錬金術 / ゾシモス(旧版の帰属表示)ゾシモス作品集 第III部(1888年版)
錬金術 / ゾシモス(旧版の帰属表示)
書誌情報を表示
1888年フランス語旧訳からの重訳。57篇。旧訳が省略したギリシア語本文は未復元。
前付
第三部
ゾシモス
神なるゾシモス 効力について 第一講
III.i 神なるゾシモス
効力について 第一講
注 vertu はここでは物質や操作の『効力』を含む語として訳した。倫理的な『徳』のみには限定していない。
1. 水の組成、運動、増大、物体的本性の除去と回復、霊の身体からの分離、そして身体への霊の固定。これらの操作は、外から持ち込まれた異質な本性を加えることから生じるのではなく、ただ一つの種から出て、自らに働きかける、固有の唯一の本性による。また、硬化して凝固した鉱物や、植物組織から抽出した液も用いられる。この、形は一つで色はさまざまな体系の全体には、万物についての多方面にわたり際限なく多様な探究が含まれる。それは自然の探究であり、自然は月の作用と時間の尺度に従う。この二つが、自然の変化における終期と成長を定めるのである。
2. こう語っているうちに、私は眠りに落ちた。すると、杯の形をした祭壇の上に、私の前に立つ祭司が見えた。その祭壇には、上るための十五段の階段があった。祭司はそこに立っていた。そして私は上方から、私にこう告げる声を聞いた。『私は闇へ向かって十五段を下ることと、光へ向かって階段を上ることを成し遂げた。祭司は身体の粗厚な本性を取り除いて、私を新たにする。こうして必然によって祭司に聖別され、私は霊となるのだ』。
杯の形をした祭壇に立つ者の声を聞き、私は彼に何者かと尋ねた。彼はか細い声で、こう答えた。『私は聖所の祭司イオンであり、耐え難い暴力を受けている。ある者が朝、急いでやって来た。そして私に暴力を加え、剣で私を切り裂き、結合の規則に従って私の身体をばらばらにした。手にした剣で私の頭の皮をすべて剝ぎ、骨を肉と混ぜ合わせ、それを処理の火で焼いた。このように、身体の変容を通じて、私は霊となることを学んだ。これが、私の受けた耐え難い暴力である』。彼がなお私と話し、私が無理に語らせていると、その目は血のようになり、彼は自分の肉をすべて吐き出した。そして私は、彼が醜くゆがんだ小人となり、自分の歯で自らを引き裂き、崩れ落ちるのを見た。
注 イオンは旧訳本文の読み。旧版の異読注には『存在する者』と解する読みもある。
3. 恐怖に満たされて目を覚まし、私は思った。『これは水の組成ではないだろうか』。正しく理解したのだと確信し、再び眠った。同じ杯形の祭壇が見え、その上部には沸き立つ水があり、多くの人々が絶えずそこへ向かっていた。祭壇の外には、私が尋ねられる者は誰もいなかった。そこで私は、この光景を見ようと祭壇へ上った。すると、年を取って白髪になった床屋の小人が見え、私に言った。『何を見ているのか』。私は、水の動きと、生きたまま焼かれている人々の動きに驚いているのだと答えた。彼はこう答えた。『お前の見ているこの光景は、入ること、出ること、そして変化である』。私はさらに尋ねた。
『どのような変化なのか』。彼は答えた。『ここは浸漬と呼ばれる操作を行う場所だ。効力を得ようとする人々はここに入り、身体を逃れて霊となるのだから』。そこで私は言った。『では、あなたも霊なのか』。彼は答えた。『そうだ、霊であり、霊たちの番人でもある』。私たちが話している間、沸騰が激しさを増し、人々が悲痛な叫びを上げると、私は、手に鉛の板を持つ銅の人を見た。彼はその板を見ながら、こう言った。『罰を受けているすべての者に命じる。静まり、それぞれ鉛の板を取り、自分の手で書き記せ。そして、彼らの葡萄の収穫が十分に成長するまで、目を上方へ向け、口を開いていよ』。言葉に続いて行為が行われた。家の主人は私に言った。『お前は見つめ、首を上に伸ばし、何が行われたかを見た』。私が見ていると答えると、彼は言った。『お前が見ているのは銅の人だ。祭司たちの長であり、犠牲にされる者であり、自らの肉を吐く者である。この水と、罰せられる人々に対する権威が、彼に与えられている』。
4. この幻を見た後、私は再び目を覚ました。私は言った。『この幻の原因は何なのか。これは、白く黄色く沸き立つ水、神なる水ではないのか』。そして、正しく理解したのだと分かった。私は言う。語るのは美しく、聞くのも美しい。与えるのは美しく、受け取るのも美しい。貧しいのは美しく、富むのも美しい。では、自然はどのようにして与え、受け取ることを学ぶのか。銅の人が与え、液化した石が受け取る。鉱物が与え、植物が受け取る。星々が与え、花々が受け取る。天が与え、地が受け取る。雷撃が、飛び出す火を与える。杯形の祭壇では、すべてが絡み合い、すべてが解かれる。すべてが結びつき、すべてが組み合わされる。すべてが混ざり、すべてが分かれる。すべてが湿り、すべてが乾く。すべてが花開き、すべてが花を失う。実に、各々について、方法と尺度と四元素の正確な秤量によって、万物の絡み合いと分離が起こるのである。方法なしに生じる結合はない。吹き出し、吸い込み、種別を静止させ、増大させ、減少させる、自然の方法がある。要するに、方法を何一つなおざりにすることなく、すべてが分割と結合によって一致するとき、自然は変容する。自然は自らへ立ち返ることで変容するからである。問題となるのは、全宇宙における自然と効力の結びつきなのである。
5. 要するに、友よ、鉛白や雪花石膏に似た、一枚岩の神殿を建てよ。その造りには始めも終わりもあってはならない。内には、太陽のように輝く、きわめて清らかな水の泉を置け。神殿の入口がどちら側にあるかを注意深く観察し、剣を手に取れ。そして入口を探せ。開口のある場所は狭いからである。入口には蛇が横たわり、神殿を守っている。これを捕らえよ。まず殺し、皮を剝ぎ、肉と骨を取って、四肢を分けよ。次いで神殿の入口で、四肢と骨を一つに集め、踏み台を作れ。その上に登って入れ。そこに、求めるものが見つかるだろう。泉に座り、自らの内に色を集めている、あの祭司、あの銅の人を、銅の人だと思ってはならない。彼は自分の本性の色を変え、銀の人となったのだから。お前が望むなら、ほどなく彼を金の人として得ることもできよう。
6. この前置きは、これから続く言説の精華をお前に示すための入口である。すなわち、効力と知識と理性の探究、知性の教説、実効ある方法、秘められた言葉を解き明かす啓示である。このように効力は、適切な時と方法によって全体を追い求める。
7. 『諸本性に打ち勝つ自然』という言葉は、何を意味するのか。また、『完成するとき、自然は眩暈に襲われる』とはどういうことか。さらに、『探究の中で締めつけられ、自然は全体の業に共通する姿を取り、その種に固有の物質を吸収する』とは。また、『その後、最初の姿から外へ転落すると、自然は死ぬのだと思う』とは。そして、『異国の言葉を話しながら、ヘブライ語を話す者をまねるとき、不幸な自然は自らを守り、自分の四肢を混ぜ合わせて、より軽くなる』とは。『液体全体が火によって成熟へ導かれる』とは、何を意味するのか。
8. このような知性の観念の明晰さに支えられて、自然を変容させ、多様な物質を一つのものと見なせ。このような特性を、誰に対しても明白に説き明かしてはならない。語ることで自らを滅ぼさぬよう、自分だけで満足せよ。沈黙が効力を教えるからである。四つの金属[鉛、銅、アセム(または銀)、錫]が完全な金へ変化するさまは、見るも美しい。
塩を取り、硫黄を湿らせ、塊を蜜のような蝋の固さにせよ。両者の力を縛り合わせよ。それに緑礬を加え、緑礬から取り出される、白色の最初の発酵種である酸を作れ。これらの物質によって、従わせた銅を少しずつ白い外観へ導くだろう。第五の方法で、昇華する三つの蒸気を用いて蒸留せよ。待ち望んだ金を見いだすだろう。こうして物質を従わせることにより、多くの種から唯一の種を得るのである。
注 物質名は古代・旧訳の呼称に従う。緑礬などを現代の単一化学物質と常に同定できるわけではない。
石灰について
III.ii 石灰
ゾシモスは石灰について、こう述べる。
1. 私は事柄を明らかにしよう。アラバストロンという石が『脳』と呼ばれるのは、それがあらゆる揮発性の染めの成分を固定する剤だからである。そこでアラバストロン石を取り、一夜と一日焼け。石灰を用意し、非常に強い酢を取って沸騰させよ。お前は驚くだろう。神なる製法を実現し、金属の表面をこの上なく白くする生成物を得るのだから。沈殿させてから、非常に強い酢を加えよ。上部に生じる昇華蒸気を、そのつど取り除くため、蓋のない器で操作せよ。さらに強い酢を取り、七日間この蒸気を立ち上らせ、蒸気が上らなくなるまで同じように行え。定められた時期に、生成物を四十日間、太陽と露にさらしておき、次いで雨水で穏やかにせよ。日光で乾かし、保存せよ。
これこそ、伝えられなかった秘儀であり、預言者の誰も言葉によって明かそうとはしなかった。ただ入門者たちにのみ明かしたのである。彼らは象徴的な著述の中で、これを脳の石、石ならぬ石、万人に知られている未知のもの、きわめて貴重でありながら軽んじられるもの、神から与えられたものにして与えられていないもの、と呼んだ。私としては、神から与えられず、かつ与えられた石という名で、これをたたえよう。われわれの業において、物質を支配するのは、ただこれだけだからである。力を有する調製物、ミトラスの秘儀とは、このようなものなのである。
2. 火の霊は石と結びつき、一つの種類の霊となる。さて、私は石の働きを説明しよう。コマリスと混ぜると真珠を生み、これがクリュソリトスと呼ばれたものである。霊は乾いた粉の力によって、あらゆることを行う。私はまた、コマリスという語を説明しよう。誰もあえて明かさなかった事柄だが、古人たちは、理解力のある者たちへ伝えていた。それは女性的な力、すなわち優先すべき力を保持する。白化は、あらゆる預言者にとって崇敬の対象となったからである。
真珠の力についても説明しよう。それは油で煮出されると、その働きを成し遂げる。女性的な力を表すのである。真珠を取り、栓も蓋もない器で、油とともに三時間、穏やかな火にかけて煮出せ。毛織物の布を取り、それで真珠をこすって油を除き、染めに必要なとき使えるようにしておけ。物質の変容が成就するのは、真珠を通じてだからである。
2付. ステファノスは言う。四元素からなる金属を取り、最も上の砒素と最も下の砒素、粗いものと赤褐色のもの、雄と雌を等量加え、互いに結び合わせよ。鳥が卵を抱き、温かさの中で成熟させるように、お前たちも自分の業を抱いて成熟へ導くのである。外へ持ち出し、神なる水を注ぎ、日なたや暖かい場所に置いた後、処女の乳の中に入れ、弱火で煮よ。煙に気をつけよ。生成物をハデスへ沈めよ。[再び取り出し、日なたや暖かい場所で、キリキアのサフランを注げ。煙を避け、処女の乳とともに弱火で煮よ。ハデスに沈めよ。]調製物が固まり、火から逃れ出られなくなるまで、注意深くかき混ぜよ。それからその一部を取り、魂と霊とが身体と一体となって、もはやただ一つの存在となったとき、銀の金属体へ投射せよ。そうすれば、王たちの宝庫にさえないほどの金を得るだろう。
注 砒素などの古い語は、現代の元素名と同一の意味範囲とは限らない。処方は歴史資料であり、実行を意図した手順ではない。
これこそ哲学者たちの秘儀であり、われわれの父祖が、明かすことも公にすることもしないと誓ったものである。
3. 上昇とは、花が上ることをいう。生成物に注いだ水は、身体と硫黄の緊密な結合によって、妨げなく立ち上り、上へ進む。そうでなければ、身体は昇華器の底にとどまる。二つの染めについては、乳鉢と濾器で満足しよう。
銅についてゾシモスは、こう述べる。『銅は空気の湿りと熱のため、大部分の水によって変質し、体積を増し、はるかに最も穏やかな花々で覆われる。それは自然の産出的な働きによって実を結ぶ』。
アガトダイモン
III.iii アガトダイモン
銅を精製し、黒化させ、その後に白化させた後、初めて堅固な黄化が起こる。
ヘルメス
III.iv ヘルメス
身体からその物体的本性を取り去り、非物体的な存在に物体的本性を与えなければ、お前が待ち望むことは何一つ起こらない。
ゾシモス 第二講
III.v ゾシモス
第二講
1. ついに私は、七つの段を上って七つの刑罰を見たいという望みにとらわれた。そして定められた日の一日に、しかるべく上昇の道を進んだ。何度もやり直しながら、その道をたどった。帰りには自分の道を見失った。大いに落胆し、どうすれば抜け出せるのか分からないまま、眠りに落ちた。
眠っている間、私はある小人を見た。赤い衣と王の装束を身につけた床屋で、刑罰の場所の外に立ち、私に言った。『人よ、そこで何をしているのか』。私は答えた。『すべての道から外れて迷ってしまったので、ここにとどまっているのだ』。すると彼は言った。『ついて来なさい』。そこで私は行き、彼に従った。刑罰の場所に近づいたとき、案内していた小さな床屋がその場所へ入り、その全身が火で焼き尽くされるのを見た。
2. これを見て、私は離れ去り、恐怖に震えた。それから目を覚まし、心の中で言った。『私は何を見ているのか』。再び考えを明らかにすると、この床屋は赤い衣をまとった銅の人だと分かった。私は言った。『正しく理解した。あれは銅の人だ。まず彼が刑罰の場所へ入らなければならないのだ』。
3. 再び私の魂は、第三の段を上ることを望んだ。私はまた独りで道をたどった。そして刑罰の場所に近づくと、また道が分からなくなって迷い、絶望して立ち止まった。再び同じように、年を取って白くなった老人、全く白く、目をくらますほど白い老人が見えた。その名はアガトダイモンであった。白髪の老人は振り返り、長い間私を見つめた。私は尋ねた。『正しい道を教えてください』。彼は私の方を向かず、自分の道を急いで行った。私はあちらこちらと行き来し、急いで祭壇へたどり着いた。祭壇の上に着くと、白髪の老人が刑罰の場所へ入るのが見えた。おお、天上の本性を造る者たちよ。たちまち彼の全身が燃え上がったではないか。兄弟たちよ、何という恐ろしい物語であろう。刑罰の激しさのために、彼の目は血で満ちたのである。私は彼に声をかけ、尋ねた。『なぜ横たわっているのか』。彼は口を少し開き、私に言った。『私は鉛の人であり、耐え難い暴力を受けている』。そこで私は大きな恐怖に襲われて目を覚まし、この出来事の理由を自らの内に求めた。再び考え、私は言った。『これによって、鉛を取り除かなければならないと、よく分かった。この幻は確かに液体の組成に関わるのである』。
同じゾシモスの著作 第三講
III.v付 同じゾシモスの著作
第三講
1. 再び私は、杯形の神聖な祭壇に目を留めた。そして、足もとまで届く白い衣を着て、恐るべき秘儀を執り行う祭司を見た。私は言った。『これは誰なのか』。答えがあった。『聖所の祭司である。身体を血に染め、目をよく見えるようにし、死者をよみがえらせることを常とする者である』。そこで私は再び地に倒れ、また眠った。第四の段を上っていると、東の方から、手に剣を持った者がやって来るのを見た。その後ろのもう一人は、まばゆく白い円形の物、美しい眺めの物を運んでおり、それは『辰砂の子午線』と呼ばれていた。刑罰の場所へ近づくと、彼は言った。剣を持つ者が彼の首を切り、身体を供犠にし、肉を細かく切らなければならない。そうすれば、その肉はまず装置の中で煮られ、その後、刑罰の場所へ運ばれるのだ、と。
再び目を覚まし、私は言った。『正しく理解した。金属の術における液体のことである』。剣を持つ者は、さらに言った。『お前たちは七段の上昇を成し遂げた』。もう一人は、あらゆる液体によって鉛を溶かしながら、こう答えた。
『術は成就する』。
神なるゾシモス 効力と解釈について
III.vi 神なるゾシモス 効力と解釈について
1. 自らの衝動に従い、見た夢を説明するために、彼は言う。私は杯形の祭壇を見た。祭壇の上に立つ火の霊が、発泡、沸騰、そして上昇する人々の焼成をつかさどっていた。私は立っている人々について尋ね、言った。『この発泡と沸騰を不思議に見ている。燃えている人々は、どうして生きているのか』。彼は私に答えて言った。『お前の見ているこの発泡は、浸漬が行われる場所である。効力を得たい人々がここに入る。彼らは身体を失い、霊となるのだ』。効力に向けた修練は、『修練する』という語によって、このように説明される。身体の粗厚さを取り除くことで、彼らは霊となるからである。
2. デモクリトスも似たことを言う。『金の色のように黄色いイオスが生じ、イオスを通じて霊の状態に達するまで、処理を続けよ』。実に、蛇の働きによって身体を取り去られた物質から生じるイオスは、霊を意味する。黄色への着色が完成するため、イオスは金の色と呼ばれるのである。このように彼らは、一様の外観に達するまで、考えを口伝えで伝え、宣べる。そして彼は続ける。『流せるようになるまで処理せよ』。『流す』は液化に由来するのであって、抽出に由来するのではない。彼らは文字σをτに変えているからである。こうして彼は『流せ』と言い、それによって、われわれが説明したように液化を意味する。『流せるようになるまで処理せよ』という言葉は、先に用いた『同時の流出』という語に相当する。
注 元の議論はギリシア語の語形・文字の差を利用する。フランス語旧訳の説明を重訳したもので、ギリシア語本文の全異読を再校訂したものではない。
3. シデリテスという表現は、後に挙げる者たちも用いている名であり、彼の記述に従えば、モリュブドカルコスとエテシアの石を意味する。
黄鉄鉱は、着色する性質のために用いられる物質であり、焼かれ、または火の作用を受けた後は、黄鉄鉱から得られた銅を意味する。
同様に、アルギュリテスという語は、水銀を追い出した後に残る物質に用いられる。余分な水銀を取り去った銅がアルギュリテスになるからである。一方、操作全体の真の解釈によれば、エテシアの石は水銀そのものである(?)。実際、水銀が去ることは、火によって金色がまもなく現れることを告げる。
彼が『シデリテス』と言うのは、鉛の結合を介在させる必要があるためである。結合された物質が、シデリテスを生じさせるからである。
4. 同様に、鉄の心臓とは何か。この抽出の際に起こるように、塊が砕かれるとき、類比に従って語を用いるなら、理論が明らかになり、秘密を示すのが分かる。
別の箇所でデモクリトスは言う。『酢または尿、あるいはその両方を加えた塩水で処理せよ』。なお、書かれたものから理解するように、またそこに説明されているように、ほかの液体を用いても可能だと理解せよ。これらは何一つ調製物の中に残らず、後で配合物を洗う際、その液体は流し去られるからである。
5. このことについて、はるか古代のオスタネスは、その論証の中で言う。昔ペルシアに住んだ、あるソファルについて、ある者がこう語っている。その神なるソファルは言う。『柱の上に青銅の鷲がいる。それは清らかな泉へ下り、毎日そこで身を洗い、この養生によって新たになる』。さらに彼は言う。『われわれが解釈を与えた鷲は、毎日水浴する習慣がある』。では、同じことを別の仕方で意味しながら、どうして毎日の洗浄を退けるのか。ここで行う操作について、正確に説明する必要がある。哲学者の曖昧な教えによって迷わされても、われわれは銅の鷲を丸三百六十五日間洗い、若返らせなければならない。彼の論述の続きからすれば、それが適切なのである。オスタネスはこう言うからだ。『葡萄の収穫を搾れ』。さらに下で、これは水を流して洗うことと理解すべきだと説明する。この秘められた表現によって、イオスを理解しなければならない。彼は非常にはっきりと、こう付け加える。『ナイルの流れへ行け。そこに霊をもつ石を見つけるだろう。それを取り、二つに切れ。中に手を入れ、心臓を取り出せ。その魂は心臓にあるからだ』。『ナイルの流れへ行け。そこに霊をもつ石を見つけるだろう』という表現で、彼は明らかに、われわれの石の浸漬の際、水流によって洗われた生成物を示している。このように、あらゆる銅鉱と、あらゆる鉛鉱が、金属の生成のために用いられる。『霊をもつこの石を見つけるだろう』と彼は言う。これは水銀の排出に関わる。
6. こうした理由から、私の優れた師デモクリトスは、自ら区別してこう言う。『石ではないこの石を受け取れ。価値のないこの貴重なもの、形のないこの多形のもの、万人に知られるこの未知のもの、多くの名をもちながら名のないものを。私はアフロセレノンのことを言っている』。この石は石ではなく、きわめて貴重でありながら、売買の価値を全くもたないからである。その本性は一つ、その名も一つである。しかし、それにはいくつもの呼び名が与えられた。私は絶対的な意味でそう言うのではなく、その本性に応じて言うのである。それゆえ、火を逃れるもの、白い蒸気、または白い銅と呼んでも、偽りとはならない。
彼は、それが全く凝縮した雲になると言う。ほかのすべての金属体と違い、それは火を逃れるからである。それは辰砂の昇華蒸気であり、ただそれだけが銅を白くする。そこで穏やかに熱し、雌驢馬または山羊の乳に入れて冷ませ。[両者を関連づけて考え、それがほかのすべての身体とは違って火を逃れること、それが辰砂の昇華蒸気であり、ただそれだけが銅を白くすることを理解せよ。]
7. デモクリトスが、水銀を取り去った黄鉄鉱を石と呼ぶという考えを、哲学者たちはどう理解するのか。この優れた哲学者は言う。『辰砂の昇華蒸気が水銀であることを、誰が知らないだろうか。水銀はそれによって作られるのである。だから、辰砂をナトロン油で練り、混ぜ合わせ、二重の器に収めてから、絶え間ない火にさらすなら、熱によって金属体の上に固定された蒸気を、すべて集められるだろう』。
したがって、この石、すなわちマグネシアの金属体上への固定をもたらす石は、本当の石ではない。揮発して流れ去ることが、その本性だからである。
先にデモクリトスが述べたことが聞こえないのか。『水銀を取り、混合した物質によってマグネシアの身体を固定し、唯一の金属物質、モリュブドカルコスを得よ』。これこそアフロセレノンではないのか。アフロディテ(金星)とセレネ(月)が上昇するとき、一つの化合物を作ることは、誰もが知っている。それをわれわれはアフロセレノンと呼ぶ。また、占星術師が金星の上昇に銅を割り当てることも、誰もが知っている。
ある者たちは、水銀をより粗厚なものと言い、ほかの者たちは、水銀をより霊的なものと言う。月が欠けるときには、光が減少するからである。この衰退、すなわち流出は、ほかのすべての星の固有の本性からも生じる。木星だけは、その上昇の際、まずエレクトロンと呼ばれる。すべてのエレクトロンは、少なくとも三つの金属から成るからである。
8. したがって、銀は本来の意味において、月の上昇に対応する。優れた哲学者が二つの銀について正確な名称を用い、またアフロセレノンを命名するときに示したとおりである。光は霊として月の向かいに見られ、この星の内部では身体的に生まれ、死ぬ。それと同じように、マグネシアの金属体から取り出される生きた銀、すなわち水銀も、生まれ、死ぬ。その本性においては霊なのである。
これらについては、ゾシモスの『作用する効力について』にも説明が見られる。彼自身、『では、お前も霊なのか』と尋ねるからである。相手は答えて言う。『私は霊であり、霊たちの番人である』。実際、月の中にある霊的物質のゆえに霊であるこの者は、固体と結びつくことで再び金属体を取り、その身体に、いわばその奥深くへ入り込む霊を作る。[以下、底本が『理解不能の箇所』とする部分。]
注 末尾には旧訳自身が『理解不能の箇所』と示す欠落がある。本文画像の点線部分をOCRが擬似文字として拾っていたため、[…]へ正規化した。続きを創作していない。
彼は言う。繰り返し述べられるこの言葉が、高らかに語られるのを聞かなかったか。『銅を守れ。水銀と戦え。消滅するまで全く非物体的にせよ。これが術である』。彼はそのために、水銀とマグネシア以外の何も用いず、この二物質は固定において結びつく。『水銀とマグネシアの金属体を取れ。水銀を排出することによって霊を得る』と彼は言う。また、『それはナイルの流れの方に見いだされる』とも言う。これは先に説明したように、融解による同時の流出を意味する。すると彼の言うとおり、『何も欠けていない。蒸気以外には、何も先へ延ばされていない』。すなわち、操作者は、見て理解する能力によって、述べられた事柄を見て理解できるのである。
9. 実際、ヘルメスは、月が欠ける際にそこから落ちるものについて語り、それがどこにあり、どこで処理され、どのように耐火性の本性をもつかを述べるとき、さらに何を命じるのか。『それは私のところに、
そしてアガトダイモンのところに見いだすだろう』。彼は『衰退』という表現によって流出を語る。『月の物質』という言葉に、『月が欠ける際に落ちるもの』という言葉を加えることで、それはさらに明らかになる。実際、身体は衰退によって固定されたままとなる。このように、月の性質を帯びたマグネシアの本性は、全体として月に固有の性質を獲得し、水銀の揮発に対応する衰退に際して発達する。したがって作用する原理は、この衰退によって月から落ち、金属体は変容したまま残る。
さて、衰退へ、また流出の分離的な本性に従い、衰退、流れ、流出から生じる、見る能力と見通す能力へ戻ろう。哲学的な術で処理したマグネシアを取れ。それを火で焼くのは、白熱している間ではなく、火が衰える間とせよ。霊を保ち、激しい白熱によって蒸発させないためである。
10. オスタネスの言葉も、このように理解せよ。『石の中へ手を入れ、心臓を取り出せ。その魂は心臓にあるのだから』。したがって、同じような衰退によって、この石は内部にあるすべてを放出し、心臓の奥底が放出される。霊も同じであり、それは金色として原理的に定められた黄色いイオスである。これらは、デモクリトスもまた述べる次の言葉と結びついている。
『金の色のように黄色くなるまで黄鉄鉱を処理し、金属が影のないものとなるか確かめよ。影のないものにならなければ、銅を責めず、自分を責めよ。正しく操作しなかったからである。だから、銅が黄色く影のないものとなり、あらゆる身体を金へ染め、金色のようになるまで処理せよ』。
したがって、金色のように、影なく黄色くなるかを考え、観察しなければならない。影のないものにならなければ、金色のような黄色へ染めることはできない。実際、それはその性質において金でも金色でもない。黄色にするのは、ある種の性質だからである。『性質』という語の語源は『作る』という語である。黄色のものは、その金色の性質のために染めを生じさせる。性質が及ぼす働きは、ある意味で非物体的であることが明らかだからである。ここから金色にする作用が生じる。色が自らの物質の中に黄色の性質をもたなければ、金を作ることも、金へ染めることもできないからである。しかし、求められる性質をもつわれわれの金は、金を作り、金へ染めることができる。これが大いなる秘儀、すなわち、性質が金となり、そこで金を作るということである。
11. それゆえ『哲学者たちの冠』は、性質が変成によって求めるものを実現すると言う。彼はわれわれを説得し、問いかけるように促して言う。『その性質とは何か』。彼は答える。『投射粉の性質は、金色の性質の中にある。金色の性質を獲得して、完全な色をもつ金にならなければ、それは金を作ることができない』。したがって、彼の言うように、黄色のものが影のないもの、すなわち非物体的なもの、金色のように黄色いイオスとなったかを確かめよ。だから確かめるべきなのは、黄色のものが影なくなり、金色のように見えるかどうかである。
[旧訳編者注]注釈者は引き続き、細微で込み入った議論を展開するが、われわれはその翻訳を省く。
まず白化させることから始めれば、黄化は完全となる。完全かつ堅固になるのである。もし正しくならなかった場合には、黄化が白化の程度に依存することに注意しなければならない。白化が失われれば、黄化も失われる。
13. 白化を観察し、見守り、それを長く続ける必要がある。ヘルメスは、メキル月から六か月間、洗浄を続けるよう求める。オスタネスは、その論述で鷲について語り、丸一年を求める。さらに、普遍的な哲学者たち、近代の学者たち、プラトンとアリストテレスの解釈者たちは、溶解と加熱の回数をまとめて、八百を二回、三十を三回、そして四回、と言う。それによって、白化が完全となり、完全で堅固な黄化のために成就するには、配合物を千百回、作り直し、分解しなければならないことを示す。ゾシモスはさらに明確に言った。『加熱と、身体から水を追い出す操作とを増やすことを恐れるな。千回繰り返した銅の加熱は、それをいっそう染めに適したものにするからである』。
注 数の列と、続く『千百回』は旧訳に従う。現代的な計算結果に合わせて書き換えていない。
[旧訳編者注]この節の末尾は、興味を欠く詳説なので翻訳しなかった。
14. 諸性質の協働には、感嘆するのがふさわしい。その協働によって行われる非物体的な作用が、単一の物質を生み、この驚くべき造金術を成し遂げたからである。
火の熱、水の流動性、空気の冷たさ、これらすべての性質が地の固さと協働し、マグネシアの金属体に、変化と変容へ進むことを強いた。では、自然を変えることは不可能だと言う者たちは、どこにいるのか。見よ、固体の本性は変わり、金色の性質を獲得するではないか。同じように、モリュブドカルコスは金色の性質を帯びて変わり、黒へ近づいた。同じように、普通の銀も、われわれの操作によって金へ変わるのである。
[旧訳編者注]第15、16、17節は単なる細論なので、その翻訳を省く。
18. この配合は一から出発し、水銀の排出によって三へ構成される。構成の一性は、分かれた元素からなる三性から生じる。このように、分かれた元素で構成され、分割された唯一の三性が、第一の作者、すなわち創造の原因であり造物主である者の摂理によって、世界を構成する。それゆえ彼は、作られるものと作るものとを三性に従って考察した者として、トリスメギストスと呼ばれる。作られるものは、モリュブドカルコスとエテシアの石であり、作るものは、熱、冷たさ、流動するものである。初めには分割できない第一の三性、次いで分割された一性となる。
注 冒頭のOCR雑音を除き、段落番号18からを本文とした。三性・一性の語法は、旧訳の哲学的表現を保持した。
[旧訳編者注]第19節の冒頭は、翻訳を掲げる必要がないと判断する。
ゾシモスは、これらの物質について語り、言う。『白い配合物の中で銅を焼け』。これは、ほかのあらゆる焼き方から、お前たちを遠ざけるためである。彼は、硫黄、砒素、またはサンダラケを用いて焼く者たちに、これらの物質では成功しないと納得させようとする。黄鉄鉱をそれらとともに熱しても、白くならず黒くなり、その後はもはや白化させられない。しかし白い配合物とともに熱すれば白くなり、書かれているように、洗浄によって精製される。
20. 最後に物質は白化し黄化する。オスタネスが言うとおりである。『お前たちは、白化させると同時に黄化させる』。またゾシモスは言う。『白化に適した時を取り逃さないよう気をつけよ。そのとき、白化と黄化という二つのことが同時に起こるからである』。初めに白化し、後で黄化するのではない。この三つの物質からなる配合の一性に従って、連続した一操作の中で白化し、黄化するのである。三性による配分とは、次のようなものだ。白化によって、結合する一性によって、三物質は白化し黄化する。一方、分ける三性によって、それらは離れ、流れ出す。デモクリトスの書は、こう述べていた。『塩水、または塩水の酢で、あるいはお前が考えるやり方で処理せよ』。彼はまず、銅は染めないが、ナトロン油によって焼かれ、この処理を何度も受けた銅は、金より美しくなる、と述べる。銅は単一の本質を保つ間は染めない。しかし、ほかの身体と結びつくことによって染められる。では、その結合がなく、銅が染められる前に、どうして火の作用を受ける対象を染めることができるだろうか。だが、最初の操作が成功しない理由を示すには、これで十分である。
21. われわれとしてはまた、哲学者がナトロン油による焼成に言及したのは、対置し、留保をつけ、理解させるためであったと指摘しておこう。鏡をのぞく者が、影そのものを見ず、それが示すものを見て、仮の外観を通して実在を理解するように、彼もわれわれに真実を理解させるため、『ナトロン油によって』という表現を用いたのである。だから『ナトロンの酢』という言葉の代わりに、『ナトロン油』という名称を用いる。金属は白い配合物によって焼かれ、精製され、白化され、ナトロンの酢で洗われる。その中で同時に黄化する。すなわち、外側は白化し、内側は黄化するのである。
22. 金属を火にかけるのは、温めるためだけでなければならず、煙が出ないよう気をつけなければならない。煙が出れば色が消えるからである。この意味で、惜しみなく教える優れたデモクリトスは……銅について、こう言う。『友よ、あまり強く熱して、美しさを失わせるな。決して火の炎にさらすな。それは有益ではない。揮発してしまうからである。灼熱の太陽の作用にさらすように火にさらせ。その昇華しうる物質をすべて保ち、卵黄に似たものにせよ』。われわれは、この著者の『あまり強く熱するな、決して火の炎にさらすな』という表現は、この送風から、あらゆる焼成と炎の直接作用を除くものであると解釈する。このため彼は、合金の成分を分ける焼成を避けるように、火と空気を穏やかにする。そしてよく練り固めた耐火性の封泥を用い、装置の外側に二、三回塗って、温めながらも焼成を避ける。この封泥を用いるだけでなく、装置の区画の隙間まで、注意深く塗り込むのである。
造物主が蒼穹を液体の元素から分けた後、蒼穹の下に水を置くように、操作者も、装置の中で配合物が焼成され、散逸するのを防ぐため、隙間に注意する。また造物主が、太陽が運行するとき、生きた身体、柔らかな部分、水面に浮かぶ身体を焼くことなく、あらゆる繊細な存在の上を通るよう定めたのと同様に、操作者も、外から空気を吹き込み、通り抜けさせるよう定める。そうして冷やされた身体が、燃焼を免れるためである。この造物主的な知性は、上の配合物と下に置かれた火の間で働き、上にある物質への火の作用を穏やかにするように配置する。八百を二回、三十を三回、そして四、それほど何度も火を止めなければならない。このように、生成物がすべて焼け、液体部分がすべて失われるのを避けるには、大きな調節が必要である。彼は言う。『液体はすべて、火の激しい作用によって失われてしまうだろう』。
23. こうして、配合物に含まれる蒸気がすべて保たれ、配合物が卵黄の色になったなら、第二の大いなる浸漬へ進もう。これは自然を変容させ、内奥に秘められた自然をあらわにする操作である。この段階に、ステファノスの言葉が関わる。『哲学の目的は、身体の溶解、魂と身体の分離である』。ここではデモクリトスの言葉を見よう。『何も欠けていない。蒸気と水の上昇以外には、もはや説明すべきことはない』。ステファノスも続いて言う。『……してはならない[理解不能の文]。しかしわれわれは、その美しさを見るため、言い表せない美の美しい姿、黄金の玉座の優美を見るために、上に浮く水を取り除く。では、何をしなければならないか。どのように水を除くのか』。しかし火が諸種の処理に反するなら、彼は言う、ほかにどのように行うべきなのか。金属を火なしに熱せないなら、どうすればよいのか。火を使わず操作するのか。また、われわれが述べるこの実践的操作において、終わりのない始まりとは何なのか。では、あらゆる事柄において最も完全な師、分別に満ちた教授である、われわれの哲学者は、何を言おうとしたのか。彼は実践に向かう何物も省かず、説明を完成する事柄の中へ含めた。だからここで、こう言う。『鉛を取れ。普通の鉛ではなく、われわれの鉛のことだ。それを幅が二倍になるように延ばせ。道具を用いて業のために整えた後、水を上昇させよ』。『よく注意せよ。困ったならエジプトへ行き、厚い布を取り、洗い、自分の葡萄の収穫を搾れ』と彼は言う。ゾシモスも説明して言う。『塩を取り、酸っぱい汁で湿らせて、白い硫黄を抽出せよ』。ステファノスは言う。『物質とともに配合を行うとき、過度の出費が生じるだろう』。
24. 惜しみなく教える完全なステファノス、秘儀を明かす者は、こう言う。『死んだ本性の上に昇華蒸気を置き、その混合物を非常に厚い亜麻布の袋に入れ、水をすべて搾り出せ。余分なものは、こうしてより早く除かれる。等量のカッパドキアの塩を加え、生成物が練り物の固さになるまで、酸性の液で湿らせよ。その後、ナトロンの酢ですりつぶしながら乾かせ。このように行う者は完全な人であり、著作に指示された道、間接的で迂回する道に従っている』。もっと快適で複雑さのない道を選びたい者には、彼は言う。『ナトロン二部、丸い明礬一部、ミシュ二部、カッパドキアの塩四部を取れ。非常に強い酢に入れ、液を作れ。これらの材料を用い、金属箔から光沢を取り除くのである。このような液は、試みの始めにも終わりにも十分である』。
神なる水の蒸発について 水銀を固定する水
III.vii 神なる水の蒸発について 水銀を固定する水
1. 女よ、あるとき、あなたの話を聞こうとしてあなたの住まいにいた私は、あなたのところで『ストリュクトゥール』と呼ばれるものの操作全体に感嘆した。その効果を見て大いに驚き、ポクサモスを神なるものとして敬い始めた。私は、業に携わる各職人の知恵を考え、先人たちの助けを得ながら、いかにして自らの探究を完成させたかに思いを巡らせた。
私を驚かせたのは、濾過にかけられた鳥の加熱であった。それが染めにあずかるとき、昇華蒸気、熱、適切な液体によって、どのようにその処理を受けるかを見ることであった。驚いた私の心は、われわれの研究対象へ戻り、われわれの配合物が加熱され染められるのは、神なる水の蒸気が出るためなのかを調べた。私は古人の誰かがこの器具に言及しているか探したが、何も思い当たらなかった。落胆しながら書物を調べると、ユダヤ人たちの書物の中に、トリビコスと呼ばれる伝統的な器具に並んで、あなた自身の器具の記述を見つけた。そこには、次のように述べられている。
硫化した砒素を取り、次のように白化せよ。非常に薄い小鏡ほどの幅に、脂性の練り物を作れ。篩のように小さな穴をあけ、その上に、硫黄一部を入れた小さな容器を、よく合うように置け。篩には望むだけの砒素を入れよ。別の容器をかぶせ、接合部を封泥でふさいだ後、二日二晩が過ぎれば、鉛白を見いだすだろう。その四分の一ミナを取り、少量の瀝青などを加えながら、一日中送風せよ。装置の造りは、このようなものである。
2. 私はわれわれの問題へ戻り、書かれたもの自体から、ここには白化がないことを示そう。そこでは加熱を二日二晩続けるよう勧めているが、大量の硫黄を蒸発させるには、一時間で足りるからである。しかしこれによって、あなたが考えるための手がかりが与えられる。実際、アガトダイモンは、砒素が配合の全体であることを想起させた。この配合について私は、『作用について』の書の、加熱を扱う第六章で、力を込めて論じた。ほかの多くの古人たちも、明確に、意図をもってそれを想起させた。だが、その記述の冒頭は、今の問題について何を教えるのか。それは言う。『砒素による白化は、白化されていない砒素にまで及ぶ』。同じ意味でデモクリトスは言う。『炎が強すぎれば黄色が生じる。しかし今のお前には役立たない。金属体を白化したいのだから』。
3. では、この言葉が硫化した砒素のあらゆる種類を意味すると理解できないほど、単純な者がいるだろうか。先に挙げた書が説明するように、薄片状の砒素さえ含むのである。
物質がこのように白化され、単に表面だけが白くなるのではないなら、金属は全体が白くなり、火の中でも色を失わない。表面と同じように、内部も白くなるだろう。では、その書が投射し、送風にかけよと命じた箇所で、白化した砒素を意味すると、どうして理解できないのか。この砒素は硫黄の部分を何も含まず、火の作用で、それ自身として蒸発するのである。しかし配合物に硫黄が含まれるなら、彼は送風するだけでなく、瀝青も加えるよう勧める。そうすれば全体から硫黄が除かれ、純粋で輝くものになるからである。
4. これが、この問題について私に語ることを許されたすべてであり、あなたがたはその証人である。しかし、その中に多くの手がかりを見いだすなら、残りについても、あなたがたは師である。私もまた、あなたがたから最終の業の実りを受け取ったので、これまで学んだことに従って助言する。その記述は、貨幣にも同じ操作を行うと言う。この手順は、『ザリガニ』の中で行われる。
5. 配合のための土器には開口があり、ケロタキスの上に置かれた鉢を露出させ、物質が白化するか黄化するかを見られるようになっている。ただし、生成物が蒸発せず、『ザリガニ』の合金がそこから逃げないよう、土器の開口は別の鉢で閉じる。この操作は一日で行われる。煎煮と加熱を別の仕方で行うなら、二つの炉が必要になる。第一は露出した瓶のため、第二はケロタキス、固定用の器、または広口瓶のためである。『ザリガニ』の合金や同類の物質をそこで温浸したいなら、ケロタキスの上に広げて置き、流れ出さないようにする。老ゾシモスは言った。『私は二つの操作を含む唯一の類を知っている。一つは抽出によって流動性を生じさせるため、もう一つは鉛の湿分が尽きるまで乾かすためである。それは固定され、乾燥するだろうから』。
同じ神なる水について
III.viii 同じ神なる水について
1. 望むだけの卵を取り、ゆで、割った後、白身をすべて取り去れ。ただし殻は用いるな。アランビックと呼ばれる、雄と雌のガラス容器を取り、その中へ卵黄を入れよ。重さは次のとおりとする。卵黄一オンス、焼成した卵殻二カラット。多くも少なくもせず、書かれたとおり正確にせよ。次いで練り合わせ、別の卵を取って割り、練った卵黄とともにアランビックへ入れよ。卵全体が卵黄で覆われるようにする。
注 冒頭で殻を使わないと述べ、続いて焼成卵殻を加えるのは底本の記述どおり。矛盾を独自に解消していない。
獣脂、石膏、蜜蝋、油を混ぜた灰、あるいは望むものを用い、アランビックとその頭部を受器へ、非常に注意深く封泥で接合せよ。馬糞や驢馬糞の中、鋸屑の火の上、または菓子職人の窯で温浸せよ。人の手が耐えられる程度であれば、適切な加熱法はどのようなものでもよい。
装置を置く場所は風を避け、東または南からの光を受ける所とせよ。冷えるため、西日や北、北西、北東からの光は避けよ。蒸気が上らなくなるまで、十四日または二十一日間、温浸せよ。臭いを保つため、装置の継ぎ目は注意深く封泥でふさいだままにせよ。臭いが逃げれば、仕事はすべて失われる。この臭いは実に不快なものだが、その臭いの中にこそ、業があるのである。
注 日数は紙面の『14 ou 21 jours』を画像で確認し、OCRの『4 01 21』を訂正した。
2. 蒸留で最初に出て来る水は白い。
第二の水は一滴ずつ流れ、不快な臭いがあり、石灰乳に全くよく似ている。その後、水の上昇が止まったら、水の流れ込んだ受器を取り外し、閉じて、注意深く保存せよ。アランビックの蓋を開けるときには、臭いのために鼻をふさぐがよい。雌の器の中には、鉱滓、すなわちカプト・モルトゥウムを見つけるだろう。
死者が復活へ達することを拒むな。望みを失われた死者の復活を待て。その後、石鹸製造の術におけるように、灰へ別の卵黄を混ぜよ。湿った物質と乾いた物質を一緒に練り、すべてをアランビックへ入れよ。水の受器、すなわちロギオンを取り替えながら、先に指示したように操作せよ。
これを三回まで行え。そうすれば、先に述べたように、まず古人たちが雨水と呼んだ、最初の白い水を得る。次に、彼らが大根油と呼んだ黄緑色の第二の水、そして緑がかった黒い第三の水を得る。
また、土器の中の鉱滓も得られる。装置を開けたとき、最初には鉱滓が黒くなりかけ、二回目には白く、三回目には黄色くなっているのを見つけるだろう。
第一、第二、第三の水の抽出と装置の開封の後、三回の抽出で得た水、すなわちそこにある神なる水を、雌の器に含まれる残留物と合わせよ。その後、ガラスのアランビックを取り、物質を中へ入れ、縁に合う焼成した土器でアランビックをふさげ。
耐火性の封泥を用い、できる限り注意深く密封せよ。炉の堆肥の上に四十一日間置き、分解が生じ、染められた物質が染める物質に似たものとなり、自然が自然を支配するまで待て。実際、このようにして、硫黄性の物質は硫黄性の物質によって、湿った物質はそれに対応する湿った物質によって支配される。
3. 卵や卵黄の重さ、鮮度を気にするな。ただ、先に述べたように、液状の物質と乾いた物質を一緒にすりつぶし、アランビックへ入れよ。四十一日目の後、アランビックを開ければ、配合物全体が淡緑色、すなわちイオスになっているのを見つけるだろう。イオスを作る者は、自分がどの操作を行っているかを知っている。しかしイオスを作らない者は、何も生み出さない。
さて、四十一日目の後、アランビックを暖かい場所から取り出し、五日間、あらゆる熱源から離して置け。五日が過ぎたら、アランビックを鋸屑の熾火の上に置き、神なる水を抽出せよ。それを手ではなく、ガラスの器で受けよ。次いでその水を取り、先に書かれたようにアランビックへ入れ、二、三日間加熱せよ。取り出した後、練り合わせ、貝殻の上で日光にさらせ。生成物が石鹸のように緻密になったら、銀一オンスを熱し、その固化した水、すなわち乾いた粉二カラットを投射せよ。そうすれば金を得るだろう。
ゾシモス、キリスト教徒、ステファノスの述べたところによれば、操作の日数の合計は百十日である。私は、蜜蜂のようにあらゆるところから十分に蜜を集め、多くの花で冠を編み、師であるあなたに捧げた。その後で、どのような装置があるかを説明しよう。われらの神イエス・キリストにあって、今も、いつも、世々限りなく、ご健勝であれ。アーメン。
注 この篇にはゾシモスらを引用する後代の語り手の言葉とキリスト教的結語が含まれる。旧版の『ゾシモス作品集』への編入を示すのであって、全行の真正なゾシモス自筆を主張しない。
神なる水についての真正な覚書
III.ix パノポリスのゾシモス
神なる水についての真正な覚書
1. これこそ、神なる大いなる秘儀、探し求められるものである。これこそ全体である。全体はこれから生じ、これによって存在する。二つの本性、一つの本質。一方は一方を引き寄せ、一方は一方を支配するからである。これが銀の水、両性を備えたもの、常に逃れるもの、自らの元素へ引き寄せられるものである。これこそ、誰もが知らずにいた神なる水であり、その本性を見つめるのは難しい。それは金属でも、絶えず動く水でも、金属体でもないからである。それは支配されない。
2. それは万物の中の全体である。生命と霊をもち、破壊するものである。これを理解する者は、金と銀を有する。力は隠されているが、エロテュロスの中に置かれている。
術を実践する者への助言と勧告
III.x 助言と勧告
術を実践する者たちへ
1. 賢者であるあなたがたに、私は宣言する。銅を処理するのに適した装置もなく、イオシスの操作と、前述の十種を混ぜるために定められた時間もなければ、何かを成せると思ってはならない。その時間は短いことも長いこともあり、十種は乾いたものでも液体でも、一緒にすりつぶすのである。人々よ、金の集団、金の種族、黄金の頭の子らに属するあなたがた、知恵を愛し、卵黄の物質を探究するあなたがたよ。しかし坩堝の人々であるあなたがたは、互いをあざ笑い、私の助言に従わない。私は、師たちの教えと書物に従うよう勧め、神なる言葉の力によって明かされた彼らの見解を、あなたがたに知らせているのに。
2. この水には、白と黄の二つの色がある。人々はこれに、さまざまな千もの名を与えた。神なる水なしには、何も存在しない。それによって配合全体が始められ、それによって熱され、焼かれ、固定され、黄化し、分解され、染められる。それによってイオシスを受け、精製され、加熱される。実際、彼は言う。『天然硫黄の水と少量のゴムを投射すれば、どのような身体でも染められる』。水に起源をもつすべての物質は、火に起源をもつ物質と対立する。したがって、あらゆる液体の一覧がなければ、何も確かなものはない。
3. 何人か、おそらくは皆が、次のことを想起させた。この水は発酵種のように、染めるべき金属体の中において、同じものによって同じものを生むための発酵を起こさなければならない。実際、少量のパン種が大量の生地を発酵させるように、この小片の金も、乾いた物質全体を発酵させるのである。
4. ほかの者たちは、硫黄性物質の金色の残留物と金の物質という、二種類のものを混ぜ合わせ、それらを結合した。一方は生で発酵していない生成物に、他方はイオシスの水の中で一緒に加熱された生成物に結びつけたのである。
上には天上のもの、下には地上のもの。雄と雌によって、業は成就する。
金と銀の製造の神聖な術について 真正な著作の梗概
III.xi パノポリスのゾシモス
真正な著作
金と銀の製造に関わる、神聖な術について
簡潔な梗概
1. 水銀の水の上にある銅の魂を取り、それを揮発する身体にせよ。融けた物質の中に保たれた銅の魂は、上方へ上るからである。液体部分は下のケロタキス装置に残り、ゴムによって固定されなければならない。それが金の花、金の液などである。ほかの者たちは、この語によって着色、加熱、神秘の教説の業を意味する。初めに、投射された銅は、製造装置の中で処理された後、目を楽しませる。光沢を失いつつある間に、それを金色のゴム、金の液などと結び合わせる。金の製作、また固定とも宣言されるものについて、彼はこのように書いたのである。
マリアは言う。『硫黄の水と少量のゴムを取り、灰浴に置け。このようにして水が固定されるという』。マリアはまた言う。『金の花を調製するには、硫黄の水と少量のゴムをケロタキスの板に置き、そこへ固定させよ。しばらく糞の熱で温浸せよ』。『しばらく』という言葉の後に、マリアは付け加える。『われわれの銅一部と金一部を取れ。この二金属を融かして一体にした板を柔らかくし、硫黄の上に置き、生成物が十分に加熱されるまで、二十四時間を三回、そのままにしておけ』。
2. 哲学者も同じことを述べる。『しばらく糞の熱で固定した後、硫黄で処理しながら二、三日間加熱し、非常に黄色い調製物ができるまで続ける。それを別の器へ移す』。配合とは、このようなものである。実際、フラスコの中で硫黄の水を固定した後、それを器へ入れ、二、三日間、強く加熱する。

3. すべての著作は、火を段階的に強めることを求める。初めに灰浴または糞を用い、硫黄の水が固定されるまで続ける。このようにして、われわれの加熱法に至る。彼は言う。『固定し、変容させ、フラスコを取り替えよ。間接的で変化する火にかけて加熱せよ。私としては、『白について』の書でこう述べた。まず一日間加熱し、しばらく固定する。蒸気にさらすだけでなく、硫黄の水に浸すことによっても行う』。
4. それゆえ哲学者は、液体の一覧で、意図をもって蒸気に、次いで硫黄の水に言及した。しばらく蒸気で固定し、次いで硫黄の水で処理した後、一日間加熱する。密陀僧を鉛白にしようとするときと同じである。金が必要なら、残りの調製物を加える。そうでなければ、硫黄を燃やすため、注意深く送風する。配合物を練り、流動性を失うまで、再びナトロン油で処理する。硫黄性の物質が逃れ、明るくなった金属が残るまで送風する。このように、生成物が流動性を失うまで、脱硫するナトロン油とともに煮沸し、送風して焙焼した後、求めるものを得るのである。
われわれが黄化に至るのは、次のようにしてである。硫黄の水やゴムなど、黄化させうる物質を練り合わせて用いた後、糞の熱で軽く固定する。次いで、生成物がこの上なく黄色くなるまで、二、三日間加熱する。この生成物を、イオシスを受けるまで、三日、五日、または七日間、残りの調製物の中に置く。その後、銀に投射して金へ染める。蒸気が固定され始めるように、火を調節する。
5. 硫黄の水をモリュブドカルコスに作用させた後、白い液体の第一類に述べられているように、一日間加熱する。密陀僧に対して行うように、間接の火で操作する。白化させたいなら、この方法でイオシスを行う。しかし黄化を目指して送風焙焼したなら、天然硫黄の水とゴムで再び処理する。糞の熱にさらして固定した後、生成物がこの上なく黄色くなるまで、二、三日間加熱する。それを取り出した後、残りの調製物をイオスに変える。火の程度は、すでに定めた。
支持体となる物質と四つの金属体について
III.xii 支持体となる物質について
およびデモクリトスに従った四つの金属体について
1. 四つの金属体は支持体となり、そのどれも揮発しない。それゆえ彼は、配合物を送風焙焼することについて語らなかった。有益なら、明確に言及したはずだからである。実際、彼は言う。『何も省かれていない。何も先へ延ばされていない』。また、金の液について、『それはどのような身体でも染める』と言う。これは四つの身体に当てはまる。同じ理由から彼は、師の『すべての物質を染めて』という言葉を引いた。それにより、問題は送風ではなく、支持体となる四つの身体が染められ、染めることに適するのだと示したのである。彼は、硫黄を扱うパンメネスを登場させ、焙焼の必要はないと言わせる。硫黄はそれ自体が染めるので、加熱中に自ら蒸発するからである。マリアは言う。『鉛から硫黄性の本性を取り除け。硫黄は、入るところではどこでも染める』。彼女はこれによって、硫黄を焙焼するのは正しくないと示そうとした。操作を述べる際、彼女は諸技術にとって異質な名称を用いた。実践する者たちが、われわれの銅や、何かの金属体について語るときのやり方は、そうではない。
二つの金属を融かして結合し、板を作る。哲学者はこの金属板を取り、細かく切る。合金が融けているなら、なおよい。彼らはこう言う。『板によってではない……』。
2. このように彼らが焙焼について語るとき、外で行われる操作ではなく、自らの作業の最中に行われる操作を語っている。加熱した物質から、その固有の染色原理を取るために、それを焙焼するのである。加熱された物質を退け、不要な部分を蒸発させる。精製された生成物には別の名を与える。こうして、固有の染色原理を分離するように送風焙焼する。加熱の中で焼き、異質な物質をすべて送風で追い出し、有用で染める力のある霊を保つとは、このようにするのである。
3. 生の物質と加熱した物質の重量について
この点に関する諸著作の言葉によれば、確かに硫黄は送風で追い出さなければならない。マリアが次の言葉で意味したかったのは、それである。『四分の一を差し引いた五部を見いだすだろう』。すなわち、送風によって追い出された硫黄を差し引くということである。同じように説明の末尾で、彼女は、銅が融解による精製で重量の三分の一を減らす、と言う。また、白化や黄化を行うときにも、これらの変化は生じると言う。硫黄性の物質は染めるが、揮発するからである。われわれは、硫黄性の物質を揮発させて取り除く。植物も、完全に溶解したときには同じである。硫黄の水とともに煮て、木質部分を退けるときに起こるように。
4. アガトダイモンが『そして一体化された』と言うのは、理由のないことではない。染める物質が銀の金属の奥深くへ入り込み、火による破壊を逃れられるようにするためである。したがって、われわれは植物から取った染料を用いない。金属はその性質を借り受け、深く染まることができないと知っているからである。
作用するのは性質だけである。身体は身体の内部に入り込めないからである。アリストテレスは言う。『性質は互いに打ち勝つ』。アガトダイモンによれば、上方に置かれた金属は揮発性の物質を取り込む。このようにして、クリュソコラの霊を借り受けるのである。この『霊』という語は、明らかに揮発性の物質を意味し、昇華蒸気も同じ類に属する。そのようなものとして、白い蒸気、辰砂の蒸気、そして、
『より黒く、湿った、純粋な霊』がある。
すべての昇華蒸気は霊であり、染める性質とは、そのようなものだからである。神なるデモクリトスは白化について、このように語り、ヘルメスは煙について語る。これらの蒸気が役立つとき、彼らは処理の中へ取り入れたが、謎によって指し示した。それゆえ、これは秘儀なのである。たとえば彼は言う。『私は「もしお前に理解力があるなら」という章に書いた。天然硫黄の蒸気、砒素の蒸気、辰砂の白い蒸気を……』。アガトダイモンも言う。『砒素の蒸気は金色の物質の魂である。粗厚で腐食性の部分を取り去られ、硫黄性の身体を捨てた後、その着色する部分を取れ』。
5. 蒸気は霊、身体の中へ入り込む霊である。魂は霊と異なる。彼は、砒素のもともと硫黄性で腐食性の本性を、魂と呼ぶのであろう。火の浄化する作用のもとで、術の規則に従って作業すれば、霊を保てる。それは破壊されえないからである。これが有用なもの、染色する元素である。操作者には鋭敏な知性が必要だ。身体から出た霊を見分けて用い、その退出を見守り、目標に達するためである。すなわち、身体が破壊されたとき、霊までも同時に破壊されないよう注意するのである。だが、操作者が業を成し遂げたとき、霊は破壊されず、金属の奥深くへ入り込んでいる。
6. 業が適切な状態に達したときを見分けられない者たちは、誤って解釈する。彼らの目には、金属体を取り戻していない物質、焼けた、あるいは灰になった物質しか見えないからである。それらの目に見える部分だけで判断する不幸な者たちは、一種の罰を受けるように、すべてを失わせ、生成物が灰になるのを避けられない。著作のどの箇所にも、染めの支持体として、銅以外のものは挙げられていない。このようにマリアは、銅は処理され、その後に焼かれると言う。この意味で、銅は支持体の役目を果たす。われわれの操作における銅や銀の役目とは、そのようなものである。われわれは、それらから性質を取り出そうとはせず、その身体は死ぬことで役に立たなくなる。植物もまた、火によって燃え尽きるので役に立たない。
7. アガトダイモンは言う。『マグネシア、アンチモン、密陀僧は、純粋さを失った後、揮発する』。マリアは言う。『硫黄性の生成物が金属を暗くする影とともに揮発し、銅がその輝きをすべて取り戻すまで、蒸気に送風せよ』。こうして、われわれの銅は、それらから昇華蒸気を受け取る。蒸気は身体の霊である。魂は霊と異なる。
[旧訳編者注]この言葉以後、写本Mの第7節末尾と第8節は、第5、6、7節の、『こうして、われわれの銅は昇華蒸気を受け取る』という言葉までの反復である。ギリシア語本文には異読を掲げた。
注 本文の反復を省くという旧訳編者の説明。日本語訳者による省略ではない。
9. デモクリトスは最初の書で、重量については沈黙した。彼は言う。『昇華蒸気と水の上昇以外には、何も残っておらず、もはや説明すべきこともない』。ところで、次の書では、重量と硫黄について、こう述べていた。『砒素の白い液、一オンス、など。硫黄の配合には二つあるから……[理解不能の文]。銅は、その本性を別の身体と結びつけ、それとともに支配し、ともに魅了できるように構成されていることが分かるだろう。このように自然は自然を魅了する。銀はすべての金属体と結びつき、それらを退けない。銅の方も、雌馬が驢馬との交配を受け入れ、雌犬が狼との交配を受け入れるように、喜んで銀を受け入れる。似通ったすべての自然の存在が行うように。銅は錆び、還元されるが、自らの本性を離れない』。デモクリトスは、マグネシアの類において言う。『白化したマグネシアは、金属体が分離したり、銅の影の中に現れたりすることを許さない』。これで重量についての言説を終えた。健やかであれ。
焼いた銅の多様性について
III.xiii 焼いた銅の多様性について
多くの者は、硫黄によって焼銅を調製する。ほかの著者たちの論述は、このことを不明瞭に語る。ただデモクリトスだけが、惜しみない明晰さをもって表現する。『硫化した鉄の四分の一を銅の上へ投じよ。それはすなわち、磁石と、硫黄四分の一または二分の一を融かして調製したものである。その生成物を、アンチモンと密陀僧から得た鉛とともに鋳流せ。その後、黄鉄鉱、銅、鉄によって得られた配合物を焼き、適切な鉱滓を生じさせよ。その中へ、硫化した砒素の昇華蒸気を投射せよ。金属は硫黄の蒸気によって白化される』。
硫黄とともに加熱された鉛白について語るとき、彼は、モリュブドカルコスをエテシアの金属に変えるのに適した、純粋な硫黄を意味する。『白化したマグネシアも同じ効果を生む』と言うときには、同時に処理された辰砂を意味する。しかし、彼は初めにマグネシアと黄鉄鉱について語ったではないか、と異議を唱える者もあろう。そのとおり。それは、お前に、銅と同時に鉄、鉛、鉱物を投射し、モリュブドカルコスを金色のエテシアの銅にすることを学ばせるためである。
すべての液体を神なる水と呼ぶことと その複合性について
III.xiv すべての液体に神なる水という名を与えることについて
および、それが単純ではなく複合した物質であることについて
1. 『先に述べた蒸気を、油の中で加熱せよ』。先に述べた蒸気とは、処方全体のことである。神なる水と油を含んでいるように見えるからである。彼らは、すべての液体で操作しなければならないと言うが、それによって液体性を意味しようとしている。実際、酢を加えた塩水、次いで油、さらに蜜と乳という、これらすべての言葉は、神なる水と理解しなければならない。サフランはそれだけでは、神なる水の助けなしに染めることができない。染めようとする者たちは、それを用いる。マリアは『コマリスとクサノオウの溶解』について語る。デモクリトスは、白い液体の最後の類に、濾器または濾布を通って『流れた石灰水』を置く。
すべての種は、単純な液体を用いて浸漬処理され、その後、生成物は洗浄される。固体の金属体は、このように洗われる。練り合わせるか、液を注ぐことによって浸漬する。練った生成物は、白い硫黄や密陀僧と同じように、太陽と露にさらす。一日、三日、五日、または七日間、完全に崩解するまで浸漬する。
2. これらの種を浸漬した後、混ぜ合わせ、練った混合物を露と太陽にさらせ。乾かし、ナトロン油で処理しながら練ると、黒い鉛が見つかるだろう。水銀、神なる水、ゴムを加え直してこれを練り、水が分離するまで弱火で加熱せよ。物質が美しい白色になるまで、日なたで練るのである。
3. 鉱滓を洗う者たちは、この作業を何度も繰り返す。ペビキオスによれば、
『七を二回、八を二回に八を加えて、さらにそれ以上洗え』。デモクリトスも、最後の類、すなわち白い液体の類で同じことをする。酸化した金属箔を同じように洗い、輝きを戻す。乾かした後、金属が光るようになったなら、蒸気を再び取り、黄化しうる物質を神なる水とゴムで処理し、弱火で染めを固定せよ。固定したら物質を取り出し、調製の残留物の上で、二日、三日、七日、または四十一日間、滴らせよ。そこへ普通の銀を投射すれば、それも染められる。次に、適切な時を探究しよう。
いつでも業に取りかかってよいのか
III.xv 次の問いについて
いつでも業に取りかかってよいのか
1. 適切な時がいつなのかを、われわれは探究しなければならない。彼は、太陽の作用を受ける霊を花から取り、朝から浸漬しなければならないと言った。すると火の適切な作用によって、金は使用に適したものとなる。大いなるヘルメスは言う。『それは太陽の業、太陽によって生み出されるものだからである』。柔らかくすべき物質を柔らかくするのは、冷たい状態で行うのだという、ヘルメスの言葉を聞け。彼は、鉛の白化についての著作の末尾で、この点をはっきり説明した。そこでも金について語る。『全体を調製する者は、このように行う』。またそこで、どのような濾器であっても、全体を濾さなければならないと説明した。アガトダイモンもこのことを見逃さず、鉱石の洗浄と浄化について語る。それは、練られ液化した全体が、濾器や濾布を通過するときに起こる。ヘルメスは言う。『それは無害な灰汁のようになる(?)』。沈殿が生じるなら、物質と鉱石が十分に粉砕されていない証拠である。
2. ヘルメスは篩について語り、これらを力強く説明した。『水が四方へ動くなら、篩そのものが流れ出すように見える』。大いなるヘルメスによれば、それらは一緒に下らなければならず、その後、加熱するための装置の中へ、ただちに再び上る。これらについては、適切な時に関することを除き、われわれの言説で述べた。適切な時とは、太陽が操作に有利な本性をもつ、夏の時期である。
マリアは小さな物体の処理を説明する際、このことを扱う。『書かれていること、すなわち有用な生成物がフラスコと管によって上方へ送り返されることを理解しない者たちには、神なる水は失われるだろう。しかし、この水という名で、硫黄や硫化した砒素の蒸気を表すのが習わしである。それゆえ、ただ一つの言説の中でこれほど大きな秘儀を説明した私を、お前はあざ笑ったのである』。
3. この神なる水は、白化する物質によって白くされると、白化させる。黄化する物質で黄色くされると、黄化させる。緑礬と没食子で黒くされると、黒化させ、銀と、われわれのモリュブドカルコスの黒化を成し遂げる。このモリュブドカルコスについては、われわれに伝わる銀を論じた際、先に語った。こうして黒くされた水は、われわれのモリュブドカルコスに付着し、堅固な黒い染めを与える。この染めは取るに足りないものだが、入門者は皆、それを知ろうと強く望む。このような色を帯びうる水は、油と蜜が取り除かれると、堅固な染めを生む。
4. 哲学者はまた、少量の天然硫黄で多くの種を焼くのに十分であり、それは石や金属を柔らかくすると言う。アンドロダマスについて語る際に述べるように、この水の中で、硫化した配合物が溶ける。『火に触れていない硫黄を入れれば、金の液を生む。それを諸物質の配合へ作用させるために、硫黄性物質の配合を練るのである』。同じように、それを沸かし、あるいは加熱する。彼は言う。『よく理解せよ。火に触れていない硫黄を入れれば、金の液を生む。鋸屑の火を用い、ケロタキスの上で、神なる水が金の色を含むまで蒸留せよ。軽くかき混ぜ、黄色いサンダラケのモタリアを加えながら加熱せよ。[彼らがモタリアと言ったのは、配合物が血のように濃いからである。]生成物を二、三日間、強く加熱し、搾った後、調製の残留物をそれぞれの器に注げ。するとイオスができる』。ペビキオスもこの問いについて言った。『調製物を二つに分け、半分を土器に、もう半分を銅の上に置け』。彼は、土器によって加熱を、銅によってイオシスを、一語ずつで意味しようとしたのである。彼は先に白化について語り、銅を月桂樹の木で焼くと言った。すなわち、天然硫黄を銅とともに、月桂樹の葉の存在下で用いるのである。ここから古人たちの優秀さ、いかに明瞭にすべてを説明したかが分かる。あらゆることを隠しているように見えながら、彼らははっきりと言った。『まず弱い炎の上で、硫黄の水が同時に吸収されるように』。これらの炎について、マリアは『炎を段階的に』、次いで『火を徐々に』と言った。炎が始まる瞬間から、適切な段階に従って操作しなければならないと理解させるためである。
適切な時は夏である。紫の染料もまた、溶解と冷却には特別な時期を必要とする。同様に、滴状のゴムが自然に流れ出るには、夏に固有の本性が必要である。それでも私は、われわれの操作はどのような状況でも行える、と何人かが言うのを聞いたことがある。しかし、それを信じるのはためらわれる。
業の詳細な説明 フィラレトスへの言説
III.xvi 業の詳細な説明について フィラレトスへの言説
1. デモクリトスは、エジプトの預言者たちに、次の言葉でこれらを説明する。『フィラレトスよ、術の力を詳しく説明するため、お前に書く。種の一覧は次のとおりである。辰砂から取る水銀、コプトス、カルケドン、イタリアのアンチモン、密陀僧、鉛白、鉛、錫、鉄、銅、クリュソコラ、クラウディアノン、カドミア、黄鉄鉱、アンドロダマス、硫黄、サンダラケ、砒素、辰砂』。
2. 『次の種は金と銀のために用いられる。白化されれば白化させ、黄化されれば黄化させるからである。白化させるものは、キオス土、アステリテス、サモス土、キモロス土、アフロセレノンである』。
3. 『練るものは、天然硫黄、カッパドキアの塩、あらゆる種類の塩、塩の花、桑または無花果の乳状の汁とも呼ばれた石灰岩、薄片状の明礬、ミシュ、カルカントン、桃の葉、月桂樹の葉である』。
4. 『黄化のために用いられるのは、焼いたポントス土、アッティカ土、両方の染めに共通する雄の青と雌の青を与える土である。植物では、トウゴマ、ベニバナの花、クサノオウ、オキュメノン、すなわちバジル。汁では、ゴムである』。ゴムについて彼は言った。『汁は白い配合にも用いられる』。
5. 後にイオシスの操作に向けて練るべき生成物を明らかにし、固有の実体をもたない身体は、火なしに適切に作用するという見解に従って処理せよ。
イオシスの操作の第二、第三の段階に、ルリハコベの花やダイオウなどの植物を用いようとする者もいる。サフランや、小さな塊茎をつけるマンドラゴラの根を用いる者もいる。これがなければ何も染まらず、イオシスの操作では、すべての種が、それとゴムとともに練り合わされることを付け加えておこう。しかし皆、この液の中の発酵種を破壊してはならないと指摘した。染められるべき身体についても同様である。
6. 銀へ染めるなら、同時に銀の板を浸漬しなければならない。金へ染めるなら、金の板である。小麦は小麦を生み、獅子は獅子を生み、金は金を生むからである。彼は言う。『普通の銀を投射せよ。そうすれば染めるだろう』。両方の染めのために、ただ一つの液が指定されるからである。
次に、調製物の染めに関わることを述べよう。真の処方に従って調製され、よく作られた神なる水は、調製物を染める。そして調製物が染められると、今度はそれ自身が染める。それゆえ、発酵種、予備の発酵種、酸性の発酵種、金の発酵種や同類のものは隠されている。[しかし、理解力のある人々は、すべての事物の中で、すべてを発見する。]
7. 火に耐える四つの身体、染めの支持体となる身体、すなわち後段の配合物について語ろう。それを配合した後、その一部を取り、神なる水を加える。マリアに従えば、対応する身体の色と色調が生じるまで行うのである。支持体となる四つの身体、すなわち後段の配合物が得られたら、その上へ金の発酵種の配合物だけでなく、硫黄の水の配合物も投射する。投射すべき身体は、鉄、錫、鉛、銅などである。これらの身体はすべて投射を受ける。二つの配合についての章で、彼が言うことを聞け。『鉄に投射すれば精製される。銅に投射すれば、まず精製される。鉛なら流動性を失う。錫に先に施せば、硬くなる。このように投射せよ。そして誤らないために、まず白化せよ』。
8. 今度は銅の精製について論じよう。用いる種には、桃と月桂樹の葉、白い土、桑と無花果の汁、トウダイグサの汁、赤褐色のナトロン、カッパドキアの塩、その他同類の物質がある。この液の中に銅の鱗片を十五日間置けば、精製されたもの、すなわち白化されたものを見いだすだろう、と彼は言う。白い硫黄の液の配合は、このようなものである。
哲学者は液の最後の類で、こう述べた。『確かに白い硫黄は銅を白化させる。しかし黄色い硫黄の場合には、銅は緑礬とソリで処理される。次いで黄化した後、この銅を硫黄とともに酢などへ入れ、イオスにする』。実際、彼は緑礬が金色を生じさせると言う。緑礬を硫黄、黄鉄鉱、ソリと練り、黄色い硫黄をこの黄色い混合物へ加え、それが金属を侵すように金属上へ沈着させるなら、硫黄はこのようにして黄色を生む。
9. では、精製あるいは黄化とは何か。精製と黄化の違いは、色だけである。すなわち、硫黄による精製は白化であり、イオシスの操作は黄化である。彼がさらに言うことを見よう。『鉄を柔らかくしたいなら、細かな鉄の鱗片を用意せよ。サモス土の層を置き、その上に薄片状の明礬の第二の層を広げよ。柔らかく白い金属を得るだろう』。この性質の種は、白い硫黄の類に属する。ヘルメスは軟化について語った後、こう言った。
『そしてそれは白化されるだろう』。このため、哲学者は言った。
『その上に白い調製物、すなわち白い硫黄を半量加えよ』。
10. 今度は硬さとは何かを探究しよう。哲学者は言う。『キオス土と明礬によって融けやすさを失った白い鉛を取れ。これらの種は白い硫黄の類に属する。白い硫黄は、白化されると白化させる』。デモクリトスはさらに言う。『精製し、柔らかくし、硬さを与え、流動性を奪ったなら、すなわち白化させたなら』。白化は白い硫黄によって得られる。この白い硫黄について、神的な恍惚にとらわれた哲学者を見よ。『調製物が大理石に似たものになるなら、そこには大いなる秘儀がある。それは銅を白化させ、すなわち精製する。鉄を柔らかくし、錫から曲がりやすさを、鉛から流動性を取り去る。物質を堅固にし、染めを固定するのである』。
これらの染めとは、水銀からクリュソコラまでの、金の花と呼ばれる種である。これらすべてについて、この硫黄を語った者たちは、正しく語った。実際、ステファノスが『堅固な物質』と言ったときには、四つの身体を語っていた。ほかの者たちは言った。『それは神なる水、あらゆるものの中の大いなる秘儀である。大理石のようになるもの、すべての物質を白化させるもの、モリュブドカルコスの身体を白化させるもの、コバティアの煙である。それこそ染めを固定し、物質を堅固に保つものである』。しかし物質を堅固にするというのは、油のように柔らかくされた物質をひび割れさせるためではない。昇華蒸気からクリュソコラまで、火の作用で失われがちな物質の損失を避けるためである。問題は染めを得ることだからである。このことについて、彼の言葉を聞け。『その上に、鉄、銅、錫、または鉛を加えなければならない』。彼が染めと呼ぶものは、これら四つの身体であり、一度染められると、今度は染めるのである。染めと染められたものを染めるのは、神なる水、大いなる秘儀、大理石に似たもの、あらゆるものを操作に適したものにするもの、銅を焼いて白化させるもの、水銀を固定し、精製するものである。これこそ術全体の大いなる秘儀である。実際、黄色い水は顕わな秘儀なのである。
注 古代の身体・霊・染色の議論を、その歴史的概念に従って訳した。近代化学の理論として是認するものではない。
11. そこで少量のゴムを入れよ。そうすれば、あらゆる種類の身体を染めるだろう。焼成、白化、黄化、水銀の固定、イオシスにおいて作用するのは、これである。物質の破壊を扱いながら堅固な物質について語るとき、彼は揮発する種の喪失を語っている。この白い硫黄は、二つの配合の中にまとめられている。『鉄に対してなら、まず柔らかくする、など』と彼は言うからである。すなわち、精製し、柔らかくし、硬くし、流動しなくしたら、説明されたとおり、まずすべてを白化せよ。支持体となる四つの身体、全体を白化せよ。白化というただ一つの道に従うときの、始まりはこれである。白化は白い硫黄によって得られる。白い硫黄の重量は、最後の類、白い液の類に示される。金色の砒素一オンス、同量のナトロンや同類の物質、桃と月桂樹の葉の薄皮一オンス、同量の桑の汁、塩などである。これらの物質を、秤量の比率に従って混ぜ合わせなければならない。二つの配合において、水銀はすべての物質を捕らえ、すなわち柔らかくする。辰砂のところで、この問題へ戻ろう。しかし、このアマルガム化が起こるためには、二つの配合を卵白や白いゴム水で練ってはならない。これらの配合の中では、水銀はすべてを侵し、すべてを捕らえ、すべてを柔らかくする働きをもつからである。このことは、モリュブドカルコスの章で説明した。
12. 神なる水を濃くして穏やかにし、水銀を用いて配合物を処理し直した者もいる。実際、白い配合には卵とゴムが含まれる。ほかの者たちは、周囲を封泥でふさいだ大きなガラス容器に全体を入れ、弱火で熱した。そこへ神なる水を置き、紫の染料の場合と同じように加熱した。変容においては、海から取った生成物を真の紫へ変えるときと同じように進めなければならない。それゆえ哲学者は言う。『鉛白は、金へ、すなわち紫へ染めるためのものか、白へ、すなわち銀へ染めるためのものかによって、ヘルキュスマのために異なる力をもつ』。同じ練られた配合物が、いくつもの種類の作用をもつのである。彼は言う。『すべての金属物質は、鉛の唯一の本性から生じる。銅を加えると、お前も知っているように、配合の全体をなす』。彼はこのように、その説明の中で、ヘルキュスマによる変化を『神なる水を熱した後』と示した。『熱する』という語によって、彼らは色の発生を示した。水銀を結合させるだけではなく、さらに配合物を白化し黄化させた。弱火で熱し、煙が器具から逃げないようにしたのである。染める霊は、その煙の中にあるからである。色が塊全体へ広がるまで加熱する。ある者は九時間、ほかの者は二日間行う。その後、器具を鉢で覆い、ケロタキスの上、またはフラスコの中に置いて、炉の上に据える。この時から炉を一日間、別の者たちは二日間熱する。鉢を通して鉛白の様子を見てから、生成物を取り出す。
13. 黄色のものを作る者もいる。容器の中央に穴を開ける。蒸気が上部へ分かれたため、下部には鉱滓しかない。二色の配合物では、鉱滓が鉛とともにあるからである。鉱滓を取り除いた後、金属体を得る。この石を粉にし、白化するまで日光にさらす。生成物の重量の半分を取り、水銀と硫黄を補い、白いゴムも加える。神なる水が完全に乾くまで、丸一日、熱い灰の上で固定する。そこで神なる水を加える。この水がすべて消費されたら補充し、フラスコを間接の火で一時間熱する。こうして鉛白を得る。なお沸き立っている物質を、重量の残り半分に当たる、火に触れていない硫黄と硫黄の水の上へ移す。イオスが生じるまで、二日間沈着させる。
14. 同じ日数、器を馬糞に埋める者もいる。銀を作りたいなら、そこへ銅を入れ、染めた後、白化した鉄を加える。金なら、生成物に対してその重量の半分の水銀と、半分の硫黄、すなわち黄色い硫黄を、天然硫黄の水とゴムとともに加えて、再び練る。下から熱して固定し、まず二日二晩加熱する。沸き立つうちに取り出した後、硫黄の残留物に神なる水を加え、二日間熱する。生成物がちょうどよく加熱されたら、普通の銀を加える。
15. 白の調製は、次のとおりである。あらかじめ浸漬した硫黄、砒素、サンダラケ、辰砂を等量、カッパドキアの塩を同量。塩の花、明礬、焼いた葡萄酒の滓、焼いた石灰岩、アフロセレノン、生と焼いたミシュ、ナトロン、塩を等量ずつ、海水と混ぜる。染めが火に耐えられるようになるまで、適切な日数、日光にさらす。その後、熱のもとでも色が安定するよう、これらの物質を神なる水で練る。私が意味するのは、練った石灰によって得られる白い水である。色を安定させた後、一ミナに対して半ミナの割合で、十分な量の神なる水と混ぜよ。
16. 石灰によって得られる硫黄の水は、次のように作る。一覧にあるすべての水を等量ずつ混ぜた後、混合物が非常に白くなるまで、白い土を加えよ。鍋に入れ、下に火を置いて装置を据え、蒸留されるものを受けよ。この生成物を、硫黄を練ることと、配合物の加熱に用いよ。
17. 黄色い硫黄は、次のように調製する。硫黄、砒素、サンダラケ、辰砂、ソリ、緑礬、カルキテス、ミシュ、明礬、ナトロン、塩、アルメニアの青。これらはすべて、あらかじめ浸漬しておく。適切な日数、日光にさらしながら、酢で練れ。この硫黄を、物質一ミナに対して半ミナ投射せよ。
18. 純粋な硫黄の水は、次のように調製する。一覧にある水を等量ずつ取り、ポントス土、アッティカ土、アルメニアの青を用いる。植物、すなわちサフランとクサノオウを倍量加える。鍋に入れ、装置の各部を接合した後、そこから出る水、火に耐える生成物のための硫黄の水を取れ。先に述べたように、すべて半量ずつのゴム、水銀、硫黄の水を配合物に注げ。水がすべて去るまで熱い灰浴で固定した後、生成物が非常に黄色くなるまで、二日間加熱せよ。まだ沸き立っている生成物を取り出し、調製の残留物を加え、生成物がイオスに変わるまで、適切な日数、沈着させよ。乾かして粉にした後、保存する。染めるために普通の銀と混ぜるのは、この生成物である。イオシスを行った後、馬糞に埋める者もいる。
19. すべての種が液に共通であることは、すでに示された。ただし、白化された物質は白化させ、黄化された物質は黄化させる。業を成し遂げた後、配合物と混ぜなければならないことを知るべきである。何が最もよく染めるかといえば、皆が語ったある硫黄である。とりわけアガトダイモンは言った。『ときには白い硫黄、ときには黄色い硫黄、ときには黒い硫黄、そしてときには固定された白い硫黄、ときには固定された黄色い硫黄を取れ』。したがって、先に言われたように、すべての種は液に共通だと彼は示した。ただし、白化されれば白化させ、黄化されれば黄化させるのである。
術における実体と非実体とは何か
III.xvii 次の問いについて 術において実体とは何か 非実体とは何か
1. デモクリトスは、四つの金属体を実体と名づけた。彼がそれによって意味したのは、銅、鉄、錫、鉛である。誰もがこれらを金と銀の二つの染めに用い、すべての実体が二つの染めを受ける。エジプト人たちは、すべての実体が鉛だけから生じると認めた。ほかの三つの身体も、鉛から生じるからである。そこで彼は、火に耐える物質を実体と名づけ、耐えない物質を非実体と名づけた。実際、非実体は火とは独立に、適切に作用する。それらは装置と燃焼の作用によって生まれると、彼は言った。一方、火の作用なしに調製された真の調製残留物は、白または黄の安定した染めを生じさせる。炎で得た逃れやすい調製物を用いると、不完全なモリュブドカルコスの黄化は壊される。それを消してしまうからである。この点で誤ってはならない。彼の表現を見よ。『粘り気のある固さにせよ。加熱用の調製物の半分を塗り、残りで染めよ。火の助けなしに色が固定されるようにせよ』。
2. 非実体と呼ばれるのは、火に耐えない硫黄性の物質である。しかし適切な液体を用いると、それらに、火に耐え、その中で安定してとどまる性質が与えられる。水が火の作用に対抗するからである。それゆえ彼は言う。『自然は反対の性質を自らのものとして獲得し、堅固で固定されたもの、支配するものにして支配されるものとなる』。このように自然は、硫黄性の性質、天然硫黄の水に名を与える性質を獲得する。なぜ彼は、反対のものについても語るのか。水は火の反対だからである。その液状の性質が、火にかけられた物質の蒸発と揮発を妨げる。物質は、いわば湿りの中へ埋められ、染まるまで保たれる。水が保つのは、それが液体だからである。それゆえ彼は、『自然は反対の性質を自らのものとして獲得し』などと言う。液体によって火に耐える生成物を得る方法は説明された。この液体とは、神なる水である。
唯一の染めによってすべての身体を語ることについて
III.xviii 術がすべての身体について語ったことについて
ただ一つの染めを扱いながら
1. 一覧から、ヘルメスとデモクリトスが、唯一の染めについて簡潔に語り、ほかの者たちもそれを暗示したことが分かる。このようにアフリカノスは言う。『染めに用いるのは、金属、液体、土、植物である』。キュメスは真実を宣言した。『一は全体であり、全体はそれによって生まれた。一は全体である。全体がすべてを含まなければ、全体は生まれなかっただろう。だから全体を作るために、全体を投射しなければならない』。ペビキオスは、『四つの身体によって』と言う。マリアは、『ケロタキスの板によって』と言う。アガトダイモンは、『銅の精製、微細化、黒化、次いで白化の後に、堅固な黄化が起こる』と言う。ほかのすべての物質についても、彼らは同様に説明している。
2. マリアはこの問題について語るとき、こう言う。『鉛から銅まで、多くの金属体が存在する』。増量について語るときには、こう言う。『実際、用いる物質には二種類ある。あるときは銅と銀の合金、あるときは金と銀の合金である。モリュブドカルコスも、その他のものも、すべてその中に含まれる』。銀の浄化、あるいは黒化については、先に述べた。どのように唯一の染めがすべての物質へ適用されるかについて、マリアだけが次の言葉で語り、宣言する。『私が銅、鉛、鉄について語るなら、それらのイオスを意味する』。
四つの身体は染めの養分である
III.xix 四つの身体は
染めの養分である
1. それは次のようなことである。マリアは、銅はまず染められ、その後で染めると言う。彼らの銅とは、四つの身体である。染めとは、一覧の固体と液体の種、そして植物を含む。固体は昇華蒸気からクリュソコラまでである。一覧の液体の種はすべて、実のところ、神なる水のことである。
2. したがって、われわれが固体と液体を合わせたものによって養われ、それらに固有の性質だけによって色づくように、彼らの銅も振る舞う。また、われわれが固体だけ、あるいは液体だけでは養われないのと同様に、銅もそうである。実際、食物として固体だけを受け取ると、われわれは炎症を起こし、焼かれ、毒される。彼らの銅も同じである。逆に飲み物だけを取ると、われわれは酔い、頭が重くなり、頬が色づき、吐く。銅も同じである。神なる水の作用で金色になったとき、銅は重くなって吐き出し、その直後に色は逃れやすくなる。しかし固体と液体という二種の物質からなる食物を、よい割合で取れば、われわれは適切に養われ、頬も適切に色づく。栄養を与える能力は、保持する能力に応じて、胃の中で食物を配分する。同様に銅も、一方で固体を食物として受け取り、他方でゴムと結びついた神なる水を葡萄酒として取り入れて養われ、その内にある保持力によって色づく。こうして、前述の著作で彼女は言った。『硫黄性のものは、硫黄性のものに支配され、保たれる』。ここから、『自然は自然を魅了し、征服し、支配する』という真実が生じる。
3. 彼女は言う。『人が四元素で構成されるように、銅も同じである。人が液体、固体、霊の結合から成るように、銅も同じである』。ところでアポロンは、その神託の中で、霊は蒸気だと言う。『そして、より黒く、湿った、純粋な霊』。
4. マリアは蒸気について、適切にこう語った。『銅は染めるのではなく、染められる。染められたとき、初めて染める。養われたとき、養う。完成されたとき、完成させる』。健やかであれ。
丸い明礬を用いなければならない 反論の言説
III.xx 丸い明礬を用いなければならない
反論の言説。1. 一は全体であり、全体から全体が生まれることを、お前は知っている。先の注解で示したように、哲学者たちは、一つの身体の名のもとに、そのすべての派生物を指すことを知らなければならない。特に銅とマグネシアの身体について語るとき、そうである。昇華蒸気が銅を影のないものにするだけでなく、銅もすべての種を受け入れ、マグネシアの身体も、すべての種とともに固定される。実際、彼は言う。『マグネシアの身体によって水銀を固定せよ』。では、われわれはこの方法で全体を固定するため、その上に蒸気を保とうとするのだろうか。あらゆる著作の至るところに、『蒸気を保った後』とある。しかし、金、銀、錫、鉛がなければ蒸気は吸収されないと、われわれは経験によって学んだ。では、石や鉄をどうするのか。
2. 著作の中には、全体を粥状にし、ゴム水を吸収させなければならないと言うものもあれば、昇華蒸気を前面に出すものもある。私には、辰砂とともにすりつぶす方がよいと思われる。この物質を加熱すると、水銀を生じることが知られている。水銀はこの方法で調製される。実際、水や酢を用いて日なたで処理された種は、昇華蒸気を生む。これは経験から分かっている。
あらゆる著作、特にキュメスとマリアは、鉛の乳鉢と鉛の乳棒について語る。その中で、日なたに置き、水銀が現れるまで、石灰と辰砂を酢で練る。錫を用いても同じ効果を生じる。熱され、焼成され、固定され、または染められた種は、術の教えに従って操作すれば、水銀を供給しうる。これらの物質のどれを扱うにせよ、それが可能態として辰砂であるなら、蒸気を供給する。混合物をあらゆる種類の身体と練り合わせると、その蒸気が出て行くのである。
3. あらかじめ固定し、イオスに変えた水銀をすりつぶす方がよい、と言う者があるかもしれない。著作は単純な固定について語っていないからである。しかし、誰もが言うところでは、われわれの銅に投射された白い蒸気は、それを影のない銀にする。同様にステファノスも、すべての種を前にして、それらすべてによる単純な固定のことだと考える。しかし、単純な固定だけを用いても何も成せないことを、皆知るがよい。火の中で固定する間に蒸気が蒸発し、染める霊が失われて、何も得られないからである。一方、辰砂を諸種とともに加熱すれば、霊は失われない。この霊、すなわち火に熱され、揮発へ促される蒸気は、それと結びついた同族の身体、とりわけ錫によって保持される。
4. ある著者によれば、水銀の蒸気の代わりに丸い明礬を用いるべきである。マリアはこの見解に従って、こう言う。『染めの注入は、徐々に強くなる火にかけた緑色の瓶の中で行われる。窯形の炉には、上部に乳頭状の突起がある。成功できなければ、辰砂色の丸い明礬を倍量用いよ。同じ結果に達するには、その方がよい。ほかの練り物でも成功する。実際、昇華蒸気が固定されるのは四つの身体の上だけである。ほかの身体にも、クリュソコラの助けで吸収されると言う者もいる。私としては、クリュソコラだけでは保持しないことを、よく知っている。しかし死んで練られた金属体は、すべて蒸気を保つ』。
5. アガトダイモンは、クリュソコラと蒸気は互いに友であり、クリュソコラは蒸気を保つと言った。一方は鑢屑のように作用し……他方は、すりつぶされても辰砂の付着性をもたない。両者を乾いた状態で一緒に練ると、アマルガム化する。しかし可能態の蒸気は可能態の銅に作用し、こうして両者は結びつく。
6. 蒸気がいかにして万物に吸収されるかを探究しなければならない。生きた状態で練られた金属体だけでなく、焼かれた状態のものにも吸収されるのである。実際、蒸気は金属、とりわけ銅に由来する金属に吸収される。成功しなければ、辰砂を倍量入れよ。こうすれば、すべてについて成功する。哲学者が、『お前はすべてを理解し、何よりも術への努力を緩めてはならない。熟考が真の道へ導くからである』と言うとき、表そうとしているのは、このことである。私がこれらを述べたのは、とりわけ神なるマリアが言ったように、丸い明礬も同様に作用すると示したかったからである。
硫黄について
III.xxi 硫黄について
1. 今日まで誓いを守ってきたお前は、硫黄についての説明を私に求めたではないか。その説明は、適切な時に与えられるだろう。硫黄に言及したのは哲学者だけでなく、すべての預言者もそうであることを、お前は知っている。硫黄なしには、すなわち神なる水なしには、何もないからである。実際、配合物全体はそれに吸収され、それによって加熱され、焼かれ、固定され、染められ、イオシスを受け、精製される。彼は言う。『天然硫黄の水と少量のゴムを加えよ。それによって、あらゆる種類の身体を染める』。同じ著者の言葉を、さらに聞け。『下らせよ。すると生成物ができる。これこそ顕わな秘儀である』。しかし、硫黄性のものの中で、何が神なる水に似ているのか、と言う者もあろう。われわれは答えよう。そもそも、神なる水以外のもので、誰が操作したというのか。誰も別の方法で操作していないなら、私の哲学者が、われわれがこの語で理解するもの以外を語らなかったのは、正しいのである。
2. したがって、硫黄の水は神なるものと呼ばれる。よく聞け。下から上へ放出される昇華蒸気は、神なるものと呼ばれる。同様に、煙道の壁に生じる灰も、神なるものと呼ばれる。浴場で飛び散る滴も同様である。釜の蓋に付着する滴も、同じく神なるものと呼ばれる。白い水銀もまた、神なるものと呼ばれる。それも下から上へ放出されるからである。
3. 古人たちは、瓶の中で弱火にかけ、硫黄性のものを加熱するのを常とする。火が技術によって行うことを、太陽は神なる自然の助けによって行う。大いなるヘルメスは言う。『すべてをなす太陽』。またヘルメスは至るところで言う。『日光にさらせ。日なたで蒸気を練れ』。彼はあちらでもこちらでも太陽を指す。太陽の火は、先に瓶の中で行われると述べたすべての操作を成し遂げる。もう一方の配合物は、このように塩水とともに、白化するまで煮沸される。酷暑の時期、太陽の作用のもとで行われると彼が語る事柄も同じである。二つの手順の経験が、そのように教える。
少量のパン種が大量の生地を膨らませるように、小さな金箔や銀箔も、投射粉全体を生み、すべてを発酵させる。
三、五、七と言うのを聞くなら、合計十五を意味しているのである。
彼らが適切だと考える操作の仕方は、このようなものである。すべてをガラスの器の中で柔らかくする。イオシスの操作では、土器は遠ざけなければならない。染めと、その染めの花を吸収してしまう恐れがあるからである。その受け入れる本性が先に飽和し、金の花によって染められると、その後、銅の鉱滓はイオシスの花を吸収しなくなる。
4. そこでわれわれは、イオシスに適したガラス容器の中で染めを行う。しかし、その染めに手で触れてはならない。命を奪うものだからである。金がそこに溶かされたときには、あらゆる金属の中で最も有害なものとなる。
注 毒性に関する記述も歴史的本文の翻訳。金属・砒素・水銀などを含む処方は危険であり、再現実験の指示として用いないこと。
ある者たちは、お前が学び知ったイオス、すなわち硫黄を用いて練り、それを銀の板に塗る。
このように操作し、丸い炉の上、段に据えられた坩堝の中で、術の装置を段階的に熱する。すると金が生じる。
5. 何人かの者、とりわけマリアは、下方の図に言及した。
彼女は言う。『彼らはこのように、水銀、硫黄、イオスを調製した。全体がイオスになるまで、日なたですべてを練ったのである。こうして調製されたイオスは、より活発だと彼らは言う。ある者たちは、何も加えず、太陽だけでこのイオシスを成し遂げ、探していたものを得たと断言する。ほかの者たちは神なる水で練り、それが彼らの硫黄であり、また水銀でもあると断言した。私はほかの者たちより、こちらの見解を採った。ほかの者たちは、水銀をあるときは生で、あるときは黄色い凝塊の状態で投射した。ある者たちは、イオシスの操作の後、それ以上何もしなかった』。
6. 哲学者たちは、イオシスに続く操作について謎めかして述べ、『金を染めるには、イオシスの後で操作する方がよい』と言った。この術だけについて著述した聖書記たちの中には、練りの操作を扱い、イオシスだけ、とりわけイオスがすべてをなす、と言った者もいる。彼らには、それでよかったのである。ほかの者たちは、加熱した後、融解に続いて熱し、火へ入れた。これらの者たちは、練ることで全体を処理する方を好んだ。白化だけに頼ろうとする者たちは、銀の板に塗り、熱し、加熱した。硫黄の水であろうか、水と水銀、そして何か同類の物質で操作し、全体が練られた物質を吸収するまで磨いた。
7. 術の加熱ではさまざまな色が現れるため、アガトダイモンは誰よりも練りの操作に心を配った。この点で彼らは、練った硫黄、クリュソコラ、塩の花を小さな物体に塗ることで一致している。彼は言う。『ある物質が焼けていると気づいたら、色が現れるまで、日なたで熱し、練れ』。これによって彼らは、加熱と練りを優先的に示したのである。調製物の力を示すため、彼らは次のようにする。銀の物体を取り、半分まで塗布し、調製物を熱する。物体を取り出すと、塗られた部分は金色になり、ほかの部分は変わらずに残っている。
神なる水に関する説明は、以上のとおりである。
尺度について
III.xxii 尺度について
1. 尺度についての説明は、加熱の秘儀全体を明らかにする。そこに配合があり、重量があり、白化があり、黄化があるからである。配合についての言説では、これらを通りすがりに扱い、銅とイオシスについての言説でも、再び問題にした。『鉛を振りかけよ』と言うとき、彼はこの鉛を用いているように見える。ただ鉛と言うのではなく、『コプトスの鉱石と密陀僧から得られる、われわれの黒い鉛を』と付け加えるのである。振りかけるという操作は、私には練ることに思われる。『作用について』の論で、重量を扱い、あらゆる著作から示したとおりである。彼らは、焼き、振りかけ、投射するために用いるものを、秘密裏に一緒に量るのを常とする。振りかける鉛を量る。白化にも秤量が課され、投射の際のイオスも同様である。実際、彼は言う。『白い調製物の半分を除け、など』。
2. このように、比較秤量とイオシスに関わるすべてのことは、術のすべての操作の中に隠されてきた。私は、すべてを一緒に言っている。鉢の中で硫黄が優勢なら、その下に置かれた配合物が見えず、硫黄自体の作用でいつ白化したのか分からないからである。硫黄が白くなったとき、下の配合物が白化されたと分かる。それゆえ、
アガトダイモンは、白いものでも、どのようなものでも、それぞれの硫黄の調製物を取るよう言った。その状態が加熱の程度を示す。生成物を取り出し、余った硫黄とともに熱する。それは精製するというより、二部分に分けるのであろうか。白化した配合物を捕らえるからである。長く置きすぎれば、黄色に変わる。
したがって、硫黄が白化を生じさせるので、われわれは哲学者たちに従って全体の重量を求めよう。液体の最後の類から、砒素一オンス、ナトロンをその半量、まだ柔らかい桃の葉の薄皮二オンス、塩をその半量、桑の汁一オンスを取る。次いで、液になるまで、薄片状の明礬と、酢、尿、または石灰の灰汁で、すべてを練る。その後、曇った金属箔であろうか、その板を染め、金属の影を消す。すべての残留物、とりわけ砒素とサンダラケ一部、石灰二部、そして神なる水を加えなければならない。大理石に似た白い液が得られたら、それを注ぐ。あるいは、前述の配合物をトルッリオンという器の中で、その液とともに加熱する。
身体をどのように焼くか
III.xxiii 身体をどのように焼くか
1. 今度は哲学者たちに従い、身体を焼くとは何かを探究しよう。重量についての説明はそこへ至り、われわれの研究全体がこの問いを含むからである。哲学者を登場させ、こう言わせよ。『砒素から生じる蒸気を取り、習わしに従って固定せよ。硫黄性の調製物に銅か鉄を加えると、金属は白化する』。ある者たちは、『硫黄性の』という語を『焼かれた』と説明する。無知のために、銅を硫黄とともに、鉄をマグネシアとともに焼くからである。しかし、それは焼くことではなく、破壊することである。哲学者において、焼くという操作は白化と呼ばれる。精製やほかの操作が白化であると示されたように、ここで彼の語る焼く操作も白化であり、第二の場合には黄化である。
2. このように哲学者は、先に述べたように煎煮を行い、硫黄の水によって銅を焼く。彼は言う。『実際、そこに白い調製物の半分を入れよ。それが第一の段階となる。それを加熱せよ。われわれは残り半分をイオシスのために保つ』。同じ理由から、ペビキオスは至るところで言った。『調製物を二部分に分けよ。銅を月桂樹の木、すなわち白い配合物の中で焼け。このように月桂樹の葉とともに焼かれた身体は、硫黄の水の中で加熱された後、同時に白化されるからである。これが教えである。硫化した銅か鉄を用いよ。この手順によって、それも白化されるだろう』。アガトダイモンも同じ助言を与える。身体は、神なる水の中で蒸気とともに沸騰し、加熱されなければならない。このようにして焼く操作と白化が行われる。錫について述べる際、哲学者は加熱を前提としていた。『少量の明礬を混ぜた後、先に示した蒸気を、トウゴマ油または大根油の中で加熱せよ』。そして言う。『錫などの混合物を作れ。すると、ただ二つの類の身体だけで、すべてが最後まで処理される』。日数について語った後、彼はすべてに言及した。油について語った後、神なる水に言及した。明礬に続いて硫黄、錫に続いて二つの処方に言及した。昇華蒸気がこの金属へ浸透するからである。
3. ここでも投射は硫黄の液によって行われるが、加熱は全体に関わり、それは燃焼、あるいは煎煮と白化である。それによって身体は焼かれ、加熱される。この操作こそ、あらゆる時代に宣言され、銅を硫黄とともに焼くよう命じながら、あらゆる著作が神秘的な言葉で教えるものである。しかし、ほかの熱し方は、燃焼というより破壊である。銅が焼かれると、あらゆることに適し、染めに適した銅になる。消え去る際には、エレクトロンとなる。火を強めると、硫黄の半分が焼けて、黄色になる。マグネシアは四分の一必要である。そこで銅四オンス、鉄一オンス、マグネシア六スクルプル、錫と鉛二カルクス、さらに金属のオンス数に比例して、カドミア、クラウディアノン、クリュソコラ、辰砂を加える。おおよその等量で行っても、成功できるかもしれない。しかし、そのような条件で操作するのは、骨が折れ、分別に欠ける。秤量によって進めなければならない。デモクリトスは、『何も省かれていない。何も欠けていない』と言った。確かに、デモクリトスの功績によって、何も後に残されていない。溶解した身体の配合、すなわち神なる水と蒸気の上昇を、われわれは誠実に説明し、それによって、この書の解釈を与えた。焼く行為の尺度を述べた今、黄化の尺度を検討しよう。
黄化の尺度について
III.xxiv 黄化の尺度について
1. なぜアガトダイモンは、この主題について書いたのか。尺度を教えるためではなく、サフランとクサノオウを、ほかの草の倍量用いなければならないと言うためである。これらは、より大きな染色の性質をもつからである。彼は白い硫黄に応じて比率を定める。硫黄、汁、草から取られた水は、ここでは純粋な硫黄の水と呼ばれる。彼らはそれを注ぎ、白い配合物を加熱する。それによって黄化するのである。先に聞いたとおりに加熱し、物質が黄色くなったら、ただちに取り出せ。これが黄化の尺度である。先に予告した尺度についての説明とは、このようなものである。
2. 業を成し遂げる間、いくつもの原因が協働することを知るべきである。そのうち、肉眼で見えるものも、見えないものもある。見えるものは、洗浄された、または混合された種、モリュブドカルコスと同類のもの、黄鉄鉱と同類のものである。著作が言うところでは、黄鉄鉱とアンドロダマスを、あらかじめ酢で処理してはならない。銅質の部分がイオスに変わるのを避けるためである。その部分は後に、辰砂と同類のものと混ぜ合わされる。ほかの似たものと同じように、日光にさらすことは許される。
3. マリアは、モリュブドカルコスと製造の手順を最前列に置く。焼く操作は、すべての古人が推奨することである。マリアは最初に言う。『硫黄とともに焼かれ、ナトロン油で処理され、同じ処理を何度も受けてから再び取り上げられた銅は、優れた、影のない金になる。神はこう言う。皆知るがよい。経験によれば、銅を先に焼くと、硫黄は何の効果も生まない。しかし硫黄を先に焼けば、銅を汚れのないものにするだけでなく、金へ近づけもする』。マリアは図の下の説明で、二度目に宣言して言う。『神は、恵みによってこれを私に明かした。すなわち、銅をまず硫黄とともに、次いでマグネシアの身体とともに焼き、硫黄性の部分が影とともに逃げるまで送風する。すると銅は、影のないものとなる』。
4. すべての者は、このように焼く。モーセのケーメイアでも、このように硫黄、塩、明礬、そして硫黄、すなわち白い硫黄とともに焼く。キュメスも多くの箇所、特にクサノオウで操作するとき、このように焼く。ペビキオスにおいても、月桂樹の木で焼く操作が、謎と迂言によって述べられる。月桂樹の葉が、白い硫黄を意味するのである。尺度についての説明は、このとおりである。
5. マリアは、あちらこちらの無数の箇所で、こう言った。『われわれの銅を硫黄とともに焼け。再び処理すれば、影のないものとなる』。彼女は白い硫黄とともに焼く方法だけでなく、白化し、影のないものにする方法も知っている。デモクリトスも硫黄によって焼き、白化し、影のないものにする。さらに、『彼らは黄色い硫黄を焼くだけでなく、金属を影のないものにし、黄化させる』。デモクリトスはこう言う。『サフランは蒸気と同じ作用をもつ。カシアが肉桂に対してもつ関係と同様である』。モーセのケーメイアの末尾近くにも、同様にこの文がある。『天然硫黄の水を注げ。それは黄色く、影のないものとなる』。これは明らかに、焼かれるということである。
6. これが焼く操作であり、白化、黄化、そして両方の場合に金属を影のないものにすることである。このように焼き、再び処理すれば、銅を金に似た、影のないものとし、銀と金の増量に適したものにできる。しかし道全体を知らなければ、誰も増量をうまく行えない。そうでなければ、まだ青い葡萄を乾かそうとする者と同じである。ある者たちは、ケロタキス、すなわち湯浴の上で加熱し温浸するため、土の壺すべての中に、四角いガラス容器を置く。それをレキュトス、すなわち瓶と呼ぶ。アガトダイモンは、医師が目薬に用いる手順に従い、十分に練るよう命じる。
7. 身体を焼く行為、尺度についての説明は、以上のとおりである。焼く行為は白化と呼ばれる。硫黄の場合、この行為は白化と影の破壊と呼ばれる。白化そのものはイオシスと呼ばれ、精製も白化である。焼く行為はまた黄化とも呼ばれ、影の破壊も黄化、イオシスも黄化と呼ばれる。預言者キュメスは、熱狂して叫んだ。『投射の後、それを黄色く、影のないものにしなければならない』。次に、神なる水と、イオシスまたは分解に関わる手順が説明されるだろう。
神なる水について
III.xxv 神なる水について
1. まず示さなければならないのは、神なる水が、あらゆる液体を混ぜ合わせて得られる複合物であり、その名がすべての液体に与えられるということである。個々の固体の組成物をそれぞれ特に取り上げ、そこから得られる生成物を固体の組成物と名づけたように、個々の液体の種類から取り出される液体の組成物も、神なる水と呼ばれる。そして、この二つの組成物には千もの名が与えられる。神なる水は、塩水、海水、思春期前の者の尿、酢、酸っぱい塩水、ひまし油、大根の油、バルサム、男児の母の乳、黒い牝牛の乳、若い牝牛や羊の尿、という言葉で呼ばれる。ある者はこれをロバの尿と呼び、ほかの者は石灰や大理石の水、葡萄酒の澱の水、硫黄・砒素・サンダラケの水、ナトロンや薄片状の明礬の水とも呼ぶ。さらに牝ロバ、山羊、雌犬の乳、キャベツの灰の水、そのほか灰から作られる水ともいう。また、蜂蜜やオキシメルの水、酢やナトロンの水、空気の水すなわち露、ナイルの水、アルクティオンの水(1)、アミネアの葡萄酒、ザクロ酒、オリーブの酒、リンゴ酒、ビールも、この名で呼ぶ者がいる。すべての水を列挙するまでもなく、結局はどのような液体もそう呼ばれるのである。
注 オキシメルは蜂蜜と酢を合わせた液。鉱物・薬物名は歴史的な名称として訳し、現代の純物質や安全な実験手順と同一視しない。
2. 古人は、白と黄にしばしばさまざまな名を与えた。哲学者ペビキウスが、哲学者に宛てた手紙の中で、黄色の液体についてどのような区別をしたかを説明するのが適当と思われる。『アミネアの葡萄酒で薄めよ』……。彼らは、白化のための液体の中に新しい葡萄酒を挙げなかった。ペビキウスはさらに、『リンゴ酒、オリーブの酒、ザクロ酒』という。それ以上の区別をしなかったため、彼らは聞く者の役に立たず、思慮の乏しい仕方で振る舞ったのである。実際、哲学者はさまざまな種類を扱いながら、それらを白化にも黄化にも用いる。先に君が聞いた、焼いたり煮たりするための処理に、それらを用いるのである。黄鉄鉱について、彼はこういう。『黄鉄鉱を取り、これを処理し、酸っぱい塩水などで練りのばせ』。これが、彼のいう白い神なる水である。次に辰砂については、『油、または酢と蜂蜜などを用いて、辰砂を白くせよ』という。アンドロダマスについても、同じく『塩水、または酸っぱい塩水で』という。そのあとで、『天然硫黄の水を熱せよ』と付け加える。これは、海水、尿、酢、辰砂の油、蜂蜜水、そのすべてが神なる水であると、君に知らせるためである。一つの種類によって、全体を意味しているのである。さらに後のアンドロダマスの項では、明瞭に語ろうとして、こういっていた。『天然硫黄の水を熱せよ。液体とは、天然硫黄の水なのだから』。
3. 『石灰から得られる投射用の物質は、白い硫黄を扱う場合、名と色を変える。白の部類に属するものは、キオスの土、アステリテ、セレニテである。黄を扱う場合には、アッティカの黄土、焼いたポントスのミニウム、およびそれに類するものを投射せよ』。
クリュソコラについては、『この物質を焼き、油を注ぐことを七回まで行う』という。『造金』では、まずこれらの物質を一つずつ白くしている。同じように密陀僧を二つの組成に用いる。操作を完成するための煮沸は、二種類より多くはないからである。液体の中には、最も白い蜂蜜と混ぜた蒸気と密陀僧を含めている。彼は液体のどれ一つも捨て置かず、二つの組成にそれらを用いた。実際、コマリスとレンズ豆(?)の溶液を混ぜ、そこへクサノオウの調製物を加えて、神なる水の組成物を得ると述べていた。彼は、大理石から得た石灰水を油とともに、また黄鉄鉱を蜂蜜とともに煮沸するよう命じている。その四つの書物で、神なる水をさまざまな仕方で説明している。『銀の書』では、キオスの土、アステリテ、セレニテ、およびそれぞれに固有の投射について語る。『黄の書』では、シノペの土、アッティカの黄土、フリュギアの石が扱われる。『石についての論考には、雄山羊の血とロトスの汁が見つかるだろう。さらに後には、有益なものが……。硫黄質のものは硫黄質のものによって支配され、液体はそれに対応する液体によって支配される(1)。実際、硫黄質のものは硫黄質のものによって保持されるのである』。
黄土の調製について
III.xxvi 黄土の調製について
1. 黄土の調製は、アドリア海と呼ばれる海の近くの山で行われる。そこには山の裂け目があり、その割れ目を通して、板状になった黄土の層が見える。黄土はバビロニアの山でも産出する。裂け目に黄土が見え、それを取り出して焼く。そうすると赤土が得られ、これはシノペのミニウムとも呼ばれる。私たちは、この赤土も、このシノペのミニウムも用いない。むしろ、上に示した黄土が真の染料なのである。ただし、染めようとする金属がマグネシアの身体、あるいは黒い鉛である場合は別である。
2. 染色物質のほかに、これをどの部類に位置づけるべきかについては、あらゆる書物が説明している。したがって、その位置を定めたいなら、そこに求める答えが見つかるだろう。とりわけマリアと哲学者に従えばよい。哲学者は、黄鉄鉱、辰砂、クラウディアノン、カドミア、アンドロダマス、クリュソコラを挙げている。そして、モリュブドカルコス、辰砂、あるいは黒い鉛と呼ばれる物質であるマグネシアの身体に、それらを作用させるべきだという。次に『造金』へ進めば、錫、鉄、銅を崩す物質が何か分かる。それは辰砂と白い密陀僧である。今度は君自身が、求めるものを理解しなさい。マグネシアとはモリュブドカルコスのことであり、鉛もまたモリュブドカルコスのことである。彼らが造銀や造金を語るとき、意味しているのはモリュブドカルコスであり、それを処理してから染色にかける。適切な時が来ると、いったん崩したそれを固定し、こうして硬くした金属を白化または黄化するのである。
3. 彼らは銅を白くし、それを砕いたあと、最終的な結果が得られるまで取っておく。硫黄と水銀で行う操作を、彼らは『焼く』と呼ぶ。また白化のために血の色にされ、表面も内部も染められたこの金属を、『焼いた銅』と呼ぶ(1)。これが彼らのいう『焼く』ことである。これによって哲学者は組成の全体を意味し、二つの染色を目的として行う希釈を示している。正しい順序に従い、彼はまず白化を語り、そのあとで黄化を語ったのである。
マグネシアの金属体の処理について
III.xxvii 金属体の処理について
注 この見出しは底本の組版により二つの対応単位に分かれている。続く単位と合わせて「マグネシアの金属体の処理について」と読む。
マグネシアの〔前の見出しに続く〕
1. 再び古人たちを登場させよう。彼らは、辰砂がマグネシアの白化をもたらすという。私が先に、支持体となる四つの身体と、それらについて生の組成と焼いた組成に必要な分量を述べた文章(1)を、実際に役立つものにするには、それらすべてをマグネシアの説明に適用しなければならない。マグネシアの金属体がどのように作られるのか、また以前君に述べたとおり、浸漬の仕方によって白化が変わるのかを語る必要がある。それを炉の前に置きなさい。炉は木と赤いコバティアの樹皮(2)で火を起こすこと。この樹皮の煙はすべてを白くするからである。したがって、その煙を集めれば、マグネシアがそれを吸収して白くなる。
2. 赤いコバティアについて述べた第七の書で、まず哲学者たちがどのマグネシアを語っているのかを知るべきだ、と確認したではないか。それはキプロス産の単純なマグネシアなのか、それとも私たちの術によって得られる複合したマグネシアなのか。実際、単純なマグネシアを練りのばすとき、彼らは複合したものを語ろうとする(3)。しかし同時に単純なものをも意味していた。このように、名称に二重の意味を与えることで、術は隠されてきたのである。
3. 哲学者ヘルメスは、海水に続いてナトロン、酢、小さな羽虫の血(4)、エゴノキ属の樹液、薄片状の明礬などを挙げ、こういう。『先に述べたとおり、それを炉の前に置き、赤いコバティアの樹皮で火を起こせ。赤いコバティアの煙は、それ自身が白いため、すべてを白くするからである』(5)。
4. ヘルメスはこのように語る。しかし私たちは、ナトロン、スティラクス、層状の明礬、ヤシの枝の灰が、すべてを白くする白い硫黄であることを知らなければならない。また小さな羽虫の血と酢は、石灰を用いて得られる硫黄の水である。赤いコバティアの樹皮とは硫黄質のもの、とりわけコバティアに似た砒素であり、これらは金色に染めるために用いられる身体なのである。彼はいう。『コバティアの煙はすべてを白くする』。コバティアが何かを教えようとして、哲学者は『硫黄の蒸気はすべてを白くする』と述べるのである。
5. さて哲学者は、神なる水でもある海辺のヤシの灰が何かを教えようとして、第二の部類、すなわち白い液体の部類で、こう述べる。『白いポプラの木の灰を硫黄の水に溶かして〔これは単純な意味に取るのではない〕、あるいは石灰を用いて得られる硫黄の水に溶かして。この石灰は白い灰、大理石、生石灰から得られる』。硫黄質のものが赤いコバティアから来るといわれたのと同じように、硫黄の水は硫黄からその組成を得る。この硫黄はヤシという名でも呼ばれる。さらに、複合したマグネシアの白化は白い硫黄の組成物によって生じ、白の液体組成物は石灰から得られることが分かる。これらはすべて、私が組成についての論考で、その調製を説明した物質である。分量は分量の論考で、焼成法と炉の扱いは焼成の論考で述べておいた。
6. マグネシアの身体の白化については、以上である。分別を備えたあなたたちには、最善のことに取り組み、私たちを助けることができるはずであり、私たちをこの困難の淵へ突き落とす必要はない。この教説について別の論を立てる者は、深い闇の中にとどまり、手で空気を打ち、足で海を打つ人のように振る舞う。空虚の中を歩み、まったく根拠なく語る者たちは、自分だけの方法で金属体の型を変えようとして、無益に働いているのである。
7. しかし祝福された女性よ、君の耳をかき乱す、こうした空虚な教えは捨てなさい。私は、君が処女パフヌティアや、何人かの無学な男たちと交わっていると聞いた(1)。彼らから聞くことは空しく、君も意味のない推論に取りかかっている。心が盲目で、想像力ばかり過熱した人々との交際をやめなさい。そうした人々は憐れみ、真理を語るに値する人々の口から、真理の言葉を聞くべきである。彼らは助けを欲しがらず、自分自身が師であるとうぬぼれて、師から教えを受けることに耐えられない。空虚で意味のない推論によって敬われることを要求する。真理の段階が何かを教えようとしても、術の知識に耐えられず、それを消化できない。彼らが望むのは理性よりも金である。極度の狂気によって熱し、推論ができなくなり、富を待つこともできない。もし理性に導かれていたなら、金は彼らに伴い、その手に入っただろう。理性こそ金の主人だからである。理性に結びつき、それを望み、それと一つになる者は、金を隠している曲がりくねった道のただ中に、私たちの前に置かれた金を見いだすだろう。
8. あるところで述べられたように(1)、理性はあらゆる善を指し示すものである。哲学は真理の認識であり、存在するものを明らかにする。理性を受け入れる者は、それによって眼前に置かれた金を見るだろう。しかし理性に耐えられない者は、絶えず空虚の中を歩み、最も滑稽なことに取りかかる。こうして笑いを招いたのが、君の友人である祭司ニルスである。彼は、まるでパンを焼くように、田舎の炉でモリュブドカルコスを焼き、コバティアを用いて一日中操作していた。身体の目がくらんでいたため、自分の方法が悪いとは考えず、ふいごを吹き続けた。そして冷えたあとで取り出しても、示せるのは灰ばかりだった。白化はどこにあるのかと尋ねられると、困って、奥へ入り込んでしまったと答えた。次に銅を入れ、滓を染めた。銅は何ら固体によって止められなかったので、通り抜けて、それ自体が奥へ消えてしまった。マグネシアの白化についても同様だった。その反対者たちの口からこれらを聞いて、パフヌティアは大いに嘲笑された。あなたたちも同じ狂気に陥るなら、そうなるだろう。コバティアで焼くニルスに、私からの挨拶を伝えなさい。そしてマグネシアの身体の扱いについて、十分に教えを受けなさい。
マグネシアの身体とその処理について
III.xxviii マグネシアの身体について
およびその処理について
1. マリアがマグネシアの塊と呼ぶものについて、惜しみなく明瞭に説明しているのは、次のことである。秘義の真理における第一の段階は、これらの箇所で説明されている。すなわちマリアは、それこそがマグネシアの身体だと考えている。この箇所だけでなく、ほかの多くの箇所でもそう宣言している。別のところではこういう。『黒い鉛の助けなしには、私たちが調製法を明らかにして実行した、このマグネシアの身体(1)を作ることはできない。これらが教説である』。そして飽くことなく、二度目、三度目にもそれを教え、黒い鉛とモリュブドカルコスをマグネシアの身体と名づける。この件について彼女は、辰砂(2)または鉛、そしてエテシアの石を語る。この身体こそが、焼かれて潜在的に金色となるすべての物質を、同時に溶融させる(3)。生の物質を焼き、その倍加を行う。彼女によれば、焼成によって金色となるすべての物質を、潜在的に作るのである。まだ現実にそうなっているわけではないからである。この点については別の論考を書くが、今は本題を扱おう。
注 原文画像(仏訳印刷188頁/PDF234頁)で「2e et 3e fois」を確認し、OCRの「39 οἵ 3°」を修正した。潜在と現実の対比は en puissance / en acte に従った。
2. したがってマリアが説明したように、マグネシアの身体とは黒いモリュブドカルコスである。それはまだ染められていないからである。『君が染めなければならないのは、このモリュブドカルコスである。そこへ黄色いサンダラケのモタリア(4)を投射し、焼かれた金が、単に潜在的にだけでなく、現実に存在するようにせよ』。マリアは、マグネシアの身体を塊と名づけたあと、このように述べる。
注 motaria は印刷188頁の画像で確認した歴史的な用語で、ここではモタリアと音写した。OCRの崩れを補正している。
私たちは何よりも先に、哲学者も、次の名で呼ばれたマグネシアの身体について、同じ意見であることを示さなければならない。それは――
『全体』である。このモリュブドカルコスは黒い鉛であった。水銀がマグネシアの身体によって固定されると彼らがいうとき、それは、私の最初の論考で述べ、またマリアが上でマグネシアの身体について述べたとおり、完全な身体によって、という意味であった。彼女はさらにいう。『黒い鉛が見つかるだろう。そこへ水銀を混ぜたあとで用いよ』。哲学者の分類が指しているのはこれであり、哲学者が序論で『マグネシアの身体に水銀を混ぜよ』と述べるのも、これについてである。こうして哲学者自身は、黒い鉛と黄鉄鉱を指している。君が迷わないよう、単に鉛とはいわず、『私たちの黒い鉛に』という。モリュブドカルコスを見誤らないよう、彼は『水銀だけが銅から陰をなくす。水銀はマグネシアの身体を固定するばかりでなく、銅も固定する』という。このように哲学者もまた、マグネシアの身体と黒い鉛を『全体』の名で示す(1)。古人の書物では、モリュブドカルコスは鉛と同じ一つの部類に置かれていた。水銀について述べられることは、あらゆる種類の石についても述べられる。これは最初の諸章で明らかにしたとおりである。
3. したがって、これが潜在的に焼かれた金なのである。これが白化または黄化されると、生の物質もまた焼かれた物質に作用する。すなわち、白い銅を未処理のキプロスの銅へ投げ入れれば、銀を作る。しかしそれが黄化されているなら、普通の未処理の銀へ投射することで金を作る。緑礬、アミネアの葡萄酒、普通の酢で湿らせたあと、十四日間置く。これが銀を作るのに必要な期間である。
注 原文の金属変成の主張を訳している。現代化学で検証済みの製法や、実行を勧める手順ではない。
4. 練りのばすことについて真実を知らないため、処理に失敗することが多いので、蒸気について述べたことを思い起こそう。蒸気を金色の着色へ導くのは緑礬である。同じようにアガトダイモンも、前もって行う染色についての教えの中で、こう述べていた。『君がよく知るこの緑礬を用いるに至ったとき、自分が生じさせる効果を理解できるようにいうなら、蒸気を金の発現へ導くのは、緑礬の染色の性質である。これは精錬についての書物に示され、二つの染色に関して確認された。分量についての論考では、最も美しく神に愛される石は、白い石と血の色の石だという。それが黄鉄鉱と呼ばれたものである。これらは多くの色と多くの名をもつ。ある者はアラバストロン(1)を語り、ほかの者は両方を黄鉄鉱の名で呼ぶ。私が示したとおりである。実際、黄鉄鉱より美しく、神に愛される石はほかにない』。
5. いまの論考の主題はマグネシアの身体である。この一つの名は、必要な浸漬の正しい分量に従って作られたすべてのものを意味する。辰砂(2)が、真のマグネシアの身体を作る。この真理から離れずに、私もまた、『女性よ、君が迷わぬように、私は普通の鉛について語っていたのではない』(3)と述べた人の力量に並びたいと思った。しかし私はデモクリトスではないので、彼の功績にかけて誓う。私は道を誤ってはいない。そして君も、金属体を伴わない灰がマグネシアの身体と呼ばれたと主張する者たちの、取り返しのつかない誤りには陥らないだろう(4)。
水銀は非物体的であるといわれてきた。そういう人々にも、理解したことが何かあったと、私もいう。得るべき結果を示すことで、彼らは自分たちの理解力の程度を示している。しかし実際には、その結果を手にしていない。灰はマグネシアの身体と呼ばれたのではなく、非物体的なものと呼ばれたからである。ところが水銀もまた金属体である。これにはすべての金属体が含まれ、非物体的なものの灰がマグネシアの身体と呼ばれたのだ、などという詭弁を持ち出してはならない。そうではない。それでは彼がいいたいのは、非物体的なものが硫黄質の本性をもつために揮発する、ということ以外の何だろう。したがって身体と呼ばれるのは、固定して逃げ去らないものなのである。それゆえマリアはいう。『マグネシアの身体は、鉛、エテシアの石、銅から生じる秘密のものである』。
6. この種のものはすべて、揮発性の物質と混ぜられると身体と呼ばれる。彼は白い液体についての論考で、水銀についてこう述べる。『そこへ薄片状の明礬、またはモリュブドカルコス、または石灰を混ぜ、非物体的な水銀を身体にせよ』。同じようにクリュソコラについても、『これもまた逃げ去るものだ』という。同じ主題についてアガトダイモンは、『その染色の霊が去らないように気をつけよ』と述べる。揮発性であっても、それは身体と呼ばれる。哲学者はクリュソコラの部類で、その混合について語る。『銅、銀、金によって、あらゆる種類の身体を染めよ』。マリアはクリュソコラについて、『……量ったあと、モリュブドカルコスを用いて、一日操作せよ』……という。あるいは、『クリュソコラと辰砂を取り、白い密陀僧で練りのばし、金属の本性を消失させよ。銅が変化して金属体の状態へ導かれたなら、そこへ金色のものを投射せよ。そうすれば金を得るだろう』という。このようにクリュソコラは、それ自体は逃げ去るものであっても、よく混ぜられると身体という性質を与えられる。君が変成によって、それを身体にするからである。
7. したがって、これらの著者において転換し、変成すること(1)とは、非物体的なもの、すなわち逃げ去る物質に身体を与えることである。その変化によって、モリュブドカルコス、すなわち黒い鉛が得られる。それは水銀で処理され、マグネシアの身体となるべきものである。ある者たちのように、変化とは水銀を転換し変成することだ、と彼らがいいたいのではない。むしろ、逃げ去る物質が身体を得ると、白または黄に染められることによって、すべての身体に転換が生じるのである。実際、この転換が変成と呼ばれるのは、術の作用によって非物体的なものが身体を得たあとである。火によって行われる逆向きの転換、すなわち白化または黄化では、十分に練りのばされ、火によって結合された物質が、再び逃げ去るものにされ、非物体的なものへ戻る(2)。このとき、それらは極限まで細かく分割される。昇華した蒸気は、非物体的な物質の第一のものであり、こうして至高の術へ導く。
8. したがってイオシスにおいては、非物体的な物質が、水銀によって再び物体的なものにされ、身体が形成される。
しかし、物体的な物質が分解されたあとには、それらは非物体的なものとされ、その効果は火の助けを必要としない作用によって生じる。
別の箇所では、この効果のために胆汁(1)や、それと同様の物質が語られた。それらも硫黄および硫黄の水と同族である。さて、火の助けなしによく働く物質として、神なる水のほかに何があるだろう。ペビキウスが、どのような火よりも強力だというのは、この水である。硫黄質のものの章では、これが火の助けなしに作用すると述べられている。マリアはこれを火の調製物と呼ぶ(2)。彼女はさらに、身体が非物体的なものにされず、非物体的なものが身体にされなければ(3)、期待することは何一つ起こらないという。すなわち、火に耐える物質と、火によって蒸発する物質とを混ぜなければ、期待することは何一つ得られないのである。
9. それでは、私たちの術における身体と非物体的なものとは、何なのか(4)。
非物体的なものは、黄鉄鉱とその類、マグネシアとその類、水銀とその類、クリュソコラとその類であり、これらはすべて非物体的な物質である。身体とは銅、鉄、錫、鉛である。これらは火によって蒸発しない。これが身体なのである。一方の物質を他方と混ぜると、身体は非物体的なものとなり、非物体的なものは身体となる。この仕方で、分類の中に指定された水銀を混ぜなさい。そうすれば期待するものを作れる。これについてマリアは、『二つが一つにならなければ』といった。すなわち、揮発性の物質が固定した物質と結びつかなければ、期待することは何一つ起こらない。白化を行わず、白化させる白い硫黄によって二つが三つにならなければ(5)、期待することは何一つ起こらない。しかし黄化するときは、三つが四つになる。黄色い硫黄によって黄化するからである。最後に紫に染めると(6)、すべての物質が一緒になって一に至る。
10. オスタネスが揮発性の物質と、そうでない物質との結合を語り、『黄鉄鉱の石は銅に親和性をもつ』というとき、何を意味しているのか。オスタネスは水銀についてではなく、極度に練りのばすこと、つまり黄鉄鉱が完全に液化し、まったく沈殿を生じない状態について語っていたのである。したがって、水と液化について、哲学者が洗浄と練りのばしを論じる際に説明したことを、君は理解しなければならない。練りのばすことについて、彼は『生成物が水のようになるために』といった。哲学者はさらに、『マグネシアと磁石は鉄に親和性をもつ』といった。師はまた、『水銀は錫に親和性をもつ』という。弟子は『水銀は錫とアマルガムを作る』という。また、『これはあらゆる種類の身体を白くする。鉛も黄鉄鉱に親和性をもち、エテシアの石は鉛に親和性をもつ』ともいう。哲学者はこうした推論によって、私たちの術について、本性は本性を魅了すると述べていたのである。
11. マグネシアについての項。すべてを取り出したあと、黒い身体、あるいは黒い鉛が見つかるだろう。また上部には、多量の滓があることも多い。味を確かめれば、それが葡萄酒の澱に似ていることが分かるだろう。それらを取り除くと、黒い鉛の内側に、そこに含まれている銅、そこにあるマグネシアが見つかる。これはモリュブドカルコス、またはマグネシアの身体と呼ばれる。私が書いたのはこれについてであり、すべての書物が宣言するのもこれであり、探究者を迷わせるのもこれである。祖先の書物が推奨するのは、このモリュブドカルコスである。アポロンの説明によれば、それはマグネシアの身体であり、銅であり、テオフィロスが銅の冠を受けるという身体である。ヘルメスもまた、『君が処理法と分量を学びたいと望むマグネシアの身体……』といっていた。これについて私たちは、辰砂が白化であり、また黄化でもあると述べた。ただし黄化には、物質を前もって白くしておく必要がある。以上が、私たちが記述した処理法である。
哲学者の石について
III.xxix 賢者の石について
注 章番号は巻の目次・作品境界一覧によりIII.xxixと確認。OCRの「1Π. xxx」を補正した。
1. マリアはいう。『私たちの鉛が黒いのは、黒くなったからである。普通の鉛は、初めから黒い。それでは、私たちの鉛はどのように作られるのか。金属体からその状態を取り去り、その状態を失った身体を金属体の状態へ戻さなければ、また二つのものを一つにしなければ、期待することは何一つ起こらない(2)。全体が火の中で精妙化されず、霊に変えられた昇華蒸気が上昇しなければ、何一つ完成に至らない』。またこういう。『単なる鉛によって、とはいわない。私たちの黒い鉛によって、というのである。黒い鉛は次のように調製される。焼成によって、普通の鉛を再び作るに至るのである。普通の鉛は初めから黒いが、私たちの鉛は初めには黒くなく、そのあとで黒くなるからである』。
2. 哲学者たちは、石のすべての操作を四つの段階に分けた。第一は黒化、第二は白化、第三は黄化、第四は紫への染色である。黒化、白化、黄化のあいだには、細かくすりつぶすこと、あるいは浸漬と、各種の物質の洗浄が入る。さて、これらは、喉のある装置(3)による処理と、各部分の結合を通じてでなければ、実行することができない。
3. 哲学者ペラギオスはいう。『紫への染色が始まったことは、次のしるしで分かる。内部に生じる染色こそ、真の紫への染色であり、金のイオスとも呼ばれたものである。それを成し遂げれば染色は生じ、そうでなければ生じない。したがって、染色が奥深くまで浸透するよう注意しなさい。そうでなければ、染色は生じない』。
4. アラバストロンは最も白い石、エンケファロス石(4)であり、燃える薄片のような石である。神なるゾシモスがいうとおり、それを取り、粉にし、酢に浸し、布に入れて、すべてを馬糞または鳥の糞の中へ二十日間埋めなさい。
注 pierre encéphale は歴史的な石の呼称。現代の特定の鉱物名に断定せず、エンケファロス石と表記した。
5. 硫黄は二つあり、組成は一つである。したがって水銀も二つあり、デモクリトスによれば、それは白い組成物と神なる水である。神なる水を硫黄に混ぜると、物質は硫黄質となる(1)。これらの物質には、互いに大きな親和性があるからである。
6. シュネシオスは『造金』の論考で次のように述べている。『デモクリトスは、辰砂から得られる水銀、といった。また白の論考、すなわち『造銀』では、サンダラケから取り出される水銀、などといった』(2)。
7. ディオスコロスはこういった。『蝋が付け加えられた色を取り込んで変化するように、水銀もまた変化する』(3)。
8. 黄化は二つ、白化は二つ(4)、組成も乾いたものと液体のものの二つがある。黄の一覧において、乾いた組成物とは植物と鉱物である。液体の組成も二つあり、一つは黄に、もう一つは白に属する。黄色の液体は、サフラン、クサノオウ、およびそれらに類する黄色の植物から生じる(5)。白い組成には、乾いた物質の中ではクレタの土、キモロスの土など、すべての白い物質が含まれる。また白い液体の中では、大麦の煎じ液、すなわちビールであろうか、それに類するものなど、すべての白い水が含まれる。
9. オリュンピオドロスはいう。『浸漬は、メキル月の二十五日から、秋の最後の月の二十五日まで行う(6)。浸漬し、洗い流すことのできるものはすべて、適当な容器の中で沈殿させなさい。泥質の土を浸漬し、泥質の部分が去って鉱石が分離されるまで続ける。この術は火を用いて行うものではない』。
10. 操作全体の加熱期間は四十日である。
古人は、多くの論述の下に術を隠し(1)、神なる水に数多くの名称を与えた(2)。
11.マリアはいう(3)。「すべての金属体が火の作用によって微細になり、昇華した蒸気が霊へと変えられて上昇するのでなければ、何事も成就しない。」
モリュブドカルコスとは、エテシアの石である。
この作業の全体を通じて、調製物は初めから黒い。
すべてが灰になるのを見たなら、そのとき自分が正しく作業したと知るがよい(4)。この滓を粉末にし、可溶性の部分を取り尽くし、融解するたびに、刺激を除いた水で六、七回洗え。作業は融解によって、また鉱石の品位に応じて行う。実際、この手順と洗浄に従うことで、マリアのいうように、「配合物は和らげられ、その構成要素を備える」のである。
イオシスの終わりに投射を行うと、液体には安定した黄化が生じる。
こうすることによって、内に隠れた自然本性を外へ引き出すのである。実際、彼女はいう。「それらの自然本性そのものを変えよ。そうすれば、求めるものを見いだすであろう。」
12.配合には二つある。白化と黄化である。また、白化にも黄化にも二つずつあり(5)、一つは液中で溶きほぐすことによるもの、もう一つは加熱によるものである。溶きほぐしは任意の方法で行うのではなく、ただ聖別された住まいでのみ行う。そこには湖と大きな魚がいる(6)。
13.マリアはいう。「雄と雌を結び合わせよ。そうすれば、求められているものを見いだすであろう(7)。」また、マリアは別の箇所でいう。「手で触れてはならない。それは火性の調製物だからである(8)。」
14.二つの配合物には、たとえば……など、さまざまな名称が与えられる。(仏訳編者注:182頁の冒頭で訳した本文の再掲。)
15.配合物を扱う器具はガラス製でなければならない。そうすれば、作業者が手で触れる必要なしにイオシスを行えるからである。というのも、水銀は金を溶かしたとき致命的となり、すべての金属のうちで最も有害なものとなるからである。
注 水銀の毒性に関する記述は歴史的著者の主張を訳したものであり、現代の安全基準や操作指示ではない。
16.焼成で目指すのは、まず白化、次いで黄化である。彼はいう。最初の作業のために白い調製物の半分を投射し、このようにして煎じよ。残りの半分はイオシスのために取っておく。ペビキオスがあちこちで「調製物を二つの部分に分けよ(1)」というのも、このためである。また、彼は「一方を焼き物の器に収め、他方を銅と一緒に置け(2)」ともいった。焼き物の器によって加熱を、銅によってイオシスを示しているのである。「月桂樹の薪の火で、すなわち白い配合物の中で、銅を焼け」というとき、彼が述べようとしたのは白化であった。
17.アガトダイモンはいう。「神なる水を昇華した蒸気とともに煎じよ。このようにして焼き、白化を行うのである。」またいう。「前に述べた蒸気に少量の明礬を混ぜたのち、ひまし油または西洋わさびの油とともに加熱せよ(3)。」
18.ゾシモスはいう。「この作業を正確に成し遂げるには、青銅の鷲を、一年の365日すべてにわたって洗わなければならない。」以下、論考の全体を通じて同様に述べている(4)。
19.神聖なるソファルはいう。「私は青銅の鷲が清らかな泉へ降りてゆくのを見た、等々。」(仏訳編者注:125頁ですでに掲げた五行の再掲。)
20.マグネシアという名は、結合によって一つになった物質を混ぜ合わせることに由来する〔括弧内のギリシア語は、この転写では判読未確定〕。
注 括弧内のギリシア語OCRは破損しており、この単語の確定転写は留保する。フランス語本文の意味は訳出した。
21.神聖なるゾシモスはいう。私の卓越した師デモクリトスは、正しくもこう述べた。「石ではない石を受け取れ。」(仏訳編者注:130頁ですでに掲げた一節を、「雌ロバまたは山羊の乳」という言葉まで再掲している。)
22.ゾシモスはいっていた。「強く加熱することを恐れるな。金属体の液性の要素を取り尽くせ。銅を加熱する方法は千もある(5)。――
それらは銅をいっそう染まりやすくする。自然本性を外へ引き出せ。そうすれば、求められているものを見いだすであろう。自然本性は内に隠れているからである。さて、その自然本性が取り出されると、もはや白は見えなくなる。しかし、前に述べた水銀の排出ののちには、予告されたイオスの黄化によって黄色が現れる。自然本性を変えることは不可能だという人々は、いったいどこにいるのか。見よ、自然本性は変えられるのである。それは固定され、黒へと戻ることによって金の性質を得る。実際、水銀の排出から生じた湿り気が、乾いた粉末の固体をなす土的な自然本性の中を巡りながら、この水銀排出に固有の性質に従って液性を溶解し、追い出すのでなければ、期待されることは何一つ起こらない。加熱によって液性の要素を溶解し、取り尽くすのでなければ、期待されることは何一つ起こらない。生成物を溶解して加熱し、次いで冷却するのでなければ、期待されることは何一つ起こらない。しかし、すべてが所定の位置と順序に従って行われるなら、神の摂理の助けによって成果に至ることを望めるであろう。」
23.流産が起こらない場合、懐胎の期間は九か月を下らない。すべての生成物の加熱時間、とりわけ薄板を扱う場合のそれは、九時間を下らない。これが懐胎の仕方である。杯形の祭壇の上で行う作業の時間については、浸漬を考慮しなければならない。実際、作業の仕方が三つあることを考えよ。第一の仕方は混合に関する。私のいうことをよく理解したなら、穀粒から取った粉と同じように、練り合わせて発酵させた物質をこれが含むとわかるであろう。同じく、液体を過度に蒸発させてはならず、必要が生じる程度だけにとどめる。配合物についても同様である。(仏訳編者注:142頁の第5節を、その末尾まで再掲。)
24.これがエテシアの石である。乾いた投射粉の刺激を洗い去り、乾燥させよ。硫酸塩三部、マグネシア一部、精製した銅一部、乾いた粉末一部を取り、乾いた粉末を固定し精製せよ。七日間、日に当てて白い酢を注ぎながら一緒に溶きほぐせ。次いで二、三日加熱せよ。生成物を取り出すと、血の色の赤に染まった金を見いだすであろう。これが哲学者たちの辰砂であり、黄金の人である。投射粉は液から凝集したのである。火が強すぎると、それは黄色になる。しかし、その場合は役に立たない。
原材料の配合について
III.xxx 配合について
注 次の見出し単位と合わせて「第一の材料の配合について」と読む。
第一の材料の〔前の見出しに続く〕(1)
テオセベイアよ、第一の材料に関する配合は、古人たちの個々の配合を一つの霊のうちに集め合わせた。さらに、灰やそれに類するものなど、彼らの著作の中で知られぬままになっていた配合物の名称を、実際の事実によって示す。さて、哲学者によれば、どの物質が耐火性を生み出すのか(2)、水銀と合金になった金属体が水銀に火への抵抗力を与えること、その他のことを知る必要がある。というのも、賢者は第一の材料を取り、初めから終わりまで進むからである。しかし私は、完成した生成物をここに置くことができなかった。これらの著者の中にそれを見いださなかったからである。デモクリトスが述べなかったことを説明することはできなかった。散在する事柄をもっともらしく集め、寓意的な事柄を解釈するほか、何もできなかった。注解で行うことが許されるすべてを、私は行った。健やかであれ。
乾いた投射粉について
III.xxxi 乾いた投射粉について
1.真の投射粉には三つの能力と、その能力から生じる三つの作用がある。それは染色、浸透、固定である。数学的な物体には、長さ、幅、深さという三つの次元がある。自然的な物体は三方向に広がり、さらに形を取ることができる。すなわち、長さ、幅、深さ、そして形を受け入れる能力を持つ。同様に、われわれが扱う種類についても、染色、浸透、固定、そして持続する輝きを述べることにしよう。さて、物体には三つの次元がある。われわれはそれを、形のあるもの、形のないもの、そしてあらゆる形を取りうるものとして示す。その質料は、投射粉の能力と作用を受けるのである(1)。
イオスについて
III.xxxii イオスについて
1.イオスに固有の能力は、それを支える実体を補完するものであり、分割できないものと考えられるかぎり、その実体の一部である。この能力がなければ、実体は不完全なままである。実際、ポルピュリオスがいうように、実体の諸部分もまた実体である。実体が能力を生み、能力が作用を生み、作用が現実に働くものを生むからである。したがって、実体に属する能力は実体から生じ、実体から切り離せない。
原因について
III.xxxiii 原因について
1.自然学者アリストテレスによれば(2)、生成したすべてのものには四つの原因がある。すなわち、作用因、質料因、道具因、そして種を定める原因である。たとえば、扉の作用因は、それを作った職人である。質料因は木材、鉄、強い膠である。道具因は斧、錐などである。種を定める原因は、扉の質料そのものの種類、あるいは何か別のものである。プラトンによれば、さらに別の二つの原因がある。――
範型因と目的因である。
処女を縛ること
III.xxxiv 乙女を縛ること
1.水銀の火を火で処理し、霊を霊に結び合わせる。それは、この逃げ去るダイモーンである乙女を、その手によって縛るためである(1)。
ペルシア人たちのさまざまな骨は、激しい火によって焼成され(2)、それ自体の揮発性を失った。
2.二つの金属体に立ち戻ろう。混合物の中で結び合わせ、変化させたのち、それらは再生される。魂のないものは魂を与えられ、身体のないものは身体を与えられる。そして、それらはほかの変化を受け入れない。
金属の人々
III.xxxv 金属の人々
泉の中に見えるこの青銅の人は、身体を変え、アセムの人となった。数日後には、それが黄金の人に変わっているのを見る(3)。酸性の塩水をそれに注げ。このようにして、それは白くなり、適切なものとなる。
カドミアの洗浄
III.xxxvi カドミアの洗浄
1.銅の調製で残る葡萄房状のカドミアを取り(5)、揺り動かして細かく分けよ。注意深く粉末にし、次いで磨り潰し、水の中へ投じよ。杵で再び水中で磨り潰し、それから手で溶きほぐせ。生成物が適度な状態になったら、沈殿させよ。よく水を切ったのち、再び水を注いで同じことを何度も繰り返し、水に泡が生じなくなるまで続けよ。よく水を切ってから、日に当てて乾燥させよ。
染めについて
III.xxxvii 染色について
1.黒い染色を適切に行わなかったなら、銀の作業はもはや適度に調整できない。アガトダイモンに従う人々は、このように溶きほぐして行う染色を「上位の染色」と呼ぶ。一方、煎じることを「単純な染色」と呼ぶ。彼らは単純な染色と上位の染色を区別するからである。したがって、彼らのいう単純な染色とは銀への染色、上位の染色とは金への染色を意味する。焼くという行為について、次の言葉が見いだされる。「単純な染色のために焼くことと、上位の染色のために焼くことは別である。」希薄化、自然本性の変化に至るまで、そのほかのすべて、要するに他のあらゆる作業を、彼らはその言説の中に隠している。
注 ギリシア語括弧注のOCRに破損があるため、訳文ではフランス語本文が示す二種類の染色を訳した。
黄化について
III.xxxviii 黄化について
1.「女よ(1)、すべての人が、白化のすぐあとに黄化が続くと考えていたわけではない。ところが多くの場合、白い配合物は加熱すると黄色に変わる。」そして少し先にいう。「ある人々は、これらより優れたことを行った。すなわち、冷ましながら、定められた日数のあいだ、黄色い神なる水を日に当てて蒸留し、精留した。それから煎じ、加熱した。」さらに少し先にいう。「石灰二部と硫黄一部で調製した、精留済みの神なる水(2)。これを壺の中で煎じ、上澄みを移す。それから再び煎じる。これが、二つの色を得るために投射する硫黄の水である(3)。」
空気の水
III.xxxix 空気の水
1.「この配合には、まず若干の液体が必要である、等々。」(仏訳編者注:オリュンピオドロス、97頁の最初の段落全体から取った一節。)
2.鉱石については、誰もがこの点を説明している。あなたが信じようとしないので、まずそれに関する証言を掲げよう。ゾシモスは、テオセベイアに宛てた『最後の総括』という書で、次のように説明する(2)。「女よ、エジプト王にとって、すべてはこの二つの術にかかっていた。分析の術(3)と、天然の産物および鉱石の術である。これは変成の神聖な術であり、実作業に携わるすべての者にとっての教理の術である。すなわち、金属の製造に関わる四つの術のことを私はいっている。この神聖な術は、ただ祭司たちだけに明かされた、等々。」(仏訳編者注:続きは97頁の末尾まで、さらに98頁の冒頭の「彼らは罰せられるであろう」という言葉まで。)
3.これが古い著作で名高い世界の像であり、エジプト人とエジプトの聖刻文字の書記たちの神秘的な乳鉢である。それによって、自然本性同士の親和性が、同じ実体を持つ自然本性を魅了する(4)。ここにオルペウス的な同質のもの、そしてヘルメスの竪琴がある。この竪琴の中で、物質の快く調和した結合が成し遂げられる。儀式に従って混ぜ合わされると、それらは地上〔か〕から天上の合唱隊へと飛び立つ。火がそれらの変成を行うのである。
4.その次には、黒化と白化のあいだに、生成物の浸漬と洗浄が行われる。白化と黄化のあいだには、融解による処理がある。同じように、黄化と紫色への染色のあいだに置かれる中間の作業は、配合物を二つに分けることである。白化の終点は、乳房形の器具による処理である(5)。
5.第一に、黒化では、融けた生成物を灰から分離する。
第二に、浸漬では、灰を液から分離する。
第三に、次いでアスカロンの器の中で、焼いた物質を七回繰り返し洗う。この洗浄は第一の白化であり、物質の黒い着色が消えることである。
第四に、少量の白い水または黄色い水との混合による白化は、実作者たちが求める、この蜜の巣房を生み出す(1)。
第五に、黄化が続く。白化は黄化へと導くからである。
第六に、そこで配合物を二つに分けることが行われる。
第七に、こうして二つに分けたのち、その一方を取る。それはイオスへと変わり、軟らかくし、溶きほぐし(2)、固定を成し遂げる。
6.彼はいう。他の人々も(3)、色について、煎じることについて、そして秘密の理論の作業について説明した。まず銅を投射する。工房で処理されたのち、それは目を喜ばせる。次いで、樹脂を用いて調製した金や金の液などを使って作業すると、時がたつにつれて色合いがより明るくなる(4)。
白化について
III.xl 白化について
1.最も重要なことは白化であると、あなたがたは知らなければならない。白化ののち、秘儀が成就するとすぐに黄化させる。
2.白化は焼くという行為にある。さて、焼くとは、火によって再び生かすことである。なぜなら、そのような物質は自ら焼かれ、自ら再び生きるからである(5)。それらは自らを受胎させ、こうして哲学者たちが求める生き物を生み出す。
3.白くすれば、容易に染められるであろう。そして紫色または――
辰砂色に染めるなら、ディオスコロスよ、あなたは幸福になるであろう。それこそが、不治の病である貧困から解き放つものだからである(1)。
エジプト人ソフェの真正な書 テーバイのゾシモスの秘義の書
III.xli エジプト人ソフェの真実の書
ならびにヘブライ人と万軍の神なる主の書/テーバイ人ゾシモスの神秘の書(2)
1.これが水銀の尺度である。
アガトダイモンはいう。「加熱し、金を取り出せ。」銅を投射する。二つの金属からなるマリアの薄板が得られる(3)。油と蜜によって染色するために、それを火で加熱し(4)、水銀で再び処理する。これが正規の作業である。再びイオスの状態にした銅を、水銀の尺度に従って金とともに融かせ。
マリアはいう。「配合物がひとりでに形成されたとき、または酢入りの塩水によって形成され、加熱されたとき、硫黄、すなわち昇華した硫黄とともに、フラスコの中かケロタキスの上で溶きほぐせ。次いで注ぐか、溶きほぐし、作業を成し遂げたかどうかを見よ。ある黄色によって成し遂げられなかったなら、染色に先立つ材料とともに、われわれのイオスを用いよ。金を完全にするには、それが必要である。そうしなければ、金は黄色にならない。したがって、染色に先立つ材料とともに再び投射せよ。あるいは、変成した銀とともに溶きほぐせ。輝く黒いもの、イオス一部、生のミシュ、そして染色に先立つ材料を用い、銅の一部を溶解するのである。
2.それは加熱される。たとえ水銀を含んでいなくても、加熱しなければならない。火の作用が及ぶ前には、染色はないからである。適切な材料による浄化の作用を受けさせ、純粋であることを確かめなければならない。試験せよ、あるいは融かせ。ユダヤ人たちの手順と、……の手順、この二つを知っているなら、私が説明したすべての事柄を細部まで実行して試すことを恐れるな。
この説明に曖昧さはない。その目的は、運があなたに味方しているか、完全に成功したかを試すよう促すことにある。これらの知識に支えられれば、あなたは失敗しない。それどころか、この方法によって貧困に打ち勝つであろう。とりわけ、障害を乗り越える才能と手腕があるならば。何千もの著作で、銅を適切に白くし、黄色にする方法が教えられている。銅はイオスに変えられて初めて、倍加による合金化に適したものになる。千もの方法で系統的に処理できるが、合金に適したものになる道はただ一つ、われわれの真の銅になることである。これが方法のすべてである。これこそが有効な染色、彼らが教えた染色、幾世紀にもわたって探し求められ、この仕方によるほかには見いだせない染色である。この効果にふさわしい原理が何であるかは、硫酸塩についての著作で示した。そこでは銅がどのように染めるかを述べ、鉛や、染色を受け入れうるすべてのものについて語っている。
エジプト人ソフェの真正な書
III.xlii エジプト人ソフェの真実の書
ならびにヘブライ人と万軍の神なる主の書
1.エジプト人ソフェ、ヘブライ人と万軍の神なる主の真実の書の言説。知識には二つ、知恵にも二つある。エジプト人のものとヘブライ人のものであり、後者は神の正義によっていっそう堅固にされている。最も優れた者たちの知識と知恵は、両者を支配し、古い時代から伝わる。彼らの一族には王がなく、自立し、非物質的である。物質的で滅びる身体の何物をも求めず、外から作用を受けることなく働き、いまは祈りと神の恩寵に支えられている。この術の象徴は、信奉者たちの目には創造から取られている。彼らは諸元素に縛られた神聖な魂を救い、浄め、とりわけ肉体と混ざり合った神聖な霊を分離する。火の花であり、世界の右眼である天上の太陽が存在するように、銅もまた、浄化によって花となる、すなわち金の色を取るなら、地上の太陽となる。そして、太陽が天で王であるように、地上で王となる。
2.ここに(1)、デモクリトスのもののように、太陽の真の色を伝える完全な染料がある(2)。また、染色を伝える一なるもの、スキタイのコマリス、銀の完全な染料、イシスの染料(3)、ヘロン〔ホルスか〕が告げるものがある。ここに金の精製と金の液がある。
銀の液を銀に注ぎ、シデロカルコスと反応させると、銀を生み出す。これらの染料は、反応の中で銀の色を伝える。また、二倍化と三倍化(4)、金と銀の合金をも生み出す。したがって、金も銀も用いず、人為的な手段によって作業するのがよい。混ぜ物があり、不調和で、真の金を生まなかった材料なら可能であるように、あとから金と銀を分離できることのない、そうした二倍化を成し遂げるべきである。こうして、陰りのない銅を得たなら、白化する調製物で白くし、黄化する調製物で黄色にせよ。カドミアまたは辰砂で染めよ。このようにして、ウルカヌスの神殿では金が作られる(5)。灰の製造について述べたとき、私はこのことを明言した。染色の秘義のすべては、その中に隠されているのである(6)。
3.銅を白くし、黒くし、黄色にしたのち、アセムを染め、白くした銅の助けによって金を得る。実際、すべての種類は銅から生じる(7)。辰砂、カドミア、金、サンダラケ、その他のもののことである。鉛は多くの金属体へ変わる。冠に用いる銅も同様であり、それはこれらの金属体から生じる。ウルカヌスの神殿で、あなたは金を製造する方法を見いだすであろう〔文は次頁へ続く〕。
注 初期OCR抽出が本文末尾を脚注と誤認したため、原本207頁の末尾約6行を画像から復元した。次頁冒頭の「l’or」と続く。
〔前頁末の「金」に続く。〕これらの金属の混合から、すべての種類が生じる。その処理は、ある物質から別の物質を生み、処理の過程では実にさまざまな形が生まれる。そのすべてを評価し、最良のものを用いよ。
テオドロスに宛てたゾシモスの諸章
III.xliii ゾシモスからテオドロスへの章句(1)
1.エテシアの石について。すなわち、それは「全体」から構成され、エテシアの石として(2)大きな効用を持つ。実際、処理の中でさまざまな色を現す。ケロタキスによる処理ではある色を、油状の液体になるまで融かす作業では別の色を、すなわち黄色と黒色を現す。黄色には、肝臓の赤みを帯びた色、没薬の色、蝋の色など、あなたの知るさまざまな色合いがある。黒色は金に似て、きらめくこともある。さて、黒化に有効なものは、黄化にも有効である。黄色はまた、非常に安定した血の色となり、最後には乾いたサフランのようになる。これらの著作に従い、硫黄とともに二、三回焼き、しばらく糞の中で温浸すれば、変化して堅固に黄化した色が得られる。最初の変化が、悪い方向でなく、よい方向に起こったからである。これが、真に堅固な染色のための、固定処理と呼ばれるものである。
2.染色、すなわちイオシスの中で生じる変化が、白とも黄色とも呼ばれないことについて。実際、先の二つの硫黄は、染料と同じく、白と黄色という名を与えられた。しかし、染色そのものは、変化であれ分解であれ、さらに進んだ作業なのである。
3.硫黄と呼ばれる、別の二つの金属体について。それらは初めのものと同じ種類の硫黄ではなく、今日「硫黄的」または「神聖」と呼ばれている配合物である。硫黄であるからではなく、それらの金属体によって成し遂げられる神聖な業のために、そう呼ばれるのである(1)。
4.配合では、まず固定する質料、火に耐える質料、染める質料が形成されることについて。第一と第二は天然のアセムにおいて、最後のものは染色によって得た金において、われわれに現れる。しかし、問題の解決はそこにある。
5.子宮の中で、われわれには見えない仕方で、固定する質料が種と血という二つの要素から形成され、その後、形成された生き物が火に耐えることについて。それが染められる、すなわち色、形、大きさを受け取るのは子宮の火の中であり、すべては見えない場所で起こる。しかし、その存在が産み出されると、われわれに姿を現す。このように作業しなければならず、著作やその他の教えにおける同名異義(2)に惑わされてはならない。
6.分解について、血の生成について、発酵、変成、再生について、イオシス、精製、そしてイオスのさまざまな名について。
すなわち、イオスは、天然の硫黄の水、スキタイの血色のコマリス、金の種とあらゆる種、銅のイオス、銅の水と硫酸塩の水、銅の花と銅質の調製物、蜜の調製物、穏やかで破壊されない物体と呼ばれる。この最後の名は、穏やかにされ、その結果、有害な作用物からの侵食に耐えるようになることによる。
それには男性、女性、中性の名が与えられただけではない。「銅の小さな水」のような指小形も与えられた。他の人々は「小塊の水」という。この塊とは銅である。だからこそ、ユダヤの聖典やあらゆる文書には、モーセが主の命令に従って得ていた、尽きることのない塊(3)が語られるのである。
さて、この語は時とともに訛り、「小塊」となった。他の人々は、水を汲むのに用い、乳首状の突起を備えたファノスに由来するとする(1)。
7.水の中で〔か〕消された火のざわめきについて、また震える音、すなわち息が退くことによって生じる笛のような音について。あるいは、吸引、吸気、呼気によって生じる息について(2)。
8.祭司たちのある者が、偽りのない著作を見いだすと、その著作の論証に従う以外の仕方では作業できないと考えたことについて。
9.イオシスの術が、他の二冊にも関係することについて。実際、種の点では異なるとしても、属の点では同じである。それもやはり染色の術なのである。
10.精製、陰りの除去、変成、隠れた自然本性の抽出、火による再生について語られることについて。これらはすべて、白化を意味する。
11.白から黄色へ、黄色から白へ至る有効な処理について。とりわけ硫黄に関しては、哲学者が液体の最後の分類で述べることを調べなければならない。「固定せよ。砒素一オンス、硫黄半オンス、樹皮一ポンド。これらを一緒に量れ。黄色にするには、樹皮を一緒に量る代わりに、サフランとクサノオウを入れよ。白い土の代わりには、同量の黄土、シノペの土、硫酸塩、またはソリを用いよ。一緒に量るものに含まれない材料については、医師の子らのように、巧みに一つに合わせよ(3)。液体は、あなたの知る少数のものを除けば、ほとんどすべてありふれたものである。」
12.われわれが恐るべき労苦を引き受けたことを理解すべきであるという点について。共通の本質へ帰着させようとした、すなわち今、自然本性同士を結婚させようとしたからである。あらゆる言説がわれわれ自身に明かされたこと、この言説の中で何を探すべきかということ、そして、この術が「それは何か」「どのような本性を持つか」「なぜそうであるのか」という問いに帰着することについて。
13.古人たちのすべての染色が、堅固な配合、すなわちイオシスの手順に従って実現されることについて。実際、イオス一部と、処理された物質、すなわち染色用と呼ばれる粉末一部を入れて加熱すれば、正確な結果が得られる。
14.燃えない材料とは、燃焼を受けうるものをもはや持たず、すでに焼かれたものだけを持つ材料であることについて。木材もそのようであり、分利期ではない発熱の際の動物の体液も同様である。
15.焼かれた材料の残り、すなわち滓が、「全体」の成就した作用を表すことについて。
16.四元素が相互に変成することについて。土と水に由来する物質は、火へと変わるだけでなく、上方へ運ばれもする(1)。火は上昇するからである。彼がこの像を取るのは偶然ではなく、この術とその諸種類のためである。これらの物質は、初め土と水であり、火となって上へ運ばれる。実際、元素同士が対立するのは固有の性質によってのみであり、実体によってではない。実体は、実体であるかぎり、別の実体と反対ではないからである。哲学者が四元素を実体と呼んだのも、このためである。それらは自らの実体性を一つにするため、外側に塗られた調製物を内側へ引き寄せる。それらの中で溶けた元素が万事を成し遂げるように、この術もそうする。また、四つの変成がそれ以前の混合物を制するように、われわれの術も、変成によって自然本性を制する。
錬金術の諸区分について
III.xliv 化学の術の区分について
1.有益な言説そのものを求めるべきことについて、また、言説の術について何をいうべきか。それが一つの術であるというべきか。それとも、「それは何か」「どのような本性を持つか」(1)と問う前に、「なぜそうであるのか」と問うべきか。概念に関して、彼らは一つずつ別々に説明したが、皆、不合理で当惑していた。分割できない難問に出会うことがあるからである。
音楽の最も一般的な線が四つ、Α、Β、Γ、Δあり、それらからさまざまな種類の24の線が作られるように、また音について述べたように、中心と斜線もあり、奉仕〔礼拝か〕、啓示、あるいは聖なる学知の他の部分に用いる讃歌の無数の旋律を、これ以外の仕方で作ることは不可能なので……。(仏訳編者注:意味の通らない文。)
〔仏訳編者による省略の告知〕次に、音楽と、その区分を化学の区分に比較する長い説明が続く。第2・3・4節は、訳す必要がないと判断した。
5.最も優れた哲学を四つの部分に分け、対象をその本性に従って配分するなら、一般的な学知と特殊な学知、さらにさまざまな主題の類を見いだす。同様に、錬金術の哲学を正確に四つの部分へ分けようとすれば、その中には第一に黒化、第二に白化、第三に黄化、第四に紫色への染色があることを見いだす(2)。また、順序立てて進むのであれば、先に述べた各部分には、線と線上の主要な点のあいだに、中間の細区分と選別がある。同じように、錬金術でも黒化と白化のあいだには、物質の浸漬と洗浄がある。白化と黄化のあいだには、水簸がある。次いで、黄化と紫色への染色のあいだには、配合物を半分に分けることがある……。しかし、紫色への染色は、喉部を備えた器具による処理と、各部分の結合なしには完成できない。われわれの学知では、他の仕方で進むことはできない。エピベキオスのように、白化に触れずに黄化を研究した人々がいたとしても、浸漬や物質の洗浄を述べずにそうしたわけではない。これらはいま、完全な白化の研究に含まれているのである。
〔仏訳編者による省略の告知〕第6節は興味に乏しい。
7.本巻の題名は、金の製造、銀の製造、水銀の固定を扱う金属と化学の書である。この書は、蒸気、生き物から得られる染料、緑色の石、柘榴石、その他あらゆる色の石の染色、真珠の製造、そして皇帝のための皮革製品を茜色に染めることを扱う。これらすべては、塩水と卵を用い、金属の術によって生み出される(1)。
水銀の製造
III.xlv 水銀の製造
1.鉛白とサンダラケを等量取り、塊が濃くなるまで酢で溶きほぐせ。次いで、錫引きしていない器に入れ、銅の蓋をかぶせ、周囲をすべて封泥でふさぎ、炭火で穏やかに加熱せよ。作業が適度に進んだと思ったら、少しだけ蓋を開け、羽の枝を用いて水銀を取り去れ(2)。
2.金色の鉱石を取り、粉末にし、生成物が十分乾くまで水分を蒸発させよ。それから塩と混ぜ、炉で一昼夜加熱せよ。取り出したのち、溶けた塩が流れ去るまで洗え。再び乾かし、酢で練り、材料に染み込むまでしばらく置き、それから乾かせ。今度は洗わずに炉へ戻し、酢で練りながら、これをもう一度行え。材料が朱のようになるまで、四、五回炉へ戻せ。次いで、同量のアセムの滓を取り、粉末にして混ぜよ。
それから融かしたのち、二つの部分に分け、これら二つの生成物を鉛に振りかけ、これらの材料が散逸するまで加熱せよ。乾かしたのち、硬くなった鉛を見いだすであろう。それを小片にして融かし、金属を現れさせるために送風せよ(1)。
3.金を運ぶエジプトの川の岸から土を取り、上等の小麦粉を作るときに生じるふすまを少し加えて練れ。あらかじめ掻き混ぜ、混合し、練り物を作ったのち、焼き物の器の中で再び混ぜ、二つの物質が完全に一体となり、パン生地のようになるまで続けよ。それから取り上げ、小さなパンの形にし、板の上に注意深く並べ、材料がよく乾くまで日に当てて水分を飛ばせ。次いで乳鉢に入れ、取り上げて新しい鍋へ移せ。鍋を注意深く閉じ、地面から一掌幅の距離に置き、糞で覆い、下で火を焚け。炎が生じたら蓋を開け、鉄の道具で掻き混ぜ、全体が焼けて黒い灰のようになったと認められるまで続けよ。そうならなければ、同じ手順でもう一度掻き混ぜ、蓋をして一緒に加熱し、次いで火から下ろして一日冷ませ。この材料を両手で一掴み取り、焼き物の器へ投じ、水銀を加え、手で規則的に掻き混ぜよ。次いで鍋からもう一掴み取り出し、水一杯分を加えて洗え。さらに水一杯分を加え、同じように洗え。鍋が空になるまでこうして行い、その後、水銀に達するまで注意深く洗え。布に入れ、液がなくなるまで注意深く絞れ。布をほどくと、固体の部分を見いだすであろう。これを行ったのち、生成物の小さな球を新しい皿に置け。中央の材料を取り去って小さなくぼみを作り、そこに小球を置いて覆え。皿は、中央部からその幅の半分に至るまで、どこでも等しく突き出すように据えよ。再び鍋を覆い、それが皿に密着するようにせよ。鍋を台の脚の上に置き、乾いた薪か牛糞を使って明るい火で加熱し、皿の底が焼けるように熱くなるまで続けよ。近くに水を用意し、海綿で調製物を湿らせよ。その際、水が皿の中へ落ちないよう注意せよ。加熱後、皿を火から下ろし、覆いを取れば、求めるものを見いだすであろう(1)。
焼いた銅の多様性について
III.xlvi 焼いた銅の多様性について
[旧訳編者注]第一段落は、154頁のIII.xiiiと同一である。
注 原版のOCRが篇番号を損なっているため、目次と本文の該当篇によってIII.xiiiとした。
2. 昇華蒸気は、コバティアの弱い火にかけたアランビックによって焼かれた物質である。
下部から取った鉱滓による固定こそ、古人の預言者たちが得ようとしたものである。誰もがこれによって鉱石を意味する。金属体の物質が四体性と呼ばれること、またエジプト人たちが黒い鉛を得たいと望んだことによる。この操作の中に黒化がある。鉱滓が秘儀のすべてであることを知れ。古人が黒い鉛について語るのは、それが実体の支持体だからである。これはどのように起こるのか。身体を非物体的にせず、二つから一つを作らなければ、待ち望む結果は何一つ生じない。すべてが微細にされ、昇華蒸気が霊の状態となり、次いで固定されなければ、何も完成しない。モリュブドカルコスのことであるのは、二つの鉱滓の処理が示している。そこで鉛を用い、次のものを取って液を調製せよ。ナトロン四部、丸い明礬一部、ミシュ二部、カッパドキアの塩四部。すべてを非常に強い酢へ入れ、液を作れ。これらの操作では、金属箔から光沢を取り除く。このようにして、液は始まりであり終わりであると認められた。すべてが灰になったのを見たら、火による調製を正しく行ったと理解せよ。そこでこの鉱滓を粉にし、可溶部分を余すところなく取り出せ。融かすたびに、穏やかにした水の中で六回、七回と洗え。これらの融解は鉱石の豊かさに応じて行う。この道と洗浄に従えば、配合物は穏やかになる。イオシスの操作が終わった後、投射を行うと安定した黄化が得られる。こうして、内に隠された自然を外へ出すのである。実際、彼は言う。『自然を変容させよ。そうすれば求めるものを見いだすだろう』。
装置と炉について
III.xlvii 装置と炉について
1. 以下に炉を説明する。哲学者はそれに言及せず、角柱形の装置やその他の装置だけを語った。それらについては、火の調節法に関する私の注解に書いた。メンフィスの古い聖所で、私はそこにある炉を詳しく見た。それが聖なる事柄への入門者たちによって整備されたのではないと分かった。健やかであれ。
2. マリアは数多くの装置の構造を述べた。神なる水、すなわち硫黄の水に関わるものだけでなく、多種類のケロタキスや炉も述べている。まず説明しなければならないのは、硫黄のための装置である。その中では最初に、ガラスの受器、土製の管、乳房状のフラスコ、細い首の器について語らなければならない。管は、受器の開口に対して適切な比率で据えられ、その細首の器へ入る。


神なる水を集める別の方法もある。この場合、管はトリビコスのように配置せず、長さ一キュビットまたは一キュビット半の、別の銅管の先に置く。同じように単独の受器を取り付け、銅管の下には、火に触れていない硫黄を入れたフラスコを置く。すべてを配置した後、熱する。これがその型である。どの場合にも、水を満たした鉢を用意し、海綿で器の周囲全体を冷やさなければならない。

3. 硫黄に関して、蛇の形をした台座をもつファノスや、同様の装置を使う者もいる。また彼らは、その中で黄色い水銀だけを硫黄の蒸気にさらして固定する。この点で、ファノスがここで役割をもたないことを隠した古い著作を、誤解している。私はその記述を読んで驚いた。そこには二つの秘儀が隠されていたからである。われわれは、白く、すべてを白化させる硫黄による燃焼が、どうして水銀だけを黄色くするかを探究していない。この生成物は、可能態でも現実態でも白いのに、白い身体とともに焼かれると、どうして黄色を生むのか。近代の者たちは何よりもこれを探究し、もう一つの秘儀を理解すべきだった。すなわち、水銀は硫黄だけでは固定されず、そのためには配合物全体が必要だということである。
4. お前がこの種の操作を記した著作の朗読を聞いて、私は笑った。『フラスコに、火に触れていない硫黄一ミナを入れよ』とある……。非難に耐えられず、このようなことを書こうとしたお前に、私は驚いた。お前はその哲学者を不当に責めた。彼の言うことを理解しなかったからである。先の注解で私は、水の製造について語っているのであって、蒸留についてではない、と言った。製造と蒸留は別のことだからである。これらの著者は皆、蒸留を詳しく語った。しかし誰も製造を説明しなかった。それは明かしてはならない秘儀、完全に隠された秘儀だったのである。蒸留は、このような性質をもち、このような装置によって行われる。しかし製造、すなわちこの水の配合は、業の詳細な説明の中に記されている。
5. トリビコスを説明しよう。彼は言う。圧延した銅で三本の管を作れ。展延できる板を、蓋と同じ厚さ、またはそれより少し厚く、たとえば銅貨の厚さの半分に整えよ。この条件で三本の管を作り、さらに長さ一キュビット、直径一パルメの太い銅管を作れ。太い管の開口は適切な比率にする。三本の細い管は、小受器の首に合う開口をもつ。親指の管に向かい合って、人差し指の二本の管があり、太い管の先端近くの両側で、留め具によって接合される。この先端近くには三つの孔があり、太い管に接合された管に合うようになっている。これらの孔は、揮発部分が向かう上部の受器へ、中心を外して接合されている。
硫黄を入れた土製フラスコの上に、太い銅管を置け。小麦粉の練り物で継ぎ目を密封した後、水の熱で割れないよう、大きく丈夫なガラスの受器を、細い管の先に取り付けよ。上るものを、哲学者が水は上ると言う装置の中へ導け。

6. 調製と配合に関しては、わが姫よ、この点についてあなたに書くことを、私は恐れない。水の製造には、次のものが含まれる。硫黄、砒素、サンダラケの水、蒸気、酒滓の水、石灰の水、キャベツの灰の水、明礬の水、尿の水、雌驢馬と山羊の乳の水。ときには雌犬の乳、牛乳、そしてアガトダイモンによれば男児を産んだ女性の乳。酢、海水、蜜、トウゴマまたはグリュ(?)、未成熟な少年の尿、ゴムである。それらは次のように作られる。各々の水は、本来の塩水のように調製する。灰の水なら、操作の説明に記した、石鹸洗いの灰汁のように調製する。成功しなければ、水一コテュレで配合せよ。次の種を一オンス用いる。すなわち硫黄一オンスと純水一オンス、砒素一オンスと水一コテュレ……。焼いた酒滓を酢で冷まし、石灰を猫の尿一コテュレで消和し、明礬一オンスを海水一コテュレで練り、赤褐色のナトロンを同量用いる。力を得るため、水を別々に、また一緒に、短時間加熱した後、蜜と油を混ぜ、別の器で乾燥させるか蒸留せよ。白い硫黄が必要なら、キオス土、アステリテス、焼いたコプトスのアフロセレノン、サモス、カリア、キモロスの土、またはアンチモンを水で練れ。青くなった水を器に入れ、地から得た大理石、生のミシュ、そして石灰をもう一部加えよ。古人の著作に従って、石灰は二部用いる。そこでは生成物は『石灰の二重の水』と呼ばれる。フラスコに装置を取り付け、水を上昇させて、用いよ。
注 前頁末のOCR崩れは原版218頁の「t’écrire」を確認して修正。
7. 黄色い水は、次のように調製する。先の規則に従って得た水をすべて用意せよ。各々を別々に加熱し、混ぜ合わせた後、石灰二部を加える代わりに塩一部を加え、白い土ではなく黄色い土を練り込め。われわれは黄色い水を得たいからである。黄色い土とは、アッティカの黄土、ポントスのミニウム、焼いたミシュ、焼いた緑礬、その他同類の物質である。普通に知られる黄色い植物すべて、さらに卵黄、卵のサフラン、倍量のクサノオウを用いる。草は水へ混ぜ込まず、土だけを混ぜよ。その後、普通にするように器を替え、植物を加え、装置の中で四、五回加熱せよ。水を上らせ、ゴムを加えて用いよ。装置を開けると、草は焼け、固有の色、すなわち固有の霊を失っているのが見つかる。この神なる水の最も純粋な部分は、沸き立つ水に銀を浸せば、その染めが消えなくなるほどの効力と本性をもつ。健やかであれ。
ツチアを用いた銀の製造
III.xlviii ツチアを用いた銀の製造
ツチア約二十ヘクサギアを取り、金になるまですりつぶせ。火に触れていない硫黄約五ヘクサギアを取り、鉛になるまですりつぶせ。次いで卵白六個分を取り、表面を清めた後、アランビックへ入れ、二日二晩加熱せよ。取り出して物質が十分に仕上がったかを見て、再び戻し、さらに一日加熱せよ。その後、銅約十ヘクサギアを取り、坩堝へ入れ、先の物質六コテュレを投射せよ。銀が得られる。
装置と炉について 文字Ωに関する真正な注解
III.xlix 同じゾシモスの著作
装置と炉について 文字Ωに関する真正な注解
1. 元素Ωは丸く、二つの部分からなる。物体的な存在の言語では、それは第七の天球、土星の領域に属する。非物体的なものの言語では、明かしてはならない別のものがある。隠れた人物ニコテオスだけが、それを知る。物体的な存在の言語では、この元素は大洋、すべての神々の起源と種と呼ばれる。これが、物体的な存在の言語の基本原理である。この大いなる驚くべき元素Ωという名のもとに、神なる水の装置、単純な炉も仕掛けのある炉も、絶対的な意味ですべての炉の記述が含まれる。
2. ゾシモスはテオセベイアに向かい、好意をもって、これを説明する。『女よ、適切な染めについての説明が、私の炉についての書を嘲笑の的にした。実際、多くの著者たちは、自らの守護霊には好意を寄せながら、適切な染めをあざ笑い、炉と装置についての書は真実に合わないと見なした。自らの守護霊が霊感を与えるのでなければ、どのような言説も、彼らに真実を納得させられない。宿命によって、彼らは受け取ったものを、自らの言葉の中で悪い方へ曲げ、術と自分自身の成功を損なった。同じ言葉が、不幸にも相反する二つの意味へ曲げられたのである。論証の必然に強いられても、以前に理解していた事柄についてさえ、彼らはようやく何かを認めるありさまだった。しかし、このような著者たちは、神にも哲学者たちにも承認されるべきではない。操作の時期が細部に至るまで指定され、守護霊が物体的な秩序で彼らを助けた後でさえ、彼らは先行する明白な事柄をすべて忘れ、別の点を認めようとしないからである。すでに述べた事柄にも、それと反対の事柄にも、彼らは至るところで運命に従わなければならず、物体的な存在について、ほかの何事も思い描けなかった。私が言うのは、宿命の必然的秩序以外には何もない、ということである。このような人々を、ヘルメスは『諸本性について』で愚者と呼んだ。運命に随行することにしか適さず、非物体的な事柄は何一つ理解できず、正しく自分たちを導く運命を思い描くことさえできない者たちである。しかし彼らは、物体的な存在についてのヘルメスの教えを侮辱し、自分の幸福とは無縁の想像にふける。
3. ヘルメスとゾロアステルは、哲学者の種族が運命に優越すると宣言した。彼らは運命から来る幸福を享受しない。運命の快楽を支配し、それが起こす災いにも侵されない。常に自らの内に生き、運命の差し出す美しい贈物を受け取らない。その不幸な結末を見抜くからである。それゆえヘシオドスは、プロメテウスがエピメテウスに助言する姿を示す。『人々が、すべての中で最大と考える幸福は何か。美しい妻と、多くの金銭だと言われる』。彼は、オリュンポスのユピテルから贈物を何も受け取らず、退けると言う。そして弟に、哲学の名において、ユピテルの贈物、すなわち運命の賜物を拒むべきだと教える。
4. ゾロアステルは、あらゆる上位の事柄と魔術の事柄を知ることを誇り、物体的な存在の言語から離れると言う。運命から来るものは、個々にも全体としても、すべて悪いというのである。しかしヘルメスは、外的な事柄について語り、魔術を非難する。霊的な人、自らを知る人は、魔術によって何も成し遂げず、必然を無理に曲げることを適切とは見なさない、と言う。物事が自然と権威によって進むままに任せる。彼の唯一の目的は、自らを探し、神を知り、名を呼べない三性を支配することである。運命が望むことをするに任せ、地上の泥、すなわち身体に作用するままにしておく。彼はこう述べる。『理解し、適切に振る舞うなら、聖なる魂たちのために、すべてとなった神の子を見るだろう。運命に支配された物体的な領域から、お前の魂を引き出して非物体的な領域へ導くため、彼がいかにしてすべて、すなわち神、天使、苦しみを受ける人となったかを見よ。すべてが可能な彼は、望むすべてとなる。父に従い、あらゆる身体へ入り、各々の精神を照らす。身体を取る以前にいた、幸福な領域へ飛翔したのである。お前は彼に励まされ、その光へ導かれ、彼に従うだろう。
5. ケベスの描いた図、三重に偉大なプラトン、千倍偉大なヘルメスを見よ。最初の人、あらゆる存在の解釈者、あらゆる物体的事物の命名者トトが、最初の聖なる言葉をどのように解釈するかを見よ。カルデア人、パルティア人、メディア人、ヘブライ人は、彼をアダムと呼ぶ。これは、処女の土、血の土、火の土、肉の土を意味する。これらの事柄は、各聖所、とりわけセラペイオンに置かれた、プトレマイオス朝の書庫に見いだされる。エルサレムの大祭司の一人アセナンがヘルメスを派遣し、彼がヘブライ語聖書全体をギリシア語とエジプト語へ訳したときに、そこへ収められたのである。
注 聖書翻訳の由来に関する本文の伝承を、そのまま歴史資料として訳したもの。史実としての正確さを保証する記述ではない。
6. このように、最初の人はわれわれの間ではトト、彼らの間では、天使の声によって与えられた名、アダムと呼ばれる。彼を象徴的に表すのは、四つの方位に対応する四元素である。
すなわち天球の基本方位であり、身体に関わるものとして語られる。実際、その名の文字Aは、東(アナトレ)と空気(アエール)を示す。文字Dは、西(デュシス)を示し、それは重さのために下る。文字Mは南(メセンブリア)、すなわち身体を成熟させる加熱の火、第四の領域であり中央の領域を示す。
こうして肉的なアダムは、目に見える姿においてトトと呼ばれる。しかし、その内にある霊的な人には、固有名と普通名がある。固有名が何であるかは、今に至るまでわれわれには分からない。見いだすことのできない人物ニコテオスだけが、それらを知っていたからである。普通名は、ポース、すなわち光、火である。それゆえ人々は、ポーテス、すなわち死すべき者たちと呼ばれる。
注 φῶς・φῶτεςに関する旧本文の語源説を訳したもの。現代の語源学によって裏付けられた説明と断定しない。
7. 彼が光の姿で楽園にいたとき、運命の感化に従い、彼らはその無垢と行動できないことにつけ込み、運命に従属し、四元素に対応するアダムの姿を着るよう説得した。彼は無垢のため拒まなかった。そして彼らは、その中で外なる人を隷属させたことを誇った。
ヘシオドスが、ユピテルのプロメテウスを縛った鎖について語ったのは、この意味である。その鎖の後、ユピテルはさらに別の鎖、すなわちヘブライ人がエヴァと呼ぶパンドラを送る。寓意の言葉では、プロメテウスとエピメテウスは、同じ一人の人であり、魂と身体である。プロメテウスは、あるときには魂の像、あるときには霊の像である。また、エピメテウスが実の兄プロメテウスに逆らったために、肉の像でもある。
われわれの知性は言う。神の子は、すべてが可能であり、望むときにすべてとなり、望むとおりに各人へ現れる。イエス・キリストはアダムに加わり、かつて死すべき者たちが住んでいた楽園へ、彼を連れ戻した。
8. 彼は自ら人となり、苦しみと打撃を受ける者として、あらゆる力を失った人々へ現れた。しかし、密かに自らの死すべき性質を脱ぎ捨てていたため、実際には何の苦しみも受けなかった。現在から世界の終わりに至るまで、死を踏みつけ、退けたように見えた。これらはすべて秘密のうちに行われた。こうして外観を脱ぎ捨て、彼は自分に属する者たちに、彼ら自身の内のアダムの霊と、自らの霊とを、同じく密かに交換し、そのアダムを打ち、死に至らせよと勧めた。盲目の人が、霊的で光に満ちた人と競わされるのである。こうして彼らは、自分自身のアダムを殺す。
9. これらのことは、ダイモンのアンティミモスが来るまで行われる。彼は彼らを妬み、再び迷わせようとして、自らを神の子と言う。魂にも身体にも、固有の形をもたないのに。しかし真に神の子である者に占められたため、彼らはより賢明となり、自分のアダムを彼に明け渡す。死すべき霊を供犠にし、世界の創造以前にいた固有の場所で、救われたままとどまる。このように、これらを成し遂げる前に、彼はまず、対抗者アンティミモスを前駆者として送る。ペルシアから出たこの者は、誤りと作り話に満ちた言説を語り、人々を運命に従って導く。その名を構成する文字は、二重母音を保てば九つであり、運命が目指す目的に従っている。その後、七つほどの期間が過ぎると、彼自身も固有の本性によって来るだろう。
10. これらを語るのは、ヘブライ人と、光に満ちた人およびその導き手である神の子についての、ヘルメスの聖なる書だけである。それらは地上のアダムと、その導き手アンティミモスについて語る。アンティミモスは、冒瀆と誤りによって、自らを神の子と称する。ギリシア人は地上のアダムをエピメテウスと呼ぶ。これは、固有の霊、すなわちユピテルの贈物を受け取るなと言った兄によって助言された者、という意味である。しかし欺かれ、悔い、幸福な領域を探し求めた後、彼はすべてを説明し、霊的な理解力をもつ人々へ、あらゆる点で助言する。一方、物体的な理解力しかもたない者は運命に属し、それ以外には何も認めず、告白もしない。
11. 適切な染めを行い、偶然成功する者たちは皆、同じことしか言わない。彼らは炉についての大きな書に述べられた術を嘲り、詩人が『しかし神々は、まだ人々へ同時に与えていなかった……』などと言うのも理解しない。
彼らは何も考察せず、人々のさまざまな生き方を見ない。同じ一つの術で人々が異なる成功を収め、異なる操作を行い、星々のさまざまな性質や配置によって、同じ術を実践することを見ない。ある職人は怠惰であり、ある職人は孤立し、ある者は衰え、ある者は悪くなり、ある者は進歩しないことを見ない。すべての術では、同じ術に異なる道具と手順で取り組み、理解と成功の程度が異なる人々に出会うこともある。
12. あらゆる術の中でも、とりわけ聖なる術において、これらを考察するのがふさわしい。たとえば骨折した患者が熟練した祭司に出会えば、祭司は自らの霊感に従い、断片をつなぎ合わせる。骨が再び接合する音が聞こえるほどである。そのような祭司が見つからなくても、負傷者は死を恐れず、図や陰影をつけた絵のある書物を携えた医師を呼ぶがよい。書物の図の線に従って手当てされ、負傷者は技術によって包帯を巻かれ、健康を取り戻して生き続ける。骨折をつなぐ祭司が見つからないからといって、人が死を甘受することはない。
ところがこれらの不幸な無知な者たちは、描かれたとおりの炉の説明を学び知り、実践するよりも、飢えて死ぬままにする。それを実践すれば幸福になり、不治の病である貧困に打ち勝てるだろうに。この章については、これで十分である。
13. さて私は、炉に関わる自分の主題へ進もう。
あなたの書いた手紙を受け取り、装置の説明をあなたのために書くよう求めているのを見た。知られてはならない事柄の知識を私から得ようと、あなたが書いてくるのを見て、私は驚いた。哲学者が『これらのことは、ほかの著作に十分記したので、意図して沈黙のうちに通り過ぎた』と言うのを聞かなかったのか。それでもあなたは、私から学ぼうとした。だが、私の著作が古人たちの著作より信じるに足るとは考えないでほしい。私には彼らを超えられないことを知ってほしい。しかし彼らが言ったすべてを理解するため、私の知ることを説明しよう。それは次のとおりである。
14. ガラスの受器、長さ一キュビットの土製の管。管の太さに見合う首をもつ、口の狭いフラスコまたは器。これが型である。水の鉢を用意し、海綿で器を湿らせなければならない。昇華蒸気にも水銀にも、同じ器を用いる。

水銀は、ファノスという器や、蛇形の受器をもつ同様の装置で固定できる。硫黄の蒸気によって水銀を黄色くする。古い著作が勧めるのはこのことであり、ファノスには硫黄を入れない。この記述に、二つの顕わな秘儀が隠されていることに、あなたは驚くだろう。第一に、金属を白化する硫黄の蒸気が、それでも水銀を黄色くするのはなぜか、また焼かれるときにどうしてそうなるかを、われわれは探究していないではないか。さらに、この水銀は可能態でも事実としても白いのに、白い物質で焼かれ、固定されると、どうして黄色くなるのか。
15. したがって近代の者たちは、何よりもこれらを探究すべきだった。もう一つの秘儀については、水銀が単独ではなく、配合物全体とともに固定されるのだと、私は考える。さて、天然硫黄の水の製造、水銀の固定、混合物への注水と染めも行う装置は、次のものである。
[旧訳編者注]ここに『ザリガニ』の処方が続く。序論152頁を参照。
注 旧版ではザリガニ装置の処方を序論の図への参照に置き換えている。本文を創作して補っていない。

16. 影のない銅から生じるイオスは、黄色くされた後、昇華の作用にかけられ、それから白い蜜の中へ置かれる。
17. われわれの銅によって黄色くされた柔らかい塊は、その代わりに作用するが、……より弱い。これらすべては、アガトダイモンに見いだされる。
18. 小さな鉱滓から得た柔らかい塊をファノスに入れ、揮発した硫黄の蒸気によって固定し、辰砂のようにせよ。次いで広口瓶または鉢へ入れ、広げ、前述のように用いよ。
天、太陽(または金)、地、天の記号。
19. 見てのとおり、蒸気に由来するすべての種は、アガトダイモンによって混ぜ合わされた。クリュソコラ、エテシアの石、金の花、一般に銀を染めるために用いられるすべてのものがそうであり、彼の最後の類が含むとおりである。彼が蒸気を用いるのは、銀が鉱滓になるのを避けるため、また、焼成や焙焼を受ける粗厚で土性の身体へ、銀がその実体を渡すのを避けるためである。
トリビコスと管について
III.l トリビコスと管について
1. トリビコスを説明しよう。これは、マリアから伝統的に伝えられた銅の構造物をいう。彼女の言葉は次のとおりである。圧延して薄くした銅で三本の管を作れ。その厚さの尺度はこうである。菓子を焼く青銅の鍋と、おおよそ同じ厚さとし、長さは一キュビット半とする。この条件で三本の管を作り、さらに直径がおよそ一パルメで、銅器の開口に見合う開口をもつ太い管も作れ。三本の管の口は、親指の管を通じ、留め具によって小受器の首へ適合させ、人差し指の二本の管が、両手の側面へ合うようにする。銅器の先端近くに、管へ合い、よく接続された三つの孔がある。これらを、揮発部分を受け取る上部の受器へ、中心を外して接合する。硫黄を入れた土製フラスコの上に、銅器を置く。小麦粉の練り物で継ぎ目をふさいだ後、管の先に、大きく丈夫なガラスの受器を取り付けよ。蒸留物を運ぶ水の熱で割れないようにするためである。図は次のとおり。人差し指の管。

[旧訳編者注]第2節は、216頁のIII.xlvii第2節の第一段落の反復である。第3節は同じ篇の第4節(217頁)を繰り返すが、非常に重要な異同があるので、以下に掲げる。
3. これらの装置のさまざまな類に関わることを聞き、私は笑った。お前は言うからだ。『各操作に際し、フラスコに、火に触れていない硫黄一ミナを入れよ』。また、非難に耐えられず、そのようなことを書こうとしたお前に、私は驚きもした。そのうえお前は、哲学者が『これらのことは、ほかの人々の著作にすでに非常に詳しく説明されているので、私は沈黙した……。獣脂、蝋、粘土、あるいは望むもので密封し、焼成した後、取り出せ』と大胆に言ったため、彼を批判するに至った。著作にある図は、次のものである。
抑えきれない嫉妬に固執して、お前は哲学者をむなしく批判する。彼の言うことを理解していないからである。彼は、先の注解でのように水の製造についてではなく、蒸留について語ろうとしている。製造と蒸留は別物だからである。彼は、彼らの水銀については何も詳しく書かれておらず、誰もその製造を説明していなかったと言った。それこそ隠された秘儀であり、注意深く秘された事柄だったのである。したがって蒸留は、これらの装置、あるいは理解力ある人々の考案した同類の装置によって行われる。そのような人々とは、アルキメデス、ヘロン、その他の著者の気体力学や、機械についての著作を、あらかじめ研究した者たちである。
4. ほかの炉について。われわれの言説の続きは炉と染めを主題とするが、ほかの人々の著作にあることを、あなたに繰り返そうとは思わない。実際、ここに示す炉の説明はマリアにはない。哲学者もこれに言及せず、角柱形の装置や、火の規則についての注解で私が通りすがりに述べたほかの装置だけを挙げた。あなたの著作に何も欠けないよう、アガトダイモンが次の言葉で言及したマリアの炉を、そこに記しなさい。『以下は、吊るした硫黄のためのケロタキスの類の説明である。鉢を取り、区切りを作れ。すなわち、石で鉢の底の中央に円形の切り込みを作り、下部に、それに見合う大きさの小皿をはめ込めるようにせよ。薄い土器を用意し、鉢に合わせて吊るし、上部を鉢で支え、鉄のケロタキスの方へ突き出すようにせよ。著述に従い、望む金属板を、鉢とともに、器の上、ケロタキスの下へ置け。内部が見えるようにする。継ぎ目を密封した後、われわれの記述にある時間だけ加熱せよ。吊るした硫黄については、以上である。吊るした砒素も、同じように操作する。器の中央に、針ほどの小さな穴を開けよ』。


5. もう一つのガラスの鉢を下に置く。土器の大きさと形は、丸い部分に合い、それに沿うようにする。

6. マリアは言う。『これは窯形の炉であり、上部に三つの穴、吸い口をもち、大きな塊を止め、融けた部分を排出する。染めが要求するところに従い、ギリシアの葦を二、三日と同じ数の夜の間燃やして、徐々に熱し、炉の中で完全に焙焼せよ。次いで丸一日の間、アスファルトを下らせ、お前の知るものと、白い銅または黄色い銅を加えよ。これは次のようにできる。篩形の装置は、白化させ、黄化させ、イオスを生む。化粧料を作るときのように、混合物の染めと、お前が思いつくものすべてを、軽く加熱せよ。製造とは、このようなものである』。

テーバイのゾシモスの最終勘定 第一書
III.li 最終勘定の第一書
テーバイのゾシモスの著作
1. ここに、『真理の書』が確証される。
ゾシモスよりテオセベイアへ。挨拶を送る。
女よ、エジプトの王国全体は、適切な染めの術と鉱石の術という、この二つの術に依存する。神なるものと呼ばれる術は、教説的・哲学的な部分においても、より小さな問題の大部分においても、その守護者たちの生活のため、彼らに委ねられた。この術だけでなく、自由と呼ばれる四つの術や、手仕事の術も同様である。その創造する力は王たちに属する。王が許せば、先祖から相続して知識を得た者が、口頭で説明し、または石碑に基づいて解釈する。しかし、その知識をもつ者は、自分のためには製造しなかった。罰せられるからである。王の貨幣を鋳造できる職人も、処罰を受けずに自分のために鋳造する権利はない。それと同じく、エジプトの王のもとでは、加熱の術の職人と、手順を知る者たちは、自分のためには操作せず、王たちのために操作し、その宝庫のために働いた。彼らの上には特別の長が置かれ、加熱の術には、大きな専制が行われた。術そのものだけでなく、金鉱に関してもそうだった。採掘については、エジプト人の間では、書面による許可を要するのが規則だったのである。
2. ある者たちは、デモクリトスと古人たちを非難する……。[旧訳編者注:続きは98頁の該当段落の終わりまでと同じ。]
注 旧訳は第I分冊の98頁へ参照させて続文を省く。この重訳には省略の告知を収める。
3. ……適切な染めについては、ユダヤ人にもギリシア人にも、かつてそれを説明した者はいない。彼らは、固有の色で作られ、その保存を目的とした像の中に、それらを置いたからである。鉱物に行う操作は、適切な染めとは大きく異なる。彼らは術そのものの公開に、非常に強い警戒心を抱き、操作者を罰せずにはおかなかった。許可なく採掘した者は、王の税を徴収する都市の市場監督官によって、投げ落とされ、殺されることもある。同じように、密かに炉を使い、適切な染めを秘密に製造することは許されなかった。それゆえ、隠されたものを明かし、この点について何か明白に述べる古人は、誰も見つからないだろう。私が古人の中で出会ったのは、その一覧の列挙によって、このことについて何かをはっきりと示した、デモクリトスただ一人である。
実際、彼は自由の諸術についての著作の前置きで、このように始める。ここに、その巧妙さを見よ。冒頭では、水銀とマグネシアの身体についてしか語らなかった。しかし、ほかの物質はすべて、適切な染めの類に属する。彼はこう述べる。『アッティカの黄土、ポントスのミニウム、天然硫黄。一リブラを取る。フリュギアの石、黄色いソリ、乾いた緑礬、辰砂、焼いたミシュ、生のミシュ。アンドロダマス、硫黄、砒素、サンダラケを作るのである』。四つの一覧にあるすべてを列挙しないために言えば、そこには染めに適したすべての物質が見つかる。そして、この点で意味していることをお前が実行できるよう、二つの術に対応する、生の物質と焼いた物質を列挙したのである。彼は適切な事柄の中でも、染めを好んで語る。『生のミシュ、焼いたミシュ、黄色いソリ、乾いた緑礬』などと言うとき、自由の諸術に即して、何らかの処理を受けた物質を語っている。しかし、黄色い水銀や黄色いマグネシアの身体、一般に黄色の一覧全体のように、処理され黄化された後のこれらすべての物質について、なぜ語らないのか。
4. 彼の考え、書いたことが、どのように謎の形で示されたかを見よ。彼はすべてを謎で理解させようとした。これらについて見つけた、最も信頼に値する証言も、謎で示した。染めも道筋も一つしかないと知りながら、『これらの本性の中に、染めのために、よりよいものはない……』と言って、それらを多数であるかのように示したのは、どうしてか。それは、同じ種でも、多くの染めを適切に配合できることを示すためである。染めに用いる種の数は、一つから五十一まであり、その量に従って割合が変わる。同時に、彼は自然な操作、すなわち金の製造の材料を語り、自然な染めを明らかにする。また言う。『多量の物質で操作した者が、自然の生成物の製造に失敗するなら、私はお前たちを大きな労苦へ導いたことになる』。
ヘルメスの時代、自然な染めと呼ばれたのは、後に彼の著作『自然の染めの書』に、共通の表題のもとで記されるものであった。その書はイシドロスに捧げられた。銅の物体で成功すると、それらは適切なものとなり、そのように呼ばれた。それでも古人たち、とりわけヘルメスは、公にも秘密にもそれを説明せず、それが何かを示さなかったとして非難される。
5. ただデモクリトスだけが、自分の著作でそれを説明し、理解させた。しかし彼らは、聖所の暗がりにある石碑へ、象徴的な文字で、これらの手順を刻んだ。手順とエジプトの地誌を刻みつけたのである。誰かが不法に知識を得ようとして、あえて聖所の暗闇へ入っても、その大胆さと苦労にもかかわらず、文字を理解できないようにするためだった。しかし入門したユダヤ人たちは、託された適切な手順を伝えた。彼らの論述には、次の助言がある。『われわれの宝を発見したなら、自らを滅ぼしたい者たちに金を残しておけ。これらを述べる文字を見つければ、すべての富を短時間で集められるだろう。しかし、その富を取るだけなら、自らを滅ぼすことになる。』
『統治する王たちと、すべての人々の嫉妬によるのである。』
6. 彼らが祭司へ差し出す染められた布には、二種類の適切な染めがあった。なぜ適切と呼ばれたのか。それは、待ち望む者たちの意志に従い、望まれた時に染めを行ったからである。求めていない者たちには、別の仕方で行った。適切な染めは、純粋な種を用い、染色する種を混ぜ合わせることで得られた。その一つは、これら貴重な術に属する。もう一方の純粋で自然な染めについて、ヘルメスが石碑に刻んだ解釈は、次のとおりである。『黄緑色の物質、黄色、黒、緑、その他同類の物質だけを融かせ』。彼らは神秘的な言語で、これらの土を鉱石と呼んだ。ヘルメスは色の種類も示す。『これらは自然に作用するが、地上を超えた生成物によって凌駕される。しかし、ある入門者がそれらを捨て去れば、求めるものを得るだろう』。
7. 超自然的な方法で作った色をもたらす者たちは、このように脇へ追いやられ、有力者たちに、自然な作用によって操作する学識あるわれわれ全員へ敵対するよう勧めた。彼らは人々に退けられることを望まず、自分の作ったものを供物や犠牲と引き換えに譲るよう、懇願され、祈願されることを望んだ。そこで、作為なしに結果を与える自然な手順を、すべて隠した。それは、われわれへの嫉妬だけでなく、自分の生活を気にかけ、犠牲の供物を受け取れなくなって、鞭打たれ、追放され、飢えて死ぬ危険を避けるためでもあった。彼らは自然の手順を隠し、自分たちの超自然的な手順を押し出した。超自然的な手順を頼らず、卑俗な合金についての知識、水を作り洗浄する術という、いわゆる知識をもつ者たちへ民衆が向かうなら、犠牲が軽んじられるだろうと、祭司たちに説いた。こうして習慣、法、恐怖によって、彼らの犠牲は盛んに行われた。彼らは、もはや偽りの予告さえ実現しなかった。聖所が見捨てられ、犠牲が顧みられなくなると、夢やほかの欺き、ある種の助言で人々を喜ばせ、なお残っていた者たちを犠牲へ向かわせた。快楽を好む哀れで無知な人々に迎合するため、偽りの超自然的な約束へ、絶えず立ち戻った。女よ、彼らは偽預言者を通じ、あなたも味方に引き入れようとしている。あなたにへつらい、飢えた彼らは、犠牲だけでなく、あなたの魂までも欲している。
8. だから女よ、『作用について』の書で説明したように、惑わされてはならない。神を探して取り乱すな。自分の炉辺に座っていよ。そうすれば、どこにでもいる神があなたへ来る。神はダイモンのように、最も低い場所へ閉じ込められてはいない。身体を休め、情念を静め、欲望、快楽、怒り、悲しみ、死の十二の宿命に抵抗せよ。このように自らを導けば、神なる存在を呼び寄せられるだろう。どこにでもいて、どこにもいない神なる存在が、あなたへ来る。呼び出されなくても、犠牲を捧げよ。しかし、あの人々に利益を与え、養い、喜ばせるための犠牲ではない。彼らを遠ざけ、滅ぼす犠牲である。エルサレム王ソロモンに向かってメンブレスが勧めたもの、とりわけソロモン自身が、自らの知恵に従って記したもののような犠牲である。このように行えば、適切で真正な、自然の染めを得るだろう。魂において完全となるまで、これらを行え。しかし完全へ達したと認めたときには、物質の自然の元素が介入するのを恐れよ。牧者のもとへ下り、瞑想に没し、このように自らの起源へ上れ。
9. 私は、あなたの不足を助けに来よう。しかし考え、探し求めるものを思い出しなさい。それが減少せず、規則正しい段階をたどらなければならない。
少し後で彼が言うのを聞け。二つの卵が一つになるべき、ただ一つの生成物がある。成分は異なり、一方は湿って冷たく、他方は乾いて冷たい。両者は唯一の業を生む。ここでは卵の二つの色を理解し、卵から生じる色の変化、先行する変化、色のあらゆる生成に感嘆しなければならない。それらがどのように異質な物質の排出を示すか。他の現象の後に、それらを観察できるが、同じ状態では再び現れない。なぜ、これらすべてを説明しなければならないのか。彼らが嫉妬によって隠しているからではないか。彼らは、自分たちの助けによって誰かが理解し、好ましい染めの道を見いだすことを望まない。ある者は、問題は名称の変更だけではなく、術全体にも及ぶと言うだろう。術は誰によっても同じように説明されず、あるときは一つの仕方、あるときは反対の仕方で説明されるからである。私は言う。これらはすべて新しい。職人たちは、犯した過ちの原因を見るので、それを知っている。われわれがあるものではなく別のものを作り、あることを怠り、また別のことをより怠惰に行ったことを知っている。
10. 私は自分の論題へ戻ろう。適切な染めには、生の種を扱うか、焼いた種を扱うかによって、二つの道がある。加熱の手順は大きな疲労を免れるが、優れた熟練を必要とし、神なるマリアの言うように、より短い。この加熱の手順には、液体と火の多くの種類がある。あるときは水、あるときは葡萄酒で加熱する。火には、炭によって起こし、ずっと保つものもあれば、一定の尺度に従って送風するものもある。柴を用いる場合、炉を用いる場合、布切れを用いる場合もあり、ほかの道によって行うこともある。これらすべての手段によって、多くの異なるものが得られる。たとえば黒では、卵の違いに従い、塗った布に、大烏の黒、烏の黒、非常に濃い黒、灰色を得ることができる。そこには、木、石、水、動物も、すべて同様に描く。前述のほかの色については、文字Kのもとに説明がある。色の割合を考慮しなければならない。黄色い黄土と聞いても、私が調製を変え、困難を作ることだけを目的に、神秘的な言葉を使っていると思うな。術において、われわれの探究のために示された調製は、すべて成功するからである。
11. これらの染めは固有の本性をもつ。多くの生成物、あるいは少数の生成物の分解から生じる。小さな炉でガラスの器を用いて、あるいは大きい坩堝や小さい坩堝の中で作られる。このように、さまざまに調節された火によって、異なる装置の中で操作する。これらのさまざまな改良に従って得られた生成物の良さは、試験によって明らかになる。文字Ωのもとに、火と、探し求めるすべての事柄の説明がある。紫衣の女よ、これが私の始まりとなるだろう。
すべての事柄一般 とりわけ火についての解釈
III.lii すべての事柄一般、とりわけ火についての解釈
1. 道を誤らないよう注意し、鉛と銅だけでなく、金の液、塊状の金などと呼ばれる金属の種も黄化させよ。それらは、およそ七十八ある。七十八前後と言ったのは、水銀を用いるかどうかによる。火について語る際に彼が思い起こさせるように、調製物の試験と効力を知らなければならず、鉄を入れて加熱しなければならない。実際、ある者は半時間だけ、ある者は一時間、ある者は二時間、ある者は三時間、さらには四時間加熱した。
2. 術のすべては、弱い火にある。色を加熱し、冷えるまで火の上に置け。ガラスの器の中で起こることを見よ。このように、物質は練りと煎煮によって黄化する。これが神なる水、白と黄の二色の水である。それには千もの呼び名が与えられた。
3. 神なる水なしには何もない。配合全体は、それによって成し遂げられる。それによって加熱され、焼成され、固定され、黄化し、分解され、染められ、イオシスと精製を受け、煎煮される。実際、彼は言う。『天然硫黄の水と少量のゴムを用いれば、あらゆる種類の身体を染めるだろう。水に起源をもつすべてのものは、火から生じるものと両立しない。したがって、あらゆる液体の一覧がなければ、確かなものは何もない』。
4. 何人か、おそらくは皆が、発酵種として働くこの水は、銀または金へ染めようとする身体に作用し、似たものによって似たものを破壊しなければならないと指摘した。銀を染めたいなら銀箔を反応させ、金なら金箔を用いよ。デモクリトスは言う。『普通の金へ神なる水を投射せよ。そうすれば完全な金の色を与えるだろう。両金属に作用するものとして認められる液は、ただ一つである』。したがって神なる水は、銀であれ金であれ、同じものを生み出すパン種の役目を果たさなければならない。実際、少量のパン種が大量の生地を膨らませるように、少量の金や銀も、この酢の助けで作用するのである。
鉛白
III.liii 鉛白
1. ……力。操作の後、鉛白は雨水によって穏やかにされ、そのまま置かれる。上澄みの水を注ぎ出すと、全く白い物質が見つかる。鉛から取る普通の密陀僧は、酢と合わさると驚くべき力をもつ。鉛は塩となり、穏やかにされて、金属的な性質を失う。この密陀僧は、こうして非常に白くなり、全く鉛白のような外観を示す。
注 旧訳は「1. … puissance」で始まり、文の冒頭が完全ではない。この不完全文を補っていない。
私は赤色顔料、すなわちミニウムにも驚嘆し、それが火によって黄色くなるさまを見る。
サンダラケもまた、驚くべき力をもつ。
白化について
III.liv 白化について
1. あらゆることの要点は白化であると知ってほしい。白化のすぐ後に黄化する。これが完全な秘儀、すなわちイオシスである。それは今度は、神なる諸力の作用剤である酢によって行われる。まず硫黄性の油の章を明かし、鉛類の白化をどう行うか、染める霊の起源は何かを説明しよう。鉛類なしには、業を成し遂げられない。鉛はあらゆる物質を試す役目をもつからである。哲学者はこれを間接的な説明によって、見事に述べた。『物質が試験に用いる作用剤の働きを受けたなら、生成物の本性は消えないものとなる』。
2. 最終の試験は酢で行うことを、まず知ってほしい。第二に、哲学者が第二章で語った鉛による試験がある。彼は言った。『物質が試験に用いる作用剤の働きを受けたなら、生成物の本性は消えないものとなる』。
火についての説明
III.lv 火についての説明
7. すべての預言者たちとともに、火の力を説明しよう。あなたがたの仕事が完全で、伝承に適い、失敗しないようにするためである。実際、哲学者は火について語る際、過度の火によって種の一性がどのように変容するかを説明した。火の過剰は、操作全体に反するからである。あらかじめ習熟している事柄について、次の教えを伝える。硫黄性の物質をガラスの器で加熱するなら、画家たちがケロタキスとともに用いる火を使わなければならない。熱で器が割れないよう、ガラスの器には、半指の厚さの陶土の封泥を塗る必要がある。火の適切な程度は次のとおりである。物質を軽く加熱して黄色へ導くなら、彩色された形像の融解炉で使うような、穏やかな火を用いなければならない。生成物を黄色へ導こうとするなら、六時間、炉の中に置け。平均の時間を言っている。それで十分である。このように火は、生成物を黄色へ導く。
注 冒頭の段落番号は原版紙面どおり「7」。独立篇の先頭だが「1」へ直さず保持した。
蒸気について
III.lvi 蒸気について
1. 水の処理において説明されるように、物質が下から上へ、灰の上方、上部へ引き上げられることから、昇華蒸気と呼ばれる。このように、装置の底から頂へ上ることから、昇華蒸気という名がある。これらの蒸気、あるいは凝縮した滴を、どのように吸い上げるかは説明した。
鍋から鉱滓を取り出し、練り、そこから取り出した魂を、その上へ投射する。金属体から取ったこれらの魂を、彼らは乳房形の装置で再び昇華させ、長時間の反応によって成し遂げられたイオシスであると述べた。彼らが身体と呼ぶもの、われわれのいう金属体を、ほかの昇華蒸気と結合した。銅、アセム、または金の板に作用する硫黄や硫化物を用いて操作したのである。このように、第二の処理を全く考慮せず、補助物質を用いて染めを行った。
2. 彼は、灰に作用する濾された水を示し、言った。『装置を据え、灰を持って来い。灰は、装置の中で働く水の作用を受ける』。アガトダイモンが次のように言うのも、このためである。『灰がすべてである。煎煮、加熱、また練りと呼ばれるものは、灰に対して行われる』。このように古人たちは、分解、抽出、イオシス、穏やかな加熱によって、全体が完成されると言った。
配合物の製造を、ほかの仕方で扱うことはできない。煎煮と抽出が練りであることは、この学の解釈者たちに知られている。彼らはイオシスを煎煮と名づけ、煎煮と抽出を、極度の微細化をもたらす練りと名づけた。さらに火について語ったのは、それが熱、燃焼、炎を生むからである。古人たちは、単に知っているだけの者たちの探究を、子供じみたもの、女の仕事と呼んだ。しかし、そのためにわれわれが、染めた石や、冷たいまま製造する紫染料の液体を処理するときのように、火によってイオシスを行わなければならないわけではない。経験が真実を教えると、私は言う。それはわれわれを、唯一で完全な業の成就、安定した投射粉の獲得へ導くだろう。
3. このイオスを製造した後、彼らは蒸気を移し、残った鉱滓と合わせた。このようにして、終点へ達した。
その後、彼らは染色粉を身体の上へ投射した。ゾシモスは言うからである。『こうして霊は身体を取り、死んだ身体は、自らから生じ、再び自らの中へ受け入れられる魂によって、生き返る。二つの元素は互いに支配し合い、互いに支配され、神なる業を実現する』。実際、彼はこれによって、追い求める身体の逃れやすい霊を得て、火によって染めを耐火性にすることを、われわれに教える。哲学者によれば、これが石灰またはサンダラケの水、ナトロンの水、酒滓の水、硫黄性のものの灰で作った水、第一の蒸留の水なのだと、私は思う。
4. 石鹸職人の灰汁のようにこれを精製し、そこから生じる水を集めなければならない。石鹸職人の灰汁は決して蒸気にはされず、精製されるのである。では哲学者たちよ、銅に対して抽出を行う装置を用いなければ、著述の意味は理解されず、術の終点はそこではなく、装置と、その中で達成される固定にある、とゾシモスはどうして言えるのか。ほかの者たちは、二種類の配合に、瓶だけを用いた。水を上昇させた後、乳鉢で練りながら、それを普通の石灰と合わせた。正確な尺度によらず、乾いた部分が液体の上へ、二指、三指、または四指出るようにしたのである。
図版と出典
図42 小瓶(本文の図版)
M. Berthelot / C.-É. Ruelle 編『Collection des anciens alchimistes grecs』第I巻・序論(Georges Steinheil, 1887年)、印刷165頁。Wikimedia Commons所収の原刊画像(Public Domain Mark 1.0)。
図14・図14bis 二つの受器をもつ蒸留器(ディビコス)(本文の図版)
M. Berthelot / C.-É. Ruelle 編『Collection des anciens alchimistes grecs』第I巻・序論(Georges Steinheil, 1887年)、印刷138頁。Wikimedia Commons所収の原刊画像(Public Domain Mark 1.0)。
図15 三つの受器をもつ蒸留器(トリビコス)(本文の図版)
M. Berthelot / C.-É. Ruelle 編『Collection des anciens alchimistes grecs』第I巻・序論(Georges Steinheil, 1887年)、印刷139頁。Wikimedia Commons所収の原刊画像(Public Domain Mark 1.0)。
図16 蒸留装置(本文の図版)
M. Berthelot / C.-É. Ruelle 編『Collection des anciens alchimistes grecs』第I巻・序論(Georges Steinheil, 1887年)、印刷140頁。Wikimedia Commons所収の原刊画像(Public Domain Mark 1.0)。
図15 三つの受器をもつ蒸留器(トリビコス)(本文の図版)
M. Berthelot / C.-É. Ruelle 編『Collection des anciens alchimistes grecs』第I巻・序論(Georges Steinheil, 1887年)、印刷139頁。Wikimedia Commons所収の原刊画像(Public Domain Mark 1.0)。
図16 蒸留装置(本文の図版)
M. Berthelot / C.-É. Ruelle 編『Collection des anciens alchimistes grecs』第I巻・序論(Georges Steinheil, 1887年)、印刷140頁。Wikimedia Commons所収の原刊画像(Public Domain Mark 1.0)。
図28 「ザリガニ」の式(本文の図版)
M. Berthelot / C.-É. Ruelle 編『Collection des anciens alchimistes grecs』第I巻・序論(Georges Steinheil, 1887年)、印刷152頁。Wikimedia Commons所収の原刊画像(Public Domain Mark 1.0)。
図15 三つの受器をもつ蒸留器(トリビコス)(本文の図版)
M. Berthelot / C.-É. Ruelle 編『Collection des anciens alchimistes grecs』第I巻・序論(Georges Steinheil, 1887年)、印刷139頁。Wikimedia Commons所収の原刊画像(Public Domain Mark 1.0)。
図25 ケロタキスを備えた容器(本文の図版)
M. Berthelot / C.-É. Ruelle 編『Collection des anciens alchimistes grecs』第I巻・序論(Georges Steinheil, 1887年)、印刷149頁。Wikimedia Commons所収の原刊画像(Public Domain Mark 1.0)。
図22 ケロタキスを備えた湯煎器(本文の図版)
M. Berthelot / C.-É. Ruelle 編『Collection des anciens alchimistes grecs』第I巻・序論(Georges Steinheil, 1887年)、印刷146頁。Wikimedia Commons所収の原刊画像(Public Domain Mark 1.0)。
図24・図24bis 別の湯煎器とケロタキス(本文の図版)
M. Berthelot / C.-É. Ruelle 編『Collection des anciens alchimistes grecs』第I巻・序論(Georges Steinheil, 1887年)、印刷148頁。Wikimedia Commons所収の原刊画像(Public Domain Mark 1.0)。
図20・図21 円筒形の温浸容器(本文の図版)
M. Berthelot / C.-É. Ruelle 編『Collection des anciens alchimistes grecs』第I巻・序論(Georges Steinheil, 1887年)、印刷143頁。Wikimedia Commons所収の原刊画像(Public Domain Mark 1.0)。