのヴォルテールの見解、DL 323;今日の原罪観、BC 211;政治的傾向、DL 53–54;ナショナリズムとの関係、DL 37, 118, 120;人文主義との関係、RR 119;人道主義との関係、DL 250–51, 284–85, SC 245;物質的能率との関係、DP 112–13
プルードン、平等について、DL 108注;サント=ブーヴによる論評、MC 133
プリュドム、シュリ、世界市民主義への賛否、MC 27
精神分析、行動主義および仏教との関係、DP 118–19;意志の解体、DL 329;その疑似科学性、BC 89, 215–16;無意識の強調、BC 4;カタルシスの誤解、BC 18, 117;伝記的批評における、BC 38–39;「フロイト」も参照
心理学、現代の傾向、RR 262, BC xviii–xix, xxiv, 215–16;ジョンソンにおける近代心理学、BC 88–89;スタール夫人における国民間の心理学、MC 18–21, 30–32;テーヌにおける決定論的心理学、MC 218–56各所;ルナンにおける人種心理学、MC 277;ブッダにおける実験的心理学、DP 118–19
『パンチ』、ネロについて、LC 235;合衆国について、DL 242
ピューリタニズム、芸術との関係、SC 30, 43;人道主義との関係、DL 250–54, 272, BC 227–29;混乱した攻撃、DL 254–55, BC 208–10;C・W・エリオットとの関係、SC 198
『クォータリー・レビュー』、ハズリットとの関係、SC 31
静寂主義、美しい魂との関係、RR 134
キノー、サント=ブーヴによる論評、MC 172
ラブレー、無選別な自然主義、LC 14, 17, 41;人間に本来備わる卓越性への信頼、RR 117–18;自然という語の曖昧な用法、RR 268;カルヴァンとの関係、LC 19;このほか、LC 104
人種、人種と国民性についての疑似科学的理論、MC 30–31;西洋における人種的うぬぼれ、BC 235, 245, 247
ラシーヌ、その人物像と論考、SC 89–104;規則に従って笑うことについて、MC 338, 350;エウリピデスからの影響、LC 169;ヘインシウスとアリストテレスからの影響、NL 6;ボワローとの関係、SC 35;ラシーヌとプラドンについてのベールの論評、MC 126;ラシーヌと地方色についてのシャトーブリアンの論評、MC 63;ラシーヌとエウリピデスについての同人の論評、MC 63, 75;ラシーヌとその時代についてのサント=ブーヴの論評、MC 153;その詩人としての天職についての同人の論評、MC 175, 178;ラシーヌとボワローについての同人の論評、MC 183;シェレールによる論評、MC 212;ルメートルによる論評、MC 316
ラドクリフ、アン、RR 106
鉄道、ロマン主義者による抗議、RR 301
ランブイエ侯爵夫人、貴族的牧歌主義、RR 75–76, DL 124, SC 99–101
ラファエロ、その目的性についてのハズリットの論評、NL 97–98, RR 289–90
合理主義、古典的伝統との関係、NL 63–64, RR 25–30, 165–78, BC 80–82;その弱さ、RR 370, DL 68–69, DP 81–82;科学との関係、BC xxvii–xxix
ローンズリー参事会員、ワーズワースについて、RR 328
レナル、シャトーブリアンによる論評、MC 68
リード、ハーバート、ワーズワースについて、BC 37–38
リアリズム、宗教的、人文主義的、自然主義的なもの、BC 212–22, SC 117–20;疑似理想主義との関係、DL 313–16;ロマン主義との関係、RR 104–09, 128, 192, 218–19;哲学との関係、RR 371
現実、想像力との関係、RR 102;基準との関係、DL 12–14, BC 142–43;法との関係、DL 233–35;中世および近代の用語法における、BC 95–96;現実と意志についてのカントとショーペンハウアーの見解、DL 325–27;「幻影」も参照
理性、その定義、RR 171–74;意志との関係、BC xv–xxviii;仏教における理性と意志、DP 86–87, 94, 96–97;キリスト教および近代の思想における理性と意志、DL 319–30;ヨーロッパとアジアにおける理性と意志、DL 158–85各所;ヨーロッパとアメリカにおける理性と意志、DL 294;神秘主義との関係、NL 90–96, DP 106–07;想像力との関係、DL 147, 233–38, SC 77;新古典主義およびロマン主義理論における理性と想像力、NL 20–21, 62–86, RR 39–43, 353, BC 142–48;理性と想像力についてのストア派とパスカルの見解、DL 179–80;理性と想像力についてのベーコンの見解、NL 102;バークによる不信、DL 106–07, 116;バンダによる擁護、BC 188–200;「蒙昧主義」も参照
レカミエ夫人、サント=ブーヴとの関係、MC 100;その逸話、MC 159;このほか、MC 278
気晴らし、その正当な位置、RR 182;芸術による、RR 208–09, 354, 357, BC 20–21, 153–56;自然との交わりによる、NL 131–32, RR 289, 304, 350–51, BC 77, 111–12
レーベルク、バークからの影響、DL 100
相対性、十九世紀の福音、MC各所、とくに317, DL 9
宗教、ヨーロッパとアジアにおける、DL 156–85各所, DP 65–121各所;その定義、DL 156–63, DP 77–80;批判精神との関係、RR 369–70, SC 55–56;人文主義との関係、RR 379–82, DL 195–96, 316–17, BC xi–xliv, 78–79, 256–61, SC 203–05, 225–47各所;科学との関係、BC xxiv–xxix;芸術との関係、BC 145–46;感情との関係、DP 100–02;陶酔との関係、RR 182–84;無限との関係、RR 252;平安との関係、DL 293, 334, BC 257, DP 98–99;政治との関係、DL 1, 27–33, BC 252;宗教と政治についてのルソーの見解、DL 92–95;宗教と政治についてのバークの見解、DL 101;宗教と気候についてのモンテスキューの見解、DL 64;進化との関係、DP 117;精神分析との関係、DP 119;近代の代用品、RR 335, 340–42, DP 113–14;「神秘主義」も参照
ルネサンス、その高慢な人文主義、LC 11;初期と後期の段階、LC 13–19, 217–19, RR 117–19;中世の形式の欠如への反動、NL 191–93;中世の禁欲主義への反動、28, 59, 90, MC 255;自然への態度、RR 273;芽生えつつある自然主義、NL 200, RR 268;その自然主義とストア主義、DL 70–71;その自然主義についてのテーヌの論評、MC 222;その醜悪さについてのテーヌの論評、MC 234;知的解放、DL 178–79, 186;知的ロマン主義、RR 10;探検への関心、RR 277;科学精神、RR 119;絵画、RR 289–91;学問、LC 177;文芸批評、NL 3–24, 34, 191–93, 218, 220;その文芸批評へのアリストテレスの影響、NL 28, RR 16;レッシングへの影響、NL ix, 36, 40, 43–44, 48;疑似プラトン主義、NL 88
ルナン、エルネスト、その人物像と論考、LC 128–29, MC 257–97;文体と精神、RR 203;狂乱した知性主義、MC 220;超然性、MC 304;共感的知性、MC 339;二重の思考作用、SC 109;批評の誤解、MC 379;相対性の感覚、NL 236–37;ロマン主義的イロニー、MC 319, RR 265;近代精神について、RR xi, SC 49;十九世紀の思想について、MC v;自身の宗教的信仰の喪失について、RR 323–24;自らの卓越性について、RR 133–34;宗教と倫理について、LC 62–63;コペルニクスの天文学について、LC 32;その科学の宗教、SC 125, 130;科学とキリスト教について、LC 89;未来の宗教としての「人文主義」について、LC 4;未来の神について、MC 317;イエスの牧歌的描写、RR 304;ダビデについて、LC 234–35;科学と感情について、NL 207–08, RR 344–45;自然と貞節について、LC 93, DL 292;酩酊について、RR 183;オネット・オムについて、SC 179–80;アカデミーの辞書について、SC 173;ギリシア人について、RR 251;「アクロポリスの祈り」、NL 234–37, BC 166–67;ロマン主義的歴史観、RR 238;頽廃について、MC 216;フランス革命とドイツについて、DL 130注;ナショナリズムについて、DL 118;その世界市民主義と1870年の戦争、MC 26–27, 243;ゲーテの普遍的な愛について、MC 378;ベランジェへの賛否、MC 173;G・サンドによる論評、RR 342, SC 138–39;その植物学についてのドゥダンの論評、RR 304注;サント=ブーヴとの関係、MC 131;ゴンクール兄弟との関係、MC 140;ブリュンティエールによる反感、MC 305;ルメートルによる攻撃、MC 314–15;A・フランスへの影響、MC 317;『イスラエル史』についてのA・フランスの論評、MC 323;このほか、MC 6, 190, BC xxxiv, DP 109
ルナン、アンリエット、エルネストへの影響、MC 285–86, 295
ルヌーヴィエ、BC 196
レピントン大佐、DL 203
王政復古期の喜劇、批評の興隆との関係、SC 25–26;大学の課程における、LC 198–99;人間性観、BC 43;ラムによる論評、RR 92, 209, BC 26
レ枢機卿、MC 152
夢想、その定義、RR 269–70;ロマン主義的自然崇拝との関係、NL 131–32, RR 268–305各所;ロマン主義的感受性との関係、NL 104, 112, RR 234–39, 315;ロマン主義的幻滅との関係、RR 71–113各所;ロマン主義的怠惰との関係、NL 188–89;瞑想との関係、RR 348–51, BC 62–67, 106, 112–13;暗示的芸術との関係、NL 129, 140, 164–65;「気晴らし」も参照
1688年の革命、ロックの政治理論との関係、DL 60–66;バークによる称賛、DL 98
1789年の革命、産業革命との関係、DL 113;革命におけるナショナリズムと国際主義、LC 186–87, RR 346;革命における友愛と帝国主義、DL 123–30;階級闘争の恐怖との関係、DL 150;十字軍的精神との関係、DL 286–87;革命と聖バルテルミーの虐殺についてのG・サンドの見解、SC 136;合理主義への反動、NL 64;ルソーとの関係、DL 91注, 95, 245;革命とルソーについてのバークの見解、DL 97, 109;革命とルソーについてのブリュンティエールの見解、MC 336;バークの態度、DL 97–98;ロマン主義との関係、SC 109;ロマン主義的道徳との関係、RR 135–36, 143注;感傷劇との関係、RR 126, SC 111;シラーの『群盗』との関係、BC 135;文学への影響、MC 1–3;ロマン主義的な廃墟崇拝との関係、RR 276;ジュベールの印象、MC 39;ハズリットの印象、RR 181, DL 279;ワーズワースの印象、NL 27, BC 38, 47;バルザックとの関係、SC 41;テーヌによる研究、MC 231, 243, 245, 254
1848年の革命、G・サンドの印象、RR 338–39, SC 126;ルナンの印象、MC 282;アラゴーの印象、RR 344;ロマン主義的理想主義との関係、MC 129;芸術のための芸術との関係、BC 172;イタリアでの革命についてのエドワード・リアの見解、DL 80–81
アメリカ独立革命、バークによる共感、DL 98
ロシア革命、階級闘争の恐怖との関係、DL 125–26, 150
『両世界評論』、サント=ブーヴとの関係、MC 97;ブリュンティエールとの関係、MC 298, 305;ベルクソンとソクラテスについて、MC 382
レノルズ、その『芸術論』、NL 11;研究と思想について、LC 2, NL 188;無選別な模倣への反対、NL 11注, 188;ジョンソンとの関係、MC 339
リス・デイヴィッズ、仏教の楽観主義について、SC 159
リス・デイヴィッズ夫人、ブッダとベルクソンについて、SC 156
リカード、労働についてのリカードとマルクスの見解、DL 191
リチャードソン、リチャードソンとフィールディングについてのサッカレーの論評、MC 171;リチャードソンとホメロスについてのディドロの論評、RR 208, SC 116
リシュリュー、MC 154, 167, DL 124, 139
リヒター、ジャン・パウル、音楽について、RR 93;自らのイロニーを帯びた感傷主義について、RR 264
リカビー、ジョゼフ、DL 324注
リゴー、H、LC 183注
ランボー、母音の色について、NL 55注, 183
リッチー、D・G、DL 342–43
リヴァロール、文学上の名誉としての趣味について、MC 347;流行の哲学について、RR xxiii;ダンテの文体について、RR 215;猫について、RR 225;文明と野蛮の近接について、DL 229
ロバーツ卿、その現実主義的帝国主義、DL 289
ロベスピエール、理想主義的恐怖政治、DL 125–27;誠実さ、DL 266;ロマン主義的道徳との関係、RR 135–36;情念としての徳との関係、RR 180;ルソーの理想の立法者との関係、DL 89;ルソーの市民宗教との関係、DL 95;ロベスピエールとルソーについてのブリュンティエールの論評、MC 336;ロベスピエールとボワローについてのテーヌの論評、MC 244;ユゴーによる神格化、RR 340, SC 138;復権、LC 235;このほか、MC 296, DL 217
ロビンソン、クラブ、スタール夫人との関係、MC 20
ロボルテッロ、アリストテレスの『詩学』について、NL 5;虚構についてのロボルテッロとアリストテレスの見解、BC 84
ロシュブラーヴ、S、ケリュスとレッシングについて、NL 33
ロックフェラー、慈善的無秩序との関係、LC 68–71;このほか、DL 212
ロッド、エドゥアール、ルソーについて、RR 136
ロダン、形式を欠く印象主義、NL 232–33, 238
ロジャーズ、H・H、慈善的無秩序との関係、LC 68–71
ロラン、J・M、シラーとの関係、BC 135
ロマン主義、その定義、RR 1–9, 32, 161, 260, BC xx–xxi, 95;感情的自然主義との関係、RR x;行動、思想、感情のロマン主義、NL 108–14, 203, RR 30–31, 55–56, 71, 76, 214;リアリズムとの関係、RR 104–09;功利主義との関係、RR 350;その自己中心性、LC 221–33;自由への狂熱、NL 193–203, 222;知的萎縮、NL 145–46;幻影への屈服、RR 185–86, DL 15–16;月への愛好、RR 159;政治的結びつき、MC 79;そのイロニー、MC 128, RR 240–67;その倫理、RR xvi, 114–219;病の崇拝、RR 61;服装における、RR 59–60;絵画における、RR 289–91;歴史との関係、LC 125–28, MC 362–63, RR 237–39, SC 44–46;メロドラマとの関係、RR 188–91;ロマン主義とメロドラマについてのサンタヤーナの見解、NL 203–04;詩語への反動、NL 26–27;新プラトン主義からの影響、RR 254;イギリスとドイツにおける起源、RR 34–38, 95–96, 102;シラーからの影響、BC 134–35, 158;スタール夫人からの影響、MC 32;東洋との関係、BC 235–61;伝記的研究、BC 34–35;フランスにおける初期の批判、MC 79–81;『コンスティテュショネル』による定義、MC 80;シュレーゲル兄弟とスタール夫人による定義、BC 168–69;ウーラントによる定義、RR 293;ユゴーによる定義、MC 79;ミュッセによる定義、RR 214;ティエールによる定義、LC 173;ニザールの態度、MC 90–92;サント=ブーヴの態度、MC 136–38;シェレールの態度、MC 208–12;テーヌの態度、MC 232–34;ルナンの態度、MC 275–77, 293–96;ラセールの態度、SC 89–90;その成果についてのブールジェの論評、RR xvi;その多様性についてのA・O・ラヴジョイの論評、BC xx–xxi;クローチェとの関係、SC 66–72
ローマ、限られた経験、SC 46;原始主義との関係、RR 77;衰退期のギリシアとの関係、DL 150;衰退期の帝国主義、DL 18–19, 151, 331–32;衰退期のローマとアメリカ、DL 270–71, SC 62, 85–87;キリスト教的帝国主義との関係、DL 159;このほか、SC 37–38
ルーズヴェルト、セオドア、その帝国主義、DL 249, 269–70, 294
ローザ、サルヴァトル、荒々しい風景画、RR 274
ロセッティ、D・G、詩と絵画の混同、NL ix;天上の愛と地上の愛の混同、NL 99;不明瞭な象徴表現、NL 134
ロッシーニ、NL 169
ロスタン、ロマン主義的理想主義、RR 89;気取りと情念について、RR 76注;暗示について、NL 154;このほか、RR 295
ロスチャイルド、ルナンとの関係、MC 272
ルソー、I・Bの考察法、RR ix, xvii–xviii;その重要性、LC 36–37, NL 199–200, RR 361, DL 1–2, SC 105;病的な天才、MC 164;知覚過敏、SC 133;告白の欲求、BC 117;意識的な独創性、LC 222, 226–28, NL 69, MC 344, RR 47, 50;芝居がかった性質、MC 294, RR 54;アルメニアの衣装、LC 225, RR 60;音楽上の失敗と成功、RR 58;逆説の愛好、LC 238, RR 247;極端主義、RR 97, 382, BC xxi;自由への狂熱、LC 50–51, NL 194–96, RR 377–79;怠惰の称揚、LC 54, 55, RR 210, DL 222, 237, 279, BC xlii;自発性の崇拝、NL 65–66, MC 252, RR 87, 114–15, 247, DL 229, BC 192, 243;ストア派的なボムストンについて、RR 317注;起源への訴え、NL 15;原始主義、NL 89–90, 105, RR 72–79, 110–13, BC 165;デコルムへの攻撃、LC 184, NL 66, MC 14–15, RR 23–25, 103, 174–75, 245–47, 276, DL 51–52, 300, BC 136, SC 114, 187;謙虚さへの攻撃、RR 127–29, DL 109;自立の教説、DL 167;習慣への攻撃、RR 386–87;個人主義、RR 370, 386–87, DL 101, 232–33;蒙昧主義、NL 67–68, 89–90, 146–47, RR 1, 165, 375, 379, DL 69, 107, 178, 279, BC 161, SC 74;科学への攻撃、RR 122, 383;頭と心の対立、LC 23, 128, RR 263–64, DL 183, BC 162;心情についてのルソーとパスカルの見解、MC 53, BC xxxix, 145, 195;美的宗教性、MC 67, 71, RR 122–24, 322, SC 225–47各所;イエスの牧歌的描写、RR 304, DL 195;疑似理想主義、NL 228, RR 154, DP 84;感情的倫理、LC 49–50, MC 169, RR 153–67, 180, 187, 258, 270, 345, DL 51注, 119, 216;良心の腐敗、RR 179, 218, 253;娼婦の復権、RR 140;生来の善の教説、LC 92, RR 117, 153, 256, DL 334, BC 40–41, SC 78–79, 211;自然な憐れみの観念、NL 89, RR 126, DL 72–73, 216–18, 327, BC 69;自然の概念、RR 130, 195–97, DL 17, 328, BC 160–61;風景の趣味、RR 276;主観的自然観、RR 302–03, 305;牧歌的想像力、NL 70, MC 47, RR 107, 373–74, DL 103, BC 112;創造的想像力について、RR xv注;夢想の崇拝、LC 255–56, NL 194–95, RR 269, 281, 284–86, 289, 292, 330–31, 348–49;情熱的な回想の技法、NL 103–04, 136–38, RR 234–36;幼年時代の理想化、LC 185–86, RR 98;夢の世界、NL 70, 78–79, RR 83–84, 185–86, BC 89, 157;狂乱、眩暈、酩酊の崇拝、NL 70–71, RR 181, 183;もっともらしい狂気、SC 115;貝殻収集狂について、SC 186;恍惚の瞬間について、RR 216, 252, 315, 348, 365注;愛の概念、NL 208, RR 220–21, 227, 229注;郷愁、RR 93, 306–07, DL 219;意図的な憂鬱、RR 309, 311;幸福であるとの主張、RR 314–15;孤立感、RR 325–26;夢想と風刺、RR 102–08, 129–30, 187–88;人間嫌い、MC 47, RR 267, 279;人道主義的熱狂、LC 4, MC 30;一貫性を欠く政治的自然主義、RR 193, DL 18, 72–96, 99–100, 218, 277–78, BC xv, 69, 260–61;民主主義の擁護、RR 379, DL 2, 117, 123;人民主権の教説、DL 58, 276;自然権の観念、DL 59, 69, 102;平等主義、DL 107–08, 127;働きの概念、DL 192;自由の概念、NL 195, RR 377–79, DL 109–10, 127, 136, 222;友愛的無政府状態、MC 329, DL 4, 228;政治的扇動者への敵意、LC 236;ナショナリズムと国際主義、LC 187注, RR 345, DL 119–23;プロレタリア革命との関係、SC 73;文体、NL 146–48, MC 5;十七世紀のロマンスへの愛好、RR 5, 76;趣味の概念、MC 49–50;崇高の観念、BC 18, 184注;教育的自然主義、RR 119, 386–88, SC 200–01;演劇について、NL 68, MC 10–11, 15;『失楽園』の牧歌的要素について、RR 358注;牧歌的想像力についてのルソーとジョンソンの見解、BC 86–87;天才と想像力について、RR 70;音楽理論とその影響、NL 70, 107, 121–25, 161, 163–64;『ピグマリオン』、NL 158注, RR 224–25;花売り娘の学校の計画、NL 137–38;ロマン主義的な諸芸術の混同との関係、NL ix;近代文学との関係、LC 176;感傷小説との関係、NL 204;romantiqueという語との関係、RR 7;庭園への影響、RR 275;イエロー・ジャーナリズムとの関係、RR 63;1789年の革命との関係、DL 59, 245, 287;ロベスピエールとの関係、DL 125;フランスでの影響、MC 81–82;今日のフランスでの反発、NL xii, BC 187–95, SC 89–90;ドイツでの影響、LC 137注, 223, RR 194, 346–47, DL 118;極東での影響、BC 252–53;B・ド・サン=ピエールへの影響、RR 122;ヘルダーへの影響、LC 185, MC 22, RR 98;ゲーテとの関係、SC 105;ゲーテの『ヴェルテル』との関係、RR 82;ゲーテの『タッソ』との関係、RR 85–86;シラーへの影響、NL 83注, RR 43, 80, BC 137;A・W・シュレーゲルへの影響、NL 65;ヘルダーリンへの影響、RR 81–82, 90, BC 166;E・T・A・ホフマンへの影響、NL 107注, 176;ショーペンハウアーへの影響、DL 73, 327;スタール夫人への影響、NL 65, MC 6–9, 34, 356;シャトーブリアンへの影響、NL 142, MC 60–64, 67–68, RR 278, 322;バイロンへの影響、MC 60–61;ワーズワースへの影響、NL 65, 94;G・サンドへの影響、RR 107, 338;エマソンへの影響、MC 355–62;ベルクソンへの影響、RR 281, 300, 364;中国の原始主義者との比較、RR 395–98;ソクラテスとの比較、LC 23;プラトンとの比較、NL 87–114、とくに89–91, RR 158;ラブレーとの比較、MC 117;モンテーニュとの比較、LC 227–28;デュルフェとの比較、RR 76;ベーコンとの比較、LC 32–71各所, DL 115;パスカルとの比較、MC 53, BC xxxix, 145, 195;スウィフトとの比較、MC 47;シャフツベリとの比較、RR 44–45;ヴィーコとの比較、NL 225注;ヴォルテールとの比較、MC 14, 34, RR 216, DL 99;バークとの比較、DL 96, 101, 107, 115–16;ゲーテとの比較、RR 362;シャトーブリアンとの比較、NL 145, RR 126;ラマルティーヌとの比較、RR 126;ハズリットとの比較、NL 127;ワーズワースとの比較、RR 248, 284–85;シェリーとの比較、RR 282;ポーとの比較、NL 179;ラファエル前派との比較、RR 68;スペンサーとの比較、LC 45;メンケンとの比較、BC 205–06;ガンディーとの比較、BC 251–52;ブフレール夫人による論評、RR 129;その感受性についてのヒュームの論評、NL 112;ホレス・ウォルポールによる論評、RR 127;その謙虚さの欠如についてのバークの論評、RR 128, 380, DL 109, SC 79;ルソーと革命についてのバークの論評、DL 97;同じ主題についてのナポレオンの論評、DL 132;ルソーとヴォルテールについてのゲーテの論評、RR 32;ルソーと自然についてのシラーの論評、RR 102–03, 129, BC 164;その疑似宗教についてのジュベールの論評、MC 41;その魂を帯びた官能性についての同人の論評、NL 99–100, MC 47–48;その徳の概念についての同人の論評、MC 49;その哲学的怠惰についての同人の論評、DL 279注;シャトーブリアンによる拒絶、MC 68, RR 60–61;その情熱的な回想の技法についてのハズリットの論評、RR 235;その理想の愛と美しい狂気についてのバイロンの論評、NL 98, 104;そのユートピア思想についてのニザールの論評、MC 90–91;その文体についてのサント=ブーヴの論評、NL 140, 144;ルソーとモンテーニュについての同人の論評、MC 115;ルソーとコレについての同人の論評、MC 172;その影響についてのアミエルの論評、RR 165;その影響についてのテーヌの論評、RR 275;その影響についてのブリュンティエールの論評、MC 307, 310, 329, 336;その影響についてのド・ヴォギュエの論評、DL 117;その影響についてのヘットナーの論評、NL 65;その影響についてのアクトンの論評、DL 2;その影響についてのシュペングラーの論評、DL 20;その影響についてのセリエールの論評、DL 21;ルソーとブリュンティエールについてのド・ヴォギュエの論評、MC 302;ルソーとバークについてのレッキーとC・E・ヴォーンの論評、DL 115–16;ルメートルによる研究、MC 316, SC 91, 94;その性格についてのルメートルの論評、RR 127–28, SC 79;ルソーとモリエールについてのファゲの論評、RR 30;その二重の性質についてのランソンの論評、RR xvii–xviii;その主観的自然観についてのマッソンの論評、RR 302;その色聴の観念についてのL・J・デ・ベッカーの論評、NL 173;その牧歌主義についてのA・O・ラヴジョイの論評、BC 160;ルソーとアリストテレスについてのR・ウェストの論評、BC 24;ルソーとキリストについてのミドルトン・マリーの論評、BC 121;同じ主題についてのパピーニの論評、BC 257–58, DP 115;ルソーとタゴールについてのH・マシスの論評、BC 251
『ルソーとロマン主義』、NL xiv, DL 10
リュッケルト、サンスクリットの知恵との関係、SC 141
廃墟、ロマン主義的な愛好、RR 275–76
ラスキン、知的無責任、SC 31;宗教的教師として、MC 70–71;その博愛と孤立、RR 279, 328;湖水地方との関係、RR 83;宗教と山について、RR 164;感傷的誤謬について、RR 269;鉄道への反対、RR 301;ルソーとの関係、RR 158注;セルバンテスへの反対、RR 223;シェイクスピアとターナーについて、RR 290;ターナーの目的のない卓越性について、BC 99–100;アメリカの落ち着きのなさについて、SC 147;そのいかさまについてのシェレールの論評、MC 198注;その中世への共感についてのノートンの論評、RR 90;その女性的性質についての同人の論評、RR 158;その感受性についての同人の論評、RR 163–64;その不幸についての同人の論評、RR 384;その健全さの欠如についてのW・ジェイムズの論評、同所;このほか、MC 76
ロシア、革命と階級的正義、DL 126, 150;アジア的およびヨーロッパ的傾向、DL 155, BC 259;現在の経済制度、DL 192;同国のインフレーション、DL 207–08;デューイとボリシェヴィキの教育、SC 178;その仏教的原始主義についてのド・ヴォギュエの論評、BC 244
ライマー、演劇上の適切さについて、LC 221;ありそうにない虚構について、NL 20, 75–76;スペンサーについて、NL 72;空想と理性について、RR 13;個人の趣味について、LC 225, RR 14;批評家について、SC 25;フランス人のロマンス愛好について、SC 101;このほか、NL 63
サシ、ル・メートル・ド、サント=ブーヴによる論評、MC 148, 152
サシ、シルヴェストル・ド、文芸批評家として、MC 413;ルナンへの影響、MC 295注
サド侯爵、MC 210
セイジ、ラッセル、休暇について、LC 248–49
サン=シラン、MC 152
セント・サイアズ卿、パスカルについて、SC 73–88各所
サント=ブーヴ、その人物像と論考、MC 97–188;代表的な性格、MC vii;イギリスとアメリカにとっての価値、MC 292;近代精神との関係、RR xi, SC 49;相対性の感覚、LC 28, DL 9;自然主義的宿命論、MC 363, SC 45;エピクロス派的幻滅、SC 85;その自然主義の影響、MC 255;批評家および小説家として、BC 24;批評的方法、MC 324, 379, 384, SC 121;批評への情熱、SC 36;歴史の利用、LC 193, MC 86;批評における判断と共感について、MC 96, 303, 340;弟子を通じて師を研究することについて、SC 71;引用による判断について、MC xi;文学上の名声について、MC 351;基準について、LC 244–45, MC 354;フランス語について、SC 173–74;食物と文学の趣味について、SC 34;そのエピクロス派的人文主義、SC 49;人文主義の衰退について、LC 181, MC 332;文学研究について、LC 139;歴史の優越について、MC 263;歴史の混沌について、MC 281;宗教への淡い願望、MC 200;ロマン主義的理想主義との関係、MC 232;カトリシズムとキリスト教について、MC 259;ジャンセニスムについて、SC 74–75;ジャンセニストとユグノーの迫害について、SC 12;十九世紀の宗教的危機について、MC 270;二つの型のキリスト教徒について、MC 273;神学と心理学について、MC 369;神秘的官能性について、NL 146;十六世紀の自然主義について、LC 41;文学の循環について、NL 240;ロマン主義的頽廃について、MC 71;ボワローとの関係、MC 379–80, SC 22;マレルブについて、SC 24;ペローについて、LC 215;ラ・フォンテーヌについて、MC 52注;ヴォルテールとボシュエについてのニザールとの対立、MC 93;ディドロについて、SC 109, 115;ルソーによる夢想の発見について、LC 255;ルソーによる言語の刷新について、NL 140;ゲーテについて、MC 363–64, SC 45, 46;帝政下の文芸批評について、MC 3;スタール夫人との関係、MC 7;フォーリエルとの関係、MC 33;ジュベールの『パンセ』の紹介、MC 35;ジュベールの繊細さについて、MC 38;同人の静穏な熱狂について、MC 45;同人とラムについて、MC 36;同人とシャトーブリアンについて、MC 42, 49注;フォンターヌとシャトーブリアンについて、MC 42;シャトーブリアンとの比較、MC 75;同人との関係、MC 96;同人の名声について、MC 68;同人の目について、MC 278;同人の描写的文体について、NL 143–44, RR 57;同人の鰐への愛について、MC 62;同人の『キリスト教の精髄』について、MC 73, RR 333;『ルネ』と『ジル・ブラース』について、LC 227;ラマルティーヌの魂を帯びた無知について、NL 115;ヴィニーの自己崇拝について、RR 305;同人の象牙の塔について、RR 336;ユゴーについての初期の論文、MC 80;サント=ブーヴとバルザックについてのブリュンティエールの論評、MC 332;バルザックのナポレオン主義について、MC 50;マルネフ夫人について、MC 221;初期に受けた影響、MC 96;J・J・アンペールとニザールについて、MC 94–95;ヴィルマンについて、MC 95;クーザンについて、MC 95–96;同人とロングヴィル夫人について、MC 84;クーザンの嫉妬深い専門化について、MC 84;ヴィネの文体について、MC 190;ギゾーの歴史哲学について、MC 225;ボードレールについて、LC 229;ゴンクール兄弟について、NL 152–53;ニコラルドとの関係、MC 347;シェレールとの関係、MC 200–02, 207;ルナンの捉えがたさについて、MC 257;ルナンへの影響、MC 266;ルナンとの比較、MC 277;テーヌとの比較、MC 218–20, 223, 228, 231, 246, 250, 256;ブリュンティエールとの比較、MC 300–01, 331;ルメートルとの比較、MC 313;A・フランスとの比較、MC 317;エマソンとの比較、MC 388–92;G・サンドによる論評、RR 342, SC 138–39;その批評上の至高性についてのアーノルドの論評、MC vii, SC 23;サント=ブーヴとシェレールについてのアーノルドの論評、MC 201;その批評的直観についてのバンダの論評、BC 194;このほか、LC 144, NL 72, 171, 238, RR 14, 58, DL 90, BC 1, SC 125
サン=テヴルモン、新旧論争における、LC 183–84;その歴史感覚、MC 10–11;人間の中間的状態について、RR 39, 166;広大な野心について、DL 139;ジャンセニストの排他性について、DL 187;フランスの島国根性について、SC 40;ドライデンへの影響、LC 184注;サント=ブーヴとの親近性、MC 154注;サン=テヴルモンとフロンドの乱についての同人の論評、MC 154;サン=テヴルモンと批評についてのA・フランスの論評、MC 316
サン=ティレール、ジョフロワ、本能について、RR 270;テーヌへの影響、MC 325
サン=ティレール、J・バルテルミー、アリストテレスについて、RR 381注
サン=ジュスト、理想主義的恐怖政治、DL 126
サン=マルク・ジラルダン、文芸批評家として、MC 414
サン=ピエール師、職業的博愛、DL 67;実効を伴わない平和主義、DL 131;その平和主義についてのルソーの見解、DL 121–22
サン=ピエール、ベルナルダン・ド、その目的論、RR 122;自身の描写とシャトーブリアンの描写について、NL 141–42;同じ主題についてのサント=ブーヴの論評、NL 144;その描写とロティの描写についてのアルヴェード・バリーヌの論評、NL 141注;その恍惚的エピクロス主義についてのジュベールの論評、MC 48
セインツベリー、ジョージ、文芸批評家として、SC 33, 46–47;新古典主義批評の狭さについて、LC 216–17;フランスとイギリスの批評について、SC 21–22, 23;共感的批評について、SC 32–33;良識と詩について、NL 71;ボワローの誤った描写、SC 21–22, 35;ゲーテの軽視、SC 46
サン=シモン、C・H・ド、サント=ブーヴへの初期の影響、MC 102
サン=シモン公爵、MC 159
サン=ヴィクトール、文芸批評家として、MC 414
セセ、若きテーヌについて、MC 226
ソールズベリー卿、死につつある国々について、SC 19
サンド、ジョルジュ、ミュッセとの関係、RR 232–33, 262注, 328;愛の概念、RR 233注;その魔性的英雄、RR 317注;知恵の成長、RR 338–43, 344, SC 121–40;ルソー、バルザック、ゾラとの比較、RR 107;テーヌによる論評、MC 242
サンタヤーナ、神秘主義について、NL 93;原始主義について、RR 77;絶対主義について、BC xxii;感情主義について、BC 192;ロマン主義的演劇について、NL 203–04;シェイクスピアの宗教の欠如について、LC 59;ゲーテのロマン主義的な落ち着きのなさについて、RR 361;エマソンの教説と気質について、MC 346
サンティアゴ、スペインのための祈り、SC 20
サッフォー、RR 229
サージェント、ケニヨン・コックスによる論評、RR 291
サタン、ロマン主義的英雄、RR 139
悪魔主義、ロマン主義的カトリシズムとの関係、RR 322, 324
『サタデー・レビュー』、アメリカについて、DL 241
サンダーソン、ディドロによる論評、NL 118
ソーラ、ドニ、エマソンと仏教について、BC 256
サヴィニー、バークからの影響、DL 100
スカリゲル、J・C、その衒学、LC 20;独断的気質、MC 325;選択的な自己鍛錬について、LC 16;詩的模範としてのウェルギリウスについて、NL 12, RR 19;ホメロスのデコルムの欠如について、RR 144;牧歌における都会風の田園趣味について、RR 273
シェリング、音楽としての建築について、NL 61注;創造的自発性についてのシェリングとコールリッジの見解、NL 65注, BC 108;その疑似プラトン主義、NL 213;その自然哲学における象徴表現、RR 293–95;シラーからの影響、BC 170
シェレール、その人物像と論考、MC 189–217;絶対的なものの死について、MC 317, SC 144;大衆の理想主義について、BC 171;フランス語について、SC 174;シャトーブリアンの『キリスト教の精髄』について、MC 73–74, 75;サント=ブーヴの正確さについて、MC 131;テーヌによる嫌悪、MC 218;テーヌの様式について、MC 230;テーヌの『ギリシア芸術の哲学』について、MC 249;ルナンの『イエス伝』について、MC 272
シラー、人道主義的熱狂、LC 7, RR 330;『群盗』における慈善的無秩序、LC 67–68, RR 140, 141;同作の影響、BC 134–35;そのフランス市民権、BC 135;美しい魂について、RR 132注;そのロマン主義的ギリシア主義、RR 80–82, 98, 110, 112, 312;人間性の完成としての遊びについて、DL 329注;『失楽園』の牧歌について、RR 358注;その美学、RR 70, 77, 80–81, 240, DL 81, BC 86, 134–86;その美学へのカントとルソーの影響、NL 83注, RR 43–44;カントの定言命法について、DL 325注;ルソーと自然について、RR 102–03, 129;スタール夫人との関係、MC 5, 20–21;ヘルダーリンへの影響、RR 81–82;シュレーゲル兄弟への影響、RR 241, BC 167–68;シラーとロマン主義についてのゲーテの論評、RR 96;芸術の形式についてのシラーとニーチェの見解、BC 10注;リストとの関係、NL 162, 168;セリエールによる論評、RR 307注
シラー、F・C・S、その人文主義、LC 4;プロタゴラスとの比較、LC 26;アケーディアについて、BC 66
シンツ、アルベール、ルソーの合理主義について、SC 226
シュレーゲル、A・W、文芸批評家として、BC 30;その批評家としての活動についてのスタール夫人の論評、MC 16;古典主義とロマン主義について、RR 92, 94–95, BC 168;同じ主題についてのバイロンの論評、RR 101;ギリシアと中世について、BC 167;諸芸術の暗示的な融合について、NL 61注, 124–25;幻影について、NL 85–86, BC 93;象徴表現について、RR 293;ラシーヌについて、SC 94;ルソーからの影響、NL 65;ディドロからの影響、NL 125注;シュレーゲルとスタール夫人についてのハイネの論評、MC 12;同じ主題についての『黄色い小人』の論評、MC 81;シュレーゲルとシスモンディについてのサント=ブーヴの論評、MC 20, 172
シュレーゲル、フリードリヒ、ロマン主義運動との関係、RR 95–99, BC 168;ロマン主義の詩について、RR 251;「怠惰の挽歌」、LC 256–57;同作へのシラーの影響、BC 152, 158;阿片による霊感について、RR 182;詩の規則への反対、NL 84, 196;諸芸術の混同との関係、NL ix, 204–05;凍れる音楽としての建築について、NL 61–62;ギリシアと中世について、RR 97–99, BC 167;そのギリシア狂についてのシラーの論評、BC 165;存在に対する生成について、RR 245;そのイロニーの理論、RR 240–42, 265;アリオストとセルバンテスのイロニーについて、RR 264;カトリシズムへの改宗、RR 263;その疑似プラトン主義、NL 213
シュレーゲル、A・WおよびF、その美学理論の空しさ、BC 163–64;ロマン主義的インド観、RR 148–49, BC 243;そのインド観についてのハイネの論評、LC 190;南と北の文学について、MC 22;シュレーゲル兄弟とロマン主義についてのゲーテの論評、RR 96;シラーからの影響、RR 96, 241, BC 167–68, 170, 185;ヘーゲルへの影響、RR 240
シュライアマハー、NL 213
ショーペンハウアー、憐れみについてのショーペンハウアーとルソーの見解、LC 61注, NL 91, DL 73, 326–27;意志についてのショーペンハウアーとカントの見解、DL 227, 326–27;芸術についてのショーペンハウアー、カント、シラーの見解、BC 170;サンスクリットについて、SC 141;ブッダの誤解、RR 149, BC 243;ブリュンティエールによる共感、MC 310–11, 331, 333;セリエールによる論評、RR 307注
シューベルト、絵画的暗示性、NL 169
シューマン、ケルン大聖堂を主題とする音楽、NL 162;自発性、NL 163;その音楽を描いた彩色画、NL 173;このほか、BC 191
シュワブ、DL 239
科学、その正当な領域、RR 331–52各所, 363–68, 382–83, DL 6–7, 135, 143–44, 258–59, 278, 314–15;疑似科学との関係、NL 208–14, BC xxiv–xxx, 15, DP 118, SC 236–37;気晴らしとの関係、SC 87;科学とロマン主義による人間性の剥奪、MC 181, RR 163–70, 270;科学とロマン主義による余暇の軽視、LC 246–63、とくに255;科学とロマン主義による目的よりも起源の優先、BC 97–98;科学とロマン主義による独創性の促進、LC 233–34, BC 5–6, 130–31;科学とロマン主義における異常心理、RR 262;ロマン主義的自然崇拝との関係、RR 293–302;伝統への敵意、RR 36, 64, 119–20, 217–18, DL 45, SC 49;進歩の観念との関係、RR xviii, 137–39, DL 66–67, BC 235;啓蒙思想との関係、RR 26–27;十九世紀における科学の宗教、RR 342;開拓地の心理との関係、DL 240;西洋と東洋における、BC 235–40;スペインにおける、SC 10–14;教育における科学と人文学、LC各所、とくに30–31, 64–65, 88–149;同じ主題についてのC・W・エリオットの見解、SC 212–13;文芸批評との関係、MC 340–44;歴史との関係、RR 237–38, SC 44–46;哲学との関係、RR 371;現実との関係、同所;良心との関係、BC 174;誠実さとの関係、DL 85;謙虚さとの関係、DL 165, SC 79–80;想像力との関係、RR 40–41, 363, DL 233, 235;科学と想像力についてのカントの見解、BC 141;ルソーによる攻撃、RR 139, 165–66;ヴィニーによる敬意、RR 337–38;サント=ブーヴにおける科学と疑似科学、MC 130–35, 141, 145, 150–51, 163–67, 171–81, 324;テーヌにおける科学と疑似科学、MC 218–56各所, 300, 324, 341–44, BC 15;ブリュンティエールにおける科学と疑似科学、MC 300, 324–27;科学の破綻についてのブリュンティエールの見解、MC 306, 309–10;ルナンの態度、MC 259–63, 281–92;その独断性についてのベルクソンとプラグマティストの見解、NL 210–14, MC vii–viii
スコット、紳士にしてユーモアの人、SC 41–42;フランスのロマン主義への影響、MC 81–82;glamourという語との関係、RR 260
スキュデリー、イギリスにおけるスキュデリーとラシーヌ、SC 103
セアイユ、ルナンについて、MC 283
セシェ、レオン、近代芸術の異常性について、BC 16
セギュール伯爵、フランス革命について、DL 125
セリエール、エルネスト、合理的帝国主義について、RR 194注, 409, DL 20, 21–22, 343–44, BC 187, 197;ロマン主義の世代について、RR 307注;ロマン主義的神秘主義について、DL 260;現代アメリカとの関係、BC 222
セルデン、愚行と統治について、DL 265;言葉の力について、BC xxxviii
民族自決、世界平和との関係、DL 223
自立、キュニコス派からエマソンまで、DL 165–67;仏教における、DP 88–89;プロテスタンティズムにおける恩寵との関係、DL 818–89
セリンコート、E・ド、ワーズワースの『序曲』との関係、BC 35, 47注
セナンクール、宇宙的夢想、RR 315;憂鬱、RR 323;アーノルドへの影響、MC 199, RR 308
セネカ、苦痛の中の快楽について、RR 216;倦怠について、RR 313注;意図的な独創性について、RR 332注;ストア派の無情念との関係、DL 50注;ストア派の自然主義との関係、DL 71注;正義について、DL 198
情緒、「感情」を参照
奉仕、ストア派的、キリスト教的、人道主義的なもの、DL 46–47, 199, 214, 235, BC 209–10, 226–29, SC 208–12;芸術との関係、BC 172–73;奉仕のための教育、LC各所、とくに32–71, DL 303–04, 310–13;「利他主義」「人道主義」も参照
シャクルトン、アーネスト卿、RR 277
シャドウェル、「ロマン的」という語との関係、RR 6
シャフツベリ、そのストア派的、エピクロス派的、感傷的傾向、RR 121, DL 216;その感情的倫理、LC 61注, RR 44–45, 131, 179, 196–97, 253, 257, 324, DL 48–52, 72, BC 41–42, 139–40, SC 211, 232;真と美の同一視、RR 207, 294, 357;ホッブズとの関係、RR 197;ルソーとの関係、LC 61注, RR 44–45, 179;ディドロとの関係、RR 122;カントとの関係、DL 325注;キーツとの関係、RR 357
シェイクスピア、その想像力、BC 74, 78;その人文主義、LC 57–60, RR 264;そのラテン語とギリシア語、LC 204;その牧歌趣味、RR 281;『リア王』の嵐、RR 292;『オセロー』の象徴表現、RR 294;衰退したアリストテレス主義者としてのポローニアス、RR 330, SC 158;幻影について、RR xiv, DL 147, BC xxiii, SC 13;ロマン的探求について、RR 4;イギリスの功利主義との関係、SC 42;イアーゴーについてのライマーの論評、LC 221;『ハムレット』についてのヴォルテールの論評、SC 98;シェイクスピアをめぐるジョンソンとヴォルテールの対立、RR 33;シェイクスピアとポープについてのヤングの論評、RR 38;シェイクスピアと中世についてのF・シュレーゲルの論評、RR 99;その言葉による絵画についてのコールリッジの論評、NL 126;その伝記についてのエマソンの論評、MC 162;その非宗教性についてのエマソンとサンタヤーナの論評、LC 58–59;その超越性についてのアーノルドの論評、MC 248;シェイクスピアとターナーについてのラスキンの論評、RR 290;『ル・グローブ』による普及、MC 80;ユゴーによる熱狂的賛辞、MC 75;その激烈さについての同人の論評、LC 57–58, MC 180;その人間性についてのサント=ブーヴの論評、MC 183–85;シェイクスピアとラシーヌについてのシェレールの論評、MC 212;テーヌによる人間性の剥奪、LC 58, MC 180, 183, 221, 222–23, 232, 248, 273;トルストイによる拒絶、LC 58–60, MC 23;C・W・エリオットによる論評、SC 213;このほか、LC 114, 159, NL 110–11, MC 71, 163, RR 9–10, 41, 98, 201, 208, 295, DL 75, 137, 147, 281, BC 38, SC 70
ショー、バーナード、独創性の崇拝、LC 225;常識への反対、NL 239;不十分な人間性、MC 221
シェリー、ハリエット・ウェストブルック、RR 226
シェリー、メアリー・ゴドウィン、慣習への同調について、LC 241;シェリーの性格について、RR 161;その『フランケンシュタイン』、DL 133;このほか、RR 226, 321注
シェリー、パーシー・ビッシュ、印象主義、LC 224;不安定さ、RR 266;牧歌的想像力、RR 358–60;非現実的な理想主義、RR 376;実体のなさ、RR 391;知覚過敏、BC 48;感受性、NL 113注;キーツと自らの感受性について、RR 321注;愛の概念、RR 224, 226–28, 283;自然への屈服、RR 282, 291;ロマン主義的倫理、RR 196, DL 220, 222;自由への狂熱、NL 197, DL 136–37;牧歌的政治、RR 82, 137, 189, 256, DL 76–77;その性格についてのメアリー・シェリーの論評、RR 161;その理想主義についてのレズリー・スティーヴンの論評、RR 82注, DL 77;ブリュンティエールの無知、MC 302;その『イスラムの反乱』についてのO・エルトンの論評、RR 206;シェリー、プラトン、キリストについてのC・H・ハーフォードの論評、RR 359, BC 22–23;シェリーとH・G・ウェルズについてのP・S・シャーマンの論評、SC 57;このほか、LC 119, NL 112注, 163, RR 92, 180, 225注, 284注, 310注, BC 251, DP 99
シャーマン、S・P、基準との関係、SC 65;アーノルドについて、SC 48–65各所;シングについて、RR 243;ピューリタンとドイツ人について、DL 251–52;I・Bの定義について、BC 20;人間と自然について、BC 132;美と奉仕について、BC 172
始皇帝、儒教の書物の弾圧、RR 398
舜帝、模範的統治、DL 200
ジークフリート、アンドレ、アメリカについて、BC 231–33, SC 216;ガンディーとフォードについて、BC 252–53, DP 117
ブラバントのシゲルス、MC 304
シモニデス、詩と絵画について、NL 3, 61;カステル神父との関係、NL 56
サングラン、MC 148
シスモンディ、文芸批評家として、MC 415;シスモンディとA・W・シュレーゲルについてのサント=ブーヴの論評、MC 20, 172;ロマン主義の連合との関係、MC 81
スミス、アダム、感情的倫理、LC 61注, DL 51;功利主義的な働きの概念、DL 191;経済的個人主義との関係、DL 213;このほか、SC 42
スミス、ホレス、『ニンフに憑かれた者』、RR 227
スモレット、イギリス的な気質との関係、SC 28
スマイス、H・W、LC 135注
ソーム、ウォラーについて、NL 156注
社会正義、没収との関係、DL 203–06;階級闘争との関係、DL 308;社会正義と便宜についてのダントンの見解、DL 125–26
社会主義、悪の問題との関係、RR 165;世界大戦との関係、DL 120;理論と実践、DL 125;根本的誤謬、DL 191–92;G・サンドの見解、SC 125–27;フローベールの見解、SC 135–36;このほか、LC 66注, SC 39–40
社会学、人間性の剥奪、LC 89;その道徳的印象主義、MC 383注
ソクラテス、最初の人文主義者、LC 99;帰納的定義の技法、LC 2–3, RR 1–2, 374–75, DL 278, BC xxxvii–xxxviii, SC 243–44;伝統との断絶、RR 112, DL 149, BC 205;その時代の重要性、NL 251;慣習の尊重、RR 175;ソフィストとの関係、MC ix, 345, 383, 386, 387;ソクラテスとソフィストについてのアリストファネスの論評、MC 346, DL 149, SC 39;その死の意義、LC 25, DL 264, SC 38;その死についてのバンダの論評、BC 198;そのイロニー、RR 242–45, 266;その簡素な趣味、RR 195, DL 32;無知について、NL 91–92;理性の過大評価、LC 1, 52;知識と徳の同一視、DL 165, 167, 172–73, 178–79, 198, SC 153;習慣について、RR 385;敬意と抑制のための訓練について、LC 71;その制止するダイモン、RR 147;都市と田園について、NL 96–97, RR 272;ブッダとの比較、DL 32;キリストとの比較、DL 283–84, 298;ジョンソンとの比較、RR 356, 362;ルソーとの比較、LC 23;エマソンとの比較、MC 358;カーライルとの比較、DL 211;カーライルによる論評、BC 4–5;ユゴーによる論評、RR 146;ニーチェによる論評、BC 10;このほか、MC 114, 382
孤独、ロマン主義的および宗教的なもの、RR 325–37
ソロモン、MC 120
ソフィスト、一と多について、LC 24–27, MC ix;プラグマティストとの関係、LC 26–27, RR xiii;その印象主義、MC 345;その伝統との断絶、MC 387, RR 112, 244–45;ソクラテスとの関係、MC 383, 386, 148–149
ソフォクレス、宗教的深さ、SC 93–94;創造的な老年、MC 164;デコルム、RR 23;倫理的想像力、NL 199, RR 357–58, 360, BC 74;不文の法について、RR 48, 53, 175, 177, DL 295;その不文の法についてのワーグナーの見解、NL 199;『コロノスのオイディプス』の宗教的畏敬、NL 203;幻影の扱い、DL 147;エウリピデスとの比較、RR 204;シェイクスピアとの比較、LC 59;ポープとの比較、RR 174;大学での読み物としてのソフォクレスとゾラ、LC 171;ソフォクレスとラシーヌについてのボワローの論評、SC 91;ソフォクレスとリロについてのディドロの論評、SC 116–17;『オイディプス王』についてのルソーとサン=テヴルモンの論評、MC 10–11;その想像力を伴う理性についてのアーノルドの論評、BC 143;トルストイによる論評、MC 23;ソフォクレスとオニールについてのE・ウィルソンの論評、BC 2;このほか、NL 130, 250, MC 142, 344
ソルボンヌ、その文献学と文学、MC 383–87
魂、プラトン主義、キリスト教、仏教における、DP 77, 83–84, BC xxxiii;芸術における、NL 227–28, RR 68, 202–17, BC 10–11, 179–82
南アメリカ、合衆国の軽薄さについて、BC 233
主権、自然主義的および超自然主義的な見解、DL 53–57;古代、中世、近代の見解、DL 331–35;ホッブズの見解、DL 42–45;ルソーの見解、DL 87–92, 128;ジョン・アダムズの見解、DL v, 306, 335;アメリカ憲法との関係、DL 306–07
スペイン、その性格と論考、SC 1–20
スペンス、レッシングとの関係、NL 32–33;キケロとの関係、NL 61注
スペンサー、ハーバート、教育についてのスペンサーとルソーの見解、LC 45;教育における科学と文学について、LC 88, 114, SC 59, 63;自然科学について、LC 91;古典研究について、LC 98–99;芸術の遊戯説について、LC 114, BC 155;ホメロスについて、SC 42
シュペングラー、オスヴァルト、その人物像と批判、DL 20–21, BC 31, SC 245
スピンガーン、J・E、ルネサンス批評における叙事詩とロマンスについて、NL 192注;趣味について、RR 65注;芸術と霊感について、BC 8–9, SC 71;その理想主義、BC 18;ゲーテの批評理論について、BC 28–29
スピノザ、ストア主義との関係、DP 82, SC 237;自然の中の人間について、LC 29;人間的基準について、LC 243;知性と意志について、DL 322, 323–24;想像力について、BC 80, 82–83;ヴォルテールとサント=ブーヴによる論評、MC 115, 120;バンダによる論評、BC 192
自発性、近代における崇拝、BC 1–33各所, 104–05, 121–28;ロマン主義の中心的教説、RR 34, 64–69, BC xx–xxi;ロマン主義的な諸芸術の混同との関係、NL各所、とくに61–86, 161–65;科学的決定論との関係、NL 205–17, 224–28, RR 169–70, 343;倫理的習慣との関係、RR 386–87;宗教との関係、RR 52–53;ルソーの逆説的な崇拝、RR 247;シラーの美学における、RR 80–82;ワーズワースの賛否、RR 248–50, 286, BC 53–58, 63–64;「印象主義」も参照
司馬遷、RR 398
スタール夫人、その人物像と論考、MC 1–33;ロマン主義的熱狂、MC 45, 69, 355;感情的倫理、RR 132注, 306;神的な拡張性について、DL 5;拡張的な趣味の概念、MC 50;批評について、MC 67;古代人と近代人について、LC 191–92;古典的およびロマン主義的芸術について、RR 99–101;中世について、BC 168–69;その世界市民主義、MC 80, 83, 87, 88, 94, 96, 247;名声と影響、MC 58, 81, 82;ルソーについて、DL 96, SC 225;ルソーからの影響、NL 65, MC 356;コンスタンとの関係、RR 316;ジュベールとの関係、MC 34;その原始主義についてのヴィレールの論評、RR 45
スターリン、アジア的かつヨーロッパ的な性格、BC 259
基準、I・Bによる擁護、BC xiv–xliv各所;一と多との関係、RR xii–xiii, DL 9–10, SC 67–70;知性および意志との関係、DL 188;伝統との関係、BC 205;調停との関係、NL 189–90;美との関係、RR 207–08;詩における基準についての『エディンバラ・レビュー』の見解、MC 338;批評における、MC各所、とくに338–92, RR xvii, BC 1–33, 202;批評の基準についてのジュベールの見解、MC 56–58;批評の基準についてのサント=ブーヴの見解、MC 340;批評の基準についてのブリュンティエールの見解、MC 327–37;アメリカの批評における、BC 1–3;教育における、LC各所, BC 223–31;立憲民主主義との関係、DL 239–317;バークにおける基準と伝統、DL 101;アーノルドにおける基準と伝統、SC 48–65各所
国家、その倫理的基礎、DL 308–10;プラトン、ホッブズ、ルソー、バークの見解、DL 87–88, 100–02
ステッドマン、E・C、ポーのニンフへの憑依的な憧憬について、RR 230
スティール、「ロマン的」という語との関係、RR 6
スタンダール、力の崇拝、RR 192;軽蔑を帯びた無感動、RR 317;文芸批評家として、MC 416;新しい文学精神について、MC 1;十九世紀の感情主義について、RR 213;シャトーブリアンについて、NL 142;テーヌへの影響、MC 223, 232;ブールジェへの影響、LC 172;セリエールによる論評、RR 307注
ステファヌス、LC 155
スティーヴン、フィッツジェイムズ、自由などについて、DL 286注
スティーヴン、レズリー、功利主義、RR 400;自然という語について、RR 268;快楽主義的個人主義について、DL 209;ワーズワースの哲学について、BC 58;ド・クインシーの散文の音楽性について、NL 158;シェリーの理想主義について、RR 82注;シェリーの政治的逆説について、DL 77;バルザックのパリについて、RR 107, SC 119
スターン、NL 68, RR 144
スティーヴンソン、R・L、RR 366
ストア主義、古代の自然主義との関係、RR 268–70, 286, 312, DL 70–71;その一元論的倫理、SC 237;その理性の高慢、DL 11, 12, 174, 179, 180, 227, DP 82, 121;その自立の教説、DL 166–67, DP 82, 88, 120;その失敗、DL 156;快活さの欠如、DP 102;人文主義との関係、BC xvi;人道主義との関係、DL 214–16;ローマ法との関係、DL 45, 58–59, 70–71, 331;キリスト教との関係、LC 22, 169;仏教との関係、DP 82;理神論との関係、RR 121, DL 50–51;近代政治思想との関係、DL 45–47;グロティウスにおける、DL 45;デカルトとの関係、DL 322;パスカルの見解、SC 84;スピノザにおける、DL 324;カントとの関係、DL 326;テーヌにおける、MC 241, SC 85;ルナンにおける、MC 285;ワーズワースにおける、BC 64
疾風怒濤運動、合理主義への反動との関係、NL 64;ルソーからの影響、LC 222;その影響についてのヘットナーの見解、NL 65;レッシングによる反発、NL 38;カントによる反発、BC 141
ストウ、ハリエット・ビーチャー、トルストイによる論評、MC 353
シュトラウス、リヒャルト、遅れてきたロマン主義、NL 160;ロマン主義的な大言壮語、NL 246–47;その交響詩における表現と構成、NL 168–69;ニーチェの音楽化、NL 162;ワーグナーとの関係、NL 237
文体、ロマン主義的特異性との関係、RR 54–60;民主主義との関係、SC 170–82;ジュベールの見解、MC 35;その腐敗についてのシェレールの論評、MC 191–92, 206–08;十七世紀の文体についてのサント=ブーヴの論評、MC 152;同じ主題についてのブリュンティエールの論評、MC 302–03;古典的およびロマン主義的文体についてのルナンの論評、MC 294–97
シュアール、MC 121, 122
崇高、古典的およびロマン主義的なもの、BC 180–86;現代における無感覚、BC 19
シュッドーダナ、DP 78
ズーダーマン、独創性の崇拝、LC 222
暗示、芸術における、NL 115–85;芸術における暗示についてのレッシングの見解、NL 50–52;同じ主題についてのジュベールの見解、MC 44–45;批評における、MC 340–52
シュリー、大構想との関係、DL 121
サンデー、ウィリアム・A牧師、DL 240
超自然的なもの、キリスト教における、DL 37–38;仏教における、DP各所;儒教における、DL 36;理神論との関係、RR 121–22;愛との関係、DP 100;偉大な芸術との関係、BC 145;「二元論」も参照
最高裁判所、古典教育との関係、DL 305;近年の攻撃、DL 307–08
シュルレアリスム、精神的自動現象との関係、BC 125;伝達との関係、BC 126;ベルクソン主義との関係、BC 190
スウィフト、人間嫌い、MC 47, DL 137, BC 42, 198;イロニー、RR 266–67;古代人と近代人について、LC 150;無限のバソスについて、BC 185;このほか、RR 8
象徴主義、ロマン主義的芸術における、NL 132–36;自然との関係、RR 293–98;「寓意」も参照
象徴主義者、目的と成果、RR 289;ルナンによる軽蔑、MC 293;アメリカでの模倣、BC 222
共感、古代と近代の見解、DL 50–51, LC 61注, MC 166–73, BC 42;人文主義的倫理における、LC 5–12;人道主義的倫理における、LC 41–71, DL 215–21;ロマン主義的倫理における、NL 195–203, MC 329–30, RR 114–219、とくに136–48, 324–31;仏教における、DP 117;文芸批評における判断との関係、BC 29–30, SC 31–33;専門化との関係、SC 186–88;国際関係における、LC 186–88;ヒュームの信頼、DL 225;シラーによる称揚、BC 136;ワーズワースによる称揚、BC 53–55;スタール夫人の世界市民主義における、MC 18–21, 26–30
シュネシオス、神と想像力について、DL 14
シング、S・P・シャーマンによる論評、RR 243
タキトゥス、ドイツについて、DL 232, BC 251;ドイツについてのタキトゥスとスタール夫人の見解、MC 13
タゴール、そのロマン主義、RR 149, DL 161–62, BC 251, SC 167
タイヤード、ローラン、無政府的耽美主義、MC 322
テーヌ、その人物像と論考、MC 218–56;スコラ的気質、MC 299, 300;不十分な洞察、MC x, 375;精神的孤独、MC 334;批評的方法、MC 147–48, 151, 181, 217, 324, 341–44;その方法についてのサント=ブーヴの論評、MC 163;公式への信頼、NL 210;宿命論、MC 32;疑似科学的決定論、MC 325, 371, RR 170, 343注;宗教的信仰について、SC 139;病的心理について、BC 15;自然について、RR 188, 337;十八世紀の原始主義について、RR 275, DL 124;ディドロとの関係、SC 118;ルソーの政治的影響について、DL 83, 123–24;ジャコバン派の友愛について、DL 127;革命についてのテーヌとバークの見解、DL 100;古典主義とイデオロギーの同一視、MC 92, 99, RR 28;ロマン主義的な逃げ口上について、MC 363, RR 237;ロマン主義的風景画について、NL 148–49;仏教について、MC 277;シェイクスピアについて、LC 58, MC 180, 183, 273;『失楽園』について、MC 343;テニソンについて、MC 342;ミシュレについて、MC 181;G・サンドについて、RR 342, SC 121–22;バルザックとの関係、MC 181, 306, 333;サント=ブーヴとの関係、MC 131, 137, 200;ゴンクール兄弟との関係、MC 140;その想像力についてのルメートルの論評、MC 302
タルマン、サント=ブーヴによる論評、MC 179
タレーラン、スタール夫人との関係、MC 9注;ナポレオンとオシアンについて、MC 12;ナポレオンによる論評、RR 24, 25, SC 187;サント=ブーヴによる論評、MC 127
ティムール、DL 158
道教、その原始主義、RR xix, 395–98, BC 253–55, SC 167;その一元論的傾向、DP 107–08;中国の芸術との関係、RR 292–93;ドイツにおける、BC 253;パピーニの見解、BC 257–58, DP 115
タッソ、新古典主義批評におけるタッソとアリオスト、NL 192;ルソーとゲーテによる論評、RR 85, 89;その人気についてのスタール夫人の論評、MC 23–24;タッソとホメロスについてのシャトーブリアンの論評、MC 74
趣味、その定義、RR 65;食物と文学における、SC 33–34;判断との関係、BC 25–26;印象主義との関係、MC 346–52;ボワローの批評における、NL 63, RR 20;イギリスとフランスにおける、SC 36;リヴァロールの見解、MC 347;ジュベールの見解、MC 49;ヴォルテールの見解、MC 348, 375, SC 34;趣味と天才についてのスタール夫人の見解、MC 16–18, 50;同じ主題についてのシャトーブリアンの見解、MC 62;趣味と学識についてのサント=ブーヴの見解、MC 141–44;趣味と民主主義についてのシェレールの見解、MC 206–08;「グスト」も参照
タヴェルニエ、LC 216
課税、代表との関係、DL 207
テイラー、ジェレミー、キリスト教的謙虚さについて、RR 115;抑制のない欲望について、DL 137
技法、芸術における「魂」との関係、RR 203–05, BC 220–21
テレマン、楽長、NL 53
気質、硬いものと柔らかいもの、RR 193–99, BC 207, 230–31;人格との関係、BC 126–27;霊性との関係、RR 147;慣習との関係、RR 46–49, 79, 328–31, BC xix–xxii, 32;文芸批評における、RR 65, BC 202–04
テンプル、ウィリアム卿、イギリス人の奇矯さについて、SC 27
テニソン、その創造的な老年、MC 164;宗教的直観、MC 199, RR 348注, SC 56, 143–44;進歩への信頼、DP 97, SC 200;自由意志について、DL 227;自然について、RR 197, 249, DL 327, BC 55;知識について、MC 281;科学について、DL 258, SC 237;批評について、MC 339, BC 23, SC 31;芸術のための芸術について、RR 332注, BC 173注;目的のない詩について、RR 202注;その郷愁を抱くユリシーズ、RR 92;ウェルギリウスの語法について、NL 52;ウェルギリウスの憂鬱について、RR 312;ミルトンの牧歌主義について、RR 358注;異様な巨人としてのユゴーについて、RR 393;キーツの詩才について、RR 358;自然主義について、LC 198–99;テーヌとパルグレイヴによる論評、MC 342;このほか、DL 81注
原文は “no do.'s melancholy” と印刷されている。参照先『ルソーとロマン主義』312頁がテニソンによるウェルギリウスの憂鬱の表現を紹介しており、本索引のウェルギリウス項も同じ関係を示すため、“no” を “on” の転倒と判断して訳した。
テレンティウス、人文主義との関係、LC 8–9;ディドロによる論評、SC 116
聖テレサ、スペインの神秘主義との関係、SC 3
テルトゥリアヌス、信仰について、DL 177注;好奇心について、MC 287注
テクスト、J、ルソーとイギリスおよびドイツとの結びつきについて、LC 137注;スタール夫人とイタリアについて、MC 32注
サッカレー、俗物について、LC 75;フランス小説について、LC 171;偽りへの憎悪、MC 159;共感と反感について、MC 170–71;生来の天職について、MC 177;ベッキー・シャープについてのテーヌの論評、MC 221–22;同じ人物についてのC・W・エリオットの論評、SC 213
神権政治、古典期および中世のもの、DL 27–29;中世およびカルヴァン主義のもの、DL 52–54;インドにおける、DL 32;「教会」「国家」も参照
テオクリトス、シャトーブリアンとの関係、RR 281;キーブルによる論評、RR 238, 285
テオフィル・ド・ヴィオー、その知的ロマン主義、RR 10–11
ティエリー、A、ミシュレの先駆、MC 77;シャトーブリアンからの影響、MC 77–78;ルナンへの影響、295注
ティエール、ロマン主義とパリ・コミューンの同一視、LC 173;ルイ=ナポレオンについて、LC 255;ヴィニーの『チャタートン』との関係、RR 321
トマス、E・J、ブッダについて、DP x
トムソン、ジェイムズ、その感傷的理神論、BC 41;風景画について、RR 274注;ドリールへの影響、NL 26注;『四季』の影響、NL 31, RR 8;その模倣者たち、NL 34, 47, 137
トムソン、ジェイムズ(B・V)、倦怠について、RR 332注;悲しみの中での交わりについて、RR 337
トゥキュディデス、そのマキャヴェリ主義、DL 38;ギリシアの伝統の危機との関係、DL 150
ティベリウス、近年の復権、LC 235
ティーク、諸芸術の混同との関係、NL ix, 155, 175, RR 94;その「Uのロマンス」の催眠的な不協和音、NL 157注;『ゲノヴェーファ』の自然的象徴表現、RR 292;演劇の法則への反抗、NL 194;その戯曲のロマン主義的イロニー、RR 240;そのフィヒテ的独我論、RR 241注;アリストファネスとの比較、RR 243;その自由詩についてのヘットナーの論評、NL 222注;このほか、RR 159注
ティツィアーノ、創造的な老年、MC 164;ハズリットによる論評、NL 128;ケニヨン・コックスによる論評、RR 291
トクヴィル、民主主義と指導力について、LC 105;民主主義的な古代の軽蔑について、LC 110
寛容、ブッダとアショーカ王における、DP 70
トルストイ、偽りの預言者、RR 352;自由への狂熱に駆られた者、NL 196–97;そのルソー主義、LC 59, MC 23, BC 243–44;その批評の基準、MC 375;ソフォクレスについて、MC 23;シェイクスピアについて、LC 23, 59;『アンクル・トムの小屋』について、MC 353;ニーチェとの関係、RR 197–98;ガンディーとの関係、BC 251–52, DP 117
トラシー、デステュット・ド、サント=ブーヴへの影響、MC 102
伝統、批判精神との関係、RR x–xi, DL 6–10, 42, 142–44, BC xi–xliv各所, 205, SC 43–46, 205, 225–47各所;調停との関係、DL 299–302;古典的およびキリスト教的なもの、BC 39–40;文芸批評における、MC 351–52, BC 26–33;デカルト主義による侵食、RR 28;科学的自然主義による侵食、RR 36;バークによる擁護、DL 99–116;その価値についてのジュベールの見解、MC 40;古典的およびキリスト教的伝統についてのニザールの見解、MC 87, 98–99;文学の伝統についてのサント=ブーヴの見解、MC 144;ブリュンティエールによる擁護、MC 328–37;古典的およびキリスト教的伝統への近年の攻撃、BC 2–3;孔子の態度、RR xx, DL 34–36;ブッダの態度、RR xx, DL 36
超越主義、ワーズワースとコールリッジにおける、BC 49–50;ニューイングランドにおける、RR 67
曽国藩、真の儒者、RR 381注
ターナー、ラスキンによる論評、RR 290, BC 99–100
トウェイン、マーク、RR 326
ティレル、ローマ・カトリシズムについて、DL 141
ウーラント、ロマン主義と無限について、RR 293
演劇の三一致、新古典主義理論、NL 77;実際の長所と想定された長所、RR 21–22;ジョンソンなどによる攻撃、RR 21, BC 90–92
普遍的なもの、芸術と宗教における、RR 14–23;想像力との関係、RR 41, 176, 202, 392;美的判断との関係、BC 142–43;芸術の遊戯説との関係、BC 147;ロマン主義による軽視、BC 108–33各所;アリストテレスの見解、RR 173, BC 12–13, 83–84, 103;ロンギノスの見解、BC 13
アンウィン、SC 35
ウパニシャッド、大部分が拙い文章、SC 142
都会的洗練、調停の果実、DL 25, RR 381, DP 71, 82–83;「デコルム」も参照
デュルフェ、貴族的牧歌主義との関係、RR 76, DL 124, SC 99–100
功利主義、不十分な実証性、DL 42;その拡張性、DP 110–13;権力欲との関係、RR 331;絶対主義との関係、DL 334–35;進歩の観念との関係、DL 2–4;芸術および知性との対立、SC 42–43;気晴らしの芸術との関係、BC 154–55;現代教育における、LC各所, BC 223–31;古代と近代における、DL 46–47;イギリスの思想と政治における、DL 112–14;ベーコンからマルクスまで、DL 191;アメリカの凡庸さとの関係、SC 177;古代中国における、DL 151
ヴァシュロ、テーヌについて、MC 226, 227
ファイヒンガー、カントとの関係、RR 370注, DL 326
ヴァロン、アネット、BC 36, 37–38
ヴォーン、C・E、ルソーとバークについて、DL 115–16;このほか、RR 406, DL 343
ウェッレイウス・パテルクルス、文学の循環について、NL 240注
ヴェルレーヌ、思想家として、NL 146;その衰弱、NL 243;諸芸術の混同との関係、NL 155, MC 44;ニュアンスについて、NL 236;ルメートルによる論評、MC 314
ヴェルネ、オラース、その変遷についてのサント=ブーヴの論評、MC 156;その天職についての同人の論評、MC 177
ヴェロン博士、MC 158
ヴイヨ、ルイ、文芸批評家として、MC 417
ヴィーコ、ルソー、ヘルダー、クローチェの先駆、NL 225注;クローチェとの関係、SC 68
ヴィクトリア女王、ディズレーリとの関係、DL 275–76
ヴィーダ、ホメロスにおける驢馬について、RR 144
ヴィダル、ピエール、RR 238
ヴィニー、その宗教的反逆、RR 324;天才、自然、愛、科学について、RR 320–21, 335–38;沈黙について、BC 70;思想の力について、MC 337;崇高という語の濫用、BC 184;移ろいゆくものについて、RR 365;幻影と現実について、RR 186注;サント=ブーヴの嫉妬という説、MC 136;その孤立についてのサント=ブーヴの論評、MC 121注;その自己崇拝についての同人の論評、RR 305;ヴィニーとモレについての同人の論評、MC 172;ブリュンティエールによる共感、MC 305
ヴィルマン、その人物像と論考、MC 82, 85–87;ユゴーとの関係、MC 95;サント=ブーヴとの関係、MC 95, 96, 107
ヴィレール、スタール夫人とゲーテについて、RR 45
ヴィリエ・ド・リラダン、その「悪魔的」カトリシズム、RR 322;そのカトリシズムについてのA・フランスの論評、RR 324注;そのボヘミアン的恍惚についての同人の論評、RR 88–89
ヴィヨン、DL 28, RR 238
ヴィネ、文芸批評家として、MC 418;サント=ブーヴとの関係、MC 102, 104, 190;シェレールとの関係、MC 190
ウェルギリウス、適切な研究方法、LC 168;英語研究におけるウェルギリウス、キャドモン、『ベーオウルフ』、LC 201;その自然観、RR 271;新古典主義における崇敬、NL 28;スカリゲルにとっての第二の自然、NL 12–13;その想像力と判断についてのドライデンの論評、RR 353–54;そのホメロスの模倣についてのポープの論評、NL 12;その熱狂についてのジュベールの論評、MC 45;その哀感についてのシャトーブリアンの論評、MC 66;その地獄についての同人の論評、MC 68;その憂鬱についてのテニソンの論評、RR 312;このほか、MC viii, RR 377, DL 231
徳、マキャヴェリの見解、DL 39;モンテスキューの見解、DL 65;ルソーの見解、LC 50, DL 73–74;ロベスピエールの見解、DL 125–27
好事家、文芸批評への影響、NL 31–32
ヴォギュエ、メルキオール・ド、ルソーと民主主義について、DL 117;ブリュンティエールの均衡のとれた才能について、MC 299;ブリュンティエールとルソーについて、MC 302;ブリュンティエール、ボシュエ、パスカルについて、MC 330;ロシアの原始主義とブッダについて、BC 244
ヴォラン嬢、SC 108
ヴォルテール、不十分な人文主義、RR 32–34;一貫性を欠く人間性観、DL 48;文体、NL 148;反復、MC 97;趣味について、MC 85, 348, 375, SC 43;学識と趣味について、LC 110–11;想像力と判断について、NL 80;幻影について、RR 39, DL 68, BC 104;台座への反対、MC 159;文学の循環について、NL 240注, MC 136;人間性についてのヴォルテールとパスカルの見解、RR 177;パスカルについて、SC 77;宗教についてのヴォルテールとルナンの見解、MC 268–69;宗教的な軽信について、RR 369;怠惰な修道士について、LC 254, BC 256;聖書主義的プロテスタンティズムについて、RR 119;恩寵をめぐる論争について、DL 323;マルブランシュについて、NL 70;スピノザについて、MC 115注;『アタリー』の称揚、SC 91;『ハムレット』の軽視、SC 98;フェヌロンの散文叙事詩への非難、NL 30;カステル神父への風刺、NL 58;ロックの普及、DL 62–63;レッシングとの関係、NL 36;ルソーとの関係、MC 14, 67, RR 32, 103, 216, DL 99;ピロンとの関係、MC 179–80;ラ・アルプによる『神曲』よりも『アンリアード』の優先、LC 216;シャトーブリアンによる『アンリアード』よりも民謡の優先、MC 65;ヴォルテールの哀感の観念についての同人の論評、MC 66;ヴォルテールの欠点についての同人の論評、MC 68;その非宗教性についてのジュベールの論評、MC 41;『アンリアード』についてのヴィルマンの論評、MC 86;その代表的性格についてのサント=ブーヴの論評、MC 93;ヴォルテールとJ・ド・メーストルについてのサント=ブーヴの論評、MC 172;その文体についてのゾラの論評、NL 147–48;A・フランスとの関係、MC 322;このほか、LC 17, MC 62, 97, 256, RR 93注, 100, 236注
ヴァッケンローダー、RR 86
ワーグナー、諸芸術の混同との関係、NL 106–08, 173, 198;官能的宗教性、NL 108, RR 210;自由への狂熱、NL 197;『トリスタンとイゾルデ』における愛、RR 230;『アンティゴネー』について、NL 199;ボードレールとの関係、NL 177–78;フランスの頽廃派への影響、NL 157注;シュトラウスとの関係、NL 237;メンケンによる論評、BC 19
ウォラー、その作詩法についてのソームの論評、NL 165
ウォルポール、ホレス、ルソーについて、RR 127;思考と感情について、RR 314;イギリス的ユーモアとの関係、SC 28
ヴァルツェル、O、クライストの女性たちについて、RR 160注
1870年の戦争、テーヌとルナンへの影響、MC 26–27, 243, 282;G・サンドへの影響、SC 135;シャラントンの精神病者との関係、RR 296–97;戦争と聖バルテルミーの虐殺についてのネフツェルの見解、SC 12
1914–18年の戦争、近代文明との関係、RR 367, DL 3, 15, 181;ペロポネソス戦争との関係、DL 148;宗教的および文化的宣伝、DL 231, 232;ニーチェ的気質主義との関係、BC 207;戦争の責任、DP 111;進歩の観念との関係、SC 200;奉仕の福音との関係、SC 213–14, 232;このほか、SC 69–79
ウォーバーグ、P・M、景気循環について、BC 201注
ヴァラン夫人、ルソーへの影響、RR 74;ドイツの敬虔主義との関係、RR 134注;ルソーによる論評、RR 134–35;ルソーによる扱い、RR 236
ワシントン、立憲民主主義との関係、DL 246–51;ジャコバン派支持者との関係、DL 262–63;国家の義務と利益について、DL 269–70;その神話、DL 249
ワトソン、J・B、底知れない自然主義、SC 219–20
ワッツ、アイザック、SC 30
ウェーバー、『魔弾の射手』のナショナリズム、NL 162;このほか、NL 159, 169
ウェブスター、連邦と自由について、DL 247
ウィームズ、ワシントン神話との関係、DL 249注
ヴァイス、J・J、文芸批評家として、MC 418–19;シェレールによる称賛、MC 206
ウェリントン、自然と習慣について、RR 386
ウェルズ、H・G、ウェルズとシェリーについてのS・P・シャーマンの論評、SC 57
ヴェルナー、R・M、RR 415
ウェスレー、ブルックおよびベーメとの関係、RR 258
ウェスレー主義、反合理主義との関係、NL 64
ウェスト、レベッカ、創造と批評について、BC 24–25;セザンヌとプッサンについて、BC 16;ジョイスの『ユリシーズ』について、BC 132
ホイッグ党、1688年の革命との関係、DL 61;想像力の欠如、DL 103;一貫性を欠く倫理、DL 110–11
ホワイトヘッド、A・N、専門化について、SC 194
ホイットマン、ウォルト、技法の不十分さ、BC 220;近年の自由詩との関係、BC 222;原始主義、NL 81–82, RR 166;疑似神秘主義、DP 108;汎神論的夢想、RR 286, 349, SC 165;奇跡的な鼠について、BC 121;その包括的な愛、DL 219;平等主義、RR 137, DL 260–61;友愛的無政府状態、MC 329, DL 4, 228;友愛的帝国主義、DL 267–68;宇宙的な怠け者、SC 166;リンカーンとの比較、DL 249;ブッダとの比較、SC 151
ヴィーゲル、L、RR 395
ヴィーラント、スタール夫人による論評、MC 19
ウィルコックス、エラ・ウィーラー、DL 217注
ワイルド、その衰弱、NL 243;歴史について、RR 238;批評について、BC 26;ロマンスの代償について、RR 253
意志、より高い意志の定義、DL 5–7, BC 254;仏教とキリスト教におけるより高い意志、DP 65–121各所;人文主義と宗教におけるより高い意志、DL 161, 197, BC 260–61, SC 231–47;より高い意志と文明、DL 222–38;個人と国家におけるより高い意志、DL 239–317、とくに316–17;神の意志、王の意志、人民の意志、DL 266–67;権力への意志、RR 193, 196, 317, 331, 346, 366, DP 68;知識との関係、BC xxxv–xxxvi;ヨーロッパとアジアにおける意志と知性、DL 158–85各所;ヨーロッパとアメリカにおける意志と知性、DL 294;自由意志と独創性、MC 371;自由意志と幸福についてのG・サンドの見解、SC 137–38;自由意志と基準、BC 212–21;自由意志と恩寵、BC xiii–xxv;自由意志と恩寵についてのパスカルの見解、BC 145, 195;自由意志についてのジョンソンの見解、MC 371;自由意志についてのサント=ブーヴの見解、MC 174;意志についての神学的および哲学的理論、DL 319–30;意志と道徳についてのエマソンの見解、BC 31;カントの見解、BC 143–45;バンダの見解、BC 196, 199;孔子の見解、DL 165
オッカムのウィリアム、知性と意志について、DL 321
オラニエ公ウィリアム、SC 21–22
ウィリアムズ、N・P牧師、アウグスティヌスの精神分析、SC 236
ウィルソン主教、知識欲について、MC 287
ウィルソン、エドマンド、ソフォクレスとオニールについて、BC 2
ウィルソン、ジョン、BC 53
ウィルソン、ウッドロウ、平和主義、DL 196;メキシコ政策、DL 268;美辞麗句、DL 280;頑固な理想主義、DL 288, 294
ウィンチルシー夫人、ワーズワースによる論評、NL 25
ヴィンケルマン、NL 32
機知、新古典主義時代における機知および空想と判断との対立、RR 9–14
ヴォルフ、クリスティアン、NL 64
ウルズリー、ロバート、ロマン主義的霊感について、RR 65, BC 128
女性、男性との比較、RR 157–60;近代文化への影響、BC 190–91;近代女性の自由への狂熱、NL 197
驚異、畏敬との関係、RR 49–51, 148, 168, 304, 365, DL 107;ロマン主義的称揚、BC 120–21;ロマン主義と科学による促進、RR 58, 64, BC 130–31;詩における驚異についてのアリストテレスの見解、BC 103–04
ワーズワース、キャロライン、BC 36
ワーズワース、ドロシー、ウィリアムへの影響、BC 48;このほか、BC 36, 45, 54
ワーズワース、メアリー・ハッチンソン、BC 37–38
ワーズワース、ウィリアム、I・Bの考察法、RR xvii, BC xxi;知的背景、BC 39–45;ルソーへの負債、LC 36;ルソー的逆説、RR 247–50;原始主義、NL 107, BC 45–79, 105–06;汎神論的夢想、LC 257–58, NL 131, 188–89, BC 112;自然観、LC 91, MC 233, RR 91, 197, 272, 283–86, 337注, BC xxxii, 120, 130;動物について、RR 166注;ウィンダミア鉄道への反対、RR 301–02;賢明な受動性について、LC 33, 258, RR 343, 377, 395, DL 218, 219, BC 255;生来の怠惰について、LC 54;愛と酒について、MC 285;書物について、LC 223;分析への反対、NL 92, 98, RR 1, 167, 171, 184–85, 373, DL 227, 327;その真の神秘主義と偽りの神秘主義、NL 93–97, BC 112–13, DP 108;初期の詩、NL 25–26;詩語への攻撃、NL 10, 18;ギリシア語とラテン語による作詩について、NL 24;詩的彩色について、NL 23;詩の定義、NL 16, 65, RR 237;詩の題材について、NL 246, RR 145–46;そのリアリズムとロマン主義的象徴表現、RR 296;崇高という語との関係、BC 184注;想像力について、NL 135, BC 94–95, 106–07, 111;旅行記への関心、RR 277;幼年時代の想像力について、NL 81, RR 74;霊感を帯びた幼年時代について、NL 94, RR 52, BC 98;若き日の悲嘆の崇拝について、RR 322注;悪の問題との関係、MC 357, RR 256;ピーター・ベルとその分身、RR 262注;その孤立、RR 279, 328;牧歌的夢想と人道主義的共感、RR 303, DP 97–98;フランス革命との関係、NL 27;牧歌的政治、RR 83, DL 75;その逆説についてのコールリッジの論評、BC 108–10;ワーズワースとM・シモンについてのド・クインシーの論評、MC 172;その「白痴の少年」についてのバイロンの論評、BC 54;サント=ブーヴへの影響、MC 118–19;J・S・ミルとの関係、NL 206;その自然さについてのアーノルドの論評、NL 81, BC 68;その自然崇拝についての同人の論評、MC 357, RR 351, BC 57–58, 67;その奇矯さについてのローウェルの論評、LC 241;近年の批評、BC 34–39;このほか、NL 249, RR 92注, 293, DL 299, BC 85, 88
働き、宗教的、人文主義的、功利主義的なもの、DL 188–213;幸福との関係、DL 242;自由との関係、DL 293, 316;ブッダの見解、RR 343, DL 209, BC 66–67, DP 92–93;「業」も参照
ライト、E・H、ルソーについて、SC 226–27
ライト、ハロルド・ベル、アメリカ文化との関係、DL 240, SC 61
ウィチャリー、大学での読み物として、LC 198–99
クセノフォン、LC 71注, RR 175注
イェール大学、LC 76
ヤルデン、ジョンソンによる論評、RR 50, SC 30
楊朱、その利己的哲学、RR 397
イェイツ、タゴールについて、RR 149
ヨーガ、その定義と論考、BC 249–51;ブッダへの影響、DP 94–95
ヤング、エドワード、独創的天才について、RR 37–38, 40, BC 4, 82;自由な想像力について、DL 15–16, 233;カントへの影響、RR 40注, BC 141
ゾラ、頽廃派の一人、SC 17;その自然主義、LC 92, NL 245, MC 319, SC 9;そのリアリズム、SC 118, 119;そのロマン主義、RR 106;その文芸批評、MC 419;ロマン主義的文体について、NL 147–48;専門的語彙、RR 58;ルソーによる先取り、RR 103, 187, 220;バルザックからの影響、MC 332–33, RR 106–07;サント=ブーヴによる論評、MC 141;シェレールによる論評、MC 206–07, 212;テーヌとの関係、MC 239;ブリュンティエールによる論評、MC 305–07, 309;ルメートルによる論評、MC 314, RR 106;A・フランスの賛否、MC 320, 322–23;大学での読み物としてのゾラとソフォクレス、LC 171;C・W・エリオットによる論評、SC 213–14;ドライサーとの関係、BC 222;このほか、MC 376, SC 192